日本民族の二大欠陥



一。日本人は、日本語が大嫌い
私のような年寄に言わせると、現在はカタカナ語の大氾濫の時代です。一時総理大臣を経験した小泉純一郎氏が厚生大臣の時、福祉や介護関係の役所用語が訳の分からないカタカナ外来語ばかりに驚き、これでは現場の職員もサービスを受ける側も充分理解できないではないかといって、省内に用語適正化委員会を発足させ、なるべく分かり易い日本語に改めるよう指示したことを覚えている人がいるでしょうか。その時やり玉に上がったのがノーマライゼイション、ターミナル・ケア、ウエル・エイジング・ソサイアティーなどです。
これらの言葉が今現在どのような日本語が使われているのか、あるいはそのまま外来語が使われているのか私は知りません。いまから50年前、私が20代の頃よく利用した職安(職業安定所)が10年前あるいはもっとまえ15年前ぐらいからハローワークと言う言葉が使われた。職安、あるいは職業安定所という立派な、落ち度などなにもない立派な日本語が、なぜ「ハローワーク」などというふざけた言葉になったのかいまだに説明もありません。それどころかこのハローワークなる言葉が完全に日常語化され、職安、職業安定所などもうほとんど死語化したも同然になってしまった。ほとんど死語化した日本語がいくらでもある。最近私は幼児の子育てをしている女性に、「あせ知らずを使ったら」と言ったら、「あせ知らずって何?」と聞くではないか。ベビーパウダーなら知っていたのだ。メーカーも英語読みにした方がかっこいいと考えているのだ。カタカナ用語は大氾濫しつづけ、コンシェルジェ、トレイン・アテンダント、サービスプロバイダー、コンプライアンス、等等。なぜここまでカタカナ語が氾濫するのか。それはもう日本国民が完全に「日本語はダサい」、「垢抜けしない」、「野暮ったい感じがする」、「夢がない」ないなど、最近の会社名などカタカナ一本やり、作っている製品もカタカナ名ばやり、日本語では人は集まらない、品物が売れないときているのだ。とにかく日本人のように自国語を嫌う民族は世界中どこにも存在しません。その原因はなにか。西洋の“物まね”がいまだに時流中の時流だからなのだ。
バレンタインデイーのチョコレートの売り上げは、今では完全に全国的に毎シーズン売り上げに貢献し、今ではハローインパーティの仮装行列が全国化しつつある。さらにびっくりするのはLGTBという言葉です。

今ではまだLGTBの言葉の詳細を知らない人がいますので説明します。女性同性愛(Lesbian)、男性同性愛(Gay)、同性愛(Bisexual)、性同一性障害を含む肉体と精神の性別が一致しない(トランスジェンダー)の頭文字の組み合わせをそのまま、エルジーティービーと読んでいます。日本人得意の英語の日本語化を使わずに今では即座に理解するようになってそのままLGTBと使っているのだ。日本人の英語力の進歩の一端でしょうか?日本人には昔から、自国の日本語を自慢するより嫌ってきた伝統があります。皆さんご存知のように明治の初代文部大臣、森有礼は、日本語を廃止して英語を国語に採用しようと提案しています。大東亜戦争で大敗北し、敗戦後の混乱期に文学者志賀直哉は、日本語の非能率のせいで、日本は愚かな戦争をした挙句惨めな状態に陥ったのだから、この際思い切って色々と問題の多い日本語を捨てて、世界一美しいと言われるフランス語を国語にしなければ日本に未来はないと、まじめに提案していたのだ。これなど「たかが小説家が偉そうなことぬかすな」の一言ですますこともできるが、戦前戦後を通して長く衆議院議員を務め、「憲政の神様」とまで言われた尾崎行雄(咢堂)は、戦後文部大臣を務めていながら、
「日本を真の民主主義国家にするためには漢字を廃止するだけではなく、『日本語と言う幽霊』を退治しなければだめだ」と主張続けたことで有名だと言うのです。私は今回初めてそのことを知ったが、何が憲政の神様だと言うのだ。憲政の神様に値する男ではありません。
明治時代に入ってどっと西洋文明が日本に流れ込んできた。漢字にはない沢山の欧米の語彙を明治の先人たちが一生懸命日本の漢字を当てはめて作った新漢字がおよそ300語、清国からの留学生がこれらの新漢字を逆輸入して清国で使われるようになったのです。こうした明治の先人たちの努力のお蔭で日本は、欧米文明、文化を学び、吸収することができた。今では言葉のハンディで日本が欧米の文明文化の吸収に遅れをとっていないことは、日本国民にとって明白な事実です。それにもかかわらず、小淵恵三内閣の時、彼の私的懇談会が「英語第二公用語」論を発表したのだ。そしてとうとう現在では英語が小学生から強制的に学ばそうとし、そのために巨額の税金が投じられることになった。
カタカナ語の大氾濫、日本在住の外国人の大増加などで英語が第二公用語になるのは時間の問題になってきた。日本語嫌いの日本人には大喜びの事でしょう。

最後に、現行日本憲法の原文は英語ですよ。終戦直後GHQ(アメリカ占領軍)が自分たちの作った憲法を日本人に強制的に押し付けたからです。日本独立後70年以上も過ぎた今でもそのまま使い続けているのだ。現代日本人には、もう日本人意識が何もないのだ。愛国心のない日本人に、日本人意識があるはずがない。

二。日本人は、自分の出世のために祖国をこき下ろす
日本人の最初の日本人毛嫌いは、日本人の容姿からでした。幕末明治になって沢山の欧米人が日本国内で見られるようになった。日本人が驚いたのは彼らの体躯容姿が立派であることだった。日本人の中には、自分たちの「醜く貧弱で見劣りする体」を、西洋人のように立派にしなければだめだ、西洋に負けてしまうと真剣に考え人種改良論を主張する人達もうまれた。その一人が明治初期の大物政治家で北海道開発長官、黒田清隆です。彼は何かにつけて日本人の体格が西洋人と比べて見劣りすることを嘆き、これからの若い者は出来るだけ西洋人と結婚して混血を増やし、日本人の体格を西洋人なみに近づけねばと主張していた。
大正元年、パリ留学から帰国した詩人、高村光太郎は「根つけの国」というタイトルでこういう詩を書いているのだ。
「頬骨が出て、唇が厚くて、目が三角で、各人三五郎の彫った根つけの様な顔をして、魂を抜かれたようにぽかんとして、自分を知らない、こせこせした、命のやすい。見栄坊な、小さく固まって、納まり返った、猿の様な、狐のような、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、めだかの様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人」
この詩の正確な意味は、私には分かりませんが、日本人の容姿をけなしていることは確かです。高村光太郎といえば、有名な詩人だ、よくもこんな詩が書けたものだ。
昭和44年、東京オリンピックの5年後、当時アルゼンチン大使の河崎一郎氏が、英語で「Japan Unmasked」という本を出版した。これは直ぐ「素顔の日本」(二見書房)として日本語訳が出た、日本の読者アッと言わせた酷い本だった。河崎大使は、その本に
「世界の人種の中で日本人は、おそらくホッテントットとピグミーを除けば、身体的魅力の点で、もっとも劣っていると思われる人種だ」と書いているのだ。これ以外でも日本人をけなす文章を書いたのが、国会でも問題になり、彼は大使を首になったのだ。
これはまだ日本人が日本人の容姿の醜さを嘆いているのだからまだかわいいほうです。こが日本人がやってもしない大残虐行為をやったという噓を書いた本が続発した。それで有名になったのがいわゆる「従軍慰安婦」事件(吉田清治/朝日新聞)と「南京大虐殺事件」(本多勝一/朝日新聞)です。この二つの事件はあまりにも有名で保守陣営の人たち誰も知っていますので詳細は、省きます。うそを書いて日本及び日本人をこき下ろす本は戦後直後からかなり書かれています。私の調べを列挙して要約します。
(1)吉田満著「戦艦大和ノ最期」創元社、昭和27年。
吉田満は、戦艦「大和」に乗り組み、九死に一生を得た人。吉田は「大和」乗組員の残虐行為を本に書いたが、生き残りの乗組員に否定され、訂正されずに吉田は死んでしまった。

