Archive for 未分類

マフィアとヤクザの違い



えんだんじのブログは、今年の10月で10年目を迎えます。今から5年前の2012年1月11日に「マフィアの話」としてブログを書いています。A4の紙、13枚で書き上げていますが、自分で言うのもなんだが、これがなかなかの上出来で、どこかの映画雑誌で載せたいくらいです。「マフィアの話」は、以下の四項目から書かれています。
一。ゴッドファーザー
二。マフィアの歴史
三。マフィア映画に登場する人物像
(1)アルフォンソ・カポネ
(2)ラッキー・ルチアーノ
(3)ベンジャミン・バグジー・シーゲル
(4)ジョセフ・バラキ
(5)サム・ジアンカーナ
(6)トウキョウ・ジョー
四。マフィアとヤクザの違い

三。マフィア映画に登場する人物の6番目に登場するトウキョウ・ジョーを知っている人は、まさにマフィア映画ファンと言えるでしょう。トウキョウ・ジョーとは日本人でマフィアになった男、ケン・エトウの愛称です。父親は日露戦争時に小倉第十二師団の兵士として出征。帰国後キリスト教の牧師になり、アメリカに渡る。ケンはアメリカで生まれ、14歳の時父とけんか、家を飛び出した。大東亜戦争中は、日本人強制収容所で軍人にならず、博打稼業に精を出す。其の後マフィアに入るが、イタリア系でないので幹部になれるどころか裏切りの疑いをかけられた。二人の殺し屋からケンの後頭部に三発の銃弾を受けた。この時ケン64歳。ところが奇跡が起きた。彼は生還した、しかも健康体で。彼は銃を使わない復讐作戦にでて成功した。彼は病院でベトナム人女性の介護を受けながら84歳で死んだ。死後彼の人生は、日本人映画監督、小栗健一氏によってドキュメンタリー映画が製作された。詳細に興味あるかたは、ぜひえんだんじのブログ、「マフィアの話」、2012年1月11日を参照ください。
四。マフィアとヤクザの違い
ここでは、トウキョウ・ジョーの話とは違い、この文章の全文を引用します。
引用開始
「ここで言う違いとはヤクザがヤクザと呼ばれていた時代のヤクザとの違いで、決して現在の言う暴力団との違いではありません。「侠客」と言っても最近の若者はあんまりぴんとこないでしょうから、辞書を引いておきました。侠客とは、「任侠を旨として渡世する人々」、任侠とは、「弱い者を助け、強い者をくじき、義のために命を惜しまないという気風」。これで侠客の意味がなんとなく掴めたと思います。日本最後の侠客と言われる山口組三代目、田岡一雄夫妻には一男一女がいる。一人娘の由岐さんは、音楽家の喜太郎氏と結婚し現在離婚。その彼女が「お父さんの石鹸箱」と「さようならお父さんの石鹸箱」という二冊のエッセイを書いています。両親への深い愛情を示し且つ彼女の人柄の良さを示す好感の持てる本です。その中である時彼女は両親と父のボディーガードと四人で映画「ゴッドファーザー」を見に行った。映画の印象を父はこのように話をしてくれたと書いています。
「向こうのヤクザは、カネもうけのためになんでもする。日本のヤクザは、カネに触るといやらしいというのがほんまなんや。一番違うとこは、そこや。だから組織の目的がちがう。」
確かに田岡が「組織の目的が違う」ともいえたのも事実だと思う。田岡が山口組三代目を継いだのは昭和21年、終戦の翌年、田岡34歳の時。この時田岡は、三つの誓いを立てた。
(1)各自に職業をもたせること。
(2)体制の確立。
(3)己を厳しく律すること。
そして「土建屋山口組」という筆太な文字で書かれた分厚い看板を事務所の入り口に掲げた。ヤクザとマフィアの大きな違いはここですよ。公然性(公開)と非公然性(秘密)です。日本のヤクザは、その存在については、事務所を市街地に開設し看板を掲げるなどして、一般市民の充分知るところであり、また警察もそのヤクザの組織の機構や序列、活動についても相当部分把握している。一方アメリカのマフィアは、徹底した秘密組織であり、組織の全容は秘密の組織のベールに包まれています。私はこの公然性が侠客の生む素因にもなり、マフィアに比べて殺人が少ない原因にもなっているのではないかと思っています。看板をかかげて親分になる以上、これまでのようにバカなまねはできない、それでは組員がついてこない、近所の堅気から嫌われたり、馬鹿にされたりして組員の士気にかかわるし、発展はない。そんなことから堅気には手をださないということにもなるし、要するに親分自身が自分を律する面が強くなる。これがマフィアのように徹底した秘密主義では、侠客など生まれるのはまれになってしまう。殺人が多くなるのも当然でしょう。
山口組が発展してくると、田岡の目が行き届かなくなる。山口組系を名乗る末端組織の中には麻薬に手を出したり、堅気の衆に迷惑を及ぼす者も出てきた。そこで田岡は、滋賀県永平寺の老師に相談して山口組の綱領をつくった。
綱領
山口組は侠客精神に則り、国家社会の興隆に貢献せんことを期す。依って組員は左の各号を体現することを要す。
一。内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。
一。外に接するに愛念を持し信義を重んず。
一。長幼の序を弁え、礼によって終始す。
一。世に処するに己の節を守りそしりを招かず。
一。先人の経験を聞き、人格の向上をはかる。
昭和38年の仕事始めの時、この綱領は神戸観光ホテルに百人近い組員を集めて発表された。昭和46年6月には田岡は、組員の広報誌、「山口組時報」を創刊している。その創刊号で田岡はこう書いています。
「家庭にあってはよき父、よき夫であってほしい。日頃家庭をうとんじている者ほど、なにかことあるときには、その嘆きに拍車をかけている。内を固めてから外に当たるように」と組員をさとしている。同紙には「法律教室」や「告知板」と称する放免祝い、葬儀、服役者消息欄など話題が豊富であったと言う。私はマフィアの人たちに言いたい。日本にはこういうヤクザがいたのだ。田岡自身は売られたけんかで人を殺し8年の刑を受けた者です。金がすべてではないことが彼の行動でわかるはずです。田岡は自伝を書いているが、最後の10頁あまり妻、文子自身に書かせている。彼女は最後にこう書いています。
「まだ一つ大きな問題が残っております。それは侠客道を歩む者も、無頼の徒も同一視され、暴力団というありがたくない汚名をきせられていることです」
私は彼女の気持ちが理解できます。
そして現在、ヤクザという言葉は完全に使われなくなりすべて暴力団呼ばわりされ、徹底して嫌われ、「何々組」という看板も掲げられなくなってしまった。これでは暴力団は地下にもぐり、徹底して秘密主義が貫かれる。すなわち暴力団のマフィア化につながる。危険な不気味な存在になってしまう。それでもいいのですか。前科者でもなく、警察に追われているわけでもない暴力団員と付き合って何故いけないのですか。
鈴木宗男前議員は、刑務所暮らしから現在出所しています。いずれにしても前科者です。その前科者が今度の総選挙で立候補します。前科者の議員とはつきあってもいいが、暴力団員であったら前科経歴がなくてもつきあってはいけないのですか。もしそうなら人権侵害ではないですか。私は読者に訴えたい。私たち庶民は、前科者の庶民には非常に冷たくあしらうが、金持ちや、政治家、あるいは有力者の前科者には甘いのだ。現在のマスコミは、民主党政府には怒れない、反日日本人組織にも怒れない、隣国にも怒れない、怒れる先は暴力団だけ、それだけに暴力団が目の敵にされるのだ。暴力団員と芸人が付き合って何が悪いのだ。
テレビで大討論しなければならない大問題か。現在の暴力団組織など少しも怖くない。暴力団で国がつぶれることは絶対にない。現在最も恐いのは反日日本人組織です。日教組など暴力団よりはるかに怖い存在です。私は暴力団をえこひいきするつもりはないが、日教組、自治労、反日市民団体などの不法行為には暴力団と同じように厳しい捜査をしてもらいたと思う。政府は、最近「環境影響評価書」を沖縄県庁に宅急便で送った。その配送を阻止した反日市民団体の行為は違法行為ではないのか。同じことを暴力団がやったらどうなるのだ。法律は平等に施行されなければならないはずです。」
引用終了

現状の山口組の状態を知ったら墓場にいる田岡親分は激怒するでしょう。私がなぜ「四。マフィアとヤクザの違い」の全文を引用したかと言うと、次の二つのことに留意したいからです。
1.終戦直後、日本の警察は、拳銃の使用を禁止されていた。そういう時にのさばったのが勝利国国民づらした第三国人(当時日本国民は、そう呼うでいた)すなわち、在日朝鮮人、シナ人、台湾人、その他アジア人だ。どういう場所でのさばったかというと、特に生きていくために日本人庶民が利用する、闇市、露天商街だ。拳銃を持たない警察が役立たないのはどの国でも同じだ。のさばる第三国人を相手に全国の日本人ヤクザが熾烈な戦いをいどんだのだ。だから市民からヤクザが歓迎されたのだ。その一つの証拠が昭和34年山口組の田岡組長が神戸水上署の一日署長を務めた。終戦直後、警察に変わって日本人のために戦ったのは、神戸の山口組だけではない、横浜の藤木組、横須賀の小泉組など全国にわたる大都市ヤクザだ。現在、戦後70数年、今やヤクザはなくなり、暴力団になってしまった。人気映画「男はつらいよ」の寅さんこと、車寅次郎(くるまとらじろう)の生業はテキ屋。映画では「俺がヤクザ稼業なため、いつも妹に迷惑かけている」なんて言うセリフをはいているが、今じゃテキ屋も法律では暴力団です。寅さんは、侠客気分満々だが、いずれヤクザや侠客という言葉なくなり、死語になってしまうのではないでしょうか。

2.「私は読者に訴えたい。私たち庶民は、前科者の庶民には非常に冷たくあしらうが、金持ちや、政治家、あるいは有力者の前科者には甘いのだ。」と私は主張していますが、皆さん。本当にそうだと思いませんか。私が例としてあげているのが、鈴木宗男元議員だ。私のブログ、「鈴木宗男よ、前科者のくせに偉そうな口きくな」(2016年12月3日)を参照してください。以前の北方領土交渉を利用して私服を肥し有罪判決を受け刑務所暮らしをした鈴木宗男は、最近の安倍首相の北方領土交渉問題で、マスコミ、すなわち新聞、テレビ、週刊誌、月刊誌などから注目を浴びているのだ。マスコミは、宗男の有罪、実刑、刑務所暮らしなど眼中にないのだ。2017年4月30日の産経新聞の朝刊で次の記事がある。
引用開始
「鈴木氏が公民権回復、国政への復帰に意欲、北方領土解決訴え
汚職事件で実刑判決を受けた政治団体「新党大地」の鈴木宗男代表の公民権が29日、回復された。鈴木氏は同日、札幌市で開いたパーティーで「選挙がいつあるか分からないが、その時期が来たら最善の判断をしたい」と次期衆議院選での国政復帰に意欲を示した。
鈴木氏は「私にやり残したことがある。北方領土問題の解決だ」と訴えた。安倍晋三首相と定期的に会談し、対露外交で助言を行っている鈴木氏は「首相から北海道は自民党にとって厳しい。鈴木先生にかかっている。よろしくお願いします」と言われていると記者団に明らかにし、首相との連携を強調した。鈴木氏は衆院議員だった平成22年に受託収賄罪などで懲役2年の実刑判決が確定。失職、収監され、23年12月に仮釈放された。刑期満了から5年間は選挙に立候補できなかったが、29日公民権を回復した。」
引用終了

産経新聞は、安倍首相をひいきにさえすれば、宗男のように紙屑みたい、くずな元議員でも公民権回復を喜ぶような記事を書いてくれるのだ。まるで出所祝いだ。これでは日本の国会議員の質がいつまでたっても上がらないのもむりはない。
もう一度書きます。興味と時間があれば、私の5年前のブログ、「マフィアの話」(2012年1月11日)を読んでみてください。

コメント

保守知識人は、大バカ者の集まりか?(2)



     このブログの拡散、転載をよろしくお願いいたします。
(このブログのタイトルにある保守知識人とは、育鵬社、日本教育再生機構、日本会議に群がる名のある知識人のことである。)

