By えんだんじ ( 5月 19, 2012 at 7:09 AM) · Filed under エッセイ

私は、熱狂的なマリリン・モンローのファン。我が家にはモンロー全作品のビデオがある。その私が、こういうタイトルの映画が公開されると聞いただけで、なにがなんでも見にゆかなくてはという気分になってしまいます。映画、サッチャーの役を演じたのがメリル・ストリープなのだが、マリリン・モンローを演じたのがミシェル・ウィリアムズ。ミシェル・ウィリアムズと言って誰だかわかる人?私みたいにもう70歳も過ぎた男どもは、心に若さを失っているせいかもう映画を見に映画館に足を運ぶこともめったにない。彼らは街に出れば、さっそうと加齢臭を風になびかせ、どぶねずみ色の洋服を着て、うつむきかげんにとぼとぼと歩き、そばを美人が通りすぎても振り向くこともない。しかし酒席の時は、皆元気いっぱいだ。政治や歴史などの堅い話ばかりが延々と長く続く、感心するくらい長く続くのだ。話題が変わったなと思ったら病気の話。もう女性の話が出ることもない、話を元にもどしましょう。
ミシェル・ウィリアムズは、現在31歳、映画女優としてはまだ若手の部類かな。しかし芸暦は古い、14歳の時子役で「名犬ラッシー」に出演している。私は思いだせないが、思い出せる人もいるいでしょう。私がミシェル・ウィリアムズを見たのは、2010年の作品「ブルーバレンタイン」です。夫婦の絆が壊れていく暗い映画だった。この映画で彼女は、その年のアカデミー賞主演女優賞にノミネートされています。ミシェル・ウィリアムズは、背格好は確かにモンローに似ている。モンローに似ているのはそこだけです。その彼女がモンロー役を演じているというのですからから驚きです。日本公開前の雑誌ニューズウイークの記事をそのまま借用するとこう書いています。
「ミシェル・ウィリアムズにとって、『映画マリリン7日間の恋』でマリリン・モンローを演じるのは家を一軒建てるようなものだった。まず基礎づくり。モンローの映画をひたすらみた。次にモンロー自筆の文章や手紙を片っ端から読んだ。長いインタビューをダウンロードして何ヶ月もiPodで聞いた。
次にモンロー独特の、お尻をくねくねと振る歩き方。『顔は上を向いていて、胸骨には風船が付いているみたい。背中はアーチのように反って、あからさまな言い方だけど、後ろからセックスしてと誘っているみたい』とウィリアムズは言う。
『お尻には傾斜を付けて、前からでも後ろからでも見てちょうだいって感じで歩くの』」
このように書かれたんじゃますます見にゆきたくなり公開が待ち遠しかった。さらにニューズウイークは、こうも書いていました。少し長いが全文披露しましょう。
「ウィリアムズは、自分はモンローにまるで似ていないと思っている。『自分の顔をこんなに鏡を見たのは初めて、私の唇は彼女のものよりとんがってる。だから、そうみえないようにしたの。』彼女はモンローをまねるのではなく、その魂をつかまえようとした。毎朝、メーキャップ用の椅子に3時間半も座り、眉を少しだけ長くするなど、細部に修正を加えた。官能的な体形に近づけるため、体重をわずかながら増やした。髪の毛のかつらの色に合うよう、数日おきに脱色した。
『モンロー役をやっていると女神のような気持ちになるのではと思うかもしれない』と、ウィリアムズは言う。『でも毎日メークを落として顔を洗うと、鏡の中にフランケンシュタインがいるような気がした』
家に帰るとき、車の中で泣くこともあった。『モンローの悲しみをどう理解したのかと聞かれたけど、知らない人のためにこんなに泣いたのは初めて』
ウィリアムズはモンローを完璧に再現したが、それは三つの人格との格闘だった。まずスターのマリリン。カメラ好きな華やかなセレブだ。内気なウィリアムズにはこれが最も難しかった。次に劇中の映画でモンロー演じる踊り子エルシーだ。
そして最後に真実のモンロー。孤独の中で迷い、不安から薬物を常用するノーマ・ジーン・ベーカーだ。『三つの人格を分けて演じるべきかもしれないと思ったけれど、三つとも一人に人間なんだと気付いた』、『ほかの役と違って、マリリンとは別れる必要がない、彼女は私の一部になった。忘れることなんてできない』とウィリアムズは言う。
こうしてモンローを演じたミシェル・ウィリアムズは、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。しかし賞の受賞は、サッチャー映画のサッチャー役を演じたメリル・ストリープに持ってゆかれた。残念としかいいようがない。こんな予備知識を持って私は、映画館に足を運んだ。映画が始まって、スクリーン上にモンローが最初に現れる場面を私はわくわくする気持ちで待ち構えていた。ロンドンの飛行場で飛行機のタラップからサングラスをかけて夫で脚本家のアーサーミラーと一緒に降りてくる姿、これは望遠レンズでみているようなものだから、彼女の姿がはっきりしていない。次の場面が沢山の記者やカメラマンにかこまれての記者会見で、ウィリアムズのマリリン・モンローがアップで画面に登場した。顔は確かにモンローに似ているがそっくりさんではない。しかしウィリアムズのモンローの細部へのこだわりは生半可ではない。モンローの話しぶり、身振りやジェスチャー、体全体から伝わるモンローのオーラ。お見事の一言につきる。正真正銘のマリリン・モンローがそこにいるではないか。私は、若い頃にもどってモンローと再会した気分になっていた。隣に座っていた女房が言うには、映画が終わるまで私の顔が崩れっぱなしだったと、さもありなんと言ったところだ。
映画のストーリーは、私にはどうでもいいことだったが、一応読者に簡単に話しておきましょう。モンロー作品の中に「踊り子」という映画があります。この撮影は全部イギリスで行われました。そこでモンローはイギリスにくるわけですが、監督とうまがあわず、スタッフともしっくりいかない、一緒に来た夫のアーサーミラーとは夫婦喧嘩になってアメリカに帰ってしまった。そんな情緒不安定なモンローに、影になって彼女を支えてくれたのが、当時映画会社に入社したばかりで雑役をまかされていた青年です。その青年との淡い恋におちいるという話です。その二人のシーンの中でモンローは泣かせるセリフを一つ吐いている。モンローのベッドルームには、母親の写真が飾ってある。これは別にめずらしくもないあたりまえなのだが、その写真のとなりにリンカーン大統領の写真も飾ってあるのだ。その理由を彼氏に尋ねられると、「私は母と娘のたった二人の家族。その私は、父親が誰だかわからないの。それで自分で私の父親はリンカーン大統領と決めたの。以来母の写真と一緒なの」と言うのだ。薄幸の少女時代を知っている私には、泣かせるセリフです。この映画の見所は、ストーリーではなく、ウィリアムズのモンローぶりです。エルシーという踊り子役をするのですが、そのエルシーが、ちょっとコミカルな振り付けで歌いながら踊るシーンがあるのですが、このシーンは絶品です。まさにモンローそのものです。久しぶりに楽しい二時間弱を過ごせた。この映画、サッチャーの映画が公開されていた頃に公開されていたが、気づかなかったかった人も多いのではないでしょうか。もう少したてばビデオ屋に現れるでしょう。私と同年輩の男性諸君、あなた方は、若い頃かならずモンローの映画を見ているはずです。この際、ミシェル・ウィリアムズのモンローぶりを見てみませんか。年をとるととかく感動することが少なくなります。美人女優を見て感動しましょう。モンローは自分好みのタイプじゃないと言うなら別ですけど。
私はモンローファンでつくづくよかったと思っています。何故なら彼女は36歳の女盛りで死んでくれたからです。若いときどんなきれいな女優に夢中になっても、自分が年をとり、その女優の年老いた姿をみたら、その時点で彼女への想いが終わってしまいます。私はかって松坂慶子に夢中になった。追っかけをしたいくらいだった。その彼女は、もうダメです。太っちゃって見る影もない。もう松坂慶子への想いなどどこかに吹っ飛んでしまいました。そこえいくと、モンローは違います。年老いたモンローは見ていないし、これからも見ることもない。私の心には、モンローの若い頃しかの思い出だけしかない。従ってモンローを見れば自分の若い頃を思いだし、心が若返ることができるのだ。まさにマリリン・モンロー万歳の気分なのだ。
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By えんだんじ ( 5月 5, 2012 at 7:51 AM) · Filed under エッセイ

貧乏若夫婦、5年でまとまったお金をつくるには
大東亜戦争終結時(1945年)私は7歳、小学校一年生だった。両親と私と妹二人の家族は、川崎に住んでいた。米軍の無差別空爆で全財産焼失。戦前から結核を患っていた父は、戦時中の無理がたたって重症。終戦直後に強制入院。結核菌をばら撒き人に感染させるからです。戦後の大混乱時代、働き手がいない我が家は極貧状態。現在の若い人には想像できない極貧状態だ。それでも私は県立高校に入った。母が一人息子の私にかける気持ちは充分に理解していた。高校入学してから、小学一年から母の苦労を見てきた私は、もう母の苦労を見るのがつらくしのびがたかった。「よーし、俺が働く」と大学進学をあきらめ高卒後働きだした。それ以来およそ45年反乱万丈の人生だった。
現在ワーキングプアと言って、一生懸命働いてもなかなか生活にゆとりがなく貧乏状態が続いている若者が多いいと聞いています。貧乏を脱出するにはできるだけ若い方が良い。30代のうちに脱出すべきだと思う。体力に自信のある人だったら人の3倍働くことだ、私は体力に自信がないので期限を区切って徹底的に社会の中の孤立化を選択した。時代が違うので、この方法が現代でも通用するかどうかわかりません。しかし参考になるのではないかと思い、私の体験を語らせてもらいました。
以下は私の体験談です。
俺は26歳の時結婚した。結婚した時、女房は妊娠四ヶ月だった。いわゆる「できちゃった婚」だった。二人の結婚には俺の両親は反対、女房の母親(母子家庭)も反対。俺は自分が惚れた女と結婚してなにが悪い、結婚式は自分の金で挙げるから、出席したくなければ出席しなくてもかまわないで押し通した。公共施設を利用して、ささやかすぎるほどの結婚式をあげた。俺の両親、妹、身内は式に参加した。女房の身内は誰一人参加しなかった。理由があった。ここではそれを書く目的ではないので省きます。
結婚式の費用を払い、生活必需品の冷蔵庫と電気洗濯機を買い、お産の費用を除くと二人の貯金がほとんど底をつきかけていた。俺は独身の時、株式投資を少しかじっていた。株式投資を本格的にやって儲けたい。それにはまとまった金がほしい。貯金だけにたよっていてはらちがあかない。もっと毎月の貯金を増やすにはどうしたらよいか。当時は乳幼児をあずかるどころか、保育園すらほとんどなかったのだ。5歳から通える幼稚園はあった。最低少なくとも5年間女房は働けない。そこで俺が貯金を大幅に増やすために考えたのが、二つの方法です。一つはこれは誰でもやれることだ、自分の収入よりはるか下の水準の暮らしをすることです。そこで6畳一間のボロアパートを借りた。風呂なし。トイレと台所はあった。台所は狭く冷蔵庫を置くと、冷蔵庫の半分近くが6畳の部屋にはみだしていた。洗濯機は外のベランダに置いた。冬の洗濯は寒いのだ。
二つ目は、5年間徹底して社会の中で孤立すること。すなわち社会的つきあいを一切絶つことだ。ほとんどの場合、つき合いには金がかかるからです。社会的つきあいを一切絶つといういくつかの例をあげましょう。まず私は会社での同僚とのつきあいを絶った。夜のつき合いを絶った。昼食はいつも同僚と一緒にしていたが、結婚してからは女房に毎日弁当を作らせ会社で一人で食べた。忘年会なども費用全部会社もちでなければ参加しなかった。同僚が会社をやめての送別会にも出席しなかった。要するに同僚とは金のかかるつきあいはすべて絶ったのです。そのやり方があまりにも徹底していたため、当時の俺は、会社では変わり者と言われていたことにはまちがいない。俺は同僚には金を作るためにつきあいを辞めるのだと公言していたし、金をためてなにをすると聞かれた時、株を買ってもうけるのだとはっきり公言した。こうして俺の少ない個人的な友達とも交際を絶った。勿論5年間だけの期限付きと宣言していた。
俺は妻にも同じ事を要求した。つきあいをやめるのは5年間だけだ。五年たつと子供が幼稚園に入る。みなと同じようなつきあいをしていかないと子供がかわいそうだ。貧乏脱出にはこの5年間を撤退的利用しなければだめだ。だから五年間だけがまんしろ。その間に株でもうけるから、マンション買う頭金ぐらい儲けるからと説得した。妻も貧乏人の出、それに家出もしているから背水の陣、積極的に承諾した。妻の身内は、結婚式に出席しなかったから問題は生じなかったが、問題はおれの両親、特に母が問題だった。俺は妹も両親とも5年間はつきあいをやめた。私が実家に行ったり、母が私のアパート来たりするとお金がかかるからです。絶縁のような状態は、金を作るための5年間だけだと言っても理解はしてくれなかった。「あまりにも非常識だ」、「お前がこんな薄情な子供とは知らなかった」などとも言われた。
私の決心は変らなかった。半年後子供が生まれる予定でしたが、一番の問題は、母乳が出るかどうかだった。当時は人工ミルクが全盛で、馬鹿げたことに人工ミルクは子供の頭を良くするなどと言われていた。俺は女房に、「お前に母乳が出ないと、赤ちゃんは餓死することになる。我が家の家計にはミルク代の予算はない。母乳が出るあらゆる努力をしろ」と言ってやった。女房も必死だった。本屋で立ち読みしては、母乳の出る方法や母乳が出る食べ物などを学んできた。妊娠後期にもなると黒ずんだ乳首を女房が一生懸命しぼるようにしていた。乳首の先端から水分みたいのがにじみ出てきた。女房に言わせると。乳腺を刺激して赤ちゃんがおっぱいを吸いやすいように線をつけとくのだと言っていた。
俺は女房に母乳が出なければ人工ミルクがあると安易に考えるのを恐れ、「母乳が出なければ、生まれてくる赤ちゃんは餓死。我が家の家計にミルクの予算はなし」と何度も口にした。女房もその言葉を何度も聞かされると、なんと白状な夫と考えてしまうのだろう。「一度言えばわかります。何度も言わないでください」とえらいけんまくで俺にくってかかってきたことがあった。あの時の俺は、まさに守銭奴だった。自分で何度も5年間だけの守銭奴と言い聞かせては、徹底して守銭奴を押し通した。とにかく金が出ていくことを極端にきらった。出産後女房の努力が実ったのでしょう、おっぱいがわき出るようによく出た。あまり出過ぎるため、毎夜女房は台所で自分の乳をしぼっては捨てていた。あるときその乳を飲んでみたが、おいしものではなかった。ただ温度は、一定していてさすがは天の采配と感心したことを覚えています。
退院後、赤ちゃんは毎日風呂に入れなければなりません。自宅に風呂がないから風呂屋に行かなければなりません。女房は怖くて一人で風呂屋の風呂に入れられないと言う。赤ちゃんの首がぐらぐらして固定していないからです。つきあいを絶っているので母に手伝いに来てくれとも言えないし、来たところで6畳一間のアパートでは母の寝る場所もほとんどない。そこで俺が毎晩会社から帰宅すると、6畳の一間の真ん中にビニール製のござを敷き、その上にたらいを置き、その中にお湯を入れ、一人が両手で赤ちゃんを抱いて湯につけ、もう一人が赤ちゃんの体を洗う。これを毎晩くりかえし、三、四ヶ月ぐらいたつとあかちゃんの首が座ってくる。そのころになると妻は、安心して赤ちゃんを風呂屋につれていくようになりました。こうして世間から遮断されたような親子三人になって、私はますます金作りにはげんだ。その頃コンビニなどなかった。八百屋さん、魚屋さん、肉屋さんなどいろいろな個人店が多かった。そこで毎夕妻は、一軒一軒の店をまわり少しでも安いもの買ってきて晩御飯の支度をした。私はタバコは無論、あまり飲むほうでなかったが酒もたった。無論自分のお金で買うことを絶っただけで、他人からのおごり、例えば上司のおごりの時には、タバコも酒も遠慮なくいただいた。
こういう経験したせいか現在ホームレスや生活保護を受けている人間が、タバコすったり、酒をのんだりしているのを見ると腹がたってきます。5年の間俺は女房や子供をどこへも遊びにつれていっていません。映画を見るどころかテレビも家になかった。6畳一間ではテレビの置く場所さえなかった。電車の行き帰りや休みの日は、英語の勉強をしていたので、時々英語関係の本を買う以外、小遣いは全く必要なかった。それでも財布には毎日一万円さつが一枚入っていた。男として万一恥じをかかないため、使うことのない予備費です。
そんな時俺は一瞬総会屋になろうと思った。きっかけは、誰が書いたか名前を忘れてしまったが、ある総会屋が書いた「総会屋一代記」という本を読んだのです。数々の株主総会をとりしきった経験が書いてありました。面白かった。それを読んだ俺は、「俺も総会屋になろう」と考えたのです。当時、総会屋は暗いイメイジはありましたが、現在のように暴力団のようなイメイジはありませんでした。本の最後には、著者である総会屋の住所が書いてありました。東京の市ヶ谷でした。俺は市ヶ谷の自宅へ伺って彼の弟子にしてもらうつもりでいた。総会屋は市ヶ谷のちょっと洒落た家に住んでいた。俺は彼の家の門の前をいったりきたりして入ろうかどうか躊躇していました。意を決して家に入っていった。奥さんらしき人が現れた。
「私はえんだんじと申しますが、先生の書かれた本を読み、感銘を受けましたので、弟子にしてもらいたい思い、本日参上いたしました。先生はご在宅でしょうか」とこんなような言葉をかけました。
すると奥さんは、「主人はいま出張中で一週間ぐらい帰って来ません」という返事でした。
「それではまた一週間後に来ます」と答えて辞去しました。俺の思いつきの考えで出た行動ですから、一回で目的を達せなければあきらめに変ってしまいます。二度と総会屋になろうと考えませんでした。
あの時総会屋の本人が在宅していて、俺が総会屋の弟子なっていたら、また違った人生を送っていたかもしれません。人生は出会いともいいますが、そういう面は多々ありますね。
