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「令和時代」幕開けの悲劇

五月一日から始まる令和時代を迎えて日本中歓迎一色にそまった。私自身年寄ですが、まるで新年を迎えるようにすがすがしい気分で令和元年五月一日を迎えた。ところがお正月ならまだおとそ気分が完全に冷めやらぬ気分でいる5月11日午前4時ごろ、靖国神社事務局長、沼山光洋氏が靖国神社前の道路脇で割腹自殺を遂げられたというネットニュースが飛び込んできた。私は普段、沼山氏とは親しい付き合いはないが、拙著をきっかけにお互い面識があり、年賀状を交換し、たまに都内の講演の時に私が出席した時は、偶然にも沼山氏も出席し、お互い目があうと挨拶をかわすのだった。
拙著とは碧天舎が出版していた「大東亜戦争は、アメリカが悪い」だった。この本の出版は、平成16年7月だった。月日が経つのは早いもので出版後15年も経つのだ。私は出版後半年ぐらいで千葉で講演をした。会場に元自衛隊員が出席していて、その方の紹介で靖国神社での講演をすることになった。その自衛隊員はその後名古屋に引っ越しましたが、その方とも今でも年賀状をやりとりしています。靖国神社で講演するなら、本屋があるから、その売店で「大東亜戦争は、アメリカが悪い」売ってもらおうとしたのです。その時私は沼山氏と会ったのです。それがきっかけで会えば挨拶をする関係が生まれたのです。靖国神社の本屋では、出版社、碧天舎が倒産するまで「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を売ってくれました。

実は、私は平成30年9月8日にえんだんじのブログで、『「譲位」は憲法違反』というタイトルでブログを書いています。村田春樹氏の本、「今さら聞けない皇室のこと」を紹介しながら書いています。村田氏は、今後の平成天皇、上皇として次の三つのことを心配していました。
1. 上皇即位後、韓国への謝罪旅行
2. キリスト教の洗礼を受けるのではないか?
3. 現在在位中の天皇陛下の靖国参拝は完全に夢ときえたのか?
私もこの三つの点に心配でしたが、なかでもまだ天皇在位まだ7カ月もある。その間に万が一にも平成天皇は、靖国神社参拝してもらえないだろうか、わらをも掴む思いだった。靖国参拝もないまま上皇になられてしまった。その結果上皇在職中に必ず靖国神社へのご参拝をしてもらいたいというのが私の主張だった。
しかし靖国神社事務局長という立場の沼山氏には、平成天皇在位中に靖国神社参拝してもらいたいという切なる希望があったのでしょう。そのため彼自身もできることはすべてやったと思います。しかしその希望はかなわす、挙句の果てに5月11日午前4時ごろ、沼山氏の切腹のニュースだった。彼の割腹自殺は、テレビも新聞でもいまだに伝えることもなく無言のままだ。私はメディアにたいして激しい怒りを感じています。
「つくる会」の池田東京支部長が5月16日に三島由紀夫研究会が沼山光洋烈士の残した最期のお言葉の全文を掲載しておりますので、「つくる会」MLでそのコピー流しておりますからご参照ください。
もうこうなったら上皇在位中に靖国神社に参拝してもらえるよう説得してもらおうではないか。それに全力を挙げねばならない。みなさん、頑張りましょう。


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安倍総理を叱る。(その1)

先月、えんだんじのブログではおよそ二年半前の平成28年(2016)11月5日のブログ「安倍首相、プーチンにのめりこまないでください。」の全文を紹介しました。プーチンの人格形成をKGBとFSB(両方とも俗に言う「秘密警察」)で働いてきたのが影響していると書いた。
それでは安倍総理の人格形成はどうかとみると、母型の祖父が岸信介首相、大叔父は佐藤栄作が首相、父親が安倍晋太郎外務大臣、政治家一家の次男坊、学校は成蹊小、中、高、成蹊大学法学部政治学科を卒業、神戸製鋼所に入社、三年後に退社。安倍晋太郎外務大臣の秘書になる。結婚相手は森永製菓、松崎昭雄社長の長女、昭恵。
どうですか、この安倍家の家系の華麗さ。安倍氏は大金持ちのぼんぼん育ち。私の極貧の波乱万丈の育ちと比べたら月とすっぽんの違い以上です
焦点をしぼって「新しい歴史教科書をつくる会」の話をします。私は「つくる会」神奈川支
部の会員です。入会は平成17年(2005)8月、会長が八木秀次の時です。私が入会した4カ月後の12月に八木は、「つくる会」の会長でありながら「つくる会」の執行部には極秘で、繰り返します、極秘で中国を訪問し、「中国社会科学院日本研究所」を訪れ、蒋立峰所長等と「新しい歴史教科書」をめぐって意見交換したというのだ。平成24年6月1日の朝日新聞は、「中国社会科学院」は人民解放軍と関係が深い機関と説明しています。

一方安倍晋三氏は、総理になる前の無冠の時代から「つくる会」の支援者だった。平成二十三年、この年教科書採択戦の年でもあり、安倍総理はわざわざ「つくる会」の機関誌「史」三月号に自分のメッセージを載せているのです。
長い文章なので最初の文章と最後の文章を引用します。最初出だしの文章、引用開始、
「昨年八月十日、日韓併合百年を迎えた菅首相は、与党内の議論抜きに、韓国の主張に副う
形で謝罪談話を閣議決定し発表しました。過去の文化財協力協定で決済済みの朝鮮王朝資料の返還も打ち出しました。引用終了。
その後も安倍総理は、安倍内閣の教育政策を語りながら、最後にこういう文章で終えました。
引用開始
長年に亘って地道に教科書の改善に取り組む「新しい歴史教科書をつくる会」の活躍は大変有意義で感謝し敬意を表します。今後とも一層の成果をあげられますよう期待します。
引用終了。
ここまでは「つくる会」と安倍総理との関係は健全だった。ところが八木秀次が「つくる会」の執行部に極秘の中国行きがばれ、八木秀次が「つくる会」を首になった。ここからが「つくる会」の運命が急転する。フジサンケイグループのドン、フジテレビの日枝社長が三億円を提出して育鵬社を設立、これまで「つくる会」の教科書を作っていた扶桑社を子会社として、新たに育鵬社が中学生用の歴史教科書、公民教科書を作成し、売り出すことになった。扶桑社と「つくる会」との10年間にわたる親密関係は完全に終わった。「つくる会」にとっては、新たに保守系の競争相手、教科書作成会社の登場です。この育鵬社が中学生用歴史教科書販売史上消すことのできない、以下の二つの点を巻き起こしたのだ。

一.育鵬社は平成二十三年の教科書採択戦に登場した。この教科書は、17年出版の「新しい歴史科書」の内容と文章を下敷きにして作られたものでしたが、中にはデッドコピーの箇所も多数存在していた。そこで、17年版「新しい歴史教科書」の代表執筆者である藤岡信勝氏は、全部で47か所にわたる著作権を侵害されたとして育鵬社を訴えましたが、平成26年12月19日には東京地裁が、二十七年9月10日には知財高裁が藤岡氏の訴えを棄却しました。
知財高裁曰く「歴史教科書の著作権は、国史大辞典等に既に書かれている歴史事実などを分かりやすくありふれた文章で記述したとしても、その教科書には著作権は認められない。」
歴史教科書というものは、言うまでもなく、一般歴史書に既に書かれているような歴史事実などを取り上げて、分かりやすくありふれた文章で記すものです。この判決は、歴史教科書の著作権を原理的に否定しています。今後はコピペ教科書があふれる事態になっていくかもしれません。この点に関して小山常美氏が彼の著書、「歴史教科書と著作権」(育鵬社歴史教科書事件判決を批判する)」、三恵社、340頁、3,400円)、ていねいに詳述しています。ぜひご覧ください。

二.育鵬社は、南京虐殺事件は「あった」と報道した。
日中歴史共同研究プロジェクトは、平成18年10月に訪中した安倍総理と胡錦涛国家主席との合意によって始められた。日本側座長は北岡伸一東大教授です。その一期報告書が平成22年1月に公表された。その中で特筆すべきことは、日本政府が南京虐殺事件の犠牲者数は未定だが南京虐殺事件そのものはあったと認めていることです。
平成23年7月20日、河村たかし名古屋市長のきもいりで中学校歴史、公民教科書の討論会が開催された。育鵬社の歴史教科書監修者の一人である石井昌浩氏(元拓殖大学客員教授は、「南京事件は確かにあった。これは事実です。犠牲者の数の実態についてはまだ論争が続いている」と発言した。これはこれまで「つくる会」が歴史教科書の検定を取るまでの工程と違っていた。「つくる会」は、南京事件を否定するためにいろいろ学術的に説明したが、文科省は南京事件を否定すると検定を絶対にくれなかった。そこで仕方なく「南京虐殺事件」はあったことにして文科省の検定をとっていた。こんど育鵬社が初めて歴史教科書の検定を取るとき、「南京虐殺事件」を肯定してくるだろう。一方「つくる会」は、いつまでもうそは書いて「南京虐殺」を肯定できないと、今度は初めて南京事件を肯定もしなければ否定もしない、南京事件のことは無視して何も書かずに検定をとることができたのだ。
この育鵬社の歴史教科書作成者の一人、石井昌浩氏が「南京虐殺事件があった」と公言したとき、大変驚愕する事件が起きた。私は日本の保守陣営の方々こぞって反対すると思っていたのに、誰一人反対をする者がいなかったのです。日本会議(田久保忠衛)、日本教育再生機構(八木秀次)、教科書改善の会(屋山太郎)、国家基本問題研究所(櫻井よしこ)、日本政策研究センター(伊藤哲夫)等、彼らは「反対の声」を何一つださないどころ、全員育鵬社支持者になった。「お前らバカか?」
私は極貧育ちのため、すこしでも上の生活をしたい。そのため媚びず、一匹狼を通してきた。
いざとなれば祖国優先です。ところがあなた方の保守は。安倍総理のおほめの言葉を得ようと、またフジサンケイグループは、保守言論界の雄、自分の名前の覚えを悪くしたくないと一斉に「つくる会」より育鵬社支持に力が入った。一方私はなまじ一度議員会館で安倍夫妻に会っているものだから、「安倍総理への緊急提言!」として「つくる会」の援助に関する手紙をかいた。結果は何一つ役立たなかった。安倍総理自身が育鵬社支持になっていた。私は日本がこんなことをしていると、中国政府の「南京大虐殺」のユネスコ記憶遺産に登録する行為が進むのではないかと心配していたが、案の定、平成27年10月10日にユネスコの記憶遺産に登録するよう申請していた許可がおりたのだ。