八木秀次のスパイ疑惑と人間性
去年シナ政府は、「南京虐殺事件」をユネスコの文化遺産に登録した。シナ政府のこの登録は、長年の計画を立てての行動だったと思います。その計画の中には、日本の保守陣営の分断工作があったと私は想像しています。そう考えると、平成16年に「つくる会」の第三代会長になった八木秀次の独断行動が分断工作の先駆けであったことはまちがいない。と同時に八木は、フジサンケイグループの「つくる会」乗っ取り工作の主役を演じていた。私が「つくる会」の会員になって会費を払ったのが平成17年8月1日です。受領者名は、八木秀次会長になっています。その年の12月八木は、「つくる会」の執行部には極秘でシナに行き「中国社会科学院日本研究所」を訪れ将立峰所長らと「新しい歴史教科書」をめぐって意見交換したというのです。「つくる会」の会員になったばかりの私は、非常に驚いた。八木会長は、大バカじゃないのかと思ったと同時に私は、はげしい怒りを感じた。だってそうでしょう。近現代史に関してシナ政府の歴史観と「つくる会」の歴史観は、水と油の関係で決して交わることなどあり得ないのに、なぜ極秘に訪問したのかというのです。この問題を追及するには、八木は誰をともなって、どういうふうにしてシナを訪問したかということです。箇条書きします。
1.宮崎正治「つくる会」事務局長
宮崎は日本会議の出身で「つくる会」事務局長になって在職6年と長いのだが、仕事の能力としては「つくる会」執行部としては不満だった。西尾幹二「つくる会」名誉会長が日本会議の椛島有三事務総長に会いにゆき宮崎の件を相談したが、らちがあかず、その後椛島から返事もなかった。八木はこの宮崎を贔屓にしていたから、自然と八木と日本会議がくっつくことになった。日本会議のようなオカルト集団は、いざとなると国家の事より、仲間意識が大事になるのだ。
2.福原慎太郎「つくる会」事務局員
福原が八木と一緒にシナに行ったのではない。彼が八木のシナ行きをアレンジしたのだ。彼は元松下政経塾の塾生だった。松下政経塾の海外からのインターン生はシナ人が圧倒的に多い。その中の一人に李春光がいた。福原と李春光はお互い面識をもった。平成24年5月29日に読売新聞朝刊一面に在日中国大使館の一等書記官、李春光によるスパイ事件を報じた。外交官は、不逮捕特権を持っているから、出頭を拒否し、李春光は成田から帰国してしまった。李春光は、日本では「中国社会科学院日本研究所」の副主任を務めていた。
3.小島新一産経新聞記者
私が不思議に思うのはなぜ雑誌「正論」編集部記者、小島新一記者が八木に同行して一緒にシナに行ったかです。シナから帰国後の八木の行動を考えると、この時すでに八木と産経新聞は内密関係にあったのではないかと推測されます。

当時八木のシナ訪問には、再度強調しますが隠されていたことが三つあった。
1.シナ旅行は、「つくる会」の理事会に諮らず完全な隠密行動であったこと。
2.「つくる会」執行部で退任処分された宮崎事務局長をこっそりシナ旅行に同行させたこと。
3.中国社会科学院と歴史認識をめぐって会談したことなどしばらくのあいだ明らかにしなかったこと。

平成17年12月に八木はシナを訪問し、月内に帰国した。翌年、平成18年は、「つくる会」にとって激動の年であった。日付順にどんな事があったか見て見ると:

2月27日: 八木会長は、会長職を解任されたが理事として残った。その頃から八木は自分の派閥作りに乗り出していた。八木の派閥のメンバーは、新田均皇學館大教授、内田智弁護士、勝岡寛次明星大学職員、松浦光修皇學館大學助教授、宮崎正治事務局長。彼らの大半が日本会議系です。
3月28日: 八木は副会長に復帰。この頃産経新聞は、私が調べただけでも2月28日、3月1日、3月9日、3月28日、3月29日に「つくる会」系の記事を書いていますが、すべてが八木贔屓、八木援護の記事です。その頃、自分の派閥をつくった八木は、「つくる会」の古参、西尾名誉会長、藤岡副会長らの蹴落としに懸命だった。それらが露骨であり、沢山の怪メールを使った実に汚いやり方だった。サラリーマンだったらもう同じ業界では働けなかったでしょう。学者だから知識人面できるのでしょう。「つくる会」の全会員が彼をウジ虫の如く嫌うのもそのいやしい人間性だ。
4月30日: 八木副会長と八木派閥全員が「つくる会」退会。すぐに、産経新聞は教科書取材班を解散。以後「つくる会」の記事を数年書かなくなった。
5月27日:八木に招待された将立峰、中国社会科学院、日本研究所長及び研究者グループが訪日、扶桑社社内で日中討論会が開かれた。どんな具体的な話をされたか不明。
6月21日:「つくる会」は「十年かけて育てた『新しい歴史教科書』を絶やさないで下さい」と題したアピール(訴えの文)を公表した。その冒頭の一説を引用します。
引用開始
「去る2月26日、扶桑社は、「新しい歴史教科書をつくる会」が提起した教科書を扶桑社が引き受けて発行するという従来の枠組みを解消すると文書で通告してきました。扶桑社の思いもかけぬ一方的な通告は、十年にわたって培ってきたつくる会との協力関係を無視し、信義を踏みにじるものです。さらに、困難のなかで『新しい歴史教科書』を採用して下さった各地の教育関係者や、現にこの教科書で学んでいる全国の子供たちに対し、教科書会社としての社会的責任を放棄する行為でもあります。
では、扶桑社は、教科書事業から撤退するのかと言えば、そうではありませんでした。親会社のフジテレビが三億円を出資して「育鵬社」という名称の教科書専門会社を扶桑社の子会社としてつくり、扶桑社の片桐松樹が社長を兼任し、そこから別の教科書を発行するというのです。
「つくる会」は昨年一月に西尾幹二名誉会長が退任し、他方で四月に八木秀次氏ら一部の理事が辞任しました。しかし、それ以後も、会は正常に活動し、会が分裂した事実もなければ紛争が起こったこともありません。ところが、扶桑社はつくる会には内紛が絶えないから手を引くといいながら、おかしなことに育鵬社から発行する教科書の編集顧問に辞任した八木氏が就任し、歴史教科書の編集の中心に同じく辞任した元理事があたるというのです。つくる会が排除され、会を去った人々が教科書を書く。こういうことを日本語だ「乗っ取り」というのではないでしょうか。フジテレビ会長の日枝氏は、「初代以来の代表執筆者の書いた部分はどんなに金がかかっても書き直す」と発言しました。この動きを見ると、フジテレビと扶桑社が「紛争」を引き起こしている当事者であるといってよいほどです。
引用終了

現在産経新聞は、われわれ保守の人たちにとって良い報道してくれる新聞だと認識しているでしょう、しかしこの時期の産経新聞は、シナのスパイと言われる八木を使って「つくる会」を潰そうとしたり、乗っ取ろうとしたことも事実です。その意味でその当時の産経新聞の罪は重い。その最高責任者は、育鵬社生みの親、フジテレビの会長日枝氏である。ここまで書いてきたこのブログの文章は、私の著書、『保守知識人を断罪す。「つくる会」苦闘の歴史』(平成25年、総和社、1500円+税)の要約です。出版した当時、自費出版のせいかあまり注目されなかったが、現在は事情が変わりまし。シナ政府が「南京虐殺事件」をユネスコに登録したからです。この本を読めば、なぜ保守陣営に南京虐殺事件を肯定した知識人が出たかよくわかります。皆さん、是非読んでみてください。値段は1500円+税のところを200円値引きし1300円税なし、郵送料なしで販売します。えんだんじのブログのお問い合わせコーナーを使うなり、直に私にメイルで注文してください。私が郵送します。

私のこの著に対する書評を頂いております。平成17年から6年間「つくる会」の茨城県支部長しておられた川又和敏氏です。文章の中途から引用になります。
引用開始
「さて、ご著書ですが、遅読の私としては異例の速さで読み終わりました。私が会員になったのは平成11年ですから早い方ではありません。平成17年から6年間茨城県支部長として、一般会員の方よりは少し多く、つくる会との関わりはありました。特に混乱期に地方支部としては唯一茨城県支部が、東京2支部の呼びかけに応じ、混乱解決に微力を尽くしたことが印象に残っています。
そんなわけでどの頁も興味深く、一読巻を措く能わずで読みました。そして、先ず思ったことは、よくぞ調べ、よくぞ書いたり、ということです。鈴木さんの資料活用能力の凄さは、「逆境に生きた日本人」でつとに承知していましたが、改めて感嘆久しくした次第です。

つくる会の歴史は、16年という決して長いものではありませんが、波乱万丈、複雑怪奇、分かり難い部分が多々あります。それを快刀乱麻、整然と分かり易く説く筆力は、将に驚嘆に値します。その内容に、私自身大いに教えられました。鈴木さんの話かけるような文は、親しみやすく、説得力に富んでいます。それでいて、歯に衣着せぬ大胆な指摘は、痛快であり、はっとして目を覚まされることも一再ではありません。執筆の動機が義憤によるというのも鈴木さんらしく、何と自費を投じての出版と聞いて驚き、大きな感動を受けました。鈴木さんの侠気(おとこぎ)を強く感じました。
いわゆる一社体制と称した育鵬社との合併話に、「狂気」とう強い表現で、断固反対の論を書かれている部分などは、全く同感であり、興奮が甦る思いでした。つくる会を潰そうとする国内外の敵の姿を、明確に指摘していることも、会員にとっては大切なことで、採択戦への構えになります。つくる会の歴史の大きな山場八木秀次一派による乗っ取り騒動。これは今に尾を引く重大な関頭でした。しかし、意外に真実を知らない会員が多く、これを詳細に述べられたことも有難いことです。
最後に、安倍総理との直接対話。稀有な機会を逃さずせまった鈴木さんの態度に、手に汗握る思いでした。この本に芯として通っている、つくる会をつぶしてならないという愛国心、つくる会存亡に対する危機感、つくる会にたいする愛情に打たれます。つくる会こそは保守の最後の砦であるという明確な認識を、この本によって、会員皆が持たなければなりません。そしてこの本はそれを十全に果たすだけの力を備えていると信じます。絞まりのないことを書き恥かしい限りですが、一言申し述べて、お礼の言葉といたします。本当に有難う御座いました。平成25年6月19日 川又和敏」
引用終了

「つくる会」は、存亡の危機にあります。シナ政府は、去年「南京虐殺事件」をユネスコに遺産登録した。返ってそのことが保守の「つくる会」の存在を見直させたのだ。シナ政府と堂々と戦える保守団体は、「つくる会」しかないのだ。他の保守団体は、脛に傷を持つ団体が多い。「つくる会」は、戦後の歴史教科書史上、初めて「通州事件」を教科書に載せたが、今度は「通州事件」を世界遺産に登録しようとしているのだ。果たしてどこの保守団体が協力してくれるのか見てみようではないか。最後にもう一度くりかえします、拙著『保守知識人を断罪す「つくる会」苦闘の歴史』をぜひ読んでみてください。
次回のブログは、「保守知識人は、大バカ者の集まりか?」(3)を書きます。

コメント

NHK、朝日、毎日は、日本国民の敵(6)



        このブログの拡散、転載をよろしくお願いいたします。
朝日新聞購読者の皆様へ。
朝日新聞の反日報道は、なにも今回の「従軍慰安婦」事件報道だけではありません。戦後69年間ずっと続けてきた報道姿勢なのです。簡潔に分かりやすく説明するためできるだけ時代順に箇条書きしていきます。
1.終戦後まだ半年もたっていない昭和21年1月1日、朝日は「新しき世界の血から、スターリン」「消えぬ革命家の情熱」「民衆と歩む『投書政治』という見出し付の長い記事でスターリンを礼賛しています。昭和28年3月6日にスターリンは亡くなったのですが翌7日には、朝日の夕刊「こども」欄で、「なくなったスターリン首相」「子どもずきなおじさん」「まずしかった少年時代」という見出しとスターリンの少年時代の写真を掲げ、スターリンを英雄や偉人扱いにした子供むけの記事を書いています。
ソ連は、日ソ中立条約を破って、終戦間際の8月9日に日本に宣戦布告、ソ連軍は急遽満州から日本に帰国しようとする日本人に遅いかかり、虐殺、強姦、略奪をほしいままにし、さらに終戦8月15日には武装解除した日本兵60万人以上強制連行し、シベリヤ各地の流刑地に放り込み、重労働を課し、そのため約7万名の日本兵が命を落とした。その上さらに北方四島を占領したままいまだに返そうともしません。スターリンが死んだ時点でも、沢山の強制収容された日本兵が日本に帰国できない状態のままです。この責任の全部がスターリンにあるのです。それにもかかわらずスターリンの礼賛記事を書くとは、日本に対する裏切り行為ではないでしょうか。以来朝日は、平成3年にソ連が解体するまで反日親ソ、反米親ソの報道を続けたのです。

2.昭和26年9月、日本はサンフランシスコでアメリカを含む48か国と対日講和条約を結びました。これによって日本は西側48か国との戦争状態を終結し、独立回復を認められたのです。当時米ソの冷戦時代と言われ、前年の6月には朝鮮戦争が勃発して、米国とソ連、シナとは敵対関係になっていました。この時朝日は、西側諸国だけの単独講和でなく、ソ連を含む共産主義国を含む全面講和を主張した。当時、国力のなかった日本は、西洋諸国側につくのか、共産主義諸国につくのかの選択肢はなかったのです。この時日本政府が民主主義国家群につくと決定したことが、戦後の日本経済大繁栄の決定的要因になったのです。
この時日本政府が、朝日の主張通り全面講和主張したらどうなったのか朝日は説明してみろというのです。

3.昭和29年自衛隊が創設されました。強く反対したのは朝日新聞です。現在自衛隊は貴重な存在であることは日本国民の恐らく90パーセントは同意しているでしょう。朝日はバカか?

