Archive for 短編小説

小説「戦後昭和の女性たち」への読後コメント



読者からメイル、手紙、葉書などで今のところ以下の読後コメントがありました。
送り手の名前は一切あげず順不同で、時候やあいさつ文を省略し、本の内容に関するものだけを抜粋してお知らせいたします。

コメント1。
 「戦後昭和の女性たち」を楽しく拝読させていただきました。 世代が違うので、感心することばかりでしたが、登場する女性には、それぞれ女性としての奥ゆかしさがあり、大和撫子とはこういうことなのかなと思いました。
最後のマリリンモンローのお話は、発想が愉快でした。
そんなにご著書があるとは存じておりませんでしたが、お知り合いの皆様に、ご自身でご購入いただくのも良いのですが、ご自分の地元の図書館で購入のリクエストしていただくのも良いと思います。
仲間内だけではなく、色んな方々と共有したいお話でした。

コメント2。
いつもながら、鈴木さんの体験物語は、泣かせますね。素晴らしい小説と思いますが、これをどうしたら世に出せるのか、考えてしまいます。やっぱり、どこか、小説に強い出版社の敏腕編集者にこれを見せ、もしその男が本当に優秀だったら、これをなんとしてもベストセラーにしよう、という話にするしかないでしょうね。何かそういうつてはないものか、それなりに考えます。
しかし、極楽の話は傑作ですね。やりたくってしょうがなかった、マリリンモンローとやることができる、そんな手があったとは!

コメント3。
硬軟いずれもいい作品ですね。(大東亜戦争云々vs.昭和の女・・)
一気に読んでしまい、そこから浮かび上がってくることは
1.背が高くて、粋で、おしゃれで、髭がある主人公ばかりですが、
  これは、ご本人の客観化ですね。
2.女性の好みは、美人であることは本音だが、10人並みでも
  愛嬌があり、客あしらいがよく、気立てがいい女が多いですが、
  これも作者ご本人の内心の反映でしょう。
3.みんな面白かったですが、「愛人関係契約書」はどこかで昔読んだような錯覚するような印象のデジャブ作品です。
4.私は三島由紀夫研究会員ですが、不熱心でもあり、三島の著作は、正直良さがよくわかりません。(三島関係者お許し下さい)
  「花ざかりの森」等何度読んでも何がいいのかよくわかりません。
  しいて言えば「金閣寺」は、何となく忘れられない印象強い作品です。
  豊饒の海は、死ぬまでにきちんと読まなければと思う次第のレベルです。
  でも、彼が盾の会のための資金集めのために女性週刊詩に書いた
  安部譲二を書いた「複雑な彼」はエンターテインメントして大変面白い作品でした。今回の本は、それを思い出させてくれました。
今、たくさん本を読む事情があり、だから暫く関係ない本は読まないつもりだったのに結局2,3日前に一挙に読んでしまいました。
罪な人ですね。スーちゃん! (なんか、女の恨み節みたいです)

コメント 4
どの話も面白く、ぐいぐいストーリーに引き込まれました。鈴木さんは大変なストーリー・テラーですね。鈴木さんの豊富なご体験を随所に絡ませて、楽しませてもらいました。これはかなり売れるのではないかと予感します。
敢えて難点をいえば、会話の中に不断使わない文語的な言葉が出てくることが気になりました。また、「天国での女性体験」は非現実的であり最後に夢だったと分りますが、他の作品が創作とはいえ現実感があって興味を引かれたのに較べやや違和感がありました。また、天国でも日本や米国などそれぞれに国が分れていることも天国のイメージを損ないました。
ただ、鈴木さんが今でも子供をはらませる元気のあることはよく分りました。

マリリンモンローは私もファンでした。事故死か自殺かの検死をしたのは日系の医師でしたね。その死体の写真が写真週刊誌に流れて、掲載されていました。
私はこれを見てしまい、生前の顔とは相当に違っていたことにショックを受けました。
鈴木さんには、彼女の生前の可愛いままの顔がイメージに残っていて羨ましく思います。いずれにしましても、鈴木さんの文才の豊かさに改めて感服しました。

コメント5
さて、拝読した感想ですが、やっぱり先生個人を存知上げているせいか、どこが実話でどこがフィクションなのか?が気になってしまいますね。八編ともどれも昭和の匂いが漂う作品ですが、どれが一番好きかと聞かれたら「愛人関係契約書」と答えると思います。昭和のメロディーが頭に流れる感じで、よませて頂きましたがどの作品も読んでいて、情景が浮かんでくるんですね、先生の小説は、西尾先生が文章が上手いとおっしゃられた通りと思いました。今は昭和ブームなので、テレビ局がドラマ化してくれないかしらとかふと思ってしまいました。

コメント6
本礼状を認める前に最初の作品「綾子の無念さ」のみ拝読しました。一口で言って感嘆しました。これまで貴殿が上梓された長大重厚な作品群を読み慣れた不肖としては、貴殿のご計画をブログ上で見た時、正直申しまして「なに、短編?それも女性を取り上げて? 大丈夫かな、、、」という懸念を持ちました。しかし冒頭の一篇を読み終えただけで、不肖の懸念は完全に杞憂であったことが判りました。
いな、貴殿の筆の冴えは、むしろ短編においてこそ本領を発揮するのではないか、とさえ思えてきたほどです。
「綾子の無念さ」には、一昔前に必ずいた、そして現在でも或はいるかもしれない、客商売に生きる女たちの哀感と孤独、そして反面の明るさと逞しさがテンポよく描写され、一息で讀み通してしまいます。その中に家族や兄弟の愛憎も程よく挿入され、思わずホロリとさせられます。とりわけ、「俺」に手紙を書いてくれと頼んできた弟の、姉に対する深い思いやりには泣かされました。そして行間にさりげなく滲み出る「俺」の、男としての生き方の恰好よさにも大いに惹きつけられました。急いで読み終わるのはもったいないほどの作品です。これから一遍ずつ、ゆっくりと楽しみに読ませて戴きます。そして全体を読み終わりましたら、機会を見つけてあちこちに書評を書くなどして、微力ですがこの本の普及にも努めたいと存じます。

コメント7。
拝読最中ですございますが、苦労の中にも明るくしなやかに昭和を生きた女性群像、いままでのご著書とは趣が異なり、鈴木様の文体の幅広さに感服しております。つくる会の会報「史」に宣伝記事を載せてもらうことができましたらと存じます。

コメント8
正直申し上げまして、私はこういうジャンルの本はあまり好きではありません。ただ読み始めると、筋書が面白いのであっという間に読み終わりました。皆せつないお話ですね。でもそれぞれ救いがあったように思います。これは鈴木さんの人生に対する前向きな姿勢が反映しているのではないかと感じました。家内も面白かったと言って文章力に感心していました。南京虐殺に続いて従軍慰安婦の嘘が世界に広まり、さらに徴用工まで広めようとしています。これは日本人の恥じとなると同時に、嘘を歴史に残したシナ人、朝鮮人の恥じになり、更に人類の恥じともなります。「大東亜戦争はアメリカが悪い」が世界に広まれば、正しい歴史が人類に残ると思います。

コメント

あるホステスの生きざま



私は、自分のブグに時々短編小説を書いています。皆さんが、今ご覧になっている私のブログの左側のコラムをご覧ください。一番上が「ページ」になっています。その下が「カテゴリー」になっています。そのカテゴリーの詳細を見ますと、下から二番目に「短編小説」があります。その短編小説をクリックしていただくと、これまでの短編小説、三編が出てきます。第一話「女のため息」(2010年6月)、若い女性営業マンの話、第二話「二人の芸者」(2010年9月)、若い芸者と老芸者の話、第三話「ある踊り子の思い出」(2011年2月、日劇ミュージックホールの著名なトップダンサーの話、計三話を読むことができます。今回の第四話「あるホステスの生きざま」は、第三話の「ある踊り子の思い出」以来二年半ぶりの作品です。なぜこんなに時間がかかったかというと、私の大作、「大東亜戦争は。アメリカが悪い」の英文版出版が近づいたこと、新作「保守知識人を断罪す」を執筆したこと、この二つのために短編小説どころではなくなったことです。今回この両作品の執筆が完全になくなり、前からあった構想を短編小説化してみました。私が何故短編小説を書くか、それは初回の短編小説の時にも書きましたが、私は、いずれ長編小説を書くつもりなのです。そのため長編小説書くための訓練と言っていいかもしれません。これまでは、なんとなく長編小説を書くためというあいまいな目的でしたが、今度は長編小説を書く確固とした目的ができました。この度、英文版、(The USA is responsible for The Pacific War)を300部出版した。これでは、海外の図書館にばらまくには、極端に少なすぎる。しかし資金的にやむを得なかった。そこで小説を書き、当てるつもりのです。テレビドラマ化、映画化されたりして稼いだお金で世界中の図書館に英文版をばら撒くのです。これが男、えんだんじの今後の夢なのです。それでは、えんだんじの短編小説、第四話、「あるホステスの生きざま」をお読みください。

JR新橋駅から土橋に向かって歩き、土橋の左わきの道に入ると銀座コリドー街という商店街がある。帝国ホテルに直結する道路になっているのでこぎれいな、洒落たお店が多かった。その商店街の地下に「まゆ」というクラブがあった。そのクラブでホステスとして働いていた綾子(あやこ)、通称綾(あや)ちゃんと知りあった。知り合ったと言っても彼女に会うのはいつも彼女のお店の中だけだった。綾ちゃんは、ホステスと言ってもヘルプ専門のホステスだった。あの頃ホステスとは、今でもそうだと思いますが、自分をひいきにしてくれるお客を何人も持っているのが本物のホステスで、自分をひいきにしてくれるお客などは誰もいず、その本物のホステスの手伝い専門のホステスをヘルプと呼んでいた。例えば、Aホステスをひいきにするお客に連れがいたり、そのつれが三、四人もいるとAホステスだけがお相手するのは失礼だし、そこへ綾ちゃんなどのヘルプがAホステスと一緒になってお客のお相手をするわけだ。クラブによっては、ヘルプ専門に女子大生のアルバイトを当てる場合もけっこうあった。