(2)沖縄タイムス記者、太田良博と牧港篤三「沖縄戦記―鉄の暴風」沖縄タイムス、昭和25年。この本で沖縄の集団自決が日本軍の命令であったと記したことが大問題になった。曽野綾子氏は、「それは、軍命令であったことにしておかないと、島民で死んだ人達の遺族に年金がおりなかったのだ。」と主張しています。渡嘉敷島で集団自殺して命を落とされた人々の遺族にとって、赤松元隊長は、命の恩人にも匹敵する人であったが、それが渡嘉敷島島民ばかりでなく、全沖縄島民から極悪人よばわりされるようなった原因は、この「鉄の暴風」の二人の記者が、伝聞で書いたか、或は勝手に嘘を書いて創作してしまったからです。
「米軍上陸前日、軍は忠魂碑前の広場に住民を集め、玉砕を命じた」、「村長初め役場職員、学校教員の一部やその家族は、ほとんど各自の壕で手榴弾を抱いて自決した」とそのまま記載されています。この本の初版は昭和25年です。この時期米占領軍による検閲制度があった時代。著者は米政府や米軍を表立って批判、非難できないのはわかる。だからといって噓までかいて日本を貶めるとは何事かというのだ。

(3)東史郎「わが南京プラトーン」青木書店、昭和62年。
プラトーンというタイトルは、当時ヴェトナム戦争を描いたアメリカの戦争映画「プラトーン」が上映され、その映画のタイトルを借用したもの。東の所属する部隊が南京場内の警備を命じられ移動中に、一人のシナ人が捕まえられ、筆紙に書くにはあまりにも酷い残虐行為を与えた。その命令をだしたのがH伍長と実名をだした。著者の東は、H伍長は死んだと思っていたのでしょう。H氏は、平成5年、東や出版社等を名誉棄損で東京地裁に提訴した。提訴された東は裁判に負け、東は新たに弁護団を結成し、東京高裁に控訴。
平成8年9月から公判が開始された。著者の東は証拠集めと称して南京を訪れ、南京虐殺館が彼に協力、この頃には東の名前はシナ全土に知れ渡り、シナ人の間で一番有名な日本人になっていた。平成11年3月、「わが南京プラトーン」は豪華な装丁でシナ語版出版され、4月には東とその弁護団は訪中し、北京や南京のテレビに出演、日本政府と裁判所批判をくりかえしていた。最高裁の判決は、東と青木書店の敗訴と決定。この裁判で勝訴した高池勝彦弁護士は、シナから「歴史を歪曲する右翼」と名指しされ、批判されたあげく、顔写真は瀋陽の抗日記念館に展示された。高池弁護士は、現在では「新しい歴史教科書をつくる会」の会長でもあります。平成18年1月東は大腸がんのため死去、93歳。この時シナ政府から哀悼の意が示された。

4.丸木位里、俊夫夫妻「南京大虐殺の図」
丸木夫妻は、反戦画家として知られています。夫妻共同で描いた代表作、「原爆の図」は有名で、埼玉県、東松山市の丸木美術館で「原爆の図」は、常時展示されています。常時展示されている夫妻の絵の中に「南京大虐殺の図」があります。」この絵の完成は、昭和50年です。それから22年後の平成6年8月17日の日本経済新聞に小さな見出しつきで次のような記事が載っていた。まず見出しは、
『「南京大虐殺の図」巡り論争、写真では中国兵が処刑(徳島の研究家)、蛮行を訴えるのが目的(反戦画家の丸木さん)』。その記事は次の通りです。
「反戦画家として知られる丸木位里、俊夫夫妻の作品『南京大虐殺の図』をめぐり、徳島県小松市の戦時教育研究家茶園義男さん(70)が自分の持っている絵の構図と良くにた写真では中国軍保安隊員が中国人を処刑しているのに、丸木作品では日本兵が処刑となっている。」と指摘している。
丸木俊さんはこの写真をモチーフにしたことは認めたが「作品の意図は旧日本軍の蛮行を訴えることで戦争を否定することにあり指摘は検討違い」と反論している。
「南京大虐殺事件」は日本、シナ間で論争の的になっています。日本政府は、南京大虐殺はあったが被害者数は、まったく不明の立場です。一方日本の保守陣営は、南京第虐殺は全くなく、単なる捏造に過ぎないとの立場です。それを丸木夫妻は、シナ政府の主張を自ら証明することもなく勝手に彼らの主張を認め、しかもその証明のために中国軍保安隊員が中国人を処刑している写真を日本軍が中国人を処刑している絵に変えているのだ。絵画では少しでも他人の筆がはいると贋作といわれ、相手にされないが、写真はその構図をかってに絵にかえても贋作にならないのだろうか。いずれにしても丸木夫妻は卑怯な手を使っているのだ。しかも驚くなかれ丸木夫妻は、ノーベル平和賞候補にも選ばれているのだ。丸木美術館のある東松山市の市当局に丸木夫妻の「南京大虐殺の図」を美術館から撤去するよう要求します。
このブログの作成にあたって二冊の参考文献を使用しています。一。「日本人は、なぜ日本を愛せないのか」(鈴木孝夫、新潮選書)。二。拙著「逆境に生きた日本人」(展転社)。





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「談合」という日本の文化



今年の1月12日、成田空港の滑走路や東京のコンテナふ頭などの舗装工事の入札をめぐって大手道路舗装会社が談合を繰り返していたとして、公正取引委員会は独占禁止法にもとづいて合わせて8億円の課徴金を命じる方針をかためたと報じていた。産経新聞の1月16日の一面記事にリニア中央新幹線建設工事(総工費9兆円の巨大プロジェクト)をめぐってゼネコン大手4社(大林組、鹿島、大成建設、清水建設)による談合事件で、鹿島建設が社内調査の結果、不正な受注調整に関与していなかったと結論付け、独占禁止法の課徴金減免制度(リーニエンシー)に基づく違反の自主申告を行わない方針を固めたことが15日にわかった。課徴金減免制度(リーニエンシー)についての説明記事は以下のとおりです。
「企業が自ら関与した談合やカルテルについて、違反内容を公正取引委員会に自主的に報告した場合に課徴金が減免される制度。(寛大さ)を表する語源の英語から(リーニエンシー)と呼ばれる。公取委の調査開始前に最初に申告した会社は課徴金の全額免除だけでなく、刑事告発も免れる。先着順で5社までで、一番目は全額、2番目は50%、三番目以降は30%が減額される。」
これはアメとムチが明確で事実上の司法取引ともいわれるゆえんだ。

ここからは私の体験談を書きましょう。今から50年まえ、私が29歳の時、ニューヨークの株式市場に上場しているアメリカの一流建設会社F社の東京の調達事務所に入社した。当時世界中で石油化学プラントの建設需要で沸いていた。石油化学プラントだけでなく大規模プラントを建設しようとする顧客は、国際入札にかけてどこの建設会社に建設させるかを決めてゆきます。この時期日本の建設会社とアメリカの建設会社の応札方式が完全に違っていた。日本の建設会社は、このプラント建設に一括して5億ドル掛かると見積もればば、5億ドルと応札していた。この一括応札方式をランプサム(Lumpsum Price)と呼んだ。一方アメリカの建設会社は、実際の建設にかかった費用は全部請求しますが、その他に建設手数料を請求していた。要するに建設費用プラス手数料の二本だて見積書をだしていた。これをコストプラスフィー(Cost Plus Fee)と呼んでいた。
日本の会社の一括払い方式(ランプサム)では、欠点があった。建設期間が長いから当時5年から長くて10年。段々工場規模が大型化して建設が終わるまで期間が長くなっていた。そのため、世界的な原料、資材の値上がり、労賃の値上がりなどで一括方式(ランプサム)で契約すると赤字になる恐れがあった。アメリカの会社のように建設にかかった費用は全部請求し、その他に建設手数料を請求するほうが、損する機会が全然ないからです。プラント建設に必要な資材、機材、機器の買い付けに膨大な費用がかかります、アメリカの建設会社は、一番安い値段で買っていることを証明しなければなりません。それでは私が勤めていたアメリカのF社は、一大プラント建設請負の仕事を契約した時に行う東京調達事務所での大がかりな仕事をできるだけ簡潔に書いてみます。
F社がサウディアラビア向け(顧客アラムコ)の月産30万との石油精錬プラントを受注。すぐにContract No.(契約No.)1212などの必ず4桁の番号が割り当てられます。F社は世界中でプラント建設を行っているから、このいろいろの4桁の番号が必ずあたえられる。このContract No.をみればどのプロジェクトのことがすぐ分かる。本社から日本メーカーに出すべ無数の引合い書が送られてきます。ここで驚くべきことは、その引き合いの種類の多さです。皆さんビックリするかもしれません、石油精錬プラントに使う、ボルト、ナットの単独の引合書までが作られるのです。まるで精錬プラントをまるでノックダウンするように分割されて引き合い書が作られるのです。電線、変圧器、溶接した鉄骨、工作機械等々、こういう種々雑多な引合が来る。私はたまたまこういう雑多の製品の購買担当だったのだ。私が技術的なことには全く素人だったからです。その代わりやることは全く商社マンだった。メーカーの英文見積もり、英文書類の作成を手伝うことも多かった。アメリカ本社は、重要な機器からこういった部品感覚のような雑多の製品まで無数の引合をつくり、それを欧米、日本その他に送って国際入札し、そこから品質的に最高であり、価格的に最低の値段で買い付けていますよということを顧客に証明できます。そのため私の実体験でもF社は理由もないのに値引きなど絶対要求せず、どんな値段でも船済み後30日,全額現金払いです。
入札応募者は、入札書類の基づいて見積作成しますが、その見積りはすべてsealed bid(封印した見積書)で全部アメリカ本社に送られ、見積り提出の締め切りの翌日、一斉に公開されて見積書の評価が始まります。またその日までに日本メーカの見積書のコピーが私あてに送られてきます。見積書についての質問があれば東京事務所にテレックスで送られてきます。これによってF社が如何に公正に安く買っているかを顧客に示すことができた。F社が顧客に請求する費用の公正さは、購買金額だけではなかった。