4.昭和35年「日米安全保障条約」の改定が米ホワイトハウスで調印された。その調印前、そしてその後の国会での批准をめぐって、後に言われるはげしい「60年安保闘争」が繰り広げられたのです。「日米安保改定反対」運動は、朝日を筆頭に日本の左翼が全力をあげての闘争でした。労働組合、日教組、大学生、社会党、共産党、進歩的文化人と呼ばれた知識人たちが、熱にうかされたようにデモに参加していきました。彼らは戦後最大級の大衆行動と呼んでいます。一人の女学生が死んだ6月15日のデモ参加者は、警視庁調べで65万人です。なぜこれほどまでに「日米安保改定」に反対したのか。その理由は「安保改定」で日本は戦争に巻き込まれるという主張です。
安保闘争で世情不安を引き起こした当時の岸首相は退陣、次の池田内閣のもとで総選挙がおこなわれました。戦後最大の大衆運動が行われたのに、自民党の池田内閣は圧勝したのです。国民は「安保改定」で日本が戦争に巻き込まれるとは判断しなかったのです。「日米安保改定」は戦後から現在にいたる69年間、日本を戦争に巻き込むどころか、平和に貢献してきたのです。すなわち朝日の主張は、ここでも大きな間違でした。

5.戦後GHQが日本を去って以来、朝日は、親ソ、親シナ、すなわち親共産主義国の立場を鮮明にした報道姿勢を続けてきたことは事実です。そのため祖国、日本国側にたっての主張より親共産主義国側にたっての主張が目立ちました。こんな例もあります。昭和56年に日本政府が2月7日を「北方領土の日」とすることに決めた時、朝日は「『北方領土の日』をとりさげよ」という東海大学総長、松前重義の主張を掲載したのです。松前の主張の中にこういう一節があります。「ソ連は第二次大戦において、世界で最も大きい人的、物的犠牲を被った。それゆえ第二次大戦の結果にソ連がこだわるのは、決して理由のないことではないのである。北方領土問題は、ソ連にとって国際法の問題というよりは、多くの犠牲のもとに得た結果を失えぬという、国益と感情問題なのである。」
冗談じゃない。この松前という男は、一体日本人か。ソ連が第二次大戦で、世界で最も大きい人的、物的犠牲を被ったなどとよく言えたものです。ソ連はバルト三国を手にいれたし、フィンランドの領土の十分の一、ポーランドの領土の半分近く手にいれたのです。連合国の中で領土を拡張できたただ一つの国です。このとんでも松前の主張を朝日新聞は掲載したのだ。

6.昭和39年に日中記者交換協定が結ばれた。原則として8人ずつの記者を相手国に常駐させることができた。日本側から、朝日、読売、毎日、産経、日経、西日本、共同通信、NHK、東京放送の九社から一人ずつ派遣された。ところが昭和42年から昭和45年にかけて朝日とNHKを除く全記者が国外退去を命じられた。理由は反シナ報道を行ったという主張です。NHKは期間満了でシナを引き上げ、残るのは、朝日の記者だけになってしまった。
日本新聞協会は、一方的な理由での国外退去は、報道の自由を奪うとしてシナ政府に抗議しようとしたが、朝日は強力に反対した。シナに残った朝日の記者は、シナ側の意に添わない記事を書くと国外退去にあうものだから、自然とシナ礼賛やシナよりの記事を書く、それを読者は読まされていた。こういう記事の書き方で、大失態を演じたのだ。現在のシナ政府さえも否定する「文化大革命」を礼賛する記事を書いてしまったのだ。

7.北朝鮮について朝日は、過去度々訪朝団を送り、北朝鮮礼賛、北朝鮮よりの記事を書きまくっています。昭和41年11月から12回にわたって夕刊で「チェチェの国北朝鮮」を連載しています。朝日の報道が特に影響を及ぼしたと言われるのは、戦後の日本から北朝鮮に帰還した人たちです。昭和34年から昭和59年の25年間に約9万3千人が帰還しました。その間に朝日は、北朝鮮を高く評価する報道をしたのです。朝日は昭和34年から昭和35年にかけて「ばく進する馬、北朝鮮よく働く人々、飛行場変じてアパート」(34年12月25日)、「働く力を組織、平壌見事な復興」(同月26日夕刊)、「誇り高い帰還者、希望と祖国への信頼」(同月29日)、「夢も芽生える北朝鮮帰還運動」(昭和35年2月1日)などと立て続けに報じています。現在では、この帰還者たちが、北朝鮮でどんな悲惨な生活をしてきたかは、周知の事実です。なかには密かに北朝鮮を脱出して日本に帰国、名前を隠さざるを得ず苦しい生活をしている人がいるのです。朝日はこういう人たちに少しぐらい援助してもいいのではないでしょうか。

8.平成3年、共産主義国家の盟主ソ連が解体されロシアが誕生した。そして北朝鮮は、我々日本人にとって悪の帝国と充分認知されました。これで朝日は、目がさめたかと思ったのですが、長年共産主義国家よりの目で政治などを考えて、日本批判を繰り返してきたものですから、日本批判の癖がぬけないのです。今度は韓国、シナよりの報道をして日本批判を相変わらず繰り返しているのです。教科書問題や靖国問題で、朝日は韓国シナ両国に日本の内政干渉をする口実をせっせと与えているのです。そしてとうとう朝日は「従軍慰安婦」事件を引き起こしたのです。

以上上記は前回私のブログで伝えました平成18年に出版した私の著書、「原爆正当化のアメリカと『従軍慰安婦』謝罪の日本」(展転社)で「朝日新聞について」という題で文章を書いていますが、その要約文です。政治的な記事ばかりで他の分野のとんでもない記事は抜いております。例えば平成元年の沖縄珊瑚捏造事件などです。また出版が18年なので17年のとんでもない政治ニュースが抜けています。それは若宮啓文朝日新聞論説主筆が「いっそ日本が竹島を韓国に譲って、韓国がこの英断に応えて『友情島』に名づけたら」などととんでもない記事を書いていますが、それも抜けています。
戦後朝日の基本的報道姿勢は、GHQ占領時代の七年間は、朝日は社説でマッカーサーを賞賛していますしGHQべったりです。しかしその後は徹底した反米親ソ、反日親ソです。当時の広岡社長自ら陣頭指揮しての親ソぶりです。古い朝日社員は知っているはずです。私には分からないことがあります。朝日のような報道各社は、報道の自由が保障された自由主義社会でないと発展できません。朝日は国内では日本の報道の自由を満喫しながらなぜ報道の自由を厳しく監視される共産主義国に媚びていったのでしょうか。朝日の購読の皆さん教えていただけませんか。
ソ連解体後は、親シナ、親韓国の反日です。そして「従軍慰安婦」事件です。世間では朝日は、日本を貶めるために数々の記事を書いてきたなどと報じていますが、「従軍慰安婦」事件は、日本を貶めるといいますが、貶めるとは辞書を引けば「軽蔑する」「見下げる」です。「従軍慰安婦」事件はそんな軽い事件ではありません。国の尊厳、名誉、誇りを台無しにする国家反逆罪ともいうべき重大犯罪行為です。「従軍慰安婦」と言う言葉は、戦前戦中はありませんでした。「従軍慰安婦」という言葉を最初に作ったのは、朝日ではありませんが流行らせたのは朝日です。日本の官憲が暴力を用いて「従軍慰安婦」にしたてた、その「従軍慰安婦」にしたてられた主張する朝鮮人女性の経歴などでうその記事を書いてきたのです。そして「従軍慰安婦」が世界中に知られるようになってしまった。まさにほんとうに国家の尊厳、名誉、誇りを台無しにしたのです。

自民党の高市早苗議員は、「未来志向の外交も非常に重要だが、私たちにとっては国家、国民、そして子孫の名誉を守り抜くことも大切なことだ」(産経新聞26・8・22)と語っていますが、私は全面的に彼女の意見に賛成です。
アメリカが原爆投下は、戦争を早く終わらせたといううそ、ドイツ人のユダヤ人大量虐殺を徹底してナチスにせいしてドイツ一般国民ではないと主張しているのもうそです。なぜ両国は歴史的うそをついているか、それは両国民が必死になって両国の歴史的大量虐殺行為から国の尊厳、名誉、誇りを守ろうとしているからです。ところが日本では日本の官憲が暴力で「従軍慰安婦」など作っていないのです。「歴史的になかった」ことを「歴史的にあった」ことにして世界中の非難の的になったのです。これほど酷い国家犯罪はないのではないでしょうか。にもかかわず朝日は、謝罪すらしていません。戦後の日本国民は、日本という祖国の尊厳、名誉、誇りに鈍感になっていました。朝日の戦後から今日までの記事には、日本という国の尊厳、名誉、誇りなどつめの垢ほども感じられません。朝日は犯した犯罪に対して制裁を受けねばなりません。無論河野洋平も同罪ですが、ここは朝日だけについて語っています。そこで私は、朝日の購読者にお願いがあります。朝日新聞の購読を辞めてもらいたいのです。「お前の一言でやめられるか」という人もいるでしょう。それでしたら一年間だけでも、止めてもらえませんでしょうか。そして朝日の購読者にお聞きしたいのです。日本国民は、祖国の尊厳、名誉、誇りなどを考えてはいけないのでしょうか?

このブログの拡散、転載をよろしくお願いいたします。

Comments (12)

昔の外資系、現在の外資系



今年の9月に新潮新書として出版された「外資系の流儀」という本があります。著者の佐藤知恵氏は、1970年生まれ、東大の教養学部を卒業、NHK入社、多種多様な報道番組制作に参加、その間NHKに海外留学希望を提出、局内選考で何度も落ちた。そこで彼女は、自分で留学先を決めて交渉して見ようとアメリカの経営大学院を受験、合格通知を手に、「NHKを休職して留学させてください」と一年以上交渉したが認められず、退社してアメリカのコロンビア大学経営大学院(コロンビアビジネス スクール)に留学。この時学費ローンが一千万円以上あった。MBA(経営学修士)を取得して卒業。

欧米では経営コンサルタントという職業が尊敬されていて、欧米のエリートが憧れている世界的なコンサルティング会社、BCG(ボストン コンサルティング グループ)に入社。二年後に世界的なメディア・エンターテイメント企業の日本支社に転職。8年後の2010年に退社し独立。現在、企業経営者。私の貧弱な経歴と比べると彼女の経歴は華麗です。エリート中のエリートビジネス・ウーマンの経歴を持つ経営者です。

私がなぜ彼女の本を買ったかというと、私は22歳の時に外資系に入社。以来40年間に外資系五社を渡り歩いて定年になっています。彼女は外資系で働いて10年間、その10年間がちょうど私が定年になって今年で13年目、ほぼ同じ時期なのです。そこで彼女の本を読めば、最近10年間の外資系の事情が理解できるし、私の過去の40年間の外資系との比較もできるからです。そのまえに、いまから50年前、正確にいえば52年前、22歳の時、どういうきっかけで外資系に入り、最初はどういう仕事をしていたかをお話しましょう。

私の年代の中学生時代は、毎年卒業シーズンになると沢山の中卒生が地方から就職列車にのって大都会に働きにやってくるのが年中行事でした。私が横須賀市立中学校卒業の時、私の組(50名)のうち半分は就職組み、半分が高校進学組み。高校進学組みには、私みたいに県立高校入学試験で落ちた場合には、就職するつもりの人がいましたから、実質的には組の半分以上は就職組といえます。それだけ国が貧しかったということです。私は幸い県立高校に入学ができた。しかし我が家の家計は苦しく、中学時代我が家の家計もすこしは上向きになっていったが、高校入学する頃には、家計が前に逆戻りして苦しくなった。私は子供の頃から母の苦労を知っていますし、私の下に妹が二人います。これ以上母の苦労を見るに忍び難く、高二の時大学受験をあきらめ、学校に隠れてバイトをした。高卒後、私は横浜の職業安定所で自分の仕事を決めた。横浜の二流ホテル、バンドホテルのボーイだった。職安(ハローワーク)で気付いたことは、横浜という場所がらのせいか、英語が話せると就職先はいろいろあるし、給与も高い。英語はもともと自分の得意科目だったから、すぐにラジオ英会話を学びはじめた。また英文解釈も英作文も大学受験勉強並みに始めていた。

高卒から22歳で外資系で働くまでの四年あまりの間に三回就職先を変えています。その間ラジオ英会話はずっと聞き続けていたし、英語の勉強も続けていた。或る時ラジオ英会話でジャパンタイムズという英字新聞の求職広告を見て、英文履歴書を作り、それに面接を受けたいという趣旨の英文手紙を添えて郵送、企業から面接の返事、そして面接会場で企業の面接を受ける一連の寸劇があった。私はこの時初めてジャパンタイムズに求人欄があることを知った。以来求人欄を見るようになったのだが、私にあてはまる求人欄がない。何も仕事の経験もないし、あるのは年齢が若いというだけ。それでも丹念に英字新聞の求人欄を見続けて数ヶ月間かあるいは一年間ぐらいになっていたかもしれません。これなら若ければ誰にでもできる職種の求人広告がアメリカの船会社から出ていた。当時英語では、メイルボーイとかデリヴァリーボーイとか呼ばれていた職種です。日本語で言えば、「走りづかい」です。当時ファックスというものがなかった。急ぎの書類を渡さねばならない時、あるいは急ぎの書類をもらわねばならない時に必要になる人間。要するに雑用係です。私は英文の履歴書を書き、英文の手紙をつけて郵送した。英文の面接通知の手紙がた。

