夏の甲子園、高校野球雑感

私はプロ野球は、阪神タイガースのフアンだから、ここ何十年間とテレビナイターを見てきたが、夏の甲子園の高校野球は、今年何十年ぶりかで初めてテレビ放送を見た。それでは何故、夏の甲子園の高校野球のテレビ放送を何十年間も一度も見たことが無かったのか。高卒後何年後か、何十年後かに初めて夏の高校野球の試合をテレビで見たとき、画面ではファンが母校の応援歌や母校の校歌を歌っているとき、私は母校、県立鎌倉高校の応援歌や校歌の歌詞の一言も、そのメロディーの一節すらも思い出せなかったのです。完全に忘れてしまっていたのであった。
それには理由があった。私が中学校を卒業する前年、昭和25年(1950)の4月からいわゆる「就職列車」が始まっていた。経済力のない地方在住者の中卒生を大都会に集めるために政府は「就職列車」という夜行列車を運行させたのだ。それから20年間運行させたのだ。私は現在81歳だから現在60歳位から81歳ぐらいまでの人たちの最終学歴が中卒の人が一番多いい年齢です。
私は神奈川県川崎市生まれの神奈川育ち、戦争中父親の故郷、富山県射水市に一年半ぐらい疎開、戦後は神奈川県の横須賀市の追浜に小1から中卒まで9年間住んでいました。中卒の時、父は藤沢市辻堂にぼろやを建てた。その時、我が家では私が公立(県立)の高校に入学できなければ中卒で働かねばならないことは十分わかっていた。その頃湘南地方のトップの高校は湘南高校であった。中学の先生によると組で5番の私の成績では湘南高校は無理だからと言って鎌倉高校を進めてくれた。その通りにしたら無事鎌倉高校に入学できた。
入学して初めてしったことは、いわゆる湘南地方に住む住民は、いわゆる中産階級で、横須賀市追浜に住む人たちとの貧富の差が大きすぎることだった。
私が住んでいた追浜は、車やバスが走る道路から山頂をめざして15分ぐらい上り詰めた山中の中であった。私の家より上は三、四軒の家があるくらいで、その上は山中に入った山の中だった。水道などあるはずもなく、四軒で使う共同井戸は、つるべ落としで水をくみ上げていた。6畳と4.5畳、と台所の借家だったが、小さな庭があった。我が家は五人家族で両親と私と二人の妹。父は戦後、重症の肺結核で入院、片肺切除で、4,5年入院していた。長男一人の私は小さい時から家の手伝いをした。井戸水の汲み取り、サトイモ、じゃがいも、サツマイモ、トウモロコシ、野菜などな栽培の母親の手伝い、便所は汲み取り、これは私が男だから私専用の仕事だった。便所の汲み取りでは思い出がある。長いひしゃくで汲み取り、大きなバケツに入れ、バケツがいっぱいになると畑の中に大きな穴の中に捨てる。これを繰り返すと便所の中はきれいなるのだが、最後の残った濁り水を完全に汲み上げることが出来ず、どうしても少し残ってしまう。便所掃除をして、最初の犠牲者が、健全な大便をしたとき、その大便が便所掃除で取尽せなかった濁り水の中に落ち、ポチャリと上に跳ね返るのだ。跳ね返り水がお尻の肌に当たるのだ。それを二、三人繰り返すと、正常に使えるのだ。
そんな貧乏生活した上で、ぼろ家とは言え、一応新築した家に引っ越したので家族は喜んだ。
何しろ終戦直前に重症の肺結核で入院、片肺切除で4,5年入院して、退院後すぐに働きだしてから建てた家だからです。退院後の無理な働き方が原因か、一家が藤沢市の辻堂の引っ越した直後に、父は腎臓結核を診断され、医者から二つある腎臓のうち、一つを手術で切除すること宣言された。父は家を新築したばかりで、腎臓など切除できるかと怒るようにして、現代医療のすべてを拒否するメシヤ教という新興宗教に凝った。こうして我が家には再び新しい医療問題がもちあがった。

私は県立鎌倉高校に入学すると、まず私がびっくりしたことは、男子学生でも多くが、友達同士で「君」、「僕」と話していることだった。横須賀では男子生徒全員が、「俺」、「お前」だ。私は即座に男子生徒とは友達になれないと判断し、積極的に交わろうとはしないことにした。中学校は横須賀だから中学時代を知っているやつは誰もいなかった。私が孤立的になるのはとても楽だった。その頃鎌校は、私にとって好都合なことをやっていた、高校生のアルバイト禁止だ。当時「江の島ゴルフ場」と言うゴルフ場があった。藤沢駅、鎌倉駅間に江ノ電が今でもある。駅名から言うと「江の島駅」、「腰越駅」、「鎌倉高校前駅」、などと順番にあるがこの腰越駅から山を登ってゆくと、景勝地江の島が一望できる江の島ゴルフ場があった。山坂のきついコースだったが、このゴルフ場のオーナーが獅子文禄の小説「大番」のモデルと言われた佐藤和三郎です。私は夏休みの三年間キャディーをやっていた。この間現在俳優の中井貴一の父親、有名俳優の佐田啓二のキャディーをやったことを覚えています。
学校では、授業料以外に払うお金はすべて欠席していた。修学旅行、クラブ活動、運動部のクラブ活動など。高3の時、一週間の北海道旅行があった。一週間学校は休みかと思ったら、修学旅行中の一週間は、持病持ちであまり体力のない男子生徒と私と二人で学校でおしゃべりしたり、本をもっぱら読んでいた。修学旅行が終わって全員が学校に戻った時、担任の先生が鈴木が可哀そうだと思って皆がお土産を買ってくれたというので、私は前の方に出てもらった。先生が皆にお礼を言えというので、「ありがとうございました」と言った。これは私には屈辱以外の何物でもなかった。こうして授業以外は、全部欠席し、夏休みは三年間極秘でゴルフ場のキャディーをやり、鎌倉高校の校歌や応援歌を歌うこともなく卒業してしまったのだ。母校の校歌や応援歌を何一つ覚えていないのは当然です。今年の高校野球は、大阪の履正社高校が初優勝、創立1922年以来の初優勝だから、同窓生、先輩たちは、感極まったことでしょう。私には青春時代の楽しい思い出は何もないのだ。

卒業まじかになると女生徒は働く人が沢山いるので、学校側から就職先の連絡があるのは当たり前ですが、男子生徒は全員大学受験ですから私にはなんの連絡ありません。担任の先生は、「鈴木君、君は就職すると思うが、君、どうする?」と聞くから、「僕は、職安で探すからいいですよ」と言って、先生とのかかわりを断ってしまった。あの当時、横浜の長者町に職業安定所があった。そこにゆくと、英語がしゃべれると、いくらでも仕事があり、給料も結構高い。そこで私は英語をもっと勉強しようと思い、横浜在住が長い人は、知っている人が多いいと思いますが、横浜山下橋の近くにバンドホテルがあった。ボーイにでもなれば、英語を話す機会が多くなるのでないかとバンドホテルのボーイになった。初任給昼食つきで6,500円だった。高卒18歳から定年61歳までの43年間は、波乱万丈の生活だった。
私の生き様ぶりは、私の小説、「えんだんじ、戦後昭和の一匹狼」(文芸社、1,600円)に描かれています。今思うともっと日本国内の政治情勢を書くべきだったと思う点があるのです。戦後長い間日本は、苦労した。その長い期間、民間ビジネスでは、多くの民間人ビジネスマンが才能を発揮して世界的ビジネスマンになった人も沢山います。しかし政治の世界では、戦後の長い期間、特出の才能を示した政治家が一人だけいた。田中角栄だけである。戦後、日本は常に米国追従であった。吉田茂以下30名の総理大臣のうち、田中角栄は極めて異色であり、唯一、毅然とした姿勢で米国と対峙した。日本の国益を常に追求し、これを第一番目の基準におき物事を判断し、勇気をもって米国のはばかることなく独立独歩の政策を次々と実行し、真の意味での総理大臣中の総理大臣であったというのが私の田中角栄の総合的評価です。ところが田中角栄の金権政治ぶり徹底的に批判された。石原慎太郎も自民党議員だが、ボン、ボン育ちの若さゆえに角栄の苦労がわからない。読者の皆さん、男というものは、金のない男は、目くそ鼻くそと同じ。全く役立たないのだ。政治家にとってはなおさらだ。私も高卒後、外資系五社を渡りあるき、61歳で定年、再就職することなく現在81歳まで半ば作家気分で本を書き続けられるのもその蓄えがあるからこそなのだ。田中角栄反対の急先鋒だった石原慎太郎も都知事になったころから、角栄のすごさが分かったのでしょう。石原が84歳(2016年)のとき、角栄を天才とほめあげ、小説「天才」を書き、出版。石原を礼賛し、それがベストセラーになっているのだ。
その後田中角栄は、日米政府の司法界の謀略に巻き込まれたロッキード裁判という「冤罪事件」に巻き込まれ、病気になり病死してしまった。吉田茂以下総理大臣は、沢山がいるが、田中角栄以下は、総理大臣に値しない政治家ばかりだ。現在の政治環境を見てみろ、日本は戦後大変苦労してきたのだ、それにもかかわらず、政治家稼業は、家族経営、すなわちフアミリービジネスに陥ってしまったのだ。日本みたいに家族が代議士出身の代議士が多いいのは世界でも非常に珍しいのではないか。日本の将来に希望はもてません。これからはずっと下降線をたどるのではないか。ここからは、皆さん、最重要なことを、書きますからじっくり読んでみてください。私たち日本は、明治憲法の下で日清、日露戦争、第一次世界大戦を戦い、これらの戦争で戦い勝利し、大東亜戦争でアメリカに負けた。勝利国のアメリカは、太平洋戦争は日本が悪かった主張し、アメリカ占領軍が作った憲法を押し付けたのだ。戦争に負けた国が、勝った勝利国に憲法を押し付けられ、その憲法を改正することもなく、そのまま大事に70年間以上使い続けている国は、世界には日本以外にありません。田中角栄が生きていたら、現行憲法を無効にし、新憲法作成にまい進したことは間違いないと私は思っています。

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なぜ日本民族は、核シェルターを作れないのか?

なぜ日本民族は、核シェルターを作れないのか?
毎年八月になると、広島、長崎で原爆慰霊祭がNHKテレビなどで必ず放映される。それと同時にNHKは必ずこの時期に大東亜戦争当時の戦争ドラマやドキュメンタリードラマをいくつか放映し、いかに日本軍が悪かったを示し、大東亜戦争日本悪玉論を日本国民に植え続けているのだ。今から30年ほど前、私は現在81歳だから、私が50歳位ごろから、毎夏もう日本は核シェルターを作るべきではないかと考えていた。核実験の一切禁止を長年世界に訴えても、核実験禁止どころか、新たに核武装する国が増えているからだ。さらについ最近、2019年2月、トランプ大統領は、ソ連と結んでいたINF全廃条約(中距離核戦力全廃条約――米ソ間で結ばれた軍縮条約)の破棄をロシア側に通告。その後米は、中距離ミサイルでは世界最大数を持つ中国に、米中ロの三加国での話し合いを求めたが中国とロシアは応じなかった。1967年(昭和42)日本では佐藤栄作首相が、日本は「核兵器は持たず、作らず、持ち込まず」といういわゆる非核三原則を公言した。その7年後の1974年、佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞している。昭和40年代では、まだ世界では核シェルターを充分備えている国はなかったのでしょう。だから核戦争は起きなかった。しかし現在は違う各国の核シェルターの普及が進んで、家庭用の核シェルターまであるのだ。この世界の現実を見て、もし世界に核戦争が起きたら、日本民族は間違いなく全滅してしまう。例えわずかでも日本民族の生存を願って核シェルターを作らなきゃダメだと、原爆犠牲者の家族の中からでも日本にも核シェルターを作ろうという声が上がって当然だと私は思っているのです。ところが未だに核シェルターに最も敏感と思われる原爆犠牲者の家族からの声が何一つあがりません。
今から30年前、私の50代初めのころから現在まで東京の地下鉄の発展を目の当たりにみて、これだけの技術を持ちながら、なぜ公共施設の核シェルターを作らないのだろうか不思議でしょうがなかった。作る技術やお金の問題でない、一般国民の核シェルターに関心があるか、どうかの問題であった。何でも技術革新があるように30年前は、核シェルターといえば防空壕タイプでいまや家庭用の核シェルターもあるとのこと、日本核シェルター協会では、人口あたりの核シェルター普及率は、下記のごとくであるという。
スイス 100%、 イスラエル100%、 ノルウェー 98%、 アメリアか 82%、ロシア 78%、 イギリス 67%、シンガポール 54%、日本 0.02%
日本には核シェルターは、ほとんど一基もなしのような状態です。イスラエル、スイスが100パーセントというのは両国とも家庭用核シェルターのメーカーがあるからだ。特にすごいのは、スイスだ。1963年の法律で義務化、核シェルター普及は官民一体となって推進中だ。新たに建設される大型ビルには、民間、公共問わず地下に核シェルターを設けることが義務付けられている。公共核シェルターは全国に5000基あまり。病院や学校といった公共の地下にあるシェルターを合わせると、その数30万基にもなるという。全人口の114%収容が可能。広島、長崎両市民、両市長、両原爆被爆者たちに言いたい、あなた方は、戦後七十年間なにをやってきたのだ。核兵器実験の禁止をいくら世界に訴えても核保有国が増えるだけ。このままだと核戦争が起きても、生き残れる日本民族はいない。だから日本にも核兵器を作ろうとあなた方が声をあげれば、危機意識のない他の日本人の魂を揺り動かすことができると思います。それには、原爆慰霊祭や世界にむけて核実験反対の声をあげた原水協(原水爆禁止日本協議会)や原水禁(原水爆禁止日本国民会議)の両方を脱退しなければなりません。なぜなら両団体は原水協(社会党や総評中心)、原水禁(共産党中心)にできた左翼政党。左翼政党は思想を訴えることはできても何も実行力はありません。広島、長崎の両市民や原爆犠牲者がいるご家族の皆さん、ぜひ両会を脱退して日本国内にも核シェルターを設置しようと運動を始めてくれませんか。日本政府に核シェルター建設の資金を出させ、広島、長崎、両市民も多少なりとも資金を負担して頂くというスイス方式で核シェルター建設しようという気持ちがおきませんか。核シェルターを建設しようと気持ちが起きるどころか、広島、長崎両市は市内の高校生をこの夏、国連に行かせ、「核実験絶対反対」の演説をさせているのだ。広島、長崎両市議会が、日本にも核シェルターを建設すると決心すれば、全国の地方都市にも広がると、私は思うのですけど。