私たち日本人スタッフもアメリカ人スタッフも全社員、毎週月曜日に先週のワークシート(work sheet)の提出を義務づけられた。月から金曜日まで毎日自分が働いた各プロジェクトの労働時間を書き込むことになっていた。例えば先にあげたアラムコのプロジェクトNo.1212は月曜日4時間、他のプロジェクト NO.では2時間、また他のプロジェクトNo.では2時間、計8時間、最終の金曜日までつけて5日間で40時間。残業があれば、プロジェクトNo.ごとに計5時間。合計45時間に自筆のサインを書いて提出です。各プロジェクトごとに建設が終わるまでの各事務所の労働時間数がわかります。
まだ他にもあります。コピー機が置いてあるコピー室には、現在作業中のプロジェクトNo.
が書いてあるシートがあります。アラムコのプロジェクトNo.1212用のコピー5枚とればコピーをとる日付けと枚数を書きこみます。その他にこういうこともします。お客さん(業者)二人が私に会いに東京事務所にやってきます。会社ではお茶、コーヒー、あるいはコーラを差し上げることになっています。サービスする女性は、プロジェクトNo。と日付けとコーヒー1、お茶1、コーラ1とかのように書き込みます。最終的のこのコストはF社の顧客に請求されます。要するに建設に関わるものはすべて請求し、その他に建設手数料を請求する場合、こういう購買方法をとるのが一番良いという見本のようなものでした。私が入社した当時、日本の建設会社もランプサム プライスでなくコストプラスフィー方式の値段を提出したくてしょうがなかった。それが出来なかったのは、国際入札経験の差と談合方式慣れた企業の差だったのでしょう。
あまり海外取引の経験のない中小メーカーは、このやりかたに全然なれておらず、最初のうちは半信半疑であったが、実際に値引きなしで注文が決まり、船済みされ、支払いが船済み後30日で全額現金で払われると、彼らの目の色が変わった。国際入札でも日本勢のなかで一番札をとれば、日本に発注されるのを実感したからだ。それでさえ中小メーカーの中には、日本の大手の建設会社から直接引合をもらうことがむずかしかったのだ。
こうしてF社の東京調達事務所は、私が入社して以来12,3年間は全盛期であった。検査、運送などの取引先は、出向社員をF社の東京事務所に常勤させるようになった。その時にはわからなかったが、今にして思えば、1㌦360円という固定相場がいくら先進国ならどこでも作っている製品でも日本製品なら中近東のプラント建設現場に運んでも安かったのだ。全盛期、東京事務所だけで毎年調達金額100億円をゆうに超えていた。

しかし東京事務所の繁栄期は終わった。1㌦360円の固定相場制が終わり円高になり変動相場制になったからだ。F社は東京事務所にレイオフを求めた。二度目のレイオフの時、私は退社した、48歳の時であった。私は18年間購買スタッフとして働いたが、F社の買い付けの公正さには驚くばかりであった。私には確信はないが、この時までに日本の建設会社は、国際入札では,建設に関わる費用はすべて請求し、建設手数料はいくらですといわゆるCost Plus Fee 方式の値段が出せるようになっていたはずです。何故なら国際入札で「談合」方式などできないからです。
しかし現在でも国内の大プロジェクトでは、相変わらず「談合」取引きが健在です。私がこのブログ記事で最初に取り上げた課徴金減免制度(リーニエンシー)が施行されたのが平成18年1月からです。談合ビジネスがこの50年間繰り返し行われていたのでしょう。談合は違法行為です。皆さんそのことは十分かっています。しかし建設会社の上層部が「談合」と決めたら、皆しぶしぶながらでも当然のごとく従うのです。定年退職した役人や元建設会社社員は、談合は必要悪と肯定し、徹底して嫌った人に会ったことはありません。なぜ「談合」を受け入れようとするのか。私は日本国民というのは徹底的に論理的に考え、論理的に行動することを嫌う民族ではないかと考えています。

話題からはずれますが、大東亜戦争でも日本は徹底的且つ論理的に考え、論理的な見事な作戦をたてながら実行できず、山本五十六の真珠湾攻撃という愚策を生み、彼は偉人にまでになった。敗戦後GHQの作った憲法を強制的に施行され、独立回復後もそのまま現在まで使い続けるという馬鹿丸出しの行為です。そして現在の憲法改正問題でも非常に多くの日本人が徹底的に論理的に考え、論理的な憲法が作れないのだ。無意識のうちに見たくないこと、意識したくないことを避けようとしているのです。
ところで「談合」と言う言葉は英語で何と言うのでしょうか。これこそ「談合」という意味の英語だという単独の英語の言葉はありません。私の和英辞典では、「談合」とは、conspire(conclude) to fix prices before tendering. と表現しています。
「談合」とは日本文化の一つの弱点ではないでしょうか。必要悪どころか違法行為の罪なのです。日本の大組織がぐるになって堂々と悪事行為を繰りしている犯罪なのです。経営陣も労働組合もなぜやめようと声を出さないのでしょうか。談合事件があれば、国民もまた談合事件があったのだと、平気のつらだ。談合事件に麻痺して論理的に判断した行動ができないのだ。すでに書いてきましたが、現行憲法でも同じようなことが言えます。

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現在の日本国民が絶対必読すべき本



その本のタイトルは、「自衛戦力と交戦権を肯定せよ」、小山常美著、自由社。小山常美氏は「つくる会」理事であり公民教科書の執筆者の一人。自由社は「つくる会」の発行する教科書の出版社。今年は現行日本憲法の改正について本格的に論議されるでしょう。私が国民の皆さんに、なぜこの本を必読の本と薦めるのか、その理由は以下の通りです。
1.本の頁数は104頁、本の値段700円+税。内容充実、値段が安い。国民必読の書にはもってこいの本です。憲法改正の最大の注目は、軍事関係です。この本は現行憲法の軍事上の法的欠陥を示し、どう法的に対処すべきか詳細に書かれています。

2.憲法改正問題で一番重要なのは、軍事条項です。すなわち外国に関わる問題です。憲法改正問題が純然たる国内問題だけであるなら、いつでも簡単に修正、改正できます。しかし軍事条項は外国との関係、外交関係です。それだけに軍事条項の法律は、徹底して法的に、論理的に討論し、外国に曲解、歪曲されない条文を規定しなければいけません。私の推薦するこの本は、すべて軍事条項に関することだけを徹底して詳述しています。

3.憲法問題は堅苦しい問題になりがちです。そのため日本国民の多くの方々は、知識人はどのような考えを持っているのかに敏感になっていて、知識人たちの考え方を参考にしようとます。しかし私は、皆さんに自分たちで考えて、自分たちで結論を出して決めてくださいとお願いしています。私と同年代のオランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレンという人がいます。彼の書いた「日本・権力構造の謎」は世界的なベストセラーになった。その後彼が書いた本、「日本の知識人へ」の一頁目の論文のタイトルは「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追随するのか」。その論文の書き出しの文章には、こう書いてあります。
「日本では知識人が一番必要とされるときに、知識人らしく振る舞う知識人がまことに少ないようである。これはいたましいし、危険なことである。さらに、日本の国民一般にとって悲しむべき事柄である。なぜなら、知識人の機能の一つは、彼ら庶民の利益を守ることにあるからだ。」
私はこのウォルフレンの言葉に全く賛成です。日本の知識人は「ひたすら権力に追随するのです。」時流や権力に媚びることなく独立した冷静な話をしてくれる知識人が極端に少ないのだ。憲法学者、歴史学者、政治家たちは、終戦後当時の権力者、GHQに競うように追随したのだ。現在の憲法改正では安倍総理への保守知識人の追随者であふれるばかりです。