俺の月給よりはるかに低い水準での6畳一間の生活、徹底したつき合いの排除で、毎月かなりの額の貯金ができた。毎月証券会社で割引債券を買い続け、たまると株式投資に変えていきました。こんな守銭奴のような生活していても子供三人つくる計画は変えませんでした。現在でもそうかもしれませんが、当時はネコも杓子も、子供は一人か二人、三人というのがめずらしかった。子供好きな面もあったかかも知れませんが、俺には天邪鬼のところがあった皆と同じということをあまり好みません。だから結婚した時から、子供三人と決めていました。
二年後に次女が産まれました。6畳一間に4人はさすがにせまい。それでも次女を押入れの下に寝かせて過ごした。世間から隔離されたみたいな親子4人だけの生活。誰も我が家に訪れる者なし、親子そろってどこへも出かけない、出かけるところはいつもの小さな公園。公園では俺は長女と思いっきり遊んでやった。子供とは一銭もかけなくても充分遊ぶことができるのです。こんな閉ざされたような生活に女房はよく協力してくれた。女房は、食糧、衣料等あらゆる物を一円でも安いものを求め、バス亭の一駅や二駅を歩きとおすのは日常茶飯事でした。女房も貧乏出だから協力できた面もあったでしょう。
とうとう長女が保育園に入る日がやってきました。待望の5年が経ったのです。女房との約束どおりつき合いを正常にもどし、常識的な家庭にもどりました。そしてすぐ女房は三人目を妊娠しました。もう6畳一間で親子五人は暮らせません。2LDKの新築の一戸建て借家に引越したのです。女房は喜んだ。今考えて見ると俺の経済基盤は、新婚およそ6年ぐらいの間にできたような気がします。日本は高度経済成長ひた走り、月給も増えたが、株もあがった。新築の一軒家に引っ越してから三、四年間で3LDKのマンションをついに買った。ついに順風満帆の人生がやってきたかと思った。しかし今まで以上の波乱万丈の人生が待ち構えていたのだ。
以上が体験談です。最後にアドバイスしたいことがあります。現在、経済的に苦しんでいる若い人よ、現在の貧乏を決して時代のせいや、社会のせい、国家のせいなどと他人のせいなどにするな。恵まれた人をうらやむな。自分がはいあがる努力しなくて、誰がそれをやってくれるのですか。
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By えんだんじ ( 4月 21, 2012 at 8:17 AM) · Filed under エッセイ

保育園育ち
現在日本政府や大都市の地方自治体は、保育園に入園するための待機児童が一人もいなくなるように保育園数を増やすために懸命です。女性の社会的進出の欲望、貧困化、それに応える形での保育園の増加、少子化傾向が続いているいため、いずれ日本中どこでも待機児童もなくいつでも保育園に入園できるのも時間の問題でしょう。私に言わせれば、これはまさに国家的規模で行われている日本民族劣化推進政策以外のなにものでもありません。しかしだからと言って保育園が我々の日常生活に密接に結びついているため、保育園を拒否して生活は営めません。だからこそ保育園教育のどういうところに欠陥があるのか指摘し、その対策を講じなければいけないのではないでしょうか。幼児教育は、大人なってから学ぶ能力開発とか資格を獲得するための教育などとは比較にならないほどの重要です。幼児教育は人によっては生涯にわたって深い影響を及ぼし、大人になってから容易に変更などできません。幼児教育に失敗したら、ほとんど取り返しがつかないし、その子供にとっても親にとっても不幸としかいいようがありません。「幼児教育と脳」という本を書かれた澤口俊之氏は、0歳から8歳までは母親は家にいるべしなどと発言しています。
どうしても保育園が必要な家庭の事情もある人もいるでしょう。しかし多くの人は、保育園にあずけるのが当たり前の感覚になっているのではないでしょうか。幼児教育などという堅苦しい言葉を使いましたが。もっとくだけた話をしましょう。今から50年前までの主婦は、ほとんど専業主婦、だから自分の子供には一年中毎日24時間たっぷり母親の愛情をそそげることができました。ところが現在の主婦は一年中毎日どころか一週間のうち休日の24時間しか母親の愛情をそそげることしかできないのです。どちらが子供にとって良いか悪いかは誰でもわかるでしょう。だからと言って私は、女性の社会的進出に猛反対しているわけではありません。保育園には欠陥があります。その意識すらもなくただやみくもに保育園に入れてしまえばそれでいいという安易な気持ちが恐いしまたそれを非難しているのです。保育園の欠陥を意識すれば、親の心構えも違ってくるでしょうから、まずその欠陥を列挙しましょう。
1.子供は親が育てるもの。
現在は子供が生まれれば保育園に預けるのが、ごく当たり前のようなってしまったため、どうかすると今の若い両親は、子供は保育園が育ててくれるものと思い込んでいると言っても過言ではないような気がします。保母さんは、母親にはなれません。子供は親が育てなければいけないのだが、経済的事情とか、女性の社会的進出の願望の強さとが合い重なって止むを得ず保育園にあずけるのだという意識を持ってもらいたい。このやむを得ず子供の保育園にあずけるのだの意識が薄いため、子供に申し訳ないという気持ちもわかず、その結果として無意識のうちに自分の子供の子育て責任が薄くなり、さらにひどくなると子育て責任を感じなくなってしまうのです 恐ろしいことです。保育園というものは、大人にとっては便利なもので利用価値はありますが、子供にとっては残酷なものなのです。幼児がもし言葉がしゃべれたら、「ママのそばがいい、保育園はいやだ。」と言うに違いありません。皆さん、そう思いませんか。こういうことを心底意識して保育園に入れるのと、こんなことも意識せず、ただ自動的に子供を保育園に入れるのとでは、幼児教育に大変な差が出るのです。
2.母性愛の減少。
胎児はおよそ10ヶ月と10日間母親の体内にいます。10ヶ月と10日が母性愛の育まれる直接の原因にもなるわけです。この期間で父性愛は、母性愛に決定的な差をつけられのですが、しかし母性愛は、この10ヶ月と10間だけでは不十分なのです。赤ちゃん誕生後、昔の母親は、一年365日何年間も手塩にかけて育てていくからこそ母性愛がさらに、さらに強くなっていくのです。昔から世話のやける子は、可愛いといいますが、それだけ母親が面倒みなければなりません。それがまた愛情を産みさらに母性愛が深まるからです。現在の母親は、保育園入園後、休日だけしか手塩にかけないのですから当然母性愛が薄くなるのは皆さんも理解できると思います。昔の人は母性愛が強いから進んで子供の犠牲になろうとします。しかし現在の母親は、子供の犠牲になるのを好みません。子供を手塩にかけて育てる時間が少なすぎて母性愛が強まらないからです。保育園の存在が母性愛の減少を生むのですが、その傾向にさらに拍車をかけるものがあります。戦前の日本人には弱く、戦後の日本人に強くなったもの、すなわち個人の権利の主張です。個人の権利の主張もけっこうだが度がすぎると我がままになります。ただでさえ母性愛の減少に、個人の権利の主張が加わりますから、現在の親は、子供の犠牲になるのを好まないどころか、親が平然と自分の子供を親の犠牲にしてしまうのです。このことが幼児や児童を平気で虐待する原因の一つにもなっているのです。親の児童虐待について皆さんに話したいことは、私が子育てしていた頃には、親の幼児、児童虐待などはほとんどありませんでした。あったとしてもそれは大ニュースになったのです。ところが現在は親の児童虐待は日常茶飯事。なぜかその傾向を探ってみると、保育園育ちの男女が大人になって子供を生むようになってから急激に増えた現象なのです。これは私の年代だからこそ言える事柄なのです。
3.親の責任感の欠如
およそ50年前まで続いた専業主婦時代には、保育園などという発想そのものがありませんでした。そのため親が子育てをしなかったら、誰がやるのかと親の責任感が生まれてくるし、責任感も強くなります。しかし現在のように誰も自動的に保育園にあずけるとなるとどうしても親の責任感が薄れてくるものです。最近大阪市で2児の虐待死事件が起きた。24歳の母親は、長女(3歳)と長男(1歳)が衰弱しているのを知っていながらごみと糞尿が散乱する部屋に置き去りにし外出し帰宅しなかった。このまま必要な食事を与えなければ死亡するとわかりながら、帰宅せず餓死させて殺害してしまったのだ。今流行りのと言わなければならいほど繰り返される「育児放棄」です。あまりにも残酷と懲役30年の判決が下された。「育児放棄」は親の責任放棄と言っても過言ではありません。動物にも劣る人間の父親、母親の続出です。人間社会も落ちぶれたものになってしまいました。
4.過保護
保育園は動物園と同じです。動物園に飼われる動物は、お客さんに見せる商品です。従って動物たちをケガさせたり、病気にかからせるわけにいきません。大事に大切に飼われます。動物どうしでけんかすれば檻を変えて引き離されます。保育園の園児も全く同じように飼われるようなものと言っても言いすぎではないでしょう。病気している園児を預かることはしませんから、保育園にとって一番怖いのは、園児にケガさせることでしょう。園児に度々ケガさせると保育園の悪評になりかねません。幼児どうしのけんかがあってもすぐ引き離されてしまう。動物園の檻の中のけんかと同じです。幼児にも持って生まれた幼児なりの闘争心の芽が摘み取られてしまうのだ。私は男だから、園児の男の子をみると可哀そうでなりません。男の子は、女の子と比べて遊び方が荒っぽいのが当たり前なのです。私が子供の頃は、外に出れば私と同じような年齢の子、少し年上の子、少し年下の子、いわゆる不特定多数の男の子があつまり、女の子が決してしない荒っぽい遊びを親の監視ぬきで遊ぶ子供の世界があった。現在の子は男も女も、子供の世界を体験することなく大人になってしまうのです。そのため園児は無意識のうちに過保護に育てられてきたことを大人になってもわからないのです。
幼児教育は、専業主婦にはかないません。そして保育園には上記のような欠陥を伴うのです。そのことを社会全体で無視していると言っても過言ではありません。私は学校でセックスを教えるなら、教室で自分たちが保育園で育てられた過程にはこういう欠点がありますと、それこそ公民教科書で教えるべきではないかと考えております。保育園で育てられてきたからこそ、早い段階で母親、父親への自覚を教育することが大切だと思うのです。
ところで話はがらりと変わりますが、最近話題の本を紹介しましょう。「女性宰相待望論」(自由社)です。今世紀は女性の世紀。もうそろそろ日本にも女性の首相が誕生してもおかしくありません。日本で女性首相が誕生するなら、この9人の女性代議士の中から間違いなく出るだろう。選ばれた9人の女性代議士のインタビュー本です。何故私は、この9人の中に選ばれなかったのかとカリカリしている女性代議士もいるらしいです。選ばれたこの9人、けっこう皆さん日本のために仕事していますね。時間があればちょっと読んでみるのもおもしろいですよ。
次回は二週間後の5月5日に(その4)を掲載します。話題は「貧乏若夫婦、5年でまとまったお金をつくるには」です。引き続き読んでいただければと思っています。
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By えんだんじ ( 4月 7, 2012 at 7:56 AM) · Filed under エッセイ

読者の身内に若い女性がいれば、ぜひこのブログを見せてほしいと思います。このブログの転載、拡散を歓迎します。
選択的夫婦別姓
現在、民主党政権は、選択的夫婦別姓制度を柱とする民放改正案を成立させようと計画しています。現行民法は、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」(750条)とあります。すなわち姓の選択の自由は女性にも認められ、法律上での平等がきちんと実現しているのです。それでも夫婦別姓を主張する人たちがいるのは、三つの理由があるからだと思います。
1.法的には男女平等になっていても、現実には男性優位になっていると、左翼の女性やキャリアウーマンとして成功している女性の中には、そのことを極端に嫌う人たちがいます。例えば前法相の千葉景子は「法律には『どちらの姓でもいい』となっていながら何で98%も女性が変えざるを得ないのか。それも本当は問題だと語り、社民党党首福島瑞穂は、「私は男の人と女の人が半分ずつぐらい変えていたらこれほど違和感を感じなかった」(明日への選択、平成22年4月号)と言っています。実際には女性の社会的進出増につれて夫が改姓する割合が増えている現実を無視しているのです。それに法的に女性の姓を名乗れるようになっているのですから、たまたま男性の姓の方が多いいと文句を言ってみたところではたがとやかく言えるすじあいのもではないはずです。この二人は強力な夫婦別姓推進者です。
2.結婚後改姓によって職業上不便が生じる。
これは充分あり得る話ですし、理解できます。昨年結婚した私の姪は、仕事では旧姓を使い続けると言っています。自民党議員、高市早苗氏も旧姓で議員を続けている女性です。旧姓使用の現実生活について、彼女はこう語っています。「パスポートについては、併記が可能で、私のパスポートには、『ヤマモト(タカイチ)サナエ』と記載されていますが、運転免許証、健康保険証、印鑑証明は『山本早苗』と戸籍名のみで発行されています。」(明日への選択、4月号)彼女は、結婚前の旧姓をどうしても通称使用したいかたは、現在の戸籍に「旧姓通称使用の届出」の一行を加えるだけでの法改正で済むことと主張していますが、私も全く同感、賛成です。
3.家族軽視。
夫婦別姓支持者は、「家族軽視」などとは絶対に言いません。東北大震災で、家族の絆の強さが改めて強く認識されているからです。そんな時に家族崩壊をもくろむなど絶対に言えません。そこで表向きには(1)や(2)の理由をあげながら選択的夫婦別姓を主張しているのです。なぜ夫婦別姓が家族の崩壊につながる原因になるか説明しましょう。夫婦別姓も夫婦二人だけならあまり問題はないでしょう。しかし子供が産まれたら妻の姓にするのか、夫の姓にするのか決めなければなりません。子供の姓選びで夫婦げんかしないよう第一子を妻の姓、第二子を夫の姓としましょう。夫婦で姓も違い子供(兄弟姉妹)同士でも姓が違うのです。三番目が生まれたら、その子の姓はどちらを選ぶのでしょうか。これでは家族の絆は弱まることがあっても強まることはありません。妻の姓をAとしましょう、夫の姓をBとしましょう。夫(B)が先に死にました。妻(A)は、自分が死んだら当然夫のお墓に入ろうと思っていました。ところが夫の親族が反対しました。夫婦別姓を選んだのだからB家の先祖のお墓に姓の違う人は入れられませんと断られました。妻は自分のA家のお墓に入ることに決めました。子供たちは、お墓参りのとき、二箇所のお墓に行かなければなりません。両親のお墓がお互い近ければ問題ありませんが、遠ければ一日では無理です。結局母の姓を名乗った子供は、母親の墓参り、父親の姓を名乗った子供は父親の墓参り、これでは家族の絆は弱まるばかりです。そう思いませんか。少なくとも夫婦同姓には、家族の姓を決め、家族の絆を強める目的があります。夫婦別姓の目的はなんですか。何もありません。ただ自分の姓を主張したいだけの話でしょう。彼らの主張はナンセンスです。夫婦別姓を主張する人たちが、あまり表沙汰にしないで隠していることが二つあります。
(1)「選択的」夫婦別姓という呼び名
この「選択的」という言葉が曲者なのです。「選択的」と言うといかにも「同姓が否定されているわけではない」とか「夫婦別姓は選択肢の拡大に過ぎない」とか言って同姓派が反対する理由がないと吹聴していますが、これは恐るべき詭弁です。いいですか、夫婦は同姓ということは生まれてくる子供のことを考えて家族全員が同姓を使用すること、すなわち家族の姓、家族全体の姓なのです。夫婦同姓は、即ち家族を考えての性なのです。それに対して夫婦別姓は、家族のことを考えていません、あくまでも個人の姓で家族の姓ではないのです。従って親子で姓がちがうのは当然です。従って私のような夫婦同姓派は、家族としての姓に意味合いがなくなってしまうから、いくら選択的と言っても夫婦別姓など賛成できないのです。
(2)婚外子に相続権を認める
最初に触れましたように民主党政権は、選択的夫婦別姓を柱とする民法改正案を国会に提出しようとしていますが、あくまでも夫婦別姓は民法改正の中の一つなのです。その民放改正の中で選択的夫婦別姓と同じように女性にとって非常に関心がある事が改正案の中に入っていることです。現在の法律では、夫が妻以外の女性との間で生んだ子供(婚外子)には、夫の死後の財産相続権はありません。それを改正して婚外子にも実子と同等の相続権を与えようというのです。皆さんは、この改正に賛成しますか。夫婦二人で一生懸命働いて、それなりの財産を築き、夫の死後、夫に隠し子がいたことがわかりました。その隠し子が実子と同じ相続権を持つのですよ。「生まれた子供には罪はないから」しょうがいなわ、と言って同意できますか。こんなことが許されたら金持ちの夫は、若い女性にもてるようになります。子供を生んだらこっちのものだと。
選択的夫婦別姓を主張している人たちは、この民放改正にも賛成しているのです。ここでも彼らは、ある意味家族の崩壊を狙っているとも言えます。千葉景子は法務大臣の時、こう言っています。「結婚届けを出していようが、いまいが、女性がいて男性がいて、そこに子供がいれば、子供は本来同じ権利を保障されるべきです。それが婚外子差別の問題につながるわけです」(明日への選択 3月号)千葉景子は、結婚届など完全に無視し、彼女の頭の中には家族という認識が一切ないのです。夫婦別姓推進者は家族という共同体を一切認識しようとしないのだ。だから婚外子も家族の一員にしろと主張しているようなものです。そのうちに婚外子も同じ家に住む権利があると言い出すでしょう。