綾ちゃんはホステスと言っても、誰もホステスを職業にしている女性とは思わないでしょう。あかぬけないし、はっきり言って彼女の容姿は、いわゆるブスだ。どの程度のブスかというと、まぁ、男に口説かれる心配があまりない女性と言ってよいでしょう。ところがその綾ちゃんはお客からも同じ店で働くホステスからも人気があったのだ。お客に人気があるのは、彼女の座持ちの良さなのだ。彼女の座持ちの良さは天性のものでしょう。とにかく話術がたくみでおもしろおかしく客を楽しませてくれるのだ。もちろんエッチな事も平然という。しかしそれが下品にならず上品さを保っているのだ。ホステスに人気がある事情はこうなのだ。Aホステスを贔屓にするお客二人がほとんど同じ時間にお店に現れた場合など、Aホステスが二人を同じ席にすわらせてお相手するわけにはいきません。どうしても一人ずつ少し時間をずらしてお相手しなければなりません。そんな時、ホステスはヘルプに綾ちゃんを頼むのが最適なのだ。なにしろ綾ちゃんは座持ちがうまい、お客を喜ばしてくれる、その上綾ちゃんはぶすだからお客が自分より綾ちゃんを気に入ってしまうことがないから安心しまかせられるからだ。そんな綾ちゃんを俺は意識してひいきにした。なぜか?綾ちゃんの勉強ぶりを知ったからだ。

綾ちゃんは、確かに座持ちがうまい。しかし彼女は、お客との会話がはずむように色々な事を勉強しているのだ。例えば、政治、経済、スポーツなど、お客(男)のどんな会話にもついていけるように広く浅く勉強していることがわかるのだ。或る時綾ちゃんにその勉強振りを誉めてあげた時、彼女はこう言ったのだ。
「あたしはね、才能はないし、手に職もない、そのうえこの容姿でしょう、このお店で貰えるような高給をどこも払ってくれないしね。だからあたしいつも必死なのよ」。俺はこのセリフが気に入った。俺は貧乏生まれではないが、戦後直後の7歳の時から極貧に陥った。それ以来人知れず苦労した。それが染み付いているから不利な環境ながら必死をに努力する人間にはなんとなくひいきにしてあげたいという気持ちにかられるのだ。お店では、俺は綾ちゃんご指名のお客として通るようになり、俺がお店に入るとすぐ綾ちゃんが呼ばれて俺の席にくるようになったし、たまたまヘルプで他の客を相手にしていてもおりをみて俺の席に必ずくるようになり綾ちゃんとは店の中だけど懇意になっていった。そんなある日、二人だけの会話で話がはずんでいた時、綾ちゃんが、「健さん、あたし、健さんの手相見てあげる」、
「綾ちゃんは、手相の勉強もしているのか?」、「お客さんとの会話に役立つと思って前から勉強中なのよ」、「それじゃ見てもらおうか、しかし見る前の誘導尋問のようなものはやめてくれ、手相をいきなり見てズバッと言ってくれよな」、「いいわよ、ズバッと言ってやるわよ、手相見せて」。

綾ちゃんは、俺の手相をしげしげと見ながら言った。「健さんは、人の好き嫌いがはげしいわねぇ」。まさに、ズバリ、その通りだった。俺はあまり社交好きではない。人の好き嫌いがはげしいから社交好きでないのか、社交好きでないから人の好き嫌いがはげしいのかわからない。しかし7歳の時から極貧状態になったということが、社交性が育たなかったと俺は思っている。中卒まで横須賀の街に住んでいたが、貧乏人ばかりだった。高校は鎌倉にある県立高校に入学したが、生徒は鎌倉や藤沢の住民ばかり、いわゆる湘南地域の住民ばかり、俺は場違いの高校にはいったのだ。ほとんど誰とも親しくつきあったことがなかった。県立高校受験失敗したら就職するつもりでいたが、幸い合格した。県立高校に入学したものの、家計は苦しかった。母の苦労ぶりを知っている俺は、お金がかかる授業以外の科目、例えば、修学旅行、クラブ活動、キャンプ、その他全部欠席した。友達とつきあえば、なにかとお金はかかるからつきあわない。高校三年間、俺はまったく陰の薄い高校生だった。高校三年の時の修学旅行は一週間の北海道旅行だった。無論俺は不参加。学校に行かずにすむかと思ったら、修学旅行は勉強だ、だから一週間学校に行き、教室で一人で自習だ。もっと屈辱なことがあった。修学旅行に参加した同級生が、参加できない俺のためにお土産を買ってきて教室で先生に手渡され、皆にお礼の一言を言えと言われたことだった。俺はお礼を言ったがあんな屈辱的なことはなかった。受験校だったため、たった俺一人の就職先など先生の眼中になかった。こんな話を綾ちゃんに語り、「俺の人の好き嫌いのはげしさは、その通りで見事に当たっている。俺が特に吐き気が出るほど嫌う人間は、ゴマすり人間だ」、すると綾ちゃんは、あっさりと「ゴマすりは才能よ、健さんにはゴマすりの才能がないのよ」と言ったではないか。この綾ちゃんの言葉は、俺の頭に一生のこった。一本気な俺は、ゴマすりする奴は、いやな性格の人間ときめつけていた。だから俺はきらったのだ。それが綾ちゃんによるとそれは才能だと言うのだ。そして俺にはその才能がないのだと言うのだ。そうかゴマすりは、才能かもしれないと俺は考え出したのだ。秀吉は信長に徹底して媚びたと言われている。俺にはゴマすりの才能がないと考えた方がいいかもしれない。事実ゴマすろうと決心してもできそうもない。この綾ちゃんの「ゴマすりは才能だ」という言葉、その後のおれの人生に良い影響を与えたことは間違いない。俺はゴマすり上手ともなんの偏見もなく自然とつきあえるようになり、人とのつきあえる幅が大幅にひろがったのだ。

その時、あやちゃんは、こんなことも言ったのだ。「健さんはおしゃれね。私と違って容姿もいい。あまり人の選り好みをせず、人の集まるところ、人の集まるところへ顔を出した方がいいみたい」、どうしてだと俺が聞くと、「その方が健さんの今後の人生にとっていいみたいな気がするの。私の感ね。女の感よ」、「そうか、それじゃ、その綾ちゃんの言葉、よく覚えておくよ」。俺はこの時、初めて綾ちゃんは、一体いくつなのだろうかと、綾ちゃんの年齢に考えがおよんだ。おれはこの時35,6歳だった。「ゴマすりは才能よ。健さんにその才能がないのよ」などそう簡単に言える言葉ではない。どうみても俺と同じか、ひょっとして俺より少し、若いかもしれない。綾ちゃんには悪いが、ブスだけどその分頭がいいのかもしれないと思ったりした。

それから一ヶ月か二ヶ月後、三ヶ月はたっていなかったと思う。俺が綾ちゃんの店に顔を出したとき、綾ちゃんは、すでにお店を辞めていた。驚いた俺は、彼女と親しくしていたホステスに聞いた。
「あたしも詳しく知らないのよ。ある日突然綾ちゃんは、店にこなくなったのよ。知っていたのはママだけ、ママによるとこのお店にくるお客さんに見込まれて結婚するんだって。そのお客さん、奥さんとすでに離婚していて綾ちゃんを見込んだらしいの。このお店のお客さんと結婚するので辞めるというと、誰、誰、と詮索されたりしてうるさいでしょう。だからママだけに辞める理由を言って同僚には内緒にしていたんだって。だけどね、私、ママの言葉素直にうけと受け取れないのよ。だってお客さんで綾ちゃんに会うために繁々とこのお店に通ってくる人いた?たまに来る人は、いたわよ。それは健さんでしょ。その他にいないのよ。私は、確かに同僚たちの中では綾ちゃんとは親しく接していたわ、それも店の中だけなの。私は綾ちゃんに何度も私の家に遊びにくるよう誘ったのよ、だけど一度もこなかったわ。それだけじゃないの。綾ちゃんは、自分の家族のことや自分のプライベートのことなど絶対にしゃべらないのよ。ママには自分の弟が医学部の学生で学費を払ってあげていると話したそうよ。ママが綾ちゃんのプライベートのこと知っているのは、これだけ。彼女、健さんに自分のプライベートのこと何かしゃべった?」
「俺にもなにもしゃべらないね。俺は自分のプライベートことは綾ちゃんにしゃべったけど、そういえば綾ちゃんは、何もしゃべらなかったな」、「そうでしょ。悪く言えばね、綾ちゃんは、どこか得体の知れない子なのよ、良く言えば神秘的な子なのよ」
この夜を最後にして俺は綾ちゃんの勤めていたお店には完全に行かなくなってしまった。

後年綾ちゃんが、俺を仰天させるほど驚かすことになるとは夢想さえしなかった。俺は50歳代に入っていた。綾ちゃんと会わなくなってもう20年近くたって、綾ちゃんのことなどすっかり忘れていた。その頃俺は奇病に取りつかれていた。夜間頻尿だ。回数多いので尿量が少ないのでは思うかもしれないが、それなり尿量があるのだ。ひどい時には、夜間に10回近く尿意を感じて起きる時があった。その分夜間の睡眠時間少ないから昼間は眠たくてぼーっとしているのではと思うかもしれないが、全くそんなことはなく、いたって健康なのだ。何回もトイレに行くだけ。水分が出るから喉がかわくかと思えば渇くこともない。とにかく昼間は、健康そのものなのだ。自分ではストレスが原因かもしれないとも考えていた。私は一匹オオカミ的な生き方をしていた。こういう生き方は結構ストレスがかかるものなのだ。ストレスで夜間頻尿になるのかどうかわからないし、いずれにしてもどこかで精密検査をしてもらわなければと思っていた。