この仕事には技術も経験も要りません。だから面接は簡単なはずだと思い自分で面接の想定問答を英文で書いて、それを頭の中に入れておくことにした。それでも満足に英語で答えられなかったら自分の英語の実力が低すぎるからだとあきらめることにした。面接は簡単だった。面接後に合格通知を言い渡された。私の仕事は簡単です。朝9時から仕事が始まるが、その30分前に会社に入り、事務所内の簡単な掃除。主に床と机の上。灰皿のかたづけなど。9時になると郵便局が開くので、私書箱内に入っている郵便物を取り出し、会社内で受領のスタンプを押し、各部署に配る。10時頃になると一回目の急ぎの書類配りや書類もらいです。都電を利用して配達するのです。午後2時頃になると二回目の書類配りや書類もらいです。4時ぐらいになると会社から出る全メイルの重量計りと切手はりです。5時までに郵便局に持っていくこと。その他の仕事と言えばコピー取りです。よく暗室の中でコピーを取らされたのを思いだす。こんな仕事を私と同年輩の男と二人でしていたのです。

面接の時、会社は現在発展しているから新入社員がどんどん必要になる、こんな仕事でも真面目にやっていれば他の部にまわされるからと言っていた。ところが一年たっても仕事が変わらないのだ。確かに新入社員がどんどん入ってくるが、仕事の経験を持った人たちばかり、私たち二人のように若くて経験のない人を育てようなどという気が会社には全くないのだ。私と一緒にやっていた相棒は、いつまでもこんな仕事やっていられないとさっさと辞めていった。その代わりの新人が入ってきた。私も辞めたくてうずうずしていた。しかし私には技術などなにもない、なにか仕事に役立つ経験もないのだ。辞めていっても同じことの繰り返しだと思った。私がいやなのは、人より30分早くきての部屋の掃除です。会社には若いタイピストが沢山いた。年齢も私とほとんど同年輩です。「なぜ。この俺が若い女が座っているおしりの下の廊下にモップをかけて掃除をしなければならないのか」、最初はなんとも感じなかったのが、いつまでやらされるのかと思うと男のプライドとしてやっていられない気分になった。辞めたくて、辞めたくてしょうがなかった。そんな時、私には一生忘れることができない屈辱的な経験をした。

ある日午後2時頃、二回目の書類配りと書類もらいに出かけようとしたとき、若いタイピストが、「鈴木さん、これ岩井産業の誰々さんに渡してください。部長の了解を得ていますから」というので書類の封筒を受け取った。外回りしている間に彼女に渡された封筒の肌触りがほかの書類の封筒の肌触りとちょっと違うのに気付いた。中身が書類ではないような気がした。封筒をあけて中をのぞいたら、なんと男物の海水パンツだ。彼女は自分のボーイフレンドの海水パンツを私に持たせて彼氏に渡そうとしたのだ。瞬間、私は逆上した。「あのやろう、俺をなめやがって!」彼女に怒りをぶつけるより、彼氏の方に敵意をもやした。どうせこの仕事やめたくてしょうがなかったのだ。海水パンツ、彼氏の顔にたたきつけてやる。それで騒動になるのならやってやる」。私は海水パンツの封筒を配達先の最後にまわした。一騒動起こして、他の書類配達に遅れがでて配達先に迷惑をかけると思ったからです。

この配達先を最後にまわしたことが結果的に良かった。私の興奮が少しずつおさまってきたからです。その間に私の心に別の声がしてくるのだ。「お前に力がないから、こういう目にあうのだ。くやしかったら実力をつけたらどうだ」、「実力をつけないとまたこういう目に会うんだぞ」、「若いサラリーマンに怒りをぶつけてどうするのだ、どうせけんかするなら大統領とか首相にしたらどうなんだ」などとこんな声を聞きだしてから、興奮した自分の気分がすっかり萎えてしまって、彼氏には黙って海水パンツを渡し、事務所にもどってもタイピストには何も言わず、彼女の上司にも海水パンツだったこともいわず、全部自分の腹の中にしまいこんでしまった。こんな事でメイルボーイの仕事がますますいやになって、もう辞めようとした寸前に私は拾われた。不定期船部の日本人部長(彼は現在86歳で健在です)が私の働きぶりを観察していて「俺の部所で働かないか」と誘ってくれた。私はうれしかった。これで私はサラリーマンになれると思った。以来外資系五社を渡りあるいて40年のサラリーマン人生を送った。

ここからが著者、佐藤知恵氏が書いた本、「外資系の流儀」の私の感想です。昔の外資系も今の外資系も本質的にはほとんど同じような気がします。特に以下の点については私自身が体験しているので全く同感です。著者の文章を借りて説明しましょう。

1.「外資系企業の多くは中途採用で社員を採用する。欲しいのは『即戦力』。外資系は人を育てる場所ではなく、ある程度育った人が「経験という貯金」を持って働く場所、長期の人材育成システムはないし、そんなコストも余裕もない」

私がメイルボーイの仕事をしていた時、確かに会社が発展していて数多くの新人社員が入ってきた。皆、経験を持った人で即戦力になる人だった。私のように走り使いをしている若い人を自分の部に入れてくれた日本人部長には非常に感謝しています。後年私のようなケースは非常にまれなケースで幸運だったことを強く感じているからです。無経験の私を彼の部に入れたからと言って、丁寧に仕事を教えてくれるわけではありません。いきなり実戦部隊に入れられたも同然。多少は教えてもらいますが、あとは私の持ち前の図太さと臨機応変さで乗り切ったと言っていい。また私も「この俺が二度と臨時工などにもどってたまるか」と必死な気持ちで働いていたのも確かです。私はこの船会社に入る前は、松下電器産業のバッテリー工場で臨時工、現在でいえば契約工員として働いていた。その理由は自宅から歩いて通える工場。工場勤務は、8時から4時まで。したがって英語の勉強できる時間が長くとれるからです。

2.「外資系企業と日本企業の採用で最も違うのが、誰が採用する権限を持っているのかという点だ。日本企業は人事部が一括して採用するのが一般的だが外資系企業では『上司になる人』が採用する。」

私がメイルボーイをしていた間に入社した新入社員は、全員各部の部長に採用されていました。私が採用したのは総務部の部長です。後年、私が40代後半になった頃、初めて自分の秘書を含む部下を持つようになったが、自分で面接して決めています。英語ができるよりも、白人と堂々と渡り合える性格かどうかをみきわめて採用していました。

3.「内部昇進制を設けているP&Gジャパンや日本IBMなどは別にして、外資系企業の日本法人は、基本、特定のポジション採用。幹部候補でない限り、同じ会社で昇進するのはきわめて難しく、転職して職位をあげていくしかない」

私が外資系五社渡りあるいて40年というのは、このことが一番大きな原因です。最初船会社に入ったが、次に変えたのが貿易会社です。船会社は、仕事に柔軟性がなく、貿易の方がはるかに小回りがきいて転職しやすい。そのことを知ったのは貿易会社に転職してからです。著者は、「この『会社にしがみつかない』感覚は外資系出身者特有なものだ」と書いているが全く同感です。

4.「成功のカギは『心技体』」
「『心』は、アグレシブ(攻撃的)であることは許されるが、受動的であることは許されない。こころが繊細な人には厳しい。金儲け軍の兵士になるのに、デリケートな心は必要ない。羞恥心などかなぐり捨てて自己アピールして、任務を全うするのみだ。何が起こっても受け流す図太さが必要になるが、これを大人になってから訓練で身につけるのは相当難しい」

私は戦後、極貧状態におちいり、ハングリーで鍛え上げられて自然に図太い人間になった。著者は女性です。彼女はハングリーには育ってないはずです。持ってうまれた図太い性格なのでしょう。ちょっと恐い気がします。

「『技』については、マーケティングや営業といった仕事の専門スキルはあって当たり前。英語もできて当たり前。これに加えて、社内政治を泳いでいく「コミニュケイション力」や「プレンゼンテイション能力」が問われる。「技」は意外と努力で何とかなるものだ。努力でなんとかならないのが、生まれもった心と体だ」
「体の弱い人は、残念ながら外資系に向かない。「弱肉強食」の外資系企業に、弱者を思いやる余裕はない。外資系企業の日本法人は、一応、労務管理というものをやっているが、それは日本法人としてやっていくための「社外的リスクヘッジ」をしているだけ。体を壊したら、降格か自主退職に追い込まれるケースが多い」

私が30代後半の頃だったと思う、外資系に勤めていた私の知人が、肺結核にかかり短期間入院するはめになった。当時は法律で結核の場合、休職しても給料の6割はもらえることになっていた。しかし知人の外資系会社は、払おうとしない。そこで支払い催促に会社に行く。会社に来た直後は送金があるが、しばらくすると送金が途絶える。また来社すると、また送金してくれるが、またすぐ払わなくなり結局自主退職に追い込まれた。

5.「外資系で働いている人というのは、自分自身も含め、圧倒的に個性的な人が多い」

私にいわせれば、外国人の方が圧倒的に個性的な人間が多い。私は外資系五社働いたが、国別ではアメリカ系三社にオーストラリアとドイツです。すなわち全部白人です。白人は、皆個性が強い。そこえいくと日本人は本当におとなしい。まるで羊の群れのような気がします。このおとなしさが、日本人の迎合性が生むのだ。武士道をなくした戦後の日本人には、このおとなしさだけが浮き彫りになり、真の独立国とは言えない状態でも平然としていられるのです。武士道は日本民族の生活必需品でなければいけないのだ。

次に著者が書かなかったことを挙げてみます。そのほとんどが時代の違いによる違いです。
1.私が外資系に入社した頃など、日本の一流大学卒業生が、卒業後最初の勤務先に外資系を選ぶなど、全く考えられなかった。当時は、一流大学出た人は、皆日本の一流の企業に就職、30年、40年働いて定年退職。私の年代のエリートサラリーマンは、ほとんど同じ過程を踏む。なぜ当時の大学新卒者は、外資系に就職しなかったのか、その理由をいくつか挙げてみました。
(1)外資系に信用がなかった。
日本の一流企業は、年功序列制であったことに信用があったのではないのか。
(2)一ドル360円という固定為替レート。
白人と日本人との間にどうしようもない賃金格差。白人が日本に来たら大金持ちの          ような生活ができた。私が走り使いをしていたころ、帝国ホテルに泊まっている取引先に書類を持っていったことがあった。その帝国ホテルのロビーは、白人ばかりで日本人がまばらに見えるだけ。まるで外国のようであった。あの時の印象が非常に強かったと見えて今でも鮮明に覚えています。その日は雨が降っていたので長靴をはいていた。私はホテルの人に言われて長靴を脱ぎ、スリッパに履き替えさせられた。要するにあまりにも所得格差が激しいので、外資系に入社したところ公平に扱ってくれないのではとの考えが強かったのではないか。

ところが現在では、東大の新卒さえ外資系に入社していくのです。それだけではなく著者に言わせると、「『外資系』」というのが、ブランドになっているのです」と言うのです。著者がテレビドラマの女性プロデューザーKさんに「外資系企業に勤めている人という役があったら、どういう役作りをしますか」と聞いてみると「なぜか、男女とも冬はカシミヤのロング丈のコートを着せますね。ドラマでは、高学歴のエリートっていうのが基本設定です」と書いているのです。さらにKさんが描写してくれた設定をまとめると、次のようになる。
トータルな見た目のイメージ
・物腰が柔らかく、いつも微苦笑。言葉は丁寧。
・足元から髪型までトータルにこだわっていて、整然としている。
・男性は目が細く、黒縁のメガネをかけている。
・女性はスレンダーで、靴ピンヒール。ネイルは必須。
・男女ともに、なぜかコートはカシミヤのロング丈。

仕事・家庭環境
・オフィスは高層ビル。
・育ちがいいので、記念日や子どもの誕生日のイベントにはしっかり参加する。
・飲んでもスマートに帰宅し、二次会、三次会には行かない。
・大学時代の同級生と結婚し、家でも敬語で話す。
・家族全員、最低二カ国語は話せる。
・子供は私立のエスカレーター校。
・部屋の中はよけいなものが置かれていない。

これがテレビドラマの女性プロデューサーが描く外資系で働く人たちのイメージです。私の若い頃は、外資系で働く人間は、どこか半端者とかはみ出し者みたいで自慢にもならず、また大卒の新卒者も入社してみようとも思わなかったのが、どうしてこのようにイメージが変わったのか興味があるとこです。このイメージ変化は、私にとってはありがたいことです。昔の外資系など全く知らない若者に、「私は外資系五社渡り歩いて定年」は、ものすごくかっこ良く聞こえるでしょう。

2、輸出用の女性
先に触れたように1ドル360円という換算レートが白人が日本にいるとものすごい大金持ちにさせた。そのためでしょう外資系で働く若い女性の中には、日本人男性とのデイトより白人男性のデイトに熱をあげる人が結構いた。相手にするのは白人ばかりという女性もいたのです。私は彼女らと同年輩だけに、こういう女性をきらった。終戦時私は小学校一年生から中卒まで9年間横須賀で暮らした。当時横須賀は、パンパンとか、パンスケと呼ばれたアメリカ軍人用の「従軍慰安婦」であふれかえっていた。教育環境が最悪。小学校でさえ、ある日突然、全校一斉にタバコ所持検査をするのだ。子供心にも大きくなれば、パンスケは、生活のためと知るようになる。外資系事務所に勤める若い女性が、白人男を追い掛け回すのは、パンスケ以上に情けない存在。当時の社会は外貨稼ぎのために輸出、輸出です。私たちは、若い白人ばかり追い掛け回す女性を輸出用の女性と呼んで軽蔑していた。