夫婦別姓の問題は、最近話題になったのではありません。数年前からありました。数年前のある日、私は、女房に「お前は、夫婦別姓についてどう思う」と問いかけました。その時彼女は、「私はあなたの姓が名乗れるのがうれしかったけど」となんのてらいもなく答えたものです。私の女房はもう年で昔の可愛げのある容姿は衰えましたが、年に似合わずこういう可愛げのあるセリフがよく出たものだと感動したのを思い出します。千葉景子や福島瑞穂に聞かせたい言葉じゃないですか。そこで皆さんに質問があります。こういう言葉を吐く女性を、皆さんはどう思われますか。こんな古臭いセリフを吐く女性がまだいるのかと軽蔑しますか、軽蔑とまでいかなくてもちょっと古すぎると考えますか、あなたがたが結婚する時、彼氏の名前を名乗れるのがうれしいと、そこまで考えることはないと思いますか。実は現代の若い女性も、私の女房のような考えもつことを知って、私はまだ日本の将来はすてたものではないと少し安心しています。実は、厚労省が平成18年度に婚姻に関する統計を発表しています。その世論調査によると姓が変わったことで「新たな人生が始まるような喜びを感じると思う」が(47.1%)最も高く、次に「相手と一体となったような喜びを感じると思う」が30.2%と続いています。「いままでの自分が失われてしまったような感じを持つと思う」がわずか9.9%に過ぎません。私に言わせれば皆さん方は、姓についてはまだまだ健全な考えかたをしていると安心しています。結婚し姓を決める時は、単に夫婦がどちらの姓に統一するのかを決めるのではなく家族の姓を決めるのだということを強く認識してもらいたいと思います。家族皆同じ屋根の下に住みながら、夫婦で姓が違い、親子で姓が違い、子供どうしで姓が違っては家族の絆が強まるどころかバラバラになる傾向になっていくことはさけられないでしょう。民主党政権は、擬似共産党政権です。彼らは、堂々と公表することなく隠れてあるいは表現をぼかして、日本の歴史、伝統を破壊しようとする革命政権と言っていい。本当に要注意の危険な政権です。
現在は家族の絆の強調されている時期なので、選択的夫婦別姓制度を含む民法改正法案が、国会に提出される可能性が低くなりました。しかし夫婦別姓制度、外国人参政権、人権擁護法案は、法務省がなんとしても成し遂げたい三大法案ですので、いずれまた、家族の絆の熱が冷めたころ夫婦別姓制度がまた頭をもたげてくる可能性がでてきます。要注意事項です。
次回の「若い女性たちに告ぐ」(その3)は、2週間後の4月21日(土)に発表します。話題は、「保育園育ち」です。是非次回も読んでいただけたらと思っています。
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By えんだんじ ( 3月 24, 2012 at 9:33 AM) · Filed under エッセイ

読者の身内に若い女性がいれば、ぜひこのブログを見せてほしいと思います。このブログの転載、拡散を歓迎します。
結婚適齢期
結婚適齢期という言葉は、いまやほとんど死語になってしまった感があります。そのために今の若い女性は、私の年代ならば男性でも知っている常識すら女性なのに知らないのです。その常識とは、結婚適齢期という言葉あるように、女性は20代の若いうちに子供を生んでおかないとだんだん子供を妊娠するのが難しくなる、特に35歳ぐらいをすぎると妊娠、特に初妊娠は難しくなってくると言うことです。先月、NHKの番組、「クローズアップ現代」で卵子の老化が不妊の原因になると報道していました。女性には結婚適齢期があることが医学的に証明されたわけです。その報道にほとんどの若い女性がびっくりし落胆していました。彼女たちは、40歳過ぎても簡単に妊娠できると思っていたのには私と一緒に見ていた女房もびっくりしていました。番組の中で女性は生まれた時から卵子があり加齢とともに卵子は老化、その老化した卵子は決して若返ることはありませんと報道され、女性たちはショックを受けていました。ある40代の女性は、これまでの三度体外受精を試みて失敗してきただけに絶望感に襲われていました。
人類が地球上に誕生以来、人類社会が発展してきました。人類社会が男を中心として、すなわち男が主役を演じて発展してきたのは、女性には妊娠期間が限られており、また子孫を増やすため、また産児制限もできず何人も生みますから出産と子育てに追われます。そのため女性が社会的に進出するのもむずかしかったからです。結婚適齢期という言葉は、いつ頃から使われたか知りませんが、長い人類の歴史から、女性は若いうちには子供ができやすいが、高齢になるとなかなか妊娠しにくくなるし、高齢初産は、母子ともに危険を伴いやすいということを長い歴史的体験で知っていった。それで女性は子供を生むためにどうしても結婚時期が限定されてしまう。そこで日本では結婚適齢期という言葉が生まれたのでしょう。そして結婚適齢期を迎えた娘を持つ家庭は、早く結婚相手を決めなければという社会的雰囲気が長く続いた。ところが世界中の女性の社会環境が激変する事件が起きた。第二次世界大戦という大戦争です。戦争期間中若い働く男性の数が激減し、代わって多くの女性が社会に出て働き出す現象が起きた。大戦後もその勢いがそのまま続いた。そして1970年代にウーマンリブという女性解放運動が世界中に広がって現在にいたっています。その間「結婚適齢期」という言葉は、女性を家庭にしばりつける言葉として、あるいは女性が男性の従属物のような存在を表す言葉として完全に嫌われ、使われなくなってしまった。その結果若い女性たちは、女性には妊娠適齢期があるという意識が薄れてしまい、医学も進歩したしいつでも生むことができるというような錯覚に陥ってしまったのではないでしょうか。結婚適齢期という言葉の他に妊娠に関して私たちの年代の人間には男でも知っているもう一つの常識があります。高齢出産の危険性です。昔のように若い時に三人も四人も生んでおれば、高齢出産の危険度も少なくなりますが、初産の場合は、赤ちゃんが健康体で生まれてくるかどうか、母体に悪影響ないかどうか危惧するものなのです。ところがこれも医学の進歩で女性も産婦人科医も高齢出産を安易に考えているのではないでしょうか。
その典型的な例として自民党衆議院議員、野田聖子氏をあげることができます。彼女は、40歳の時に自然分娩が不可能な体であることが判明。以後三年間に八回の体外受精を試みたが失敗。他人の女性の卵子の提供を受けて受精させることは、日本では法的に禁止されています。アメリカは州によって法的判断が違います。ラスベガスがあるネヴァダ州では法的に許されています。そこで彼女は、ネヴァダ州に住む白人女性の卵子を購入し、野田聖子の夫の精子との受精卵を自分の子宮に入れて人工妊娠し出産した。出産した時彼女は50歳でした。典型的な危険な高齢初産です。産婦人科医も高齢初産の危険性を彼女に話したと思います。無論高齢初産の安産例も多いでしょう。私の想像では、もし彼女の卵子と夫の精子との体外受精なら、高齢出産を避けるため若い代理母を利用したのではないかと思います。しかし卵子は外国人女性のもの、それに代理母では自分の母親としての存在感がなくなってしまいます。高齢出産の危険は多少あっても自分で生む決心をしたのではないでしょうか。しかしもう一つの選択肢もありました。白人女性の卵子、すなわち他人の卵子を利用しては自分と血のつながった子は、できません。それなら孤児の里親になり、養子にする選択もあったはずです。それでも夫の血のつながった子が欲しかったのかもしれません。その辺は夫婦の葛藤が当然あったでしょう。
2011年1月彼女は、男の子、真輝(まき)ちゃんを出産した。真輝ちゃんは誕生後次々に難病に襲われた。「臍帯(さいたい)ヘルニア」、「食道閉鎖症」、「極型ファロー四徴病」などいう心臓病、「脳梗塞」など、手術、治療中に右手、右足が麻痺、気管切開の手術で真輝ちゃんは、赤ちゃんの泣き声を失った。手術は計6回におよんだ。今年1月真輝ちゃんは、無事満一歳の誕生日を迎えた。まさに医学の進歩のお陰だが、しかし母子ともに悲劇と言っていい。私は、彼女に対しての同情は薄い。出産後彼女はテレビに登場し、色々発言しているようですが、彼女の経験から,もし子供が欲しければ若いうちに結婚して子供を生んだ方がいいなどと発言していないからです。キャリアウーマンとして成功している女性だから、決してそんなことは言うまいとする虚勢を感じてしまいます。ウイキペディアによると、彼女はシングルマザー推奨を公言しています。子供は両親に育てられるのが当たり前だし、子供にとってもその方が望ましく思うのが当然です。したがってシングルマザーなど当初から考えてもみなかったけど、結果としてそうなってしまったという事は当然多々あるケースですから問題にはなりません。しかし最初からシングルマザーを望むとは、彼女は生まれてくる子供のことを考えていないのだ。子供を自分の欲望の道具として考えている面があるのではないでしょうか。彼女のこういう考え方が、資力にまかせて外国人女性の卵子を買い、自分の子供を生ませよう、すなわち資力に物を言わせて自然の摂理に挑戦してまでも彼女の欲望を満たせようとしたと考えるのは酷な言い方でしょうか。
自然の摂理に対する私個人の見解は、夫妻の精子と卵子を使っての体外受精までです。他人の精子、卵子を使っての妊娠は、自然の摂理に反することです。
キャリアウーマンとして成功している女性にとって子供の出産は深刻な問題です。アメリカでは精子や卵子の凍結サービスを提供する会社が存在します。合法的に認められているからです。アメリカ人のキャリアウーマンの中には、自分の卵子をいくつか取り出して液体窒素で凍結しておき、結婚したい男性が現れたら彼氏の精子と体外受精させて子供を持とうと計画している女性もいます。卵子凍結にどのくらい費用がかかるか? アメリカの週刊誌、「ニューズウイーク」誌(2010年版)によると卵子凍結治療費15,000ドル。1ドル80円とすると120万円、保存費用は最初の1年間は無料、それ以後は年間4000ドル(32万円)。しかし卵子凍結には問題があります。体内から取り出した卵子をすぐに体外受精させるのは可能ですが、将来に備えて凍結していた卵子を取り出し対外受精させるのは難しく成功したケースはほとんどないと言われています。卵子の取り扱い方は精子よりむずかしいのです。それでもキャリアーウーマンの中には、自分の卵子を凍結しておこうという女性がいるのは、凍結した精子で成功しているのだからそのうちに凍結卵子で成功するのも近いのではと予想しているからでしょう。従って次のようなケースも充分考えられます。本人が60歳になった時、凍結卵子を使用して子供誕生が可能になり、20代の時に凍結しておいた自分の卵子を取り出し、誰かの凍結した精子を買い取り、体外受精させ、自分はもう年寄りだから自分の子宮を使っての妊娠は無理、そこで代理母を使って生ませる。ついに60歳にして我が子誕生です。本人には大満足でしょう。私はこれでは、資力を使ってただ自分の欲望を満足させただけで、生まれてくる子供のことは全然考えていないのだと考えざるを得ません。皆さんそう思いませんか。
そこで私は皆さんに強調したいのです。女性には、結婚適齢期という言葉があります。しかし結婚適齢期という言葉が気に食わなければ、使わなくてもかまいません。しかし妊娠適齢期というものがあるということです。好むと好まざるとにかかわらず、妊娠適齢期を否定することはできません。これは女性の宿命です。体外受精する場合でも、卵子は老化しますから若い妊娠適齢期に行わなければならないのです。そこで自分は絶対に自分の子供が欲しいと思う女性には、私には提案があるのです。女性の人生は、男より長く平均もう90歳でしょう。そこで女性の人生二度説です。20代で結婚、20代で子供を一人、二人生んでおいて、30代に入って二人目、ないし三人目を生んでおくのです。私は子育て卒業は、中卒ぐらいまでと考えています。中卒頃の子供の母親は、45歳前後から50歳前後になっているでしょう。ここまでを女性の第一の人生、それ以降90歳までのほぼ40年間は、女性の第二の人生です。その時の各自の経済状勢に応じて働き続けるのもよし、新しく何かにチャレンジするのもよし、自由自在に活動できるし、またするのです。こんな人生計画どうでしょうか。皆さんどう考えますか。
この「若い女性たちに告ぐ」シリーズは、(その4)まで続ける予定です。次回(その2)は、2週間後の4月7日(土)のブログに載せます。話題は、「選択的夫婦別姓」についてです。引き続き読んでいただけたらと思っております。
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By えんだんじ ( 3月 9, 2012 at 1:12 PM) · Filed under エッセイ

最近にぎわしているモンスターペアレンツ、親の児童虐待、閉じこもり等等、最近の若い人を見ると大人がどんどん子供化、あるいは子供が大人になりきれずに子供のまま大人になってしまっているような気がしてなりません。学者や知識人が色々な原因を主張していますが、その中で「脳の未発達」原因説に私は同調します。子供の家庭でのしつけ方、学校での教育の仕方なども子供の成長に非常に大きな影響を与えることも確かです。しかしもっと大事なことが見過ごされているのは、子供が「脳の未発達」のまま大人になることではないかと私は思うのです。数年前テレビで脳の活性化の番組がありました。脳が活性化すると脳がどういう状態になるかをテレビで見せてくれました。聴視者に分かりやすいように脳が活性化すると脳全体がテレビ画面に赤く反応するように工夫してありました。ある人が長時間テレビを見ています、脳の活性化などほとんど起こりません。脳のはじのほうに少し赤みがかる程度です。ところがその人が一度立ち上がって台所で包丁を使ってジャガイモの皮をむきはじめると脳が活性化して赤くなってくるのです。編み物しても脳は赤くなる、すなわち脳が活性化するのです。手紙を書いているときなど脳がいかに活性化するかを見事に映像で見せてくれました。要するに体を動かし脳の使うことが脳の活性化につながるということを証明してくれました。
このことを子供にあてはめますと、子供はテレビを見ます、テレビゲームをします、携帯もします。しかしこれらは子供の脳の活性化にまったく役立ちません。現在の子供は、成長期に脳の活性化になんの役にもたたない事に多くの時間を費やす。これが大問題なのです。何故なら最近の子供は、ただでさえ遊び時間が少ないからです。脳学者から聞いた話ですけど、子供の脳の発達には遊びというものは絶対に不可欠だというのです。特に「思考力、判断力の司令塔」と言われる前頭葉(おでこの真ん中のちょっと上の部分)の発達には遊びは絶対に欠かせないないと言っています。子供の時に思う存分遊ばせることがどれほど大事かを強調していました。私の年代の人たちは、この意見には全く同感できるしょう。私の年代と大正、明治生まれの年代の子供と現在の子供との遊びに大きな違いが三つあると私は思っています。
1.遊び時間
子供の仕事は遊ぶことだといいますが、子供の遊び盛りの5,6歳から小学校卒業までの遊び時間の合計は、我々の年代の子供時代は、現在の子供の恐らく数十倍も遊んでいるのではないでしょうか。私の子供時代は、テレビもなければ、ビデオもない、ゲーム機器もなければ携帯もない、保育園もない、生活イコール遊びでできているようなもの。とにかく今の若い人たちには、私たちが子供の時に費やした遊び時間の多さは到底想像つかないでしょう。要するに私たちは、前頭葉の発達に欠かせない遊びを充分すぎるほど遊んできたということです。それに伴って子供の体力もつけてきたのです。それに引き換え現代の子供たちは遊び時間が少ないから前頭葉の発達も充分でなく、その上体力低下に陥っているのだ。
2.遊びの質
私の子供の頃は、遊びの中心は子供同士の遊びで、よく集団で遊んだものです。多い時は10人以上、少ない時でも3,4人、まず一人で遊ぶなど考えられません。野球など集団で遊ぶ時は、年長者がリーダーになって遊ぶのです。要するに我々の子供のころは子供自身が自主的に遊び、親が子供の遊びに関与することはほとんどなかった。子供が集団で遊ぶ時には、年長者が年少者のリーダーになり遊びを通じて大人への道を学ぶことが自然にできあがっていた。ところが現在の子供は、テレビ、ビデオ、ゲーム機器、ケイタイなどで遊ぶ時間が非常に多い。これらは子供の視覚に訴えるだけで子供自ら動く主体的な遊びではありません。私たちの子供の頃の主体的な遊びに対して、現在の子供らの遊びは、受動的な遊びと言えるでしょう。テレビやゲーム機器で遊ぶことは、子供が孤独で遊ぶ時間を増やし、子供同士で遊ぶ時間を少なくなることを意味します。子供の頃自主的に遊んで大人になるのと、受動的に遊んで大人になるのとでは、この差は大人になったとき、どちらが精神的に大人になっているか明白に理解できるのではないでしょうか。
3.過保護
私たちの子供の遊びには、過保護とは無縁であったと言っていい。子供の遊びに親が入りこまなかった。子供同士集団で遊ぶものだから年長者のリーダーによって子供なりのルールがあるのだ。いじめられた子供もいたでしょう。年長者がかばってくれたかもしれませんし、かばってくれなかったらいじめられた子供自身で解決策を自らみつけなければならないのです。ところが現在の子供たちは、すべてと言っていいくらい保育園育ち。保育園は、動物園と同じ。動物園の動物は、貴重な商品だから病気にしたり、怪我させたりしたら大変です。従って大事に飼育します。保育園も同じ。園児をケガさせたりしたら大変だから大事に飼育します。保育園では子供の自主的な遊びは生まれません。すべて受動的な遊びだけです。小学校の入っても過保護がついてまわります。運動会にかけっこをやれば、一等賞になって何も賞品もらえません、競争心をあおってはいけないとか、生まれつき遅い人を悲しませるとか、くだらない理由がつけられる。かけっこの途中ころんだりすると保健の先生が、救急箱を持って走りよっていくのだ。ころんで膝から多少血がでたからと言って、それがどうしたというのだ。また少し年長になって野球チームに入れば、大人の指導を仰ぎます。すなわち大人の監視つきで野球をするのです。これも受動的遊びでしょう。現在の子供たちは、子供の自主的判断で子供同士集団で遊ぶ経験など一度もせずに20歳の大人になってしまうのだ。これが精神的未熟な大人を生む一因になっていることは間違いないと思います。
ここまで三点、(1)遊び時間、(2)遊びの質、(3)過保護、を説明してきましたが、この三点を要約し、おおまかな結論を言うと、私たちの年代までの子供は自主的な遊びで大人になったのにたいして現在の子供たちは、受動的遊びで大人になったと言えます。ここに子供の頃の前頭葉の発達に大きな差が出るのは当然ではないでしょうか。子供の前頭葉の発達には、遊びは絶対にかかせない重要なものと脳学者は指摘しますが、私たちの年代、あるいはそれ以前の年代の子供と現在の子供とでは上記の三点に大きな違いがあることを脳学者は知っているのでしょうか。我々の年代だからこそ指摘できることではないでしょうか。
