日米の歴史と文化を語る(6)

チェロキー族の「涙の道」(The Trail of Tears)
欧米白人がアメリカ大陸に進出以来、数多くのアメリカインディアン部族が武力抵抗を試みてきた。1890年(明治23年)12月29日サウス・ダコダ州のインディアン居留地、ウーンディッド・ニーで武装したスー族の一部が、アメリカ第七騎兵隊に包囲され、武装解除して降伏した。ところが、どこからともなく出た一発の銃声をきっかけに虐殺が始まったのだ。犠牲者約300人、そのうち女、子供は約200人。これが最後のアメリカとアメリカインディアンの武力衝突になった。これ以後アメリカインディアンの武力抵抗はなくなってしまった。アメリカ軍によって完全に武力制圧されたのです。アメリカという独立国ができてから115年後のことであった。アメリカインディアン各部族の悲劇の物語は色々な本に色々書かれていますが、私が一番胸を打たれるのはチェロキー族の悲劇です。
チェロキー族は、現在のジョージア州とアラバマ州を根城にする部族でした。チェロキー族も最初のうちはアメリカ人に武力抵抗をした。しかし決して勝つことのない戦いで広大な土地を失っていった。そこでチェロキー族は武力抵抗をやめ、アメリカ文明を学び、実践していったのです。
まず1820年前後にチェロキー国家、即ち独自の政府を設立したのだ。1820年代のチェロキー国の発展にすさまじいものがあります。セコイアという一人のチェロキー人がアルファベッドに似たチェロキー文字を作り出したのです。1825年新約聖書のチェロキー語訳完成。さらに1827年英語、チェロキー語を使用して成文化された憲法を制定、1828年には英語とチェロキー語を併載する週刊新聞「チェロキー・フェニックス」を発刊したのだ。その社説には次のような事が誇らかに述べられていた。
「わが国の法律、公文書及びチェロキー人民の福祉状況に関係ある事柄は、忠実に英語とチェロキー語両語で出版されるだろう。」
このチェロキー国の発展の影にモラビア教団の宣教師たちの活躍があったのです。しかしジョージア州当局はチェロキー国の発展を望まず、政府に働きかけてチェロキー族を一掃しようとします。また州当局はチェロキー族の土地の買収を企てます。チェロキー国は、個人の土地売買を禁止し、もし違反の場合死刑という法律を作って抵抗します。チェロキー一族の団結は固いとみた州当局は、いくつかの嫌がらせをするのですが、そのうちの一つが「チェロキーランド宝くじ」です。この宝くじの内容を簡単に言えば、私の住所が、かりに1-2-3としますと、この番号をひいた白人は私の住んでいる土地と家がその白人のものになるというのです。実にたちの悪いいやがらせです。
1892年ジャクソン大統領は、国会施政演説でジョージア、アラバマ州内のチェロキー族の独立国家を認めず、彼ら全部をミシシッピー川以西の地に移す法案を提出することを発表した。1830年にはジャクソン大統領提案の「インディアン強制移住法」が可決成立してしまった。そして運悪く1830年代にチェロキー国内で有望な金山が発見された。
そしてとうとう1838年5月23日が、チェロキー国、全国民のオクラホマ居留地移住の日と決められ、ジャクソン大統領の署名がなされた。その移住日にまにあわせるために合衆国政府は、急造の強制収容所を作りチェロキー族を押し込めた。ところが実際の本格的移住はその年の秋ごろになってしまった。すなわちおよそ半年間強制収容所に押し込まれた生活をよぎなくされた。合計およそ16、000人のチェロキー族をオクラホマ州に設置された居留地に強制移住させるには、膨大な費用がかかりますが、その費用はすべて政府が持ち、実際の運送は入札に参加した業者にやらせたのです。業者は政府からおりるお金をすこしでもピンハネするために毛布の枚数、食料の量、幌馬車の数など減らすことのできるものはあらゆるものが減らされた。オクラホマの居留地およそ1300キロ、道中は難渋をきわめた。食料不足による栄養失調、冬の寒さ、コレラや天然痘など伝染病などで次々病人や死者が出た。死者が出たところで埋葬のために行進は止まることはなかったのです。死者はその場で捨てられました。運送業者は、チェロキー族の死を歓迎した。一人でも死ねば、その分費用がうくからです。目的地に到着した時、正確な死者の数はわかりませんが4,000人と言われています。4人に一人が死んだのだ。このチェロキー族の強制移住を「涙の道」(The Trail of Tears)と呼ばれています。

1838年12月、まだチェロキー族の飢えと寒さと疲労の長い嗚咽の列がオクラホマに向かっている時、ワシントンの国会では大統領、ヴァン・ビューレンが白々しい報告を行っていた。
「私はここに国会に対し、チェロキー・ネイションの、ミシシッピーの西の彼らの新しい土地への移住の完了を報告することに、心から喜びを感ずるものであります。さきに国会において承認決定されました諸方策は、もっともな幸福な結果をもたらしました。現地の米軍司令官とチェロキーとの間の了解に基づいて、移住はもっぱら彼ら自身の指導のもとに行われ、チェロキー達はいささかのためらいを示すこともなく移住をいたしました。」
これはアメリカの大統領は、議会でもうそ、でたらめを平気で語ることの証明です。
アメリカ政府は、およそ20,000人にも満たない小国すら認めようとしなかったのです。チョロキー族は、自分たちの文字を作り、英語を学び、アメリカ政府と協調するためにあらゆる努力をしたがむくわれることはなかったのです。なぜか?それはインディアンが有色人種であり異教徒だからです。アメリカ政府が有色人種であり異教徒である人たちを対等に扱いはじめたのは1960年代に入ってからです。
このチェロキー族の悲劇「涙の道」(The Trail of Tears)の物語は、一般のアメリカ人の間では常識にはなっていません、しかし大東亜戦争時の「バターン死の行進」は、日本軍の残虐行為としてアメリカ人の常識のように知られています。「バターン死の行進」とは、フイリピンのバターン半島の戦場でアメリカ兵とフイリピン兵、合計7万6千人が捕虜となり、鉄道のあるサンフェルナンドまで90キロを夏の炎天下に歩かされたので多数の死者が出た事件のことです。1970年制作のアメリカ映画に「フラップ」という作品があります。この映画は1971年に日本で「最後のインディアン」で上映されています。私の年代ならおそらく誰もが知っているメキシコ系アメリカ人俳優、アンソニー・クィンがアメリカ兵として第二次大戦従軍の経験があるアメリカインディアン役を演じています。その映画のセリフのなかで彼がこう語っている場面がある。
「(チェロキー族の)「涙の道」に比べりゃ、バターン死の行進なんざぁ、そんじょそこらのピクニックみてぇなもんだ。」
それそうでしょう。夏の炎天下に歩かされた距離がおよそ90キロ、捕虜の米比兵は
手ぶらで歩き、護衛する日本兵は、20キロの完全装備で歩くのだから日本兵は苦しい行軍をしいられ、日本兵にも犠牲者も出たほどだ。当時日本軍にとってトラックは貴重品で捕虜何万人も載せるトラックなどなかったのだ。それがチェロキー族にいたってはオクラホマ州居留地まで健常者は1300キロも歩かされているのだ。まさしく90キロの「バターン死の行進」がピクニックに見えるわけです。

このチェロキーの「涙の道」(The Trail of Tears)は、拙著「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の第六章アメリカの侵略主義、第一節インディアンとの戦争(136頁)からの抜粋です。この本が出版されたのが2004年ですが、当時「フラップ」というアメリカ映画で、アメリカインディアン役のアンソニー・クィンの台詞は承知していたのですが、日本でどういう題名で上映されたのか、全くわからなかった。現在では「最後のインディアン」という題名で上映されたのもわかるし、映画の内容も知ることもできます。10年以上前とはネットのウイキペディアもずっと進歩しているのですね。

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マフィアとヤクザの違い



えんだんじのブログは、今年の10月で10年目を迎えます。今から5年前の2012年1月11日に「マフィアの話」としてブログを書いています。A4の紙、13枚で書き上げていますが、自分で言うのもなんだが、これがなかなかの上出来で、どこかの映画雑誌で載せたいくらいです。「マフィアの話」は、以下の四項目から書かれています。
一。ゴッドファーザー
二。マフィアの歴史
三。マフィア映画に登場する人物像
(1)アルフォンソ・カポネ
(2)ラッキー・ルチアーノ
(3)ベンジャミン・バグジー・シーゲル
(4)ジョセフ・バラキ
(5)サム・ジアンカーナ
(6)トウキョウ・ジョー
四。マフィアとヤクザの違い