核シェルターの外に日本は戦後70数年間何もやってこなかった大きな問題があります。皆さん、なんだと思いまうすか、現行憲法の破棄、新憲法制定、ないしは現行憲法の改正です。皆さんご存知のように現行憲法は、戦後のアメリカ占領軍(GHQ)が作ったものです。外国がつくった憲法なんか破棄して当然、少なくとも改正されて当然。ところが日本は未だに改正すらしてこなかったのだ。ここでも日本民族は、当然すべきことが何事もできずに終わっているのだ。日本政府の発表によると、戦後主要国の憲法改正数の数を見ると、
アメリカ6回、フランス27回、ドイツ62回、イタリア15回、インド103回、中国10回、韓国9回、日本0回。
日本は憲法改正数0の上に、1967年(昭和42)に佐藤栄作首相は、日本は「核兵器は持たず、作らず、持ち込まず」という非核三原則を公言した。核戦争が始まると日本人は待避する核シェルターがないから、皆自由に「死の灰」を吸えて日本民族はこの地球上からほぼ消え失せてしまうのだ。バカ、バカ、バカな日本人よ。日本は核兵器を自ら作って、どこかの国に落としたのか、こんな愚かな外交政策をとっている国が日本以外にどこにあるのだ。ぼけーっとしていないで、目をさませ!こんど安倍政権は、ごまかしの憲法改正でなくて、日本の文化、歴史にもマッチした、日本の国情にも、世界の情勢にも適合した新憲法を作り出す雰囲気づくりがまず必要なのだ。いずれ近い将来、核戦争はおこるでしょう。核シェルターを持っている国は、全民族が生き残るわけではないが必ず生き残る人がいるのだ。しかしこのままでは、日本民族は生き残れないのだ。ボケーっとしてバカ面している日本人よ、「平和」は誰かに与えられる物ではないのだ。自分の行為で平和を作り出すものなのだ。その意味で現行憲法を破棄し、新憲法制定に反対するどころか、憲法改正にも反対するや野党議員とか知識人は、お前らさっさと先に死ね。お前らに生きている価値は全くない。お前らは即、死ぬことによって価値が生まれるのだ。お前らが死ねば、即日本は、新憲法制定してアメリカ保護国から脱却して、完全な独立国になるでしょう。私の人生はあと10年くらいでしょう。私の死後10年以上も現行憲法を利用しているなら、私が化けて出るぞ。もういいかげんにして、現行憲法問題は、新憲法制定でけりをつけろ。

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「80-50問題」は共産党のせい。(その2)

前回、(その一)で伝えたように、私が中学を卒業する前年、昭和29年(1954)4月5日、15時33分発青森駅発上野駅行き臨時夜行列車。これが、その後20年間呼ばれる「就職列車」の始まりだった。北海道、東北、北陸、九州、中国、四国などから中学卒業生が就職先として大都会に呼び寄せられたのだ。私は現在81歳だが現在79歳から99歳までの年齢の人は、最終学歴が中卒の人が一番多いい年代だということです。
私が高卒で社会に出て驚いたことは、大学生が共産主義にかられた政治的な暴動に出る行為が非常に多かったという印象だったことです。
アメリカ占領軍(GHQ)が占領当時の政策の一つに治安維持法の撤廃と政治犯の釈放の要求だった。約220名の共産党員が獄中から解放され、徳田球一、宮本顕治、志賀義男、袴田里見などが出獄と同時に、「党拡大強化促進委員会」を作った。機関誌「赤旗」を再刊行し、党本部を現在の渋谷区千駄ヶ谷に置いた。戦争に反対した共産党員たちの出獄は、凱旋将軍を迎えるように歓迎されたのだ。その後数十年間、共産党や容共勢力(労働組合、国労、日教組、日弁連、知識人、学生たち等)が我が世の春を謳歌するように暴れまくったと言ってよい。
私が高卒で働きだし、大学生の年齢になったころ。1960年6月(昭和35)に全学連が衆議院南通用門から国会にむけデモを仕掛け警官隊と激突した。その激突の最中に全学連の共産党員で東大の女子大生、樺道子さんが死亡した。死亡原因は警官隊との激突最中に転び彼女が下敷きになったからだ。当時女子大生は少なかった。それが東大の女子大生だから大きなニュースで取り上げられた。死亡時彼女は22歳、私と同じ年だ。私は貧乏、高卒で働いていたから大学生のストライキなど徹底して軽蔑していたから死亡した東大女性など同情心すらもわかなかった。

それから20年位たつと私も勉強して現在日本の保守知識人と言われる人たちの中には、共産党員だったり、全学連に加盟したりして反米親ソ活動に参加していた連中が多いいことを知った。例えば、最近自殺した西部邁だ。西部の年齢は、私より一歳若い。彼も共産党員で全学連の幹部だった。彼も死んだ東大女子大生、樺道子さんと同じデモに参加していた。西部の人生の後半には、有名な保守知識人になっていた。「俺は自殺する」など偉そうなことを言っていたが、いざ彼が自殺すると、彼の直近の部下、二人が自殺幇助者として逮捕されていた。若い時全学連に加盟したり、共産党員になったりした男が、大人になると有名な保守知識人になる人間は、西部邁以外にも大勢いる。「つくる会」の会長のとき八木秀次は、「つくる会」の執行部には極秘にして中国のスパイ網の一組織といわれる「中国社会学院日本研究所」を訪問し歴史認識をめぐって会談し、その後は逆に中国の歴史研究者を日本訪問させているのだ。その結果八木秀次は「つくる会」を追われ、その抵抗として数々の暗躍策を講じた。その一つが「つくる会」の幹部が現役の共産党員だというメイルを流しているのだ。そんなこと言えば。「つくる会」の理事経験者で現在は育鵬社の歴史教科書代表執筆者、伊藤隆氏は、共産党員です。この八木秀次が第二次安倍内閣が作った「教育再生実行会議」のメンバーの一人になっていたのには驚きのいたりです。

私は「つくる会」の神奈川支部の会員になって15年のベテラン会員です。「つくる会」の公立中学校用の歴史教科書と公民教科書の販路の邪魔をするのが各地方にある教育委員会。教育委員会のメンバーは、ほとんどが日教組あがり。日教組と言えばミスター日教組、と言われた悪名高い槙枝元文氏。彼は1971年に日教組委員長になり1975年に総評議長になっている。日教組委員長を12年間務め、又委員長になる前は日教組の幹部役員を務め、計30年間日教組の幹部だった。まさに「ミスター日教組」だった。その彼が日教組委員長時代の1973年に訪朝し、その際にこう語っている。
「この国は、みんなが労働者であって資本家、搾取者がいない。だから、みんながよく働き、生産をあげればあげるほどみんなの財産がふえ、みなの生活がそれだけ豊になる・・・この共産主義理論を徹底的に教育し、学習し、自覚的に労働意欲を高めている。またこのころは、労働―生産-生活の体験を通して現実的にも実証されているから国民の間に疑いがない。生活必需品はべらぼうに安い。ただも同然である。したがって生活の不安は全くない。だからこの国には泥棒がいない。泥棒とは富の片寄ったところに発生する。この国には泥棒の必要がないのである。泥棒も殺人犯もいないから警察官もいない。交通整理やけが人のために社会安全員が街角にたっているだけ」。(「チェチェの国、北朝鮮を訪ねて」、読売新聞1974)
槙枝は、この時52歳、私はこの時3人の子持ちで35歳の亭主。私は凡人亭主だが、当時の北朝鮮を見る目は、槙枝ほど大馬鹿ではない。槙枝の支配する日教組の先生たちに気に入られる自虐史観もあらわな歴史教科書や公民教科書を戦後の出版会社を出版し、文科省は教科書採択戦の度に文科省許可を与えてきたのだ。さらに1982年、宮沢喜一内閣官房長官が近隣諸国条項「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」
文科省は教科書についてこの点が敏感になった。さらに1980年代に社会党の石橋委員長が非武装中立論を提唱。日本人が主張する論理には論理的な面、法的な面での考慮は全くなし、只情緒的に主張するだけ。知識人が非武装中立を唱えれば、進歩的文化人と呼ばれるのだ。
文科省はまた南京虐殺事件はなかったと否定する「つくる会」の歴史教科書には検定合格を決して与えなかった。文科省は、南京虐殺否定論者の学術論文を一切無視し続けた。そのため日本中に使用されている中学校の歴史教科書に南京虐殺事件を否定する教科書は一冊もなかった。 2015年(平成27)10月、南京虐殺事件についてユネスコは中国の申請に対し記憶遺産に登録した。これは安倍政権の大チョンボです。
戦後50年間は、共産党を含む容共勢力、(日教組、労働組合、教育委員会、歴史学者、市民団体、日弁連、朝日新聞を筆頭とする各メディア等)発言力、行動力が最高に強かった。これにくわえた政府の反発力は弱かった。その影響力が日本国民の愛国心の強さを弱めてしまった。一つ例をあげれば、「思想、信条の自由が常に正しい」と主張するあまり公立の小、中、高、では「君が代」を歌わず、「日章旗」を挙げなくなってしまった。現在日本人の愛国心は史上最低でしょう。

ここで読者の皆さんによく知ってもらわねばならないことがあります。愛国心の薄い民族には共産主義が流行るということです。では日本共産党の実体を見てみましょう。
党員数:1961年・8万800人、1982年・48万人、2017年・30万人。
「しんぶん赤旗」の読者数:1961年・30万人、1980年・355万人、2017年・113万人
支部数:2000年・2万6000、2006年・2万4000、2018年・2万支部。
政党への個人寄付額:2016年・日本共産党(80億2362万円)、自由民主党(39億7356万円)、公明党(25億6560万円)、共産党の個人献金は自民党の二倍、公明党の3倍以上。日本共産党の議員数:国会議員2018年現在・衆参26名(衆議院12名、参議院14名)、地方議員2017年現在2754名(都道府県議会149名、市区町村議会2605名)
これだけ多くの議員を抱えている共産党は、明らかに大きな政治力を持っています。

それでは世界の共産党の勢力を見てみましょう。現在、共産主義の国は、中国、キューバ、北朝鮮、ベトナム、ラオスの五か国のみ。主要先進国で共産党が国会で議席を持っている国は日本とフランスのみ。ところがフランスの共産党はジリ貧が続くため党名変更が議論されているのだ。少し古い話だが昭和29年8月のニューヨーク・タイムズが世界で共産党を非合法化している国を調査しています。非合法化している国は、アメリカ、スペイン、韓国など約40か国、違法ではないが制限している国は西ドイツなど多数あります。要するにもう欧米では共産主義が死滅しつつあるのだ。二十世紀は、共産主義の誕生と死滅を目撃した世紀と言われています。「共産主義国書」によれば「ソ連2000万人」、中国6500万人」が粛清・殺戮されたと述べています。それではなぜ日本の共産党だけが隆盛を迎えているのか、世界では極めて珍しい珍事と言っていい。読者の皆さん、その理由は何だとおもいますか。その理由は現在の日本人は、世界最低の愛国心しか持っていないからです。一つ数字を上げましょう。日本の調査機関が36か国を調査した。「もし戦争が起こったら国のために戦うか?」
「はい」と答えた日本人は15.6%、韓国人は74.4%、中国人は89.4%、アメリカ人は63.3%。

50年間以上も自虐史観が教えこまれ、日の丸を上げず、君が代も歌わない時代が長く続いた。現在でも日本をことさらひどくけなす人が多いいから愛国心などないのだ。
現在、「80-50問題」があります。親が80歳代で子供が50歳代。親は大学出で、子供も大学出て、子供50歳代でも「引きこもり」。私も8月で81歳になる。私の年代の大学生は、全学連の大学時代、卒業すれば大企業のストライキ、日教組(学校の先生)のストライキ、国鉄労組のストライキ等々、ストライキ慣れして、日本全体が共産主義国家にはならない、と思って、無意識のうちに容共精神になっているのだ。50代の自分の子供が「引きこもり」になっても老後は生活保護などで政府が面倒見てくれるだろうと安心感にふけっているのだ。そこで私は、現在の年寄で年齢が75歳位から95歳位の年齢で大学に進学しておらず、特に中卒で大都市に働きに出た人たち。私は高卒で苦労したが幸い自宅が大都市、横浜に近かったから就職列車に乗らずにすんだ。中卒で就職列車にのって大都会に働き来た人たち、あなたがた大変苦労して生活を築きあげた人たちだ。私はあなたたちの苦労がわかるのです。明日の日本に向かって苦労する日本に向けて、あなたたちの率直な意見を積極的に公言してください。特におばあさんたちには、現代の若い女性には、きっと苦言があるはずです。それを世間に向けてどん、どん発言してください。私の時代の大学卒業生たちは、皆さん、大なり、小なり組合活動などで共産主義の影響を受けているのだ、高卒で終わった人、中卒で終わった人だけが共産主義に影響を一切受けてこなかったのです。日教組の先生方は、皆、共産主義の影響を大なり、小なり受けているのです。50年間以上自虐史観の歴史をふりかざし、祖国日本をぼろくそにけなし、学校で君が代を歌わせず、日章旗を上げる事さえ禁止したのだ。それだけに皆さんの声が大事なのです。お願いです、大声をあげてください。共産主義者たちを徹底的に叩き落としましょう。

参考文献:拙著「保守知識人を断罪す。(つくる会)苦闘の歴史」 総和社、平成25年
     「日本共産党の正体」。福富健一、新潮社、平成31年。
    「数字の比較でわかるトンデモ日本」。「日本の数字」研究会、主婦の友社、2021年。         
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「80-50問題」共産党のせい。(その1)