そんな頃、取引先のHさんから誘いがかかり赤坂のナイトクラブ、「レインボー」に行った。初めて行く店だった。すぐにママに紹介されたがものすごい別嬪、日本人的美人ではなくて西洋的な美人で話も上手、座持ちも上手、まさにもてるママとは彼女のことだろう。
その夜は,取引先のHさん、ママと他のホステスなどと話しこんでいる最中、私は夜中の蒲団に入っているわけでもないのに、やたら小便がしたくて座をはずした。私の排尿障害を知っているHさんは、「健さん、大丈夫かよ?」と声をかけてくれたが、私は「大丈夫だよ、ただトイレにゆきたいだけ」、事実トイレに行きたくなるだけで後は、なんでもなかったのだった。確かに回数は、異常だった。

その夜から一、二週間ぐらいたってから、東大病院の泌尿器科助教授の田中先生から電話があった。クラブ「レインボー」のママからの紹介と言っていた。さらにこのことは、先日いっしょに「レインボー」にいったHさんには内緒にしてくれとのことだった。「田中先生とレイボーのママとの関係は」と聞くとここでは話せないのでお会いした時でもといい、「私でよければ、泌尿器の方、診てあげますが」と言うので、どこかの病院で診てもらわなければと思っていたので「それではお願いします」と頼み込んだ。平日の最後の患者になるように11時ごろ受け付けてくれと言われ、日取りを決めて田中先生に診てもらうことになった。田中先生は、私の話しをよく聞いてくれ、懇切丁寧に診てくれた。いくつかの検査もした。一番いやな検査は、ペニスの先端から極細いプラスティックのチューブを差込み、両手の拳を強く握らせると同時にイーチと声を出させる、それと同時にチューブを奥にさしこみ、また両手を握らせると同時にイーチと声をださせその瞬間にチューブをペニスに奥に進ませ、それが済むとそのチューブの中に胃のレントゲンの時と同じバリュームを少しずつ流しこみ尿道のレントゲンを取る時が一番疲れて大変だったことです。その後は、バリュームは小便とともに流れますが、どうしても尿道の中に流れ込んだ空気がのこります。その空気がちょうどお尻でおならをするように流出するのです。それがお尻でなくペニスの先端からおならするように空気が出るのです。いたくもかゆくもありませんが、おならするというように意識できるのです。或時、ペニスからおならが出ると感じた時、急いでトイレに入り、体をできるだけ曲げ、指でペニスを持ち上げ、耳に近づけて、音を聞こうとしたが、自分の体が硬すぎるのか、ペニスが短すぎるのか、あるいはその両方のせいか、ペニスを耳元に近づけることができず、実際に音がでるのかどうかチェックすることができませんでした。こうしてすべての検査を終えて異常なしとわかるまでに二、三ヶ月かかったと思います。

結局、先生の診断は、「泌尿器としての病は、何もありません。なぜ激しい夜間頻尿がでるのか、正直なところ私にも、おうわかりません。排尿というのは、多分に神経的に作用されますから、あなたは、多分なにかストレス、あるいはストレスみたいなものを感じとっているのかもしれません。先生は、デパスという飲み薬を処方してくれた。これは精神安定剤でも、非常に軽いもので飲みすぎる心配がないから、頻尿の時、寝る前に一錠飲んで見てくださいと言われ飲んでみた、これが非常に良く効いた。現在でもたまに使っています。

二、三ヶ月間田中先生に診察してもらっている時に、先生と私との二人だけの会話で、先生と「レインボー」のママとの関係を聞くと、「自分の姉です」という言葉には、びっくりした。先生は先生で、「僕が大学のインターン時代から現在の助教授まで、ママから直接に診てあげてくれと頼まれたのは健さんが初めてなので、姉の彼氏か姉のそれこそ大事なお客さんだと思っていた」というのです。恐らくHさんが、ママに俺が夜間頻尿で悩んでいるから誰か医者を知らないかとか、聞いたのだろう。それにしてもママが弟の医者を俺に紹介したことをHさんに言わないでくれとは、どういうことなのだろうか、それに「レインボー」の常連客が俺を招待して初めて「レインボー」に連れてきたのに、そこのママが自分の弟の医者を初めてのお客を紹介するだろうか、などなど田中先生に思わず聞いてしまったけど、田中先生は、「僕にもわかりません、ママに直接聞いてください」などと、当然の答えが返ってきた。

しばらくぶりにHさんと一緒に「レインボー」に行った。Hさんに「レインボー」のママとは付き合いが長いの?」と聞くと、「二年ちょっとぐらい。僕はお客さんの紹介でここに来て、ママが気にいり、以来「レインボー」一筋ですという話しであった。ママは二人の顔を見ると、「あらぁ!健さん、お久しぶり、お元気そう」と顔面から笑みがこぼれそうな顔をして二人を迎えいれた。客席でしばらくおしゃべりした後、俺はママをダンスフロアにさそって二人きりになった。「ママ、検査の結果、おかげさまでなんでもなかったよ。ありがとう。」「私も弟からなんでもなかったと聞いてうれしかったわ。なんでもなくて本当によったわ。」
「それにしても、ママにあんなすばらしいお医者さんの弟がいるなんて、うらやましいかぎりだ、それにしてもちょっと聞きたいのだけど、どうして初めて接した俺のようなお客を弟さんに紹介したの。田中先生は、自分はママから紹介された初めてのお客だと言っていたよ。 
「健さん、驚いちゃダメヨ、大声出さないで、とにかく驚かないでね。昔、あたし、健さんに弟が大学の医学部にいると言ったでしょ。忘れちゃったの。」俺はぎょっとしてママの顔をまじまじと見つめた。「銀座コリドー街のクラブよ」とママは言った。「それじゃクラブ「マユ」のホステスだったの?」「そうよ」。俺は大声をあげそうになったし、ママは自分の指で私の唇を押さえてシーと言った。俺はさらにまじまじとママの顔を見、首から下に目をやった。俺は、瞬間に悟ったのだ。綾ちゃんは、整形手術し、豊胸手術を受けてママになったのだ。「私は、いつか、どこかで必ず健さんと出会えると確信していたわ」とママは言っていた。その夜は、レインボーの帰りから自分の家にたどりつくまでママのことばかり考えていた。俺は想像した。綾ちゃんは、計画どおりに、突然夜の世界から姿を消し、整形手術と豊胸手術を受け、夜の世界に復帰したのだ。ホステスどうしの付き合いがなかったのもその手術のためなのだ。もともと器量よしでなくても、座持ちのうまさは先天的、それに男客の話しあいができるように政治、経済、スポーツなどを勉強、手相まで勉強していたのだ。その彼女が突如として美人なれば、夜の町の経営者にとって最高級の人材だ。現に彼女は、赤坂の高級ナイトクラブのママになっているのだ。雇われママではなく、ひょっとしてオーナーママかもしれないのだ。それに金持ちの男の誘いもあるだろう。それを適当に利用しているのも確かだろう。銀座コリドー街のクラブのホステスの綾ちゃんは、親近感だけだったが、いまでは成功して高級ナイトクラブのママ、それに弟は東大医学部の医者、俺には遠いい存在だ。しかしもともと好き嫌いで綾ちゃんに近づいたわけではないので心理的に影響はなかった。しかしママは、俺ともっと親しく交際したい意向だったのだ。

その後もHさんに連れられて何回かレインボーに行った。Hさんが言うには、ママは、健さんに絶対気があるねと言うのだ。私は、健さんとばかりレインボーにくるわけではない。他のお客さんともくる。しかし健さんと一緒に来ると、ママは私たち二人の席を離れて、他のお客さんの席に移ったことがない。ママは普通こんなことはしない。各客席の顔見知りの客のところに挨拶にいって、しばらくその客とおしゃべりをし、各テーブルをまわるのだ。しかし俺と一緒の時は、ずっと二人の傍を離れないというのだ。俺もそれは意識した。Hさんに内緒にしていたけど、ママは私に向かってこうも言ったのだ。
「健さん、今度は一人で来てみない。」「俺は、Hさんのようなスポンサーがいないと独りでこういう高級なナイトクラブにわ来れないよ。」するとママは、小声で「私はオーナーママだから、一人ぐらいの勘定ならどうにでもなるのよ、そんなこと気になさらず、来てくださいな」だからと言って俺は、ママと私的に親しい仲になろうとは考えもしなかった。

それから一、二年たっていたかどうか、ある日、長い海外出張から帰って、緊急伝言ノートを見ると、帰国したらすぐに東大医学部、田中和男先生に至急電話するようにとの伝言
が書いてあった。早速田中先生に電話すると、「健さんの海外からの帰国、一日千秋の思いで待っていました。申し訳ありませんが、明日でも夕食一緒にしていただけませんか。至急相談したいことがあるのです。僕からのさそいなので時間と場所を決めていただけませんか。どこでも伺います。お金はぜんぶ僕持ちでお願いします。急ぎの話ってなんですかと聞くと、会ったうえで詳細に話しますということだった。それでは明日夕方6時、地下鉄赤坂見附のベルビーの6階の鉄板屋の個室で会うことにした。多分「レインボー」のママのことだろうと思い、「レインボー」の常連Hさんに電話した。「いつ帰国したの?」、「昨日帰ったばかりだ」、「レインボー」のママが代わったの知っている?」と聞くから知らないと言うと「なにか病気をしているみたいだ」とそれ以上のことは、Hさんも知らないらしいことがわかった。

翌日の夕方、先生に会うと先生は、やせたのがはっきりわかった。「先生、お久しぶりです。今日はなんの話しでしょうか。」先生は、「姉が病気になった。もうそんなに長くはないでしょう。」「病気はなんですか」、「エイズです」。エイズと言ってから、二人は瞬間的にだまりこんでしまった。エイズは、現在では新薬も開発され、即死の病ではなくなった。しかし当時は死の病だったのだ。俺は、顔の整形手術をし、豊胸手術もしてあれば、数人の彼氏がついて当然だと思った。そこではっきり「誰が感染者だかわからないのでは?」と聞いた。「その通りです。手術してからの姉は、ある面、男を軽蔑していましたからね。手術していない時には、全く相手にされなかったものが、急になにやかやと近づいてきましたからね。男は皆色きちがいかとバカにしていました。沢山のお金をかせごうと、無理してこうなった姉が可哀そうで、可哀そうでならないのです。このまま死んだら、何ひとつよい思い出もなく死んでいくのです。ぜひ健さんに姉あてに手紙を書いてもらいたいのです。そのお礼は十分いたしますのでぜひ書いてもらいたいのです。どんな手紙を書いてもらいたいか説明するのに、参考になると思うので姉と僕の半生をかいつまんでお話ししましょうと言って、二人の半生を語りだした。