三。マフィア映画に登場する人物の6番目に登場するトウキョウ・ジョーを知っている人は、まさにマフィア映画ファンと言えるでしょう。トウキョウ・ジョーとは日本人でマフィアになった男、ケン・エトウの愛称です。父親は日露戦争時に小倉第十二師団の兵士として出征。帰国後キリスト教の牧師になり、アメリカに渡る。ケンはアメリカで生まれ、14歳の時父とけんか、家を飛び出した。大東亜戦争中は、日本人強制収容所で軍人にならず、博打稼業に精を出す。其の後マフィアに入るが、イタリア系でないので幹部になれるどころか裏切りの疑いをかけられた。二人の殺し屋からケンの後頭部に三発の銃弾を受けた。この時ケン64歳。ところが奇跡が起きた。彼は生還した、しかも健康体で。彼は銃を使わない復讐作戦にでて成功した。彼は病院でベトナム人女性の介護を受けながら84歳で死んだ。死後彼の人生は、日本人映画監督、小栗健一氏によってドキュメンタリー映画が製作された。詳細に興味あるかたは、ぜひえんだんじのブログ、「マフィアの話」、2012年1月11日を参照ください。
四。マフィアとヤクザの違い
ここでは、トウキョウ・ジョーの話とは違い、この文章の全文を引用します。
引用開始
「ここで言う違いとはヤクザがヤクザと呼ばれていた時代のヤクザとの違いで、決して現在の言う暴力団との違いではありません。「侠客」と言っても最近の若者はあんまりぴんとこないでしょうから、辞書を引いておきました。侠客とは、「任侠を旨として渡世する人々」、任侠とは、「弱い者を助け、強い者をくじき、義のために命を惜しまないという気風」。これで侠客の意味がなんとなく掴めたと思います。日本最後の侠客と言われる山口組三代目、田岡一雄夫妻には一男一女がいる。一人娘の由岐さんは、音楽家の喜太郎氏と結婚し現在離婚。その彼女が「お父さんの石鹸箱」と「さようならお父さんの石鹸箱」という二冊のエッセイを書いています。両親への深い愛情を示し且つ彼女の人柄の良さを示す好感の持てる本です。その中である時彼女は両親と父のボディーガードと四人で映画「ゴッドファーザー」を見に行った。映画の印象を父はこのように話をしてくれたと書いています。
「向こうのヤクザは、カネもうけのためになんでもする。日本のヤクザは、カネに触るといやらしいというのがほんまなんや。一番違うとこは、そこや。だから組織の目的がちがう。」
確かに田岡が「組織の目的が違う」ともいえたのも事実だと思う。田岡が山口組三代目を継いだのは昭和21年、終戦の翌年、田岡34歳の時。この時田岡は、三つの誓いを立てた。
(1)各自に職業をもたせること。
(2)体制の確立。
(3)己を厳しく律すること。
そして「土建屋山口組」という筆太な文字で書かれた分厚い看板を事務所の入り口に掲げた。ヤクザとマフィアの大きな違いはここですよ。公然性(公開)と非公然性(秘密)です。日本のヤクザは、その存在については、事務所を市街地に開設し看板を掲げるなどして、一般市民の充分知るところであり、また警察もそのヤクザの組織の機構や序列、活動についても相当部分把握している。一方アメリカのマフィアは、徹底した秘密組織であり、組織の全容は秘密の組織のベールに包まれています。私はこの公然性が侠客の生む素因にもなり、マフィアに比べて殺人が少ない原因にもなっているのではないかと思っています。看板をかかげて親分になる以上、これまでのようにバカなまねはできない、それでは組員がついてこない、近所の堅気から嫌われたり、馬鹿にされたりして組員の士気にかかわるし、発展はない。そんなことから堅気には手をださないということにもなるし、要するに親分自身が自分を律する面が強くなる。これがマフィアのように徹底した秘密主義では、侠客など生まれるのはまれになってしまう。殺人が多くなるのも当然でしょう。
山口組が発展してくると、田岡の目が行き届かなくなる。山口組系を名乗る末端組織の中には麻薬に手を出したり、堅気の衆に迷惑を及ぼす者も出てきた。そこで田岡は、滋賀県永平寺の老師に相談して山口組の綱領をつくった。
綱領
山口組は侠客精神に則り、国家社会の興隆に貢献せんことを期す。依って組員は左の各号を体現することを要す。
一。内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。
一。外に接するに愛念を持し信義を重んず。
一。長幼の序を弁え、礼によって終始す。
一。世に処するに己の節を守りそしりを招かず。
一。先人の経験を聞き、人格の向上をはかる。
昭和38年の仕事始めの時、この綱領は神戸観光ホテルに百人近い組員を集めて発表された。昭和46年6月には田岡は、組員の広報誌、「山口組時報」を創刊している。その創刊号で田岡はこう書いています。
「家庭にあってはよき父、よき夫であってほしい。日頃家庭をうとんじている者ほど、なにかことあるときには、その嘆きに拍車をかけている。内を固めてから外に当たるように」と組員をさとしている。同紙には「法律教室」や「告知板」と称する放免祝い、葬儀、服役者消息欄など話題が豊富であったと言う。私はマフィアの人たちに言いたい。日本にはこういうヤクザがいたのだ。田岡自身は売られたけんかで人を殺し8年の刑を受けた者です。金がすべてではないことが彼の行動でわかるはずです。田岡は自伝を書いているが、最後の10頁あまり妻、文子自身に書かせている。彼女は最後にこう書いています。
「まだ一つ大きな問題が残っております。それは侠客道を歩む者も、無頼の徒も同一視され、暴力団というありがたくない汚名をきせられていることです」
私は彼女の気持ちが理解できます。
そして現在、ヤクザという言葉は完全に使われなくなりすべて暴力団呼ばわりされ、徹底して嫌われ、「何々組」という看板も掲げられなくなってしまった。これでは暴力団は地下にもぐり、徹底して秘密主義が貫かれる。すなわち暴力団のマフィア化につながる。危険な不気味な存在になってしまう。それでもいいのですか。前科者でもなく、警察に追われているわけでもない暴力団員と付き合って何故いけないのですか。
鈴木宗男前議員は、刑務所暮らしから現在出所しています。いずれにしても前科者です。その前科者が今度の総選挙で立候補します。前科者の議員とはつきあってもいいが、暴力団員であったら前科経歴がなくてもつきあってはいけないのですか。もしそうなら人権侵害ではないですか。私は読者に訴えたい。私たち庶民は、前科者の庶民には非常に冷たくあしらうが、金持ちや、政治家、あるいは有力者の前科者には甘いのだ。現在のマスコミは、民主党政府には怒れない、反日日本人組織にも怒れない、隣国にも怒れない、怒れる先は暴力団だけ、それだけに暴力団が目の敵にされるのだ。暴力団員と芸人が付き合って何が悪いのだ。
テレビで大討論しなければならない大問題か。現在の暴力団組織など少しも怖くない。暴力団で国がつぶれることは絶対にない。現在最も恐いのは反日日本人組織です。日教組など暴力団よりはるかに怖い存在です。私は暴力団をえこひいきするつもりはないが、日教組、自治労、反日市民団体などの不法行為には暴力団と同じように厳しい捜査をしてもらいたと思う。政府は、最近「環境影響評価書」を沖縄県庁に宅急便で送った。その配送を阻止した反日市民団体の行為は違法行為ではないのか。同じことを暴力団がやったらどうなるのだ。法律は平等に施行されなければならないはずです。」
引用終了

現状の山口組の状態を知ったら墓場にいる田岡親分は激怒するでしょう。私がなぜ「四。マフィアとヤクザの違い」の全文を引用したかと言うと、次の二つのことに留意したいからです。
1.終戦直後、日本の警察は、拳銃の使用を禁止されていた。そういう時にのさばったのが勝利国国民づらした第三国人(当時日本国民は、そう呼うでいた)すなわち、在日朝鮮人、シナ人、台湾人、その他アジア人だ。どういう場所でのさばったかというと、特に生きていくために日本人庶民が利用する、闇市、露天商街だ。拳銃を持たない警察が役立たないのはどの国でも同じだ。のさばる第三国人を相手に全国の日本人ヤクザが熾烈な戦いをいどんだのだ。だから市民からヤクザが歓迎されたのだ。その一つの証拠が昭和34年山口組の田岡組長が神戸水上署の一日署長を務めた。終戦直後、警察に変わって日本人のために戦ったのは、神戸の山口組だけではない、横浜の藤木組、横須賀の小泉組など全国にわたる大都市ヤクザだ。現在、戦後70数年、今やヤクザはなくなり、暴力団になってしまった。人気映画「男はつらいよ」の寅さんこと、車寅次郎(くるまとらじろう)の生業はテキ屋。映画では「俺がヤクザ稼業なため、いつも妹に迷惑かけている」なんて言うセリフをはいているが、今じゃテキ屋も法律では暴力団です。寅さんは、侠客気分満々だが、いずれヤクザや侠客という言葉なくなり、死語になってしまうのではないでしょうか。

2.「私は読者に訴えたい。私たち庶民は、前科者の庶民には非常に冷たくあしらうが、金持ちや、政治家、あるいは有力者の前科者には甘いのだ。」と私は主張していますが、皆さん。本当にそうだと思いませんか。私が例としてあげているのが、鈴木宗男元議員だ。私のブログ、「鈴木宗男よ、前科者のくせに偉そうな口きくな」(2016年12月3日)を参照してください。以前の北方領土交渉を利用して私服を肥し有罪判決を受け刑務所暮らしをした鈴木宗男は、最近の安倍首相の北方領土交渉問題で、マスコミ、すなわち新聞、テレビ、週刊誌、月刊誌などから注目を浴びているのだ。マスコミは、宗男の有罪、実刑、刑務所暮らしなど眼中にないのだ。2017年4月30日の産経新聞の朝刊で次の記事がある。
引用開始
「鈴木氏が公民権回復、国政への復帰に意欲、北方領土解決訴え
汚職事件で実刑判決を受けた政治団体「新党大地」の鈴木宗男代表の公民権が29日、回復された。鈴木氏は同日、札幌市で開いたパーティーで「選挙がいつあるか分からないが、その時期が来たら最善の判断をしたい」と次期衆議院選での国政復帰に意欲を示した。
鈴木氏は「私にやり残したことがある。北方領土問題の解決だ」と訴えた。安倍晋三首相と定期的に会談し、対露外交で助言を行っている鈴木氏は「首相から北海道は自民党にとって厳しい。鈴木先生にかかっている。よろしくお願いします」と言われていると記者団に明らかにし、首相との連携を強調した。鈴木氏は衆院議員だった平成22年に受託収賄罪などで懲役2年の実刑判決が確定。失職、収監され、23年12月に仮釈放された。刑期満了から5年間は選挙に立候補できなかったが、29日公民権を回復した。」
引用終了

産経新聞は、安倍首相をひいきにさえすれば、宗男のように紙屑みたい、くずな元議員でも公民権回復を喜ぶような記事を書いてくれるのだ。まるで出所祝いだ。これでは日本の国会議員の質がいつまでたっても上がらないのもむりはない。
もう一度書きます。興味と時間があれば、私の5年前のブログ、「マフィアの話」(2012年1月11日)を読んでみてください。

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えんだんじのベストセラー作戦(1)



このブログの転載、拡散をよろしくお願いいたします。
(AA)  私の大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の英文版「The USA is responsible for the Pacific War」を出版したのが2013年。出版部数は資金不足のため300部。これを私の協力者であり共著者の渡辺氏と私で50部ずつ個人用として使い、残り200部を日本在住の外国の大使館、領事館の無償提供するつもりでいた。しかし例えば南アフリカの小さな独立国にさしあげたところで国際的に影響力がない。そこでさしあげた外国の大使館、領事館は、合計185ヶ国。
私としては、この英文版を大量に印刷し、世界中にばら撒きたい、できればアメリカ中だけでもばら撒きたい思いがあります。そこで考えたのは、私がベストセラー本を書き、その印税で英文版を大増発することだった。その一番手として書き上げたのが、私の自伝的小説、「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」(文芸社)です。私自身の波乱万丈な生活を描いて出版が2015年9月。しかし売り上げ増加の兆しは一切なし。ベストセラーになりそうになるどころではない。しかし文芸社は、自社の優秀作品(「えんだんじ・戦後昭和に一匹」などを含む)の「特別長期販売企画」を立てた。
文芸社から『「特別長期販売企画」配本リストのご送付ならびにご案内』が送られてきました。要点は、
〇別紙「常備配本リスト」記載の書店にて、2017年3月より1年間の常備配本を実施いたします。(3年間の長期販売企画ですが、配本先は、1年毎に変わりますので、新たな配本リストは来年ご報告をさせていただきます。

