私の講演案内



下記の通り私の講演が行われます。
「講演会のご案内」
日時:11月26日(日)午後2時~4時半(開場1時半)
場所:町田市民ホール1F 第3会議室
演題:「人種差別と日本への移民問題」
講師:鈴木敏明氏
   昭和13年神奈川県生まれ、神奈川県立鎌倉高校卒業。外資系5社を渡り歩き定年。
   定年後、著作・講演などの活動を行っている。また、「えんだんじのブログ」は、歴史、時事評論、人生相談など多義にわたるテーマを面白く記述し、人気ブログとして10年目を迎えている。
著書:「大東亜戦争は、アメリカが悪い。」
  :「原爆正当化のアメリカと従軍慰安婦謝罪の日本」
  :「逆境に生きた日本人」
  :「保守知識人を断罪すー(つくる会)苦闘の歴史」
  :「The USA is responsible for the Pacific War」
  :「えんだんじー戦後昭和の一匹狼」
  :「戦後昭和の女性たち」
懇親会のお知らせ:
お気軽に参加して交友を広めてください。
時間: 1700-18:30
会費: 2,500円
場所: 町田市民ホール1Fレストラン

主宰:日本の明日を考える会・町田
講演参加会費:千円
お問い合わせ:080-6810-7685(倉橋)
以上。

皆様、お時間がございましたら、ぜひご参加ください。

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小説「戦後昭和の女性たち」(3)



(一)ライバル
皆さん、ヒュー・ヘフナーと言えばどんな人だか知っていますか。最近ヘフナー氏は91歳で死んだが、彼はあの超有名なアメリカの「プレイボーイ」誌の創刊者です。ヒュー・ヘフナーは、1953年(彼が27歳の時)「プレイボーイ」を創刊した。その創刊号にあのマリリリン・モンローのヌード写真(本人の承諾なしに)掲載し世間をアット言わせたのだ。以後数十年にわたり豊満な女性のヌードグラビアと読み応えのある記事が世界的に高い評価を受け、世界各地に現地版の「プレイボーイ」を発刊させた。ヘフナーとモンローは奇しくも同じ年で、私より12歳年上です。「プレイ^ボーイ」に載せられたヌード写真は、モンローが同じ27歳の時ですから、ヌード写真の年齢は少なくとも同じ27歳か、それとも27歳以下の年齢です。すなわち彼女の全盛期のヌードだから世界中の男性ファンをアット言わせたことは間違いない。ヘフナーは女性の裸の写真で大金持ちになったのだ。老後はプレイボーイ社の経営を娘のクリスティーに任せ、彼自身はプレイボーイ・マンションに住んでいた。そこは男たちの究極の隠れ家、そこでは全てがセックスのためにあり、全ての女性たちはやるためにいると男たちは勝手に空想した。ヒュー・ヘフナー氏はその館で死んだ。ヘフナーは生前に購入していた場所に埋葬された。マリリン・モンローの墓の隣だった。ヘフナーもマリリンも同じ年だからお互いの顔を知っていたでしょう。しかしモンローの男性遍歴にはヘフナーはいないし、ヘフナーの女性遍歴にはモンローの名前はない。モンローは彼女の承諾なしに「プレイボーイ」の創刊号に載せたことが許せなかったのだろう。ヘフナーはモンローファンの一人だったのだろう。だから生前、彼はモンローの墓の隣の地所を大金で買ったのでしょう。このヘフナーの記事は、今年に11月19日のニューズウイーク誌に出ていた。早速私が自分の「えんだんじのブログ」に取り上げたのには理由があった。

今年の9月1日私は、文芸社から文庫本で「戦後昭和の女性たち」(700円)を出版した。全部で八編からなる短編小説で全部で10人の女性を登場させた女性短編小説集です。一から七までは現実の女性を扱って書いていますが、八はタイトルが「天国での女性体験」で、天国での空想体験の話で、想像上の話が主体です。通常人間は死ぬ直前には死後天国に行ったら、あれこれしようとか、地獄に行ったらあれこれしようなど考えずに黙って死んでゆきます。しかし私は違う、「俺は間違いなく天国に行く、天国に行ったらマリリン・モンローを口説いて、ベッドを共にしよう。生前彼女が欲しがっていた子供を絶対に作ってやって、幸せにしてやると考えていたのだ。予想通りに天国に行けたので、計画通りモンローを口説き始め、成功し、ベッドを共にし、赤ちゃんも作ることが出来た。モンローに子供が出来て記者会見の時に、どこかの国のボーイフレンドと恋仲になって子供ができたと公表すればよかったのに、ところが日本人の定年サラリーマンのミスター鈴木と恋仲になってなどと本当のことをしゃべってしまい、そのため鈴木は日本のマスコミの寵児になってしまい、鈴木の物静かな定年人生がてんやわんやになり大騒動を巻き起こす物語なってしまったのだ。
ヘフナー氏と私はモンローファン、お互いライバルです。世界中にモンローファンのライバルが沢山いるでしょう。しかし私みたいに天国にいるモンローを口説いてベッドを共にし、子供を産ませて彼女を幸せにしてやった小説を書いたのは世界広しといえども恐らく私一人でしょう。それだけに小説「戦後昭和の女性たち」を一読する価値があると思っています。

二。男性読者からのコメント
さきほど一気に読み終えました。のちほどあらためて感想を・・・。
登場人物の生きた世界は私のそれとは全く違いますが、小説としても正直、面白いな~と思いました。なんでそう感じるのかな?と思ったのですが、
私の視点は、この時代が、ヒロインの両親はみな戦前の歴史を引きづって
いること。結果、いわく言い難い、両親もしくは片親との悲しい別れ、あるいは知恵遅れの兄弟を面倒みていたこと・・・など。
悲しいまた貧乏生活のなかで優秀な弟(のち東大医学部へ)の学費を送金・・姉はクラブで労働・・。姉の死を前に弟が著者に託した姉への恋文作成の依頼、それを読んで安堵した姉の、さわやかな死に顔・・・・。さわやかに天国へ逝くというのはこういうことだろう。
さらにいえば、登場する昭和の女たちは、みな現代とは違った経済生活の「苦労」と「緊張」を抱えており、それしか生きる道がなかった・・という宿命の
なかで実にいじましく人生を送っていたのである。
現代の、その気になればいくらでも仕事がある・・という経済安全圏とはまるで環境が違っていた。
そういう時代環境のなかで花咲いた、悲しくもそれなりに男との出会いによって一抹の幸せも得た・・という物語である。
考えさせられたことは、昭和という時代は、戦前と戦後が深く交錯する時代であったこと。
平成の弛緩した時代環境とは大きな差がある。その意味で、昭和という時代は、「文学」が成立し得る基本条件を備えていたこと。これが解る年代はたぶん団塊の世代以上ではないか。
・対して、平成の時代はなかなか「文学」が成立し難い、いや成立するとしてもQualityがまるで異なる。
いま政官財界、その他で活躍する人たちは、段階の世代
以前の人たちが多い。鈴木さんの時代感覚とは違った世代の人たちである。良くも悪くも時代の変遷とはそういうものだ。
以上即席感想でした。しかし文章の実に巧みなこと・・・
それ以上に、鈴木さんの真剣な生き様と鼓動が伝わってきました。
もっともどこまで実話で実話でないのか、知りかねますが・・。まずは御礼まで*フェイスブックでもご紹介します。
三。女性読者からのコメント
こんばんは。感想遅くなりまして、申し訳ありません。
大分前に読み終わってはいたのですが、なかなかえんだんじさんのように上手に文章に出来なくてすみません。一番印象的なのは、えんだんじさんは、本当に素敵でモテモテでいらしたんだなぁということです。それと、この頃の女性は、可愛くて女らしくて素敵ですね。
男性と女性が、その役割をきちんと果たしていたように感じます。私はそんな感じの方が好きですよ。どうして男女というものがあるのか、ちゃんと訳があってのことでしょうに、何でもかんでも平等にしたいというのは、何かの策略に翻弄されているような気がしてしかたありません。ただ、昭和初期の女性は、ずいぶんご苦労なことも多かったのではないでしょうか?だから、男性に頼らなくてはならない世の中だったという気もします。
えんだんじさんが日頃日本の名誉のために頑張っていらっしゃるのは本当に素晴らしいことだと思っています。一方、こうした小説もとても面白いですね。面白いというのは、失礼ですね、だってこれはほとんど実話なんですよね?
でもこんなに沢山の想い出をお持ちというのは、お幸せだと思います。
読ませて頂いて、私もその当時にタイムスリップ出来たような気がします。
ここに登場された女の方たちは、辛いことも沢山あっけれど、皆さん前向きで人生を一生懸命生きていらっしゃいますよね、私も少し見習いたいなぁと思いました。そして、今の20代、30代、40代の人が読むと、やる気が増すのではないですか?
私もあっという間に読んでしまいました。えんだんじさんが、これからも益々お元気でご活躍されますよう、お祈りしています。また色々なことを教えて下さいね。
四。読者の皆様へのお願い。
この小説は、私の前作『えんだんじ・戦後昭和の一匹狼』に次いで二作目です。何故私が小説を書いたか?ベストセラーにして印税をかせぎ、私の人生の最終目的、私の大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の英文版「The USA is responsible for the Pacific War」 を世界中、いや少なくともアメリカ中にばらまきたいからです。アマゾンでお買い上げの方がおられましたら、率直なコメントを書いてくださいませんか。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」のように沢山のコメントを書いてくれるとありがたいのです。よろしくお願いいたします。
なおこの「えんだんじのブログ」は先月10月で9年目が終わりました。今月から10年目にはいりました。
10年目が終わる来年の10月には、一冊の本(タイトルは未定)をだすつもりです。これからもご愛読のほどよろしくお願いいたします。