和男(田中先生の名前)が物心ついた時、すでに北海道は釧路市の福祉施設、まりも学園で暮らしていた。姉の話しだと彼女が四歳で和男が一歳の時母親と一緒にこの施設に来た。その時母親は、お父さんが大阪にいるから迎えに大阪に行き、お父さんを連れてここにくくるからそれまで数日待っていてと言って二人をここに置いていった。何日、何ヶ月、何年も姉は待った。が母親は迎かえにこなかった。姉はなまじ母親の顔をうろ覚えで覚えているし、なにをしにこの施設にきたかを知っているため母親を恨んだ。弟は小さすぎて母親の顔さえおぼえていないし、全くなにも知らずにこの施設で自分の庇護者の姉といっしょに暮らしていたので、姉には思いつめているところがあったのに対し、和男は、多少のんびりしたところがあった。姉弟にとって幸いだったことは、里親が見つかったことです。二人は小杉の両親と呼んでいた。小杉夫妻は、釧路市にあるスーパーの一か所を借りて魚屋さんを営んでいた。小杉夫妻は生活があまり裕福ではなかったので、すぐに二人を自宅にひきとらなかった。施設に預けられている園児は、高卒後18歳になると施設を出て自活しなければならなくなります。その時に姉弟をあずかり自宅に住ませて姉を自宅の店を手伝わせ、弟は高校に行かせ、卒後は一流大学に行かせるつもりだった。二人を引き取ったのも二人への愛情だけではなかったと思う。姉は客商売向きだから自分の店を手伝わせる、弟は先天的に勉強好きで非常に優秀で天才などとよばれていた。中学、高校でも一番だった。超一流大学に行かせて将来をたくすことも可能だった。

計画どおり姉弟は、姉が高校を卒業すると二人は、小杉家にやってきて一緒に暮らした。姉は魚屋というお店の手伝いには最高だった。両親が喜んだ。弟の学業成績もずばぬけていた。姉は内緒で弟にこう言った。「和男は、東大の医学部に入って医者になりなさい。医者になれば金持ちんなれるわ。お前が東京に行く時は、私も東京へ出る。私は私で絶対に金持ちになるから。いいね、二人は金持ちの田中家をつくるのよ。」二人には小杉家の魚屋など継ぐつもりなど毛頭なかった。和男が東大医学部に合格し、姉も弟と一緒に東京に行くと言いだしたことで、小杉家の両親と姉との間でけんかになった。両親は東京での姉の分の生活費などだせないというし、姉はもともと自分の費用など両親にお願いするつもりなどなかった。姉は和男が三年間勉強している間魚屋の仕事を一生懸命仕事し、魚屋が休みの日には、パートなどでどこかの仕事していた。要するに姉は三年間、仕事を休んだことがない。きれいな洋服もかったことがない。遊んだことなど一日もないのだ。すべて貯金していたのだ。この働きぶりを知っている両親は、姉を説得してもダメだと思い。好きなようにしろ。しかしお金は姉のために一銭も払わなかった。こうして姉弟はそろって和男の入学時に東京へやってきたのだった。

東京にきた頃、和男は姉の言葉を今でも覚えている。「お父さんからもらうお金では不自由でアルバイトをしなければならないでしょう。しかしアルバイトする時には、私に言いなさい。アルバイトのため勉強ができないのは困る。私がお金の工面をします。いくら東大医学部を出たって成績がよくないのはダメです。私たち二人には、頼れる大きな存在はないのよ。全て自分の力だけなの。和男は成績だけは優秀にしておかなければいけないの。アルバイトする時間があったら勉強しなさい。お金は私がかせぐから。こうして田中先生は、お金の面では父と姉にまかせきりにして勉強にはげみにはげんだ。

仲のよい姉弟も、ある事件をきっかけとして別々に住むようになった。またその頃、二人、特に和男のほうに経済的に余裕ができたせいもあった。和男はインターンをしていた。いくらインターンが安いと言っても、自分が働いてお金を得ているのです。そのインターンもそろそろ終りになって一人前の医者になるころだった。そのとき和男は、婚約をした。東京都の医師会の会長の娘だった。この婚約は、釧路の両親を喜ばせたし、姉も非常に喜んだ。姉は、「いよいよ、子供も生まれて、田中家の再興ね」、「いゃ、姉さんだって子供を生めば、再興でしょう」、「お金持ちの男には、私を口説く人なんていないわよ、貧乏人の男に抱かれて子供を生むのは絶対いやだわ。私は、絶対お金持ちになるの、私みたいに捨てられた可哀そうな女の子の里親になるのよ。親子二代、別々に暮らしても同じような環境で育ったから一緒に暮らしたら、まさに実の親子関係以上になるわよ。」

ところがこの婚約が破棄されてしまった。婚約者の父親、東京医師会の会長が、姉弟の身元を調べさせたのだ。最初のうち許嫁は、和男と結婚すると頑張ったが結局両親にさんざん説得されたゆえ、許嫁はあきらめた。その辺の事情については、和男の彼女は和夫に手紙にも書いたし、涙をぼろぼろ出しながら口頭でもはっきり断った。和男さんを受け入れることができない自分の心のせまさを恥じていた。和男はしょうがないと思った。ところが姉はこの結婚破棄に激怒した。それも異常な激怒だった。姉は、許嫁の説明を聞いておとなしく結婚中止を受け入れる和男の気持ちが理解できなかった。結婚破棄の原因を作りだしたのは、お父さんなのだから、お父さんをしぼりあげて、ごっそり慰謝料をまきあげなきゃと言うのだ。和男ができなければやくざを頼んであげるとまでいうのだ。「姉さん、俺は医者としてこれからやっていくには、彼女のお父さんは私の先輩だし、東京医師会の会長だ。今後面倒みてもらうこともある」とここまで言うと、「あなたは、苦労してないからわからないのよ。自分の娘の夫になりそこなった医者など、どうして面倒みるというの、ばかなこと言わないでよ。」和男は、「あなたは、苦労してないからわからないのよ」という言葉に非常にむかついた。俺だって苦労してきたのだ。姉と同じだ。ただ姉弟の指揮をとっていたのは、姉だ。俺はいつも姉のいうことに従ってきた。もういい。今度は俺一人で生きるのだなど考え、姉と大きく喧嘩した。こんな大ゲンカは初めてであった。こうして二人は、別のアパートを借り別々にすむようになった。勿論姉弟だから仲直りし、互いの部屋に行き来することはあったが、二度といっしょには住むことはなかった。俺が銀座コリドー街のクラブで綾ちゃんに会っていたのは、ちょうどその頃だった。ここまで田中先生は話終えると、俺が彼女に手紙を書く件に触れた。

姉の死はもうまじかだと思うが、姉を見ていると可哀想で、可哀想で、もう見ていられません。私が医者になれたのも姉のおかげ、それに対して私は姉に対して何もしてやれなかった。この間など姉は、私の首に抱き付き、「和男、私このまま死ぬのいや、本当に死ぬのいやなの、和男は医者でしょう。私の体を治してよ、おねがいだから治してよ」と言って私にむしゃぶりついて泣くのです。もうたまらないです。なぜ姉を不幸のどん底におとしいれなければいけないのか。本当に腹がたってきます。小杉の母は、もう歳で東京にくることはできません。姉は私だけに看取られ、誰からも見舞いもこず、手紙一通くることもなく死んでいくのです。これじゃあまりにも可哀想。貧乏人がお金を作るには、孤独な生活に耐えなければだめなのはよくわかっています。ましてや姉は顔の整形、豊胸手術を受けた。付き合いはごく限られ、死の病になっても誰も見舞いにこない。無理もないことは十分わかっている。それでも可哀想で、可哀想でみていられない。何でもいい、なにかいい思いを、なにかほのぼのとしたものを感じさせて死なせたい。そこで思いついたのが健さんに手紙を書いてもらって姉に見せようと思っているのです。

入院したころは。姉とは、またずいぶん話すことができました。別々に住んでいた頃は、姉弟の会話も限られていたが、姉が不治の病に倒れてから病室での姉弟の会話が弾んだのです。その頃、この間泌尿器の診察を診てあげた健さん、あに人は誰かと聞いたのです。コリドー街のクラブで知り合った人で私の好きな人と言うではないですか。好きな人だけじゃいろいろな意味があるからわからないと言ったのです。彼女の説明は、こうだった。
「私はブスだから、私をひいきにしてくれるお客は、いません。ましてや夕食にさそって、そのかえり一緒に店に入ってくれる、同伴出勤もない。ところが健さんは、同伴出勤はしてくれないが、店にくると、『綾チャンを呼んで』と私を必ず指名してくれるのよ、私はヘルプ専門よ、それが健さんみたいな男が指名してくれるのよ。彼は背が高いし、ハンサムだし、ものすごくおしゃれでしょう。誰が見ても女性のもてるとわかるタイプの男でしょう。それにね、健さんは、クラブ「まゆ」の(招き猫)と呼ばれていたのよ。健さんがお店にくる時間けっこう早いのね、だからお客が少なくてすいているのよ、しかし健さんが来ていると必ず忙しくなるのよ。不思議ねぇ。その健さん、私と同伴出勤してくれたことないけど、来店すれば、私を指名してくれるのよ。私の指名理由が、「綾チャンは、ホステスの見本、芸者にも芸者はこうあるべきだという見本があるように、ホステスにもこうあるべきだという見本がある。それが綾ちゃんだというのよ。その点については、ママもそう言ってくれたわ。その時私は、指名されることはないけど、このお店で役立っているなと誇りをもてたっけ、健さんに言われた時も、うれしかったわ。」