〇流通事情は各店舗の作業スケジュール都合等により、店頭陳列の開始日は一律ではございません。予めご了承ください。(遅くとも3月10日頃までには陳列が開始される見込みです。)

〇当配本期間中に書籍が売れた場合には必ず補充されます。ただし、流通事情等により再度店頭へ陳列されるまでに2週間ほどのお時間を要する場合もございますので、あわせてご了承くださいませ。

〇陳列場所につきましては、各書店の裁量となっておりますが、概ね各店舗に陳列された文芸社の棚の周辺に陳列されると存じます。(各ジャンル棚に陳列される等、例外もございます。

〇もし、ご友人等へご案内いただく際には、書名・著者名・出版社名等を具体的にご紹介のうえ、見つからない場合は、検索機のご利用や書店員へお問い合わせいただくようお伝えいただければ幸いです。
            常備配本される書店名リスト
(1年目:2017年3月1日~2018年2月28日)
県名   地域    書店名
青 森  弘前市   紀伊国屋書店 弘前店
群 馬  前橋市   紀伊国屋書店 前橋店
東 京  江東区   紀伊国屋書店 ららぽーと豊洲店
東 京  新宿区   紀伊国屋書店 新宿本店
東 京  千代田区  紀伊国屋書店 大手町ビル店
神奈川  横浜市   紀伊国屋書店 横浜店
神奈川  横浜市   紀伊国屋書店 ららぽーと横浜店
神奈川  横浜市   紀伊国屋書店 横浜みなとみらい店
福 井  福井市   紀伊国屋書店 福井店
大 阪  大阪市   紀伊国屋書店 本町店
兵 庫  加古川市  紀伊国屋書店 加古川店
広 島  広島市   紀伊国屋書店 広島店
香 川  高松市   紀伊国屋書店 高松店
福 岡  福岡市   紀伊国屋書店 福岡本店
大 分  大分市   紀伊国屋書店 大分店
上記以外の本屋でも注文できますが、上記の書店ではいつでも陳列されていてすぐに買えます。それだけが通常の本屋さんとの違いです。

(BB) 「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」は本の寿命として今後三年間保証されましたが、今後も売れそうにもありません。勿論私の最近出版する本がベストセラーになれば、その相乗効果で「えんだんじ・戦後昭和に一匹狼」が売れ出すことは間違いないでしょう。私は、そこでもう一度ベストセラーを狙って小説を書いてやれと思って、どんな題材を主題にすれば面白い小説が書けるか悩みましたが、結局女性を描ければ良いのだと思い構想を練った。最終的な構想は、10人の女性を登場させ一人一人に彼氏をつけ、一人一人の女性の生き様を短編小説に描き、それを一冊の本にすることだった。私は今までに書いた本は主に評論だった。評論は史実や事実を知れば、自分の意見が出てくるから、それを書けばすむが、小説を書くには、無かる有を産まなければならない、それだけに難しい。大よその原稿できるまでに自分が予想していた以上に時間がかかってしまった。それでもなんとか原稿の概要はできた。本のタイトルは、「戦後昭和の女性たち」にした。女性が出てくるので、何とか色気のある、あるいはムードある題にしたいのだが10人もの女性を書いているので、全員の女性を表す「戦後昭和の女性たち」にするつもりです。幸い文芸社が今年の9月に文庫本で出版することになった。前の作品、「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」は本の体裁が立派すぎた。素晴らしいハードカバーで363頁、値段は(1600円+税)です。気軽に買って気軽に読める本ではなかった。今度は文庫本、10人の女性が主人公、思想信条関係なし。これだけでもベストセラーに近づくような気がします。次のブログ「えんだんじのベストセラー作戦(2)」では「戦後昭和の女性たち」の宣伝用ブログとして出版間際に書くつもりです。

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パナマ文書(2)、プーチン大統領について



翻訳本「パナマ文書」でプーチンについて書かれている全文を読んで要約したものをお知らせしようと思いましたが、それをすると大変なので、プーチンについて書かれているページ数を書いて、その頁の全文を転載、あるいは適度に要約する等して、お知らせする方式をとりました。
1.12頁
文書の多くは契約書で扱われている金額がとても大きい。ある時は800万ドル、ある時は3000万ドル、2億ドルとか8億5000万ドルというものもある。それらは株取引によるものか貸付だろう。だが、ロルドゥギンという名にこころあたりはない。調べてみる。そして少しビクリとする。
セルゲイ・ロルドゥギンは、「ウラジミール・プーチンの親友だった。ロルドゥギンはロシア大統領の長女であるがマリアの洗礼時の代父なのだ。これだけでも十分に興味深い。代父によるオフショア・ビジネス。だが読み進めるうちに私はすっかり困惑してしまう。セルゲイ・ロルドゥギンは、投資家でもなければオリガルヒ(ロシアの新興財閥)でもない。芸術家なのだ。音楽界では名のしれたチェロ奏者で、サンクトペテルブルグ音楽院の元院長。」
私は、2014年9月のニューヨーク・タイムズ紙に掲載された、彼のインタビュー記事を見つけた。その中でロルドゥギンは、自分はビジネスマンではないし、「何百万ドルも所有してはいない」とはっきり語っている。(略)
2.30頁
想像を絶する大金だ。(略)株ビジネスの関する契約を読むと、これらが特にロシアの重要な大企業の株に関わるものだということがわかる。プーチンに批判的なロシア専門家は殆ど皆、プーチンが大統領を辞める時には億万長者になっているだろうと考えている。だがしかし、ならば彼の財産はどこにあるのだ?専門家の中には、プーチンが株式の配当を受けていると主張するものもいる。だが、プーチンが本当にロシアの大企業の株を保有しているのなら、そのことを知られるのを良しとするだろうか?そんなことは絶対にあり得ない。信頼のおける人物を利用するだろう。セルゲイ・ロルドゥギンのような人物を?
ロルドゥギンとプーチンが知り合ったのは1970年代だ。ロルドゥギンはサンクトペテルブルク(当時はレニングラード)時代のプーチンが肩入れしていた友人のひとりであ、後年、プーチンが大金持ちにしてやった友人の一人でもある。だからもたらされた文書中の中に登場するロルドゥギンが、このロルドゥギンであること想像に難くない。プーチンの友人は、ロルドゥギンだけでない。プーチンが主導で国内有数の大手主要銀行になったその大株主もロルドゥギンだけでなくプーチンの友人たちだ。これらプーチンが信頼する友人のほとんどは、プーチンによるクリミア併合後はアメリアカが発動した制裁、その制裁対象者リストに載っている。(略)

3.167頁
セルゲイ・ロルドゥギン、ウラジミール・プーチンのお友達の、あのチェリストだが、彼の名が載っているカンパニーが三つになった。調査の最初で行き当たったインターナショナル・メディア・オーバーシーズに、ソネッテ・オーバーシーズとイター・リミテッドというカンパニーが加わる。この三社とも、2014年のインタビューで、自分はビジネスマンでないし、何百万ドルなんか持っていないと語った男の名義になっているのだ。では本当の持ち主は誰だと言うのだろう。我々の好奇心がかき立てられる。この三社の株主のほとんどの出身地はサントペテルブルクだ。プーチンが権力への足掛かりをつかんだ、あの町だ。(略)

4.168頁
専門家の多く、特に西側の専門家は、ロシア国家元首――2014年の収入が765万ルーブル(1万9000ドル)とされている—―はダミー社長を操り、いくつもの大企業の株式を保有していると考えている。ロシア人アナリスト、スタニスラフ・ベルコフスキーはプーチンの資産を2007年時点で400億以上と推測している。だが確証はとれていない。プーチンの資産について同様の推測がいろいろなされている。違っているのは、結局プーチンの資産が100億か、400億か、あるいは2000億かという点だけだ。USドルでだ。
(略)

5.211頁
まず何といってもセルゲイ・ロルドゥギンだ。チェリストでプーチンの娘の代父。この男の金融ネットワークには5億ドルが隠れていることが分かっている。それからプーチンの柔道仲間で(今は制裁リストに載っている)ポリス・ローテンベルクとアルカディ・ローテンベルク、プーチンの従兄弟イゴール、そしてロシア有数の大富豪アリシェル・ウスマノフ。リストはまだまだ続く。ここに登場する名前が興味深い理由がもうひとつある。彼らは皆、プーチンに近い人物なのだ。そしてそのプーチンはといえば、オフショア・ビジネスを非愛国的だと非難している。だとすると、プーチン勢力下の人間がこんなにも大勢、よりにもよってその非愛国的オフショア・ワールドにお出かけ中というのは、あまり聞こえの良いものでない。(略)

6.353頁
プーチンが家族と写っている写真は多くない。大統領の私生活はロシアではタブーなのだ。プーチンは二人の娘を世間の目から厳重に遠ざけている。それだけに、調査の途中にネット上にいくらか解像度の低い一枚の白黒画像を見つけたときは、びっくりした。そこには鋭い目つきをした若き日のプーチンが写っている。この写真が撮られたのは1985年のレニングラード、現在のサンクトペテルベルク。1985年といえば、ミハイル・ゴルバチョフが書記長に就任したばかりで、プーチンは小柄な一介のKGB士官に過ぎなかった。写真のプーチンは娘のマリアを腕に抱き、彼の横には当時の妻リュドミラが立っている。
リュドミラの隣でふさふさの髪をした若い男がこちらを見据えている。セルゲイ・ロルドゥギンだ。プーチンの娘マリアが洗礼を受けた時、代父を務めた、謎に包まれたチェリストだ。
調査を通じて我々は、彼をオフショア・カンパニーからなる一つのネットワークの中心人物として捉えた。(略)
7.358頁
2009年から2011年までの間だけでも総額10億ドルがロルドゥギン・ネットワークに流れ込んでいることが我々のデーターから読み取れる。この資金の大半がキプロスの商業銀行から出ている。(略)

8.361頁
ロシア国家から金を巻き上げるというのは、基本的にいい考えではない。いい後ろ盾があって、それが許されている立場にある場合を除いて――。
プーチンに支配されるロシアのことを話しする時、泥棒政治を話題にするのはもはや西側の専門家だけでない。実際、プーチンが政治家としてのキャリアの段階を登り始めた当初から、政界内部では汚職の噂が囁かれていた。だがそのほとんどは忘れ去られている。
しかし、我々は、オフショアの置かれた金の壺が、さまざまに交錯した道を経てやってくる何億もの金で満たされる様子を見ている。しかも、それに大きく関わっているのがプーチンの古くからの友人なのだ。(略)