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もう日本男子の文化は、完全になくなった。(2)



前週の土曜日、10月14日、えんだんじのブログ、「もう日本男子の文化は、完全になくなった。」を発表した。そのブログでは、私が今から9年前の2008年9月13日にえんだんじのブログに出した「男の涙」の再引用でした。最後にその時もらった二人の読者のコメントとえんだんじの返事も出すつもりでしたが、ブログが長くなってしまうので省略しました。今回はその二人のコメントとえんだんじの返事の引用です。
引用開始
猪さんのコメント
「私も祖父の「命令」が~「男の子は人生で3回だけ涙を流してもよい、苦しい時ほど笑え」~が人生訓。
泣けない事はホントにつらいと思った事も有りました。祖父の「葬儀」の時には「吐くほど」納屋の裏で泣きました。棺桶に入れる花を納屋の裏に挿して祖父が帰って来てくれるのを待った程です。
中学生が「死」の意味を理解しないわけでは無いのですが、泣けたのですね。三回のうち一回、思い切り泣いて仕舞ったと言う事実が、素晴らしい映画で泣きたい想いが有っても、同期の友人の死を目にしても、残り二回で人生が終わる感じがする為に泣けないのです。
人が聞けば馬鹿な話で悲しければ泣けば良い。現在の若い人には笑われるでしょうが、子供たちも「冷たい」お父さんと考えていた感じは有りましたが、今は祖父の言葉を未だに心に持っている人間である事を家内も含めて理解し「頑固おやじ」と嘲笑?される事も無く成りました。
困った事は子供たちには、「人を裏切るな!」と教えてから彼等・彼女の友人の情報が殆ど入らなくなり、友人の判断は自分で先入観なく見る。加えて子供たちの態度から情報を得る事に成って仕舞い彼らの学生時代には困ったものです。
現在は映画を見ても涙が出そうに成るのは年のせいでしょうか?約束が有るので「頭」が痛くなるほど我慢する事がたびたび有ります。家内には「お父さんの神話」も何年もつだろうと?子供達に言ったらしいと、「秘密」を明かしてくれましたが悪口では無いので許しています。矢張り年が言わすのでしょうね。
後二回の涙?何時出るのでしょう?年をとるにつき重荷にも感じているのですが、長年の約束事「自分」が死ぬ時は涙は出せませんので一回で終わって欲しいと最近は考えています。「うつ」は闘争心が無く成ると起こるでしょう。
酷い教科書が手に入りました。えんだんじさんが「書いたら」の一言がものすごいプレッシャ―高校時代の追試験を受ける感じです。」

えんだんじから猪さんへ
「年をとると涙もろくなるのは、涙腺のしまりが年をとるとゆるくなると言うか、しまりがなくなるせいだと医学的に証明されていると私は聞いています。だから私は、いまは無理しません。映画など見て泣きたい場面があれば、平気で涙を流します。私の一言が随分プレッシャーを与えたようで失礼しました。」
引用終了

引用開始
たつやさんのコメント
「野菊の墓」で政夫が民子の死去を知らされたのは,寄宿舎住まいだった旧制中学の時だったと思います。
なんでも「毛唐のまね」をすればよいという価値観のしからしむる流れでしょうか。
「男泣きになく」も死語になったようです。「兼続」は「女子供」受けを狙った訳ですが,
今や「国民総『女子供』化」ですね。
えんだんじからたつやさんへ
「たつや様
そうでしたか。旧制中学生でしたか。失礼しました。
確かに「男泣きになく」など死後になってしまいましたねぇ。
一億総女子供化には同意です。
引用終了
上記の猪さんは、元軍人でこの時期、自宅で療養中で、外出しても2,3時間が限度で自宅に戻らなければならない状態だった。しかしえんだんじさんの出版記念パーティーの時は、必ず俺を招待してくれ、俺は車イス使ってでも行くからと言っていたのだ。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」のお蔭で、沢山の元軍人ファンがいた。多くの彼らが私に投書してくれた。彼らのほとんどがこの本を絶賛してくれた。「よくぞ、この本を書いてくれた。」と言ってくれたのだ。しかしほとんどが、私が書いた「えんだんじ・戦後昭和に一匹狼」も「戦後昭和の女性たち」もどれもさしあげるまでもなく亡くなっていた。残念、無念、なんのお礼もできず、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を読んでくださって本当にありがとうございました。皆様方の上記本に関する投書は全部大事にとってありますので、いずれ時期を見て公表したいと思っています。

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もう日本男子の文化は、完全になくなった。



今年の夏は珍しくテレビで高校野球をみた。負けチームの日本のますらおたちは。ほぼ皆と言っていいほど、恥も外聞もなくどっと涙を流して泣いているのだ。私の年代の男にとってこれほど興ざめするものはない。えんだんじのブログは今から10年前に始っているが、今から8年前の2008年9月13日に「男の涙」のタイトルのもとにブログを書いています。その頃から私のブログを読んでいるひとは珍しいと思うので、今回はそのブログの全文を引用して紹介します。