文科省はこれまで、「南京虐殺事件」を否定した歴史教科書には検定合格を与えなかった。そのため「つくる会」は「南京虐殺事件」をいわばうそを書いて肯定してきて検定合格をもらってきた。しかし平成23年度は南京虐殺事件のことは一切触れずして検定合格をとった。一方平成23年度の育鵬社は、「南京虐殺事件」は「あった」と公言しているので、検定合格とっています。
文科省が歴史教科書が「南京虐殺事件」を否定すると検定合格を与えないということは、これまで日本側に「南京虐殺事件」を否定する研究者が沢山いる、たとえば亜細亜大学教授、東中野修道氏、その他田中正明、鈴木明、冨沢繁信、阿羅健一、北村稔の諸氏がいる、文科省は彼らの意見をなにも信用できないというのでしょうか。私は安倍総理に直接聞きたい、これらの研究者の研究は、全然信用ならないと言うのですか?学問の真偽が多数決できめられると言うのですか。安倍総理の最大の失敗は、日中間で歴史問題で話し合えば、まともな結論が出ると思ったことだ。お坊ちゃま育ちで苦労しない人間は、たとえ外国人でも誠心誠意話会えば、話ができると信じていることです。ロシアのプーチンの場合も同じです。安倍総理にいくつか打ち明け話をしましょう。中国の「南京大虐殺」の書類がユネスコの記憶遺産に登録された日、平成27年10月10日、この日から一か月後の平成27年11月28日、東京で「南京大虐殺の歴史捏造を正す国民会議」が開かれた日、渡部昇一先生が議長
に選ばれた。彼は育鵬社の歴史教科書の監修者で、同時に南京虐殺はなかったと公言していた先生です。
櫻井よしこ氏は、「日本よ、『歴史力』を磨け」、文芸春秋社という本を書いた。第三章、「南京大虐殺の嘘」を南京虐殺事件の研究者、立命館大学教授、北村稔氏と対談しています。彼女は育鵬社歴史教科書の支持派で自分の顔写真を教科書に載せています。日本政策研究センターの伊藤哲夫氏は、毎月、雑誌「明日への選択」を出版しています。私も数年間購読していた。その間「つくる会」の記事など一度も書いたことがないのに、育鵬社が登場すると、育鵬社の記事が度々出版され、一方「つくる会」の話題は全然なし。私は頭に気て購読を止めてしまった。
日本会議、日本教育再生機構、教科書改善の会、国家基本問題研究所、日本政策研究センターなどこれらの会の指導者は、「南京虐殺事件」が「あった顔」を文科省や安倍総理にみせ、「なかった顔」を一般保守支持者に見せるという自分の顔を使い分けているのだ。
安倍総理、私は自民党を救おうと思って、自民党に入党としたのです。入党日:平成21年9月7日。党員NO.0914-000996-8.安倍総理の日中歴史問題、日露交渉、憲法問題、どれ取ってもダメ。世間では安倍総理の外に誰がいるかと言っている人が多いいが私自身は、ある程度政治に安定性がなくなって、経済がさらに不安定になってもかまわない。もともと極貧育ち、元に戻ったところで生きてゆける。安倍総理では日米間は仲良くできる、私はそれには賛成だ、しかし日本はアメリカの保護国のままだ、絶対にアメリカの保護国から完全に脱して独立した民主主義国家にはなれない。私はそれが、絶対にいやなのだ。

参考文献:小山常実、『歴史教科書と著作権』(育鵬社歴史教科書事件判決を批判する)
     三恵社、3400円。
     鈴木敏明、『保守知識人を断罪す』(「つくる会」苦闘の歴史)、総和社
     1500円。

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楊海英氏、文化人類学者、静岡大教授への反論

楊海英氏、文化人類学者、静岡大教授への反論
Newsweek(ニューズウィーク日本版)、2018・5・15号で楊海英氏は日本の相撲を批判しています。楊氏の日本相撲批判は、次の三つの点です。1.国技であること。2.神事であること。3.力士は品格が必要であること。私もこの三点についてことごとく反論していきます。
1.国技であること。
楊海栄氏はこう書いています。
「ユーラシアでは既に、紀元前8世紀~前3世紀に活躍した遊牧民スキタイが青銅器に相撲の分様を刻んでいた。また、10世紀頃に栄えた遼王朝のモンゴル系契丹人の格闘技が日本に伝わって大相撲になったという学説もある。それでも、「モンゴル高原が相撲発祥の地」と自慢するモンゴル人はほとんどいない。人類共通の興行だからこそ、大相撲にもモンゴル相撲にも似たような技芸があり、モンゴル人力士はそれを遺伝子のように駆使できるので強いというだけだ。わざわざ近代国家の枠組みに縛られて「国技」性を強調する必要があるのだろうか。」

相撲は色々な国に古い起源がありますからスキタイ民族の青銅器に相撲が描かれていたという話には驚きもしません。10世紀頃、モンゴル系契丹人の格闘技が日本に伝わって大相撲になったという学説。これは多分いいかげんでしょう。楊氏に質問しますが、モンゴルでは、相撲について語っている古い歴史書がありますか。日本では、現存する最古の正史と言われる「日本書紀」全30巻があります。奈良時代の720年に完成と言われています。そこでは次の様なことが書かれています。日本の11代目の天皇、垂仁天皇が7年7月7日に出雲の国から野見宿祢(のみのすくね)を呼び寄せ当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲をとらせ、野見宿祢(のみのすくね)が勝ったと知らせています。これが古代宮中で毎年7月7日に相撲大会が行われる起源になったと書いています。私は古代史を勉強していませんので、垂仁天皇の7年と言っても西暦でいうといつごろになるのかわかりません。ネットで調べると多分3世紀末か4世紀初めごろとありますが、正しいかどうかもわかりません。ただこの野見の宿祢(のみのすくね)は現在でも生きているのです。野見の宿祢神社が兵庫県、たつ野市と東京都墨田区にあります。とくに墨田区の神社は、大東亜戦争中の東京大空襲で完全に消失、1953年(昭和28年)6月、敗戦後まだ8年で日本国全体が極貧状態のとき再建しているのです。この墨田区の神社は、国が管理していますが、場所が狭いだけに沢山の見物人を集めての横綱の土俵入りができません。そこで新横綱が誕生した時だけ、出雲大社の東京分枝を招いて一般への予告なしに新横綱の土俵入りをしています。
大相撲のこれだけの背景、そして国民が何百年もかけてつくりあげた大相撲を「国技」とよんで強調したところで他国に害を及ぼすものではありません。楊氏は文化人類学者でしょう。文化というものは多くのその国民が何百年もかけて作り上げ、国民も経済的に豊でなければ他国からは文化と呼ばれないことを知っておくべきでしょう。大昔世界の多くの国々で相撲というスポーツがあったにも関わらず、現在の日本相撲のように古めかしさを多分に残しながら日本民族の大衆のスポーツに仕上げたのは日本だけ、それを国技と呼んで何が悪いのでしょうか。

2.神事であること。
「サッカーのワールドカップでは、キリスト教徒の選手は十字を切り、イスラム教徒はコーランの一節を唱える。神に頼って勝ちたいし、勝って神を喜ばせたい。それが興行=スポーツの目的なのだ。何も大相撲だけが神事で、他のスポーツより一段と神聖なわけではない。」と楊氏は書いています。
楊氏は、日本の文化をよく理解できないまま日本人の国籍を取ったのだ。日本人は大相撲がほかのスポーツよりより神聖なのだと思っている人は誰もいません。日本人は個人が自分の家を建てる時も、企業が大ビル建設の時でも、神式の儀式(上棟式)を上げるが、誰も自分の家が他の人の家より神聖だとか、他の大ビルより神聖な大ビルなどと思って上棟式を上げているのではありません。ただその儀式が習慣となっているからするだけです。文化人類学者で日本の国籍をとっているのならもっと日本文化を勉強してください。

3.「品格」の問題
楊氏が気にしているのが、「力士が『国技』『神事』の本質がわかっていないので、「品格に問題がある」という見方だ。これは楊氏が長く数年間にわたる相撲を見ていないから、横綱、白鵬の横綱としての品格の問題を力士すなわち一般力士の品格の問題ととらえて勘違いしているのだ。私は相撲ファンです。特に定年後は、特別に仕事をしていませんから、よくテレビを見ます。過去ほぼ20年間テレビをみてきた。横綱白鵬の全盛期を見てきました。白鵬が横綱になると、立会のときに、左右のどちらかの手で張り手をかますか、あるいは右ひじにサポーターを巻いて右ひじでのかちあげが多いのだ。もちろん禁じ手ではないので使ってもよいのだが、あまりにも使う回数が多くなると横綱になっている力士が使うべき手ではないという不満が観衆の間に生まれてきます。だから私は外国人横綱が出現した時から、大相撲は横綱のマニュアルを作れというのが私の主張でした。日本ではこうしてはいけないことという常識なれば、規則がなくても自然と従うが、外人の場合は、やってはいけないと言う場合、規則がないと行っていいのか、悪いのか、迷ってしまう。だから横綱のマニュアルは今でも必要だと私は思っています。

あれは栃ノ心が優勝したときだったと思う。横綱審議委員会の委員長が白鵬の立ち合いの戦いに苦言を呈したとき、それ以後、白鵬は立会に張り手やかちあげをあまりやらなくなった。そのせいか、また白鵬の体力の落ち目のせいか敗ける率が多くなった。かっては土俵上で白鵬は、自分が勝ったと思ったのに負けと判定され、土俵上での彼の抗議で審判の判決になかなか承服せず、土俵をなかなか下りなかったことがあった。現在の審判は最終的判断には、ビデオを使うにもかかわらずだ。確か日馬富士の暴行問題のときだったと思う、白鵬は土俵上で観衆にむかって日馬富士への拍手を強要したのだ。私に言わせれば白鵬は生意気だ。白鵬は自分の打ち立てた大記録に酔い、自分は日本相撲界のジンギスカンになったつもりか。新聞によると白鵬は、横綱人生終わったら、日本人国籍を取り、相撲界に残るつもりらしいが、私は反対だ。横綱終わったら、さっさとモンゴルに帰れ。先場所鶴竜が優勝したが、栃ノ心と星の差一つで優勝争いを演じていた。後半戦に鶴竜と琴奨菊の好取組があった。琴奨菊は元大関で関脇も落ち、先場所は平幕だった。しかし先場所、琴奨菊は好調だった。鶴竜を相手に琴奨菊は、どう戦うか、鶴竜は琴奨菊をどう下すか、皆注目の一戦だった。取り組みが始まると、琴奨菊は、猛然と鶴竜目がけて突っ込んでいた。ところが鶴竜は、立ち合い突っ込まず、横に逃げてあっさりと勝ってしまった。この時の観衆のブーイングがすごかった。私が昔白鵬の立ち合いの逃げ勝を見たとき、観衆はびっくりして、ブーイングを浴びせるどころか、きょとんとしていた。しかしモンゴル横綱の逃げ勝には黙っていられなくなって鶴竜への大きなブーイングになったのだ。横綱同志の戦いには、立ち合いの逃げ勝はあるかもしれません。しかし横綱対平幕の戦いで立ち合いに横綱が逃げて勝つなどとは恐らくないでしょう。だからこれからは、日本人横綱にも外人横綱にもマニュアルを作りなさいと言うのです。
楊氏の日本相撲界への反論は、文化人類学者としては日本相撲に対する知識不足が原因。参考になる意見など何もなし。

最近ニューズウイーク(日本語版)のジャパンタイムズ化と言われます。説明すると英字新聞「Japan Times 」は、穿った見方をして反日の記事をちょくちょく書く。ニューズウイーク(日本語版)もつい最近版(2018・4・24)では日本での外国人実習生の特集記事のタイトル「SLAVERY HELL現代の奴隷制 実習生残酷物語」を愛田峰俊(ルポライター)が書いている。自由意志で応募するかどうか決めるのに「奴隷制」という言葉が使えるのか?私はニューズウィーク誌(日本語版)編集部に何も日本を批判する記事を書くなと主張しているのではありません。論理的記事を書いて批判しろというのです。私はニューズウイーク誌(日本語版)長期契約読者です。読者番号:1101-050-8822。くだらぬ日本批判が続くなら長期契約はやめることにします。