9.366頁
つい最近ロイター通信が、プーチンの下の娘カテリーナが2013年二月にキリル・シャマロフという30代半ばの男と密かに結婚していたことを暴露したのだ。キリル・シャマロフは伝説に包まれたオゼロ・コオペラティブのメンバー、ニコライ・シャマロフの息子だ。このオゼロ・コオペラティブというのは、プーチンが友人たち共に設立した共同組合のようなもので、設立場所となったのは、その友人たちがサンクトペテルブルクからほど近いコムソモルスコイ湖畔に買っておいた、ダーチャ(別荘)付き土地だった。もとは単なるダーチャ所有者たちの集まりとして出発したオゼロ・コオペラティブだが、ほどなくして経済における排他的ネットワークを意味するようになった。例えば、オゼロのメンバー、ユーリー・コ
ヴァルチュクは現在、ロシア銀行の頭取兼最大株主だ。息子をプーチンの娘と結婚させたニコライ・シャマロフもこの銀行の株主の一人だ。
プーチンの義理の息子は結婚後数か月もしないうちにさらに裕福な男になった。保有するロシアの石油化学最大手シプールの株が数%から21%に増えているのだ。我々にとって
さらに興味深いのは、プーチンの娘とシャマロフの息子の結婚式が行われた場所だ。スキーリゾート、イゴーラなのだ。(ロマノフ王朝の結婚式と呼ばれてもいい超豪華結婚式、中略)。
ここでパナマに始りイゴーラリゾートに終わる、何カ月にもわたる我々の調査の旅が終了した。行き着いた先はプーチンの家族だった。あまりにも、恐ろしい。

パナマの法律事務所、モサック・フォンセカから故意にか、あるいはある目的をもってかは、いまだに不明だが、この「パナマ文書」を公表したことで、多くの国々で何百人もが捜査対象となった。同時に苦境に立たされた現職の政府首脳も多い。アイスランド、イギリス、アルゼンチン、マルタ、パキスタンです。「パナマ文書」は世界中の人々について書いているが、個人の中でウラジミール・プーチンほど詳しく書かれている人物はいません。シナについては、本文293頁から第二十一章 「赤い貴族」として習近平を含む数人のシナ人が本文304頁まで書かれています。

なぜ私は「パナマ文書」に書かれているプーチンを詳細にとりあげたか。私は安倍首相対プーチンの領土交渉に反対だからです。私の反対主張は、まず私のブログ、「安倍総理、プーチンにのめりこまないでください。」(2016・11・5)と「鈴木宗男よ、前科者のくせに偉そうな口をきくな。」(2016・12・3)を再度お読みください。「パナマ文書」で記されているのはプーチンに関するお金の動きだけです、プーチンの暗殺指令などほとんど書かれていません。結論づければプーチンはロシア国内の政敵を暗殺指令などで間接的か直接的かで殺しているのです。私のブログ、「安倍総理、プーチンにのめりこまないでください。」のitem2「プーチン政権時の国内政敵落としのいくつかを紹介」を参照ください。また最近のニューズウイーク誌(2017・3・7)には「止まらないプーチンの暗殺令」という記事が二頁わたって書かれています。38頁にはこう書いてある。
「つい最近、元情報機関職員協会(AFIO)の季刊誌インテリジェンサーで、まさにそれが発表された。AFIOはCIA,FBI,軍の諜報関係機関に在籍した4500人の会員を擁する協会。リストには、ロシア政府の命令で殺害されたに違いない30人以上の犠牲者の名が並ぶ。作成者は米国国防省情報局(DIA)の元補佐官ピーター・オールソンだ。リストの完成後も、不審な死は続いている。」

プーチンは少年の頃からKGBの秘密警察の権力に取りつかれ、希望どおりにKGBに入り、いまやロシアの最高の権力者になった。彼は我が世の春を謳歌しているに違いない。プーチンには二人の娘がいます。姉か妹かどちらだか知らぬが、彼女は完全の別の女性になりすまし、時々日本に旅行しています。NHKのロシア駐在に記者、確か石川さんと言う人が、全く他人になりすましているプーチンの娘に日本で会っていると語っていました。プーチンの娘と知られると、殺される危険があるからです。私はロシア史の歴史的観点から、またプーチンの人間的観点からもプーチンとの領土交渉には絶対反対です。プーチンは安倍総理ともうそろそろ20回近く会談していますが、まだ一度でも北方領土を返すとは公言していません、それどころか北方領土の軍事要塞化を進めているのだ。どんなに交渉を進めても北方領土は帰ってきません。ただ何回もプーチンに会うということは、シナへの牽制になることは確かだ。日ソ交渉は長く時間をかけ結果としてなにも生まれない方がよいのだ。奪われた領土は、例え千年かかっても奪い返す。そのためには軍事力の強化は緊急に必要。核兵器が絶対に必要なのです。もう何回も私は、同じことを主張しています。核所有国に対して核攻撃力を持たない外交交渉は無に等しい。いつまでも奴隷的に従属した日米同盟関係とは、おさらばして、早く核兵器を持ち、自主憲法を持ち、正真正銘の独立国日本と対等の日米同盟関係を結んでもらいたい。

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パナマ文書(1)



タックス・ヘイヴン(tax haven)すなわち租税回避地のことです。租税回避地としては中南米の島々、諸国はあまりにも有名ですが、アメリカにもあります。ワイオミング、ネバダ、デラウェアの三州です。特にデラウェア州は、2016年の4月の集計では人口89万7934人に対し企業数94万5326社も存在し、「世界最悪のタックス・ヘイヴン」と言われています。デラウェア州ウイルミントン市北オレンジ通り1209番地にある2階立てのビルに31万社が存在し、ペーパーカンパニーの代表者には弁護士が多く、設立の実質所有者の情報は不要で州も把握できず、非常に秘匿性が高い。2007年、当時上院議員であったバラク・オバマが提出したオフショアの悪用を規制する法案は、今日にいたるまで採択されていない。「アメリカ経済の支配層では、自己の富の多くをオフショアに隠すことは、もはや例外ではなく恒常化した」とニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストで、ノーベル賞を受賞したポール・クルーグマンは書いている。

アメリカ以外のタックス・ヘイヴンの代表的な場所は、ご存知のイギリス領ケイマン諸島、バージン諸島といったカリブ海の島国があげられる。パナマ文書とは、パナマ共和国の首都パナマにある法律事務所「モサック・フォンセカ」から流出した計約1150万件に及ぶ膨大な内部文書のことです。このパナマ文書にはオフショア金融センターを利用する21万4000社の企業とその内容が匿名で2015年にドイツの新聞社「南ドイツ新聞」にもたらされ、その後南ドイツ新聞は、その情報をワシントンDCにある国際調査報道ジャーナリスト連合(International Consortium of Investigative Journalists: ICIJ)に送った。世界80ヶ国・107社の報道機関に所属する約400名のジャーナリストがこの文書の分析に加わった。私が調べたところでは、日本の新聞社がこの国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)に加盟しているのは朝日新聞社の一社だけ。戦前、戦中、戦後の日本を貶めることが目的の朝日新聞が何故選ばれたのか理由はわかりません。日本の新聞記者は、英文で作成された書類を読み、書き、話すのがいくら一流大学出ても苦手なのでしょう。
この国際調査報道ジャーナリスト連語(ICIJ)は、営利団体ではなく寄付金で運営されています。大口の寄付金を寄せているのが億万長者のジョージ・ソロス氏です。ソロス氏には二つの顔があります。国境を越えて資金を動かし、外国為替レートの歪みに目をつけて多額の資金を注ぎ込み、莫大な利益を上げる抜け目ない投資家。もう一つの顔は、こうして稼いだ資金を投じ、独裁国家の民主化に協力する活動家です。旧ソ連のウクライナの民主化運動に資金を投じていたとされています。

パナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」の膨大な機密文書を誰が、なんのために南ドイツ新聞にもたらされたか、現在でもまったく不明です。モサック・フォンセカという法律事務所を設立したユルゲン・モサックがドイツ生まれであることが分かっているだけ。膨大な機密文書が南ドイツ新聞社に送られたが、南ドイツ新聞社はこれらの書類を(ICIJ)に送り、世界中のジャーナリストの目にふれさせた。同時に南ドイツ新聞の二人の記者、バスティアン・オーバーマイヤー、フレデリック・オーバーマイヤーは、この機密書類を「PANAMA PAPERS」日本名「パナマ文書」として本を出版した。日本文翻訳者:姫田多佳子訳、(株)KADOKAWAが2016年8月27日に出版した。

この本の出版で世界中の政治、経済、スポーツ界などに如何に影響を及ぼしたかを詳細に語っている。それらの情報については多くの読者が知っているでしょう。例えば、アイスランドの現職の首相が退陣に追い込まれたこと、イギリスのブレア首相は自分の父親のオフショア・ファンドから利益を得ていたことを認めた。以来、ロンドンでは首相の退陣を要求するデモがいくつも起きたこと等、皆さんよくご存知でしょう。私が、「すでに多くの人が知っている」というのは多くの国々は民主主義が機能している、すなわち出版、報道の自由が機能しているということです。だから国民は、「パナマ文書」報道に苛立ち大騒ぎになるのです。ところが世界の二大独裁国家、ロシアとシナは、出版、報道の自由がないから、国民は全く知らず、国内ではパナマ文書騒ぎは起こらず、平然としたものです。そこで次回のパナマ文書(2)ではプーチンがロシア国民に隠れて何をしてきたかを書いてみるつもりです。

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鳩山のバカ、アホ、ノータリン(7)



鳩山由紀夫が手を貸した「重慶爆撃」が南京大虐殺の二の舞。
有史以来、これほど売国発言をくりかえした政治家がいただろうか。尖閣諸島の魚釣島を中国領土と言い放ち、南京大虐殺を日本兵の犯罪行為だったと謝罪した鳩山由紀夫元総理(69)。凝りもせず、中国へ“土下座“を繰り返している。
鳩山元総理は2016年11月10日、中国重慶市で開かれた「中国国際友好都市大会」の開幕式に出席してこう挨拶した。
「日本が中国を侵略した際に行った“重慶爆撃”で、重慶市の繁華街の大部分が破壊され、多くの罪のない一般人の命を奪った。ここに深くお詫び申し上げる」
重慶爆撃とは、旧日本軍が1938年2月から44年12月までの6年10カ月で200回以上行ったといわれる空爆を指す。“鳩山発言”を聞いた外務省関係者が説明する。
「実は、爆撃で亡くなった中国人の遺族ら188人が2006年3月、日本政府に対し、謝罪と総額18億8000万円の賠償を求めて東京地裁で訴訟を起こしたのです。鳩山さんは元総理としての発言が、いかに国益を損なうかを理解していないのでしょう。」