4.平成29年5月3日、安倍総理は憲法改正への新提案を提出した。その提案は憲法九条一項と二項を温存したまま三項を追加し、自衛隊が憲法違反だと言われない根拠規定とするという案でした。これに対して驚くなかれ、多くの保守知識人はこぞって賛成した。安倍総理の太鼓持ち知識人や太鼓持ち知識人になりたがる保守知識人がごまんといるのだ。
彼らは安倍総理の改正提案に全く賛成でもないのだが、安倍総理が改正しようと言うのならこの際憲法改正しよう。改正できるのは安倍総理しかいない、他に安倍総理の代わりに任せられる政治家はいないのだの一点ばりです。

5.この安倍総理の改正に反対なのがこの本の特徴なのです。現行憲法は、終戦直後アメリカ占領軍によって強制的に作成、施行されたのです。現行憲法を改正してしまったらアメリカ占領軍が作った憲法を現在の日本国民が認めたことになります。其の点を全く考慮しようともしないのです。また自虐史観をそのまま認めたことにもなります。帝国憲法が悪い憲法だったと日本国民は教えられてきた。それが不自然に容認されてきたのです。日本の憲法学者や歴史学者は、国民に嘘を教え込んできたのだ。この現行憲法を改正せず破棄し帝国憲法を復活させ、その帝国憲法を即改正すればいいのです。これこそが私が必読と勧めるこの本の主張です。私は現在の日本の保守知識人の主張など、「はい、そうですか。」と簡単に認めるわけにはいきません。皆さん、ぜひ小山常美著、「自衛戦力と交戦権を肯定せよ」をお読みください。

若い選挙権のある皆様へ。
皆さん、私が先ほど申し上げたように、この現行憲法は、日本敗戦後すぐにアメリカ占領軍(GHQ)によって強制的に施行されたものです。政治家、憲法学者、歴史学者などその強制施行という印象を極度に薄めようと細心の努力をはらってきた。国民にうそもついてきたのです。その結果日本独立回復後70年以上も何一つ変えることもなく保ってきたのです。現行憲法を改正すると、GHQが作った憲法は、日本憲法、すなわち日本人が作った憲法になってしまいます。そこで私の勧めるこの本は、現行憲法を法的に、論理的にどのように改正し、改正後の憲法をどのように処するかが書かれています。104頁という薄さだからぜひ熟読をお願いします。現在の日本人は現行憲法や大東亜戦争など自分自身で学ばないと本当のことを理解できないのです。私自身このことを知ったのは、40代に入ってからです。皆さんの努力を期待しております。

定年生活をしている皆様へ。
日本人の人口構成で私たち定年生活者の層が一番多いのです。すなわち私たちの動きで日本を動かすことができるのです。私たちが一致して安倍氏の改革に反対すれば、私たちの考え方を採用しようとする政治家も現れます。しかし残念ながらサラリーマン生活、40年もやっていると、いつも上からの命令で動くことに慣れているから、自分で決断して行動することに慣れていない。しかしこの憲法改正問題は、日本の明日を決める最重要問題です。どうか自分自身で勉強し、自分の判断で決めてください。その判断材料の一つとしてこの「自衛戦力と交戦権を肯定せよ」を読んで参考にしてください。

安倍総理への私の見解。
保守陣営の多くの方々は、安倍総理だけが頼りだ、安倍総理の代わりになる方がいないから、しかたがないのだの一点ばりです。私も最初は強力な安倍支持者であった。しかし彼には完全に失望した。一国会議員の時代から安倍氏は「つくる会」運動を積極的に支持してくれた。しかし総理になり育鵬社が設立されると反「つくる会」の伊藤哲夫氏、八木秀次氏などの支持に変節した。今ではこの二人は、安倍氏の太鼓持ちであることがわかった。この変節に加えて平成27年の安倍談話。平成29年の安倍氏の憲法改正内容等で完全に失望、絶望した。安倍氏にはアメリカの属国から完全に日本独立国家にし、対等の日米同盟を築こうとする勇気も根性もないのだ。所詮二世議員の一人、いざとなると度胸、根性もないのだ。保守支持者の連中は、安倍さんの代わりがいないと主張します。日本民族の資質が劣化してしまったと考える支持者が極端に少なっているのだ。これも日本民族資質の劣化の証明でしょう。
昔流の差別用語を使えば、戦争に負けた日本は毛唐が作った憲法を、日本国憲法にしろと言ったらその憲法も何一つ帰ることもなく日本独立後70年以上使い続けているのだ。私たちのすぐ上の先輩たちは、大東亜戦争で勇戦奮闘し、祖国日本の為に若い命を投げだしてくれたのだ。例え敗戦でも毛唐が作った憲法を独立後70年以上も無効にすることさえもできないのだ。私たちは、日本人の魂、「大和魂」を完全に失い、死語にしてしまったのだ。

私事を書きましょう。私は平成21年に自民党党員になった。党員番号0914-00996-8。その年は鳩山由紀夫内閣が誕生した年です。当時自民党員の登録数が激減したころです。自民党を潰してはいけないと入党したのです。以来今日まで自民党員を続けています。もし安倍総理が主張した通りに憲法改正が国民投票で支持されたら、私は自民党員をやめます。祖国日本の復活の夢が絶えたからです。こんな私を時代遅れの男と笑わば、笑え。俺は死ぬまで戦い続けるぞ。アメリカが作った憲法を日本製の憲法と認めるなら、その後の日本は、どうなるかはこの本に書いてあります。私の意見に賛成、反対にかかわらず、この本「自衛戦力と交戦権を肯定せよ」を読んでください。こういう考えもあることを知っていただきたい。お願いいたします。
最後にこの本の著者、小山氏の考え方は、「つくる会」の統一した考え方ではありません。「つくる会」にも色々な考え方がいます。それだけに皆さんも、自分自身で勉強し、自分自身で考えてください。その参考用としてこの本をぜひ読んでみてください。


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80歳を迎える年の大気炎年始



皆様、おめでとう御座います。今年もよろしくお願い致します。
私は今年の8月1日で満80歳を迎えます。年寄の言葉に「80-20」という言葉があります。80歳になったらせめて自分の歯は、20本ぐらい持っていたいと言う意味です。ところが私は80歳になっても20本どころか全部健康な自分の歯を持つことはまちがいない。昨年12月には町田で講演をしましたが、一時間半の講演時間、椅子を使わず立ち続けで講演をしました。これなら90歳までは生きられる、それどころか現在は、人生100年時代。場合によっては100歳までもが決して夢でない。私の人生は不運な時代と幸運な時代とに極端に別れます。