80歳代の両親に寄宿して暮らす子供たちが世間的な問題を越したり、或いは親が自分たちの死後を心配して問題を起こしそうな自分の子供を先に殺したりする。親が80代で子供が50代の人は多いいので略して「80-50問題」と呼ばれている。80代と言えば、私がちょうど80歳だ。この8月になれば81歳、子供3人いるから上の娘二人は、二人とも50歳を超えた。一番下の長男は、50歳直前です。私は結婚式をあげた時、妻は妊娠3,4カ月だった。仲人をしてくれた上司は、ささやかな費用でいいから結婚式を挙げた方がいいと言ってくれたので自分で貯めた少ないお金を使って新宿の公民館であげた。二人の娘が生まれ、三番目に長男が生まれた。私は最初から三人産むつもりだった。当時は結婚した夫婦は、皆一人か二人だった。猫も杓子も子供は一人か二人だった。私はそれがいやだった。三番目の長男が小学校2,3年の時私たち夫婦は離婚した。離婚した時、女房は二人の娘を引き取り、私が買ったマンションに住み、私は息子を引き取り、私と息子は両親と一緒に住んだ。その理由は女房が息子の勉強のできが悪いので、こんなバカな子はいないと息子の前で堂々と言い、上の娘二人とあからさまな差別をしていたからだ。さすがに息子と私が、マンションを出るころには息子に対して急にねこなで声になり急にやさしくなった。息子は、母親のあからさまの変化には少しは動揺していたのだろう。私と息子が私の両親がいる藤沢にもどると、両親は私に直ぐ言った。息子は私が家にいる時は、私の言うことを素直に聞くが、私が会社に行っているときは、両親の言うことをなかなか素直に聞いいてくれない。おやじは、「あれはひょっとすると問題児になるぞ」と言って私を脅した。藤沢への小学校の転向手続きをとり、藤沢の小学校に通い始めたころ、突然息子が我が家から消えた。別れた女房に電話すると息子がいた。息子は、これからはママと一緒に暮らそうと言うから、僕もそうするというのだ。
私は、女房が一時的気まぐれでそういう方法を選んだのを知っていたが、息子には説明するのが難しかった。そこで「お前がママと一緒に住みたいなら、一緒に住みなさい。ただし自分が何処にすみたいのか、決めたら、次々と自分の住むところを変えるようなことはするな。小学校を転向するには必ず手続き必要だからな。」と電話を切った。
私はいずれ、ママから息子にもうお前はパパと一緒に住めと言われるだとうと思っていた。あれから二、三週間たったのか、一、二カ月経ったのか忘れてしまったが、夜中に息子から電話がかかってきた。息子は泣きながら、ママがもうパパのところへ戻れと言われたと言うのだ。その時、私の母は病気で入院するところだった。
私は一瞬、ちゅうちょなく次のことを言った。そのことが結果的に良かったのかどうかわからない。
「いいか、なお(直、息子の名前)、この前これからはママと一緒に住むと言っただろう。お前がそういうからパパはそう決めたのだ。今度はパパと一緒に住みたいという。そんな弱い精神状態でどうするのだ。男が自分で決めたことを、ママの都合であきらめるとは何事だ。
男が一旦口に出したことを、そう簡単に諦めてどうするのだ。」息子の返事を待たずに私は電話をきった。
後になって考えたのは、あの時息子の返事を待たずに電話をきったのはまずかったのではないか?母が入院でも息子を暖かく迎え入れるべきではなかったのではないか?一緒に暮らすべきではなかったのではないか?色々迷い悩んだが、これで息子がぐれたら、親の俺の責任とも思っていた。別れた女房は、息子とは、いつも喧嘩状態で仲が悪かったが、娘二人とは、仲が良かったわけではなく、息子とのけんかのように深刻にはならなかった。そのうちに女房は、息子より一歳年下の男の子の連れ子がある男性と再婚し、私が与えたマンションに同居し始めた。再婚者のいる前で、女房が息子のとこと激しく責めることが少し減ったのではないかと思った。彼女は自分が産んでもいない、他人の子を自分の子のようにやさしく育てることができないからすぐ別れるよと三人の子供の前ではっきり言ってやった。しかし二人目の父親になった彼氏を実の親のように仲良く接しろとは言えなかった。ただし連れ子とは実の兄弟のように接しろと言うのが精いっぱいだった。しかし、いつの間にか彼氏とその連れ子は、マンションを去っていった。こういうことは、いずれ起きるだろうと誰もが想像できたので、誰にも驚きはなかった。

今度息子が問題になったのは、高校入学の時だった。中学生になった時、女房は息子の勉強には一切関与しなかった。中学校三年になった時、私は初めて息子の中学校に行き、息子の受け持ちの先生と息子と一緒に面会した。中学卒業したらどうすると息子にきいたら、「俺は自衛隊に入りたい、二、三年、或いは三,四年、自衛隊に所属し、その後フランスの外人部隊の入ると言ったので、その通り中学校の先生に言ってやった。姉二人のよると弟は、自衛隊関係に夢中になっていて、体を鍛えるのに夢中になっていた。真冬でもジャンパー一枚着て、その下は半そでシャツ一枚だそうだ。さらに自ら中3から自主的にランニングしていた。中学校の先生は、学校の名誉のため、学校名は書かないが、一番最低の県立高校の名前を教えてくれた。ここを合格しなければ、私立の高校しかなかった。息子はこの最低の高校に入学した。その高校は全入学者が高校卒業時は三分の二ぐらいに減ってしまう最低の高校だった。そんな高校は入学式の時は、どんな入学式をやるのか、逆の意味で私は興味がわき、その入学式に参加した。入学式に参加する男女学生を見ると、まるで愚連隊がそろって学校に来ているみたいだ。もうとっくに入学式が始まっているのに、悪びれた様子もなく、急いでいる様子もなく、平気の平左で席に着く。それを見ていた私は、一瞬のうちに怒りが爆発し、大声をあげて怒鳴った。「お前ら、もう入学式は始まっているのだぞ、もたもたせず、さっさと自分の席順を探しだし席に就け、もさもさしていると俺が殴りつけるぞ。」
この時学校の校長や先生が私の怒鳴り声を注意するなら私は怒鳴り返すつもりでいた。「これが正常な入学式と言えるのか。幸い私を制しようする先生はいなかった。後で私が考えたことだが、この時私が興奮して怒りの声を上げてよかったと思っています。私は男として真面目に生き、力強く生きている姿を息子に見せつけることが出来たと思っている。
私は息子に、自衛隊員になるためにも入社試験で決めるのだ。少しは勉強しておいた方がいいぞと言っておいた。息子は私の発言をまじめに聞いて勉強したらしい。後で「俺、試験勉強して損しちゃった。答案用紙に名前を書けば誰でも合格したのだ。これだけは絶対守れと約束させたことがある。お前は学校に出席しても、授業が全然わからなくても、また先生に怒られても、出席だけはしろ、休むことは絶対にするな、成績は最低でもいい、絶対に卒業しろ。自衛隊新隊員は、当時3カ月間の訓練を富士山の裾野で基礎訓練をした。基礎訓練後に航空自衛隊、海上自衛隊、陸上自衛隊、のどこに所属するか自分で決めるのだ。息子は陸上自衛隊、北海道、名寄基地を選んだ。当時ソ連が健在で、ソ連軍が北海道に上陸してきたら、名寄基地が総力をあげて基地を守ることになっていた。そのため基地には最新式の兵器が置かれ、兵士は最強の部隊がついた。息子は自衛隊に入りたく入隊したのだ。基礎訓練など積極的に受け、全参加し、隊員の体力テストは全部一級だった。私は名寄の自衛隊基地に入所以来、息子と姉妹三人が二十歳になるまで毎月手紙を書き続けた。三人から返事をもらったことはないが,とにかく二十歳になるまで書き続けた。息子は名寄に入隊してから現在迄ほぼ35年間、母親と長女には一度も会ったことはない。息子の結婚式には、母親や姉を招待しないし、私と私が再婚した妻と長女の妹、その他の肉親だけが参加した。
息子は名寄基地で趣味としてトライアスロンをはじめた。彼はトライアスロンに夢中になり、練習をやりすぎて自分の腰を痛めてしまった。きちんと治りきらないうちに激しい練習を再開たりするから、全く腰を痛めて自衛隊の仕事にも支障がきたした。仕事をせず徹底的に治癒することに専念した。腰が回復し、完全に治癒した。その整体師の技術を直接見ていたから自ら整体技術を先生から学んだ。学び終わってから名寄基地から藤沢までオールヒッチハイクで帰ってきた。それから何年後かに、息子は整体院を開業した。名前は健遼施術院。ここを拠点として、今では世田谷、川崎、上野に適当な名前を付けて全部で4件の整体院を経営し、子供も二人の小学生の娘を持ち、経営も今のところ順調だ。

私には三人の50代の子供たちがいるが、何十年間も閉じこもりは誰もいません。だいたい現在の80代は、子供のころ貧乏だったのだ。私が中学校卒業する前のとし昭和29年(1954)4月5日、15時33分青森駅発上野行きの臨時夜行列車が運行されたのだ。これがこの時から始まった就職列車だった。昭和29年の4月から全国の地方から大都市に勤務する中卒生を呼び入れる就職列車が運行されたのだ。以来20年間就職列車が運行された。現在の79歳から99歳までの人は、最終学歴中卒の日本人が一番多いいのです。
私も昭和30年、県立高校受験の時、もし合格できなければ、就職するはずだったのだ。ところが高校に入学できたので高卒で就職できたのだ。私の時代の若者は、中卒あるいは高卒で社会に出て働く人、あとは大学を卒業して社会に出て働く人の三種類。この三種類のうち大学を出て働き家庭を持った子供が五十を過ぎても引きこもりなっている人がいる。何故か。次回のブログ「80-50問題」は共産党のせい(その2)で説明します。

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丸山穂高衆院議員の戦争発言

丸山衆院議員が体中から酒くささの臭いをだしながら、「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」、「戦争しないとどうしようもなくないですか」、などとの発言にはあきれてものが言えないと、令和元年5月17日の産経新聞の「正論」に書いていたのが伊藤俊幸氏、金沢工業大学、虎ノ門大学院教授。この戦争発言によって丸山議員はあらゆるテレビから猛烈な批判をあびている。酒の上での発言だから余計批判されているいのでしょう。酒に酔っていなければ彼の主張は至極当然です。ところが伊藤俊幸氏が産経の「正論」に書いた記事、その内容にはあきれてびっくりだ。彼はこう書いています。
「しかし、国連憲章では、第2条3項「国際紛争は平和的手段により解決しなければならない」、4項「武力による威嚇」又は「武力行使」は慎まなければならない」との規定、および前述した51条の「報告義務」の規定により、今や「戦線布告」という用語は国際法上死語となった。」
私はこの記事をみて、書き手である伊藤俊幸氏には呆れかえって、この男はバカかと思った。大東亜戦争終結後まだ70年あまりだ、一世紀にも達していないのに宣戦布告という用語は国際法上死語となったとはあきれてものが言えない。つい最近では2014年ウクライナ南部のクリミア半島をロシアが軍事力で強制的に併合した。2014年2月28日にウクライナは国連安保緊急会議の開催を求め、ソ連の住民投票を認めないよう安保理決議を要請した。その結果ロシアの住民投票は認められず、ロシアは拒否権を行使した。そのためクリミヤ半島の一部はロシア領のままだ。国連の決議など未だに多数決できめられないままだ。
日本の北方四島は、日本が大東亜戦争終結宣言(敗北宣言)を発し、武器を放棄した、それにもかかわらずロシア軍は北方四島を侵略し、日本島民を島から追い出したのだ、従って、ロシア領有の北方四島は、なんら領有権もないのだ。それを「先の戦争の結果によってロシアが得たものであり正当なものである」とロシアは宣言をしているのだ。
酒に酔った丸山発言を徹底的に叩くのもよい、しかしこのくらいのニュースを流してもいいだろう。メディアは、このようなニュースは、流そうともしないのだ。戦後70年もアメリカの属国でいるから、「日本憲法信者」、「国連教信者」が増えるばかりだ。

ウイキペディアで伊藤俊幸氏を調べれば、1958年生まれ、私は1938年生まれ、年の差20歳、10年ひと昔ということばがあるが、伊藤氏は私よりふた昔も若いのだ。自衛隊も戦後間もないころは、大東亜戦争の戦場で戦って生き残りの軍人がいた。私は頼もしい軍人がいると思った。しかし今では70年間もアメリカ軍のポチとして働いてきたのだ、正真正銘のれっきとした日本国独立軍ではないのだ。伊藤氏は潜水艦の艦長をやり、元海将なのだ。70年間もアメリカ軍の下請けをやっていて、実際に戦場で戦ったことがない元将軍の一人なのだ、心もとないではないか。誰もが大っぴらに丸山議員を非難にこたえて遠吠えで非難しているみたいだ。北方領土返還交渉では、プーチンとの話し合いも暗礁に乗り上げた感じです。
この際日露交渉の話題転換を試みたらどうですか?元海将程度ではそんなことはできません。それもそうだろう。自衛隊隊員の「お友達作戦」を見れば、各自衛隊隊員の行動は立派だ、上層部の様子ばかり気にするボスがダメなのだ。

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「令和時代」幕開けの悲劇

五月一日から始まる令和時代を迎えて日本中歓迎一色にそまった。私自身年寄ですが、まるで新年を迎えるようにすがすがしい気分で令和元年五月一日を迎えた。ところがお正月ならまだおとそ気分が完全に冷めやらぬ気分でいる5月11日午前4時ごろ、靖国神社事務局長、沼山光洋氏が靖国神社前の道路脇で割腹自殺を遂げられたというネットニュースが飛び込んできた。私は普段、沼山氏とは親しい付き合いはないが、拙著をきっかけにお互い面識があり、年賀状を交換し、たまに都内の講演の時に私が出席した時は、偶然にも沼山氏も出席し、お互い目があうと挨拶をかわすのだった。
拙著とは碧天舎が出版していた「大東亜戦争は、アメリカが悪い」だった。この本の出版は、平成16年7月だった。月日が経つのは早いもので出版後15年も経つのだ。私は出版後半年ぐらいで千葉で講演をした。会場に元自衛隊員が出席していて、その方の紹介で靖国神社での講演をすることになった。その自衛隊員はその後名古屋に引っ越しましたが、その方とも今でも年賀状をやりとりしています。靖国神社で講演するなら、本屋があるから、その売店で「大東亜戦争は、アメリカが悪い」売ってもらおうとしたのです。その時私は沼山氏と会ったのです。それがきっかけで会えば挨拶をする関係が生まれたのです。靖国神社の本屋では、出版社、碧天舎が倒産するまで「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を売ってくれました。