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私が嫌いな男になった、小泉純一郎

小泉純一郎氏は、皆様ご存知のように、元総理大臣、選挙の地元は、神奈川県横須賀市。私は神奈川県生まれの神奈川育ちで、戦後は横須賀の市立小学校、中学校卒業まで9年間過ごした所です。だから小泉純一郎と言う名前には愛着がある。彼は総理になる前から「郵政民営化」を主張していた。私も郵政民営化に賛成だったから、小泉純一郎氏は、自民党議員の中でも好きな方だった。それが突然彼に嫌気がさしたのだ。その理由は彼の離婚後の元妻にたいする態度だ。結婚生活4年間で彼の元妻、宮本佳代子氏と離婚しています。離婚後小泉元夫妻は、両方とも離婚の理由などについては一切語っていませんが、宮本佳代子さんは、女性誌「いきいき」、平成28年3月号で6頁にわたって、今回はじめて彼女の離婚後の生活ぶりを語っています。女性誌「いきいき」は書店では買えない直販制の雑誌です。たまたま偶然私は、ネットでそのインタビュー記事の解説を読んだ。
宮本佳代子さんは、エスエス製薬の元会長泰道照山の孫として鎌倉で生まれ、高校生の時、関東女子ゴルフ選手権に優勝、青山学院大学に入学。小泉36歳、宮本は大学4年生の21歳のとき見合い、すぐに小泉は彼女にプロポーズして結婚した。二人の年の差15歳。彼女は長男、孝太郎、次男、進次郎を次々出産、三男を妊娠中に離婚決定。彼女は小泉家を去った。離婚後、小泉の姉が二人息子の面倒を見、二人の子供には絶対に母親に会わせなかった。妊娠中だった三男(宮本佳長)が子供の頃小泉に会いたがったが小泉は絶対に会いたがらなかった。家族五人が再会したのは離婚後30年経っていた。
これを知った私は、小泉はいくら政治家といえ、非常に冷たい非情な男として突然きらいだしていた。なぜなら私も離婚したし子供の気持ちがわかるからだ。

私が離婚したのは結婚15年後だった。長女が中一か中二、次女が小5か小6、長男が小2か小3の頃.結婚5年間は順調そのものだった。二人には目的があったがあったからだ。長女が5歳なるまでできるだけではなく、徹底してたくさんの現金をつくることだった。私の給料のはるか下で生活し、社会から徹底して孤立した生活をし、五年間という条件つきで、身内との付き合いもたった。住居も6畳一間で、風呂もテレビもなし、親子4人まで過ごした。独身の時から株をやっていたから、もっとお金をためて株でもうけてマンションを買ってやろうと思っていた。5年経つと三人目ができて6畳一間では狭すぎると借家に引っ越した。その後すぐに横浜の磯子にマンションを買った。その頃からだった夫婦仲がうまくいかなくなったのは。理由は生活にかなりゆとりがではじめたからだ。
私はアメリカの会社に務め週休五日制という制度をおう歌していた。毎週土曜他の会社でアルバイトをしていた。当時加山雄三の父親が関係している茅ヶ崎パシフイックホテルは、プールで水泳教室をやっていた。ある時知人が水泳をある程度できる生徒たちを教えることが出来る先生は、くさるほどいるが、まだ泳げるどころか水を恐がる子供を教える、しかも女性の先生がなかなかいないと言うのだ。
その話を元妻に話すと、「私が教えるわよ」。私も彼女の水泳のうまさを知っていたから、知人に紹介した。これで彼女は成功した。もともと彼女の社交術に右に出るものはいない。それに美人だ。まだ40代初めだ、昔の面影はある。プールの中でびしびし教えるが、プールの外に出ればにこやかな笑みを浮かべてお母さまがたと話をする。すぐに人気者の先生になって生徒がぐっと増えた。彼女は、パシフイックホテルの他にアルバイトをし始め、公営プールを使って教え始めたのだ。その公営プールでの営業も上手くいって、当時は「私の仕事着は水着だから」といって、押入れをあければ水着20着ぐらいが横にならんでいた。経済的にゆとりが出過ぎっちゃったのだ。経済的にゆとりのでたお金を、元妻は全部子供の教育のために使った。子供達全員にアイススケート、ピアノを習わせ、水泳は他の生徒たちと一緒に自分の子供にも教え、学業はまだ小さいから自分で教えられると言って教えだした。その教え方もスパルタ教育で、凄まじい。手を挙げることもあるなんて生易しいものでない。私は結婚前には見ることもなかった、彼女の非情,意地悪さを見たし、私との教育観の違いの大きさを悟った。私は中学校卒業までは公立学校でいい、高校から各自の実力でどこかに入れるだろうと考えていた。しかし元妻は違った。できるなら幼稚園から名門校にいれて育てたかったのだ。二人の教育観の差はあまりにも大きかった。二人の喧嘩も多くなった。ある時の喧嘩で、私が許すことができない言葉を聞いた。「たかが高卒のサラリーマンのくせに、偉そうな事言わないでよ」と大声で怒鳴った。瞬間、私はこの女房はダメだ。離婚を決意した。元妻は夫婦喧嘩しても絶対に謝らなかった。今回の発言でも取消もしなければ、謝りもしなかった。横浜の家庭裁判所で協議離婚した。私が買ったマンションを彼女にあげ、三人の子供の親権も彼女に渡し、私はいつでも子供達に会える権利を得、私の毎月の仕送りを決め、私は6畳一間のアパートを借りた。丁度離婚した頃、元妻の公営プールの水泳ビジネスの陰りが出ていた。多くの水泳上手な人が公営プールを利用し、ビジネスや練習用に使い出した。多くの一般利用者から文句がでたのだ。もうプールで生徒数を増やすどころかプールで教えることがむずかしくなった。離婚後1,2年経つか経たない内に、元妻は男の子つれの男と再婚し、私が彼女に与えたマンションに三人のこどもたちと一緒に暮らし始めていた。私はその話を子供達から聞いた。私は元妻が他人の生んだ子を自分の子のように育てられるわけがないことを知っていたが、子供には黙っていた。だからといって新しいお父さんとは仲良く暮らせなどとても言えるものではなかった。ただ連れ子にはお前たちと同じ環境だから仲良くしてやれと言うのが精一杯だった。三人の子供達が高校生になるまでは私と一緒によく会ったものだ。一番よく利用したのは横浜球場だった。私は阪神タイガースファン。そのため三人ともタイガースファンになっていた。横浜阪神戦をよく見にいったものだ。いつだったか何十年ぶりで阪神が優勝した。私は約束したどおり、優勝後三人を連れて横浜超一流のニューグランドホテルのダイニングルームに連れてゆき、食べたいもの好きなだけたべさせた。ところが息子は、メニュウ―を見た後、「俺はスパゲティーでいい」と言いだした。理由を聞いてみるとメニューだけでは何が出てくるかわからいと言うのだ。まだ幼かったのだ。

ところで、小泉純一郎氏の元妻、宮本佳代子さんは、三男佳長を生んだ後、彼女は何をしていたのでしょうか?彼女は宅地建物取引主任の資格を持って三井不動産で30年間働いていたのだ。三男の佳長の結婚まじかに小泉元夫妻と男三人兄弟が30年間で初めて小泉行き付けのレストランで食事をし、2013年の結婚式には父親の小泉氏と二人の兄も参加したと宮本佳代子さんはインタビューで語っていた。父親の小泉は、自分の三男が同じ神奈川県のどこに住んでいるかも知っているのに、30年間ほど一度も三男に会おうともしなかった。いくら政治家でも小泉は非情すぎます。その三男が三兄弟の中で小泉氏の顔に一番良く似ているというのだから皮肉なものです。

実は私の元妻も子供の手がかからなくなったら働き出そうと新婚時代から宅地建物取引主任の勉強し。その資格を持っていたのだ。水泳教室が落ち目になるとこの資格を生かして中小企業の不動産会社で働きだした。いつの間にか私の元妻たちと一緒に暮らしていた子連れの旦那とは離婚していた。不動産ビジネスの時代と彼女の社交性が性に合ったのでしょう、彼女の生活の羽振りが良くなるには時間がかからなかった。不動産会社の社長と元妻との関係も仲良くなっていた。いつのまにか三人の子供もおおきくなり息子は高校生になっていた。ある時息子は言った。「俺、高卒になったら自衛隊に入って2、3年たったらフランスの外人部隊に入る」。息子は高卒後、母親と一緒に暮らしたくないのだろうと思って返事もせずに黙って聞いていた。本人が言っていたように高卒後、陸上自衛隊にはいり、自ら好んで北海道の自衛隊名寄基地に任務した。当時はソ連が健在で若しソ連軍が北海道に侵攻してきたら、名寄の基地が迎え撃つというので名寄の基地には最新鋭の兵器、設備を備えていた。自衛隊勤務しながら趣味としてトライアスロンを初めていた。トライアスロンの練習しすぎで腰をいためてしまい、走れなくなってしまった。その腰を治してくれたのが「整体」であった。そこで息子は「整体」に初めて興味を示し勉強もし、習いもした。自衛隊を辞めた時、名寄の基地から地元の藤沢まで全部ヒッチハイクで帰ってきた。ついに1992年地元藤沢で整体院、「健療施術院」を開業、その後川崎に支店、その後代々木上原、去年の一月から上野にも支店を設け、四施術院の従業員合計20人を雇っている。今では藤沢の昔からの高級住宅地として有名な鵠沼で瀟洒な三階建ての借家に住んでいるのだ。
私が離婚した時、子供もたちと離れてくらし、その時息子は、小学2,3年、父親としての役目を充分に果たすこともできず、ここまで育ってくれたことに感謝感激です。息子が結婚した嫁さんは素晴らしい内助の功を発揮してくれて、彼女にも感謝感激です。息子の結婚式の時、肉親の挨拶で、私は、「息子には自慢するものは何もないが、息子にはこれからは何が起ころうとも、音を上げることなど絶対にありません。世間でよくあるように仕事に挫折して自殺するとか、家庭を放棄するとか、などは絶対にありません。私は息子には何があっても生き抜くことを教え込んでありますから。」とスピーチしたことを覚えています。
息子よ、これからもその意気で過ごしてください。

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今朝のブログの訂正

今朝、「育鵬社の歴史教科書盗作事件」のブログをながしました。後半部に「ところが最近、
またぞろ古い歴史教科書が復活した。平成28年度から使用されている窓社の歴史教科書だ。」