一。不運な時代
私は極貧育ち、頭は並よりほんの少し良いくらい、特別な才能は全く何も無し、体力は並の体力、普通高校卒だけで社会に放り出された。結婚し子供三人育てている最中に離婚。家庭では両親が二人とも重病、病弱で老後の母の面倒みてもらうため叔母が同居。母死後、叔母も即入院。私が50代半ばまで家族の誰かがいつも病気だった。自分の健康の大切さを意識させられ、仕事でも遊びでも三日続けて12時過ぎの帰宅はないようにした。こうした私の人生は、絶えず戦うことを強いられた。人が5年かけてできるものは、俺は10年、あるいは15年かけてでもやってやる、そのためには健康で長生きしてやると心に誓っていたのだ。外資系五社を渡り歩き、愛社精神などひとかけらも無し、仕事への愛情も一切なし、ただあるのは強い金銭欲だった。夢もなかった。いや、夢はあった。株価高騰時代だった頃の夢だ。私が55歳頃には、三人の子供は完全に一人前だ。そこで自分で定年を55歳と決め、私費でアメリアカへ一、二年の語学留学し、そこで白人女性の恋人を持とうと決めた。一転株は暴落し、損はしなかったが大儲けしそこなった。消えた夢のかわりに再婚した。そして今年の夏とうとう元気で80歳を迎えることができるのだ。若いころ「長生きしてやる」が現実的なものになってきたのだ。ついに自分の出番がやっていきたのだ。
二。幸運な時代
サラリーマン生活、実働40年。長い、長い戦いであった。定年後一転して幸せな生活になった。再婚していたが、我が家から初めて病人がいなくなった。しかし定年後一、二年の間は時々悪夢にうなされた。辛い仕事の場面が夢の中にあらわれ、どうしたものかと自分自身がうなされ、ハット目がさめ、「夢だったのか、もう定年なので良かった」と安堵することが幾たびかあった。
自分の正義感で書いた長編歴史評論「大東亜戦争は、アメリカが悪い」が評判を呼び、縁もゆかりもない鎌倉在住の読者、渡辺昌明氏の資金と翻訳援助により英文化し、英文化出版に手を差し出してくれた茂木弘道氏により勉誠出版が紹介され、出版社倒産で市販されていなかった「大東亜戦争は、アメリカが悪い」が2015年に再出版されたことです。
読者から私の文章力をほめていただいたことはうれしいのですが、何といっても西尾幹二先生に直接褒められたことが天にも昇るような気持ちでうれしかった。私は子供の頃から学生時代も文章など書いたことは一度もないし、投稿したこともない、自分で文章を書くのは苦手と思っていた。それを西尾先生に言うと、先生は「文章というものはそういうものだ。文章を沢山書いてきたからといって、文章が上手になるとはいえない。いくら書いてもへたなものはたくさんいる。いきなり長文を書いても上手な人はいる」と言うのです。
人生とは不思議なものだ。定年なるまで自分には才能など何もなく、ただがむしゃらに努力を続けてできるのが才能みたいなものだった。私はこれまでに本を八冊出版しています。そのうち最近の二冊は小説です。小説を書いた実感は、他人の書いた本を沢山読んで書く歴史評論よりも小説書くほうが楽しい実感だった。自分にも書く才能があると実感できたのだ。人生とはわからないものだ。私に文才があることがわかって本当にうれしかった。
それでは100歳まで20年間になにをやるか。私が「えんだんじのブログ」を書き出して10年目に入っています。今年の10月で10年目が終わります。最初の一年間は毎週書いていて、その後は2週間おきに書き続け、現在投稿数286件。これを一冊の本にまとめて書きたい。そのあと次はやはり小説を書きたい。女性の一生を小説に書きたいと思っています。人生100年の時代。主人公の女性には老いらくの恋をさせるつもりです。執筆活動を100歳までつづければ、サラリーマン生活実働40年が最近書きあげた「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」だし、100歳でまた新しい自伝的小説を書き上げれば、執筆生活40年間の自伝的小説になり、私はサラリーマン生活40年、執筆生活40年、もじどおり私は二つの人生を歩んだことになる。これを目指して100歳まで邁進あるのみ。
三度目のベストセラーを狙う小説が、二度出版した小説のよう「二度あることは三度ある」と同じように失敗作になるか、「三度目の正直」のように三作目の小説がベストセラーになるか、私の人生最後の賭けになるのだ。幸運にめぐまれた定年後の生活、最後はハッピーエンドで終わらせるつもりです。

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小説「戦後昭和の女性たち」(5)



前回のえんだんじのブログ(12月2日)で小説「戦後昭和の女性たち」4)を公表。その時は村田春樹さんの読後の感想文、全文を公開しました。その後村田さんは、私の初めての小説「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」をすぐに読んでくれ、この度その感想文を送ってくれました。村田さんの了解を得て全文を公開します。
引用開始
拝啓。ますますご清祥のことと、お慶び申しあげます。
過日は「えんだんじ」を上梓され、すぐにご恵贈賜り洵にありがとうございました。
先日「戦後昭和の女性たち」を読了してすぐに、「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」を読み始め、これも一気呵成に読了いたしました。すぐに感想文を書き送りたかったのですが、今月も多忙を極めており遅くなりました。実は御献本いただいた事を忘れてしまい(失礼はおゆるしください)アマゾンで購入。読了したら御献本を本棚で発見した次第です。
いやはや、しかし、「えんだんじ」面白い!実に面白く痛快!痛快!主人公の健さんは羨ましい人生だとつくづく感心します。
私は昭和二十六年東京高円寺の生まれ育ち、健さんと十三歳違うのですが、当時はまだ本当に貧乏というのがあったのですね、
しかし貧乏の中にあっても、逞しく淸く正しく(?)生きてきた健さんの人生に感動します。そしてさぞかし楽しい人生だったのではないかと推察します。修学旅行に行けなくて、代わりに研究しろ、と言われ蠅の糞を見つめるところでは爆笑してしまいました。
「戦後昭和の女たち」のペニスのおならと同じく、つらさに負けないユーモアが底流しているのですね。
私は昭和五十二年から五年間、新婚時代に鎌倉市梶原に住んでおりました。勤務先は藤沢で、辻堂はよく仕事で回りましたのであの辺りは懐かしいです。県立鎌倉高校は名門進学校です。そこに合格された健さんは素晴らしい学力。後に英語で世間を渡ることができたのは、さもありなん、と思います。
さて本書の魅力はやはり、健さんの人生を彩る美女たちです。本当に美女ばかりで感心します。我が人生も四十年、女性に囲まれてきましたが、美女は五指にたりません。なぜだろうか考えたのですが、やはり美女は美男にくっついて来るのですね。
閑話休題
本題に入ります。
千葉県勝浦の恵さんとの最後の一夜はとても素晴らしいはなしです。正に映画のシーン、三島由紀夫氏の「潮騒」もかくや、ですね。しかも嫁入り前。
いやはや羨ましい。恵さんはきっと今でも健在で、元気な漁師の婆さんになっているでしょう。実は私も勝浦近くの某市の女性と、若い頃少し関係がありました。「房州女にマ〇見せるな」という古諺(?)があるそうですが、当時私は十九歳、彼女は十八歳、それでもその古諺を想起する女性でした。ちなみに今でも会おうと思えば会えますが、すっかり婆さんになってしまったので、会いたくありません。どうでもよい話しに脱線してしまいました。
佳代子さんとの結婚離婚のお話しも、じつに興味深かったです。
もし今一人だけ健さんの女性に会えるとしたら、私は躊躇無く佳代子さんを選びます。なぜか。わたしは生命保険の営業所長を長く勤めたので、佳代子さんがもし保険屋になっていたら年収数千万円になったと思うからです。
他の女性と会ったら、羨まし過ぎて我が内臓が破裂してしまうかもしれません。佳代子さんならそういうこともないでしょうし。
国鉄のストで赤坂東急ホテルに泊まったとき、塩原から花江さんがタクシーで飛んできたおはなしは、これも映画のワンシーンなります。すごいです。
でも、私はちょっと引っかかりました。もし私だったら、絶対に一人でホテルで寝ません。必ず誰か準備します、第一希望が都合悪ければ、第二、第三と用意します。ですから、もしわたしがあの場面にいたら、塩原の花江さんがノックしたら、中の二人で大恐慌に陥ったことでしょう。などと空想して、くすくす笑ってしまいました。本当に面白い場面です。
塩原でお客として芸者の彼女を指名したお話しは素晴らしいですね。これも絶対映画のシーンになります。そして混浴も。本当に健さんの人生は羨ましいです。
佳代子さんの母親が朝鮮人、花江さんも朝鮮人だそうですね。ご縁がありますね。私も学生時代にソウルで韓国人女学生に惚れたことを思い出しました。
さおりさんとのチャチャチャ、これは正にこの映画のハイライトです。
格好いいです!本当に格好いいです。白いスーツで踊るというより、日劇一流のダンサーを踊らせる健さん。正に人生の華ですね。健さんの人生は映画化してほしいです。そして主役のジョン・トラボルタに白いスーツでチャチャチャを踊らせてみたいですね。私もキューバン・ルンバだけ踊れますが、こういう格好良い場面は無かったですね。嗚呼ため息が尽きません。
女性関係以外でも、御仕事の面で、英語で啖呵を切って会社を去るとか、カッコ良すぎます。しかしこれも英語の実力あってのこと、さすが県鎌だと思います。この健さんの人生に夢中にならない男性はいないと思います。なぜなら会社人生、女性遍歴・・世の男性の夢を、健さんは次々と現実のものにしていったからです。
私の人生も、そこそこ出世し、語れば驚くようなことも沢山ありました。しかし、この私の武勇伝(?)も、社内でしか通用しません。世の中全般には通用しません。大企業の中を上手く泳いで偉くなっただけなのです。それに比べたら健さんの人生は、誰が見ても、波瀾万丈、血湧き肉躍るのです。
そして、さらにすごいのはこの忙しさの傍ら、大東亜戦争を研究し、厖大な書籍を渉猟し、大著「大東亜戦争はアメリカが悪い」を上梓された事です。
常人の三人分の人生を歩んで来られた健さんに、心底憧れ、敬意を表します。
「大東亜戦争はアメリカが悪い」は、読後感動し、感想文を書き送ったような記憶があります。もし記憶通りであれば感想文は三通目ですね。同書は私に取って歴史観の背骨になっており、今でも我が書斎の一等地に厳然と聳えております。
同書を上梓された直後でしたか、靖国会館で講演をされたのではなかったでしょうか。私はそれを直接拝聴したような記憶もあります。
いずれにせよ、今後も大東亜戦争を世界に広めて行こうとされるそのご姿勢・情熱には感動し感激します。でも女性に対しても今でも情熱を燃やし、モテている健さん、我が人生の理想です。
ますますの御活躍を祈るばかりです。
ところで私は現在二書を執筆中です。一書は、青林堂から「日本乗っ取りはまず地方から 自治基本条例の恐怖」四年前に上梓したこの本が売り切れました。出版社から増補版を出したいとの申し出で、この際全面的に書き換えることになりました。今ねじり鉢巻きで執筆中です。
今一書は展転社から、題名未定ですが、皇室関係の気楽なエッセイです。あちこちの講演会で話したことをまとめて一書にするつもりです。できあがりましたら贈呈いたします。
お健やかに御越年されますよう。お祈り申し上げます。
平成二十九年十二月十一日                    敬具
追伸 「えんだんじ」は炎男児とは思いませんでした。艶男児だと思っておりました。両方OKですね。                    
引用終了