以下に述べる社会的現象は、子供の遊びや脳や精神に関することが根本的な問題になっているのではないでしょうか。
一。「70万人の引きこもり」
昨年2月、NHKテレビの「クローズアップ現代」で「70万人の引きこもり」という番組を放送していました。現在日本で70万人もの引きこもりがいるというのだ。そのうち20歳過ぎの引きこもりが63%、すなわち大人のひきこもりが42万人以上もいるのです。引きこもり予備軍を入れると引きこもり数が100万人になるという放送でした。引きこもりの直接的原因は、ほとんど対人関係がうまくとれないことです。すなわち子供の時に多人数の子供たちと一緒になって遊ぶことが極端に少なくなったのが大きな原因でしょう。何度もくりかえすが私たちの年代、いや明治生まれの人も、また江戸時代の生まれの人も、子供の時には、子供たちが集団になってわいわい、がやがや、夢中になって遊びにふける時間が無制限と言っていいほどあったのだ。だから私たちの若い時には引きこもりなどほとんど存在しなかったと言っていい。
二。アニメとマンガの隆盛。
アニメとマンガは表裏一体、マンガを映画化したものがアニメでしょう。アニメといえば昔はディズニー映画、それを子供や孫と一緒に見て楽しむものでした。最近人気の日本製アニメは、昔のディズニーアニメと違って大人の鑑賞に堪える映画になったようなことが言われています。そこで私は数年前、評判の「もののけ姫」を見ました。その他二、三アニメを見ました。やはりアニメはアニメ、大人が子供と、あるいは孫と一緒に見る映画という印象は変わりませんでした。恐らく私の年代の人は、アニメをみてもそう面白いと思わないでしょう。しかしこのアニメ、最近では若い男女の間で人気が非常に高い。そして日本製アニメは外国でも人気があると有頂天になっていますが、私にいわせれば、まだ脳が未発達な状態で大人の脳になりきっていないから面白いのではないかと考えてしまいます。
マンガでも同じことが言えます。私は子供の時、マンガに夢中になりました。テレビもなければテレビゲームもない、だからいくらでもマンガをよみあさることができました。したがってマンガを読むことなど子供のうち卒業してしまい、大人になってマンガなどに興味がわきません。しかし今の子供は、テレビもありゲーム機器もあり、マンガを読む以外にもいろいろやることがあって子供のうちにマンガを卒業できないでいるのだ。電車の中で30代、40代のサラリーマンがマンガを読みふけっている姿。家に帰れば妻もいれば子供もいるいっぱしの大人だ、そんな連中でもいまだにマンガが卒業できないでいるのだ。私には子供が三人います。私の体験から子供には、大人になってもマンガを読まないように、意識して沢山のマンガを読ませ、子供のうちにマンガを卒業させようとしました。私の思惑は当たりました。三人は完全にマンガを卒業しています。現在では、マンガも難しいジャンルに進出しています。歴史、経済、時事問題などマンガ化されるようになりました。要するに字の羅列ばかりだと苦痛になって本を読むことができないのです。マンガを入れ、文章も柔らかくすることによって本が読めるのです。まさに大人の子供化です。小林よしのりの「戦争論」が沢山の若者に読まれたのもマンガ化したからが最大の要因でしょう。猛烈に非難される覚悟で言いましょう。マンガ家やアニメ製作者などは、大人の子供化現象から生まれた花形職種なのだ。そういう職種に成功したからと言って世間に向かってえらそうな事をのたまうことなかれと言いたい。私など70代以上の人間にとっては知的水準、教養水準の高さが邪魔をしてマンガやアニメなど食指が沸きません。もっとも「おれ、おれ詐欺」の餌食になるのも老人です。年をとると個人差が大きいのです。
三。字幕映画から吹き替え映画へ
産経新聞によると戦前の洋画の字幕は、縦に最大13字2行形式でした。戦後、字幕は縦からスクリーン中央下になり横に最大13字2行形式で現在にいたっています。ところがここ数年13字の字幕が読みきれないという若者が増加。そのため字幕作りの現場では10字前後にくぎって行数をふやしたり、漢字を省いたりして苦労しているのだ。そのため字幕を必要としない吹き替え版にシフトする傾向が強くなっているのです。確かにビデオ屋にいけば、吹き替え版が増えたことが実感できます。テレビの海外ドラマも吹き替えが多くなりました。
数年前ある工業大学卒業の新入社員が、工場勤務になりました。ところがその新入社員のためにあわや大事故が起こるところでした。彼がどんな失態をしたのかというと、工場で使っている機械のマニュアルをよく理解できていなかったからです。会社側に言わせると新入社員がマニュアルをよく読めないなどこれまで例がなかった。急遽新入社員全員を調べてみると新入社員の読解力に不安を感じ、マニュアルを正しく理解させるための特別講習を毎年行うようになったというのです。字幕から吹き替えやマニュアル読むための講習会など、現在若者の読書不足による読解力の欠如の証明です。読書不足はどこからくるかというと、テレビ、ゲーム機器やパソコンなど主な原因になっているのでしょう。
ある大学の先生が学生にあるテーマを与えて各自にレポートを提出させました。先生は学生のレポートを見て驚きました。皆同じような内容の同じような文章のレポートだったからです。学生はインターネットで検索し、参考になる資料をそのままコピペし、それを適当につなぎ合わせたから同じような文章になってしまったというのです。それからは先生は、レポート提出をやめてその場で自分の意見を言わせるように切り替えたというのです。
現在では小学校で読まれる本の感想文のひながたがネットで検索され、小学生はそれをコピペするだけでいいと小学生に非常に感謝されている感想文提供者がいるのです。パソコンという文明の利器によって子供たちや学生が、頭で色々考えぬいたすえ文章に書くという機会、すなわち思考力を鍛える機会が極端に少なくなってしまったのです。従って新入社員が、営業報告や出張報告などと言ったビジネスレポートを書くよう命じられて書き方がわからないと音を上げるのは当然の結果でしょう。つい最近では大学生に小学生の算数の問題が解けない学生がいると大きなニュース種になりました。
私が公立中学校を卒業したのが昭和29年(1954年)、その時は一クラス50人のうち半分は卒業後就職組みでした。地方の中卒就職比率はもっと高かったでしょう。地方から集団就職で集団就職専用列車に乗って沢山の中学卒業生が上野駅にやってきました。それから3年後の昭和32年(1957年)が私の高卒の時です。この時私は就職組み、また女性の多くは就職組みで、大学にいく女性はあまり多くいませんでした。私が何を言いたいかというと私の年代、70歳前後から上の年齢の人には、最終学歴が中卒、あるいは高卒の人が大卒より多いいということです。これに反して現在の20代には、中卒がほとんどいなくなり、大学に進学する人が男女ともに非常に多くなったということです。恐らく男子など短大を入れれば90パーセント以上大卒でしょう。すなわち私の年代にくらべて現在の20代は、大卒という高学歴者がわんさといるわけです。それにもかかわらず、13字の映画字幕が読みきれない、新入社員が工場の機械のマニュアルが読めないなど20代若者のこの体たらくさ、マンガやアニメが流行るのも無理はない。要するに今の若い人が馬鹿ということではなく、自分の持っている脳の力、すなわち脳力を充分に発揮できないまま大人になっているのだ。まさに大人の子供化です。
四。すぐきれる、児童虐待、家庭内暴力。
この種の行為は、恐らく脳、前頭葉の未発達が主な原因と私は推測しています。子供の時我慢させるのも前頭葉の発達に非常貢献すると言われています。保育園や幼稚園でずっと過ごす子供たちにどれだけ我慢を強いているでしょうか。幼児を見て下さい。自分の思うようにならないと場所をえらばず泣き叫びます。前頭葉が未発達な故に自制がきかないのです。暴力で自分の意を通そうとするのは、脳未発達の動物的行為です。ある若い母親が夜中に泣きじゃくる幼児にたまりかねてふみつけて死なせてしまいました。殺すつもりは全くなかったと言っていました。まさに「思考力、判断力の司令塔」である前頭葉の未発達でしょう。赤ちゃんを踏みつけたら死んでしまうかもしれないという判断力さえついていないのです。また前頭葉の未発達のせいにでもしないと、親の児童虐待で子供を死なせるケースの激増など、私たちの年代では全く理解しがたい行為です。健全な肉体に健全な精神がやどるなどと言いますが、いまは健全な脳に健全な精神が宿ると言った方がふさわしいのではないでしょうか。脳には文明の利器を発明する機能があると同時に人間社会が円満に運ぶための機能もあるのです。ところが文明の利器の発達の度がすぎて、人間社会が円満にはこぶための思考力や判断力を養う前頭葉の発達を阻害する要因になってしまったと言っていいのではないでしょうか。
五。若年認知症の増加。
現在、50歳代や60歳前半で痴呆症をわずらう人が多くなって社会問題化しつつあります。老齢者の痴呆症は、介護と医療の面でも医療制度ができていますが、若年層の痴呆症にはその医療制度は適用されません。痴呆症の老齢者は、いずれ死にますから、配偶者や肉親は、少しの間我慢すればよいが、若年層の痴呆症の人は若いから食欲はあるし、元気だし、本人が死ぬまでに時間がかかりますから、配偶者や肉親の苦労は大変なものです。なぜ若年層の痴呆症患者が増えるのか。私の想像では、脳が完全に大人の段階まで発達しないまま大人になり、大人になった後は、人によっては脳をあまり使わない単純作業を長年続けていたため脳が早く老化してしまったのではないでしょうか。脳の老齢化に拍車をかける要因の一つに計算機の出現があげられると思います。私が、確か30代に計算機が出現したと思います。機械式の計算機だったと思う。誰も自由自在にどこでも使える電算機の出現は40歳代の時ではないでしょうか。私の年代は、40歳代までは個人個人の暗算能力で計算し、それ以上は紙に書いて計算していたのだ。現在は、自分の頭で計算するのは、自分の財布にいくらあるかと計算する以外は、計算機を使うのです。使わない肉体は、加齢とともに老化が早い。脳も同じでしょう。使わなければ脳の老化が早いと考えるのは当然です。現在、肉体の老化を少しでもくいとめようとフイットネスクラブが流行っていますが、私の予想では、いずれ脳の老化を防ぐフイットネスクラブが出現するでしょう。ふだんあまり脳を使う仕事をしていない中高年層の人たちが若年痴呆症予防のためにせっせと通うことになるでしょう。脳の老化を防ぐプログラムの一つには、まちがいなく暗算力を鍛え、加減乗除の計算問題集をあたえられ計算のスピードと正解を鍛えるコースがあるに違いないと予想しています。
六。セックスレス夫婦の増加
平成21年1月15日の産経新聞によると厚生労働省研究班が、16~49歳の男女2693人を対象に行った調査によれば、1ヶ月以上も性交渉ないセックスレス夫婦は4割を超えた。さらに驚くのは、16~19歳の男性の35.1%がセックスに「関心がない」、「嫌悪している」と回答していることです。私は男だから言いますが、男はこの時期セックスに一番関心のある時期です。それでも35%も「関心なし」か「嫌悪している」というのですから一体どうなっているのだと言いたい。みなさんこの原因はどこにあると思いますか。私の年代であれば推測はできます。子供のとき同じような年齢の子供といっしょに野外でおもいきって充分に遊んだ経験のない子は、バイタリティーあふれる大人になるわけがない事を知っているからです。現在の子供は、昔の子供と比べて体力が落ちているといわれてからもうだいぶ久しい。特別に何かスポーツすることもなくそのまま大人になれば、私たちの平均体力よりひ弱な大人になるのは当然でしょう。かごの鳥のように保育園で育てられるからけんかをする事もなく過保護に育ち、幼児の時から闘争心が磨かれる事もない。精神的にも肉体的も大人になりきれない、私に言わせれば、発情期を迎えることなく大人になってしまう人がでてくるのです。そのためセックスにあまり関心ない、あるいはセックスレス夫婦誕生が増えるのは当然の勢いでしょう。
千葉県浦安市のあべメンタルクリニクを訪れた30代夫婦に、院長の安部輝夫(66)は、スキンシップの「宿題」を出した。その答えの中に「今は乾燥して肌がかゆくなるので互いの背中をかく」と書いてあるのだ。私たち夫婦は二人とも70歳以上だから二人で背中をかき合うこともある。それが30代の夫婦が70代夫婦のやるようなことをしているのだ。そしてこの30代夫婦は、結婚して5年余り。一度もセックスしていなかった。だが二人は「夫婦仲はいい」と口をそろえたという。私に言わせればこの夫婦は二人とも精神的にも肉体的にも大人になっていないのです。子供が「夫婦ごっこ」のおままごとをしているようなものです。この夫婦は、おままごとは子供の遊びであることさえ知らないのではないか。
セックスレス夫婦の増加に関連してくると思うのですが、ここに悲しむべき数字がある。英国の避妊器具メーカー「デュレックス」が2006年に26カ国を対象に行った調査によると、一年間の日本人のセックスの回数は、48回と最下位の26位だった。回数の多い上位五カ国は、一位 ギリシャ(164回)、二位 ブラジル(145回)、三位ポーランド、ロシア(143)、五位 インド(130)。日本より一つ上の25位は香港で82回。日本が断トツに少ない回数での最下位であることがわかります。私はここ数十年の日本国民を見ていて、国内の政治政策でも、あるいは外国から何を言われても、何をされても国民全体で怒りの声をあげたことがない、そのため日本国民はバイタリティーを失ってしまった民族と思っていましたが、性交回数でも如実に示していますね。ある脳学者が言っていますし、ネットのウイキペディアにも書いてありますが、性行為は、人間の脳の活性化に非常に役立つということです。そこで厚労省で調べてもらいたいことがあります。セックス回数世界最多を誇るギリシャには、50代、60代の若年痴呆症の人たちは、存在するのでしょうか、存在しているなら人口比率から日本と比べて多いのでしょうか、少ないのでしょうか。もしギリシャに存在しないとか数が極めて少ないとなったら、性行為が人間の脳を活性化する証明でしょう。ならば私も老骨にムチ打ってはげまなければという思いがあります。
七。うつ病患者の増加
先月NHKの番組、「クローズアップ現代」でショッキングな情報を提供していました。うつ病患者の増加は、先進国の悩みです。うつ病はいったんかかると完治しにくい、抗うつ剤を飲んでも少しも改善しない場合も多い。最近アメリカでうつ病の画期的な治療をほどこし成功をおさめているケースを放送していました。うつ病は、いままでは心の病と思われていました。だから患者は精神科医に通うのですが、心の病もあるが、その多くは脳に故障が起きている、要するに脳に病をかかえているケースが多いというのです。例えば、ホラー映画を見た場合、私たちは恐い思いをし、ぞっとしたり、心臓がドキドキしたりします。それは脳には、その恐さ感じる場所(医学名があるのですが、忘れました)があるからなのですが、その場所が通常の日常生活でも過敏に反応するため、うつ病のような症状を起こしていることがわかり、医者は、その場所に電磁波を与え脳を刺激する治療を施したところ急速に回復をした患者のケースを紹介していました。但し、初めての試みなので回復したからと言って電磁波治療をすぐ止めていいのか、いつまでで電磁波治療つづければいいのか暗中模索の状態だそうです。うつ病患者で重症の方や長期に患っている方は、自分の脳のどこかに異常があるのではないかと疑うことも大事になってきたということです。いずれ脳の病気の種類がクローズアップされるのではないでしょうか。人間は、大人になった時、肉体が大人なっていなければいけないし、肉体内部の臓器も大人になっていなければ大人としての社会生活が営めません。脳も同じではないでしょうか。大人になった時、脳も大人になっていなければ大人としての社会生活が営めないのではないでしょうか。うつ病は、心の病ばかりでなく脳のどこかに異常があるということが、これから増えてくるような気がしてなりません。
乗り物の発達によって人間の足が弱くなったのを実感して、ジョッギング、ランニング、散歩の重要性を認識した。テレビ、計算機、パソコン、ゲーム機器、携帯、などなどいわゆる文明の利器によって人間がもっている脳の力、すなわち脳力が落ちてきているのだと認識できるのは私の年代の人間や先輩たちだけです。その理由は私の年代の人間は、生まれた時から現代文明の利器のどっぷり使って生きてこなかったからだし、また大人にとっては便利かもしれないが、子供にとって弊害ばかりが目立つ保育園などで育てられなかったからです。私たちは、環境破壊による地球の消滅を恐れていますが、人間がこれまでと同じように文明の利器を発明し続けていくと、それが同時に人間の脳力の退化を招き、健全な人間生活が営めなくなり、人間自身が自滅していく可能性もあるのだ。大人の子供化はそのはしりではないでしょうか。
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By えんだんじ ( 2月 23, 2012 at 7:55 AM) · Filed under エッセイ