3.労働者代表
私が定年になるまで、外資系には労働組合がなくても「労働者代表」が誰かを決めておかなければいけなかった。だいたいその組織の最高年齢者(日本人)が代表として選ばれるのですが、この労働者代表に誰がなっているかで、その会社の事務所の雰囲気が変わってきます。白人と日本人では給料格差がはげしいから、どうしても自然と白人は、日本人スタッフを見下げるようになる。人種偏見の名残もある。当時は私たち日本人社員の会話にも、今では絶対に使わない「毛唐」という言葉も時々使っていたし、白人どうしも「ジャップ」という言葉を使っていた時代です。
そこえ労働者代表がイエスマンでおとなしい性質だと白人がえばりくさることになる。私がアメリカの会社で働いている時、労働者代表が定年になった。その後釜に会社が最年長者のMを労働者代表に選んだ。その時私と同じ時期に入ったFが、労働者代表を使用者側が選ぶべきものではなく、労働者が選ぶべきものだと大反対した。Fが推薦したのは私だった。私なら日本人従業員の言いたいことを代表として言ってくれるからだといいうのです。選挙結果私が選ばれた。労働者代表なったからと言って給料が上がるわけではない。しかし会社になにかあった時に日本人従業員を代表して会社に意見が言えると思って引き受けた。

数年後日本経済が好調になり、日本の会社で前年より給与水準が大幅に上昇し、前年より20%、30%増えるような景気が続いた。それまで私たちの給料は、日本企業より大幅に高かったのが、あまり高くなくなり、賃金水準に魅力がなくなってきた。そこで私は労働者代表として会社側と賃上げ交渉で対決し、労働者代表としての面目を保ったけれど、後がいけなかった。
数年後会社の経営不振により、希望退職を要求され退職した。48才の時だった。さすがにこの年齢になると転職機会は少ない。ジャパンタイムズに求職広告を載せた時、面接したいと手紙がきたのは二社だけだった。

著者の佐藤知恵氏は、この本を書くにあって外資系で働いた、あるいは働いている多くの人たちをインタビュウーしています。インタビューする度に最後の質問として全員に同じ質問、「外資系企業で働いてみて、よかったですか?」と聞いています。外資系で成功した人も、苦労した人も、ほとんど全員が「外資系で働いてみてよかった」と答えているのに著者はびっくりしています。最後に著者は、こう結んでいます。
「外資系企業を経験した人たちが『外資系企業で働いてみてよかった』というのは、ある意味『外資系を経験した者だけが持つ矜持』ではないかと思う。どんなにつらい目にあっても、世界に挑戦し、普通の日本人とは違う経験をし、学び成長したという矜持だ。念を押しておくが、私は誰も彼もに外資系で働くべきだともお勧めするつもりは全くない。日本人の国民性を考えれば、むしろ外資系の水が合うのは、日本人の中でも少数派だろうと思っている。
だから外資系を目指している方々には、『外資系で働くことが自分の幸せに繋がるか』さらに『自分は外資系にあっている人間か』、本書をきっかけに、今一度、問い直していただきたいと思います。」

私の場合、外資系で決して成功したとはいえない。しかしこれだけは言える。私の時代、普通高校卒業だけの学歴で、日本の企業五社渡りあるいたら、定年になった時、まだ働き続けるため職探しをし、本を書くこともなかったのではないかと思っています。


このブログは、今年最後のブログです。読者の皆様、今年も一年間ありがとうございました。皆様、来年も良いお年をお迎えください。








Comments (3)

TPP, 私の考え方



皆さんもTPPについていろいろ考えたと思いますが、私もいろいろ考えました。最初はTPPに賛成しました。情報が増えてくると私は反対にまわりました。そして現在では完全に賛成派になりました。私はせっかちです。だから決断するのも早い。そのために失敗することもあれば良かったこともある。それが性分です。しかし今回のTPPについては、決断が早いどころかその決断がくるくる変わった。これは私にしては非常にめずらしいケースです。その原因は、TTPが話題になり始めた頃は情報不足であったこと、詳細がわかってくると、簡単に賛成、反対と一言で言い切れない難しい面があること、そのためについメリット、デメリットにこだわりすぎ日本の現実直視を怠ったからです。私のTPPに対する考え方は以下の通りです。

1.日本の現実を直視すれば、賛成は当然。
現在のTPP騒ぎは多分にムード的です。日本人の悪いくせで難しい問題になると現実を直視して結論をだすのではなく、ムードで結論を出そうとするのだ。もし現在の日本が戦前時の日本だったら、日本はTPP参加には即座に拒否したでしょう。なにしろ日本の主導で大東亜共栄圏を計画していたからです。戦前時の日本は、自分の国を守る軍事力もあり、政治家も国民も国家意識が強く、自分の国は自分で守る意識が強く、どこからみても完全な独立国家であった。しかし現在の日本はどうですか。日本の軍事力(自衛隊)では、日本を守れないのです。その上政治家も国民も国家意識などないも同然。自分で自分の国を守ろうとする意志さえないのです。そのことが、現行憲法を改正できない最大の要因の一つです。北朝鮮が日本領土の上空を飛び越えるテポドンを飛ばしても、拉致事件でも日本は有効的な対抗策はなにもできません。韓国は竹島を自由自在にやりたい放題、ロシアも北方領土を自由自在にやりたい放題、尖閣諸島は日本に領有権があると云っても島に建築物一つ建てられず、日本国民は島に自由に上陸することさえできません。日本は、支那どころか北朝鮮や韓国に対しても恐くて何も手が出せない状態なのです。その上ここ数年日本の近隣諸国の軍事予算は上昇し続けているというのに日本の軍事予算は8年連続前年度を下まわり続けているのです。要するに日本は軍事的にアメリカの完全な保護国なのです。自立心を失った人が誰かに頼ることにすっかり慣れてしまったら、再び自立心を取り戻すには至難のわざです。国家も同じです。日本は自立心を失い、アメリカに頼ることにすっかり慣れてしまって半世紀以上です。日本国民が自立心を取り戻し、自分の国は自分で守ろうという真に独立した国になるまでにはあと何十年かかるのでしょうか。その間日本はアメリカの保護国として生きてゆかなければならないのです。この現実を直視してくださいと私は主張するのです。

そのアメリカの経済が完全に疲弊しまっているのだ。とうとう軍事予算まで大幅に削減しなければならなくなった。それを内心ほくそえんでいるのが支那です。アメリカが衰えれば衰えるほど、支那は日本近海で傍若無人な振舞いをしてくるでしょう。私に言わせれば支那は、「悪の帝国」、世界人類にとって脅威の国、特に隣国、日本にとって最大の脅威の国です。その支那が公然とアメリカの軍事力に対抗しているのだ。アメリカはその支那の対応に追われているような状態です。アメリカは、自国の経済を早く復活させねばならい状況に追い込まれているのです。アメリカ経済復活の起爆剤にしようとしているのがTTPなのです。そこで私は、TPPに絶対反対の保守強硬派に考えてもらいたいのです。アメリカ経済が疲弊すればするほど喜ぶのは支那です。アメリカが日本を軍事的に保護できなくなったら間違いなく日本は支那の保護国、あるいは支那の属国すなわち支那の「自治区」の一つになることは間違いないでしょう。現在空気のように当たり前のごとく享受している「自由、人権」など吹っ飛んでしまいます。そうなってもいいのですか。そうなるよりまだアメリカの保護国の方がましではないでしょうか。だからアメリカが経済的苦境に陥っている時、日本は多少なりともアメリカを助ける必要があるのではないでしょうか。だからここは日本政府がTPP参加を表明するくらい当然ではないでしょうか。保守強硬派は、ともすれば日本の過去の光栄に酔い、いさましいことを主張しますが、もう現在の日本は、もはや日露戦争や大東亜戦争を戦った頃の偉大な国ではないのです。国は、経済的貧困では滅びません。国民が自立心を失い、堕落した時に滅びるのです。現在の日本は、滅びる寸前、アメリカの保護国としてかろうじて独立を保っているような状態です。その日本が支那に軍事的に支配されたらアメリカの保護国のようにはいかないのはよく理解できるはずです。アメリカのTPP計画には支那は、入っていません。日本にとっては、余計に良いではないですか。ここはアメリカを助けるためにも、TPPに積極的参加してアメリカ主導のTPPから日米主導のTPPにすれば多くの参加国の加入が期待できます。そうなれば日米プラスアジア・太平洋諸国経済連携実現し、支那の脅威に対する有効的阻止力にも成りえるのです。だからと言って私は、アメリカ経済を助けるために全面的に譲歩せよなどとは絶対に主張するつもりはありません。参加することと項目別交渉は、別の話です。

2.TTP項目別交渉は、日米貿易摩擦交渉より容易。
日本は外交ベタで特に現政権の交渉力が弱いからTPPに参加しない方が良いという意見の人もいますが、それでは日本はどんな外交交渉も参加できなくなってしまいます。経済外交と言えば、思い出すのが1980年代から1990年代にかけての日米貿易摩擦による経済交渉です。この時の日米交渉より今度のTPP交渉の方がはるかにやりやすい。その理由は、二つあります。
(1)TPPは、多国間交渉である。
日米貿易摩擦による経済交渉は、日米二国間の交渉でした。二国間交渉では強者が弱者に勝つのが当たり前の感じです。しかも日米貿易摩擦当時、日本の経済発展がアメリカの脅威になっていたのだ。1989年の8月の「ビジネス・ウィーク」誌国際版によれば世論調査の結果として「米国に対する将来の脅威は、どちらが深刻か」との問いに、日本の経済的脅威は68%、ソ連の軍事的脅威は22%と報じているのです。また1993年に大統領になったクリントンは、退任後自伝を書いているが、その中で「当時の日本は経済的にアメリカを上回っていた」と書いています。だから当時のアメリカは総力をあげて日本経済をつぶしにかかってきた。だから日本は防戦一方だったわけです。それに比べればTPP交渉は、多国間交渉です。日本の意見と一致する国とは共同戦線を組むこともできます。日本のように外交ベタは、二国間より多国間交渉の方がやりやすいことも理解できます。

(2)日本政府には公言できない切り札がある。
これを説明するには、戦前の日米支関係と現在の日米支関係を比較する必要があります。戦前のアメリカは、支那が日本に占領されることを極端に恐れていた。アメリカは支那の市場を完全に失うし、日本が巨大な大国になってしまうからです。だから支那事変が始まると、アメリカは自国の中立法(交戦国や国内が内乱状態時では、軍事援助などはしない)を無視してまでも猛烈に軍事援助や経済援助を支那に提供した。そのアメリカの意図を蒋介石に見透かされた。日米開戦の翌月、蒋介石はアメリカ政府を脅迫したと言っていい。条件なしの5億ドルの借款をアメリカ政府に要求したのだ。5億ドルものお金を借りるのに、担保、利子、使い方、償還などに関する一切の条件なしで貸せと要求しているのです。ガウス支那駐在大使は、私利私欲のために使われる恐れがあると反対した。アメリカ政府もなんとかお金の使用方法についてだけでも監督権を得ようと交渉したが、蒋介石はガンとして承知しません。ついにアメリカ議会は無条件借款を承認、「これこそこの国の政府と国民が中国に抱いている、心からの尊敬と賛美」の証であるとルーズベルト大統領は蒋介石に伝えています。5億ドルもの大金を蒋介石にただでくれてやったのも同然です。恐らく蒋介石は、「支那が日本軍に降伏してもいいのか」と脅しをかけたに違いない。蒋介石は支那事変ではあれだけアメリカの支援を受けながら、日米開戦になったら相手の弱みにつけこみ5億ドルという大金ただ取りするのだ。日本人のメンタリティーではできないことです。

現在の日米支関係も見れば戦前と逆になっていることがわかります。現在は支那がアメリカの大変な脅威になっているのだ。日米軍事同盟は、締結以来アメリカにとって最重要軍事同盟になったのです。アメリカは、日本国内に親中派、媚中派が沢山いることを知っています。アメリカは日本に原爆を落としたことがトラウマになっています。日本は技術先進国です。その日本をアメリカは支那側につかせることなど絶対にできません。アメリカ経済が疲弊しているなか、日本政府は米軍駐留経費のおよそ75パーセントを負担しているのです。これは同盟国中最も高く、ドイツは20パーセントぐらいです。また日本にある米軍施設の価値は、米国以外では最高なのです。中でも横須賀はアメリカ母国の軍港以外では外国最大の軍港です。従って支那の脅威がある限り、アメリカの方で先に日米安保廃棄を言い出すことは絶対にありません。日本はTTP交渉では、最後まで徹底してねばれるのがおわかりでしょう。
例えば、日本国内の公共工事に外国企業を参加させろ、その場合公共工事の使用明細書は、英文で作れ、英文見積書も受け入れろなどと主張してくるかもしれません、そんなことは「文化侵略」だと主張し断固としてはねつけるのです。経済疲弊中のアメリカは手負いの獅子です。TPP交渉中になにを要求してくるか分からない不気味なところがありますが、日本には先にあげた公言できない切り札があるのです。ギブアンドテイクできるところはギブアンドテイクする。それがアメリカ経済をたすけることにもなる。しかし、ノーと言うべきところは徹底してノーと貫けるのです。あまりにもえげつない要求してくるようだったら、日本は支那側につくぞと脅してやってもいいくらいです。