この「窓社」は間違いで「学び舎」が正しい呼び方で、訂正のほどお願いします。

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「南京大虐殺」ユネスコ記憶遺産登録は、日本政府の失態



シナ政府は、「南京大虐殺」に関する文書をユネスコの記憶遺産に登録するよう申請していたが、平成27年10月10日にその登録が正式に認められた。これは安倍政権の外交的失態と同時に安倍政権支持派の保守知識人の失態でもあります。その失態の実状を説明しましょう。
一。文科省の検定
文科省は過去数十年間、公立の中学校で使う全教科書の内容を検定し、その検定合格をもって教科書の販売許可にしてきました。歴史教科書については、南京大虐殺を否定すると検定を合格させなかった。平成9年に「新しい歴史教科書をつくる会」が設立された。設立されたきっかけは、あの嘘八百の「従軍慰安婦」事件が当時販売されていた歴史教科書七社、その全社が「従軍慰安婦」事件を掲載したからです。公立中学校の全教科書は4年ごとに改定され、発売されますが「つくる会」は南京大虐殺を否定しています。歴史的理由は長くなるので省略。南京事件否定では文科省は検定の合格はくれません。結局「つくる会」は折れて南京事件を肯定して検定合格を取ってきました。四年ごとの改定の度に歴史上の嘘を書き続けるわけにいかないと前回の改定のときには「つくる会」は南京事件を否定もせず、肯定もせず、また全く何も書かずに、また歴史教科書では初めて「通州事件」を書いて検定合格を取っています。文科省が南京虐殺を否定すると絶対に検定合格を与えない最大の理由は、「日本歴史学会」と「歴史学研究会」が民間の南京事件研究で有名な東中野修道氏を初め、田中正明、鈴木明、冨澤繁信、阿羅健一、北村稔の諸氏の研究論文など歯牙にもかけず一切を無視しているからです。今でも自虐史観に固まっている「日本歴史学会」、「歴史学研究会」、憲法学者学の集まりの会などが大手を振っているのだ。それを許して眺めているのが文科省なのだ。

二。育鵬社の登場
フジサンケイグループのドン・日枝会長が三億円を支出し、「つくる会」系と同じ保守系歴史教科書を出版する育鵬社を設立(平成19年8月)。育鵬社登場については二つの注目点があります。
1.八木秀次氏は、育鵬社の歴史教科書の監修者の一人ですが、それ以前は「つくる会」の会長であった。八木氏は「つくる会」の会長在任中、「つくる会」執行部には極秘で、「つくる会」の事務局長でもあり日本会議の会員でもある宮崎事務局長をつれてシナの「中国社会科学院研究所」を訪問した。実状は、八木氏自らの訪問ではなくて「中国社会科学院研究所」からの招待であった。シナ極秘旅行がばれたせいもあって平成18年4月30日八木氏と八木派は「つくる会」を退任し、育鵬社に参加しますが、五月に八木氏に招待されて「中国社会科学院」の蒋立峰・日本研究所所長等研究者グループが来日、5月17日に日中討論会が扶桑社で行われた。同時に同じ平成18年7月3日の「AERA」では八木氏は「朝日新聞に批判されるようなものにならないはずですよ」と語っていた。上記の扶桑社の日中討論会で一説にはスパイの李春光が参加していたという。それを証明する写真もあるというのである(月刊「WILL」平成24年10月号)。何を語られたか詳細はわからない。

2.平成23年7月20日河村たかし名古屋市長の肝いりのもと名古屋で中学校歴史、公民教科書討論会が開催された。育鵬社と「つくる会」の自由社だけが出席し、ほかの教科書会社は出席しなかった。その席で育鵬社の歴史教科書監修者の一人である石井昌浩氏(元拓殖大学客員教授)は、「南京事件は確かにあった。これは事実です。犠牲者の数などの実態についてはまだ論争が続いている」と発言しているのです。要するに育鵬社は、否定しても検定がとれないから最初から文科省と議論せず南京事件を肯定しているのです。一方保守の間では、史実的に「南京事件はなかったことが常識になっています」だから「つくる会」は南京事件虐殺に抵抗しているのです。この当時は、私にははっきりわからなかったが、安倍総理が「つくる会」より育鵬社支持をはっきり示していたのでしょう。その証拠に石井昌浩氏の「南京事件」の肯定発言に反発した保守知識人はほとんどゼロでした。保守知識人の雄、また南京虐殺否定派の雄ともいうべき渡部昇一氏は、石井昌浩氏の肯定発言に反発するどころか育鵬社の歴史教科書の監修者の一人になっています。櫻井よし子氏は、自著『日本よ、「歴史力」を磨け』では「南京大虐殺の嘘」がありますが、石井発言に反発するどころか育鵬社の歴史教科書には支援者の写真の一人になっています。日本会議も育鵬社支援の記事を度々月刊誌「明日への選択」に載せています。八木秀次氏、日本会議の伊藤哲夫氏は安倍総理の太鼓持ちだ。八木氏は日本教育再生機構の理事長、その再生機構の複数の顧問が日本会議の幹部でもあり、組織面、運動面で関係が深い。教科書改善の会は、フジサンケイグループの教科書発行を支援グループ。代表世話人屋山太郎氏。ここには学者ばかりでなく多方面の保守知識人が多いい。育鵬社はフジサンケイグループ。フジサンケイは保守系出版グループの雄だ。保守知識人にとって利用価値がある。従って保守知識人は、「つくる会」の歴史教科書より育鵬社の歴史教科書利用の方に価値があった。そのためでしょう、保守知識人でありなが、無意識のうちに民間の南京事件研究者たちの論文を無視してしまったのです。南京虐殺事件に関する限り、日本会議の一般会員は、ただの馬鹿の集まり、自分で民間保守の南京虐殺研究者たちの論文を否定していることが判らないのだ。

三。日中歴史共同研究
一党独裁のシナ政府と民主政治の日本政府と日中の歴史問題を話しあったところで両政府が了解することは有り得ないはずです。日本側の座長を務めた北岡伸一氏はこう書いています。「日中間で歴史共同研究の開始が合意されたのには平成18年10月の安倍晋三首相と胡錦濤主席との首脳会談によってであった。」
安倍総理と胡錦濤の話し合いで「日中歴史共同研究」が始められ、最終的な結論の一つとして南京虐殺事件を日本政府が認めたのだから、「南京大逆説事件」のユネスコ登録は、安倍政権の失態ではないですか。シナ側の代表団、団長歩兵氏は、インタビューでこう語っています。
「中日双方の学者に等しく、自己の論文中に、南京大虐殺は大規模な集団虐殺行為であり、日本軍の南京占領期間に、中国人被害者に対しておこなった残虐な虐殺であったことを明確に認めて記述した。(略)双方の認識は、一致したところもあれば、異なった視点からの考察も存在した。しかし南京大虐殺の歴史事実を否定するものではなかった。」

それでは、日中両国代表団の団長ともいうべき、北岡伸一と歩兵、両氏に質問いたします。平成20年に胡錦濤氏が日本を訪れた時、「南京事件の真実を検証する委員会一同」が平成20年5月に公開質問状を胡錦濤氏に提出しています。全部で五つの質問状です。どれも胡錦濤氏から返事をもらっていません。全部紹介すると長くなりますのでここでは、質問の一だけを紹介します。
「一。故毛沢東主席は生涯にただの一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後の延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?」(参照:えんだんじのブログ「戦争を知らない国民のための日中歴史認識」(平成28年9月24日)
なぜ胡錦濤氏は、これらの質問に答えられないのか、教えてもらいませんか。

皆さんは上記三つの記事、一。文科省の検定 二。育鵬社の登場 三。日中歴史共同研究、を読めば、シナ側は、ひょっとして南京虐殺事件のユネスコ記憶遺産に登録してくるかもしれない等と予想できます。予想通りユネスコ記憶遺産に登録を申請し、平成27年10月10日にその登録の承認が発表された。早速日本では平成27年11月28日東京で「南京大虐殺の歴史捏造を正す国民会議」の集会が開かれ、議長に渡部昇一氏が選ばれています。
私がここで言いたいのは、なぜか渡部昇一氏が平然と議長に選ばれていることです。いいですか皆さん、渡部氏は、育鵬社の歴史教科書の監修者の一人です。その同じ育鵬社の歴史教科書監修者である石井昌浩氏は、すでに書きましたように平成23年7月23日に名古屋の歴史、公民教科書討論会で「南京虐殺事件は、あった」と公言しているのです。皆さん、平成23年7月23日以後、10日間ぐらいの間に、誰か有名な保守知識人で、石井発言に反発した人がいましたか。私の知る限り誰もいません。すでに書きましたように櫻井よし子氏も反対していません。日本会議の連中も反対していません。それにもかかわらず、日本会議の幹部は、「南京大虐殺の歴史捏造を正す国民会議」の参加者名簿には記入しています。東中野氏など民間の保守知識人の南京虐殺事件の研究論文など完全に無視しているくせに平気で加入しているのだ。
平成29年9月15日のえんだんじのブログ、「日本人の政治的幼稚さが国を亡ぼす。」で、私はこう書いています。
「戦前戦後を通じて、日本の保守知識人の特徴は権力から独立した知識人は、極端に少ないこと。むしろ権力によって認められてこそ知識人というか、そのことを望み喜ぶ知識人が昔からの主流なのです。これが日本の悲劇になっている。」
平成27年10月10日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は正式に「南京大虐殺」関連文書を記憶遺産(重要歴史文書を保存)とした。なぜ日本にとってこのような悲劇的結末を迎えたかは、無論日本政府の責任だが同時に圧倒的多数の日本の保守知識人が日本政府に媚びて加担したからだ。すなわち文科省の南京事件を否定すると検定がもらえないことを支持したからです。渡部昇一氏、櫻井よしこ氏、日本会議、日本教育再生機構、教科書改善の会などそのことで文科省や安倍総理を批判したことありますか?

ところで安倍総理は、自民党議員時代は「つくる会」をえこひいきするように支援してくれましたが総理になると育鵬社支持にまわった、何故か。簡単な例を出して説明しましょう。「つくる会」は、どうしても南京事件を認めないと検定がとれない。そこで対策を変えて、南京事件については一切述べない、その代り「通州事件」を記載して検定をとった。これはまさにトランプ大統領ばりの「日本ファースト」なのだ。
安倍総理は、「日本ファースト」で日米関係を対等な同盟関係にしようなどとは考えてはいません、あくまでも日本はアメリカの忠実なポチとして行動したいのです。安倍総理の「70年談話」はその証明の一つです。こういう首相に憲法改正をまかせるわけにはいきません。「日本ファースト」を堂々と主張してくれるような総裁や総裁候補の出現まで待とうではありませんか。そんな首相が出現するはずがないと言う保守の人たちが多いからこそ現れないのです。
参考文献:
1.拙著「保守知識人を断罪す」(「つくる会」苦闘の歴史)平成25年 総和社
2.「戦争を知らない国民のための日中歴史認識」笠原十九司 平成22年 勉誠出版


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知識人・リテラシー(メディア・リテラシー)