ここまで話すと田中先生は、健さんを診察してくれと私に初めて紹介してくれたのが姉です。健さんに手紙を書いてもらうほかないと私は考えたのです。健さん、お願いだから手紙をかいてください。姉の気休めになればいいのです。極端に言えば、嘘を書いてもらってもいいのです。姉は、死の床に伏しているのです。長い手紙はよめません。短い、短文の手紙でいいのです。なんとかお願いします。田中先生は、涙を流しながら頼み込むではないですか。綾ちゃんの死を直前にして無下にことわることもできず。それでは書いてみましょう。その前に電話で私の文章をよみあげます。それでよければすぐに書いて書留速達でおくります。一瞬綾ちゃんを愛していたなどと書こうかと思ったが、死ぬ間際の人に嘘を書くのも気が引ける、それより友情の手紙の方が良いのではと思い、本当の事を書こうと、急いで書いた手紙は、次のようなものだった。

「田中先生から綾ちゃんが重病に伏しているからと聞いて残念でたまりません。どうしても綾ちゃんにお礼がいいたくてこの手紙を書きました。クラブ「まゆ」の時代、綾ちゃんは、俺の手相を見てくれた。綾ちゃんは、「健さんは人の好き嫌いがはげしいわね。」と言った。まさにそうなのだ。俺は、人の好き嫌いがはげしい。俺のきらいな人間は、媚びる人間だ。その時綾ちゃんは、「媚びる」のは才能です。健さんには、その才能がないのよと言った。その言葉ずっと印象にのこってずっと忘れないできているのです。もう一つ忘れない綾ちゃんの言葉があります。手相を見ての言葉ではありません。私の人間性を見てのことでしょう。綾ちゃんは、「女の感」ですと言った。「人のえり好みをせず健さんは、人が集まるところ、人が集まるところに顔を出した方がいい。」と言ったのです。
綾ちゃんは、この二つのことを俺に教えてくれたこと覚えていないでしょう。しかし俺はずっと覚えていてできるだけ実行してきたのです。そのためにずいぶん多くの人とつきあえるようになって、自分の宝になっています。綾ちゃん、ありがとう、本当にありがとう。
綾ちゃんは、もうすぐ天国にゆかれるでしょう。俺も時がくればそうなります。もし二人が地上で出会うようなことがあったら、今度は二人でデイトしよう。いまから約束しておきます。綾ちゃん、さようなら。また会う日まで。」

田中先生に電話してこの手紙をよみあげた。これでいいと言って手紙をとりに私の会社の近くまでやってきた。二、三日後、先生から電話があった時、明るい声で「健さん、手紙大成功だったよ。姉の意識がもうろうとして手紙など読めなくなるのではとそればかり心配していたけど、姉は手紙読んでそれを理解していた。本当によかった。返事を書こうとして筆さえ手ににぎったのだ。満足に字はかけなかったけど。実際にその手紙をみてもらうのが一番だけど、届にゆく時間がないので申し訳ないので速達で送るということだった。

送られた手紙を見ると、確かに「けんさん ありがとう ありがとう あたし デ」と読める字が書かれている。確かに俺の手紙を読んだことは間違いない。しかし、もう握力がなくなっているから字が踊っているのだ。しかし最後のカタカナの「デ」は、簡単なので「デ」のように読めるぐらいです。私が「デイトしよう」と書いたので、それに応えようとしたのでしょう。しかし力つきて何もかけなかったのだと思うと、俺も悲しかった。それに涙を流しながら書いたのでしょう。水分で濡れた紙がかわいたような状態の部分が多かった。それから数日後だったかに彼女の死の連絡があり、葬式は東京ではしないということだった。それから三か月ぐらい経ったころ、私は赤坂ベルビーの鉄板焼きで田中先生と再会した。先生は痩せてしまい、ほほがこけていた。たった一人の肉親を失ったのだから無理もない。再会するなり先生は、「姉は夕方亡くなったのだが午前中姉は一時的に錯乱状態になったらしい」と言うのだ。死を待つばかりになっている綾ちゃんが口をもぐもぐ動かし、自分で起き上がろうとするのだ。あわてた先生がそばによって、綾ちゃんのくちびるのそばに耳をおくと、「健さんとこに行くの」、「健さんとこに行くの」と言って起き上がろうとするのだ。先生は、「健さんもうじきここにくるよ」と言ったとたん、理解したのか、理解していなかったのかわからないが、綾ちゃんの口もとはぴたっと止まり、体もピクとも動かず、夕方に死んでいったそうだ。姉の死に顔がすばらしかった。姉が生前こんな穏やかな顔を見せたことがない。整形手術した顔でもその穏やかさがわかるのだ。いつもがんばらなくちゃ、がんばらなくちゃ、と気負った顔をしていたのだろう。こんなにも穏やかな死に顔を見せたのも、健さんが書いてくれた手紙のお蔭ですと先生は涙でぐちゃぐちゃになった顔で私の手をにぎりしめるのだ。俺ももらい泣きのように涙をながし、「いえ、いえ、そんなことはありません」と言うのがせいいっぱいだった。綾ちゃんの死後、彼女の私的なこと、利殖や彼氏の関係などでまだ整理に時間がかかるらしい。それを整理したら、先生は東大病院を辞めて釧路の病院で仕事をするつもりらしい。道東では、釧路が医療センターで病院が多いのだそうだ。そしていずれは過疎地で小さな病院を経営したいとも言っていた。現在母が釧路の老人ホームに入居しているので、これからはできるだけ顔をみせたいと言うのだ。俺が先生に忠告したことは、女に興味がなく、きらいでもなかったら必ず結婚するよううながした。彼には結婚が最大の妙薬だからだ。
最後に、私に手紙を書かせるなどいろいろお世話になったと言って、丁寧に包装した小さな箱を差し出した。開けてみてくれというから開けたら、エメラルドがついた高価そうなネクタイピンだった。これは姉がくれたものだと思ってくれというのだ。姉だったらなにを選ぶか、デパートの店員たちとも相談して決めたそうだ。俺はありがたくいただいた。この日以来、先生とは年賀状だけの付き合いになった。だいぶ前、年賀状で離婚歴のある女性と結婚したと夫婦と娘の三人姿が映っていた。弟の和男は、幸せに暮らしているので綾ちゃんも安心していることだろう。エメラルドのついた洒落たネクタイピン、おしゃれな俺は、つけたいのだが、そのネクタイピンを見るとどうも悲しくなるのだ。そのせいでしょう、まだ一度も身につけたことがないままになっている。


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短編小説(3) 「ある踊り子の思い出」



俺が42,3歳の頃だったと思う。取引先のAさんが、ある日、赤坂ではトップクラスのクラブ、「ナイト&デイ」に接待してくれた。当時接待なれしていた俺でも初めてゆくクラブだった。クラブと言ってもナイトクラブではないのでしょっちゅうショーをやっているわけではないが、接待されたその日にはショーがあった。Aさんが「今日のショーは誰?」と聞くとママが「島さおりよ」と言ったので、俺はびっくりして素っ頓狂な声をだした、「あの日劇ミュージックホールの島さおりかよ?」、「そうよ」という返事なのでまたびっくりした。俺が若い頃、現在の有楽町マリオンの場所に「日劇」があった。1980年代以前の芸人は、一度でいいから「日劇」の舞台に立ちたいという芸能人あこがれの殿堂でもあった。そこの5階に日劇ミュージックホールがあった。日本にもフランス、パリなみの女性も楽しむことができる上品なエロティズムなショウを見せようという計画で1952年にオープンした。単なるストリップショウとは一線を画していた。現在では、トップレスダンサーのショウなど当たり前だが、当時としては画期的であった。

俺が初めて日劇ミュージックホールのショウを見たのは20代後半だったと思う。客席数は、200程度ぐらいあるいはもっとだったかもしれない。フロアーは分厚い真紅のじゅうたん、すばらしい照明設備、気品とムードあふれる劇場で客層も上品だった。よく白人がカップルで見学に来ていた。ダンサーたちも映画女優並に皆魅力的でダンスは超一流。現在の宝塚のスターが全員トップレスで踊るショーを想像すればよい。各ダンサーたちのブロマイドも会場で売っていた。その時に俺が見たのが、当時人気トップスターの一人だった島さおりだ。俺は彼女の舞台を見て圧倒された。完全に魅せられてしまったのだ。彼女のすばらしい肢体。気品のある顔。彼女のバストはたいしたことはない。普通の女性よりはいいのでしょうけど、バストが自慢の他のダンサーに比べればちょっと見劣りする。彼女のすばらしさは、細いウエストに大きなすばらしい形をしたヒップそれを支える二本の足がまたすごい脚線美だ。この日本人離れした体形でラテンリズムに合わせて踊るダイナミックなダンスのすばらしさに俺は圧倒された。俺はこういうショウが大好きな男なのだとわかったのもこの時期だ。後年ちょくちょく海外主張するようになると、とくにヨーロッパなどいくと必ずナイトクラブでショーを見る予定を作ったものだ。定年前には女房と二人でラスベガスに6泊し、毎夜各ホテルのショーを見て回った。今ではなつかしい思い出になっている。