3.TPPの荒波を、日本農業にさらせよ。
私が一時TPP反対を主張していた時でも、条件つきの反対で農業はTTPの荒波にさらすことに賛成でした。大体、貿易の自由化については日本の農業は他の産業にくらべて遅れています。米の輸入関税が778%という数字にはあきれはてて物が言えません。これほどの高関税で外国からの競争に守られている業界で働いているサラリーマンなど一人もいません。サラリーマンに言わせれば天国で働いているようなものではないですか。米の高関税は、徹底して競争にさらそうとせず、保護し続けた結果でしょう。しかし競争にさらされることによって業界が鍛えられ逆に強くなるケースも多いのではないでしょうか。一つ例をあげましょう。鹿児島県で和牛、黒毛牛を飼育する野崎さん。1991年4月に牛肉の輸入自由化が決定されて、野崎さんの牧場は一時絶望的な損害を受けた。その時、「自分の存在が徹底的に無視されたような気がした」と野崎さんは回顧しています。野崎さんは、外国産の牛に負けてたまるかとよりおいしい肉を生む新種の黒毛和牛、すなわち種牛の開発に乗り出し、日本全国の酪農地を訪問し試行錯誤の結果とうとう新種の黒毛和牛の種牛を開発したのだ。彼はその種牛に「のざき牛」を命名した。日本で初めて個人名をつけたブランド牛の誕生です。この「のざき牛」の開発と同時に、野崎さんは、おいしい肉を育てる野崎さん独自の肥料も開発しています。「のざき牛」は今では日本市場で極めて高値で取引されるブランド牛です。最近初めて海外に輸出された。香港の日本料理レストラン向けです。味の評判がすばらしいので将来が期待されているというのです。野崎牧場は、この「のざき牛」3500頭を育てる日本でトップクラス大規模農場です。ここの従業員は全員「牛」などと呼びすてにしません「牛さん」と「さん」付けで呼んでいます。その理由は、牛肉用の牛の人生すなわち「牛生」(ぎゅうせい)が短い、だから人が精一杯気遣うことで短い牛生を全うしてほしいとの想いと敬意から「牛さん」と「さん」付けで呼んでいるのです。どうですか、皆さん、野崎牧場では、3500頭の一頭一頭が手塩にかけて育てられている感じがするでしょう。

私は日本農業の真髄は、この「手塩にかけて育てる」ことにあると思っています。同じような言葉が支那語や韓国語にあるかどうかわかりません。英語の辞書で調べましたが、「手塩にかけて育てる」という言葉はありませんでした。和英辞典を引くとこう書いてあります。「bring up with tender loving care」。この表現では、「手塩にかけて育てる」の一部を言い当てているだけです。「手塩にかけて育てる」には、育てる人の魂や人生がこめられているような育て方の意味があるような気がしますが、皆さん、そう思いません?
もう10年以上前の話ですが、アメリカ産りんごが輸入解禁されて日本のりんご農家が青くなったことがありました。しかしアメリカ産りんごは全く売れなく、市場から姿を消した。考えてみれば、りんごのなる木からもぎとったりんごを売るのと農家が手塩にかけて育てたりんごでは味が全然違うのは当たり前の話です。アメリカ産チェリーの輸入自由化の時も山形県など産地は大反対したが、現在では山形県産のチェリーは「高級品化」し、生産高は輸入自由化前よりずっと増えている現状です。TPP反対論者は、日本の棚田が消滅するなどと言いますが、私はとんでもない消滅するどころか、棚田でできた米は「棚田米」というブランド米になるのではないかと考えています。大水田地帯を機械で植え、機械で刈るお米より棚田で手塩にかけて育てた米のほうがずっとおいしいと思います。また棚田の生産者も味の良さで勝負しようと、それこそいままで以上に「手塩にかけて育てる」でしょう。

とにかく日本の物作りの原点は、農業です。日本農業の真髄は、「手塩にかけて育てる」です。日本が重軽工業製品の品質の良さで世界を席巻してきたのは、「手塩にかけて育てる」から「手塩にかけて作る」精神で物作りに励んできたお陰なのです。だから私は、日本の農産物を海外市場で競争させれば、その品質の良さ、味の良さと安全性で世界市場を席巻できるはずなのです。食糧自給率を心配する人がいますが、輸出を増やせば増産され、それだけ自給率が上がるのです。この際、TTPという外圧を利用して、日本の農業改革を一気に進めるのです。勿論一時混乱しますから農業補償は、当分の間必要です。この時邪魔になり妨害するのが、「農協」という組合です。企業の組合を初め日本全国にある組合の活動には、共通事項があります。それは一旦獲得した権益は絶対に手放さず、改革には、理由をつけて大反対するということです。だからこそ外圧を利用して農協の権限を極端に小さくすることです。要するにTPPは、日本農業を改革するには絶好の機会なのです。


お知らせ:
読者の皆さん、この記事をもって今年最後の私のブログ記事とさせていただきます。今年も愛読していただき、またコメントも沢山いただきありがとうございました。今年の10月には「えんだんじのブログ」も満4年になりました。ここまで長く書けたのも皆様のおかげです。大変感謝しております。来年も引き続き月二回のペースで書き続けるつもりです。来年もぜひご愛読のほどお願いいたします。
それでは皆様来年も良いお年をお迎えください。

Comments (10)

西尾幹二全集(全22巻)発刊に思う。



私は成人して以来、50年間日本の知識人の言動を見てきました。戦後日本の知識人の印象と言えば、彼らは本当にバカ、アホ丸出しの救いがたい人たちの一言につきます。その理由はなにか?彼らは共産主義、ソ連に惚れ込みまさに悪女に憑かれたという表現がぴったりです。ソ連という悪女の醜さに自らの目と耳を覆い盲信、盲進したのだ。日ソ不可侵条約の突如の破棄、北方四島略奪、60万日本兵の強制収容と強制労働、そのために日本兵が5万から7万人の死者が出た。これらの現実は、まだ戦後日本人の記憶の中にある生々しい史実なのだ。ところが知識人は、この現実を見ようとしないのだ。そしてあの有名な安保騒動。ぞっとする彼らの徹底した親ソ反米。一方我々一般庶民は、ソ連の実態をすでに認識していて、日本はアメリカ占領軍に支配されたが、ソ連軍に支配されなかったのは不幸中の幸いで、心底ソ連軍に占領されなくて良かったというのが認識だったのだ。だからこそあれほどの安保騒動後に自民党政府は解散し、総選挙しても、自民党政府の圧勝に終わったのです。当時著名な知識人であった蝋山政道は、自著「日本の歴史26巻」(よみがえる日本 文芸春秋社)、の中で総選挙敗北の教訓を次ぎのように書いている。

「第一は、日米安保条約のごとき国際外交問題に対して、日本国民はいまだ平素じゅうぶんな知識や情報をあたえられていない。日常生活に関する地域または職域についての国内問題であるなら、一定の知識・経験によって実感的に判断する能力をもっているが、外交政策になると、その実感は一方的な不満や不安をかきたてる宣伝に動かされやすい」
「第二は、第一のそれとつながっている。日常生活と国際的地位という大きな距離とギャップを持っている政策問題について、一般の国民にそれを統一する理解を期待し、政策形成に寄与することを求めることはできない」
どうですか、蝋山政道のこの傲慢ぶり、完全に日本の一般国民をバカにし、自分たちの主張が正しいのだと言わんばかりですし、総選挙での革新派の大敗を国民の無知のせいにしているのだ。このように安保騒動後の総選挙大敗後も一般国民と知識人とのソ連に対する認識ギャップを意識することなく、自分たちの考えが正しいのだとソ連にのめりこんでいったのだ。そしてベトナム戦争で見せた日本の知識人の勝手な幻想、すなわち北ベトナムは天使、南ベトナムとアメリカは悪魔との幻想が北ベトナムによる共産党一党独裁国家の樹立という目的を見抜くことができなかった。どうして戦後日本の知識人は、こうまで愚かなのか。結局彼らは、現実を直視しようとせず、時勢、時流、権力に迎合することに夢中になるからです。すなわち彼らは、日本人のくせにソ連の権力に迎合したのです。

ここで日本通の一人の外国人が、日本の知識人をどう見ているのかとりあげてみました。その外国人の名は、オランダ人のジャーナリストでカレル・ヴァン・ウォルフレン。ウォルフレン氏は、日本経済絶頂期の1989年に「日本/権力構造の謎」(The Enigma Of Japanese Power)という本を出版した。この本は世界10ヶ国語に翻訳され、1200万部売れたという。私もその頃この本の翻訳本を読みましたが、いまでは何が書いてあったかほとんど忘れてしまっています。私は、このウォルフレン氏がきらいなのです。彼は日本語がペラペラ、その日本語で大東亜戦争日本悪玉論を主張するのです。私は日本語を話せない外国人が外国語で大東亜戦争日本悪玉論を語っているより、日本語堪能の外国人が大東亜戦争日本悪玉論を語っている方が怒りを強く感じるのです。「日本をもっと勉強しろ」といいたくなるのです。第一ウォルフレン氏がオランダ人であることが気にいらない。大東亜戦争の時オランダ軍など当時の日本軍にとってはハエや蚊のような存在だ。オランダはアメリカと同盟を組んでいたからこそ勝利国になれたにすぎない。終戦後は、勝利国面して日本批判を繰り返し、オランダの女王が来日した時、平然と日本を批判した。オランダが植民地、インドネシアに何をしてきたというのだ。オランダに日本を非難する資格など一切ない。こういうことをウォルフレン氏に直接言いたいくらいなのです。それではなぜ、ウォルフレン氏をとりあげたのか。彼が日本の知識人について名言を吐いているからです。

彼は自著「日本の知識人へ」(窓社)の冒頭のページでこう書いています。
「日本では、知識人がいちばん必要とされるときに、知識人らしく振舞う知識人がまことに少ないようである。これは痛ましいし、危険なことである。さらに、日本の国民一般にとって悲しむべき事柄である。なぜなら、知識人の機能の一つは、彼ら庶民の利益を守ることにあるからだ」
まさにこれは、名言ですよ。知識人らしい知識人がいないことは、日本国民にとって悲しむべきであり、危険なことであると言っているのは、まさにその通りです。私などそのことを、痛切に感じています。さらに彼は、こう書いています。
「日本では、権力から独立した知識人がいないどころか、むしろ、権力によっても認められてこそ知識人というか、そのことを望み喜ぶ知識人が昔からの主流でした」
全くその通りです。多くの知識人は、権力に認められることを望むのだ。そのために権力に認められようとあからさまな行動にでる。ここまで知識人としてのあるべき姿について私の意見とウォルフレン氏の意見を紹介してきました。この両者の意見を保守言論界の長老とも言われる西尾幹二氏にあてはめてみました。私は主張しました。日本の知識人は、あまりにも時勢、時流、権力に迎合過ぎる。その例外が西尾幹二氏なのです。西尾氏は、時勢、時流、権力に迎合しないどころか、あらゆる団体、業界などからの支援なども一切受けず、学閥、学会などとは無縁です。従って西尾氏の発言には損得勘定がない。要するに私に言わせれば、西尾氏は、崇高なまでに孤高をつらぬいて現在の学者として地位を築いてきたわけです。この崇高なまでの孤高は、知識人にとって非常に重要で、そのことが、ウォルフレン氏の指摘する知識人としての規格にあてはまるのです。西尾氏は、知識人が一番必要とされている時に、知識人らしく振舞える非常に数少ない知識人の一人なのです。知識人が必要な時に知識人らしく振舞えるとは、どういうことかと言うと、非常に難しい問題が生じ、私たち一般庶民が明快な回答に窮するとき、あの人ならどんな考えを持つのだろうかと、その人の意見に期待を寄せることができる人の意味です。西尾氏は、どう考えているのだろうかと私たち庶民が期待をよせることができる数少ない知識人ではないでしょうか。

ウォルフレン氏は「日本では、権力から独立した知識人がいない」という。確かにそのとおりだと思います。しかし例外もあります。西尾幹二氏です。権力から独立した、日本では非常に数の少ない、希少価値のある知識人です。これは何十年間にわたって崇高なまでに孤高をつらぬいてできる知識人の技とも言えるのではないでしょうか。
その西尾幹二氏の全集、全22巻のうち最初の5巻「光と断崖―最晩年のニーチェ」が国書刊行会から先月出版された。今どき全集が出せる文筆家や知識人はいない。西尾氏のすぐれた学問的業績が認められたためでもあり同時に50数年にわたる生き様も認められたのだと思い、素直に西尾先生にお祝いの言葉をささげます。また同時に全集出版は、私のような西尾ファンにとってもとても喜ばしいのです。出版社は慈善事業ではありません。全集を出したところで売れないと判断したら、誰が出版するものですか。全集を出しても売れると判断したからこそ出版するのです。ということは私のような西尾ファンが全国大勢いるということです。そのことは、現在のような情けない状態の日本でも健全保守、健全な愛国者が多いいということを改めて認識させてくれるので非常に嬉しいし、心強い思いをさせてくれるのです。

西尾先生、おめでとうございます。これからも日本国家のため、長く、長く健筆をふるってくださるよう切にお願い申し上げます。







Comments (7)

「宮崎の口蹄疫問題に関する記事(5月13日)の削除について」




今回の私のブログ記事「緊急拡散の御願い(宮崎の口蹄疫の実態)」に関して、一部の読者の方から内容に関して指摘がありました。ご指摘をしていただいた方々に感謝しておりますが、ご指摘の内容に関して事実かどうかは当方では確認するに至らず、また、本ブログの運営担当からの進言もありましたので記事全文を一旦削除することにいたしました。