引用開始
「男の涙」
最近の若い男性を見ていて気づくのは、おそらく最低でも何百年と続いてきた我々日本男子の習性とは明らかに違うものがあるということです。それはなにかと言えば今の若い男は、テレビなど見ていると人前でも平気で涙を流すことです。
私が定年時に自費出版した出版社が倒産した時、私を含めて5,6人が会社の事務所に押しかけた。その一人に20代の男性がいた。会社が倒産して彼の支払った70万がもどってこないと知った彼は、「俺、どうしよう」、「俺、どうしよう」とその場にへたりこんでおいおい泣き出したのです。私はびっくりしてしまった。詳しく話しを聞けば、その70万円は借金ではない、自分がバイトで貯めたお金です。それでも「おいおい」人目で堂々と泣く、私など見ていて実に女々しい感じがして腹が立ってきたのを覚えています。
我の女房は、NHKの大河ドラマのファンでよく見ています。今年の主人公の直江兼続がよく涙を流すので、女房は少し怒り気味に「あの当時の武士が、あんなに涙もろいはずがない」とけなしていました。おそらく脚本家がまだ若い多分女性なのかもしれません。年寄りの男性脚本家だったたら、武士にめったのことで涙なんか流させるはずがありません。

そこで若い男性諸君のために昔の日本男子の泣き方の典型的な例を披露しましょう。明治時代の作家、伊藤左千夫の有名な短編小説「野菊の墓」から例をとりました。主人公は故郷を離れ、上京し大学に通う大学生です。突然故郷から「すぐ帰れ」の電報を受け取り、故郷に帰った。そこで彼は、彼の幼友達であり恋人でもあった彼女の死を知るわけなのですが、その死に方があまりにも不憫で涙をさそうものでしたから、彼は泣き崩れます。その描写を、作者の伊藤左千夫は、このように書いています。

「母の手前兄夫婦の手前、泣くまいとこらえて漸くこらえていた僕は、自分の蚊帳(かや)へ這入り蒲団に倒れると、もうたまらなくて一度にこみあげてくる。口へは手拭を噛(か)んで、涙を絞った」
この短い文章が、男の泣き方を端的に表しています。「母の手前兄夫婦の手前」で他人のいる前では男は泣かないもの、涙を流さないものだということ。「口へは手拭を噛んで」とは、号泣するとどうしても嗚咽がもれる。明治時代の田舎の夜は、静寂そのものだったでしょう。その嗚咽のもれを誰かに聞き取られると自分が泣いているのがわかってしまう。そのために口の中で手拭を噛んで嗚咽をこらえるのです。そして涙だけはとめどもなく流すのだ。それが「涙を絞った」という表現になった。これによって男というものは、どんなに悲しくても人しれずこっそり泣くものだということがわかります。この後の文章は、伊藤左千夫は、こう書いています。
「どれだけ涙が出たか、隣室の母から夜が明けた様だよと声をかけられるまで、少しも止まず涙が出た」
男が人前で涙を流すということは、女々しい男と思われたのは、人前で涙を流すということは男のうろたえた姿を表すことなのだ。男たる者、どんな悲しい目に会おうが、辛い目にあおうが、うろたえてはならないのだ。この武士道にも似た精神が当時の男にどれほどしみついていたかを端的に表す例を示しましょう。

日清戦争終了から5年後の明治33(1900)年、清国で義和団事件が起きた。義和団の騒乱にかこつけて清国政府は、中国に公使館を持つ国々に宣戦布告してきた。この時、清国に公使館を持っていたのが日本を含む欧米諸国11カ国、そのうちオランダ、ベルギー、スペインは守備兵力を持たず、合計は八カ国の守備兵力は、公使館員、学生、民間人いれて5百余名。イギリス公使館が一番広いのでここに各国の老人、子女、病人を集め、各国自国の公使館の籠城し、各国連携しながら戦うことになった。籠城戦は、約二ヶ月半続いた。この時大活躍して欧米軍の間で大評判を勝ち取ったのが会津藩出身の柴五郎中佐率いる日本の守備隊です。
籠城戦は結局成功に終わるのですが、日本軍の名声を高めたことが二つあります。戦後各国は、それぞれの担当地域で軍政を敷くのですが、各国軍は略奪をほしいままにするのですが、柴中佐率いる日本守備隊には一切の略奪がなかったこと、二つ目は日本兵の我慢強さです。戦場では負傷兵が出ます。当時は麻酔などありませんから外科手術など荒っぽいし激痛が伴います。片脚切断、片腕切断など麻酔なしでやります。この時欧米兵はでかい図体で大きな声で泣き叫びます。しかし日本兵は違った。人前で涙など流してうろたえる姿をさらすなが習慣になっているから、どんな大手術でも日本兵は、軍帽を口の中に入れそれを噛み締めて、低い声で「うーうー」といううめき声を出すことすら恥とばかり懸命になって平静さを装うとするのです。これが当時の日本男子の強さの原因の一つでもあったのだ。

私の年代以上の人たちの父親は、ほとんど全員明治生まれです。従って私たち男の子が、いつまでもめそめそ泣いていると、父親から「男のくせにいつまでもめそめそ泣くな」と一喝されるのが当たり前でした。母親でさえそういうことを言っていた時代です。それでもくやしくて泣きたい場合は、トイレに入って声を立てずに悔し涙を流し、落ち着いてから涙をふき取りなんでもないような顔をしてトイレから出るのです。夜だったら布団の中で悔し涙を流し枕を濡らすのだ。私は小学校時代にいじめにあい、多勢に無勢こてんぱんにやられ逃げるように家に帰り、母に悟られないよう、すぐトイレに駆け込み悔し涙をどっと流した思い出がある。このように私の年代以上の男は、小学生の頃から涙など人前で流さないのが男の強さの象徴みたいだった。

だから大人の男が人前で流す涙には価値があった。どういう風に価値があったか具体的に説明するのはむずかしいので例をあげましょう。私の20代の頃の話です。私の知人が私を含む数人の前で自慢げに話しをしてくれました。彼には愛を誓った恋人がいた。結婚するつもりだったらしい。ところが新しい恋人ができてしまった。前の恋人より新しい恋人の方が気に入ってしまったのだ。彼はどう別れ話を切り出すか悩んだ。前の恋人は、特に気が強いし、別れ話でひと悶着は避けられそうもなかった。そこで彼が考え付いたのが、別れ話の時に彼はわざと涙をながすことだった。彼は、私たちの前でその成功話をしたのだ。
どうやってわざと涙を流したのか聞くと、彼は、いかにも涙をこらえているように両手で顔を覆い人差し指と親指で目頭をできるだけ強く押して涙を出したというのだ。同年代の女性は、大人の男が涙を流しているのを見たことがありません。彼女は彼の涙を見てかえって感激したようだというのだ。どういうふうに別れ話を切り出したのか知らないが、彼女は涙を流しながら、彼の涙を見て、「あなたもつらいのね」と言ってくれたそうだ。「うそをつけ」と言いたい。おおげさな自慢話なのだろう。しかし別れ話は成功したのだ。

そのあと私は、自分で人差し指と親指で自分の目頭を押さえてみた。涙が出ませんでした。しかし強く押せば押すほど、指を離した瞬間目元がさだまらず目をパチパチするような感じになるので、涙をこらえているように見えるかもしれません。後年私は同じことをやる羽目になった。残念ながら女性との別れ話ではない。通勤定期のキセルで私が駅員に捕まったのだ。当時、現在のJRになる前の国鉄は、よくストライキをやった。24時間ストライキ、48時間ストライキなど、平気でストライキをしたものだ。会社によっては貸布団を借りて社員を事務所に寝泊りさせるところが沢山出た。
私は大組織への抵抗の意味と三番目の子どものミルク代かせぎもかねて通勤定期のキセルを長年していた。捕まった時、数年間キセルをやっていたのですぐに大きな罰金を想像し、私は青くなった。