皆さんは、とっくの間にメディア・リテラシー(literacy)という言葉をご存知でしょう。メディア・リテラシーとは、情報を評価・識別する能力とか情報をクリティカルに読みとれる能力の意味です。現在では嘘の情報(フェイクニュース)が溢れています。それだけにメディア・リテラシーが必要です。ニューズウイーク日本版では、日本人のマスコミ信頼度が欧米に比べて著しく高く、世論誘導されやすいと書いています。この言葉を利用して、私は、「知識人・リテラシー」という言葉、今回私が初めて使ったと自分で思っています。誰か私以外にこの言葉を使った人を知っていたら、一体、誰がどんな時に使ったが教えていただければありがたい。私が使う「知識人・リテラシー」とは、私たちは、その知識人がどの程度の人物なのか見極めているかを知るべきだと言う意味です。私は若い40代のころから日本の保守系知識人は、どうも権力者好みが多いと思っていた。そこで私のような無学で知名度が低い者が、日本の知識人は権力者好みと言うより、他の有名人、例えば外国人が私と同じことを主張している方を紹介した方がその影響力が大きいと思い紹介します。
その名は、オランダ人ジャーナリスト、作家のカレル・ヴァン・ウォルフレン。彼は1941年生まれだから、私より3歳若い。若い人は彼の名前を知らない人が多いかもしれません。彼が1989年に出版した「日本/権力構造の謎」(早川書房)は、英米で発売と同時に大きな話題を呼び、世界10か国に翻訳され、世界的ベストセラーになっています。
私は彼が大嫌いです。大東亜戦争日本悪者論に便乗し、オランダのインドネシア支配を肯定化し、丸山真男、小沢一郎、菅直人らを称賛しているのだ。私と彼と、その見解が一致するのは日本人知識人に対する見解だけです。ウォルフレン氏は、1995年窓社から「日本の知識人へ」という本を出版しています。まず一頁目から日本の知識人に対する見解が表明され、彼の見解と私とは全く同じなので思わず本屋で買ってみた。
彼の論文の一頁目のタイトルが、「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追随するのか」
このタイトルは私の見解と同じです。私は40代ごろからこのような感覚を持っていました。このタイトルの後に、彼の次の文章が続きます。
引用開始
「日本では、知識人が一番必要とされるときに、知識人らしく振る舞う知識人が誠にすくないようである。これは痛ましいし、危険な事である。さらに、日本の国民一般にとって悲しむべき事柄である。なぜなら、知識人の機能の一つは、彼ら庶民の権益を守ることにあるからだ。」
引用終了
この文章の数行あとには、次のような文章が書かれています。
引用開始
「知識人として当然果たすべき役割を果たす知識人がいないかわりに、日本には沢山の学者、ジャーナリスト、ブンカジン(文化人)がいて――それと知ってしらずか――意図的な情報(プロパガンダ)をまき散らしている。この情報が日本人と外国人を共にまどわせ、世界における日本の立場と日本が直面する問題全般について、冷静にして客観的な見方が形成されるのを、ますます困難にしている。」
引用終了
これは彼の名言だと思っています。日本では最近あまり使われない言葉だが「御用学者」という言葉があります。辞書では時の政府や権力者に迎合して、その利益となる説を述べる学者と書いてあります。いくら有名な保守系学者だからといって「御用学者」ではないかどうか認識できるほどの知識人リテラシーを持たなければいけないと言うのが私の主張です。
知識人とは、我が身にどんな結果が振りかかろうとも、あくまでも“筋を通して”考えること自らの責務とする人たちのことです。

私は、通称「つくる会」神奈川支部の会員です。教科書行界だけでも「御用学者」と思われる学者、ジャーナリスト、文化人らによる一致した権力者志向によって、「つくる会」が長年試練を強いられてきた実情を書きます。
平成19年、「つくる会」の競争会社、保守系の歴史、公民教科書を出版する育鵬社が設立された。育鵬社を設立したのは、フジ・サンケイグループのフジテレビです。フジテレビの日枝社長は、育鵬社の歴史教科書の顧問に八木秀次氏を指名した。八木秀次氏は、前「つくる会」の会長です。八木氏は、「つくる会」の会長の時、「つくる会」事務局長宮崎正治氏(日本会議)と一緒に「つくる会」幹部に極秘でシナを訪問、なんと「中国社会科学院日本研究所」を訪れ、また彼らを日本に招き新しい歴史教科書をめぐって意見交換したというのだ。その後フジ・サンケイグループの「つくる会」乗っ取り、「つくる会」つぶしがあった。その時の「つくる会」とフジ・サンケイの確執は、拙著「保守知識人を断罪す」(つくる会)苦闘の歴史)平成25年、1500円、総和社)を参照ください。私が赤裸々に書いています。この時の産経新聞の報道は実に見苦しかった。

育鵬社が設立されて間もない平成23年7月20日、河村たかし名古屋市長の肝いりで名古屋で中学校歴史、公民教科書討論会が開催された。育鵬社と「つくる会、」の自由社だけが出席し、ほかの教科書会社は出席しなかった。その席で育鵬社の歴史教科書監修者の一人である石井昌浩氏(元拓殖大学客員教授)は、「南京事件は確かにあった。これは事実です。犠牲者の数などの実態についてはまだ論争が続いてる」と発言しているのです。私は驚きました。育鵬社は保守系の歴史教科書だから「南京虐殺事件は否定する」と思っていたからです。渡部昇一氏は、長年南京事件否定論者で有名ですが、彼も育鵬社の歴史教科書の監修者ですが、石井氏の発言に肯定もしなければ、否定もせず、無言を押し通した。
文科省は、南京事件「あった派」で犠牲者の数は未定と主張しています。南京事件を否定すると歴史教科書としての検定を与えません。何故か?文科省は、民間の南京事件研究者、例えば東中野修道の命を懸けた研究成果や南京事件に疑問符を投げかけた田中正明、鈴木明、冨澤繫信、阿羅健一、北村稔等の諸氏らの論文に一切目もくれず、「日中歴史共同研究」の日本側出席者の北岡伸一、笠原十九司、斎藤一晴、庄司潤一郎らの主張をそのまま受け継いでいるからです。それでも「つくる会」は、四年毎の検定の年には、毎回文科省と論戦を繰り返してきました。育鵬社は日本の権力に簡単に追従したのだ。追随したのは日本の権力ばかりでなく、シナ、韓国の権力に追随したのだ。なぜなら歴史教科書にシナ語や韓国語の名前や地名などがあるとわざわざシナ語や韓国語のルビをふっているのです。こういう情勢にもかかわらず、日本会議を初め、非常に多くの無数の知識人が圧倒的に育鵬社を支持した。どうしてこんな現象が起きたか。日本の知識人の多くが権力者に追随することが好きな「御用学者」だからです。権力者とは安倍政権とフジテレビです。フジ・サンケイグループは、保守言論出版機関に大きな影響力を持っているからです。

平成27年ユネスコ遺産にシナが申請した「南京大虐殺文書」が登録されたことを受けて、有識者によって結成された団体が平成27年11月28日に都内で「南京大虐殺」の歴史捏造を正す国民会議」の集会を開き南京大虐殺の証拠が存在しないことを政府が対外発信するよう求めた。この会議の参加者920名、左翼の発表なら参加者二千名ぐらいになったでしょう。私はこのような集会は当然だが、私が驚いたのかこの国民会議の議長に渡部昇一氏がなっていることです。渡部昇一氏は、確かに超有名な保守知識人の重鎮と言われているくらいですが、しかし彼は南京事件否定派だが、実際には南京否定のため行動をしているどころか、育鵬社の歴史教科書の監修者です。同じ監修者の石井昌弘氏は。「南京事件はあった」と公言した通り歴史教科書を作ってきた。その教科書に渡部氏は同調したということです。そのような教科書にそれこそ数えきれない沢山の知識人が支持したのです。
「南京大虐殺」の歴史捏造を正す国民会議」への「呼びかけ人」のリストに大勢の知識人の名前が記載されています。その中に伊藤哲夫、小田村四郎、田久保忠衛、松浦光修、椛島有三などの諸氏がいます。彼らはみな日本会議の幹部です。彼らは南京大虐殺を公認する育鵬社の歴史教科書を支持するだけで、南京大虐殺事件否定に何ら役立っていません。特に伊藤哲夫氏は、日本政策センターで月刊誌、「明日への選択」を発行し、育鵬社の教科書宣伝記事を書きまくり、「つくる会」の記事など一切書きません。私は数年間「明日への選択」の購読者だったから知っているのだ。購読を辞退した理由は、彼は一度も「つくる会」の記事を載せなかったからです。その彼が安倍総理のブレーンの一人で、安倍氏の憲法改正論の提案者と言われています。昔から日本には、こういう典型的な御用学者が多いのだ。一方「呼びかけ人」リストには杉原誠四郎、西尾幹二、藤岡信勝、諸氏の名前も記載されています。この三人は、「つくる会」の会長、副会長経験者です。彼らは南京事件否定しても文科省の検定を取ろうと一生懸命努力した。しかし平成27年の検定のときは、検定をとるために南京事件を肯定までして生徒にうそを教えるより、南京事件を一切触れず、かわりに昭和12年7月にシナ通州で起きた日本人虐殺事件である「通州事件」に触れて検定を取ることができた。特に通州事件は、これまでどの教科書も全く触れず、今回「つくる会」が戦後初めて歴史教科書で触れたのです。若い人たちはほとんどこの事件を知りません。ぜひ「つくる会」の副会長、藤岡信勝氏が著した自由社ブックレット5「通州事件、目撃者の証言」(頁数111、500円)をお読みください。平成28年1月ユネスコが「南京大虐殺」を記憶遺産に登録すると「つくる会」はそれに対抗する意味で設立した「通州事件アーカイブズ設立基金」は、平成28年5月「南京大虐殺」のユネスコ記憶遺産登録に対抗して「通州事件」をユネスコ記憶遺産に登録申請した。「歴史戦」はいまはやりの戦争です。育鵬社の代表格、八木秀次氏は、「つくる会」の会長時代、極秘にシナ訪問し「中国社会科学院日本研究所」の学者たちと会談しているのだ。育鵬社が歴史戦で戦えるわけがない。このことだけでも育鵬社支持の多くの無数の知識人は無視しているのです。

平成29年2月14日に文科省が発表した小中学校の学習指導要領改訂案の中に、聖徳太子の呼称を否定し、「うまやどのおう」《漢字変換できず》と呼ばせるという歴史教育の新方針が打ち出された。これに対し「つくる会」は「聖徳太子を守れ」と立ち上がり、国民からも多くの反対声が寄せられ、文科省は方針を転換し、3月31日に告示された最終確定版では、「聖徳太子」は小中とも復活。その他「歴史用語革命」とでも言うべき言葉狩りでギロチンにかけられそうになった「大和朝廷」、「元寇」、「鎖国」の用語も生き返ったのだ。つい最近の6月27日の朝日新聞29面では、「聖徳太子が復活したのは、『つくる会』がホームペーなどを利用してコメントを送るよう指示したため」と書いています。読者の皆さん、教科書改善に全力を尽くして、日本の為に「歴史戦」を戦っているのは「つくる会」だけなのです。育鵬社は教科書ビジネスを展開するだけで、「歴史戦」どころか教科書改善運動など何も役立っていません。
読者の皆さん、メディア・リテラシーならぬ知識人・リテラシーの力を発揮して、育鵬社、日本会議を支持する無数の知識人たちの発言、行動を無視してください。

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マフィアとヤクザの違い



えんだんじのブログは、今年の10月で10年目を迎えます。今から5年前の2012年1月11日に「マフィアの話」としてブログを書いています。A4の紙、13枚で書き上げていますが、自分で言うのもなんだが、これがなかなかの上出来で、どこかの映画雑誌で載せたいくらいです。「マフィアの話」は、以下の四項目から書かれています。
一。ゴッドファーザー
二。マフィアの歴史
三。マフィア映画に登場する人物像
(1)アルフォンソ・カポネ
(2)ラッキー・ルチアーノ
(3)ベンジャミン・バグジー・シーゲル
(4)ジョセフ・バラキ
(5)サム・ジアンカーナ
(6)トウキョウ・ジョー
四。マフィアとヤクザの違い