実は、私は平成30年9月8日にえんだんじのブログで、『「譲位」は憲法違反』というタイトルでブログを書いています。村田春樹氏の本、「今さら聞けない皇室のこと」を紹介しながら書いています。村田氏は、今後の平成天皇、上皇として次の三つのことを心配していました。
1. 上皇即位後、韓国への謝罪旅行
2. キリスト教の洗礼を受けるのではないか?
3. 現在在位中の天皇陛下の靖国参拝は完全に夢ときえたのか?
私もこの三つの点に心配でしたが、なかでもまだ天皇在位まだ7カ月もある。その間に万が一にも平成天皇は、靖国神社参拝してもらえないだろうか、わらをも掴む思いだった。靖国参拝もないまま上皇になられてしまった。その結果上皇在職中に必ず靖国神社へのご参拝をしてもらいたいというのが私の主張だった。
しかし靖国神社事務局長という立場の沼山氏には、平成天皇在位中に靖国神社参拝してもらいたいという切なる希望があったのでしょう。そのため彼自身もできることはすべてやったと思います。しかしその希望はかなわす、挙句の果てに5月11日午前4時ごろ、沼山氏の切腹のニュースだった。彼の割腹自殺は、テレビも新聞でもいまだに伝えることもなく無言のままだ。私はメディアにたいして激しい怒りを感じています。
「つくる会」の池田東京支部長が5月16日に三島由紀夫研究会が沼山光洋烈士の残した最期のお言葉の全文を掲載しておりますので、「つくる会」MLでそのコピー流しておりますからご参照ください。
もうこうなったら上皇在位中に靖国神社に参拝してもらえるよう説得してもらおうではないか。それに全力を挙げねばならない。みなさん、頑張りましょう。


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安倍総理を叱る。(その1)

先月、えんだんじのブログではおよそ二年半前の平成28年(2016)11月5日のブログ「安倍首相、プーチンにのめりこまないでください。」の全文を紹介しました。プーチンの人格形成をKGBとFSB(両方とも俗に言う「秘密警察」)で働いてきたのが影響していると書いた。
それでは安倍総理の人格形成はどうかとみると、母型の祖父が岸信介首相、大叔父は佐藤栄作が首相、父親が安倍晋太郎外務大臣、政治家一家の次男坊、学校は成蹊小、中、高、成蹊大学法学部政治学科を卒業、神戸製鋼所に入社、三年後に退社。安倍晋太郎外務大臣の秘書になる。結婚相手は森永製菓、松崎昭雄社長の長女、昭恵。
どうですか、この安倍家の家系の華麗さ。安倍氏は大金持ちのぼんぼん育ち。私の極貧の波乱万丈の育ちと比べたら月とすっぽんの違い以上です
焦点をしぼって「新しい歴史教科書をつくる会」の話をします。私は「つくる会」神奈川支
部の会員です。入会は平成17年(2005)8月、会長が八木秀次の時です。私が入会した4カ月後の12月に八木は、「つくる会」の会長でありながら「つくる会」の執行部には極秘で、繰り返します、極秘で中国を訪問し、「中国社会科学院日本研究所」を訪れ、蒋立峰所長等と「新しい歴史教科書」をめぐって意見交換したというのだ。平成24年6月1日の朝日新聞は、「中国社会科学院」は人民解放軍と関係が深い機関と説明しています。

一方安倍晋三氏は、総理になる前の無冠の時代から「つくる会」の支援者だった。平成二十三年、この年教科書採択戦の年でもあり、安倍総理はわざわざ「つくる会」の機関誌「史」三月号に自分のメッセージを載せているのです。
長い文章なので最初の文章と最後の文章を引用します。最初出だしの文章、引用開始、
「昨年八月十日、日韓併合百年を迎えた菅首相は、与党内の議論抜きに、韓国の主張に副う
形で謝罪談話を閣議決定し発表しました。過去の文化財協力協定で決済済みの朝鮮王朝資料の返還も打ち出しました。引用終了。
その後も安倍総理は、安倍内閣の教育政策を語りながら、最後にこういう文章で終えました。
引用開始
長年に亘って地道に教科書の改善に取り組む「新しい歴史教科書をつくる会」の活躍は大変有意義で感謝し敬意を表します。今後とも一層の成果をあげられますよう期待します。
引用終了。
ここまでは「つくる会」と安倍総理との関係は健全だった。ところが八木秀次が「つくる会」の執行部に極秘の中国行きがばれ、八木秀次が「つくる会」を首になった。ここからが「つくる会」の運命が急転する。フジサンケイグループのドン、フジテレビの日枝社長が三億円を提出して育鵬社を設立、これまで「つくる会」の教科書を作っていた扶桑社を子会社として、新たに育鵬社が中学生用の歴史教科書、公民教科書を作成し、売り出すことになった。扶桑社と「つくる会」との10年間にわたる親密関係は完全に終わった。「つくる会」にとっては、新たに保守系の競争相手、教科書作成会社の登場です。この育鵬社が中学生用歴史教科書販売史上消すことのできない、以下の二つの点を巻き起こしたのだ。

一.育鵬社は平成二十三年の教科書採択戦に登場した。この教科書は、17年出版の「新しい歴史科書」の内容と文章を下敷きにして作られたものでしたが、中にはデッドコピーの箇所も多数存在していた。そこで、17年版「新しい歴史教科書」の代表執筆者である藤岡信勝氏は、全部で47か所にわたる著作権を侵害されたとして育鵬社を訴えましたが、平成26年12月19日には東京地裁が、二十七年9月10日には知財高裁が藤岡氏の訴えを棄却しました。
知財高裁曰く「歴史教科書の著作権は、国史大辞典等に既に書かれている歴史事実などを分かりやすくありふれた文章で記述したとしても、その教科書には著作権は認められない。」
歴史教科書というものは、言うまでもなく、一般歴史書に既に書かれているような歴史事実などを取り上げて、分かりやすくありふれた文章で記すものです。この判決は、歴史教科書の著作権を原理的に否定しています。今後はコピペ教科書があふれる事態になっていくかもしれません。この点に関して小山常美氏が彼の著書、「歴史教科書と著作権」(育鵬社歴史教科書事件判決を批判する)」、三恵社、340頁、3,400円)、ていねいに詳述しています。ぜひご覧ください。

二.育鵬社は、南京虐殺事件は「あった」と報道した。
日中歴史共同研究プロジェクトは、平成18年10月に訪中した安倍総理と胡錦涛国家主席との合意によって始められた。日本側座長は北岡伸一東大教授です。その一期報告書が平成22年1月に公表された。その中で特筆すべきことは、日本政府が南京虐殺事件の犠牲者数は未定だが南京虐殺事件そのものはあったと認めていることです。
平成23年7月20日、河村たかし名古屋市長のきもいりで中学校歴史、公民教科書の討論会が開催された。育鵬社の歴史教科書監修者の一人である石井昌浩氏(元拓殖大学客員教授は、「南京事件は確かにあった。これは事実です。犠牲者の数の実態についてはまだ論争が続いている」と発言した。これはこれまで「つくる会」が歴史教科書の検定を取るまでの工程と違っていた。「つくる会」は、南京事件を否定するためにいろいろ学術的に説明したが、文科省は南京事件を否定すると検定を絶対にくれなかった。そこで仕方なく「南京虐殺事件」はあったことにして文科省の検定をとっていた。こんど育鵬社が初めて歴史教科書の検定を取るとき、「南京虐殺事件」を肯定してくるだろう。一方「つくる会」は、いつまでもうそは書いて「南京虐殺」を肯定できないと、今度は初めて南京事件を肯定もしなければ否定もしない、南京事件のことは無視して何も書かずに検定をとることができたのだ。
この育鵬社の歴史教科書作成者の一人、石井昌浩氏が「南京虐殺事件があった」と公言したとき、大変驚愕する事件が起きた。私は日本の保守陣営の方々こぞって反対すると思っていたのに、誰一人反対をする者がいなかったのです。日本会議(田久保忠衛)、日本教育再生機構(八木秀次)、教科書改善の会(屋山太郎)、国家基本問題研究所(櫻井よしこ)、日本政策研究センター(伊藤哲夫)等、彼らは「反対の声」を何一つださないどころ、全員育鵬社支持者になった。「お前らバカか?」
私は極貧育ちのため、すこしでも上の生活をしたい。そのため媚びず、一匹狼を通してきた。
いざとなれば祖国優先です。ところがあなた方の保守は。安倍総理のおほめの言葉を得ようと、またフジサンケイグループは、保守言論界の雄、自分の名前の覚えを悪くしたくないと一斉に「つくる会」より育鵬社支持に力が入った。一方私はなまじ一度議員会館で安倍夫妻に会っているものだから、「安倍総理への緊急提言!」として「つくる会」の援助に関する手紙をかいた。結果は何一つ役立たなかった。安倍総理自身が育鵬社支持になっていた。私は日本がこんなことをしていると、中国政府の「南京大虐殺」のユネスコ記憶遺産に登録する行為が進むのではないかと心配していたが、案の定、平成27年10月10日にユネスコの記憶遺産に登録するよう申請していた許可がおりたのだ。

文科省はこれまで、「南京虐殺事件」を否定した歴史教科書には検定合格を与えなかった。そのため「つくる会」は「南京虐殺事件」をいわばうそを書いて肯定してきて検定合格をもらってきた。しかし平成23年度は南京虐殺事件のことは一切触れずして検定合格をとった。一方平成23年度の育鵬社は、「南京虐殺事件」は「あった」と公言しているので、検定合格とっています。
文科省が歴史教科書が「南京虐殺事件」を否定すると検定合格を与えないということは、これまで日本側に「南京虐殺事件」を否定する研究者が沢山いる、たとえば亜細亜大学教授、東中野修道氏、その他田中正明、鈴木明、冨沢繁信、阿羅健一、北村稔の諸氏がいる、文科省は彼らの意見をなにも信用できないというのでしょうか。私は安倍総理に直接聞きたい、これらの研究者の研究は、全然信用ならないと言うのですか?学問の真偽が多数決できめられると言うのですか。安倍総理の最大の失敗は、日中間で歴史問題で話し合えば、まともな結論が出ると思ったことだ。お坊ちゃま育ちで苦労しない人間は、たとえ外国人でも誠心誠意話会えば、話ができると信じていることです。ロシアのプーチンの場合も同じです。安倍総理にいくつか打ち明け話をしましょう。中国の「南京大虐殺」の書類がユネスコの記憶遺産に登録された日、平成27年10月10日、この日から一か月後の平成27年11月28日、東京で「南京大虐殺の歴史捏造を正す国民会議」が開かれた日、渡部昇一先生が議長
に選ばれた。彼は育鵬社の歴史教科書の監修者で、同時に南京虐殺はなかったと公言していた先生です。
櫻井よしこ氏は、「日本よ、『歴史力』を磨け」、文芸春秋社という本を書いた。第三章、「南京大虐殺の嘘」を南京虐殺事件の研究者、立命館大学教授、北村稔氏と対談しています。彼女は育鵬社歴史教科書の支持派で自分の顔写真を教科書に載せています。日本政策研究センターの伊藤哲夫氏は、毎月、雑誌「明日への選択」を出版しています。私も数年間購読していた。その間「つくる会」の記事など一度も書いたことがないのに、育鵬社が登場すると、育鵬社の記事が度々出版され、一方「つくる会」の話題は全然なし。私は頭に気て購読を止めてしまった。
日本会議、日本教育再生機構、教科書改善の会、国家基本問題研究所、日本政策研究センターなどこれらの会の指導者は、「南京虐殺事件」が「あった顔」を文科省や安倍総理にみせ、「なかった顔」を一般保守支持者に見せるという自分の顔を使い分けているのだ。
安倍総理、私は自民党を救おうと思って、自民党に入党としたのです。入党日:平成21年9月7日。党員NO.0914-000996-8.安倍総理の日中歴史問題、日露交渉、憲法問題、どれ取ってもダメ。世間では安倍総理の外に誰がいるかと言っている人が多いいが私自身は、ある程度政治に安定性がなくなって、経済がさらに不安定になってもかまわない。もともと極貧育ち、元に戻ったところで生きてゆける。安倍総理では日米間は仲良くできる、私はそれには賛成だ、しかし日本はアメリカの保護国のままだ、絶対にアメリカの保護国から完全に脱して独立した民主主義国家にはなれない。私はそれが、絶対にいやなのだ。

参考文献:小山常実、『歴史教科書と著作権』(育鵬社歴史教科書事件判決を批判する)
     三恵社、3400円。
     鈴木敏明、『保守知識人を断罪す』(「つくる会」苦闘の歴史)、総和社
     1500円。

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安倍総理、プーチンにのめりこまないで下さい。

引用開始
「もう来月にはプーチンが山口にやってくる。北方領土、四島の返還交渉の山場を迎えるでしょう。安倍総理は何が何でもプーチンと決着をはかりたいみたいだが、ここでもう一度じっくり考えておくべき問題点を拾ってみました。
一.プーチンの人格形成
ウイキペディア等によると、プーチンは貧困家庭で育ち、少年期に生き抜くためにはKGB(ソ連国家保安委員会、俗に言う秘密警察)に入ることに決めていた。14歳のときKGB支部を訪問した。幸運にも応対してくれた職員が彼に貴重な情報をくれた。
1.KGBは自ら志願した者は、絶対に採用しない。自らKGBにコンタクトしてはだめ。
2.大学の専攻は法学部が有利。
3.言動や思想的に問題を起こさないこと。
4.スポーツの実績は、対象者の選考に有利。
プーチンは、この忠告を忠実に守り、レニングラード大学の法学部に入り、柔道に打ち込んだ。大学4年の時、KGBからスカウトされた。KGB職員になるためには、ソヴィエト共産党員なる必要があり、共産党党員になった。今でも彼はソヴィエト共産党員の証明書を大事に持っていると言う。諜報活動を行うためKGB赤旗大学で学び1985年東ドイツのドレスデンに派遣された。1990年KGBを辞め政界に進出。1991年共産党ソ連が崩壊。KGBもなくなり、その後継者FSB(ロシア連邦保安委員会)が誕生。1998年プーチンは、エリツィン大統領の後押しでこのFSBの会長になった。2000年にはロシア連邦二人目の大統領になるのですが、私が強調したいのは、プーチンの人格形成がKGB/FSB、いわゆる秘密警察で出来上がっているということです。一方安倍総理も、安倍総理を補佐する岸田外務大臣も二世議員、普通の議員以上に容易に首相、外相になれたのだ。これで安倍総理は冷徹プーチンと対等に渡り合えるでしょうか。心配性の私は、それが心配でしょうがない。大統領になってからのプーチンは、我々お人よし日本人の背筋の凍るような事をしでかしているのだ。