しかしながら宮崎県の畜産農家の方のご苦労は現在も続いております。一日も早い状況の改善を願わずにいられません。

Comments (4)

和の文化

西暦604年、日本最初の憲法、憲法17条が制定されました。その第一条の冒頭の文句はあまりにも有名です。その冒頭にはこう記されている。「和をもって貴しとなし」となっています。
このあとにも文章は続くのですが、この冒頭の文句は、日本の「和」の文化を象徴するものとして超有名なので、あとの文章は知らなくても、この文句だけは覚えている人が圧倒的に多いいのではないでしょうか。
それでは第一条全体の文章は、どう書かれているのか、現代文に訳されているものを見てみましょう。
第一条
「お互いの心がやわらいで協力することが尊いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが基本的態度でなければならない。ところが人にはそれぞれ党派心があって、大局を見通しているものは少ない。だから、主君や父に従わず、あるいは近隣の人々と争いを起こすようになる。しかしながら、人々が上も下も和らぎ、睦まじく話し合いができるなら、事柄はおのずから道理にかない、なにごとも成し遂げられないことはない。」
第十七条は、この第一条とも関連しているので全文を見て見ましょう。
「重大な事柄は一人で決定してはならない。必ず多くの人々とともに論議すべきである。小さな事柄はたいしたことはないから、必ずしも多くの人々と相談する必要はない。ただ、重要な事柄を議論するに当たっては、あるいはもしくは過失がありやしないかという疑いがある。だから多くの人々とともに論じ、是非をわきまえていくならば、その言葉が道理にかなうようになるのである。」
現在の日本社会でも7世紀初めに制定された憲法17条の1条と17条の理念、すなわち話し合い至上主義がまだ生きていることがわかります。話し合い至上主義は、民主主義のことだから、この時代に日本は民主主義だったのだと早合点してはいけません。故山本七平氏は面白い例を紹介しています。
宿題を忘れた生徒は教壇の前で裸にならなければいけないというルールを全員一致でつくって、第一回の適用で女の子が裸にされた。これはいいことなのでしょうか、悪いことなのでしょうか。
悪いことに決まっているのですが、どこが悪いのでしょうか、ということで先生がたが話しあったのですが、先生がたはどこが悪いのかということがはっきり言うことができなかった。
話し合い至上主義は、話し合いで決めたことは、すべて正しいことになってしまうから、先生方はどこが悪いのか判らなくなってしまうのです。民主主義は、キリスト教をバックボーンにしてできあがっています。キリスト教によると人間は神様によって作られたことになっています。神様によって作られた人間なんだから基本的な人権はあるはずだと考えます。だからいくら全員一致で決めたことでも、基本的人権は侵してはならないというルールができてくるわけです。話し合い至上主義は、決して民主主義ではないということをわかっていただけるのではないでしょうか。
現在では外国でも、日本は「和」を大事にする国であるという認識は広まっていますが、その「和」を大事にすることが今からほぼ1400年前の日本最初の憲法、その第一条に記載されていることまで知っているのは極端に少ないでしょう。日本人は「和」の大切さを憲法の条文だけで終わらすことなく、数百年かけて日本人は、一人一人が「和」の大切さを無意識に感じ、また「和」を保つための行動が無意識のうちにとれるという世界でも貴重な「和」の文化を完成させたのです。
それでは日本人が和を保つために無意識のうちにとれるようになった行動とは、どんな行動をいうのでしょうか。自己主張を強くしないこと、対立を避けること、気配りをすること、すぐ謝ることなど色々考えられますが、そういうものをひっくるめて一言で言い表すならそれは、「自己犠牲」をはらうという行動だと思います。日本人は、集団の「和」を保つために一人ひとりが無意識のうちに「自己犠牲」を払っているのです。
自己犠牲と言っても武士の切腹のような大きな「自己犠牲」ではなく小さな「自己犠牲」です。日本人は集団の和を保つために一生のうちいくつもの小さな「自己犠牲」を無意識のうちに払っているのです。この無意識のうちにと言うのが文化の良さでもあり恐ろしさでもあるのです。
それではその小さな「自己犠牲」とは、無数にあると思うのですが、具体的に説明するために二つの例を挙げてみました。
一つの例は、日本人はすぐ謝ることです。自分が犯した罪に対して謝るのは当然としても、日常生活用語のようにすぐ「すいません」という言葉が出てきます。これは無意識のうちに相手に対して敵対関係にありませんよと、すこしでも相手の気持ちを楽にしてあげようとするためにはらう小さな「自己犠牲」と言えるのではないでしょうか。
二つ目は私の友人の話です。彼の家の隣に80歳を過ぎたおばあさんが一人住んでいます。彼女は猫が好きですが、自分の家では飼っていません。おばあさんのご主人が数年前に亡くなってしばらくしてから、彼女は自分の家に近づく野良猫にえさをやり始めたのです。それからは彼女の家のまわりに5,6匹の野良猫がたむろするようになったのです。そのため友人の家の庭は、猫の糞の被害を時々受けるようになったのです。
友人は、おばあさんに文句を言って、野良猫にエサをあげるのをやめさせたいのですが、彼女は一人住まいで寂しい思いをしているのだろうと同情を感じるし、また彼女のご主人が生存していたころから隣組同士の関係が良好なので、あえて文句を言ってお互い気まずい関係になるのもいやだしということで我慢しながら猫の糞をかたずけています。この程度の糞ならがまんできると友人は自分で決めているのです。この友人の行為は、対人関係のきまずさを避けるための自己犠牲と言っていいのではないでしょうか。ところが友人は自己犠牲などとおおげさに考えずほとんど無意識に行っているのです。このように日本人は、一人ひとりが色々な時に、色々な場所で対人関係では、気まずい思いをせず「和」を保てるように無意識に自己犠牲を払ってきたのではないでしょうか。
「和」を保つために無意識のうちに小さな「自己犠牲」を行うことが、日本社会独特の「居心地の良さ」を生んでいるのだと思います。国連や世界銀行などに勤める外国人は、定年退職すると多くの外国人はそのまま勤務地ないし勤務地が所在する国に住み続ける人が多いいと言われていますが、日本人の定年退職者の多くが日本に帰国するとも言われています。いくら外国に住み慣れてもやはり日本に帰りたくなるのは、和の文化によるこの「居心地の良さ」が原因だと思います。
日本が「自己犠牲」なら日本以外のほとんどの外国は「自己主張」です。この自己主張に対する日本人の考え方を語っている古い文献があります。それは、万葉集の歌集の中にあります。
「葦原(あしはら)の瑞穂(みずほ)の国は、神ながら 言挙げせぬ国 然れども 言挙げぞ我がする」
葦(あし)とはイネ科の植物で、瑞穂(みずほ)というのはみずみずしいイネの穂のことです。葦原の瑞穂の国と言うのは日本のことです。要するに稲作という言葉が同時に日本という国の意味になっているのです。数十年前、おコメの輸入自由化が日米間の貿易摩擦になりました。日本政府は、おコメの輸入自由化に必死に抵抗しました。その時ある政治家だか役人だかが「おコメは日本の文化だ」と言っていました。
たしかに万葉の時代から日本は「瑞穂の国」と言われていたことを考えれば、おコメは日本の文化と言えます。この歌の作者は、日本は神の国だから言挙げしない国だが自分はするぞと言っているのです。「言挙げ」とは、ことばに出していいたてること、すなわち自己主張のことです。
自分が自己主張するのをわざわざ歌に詠むくらいですから、万葉の時代から日本では自己主張が嫌われていた一つの証拠でしょう。
宗教の自己主張は、その宗教の教義、経典のことです。ところが日本の神道には、教義、経典などなにもありません。だから万葉集に、日本は神の国だから自己主張しない国などと詠まれた一つの理由でしょう。こじつけと言われればそれまでです。
キリスト教の教義、経典は、旧約聖書と新約聖書です。旧約聖書の創世記のところでゴッドはこう命令を下しています。
「子孫を増やし、大地を子孫で満たせ、そして大地を征服せよ。すべての魚、鳥そして大地に這うあらゆる動物を支配せよ」
どうですかゴッドのこの強烈な自己主張。現在はアメリカ・インディアン、アイヌ、アボリジニなど少数民族の権利、主張、文化などに光があてられています。かりに彼らの神だとか仏だとか彼らの信じる対象物が、キリスト教のゴッドのように強烈な自己主張を残していたら彼らは少数民族になりはてていただろうかと考えてしまいます。
万葉の時代から自己主張が嫌われていた日本では、どうしても自己主張したいときはどうしていたのでしょうか。その時は言いたいことを遠まわしにほのめかしたり、におわせたり、暗示したりしてきました。こういう自己主張の仕方を一千年以上経験してきた日本人は、相手の気持ちを「察する能力」がまるで五感の一部のようにたけて以心伝心となっていったのです。以心伝心は一夜の人間関係ではできません。ただ同一民族だから以心伝心ができると思ったら大間違いです。それなりの年数が必要だと思います。
アメリカ人は、非常に自己主張の強い民族です。そのためアメリカ人は、相手の気持ちを「察する能力」が日本人よりも劣るのです。自己主張の強さは我がままに通ずるものがあるからです。
サンフランシスコ州立大のディーン・バーランド教授は、アメリカに訪れていた作家の司馬遼太郎にこう語っています。
「相手の心を察する感覚は、日本人において強く、アメリカ人において弱いです。アメリカ人の場合、自己を表現するということを、母親や学校から徹底的に教えられます。まず第一に、自己を表現しなさい。第二は、自己が正しいと思っていることをやりなさい。そして自己表現はアーティキュレイト(明瞭)に、クリア(明晰)にやりなさい。また、相手に訴えるときはパーフェクト(完璧)にやりなさいということを教えつづけます。そのため、相手の心を察する感覚が弱くなっているのです。」
日本とはまるで逆ですね。日本人の親なら、自分の子供に「相手の気持ちを考えなさい」と小言を言うのは一度や二度でないでしょう。バーランド教授の話を聞いているとアメリカでは、子供に向かって「相手の気持ちを少しは考えろ」などと言うことは全くないみたいです。
相手の気持ちを「察する能力」にたける「和」の文化には大きな弱点があります。それは思い切った改革が必要なとき、なかなか改革ができないことです。改革は敵対関係が生まれ、不安が生じます。しかし敵対関係を避ける「和」の文化は、それが苦手です。
自己主張が強いと対立関係が生じやすいのでアメリカ人は、対立関係になれています。従って対立関係から生じる禍根はそれほど強くのこらないと思います。
日本人は対立関係に慣れていないから、ちょっとした対立でも禍根として強く残るものですから、改革が必要とわかっていても、なかなかできず、外圧に頼って改革するというなさけないはめになってしまいます。
話が横道にそれますが、現在、日本の財政再建が長年何度も何度も叫ばれていますが、いっこうに改善されず、悪くなるばかりです。私は予測しておきますが、財政再建は絶対に成功しません。必ず国家破産、あるいは国家の荒治療、例えば、預金一千万円持っている人からかってに500万にしてしまいます。何時ごろか。わかりません。現在20-30代の方々は、20-30年間は働き盛りです。ひょっとしてその間に日本の財政状態はどうにもならなくなるのではないでしょうか。結果として大増税も考えられます。ここでは経済の話が主役ではないのでこのへんでやめておきます。
戦後60年経た現在、日本社会では、自己主張は容認されたと言っていいでしょう。もっとも我がままを自己主張と勘違いされている部分も多いです。時と場合によっては、自己主張は歓迎されます。その反面相手の気持ちを「察する能力」が落ちてきてきたことは否定できません。そのため気の利かない、気配りのできない若者が増えていることも事実です。喜んでいいのか、悲しんでいいのか、私のような年寄りには複雑な気持ちです。
私が「喜んでいいのか」という意味は、外交交渉では「相手の気持ちを察する能力」とか「気配り」とか「気を利かす」などは、百害あって一利なしだと思うからです。

Comments (11)