三。マフィア映画に登場する人物の6番目に登場するトウキョウ・ジョーを知っている人は、まさにマフィア映画ファンと言えるでしょう。トウキョウ・ジョーとは日本人でマフィアになった男、ケン・エトウの愛称です。父親は日露戦争時に小倉第十二師団の兵士として出征。帰国後キリスト教の牧師になり、アメリカに渡る。ケンはアメリカで生まれ、14歳の時父とけんか、家を飛び出した。大東亜戦争中は、日本人強制収容所で軍人にならず、博打稼業に精を出す。其の後マフィアに入るが、イタリア系でないので幹部になれるどころか裏切りの疑いをかけられた。二人の殺し屋からケンの後頭部に三発の銃弾を受けた。この時ケン64歳。ところが奇跡が起きた。彼は生還した、しかも健康体で。彼は銃を使わない復讐作戦にでて成功した。彼は病院でベトナム人女性の介護を受けながら84歳で死んだ。死後彼の人生は、日本人映画監督、小栗健一氏によってドキュメンタリー映画が製作された。詳細に興味あるかたは、ぜひえんだんじのブログ、「マフィアの話」、2012年1月11日を参照ください。
四。マフィアとヤクザの違い
ここでは、トウキョウ・ジョーの話とは違い、この文章の全文を引用します。
引用開始
「ここで言う違いとはヤクザがヤクザと呼ばれていた時代のヤクザとの違いで、決して現在の言う暴力団との違いではありません。「侠客」と言っても最近の若者はあんまりぴんとこないでしょうから、辞書を引いておきました。侠客とは、「任侠を旨として渡世する人々」、任侠とは、「弱い者を助け、強い者をくじき、義のために命を惜しまないという気風」。これで侠客の意味がなんとなく掴めたと思います。日本最後の侠客と言われる山口組三代目、田岡一雄夫妻には一男一女がいる。一人娘の由岐さんは、音楽家の喜太郎氏と結婚し現在離婚。その彼女が「お父さんの石鹸箱」と「さようならお父さんの石鹸箱」という二冊のエッセイを書いています。両親への深い愛情を示し且つ彼女の人柄の良さを示す好感の持てる本です。その中である時彼女は両親と父のボディーガードと四人で映画「ゴッドファーザー」を見に行った。映画の印象を父はこのように話をしてくれたと書いています。
「向こうのヤクザは、カネもうけのためになんでもする。日本のヤクザは、カネに触るといやらしいというのがほんまなんや。一番違うとこは、そこや。だから組織の目的がちがう。」
確かに田岡が「組織の目的が違う」ともいえたのも事実だと思う。田岡が山口組三代目を継いだのは昭和21年、終戦の翌年、田岡34歳の時。この時田岡は、三つの誓いを立てた。
(1)各自に職業をもたせること。
(2)体制の確立。
(3)己を厳しく律すること。
そして「土建屋山口組」という筆太な文字で書かれた分厚い看板を事務所の入り口に掲げた。ヤクザとマフィアの大きな違いはここですよ。公然性(公開)と非公然性(秘密)です。日本のヤクザは、その存在については、事務所を市街地に開設し看板を掲げるなどして、一般市民の充分知るところであり、また警察もそのヤクザの組織の機構や序列、活動についても相当部分把握している。一方アメリカのマフィアは、徹底した秘密組織であり、組織の全容は秘密の組織のベールに包まれています。私はこの公然性が侠客の生む素因にもなり、マフィアに比べて殺人が少ない原因にもなっているのではないかと思っています。看板をかかげて親分になる以上、これまでのようにバカなまねはできない、それでは組員がついてこない、近所の堅気から嫌われたり、馬鹿にされたりして組員の士気にかかわるし、発展はない。そんなことから堅気には手をださないということにもなるし、要するに親分自身が自分を律する面が強くなる。これがマフィアのように徹底した秘密主義では、侠客など生まれるのはまれになってしまう。殺人が多くなるのも当然でしょう。
山口組が発展してくると、田岡の目が行き届かなくなる。山口組系を名乗る末端組織の中には麻薬に手を出したり、堅気の衆に迷惑を及ぼす者も出てきた。そこで田岡は、滋賀県永平寺の老師に相談して山口組の綱領をつくった。
綱領
山口組は侠客精神に則り、国家社会の興隆に貢献せんことを期す。依って組員は左の各号を体現することを要す。
一。内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。
一。外に接するに愛念を持し信義を重んず。
一。長幼の序を弁え、礼によって終始す。
一。世に処するに己の節を守りそしりを招かず。
一。先人の経験を聞き、人格の向上をはかる。
昭和38年の仕事始めの時、この綱領は神戸観光ホテルに百人近い組員を集めて発表された。昭和46年6月には田岡は、組員の広報誌、「山口組時報」を創刊している。その創刊号で田岡はこう書いています。
「家庭にあってはよき父、よき夫であってほしい。日頃家庭をうとんじている者ほど、なにかことあるときには、その嘆きに拍車をかけている。内を固めてから外に当たるように」と組員をさとしている。同紙には「法律教室」や「告知板」と称する放免祝い、葬儀、服役者消息欄など話題が豊富であったと言う。私はマフィアの人たちに言いたい。日本にはこういうヤクザがいたのだ。田岡自身は売られたけんかで人を殺し8年の刑を受けた者です。金がすべてではないことが彼の行動でわかるはずです。田岡は自伝を書いているが、最後の10頁あまり妻、文子自身に書かせている。彼女は最後にこう書いています。
「まだ一つ大きな問題が残っております。それは侠客道を歩む者も、無頼の徒も同一視され、暴力団というありがたくない汚名をきせられていることです」
私は彼女の気持ちが理解できます。
そして現在、ヤクザという言葉は完全に使われなくなりすべて暴力団呼ばわりされ、徹底して嫌われ、「何々組」という看板も掲げられなくなってしまった。これでは暴力団は地下にもぐり、徹底して秘密主義が貫かれる。すなわち暴力団のマフィア化につながる。危険な不気味な存在になってしまう。それでもいいのですか。前科者でもなく、警察に追われているわけでもない暴力団員と付き合って何故いけないのですか。
鈴木宗男前議員は、刑務所暮らしから現在出所しています。いずれにしても前科者です。その前科者が今度の総選挙で立候補します。前科者の議員とはつきあってもいいが、暴力団員であったら前科経歴がなくてもつきあってはいけないのですか。もしそうなら人権侵害ではないですか。私は読者に訴えたい。私たち庶民は、前科者の庶民には非常に冷たくあしらうが、金持ちや、政治家、あるいは有力者の前科者には甘いのだ。現在のマスコミは、民主党政府には怒れない、反日日本人組織にも怒れない、隣国にも怒れない、怒れる先は暴力団だけ、それだけに暴力団が目の敵にされるのだ。暴力団員と芸人が付き合って何が悪いのだ。
テレビで大討論しなければならない大問題か。現在の暴力団組織など少しも怖くない。暴力団で国がつぶれることは絶対にない。現在最も恐いのは反日日本人組織です。日教組など暴力団よりはるかに怖い存在です。私は暴力団をえこひいきするつもりはないが、日教組、自治労、反日市民団体などの不法行為には暴力団と同じように厳しい捜査をしてもらいたと思う。政府は、最近「環境影響評価書」を沖縄県庁に宅急便で送った。その配送を阻止した反日市民団体の行為は違法行為ではないのか。同じことを暴力団がやったらどうなるのだ。法律は平等に施行されなければならないはずです。」
引用終了

現状の山口組の状態を知ったら墓場にいる田岡親分は激怒するでしょう。私がなぜ「四。マフィアとヤクザの違い」の全文を引用したかと言うと、次の二つのことに留意したいからです。
1.終戦直後、日本の警察は、拳銃の使用を禁止されていた。そういう時にのさばったのが勝利国国民づらした第三国人(当時日本国民は、そう呼うでいた)すなわち、在日朝鮮人、シナ人、台湾人、その他アジア人だ。どういう場所でのさばったかというと、特に生きていくために日本人庶民が利用する、闇市、露天商街だ。拳銃を持たない警察が役立たないのはどの国でも同じだ。のさばる第三国人を相手に全国の日本人ヤクザが熾烈な戦いをいどんだのだ。だから市民からヤクザが歓迎されたのだ。その一つの証拠が昭和34年山口組の田岡組長が神戸水上署の一日署長を務めた。終戦直後、警察に変わって日本人のために戦ったのは、神戸の山口組だけではない、横浜の藤木組、横須賀の小泉組など全国にわたる大都市ヤクザだ。現在、戦後70数年、今やヤクザはなくなり、暴力団になってしまった。人気映画「男はつらいよ」の寅さんこと、車寅次郎(くるまとらじろう)の生業はテキ屋。映画では「俺がヤクザ稼業なため、いつも妹に迷惑かけている」なんて言うセリフをはいているが、今じゃテキ屋も法律では暴力団です。寅さんは、侠客気分満々だが、いずれヤクザや侠客という言葉なくなり、死語になってしまうのではないでしょうか。

2.「私は読者に訴えたい。私たち庶民は、前科者の庶民には非常に冷たくあしらうが、金持ちや、政治家、あるいは有力者の前科者には甘いのだ。」と私は主張していますが、皆さん。本当にそうだと思いませんか。私が例としてあげているのが、鈴木宗男元議員だ。私のブログ、「鈴木宗男よ、前科者のくせに偉そうな口きくな」(2016年12月3日)を参照してください。以前の北方領土交渉を利用して私服を肥し有罪判決を受け刑務所暮らしをした鈴木宗男は、最近の安倍首相の北方領土交渉問題で、マスコミ、すなわち新聞、テレビ、週刊誌、月刊誌などから注目を浴びているのだ。マスコミは、宗男の有罪、実刑、刑務所暮らしなど眼中にないのだ。2017年4月30日の産経新聞の朝刊で次の記事がある。
引用開始
「鈴木氏が公民権回復、国政への復帰に意欲、北方領土解決訴え
汚職事件で実刑判決を受けた政治団体「新党大地」の鈴木宗男代表の公民権が29日、回復された。鈴木氏は同日、札幌市で開いたパーティーで「選挙がいつあるか分からないが、その時期が来たら最善の判断をしたい」と次期衆議院選での国政復帰に意欲を示した。
鈴木氏は「私にやり残したことがある。北方領土問題の解決だ」と訴えた。安倍晋三首相と定期的に会談し、対露外交で助言を行っている鈴木氏は「首相から北海道は自民党にとって厳しい。鈴木先生にかかっている。よろしくお願いします」と言われていると記者団に明らかにし、首相との連携を強調した。鈴木氏は衆院議員だった平成22年に受託収賄罪などで懲役2年の実刑判決が確定。失職、収監され、23年12月に仮釈放された。刑期満了から5年間は選挙に立候補できなかったが、29日公民権を回復した。」
引用終了

産経新聞は、安倍首相をひいきにさえすれば、宗男のように紙屑みたい、くずな元議員でも公民権回復を喜ぶような記事を書いてくれるのだ。まるで出所祝いだ。これでは日本の国会議員の質がいつまでたっても上がらないのもむりはない。
もう一度書きます。興味と時間があれば、私の5年前のブログ、「マフィアの話」(2012年1月11日)を読んでみてください。

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保守知識人は、大バカ者の集まりか?(2)



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(このブログのタイトルにある保守知識人とは、育鵬社、日本教育再生機構、日本会議に群がる名のある知識人のことである。)