二。プーチン政権時の国内政敵落としのいくつかを紹介。
1.2000年に大統領になるや、彼が真っ先の着手したのがテレビの国有化。三大テレビがありましたが、一社は国有テレビですが二社は民間テレビ。その二人の社長、グシンスキーとベレゾフスキーは、あらゆるスキャンダルや疑いを仕掛けられ、グシンスキーは海外追放の憂き目に合い、ベレゾフスキーはロンドンに亡命、2013年には自ら命をたった。
2.ポリトコフスカヤ
ロシア内外で有名な女性新聞記者。彼女は徹底してプーチン、FBS、チェチェン戦争に反対していた。2006年10月彼女は、自宅のアパートのエレベイターの中で射殺されていたところを発見された。殺害の実行犯、元警察官は逮捕されたが、殺害を指示した男の名前はわかっているが、まだ逮捕されていません。
3.リトビネンコ
KGBの職員だったが、ソ連崩壊後FSBの職員になった。彼に四人のFSB職員暗殺の命令がくだされたが、拒否し暗殺内容を公表した。1999年拘置所に収監された。2000年にイギリスに亡命。2006年10月イギリスの市民権を得る。翌月の11月1日、リトビネンコはロンドンのピカデリーサーカス付近で人と会食後体調悪化。放射性物質中毒と分かる。11月23日中毒死、毒殺されたとわかった。
4.ネムツォフ
エリツィン政権時第一副首相。プーチン政権時、ロシア野党指導者、反プーチン派の政治家の中で最もプーチンに批判的でカリスマ性のある人物。2015年2月27日、愛人のウクライナのモデルとモスクワ市内のレストランで食事し帰宅途中ピストルで射殺される。ついでに一緒にいたモデルも射殺された。彼の追悼デモに7万人以上が参加したと言われています。現在のところ殺人者も捕まらず、殺人者名も未定です。

以上がプーチン政権時、明らかに反プーチンの意思を示した人たちの末路です。彼らは皆ロシア人で外国人となればもっと犠牲者は多い。多分プーチンは、殺人の実行者ではないのでしょう。しかし彼の意向を感じ取って実行に移す人間が多い事も事実のようです。これが独裁主義者の政治的行為なのでしょう。例えば上記3のリトビネンコの例を見てみましょう。彼はロンドンで毒殺されたのですが、彼と食事を一緒にした一人が元KGB職員のアンドレイ・ルゴボイです。英国政府はルゴボイをリトビネンコ毒殺の有力な容疑者とみなし、身柄引き渡しを求めた。ところがプーチン政権はその要請を拒否、それどころかルゴボイを下院議員に当選させ、不逮捕特権を与えたうえに勲章すら授けたのだ。これは世間的には、「俺の願望を確実に実行してくれたら、必ず報いてやるぞ」という意思表示になるでしょう。これが殺人の命令でなければ、誰もがこぞって期待に応えようとするのだ。その悪例の典型的な例がロシアのドーピング問題です。

三。ロシアのドーピング問題
2015年11月9日、WADA(世界反ドーピング機関)は、ロシアは、国ぐるみでドーピングを行っていると発表して、世界に衝撃を与えた。プーチンはアメリカ主体のグローバリズムに反対と言われているけど、彼の本当の狙いは全盛期の共産主義国家ソ連の再現です。その行為の一環がたまたま反グローバリズムに同意するだけです。五輪では、ロシアが獲得するメダル数を増やし、ロシアの国威発揚につなげたいとするプーチンの意をくんで、スポーツ省やFSBはその走狗と化した。ロシア選手のドーピングが単にスポーツ省ばかりでなく、FSBの監督、管理、指導下に遂行されたシステムを勇気をもってWADAは暴露し糾弾した。それではロシアの誰が暴露したのか。現役女子陸上選手のユリア・ステパノワ(30歳)です。ステパノワがどうやってドーピング情報を暴露していったのかを語ると興味ある一つのストーリーになり、長くなるのでやめておきます。結局彼女は、夫と一人息子の家族とともに、ドイツでの永住権を得、今ではアメリカに在住しています。亡命を覚悟しなければ、正義感など発揮できないロシアの世の中なのだ。プーチン大統領の報道官は彼女を裏切り者とののしっています。ここで驚くべきことは、ロシアという国家主導で恐るべき大罪を犯したにもかかわらず、プーチン大統領は、一切謝罪せず、これは欧米諸国がロシアを貶めるための行為だと言ったことです。ロシア選手がリオデジャネイロ五輪に参加できなければ人権侵害とまで言って平然としていることだ。またロシア国民もプーチンを批判していません。ドーピング選手も平然として悪びれた様子もしてもいない。これは完全にロシアの文化の反映です。日本国民は規則や法を律儀に守る。しかしロシアでは「規則とか法律は擦り抜けるのが生活の知恵」と心得、それらを律儀に守る者を愚か者扱いするのだ。だからこそロシアには法に関する民衆の諺が沢山ある。例えば、「法は馬車の長柄と同じ、御者が向けたい方向に勝手に向けられる」、「法のあるところ侮辱あり」、「法は蜘蛛の巣、クマバチと抜け蠅はかかる」、「神にはろうそくを、裁判官には包みを」等々。だからロシアという国は昔から、国際法、条約、国際機関などは、信用も尊重もしていない。政治学者も公然と「国際法は各国が有利なように解釈しており、その権利もある」として平然としていられるのだ。この国民性の違いがわからなかったためもあるのでしょう。私の年代の父親たちはソ連兵に辛酸をなめさせられたのだ。こういう国民から、日本の領土を返還させようというのだ。並大抵のことではない。まず絶対に騙されないということが肝要です。

四。忘れまじ、いわれなき理由で受けた日本兵の辛酸
1.大東亜戦争末期、日本軍敗色濃厚のころ、最後の拠り所はソ連だった。日ソ中立条約
を結んでいたからです。ソ連の仲介で日米間の休戦などの話し合いできないかと考えていたからです。しかしそれもうまくいかず、昭和21年8月15日、日本軍は降伏した。その日本軍降伏直前の8月9日ソ連軍はまだ有効であった日ソ中立条約を破って突如満州に攻め込んできた。日本軍は降伏後の翌日8月16日大本営は関東軍に武器を置く指令をだした。ソ連軍は日本軍の降服後も攻撃を続け8月末頃には満州全土、北朝鮮、樺太及び千島列島を占領してしまった。領土の占領だけではありません。治安維持も関東軍の力を借りずにすべてソ連兵自ら行ったのだ。このためソ連兵による日本人襲撃には目にあまるものがあった。略奪、暴行、強姦、殺人、なんでもあり。ソ連参戦時、満州各地に住んでいた民間人約155万人の一割強、約17万6千人が帰国を果たせず死亡した。運よく帰国できても、その体験談は、目を覆う悲惨さです。

さらなる悲惨さが日本軍人や一般人を待ち構えていた。スーターリンの指令の下、ソ連軍は、ソ連占領地域(満州、北朝鮮、樺太、千島など)の日本軍人、一部の民間人合わせて約60万人をシベリア、外蒙古、中央アジア、東ヨーロッパなど約1200ヵ所の捕虜強制労働収容所(ラーゲリ)に送り込んだ。恐ろしいほどの寒さ、貧しい食事、厳寒のなかの激しい重労働、この三重苦にさいなまれて抑留中死んだ者は、6万から7万と言われ、厚生省が身元確認できたのは2万4千人だけです。死者の多くが凍土の下で眠っているのだ。これはあきらかにソ連の国際法違反です。日本が受諾し、ソ連も承認したポツダム宣言第九条には、「日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的生活を営む機会を得しめられるべし」と規定してあるからです。先に筆者が触れましたようにロシアは、国際法や条約の中身など眼中にないのだ。一例を申し上げましょう。昭和30年(1955年)、自民党政治家は許されず、七名の日本社会党議員だけが869名収容されているはバロスク第21分所の見舞い訪問が許された。収容所のソ連管理側はあらゆる偽装工作を行って待っていた。
収容所内の窓にはカーテンをかけ、食卓は白布でおおわれ、花をかざり、売店にはトラックで高価な食料品、チョコレート、各種の缶詰など山のように運んで並べ、受刑者全員に新品の服を着せ、さらにソ連人の民衆に1時間1ルーブル20カペイカを払って集め、歓迎の盛大な拍手をさせた。朝鮮人、シナ人を使って何もないところに土を盛り上げた偽のお墓を作らせもした。収容者は日曜日にもかかわらず、健康な者は作業に借りだされ、重症患者は、他の病院に移され、残っているのは退院許可を待つ回復者だけにしてあった。そのため七名の社会党議員は、完全に騙されてしまった。社会党議員が帰ると、売店の食料品はもとより、カーテンもテーブルクロスも、花も持ち去られた。そしてソ連当局の筋書に反して最初の発言を敢行した尾崎清正中尉は、隔離収容所に連れ去られたのである。其の後尾崎中尉が帰国できたかどうか不明。(拙著「逆境に生きた日本人」展転社)

現在ロシア政府から約4万1千人の死亡者名簿が引き渡されている。ところがアメリカ人歴史研究家、ウイリアム・ニンモ著、「検証・シベリア抑留」(加藤隆訳、時事通信1991年)によれば、確認済み死亡者25万4千人、行方不明、推定死亡者9万3千名、事実上約34万人死亡としています。

2.北方領土を占領された後、昭和21年から平成19年12月現在、ソ連警備兵により拿捕された日本漁船1302艘、拿捕された日本漁民9023人。拿捕された日本人漁民は全員取り調べられ、船長は短くて3カ月、長いと4年も抑留された。船体、漁具など全て取り上げられることが多かった。すべて日本漁民の泣き寝入り。(北海道庁発表)

ここまでプーチン大統領とはどういう人間なのか、ロシア民族とどういう民族なのか、私たち日本人が決して忘れてはならないロシア人の私たちに対する扱い方など書いてきました。
さて来月からプーチンが山口にやってきます。北方領土返還の交渉が本格的に始まるでしょう。私たちは、北方領土が早く帰ってほしい気持ちでいっぱいです。こんな時私たちは期待こめすぎるのだ。そのためせっかく領土返還の話でムード良くなっているのに、ムードをぶちこわすようなことは言わないようにするのだ。日本人特異の気配り。この気配りが日本外交の弱点になっていて成功した試しがない、外務省の役人は何回いってもわからない。
ラブロフ露外相は、公に「日本は大戦の結果を認めない世界唯一の国だ」と堂々と対日批判しているのだ。モルグロフ露外務次官はインターフアックス通信のインタビューでこう言っているのだ。「日本とは領土問題で如何なる交渉も行っていない。この問題は70年前に解決されており、北方四島は第二次大戦の結果、合法的に我が国に移った。日本はこの客観的な歴史的事実を認めるのを拒否している」
この二人の発言はすべてつい最近の発言です。
2005年9月プーチンは、「南クリル(北方領土)は第二次世界大戦の結果ロシア領となり、国際法でも認められている」と発言しています。日本政府高官は、彼らの不当な発言に猛反発したのでしょうか。彼らは、この発言のうえさらに北方領土の軍事基地の強化、最近の産経新聞では島民に土地を売ろうとしています。私の予感では北方四島はこのままでは返ってきません。最近のウラジオストクの首脳会談で安倍総理は、「ロシアと日本が今日にいたるまで平和条約を締結していないのは、異常な事態だと言わざるを得ません。このままではあと何十年も、同じ議論を続けることになってしまいます。ウラジミール、私たちの世代が、勇気をもって、責任を果たしていこうではありませんか。私は、ウラジミール、あなたと一緒に、力の限り、日本とロシアの関係を前進させる覚悟です。」
安倍総理は、日本人得意の誠心誠意をこめて話したのだ。日本人の誠心誠意は、外交では全く通じません。しかもロシア人でましてKGB,FSBといった秘密警察で人格形成をしたてあげたプーチンに通じるのでしょうか?

ウラジオストク首脳会談の二日後プーチンは、記者会見で安倍首相の人物と熱意を次のように評価した。
「彼は立派な政治家で見事な話し手だ。しかしウラジオストクでの会談における彼の価値はそこにあるのではなく、彼が8項目の協力案とその実現について述べた。」ということだ。
安倍総理が誠心誠意をこめて述べたことなどはどうでもよかったのだ。彼が興味を示したのは安倍提案の8項目だけなのだ。その8項目とは、1.健康寿命の伸長、2.快適、清潔で活動しやすい都市作り、3.中小企業交流・協力の抜本的拡大、4.エネルギー、5.ロシアの産業多様化・生産性向上、6.極東の産業振興・輸出基地化、7.先端技術協力、8.人的交流の拡大。
これに対しロシア側が示した案の一つが、シベリア鉄道を延伸し、サハリンから北海道までつなぐ大陸横断鉄道の建設を求めてきた。シベリア鉄道の延伸は、アジア大陸からサハリン(樺太)間の間宮海峡(約7キロ)とサハリンから北海道・稚内間の宗谷海峡(約42キロ)に橋またはトンネルを建設する大構想です。

私は一介の定年サラリーマンながら安倍総理に意見を申しあげます。
1.領土返還は、すべて4島。2島返還とか共同統治などは問題外。全部4島返還で決着をつけてください。
2.4島返還に同意した場合のロシアの要求すべてを国民に公開すること。国民は外務省など信用していません。外務省のエリートは、頭は良いかもしれないが、けんかなどできない男のくずの集団。私は、安倍総理自ら公開してもらいたいと思っています。
3.ロシアが4島返還しない場合、日本は終戦直後にソ連に日本兵、民間人合わせて60万人をラーゲリにぶち込まれ重労働させられたことをユネスコに記憶遺産に登録すことを宣言すべきです。なぜ日本政府がこのことを言えないのか不思議でなりません。つまらぬ遠慮がロシアの国民やプーチンには何も役立たないのがわからないのではないでしょうか?1993年10月にエリツインが訪日したおりに、彼はシベリア抑留者問題を非人間的行為として口頭で謝罪した。日本政府はそれで終わりにして以後一言もいわぬが、あまりにもお人よし過ぎませんか?
4.もしロシアとの交渉がうまくいかず、北方4島が返ってこなくても、私はその方が良いとおもっています。幸い4島には日本人は誰一人住んでいません。私はシナの件を思い出すのです。日本は膨大な経済援助を提供しました。北京オリンピックが開けたのも、世界経済大国二位になれたのも日本のお蔭です。その友好的行為を感謝するどころか、今ではシナは、尖閣諸島は、シナのものと主張し、大嘘ついて南京大虐殺をユネスコも記憶遺産に登録、東シナ海の日本領海内で石油を盗掘しているのだ。シナはまるで日本の仮想敵国のような行動を取っているのです。ロシアが日本の経済援助受けて大発展してもロシアは日本の友好国になるでしょうか。そんなことは絶対にあり得ません。誠心誠意交渉は、外交には通じません。ましてやシナとロシアではなおさらです。シナ、ロシアは核大国です。それに北朝鮮が核大国に近づいています。安倍総理、日本にとって今一番大事な事は日本が核武装することです。特に領土返還交渉には核武装を備えていることが最も大事なことなのです。