来年の建国記念日、2月11日(祝・日)に第三十四回「紀元節奉祝式典」が開催されます。詳細は以下の通りです。
「日 時」平成30年2月11日(祝・日)
     午後3時3十分開場 16時~18時
「会 場」星稜会館
     〒100-0014
     千代田区永田町2-16-2、電話:03-3581-5650
     (会場への交通機関)
     東京メトロ有楽町線・半蔵門線「永田町駅」徒歩3分 
     東京メトロ千代田線「国会議事堂前駅」徒歩5分
     東京メトロ南北線「溜池山王駅」徒歩5分
     東京メトロ丸の内線「赤坂見附駅」徒歩7分
「紀元節祭」
  神武天皇即位建都の大詔奉読・舞奉納紀元節の歌奉唄他
「記念講演」
  村田春樹先生(今さら聞けない皇室研究会顧問)
  (四大節復活の狼煙を上げろ)
「参加費」
千円(学生無料)
「主 催」
紀元節奉祝式典実行委員会
〒101-0051 千代田区神田神保町2-46-402 展転社内
電話 03-5314-9470
以上。
私も出席しますので、皆さんも時間のある方はぜひ参加してください。よろしくお願いします。

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小説「戦後昭和の女性たち」(4)



保守言論界で活躍されている村田春樹さんより読後コメントをいただきましたので、全文を公開させていただきます。
引用開始
錦秋の候、ますますご清祥の事とお慶び申し上げます。
過日はご著書「戦後昭和の女性たち」をご恵贈くださり、洵にありがとうございました。
落手同時に一気呵成に読了しました。すぐに感想を書き送りたかったのですが超多忙を極めており、遅くなってしまい失礼いたしました。
本書はエンタメ本としてとにかく面白いです。鈴木さまの文章力には感心いたします。週刊新潮の黒い履歴書などより遥かに素晴らしい文章です。しかし何よりも驚いたのは、自らのご経験を小説という形で世に問う、というアイデアです。
男は(女も)自分の恋愛体験を語りたくてしかたがないのですが、何かと支障があり、語れぬままに終わってしまうのが常だと思います。しかし小説というかたちで残す!この手があったか!小膝を叩きました。しかし考えてみれば、古今の小説家は皆そうやって自らの経験を小説にして来たわけであり、珍しくもないわけです。しかし、今回は、謦咳に接し、私淑する鈴木様がこの手を使われたことに驚きました。とても羨ましいです。
鈴木様は、女性を幸せにする本当の遊び人であり、だれにも後ろ指さされず、別れ際がきれいで、まさに尊敬すべき粋なプレイボーイです。いずれにせよ、モテてモテてモテまくった鈴木様の人生。そして何よりも鈴木様が女性を幸せしてこられ、決して泣かせていないところが、素晴らしいと感心いたします。男ならかくあるべし。このご本は友人に勧めています。そのためいつも持って歩いています。
私も鈴木様に遥かに及びませんが、女性経験はいささかあります。しかし鈴木様と私とは決定的な違いがあります。私の場合はすべて相手は素人なのです。私は酒は飲めないし、キャバレーもバーもスナックも行ったことは殆どありません。素人に手をつけたことを小説にしても、陰惨なものになってしまいます 。
第一、素人との関係は別れるときに相手を傷つけます。私のような素人専門は、昔ならば色魔として後ろ指さされたことでしょう。(今でもそうかも)
個別の感想です。
綾子  ペニスのおならには笑ってしまいました。
幸子  比較的最近の話題ですね。ひょっとすると鈴木さまの彼女ではないのかも、想像上の人物としたらよくできている。家族観女性観等考えさせられる。
お松  まさに鈴木様の体験談、川端康成の「雪国」を彷彿とする。
青木は鈴木様の分身、興味深い。
みみたぶを噛む、うらやましいです。
栄子の時代描写が良いですね。
佳代子  良い想い出ですね。ハリウッド映画を観るようです。羨ましい限りです。
天国での女性体験  これは読み直しました。実に奇想天外、この手があったか!
私は二年前に『三島由紀夫が生きた時代』を上梓しましたが、執筆時に当時の自分の日記を克明に読み返しました。そしてその頃の彼女達に再会したいと思いました。しかし既に老婆になっているはず。天国で会うしかありませんね。
というわけで、本書は実に面白く、羨ましく、きれいに遊んだ数々の女性を幸せにしてこられた鈴木様ならではの佳品だと思います。遅くなりましたが、あらためてお礼申し上げます。ますますのご活躍ご健筆をお祈り申し上げます。
引用終了


前週のブログへの御注意:
前週は「すばらしい専業主婦、佐藤亮子さん」を書きましたが、私が賞賛するのは、自分の四人の子供に高等教育を授けるために専業主婦を選んで邁進する佐藤亮子さんを褒めあげていることで、何も東大という大学を称賛しているわけではありません

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素晴らしい専業主婦、佐藤亮子さん



私の住むマンションでは毎月一回、月刊マンション生活情報誌、月刊ウェンディ「Wendy」
が無料配布されます。毎月発行される度に第一面が「Ms Wendy in this month」で一人の女性が上半身の写真と共にその女性の紹介記事が載せられます。今回の記事も大きな見出しで、こう書いてあります。
「こども四人全員を東大理三に合格させた。テレビはリビングから撤去
 専業主婦 佐藤亮子さん」
私は今年79歳の爺さんです。だから昔の良妻賢母の話にはあまり驚くことはありません。佐藤さんの写真を見れば、決して美人ではないが、素敵で魅力的な笑顔で、まだ若い。東大理三をネットで調べてみると、東大の試験には東大理一、東大理二、東大理三あってどれも難しいが理三がとびきり難しい。2016年の理三の合格最低点は、388点、理一の合格者平均点358点、理二は341点。理一の合格者の上位半分でも、理三には太刀打ちできません。理三は定員が100名ですから、日本の理系のトップ100人が入学できるというプレミアムシートと言ってよいでしょう。いわずと知れた日本最高峰の試験の現場の一つと言える。その理三に自分の子供、四人全員(三人の男の子と一人娘)を入学させたというのだから、この佐藤亮子さんという母親はたいしたものだと思います。彼女は津田塾大卒業後、英語教師として2年間教壇に立ち、弁護士の御主人と結婚、退職し専業主婦。
彼女の発言を拾ってみると、
1.彼女の両親はすごく本が好きな人で、新聞は三紙、雑誌は文芸春秋や週刊朝日などがずらっと並んでいた。父はこどもにはテレビを見せない方針で、小さいころはよく絵本を読み聞かせてくれました。