東京地裁は15年2月25日、空爆による被害をみとめたものの、”当時も、個人の国家への賠償請求権を認めていない“として原告の主張を退けた。敗訴した中国人訴訟団は、判決を不服として控訴している。全国紙の中国特派員によれば、
「“南京大虐殺の記録”がユネスコの世界記憶遺産に登録されましたが、習近平政権は”重慶爆撃“の登録も目論んでいます。15年に開かれた抗日、反ファシズム勝利70周年記念式典では、重慶爆撃を取り上げた公開前の”反日映画“への特別賞を授与したほどの力の入れようです」

不完全な統計
重慶爆撃では何人が死亡したというのか。中国人訴訟団は、裁判で”全期間を通じた中国側の死者1万1000人“と主張。一方、中国の公的機関が85年に編纂した『重慶抗戦記事』では1万1889人と数に開きがある。
「中国人訴訟団は日本政府を訴える一方、“空爆加担企業”として三菱重工に謝罪と賠償を求める『要請書』を突きつけました。そこでは不完全な統計としつつも、“10万人以上”と記している。実に、裁判で主張した数の約10倍に膨れ上がっているのです」(先の外務省関係者)
南京大虐殺の死傷者は、東京裁判の判決文でも10万、20万以上に分かれて客観性を欠いていた。日本政府は一貫して”人数の特定は困難“としているが、中国は「南京大虐殺記念館」に”犠牲者数30万人“の看板を堂々と掲げ続けているのはご存知の通りだ。中国事情に詳しい、ルポライターの麻生晴一郎氏は、
中国人訴訟団が要請書に記した“10万人以上”は根拠もなく、信憑性に欠ける。当時の重慶市が、空爆で亡くなった人たちの遺体を数えたわけでもないし、戸籍制度も充分とは言えなかったはずです。今後、中国は南京大虐殺と同じように死者の数を増加させて発表するかもしれません」
つまり、重慶爆撃は、“南京大虐殺”の二の舞になる恐れあり。それに手を貸した鳩山元総理に求めると、
「国益を損なうどころか、日本のためになると考えています。過ちを犯したら、事実を受け止めて謝るのが人間として当然です」
この調子では、死ぬまで中国への”土下座”をやめそうにもない。

この全文章は、2016年12月29日発行の週刊新潮、47頁、48頁の全文を転載したものです。

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ガキ大統領トランプ(その1)



       このブログの転載、拡散よろしくおねがいします。
平成29年1月28日、「ガキ大統領トランプを徹底利用せよ。」というブログを書きました。これから時々トランプ大統領についてシリーズでブログを書いてみようと思っています。そこで、今回は「ガキ大統領トランプ(その1)」として書きました。私のブログでシリーズものを書いたのが一つあります。「鳩山のバカ、アホ、ノータリン」シリーズで(その6)まで書きました。ちかじか(その7)を書きます。ガキ大統領トランプのシリーズが何回まで続くかわかりませんが、数が多くなるほど世界が騒がしくなるのは明白なような気がします。
私は個人的にはトランプ大統領は大嫌いです。彼ほど傲慢で生意気な男はいない。傲慢、生意気だけでトランプに反発する人はいくらでもいる。彼が公約で掲げた失敗作を列挙してみると、
1.人種差別の公言
アメリカは今でも白人国家です。国民の50パーセント以上が白人です。しかし10数年後には、白人は50パーセント以下になり異民族大国家になるのです。そのため最近のアメリカ大統領になる人は、人種差別主義者でもかまいませんが(大概の人が人種差別主義を持っていますから)、その人種差別主義を公言しては絶対にいけません。公言すればアメリカ国内が騒然とし、分裂主義が生じるからです。皆さん、そう思いませんか。それにもかかわらず、人種差別主義を公言し、その上女性蔑視発言です。これが娘のイバンカのファッションビジネスに影響し、高級デパートのノードストロームがイバンカのファッションブランドの店内販売を中止した。ノードストローム社は、トランプの人気選挙地には支店がない。トランプの脅しにはびくともしない。人種差別主義の公言と女性蔑視発言は、アメリカ国内にはトランプ政権へ非常に強く反発する人々がこれからも沢山存在することになる。それが証拠に政権誕生一か月すぎてもアメリカ各地の反トランプデモは後を絶ちません。

2.メキシコとの国境に壁を建設する、それもメキシコ側の費用で。
私は前にテキサスやカリフォルニアはメキシコの領土だったと書きました。戦争で負けたためにアメリカ領になっただけ。メキシコが自分の費用で壁など築くわけがない。お金の問題より心意気の問題です。トランプはそれでは、NAFTAの再交渉だと言えば、イルデフォンソ・グアハルド経済相は、NAFTAの見直し交渉がゆき詰まれば脱退も検討すると警告し、ペニャ・ニエト大統領は「壁の建設費用は負担しない」と断言しています。メキシコの通商と安全保障と移民問題は長く両国の問題になるでしょう。

3.アメリカのTPP離脱
戦後一貫して押し通されてきたのができるだけ多国間で自由貿易することです。その枠組を作る為に国際間の貿易交渉が行われ、国際協定が結ばれてきました。GAT、WTO,等です。そして今度はTPPです。どれもこれも加盟国には、長所も短所もありました。総じて多国間自由貿易が成功したと認める長所があったのです。いまだに世界中には経済的に悲惨な国々がありますが、総じてみれば世界的に経済水準があがっているのです。その証明の一例はアジアの低開発国の観光客が日本にやってくる数が増えたことです。アメリカは国際貿易のため自国製の製品が割高になり、それを海外で作らせ、自分たちは金融工学とか言って金融産業で儲けようとし、アメリカ国内の物作りを放棄しようとしたことです。いまさら今度はアメリカファーストと言って二国間協議しようと言うのだ。自分勝手も甚だしい。

日本の保守の人たちは、TPP加盟賛成、反対にわかれます。TPPの中身はいろいろありますからどの点を取り上げるかで賛成、反対に別れるのではないでしょうか。私は日本の農業産業を見て,例え他の産業にTPPはダメでも、日本農業はTPPに入れるべしと、私はTPPに賛成なのです。日本は物づくりの国です。日本農業はその物づくりの原点なのです。いいですか、皆さん、日本にはなくて世界で作られているものがあります。その今まで日本で作られていないものを日本が作り出すと、日本製が世界一になってしまうのです。その原点は日本農業なのです。ビール、ウイスキー、ワインなど、これらの製品は、我々の祖先は口にしたことはありません。ところ作り出すと日本製品は世界での高級品になってしまうのです。14,5年前アメリカ製の安いリンゴが日本に入ってくるといってリンゴの産地は戦々恐々となった。スーパーで確か一個50円ぐらいで売りだされていた。赤いりんごで見てくれも、味もたいしたことがなく、結局売れなくて、アメリカ製りんごを見なくなってしまった。

私が40代後半、いまから34、5年前、三重県の鈴鹿サーキットの近くに松坂牛の牧場を持つ有名な牛肉レストラン、「和田金」に私は白人外人3人と一緒に入った。一緒に食したのが、松坂牛の牛サシ、(牛肉の刺身)です。その味の美味しかったこと、未だに忘れられません。三人の外国人も味にも驚いたが、その柔らかさにも驚いていた。まるでマグロの刺身を食べるような感覚だった。牛は我々日本人の先祖の食べ物ではなかった。食肉と作りだすと刺身まで作ってしまうのだ。当時、刺身は世界的な料理じゃなかった、しかし今は違う世界中で食べられています。いまオーストラリアの牧場で「和牛」ブランドの牛が飼われています。牛サシを作るブランドの牛が海外で飼育される可能性はあるかもしれません。このように私言わせれば、日本農業は世界の一大産業の発展性を持っていると思っています。その邪魔な存在が農協の親分のような存在、JTです。彼らは日本農業を守ることしか眼中にない。攻撃は最大の防御という言葉さえ知らないようだ。JTを潰さなければだめです。

つい最近安倍、トランプ会談で安倍総理はトランプにTPPに良く説明し、その要点は理解してくれていると国会で答弁していたが、すかさず「日本維新の会」は、安倍氏に向かってTPP交渉時の加盟国は12ヶ国だったがアメリカが抜けて11ヶ国になった、だから先にアメリカ抜きで11ヶ国のTPPをまとめあげましょうと提案していた。私も、最初はアメリカ抜きでTPPをまとめあげるのは大賛成です。しかし安倍総理は、そんなことは絶対できないでしょう。せっかく日米会談がうまくいってトランプと仲良くできたのに、トランプの機嫌を損ねることができないからです。日本のアメリカへの奴隷根性で日米同盟が成り立っているのは、日本の防衛をアメリカの軍事力に頼りすぎているからです。日本は核装備兵器を備え、自分で自分の国は守れる能力を備えれば、対等の日米同盟関係が成立するのです。

4.オバマケア(医療保険制度改革)撤廃
私はオバマ政権のただ一つの善政は、医療保険制度を確定したことだと思っています。ヘルスケア関連の支出は家計の非常に大きな部分を占める。健康保険を失えば、他の商品やサービスへの出費に重要な影響をあたえます。オバマケア撤廃でいっきに無保険者が2000万人増えると言われています。だからイエレンFRB議長は、オバマケア廃止は、アメリカ経済に悪影響を及ぼすと主張しています。オバマケア撤廃後、どんな保険制度なるかも決定していません。トランプ大統領は、人種差別主義者だから黒人のオバマ政権のしたことなど徹底して破壊したいくらいなのだ。医療保険制度改革など、改革前のオバマケアの方がマシなどと言われるのではないかと私は想像しています。オバマの方がマシということになりトランプの顔が潰れるのでないかと心配しています。

5。環境問題
この問題についてトランプ政権の結論は出ていませんが、選挙戦では物騒な事を言っています。国際的な温暖化対策であるパリ協定から離脱すると言っているのだ。トランプ主張しているのは、気候変動は作り話だというのだ。これは、私がトランプを強引で生意気なやつだとののしる原因の一つなのだ。これまでの気候変動が作り話というなら、それにそうとうする科学的根拠を提出するのが常識です。そんなこともせず、気候変動に懐疑的な人物、スコット・ブルイット氏を米環境保護局(EPA)長官に指名しているのだ。彼はいままでに(EPA)を10回以上提訴している。同時に彼はエネルギー業界からの献金も多い。そのうえトランプは、EPAの廃止、ないしは職員大幅削減を選挙戦で主張。気象変動の研究者の間では。「トランプ大統領が既存の気象観測データーを破壊するのでは」という見方さえ出ているのだ。現在アメリカでは代替エネルギーは過去の話になり、石炭と石油の話でもちきりだ。トランプ政権では、オバマ政権が凍結した国有地における石炭の新規採掘も許可される見通しです。炭鉱地域での選挙戦は、トランプは圧倒的に強かった。これでもしアメリカが国際的な温暖化対策のパリ協定の離脱を発表するなら、アメリカは国際的な地球安全対策の破壊者といわざるを得ません。