国民の皆さんへ、日本のマスコミにとって、ソ連、シナ、北朝鮮は理想の国でした。そのせいか現在にいたっても上記三国への非難の記事が書きたくないのだ。強制収容されて死んだ沢山の日本兵が、いまだに極寒の凍土の中で骨のまま眠っていることを私たちは忘れてはなりません。日本の強力な経済援助なしに4島がもどっても当然な話なのです。引用終了」

このブログの文章は、およそ二年半前、平成28年(2016)11月5日にだした同じタイトル、「安倍首相、プーチンにのめりこまないで下さい。」の全文同じ文章を引用しました。次回、4月には、北方四島問題の私の結論を出す意向です。

コメント

「南京虐殺事件」報道の後始末

最近、保守言論界の二人の巨匠の対談を興味深く読ませていただきました。本のタイトルは、『渡部昇一「対話」西尾幹二 日本及び日本人の課題』。二人の八つ章の対談はよく理解できました。私がこのブログで述べたいのは、渡部昇一氏が、この本の帯にも書いてあるように、言論界の巨匠と呼べるかどうかです。私の主張は、渡部氏は言論界の巨匠とは呼べないと思っています。何故か。彼は権力者に往々にして媚びるからです。このえんだんじのブログでも何回か渡部氏を書いて批判しています。初めて彼を取り上げて書いたのが平成23年(2011)11月19日、「渡部昇一先生への苦言」です。その全文を引用させてもらいます。
引用開始
「私は渡部先生の本、特に日本の近現代史関係の本では随分勉強させてもらいました。定年後私が、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」という大作を出版できたのも先生を初め多くの方々の本のお陰でもあります。これまで私とは縁もゆかりもない鎌倉在住の読者で一高東大出の定年サラリーマンの方が、この本は絶対に英文化しなければいけないと言って、本人のライフワークのように英文翻訳に励んでくれました。彼のお陰で来年中には間違いなく英文出版ができるようになりました。しかし時間もかかりましたが、お金がかかりましたし、出版するにはまたお金がかかります。現在日本に194カ国が大使館、公使館を置いています。英文出版できたら、アメリカのルース駐日大使を筆頭に全大使、公使に郵送するつもりです。読んでもらえず、ゴミ箱行き覚悟で送りつけるつもりです。資金的余裕があれば先進国の有名図書館にも送りつけるつもりでいます。このようなことを計画している私には、渡部先生の行動に理解できない点があるのです。先生は、イギリスのオックスフォード大学に留学した英語学者、上智大学名誉教授、またドイツのミュンスター大学にも留学して1958年には同大学哲学博士、1994年には同大学名誉哲学博士になっています。要するに英語だけでなくドイツ語も強いのです。先生には日本近現代史ばかりでなく歴史その他の著書も非常に沢山出版していますし、また翻訳本の数も多い。その中には「英語論文の書き方ハンドブック」などというタイトルの翻訳本もあります。ところが私の知る限りでは先生には、日本の主張を得意の英語やあるいはドイツ語を駆使して海外向け文筆活動など一切ないのです。

松原久子氏(1935年生)は、ドイツのゲッティゲン大卒、評論家、15冊のドイツ語の本を書いています。ドイツペンクラブの会員。1989年にドイツ語の原題を日本語に訳すと「宇宙船日本」というタイトルの本をドイツ語で書き、ドイツのミュンヘンで出版した。大航海時代の到来以後、全世界を発見、征服した「偉業」に対する欧米人の誇りを根底から覆す本でした。この本が日本語に翻訳され「驕れる白人と闘うための日本近代史」というタイトルで2005年に文芸春秋社より出版された。私はその日本語訳を読んだのですが、実に小気味良い本だ。わずか230数頁の本だが、松永久子氏という日本女性の心意気がすごいではないですか。渡部先生、先生も日本の主張を沢山本に書いているではないですか。一冊ぐらい英語の本を書いてくださいよ。松原久子氏には、一つの逸話がある。彼女がドイツの全国テレビで毎週五カ国の代表が出演して行われる討論番組にレギュラーとして出演していた時です。その時のテーマは、「過去の克服―日本とドイツ」で相変わらずドイツ代表は、日本軍がアジア諸国で犯した蛮行をホロコーストと同一視し、英国代表は、捕虜虐待を、米国代表は、生体実験や南京事件を持ち出すなどして日本を攻撃非難した。彼女は応戦し、ドイツ代表には、ホロコーストは民族絶滅を目的としたドイツの政策であって、戦争とは全く無関係の殺戮であること、そういう発想そのものが日本人の思惟方法の中に存在しないと反論し、英国代表には、彼らによる日本人捕虜虐待、米国代表には百以上の日本の都市無差別爆撃を指摘した。番組終了後彼女がテレビ局からケルン駅に出てハンブルグ行きの電車を待っていると人ごみの中から中年の女性が近づいてその女性は彼女の前に立ち「我々のテレビで我々の悪口言う者はこれだ。日本へ帰れ」というなり彼女の顔にぴしゃりと平手打ちをくらわし、さっさと消えていった」と言う。彼女は現在アメリカに住んでいます。日本ではあまり有名ではないが、実に頼もしい女性ではないですか。
ドイツ文学者の西尾幹二氏は、1982年外務省主催で西ドイツの8都市をドイツ語で講演活動をしたことがあります。講演では、ドイツ人やヨーロッパ人を批判し、講演内容は西尾幹二氏特有の歯に衣を着せず挑発的ですらあった。外務省の役人はびっくりしたのではないだろうか。「西尾幹二の思想と行動(2)日本人の自画像」(扶桑社)。渡部先生には松原氏は西尾氏のような気概はない。第一ドイツ人を批判していたら、すなわち長くドイツに滞在しても松原氏のように日本の主張のためにドイツを激しく批判していたら、先生は、はたしてミュンスター大学で名誉哲学博士の称号などさずけられたであろうか。

2007年6月14日、日本の政治家や有識者数十人が「慰安婦強制連行の証拠がない」という長文の意見広告をワシントンポストに掲載した。有識者の中には、西尾幹二氏、櫻井よしこ氏、屋山太郎氏の名前が載っているが、渡部先生の名前はどういうわけか掲載されていません。私には、先生は一銭も得にならないことは絶対にしないという処世術をもちあわせているような気がしてなりません。
私たち一般庶民は、語学に達者な人は、日本のために役立ってくれるのではないかとつい考えがちなりますが、私の経験から言ってもそんな単純なものではありません。語学に達者な人は往々にして外国人、特に白人に媚びるのです。白人の何に媚びるかというと彼らの戦争史観(太平洋戦争史観)に媚びていわゆる自虐史観を主張するのです。この地球上に欧米人や日本人が存在しているかぎり戦争史観の争いは永遠に続きます。日本人が忘れても彼らは太平洋戦争史観を続けてくるのです。現在青森県の六ヶ所村では、日本がこっそり核兵器を開発するのではないかと欧米人が見張りをしているのです。太平洋戦争史観が続いている証拠の一つです。だから私たちは、絶対に大東亜戦争史観を主張し続けなければなりません。ところが外国語に達者な日本人は、往々にして欧米人に媚びるのだ。その方が海外では評判いいからです。それで大成功した代表的人物が、雅子妃殿下の父親、元外務官僚の小和田恒氏です。彼の自虐史観、「日本ハンディキャップ論」は有名です。皇太子妃殿下の父親の自虐史観論は、欧米人にとって非常に利用価値があります。そのお陰で現在彼は、国際司法裁判所所長です。

一方渡部先生は、日本の保守言論界の重鎮の一人としての名声を博していますから、海外で自虐史観を主張するなど絶対にないが、だからといって自分の大東亜戦争史観を海外に披露することも絶対にしない。私の知っているかぎり先生はそんなことはしない。その点に非常に物足りなさを感じるのは私だけではないでしょう。そんなことをしても先生の一銭の得にもならないと考えているのかもしれません。「従軍慰安婦」の意見広告にも参加しなかったのもそのためでしょう。
その渡部先生が、育鵬社の歴史教科書の監修者の一人になっています。一般庶民がバックの「つくる会」よりフジ産経グループがバックの育鵬社についた方が得するからです。私は渡部先生が育鵬社の歴史教科書の監修者の一人になったからといって人それぞれの選択だから非難するつもりは毛頭ありませでした。しかし教科書採択戦が終わってみれば、育鵬社の歴史教科書の内容が、「つくる会」が2005年に扶桑社を使って中学生用の歴史教科書を作成し、文科省の検定に合格した「新しい歴史教科書」と酷似しているところが沢山あることがわかった。酷似とは、国語辞書を引けば「区別がつかないくらいよく似ていること」とあります。学校で使われる歴史教科書が、他の会社の教科書と酷似しているなんていうことがあっていいのでしょうか。そのことを最初に気付いたのは、「つくる会」で公民教科書作成に参加した小山常美先生です。ぜひ小山先生おブログを参照してみてください。
小山先生のブログ: 「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書。
その他に、「つくる会」広島県の会員である主婦の方が、扶桑社と育鵬社の両教科書の比較だけでなく他の教科書を交えての比較をすると扶桑社と育鵬社の酷似性がさらに目立つと、暇を見つけてはその比較を行っています。ここではその二つの例をあげておきます。
A 聖武天皇について
1.扶桑社(つくる会)
奈良時代の律令国家の聖武天皇と大仏建立
聖武天皇は、国ごとに国分寺と尼寺を置き、日本のすみずみに仏教の心を行き渡らせることによって、国家の平安をもたらそうとした。都には全国の国分寺の中心として東大寺を建て、大仏の建立を命じた。(45頁)
2.育鵬社(教育再生機構)
天平文化の、奈良の都に咲く仏教文化
聖武天皇は、国ごとに国分寺と国分尼寺を建て、日本のすみずみに仏教を行きわたらせることで、政治や社会の不安をしずめ、国家に平安をもたらそうとしました。また都には全国の国分寺の中心として東大寺を建立し、金銅の巨大な仏像(大仏)をつくりました。(45頁)
3.帝国書院(17年検定)
中国にならった国づくりの、大仏造営
聖武天皇の時代、全国で伝染病が流行し、飢饉が起こりました。世の中の不安が増すと、古くからの神にかわって、仏教を信仰する人々が増えました。聖武天皇とその后は、仏教の力で国を守り、不安を取り除こうと考え、行基らの協力で都に大仏を本尊とする東大寺をたて、地方は国ごとに国分寺と国分尼寺を建てさせました。(37頁)
4.清水書院(23年検定)
平城京の建設と仏教、仏教の役割
奈良時代のなかごろ、仏教を深く信仰していた聖武天皇と光明皇后は、仏の力で国家を守ろうとして、国ごとに国分寺・国分尼寺を建てさせ、都には総国分寺として東大寺を建てた。(37頁)

B 尊皇攘夷運動について
1.扶桑社(つくる会)
単元「46尊王攘夷運動の展開」の、尊王攘夷運動
幕府が通商条約に調印したことに対し、朝廷の意向を無視し外国に屈服したものであるとの批判がわき上がった。それは、朝廷を盛り立てる尊王と、外国を打ち払うべしとする攘夷の要求が結びついた、尊皇攘夷運動に発展していった。(138頁)
2.育鵬社(教育再生機構)
幕府が外国との条約を結んだことに対し、朝廷の意向に逆らって外国に屈服したものであるとの批判がわきおこりました。やがてこうした批判は、天皇を敬い朝廷をもり立てようとする尊王思想と、外国を打ち払おうとする攘夷論が結びついた尊王攘夷運動へと発展していきました。(146頁)
3.帝国書院(平成17年検定)
ペリー来航から開国への、尊皇攘夷の考え
開国と前後して、幕府の弱い外交姿勢に反対する大名や武士、公家の間には、天皇を尊ぶ尊王論と、外国人を追い払うという攘夷論が出てきました。本来別々の考え方が結びついて、尊王攘夷の運動となり、下級武士や有力な農民にも支持された。(143頁)
さらに酷似例を知りたい方は、彼女のブログを参照してください。
ブログ名: 
セレブな奥様は今日もつらつら考える。

渡部先生は、育鵬社が出版した歴史教科書が、「つくる会」が2005年に扶桑社から出版した「新しい歴史教科書」と酷似しているところがたくさんあることを知っているのでしょうか。かりに知らなかったとしても、「知らなかった」ですまされる問題ではありませんよ。育鵬社が出版した歴史教科書には、監修者は、渡部先生の他に5人おります。伊藤隆(東大名誉教授)、渡辺利夫(拓殖大学学長)、田中英道(東北大名誉教授)、岡崎久彦(元駐在タイ大使)、八木秀次(高崎経済大教授)の諸氏です。保守言論界でも著名な方々ばかりです。その中でもネイムバリュウーといい存在感は、渡部先生が抜群です。「つくる会」が扶桑社から出版した「新しい歴史教科書」の内容の80パーセント以上は、「つくる会」の著作権だと言われているのです。いいですか、渡部先生、「つくる会」から出版される教科書は、日本全国に散らばる愛国心に燃え、憂国心をいだく一般庶民の浄財で出版されているのです。教科書を執筆する先生たちは無給です。そこには私利私欲名誉欲が入り込む隙間すらないのです。本来なら保守論壇全体が一つになって「つくる会」を支援してあたりまえなのです。それがなぜできないか。渡部先生みたいにいい年をしてすでに功成り名遂げた人、あるいは少しばかり著名になった知識人が私利私欲に走るからです。私利私欲に走っても自分達の力で立派な歴史教科書を作成してくれれば話はべつです。ところがどうですか、育鵬社、歴史教科書の監修者6人(渡部、伊藤、渡辺、岡崎、田中、八木の諸氏)は自分たち自らの手で歴史教科書を作らず、「つくる会」が扶桑社で出版した「新しい歴史教科書」を真似て作成したのだ。渡部先生他5人は、例え著作権侵害にあたらないと法的に判断されたとしても、「つくる会」が作った教科書をまねて作成した教科書というレッテル終始はりつくことになるでしょう。要するにたとえ法的に許されても道徳的に許されないことをしているのです。彼ら6人は、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」を白昼堂々とやっているのだ。著名人だから許されるのでしょうか?バックにフジ産経グループがついているから許されるのでしょうか。「恥を知れ!」と言いたい。私の彼らに対する怒りは尋常ではありません。彼らは、自分たちが作った教科書が「つくる会」の「新しい歴史教科書」にあまりにも似ているので、うしろめたさも多少あったのでしょう。そこで「つくる会」との違いを鮮明にさせようとして漢字にルビをつけることをしたのだ。すなわち韓国の歴史上人物や地名、支那の歴史上人物や地名などに朝鮮語、あるいは支那語のルビをつけたことです。例えば、「蒋介石」という人物がいます。「蒋介石」という漢字の上に「しょうかいせき」というルビをふり、漢字の下に「チャンチェシー」とルビをつけたことです。