私はハングリーに育っているので、こういうピンチにはすぐに臨機応変に対応します。目頭を押さえることを思いだし、涙をこらえるような仕草で、人差し指と親指で目頭を必死で痛みを感じながらも強く押しつづけた。手を離して駅員と話す時には、おそらく私は、涙を流した後の顔つき、あるいは最低でも涙をこらえている顔に見えたに違い。国鉄のストに対する庶民の抵抗などと開き直りせず、ひたすら謝りの一点張り。生命保険もかけてもいないくいせに、罰金が払えなければ、生命保険かけていますから、自殺してでも払いますとごく自然に名セリフが出てきます。自殺では保険がおりないのを知ったのはずっとあとだった。キセルの原因を子どものミルク代かせぎにした。いつもなら私はサラリーマンらしからぬはでな背広を着ているのだが、その日は幸いにも取引先の工場にゆくことになっていたから目立たぬドブねずみ色の背広を着ていたのも幸いした。ついに駅員の同情を獲得して難を逃れた経験がある。
女の涙は武器だと言われますが、我々の年代までは男の涙は、めったのことでは見られないだけに武器にもなり、価値もあった。それがどうです現在の若者は、うれし涙も悔し涙もすぐに出す。日本男子が数百年かけて築いてきた男の涙の価値を現在の若者は、完全にぶちこわしてしまったのだ。一体この責任をどうしてくれるというのだ。ある台湾人の男性が、日本に来て日本人男性が平気でテレビの前で涙を流すのを見てびっくりしたと言っています。台湾人の男性も私の世代と同じように人前ではめったに涙を流さないのだ。私には、現在の日本男子の若者のひ弱さは、すぐに人前で涙を流すことと非常に関係があるように思えてなりません。

数週間前、テレビでうつ病と仕事のストレスとの関係を話題にした番組がありましたが、うつ病の多くの原因が仕事のストレスに関係があるというのです。これは私の想像だが、多分当たっているような気がしますが、男が人前で平然と涙を流すようになってから男のうつ病が増えたのではないでしょうか。
最後に、現在の若い日本男子を一喝する文章でこの記事を終わることにしましょう。
「男のくせに人前でメソメソ涙など流すな!!」
引用終了

日本人は何百年かけて作り上げた文化を惜しげもなく捨て去るのだ。サウディアラビアは、宗教上の理由によりサウディ国内では、現在でも映画館が一館もありません。映画はテレビで家庭で見る物なのです。日本の現在の葬式は様変わり変わっています。今年はお経をロボットに読ませる人工ロボットを売っていました。私の葬式の時は、私の天国行きを祝して日劇ミュージックホールなみにトップレスショーの下に葬儀を行って世間をアット言わせるか。いずれにしても日本男子の文化は、もう完全になくなったのだ。いずれ戦争が起きた時、自衛隊員が大東亜戦争時の我が軍隊に比べていかに弱い軍隊になっているかを知ることになるでしょう。
最後に現在仕事のやり過ぎで、病気、過労死、自殺に追い込まれる若者よ、私は現在79歳、幼いときから飢えと金欠に育ってきているからいまだに闘争心旺盛だ。私の爪の垢でも煎じて飲みたければ、送ってあげるよ!

コメント

小説「戦後昭和の女性たち」への読後コメント



読者からメイル、手紙、葉書などで今のところ以下の読後コメントがありました。
送り手の名前は一切あげず順不同で、時候やあいさつ文を省略し、本の内容に関するものだけを抜粋してお知らせいたします。

コメント1。
 「戦後昭和の女性たち」を楽しく拝読させていただきました。 世代が違うので、感心することばかりでしたが、登場する女性には、それぞれ女性としての奥ゆかしさがあり、大和撫子とはこういうことなのかなと思いました。
最後のマリリンモンローのお話は、発想が愉快でした。
そんなにご著書があるとは存じておりませんでしたが、お知り合いの皆様に、ご自身でご購入いただくのも良いのですが、ご自分の地元の図書館で購入のリクエストしていただくのも良いと思います。
仲間内だけではなく、色んな方々と共有したいお話でした。

コメント2。
いつもながら、鈴木さんの体験物語は、泣かせますね。素晴らしい小説と思いますが、これをどうしたら世に出せるのか、考えてしまいます。やっぱり、どこか、小説に強い出版社の敏腕編集者にこれを見せ、もしその男が本当に優秀だったら、これをなんとしてもベストセラーにしよう、という話にするしかないでしょうね。何かそういうつてはないものか、それなりに考えます。
しかし、極楽の話は傑作ですね。やりたくってしょうがなかった、マリリンモンローとやることができる、そんな手があったとは!

コメント3。
硬軟いずれもいい作品ですね。(大東亜戦争云々vs.昭和の女・・)
一気に読んでしまい、そこから浮かび上がってくることは
1.背が高くて、粋で、おしゃれで、髭がある主人公ばかりですが、
  これは、ご本人の客観化ですね。
2.女性の好みは、美人であることは本音だが、10人並みでも
  愛嬌があり、客あしらいがよく、気立てがいい女が多いですが、
  これも作者ご本人の内心の反映でしょう。
3.みんな面白かったですが、「愛人関係契約書」はどこかで昔読んだような錯覚するような印象のデジャブ作品です。
4.私は三島由紀夫研究会員ですが、不熱心でもあり、三島の著作は、正直良さがよくわかりません。(三島関係者お許し下さい)
  「花ざかりの森」等何度読んでも何がいいのかよくわかりません。
  しいて言えば「金閣寺」は、何となく忘れられない印象強い作品です。
  豊饒の海は、死ぬまでにきちんと読まなければと思う次第のレベルです。
  でも、彼が盾の会のための資金集めのために女性週刊詩に書いた
  安部譲二を書いた「複雑な彼」はエンターテインメントして大変面白い作品でした。今回の本は、それを思い出させてくれました。
今、たくさん本を読む事情があり、だから暫く関係ない本は読まないつもりだったのに結局2,3日前に一挙に読んでしまいました。
罪な人ですね。スーちゃん! (なんか、女の恨み節みたいです)

コメント 4
どの話も面白く、ぐいぐいストーリーに引き込まれました。鈴木さんは大変なストーリー・テラーですね。鈴木さんの豊富なご体験を随所に絡ませて、楽しませてもらいました。これはかなり売れるのではないかと予感します。
敢えて難点をいえば、会話の中に不断使わない文語的な言葉が出てくることが気になりました。また、「天国での女性体験」は非現実的であり最後に夢だったと分りますが、他の作品が創作とはいえ現実感があって興味を引かれたのに較べやや違和感がありました。また、天国でも日本や米国などそれぞれに国が分れていることも天国のイメージを損ないました。
ただ、鈴木さんが今でも子供をはらませる元気のあることはよく分りました。

マリリンモンローは私もファンでした。事故死か自殺かの検死をしたのは日系の医師でしたね。その死体の写真が写真週刊誌に流れて、掲載されていました。
私はこれを見てしまい、生前の顔とは相当に違っていたことにショックを受けました。
鈴木さんには、彼女の生前の可愛いままの顔がイメージに残っていて羨ましく思います。いずれにしましても、鈴木さんの文才の豊かさに改めて感服しました。

コメント5
さて、拝読した感想ですが、やっぱり先生個人を存知上げているせいか、どこが実話でどこがフィクションなのか?が気になってしまいますね。八編ともどれも昭和の匂いが漂う作品ですが、どれが一番好きかと聞かれたら「愛人関係契約書」と答えると思います。昭和のメロディーが頭に流れる感じで、よませて頂きましたがどの作品も読んでいて、情景が浮かんでくるんですね、先生の小説は、西尾先生が文章が上手いとおっしゃられた通りと思いました。今は昭和ブームなので、テレビ局がドラマ化してくれないかしらとかふと思ってしまいました。