若い人たちからの反応

今週のブログ、「教育が日本男子をダメにした」に関してミクシィーで若い人からの反応がありましたので転載しました。
tano
教育現場では「人間は平等ではない」という根本的な事実がなおざりにされていると思いますね。学校で平等だの公平だのと教え込まれたところで実社会に出ればそんな物は無いと痛感するばかり。そのギャップが日本人、特に男子を弱体化させていると思います。
「教育が日本男子をダメにした」とはその通りですね。
怒太
自称肉食系男子です(笑)
私も男尊女卑反対とか言う女は大嫌いです。
そう言う奴に限ってこれは男の仕事でしょ?みたいな事を平気で言うんですよね。
ジェンダーフリーもそうですけど、日教組は競争心もなくそうとしていると思います。
徒競走で横一列にゴールさせたりする所もあるそうです。
私は競争心が人の成長に一番大切だと考えているのでこれは大変な事だと思います。
私の人格形成には武道の影響が大きいので、一般の男子よりかは精神的にも肉体的にも強いと自負しております!
でも、えんだんじさんの恋愛授業是が非でも受けたいです!!!!笑
たろー
美しが丘中がそんな事になっているとは。。。(´_`o)ハァ・・・
どんどん、周りから侵食されているのですね。。。
MIE
私は祖母や周りの環境のお陰で、「日教組」というものにあまり影響を受けずに育ちました。祖母の口癖は、「女は結婚したら旦那さんを立てるのが当たり前。」、「働いてくれる人がいるから家計が成り立つことに感謝しなさい。」、等々。また、祖父は弟が台所に立つのを禁じていました。理由は、「台所は女の職場」だからでしたね。私は女の子なので、小さな頃から皿洗いや家事を見て覚えたりしていました。
小さな頃の私の写真は、全てワンピースやレース物。祖母の影響でしょう、本当に女の子らしく育てたかったのでしょうね。一方弟は相撲をしていた頃の写真だらけ。
しかし今や祖母の期待は外れてしまったかも知れません。血の気と気の強さは男子に負けず劣らずですから…。でもお嫁に行ったら祖母の言い付けは役に立つことだと我ながら思っています。
それに、全国学力テストは行うべきであると私は思います。自分の立ち位置を自覚せずしては人間は堕落すると思うからです。
以下は子どもさんがおられる父母からのコメントです。
りんごあめ
幸い、私の周りでは、「男の子なんだから」「女の子なんだから」
という言葉をよく使います。
が、公立小学校時代は、途中で名簿が男女混合に変わったのを覚えています。
見辛くてとんでもない改悪でした。
最近は”女男”がもてはやされたり、あまりに不快でテレビ画面を消すこともたびたび。
個人的に病気なのは仕方がありませんが、その病気をもてはやす神経が分かりません。
ローマ末期と同様、国亡に繋がってしまう恐れもあります。
息子の学校は男所帯で、しかも、男くさい行事目白押し
売りは、占領終了後、真っ先に武道を復活させたことですので
なんとか日本男子です(笑)
それでも、昔ほどでないは、とも聞きます・・・
えんだんじさんのブログつづけてくださぁ~~~い!!!
とてもお勉強になります。
ランキングも上がっていますし、さらに、多くの人たちが読んでくれたら~と心から思います。
KUNI-KUN
私の父親は、九州男児。
幼少のころより「男らしさ」を美徳とする教育をされました。
その結果、5歳のかわいい盛りに近所の人達に「KUNI-KUN」かわいいねといわれた際、「かわいくないワイ!男らしいんじゃ!」と毒づく子供になってしまいました。(笑)
それだけですが・・・
男と女は別物です。
子供の小学校の教育が気になります・・・
国旗掲揚しないとか・・・
ジェンダーフリー教育とか直面するといやだなぁ~と思います・・・
親として、勉強することは多いですね・・・

Comments (2)

教育が日本男子をダメにした。

「人類」という漢字や言葉がいつから使われたのか私は知りません。私の考えでは,男と女を一緒にして「人類」という言葉をつくったのは大間違いだったと考えています。正しくは、「男類」、「女類」に分けて使うべきだったのではないでしょうか。その理由は、男と女とは全く異質な動物だからです。だから男女お互い100パーセント理解しあうことはできません。男が人類なら女は人類ではありません。また女が人類なら男は人類ではありません。そのくらい男女間に違いがあるのだ。もし大の大人が、いやそれは違う、男女は、体の機能が違うだけで、あとは全く同じなのだと主張する男女がいたら、その男は女のことについてあまりよく知らない野暮な男であり、女は男のことをあまりよく知らない野暮な女なのだ。こんなことを主張する男女が異性からもてるようならもう此の世も終わりです。
最初から「男類」、「女類」という字と言葉を使っていたら、現在の日教組の教育方針の基本中の基本、「男女同質」などという考えは生まれなかったでしょう。なまじ「人類」などといって男女一緒こたにしてしまったから「男女同質」という思想が生まれたのかもしれません。「男女同質」とは、男と女は体の機能が違うだけで、あとはすべて同じだ、だから男女間にあらゆる差別、区別はなくすべきだという考えです。よくジェンダーフリーという言葉を使っていますが、この「男女同質」のことです。
戦後このかた男女同権、男女平等が特に強調され、実践されつづけられ、今ではすっかり常識になり、ことさら意識する事ないあたりまえのこととなりました。それはそれで非常に結構なことでなにも反対するものではありません。しかしその反面、男女異質がことさら無視され続け、そのため「男は、男らしく」、「女は、女らしく」育てるという伝統的育て方は、男女差別を生むとして徹底的にきらわれた。今では、特にフェミニストや左翼の連中は、男女異質を無視するどころか強引に男女区別そのものを取り払おうとしてやっきになっている感さえします。その現象が一番強く現れているのが日教組の支配する学校や各市の男女共同参画室です。
学校での男女混合名簿は、もう当たり前になっています。新築の校舎は、男女のトイレは同じ、更衣室も同じ、父兄から文句が出て更衣室の真ん中にカーテンをかけて男女を区別しているような学校も出るしまつです。修学旅行では宿屋に泊まれば、男女同室で寝る。小学校の運動会では、男女を騎馬戦で戦わせる等等。すべての公立学校がこのようだとはいえませんが、こういう傾向になっているようです。
一昨年の3月私は公立の中学校の卒業式では、国旗や君が代がどう扱われているかを調査しに横浜市青葉区の美しが丘中学校に行きました。学校でトイレが使いたくなったので、トイレを探しましたが見つかりません。学生に「トイレはどこ」と聞くと「すぐそこです」と言うから入っていくと女性のトイレでした。びっくりして隣の男子用のトイレで用をたしました。トイレを出てからトイレの入り口を見ると、男女識別のマークが全然ありません。よく観察すると以前は、木に「男」、「女」と書いた木札みたいのがはりつけてあったのでしょう。その男女を識別する木札が無理矢理はがした跡が残っていました。学校のトイレの男女識別札をわざわざ剥がすことが、教育となんの関係があるのでしょうか。日教組のバカさかげんもここまで進んだということでしょうか。
愛知県大府市では、市庁舎のトイレは、「男は青でヒト形、女は赤のスカートでヒト形」で区別していたが、「区別は差別につながる恐れがある」として2000年以降は市庁舎など五箇所のトイレを同一マークに変えた。ところがトイレの利用に迷うケースが続出、結局元のマークに戻すことに決めたというのです。男女のトイレ区別が、男女差別につながるというのなら、女性に全員立小便させたらどうだというのです。
数年まえ私は、相模原市で講演をした。相模原市の男女共同参画室は、駅前ビルの確か5階か6階を全部借り切っています。その階のトイレは、男女区別なし、その他の階は通常どおり男女区別ありという状態でした。今でもそのまま変わらないのかどうかわかりません。このように現在では男女の区別さえ取り除こうとしているだけではありません。発想の区別さえ厳しく問われるのだ。発想の区別とは、例えば、高校生が母の日のプレゼントとしてエプロンを贈った。この母の日にエプロン、すなわち母イコール台所という発想そのものが、男女の区別化だと主張するのだ。
後で振れることになりますが、「男が妻子のために頑張る」このような言葉や発想自体が、男女差別、男女区別を助長する言葉だと非難されるのです。このような時代だから男女異質など全く顧みられることはないのだ。中、高校生の女性のカバンには色々と可愛げな物がついています。一方男性のカバンにはなにもついていません。このように日常生活で子供の時から男女異質性を種々表しているにもかかわらず、その異質性を無視し、男らしさ、女らしさという性差は,後天的に造られたものとしているのだ。
この男女同質、いまはやりの言葉で言えば、「ジェンダーフリー」の思想は、欧米からきたものです。ところが欧米でもこの「ジェンダーフリー」が行き過ぎ、とうとうカソリック教会のローマ法王のベネディクト16世は、去年の末バチカンで聖職者向けに行った年末の演説で、ジェンダーフリーは男性と女性との区別をあいまいにし、人間の「自己破壊」に繋がるものとして非難しているのだ。至極当然のことです。教育界から「男の子は、男らしく」、「女の子は女らしく」という発想を失くし、男女同質で育てられた最大の犠牲者は、男の子です。私に言わせれば、今の若い男は、まるで去勢されたような弱い男に育て上げられたのではないでしょうか。いくつかの好例を紹介しましょう。
1.男が人前で平気で涙を流す。
私のブログ「男の涙」(9月13日)参照
2.妻子を残して平気で自殺していく男が実に多い。
妻子のためにがんばるというような男の気概など全くなくなってしまったと言えるのではないでしょうか。要するに前に触れましたが「男は妻子のために頑張る」とか「男の気概」とか言う言葉そのものが性差別、性区別につながるから使われることがないのだ。先生をしていた経験者から聞きましたが、教室で「お前男だろう」、「男のくせに」、「男らしく」などという言葉をついうっかり使用すると、生徒から「差別用語だ」と「訴えるぞ」などという言葉が返ってくるというのです。男たるものこうでなくてはならぬという枠をはめる言葉が全く使われなくなったため強い男が育ちにくくなっていることは確かでしょう。そういう男がいずれ政治家になっていくのだ。外交交渉はどうなるのでしょうか。
父親が自殺した遺児が、経済的に援助されたりしていますが、私は自殺した父親への同情の言葉を遺児に伝えることは絶対に間違っていると思います。遺児に同情しても妻子を残して自殺する父など最低中の最低の男だとはっきり指摘してやることが必要です。
3.家庭内暴力の増加。
これも男が弱くなっている典型的な例です。男というものは、精神的に幼稚で弱い、情けない男ほど暴力にものをいわせたがるからです。
4.若いセックスレス夫婦の増加。
「草食系男性」という言葉がはやって久しい。私は最初ベジタリアンの男かと思ったくらいです。誠実で優しいが、恋愛には消極的な男性を指す言葉だという。女性との交際が苦手で、晩婚化に拍車をかけているという指摘もあります。厚生労働省の「第四回男女の生活と意識に関する調査」(平成20年9月)のデーター分析の結果、1ヶ月以上性交渉していない夫婦は36.5パーセントです。少子化問題も性交回数の少なさも原因として考えられるとも言われています。若い夫婦が一月以上も性交渉がないのが36.5パーセントなどというのはセックレス夫婦同然と言っていいでしょう。幼児から全く男であるとか女であるとか意識させられることもなく育てられるとこうなってしまうのでしょうか。精神科医でもわからないのではないでしょうか。
「草食系男性」は、女性との交際が苦手だと言われています。好きな女性がいてもくどけないのだ。こんな男は最低中最低だ。私がたまにやる講演は、年配者が多いが、若い男ばかり集めて、「女の口説き方」という演題で講演したいくらいだ。
その他にも日本の男に意気地がなくなった話はよくききます。最近私は、横田徹氏の講演を聴いた。彼は34歳、戦場カメラマンです。日本では難民キャンプの映像を取るカメラマンまで戦場カメラマンを呼んでしまっていますが、実際に銃や機関銃をドンパチと撃ち合っている本物の戦場でカメラ撮影している戦場カメラマンは、日本では現在、横田氏だけです。横田氏によると日本の若者は勇気がないと語っていました。戦場カメラマンは、危険だしその割には収入に報われることがない。だから若い男になり手がないことは理解できると彼は言っています。それにしても日本の若者は勇気がなさすぎる、そこいくと欧米人の若者は実に勇気があると感心していました。欧米人戦場カメラマンが続々と誕生してくると横田氏は言うのだ。
そう言えば、世界の紛争地での現場レポートなどは、CNNなど海外テレビのレポーターからの報告ばかりだ。私の若い頃は、日本兵の勇敢さは、外人からさえも聞かされたし、また世界が認める勇敢さだった。それが現在の日本の若者の姿はどうだ、大相撲では日本人横綱が出なくなって久しいし、また日本人横綱が生まれる気配すらない。
人類が地球上に誕生した時、すでに男女の異質性は、存在していたのです。農業がまだ始まっていなかった何万年も前、男は狩に出かけ、女は家も守りました。狩する道具が幼稚のころは、狩は非常に危険な仕事であったでしょう。そのため男は負傷したり死んだりしたでしょう。また部族同士の戦争もあったでしょう。そのため男の犠牲死により、女は悲惨な辛い目にあう。農業が発展し人間の文明が栄えて狩をする機会が減っても、戦争する規模が少しずつ拡大していきました。男の戦争犠牲者の増加です。同時にそれがまた女が悲惨な辛い目に会う機会の増加です。
この繰り返しの何千年だか何万年、そのために男の攻撃性が強化され、また女の忍耐性が強化されたことは誰も否定できないでしょう。男の攻撃性、女の忍耐性が男女異質の根本的な違いです。この根本的違いから色々と派生して男女異質の遺伝子が組み込まれていったと解釈できます。
三、四年前大ヒットした映画、「タイタニック」。私は若い皆さんに問いたい。あの映画の男女の恋人に逆の演技、すなわち男の演技を女に、女の演技を男にさせたら同じように大ヒットしたでしょうか。まずヒットしないどころか、そんな映画を作る監督もいないでしょう。女が男を一所懸命助けることは、実生活でもいくらでもあります。しかしあの映画の場合は、愛する男が、愛する女を助けてなりたつ映画なのです。すなわち男女異質を忠実に反映した映画です。
若い男女があの映画を見て感動したということは、男女異質を徹底して無視されて育てられた若い男女にもまだ男女異質の遺伝子があるということなのです。「男は、男らしく」、「女は、女らしく」育てるという男女異質を認識したこれまでの育て方を徹底して無視して育てられた男女がいまや20代から30代初め頃の年齢に達しています。私はこの年代の人たちに聞きたいのです。若い皆さんは、私のこのブログにたいしてどのような感想を抱くのでしょうか。

Comments (3)

« Previous entries 次ページへ » 次ページへ »