6.中東和平問題の複雑化
2002年ブッシュ大統領がパレスチナとイスラエルの二つの国家として平和的に共存する道を目指すと演説。それ以来米政権は二国家共存案を政策としてきた。また米政権はその実現の努力してきたのだ。ところが最近のトランプとイスラエルのネタニヤフ首相との会談でで、トランプはイスラエルとパレスチナとの二国家共存案にこだわらないとの考えを表明した。また大統領選挙中、トランプ氏が繰り返し主張したイスラエル米大使館のエルサレム移転方針に関して急がない姿勢を見せています。この二人の会談に娘のイバンカの夫、ジャレド・クシュナー氏が同席しています。義理の息子はユダヤ教、イバンカはユダヤ教に改宗なのです。普通、大統領は家族のことより国家優先、ところがトランプは家族のことを国家より優先するみたいです。だから私はガキ大統領と呼ぶ原因の一つです。中近東諸国は、トランプ、ネタニヤフ両名だけの見解に同意するはずがないでしょう。中東問題は今まで以上に紛糾しそうで心配しています。

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日米の歴史と文化を語る。(5)



武士の登場
日本の歴史において武士の登場と聞けば、世の中の争乱が武士を登場させるきっかけになったのではないかと誰もが想像するのではないでしょうか。ところが全くの正反対で、その武士の登場のきっかけを作った人が桓武天皇です。桓武天皇は西暦781年に即位しました。即位後の794年に都を京都に移したのです。その794年から1868年に東京に移るまで、その間半年ぐらい今の神戸市近くに移りすんだことがありましたが、およそ一千年間京都は天皇家の住む都でした。そしてその794年から武士に天皇家の政治権力を奪われ、政治の中心が京都から鎌倉に移るまでのおよそ400年間を平安時代と呼んでいます。この平安時代の末期に女性作家、紫式部が現代では世界的に有名な長編小説「源氏物語」を発表したのです。当時の宮廷生活をあますところなく伝え、登場人物数百人、全54巻の世界最古の最長編小説です。おもしろいことに、当時この「源氏物語」を読んだ女性が大変おもしろいと感想を述べている史料はあるのですが、男性が面白いと述べている史料は全然ないのです。
当時男性が使う文字は漢文、女性が使う文字はひらがなと使い分けされていたから、男性が詠むのに苦痛を感じたり、あるいは読めなかったかもしれないというのが理由だと言われています。
その平安時代の最初の天皇、桓武天皇は、都を京都にうつす二年前の792年に東北とか九州といった辺境地に駐在する軍隊を除いて事実上日本の軍隊を廃止してしまったのです。東北地方に駐在する日本軍の最高司令官が有名な征夷大将軍、坂上田村麻呂でした。征夷とは蝦夷(えぞ)、即ちアイヌ民族を征伐することです。アイヌ民族を征伐する軍隊は残しておいたのです。実際のところアイヌ民族が住む東北地方を除いて軍隊を動員するような騒乱がなかったのです。そこで東北とか九州といった辺境地には軍隊を存続させそれ以外の兵士をそれぞれの出身地に帰してしまったのです。
そのかわりに国の大小に応じて人数を決め、裕福な地主には武芸の才能のあるものを徴発させ兵士として武芸の練習をさせ、地方の警備にあたらせたのです。これを「健児(こんでい)」と呼んでいます。極端な言い方ですが、アメリカの開拓時代の保安官のようなものです。この「健児(こんでい)」の制度が武芸を専業とする者を歴史に登場させ、これが後に武士に発展していったのです。その結果地方に武士が割拠するようになり、もめごと、特に土地争いなどが武力で解決する時勢になり、そして武士のボスは武士を集めてその勢力範囲を広げていったのです。その結果桓武天皇が792年に事実上日本の軍隊を廃止してしまってからちょうど400年後の1192年に源頼朝によって日本最初の武家政治が。現在の鎌倉市に成立したのです。これを鎌倉幕府と呼び、1333年に鎌倉幕府が滅びるまでのおよそ150年間を鎌倉時代と呼んでいます。天皇家を中心とする貴族政治から武士のボスを中心とする武家政治に変わったのですが、そこには日本の歴史の大きな特徴があります。外国の歴史では、ある政治体制か他の政治体制に移る場合、守ろうとする側と奪おうする側とで一大決戦が行われるのが普通です。
ところが日本では、最初の武家政治が誕生した時、小競り合い程度はありましたが戦争は起こらなかったのです。なぜかと言えば先に述べましたように平安時代の桓武天皇の時に軍隊を廃止してしまったからです。アイヌ民族を征伐する軍隊も最盛時には10万人にものぼる兵士の数を誇りましたが、アイヌ平定が終わるとその軍隊もなくしてしまっていたのです。時の政府が自前の軍隊を持っていないがために、戦もできずに政治権力をあっさり奪われるような歴史を持つ国が他にあるのでしょうか。さらにこの平安時代には、世界史的にも貴重な事例が起こっているのです。
石井良助著「日本法制史概説」(創文社、1960年)によると嵯峨天皇即位後の810年から後白河天皇の時代の1156年の保元の乱による源為義(みなもとのためよし)などに対する処刑が行われるまでの26代の天皇、346年間実際上死刑が執行されることはなかったと言うのです。当時の世界では予想もつかない全くめずらしい出来事と言っていいのではないでしょうか。平安時代400年間は、文字通り平和の時代であったことはこれだけでも推測できます。さらに紫式部のような女性が54巻にも上る長編小説が書けたのも平和な世の中ではなければ絶対に書けないことです。世界の主要国の中で日本は、その中でも一番古くてしかもとにかく平和の時代が長かったのは、何が原因だと思いますか。それは日本が昔から現在にいたるまで多神教だからです。大東亜戦争後になって初めて世界の情勢は、一神教だけではダメで他の宗教の存在を絶対に許さなければいけない傾向に完全になりました。その傾向に胸を張ってえばれる日本だけです。反日日本人よ、これに対して文句が言えるなら、言ってみろと言うのです。話がちょっと脱線しましたので、戻します。

政治権力が武家政治の鎌倉幕府に移ってから29年後の1221年、朝廷は後鳥羽上皇が中心となって鎌倉幕府打倒の反旗を翻すのです。上皇とは天皇が譲位後につけられる名前です。この時後鳥羽上皇は天皇の権力を握っていました。この後鳥羽上皇の反旗を「承久の乱」と言いますが、その時大活躍したのが鎌倉幕府創立者の源頼朝の妻、北条政子です。
日本の歴史を知らないアメリアカ人などは、大昔の日本女性などは、ほとんど男の奴隷みたいに思っているでしょうが、とんでもない間違いです。1980年代、イギリスの女性首相、サッチャーは「鉄の女」と呼ばれましたが、今からおよそ800年前の日本には、「鉄の女」と呼ばれても、もっともだと言われるべき女性がいたのです。それが北条政子です。政子の活躍がすばらしいのは夫の死後です。彼女の活躍の詳細については私のえんだんじのブログ、「鉄の女」北条政子、2016年6月11日と「鉄の女」北条政子(2)2016年7月1日を参照してください。

「承久の乱」において鎌倉幕府があっさり勝ってしまいましたが、朝廷側にも勝つチャンスはあったのです。朝廷に弓を引くことになると言って動揺した鎌倉武士は。政子の名演説で一致団結して京都に向けて進軍したのですが、翌日東海道に出陣した、泰時は鎌倉に戻ってきて父、義時に「もしも上皇自身が陣頭指揮をとったらどうしよう」と聞いているのですその義時は「上皇自身出陣されたらしかたがない、武器を捨てて。降伏するのだ、それ以外の時は、千人が一人になっても戦え」と答えているのです。このエピソードは、公家側の書いた史料にあるので、こうであってほしいという公家側の願望を示すもので事実ではあるまいと判断する歴史家は多いのです。しかしこう書けるほど朝廷の権威が高かったことは事実だと思います。ただ事実として言えることは、実在した歴代の天皇の中で誰一人として戦場で武士たちの陣頭指揮を執って戦った天皇はいないのです。また天皇家には、自前の軍隊、すなわち天皇家直属の武士をもったこともないのも事実です。天皇家は権威だけで現在まで生き延びてきたのです。この歴史的事実と日本国民が極端に権威というものに弱い事とは無関係ではないと思うのです。

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ガキ大統領トランプを徹底利用せよ。



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私は外資系会社五社働いて実働40年。振り出しは、メイルボーイと言われて、「この書類はA社へ持っていけ、この書類はB社へ、C社から書類を貰ってこいなどと命令を受けて使い走りの下っ端の仕事をしなから這い上がってきた実働40年です。年齢は今年79歳になります。従って私はこれまでに随分沢山のアメリカ大統領を見てきた。私の経験から言って今度のトランプ大統領ほど生意気で傲慢な人間は、初めて経験です。ニクソン元大統領の時、ウォーターゲイト事件で弾劾され、その時ニクソンは現職大統領の地位を失った。これを見た私は、さすがにアメリカは民主主義先進国だと感銘を受け礼賛した。ところがクリントン元大統領の時何が起きたか。現職大統領のクリントンは、ホワイトハウスの室内で懇ろになった若い女性(ホワイトハウス研修生)に自分のペニスをなめさせ歓喜の声を上げていたことがあったのだ。クリントン弾劾の声があがったが弾劾にはならなかった。一番大きな原因は、その時アメリカ経済が好調だったからだ。彼は日本を経済的にいじめ、シナにすりよったのだ。クリントンは大統領を辞職もせず、妻のヒラリー・クリントンは離婚しようともしなかった。この時私は、ブログを書いていれば、ヒラリーの離婚しない理由は、自分はいずれ女性大統領として出馬するつもりなのだと書いていたでしょう。事実その通りになってしまった。クリントン夫妻は、お金に関しては疑惑の多い夫妻だった。
そしてオバマ大統領という無能な大統領だ。アメリカの力を世界的に弱めるのが目的みたいだった。そのオバマへの反感などがトランプ大統領の誕生を呼んだ一因でしょう。
そしてトランプ大統領誕生です。彼は人間性が良くない、生意気で傲慢だ。彼はいまだに納税証明書を提出ていません。納税証明書を提出せず大統領になったのはトランプだけです。彼に対する非難が色々あり、皆さんもわめいていますが、私が特に非難したい点は、人種差別宣言です。私にも人種差別された苦い経験があるからです。