俺はAさんに、若い頃島さおりの大ファンだったからよく知っているよと言うと、Aさんは、「ママ、健さんは若い頃、島さおりのファンなんだよ、だからショーが終わったら島さおりをこのテーブルに誘ってよ」と言ってくれるではないか。ママもこころよく応じてくれて、さおりのショウを見ることになった。俺はさおりに対して昔のままのさおりなのかどうか一抹の不安があった。俺は彼女のショーを見なくなって10年ぐらい経っていたし、その間に現在有楽町のマリオン建設のため日劇は閉鎖され、それとともに日劇ミュージックホールも閉鎖され、踊り子たちは大きな職場を失っていたし、また時代的にもトップレスがめずらしくなり、誰もがトップレスになる時代であった。踊り子たちはこの先明るい見通しのない落ち目の職業になってしまっていた。それでも島さおりなどは恵まれていた。彼女は、全盛期と名声を舞台で獲得できたからだ。そのお陰で現在でもトップクラスのクラブに出演できるのだ。不運なのはさおりの次の世代の踊り子たちだ。浜夕子は、さおりの雪のような白い肌とちがって褐色の肌、大きなぐりぐりした黒い目、ダンス中に流し目で見られると自分だけが特に見られていると錯覚するほどの目力、しなやかな柔らかい体、すばらしい形をしたバスと、あのまま日劇ミュージックホールが続いていたら浜夕子は、舞台で全盛期を向かえ、名声を得ていただろう。人に運不運があるように、芸人にも運不運があり、その落差は、大きい。

さおりが舞台で踊りだした。クラブは、ナイトクラブと違って本格的なショーの舞台などほとんどない、客が座っている同じ位置にちょっとしたダンスフロアがあるだけです。お客はダンサーをまじかに見ることができ、それだけに肉眼で肌のきめ細やかさも見ることができる。俺は一見してさおりは、二の腕に多少たるみがあるが肌も体形も昔のままだとわかった。またそうでなければ、一流どころクラブでのショーに出られるわけないのだ。ダンスも相変わらずさおりならではのラテンリズムに合わせたダイナミックな踊りを見せてくれた。ショーが終わるとママがさおりを俺の席に連れてきた。
「さおりさん、こちらのお客さん、健さんと言ってね、若い頃からさおりさんの大ファンで、今夜ここでさおりさんのショーが見られるというので大はしゃぎだったのよ」
「まぁ!そうですか。私、島さおりと申します。はじめまして、私の若い頃のファンに出会えて光栄ですわ、ありがとうございます」
俺は若い頃、舞台の上の彼女を見るだけで、後年こうして直にしゃべれるなどと想像すらしなかったので、こうして彼女が自分の目の前にいて、じかに話ができるとは、すっかりうれしくなり、もう完全に有頂天になってしまった。
「日劇ミュージックホールが閉鎖したりして、俺がさおりさんの踊りを見なくなってもう10年は経つと思うよ。今日10年ぶりぐらいに拝見したけど、肌のつや、体形すべて変わってないね。すばらしいですよ」するとママが、「なにか特別なケアしているの?」
「勿論していますよ、しなかったらこの年でしょう、とても踊れませんよ」この時、俺は、さおりはもう40歳になっているはずだと思った。あとでさおりの年を知ることになるのだが、彼女は昭和15年生まれ、俺より二つ若いだけ、俺はこの頃42,3歳、さおりは40歳か,41歳だ。彼女の話によると、肌のケアは、亀の子たわし。亀の子たわしで全身をこするのだ。最初は痛いから、おしりをこする。こする時なれないうちは下から上にこすりあげない。充分に慣れるまで上から下にむけてゆっくりこする。慣れしたしむと亀の子たわしを自由自在に上下にこすりあげることができる。但し顔は亀の子たわしでは痛くて使えません。顔は、お風呂に入った時、両手の手の平で100回ほど叩くのだ。体形の維持は、道具を使った自己流の体操、たばことお酒は全然やらない。いつまでも一流のダンサーでいようと必死なのだ。このクラブでの出会いが縁で俺とさおりのつきあいが始まった。

俺が若い時、舞台の彼女に夢中になった。あこがれの存在だった。その女性とつきあっているという現実が俺には夢のようで楽しくてしょうがなかった。彼女と気があったことも楽しさが増す原因でもあった。よく食事をいっしょにした。彼女がクラブ、「ナイト&デイ」で出演する時には、俺も必ずそのクラブに行った。それでクラブのママとも親しくなっていった。映画も一度いっしょに見に行ったことがあった。「ラストエンペラー」という映画だ。偶然にもラストエンペラーの側室になる支那人女優がさおりそっくりなのだ。あれには驚いた。彼女の先輩がスナックを開くというので開店日に自分の踊りを見せるというので一緒に行ったこともあった。二人には期せずして意見が一致したことがあった。それは、二人が若い頃知り合っていたら間違いなく恋人どうしになっていただろうということであった。あの頃は俺だけでなく彼女も楽しかったのではないかと思う。さおりとつきあうようになったら困ったことが起きた。一つは、結婚して以来俺は、女房意外の女性とつきあうために、女房に内緒で初めて貯金を下ろしていた。極貧育ちの俺にとってはあってはならないことだった。もう一つはどうしても俺の帰宅が連日遅くなってしまうのだ。そこで俺は、貯金下ろしは秘密にして、女房にさおりのことについてざっくばらんに話をした。すると女房は、さおりに会って見たいというのだ。そこでさおりに提案してみた。

「さおりさん、こんどいつか俺の女房と会ってくれないかなぁ、どこかのレストランで三人で食事してくれない?女房がさおりさんに会って見たいって言うんだよ」
「あらぁ、そうなの、健さん、あたしね、こういう仕事しているから多くの男の人から食事を誘われたし、食事もしたわ。しかし健さんみたいに、自分の奥さんを紹介したいから一緒に食事してくれと頼まれたのは初めてよ。あたし、うれしいわ。男の人って紳士ぶっているけど、結構私のような仕事している女性を見下している人が多いのよ。そんな人は、私を奥さんに絶対に紹介しないわ。私に会いたいなんて、健さん、奥さんに私のことべたほめしたんじゃないの?」
「別にべた褒めしたわけじゃないが、若い時さおりさんに夢中になったことを言ったのは初めてだ。女房は、俺がマリリン・モンローに夢中になっていることは知っている。しかし一緒に映画を見ているからモンローがどんな女優だか知っている。しかしさおりさんのことは知らない。だから自分の亭主が若い時に夢中になった人がどんな女性だか知りたいんだと思う」
「女性心理としてはあり得るわね。それではお会いしましょうか。私も健さんの奥さんってどんな女性だか会ってみたいわ」、「俺と一緒に映画を見たことなど内緒だぞ」
「もちろんよ」
そこで俺は、どこのレストランに連れていこうか考えたが、考えているうちにいやな予感がしてきた。女房はもともとそれほど社交性のある女性ではないのだ。もし女房が嫉妬心を起こしてあまり会話がはずまなかったらどうしようと悩み始めたのだ。それこそ俺が二人の間にはさまって苦労しなければならない。そこで少々お金がかかるが、レストランを止めてナイトクラブにした。ナイトクラブならフルコースの食事もとれるし、食事の後にはショーが見れる。ショーを見ている間は、会話をしなくてすむ。そこで俺は、二人を赤坂のナイトクラブ「ゴルドン・ブルー」に連れていくことにした。勿論さおりは、このクラブに出演したことがある。ステージが狭いのが残念だが、衣装の種類の多さは、パリの一流のナイトクラブと比べても遜色がない。現在、漫才界にベテランのおぼん・こぼんという漫才コンビがいるが、当時二人はこのナイトクラブの前座で漫才をやったり、ショーの時には男性ダンサーの踊りに混じってタップを踏んだり、ダンスを踊ったりしていたのだ。ちょうど浜夕子、さおりの後輩がゴルドン・ブルーで主演のショーがあった。それに合わせてさおりと女房を会わせれば、さおりも後輩の出演の時に、どこかの中年夫妻と一緒に見にきていることになって彼女の顔もたつのではないかと思い誘ってみた。案の定彼女は乗り気になった。

ゴルドン・ブルーで三人が会ったのは夏の日であった。俺は、上下真っ白のスーツ、真っ白の靴下に真っ白の靴の白ずくめ、それにサングラスをしていた。三人そろっての挨拶が終わると、さおりが「あら、健さん、すてきね、まさか今日のショーに出るんじゃないでしょうね」、すかさず女房は、「この人、今日はね、私たちの用心棒役なのよ。この格好で平気で通勤するでしょう、私、ヤクザの女房と間違えられるのよ、いつか私の用心棒にしてやろうと手ぐすねひいていたの。今日はその絶好の機会だわ」
「健さんが用心棒なら、私たち二人は安心して食事がいただけるわね」
「そうなのよ。それでは、あなた、用心棒役御願いします」、二人は笑った。俺は黙ってその笑い声を聴きつつ、これなら今日の出会いはうまくいきそうだと一安心していた。

「ご主人がおしゃれだから、奥さん、ご主人の洋服などの見立てで、大変でしょう」
「それが全然大変じゃないのよ。主人は自分の着る物、身に着ける物全部自分で決めるの。下着まで自分で決めるのよ。私はね、おしゃれな男の人って、あまり頭が良くないんじゃないかと思うのね」
「どうして?」
「昔、長女がそういう風に言ったのよ」、「娘さん、おいくつなんですか」
「実わねぇ」と俺が説明に入った。
「あれは、長女が小学校2,3年の頃だったと思う。朝、俺は出勤前、ワイシャツを着たり、ネクタイをしめたり、洋服着たりして出勤準備をしていた。それを見ていた長女がいきなり言い出したのだ。「パパは格好100点、中身零点ね」。さおりは笑いだしていた。
「女の子って、ませてるよね。小学2,3年の男の子だったらあぁいうせりふは絶対に言えないよ」
「その時主人はね、お前、中身零点とは、パパの頭のことか、それともパパの財布の中身のことかと聴こうとしたのだけどやめたんですって」
「どうして?」
「もちろん両方よ、と言われるとショックを受けるからだって」二人は笑い出していた。こうしてうちとけた会話になり、そのうちのさおりは昭和15年生まれであることを知った。女房は昭和16年生まれ、しかも早生まれなのでさおりと学年は同じなのだ。その上さおりは江戸っ子、女房は浜っ子で、お互い近くで育ったのだ。空襲の時どうしていたとか二人の話しは弾んだ。女房は「さぎりさん、若いわねぇ、すばらしいスタイルしているしうらやましいわ」、「とんでもない奥さんこそ若々しいじゃないですか、妻として母としての熟女の魅力がいっぱい、私にはうらやましいかぎりよ」とお互いの誉めあいが始まった。
さおりは「熟女」などとうまい言葉を使ったものだ。確かにあの頃の女房はまだ若く魅力的だった。おめかししてナイトクラブに連れてきてさおりと比べてもそれほど見劣りする女ではなかった。若さだけが魅力の女性にはない、女としての落ち着いた魅力というか若い女性にはない年輪の美というような物を感じさせた。それより俺をびっくりさせたのは、女房の変身だ。結婚前の彼女は、かなり控えめな女性で、それほど社交性に富んだ女ではなかった。それがどうだ、その日の彼女の変身ぶり、堂々とさおりと渡り合い、若い時のちょっともじもじした控えめさがなくなっていた。子供三人生んで育て上げた自信が堂々たる中年女性にさせたのかもしれない。さおりは、さおりですばらしく魅力的な女性だ。しかしその魅力も一瞬、一瞬、瞬間的に放つ強烈な魅力だ。しかし男はこの瞬間的に放つ強烈な魅力に弱いことも確かなようだ。