「J・エドガー」とは先月末に公開された映画のタイトルです。クリント・イーストウッド、若い頃マカロニウエスタンのガンマン役で名を馳せたが、今では映画監督としても名をあげています、その彼の作品です。私は、この映画のタイトルを見たとき、誰のことかピントこなかった。映画に出て来る架空の人物かと思った。しばらくして「J・エドガー」とは、ジョン・エドガー・フーバーのことだとわかった。エドガー・フーバーと言っても大方の日本人は、誰のことかわからないでしょう。私はよく知っています。偶然の結果です。先月初め、すなわち今年初めてのブログ記事に『「マフィア」の話』という長文のエッセイを書きました。私はこれまでに沢山のマフィア映画を見てきたし、マフィア関係の本を読みあさったことがある。マフィアを取り締まるのがFBIです。ジョン・エドガー・フーバーとは、そのFBIの長官です。映画「J・エドガー」がエドガー・フーバーの伝記映画とわかったら、ぜひ見なくてはとなって公開早々見てきました。私にはフーバーについての予備知識があった。フーバーは、第一次大戦時のウッドロー・ウィルソン大統領からリチャード・ニクソンまで10人の大統領に仕えたFBI捜査官であり、彼が1924年にFBI長官になってからでも8人の大統領に仕えているのだ。なぜこんなに長くしかも死ぬまでFBIの最高権力者でいられたのか。それは政治家個人の身上調書と言っていいフーバーの秘密ファイルに原因があります。勿論FBIには公式の記録ファイルがあるが、それ以外にフーバーが国内捜査機関を完全に掌握している特権を持っているからこそできる彼の特別秘密ファイルを所持しているからです。彼は上院、下院の全議員、閣僚、大統領、あるいは超有名人の身上書を作り上げ、いざとなればそれを相手につきつけ、脅す事にためらいはなかった。ある議員の言葉を借りれば、彼の秘密ファイルは、「世界最大の汚物の保管庫」というわけだ。大統領でさえ弱点を握られ彼を首にすることができなかったのだ。
映画を見ての感想は、はっきり言って凡作です。私はクリント・イーストウッドの全作品を見ているわけではないが、ほとんどの作品は見ています。彼の作品の中でも出来の悪い作品ではないか。エドガー・フーバーの伝記映画だが、フーバーの人間性が描かれていないのだ。フーバーの人間性が描かれていないのをイーストウッド監督だけのせいにしては可哀そうなのかもしれません。フーバーという人間その者が面白みのないつまらぬ人間なのだ。私生活が単純そのもの。フーバーを手厳しくはげましもするが息子を溺愛する母親、その母親との二人暮らし。フーバーに忠実に仕える秘書。まさに仕事だけに忠実に仕えるが私生活では赤の他人。フーバーの片腕となるクライド・トルソンとは40年来のつきあいだが、同性愛者どうしでお互い愛情を感じあっている。だけどベッドを共にするわけではなく、お互い一生独身。これでは私生活に面白いことが起こるわけがない。仕事だけが生きがいの単調な私生活なのだ。そのかわりFBI長官として50年だから歴史的事件が多く多彩です。それら事件、事件にフーバーがどう対処したか描かれているのだが、それも相棒のクライド・トルソンに語らせると、人の手柄をフーバーの手柄にしてしまうのだ。憎しみを感じる男ではないが、どうにも親しみがわかない男だから余計映画に面白みに欠けるのでしょう。
「J・エドガー」という映画のタイトルと言い、私に言わせるとこの映画は、一般のアメリカ人には分かりやすいかもしれませんが、外国人が見るには、エドガー・フーバーの予備知識がある程度必要のような気がします。例えば、ケネディー大統領とロバート司法長官兄弟とフーバーFBI長官との確執です。この両社の確執は、『「マフィア」の話』のブログで書きたかったのですが、書くとあまりにも長くなってしまうので割愛しました。この機会を利用して要約して簡単に書かせてもらいます。
ケネディー大統領は、フーバー長官をきらっていた。フーバーが大統領自身に関する事と禁酒法時代に酒の密売業者をしていた父の時代に遡って自分の一家の名誉を傷つける秘密ファイルを所持している事を知っていたからです。ある時、フーバーに官邸に呼びつけると、ケネディーが驚くことまで知っていた。それは第二次大戦中、大統領の海軍勤務時代にインガ・アルヴァドという女性との関係についての記録とテープが含まれていた。この女性は既婚者で、親ナチ派の噂がたっていた元ミス・デンマークだった。ケネディーがワシントンの海軍情報部から高速魚雷艇訓練学校、そしてついに南太平洋での戦闘任務に配属させられる原因になった多くの「危険な関係」の最初の事例を発見したのは、他でもないフーバーだったのだ。フーバーが官邸を引き下がった直後、ケネディーは「あの野労!」とフーバーに激怒したという。ケネディーが知られたくないことをフーバーが知っていたからです。フーバーが保管するフアィルの中身について非常に憂慮した大統領は、明らかに未熟な弟を司法長官に任命し、弟にフアィルの保管者を監視させようとし、それが身内を司法長官に指名した主な理由と言われているのだ。映画では、ミスデンマークの話は、ロバート司法長官に話しをしていました。
一方弟のロバート司法長官は、兄ケネディー大統領とは違った角度でフーバーを嫌悪していた。ロバートは司法長官時代、『「マフィア」の話し』でも触れたようにマフィアを壊滅に追い込もうと全力をあげていた。ところがフーバーは、積極的に協力しようとしないのだ。なにしろフーバーは、「アメリカにはマフィアという組織犯罪は存在しないと」公言してはばからなかったのだ。私の推測で話をすると、フーバーがロバート司法長官のようにマフィアを追い詰めるほど全力で取り締まっていたら、彼はとっくの間にマフイァに殺されていたでしょう。フーバーもそれを知っていたからこそ取り締まりに手を抜いていたのではないか。フーバーの非協力的態度に業を煮やしたロバートは、前任のどの司法長官も手をつけなかった処遇をフーバーに命じた。フーバーの直属の上司は、司法長官です。フーバーは司法長官の報告する義務がある。ところがフーバーは、歴代の司法長官には報告せず、すべて大統領に直接報告していた。歴代の大統領は、フーバーにその行為を許していたのです。ワシントンで執務するどんな高級官僚も大統領にじかに接触できなかったが、フーバーだけはそれができたのだ。そのフーバーに向かって「今後大統領に直接報告することはダメダ、今後はすべて俺に報告せよ」と命令したのだから、フーバーが激怒するのも無理はない。
映画ではロバート司法長官が二度スクリーンに登場します。一度目は、ロバートとフーバー二人だけの険悪な様相での会話。フーバーは、ケネディーの女たらしの実例の話をしている場面です。二度目は、フーバーからケネディー暗殺の電話がかかりローバートは仰天しますが、「ケネディー暗殺された」というそれだけの電話ですぐ切られてしまってローバーとが激怒する場面です。この両場面などケネディー兄弟とフーバーとの確執関係を知っていればより理解できることは確かです。
ところでフーバーがケネディー暗殺を知る場面の演出にはこっています。フーバーが部下に命じて盗聴させていたテープが届き、一人部屋に閉じこもってその盗聴テープを聞く。盗聴テープの声だけが画面に流れます。ベッドシーンの盗聴です。誰のベッドシーンが盗聴されているのか映画では語っていません。しかし私は即座に誰のベッドシーンかわかった。マリリン・モンローとケネディー大統領のベッドシーンです。何故わかったか?男はケネディーのような声をしていたが、女は間違いなくマリリン・モンローの声です。よがり声だけだったらわからなかったでしょう。その前に短い会話があった。それでモンローの声だとわかったのです。モンローは超有名人だから彼女の映画を見たことない人でも名前ぐらいは知っているでしょう。その人たちに言っておきますが、彼女はすばらしい声美人でもあるのです。顔よし、声よし、また話しぶりがいい、その上抜群のスタイルよしのまさに完璧な美人です。だから私は彼女のとりこになった。モンローの出演作は全部見たし、自宅には全作品のビデオもあります。だから彼女の声は、私の脳裏にやきついています。その私がモンローの声と判断したのだから間違いない。モンローとケネディーに似た声を持った男女を採用して演じさせたのでしょう。そのモンローのよがり声を聞いている時にフーバーの部屋の電話がなり、ケネディー暗殺を知らされ彼は仰天した。彼はロバート司法長官にその知らせを電話するのだが、ただ一言「大統領が殺された」と語り、それ以上なにも報告せず、電話を切ってしまいます。すぐに電話を切られたロバートは、怒り狂うのは当然、二人の険悪な関係がよく表れています。
フーバーが最後に仕えた大統領がニクソンです。フーバーは腹心のトルソンにこぼすのだ。「歴代の大統領は、自分の秘密ファイルのことを話すと私に対して臆病になるのだが、ニクソンはびくともしない、堂々たるものだ、だから非常にやりにくい。」ところがフーバーは在職中に突然のように病気で急死します。その知らせを聞いたニクソンは、すぐに部下に自分のファイルをフーバーの事務所で探させるのだが、ファイルキャビネットはもぬけのから。フーバーに、自分に万一のことがあればファイルを処分するよう命令されていた忠実な秘書が、ファイルを裁断機にかけているところで映画が終わっています。イーストウッド監督は、フーバーの仕事ぶりに対して肯定もしなければ、否定もしていない、また観客になにも訴えるものもない。まさに凡作でしょう。
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By えんだんじ ( 2月 8, 2012 at 1:11 PM) · Filed under 時事評論

昨年11月19日に私のブログ欄で「渡部昇一先生への苦言」というタイトルの下に記事を書きました。その中で、私は、育鵬社の歴史教科書が「つくる会」が以前扶桑社から出版した「新しい歴史教科書」と酷似していること、「つくる会」の公民教科書の著者、小山常美先生や広島県の「つくる会」の支部長をしておられる主婦の方が、その酷似箇所をていねい調べておられることを書きました。と同時に酷似箇所の例をいくつかとりあげて公表いたしました。その酷似箇所を調べていた広島県「つくる会」の主婦の方が次のようなブログ記事を掲載いたしました。彼女の了承の下に転載させていただきました。
引用開始
去年の11月から年末にかけて、私は以下の文章を保守系の言論人約50名に発送しました。
育鵬社支援者25名には文章の内容が少し違うものを送りました。
小山先生が研究されている育鵬社盗作疑惑について、どうしてもこのままなかったこととして処理されることが許せないと感じたからです。「つくる会」の組織的活動ではありませんが、個人としてこのようなことをしていることを皆さまにご報告します。
この文章のほかに、参考資料として小山先生のブログと私のブログから、盗作が色濃く疑われる個所を印字したものを同封しました。
=====================
平成23年12月 日
前略、私は広島の長谷川真美と申します。突然お手紙をさし上げるご無礼をお許しください。私は現在「新しい歴史教科書をつくる会」の広島県支部で支部長という役目を引き受けているものです。今日は支部長という立場ではなく、一個人として、教育再生機構並びに「教科書改善の会」が支援し出来上った育鵬社の歴史教科書について、どうしてもお伝えしたいことがあり一筆申し上げます。
私共「つくる会」が主導した自由社の教科書が惨憺たる結果に終わったこと、育鵬社の公民の教科書に「愛国心」等が書かれていないことなどはとても残念なことでしたが、以下にお知らせいたしますように、育鵬社の歴史教科書が扶桑社版(藤岡信勝代表執筆)を明らかに盗作していると認めざるを得ない事実が徐々に判明してきており、この事の方がもっと重大で残念なことだと思っています。
「つくる会」本部も早くにこのことに気がついていたようですが、採択戦の妨害になることから、採択が終るまで調査、発言を控えてきました。現在、小山常実さんがご自身のブログ(「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書http://tamatsunemi.at.webry.info/)で調査を続けておられます。私も事の重大さに気づき、育鵬社盗作疑惑について調べているところです。調べれば調べるほど、鳥肌が立つほどに酷似している箇所が次々と現れてきています。
八木秀次氏が代表である教育再生機構側は「つくる会」から分派脱退した折に、絶対に今までの教科書の真似をしないということを文書で約束していたはずです。また、屋山太郎氏が代表される「教科書改善の会」も、平成21年9月3日、「中学校教科書採択結果を受けて」という声明の中で、「なお、歴史教科書については全く新しい記述となり、著作権の問題が生じる恐れはありません。」と述べておられます。
しかし、目次の章立て、単元の構成、単元の表記、単元の内容は他社数社の教科書と比べてとてもよく似ていますし、現在調べている限りでも、文化史を除く本文の多数の個所の文章の酷似ぶりが明らかになっています。全く新しいはずが、どうしてこれほどそっくりになってくるのでしょう。
平成21年8月25日の裁判により、教科書の著作に関して、「つくる会」側の主張した教科書は、共同著作物ではなく、結合著作物であるとの判決がありました。つまり約八割に「つくる会」側の著作権が認められたことになります。これは単純に「つくる会」側が敗訴した裁判ではありませんでした。
私の推論ではありますが、扶桑社(藤岡信勝代表執筆)の教科書の著作権侵害とも思えるこれらのことは、おそらく育鵬社の社員が主導して勝手に行ったことではないでしょうか。版権(平成24年3月で消滅)が扶桑社にあったということで、それをリライトしても法律に違反しないと思ったのかもしれません(もちろん著作権者に許可を得てリライトするならばいいのですが)。
皆さまは、保守系の教科書がもう一つ出来たのだから、そんなに目くじらを立てなくてもいいじゃないか、或いは、中味が似ていてもそれはそれでいいことじゃないか、喧嘩せずに仲良くやればいいじゃないかとお考えかもしれません。しかしこれが「盗作」まがいのことをした結果であるとしたら、道義、道徳を重んじるはずの保守系教科書で、そのようなことが許されるのでしょうか。こんなことを見過ごせば、保守言論界が大変なことになるのではないでしょうか。私には、身内でこのようなことを見過ごして甘い顔をすることは、左翼に笑われる保守の自滅そのものになると思うのです。自浄作用の無い世界は滅びていきます。
その点ワック出版は立派でした。『歴史通』11月号では、桜井裕子さんが著作権侵害を起こし、ご本人も出版社も著作権者に対し謝罪され、そのことを公表していました。桜井さんの書かれた内容は「尊敬される日本人」の中の「佐久間 勉」でした。内容が良いものだとしても、文章を書くときのルールとして著作権があり、引用、参照、など明確にしない「手ぬき」は許されないものです。
そのうえ、自虐偏向の他社の教科書は問題外ですが、育鵬社は「南京虐殺」は「あり」との立場に立ちました。そしてご存知のように、中国語読み、韓国語読みの「ルビ」を振りました。大東亜戦争を括弧の中に閉じ込めてしまいました。近隣諸国に配慮することで、左に擦り寄っています。フジテレビという「韓国」系列に阿るテレビ会社が後ろについていることも心配の種です。
色々書きましたが、育鵬社の教科書は歴史も公民も、今までの教科書運動の成果に逆行するようなものになっています。このことは市販本を読んでいただければ誰にでも分ることです。私はやっとここまで来た教科書運動が、こんな風になったことが許せません。
子孫が育っていくこれからの日本に、真に立派な教科書を手渡して行きたいと思っています。保守陣営がもっと頑張り、日本を立て直してもらいたいと思っています。手段を間違えれば、いくら表面を取り繕っても、必ずひずみが出ます。
日本人はそういう意味で、汚い手を使わないことを良しとする国民のはずです。ただ、日本人の弱点は長いものに巻かれること、争いを好まないことなどがあり、私のこういった主張に「保守言論界にとって、あまりさわがない方がいいのでは・・・・」との反応があります。先にも言いましたが、このような不実が黙認されるようなことがあれば、保守言論界は自浄作用がないということになり、いずれはジリ貧になっていくでしょう。
私はこの件を育鵬社の支援者25名の方々に告知いたしました。今後はもっと巾を広げて告知していくことをご報告しておきます。自虐史観ではなく、日本の子供たちに、自国への愛を育むための教科書が必要だと考えておられるであろう皆様、どうか、この件を真剣にとらえ、今後どうしたらよいかお考え下さり、対処していただきますようお願い申し上げます。
なお、ご参考までに私のブログでの発表内容の一部、小山先生の文章の一部を同封致します。
最後までお読みくださり、有難うございました。
草々
引用終了
私は、このブログを読み、長谷川支部長はよくやってくれた思いました。本来ならつくる会の会員一人一人が行ってもいいことでした。そこで私は即座に彼女のブログにコメントを入れました。「よくやってくださいました。お礼申し上げます。ありがとうございました。」すると彼女の返答は、
「私はちっぽけな存在で、将棋でいえば「歩」にすぎません。 その身に応じた行動しかできませんし、効果もたいしたことではないかもしれません。 でもこのままなし崩し的に育鵬社が許されることが我慢ならないのです。」
私は、彼女のコメントに全く同意同感、私もこのままなし崩し的に育鵬社が許されることにとても我慢ができません。「つくる会」の会員の中にはそんなにめくじら立てず、育鵬社と協力して仲良くやっていた方が良いという人がいると聞いています。しかし育鵬社は、道徳的にも法的にもやってはいけないことを堂々とやっているのです。それでも目をつぶれと言うのですか。育鵬社自身の教科書にも問題があります。例えば大東亜戦争を太平洋戦争(大東亜戦争)とカッコで閉じ込め、韓国語や支那語の地名や名前は、韓国語読み、支那語読みのルビをふる。どこの国の歴史でも自国語で歴史を教えるのが常識でしょう。公民教科書には、愛国心という言葉がない。この三点は、保守陣営にとっては妥協点のない根本的問題ではないのでしょうか。これでは保守の教科書とは言えませんよ、これでどうして育鵬社と仲良く協力してやっていこうなどと言えるのですか。
育鵬社という出版社の責任もさることながら、教科書監修者6人の責任は非常に重いものがあります。その6人とは、渡部昇一(上智大学名誉教授)、伊藤隆(東大名誉教授)、渡辺利夫(拓殖大学学長)、田中英道(東北大名誉教授)、岡崎久彦(元駐タイ大使)、八木秀次(高崎経済大学教授)。彼らは、「つくる会」の教科書執筆陣よりどちらかと言えば世間的に知名度が高い、だから盗作が許されるのでしょうか。お前の書いた絵は「贋作」だと言われながら、なんら説明しようとせず、空とぼけている画家と同じことをしているようなものです。育鵬社のバックにはフジサンケイグループがある。その影響力の大きさに恐れをなしてか、保守の多くの知識人は、育鵬社も教科書執筆者も批判せず、ダンマリを決め込んでいます。このような不条理があっていいのでしょうか。その意味でも「つくる会」の広島県支部長が著名保守知識人、数十人に手紙と盗作の実態の報告書を郵送したということは、私はよくやってくれたと思うし、大歓迎するものです。