コメント6
本礼状を認める前に最初の作品「綾子の無念さ」のみ拝読しました。一口で言って感嘆しました。これまで貴殿が上梓された長大重厚な作品群を読み慣れた不肖としては、貴殿のご計画をブログ上で見た時、正直申しまして「なに、短編?それも女性を取り上げて? 大丈夫かな、、、」という懸念を持ちました。しかし冒頭の一篇を読み終えただけで、不肖の懸念は完全に杞憂であったことが判りました。
いな、貴殿の筆の冴えは、むしろ短編においてこそ本領を発揮するのではないか、とさえ思えてきたほどです。
「綾子の無念さ」には、一昔前に必ずいた、そして現在でも或はいるかもしれない、客商売に生きる女たちの哀感と孤独、そして反面の明るさと逞しさがテンポよく描写され、一息で讀み通してしまいます。その中に家族や兄弟の愛憎も程よく挿入され、思わずホロリとさせられます。とりわけ、「俺」に手紙を書いてくれと頼んできた弟の、姉に対する深い思いやりには泣かされました。そして行間にさりげなく滲み出る「俺」の、男としての生き方の恰好よさにも大いに惹きつけられました。急いで読み終わるのはもったいないほどの作品です。これから一遍ずつ、ゆっくりと楽しみに読ませて戴きます。そして全体を読み終わりましたら、機会を見つけてあちこちに書評を書くなどして、微力ですがこの本の普及にも努めたいと存じます。

コメント7。
拝読最中ですございますが、苦労の中にも明るくしなやかに昭和を生きた女性群像、いままでのご著書とは趣が異なり、鈴木様の文体の幅広さに感服しております。つくる会の会報「史」に宣伝記事を載せてもらうことができましたらと存じます。

コメント8
正直申し上げまして、私はこういうジャンルの本はあまり好きではありません。ただ読み始めると、筋書が面白いのであっという間に読み終わりました。皆せつないお話ですね。でもそれぞれ救いがあったように思います。これは鈴木さんの人生に対する前向きな姿勢が反映しているのではないかと感じました。家内も面白かったと言って文章力に感心していました。南京虐殺に続いて従軍慰安婦の嘘が世界に広まり、さらに徴用工まで広めようとしています。これは日本人の恥じとなると同時に、嘘を歴史に残したシナ人、朝鮮人の恥じになり、更に人類の恥じともなります。「大東亜戦争はアメリカが悪い」が世界に広まれば、正しい歴史が人類に残ると思います。

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日本人の政治的幼稚さが国を亡ぼす。



現在の日本は、民族の二つの政治的幼稚さで苦境に陥っている。その二つの政治的幼稚さとは、
1.戦後の原水爆実験禁止運動。
私は原水爆禁止運動に条件付きで賛成でした。その条件つきとは日本人各家庭に核シェルターを備えるよう政府に要求することでした。日本が核兵器を持たないのなら、二度と日本人が原水爆の被害を会わないように核シェルターを備えるのが当然だからです。ところが原水爆実験禁止運動に積極的な参加者も一般国民も、各家庭や団体向けの核シェルターにも関心を示さなかった。現在北朝鮮が大陸弾道弾テストや核実験テストをやると、万一日本列島を飛び越える時、事故でもあったらと子供たちは防空ズキンをかぶらせて避難しているのだ。まるで空襲警報の練習だ。現在世界で国民の100パーセントを核シェルターに収容できる国が二つあります。スイスとイスラエルです。両国とも原爆を投下された経験はありません。経験のある日本の核シェルター普及率0,02%に過ぎない。核シェルターなどなにもないのも同然。あまりにも幼稚な民族の姿ではないでしょうか?

2.独立回復後70年以上続くアメリカへの徹底した依存度。
独立回復後、GHQ憲法を廃棄し、新憲法制定して独立回復国として日米同盟堅持しながら正真正銘の独立国としての道を歩めばいいものを、GHQ憲法をそのまま維持し続け、なにもかもアメリカに依存し続け、戦後ほぼ70年アメリカが助けてくれるだろうの意識ばかりが日本の政治家も国民にも浸透し、危機意識などなにもないも同然。日本民族は独立国家としての気概もなければ、国防を充実して備えようともしない、ただ8月15日になるとやたらと「戦争はしてはいけない」と繰り返すだけ、国の備えなどもっと強力にしなければならないなどと考えもしないのだ。世界の独立国はどこでも、自分の国土が一部でも失うものなら、又自分の国の国民が強制拉致され強制労働させられたら、物凄く敏感に反応するのが普通です。ところが日本では戦後70年間アメリカに守られていたせいか、全く鈍感で愛国心もないのだ。日本の愛国心とは国際スポーツで本国日本を応援するのが愛国心だと思っているのがほとんどです。日本が戦争になったら国のために戦う若者の率は、外国に比べて極端に低い。それどころか日本をどうしようもない悪い国にしたり、外国に占領された方が日本は良い国なると思っている気の狂った日本人が多すぎます。領土という外交問題についていかに日本が何も具体策をとってこなかったかを列挙します。

(1).竹島問題
1952年韓国は李承晩ラインを設定し、その内側にある竹島を韓国固有の領土とし、1954年から韓国の警備隊が常駐し、いまだに実行支配している。日本政府は自国の領土と主張しているが何もしない。島根県は「竹島の日」を設けて行事化しているだけ。安倍総理は「竹島の日」は政府の主催にすると言ったがなにもしていない。国際司法裁判所で戦おうともしないのだ。もう63年間も韓国に実効支配されたまま、日本は竹島を失ったも同然。国民はただ茫然とし眺めているだけ。韓国旅行には平然と大挙して出かけるのだ。
2、北朝鮮の拉致問題
1970年頃から1980年頃にかけて日本人拉致が多発。現在日本政府公認の拉致被害者は17名。2002年9月北朝鮮は日本人の強制拉致を認めた。その後何も進展なし。
3.北朝鮮の核実験と長距離弾道弾ミサイルの連続発射の強行。
日米軍事同盟は、アメリカが主、日本が従の主従同盟だから、日本は何もできない、またその軍事力もない。いま日本が一番しなければならないことは、日米軍事同盟を対等同盟にすることと日本の軍事力強化です。これによって初めて拉致被害者の救出作戦。核実験基地、弾道弾発射基地を空爆できるのです。日本は独立国だがもう怖がって、またアメリカにも気を使って、本格的な軍事力増強(核兵器も含む)ができないのではないか。上記救出作戦、実験基地空爆はいつまで手付かずのまま続くのだろうか。
4.北方四島
日本は北方四島の返還をロシアと交渉したことがない。プーチンは北方四島を返すとも一度も言ったことはありません。それどころ北方四島の軍事基地化を進めています。それに今度は対北朝鮮への国際的制裁に積極的に協力しようともしないなだ。それなのに何故日ロ経済協力協定をことさら進めようとするのかわかりません。安倍総理は、お坊ちゃま育ちだからプーチンと何十回も合って自分の誠心誠意を示せば、プーチンは分かってくれると思っているのだ。政治がからむと日本人の誠心誠意など外国人には通じないのもわからないのだ。安倍総理はプーチンと会談したのが19回目、それなのにロシア強行姿勢が目立つばかり。日ロ経済協力協定の突然の日本側キャンセルは、外交的波紋をよぶから、のらりくらり交渉を続け立ち消えにしてしまうのが一番良い。
5.尖閣諸島
日本の領土なのに1970年代からシナと台湾が領有権主張。それまで尖閣諸島は、日本人個人の所有領土だったが、5年前意に日本政府が買い上げて国有化した。以後シナ船の領海侵犯が絶えず続いている。なぜ日本政府は、尖閣諸島に自衛隊の基地を設けないのか。軍事力強化は、お金の問題だが、尖閣諸島に自衛隊の基地をつくるは、「やる」か「やらないか」の意志の問題でしょう。安倍総理はシナとの衝突をこわがっているのだ。いま何もしなければ、尖閣諸島は竹島の二の舞になります。
6.北海道、佐渡島、新潟市、対馬、五島列島等の危機。
現在私は、日本国民が絶対に読まなければない必読の書は、今年7月10日kadokawaから出版された宮本雅史著「爆買いされる日本の領土」。特に北海道はシナの32番目の省になるといわれるほどの危機感なのだ。なぜ日本の領土は爆買いされるのか。理由は簡単。諸外国では当たり前のごとくある外国人の土地買い規制が日本にはないのだ。日本人はシナの土地を買えないが、シナ人は自由に買えて犯罪にもならない。メディアは、加計や籠池には膨大な時間をかけて報道するが、日本領土の爆買いには一切関心をしめさない。
7.いつになったら日本にスパイ防止法が施行されるのか?
この重要な問題であるスパイ防止法がいつ制定されるのかもわからない。政治もメディアもこれをわざと触れないようにしていると私は判断しています。何か得体の知れないものが国会内とメディア界に浸透しているのでしょう。