八木秀次のスパイ疑惑と人間性
去年シナ政府は、「南京虐殺事件」をユネスコの文化遺産に登録した。シナ政府のこの登録は、長年の計画を立てての行動だったと思います。その計画の中には、日本の保守陣営の分断工作があったと私は想像しています。そう考えると、平成16年に「つくる会」の第三代会長になった八木秀次の独断行動が分断工作の先駆けであったことはまちがいない。と同時に八木は、フジサンケイグループの「つくる会」乗っ取り工作の主役を演じていた。私が「つくる会」の会員になって会費を払ったのが平成17年8月1日です。受領者名は、八木秀次会長になっています。その年の12月八木は、「つくる会」の執行部には極秘でシナに行き「中国社会科学院日本研究所」を訪れ将立峰所長らと「新しい歴史教科書」をめぐって意見交換したというのです。「つくる会」の会員になったばかりの私は、非常に驚いた。八木会長は、大バカじゃないのかと思ったと同時に私は、はげしい怒りを感じた。だってそうでしょう。近現代史に関してシナ政府の歴史観と「つくる会」の歴史観は、水と油の関係で決して交わることなどあり得ないのに、なぜ極秘に訪問したのかというのです。この問題を追及するには、八木は誰をともなって、どういうふうにしてシナを訪問したかということです。箇条書きします。
1.宮崎正治「つくる会」事務局長
宮崎は日本会議の出身で「つくる会」事務局長になって在職6年と長いのだが、仕事の能力としては「つくる会」執行部としては不満だった。西尾幹二「つくる会」名誉会長が日本会議の椛島有三事務総長に会いにゆき宮崎の件を相談したが、らちがあかず、その後椛島から返事もなかった。八木はこの宮崎を贔屓にしていたから、自然と八木と日本会議がくっつくことになった。日本会議のようなオカルト集団は、いざとなると国家の事より、仲間意識が大事になるのだ。
2.福原慎太郎「つくる会」事務局員
福原が八木と一緒にシナに行ったのではない。彼が八木のシナ行きをアレンジしたのだ。彼は元松下政経塾の塾生だった。松下政経塾の海外からのインターン生はシナ人が圧倒的に多い。その中の一人に李春光がいた。福原と李春光はお互い面識をもった。平成24年5月29日に読売新聞朝刊一面に在日中国大使館の一等書記官、李春光によるスパイ事件を報じた。外交官は、不逮捕特権を持っているから、出頭を拒否し、李春光は成田から帰国してしまった。李春光は、日本では「中国社会科学院日本研究所」の副主任を務めていた。
3.小島新一産経新聞記者
私が不思議に思うのはなぜ雑誌「正論」編集部記者、小島新一記者が八木に同行して一緒にシナに行ったかです。シナから帰国後の八木の行動を考えると、この時すでに八木と産経新聞は内密関係にあったのではないかと推測されます。

当時八木のシナ訪問には、再度強調しますが隠されていたことが三つあった。
1.シナ旅行は、「つくる会」の理事会に諮らず完全な隠密行動であったこと。
2.「つくる会」執行部で退任処分された宮崎事務局長をこっそりシナ旅行に同行させたこと。
3.中国社会科学院と歴史認識をめぐって会談したことなどしばらくのあいだ明らかにしなかったこと。

平成17年12月に八木はシナを訪問し、月内に帰国した。翌年、平成18年は、「つくる会」にとって激動の年であった。日付順にどんな事があったか見て見ると:

2月27日: 八木会長は、会長職を解任されたが理事として残った。その頃から八木は自分の派閥作りに乗り出していた。八木の派閥のメンバーは、新田均皇學館大教授、内田智弁護士、勝岡寛次明星大学職員、松浦光修皇學館大學助教授、宮崎正治事務局長。彼らの大半が日本会議系です。
3月28日: 八木は副会長に復帰。この頃産経新聞は、私が調べただけでも2月28日、3月1日、3月9日、3月28日、3月29日に「つくる会」系の記事を書いていますが、すべてが八木贔屓、八木援護の記事です。その頃、自分の派閥をつくった八木は、「つくる会」の古参、西尾名誉会長、藤岡副会長らの蹴落としに懸命だった。それらが露骨であり、沢山の怪メールを使った実に汚いやり方だった。サラリーマンだったらもう同じ業界では働けなかったでしょう。学者だから知識人面できるのでしょう。「つくる会」の全会員が彼をウジ虫の如く嫌うのもそのいやしい人間性だ。
4月30日: 八木副会長と八木派閥全員が「つくる会」退会。すぐに、産経新聞は教科書取材班を解散。以後「つくる会」の記事を数年書かなくなった。
5月27日:八木に招待された将立峰、中国社会科学院、日本研究所長及び研究者グループが訪日、扶桑社社内で日中討論会が開かれた。どんな具体的な話をされたか不明。
6月21日:「つくる会」は「十年かけて育てた『新しい歴史教科書』を絶やさないで下さい」と題したアピール(訴えの文)を公表した。その冒頭の一説を引用します。
引用開始
「去る2月26日、扶桑社は、「新しい歴史教科書をつくる会」が提起した教科書を扶桑社が引き受けて発行するという従来の枠組みを解消すると文書で通告してきました。扶桑社の思いもかけぬ一方的な通告は、十年にわたって培ってきたつくる会との協力関係を無視し、信義を踏みにじるものです。さらに、困難のなかで『新しい歴史教科書』を採用して下さった各地の教育関係者や、現にこの教科書で学んでいる全国の子供たちに対し、教科書会社としての社会的責任を放棄する行為でもあります。
では、扶桑社は、教科書事業から撤退するのかと言えば、そうではありませんでした。親会社のフジテレビが三億円を出資して「育鵬社」という名称の教科書専門会社を扶桑社の子会社としてつくり、扶桑社の片桐松樹が社長を兼任し、そこから別の教科書を発行するというのです。
「つくる会」は昨年一月に西尾幹二名誉会長が退任し、他方で四月に八木秀次氏ら一部の理事が辞任しました。しかし、それ以後も、会は正常に活動し、会が分裂した事実もなければ紛争が起こったこともありません。ところが、扶桑社はつくる会には内紛が絶えないから手を引くといいながら、おかしなことに育鵬社から発行する教科書の編集顧問に辞任した八木氏が就任し、歴史教科書の編集の中心に同じく辞任した元理事があたるというのです。つくる会が排除され、会を去った人々が教科書を書く。こういうことを日本語だ「乗っ取り」というのではないでしょうか。フジテレビ会長の日枝氏は、「初代以来の代表執筆者の書いた部分はどんなに金がかかっても書き直す」と発言しました。この動きを見ると、フジテレビと扶桑社が「紛争」を引き起こしている当事者であるといってよいほどです。
引用終了

現在産経新聞は、われわれ保守の人たちにとって良い報道してくれる新聞だと認識しているでしょう、しかしこの時期の産経新聞は、シナのスパイと言われる八木を使って「つくる会」を潰そうとしたり、乗っ取ろうとしたことも事実です。その意味でその当時の産経新聞の罪は重い。その最高責任者は、育鵬社生みの親、フジテレビの会長日枝氏である。ここまで書いてきたこのブログの文章は、私の著書、『保守知識人を断罪す。「つくる会」苦闘の歴史』(平成25年、総和社、1500円+税)の要約です。出版した当時、自費出版のせいかあまり注目されなかったが、現在は事情が変わりまし。シナ政府が「南京虐殺事件」をユネスコに登録したからです。この本を読めば、なぜ保守陣営に南京虐殺事件を肯定した知識人が出たかよくわかります。皆さん、是非読んでみてください。値段は1500円+税のところを200円値引きし1300円税なし、郵送料なしで販売します。えんだんじのブログのお問い合わせコーナーを使うなり、直に私にメイルで注文してください。私が郵送します。

私のこの著に対する書評を頂いております。平成17年から6年間「つくる会」の茨城県支部長しておられた川又和敏氏です。文章の中途から引用になります。
引用開始
「さて、ご著書ですが、遅読の私としては異例の速さで読み終わりました。私が会員になったのは平成11年ですから早い方ではありません。平成17年から6年間茨城県支部長として、一般会員の方よりは少し多く、つくる会との関わりはありました。特に混乱期に地方支部としては唯一茨城県支部が、東京2支部の呼びかけに応じ、混乱解決に微力を尽くしたことが印象に残っています。
そんなわけでどの頁も興味深く、一読巻を措く能わずで読みました。そして、先ず思ったことは、よくぞ調べ、よくぞ書いたり、ということです。鈴木さんの資料活用能力の凄さは、「逆境に生きた日本人」でつとに承知していましたが、改めて感嘆久しくした次第です。

つくる会の歴史は、16年という決して長いものではありませんが、波乱万丈、複雑怪奇、分かり難い部分が多々あります。それを快刀乱麻、整然と分かり易く説く筆力は、将に驚嘆に値します。その内容に、私自身大いに教えられました。鈴木さんの話かけるような文は、親しみやすく、説得力に富んでいます。それでいて、歯に衣着せぬ大胆な指摘は、痛快であり、はっとして目を覚まされることも一再ではありません。執筆の動機が義憤によるというのも鈴木さんらしく、何と自費を投じての出版と聞いて驚き、大きな感動を受けました。鈴木さんの侠気(おとこぎ)を強く感じました。
いわゆる一社体制と称した育鵬社との合併話に、「狂気」とう強い表現で、断固反対の論を書かれている部分などは、全く同感であり、興奮が甦る思いでした。つくる会を潰そうとする国内外の敵の姿を、明確に指摘していることも、会員にとっては大切なことで、採択戦への構えになります。つくる会の歴史の大きな山場八木秀次一派による乗っ取り騒動。これは今に尾を引く重大な関頭でした。しかし、意外に真実を知らない会員が多く、これを詳細に述べられたことも有難いことです。
最後に、安倍総理との直接対話。稀有な機会を逃さずせまった鈴木さんの態度に、手に汗握る思いでした。この本に芯として通っている、つくる会をつぶしてならないという愛国心、つくる会存亡に対する危機感、つくる会にたいする愛情に打たれます。つくる会こそは保守の最後の砦であるという明確な認識を、この本によって、会員皆が持たなければなりません。そしてこの本はそれを十全に果たすだけの力を備えていると信じます。絞まりのないことを書き恥かしい限りですが、一言申し述べて、お礼の言葉といたします。本当に有難う御座いました。平成25年6月19日 川又和敏」
引用終了

「つくる会」は、存亡の危機にあります。シナ政府は、去年「南京虐殺事件」をユネスコに遺産登録した。返ってそのことが保守の「つくる会」の存在を見直させたのだ。シナ政府と堂々と戦える保守団体は、「つくる会」しかないのだ。他の保守団体は、脛に傷を持つ団体が多い。「つくる会」は、戦後の歴史教科書史上、初めて「通州事件」を教科書に載せたが、今度は「通州事件」を世界遺産に登録しようとしているのだ。果たしてどこの保守団体が協力してくれるのか見てみようではないか。最後にもう一度くりかえします、拙著『保守知識人を断罪す「つくる会」苦闘の歴史』をぜひ読んでみてください。
次回のブログは、「保守知識人は、大バカ者の集まりか?」(3)を書きます。

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NHK、朝日、毎日は、日本国民の敵(6)