全国に所在する「つくる会」の会員たちは、祖国を思う一心での行為で、そこには私利私欲など入り込む余地がありません。逆に言えば私たち会員は、無名であるがために私利私欲で行動したくてもできない、それがために祖国への想いだけが行動の原動力なのです。ところが上記6人の教科書執筆者は違います。著名な、功成り名遂げた人たちです。それだけに私利私欲で行動できるのです。私利私欲の行動が、すべて悪いとは私は言いません。本来ならこの人たちは、思想的背景からして「つくる会」を影ながら支援するとか、積極的に支援して当然なのです。ところが彼らは、保守系教科書作成の指導権をとりたくてしょうがないのだ。それはそれで結構なことですから堂々と教科書作成にとりかかればいい話です。ところができた教科書が盗作で、しかも保守本流から外れた教科書なのです。彼らは、マスコミや自分の本の中でえらそうな事を発言したり、書いたりしていますが、実際にやっていることは汚すぎるのです。だから軽蔑するのです。この盗作教科書が今年の4月から学校の教室で使用されます。恐ろしいことです。「つくる会」本部は、人手不足、資金不足で思うように行動がとれないのはよく承知していますが、このままなにもせず黙視していいのでしょうか、なんらかの行動に訴えるべきではないでしょうか。
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By えんだんじ ( 1月 24, 2012 at 9:33 AM) · Filed under エッセイ

この記事の転載、拡散をお願いいたします。
本郷和人、東京大学史料編纂所准教授、は日本中世史の専門家の一人です。東大の歴史学者は、全員が自虐史観論者。そうでないと教授になれないどころか就職先もないという可哀そうな連中です。本郷和人もその一人。本郷は、大河ドラマ、「平清盛」の時代考証者の一人です。その彼が「謎とき平清盛」(文春新書)とい本を出版しています。この本の中で現在、巷間話題になっている「王家」という言葉を使った理由が書かれています。まず本文37頁にこういう文章が出てきます。
「楽屋話になりますが、製作スタッフの間で、天皇の家を何と表現するか真剣に討議がなされ、天皇家、皇室、あえて呼ばない、などの案も出されましたが、学問的見地から「王家」で統一することになりました(詳しくは62頁以降で)。」
62頁にはこう書いてあります。
「(ドラマ・平清盛)では、天皇や上皇の家を「王家」と称します。ですがいままでの大河ドラマでは、天皇家とか皇室とかの語を用い、王家とはいわなかった。どうして今回は新しい呼び方をとりいれるのか。
先ずおさえておかねばならぬのは、当時の言葉の使い方です。当時の人々が天皇家や皇室と言っているのに、番組が王家と呼んではおかしなことになります。そこで調べてみると天皇家も皇室も王家も使われていない、が正解です。(中略)すると天皇家と呼んでも王家と呼んでも間違いでないことになる。」
天皇家と呼んでも王家と呼んでも間違いないのであれば、いままで大河ドラマで採用続けていた天皇家とか皇室という言葉を使ったらいいではないですか。我々国民もその言葉に長い間すっかり慣れているのですから。とこういう反論が出ると思ってのことでしょう、本郷が取り出したのがある学説です。こう書いてあります。
「ある研究者の整理(「王家をめぐる学説史」歴史評論2011年8月号)によると、王家という語が用いられるようになったのは、第1章(3)でふれた黒田俊雄氏の権門体制論からのようです。黒田氏は公家・武家・寺家に呼応するかたちで、王家と称した。黒田氏に寄れば天皇は日本の国王、と位置づけられていましたから、この用い方は妥当なものといえるでしょう。
その後、西洋史の影響を受けて、日本の歴史学でも「王権」の分析が盛んになりました。戦前のように、日本の天皇は他国に例をみない唯一無二の存在である、というのではなく、天皇を国の頂点に君臨する王と捉える。そうすると自ずと他国との対照・比較の視点が開け、東アジアの中の日本・世界の中の日本を考える際にも有用である。ですので、現在の学会では、王家という呼び方が確実に市民権を得ているのです。そこで時代考証の判断として、学問的な見地から、「王家」の語の採用を提案しました。」
要するに「王家」の語の出所は、故黒田俊雄氏が主張した権門体制論からで、その主張が歴史学会で支持されて市民権を得ているから「王家」の語の採用を提案したと言うのだ。
「権門体制論」とは何か。中世史にうとい私には初めて聞く言葉です。恐らく多くの人にとって初めて聞く言葉でしょう。本郷の説明ではまわりくどくてわかりにくいので、ネットで調べたりして私が簡潔に要約してみました。「権門体制論」とは、故黒田俊雄氏(大阪大学教授)が1963年に主張した学説です。公家権門(権力)、宗教権門(権力)、武家権門(権力)が相互補完的関係で分業に近い形で権力を行使したのが日本の中世国家で、天皇はこの三権門の知行体系の頂点に位する封建国家の国王なのだという学説です。本郷は、この学説は、多くの歴史学者によって支持されたと書いているが、それはそうでしょう。戦後の自虐史観論者にとって世界史においてその特異さが際立つ天皇制が憎らしくてしょうがないのだ。なんとかして諸外国の封建時代の国王並みにその権威を落としたくてうずうずしているのです。そのための一つの手段としたのが、神話の軽視あるいは無視です。歴史学者仲間に「権門体制論」が支持されるのは当たり前でしょう。本郷は、「戦前のように、日本の天皇は他国に例を見ない唯一無二の存在である、というのではなく、天皇を国の頂点に君臨する王と捉える。」と書いているが、私に言わせれば、戦前だけでなく現在でも天皇は他国に例をみない唯一無二の存在なのです。諸外国の王は、みな一様に英語でキング(king)と呼ばれていますが、天皇はキングとは呼ばれていません。エンペラー(emperor)と呼ばれています。現在世界中でエンペラーと呼ばれているのは天皇だけです。すなわち外国人は、天皇と王の違いは詳細にわからなくても日本の天皇は王とは違うのだということだけは認識しているということです。それを自虐史観論者は、いや日本の天皇は諸外国の王と同じですよと主張しているのです。史実を曲解、歪曲、無視、ごまかしをして日本の歴史や天皇を貶める自虐史観論者に鉄槌を下したい。
本日、1月24日の産経新聞で、本郷は「王家」ということばの提案には「皇室をおとしめる意思が露塵もなかったことはまちがいありません。」と語っていますが、皆さん素直に信じられますか、それも東大の歴史学者がですよ。本郷の著作には「天皇はなぜ万世一系なのか」という本もある。私は読んでいないが、ある読者によると、天皇はいくらでも側室を持てる、跡継ぎの男子はいくらでもできる。だから男系を続けられたのも偶然の結果であって、何も最初から男系でなければならないという絶対的目標があったわけではないというのが本郷の主張だそうです。その読者は、「天皇はなぜ万世一系なのか」というタイトルを見て買ったのだが、なんだか裏切られたような気がすると書いているが、当然でしょう。本のタイトルで読者を釣っているのです。
本郷は、「そこで時代考証の判断として、学問的な見地から「王家」の語の採用を提案した。」と書いていますので、問題はその提案を受け入れたNHKです。いまから2,30年ぐらい前のNHKでしたら、「王家」の語など採用されなかったでしょう。ところが現在のNHKは、完全に支那政府の走狗と化しています。その典型的な例が、皆さんご存知の2009年4月に放映されたNHKスペシャルシリーズ「JAPAN デビュー」です。日本が台湾を支配していた時代のドキュメンタリー番組だが、その内容が支那政府がこのように放映してほしいという意向をそのまま放映した。そのため保守系の人たちや台湾人の怒りをかい大勢の人々がNHKデモに参加した。私も何回か参加した。
これは私の想像ですが、私は間違いないと思っているし、多くの人たちも私の想像に同意すると思っていることは、支那政府は、いずれ日本を支配しよう、すなわち日本を乗っ取る遠大な計画を建てていることです。数年前オーストラリアで捕まった支那人工作員が日本には二千人以上の工作員がいると発言していました。日本はスパイ防止法もないスパイ天国です。支那工作員のやりたい放題。彼ら工作員の最大目標は何だと思いますか。武力を使わずに敵国を支配するには、マスメディアを支配することです。マスメディアを支配することに全力を挙げていてその努力が着実に功を奏してきているのです。NHKへのデモ参加者がNHK関連ビルを人間の手の鎖で囲んでも、あるいはデモ参加者がNHKビルに乱入しても、マスメディアには一切報じません。外国人参政権反対デモもあちこちで何回も行われました。私が参加した横浜デモでは、デモの先頭は、幼児を乗せた乳母車を押す若奥様の集団でした。保守系デモは何をやってもマスメディアに報じられることはないのだ。日本のマスメディアは、完全に支那の配下に入ったと言ってもいいのではないか。現在の日本人は国家意識などないに等しい。自分が篭絡されているなどと思いもしないメディア人が多いのではないでしょうか。
次に韓国です。韓国が日本乗っ取り計画を抱いているかどうか、私にはわかりません。しかし韓国が日本の力を徹底して弱くしようとしていることは確かです。支那と韓国は通常仲の悪い国ですが、日本の力を弱めることには一致しますから、この二カ国が日本のマスメディアをほぼ完全に篭絡していると思って間違いないでしょう。韓流ブームは日本のマスメディアによって作られたものです。フジテレビがあまりにも韓国ドラマ放映し過ぎるし、それに放送態度があまりにも韓国寄りだと保守系の人たちが何回もフジテレビ本社にデモを仕掛けても、日本のマスメディアは一切報道しようともしません。私もフジテレビデモに一回平日に参加しました。平日にもかかわらず千人近くの人々が参加してくるのです。フジテレビ本社前のポールには、おそろしく薄汚いボロ切れ同然の日章旗が掲げられていた。デモ隊の一部がガードマンと小競り合いしながらボロ切れ同然の日章旗を引きずり落とし真新しい日章旗に変え、拍手喝采が起こりました。それでも報道されることはありません。日本のマスメディアは、完全にこの二カ国によって篭絡されたと言っても過言ではないでしょう。
マスメディアばかりでなく日本の政治家の多くがこの二カ国に篭絡されているのだ。いわゆる支那や韓国のハニートラップという甘い蜜に篭絡されていると言っていい。北朝鮮拉致問題の悲劇が最大に盛り上がった時でさえ、スパイ防止法案が議会に提出されることもありませんでした。現在ではスパイ防止法案など話題にもなりません。何故か? 悠仁殿下がお生まれる前に、皇室の男子継承問題が討議された時、旧宮家の復活はありませんでした。現在では女性宮家の新設が討議されています。しかし旧宮家の復活は討議さえされていません。何故か?憲法改正が急がれる様子も全くありません。緊急課題であるにもかかわらずです。何故か? 外国人参政権に公然と賛成する議員は、両手の指では数えきれません。何故か?国家意識のない多くの政治家や官僚が支那や韓国の工作員たちによってわなにはめられていると考えています。私たちはドイツの例を知らなくてはいけません。ソ連という国が存在していた頃、現在のドイツは東西二国に分かれていました。東ドイツには有名な秘密警察、シュタージュが存在していた。私は映画の題名を忘れてしまったが、シュタージの実態を暴いた映画を見たことがあります。ソ連が崩壊し、東ドイツが崩壊した時、秘密警察、シュタージュの全ファイルが西ドイツ政府に渡った。その全フアィルを見た西ドイツ政府は仰天した。あまりにも多数の有名、無名の西ドイツ人がシュタージに協力していたからです。西ドイツ政府は、最初これを公表しようとした。しかしあまりにも影響は大きいので公表したらドイツ社会が混乱するとして公表を取りやめにしたいきさつがあったのです。現在の日本にはスパイ防止法もない、国民は国家意識が薄い、自分の地位が安泰で利益を得られるなら、国益より自分の利益を平気で優先します。また東ドイツが崩壊した当時のドイツにはなかった社会現象が、現在の日本にはあるのです。その社会現象とは何か。自虐史観を主張する左翼連中は、敵国すなわち支那、韓国に積極的に協力して自国をいたぶることを公然とする社会現象です。日本は没落間近の末期的症状そのものです。わずかに我々保守がやっとの思いで日本を支えているようなものです。
敵は日本のマスメディアの支配権を握ったも同然、政治家も官僚もかなり篭絡させた、最後に重要な物が残っている。天皇制の廃止です。いくら日本を没落させても天皇制が存続しているかぎり、日本は復活してくることを彼らは充分知っているのだ。武力を使わずに天皇制を廃止するには、どうすればよいか。それには天皇家の権威を徹底してつぶすことです。その代表的な試みが、女性天皇制への道です。権威の失墜にはあらゆる手段が使われます。NHKアナウンサーは、「雅子様」、「雅子様」と言うけれど、決して「雅子妃殿下」とか「皇太子妃殿下」とは言いません。正しい敬語を使っているのでしょうか。テレビニュースでも、私が若い頃は天皇陛下のニュースは常にトップで放映されていたが、現在ではトップで放映されるとは限らないのだ。時によってはニュース番組の最後の方に天皇陛下の画面が放映されことさえあるのです。そして今年の大河ドラマでの「王家」という言葉の使用です。1963年、いまから50年も前に学者が提唱して学説に「王家」と呼んでいるからと言ってなぜ今頃その「王家」という言葉が使われるのですか。現在ならば「王家」という言葉が受け入れられるのではないかという思惑があるのではないか。まさに権威失墜の試みの一つ。だから私たち保守は、このドラマ「平清盛」を見てはならないのです。見れば視聴率が上がるからです。年間を通して視聴率が高いまま終了すると、「王家」という言葉は、それこそ市民権を得たと主張され、天皇家が表現されるドラマでは、必ず「王家」と呼ばれ、国民はすっかり「王家」という言葉に慣れる。だからこそマスメディアの力が恐いのです。敵がマスメディアを支配しようとする気持ちがわかるでしょう。それこそ4年後の教科書採択戦では、歴史教科書に「王家」という言葉が登場するかもしれないのです。だから私たち保守は、このドラマ「平清盛」を見てはならないのです。見なければ視聴率は必ず下がります。「JAPANデビュー」という番組が我々の執拗なデモ攻勢で次回からの放映をできなくさせたように、二度と「王家」などという言葉を使わせないためには、我々保守は絶対に見てはならないのです。『NHKは日本の敵です。』たかが「王家」という言葉ぐらいと考えていると大変なことになります。ご協力をお願いいたします。
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By えんだんじ ( 1月 11, 2012 at 12:30 PM) · Filed under エッセイ

一。ゴッドファーザー
アメリカのマフィア映画「ゴッドファーザー」(フランシス・コッポラ監督、マーロン・ブランド主演)が公開されたのが1972年、「ゴッドファーザー PartⅡ」の公開が1974年、「ゴッドファーザーPart Ⅲ」の公開が(Part Ⅱ)の公開から15年後の1989年です。この映画はもともと三部作シリーズで計画されたものではありません。最初の映画撮影中にマリオ・プゾーが書いた小説「ゴッドファーザー」がベストセラーになり、その映画まで空前の大ヒットしそのため、三部作まで作られたというわけです。映画会社、パラマウント社創立以来の大ヒットとなり、公開された1972年のアカデミー8部門にノミネートされ、作品賞、脚色賞、主演男優賞(マーロン・ブランド)の三部門を受賞した。映画の主題曲「ゴッドファーザー愛のテーマ」も大ヒット、世界中で演奏されまた歌われた。日本では尾崎紀世彦が歌ってヒットしました。この空前のヒットに味を占めたパラマウント社は、2年後の1974年に「ゴッドファーザー PartⅡ」(フランシス・コッポラ監督。アル・パチーノ主演を公開した。これも大ヒットし、その年のアカデミー賞の9部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、助演男優賞、脚色賞、作曲賞、美術賞の6部門を受賞した。アカデミー賞を受賞した作品の続編が再び作品賞を受賞したのは映画史上現在にいたるまで「ゴッドファーザー」だけです。アメリカで大ヒットした映画は、大体世界中で見られます。そのため「マフィア」という言葉は、それまで特定の人が書いたり、使ったりする固有名詞同然だった。それが完全に普通名詞になり、いまではすっかり組織犯罪を表す世界共用語になってしまいました。日本なら、ジャパニーズマフィア、中国ならチャイニーズマフイァ、メキシコならメキシカンマフィア、これで世界中の人々が何を言っているかを理解するようになったのだから映画「ゴッドファーザー」の影響力はすごい。
その「ゴッドファーザー」のPart Ⅲ(フランシス・コッポラ監督、アル・パチーノ主演)が1989年に公開された。Part Ⅱ公開後15年もたっていますから映画ファンは驚いた。ファンはPart Ⅱで完結と思っていたからです。内実はこの頃パラマウント社は、倒産の危機に陥り、経営陣は、急遽往年のヒット作に頼った。PartⅢの作品内容は可もなし不可もなしの平凡だった。しかし私もそうだが、「ゴッドファーザーⅠ、Ⅱ」に引きずられてⅢを見た人も多かったのではないかと思う。1998年、アメリカン・フィルム・インスティテューション(AFI)が映画史上初めて「偉大なアメリカ映画ベスト100」を発表した。選出したのは監督や脚本家、批評家など約1500人の業界関係者。その時の一位は、「市民ケーン」(1941年)、二位、「カサブランカ」(1942年)、三位「ゴッドファーザー」(1972年)、それからおよそ10年後2007年に彼らは再び選出の投票を求められた。トップは前回と変わらず「市民ケーン」、二位は「ゴッドファーザー」、三位は「カサブランカ」、二位、三位が前回と順位が入れ替わっただけです。Part Ⅱは両年とも32位で変わらず、PartⅢは、100位圏外であった。映画「ゴッドファーザー」の特色は何かと言えば、一言で言えば家族の絆でしょう、しかもそれが暗黒街で生活する一家の家族の物語であり、それがアメリカマフィアの歴史を描き、またアメリカの暗部の歴史をも暴くという重層に描かれた、まさに見ごたえある映画でした。アメリカのマフィアを知りたければこの三本の映画は必見です。