上記の難しい外交問題を解決するには、日米軍事同盟を堅守だが日米を対等な関係にすること、日本の軍事力を強化することです。私は安倍さんならこれができると思った。なにしろ当時の安倍さんはかっこよかった。一自民党議員時代は、「つくる会」が四面楚歌のような状態の時、安倍さんは積極的に「つくる会」を支持してくれたのだ。総理になった時もかっこいいことを言ってくれた。「戦後レジームからの脱却」、「河野、村山談話を見直す」、「竹島の日は国が主催する」、「憲法改正」、等々、立派なことを言ってくれたのだ。私が安陪さんから目をさまされたのは「70年談話」です。もう安倍さんではダメだと思った。しかし安倍さんの後に継ぐ人がいないから、安倍さんを信じてついていくほかはないのではないかと一時的に思ったこともあった。しかし現在では私は反安倍派です。8月18日付けの産経新聞の西尾幹二氏の記事、週刊ポストの9月8日号の西尾氏との談話記事、私はこの両記事の内容には同意同感です。
私はなぜ西尾幹二氏の意見を尊重するか。皆さん、戦前戦後を通じて、日本の保守知識人の特徴は何だと思いますか。それは日本では権力から独立した知識人は、極端に少ないことです。これは日本の悲劇です。むしろ、権力によって認められてこそ知識人というか、そのことを望み喜ぶ知識人が昔からの主流なのです。それだけに権力から独立した知識人は、自分のことより国家にとって大事かどうかを優先します。それだけに権力から独立した保守知識人、西尾幹二氏の意見は貴重なのです。

そこで両記事(産経新聞、週刊ポスト)では西尾氏が書いてもいなければ、話してもいないことをここに書きます。安倍さんの後釜がいないそうだが、ではどうすればよいか?
アメリカ大統領選挙のとき、私のブログでアメリカ国民にトランプを大統領に当選させるな、クリントンを当選させろと書いた。クリントンが素晴らしい政治家だからではない。クリントンなら今後4年間の政治姿勢が大体予想できるし、少なくとも4年間は可もなし、不可もなしの業績で次期大統領に引き継ぎができる。しかしトランプ大統領では何をするか、突拍子もないことしでかすか世界でもアメリカ国内でも不安だ。クリントン大統領の4年の間に共和党に素晴らしい候補を誕生させたらどうかというようなおこがましいブログを書いたことがある。
安倍さんの後釜いなくても、自民党の議員だったら可も無し不可もなしの者を首相を選び、その間に保守言論界がそれこそ西尾幹二氏が産経新聞に書いてあるように「民族の生存賭けた政治論議を」して、それこそアメリカのポチと言われるようなアメリカに盲従する日本から脱却して真の独立国として行動できるような政治家を育てようではないですか。
ここで注意しなければならないのは、私たちは集団主義社会だからすぐ「仲良しクラブ」を作ってしまうことです。すなわち同じ意見同志の者が集まり違う意見を排除してしまうことです。育鵬社設立された頃、私は反育鵬社のブログを幾つか書いて、いつも当然の如く転送していた「南木クラブ」や「百人の会」から「えんだんじのブログ」は送ってくれるなの指示がきた。私は自分のブログを頭さげて読んでくださいなどの気はもうとうないので、それ以来「えんだんじのブログ」は転送していません。こういう「仲良しクラブ」に陥っちゃだめです。私が「つくる会」がいいと思うのは、「つくる会」には色々な思想信条の人がいます。いっけん左翼じゃないかと思う人もいます。それでも「つくる会」の教科書を国内に浸透させようと皆一致しているのです。
安倍さんの後釜いないと言うことは、私がこのブログのタイトルに書いた日本民族の幼稚化が極度に達したせいと考えています。日米軍事同盟は大事です。しかしアメリカのポチとして盲従70年はもうやめましょう。奴隷的独立国家ではなく、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」とはっきり言えるような対等な独立国家を求める政治家を保守言論界一致して育て上げようではありませんか。難しいかもしれません。しかしそうでもしないと日本の明日はありません。


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文庫本売り出し、幸先良いスタート



私の最新の新著、文庫本「戦後昭和の女性たち」が9月1日から売り出されました。出版社、文芸社は、広告として「戦後昭和の女性たち」含む文芸社作品14冊を日本最大級の書籍情報サイト、ブック・アサヒ・コムを利用しています。
まずブック・アサヒ・コムをクリックしてください。次に(文芸社おすすめの一冊)をクリックしてください。14冊の本の表紙カバーが現れます。その表紙カバー「戦後昭和の女性たち」からアマゾンに発注できます。表紙カバーそのものをクリックすると、著者プロフィール、著作集がならび、その後が「えんだんじのブログ」です。そこをクリックするとブログに直結できます。この広告は9月1日から30日までの一か月間です。
文芸社からの報告によりますと、発売日の9月1日には、都内、千葉、神奈川のネット店、本屋さん、合計5店から計30冊の注文があったとのことです。ほかの著者にとっては当たり前のようなことかもしれませんが、今度の本は私の9冊目の本です。これまでこういう経験したことありません。特に前回の作品、「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」も文芸社作品ですが、売り出し日に注文があったなど聞いていません。それだけに今回のニュースは、「売り出し日に幸先良いスタート」して心中密かに期待しております。

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「戦後昭和の女性たち」、9月1日発売開始



「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の英文版「The USA is responsible for The Pacific War」
を世界中に、いや少なくともアメリカ中に売り込みたい。そのために英文版を大量発注する資金を稼ぐためのベストセラー作品を作り出そうと売りだしたのがちょうど2年前、2015年の9月に文芸社から出版したのが「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」。
この本は私の波乱万丈の一生を描いた自伝的小説だが、私によれば本が立派過ぎたのだ。B6版のハードカバー、ページ数363頁、値段1,600円+税。私あてに個人的に書評を書いてくれた人たちは皆絶賛してくれたが、やはり何といっても私は無名人。もっと簡単に手に入りやすい本にしなければ思い、新しい本を文芸社から文庫本を出すことにしました。本の題材ももっと受け入れやすい物にしなければと思い書いた本のタイトルは、「戦後昭和の女性たち」、八つの女性短編小説をまとめたもので、ページ数243頁、値段700円+税。これなら持ち運びに便利で、しかも本の内容が思想信条に関係ないから読みやすいのが特徴です。