2.両親のサポートがなければ、とても四人の子育てと受験を乗り切ることはできなかったと本当に感謝しています。彼女と両親とは同居していません。それだけに両親は大変だったと思います。

3.子供に指示を出すときには具体的に数字で言うのが鉄則。勉強でも「ちゃんとやりなさい」では曖昧で、言われた方がこまります。子どもは一方的に怒られたと思うだけ。でも「●ページから●ページまでを●時までにやりなさい」と具体的に言えば分かります。

4.反抗期の話は本当によく聞きますし大変だと思います。でも私は、種さえまかなければ、反抗期はなくて済むのではないかと思っています。

5.子育てに関しては「私が100で主人がゼロ」を貫きました。

6.私は比較しない。「兄弟を比較しない、他人と比べない。」と決め、腹をくくっていましたから、子どもたちが通知表を持って帰ってきても「ハイお疲れさま」で終わりにして、成績については一切コメントしないことにしていました。

7.子どもが12歳になるまでは「子供が家にいる間はスマホを使わない」と決めて家の中からスマホの存在を消します。
等々その他にも有効な彼女の意見が書かれ、また冷蔵庫のドアにいくつものストップウォッチがはりつけた写真があった。勉強時間やご飯の食べる時間もはかっていたのだ。
彼女は自分の四人の子育てをいずれは自費出版しようと日記を書いていた。子育てが終わったころ、たまたまひょんなことからこの子育て記録が出版され、評判も良くテレビに出演したり講演することにもなった。このブログの読者の中にも佐藤亮子さんを知っておられる方もいるでしょう。私の女房も彼女の名前は知らなかったが、一専業主婦が自分の子供四人全員東大に入学させていたことは知っていました。

現在の若者は、若い女性の専業主婦を嫌っているようで、また多少小馬鹿にしたようなところがあります。若い結婚女性を無理やり働かせるように奨励しているみたいです。しかし子供の教育という点で専業主婦は非常に重要な存在です。現在安倍内閣は、子供への教育にこれまで以上に大量の税金を使おうとしているが、両親が自分の孫の面倒を見てくれる人にある程度の資金を提供することも一つの良い政策ではないでしょうか。親が元気なうちは、孫の面倒みてやる。するといくらかの現金が入る。それによって現在、家族関係の絆が弱くなっている絆を強めることができます。両親が元気なうちに孫の面倒をみてもらおうと結婚年齢が若返る、それによって若夫婦の子だからが増える傾向になり、人口減少化に歯止めにも役立つでしょう。自分の孫の面倒をみてくれる親に政府がお金を払う政策も良いのではないでしょうか?専業主婦も子供の中卒、あるいは高卒をもって子育てが終わり、自分も仕事に復帰できるのです。人生100年の時代、いまは人生が長いのです。佐藤亮子さんも、今後どう活躍していくのか楽しみです。



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私の講演案内



下記の通り私の講演が行われます。
「講演会のご案内」
日時:11月26日(日)午後2時~4時半(開場1時半)
場所:町田市民ホール1F 第3会議室
演題:「人種差別と日本への移民問題」
講師:鈴木敏明氏
   昭和13年神奈川県生まれ、神奈川県立鎌倉高校卒業。外資系5社を渡り歩き定年。
   定年後、著作・講演などの活動を行っている。また、「えんだんじのブログ」は、歴史、時事評論、人生相談など多義にわたるテーマを面白く記述し、人気ブログとして10年目を迎えている。
著書:「大東亜戦争は、アメリカが悪い。」
  :「原爆正当化のアメリカと従軍慰安婦謝罪の日本」
  :「逆境に生きた日本人」
  :「保守知識人を断罪すー(つくる会)苦闘の歴史」
  :「The USA is responsible for the Pacific War」
  :「えんだんじー戦後昭和の一匹狼」
  :「戦後昭和の女性たち」
懇親会のお知らせ:
お気軽に参加して交友を広めてください。
時間: 1700-18:30
会費: 2,500円
場所: 町田市民ホール1Fレストラン

主宰:日本の明日を考える会・町田
講演参加会費:千円
お問い合わせ:080-6810-7685(倉橋)
以上。

皆様、お時間がございましたら、ぜひご参加ください。

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小説「戦後昭和の女性たち」(3)



(一)ライバル
皆さん、ヒュー・ヘフナーと言えばどんな人だか知っていますか。最近ヘフナー氏は91歳で死んだが、彼はあの超有名なアメリカの「プレイボーイ」誌の創刊者です。ヒュー・ヘフナーは、1953年(彼が27歳の時)「プレイボーイ」を創刊した。その創刊号にあのマリリリン・モンローのヌード写真(本人の承諾なしに)掲載し世間をアット言わせたのだ。以後数十年にわたり豊満な女性のヌードグラビアと読み応えのある記事が世界的に高い評価を受け、世界各地に現地版の「プレイボーイ」を発刊させた。ヘフナーとモンローは奇しくも同じ年で、私より12歳年上です。「プレイ^ボーイ」に載せられたヌード写真は、モンローが同じ27歳の時ですから、ヌード写真の年齢は少なくとも同じ27歳か、それとも27歳以下の年齢です。すなわち彼女の全盛期のヌードだから世界中の男性ファンをアット言わせたことは間違いない。ヘフナーは女性の裸の写真で大金持ちになったのだ。老後はプレイボーイ社の経営を娘のクリスティーに任せ、彼自身はプレイボーイ・マンションに住んでいた。そこは男たちの究極の隠れ家、そこでは全てがセックスのためにあり、全ての女性たちはやるためにいると男たちは勝手に空想した。ヒュー・ヘフナー氏はその館で死んだ。ヘフナーは生前に購入していた場所に埋葬された。マリリン・モンローの墓の隣だった。ヘフナーもマリリンも同じ年だからお互いの顔を知っていたでしょう。しかしモンローの男性遍歴にはヘフナーはいないし、ヘフナーの女性遍歴にはモンローの名前はない。モンローは彼女の承諾なしに「プレイボーイ」の創刊号に載せたことが許せなかったのだろう。ヘフナーはモンローファンの一人だったのだろう。だから生前、彼はモンローの墓の隣の地所を大金で買ったのでしょう。このヘフナーの記事は、今年に11月19日のニューズウイーク誌に出ていた。早速私が自分の「えんだんじのブログ」に取り上げたのには理由があった。

今年の9月1日私は、文芸社から文庫本で「戦後昭和の女性たち」(700円)を出版した。全部で八編からなる短編小説で全部で10人の女性を登場させた女性短編小説集です。一から七までは現実の女性を扱って書いていますが、八はタイトルが「天国での女性体験」で、天国での空想体験の話で、想像上の話が主体です。通常人間は死ぬ直前には死後天国に行ったら、あれこれしようとか、地獄に行ったらあれこれしようなど考えずに黙って死んでゆきます。しかし私は違う、「俺は間違いなく天国に行く、天国に行ったらマリリン・モンローを口説いて、ベッドを共にしよう。生前彼女が欲しがっていた子供を絶対に作ってやって、幸せにしてやると考えていたのだ。予想通りに天国に行けたので、計画通りモンローを口説き始め、成功し、ベッドを共にし、赤ちゃんも作ることが出来た。モンローに子供が出来て記者会見の時に、どこかの国のボーイフレンドと恋仲になって子供ができたと公表すればよかったのに、ところが日本人の定年サラリーマンのミスター鈴木と恋仲になってなどと本当のことをしゃべってしまい、そのため鈴木は日本のマスコミの寵児になってしまい、鈴木の物静かな定年人生がてんやわんやになり大騒動を巻き起こす物語なってしまったのだ。
ヘフナー氏と私はモンローファン、お互いライバルです。世界中にモンローファンのライバルが沢山いるでしょう。しかし私みたいに天国にいるモンローを口説いてベッドを共にし、子供を産ませて彼女を幸せにしてやった小説を書いたのは世界広しといえども恐らく私一人でしょう。それだけに小説「戦後昭和の女性たち」を一読する価値があると思っています。