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朝日新聞購読者の皆様へ。
朝日新聞の反日報道は、なにも今回の「従軍慰安婦」事件報道だけではありません。戦後69年間ずっと続けてきた報道姿勢なのです。簡潔に分かりやすく説明するためできるだけ時代順に箇条書きしていきます。
1.終戦後まだ半年もたっていない昭和21年1月1日、朝日は「新しき世界の血から、スターリン」「消えぬ革命家の情熱」「民衆と歩む『投書政治』という見出し付の長い記事でスターリンを礼賛しています。昭和28年3月6日にスターリンは亡くなったのですが翌7日には、朝日の夕刊「こども」欄で、「なくなったスターリン首相」「子どもずきなおじさん」「まずしかった少年時代」という見出しとスターリンの少年時代の写真を掲げ、スターリンを英雄や偉人扱いにした子供むけの記事を書いています。
ソ連は、日ソ中立条約を破って、終戦間際の8月9日に日本に宣戦布告、ソ連軍は急遽満州から日本に帰国しようとする日本人に遅いかかり、虐殺、強姦、略奪をほしいままにし、さらに終戦8月15日には武装解除した日本兵60万人以上強制連行し、シベリヤ各地の流刑地に放り込み、重労働を課し、そのため約7万名の日本兵が命を落とした。その上さらに北方四島を占領したままいまだに返そうともしません。スターリンが死んだ時点でも、沢山の強制収容された日本兵が日本に帰国できない状態のままです。この責任の全部がスターリンにあるのです。それにもかかわらずスターリンの礼賛記事を書くとは、日本に対する裏切り行為ではないでしょうか。以来朝日は、平成3年にソ連が解体するまで反日親ソ、反米親ソの報道を続けたのです。

2.昭和26年9月、日本はサンフランシスコでアメリカを含む48か国と対日講和条約を結びました。これによって日本は西側48か国との戦争状態を終結し、独立回復を認められたのです。当時米ソの冷戦時代と言われ、前年の6月には朝鮮戦争が勃発して、米国とソ連、シナとは敵対関係になっていました。この時朝日は、西側諸国だけの単独講和でなく、ソ連を含む共産主義国を含む全面講和を主張した。当時、国力のなかった日本は、西洋諸国側につくのか、共産主義諸国につくのかの選択肢はなかったのです。この時日本政府が民主主義国家群につくと決定したことが、戦後の日本経済大繁栄の決定的要因になったのです。
この時日本政府が、朝日の主張通り全面講和主張したらどうなったのか朝日は説明してみろというのです。

3.昭和29年自衛隊が創設されました。強く反対したのは朝日新聞です。現在自衛隊は貴重な存在であることは日本国民の恐らく90パーセントは同意しているでしょう。朝日はバカか?

4.昭和35年「日米安全保障条約」の改定が米ホワイトハウスで調印された。その調印前、そしてその後の国会での批准をめぐって、後に言われるはげしい「60年安保闘争」が繰り広げられたのです。「日米安保改定反対」運動は、朝日を筆頭に日本の左翼が全力をあげての闘争でした。労働組合、日教組、大学生、社会党、共産党、進歩的文化人と呼ばれた知識人たちが、熱にうかされたようにデモに参加していきました。彼らは戦後最大級の大衆行動と呼んでいます。一人の女学生が死んだ6月15日のデモ参加者は、警視庁調べで65万人です。なぜこれほどまでに「日米安保改定」に反対したのか。その理由は「安保改定」で日本は戦争に巻き込まれるという主張です。
安保闘争で世情不安を引き起こした当時の岸首相は退陣、次の池田内閣のもとで総選挙がおこなわれました。戦後最大の大衆運動が行われたのに、自民党の池田内閣は圧勝したのです。国民は「安保改定」で日本が戦争に巻き込まれるとは判断しなかったのです。「日米安保改定」は戦後から現在にいたる69年間、日本を戦争に巻き込むどころか、平和に貢献してきたのです。すなわち朝日の主張は、ここでも大きな間違でした。

5.戦後GHQが日本を去って以来、朝日は、親ソ、親シナ、すなわち親共産主義国の立場を鮮明にした報道姿勢を続けてきたことは事実です。そのため祖国、日本国側にたっての主張より親共産主義国側にたっての主張が目立ちました。こんな例もあります。昭和56年に日本政府が2月7日を「北方領土の日」とすることに決めた時、朝日は「『北方領土の日』をとりさげよ」という東海大学総長、松前重義の主張を掲載したのです。松前の主張の中にこういう一節があります。「ソ連は第二次大戦において、世界で最も大きい人的、物的犠牲を被った。それゆえ第二次大戦の結果にソ連がこだわるのは、決して理由のないことではないのである。北方領土問題は、ソ連にとって国際法の問題というよりは、多くの犠牲のもとに得た結果を失えぬという、国益と感情問題なのである。」
冗談じゃない。この松前という男は、一体日本人か。ソ連が第二次大戦で、世界で最も大きい人的、物的犠牲を被ったなどとよく言えたものです。ソ連はバルト三国を手にいれたし、フィンランドの領土の十分の一、ポーランドの領土の半分近く手にいれたのです。連合国の中で領土を拡張できたただ一つの国です。このとんでも松前の主張を朝日新聞は掲載したのだ。

6.昭和39年に日中記者交換協定が結ばれた。原則として8人ずつの記者を相手国に常駐させることができた。日本側から、朝日、読売、毎日、産経、日経、西日本、共同通信、NHK、東京放送の九社から一人ずつ派遣された。ところが昭和42年から昭和45年にかけて朝日とNHKを除く全記者が国外退去を命じられた。理由は反シナ報道を行ったという主張です。NHKは期間満了でシナを引き上げ、残るのは、朝日の記者だけになってしまった。
日本新聞協会は、一方的な理由での国外退去は、報道の自由を奪うとしてシナ政府に抗議しようとしたが、朝日は強力に反対した。シナに残った朝日の記者は、シナ側の意に添わない記事を書くと国外退去にあうものだから、自然とシナ礼賛やシナよりの記事を書く、それを読者は読まされていた。こういう記事の書き方で、大失態を演じたのだ。現在のシナ政府さえも否定する「文化大革命」を礼賛する記事を書いてしまったのだ。

7.北朝鮮について朝日は、過去度々訪朝団を送り、北朝鮮礼賛、北朝鮮よりの記事を書きまくっています。昭和41年11月から12回にわたって夕刊で「チェチェの国北朝鮮」を連載しています。朝日の報道が特に影響を及ぼしたと言われるのは、戦後の日本から北朝鮮に帰還した人たちです。昭和34年から昭和59年の25年間に約9万3千人が帰還しました。その間に朝日は、北朝鮮を高く評価する報道をしたのです。朝日は昭和34年から昭和35年にかけて「ばく進する馬、北朝鮮よく働く人々、飛行場変じてアパート」(34年12月25日)、「働く力を組織、平壌見事な復興」(同月26日夕刊)、「誇り高い帰還者、希望と祖国への信頼」(同月29日)、「夢も芽生える北朝鮮帰還運動」(昭和35年2月1日)などと立て続けに報じています。現在では、この帰還者たちが、北朝鮮でどんな悲惨な生活をしてきたかは、周知の事実です。なかには密かに北朝鮮を脱出して日本に帰国、名前を隠さざるを得ず苦しい生活をしている人がいるのです。朝日はこういう人たちに少しぐらい援助してもいいのではないでしょうか。

8.平成3年、共産主義国家の盟主ソ連が解体されロシアが誕生した。そして北朝鮮は、我々日本人にとって悪の帝国と充分認知されました。これで朝日は、目がさめたかと思ったのですが、長年共産主義国家よりの目で政治などを考えて、日本批判を繰り返してきたものですから、日本批判の癖がぬけないのです。今度は韓国、シナよりの報道をして日本批判を相変わらず繰り返しているのです。教科書問題や靖国問題で、朝日は韓国シナ両国に日本の内政干渉をする口実をせっせと与えているのです。そしてとうとう朝日は「従軍慰安婦」事件を引き起こしたのです。

以上上記は前回私のブログで伝えました平成18年に出版した私の著書、「原爆正当化のアメリカと『従軍慰安婦』謝罪の日本」(展転社)で「朝日新聞について」という題で文章を書いていますが、その要約文です。政治的な記事ばかりで他の分野のとんでもない記事は抜いております。例えば平成元年の沖縄珊瑚捏造事件などです。また出版が18年なので17年のとんでもない政治ニュースが抜けています。それは若宮啓文朝日新聞論説主筆が「いっそ日本が竹島を韓国に譲って、韓国がこの英断に応えて『友情島』に名づけたら」などととんでもない記事を書いていますが、それも抜けています。
戦後朝日の基本的報道姿勢は、GHQ占領時代の七年間は、朝日は社説でマッカーサーを賞賛していますしGHQべったりです。しかしその後は徹底した反米親ソ、反日親ソです。当時の広岡社長自ら陣頭指揮しての親ソぶりです。古い朝日社員は知っているはずです。私には分からないことがあります。朝日のような報道各社は、報道の自由が保障された自由主義社会でないと発展できません。朝日は国内では日本の報道の自由を満喫しながらなぜ報道の自由を厳しく監視される共産主義国に媚びていったのでしょうか。朝日の購読の皆さん教えていただけませんか。
ソ連解体後は、親シナ、親韓国の反日です。そして「従軍慰安婦」事件です。世間では朝日は、日本を貶めるために数々の記事を書いてきたなどと報じていますが、「従軍慰安婦」事件は、日本を貶めるといいますが、貶めるとは辞書を引けば「軽蔑する」「見下げる」です。「従軍慰安婦」事件はそんな軽い事件ではありません。国の尊厳、名誉、誇りを台無しにする国家反逆罪ともいうべき重大犯罪行為です。「従軍慰安婦」と言う言葉は、戦前戦中はありませんでした。「従軍慰安婦」という言葉を最初に作ったのは、朝日ではありませんが流行らせたのは朝日です。日本の官憲が暴力を用いて「従軍慰安婦」にしたてた、その「従軍慰安婦」にしたてられた主張する朝鮮人女性の経歴などでうその記事を書いてきたのです。そして「従軍慰安婦」が世界中に知られるようになってしまった。まさにほんとうに国家の尊厳、名誉、誇りを台無しにしたのです。

自民党の高市早苗議員は、「未来志向の外交も非常に重要だが、私たちにとっては国家、国民、そして子孫の名誉を守り抜くことも大切なことだ」(産経新聞26・8・22)と語っていますが、私は全面的に彼女の意見に賛成です。
アメリカが原爆投下は、戦争を早く終わらせたといううそ、ドイツ人のユダヤ人大量虐殺を徹底してナチスにせいしてドイツ一般国民ではないと主張しているのもうそです。なぜ両国は歴史的うそをついているか、それは両国民が必死になって両国の歴史的大量虐殺行為から国の尊厳、名誉、誇りを守ろうとしているからです。ところが日本では日本の官憲が暴力で「従軍慰安婦」など作っていないのです。「歴史的になかった」ことを「歴史的にあった」ことにして世界中の非難の的になったのです。これほど酷い国家犯罪はないのではないでしょうか。にもかかわず朝日は、謝罪すらしていません。戦後の日本国民は、日本という祖国の尊厳、名誉、誇りに鈍感になっていました。朝日の戦後から今日までの記事には、日本という国の尊厳、名誉、誇りなどつめの垢ほども感じられません。朝日は犯した犯罪に対して制裁を受けねばなりません。無論河野洋平も同罪ですが、ここは朝日だけについて語っています。そこで私は、朝日の購読者にお願いがあります。朝日新聞の購読を辞めてもらいたいのです。「お前の一言でやめられるか」という人もいるでしょう。それでしたら一年間だけでも、止めてもらえませんでしょうか。そして朝日の購読者にお聞きしたいのです。日本国民は、祖国の尊厳、名誉、誇りなどを考えてはいけないのでしょうか?

このブログの拡散、転載をよろしくお願いいたします。

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