二。マフィアの歴史
マフィア発祥の地は、ご存知イタリアのシチリア島。シチリア島は、日本の四国の1.4倍、地中海最大の島です。紀元前8世紀にギリシャの植民地によって始まったとされるシチリア島の歴史は、日本よりはるかに古い。島はギリシャ人やサラセン人、ノルマン人によって、またスペイン人、ドイツ人、イギリス人などによって、また十字軍の時代からファシストにいたるまでさまざまの国のさまざまの人種によって16回も征服され続けてきた。すなわちシチリアは2千年以上にわたって外国の支配を受けてきたのだ。人間という者は、故国から遠く離れると悪行をしやすいのでしょう。彼らはシチリア島にやってくると悪行を重ね島民を苦しめた。シチリアの歴史は他民族による陵辱と蹂躙の連続であった。日本列島の歴史とあまりにも違いすぎます。日本民族はお人好しだが、シチリア人が、お人好し民族になるわけがない。シチリア人はよそ者を警戒し、シチリア人以外信用しない、信頼できるのは家族だけ。それだけに家族の絆は非常に強いし、家族を大事にする。映画「ゴッドファーザー」でそのことが如実に描かれています。シチリア人は、法律に困惑した。法は社会の秩序をもたらすものだが、シチリア島は、あまりにも多くの征服者の法律であふれていた。島はギリシャの法律、ローマ法、アラブの法律、ゴート人やノルマン人、フランスのアンジュー王家、スペインのアラゴン王朝などの法律によって統治されてきた。どの征服者の法律であろうと、法律は常に貧者よりも金持ちを助け、弱者より権力者にくみするように思われた。法律は村人たちのあいだの復讐を禁止したが、政府の番人や国王の軍隊による組織的な残虐行為や殺戮を許し、戦争は許され、内輪もめは禁じられたのだ。そして、真っ先に国王の軍隊にかりあつめられたのが農民であった。これでは違法行為者が英雄になるのも無理はない。何世紀もの間、貧しい島民たちは、圧政者に虐げられてきた。その間に圧政者に対し反乱を起こし成功したという劇的な一例があった。その時の圧政者は、フランス人だった。1282年(蒙古来襲の頃)の復活祭の翌日、一フランス兵が結婚式をあげようとしていたパレルモの花嫁を強姦したことが反乱の原因だった。突如、一団のシチリア人が報復のためにフランス軍を虐殺し、この報せが他の町のシチリア人に伝わると、さらに多くの兵隊が殺戮され、猛烈な外国人排斥運動がたちまち島に広がり、島民の集団がフランス兵を見つけしだい、激しく襲い掛かって殺した。数日間で何千人ものフランス人が殺された。一部の地方史家の主張したところによれば、殺された娘の母親が町をあてもなく走りながらマ・フィア、マ・フィア(わが娘よ、わが娘よ)と叫んだ、その悲痛な声からマフィアの名が誕生したのである。しかしその後この「マフィア」という言葉が「隠れ家」を意味するようになり、それがやがて島民を圧迫する支配者(征服者)対抗する秘密組織あるいは秘密結社を指す言葉として使われるようになった。
シチリア島や南イタリーからの移民が大挙してアメリカ大陸に渡ってくるようになったのは1880年代から1900年代の初めにかけてです。彼らは貧しく、ほとんど着の身着のままで正式の書類を持たず(Without Papers)故国を出てきた者が多かった。入国管理の役人たちは仕方なく彼らのカードにWOPというスタンプを押していたが、それがそのまま彼らの嘲り呼称となってしまった。WOP(ウオップ)という嘲りはWithout Papersの略から来ているのだ。シチリア人やイタリア人が大挙してアメリカのやってくる数十年前、アイルランドで馬鈴薯の伝染病がおこり大飢饉が起きた。そのためアイルランド人が大挙してアメリカにやってきた。アイルランド人もイタリア人はカソリック教徒です。アメリカ新大陸を支配しているワスプ(White,Anglo-Saxon,Protestant)たちに徹底して差別され、敵視されていた。シシリアマフィアがアメリカ大陸で最初に地盤を築き、それを発展させていったのはニューヨークでなくルイジアナ州のニューオリンズ市だった。ニューヨークではマフィアが足場を築く前の暗黒外はアイルランド系とワスプ系が熾烈な戦いをしていた。それを映画化したのが「ギャング オブ ニューヨーク」です(2001年公開、マーティン・スコセッシ監督、レオサルド・ディカプリオ主演)。まさに暗黒外でプロテスタントとカソリックの宗教戦争をしていたようなものです。
イタリア系移民がニューオリンズで足場を築いていたころ、彼らがいかにニューオリンズ市民からで嫌われていたかを示す事件を紹介しましょう。1890年10月、ニューオリンズの警察署長が暗殺され、11名のイタリア系移民が容疑者として逮捕された。ところが証拠不十分で無罪。この判決に怒った市民は、抗議集会を開き、その勢いで暴徒化し、拘置所を襲撃。拘置所の外で出くわした二人を手始めに、計14人のイタリア人を撃ち殺し、吊るし首にした。その中に事件とは一切関係ない者も5人いたのだ。このリンチ事件には市当局も市民も大喝采。ニューヨーク・タイムズ紙は、「大胆不敵に殺人を商売とする輩を縮みあがらせる絶好の機会」と称賛した。リンチを先導したのは弁護士だったが、彼は英雄視され、祝電が山のように届き。愛国心についての遊説で引っ張りだこだった。この時のシェイクスピア市長の演説など人種的偏見というより人種的憎悪のかたまりと言っていい発言をしていた。
「彼らはこのうえなく怠惰で、たちが悪く、役立たずで・・・。勇気や、名誉、真実、自尊心、信仰など、よき市民となるべき資質にまったく欠けている」
「私は極悪非道な伊太公どもの騒ぎを終結させるつもりである。いや、実際は、この地球上から彼らひとり残らず抹殺せねばならないのだ」
このニュースがイタリア本国に届くとイタリア政府は怒った。当時、世界で4番目の規模を誇るイタリア海軍はニューオリンズに向けて出港する哨戒態勢をとり、両国の大使は召還された。結局ハリソン大統領は、イタリア政府に2万5千ドルの賠償金を支払うことでこの一件は解決した。当時のアメリカの力はまだ弱かったのだ。ニューオリンズをかわきりにマフィアは、アメリカ全土の大都市に根をはっていった。そして1960年代にアメリカマフィアの最盛期を迎えたと言っていい。
1965年当時、アメリカ政府はマフィアを初めとする組織犯罪が最大の利益をあげていると発表した。それによると年間利益は推定で100億ドルから400億ドルである。この数字は当時のUSスチール、AT&T,GM、IBM,GE,などの基幹産業を全てたしたより大きい収益だというのだ。これでは政府のマフィア取締りがはげしくなるのは当然です。政権の中でもケネディー大統領の弟、ロバート司法長官時代(1961-1964年)のマフィア攻撃は有名です。アメリカ政府の厳しい取り締まりはマフィアにとって脅威であったが、マフィア内部のオメルタ(沈黙の掟)破りも大きな痛手であった。オメルタ(沈黙の掟)とはなにか。次章、(三)の(4)ジョセフ・バラキを参照ください。
三。マフィア映画に登場する人物像
マフィア映画には実在人物が多数登場します。その中でも名前が売れている人物を紹介しましょう。なぜ名前が売れているのか、それにはそれぞれ理由があるからです。
(1)アルフォンソ・カポネ
アメリカでは、週刊誌、タイムの表紙を飾ったくらい有名なギャングのボスです。日本でカポネを有名にしたのは、1960年代の人気テレビドラマ「アンタッチャブル」です。アメリカの禁酒法時代(1919年ー1933年)に自ら密造酒を作り、販売するシカゴギャングを率いるカポネとそれを追跡する正義のFBI捜査官、エリオット・ネスのテレビドラマは大変な人気番組だった。私も毎週テレビに釘付けになり見ていた。現在45歳以上の人はほとんど覚えているのではないでしょうか。カポネはイタリア、ナポリの移民の子のためマフィアになれなかった。1900年前後の時代は、シシリア系でないとマフィアに絶対になれず、マフィア本流に加われなかったのだ。1890年にイギリスの社会改革家として有名なウィリアム・ステッドは、「シカゴは地球上で最悪な都市」と言っているくらいだから無法都市と言っていい。カポネはシカゴ市長同然だった。カポネが起こした事件で有名なのが1929年2月14日の「聖バレンタインデーの虐殺」です。五人のヒットマン(殺し屋)が警察官に扮してパトカーに乗って敵対する密造酒業者を襲い、通行人一人、計7人を射殺した。「警察官に扮してパトカーにのって」の殺人ということで当時のマスコミの話題になった。カポネ本人は犯行当日フロリダにいて逮捕されることもなかった。カポネは残酷な殺人事件に絡むこともあるが、同時に1929年に世界経済恐慌時代に入ると大金を使ってシカゴ市民の慈善事業に励み市民から慕われる面もあった。結局FBIに逮捕されるのですが、逮捕理由は殺人ではなく脱税容疑だった。1932年5月にアトランタ刑務所にいれられ、5月になると新設なったあの悪名高い、極悪人ばかりを収容するアルカトラズ連邦刑務所に入れられてしまった。このアルカトラズ刑務所は、「ザ・ロック」と呼ばれ数々の映画「「終身犯」、「アルカトラズからの脱出」、「ザ・ロック」などの舞台になった所です。アトランタ刑務所でカポネは梅毒を患っていることがわかっていたが、アルカトラズ刑務所で悪化、4年半後に出所したが梅毒菌が脳にまわり廃人同様で自宅で家族に見取られながら死ねたのはせめてもの慰めでしょう。享年48歳。生前カポネは、有名な実業家コーネリアス・ヴァンダービルトのインタビューでこう語っています。
「他人が汗水たらして稼いだ金を価値のない株に変える悪徳銀行家は、家族を養うために盗みを働く気の毒な奴よりよっぽど刑務所行きの資格がある。この稼業に入るまでは、悪徳政治家など世の中で高価な服を着てえらそうな話をする悪党がこんなに多いとは知らなかった」。まさに現代でも通用する話です。
カポネを主題にした映画には「スカーフェイス」(1983年、アル・パチーノ主演)と「アンタッチャブル」(1987年、ケビン・コスナー主演)両映画とも監督は、ブライアン・デ・パルマ。
(2)ラッキー・ルチアーノ
マフィアのボスの中のボス、大ボス。イタリア系アメリカ人で彼の名前を知らない人はいないのではないか。ルチアーノは、他のマフィアボスとの比較で二つの特徴を持っている。一つはマフィアの今で言うところのグローバリゼーションと、もう一つはアメリカ政府への戦争協力です。マフィアのグローバリゼーションには二つあります。組織と人材の面です。組織の面では、わかりやすく言えば、日本のやくざみたいに何々組みがあって、組の中の縄張りだけの維持専心していたのを相互に協力しあういわゆるシンジケート組織にしたてたこと。ルチアーノは、人の縄張りを侵すことはしないが積極的に新市場の開拓に励んだ。次章で話すバグジーのラスベガス開発に資金協力しているし、一貫して彼の右腕となって活躍するマイヤー・ランスキーは、キューバの賭博事業に乗り出したりしている。最終的にマイヤー・ランスキーはバチスタ政権と協力し、キューバの賭博事業を独占した。ところがカストロ政権誕生でキューバを強制的に追い出されてしまった。ケネディー大統領のカストロ暗殺計画にマフィアが積極的協力するのは当然の話なのです。
人材面でのグローバリゼーションとは、マフイァの幹部は、絶対にシシリア人でなければならぬという掟みたいなものがあった。映画「ゴッドファーザーⅠ」で主演のマーロン・ブランドのそばに絶えずいて仕事の相談にのるトムと呼ばれる弁護士がいます。彼のように絶えずボスと一緒に行動し、仕事の相談したり、指示を受けたりする重要な役をコンシリエーレ(consigiere)と言って絶対にシシリア系でなければいけないのです。ところがトムはアイルランド系だった。コンシリエーレは、日本語で相談役とか顧問と訳されています。映画では、このコンシリエーレの役職にアイルランド系の人がついていると問題にされていなかったが、原作ではシシリア人でなくアイルランド系を採用したと言ってマフィアの間では大変な物議を醸していたのです。ラッキー・ルチアーノ自身は、シシリー島生まれで9歳の時、両親、兄弟とともにアメリカにやってきた。それでもシチリア系にこだわらず、人材登用には出自にこだわらなかった。第一彼の右腕と言われたマイヤー・ランスキーはユダヤ系です。彼の戦争協力には二つあります。第二次世界大戦が始まると、アメリカの東海岸、特にニューヨークの港は、ドイツによるUボートの攻撃や各種の破壊活動を受けていた。アメリカ海軍は諜報活動にはマフィア組織の協力が必要だと刑務所にいるルチアーノを出所させている。もう一つはアメリカ軍のシチリア上陸作戦に協力。軍はルチアーノをシシリア島に送り込み、シチリアのマフィアの協力を得ることに成功しシチリア島上陸作戦に成功。その後ルチアーノは投獄もされず、殺されもせず、心筋梗塞、59歳で急逝。ルチアーノを主人公にした映画には、「コーザ・ノストラ」(1973年、フランチェスコ・ロージ監督、ジャン・ヴォロンテ主演)と「モブスター/青春の群像」(マイケル・カーベルニコフ監督、クリスチャン・スレイター主演)の二本があるようです。実は私はこの二本の映画見てないのです。特に映画「コーザ・ノストラ」の特徴が、ルチアーノを同郷の面汚しとして憎み、長い間彼を追い続けた実在の麻薬捜査官チャールス・シラグーサを彼自身の役で出演させているというのでぜひ見たいのですが、なかなかビデオ屋でみつからないのです。
(3)ベンジャミン・バグジー・シーゲル
バグジーは愛称。彼の半生を描いた映画のタイトルも「バグジー」(1991年、バリー・レヴィンソン監督、ウォーレン・ビーティー主演)です。バグジーは、ユダヤ系マフイア。バグジーの名前が有名で語りつがれるのは、彼が現在のギャンブル都市、ラスベガスの生みの親だからです。1931年にギャンブルが合法化された。そのためでしょうラスベガスで小さなカジノホテルがそこそこ流行っていた。偶然バグジー一行がそのホテルに泊まった。彼は一人で砂漠を歩いている時、夕日が砂漠一帯に広がるのをみた瞬間、閃いたのだ。この砂漠に豪華絢爛、御殿のようなカジノホテルを建設しようと考えたのだ。彼は神の啓示を受けたと言っているのだ。実に不思議です。考えてみれば、私のように都会生まれの都会育ちでも、たまに地方に行って子供の時から見慣れていないのに、日本の原風景を見たようななつかしさを覚える時があります。それと同じで砂漠の民のDNAを持つユダヤ系のバグジーは、砂漠を見ても違和感を感じるどころか妙な親近感さえ無意識に感じたのではないか。モーゼが砂漠の民を導いたように、自分が大宮殿のようなカジノホテルを建設し成功すれば後続がやってくると信じたのではないか。彼はカジノホテル建設に邁進した。驚いたことには、このホテル建設は、大東亜戦争開始後に始まっているのです。直属のボスであるマイヤー・ランスキーや大ボスのラッキー・ルチアーノからの資金協力を得たので最初の資金集めは容易だったのではないか。予算は100万ドルであった。ところがあまりにも贅を尽したホテルなのでたちまち資金不足で200万ドル追加。それでも資金が不足した。理由はバグジーが自分流に徹底してこだわるからです。設計どおりに建設しても気にくわなければ壊して作り直し、戦争中なので良い資材がなければ外国からでも手配させる、大宮殿のようなカジノホテル建設から一歩たりとも引き下がろうとしないのだ。資金提供者のマフイアから強力な文句が出る。それを一生懸命なだめるのがマイヤー・ランスキーだ。バグジーは彼の直属の部下だし、出自は同じユダヤ系だ。バグジーの気持ちが理解していたのでしょう。資金はとうとうなんと600万ドルに達してしまった。マイヤー・ランスキーは、もうこれ以上手助けできないと言い出した。バグジーは、自分の持ち物で金目のものは全部売りはらい、自分の持っているまだ建設中のホテルの株まで売りに出した。この時期にとんでもない事件が起きた。
バグジーには、妻と二人の娘の幸せな家庭があった。ところがマフイァの間でも評判の悪い、ヴァージニア・ヒルというあばずれ女と恋に陥り、離婚し彼女と結婚した。その彼女がホテルの建設資金200万ドルを横領していたのだ。それでもホテルは完成した。1946年、終戦の翌年です。オープンの日、映画ではラスベガスではめずらしい雷と大雨の日だった。客の入りは少なく、翌日からホテル改良のため閉店、改めて開店日を知らせることにした。バグジーは、ロスアンジェルスの自宅の家に帰ったその日に、殺傷力の高いカービン銃で殺されてしまった。恐らくマフィアコミッション(マフィア全米委員会)の指示だったのでしょう。享年41歳。
彼が建てたホテルの名前が「フラミンゴ」。フラミンゴは、彼の恋人の愛称です。このフラミンゴホテルは1970年にヒルトン傘下に入り大改造して28階立ての「フラミンゴ・ヒルトン・ラスベガス」になった。私は女房を連れてラスベガスを訪れた時、このホテルを見学したことがある。その後再買収されて今では「フラミンゴ・ラスベガス」として健在しているということです。バグジーの予言した通り、ラスベガスは発展した。発展段階ではマフイアがカジノホテルの経営管理し、マイヤー・ランスキーがラスベガスの帝王のようになったのは当然の結果でしょう。そのころマフィアがどんな経営の仕方をしていたか克明に描いたのが映画「カジノ」(1995年、マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ、シャーロン・ストーン主演)です。これもマフィアを知るためには必見の映画でしょう。マフィアにとって周りが砂漠であることが好都合であった。人を殺せば砂漠に穴をほって埋めればいい、金を隠すにも穴を掘って埋めればいい、FBIの盗聴をきらうには、車をとばして砂漠に行き、車を降りて話し合いをすればいい。砂漠は悪事をするにはもってこいの場所だった。しかし現在のラスベガスは、マフィアの影もすっかりなくなりデズニィーランドみたいに健全な娯楽地と化しています。ネヴァダ州当局は、バグジーの銅像でも作ってもいいのではないか。