二。男性読者からのコメント
さきほど一気に読み終えました。のちほどあらためて感想を・・・。
登場人物の生きた世界は私のそれとは全く違いますが、小説としても正直、面白いな~と思いました。なんでそう感じるのかな?と思ったのですが、
私の視点は、この時代が、ヒロインの両親はみな戦前の歴史を引きづって
いること。結果、いわく言い難い、両親もしくは片親との悲しい別れ、あるいは知恵遅れの兄弟を面倒みていたこと・・・など。
悲しいまた貧乏生活のなかで優秀な弟(のち東大医学部へ)の学費を送金・・姉はクラブで労働・・。姉の死を前に弟が著者に託した姉への恋文作成の依頼、それを読んで安堵した姉の、さわやかな死に顔・・・・。さわやかに天国へ逝くというのはこういうことだろう。
さらにいえば、登場する昭和の女たちは、みな現代とは違った経済生活の「苦労」と「緊張」を抱えており、それしか生きる道がなかった・・という宿命の
なかで実にいじましく人生を送っていたのである。
現代の、その気になればいくらでも仕事がある・・という経済安全圏とはまるで環境が違っていた。
そういう時代環境のなかで花咲いた、悲しくもそれなりに男との出会いによって一抹の幸せも得た・・という物語である。
考えさせられたことは、昭和という時代は、戦前と戦後が深く交錯する時代であったこと。
平成の弛緩した時代環境とは大きな差がある。その意味で、昭和という時代は、「文学」が成立し得る基本条件を備えていたこと。これが解る年代はたぶん団塊の世代以上ではないか。
・対して、平成の時代はなかなか「文学」が成立し難い、いや成立するとしてもQualityがまるで異なる。
いま政官財界、その他で活躍する人たちは、段階の世代
以前の人たちが多い。鈴木さんの時代感覚とは違った世代の人たちである。良くも悪くも時代の変遷とはそういうものだ。
以上即席感想でした。しかし文章の実に巧みなこと・・・
それ以上に、鈴木さんの真剣な生き様と鼓動が伝わってきました。
もっともどこまで実話で実話でないのか、知りかねますが・・。まずは御礼まで*フェイスブックでもご紹介します。
三。女性読者からのコメント
こんばんは。感想遅くなりまして、申し訳ありません。
大分前に読み終わってはいたのですが、なかなかえんだんじさんのように上手に文章に出来なくてすみません。一番印象的なのは、えんだんじさんは、本当に素敵でモテモテでいらしたんだなぁということです。それと、この頃の女性は、可愛くて女らしくて素敵ですね。
男性と女性が、その役割をきちんと果たしていたように感じます。私はそんな感じの方が好きですよ。どうして男女というものがあるのか、ちゃんと訳があってのことでしょうに、何でもかんでも平等にしたいというのは、何かの策略に翻弄されているような気がしてしかたありません。ただ、昭和初期の女性は、ずいぶんご苦労なことも多かったのではないでしょうか?だから、男性に頼らなくてはならない世の中だったという気もします。
えんだんじさんが日頃日本の名誉のために頑張っていらっしゃるのは本当に素晴らしいことだと思っています。一方、こうした小説もとても面白いですね。面白いというのは、失礼ですね、だってこれはほとんど実話なんですよね?
でもこんなに沢山の想い出をお持ちというのは、お幸せだと思います。
読ませて頂いて、私もその当時にタイムスリップ出来たような気がします。
ここに登場された女の方たちは、辛いことも沢山あっけれど、皆さん前向きで人生を一生懸命生きていらっしゃいますよね、私も少し見習いたいなぁと思いました。そして、今の20代、30代、40代の人が読むと、やる気が増すのではないですか?
私もあっという間に読んでしまいました。えんだんじさんが、これからも益々お元気でご活躍されますよう、お祈りしています。また色々なことを教えて下さいね。
四。読者の皆様へのお願い。
この小説は、私の前作『えんだんじ・戦後昭和の一匹狼』に次いで二作目です。何故私が小説を書いたか?ベストセラーにして印税をかせぎ、私の人生の最終目的、私の大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の英文版「The USA is responsible for the Pacific War」 を世界中、いや少なくともアメリカ中にばらまきたいからです。アマゾンでお買い上げの方がおられましたら、率直なコメントを書いてくださいませんか。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」のように沢山のコメントを書いてくれるとありがたいのです。よろしくお願いいたします。
なおこの「えんだんじのブログ」は先月10月で9年目が終わりました。今月から10年目にはいりました。
10年目が終わる来年の10月には、一冊の本(タイトルは未定)をだすつもりです。これからもご愛読のほどよろしくお願いいたします。

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もう日本男子の文化は、完全になくなった。(2)



前週の土曜日、10月14日、えんだんじのブログ、「もう日本男子の文化は、完全になくなった。」を発表した。そのブログでは、私が今から9年前の2008年9月13日にえんだんじのブログに出した「男の涙」の再引用でした。最後にその時もらった二人の読者のコメントとえんだんじの返事も出すつもりでしたが、ブログが長くなってしまうので省略しました。今回はその二人のコメントとえんだんじの返事の引用です。
引用開始
猪さんのコメント
「私も祖父の「命令」が~「男の子は人生で3回だけ涙を流してもよい、苦しい時ほど笑え」~が人生訓。
泣けない事はホントにつらいと思った事も有りました。祖父の「葬儀」の時には「吐くほど」納屋の裏で泣きました。棺桶に入れる花を納屋の裏に挿して祖父が帰って来てくれるのを待った程です。
中学生が「死」の意味を理解しないわけでは無いのですが、泣けたのですね。三回のうち一回、思い切り泣いて仕舞ったと言う事実が、素晴らしい映画で泣きたい想いが有っても、同期の友人の死を目にしても、残り二回で人生が終わる感じがする為に泣けないのです。
人が聞けば馬鹿な話で悲しければ泣けば良い。現在の若い人には笑われるでしょうが、子供たちも「冷たい」お父さんと考えていた感じは有りましたが、今は祖父の言葉を未だに心に持っている人間である事を家内も含めて理解し「頑固おやじ」と嘲笑?される事も無く成りました。
困った事は子供たちには、「人を裏切るな!」と教えてから彼等・彼女の友人の情報が殆ど入らなくなり、友人の判断は自分で先入観なく見る。加えて子供たちの態度から情報を得る事に成って仕舞い彼らの学生時代には困ったものです。
現在は映画を見ても涙が出そうに成るのは年のせいでしょうか?約束が有るので「頭」が痛くなるほど我慢する事がたびたび有ります。家内には「お父さんの神話」も何年もつだろうと?子供達に言ったらしいと、「秘密」を明かしてくれましたが悪口では無いので許しています。矢張り年が言わすのでしょうね。
後二回の涙?何時出るのでしょう?年をとるにつき重荷にも感じているのですが、長年の約束事「自分」が死ぬ時は涙は出せませんので一回で終わって欲しいと最近は考えています。「うつ」は闘争心が無く成ると起こるでしょう。
酷い教科書が手に入りました。えんだんじさんが「書いたら」の一言がものすごいプレッシャ―高校時代の追試験を受ける感じです。」

えんだんじから猪さんへ
「年をとると涙もろくなるのは、涙腺のしまりが年をとるとゆるくなると言うか、しまりがなくなるせいだと医学的に証明されていると私は聞いています。だから私は、いまは無理しません。映画など見て泣きたい場面があれば、平気で涙を流します。私の一言が随分プレッシャーを与えたようで失礼しました。」
引用終了

引用開始
たつやさんのコメント
「野菊の墓」で政夫が民子の死去を知らされたのは,寄宿舎住まいだった旧制中学の時だったと思います。
なんでも「毛唐のまね」をすればよいという価値観のしからしむる流れでしょうか。
「男泣きになく」も死語になったようです。「兼続」は「女子供」受けを狙った訳ですが,
今や「国民総『女子供』化」ですね。
えんだんじからたつやさんへ
「たつや様
そうでしたか。旧制中学生でしたか。失礼しました。
確かに「男泣きになく」など死後になってしまいましたねぇ。
一億総女子供化には同意です。
引用終了
上記の猪さんは、元軍人でこの時期、自宅で療養中で、外出しても2,3時間が限度で自宅に戻らなければならない状態だった。しかしえんだんじさんの出版記念パーティーの時は、必ず俺を招待してくれ、俺は車イス使ってでも行くからと言っていたのだ。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」のお蔭で、沢山の元軍人ファンがいた。多くの彼らが私に投書してくれた。彼らのほとんどがこの本を絶賛してくれた。「よくぞ、この本を書いてくれた。」と言ってくれたのだ。しかしほとんどが、私が書いた「えんだんじ・戦後昭和に一匹狼」も「戦後昭和の女性たち」もどれもさしあげるまでもなく亡くなっていた。残念、無念、なんのお礼もできず、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を読んでくださって本当にありがとうございました。皆様方の上記本に関する投書は全部大事にとってありますので、いずれ時期を見て公表したいと思っています。

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