最近まで私は、育鵬社から中学生用の歴史教科書が出版されることを歓迎していました。保守系の歴史教科書がもう一つの選択肢として登場することは良いことだと考えたからです。ところがどうですか、その教科書の実態は?渡部先生、あなたがたは自分の手で作った教科書と主張できるのですか。扶桑社の歴史教科書との多くの酷似性は、単なる偶然ですか。私は、今度の教科書採択戦でつくづく分かったことがあります。それは日本全国に散らばる「つくる会」の会員たちは、心から日本の教育の実情を憂い、少しでも日本を良くしたいと思い、自らお金を出し、行動する。そこには私利私欲名誉欲とは完全に無縁です。ところ多くの著名な知識人の行動はどうですか。フジ産経グループという資本力をバックにした会社が、歴史教科書を出版すると言ったら、彼らは私利私欲名誉欲をむき出しにして育鵬社詣でをしているようなものだ。教科書製作に直接関わらない著名知識人でさえ、教科書も読みもしないうちから育鵬社支持者も出る始末です。「つくる会」の自由社より「育鵬社」支持した方が自分自身の得になると考えるからです。私は読者に言いたい。育鵬社の教科書問題では、著名保守知識人の人間性を見極める最良の機会であるということです。

最後に渡部先生にお願いがあります。渡部先生、「つくる会」の教科書の真似事をするよう国内向けの仕事は、ほどほどにして、先生は英語学者なのだから、得意の英語を駆使して、先生の大東亜戦争史観を英語の論文、あるいは英語での投稿、あるいは講演、あるいは英文の本でも出版して世界に向けて日本の主張していただけませんか。私には、先生で思いだすことがあります。まだチャンネル桜が有料放送であった時代、先生はテレビ上で現在の日本人で今一番欠けているのは、「日本人としての気概だ」と言っていました。先生、先生こそ「日本人の気概」を示してください。死ぬ前に一度でいいから先生の大東亜戦争史観を英語で世界に向けて吠えていただけませんでしょうか。」
引用終了

このブログの5年後の平成28年(2016)1月16日「保守知識人は、大バカ者の集まりか?(1)」、同じ年の1月30日には「保守知識人は、大バカ者の集まりか?(2)」、翌月2月21日には「保守知識人は、大バカ者の集まりか?(3)」と三回書いています。三回分を全文引用すると長くなりますので要点を列挙します。
1. ここで言う保守知識人とは、育鵬社、日本教育再生機構、日本会議などに群がる知識人。日本教育再生機構のメンバーを見ますと、石井浩一郎、小田村四郎、伊藤哲夫、田中英道、中西輝政、屋山太郎、渡部昇一、三浦朱門。石井昌浩、新田均、渡辺利夫、高橋史郎,等々、大物メンバーばかりです。
2. 平成23年7月2日、名古屋で行われた歴史、公民教科書討論会で、育鵬社の歴史教科書監修者の一人である石井昌浩氏は、今回育鵬社から初めて出版する歴史教科書には、「南京事件は、確かにありました。日本軍によって中国軍人、民間人に多数の死傷者が出ました。これは事実です。ただ犠牲者の数などの実態については様々な見解があり。今でも論争が続いている。これが育鵬社の南京事件についての記述です。」と公言した。この石井氏の同じ発言は東京でも公開されたが、これに反する反発は、私の記憶では保守言論界からは何もなかった。但し、育鵬社の歴史教科書を支持し、その市販本に自分の写真を載せている櫻井よしこ氏は、平成19年に文芸春秋社から『日本よ、「歴史力」を磨け』を出版し、その二章「南京大虐殺」の嘘、で南京大虐殺の研究者、北村稔氏と「南京大虐殺」は嘘と対談しています。
3. 平成17年、八木秀次氏が「つくる会」会長のとき、「つくる会」の執行部には極秘で中国を訪れ、「中国社会科学院日本研究所」を訪問し歴史問題を話し合っている。八木氏の帰国後、彼らは日本にやってきてまた話し合っている。この時、私の憶測では「南京虐殺」問題を話し合ったのではないかと考えています。
4. 平成27年、中国が「南京虐殺事件」をユネスコに登録、同じ年の11月28日、東京で「南京虐殺の歴史捏造を正す国民会議」を開いた。あの「南京虐殺事件」は、「あった」と書いている育鵬社の歴史教科書の監修者、渡部昇一氏が議長に選ばれ挨拶しているのだ。彼はまさに偽善者と呼んでよいのではないか?
5. 日本会議常任理事、伊藤哲夫氏は、保守系月刊誌「明日への選択」を出版している。私はその購読者の一人です。育鵬社が歴史教科書、公民教科書出版ビジネスに参入発表したとたん、育鵬社支持者になり、その宣伝記事がよく出るようになった。これに反し「つくる会」の記事が一切でなかった。私は頭にきて購読者をやめた。
6. この伊藤哲夫氏、中西輝政氏、西岡力氏、島田洋一氏、八木秀次氏の五人は、安倍氏のフアイブ ブレーンと呼ばれていた。現在でも呼ばれているのかどうかわかりません。

平成28年(2016)の1月に「保守知識人は、大バカ者の集まりか。」(1)、(2)、(3)を公開後の8カ月後の9月24日に、私はブログで「戦争を知らない国民のため日中歴史認識」を公開しています。安倍政権下、平成22年(2010)1月に「日中歴史共同研究」第一期報告書」が発表された。この報告書に基づいて日本の左翼学者、都留文科大学教授、1999年より南京大学虐殺研究センター客員教授、笠原十九司が書いた本です。本のタイトルは長たらしく、正式には「戦争を知らない国民のための日中歴史認識」(日中歴史共同研究<近現代史>を読む)。勉誠出版が、平成22年(2010)12月31日に出版。
何故私がこの本を読んだのかと言えば、大作だから「南京大虐殺」事件を否定する日本側研究者の論文に対する反論が書かれていると思ったからです。ところが実際何も書かれていなかった。
いいですか、読者の皆さん、日本国内には亜細亜大学教授の東中野修道氏を初め、田中正明、鈴木明、冨沢繁信、阿羅健一、北村稔諸氏など南京事件研究者として有名です。ところが、文科省が日中歴史共同研究のために選んだ代表者、北岡伸一氏およびその他の8学者、日本歴史学会、日教組等など、その他私が主張する大バカ者の集まりである保守知識人の団体、すなわち育鵬社、日本教育再生機構、日本会議などは、上記の南京事件学者の論文など歯牙にもかけず、一切無視なのだ。このため日本政府、日本歴史学会、朝日新聞含む多くの左翼メディア、左翼学者、また育鵬社、日本教育再生機構、日本会議等の保守陣営などが認めた「日中共同研究」を日本保守言論界一致して反論もできなかった。

ところが、平成27年(2012)月刊誌「WiLL」5月では、以下の四氏、西尾幹二(つくる会、初代会長)、福地惇(つくる会、副会長)、福井雄三(東京国際大学教授)、柏原竜一(情報史研究家)が『虐殺を認めた「日中共同研究」徹底批判』のタイトルのもとに17頁にわたって徹底的な対談批判を行っています。育鵬社、日本教育再生機構、日本会議などはこんな記事はかけません。「つくる会」がいかに正常な歴史教科書を出版しているかの証明です。「つくる会」が分裂して育鵬社が誕生した時、育鵬社側が歴史教科書出版前の段階で「南京虐殺事件はあった」と公言したにもかかわらず、「つくる会」の会員でないが、多くの支援者達が育鵬社側に参加していきました。なぜだと思いますか。現在保守活動を続けている人たちの多くは定年退職者です。一般的に言って日本の定年退職者は個性がない。すなわち自分自身はどう考えているのかという、すなわち自分自身の確たる考えがない。ところが育鵬社が誕生すると、日本教育再生機構、日本会議、教科書改善の会には有名知識人がぞろぞろいる。そのため多くの保守の人たちが育鵬社支持者になったのだ。その結果日中両国で始めていた日中歴史共同研究では、「日本側は虐殺死の被害者数はわからないが、南京虐殺事件はあった」と無意識のうちに認めたのだ。これはあくまでも日本政府最大の失敗作、でも日本の全保守勢力が一体となって、「南京虐殺事件はなかった」、「数々の南京虐殺否定者の論文の学術的価値を多数決をもとに一切無視してもよいのか」と声をあげれば、多少とも風向きが変わったかもしれないのだ。私は何を言いたいのかといえば、現在60歳以上の定年退職者の数は非常に多いい。人生百年を迎え、これから定年退職者数は益々増える。それだけ選挙投票数が多くなる。定年退職者が知識人の意見に左右されず、日本国家のために何が良いのかを自分自身で判断するようになれば、昔のように民度の高い日本民族にもどれるのだ。そうすれば「南京虐殺事件は、中国人の犠牲者数は、わからないが虐殺事件は日本が起こした」などとは絶対に言いません。我々定年退職者は、現在の若者と違って民度の高い民族なのだ。昔貧乏でも、食料不足でも児童虐待や虐待死はなかったし、子供の自殺者などが出なかった、また「ずる休み」はあったけど、「不登校」などと言う言葉もなかった昔の健全な社会を日本に引き戻しましょう。定年退職者よ、これからももっと頑張りましょう。






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なぜ「現行憲法」は今だに存在しているのか?

なぜ「現行憲法」は未だに存在しているのか?
現在の憲法は昭和21年(1946年)11月3日に交付され、昭和22年(1947)5月3日に施行されて以来現在、平成31年(2019)にいたっている。この憲法は、GHQのマッカーサー元帥の命令によって僅か一週間で作成された英文の民政局草案を骨子としたものです。要するにこの憲法は、差別憲法で非合法に非民主的に制定されたのだ。憲法も変われば民法も変わる。民法というのは、一民族の何百年間の伝統ですから、そんなものを外国の軍人が変えてはいけない。それを平気でやるのは、マッカーサーは有色人種はそうしてもいいと思っていたからだ。ところがこの憲法を無効にし、日本独自の真に独立した国家の日本新憲法を制定しようとする動きが国会で論議されたことはありません。それどころか昨年は安倍内閣の小手先の憲法改正の動きが保守陣営の中で大きな喜びの話題になった。 
ところでこの現行憲法についてあまり良くわからない読者には、次の三冊を読むことをお勧めします。「日本国憲法」・「新皇室典範」無効論」(106頁)、小山常実、自由社、もう二冊は「日本人を狂わせた洗脳工作」(82頁)、「いまなお蔓延(はびこ)るWGIPの嘘」(112頁)、関野通夫、自由社。
三冊とも頁数を見れば少ない、それだけに余計なことは書かずに、分かりやすく書かれています。昨年から安倍内閣の憲法改正問題が話題になりましたが、その話題は今後もつづきますのでぜひこの参冊をお読みください。安倍内閣の改正の何が問題なのかすぐに分かるでしょう。ちなみに著者の小山氏は「つくる会」の理事であり、関野氏は「つくる会」の会員です。
昨年は安倍総理の憲法改正の動きには保守陣営諸手をあげて賛成のような勢いでした。この憲法を改正したら、この屈辱的な憲法を改めて再認識して認めたことになる。とんでもない話になるので私は、大反対でした。その大反対の理由をいくつかあげましょう。その前に私の経歴から話させてください。経歴で培われた私の信念が安倍内閣の小手先憲法改正に大反対だからです。昭和29年春、この年から日本全国、地方の中学卒業生を大都市の企業に就職させようとしていわゆる「就職列車」を運行した。以来20年間毎年春にはこの就職列車で全国の地方の中卒生が就職目的のため大都会に呼び寄せられた。このため現在80歳から60歳までの人には圧倒的に最終学歴中卒の人が多いい。私はこの昭和29年に公立高校を受験し、不合格なら就職と決めていた。ところが高校に合格し入学した。
極貧なためアルバイト等で大学に進めず、私が23、4歳のころアメリカの船会社に入社、以来61歳で定年になるまで、日本に所在する外資系会社5社(アメリカ系3社、オーストラリア系とドイツ系)を渡りあるいて定年です。61歳で定年後一切仕事せず、執筆生活です。自書を10冊出版しています。贅沢はできないが、普通に自活しています。まあ、まあ、めぐまれた定年生活です。サラリーマン生活、誰にも運、不運がいりまじります。それでも外資系5社渡り歩いてきた私にも40年間に私には一貫した考えがありそれを実行してきたからだと自負がある。皆さん、なんだと思いますか。
それは、「何事も論理的の考え、論理的に行動すること。」
またこのことは、実は一番外国人に通用することなのです。かって私と衝突したことがある外人ボスがいた。彼は言った。「鈴木、俺は鈴木をいつでも好きな時に首にできる権限を持っているのだ。」と平然と私に向かって言った。
私は平然と答えた。「首にするなら首にしてくれ。しかし私はすぐに反論を書いて、私の同調者の数名のサインを取り付けてあなたの上司に送りつけます。」その夜は家に帰ったら、すぐに反論の手紙の原稿を書いていた。勿論論理的反論と論理的主張一点張りの原稿です。手紙も書くのに時間かかって数日遅れるとタイミングを逸するからです。首を宣告されたら即郵送するつもりでいた。英会話で仕事していても、いざすぐに英語で何と言っていいか分からない時には、ブロークンな英語が通じる時がある。しかし英文の手紙を書く時ブロ-クンの英語は使えません。高卒英語しか勉強していない私は、独学で特に書く英語を勉強した。こうして在職中私は論理的に考え、論理的に行動することに専念した。
そのうちに日本国民の最大の欠陥は、法的マインドが乏しいこと、すなわち論理的に判断し、論理的な行動をとることを苦手としていることが分かってきた。日本国民の法的マインドのなさを表す典型的な例を二つ紹介しましょう。
一. 振り込め詐欺
皆さんは、オレオレ詐欺と言う言葉を知っているでしょう。ちょっと前流行っていた言葉だからです。しかしオレオレ詐欺も複雑化して、いまでは「なりすまし詐欺」、「架空請求詐欺」、「融資保証詐欺」、「還付金詐欺」、この四つ詐欺を総称して2004年12月9日、警察庁は「振り込め詐欺」と総称した。以後オレオレ詐欺とはいわなくなり、「振り込め詐欺」と一般化した。私は毎日午後7時頃夕飯をとる。そのためテレビを夕方6時ごろつける。NHKテレビの夕方6時半頃、テレビ画面には、「ストップ詐欺被害、私はだまされない」のタイトルが現れ、「だまされない劇場」が始まる。「だまされない劇場」と言っても一人の女性アナウアンサーが最近あった詐欺被害の実態を詳しく話をし、最後に一言警告を発するのだ、例えば、「警察官を名乗る人物が訪ねてきてもだまされない」とか言って番組は終わるのだ。毎日違う詐欺被害を月曜から金曜日まで、時には各地で行われる振り込め詐欺防止教育の実態の模様など、去年は丸一年間放送続けていました。今年も1月7日から同じ番組を始めています。詐欺の被害にあった人たちには同じ特徴がある。孫のふりをした、あるいは知人の振りをした偽者たちが指定したお金を取りにくると、だまされた人たちは完全に信じて、何百万、何千万の現金、あるいはキャッシュカードなどを与えてしまうのだ。人生何十年と過ごした人が、人生でまだ一度も会ったこともない人間に何百万、何千万も与えてしまうのだ。私に言わせれば大バカ者です。数年前ミステリー作家、石井龍雄氏の紹介で語り合ったある弁護士がいる。彼はあるテレビ局の番組、確か「法律相談」で有名になったが彼が言うには、日本人は皆契約書のサインなど後でどうにでもなると思って皆サインしますよと言っていました。一般の日本人はいつも法的に無防備なのではないでしょうか。ちなみに平成30年の振り込み詐欺の総額は、1月から10月までの総被害額の暫定値、合計286.2億円です。