ショーが始まると、初めてみる女房は、夢中になって見ているのがよく分かった。さおりが説明役をしてくれたこともよかった。例えば、いまのふりつけなどいとも簡単に踊っているけど、あれでなかなか大変で、よく鍛えていないとあんな簡単には踊れませんよなどと説明していた。さおりとつきあってみて一番感心したのは、いつでも背筋がまっすぐしていることだった。歩く時はいつも背筋がピンとしていたのは当然だが、俺が感心したのは、椅子に座っている時も、話している時も食事している時も背筋がまっすぐなのだ。背筋が曲がっているのを見たことはなかった。そこにダンサーとして真剣に取り組んできた痕跡があった。

ショーが終わって席を立とうとすると、さおりは健さん、「もうちょっと待って、もう少しお客さんが帰って静かになると、浜夕子が挨拶にくるから」、さおりの特別の取り計らいだ
ろう。しばらくすると夕子がやってきた。
「夕子ちゃん、こちら私がお世話になっている健さんご夫妻」、「初めまして、浜夕子と申します」、「奥さんはねぇ、こういうショーを見るのが初めてなの」。
「あら、そうですか。どうですか、印象は」、「いやぁ、もう素的、素的、私感激しちゃったわ、浜夕子さん、本当にすてきだったわよ」、「ありがとうございます。これからもぜひいらして下さい」
記念に我々夫婦を真ん中にして写真をとった。女房は、主演を演じた浜夕子に直接会えて話ができたのでご機嫌だった。「舞台でも素的だったけど、直接会っても素的だわねぇ」
女房がご機嫌でやれやれ良かったと肩をなでおろしていたが、帰りの電車の中でくるりとご機嫌が変わり不機嫌になった。電車の中ではあまり会話ができないのでそのまま黙って家路についた。
「お前、電車の中でどうしたんだ?急に不機嫌になったりして」、「あなた、私たち独身の時、あなた、私になんて言ったか、覚えているの?私に一生忘れないことを言ったのよ」。
「俺がどんなこと言ったんだ?」
「或る時、私がね、私の足がもう少し長ければ、もっと洋服姿が似合うんだけどなぁと言ったのよ、その時あなたが言った言葉忘れやしないわぁ」。
あなたは、「俺は足の長い女性より、足の短い女性の方が好きなんだ。足が短ければ短いほど俺は好きなんだ。極端に言ったら上半身が素的なら、足なんかなくてもいい。足がないダルマさんでもいいんだ」と言ったのよ。
「それがさ、あなたが若い時夢中になってファンになったダンサー、さおりさん、彼女、足が長くてスタイルいいし、浜夕子さんもスタイルいいし、今夜は私の短足が目立つ日だったわ。あなたは、本当は足の長いスタイルのいい人が好みじゃないのかとそう思ったら自分がせつなくなっちゃったのよ」。
「あなたどうして私のような短足の女と結婚したの?」
「おい、おい、結婚相手を決めるのに、足の長さだけで決めるほど俺は単純な男ではないぜ、俺はあれこれいろいろと総合判断してお前と結婚することに決めたんだ。結婚の前提として相手を愛しているかどうかだ。俺はお前を心底愛しているんだ。今でもお前が俺に「私のために死んで」と言われれば、俺は、自分の命を捨てますよ。総合的に判断してお前ほど魅力的な女はいません。ミスユニバースというコンテストがあるが、もしミセスユニバースというコンテストあればお前は、絶対にミセスユニバースに間違いなくなれるね」

口の悪い友達は、「おまえほど、女の前できざなこと平気で言える男はいないね」というが、俺に言わせれば、きざな言葉でも真心をこめて言えと言うのだ。真心を込めればきざな言葉もきざでなくなるのだ。女房は、「また調子のいいことを言って」というから、俺は「俺の言葉はいつも本心から出る。足が短ければ短いほどいいと言ったのも本心だし、いまちょっと前に言った絶対にお前はミセスユニバースになれると言ったのも本心だし、お前のために命を捨てるといったのも本心だ」
翌朝の我が女房、ご機嫌は元に戻っていた。

三人で一緒に食事にしたのを境に俺とさおりの間の親密度が増した。そこで俺は、考えた。俺はさおりを自分専用の彼女にすることはできない。一介のサラリーマンでは、女房以外に彼女を作る経済的余裕はない。しかしアメリカ映画の題名じゃなないが「ある夜の出来事」のようにふとしたきっかけで一夜だけベッドを共にする機会があるのではないか、またそういう機会を作るようにしなければとも考えた。そしてとうとうその機会がやってきたのだ。その日、俺とさおりは六本木のクラブにいた。さおりの二人の後輩がショーに出演するからだ。六本木のクラブに行くということはチャンスかもしれないと思ったのだ。銀座の夜は、その頃11時半でほんど一斉に閉店だ。ところが六本木は、11時半に閉店する店などほとんどない1時や2時まで営業している店はざらだ。それだけ口説くチャンスもあるってわけだ。最終のショーも終わって俺とさおりは、クラブの隅の方で飲んでいた。「飲んでいた」と言っても二人ともお酒はダメな口だ。おれは、アルコールはほとんど受け付けない。飲めるのはビールだけ、それも350ミリ缶ビール1本、せいぜい飲んで500ミリ缶一本だ。その後は、ビールはいくら飲んでもまずくて飲めたものではない。さおりはさおりでビールをちょっとなめる程度。

その日下心のあった俺は、二人でモスコミュールを飲んだ。モスコミュールは、ご存知の方も多いと思うが、ウォッカを主体にジンジャーエルやその他を加えてできた古くからあるカクテルだ。アルコールっけを全く感じさせない実に口あたりのよいさわやかな飲み物だ。ビール以外のアルコールを受け付けない俺でも実においしく飲めるカクテルなのだ。だからといって調子にのって飲んでいるとこのカクテルの主役がウォッカだから大変だ。このモスコミュールを飲みながらさおりと楽しいおしゃべりに浸り、俺は彼女をダンスフロアに誘った。俺は彼女を意識的に強く抱きしめいきなりチークダンスを始めた。彼女は逆らわなかった。俺は彼女のすばらしいヒップに手を当てた。彼女は逆らわなかった。しばらく音楽にあわせて体を密着した姿勢のまま動かしながら、俺はさおりの耳元でささやいていた。「俺は昔、舞台でさおりさんを見て夢中になった。こんなに魅せられた女性は他にいない。その女性を現在俺は、自分の腕に抱きしめて踊っているのだ。喜びのあまり思わず強く抱きしめてキスをしたいくらいだ」その時彼女は、顔を上げて俺の顔をまじまじと見た、その瞬間彼女は俺の唇にすばやい口づけをし、にこっと微笑み元の姿勢に戻った。その瞬間、俺は、今夜は、「ある夜の出来事」になると確信した。彼女を抱きながら、この辺にラブホテルはあるのか、それともさおりは自分のマンションに俺を招き入れてくれるだろうか、いずれにしてもどんなに遅くなってもさおりと一緒に夜をあかしてはいけない、例え明け方近くになっても我が家に帰るのだ、女房が寝ていてくれるとありがたいのだが、などと考えをいろいろめぐらしている最中に、さおりの膝がくりとくずれ、俺は慌ててさおりを抱きかかえるようになった。
「さおりさん、どうした?」
「腰がぬけちゃったみたい」とかぼそい声をだした。クラブのスタッフと二人でかかえるようにして近くの椅子に座らせた。椅子に座り込んだ彼女は、両手の手のひらで顔を覆い下をむいたまま何も言わずじっとしていた。モスコミュールを飲ませるんじゃなかったと後悔した。お客と飲んでいたさおりの二人の後輩もやってきて、口々に「さおりお姉さん、大丈夫」と声をかけていた。「さおりさん、調子悪かったら救急車呼ぶから、俺一緒に行ってやるから」と声かけたら、「大丈夫、もう少しこうしてじっとしていれば動けると思う、ちょっとお水が飲みたいんだけど」。さおりは水をがぶ飲みした。時間を見るととっくに12時過ぎていた。そこで後輩の二人にさおりさんの家、知っているかと聞くと、知っている、恵比寿のマンションだと言う。そこで「さおりさん、彼女たち二人とさおりさんを連れて車で恵比寿のマンションまで送るから、彼女たちに部屋まで連れて行ってもらうというのはどうかね」。そうするというので、クラブの支配人が車を出して運転してくれた。車中さおりは、一言もしゃべらず、目をつぶったまま俺の傍にぴったりくっついて両手で俺の手をしっかり握っていた。彼女のマンション前で降りると、俺の住んでいるマンションよりずっとすばらしい門構えをしたマンションであることがわかった。別れ際、さおりはかぼそい声で「健さん、ごめんなさいね」と言った。