これまで私の著作は、男性読者中心だった。ぜひ今度は女性読者層を引き込みたい。それによって売り上げ部数を伸ばしたい意向もあった。ある時ある人から言われました。「戦後昭和の女性たち」ではまるで論文のタイトルみたいで、女性短編小説集ならもっとセンスの良いタイトルがあるのではないかと忠告された。「戦後昭和の女性たち」以外のタイトルを考え出せなかった理由を示すには、この本の目次を見てもらわなければなりません。目次は、
一。綾子の無念さ
二。幸子の試練
三。つばめとお松
四。愛人関係契約書
五。春江とさやかの生き様
六。栄子の帰郷
七。佳代子の心変わり
八。天国での女性体験
この本はこの八つの短編小説で10人の女性の生き様を描いております。一人か二人の女性の生き様を描いた小説なら、一人か二人に凝縮した素敵なタイトルが浮かぶかもしれませんが、10人の女性を平等に扱わねばなりません。その10人を凝縮した素敵なタイトルを決めるのはむずかしかったので「戦後昭和の女性たち」に決めました。10人の女性たちと同時に10人の男性たちも登場します。この10人たちの男性のなかに私も登場しますが、私が他の男性を描く場合、どうしても自分に似てくるのです。私の筆力不足もあるのでしょう。それでも一つ、一つの短編小説が生き生きと描かれていれば問題ないのですが、皆さんが読んでいてどう思うかどうか不安なところもあります。

私は「つくる会」初めいくつかの保守の会に所属していますが、皆さん、非常にまじめな方が多い。政治、歴史、経済、教科書問題等々、難しい話を一年365日話続けてもあきることがないようです。私はその奥様方に同情いたします。「戦後昭和の女性たち」を読んで、たまには若いころ、二人でデイトしたころを思い出して話合うのもいいのではないでしょうか。
本の内容もさることながら、私にはもう一つ心配な点があった。本のカバーデザインをどう思ってもらえるかです。私は文芸社に昭和の娯楽の殿堂と言えば日劇だから、夜の日劇を明るく照らし、その前を二、三人ぐらいの若い女性たちが歩いているような写真風景を求めた。文芸社は早速探したが、見つからず、夜の日劇から銀座方面を映した写真、とそのほかの写真を見せてくれた。その中から私が選んだカバーデザインが現在使用しているものです。私はこのカバーデザインをすごく気に入っています。しかし老人の少女趣味だと言う人もいれば、私の精神的若々しさ出ていていいという人もいれば、私の女房みたいにこれだと女性読者層だけしか読まないのではと心配という人もいます。皆さんはこの本のカバーデザインどう思われますか。

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79歳の誕生日を迎えて



この8月1日で私は満79歳の誕生日を迎えた。私の波乱万丈な人生を振り返ると三つの特徴がある。両親の病気、外資系、一匹狼。この三つのうち今回は、両親の病気について語ります。敗戦になって多くの軍人たちが自宅に帰ってきてからが本格的な生活苦が始まった。我が家はもっとひどく最悪な生活だった。父は戦争直前に結核になった。結核が初期だったため満足な治療もせず病状悪化、お蔭で軍人に取られることはなかったが戦後即入院だった。私が小学2年のころです。他の家庭では戦地から帰国した父親は、働きにでるが、いくら賃金がやすくてもお金は入る。ところが我が家は、父親は働けないからお金が全くはいらない、その上病気の治療費を払わなければならない。お金の工面はどうしたか。父親の実家です。実家は富山県の地主だった。しかし戦後すぐ農地改革があって、大地主は小作農より多少裕福だったが、以前より金銭的余裕がなくなっていた。そこえ父が頼み込んでなんとか助けてもらった。父の実家の援助がなかったら母は三人の子供を育てるためにパンスケになっていただろう。その頃住んでいた横須賀は、パンスケの街だった。
父は右肺だか左肺を切除して治癒。日本鋼管に復帰した。首にならなかったのは、日本鋼管が大会社だったからだろう。
父が仕事に復帰して10年ぐらいたっただろうか、私が高校に入学するころ、父は、今度は腎臓結核を患ってしまった。この時きちんとした治療しておけば完治していたでしょう。しかし治療にはお金がかかる、それではいつまでも生活が向上しない。父は現代医学を拒否する新興信仰、メシア教に走った。一旦決めたら梃子でも動かぬ信念を持つ父親は、母の忠告も全く聞かずメシア教を祈りつづけた。結局二つ腎臓のうち、片方は腐ってしまい、残り腎臓の三分の一全く機能せず、このままでは父は死んでしまうと思い、母は父を騙すようにして病院に担ぎこんだ。5年間ぐらい入院しただろうか。結局三分の一が完全に機能しなくなった腎臓をだまし、だまし使い続けて、出張の時には鞄のなかに尿瓶をいれていた。そんな状態のまま定年まで働き78歳で死んだ。
父親がこんな状態だから我が家は、いつも貧乏で私は大学にも行けず、頭は優秀でなく普通のでき、体は頑丈でなく、普通の体。しかししぶとく努力することは得意であったから、自分の人生は長期で勝負、人が5年かかってできることは、俺は10年かけてでもやる。そのためには元気で長生きしてやるしかないと心に決めていた。
ところが私が30代にはいったころ、母親が五十代半ばで胃癌になり、胃の三分の一を切除して退院した。手術後5年間は元気いっぱいで完全治癒したと誰もが思った。だが6,7年後に咽頭癌になった。医者は胃癌の転移でなく新しい癌だと言った。人間は二つ声帯をもっているが、母は癌の為一つの声帯が麻痺してしまい、声量が半減してしまった。治癒しても声帯は元に戻らなかった。その後すぐに今度は大腸癌になった。手術後人口肛門をつけるようになった。その後すぐ小腸癌になった。通常一人の患者が一人で二つも三つもがんを患うのを多重癌と呼んでいた。母は結局四つの癌をわずらい多重癌で、それぞれ大手術をし、71歳の若さで死んだ。これまで私は、人生を長期戦で戦おうときめて実行していた。人が五年かかるところ10年かけてやる。そのための努力は、大いにやってやる気でいた。しかし私も私の二人の妹も父も、また医者も我が家は癌家系と思った。私は常日頃神や仏、いわゆる宗教に関心がない、それどころか時には、神や仏に怒りさえ感じる時がある。それはある特定の人物にこれでもか、これでもかというように苦労を与えるからです。私の母親は戦後三人の子供を育て上げるのにどれだけ苦労したか、長男である私は、その苦労を一番知っている。私は子供の時お正月にお年玉をもらわずに、大人になってしまった。家族でどこかに遊びに行くどころか、どこかに家族で一緒に食べに行くこともなかった。あの苦労に苦労を重ねた母親が中年なったら、次から次への癌に犯された。胃癌治癒後60歳から死ぬ71歳の11年間に三つの癌におかされたのだ。しかも当時は末期癌でも副作用が大きいからと言っていまほどモルヒネを多用に使用しなかったのだ。母がベッドの中で痛い、痛いと嘆くのだ。病院見舞いの帰り、私は悔し涙が出てどうしようもなかた。お袋は何も悪いことはしていない、何故癌に襲われ続けねばならないのか。神や仏を恨んだ。37,8歳のとき、私は自分がいずれ癌に襲われるかもしれないと思い癌と戦うことを決心した。癌の早期発見でやっつける対策だ。生命保険にも入らない私が癌保険に入った。毎年人間ドックに入ることを決め、以来40年間毎年人間ドックに必ず入った。母の病歴を知った医者は、私のドッグ結果を詳細にチェックするせいか、これまでに何度も胃癌、大腸癌、肺癌など再検査をさせられた。
またできるだけ健康な体で癌を早期発見して治そうと考えていたから日頃運動不足にならないよう気をつけてきた。ところが三年半まえ軽い脳梗塞を患い、幸い一週間の入院ですんだ。毎年人間ドックに入っているから脳梗塞の注意など受けたことなかった。私が大病するとしたら胃癌か大腸癌、いわゆる内臓の癌だろうと自分で決めていた。脳梗塞になる注意など受けていなかったせいか脳梗塞は実に軽症だった。わずかに右足をひきずる程度ですんでいる。そして現在79歳の誕生日がきた。
ここで私は初めて癌家系からの解放を宣言した。母には二人に妹がいた。すでに死んでいるが癌では死んではいない。私には二人の妹がいる、二人とも現在70歳以上だ。しかし癌を患ったこともない。私は79歳、癌にわずらったことがない。母親の四つの癌は彼女独自のもので、家系によるものではない。私や妹がいずれ癌になったとしても、それは家系によるものでなく加齢による癌と結論づけたのです。これによって私の終末期の人生が洋々と広がる明るい人生になったのだ。日頃の運動不足を注意していたから私には体力に自信があるのだ。懇親会というパーティーでは最初から終わりまで立ち続けでいられるのだ。自分で講演した時も立ち続けできる。今年と昨年の人間ドックの結果は再検査の必要なしだった。私の癌保険の満期は82歳です。もうこれ以上癌保険かける必要なしと決めた