ところで生前のバグジーを崇めまつり尊敬していた芸人がいた。歌手のフランク・シナトラです。シナトラの両親は、シチリアからの移民で、アメリカでシナトラを生んだ。だからシナトラの人生は、マフィアにどっぷりつかっているのだ。「ゴッドファーザー」に出てくるジョン・フォンティーンという歌手がいますが、彼はシナトラのモデルと言われています。
(4)ジョセフ・バラキ
彼のボスは、ニューヨークに縄張りのあるドンの一人、ビトー・ジェノベーゼ。そのバラキがなぜ有名になったか。彼はオメルタ(沈黙の掟)の禁を破った最初のマフィアだからです。これまでマフィアは、警察に捕まっても決して自白をしない、俗に言う「けっして吐かない」のだ。吐いたら殺されるからです。これは被害者にも言えることで、被害者は自分の肉親が誰に殺されたか知っていても何も言わないケースが度々ある。そのため警察は、それまでマフィアの内部のことはほとんど知らなかったのだ。それでは何故バラキは吐く気になったのか。バラキは1959年麻薬取締法違反で35年の刑をくらいアトランタ刑務所に入れられた。同じころジェノベーゼの子分数人がやはり麻薬取締法違反で刑務所入りしていた。すべてがボスのジェノベーゼの勘違いで始まった。彼はバラキが裏切ったからだと思ったのだ。もともと彼とバラキとはそりが合わなかったこともまずかった。これを知ったバラキは殺されると恐怖に陥った。そのため新しくに刑務所に入所してきた人物を、ジェノベーゼ差し回しのヒットマン(殺し屋)と思ってしまい、バラキは刑務所内でその人物を殺してしまうのだ。それが人違いとわかるとさらに自分がいずれころされると恐怖した。そういうバラキの心境を見透かしたFBIは政府の証人保護プログラムを使って証言するようすすめ、バラキはその要求を受けた。1963年、バラキの証言は、ケネディーの弟ロバート司法長官の要請によりテレビ中継された。彼の証言でアメリカ人は、マフィアは自分たちのことを決してマフィアとは呼ばず「コーザ・ノストラ」(われわれのもの)と呼んでいることを初めて知ったのだ。1968年にロバート司法長官はマフィアに暗殺されたとも言われていますが、聴聞会でのバラキの証言は、ロバート暗殺の年にマフィアの息の根を止める組織犯罪取締法、通称RICO(リコ)法となって生きています。
このバラキが映画になった。テレス・ヤング監督、チャールスブロンソン主演、1972年公開。映画の題名は、アメリカでは「バラキペーパーズ」、日本では「バラキ」。私はバラキ役を演じるチャールスブロンソンは適役で好演していると思ったがヒットしなかった。バラキはこの映画が公開される2年前に獄中で病死した。享年66歳。
一旦オメルタ(沈黙の掟)の禁が破られると次々と証人保護プログラムを利用して証言するマフィアが現れます。その一人が13歳の時からギャングになりたくてマフィアの使い走りをしながら一人前のギャングになったヘンリー・ヒルです。彼の証言がそのまま映画化された作品がある。1990年に公開されたマーティン・スコセッシ監督、ロバーデ・ニーロとジョー・ペシ主演の「グッドフェローズ」だ。限りなく100パーセントに近い真実を描いた作品と言われています。マフィアを知るためにはこの映画も必見ですね。
(5)サム・ジアンカーナ
ジアンカーナは、カポネの部下として図角を表し、シカゴを牛耳る大ボスになった。1950年代には全米に賭博場を持つほどのビジネスの才をも見せた。1959年にFBIがジアンカーナの事務所に盗聴器をしかけたことでマフィアコミッション(マフィア全米委員会)の存在がFBIや政府に初めて明らかにされたのだ。彼の名が売れているのはケネディー家とは古くからの深いつきあいがあったことと彼の情婦、ジュディス・キャンベルの存在です。ケネディー大統領の父、ジョセフ・ケネディーは、禁酒法時代マフイァとぐるになって密造酒販売を手がけしこたま儲けたことはよく知られている。ジアンカーナはジョセフをよく知っていてジョセフとマフィアとの中が険悪になった時、間をとりもったこともあったのだ。ケネディーの大統領選挙戦時、ジアンカーナの選挙資金協力は有名です。その資金をケネディーのもとに運ばせたのが彼の情婦、ジュディス・キャンベル(当時26歳、元ハリウッド女優)です。この時ケネディーは彼女に手をつけと思われる。彼女と長く関係を持っていたことが知れたのは、彼の死後12年、1975年のことだった。全く偶然に知られることになったのだ。チャーチ委員会と言えば、日本ではロッキード事件で有名です。そのチャーチ委員会が1975年にCIAの内外における非合法活動を調査した。CIAはカストロ暗殺計画を進める中でマフィアの大物たちの協力を得ていたこと。その一人がジアンカーナであり、しかもジアンカーナの情婦、ジュディス・キャンベルが、驚くなかれ現職大統領の愛人でもあり、ホワイトハウスや大統領の旅行先で数知れぬ密会を重ねていた事実が浮かびあがった。そしてケネディーは希代の女たらしであることがわかったのだ。1980年代後半に公表されたFBIの報告によると2年10ヶ月という短い大統領在任中に、ケネディーがホワイトハウス及び遊説先の各地で「親密な関係」を持った女性は少なく見積もっても32人以上であるとしてフーバーFBI長官に報告している。
もちろんこの中にはマリリン・モンローが含まれています。マリリン・モンローという知名度では及びもつかないが、ジュディスとケネディーの交友の深さは群を抜いています。大統領選挙戦から始まり、当選して大統領就任後も2年足らずの間にケネディーのジョージタウンの自宅やホワイトハウスで確認されただけでも約20回彼女と二人だけの時間を過ごし、ジュディスがホワイトハウスにかけた電話の回数が約70回、すべてFBIに確認されておりなかにはジアンカーナの自宅から公然とかけていたのも含まれている。ジュディスの後年の回想によると、大統領とジアンカーナとの共通の愛人と言うユニークな立場にあった彼女は使者として実現させたケネディーとジアンカーナの直接会談は10回にも及び、そのうち一度はホワイトハウス内で行われたと言う。ケネディーはバカか。こういう暴露を知ると、ケネディーは女たらし特有の特徴をさらけ出していると思う。その特徴とは自分の好みの女性に会うと、常識だとか自制心など完全にふぬけになってしまうのだ。大統領がマフィアのボスと共有の愛人を持つことは、アメリカ政府にとってどんな危険なことかわかっていても交際を止められないことをあらしているも同然。クリントン大統領は、ホワイトハウスの女性研修生にホワイトハウス内で関係を持ったが、オーラルセックスは性行為でないと公言して道徳心の強い日本人(?)を驚かしたが、少なくとも国を危険にさらすことはなかったからケネディーより罪は軽い。ケネディーの女たらしが公表されてからケネディーの評判は落ちたと言われるが当然でしょう。ケネディー暗殺後、ジュディスは、一時ジアンカーナと一緒に暮らしていたが、1972年、一回り年下のプロゴルグファー、ダン・エグスナーと結婚。一方ジアンカーナは、1975年6月自宅の地下室で暗殺された。後頭部を銃撃され、さらに口の周りに6発の銃弾が打ち込まれていた。マフィア内部に詳しい者に寄れば典型的な「口封じ」を意味するマフィアスタイルの処刑方だという。享年68歳。犯人はCIAではないかと言われているが、あり得る話です。ケネディーが死に、ジアンカーナも死んだというのである出版社が大金でジュディスに本を書くよう誘ったが、彼女は断ったという。彼女は余計なことを書くと殺されるかもしれないと恐かったのではないかと思う。彼女は1999年9月、65歳で亡くなっている。ジアンカーナを主人公にした映画はないのではないかと思います。いずれケネディー、ジアンカーナ、ジュディスの三人が登場する映画ができるのではないでしょうか。
(6)トウキョウ・ジョー
トウキョウ・ジョーとは日本人でマフィアになった男、ケン・エトウの愛称です。ケンの父親、衛藤護(エトウ マモル)は、日露戦争時に小倉第十二師団の兵士として出征。同師団も多くの犠牲者が出たが無事帰国。1908年(明治41)関西学院でキリスト教の洗礼を受ける。1917年サンフランシスコに渡り、一生をアメリカで牧師として過ごした。1919年ケンがサンフランシスコから100キロ先のストックトン農場で生まれた。1933年ケンが14歳の時父親とけんかし家を飛び出した。人種差別の激しい時代、14歳では生活するのも大変だったろう。しかし反面自由奔放な生活な面もあったと思う。この間にばくち打ち(ポーカー)の才を身につけた。大東亜戦争が始まると強制収容所に送り込まれた。収容所では博打三昧で日々を過ごしたと言う。終戦後は収容所から出てアイダハオの農家で働き、バクチでつかまりアイダホの刑務所に入る。その後モンタナに移り、「モンタナ・ジョー」と名乗った。1953年、この頃シカゴに移り住んでいたらしい。FBI資料では1953年にシカゴ現れたと記載されている。いつ頃マフイアに加わったのか定かでないが、シカゴで結婚して(4回目)できた娘の話によると「父のカードさばきの腕を見てマフイアの世界に誘ったのは、カジノでディーラーの経験がある母」だと言うのだ。1983年、ケン・エトウは違法賭博開帳容疑で起訴され、捜査を受けていた。この時、マフイァ幹部は、ケンに「控訴、服役、逃亡」の選択を迫った。はっきりした返事をしないケンの態度を見て、裏切るのではないかと恐れた。この時マフィア幹部は、ケン・エトウというよりも“ジャプ”という人種その者を信用していなかったと思う。彼らはケンに警戒されないようケンの顔見知り二人に殺しを依頼した。三人でイタリアンレストランに行く途中、ケンは二人から後頭部に銃弾3発を受けた。この時ケン64歳。ところが奇跡が起こった。ケンは生還したのだ、しかも健康体で。ケン生存のニュースが流れた。ケンはまた殺されるかもしれないと危険を感じたし、裏切りもしないのに殺されかかった復讐心もあったでしょう。彼は連邦証人保護プロフラムの適用を進んで受けた。
ここでいままで度々出てきた証人保護プログラムを簡単に説明しましょう。プログラムに入れば、Tokyo Joeことケン・エトーの生死さえ不明。連邦政府保護プログラム下の証人は、氏名も住所も変え、その存在すら伏せ生活を送る人物、それを誰が知るのか?それを誰かが知ることは保護プログラムの崩壊、つまりFBIは手を引き、本人の安全の保証がなくなることを意味する。プロの探偵も尻込みをする。もちろんFBIや新聞社に何も情報がなく、その手がかりする掴むことができない。
1985年4月22日大統領組織犯罪諮問委員会にケンは、防弾チョッキをつけ、両目のところだけ穴の開いた頭巾を被り、保安官にガードされて登場、労働組合とマフィアとの関係が明らかにした。これによってシカゴマフィアの幹部たち、現職の裁判長、判事、元州知事らそれに小者を含めれば100名以上を刑務所に送りこまれた。ケン・エトーは連邦証人保護プログラムでは史上最長の17年を記録した。その間、シカゴ、ミルウォーキー、カンザス・シティー、ボストン、ワシントンDCで証言台にたった。シカゴマフィアに与えた影響、保護プログラムの長さ、証言台に立った場所の多さを見ると、ケンは日本人が故にマフィアの幹部にはなれなかったものの、重要な地位を占めていたのではないかと思う。1999年、17年間の証人保護プログラムが終わった慰労にFBIから25万ドルの小切手がケンに渡された。2004年アトランタのクリスチャン・ホスピスで死去84歳。娘の話では、25万ドルは、最後まで面倒を見たべトナム人女性に巻上げられた。父の亡骸はカリフォルニアの山中に撒いて終わりにした。このケンを主人公にしたドキュメンタリー映画が公開された。監督は小栗健一。私はこの映画を渋谷の小劇場で見た。小作品だが出来はなかなか良かった。ケンの実弟はこう語っていた。「父の話ならいくらでもするが、兄の話なら何も話したくない。兄はいなければよかったのだ」。家族のことは何も考えず、極道に走り自由奔放な生活を送り四度結婚し、64歳で頭に三発の銃弾を撃ち込まれ、それでも死なず健在に生き、復讐を果たし病院でベトナム人女性の介護を受けながら84歳で死ぬ。死後は自分のドキュメンタリー映画も製作された。人生とはわからないものだ。
四。マフィアとヤクザの違い。
ここで言う違いとはヤクザがヤクザと呼ばれていた時代のヤクザとの違いで、決して現在の暴力団との違いではありません。「侠客」と言っても最近の若者はあんまりぴんとこないでしょうから、辞書を引いておきました。侠客とは、「任侠を旨として渡世する人々」、任侠とは、「弱い者を助け、強い者をくじき、義のために命を惜しまないという気風」。これで侠客の意味がなんとなく掴めたと思います。日本最後の侠客と言われる山口組三代目、田岡一雄夫妻には一男一女がいる。一人娘の由岐さんは、音楽家の喜太郎氏と結婚し現在離婚。その彼女が「お父さんの石けん箱」と「さようならお父さんの石けん箱」という二冊のエッセイを書いています。両親への深い愛情を示し且つ彼女の人柄の良さを示す好感の持てる本です。その中で或る時彼女は両親と父のボディーガード一人と四人で映画「ゴッドファーザー」を見に行った。映画の印象を父はこのような話をしてくれたと書いています。
「向こうのヤクザは、カネもうけのためになんでもする。日本のヤクザは、カネ触るといやらしいというのがほんまなんや。一番違うとこは、そこや。だから組織の目的が違う」。確かに田岡が「組織の目的が違う」とも言えたのも事実だと思う。田岡が山口組三代目を継いだのは昭和21年、終戦の翌年、田岡34歳の時。この時田岡は、三つの誓いを立てた。
(1)各自に職業を持たせること。
(2)体制の確立。
(3)己を厳しく律すること。
そして「土建業山口組」という筆太な文字で書かれた分厚い看板を事務所の入り口に掲げた。ヤクザとマフィアの大きな違いはここですよ。公然性(公開)と非公然性(秘密)です。日本のヤクザは、その存在については、事務所を市街地に開設し看板をかかげるなどして、一般市民の充分知るところであり、また警察もそのヤクザ組織の機構や序列、活動についても相当部分把握している。一方アメリカのマフィアは、徹底した秘密組織であり、組織の全容は秘密のベールで包まれています。私はこの公然性が侠客を生む素因にもなり、マフィアに比べて殺人が少ない原因にもなっているのではないかと思っています。看板をかかげて親分になる以上、これまでのようにバカなまねはできない、それでは組員がついてこない、近所の堅気から嫌われたり、馬鹿にされたりしたら組員の士気にかかわるし、発展はない。そんなことから堅気には手をださないということにもなるし、要するに親分自身が自分を律する面が強くなる。これがマフイアのように徹底した秘密主義では、侠客など生まれるのはまれになってしまうし、殺人が多くなるのも当然でしょう。
山口組が発展してくると、田岡の目が行き届かなくなる。山口組系を名乗る末端の下部組織の中には麻薬に手を出したり、堅気の衆に迷惑を及ぼす者も出てきた。そこで田岡は、滋賀県永平寺の老師に相談して山口組の綱領を作った。
綱領
山口組は侠客精神に則り、国家社会の興隆に貢献せんことを期す。依って組員は左の各号を体現することを要す。
一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。
一、外に接するに愛念を持し信義を重んず。
一、長幼の序を弁え、礼によって終始す。
一、世に処するに己の節を守りそしりを招かず。
一、先人の経験を聞き、人格の向上をはかる。
昭和38年の仕事始めの時、この綱領は神戸観光ホテルに百人近い組員を集めて発表された。昭和46年6月には田岡は、組員の広報誌、「山口組時報」を創刊している。その創刊号で田岡はこう書いています。
「家庭にあってはよき父、よき夫であってほしい。日ごろ家庭をうとんじている者ほど、何かことあるときには、その嘆きに拍車をかけている。内を固めてから外に当たるよう」と組員にさとしている。同紙には「法律教室」や「告知板」と称する放免祝い、葬儀、服役者消息欄など話題が豊富であったという。この「山口組時報」は昭和50年1月号をもって以後発行されていないと言う。私はマフィアの人達に言いたい。日本にはこういうヤクザがいたのだ。田岡自身は売られたけんかで人を殺し8年に刑をうけた者です。金がすべてではないことが彼の行動でわかるはずです。田岡は自伝を書いているが、最後の10頁あまり妻、文子自身に書かせている。彼女は最後にこう書いています。
「まだ一つ大きな問題が残っております。それは侠客道を歩む者も、無頼の徒も同一視され、暴力団というありがたくない汚名を着せられていることです」私は彼女の気持ちが理解できます。
そして現在、ヤクザという言葉は完全に使われなくなりすべて暴力団呼ばわりされ、徹底して嫌われ、「何々組」という看板も掲げられなくなってしまった。これでは暴力団は地下にもぐり、徹底して秘密主義が貫かれる。すなわち暴力団のマフィア化につながる。危険な不気味な存在になってしまう。それでもいいのですか。前科者でもなく、警察に追われているわけでもない暴力団員とつきあっては何故いけないのですか。鈴木宗男前議員は、刑務所暮らしから現在出所しています。いずれにしても前科者です。その前科者が今度の総選挙で立候補します。前科者の議員とはつきあってもいいが、暴力団員であったら前科経歴がなくてもつきあってはいけないのですか。もしそうなら人権侵害ではないですか。私は読者に訴えたい。私たち庶民は、前科者の庶民には非常に冷たくあしらうが、金持ちや、政治家、あるいは有力者の前科者には甘いのだ。現在のマスコミは、民主党政府にも怒れない、反日日本人組織にも怒れない、隣国にも怒れない、怒れる先は暴力団だけ、それだけに暴力団が目の敵にされるのだ。暴力団と芸人が付き合って何が悪いのだ。テレビで大討論しなければならい大問題か。現在の暴力団組織など少しも恐くない、暴力団で国がつぶれることは絶対にない。現在最も恐いのは反日日本人組織です。日教組など暴力団よりはるかに恐い存在です。私は暴力団をえこひいきするつもりはないが、日教組、自治労、反日市民団体などの不法行為には暴力団と同じように厳しい捜査をしてもらいたいと思う。政府は、最近「環境影響評価書」を沖縄県庁に宅急便で送った。その配送を阻止した反日市民団体の行為は違法行為ではないのか。同じことを暴力団がやったらどうなるのだ。法律は平等に施行されなければならないはずです。
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