今から50年前、私が28,9歳のころです。私は人種差別された。そのころの白人は、人種差別しない人も沢山いたけれどもする人もいた。私が人種差別するというのは、徹底していじめにあうような感じをいいます。それが毎日のように続くのをいいます。
私が入社したオーストラリアの会社で人種差別を受けながら、何故5年間も勤め上げることができたかと言えば、特に人種差別の激しいルースという男が私の直属の上司でなかったこと。二つ目は、私は大学出ておらず、手に職がない。仕事を学んだ経験を得なければ、いまのままではどこでも使い物にならない。もう二度と臨時工の仕事などやりたくなかったからです。このルースという男は体がでかくて、しゃべり方がトランプに似ていたのだ。私がオフィスの中で大ゲンカする相手として選んだのは、私と同じ部で一緒に机を並べて働いている社長の息子、レスリーだ。彼は本国のオーストラリアで高卒後銀行に努め、二、三年後貿易の仕事を学ぶために東京事務所に派遣された。彼はこの時21,2歳、私は、28,9歳。彼は日本語など全然話せない。担当者に電話するのに、交換台の女性とも電話できない。それを私が電話して、担当者に私が彼を紹介するのだ。私に言わせれば、私は彼の小遣いでない、彼は最初のうち私の言うことをきいていたが、そのうち私に命令するようになった。ガキの彼なんかに命令されてたまるかと私のプライドにがまんできなかった。作戦を立てた。できるだけ大勢のスタッフが事務所にいるとき大声を上げて喧嘩する。当時私は英語で喧嘩できるほどの力がなかった。そこで私の言い分を英作文にして、口からすらすら出るように暗記した。彼の発する英語はけっして聞き取ろうとしないこと、彼の怒りの英語をいちいち聞き取ろうとしたら、変に静かな間ができることを心配して、私は一切の彼の発言を聞こうとせず、怒りの大声の英語をどなり続けた。またその文章を一生懸命暗記した。その間にだれかが説得に入らず、私の英作文を発言してしまったら、「なんだと、この野郎!」日本語でどなりつけてやろうと決心していた。
予想通り彼は怒って英語で反撃してきた。そして予想通り二、三人の白人が仲裁に入ってきた。私は東京支社長室に通された。支社長は、ユダヤ人のアラムだった。アラムが何故けんかしたと聞くから、「彼が貿易の仕事などまだ何も知らない。それがどうして彼は、私にこうしろ、ああしろと命令が出すことできるのだ。支社長はずっと私より年上でビジネス経験も豊富だ。そこえまだ年若い私が社長のせがれだと派遣されてきて、私が「ああだ」、「こうだ」と命令しはじめたら、素直に支社長は私の命令きけますか?支社長は私の問に答えられず、答えられなくて当然だ。「自分の席に戻れ」と言われたので戻った。
この時私は首になると決めていたし、新しい就職口を探していた。

翌日、朝会社に着いた時、私は直ぐ支社長室に呼ばれた。「お前は今日で首だ。何故首になったかわかるだろう。」というから。「わかります」といったら「机のなかの自分のもの整理してもう帰れ。」といった。
私は首になることは覚悟していたが、少なくとも一か月間くらいは首にならに猶予期間があると思っていた。突然けんかして翌日首とは予想していなかった。帰りの電車の中で私は激しい後悔の念に襲われた。社長室で「今日でお前は首だ。なぜ首か分かるだろう。」と言われた時、「私は分かります。」と答えただけだった。なぜあの時「私はこれで今日から幸せになりますね。」と皮肉の一つもいえなかったのかしきりに歯ぎしりした。「今日から幸せになれる」ぐらいの英語なら自分でも簡単にいえるものをと思って地団太を踏んだ。
新就職口探しが始まった。これまで私が勤めた外資系会社は二つであった。最初はアメリカ人が日本で起こした会社。二つ目がオーストラリアに本社を持つ東京支社だった。二つとも外資系としては小さな会社だった。しかし今度の三つ目の外資系は、アメリカの会社でニューヨーク株式市場に上場している一流の会社だった。面接のため東京支店のオフィスに入った時には、びっくりしてしまった。広い、しかも綺麗な事務所、受付の床はジュウタンが敷き積まれていた。一般社員の机も全部スティール性で両側に引き出しがある大きな机、その机と隣の人の机の間は、二人並んで歩けるほどのスペース、先ず私はオフィスの余裕のあるスペースにビックリ仰天した。給料もよかった、一ドル360円の固定相場。全盛期のアメリカは、さすがに経済力が違った。給料が良い上に、当時の日本企業は土曜日ほとんど働いていたのにこの会社は、完全な週五日制。必ず取らなければならない年間休暇もある。その頃私は、面接試験を英語で受ける程度の英語を話せていた。面接が終わった時点で、それでは最後に、前の会社でのあなたの働き具合いの評判を聞いてから面接結果を連絡します。その瞬間私は頭の中で「しまったぁ!喧嘩なんかするんじゃなかった。せっかくのすばらしい就職口を逃ししてしまったと。」悔いてもくやみきれなかった。なにもプライドに燃えて喧嘩せず、だまって退職すればよかったのだ。数日後、面接通知の結果を知らせてきた。こわごわ開けて見ると「合格」と出ているではないか。感激に震えた。翌日会社へ行って面接者に面会したら、「前の会社に、君の仕事ぶりを聞いてみたら大変褒めていたよ。」とっさに「佐藤さんですか」と私の日本人上司の名前を上げた、佐藤氏なら私のことを間違いなく褒めてくれてくれるだろうと自信があったのだ。
「違うよ、外人のボームと言う人だよ。」というので私はびっくりした。ボームは経理や人事の責任者だった。私は別にボームと特に親しくしてたわけでない。自分の仕事とは直接関係ないから社内で会えば挨拶ぐらいだけだった。そのボームが私のことを褒めてくれたと言うことは、社内の人種差別の雰囲気に義憤を感じていたのでしょう。私は外人社長に首を切られ、同じ社の外人スタッフに救われたのです。
これ以後も私と白人との戦いは続くのですが、興味があれば私の自伝的小説、「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」(文芸社)を読んで見てください。

上記でも話したが、トランプ大統領の失態は、彼の人種差別政策です。それにプラス女性蔑視発言です。アメリカの歴史上、人種差別政策が国是であったことは確かです。大東亜戦争後にアメリカは民主主義国家を完全に成立させ白人以外の異民族も平等に権利を与えられ人種差別国家ではなくなった事情があります。アメリカは現在、人口の三分の一は、異民族です。これほど多くの異民族を抱えているのだからアメリカの国家元首は、人種差別的発言は慎むべきだったのです。人種差別的発言は異民族の強烈な反発心や敵愾心を生むのだ。トランプ大統領の就任式後に続くデモは。すべて異民族の敵愾心と女性蔑視発言による女性たちからの敵意です。私がメキシコへの同情心を引き起こすのは、アメリカとメキシコの国境に壁を立て、その費用はメキシコが負担しろというトランプ大統領の政策です。米国・メキシコ戦争は、1848年二月グアダルベ・イルダゴ条約が成立した。これによってアメリカは、カリフォルニアとニューメキシコ(現在のネバダ州、ユタ州、アリゾナ州を含む)を獲得し、リオグランデ川をテキサスの南境界線とすることを承認させた。それが今度は違法メキシコ人がアメリカに押し寄せるから自分の費用で国境に壁を建設しろとは、メキシコ人が内心怒り狂っている姿を想像できるでしょう。

それに比べると日本の総理も天皇陛下も韓国、シナに遠慮して靖国神社に参拝しないのだ。一体何に遠慮しているのでしょうか?まったく理解できまあせん。日本は国家的決断をつきつけようとはしません。トランプ大統領は安保条約にケチをつけている。ケチをつけられないように自国で核兵器を持ち、シナに対してシナからの攻撃を受けて充分対処できるほどの軍事力を持つことです。そうしないと日米同盟は真に対等の同盟関係になりません。最近になってトランプ大統領を日本の自動車メーカーを非難した。1980年代の復活を狙っているのか。当時アメリカのビッグスリーと言われたクライスら―のリー・アイアコッカは、日本の自動車メーカーをバカにしていた。アイアコッカの狙った車が次々とうれ、クライスラーは超繁忙になった。アイアコッカは「アメリカ産業界の英雄」とされレーガン大統領から大統領候補になってくれと言われほどだ。そのアイアコッカは、1992年社員や株主から反発をくいクラスラ―社を退社。今では其のクライスラー、イギリスの自動車メーカーFCA USLLIの子会社です。
昨年12月日本フォード車は、日本での車の生産を中止した。日本フォードが戦前の1925年に日本に進出していた古いアメリカの自動車メーカーだ。それがもう日本では車を作らないというのだ。その理由は、外車でもドイツ系は売れるがフォードではからきし日本国内では売れないのだ。こういうとトランプ大統領は、日本の不公平さを主張するでしょう。ひょっとするとフォ-ドもクライスラーの二の舞を踏むのではないか。

トランプ大統領よ、私たち日本人は、貿易で食べていくために、中学生から全員英語を学ばされてされているのだ。あなたは今70歳だ。現在70歳以上のアメリカ人白人は、戦前からの影響で人種差別をしがちだ。あなたは「しがち」どころではない。堂々人種差別しているのだ。また70歳以上のアメリカ白人は、日本のことについてほとんど何も知らない。日本の江戸時代だけでアメリカの建国の歴史より古いのを知らないのだ。トランプ大統領よ、日本語を勉強してください。もっとインタナショナルになってください。

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日米の歴史と文化を語る(4)