これからの私の人生の終末期に何をするか。人は大体一つの人生で終わりです。私は欲を出して二つの人生を送ろうと思っています。サラリーマン人生実働40年、61歳で定年退職。以後執筆活動。これまでの18年間の執筆実績は、来月に女性短編小説集を出版します。それを入れて9冊目の出版です。2年ごとに1冊出版したことになります。それに「えんだんじのブログ」が今年11月で10年目を迎えます。この執筆実績は、ちょっとした人気作家なみです。こうなると自慢したくなって、「俺は若い頃から執筆活動していたら、今頃偉大な作家なっていたのではないか?」という気分です。あと20年執筆活動すると99歳になる。100歳まで書き続ければ、サラリーマン人生40年、執筆活動40年の二つの人生をおくったことになる。現在は人生100歳の時代です。途方もない夢ではない。どん底から這い上がってきた男のすごさを見せつけてやると闘志満々の日々を過ごしております。

「おふくろよ、俺が執筆活動をしているとは、全く予想外のことでしょう。俺の人生このままでは終わらないぜ、いずれお袋を主人公にした小説を書きたいと思っている。俺はお袋の分も長生きするからな。よく見ていてくれよ!」



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ガキ大統領トランプ(その2)



トランプ大統領は、またガキ大統領と呼ばれるにふさわしい事をやった。平成29年7月4日付けの産経新聞にこう書いてある。
引用開始
「トランプ大統領は2日、過去にプロレス大会に出場した際の映像を編集し、自身が殴りつけている敵役の頭部に米CNNテレビのロゴを重ねる加工を施した上でツイッターに投稿した。映像はトランプ氏が暴力による言論弾圧を奨励しているようにも受け取れるため、米メディアや野党から『とても大統領のやることとは思えない』と批判の声が噴出している。
28秒間にわたる問題の動画は、世界最大のレスリング団体WWEによる2007年の興行『レッスルマニア23』の映像を使用、リングサイドにトランプ氏が、CNNのロゴで顔が見えないスーツ姿の男性を押し倒して何度も拳で殴り、立ち去る様子が数回にわたり繰り返される。
映像の最後にはCNNならぬ(FNN(詐欺ニュース・ネットワーク)の文字が映し出され、日頃トランプ氏に批判的な報道を展開しているCNNへの意趣返しなのは明らかだ。
CNNは同日、声明を発表し、『本日は、合衆国大統領が記者に対する暴力をけしかけるという悲しむべき日となった』と述べた上で、ロシアのプーチン大統領との初会談や北朝鮮情勢などの懸案をよそに、トランプ氏は『極めて低次元で幼稚な行為に没頭している』と非難した。トランプ氏は6月29日のツイッターでも、MSNBCテレビの朝の報道番組「モーニングーショー」の女性記者(ミカ・ブレジンスキー、筆者挿入)について『知能指数が低く頭がおかしい』『(前に会ったときに)顔のしわ取りの整形手術でひどくて出血していた』。などと罵倒する発言を書きこみ、波紋を広げていた。
トランプ氏は一日に何時間もテレビの視聴に費やし、自身に関する報道を詳しくチェックしているとされ、一連のツイッターでの発言は、メディアの政権批判に対する同氏の苛立ちが異様な形で暴発した結果と言えそうだ。」
引用終了。

私はトランプ大統領がプロレス姿でCNNをこてんぱんに殴りつけるテレビ映像を夕方7時のNHKテレビニュースを見た。翌日この産経新聞を読んだ。このときふと思った、今時アメリカの子供たちにとって、アメリカ大統領は、将来なってみたい人気職業なのだろうか?実は私は外資系5社渡り歩いて40年。そのうちアメリカ系外資で働いたのが28年。だから米国本土からやってくるアメリカ人社員と雑談する機会は非常に多い。その中で今でも記憶に残るのは、あるアメリカ人が「私は、子供のときアメリカの大統領になりたいと思った」と言ったことだ。以来その事が気になって何人かのアメリカ人に雑談の機会にアメリカの子供たちにとってアメリカ大統領は将来なってみたい職業なのか聞いてみた。なにしろ私の世代の子供時代は、日本の総理になるとか、なってみたいと思うのはほとんど皆無だからです。私が驚いたのはアメリカでは、子供たちが大きくなったら大統領なるとか、大統領になりたいと思うひとが多いのだなと言うことでした。それだけ当時はアメリカの子供たちは大統領に対する尊敬の念が強かったのだなとの思いです。これは私が4,50代の頃の話です。
現在のアメリカでは、子供達は、アメリカの大統領になるとか、なりたいと思う子は多いのだろうかとふと疑問に思ったのです。少なくともトランプ大統領では、大統領としてアメリカの子供たちに尊敬の念をアピールさせるものは何もないということ、それどころか子供心にも幻滅を感じさせる点が多いと思います。

ニューズウイーク誌(2017/07/11)では女性報道記者ミカ・ブレジンスキーへの批判は、あまりにもひどい女性差別的発言だとメディアがこの話題で一色になり、その結果トランプにとって不利なほかのニュースがかき消された。その例;
1.オバマケア(オバマ前大統領の医療保険制度改革)代替法案の下院採決が先送りになったと言うニュース。
2.トランプがロシアのプーチン大統領と初会談するニュース。
3.ロシア疑惑関連で辞任したフリン前大統領補佐官(国家安全保障担当)めぐる疑惑。
ニューズウイーク誌は、トランプは、過去の自分の暴言ニュースが自分にとって不都合な報道を書き消しに成功したことを知っている。彼のこれからも暴言戦略が続くだろうとみています。
上記の産経新聞の10日後の7月14日、同じ産経新聞ではトランプ大統領の長男、ドナルド・トランプ・ジュニアがアメリカ映画「トップガン」の一場面を基にしてトランプ大統領が操縦する戦闘機から発射されたミサイルがCNNのロゴが付いた戦闘機に命中し爆発するよう加工された動画を共有アプリの「インスタグラム」に投稿したと報じています。
「この親にしてこの子あり」とはよくいったものだ。これでは、大統領就任6カ月の支持率が36パーセントと戦後70年間の歴代大統領の中で最低なのも当然でしょう。
今後の世界のためにも、日本のためにも、私のブログ「ガキ大統領トランプ」が長いシリーズにならないことを願うばかりです。

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