二. 談合
現在、日本では独占禁止法で禁止されている談合が今でも平然と行われているのには驚きのいたりである。今から4、50年前、私が30、40代の時、私はアメリカの一流会社でニューヨークの株式市場に上場しているFlour Engineering & Constructing (フルーア建設会社)の東京支店で働いていた。当時1ドル360円の固定相場制で日本の産業機械設備は大変な輸出力があった。フルーアはアメリカ国内のプラント建設を手掛けていたが同時にアメリカ国内ばかりでなく国外のプラント建設も手掛けていた。このためフルーア東京事務所は、本社の海外プラント建設に必要な資材、機械、設備をプラント建設地に送る調達事務所であった。フルーア東京事務所の調達額は、毎年何百億円に達していた。そのため山九のような輸送会社や日本検査のような検査会社などが出向社員をフルーア東京事務所に常駐させていた。私はこのフルーアに18年間務めたがその間フルーアが本場のアメリカで、またフルーア東京事務所が日本国内で談合などしたことはありません。例えば、サウディアラビアのアラムコがサウデイアラビアの砂漠に年産50万トンの石油精錬プラントを建設する場合、アラムコは世界中のプラント建設会社に国際入札をかけます。そこえフルーアが入札参加する場合、フルーアの建値は、いつもCost plus Fee (コストプラスフィー)方式の建値です。
この意味は、プラント建設に掛った費用は全部請求します、その他の費用としてわが社の手数料を請求します。
一方当時の日本の建設会社の建値は、Cost Plus Fee 方式の方がいいのだが、談合方式にし
かなれていないからコストプラスフィー方式が出せない。そして出すのは毎回、プラント建
設にかかる費用一括して、例えば500万ドル(手数料込みの建設費)の値段を出すのだ。
これを称して一括払い、すなわちランプサム ペイメント(Lump―Sum Payment)。
何故日本の建設会社がCost Plus Fee方式の値段が出せないかというと、そのためには大変な経験がいるのです。サウディアラビアのアラムの石油精錬プラント建設のプロジェクトをフルーアの本社が受注したとすると、即にプロジェクトNo.例えば5551などの4桁の数字が決められ、フルーアの世界中のオフイスで使用されます。すぐにフルーア本社では、プラント建設に必要な機材の引き合いを作る。個々に独立した沢山の引き合いを作る、例えばプラント建設に必要なボルト&ナットまで、それぞれサイズと量を明記した引き合い、あるいは熱交換器(heat exchanger)の能力、サイズごとの引き合い、あるいは電線のサイズと長さごとの引き合い、ありとあらゆる必要な、建設資材、機器の引き合い書が作られ、ヨーロッパ、アメリカ、日本に送られる。欧米、日本から見積もりに参加する業者は、一つの見積もり依頼に対して平均10社ぐらいが応札し、見積金額が高い引き合いに対して15、6社ぐらいが参加します。日本に送られる引き合い書類は、全部東京オフィスに送られる。東京オフィスでは、絶対に渡してはならない会社がある。それは日本の商社です。商社を通しても通さなくても値段が変わらないと言っても引き合いが商社にわたることはない。すべての引き合いには、それぞれアメリカ本国での入札締め切り日が書いてある。締め切りの翌日なると一斉にアメリカで見積書を開封し、見積もり評価が始まります。見積もり評価が日本製のものが安いとなれば我々東京事務所の購買の人間がその製品を注文し、品質検査後船積みまで面倒をみることになる。
建設に掛った費用は全部顧客に請求するので見積もり評価の結果は、全部顧客に送られます。購入必要な機材の見積もり依頼の引き合いと見積書を取り、注文先を決め、船済み前に検査し、船積みをするのが調達の仕事だけではなかった。調達で働く社員は、アメリカ人スタッフも日本人スタッフも全員に毎週「ワークシート」というカードが渡されている。それには月曜から金曜日まで日付が横に順番に印刷され、縦にはプロジェクトナンバーが印刷される。例えばアラムコの精錬プラント、すなわち5551が印刷されている。そのほか現在ワーク中のプロジェクトナンバー縦にずらっと並べてある。私のワークシートのケースを並べれば月曜日アラムコの精錬プラント5551の仕事を月曜日3時間仕事したとすると5551の欄に3と記入し、他のプロジェクトNo.2321を2時間。他のプロジェクトNo.1222を3時間記入すると一日の労働時間8時間働いたことになる。月曜日から金曜日まで合計時間40時間になる。合計時間が44時間になると何曜日に何時間の残業をしたかそのプロジェクトNo.がわかります。一週間ごとに各自サインして会社に提出する。会社は日本人の一時間あたりの平均コストを知っているから、プラント建設にかかった費用いくらと計算されて顧客に請求する。建設に掛った費用は人件費だけでない。オフィスワークとして調達スタッフは、書類のコピーをとります。コピー室にはボード板がありそのボード版に日付とプロジェクトNo.を書き込み、コピーの枚数を書き込むことになっています。テレックスオペレイターは、原稿にはすべてプロジェクトNo.書き込まれるからテレックス費用がすべてわかります。郵便費用は、郵便ごとにプロジェクトNo.がわかりますから、まとめられます。取引先の業者が、我が事務所にやってきます。タイピストはコーヒーやお茶をだします。プロジェクトNo.と日付とコーヒーやお茶の杯数が書き込まれます。こういう費用までプラント建設にかかった費用として顧客に請求するのです。だから日本の建設会社は、国際入札のプロジェクトにはこのコストプラスフィー方式の値段を出したくてしょうがなかった。一括していくら のLumpsum Priceでは不安でしょうがなかった。プラント建設完了までには年数がかかる。ひょっとするとプラント建設完了まで世界の経済状態が激変したり、労賃の賃上げあったりすると、一括払い方式(lump-sum payment)では不安なのだ。やがて日本の建設会社も国際入札ではcost plus fee方式の値段が出せるようになった。国内ビジネスでもcost plus fee方式の値段が出るようになればいわゆる「談合」はなくなるはずだ。しかし談合はなくならない。私は今80歳だが、私がフルーアを止めて32年になるいまだ談合が続いているのだ。最近では「リニア談合」は有名だ。

最初にのべた「振り込め詐欺」は、詐欺師はいかに詐欺でないかとばれれないうように注意をする。しかし談合は建設業に勤める者ならば、会社は談合をやっていると担当者は誰もが知っているのだ。知っていて平然と談合に参加するのだ。私はアメリカの建設会社に18年間務めたから、定年後無意識のうちに、定年社員に談合について話会うが、誰も談合を非難した人はいません、皆礼賛さえしてします。いや社員や経営者だけを責めてはだめです。労働組合幹部の責任を問うべきだとも思います。日本国民も談合と聞けば、またかと言って腐れ縁のように感じて、談合業者を責めようとしないなのだ。
このように国民には法意識が薄いから日本憲法に無関心、また学者や左翼知識人は、戦後、戦前の日本は何が何でも悪い国にしておきたい人がまだまだまだ沢山生きているのだ。戦後のある憲法学者は、現在の憲法は、日本の革命でできたものとさえ公言した学者さえいるのだ。

三. 戦後日本には強力な政治家が現れなかった。
日本のビジネス界では、世界的な人物、松下、井深、本田、など沢山いるのだが、しかし政治の世界では誰も世界的な人物は現れなかった。GHQに占領されていたせいもあるのでしょう。田中角栄がもっと生きて活躍していたら、ひょっとして新憲法制定にとりくんでくれたかもしれないと思っています。角栄はアメリカの検察と日本の検察との共謀で殺されたようなもの。金権政治家と非難する人もいたが、どん底から這い上がって政治家になれば、金がなければどうしようもない。いかに金をうまく使うかが重要なのだ。
ところが石原慎太郎氏、私より6歳上だが、彼の国会議員時代、金権政治、角栄に猛烈に反発した。一方私は育ちが彼と似てどん底育ちだから角栄支持派だった。石原は一ツ橋大学時代に「太陽の季節」を書き芥川賞をとった。即ち若い時優雅に温室育ちだったから、角栄の人間性を見ることができなかったのだ。それで反角栄になったのだ。それがなんと石原84歳の2016年になったとき、角栄を超礼賛する「天才」という角栄の伝記小説を書きベストセラーになっている。
昨年は安倍総理は、小手先の憲法改正を唱え、圧倒的に非常に多くの保守人が安倍改憲論の支持者になった。安倍氏は岸元首相の孫です。現在では元政治家の家系育ちの議員が150人もいると言われている。私にはもう一つ言いたいことがある。私の世代では中卒で就職列車に乗って都会に働き出てきたサラリーマン、あるいは私みたいに高卒でサラリーマンになった人、この人たちはいわゆる下層階級の人たちです。上流階級の人たちは一流大学出て一流会社に就職した人たちです。この人たちは、大学生の時、共産主義に肩入れし、反米闘争を起こし、いわゆる有名でありと同時に悪名高い「大学紛争」を起こした。温室に育ったお坊ちゃま、お嬢さま大学生がインテリぶって大学騒動を起こし、国会周辺に大騒動を起こし、脱個性集団のかたまりみたいだった。
彼らが大学卒業ごろ、私も同じ年代で外資系で働いていた。そのころ一流大学出の人たちは、新卒では外資系で働こうとも思わなかった。外資系が不安だったのでしょう。一流大学出、一流会社勤続の名誉が欲しかったのだ。私より4,5歳若い小椋佳氏は、東大卒、日本勧業銀行のサラリーマをンです。銀行勤続中に演歌の作曲が趣味の段階を超え、ヒット曲を沢山だした。最近テレビ局で、「私の時代はまるで政府が、脱個性の性格をもったサラリーマンを非常にたくさん作っているみたいだった。」と言って当時のサラリーマンの脱個性ぶりを嘆いていた。彼とすれば、自分は銀行の仕事をさぼることなく、演歌の作曲をしていたのだから、副業を大っぴらに許してもらってもいいと考えていたのでしょう。安倍氏の憲法小手先改革にあれほどの保守層の支持を集めたとき、その支持者のあまりの脱個性ぶりにびっくりしたものです。
私が安倍氏支持一本で固まっていた時は、彼が一介の議員で積極的に公に「つくる会」を支持してくれていた時代です。「つくる会」が「つくる会」と「育鵬社」と分裂したとき、安倍氏は育鵬社の八木秀次氏を支持したのだ。安倍氏も若い時温室育ちだから、八木氏の人間性を見ることができなかったのだ。八木氏は八木氏で、自分が安倍氏と懇親の間柄だと大っぴらに吹聴していたのだ。八木氏が「つくる会」の会長の時、何をしたのか、私の拙著、「保守知識人を断罪す」(「つくる会」苦闘の歴史)、総和社、1500円+税」をぜひ読んで見てください。八木氏は、実にえげつない事をしていたのだ。安倍氏は、この八木氏を「つくる会」より信用したのです。
いずれにしても、安倍総理の小手先憲法ではダメ。公明党も参加しません。自民党は公明党が捨て去ることをしなければだめです。いずれにしても現在の政治家には、日本の新憲法制定は無理。半面新憲法制定時期は、意外に早くやってくるかもしれない。皆さん、平成30年12月13日の産経新聞の論文、西尾幹二氏の『「移民国家宣言」に唖然とする』をよく読んで下さい。
まだ読んでない人は、西尾幹二インターネット日録(https://ssl.nishiokanji.jp/blog平成30年12月16日)を読んでください。安倍内閣は、移民受け入れの詳細な条件を決めずに移民受け入れ態勢だけを決めてしまったのだ。いずれ違う国家の移民同士の争い、日本人と移民の争いなど国内治安維持の問題などが起きます。戦前戦後になかった問題です、これでは新憲法作成しなきゃだめだと日本政治家が立ち上がるのではないかと私は考えていますが、皆さんはどう思いますか。









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