引用開始
アイヌ民族とアメリカインディアン
アメリカという国は、インディアンから土地を奪い、彼らを 僻地に押し込め、黒人を奴隷にしてできあがった国だけに、多少うしろめたい気持ちがあるのでしょう。アメリカは他国の少数民族や原住民族の人権には敏感なところがあります。
数年前アメリカの週刊誌、タイムにオーストラリアの原住民族アボリジンの記事が出ていて、その中でアメリカ人はアメリカインディアンと条約を結んだが、オーストラリア人はアボリジンと何一つ条約を結ばなかったとオーストラリア人を批判していました。
確かにアメリカ人は、インディアンと条約を結びました。結んだ条約の数は400から600と言われています。ところが条約違反が出るのはいつも白人側からであった。その理由はたいがい次の三つが原因でした。
(1)入植者が増えてもっと土地が必要になった時。
(2)インディアンを押し込めた居留地が思ったほど不毛の土地でなく、農地、鉱山その他の確保に欲しくなってインディアンが邪魔になった時。 特に居留地から金や石油がでたらたちまち条約はほごになってしまった。
(3)決められた居留地に大陸横断鉄道が通過することになった時。
だからタイムの記者がアメリカ人は インディアンと条約を結んだなどと自慢げに語ることはできないのです。 多分学校ではインディアンと結んだ条約がその後どうなったのか教えなかったのでしょう。
これも数年前のタイムの記事ですが、アイヌの人々がいかに日本人に差別されてきたか、そしていまなお差別されているかくわしく取り上げ、その中で日本人の観光客が、アイヌ記念博物館に訪れたとき、博物館内を説明するアイヌ人が靴をはき日本語を話すのを聞いてびっくりしていたと書いてありました。
いまどきの日本人は、日本にいるアイヌの人が靴をはき、日本語を話すのはあたりまえと思っています。それを驚くというのは日本人ではないと断言できるくらいです。タイムのアイヌ差別記事は、言外にアメリカ人がインディアンにしたようなことを日本人もアイヌの人にしているではないかという意味が含まれていました。
日本人とアイヌ人、アメリカ人とインディアンは、決して同列に扱えません。一番大きな理由は、日本人とアイヌ人との接触の古さです。日本民族とアイヌ民族は、いつ、どこで最初に接触したのか古すぎて誰も正確なことはわかりません。
古くは4世紀前半ごろ在位したとみられる景行天皇の息子がアイヌ討伐に遠征したという伝承があります。この頃日本はまだ文字があまり普及していなかったと考えられています。 実在のはっきりした天皇でアイヌ征伐に遠征軍を派遣したのは斉明天皇です。西暦658年の時です。いまからおよそ1350年前のことです。
この頃の日本は文字が充分に普及していました。なぜここで文字のことを振れるかというとアイヌは、アメリカインディアンと同じ文字を持たない民族だからです。
日本民族とアイヌ民族の最大の戦争が8世紀末から9世紀初めにかけて行われました。第一回目の日本軍が788年に現在の岩手県を根城にしているアイヌ民族を征伐するために派遣された。 アイヌ軍の総大将ともいうべきアテルイにゲリラ戦に持ち込まれ大敗を喫してすごすごと京都に引き返しています。
第二回目は794年に十万という大遠征軍が派遣されました。この時有名な坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)は副将軍として参加しています。 今度は負け戦ではなかったもののアイヌ軍を降伏させることができなかった。日本政府はすぐに三回目の派遣準備にとりかかり、797年に坂上田村麻呂を征夷大将軍に抜擢しました。
801年彼は天皇により節刀を授与され派遣されました。節刀とは、古代、天皇が出征する将軍に全権を委任するしるしとした刀のことです。 802年ついにアイヌ軍を降伏させることができたのです。彼はアイヌ軍の総大将アテルイを捕虜にして京都に凱旋した。
日本民族とアイヌ民族は、お互い文字を持たない時代から日本列島で接触していたと考えられているのに、なぜこの時代で両民族の大差ができてしまったのか。 その原因は一言で言えば、文明の発達の差です。日本は先の三回の遠征軍で見せたように10万の大軍を派遣できる経済的余力もあれば、その大軍を動かす政治力も組織力もあった。
これは完成された国家があってはじめてできることです。ところがアイヌは、まだ部族どうしばらばらで国家といえる体制ではなかったと言われています。それではなぜ同じ日本列島に存在する両民族に文明度の発達に差が出たのでしょうか。
日本民族は昔から新しい文明に対する進取の気性に富むのに対し、アイヌ民族は、自分たちの生き方にこだわるあまり文明に背を向けたと考えられます。 日本民族は漢字が中国から輸入されると、その漢字を使いこなし、ひらがな、カタカナを作り出していきました。6,7,8世紀は中国の隋、唐の国家の時代です。その当時両国の文化は、日本より圧倒的に高かった。そのため日本政府は莫大な費用をかけて遣隋使と遣唐使を派遣しました。
役人、留学生、僧侶たちが両国の文化、文明を学ぶために派遣されていきました。遣唐使など十数回、総勢500人は派遣されたと言われます。当時の造船技術では、いくら近いとはいえ命がけの面がありました。当時の日本人の気概が伝わってきます。
これに反しアイヌ民族は、彼らと同じように文字を使用しなかった日本民族が文字を使い出し、日本の文明がどんどん発達していくのを横目に身ながらほとんど日本からなにも学ばなかったのではないでしょうか。 それでも先の三回の戦いで善戦できたのも、その時まだ文明にそれほど大きな差がなかったからだと想像できます。
しかしそれ以後は、文明の差どんどん大きくなっていったと思われます。明治の時代になって日本政府は、明治2年(1869)蝦夷地を北海道という名前に変え、本格的に北海道開発にのりだしたのですが、この時代になってもアイヌ民族は、文字を使用していません。
5世紀には日本政府は完全に文字を使いこなしていたと考えられていますから、19世紀に蝦夷地が北海道という名前になるまでおよそ1400年間、アイヌ民族は、文明発達の基礎になる文字の使用ということを日本民族から学びとろうとしなかったのです。 これは全く理解できない不思議な現象で、日本列島という小さな島だけにアイヌ民族の怠慢と言っていいのではないでしょうか。
アイヌ民族は、同じ日本列島に住み、彼らより文明水準の高い日本からほとんど何も学ぶことなく、民族全体で文明の発達に背を向けて1400年間も暮らし続けてきたのではないでしょうか。 そのためアイヌ民族は、結果として自ら滅びる道を選び自然淘汰に近い形で民族の末路を迎えてしまったといえます
この狭い日本列島で大昔にらみあった二つの民族は、一方は貪欲なまでに新しい文明を吸収し、片方は文明の発達をほとんど無視してきたということが、現在の日本人とアイヌ人の差になっていると言えます。
明治の初めに日本政府が北海道開発に乗り出した時、政府は生存するアイヌの人たちを日本人にするための同化策をとりました。 同化策の中には開墾するアイヌ人には住居や農具を支給するから、死者が出た時には家を焼き払って転居しないこと、これからうまれる女の子には入れ墨をしないこと、男子は耳輪をしないこと、日本語を学ぶのはむろん文字も学ぶこと、アイヌの人口の多いい所ではアイヌ人専用の小学校が作られたことなど色々あります。
現在は少数民族の人権が強調される時代ですから、時流に乗り遅れるなとばかりに、この同化策そのものを批判する日本人が多いいのです。 確かに同化策の細部には批判されてもしかたのない面もあります。 例えば開墾地を支給する場合日本人に与える土地の方が広いということなどです。
しかし同化策そのものを私は明治政府を批判する気にはなりません。まず考えなければならないのは、その頃の日本経済です。明治時代全体で言えることは日本の貧しさです。特に明治の初めは、近代国家が出来たばかり明治時代のなかでも特に貧しいと言っていいでしょう。
ましてや未開地の北海道のことです。特に内地からやってきた日本人開拓民など極貧状態のようなものです。 そういうところで少数民族をほったらかしにしておくと多数民族の餌食になってしまうのです。これは北海道だけの話でなく世界共通のことです。だからアイヌ人を保護するために政府の力が必要なのです。
アイヌ人を保護するための政策といったら二つしかありません。一つはアメリカインディアンのように居留地を設けそこに押し込めてしまうことです。二つ目が同化策です。同化政策そのものを人権無視と主張する人は、明治の初めごろ北海道の状況を考えてアイヌ民族を保護するにはどんな現実的な政策があったか提言してもらいたいものです。
現在のような人権意識が過剰とも言える現在の価値観で、人権意識がほとんどなかった明治時代を批判し、裁くことは、現在の価値観で大東亜戦争を裁いているのと全く同じ現象です。日本の左翼の知識人にはこういうバカが多すぎます。
現存するアイヌの人たちには酷な言い方であることを充分承知のうえで、私は言いたいのです。アイヌ民族の祖先の人たちは、すぐれた文明を吸収する努力を完全に怠ってきた。これではアイヌ民族みずから自滅の道をたどる原因を作ったと言えるのではないでしょうか。
アイヌ民族が日本民族と同じようにすぐれた文明をどんよくなまでに吸収していたら、それこそ日本列島の支配権をめぐって熾烈な戦いが続いたでしょうし、ひょっとしたら日本列島は南北二つの国にわかれる可能性すらあったのではないでしょうか。
アイヌ民族は自ら身を滅ぼす原因を作ってしまったと考えられるのに対しアメリカインディアンやオーストラリアのアボリジンは、他の大陸からやってきた白人によって強制的に民族絶滅の危機にさらされ、オーストラリアのタスマニア島のタスマニア人は、皆殺しにあい絶滅されてしまっています。
アメリカ人やオーストラリア人に、アイヌ民族について日本を批判する資格など全然ないのです。
引用終了

上記の文章は、今から8年前の2009年3月1日付けの「えんだんじのブログ」に載せた「アイヌ民族とアメリカインディアン」の全文の引用です。えんだんじのブログの左側コラムに年月がずらりと並んでいますが、その中の2009年3月をクリックしてください。そうすると2009年3月1日に「アイヌ民族とアメリカインディアン」が出てきます。ついでにcomments 11をお読みください。ついで2009年3月10日のブログには「アイヌ末裔ふたりのコメント(1)」が出てきます。そのcomments 4 もお読みください。2009年3月18日には「アイヌの末裔二人のコメント(2)」が出てきます。そのcomments 5 もお読みください。

私が「えんだんじのブログ」を書き始めたのはアイヌのブログを書いた前年の2008年10月です。従って当時私のブログの一般読者は非常に少ないはずです。にもかかわらずそれなりのコメントの応答があるのは、私はその時からミクシーの会員だからです。当時ミクシーは、当時日本最大のSNSで、とくに若い会員(20代、30代、40代前半)が非常に多かった。そのためオフ会と称してミクシーの仲間同士が集まる会合がよくありました。私もオフ会をもうけ、私の呼びかけでも4.5人は集まるだろうと予想していました。ところが応募してきたのが14,5人でした。これでは名札が必要だと思い、自分で名札を買って名前を書き込んだのを覚えています。場所は横浜駅西口のルミネのレストラン街にあるレストランに東京、横浜方面から14,5名集合してくれました。会合を開いたのはこの一回だけですが、懐かしい想い出です。集まった14,5名、今ではほとんど全員が、ミクシーを抜けフエイスブックの会員となっています。私は今でもミクシーの会員ですが、フエイスブックに乗っ取られた感じで、今ではミクシーは、過疎地のような感じでさびしい思いをしています。

なぜ私が8年も前のブログをここにもちだしたかというと、「つくる会」の季刊誌、「史」の「つくる会」創立20周年記念号(1月号)の24頁に工芸家、砂澤陣氏が「日本を確実に蝕んでいる、アイヌ政策とアイヌ史」を書いております。また砂澤氏は「北海道が危ない!」という本を育鵬社から出版されています。私の8年も前のブログですが「アイヌ末裔二人のコメント(1)、(2)」と、そのcommentsも参照できますので参考になるかと思い記載させていただきました。

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