翌日、俺はさおりのことが心配で会社の昼休みに電話した。元気なさおりの声が返ってきた。「あらぁ!健さん、私も健さんとこへ電話しようかと思ったの。だけど仕事中でしょう、悪いと思ってしなかったのよ。健さん、今、電話で話せるの?」
「ああ、話せるよ。昼休みだし、それに俺の仕事部屋は個室だからね」
「健さん、昨夜はごめんなさいね」、「いゃー、俺の方が謝らなくちゃ、モスコミュールなんか飲ませたからな」、「それにしてもあのモスコミュールとかいうカクテルすごいわね。アルコールをほとんど受け付けない私みたいなものでも、ジュース感覚で飲めるし、それにおいしいのね、びっくりしちゃった。あれで主体がウォッカだなんて信じられない」、
「アルコールはビールしか受け付けない俺でも二杯ぐらいは飲めるから、さおりさんなら一杯は大丈夫と思ったんだけど、やっぱりダメだったな」
「健さんは、あのカクテルを私に飲ませて口説こうとしたんでしょう?」
「はっきりいってそうだね。俺はな、若い時から夢中で憧れていた島さおりという素的な女性とたった一度でいいからベッドを共にしたいという願望があるのだ。昨夜は絶好の機会と判断したんだよ」
「まぁ はっきり言うわね、もっとも健さんのその正直さが魅力なんだけど。それでは私もはっきり言わせてもらいますよ、いいですか」
「あぁ、かまわないよ、どんどんはっきり言ってくれた方がいい」
「それでは言いますが、昨夜の私の失態、あれは半分本当で、半分演技なの」
「ええぇ、半分本当で半分演技とは、一体どういうこと?」
「あのねぇ、あのカクテル飲んで少しも気持ち悪くならなかったの。それどころか、お腹の中が少し熱くなって、酔ったような気分になった時、健さんは私をダンスフロアに誘いだし、いきなり私をきつく抱きしめチークダンスを始めたでしょう、あの時私の体に電気が走ったみたいになったの、健さんは私の耳もとでなんだか甘い言葉をささやきかけるし、私はもうダメだ、これで健さんに口説かれたら、もう抵抗できない、どうしよう、どうしようとの思いだったのよ」
「頭がぼうっとしているせいか、健さんの奥さんの顔が浮かんできたり、色々なことがごっちゃになって頭に浮かんできてどうしよう、どうしようの思いでとっさに浮かんだのが酔ったふりして膝からくずれ落ちることだったの。あの時少しも気分が悪くはなかったの、だから顔の表情を隠すために両手で顔を覆い下向いていたの。健さん、ごめんなさいね、あれしか方法なかったのよ」
「なんだよ、あれ演技かよ、演技にしては名演技だね。びっくりしたよ。要するに俺にベッドで抱かれるのはまっぴらごめんというわけか」
「そうじゃないのよ、安っぽい女に思われたくないのよ。健さんは、たった一回でいいからベッドを共にしたいというけど、あたし、健さんが好きなのよ、健さんも私が好きでしょ、好きあった同士、一回ベッドを共にして、あとは、ハイ、さよならというわけ。そんなことできるわけがないじゃない。あたしがせがんだら、健さんは、もう一回すでにしたからもうお別れだと言うの。健さんは、そんなことできる男じゃないわよ。わたし、わかるのよ。健さんには、あんなすばらしい奥さんがいるじゃない。あたしにはあたしなりの私生活があるのよ。だから健さんとは、そんな世俗的な関係でなく、ずっと清い関係でいたいのよ。そりゃーベッドを共にすれば、親密度はぐっと増して楽しいけど長く続かないのよ、あたし経験してきたから分かるのよ。健さん、すばらしい男性だもん、失いたくないのよ。ね、健さん、そうして、御願い」
「ようし、わかった。約束はできないけど、考えておくよ」と言って俺は電話を切った。

さおりは電話で「あたしには、あたしなりの私生活があるのよ」と言っていたが、確かにその通りだ。俺はさおりと付き合い始めた時から、一切彼女の私生活を尋ねなかった。彼女がいやがると思ったからだし、俺は俺であんないい女に彼氏がいないというのもおかしな話だし、彼氏がいたってかまわないという気分でつき合っていたのだ。しかしもう俺は彼女を口説くつもりはなかった。彼女のボーイフレンドになるには、役不足ではないが経済力不足を実感していたからだ。間もなくして俺は、さおりの私生活を知ることになった。

しばらくするとさおりから会社へ手紙が来た。手紙の中にスナック開店の招待状が入っていた。彼女がスナックを開店したのだ。場所は渋谷でスナックの名前は、国道246号線が近いので「スナック246」というのだ。俺がさおりとつきあっていてこれまでに彼女はスナックを開く、あるいは開くつもりだなどと一言も聞いたことはなかった。いくら一世を風靡しダンサーとは言え、立派なマンションに住み、渋谷のど真ん中にスナックなど単独で開けるほどかせげるわけがなかった。開店日の当日俺は店に行った。俺は小さなスナックを想像していたが、以外に広いスナックだった。ホステスを二、三人使えばクラブとしても使えそうなくらい広かった。後でわかったのだが12月などのイベントのシーズンには後輩の踊り子たちを呼んでお店で踊らすために広くしていたのだ。店は招待客でいっぱいだった。見知らぬ人ばかりだったが、さおりは一人の男を俺に紹介した。Bさんと言って千葉県で産婦人科医院を経営している産婦人科医だった。「Bさんは、私の応援団長なの」とさおりは言った。即座に俺は事情を察した。彼を交えてまわりの人たちと話をしたが、皆「さおりさん」とか「ママ」とか呼ぶのに彼は、さおりは俺の女だと言わんばかりに「さおり」、「さおり」と呼び捨てにしていた。俺は、経済力格差を痛切に感じた。一つ気に食わないことがあった。それは産婦人科医のBさんは、外見が俺と似たタイプの男だったことだ。なにも俺と似ていなくてもいいだろうとさおりに言いたかった。

このスナック開店を機会に俺とさおりのデイトのつきあいは終わった。なにしろさおりは、毎日店のきりもりで忙しく俺とデイトどころではなかったし、俺は俺でさおりとのデイトのきりあげ時とふんぎりをつけた。以後さおりとのつきあいは、ママと客との関係になった。開店してから一年間ぐらいは、よくさおりの店に通った。スナッグだから安くつくし、そのうえ会社の接待にも使えたからだ。俺の年代の男は、日劇ミュージックホールに行ったことがなくても日劇ミュージックホールの名前は知っているし、トップスターだった島さおりがやっているお店と言えば、ほとんど興味を示した。だからよくお客も連れていった。お互いデートはしなくなったとは言え、二人の仲は良かった。かえってさらに親密度が増したような気さえした。店がオープンしてからしばらくの間、俺はさおりの彼氏のように思われていた。俺の知っているかぎり産婦人科医のBさんは、店に現れたことはなかった。その後二人の関係がどうなったのか知らないし、聞くつもりも毛頭なかった。

日劇ミュージックホールの全盛期、最後の時代に花を咲かせたトップスター、島さおりだけに、お店には俺が知らない顔の芸人がよく来ていたらしい。俺が知っている顔の芸人の代表格は、ビート・タケシだ。さおりが全盛時代のタケシは、まだ売れていない芸人で日劇ミュージックホールの司会をやったりしていたのだ。タケシはさおりのことを、「お姉さん、お姉さん」と呼んでいた。タケシの話によると、さおりは姉御肌で、後輩の面倒見がよく、舞台裏で働く人たちに人気があったという。さおりの店がオープンして2、3年ぐらい経った頃だと思う。俺は、転職して会社を変えた。そんなこともあってさおりの店とはご無沙汰することが多くなった。そんなある日、翌日から海外出張という日、なにげなくさおりの店に寄った。確か3,4ヶ月ぶりの来店だったと思う。時間がまだ早く、店にはお客が誰もいなかった。
「あらー、健さん、お久しぶりじゃないの。元気?」、「人に元気?などと聞くより、ママ一体どうしたんだ。随分痩せたじゃないか」。
体は痩せていないのだが、さおりの顔がいやに痩せているのが気になった。
「そうなのよ。痩せちゃったのよ。風邪をひいてね、せきわでるしさ、お店休めないから、無理したでしょう。治りが遅くてやっと少し調子がよくなったとこなのよ。でもまだせきが出るのね」
「一度精密検査してもらったら」、「そうしようと思っているの」
「健さんとこに三度ばかり電話したのよ。外出中だの電話中だのでつながらないし、迷惑だと思ってそれっきり電話しなかったんだけどね、健さんに知らせたいことがあるのよ」
「知らせたいことって何」、「あたし結婚することにしたの」、「ええ、結婚、誰と?」
「青木さんよ、健さん知っているでしょ」、「知ってるよ」、青木という男は、店がオープンして2,3ヶ月経った頃から来るようになった客でそれ以来毎日やってくる客になったのだ。確か不動産屋をやっているとか言っていた人だった。
「青木さんはね、健さんが私の彼氏だとばっかり思いこんでいたんだって、もっとも青木さんだけじゃなく他のお客さんからも健さんが彼氏だろうと言われたわ」
「二人とも正直だから親密度を完全に隠すことできないのと違う?」
「きっとそうかもね、あたしねぇ、最近、健さんとのデイトを思いだすのよ。あの頃楽しかったわ。健さんと映画みに行った時、私そっくりの中国人女優が出てきたでしょう。あの時あたしちょっとわくわくしちゃったわ」
「確かに、あの時ママがそんなことを言っていたのを覚えているよ」
「健さん、あたしね、後悔してんの」、「何を」
「健さんの口説きを受ければよかったと、健さんの言うように一度だけベッドを共にすればよかったわね」、さおりは笑いだしていた。「おい、おい、今さらよく言うね、しかし今度は俺の方が断るね」、「あら、どうしてなの?」、「ベッドの後で、あれ、演技だったのよと言われちゃたまったもんじゃないからね」。
「まぁ!健さんも良く言うわねぇ」とさおりと俺は一緒に笑い出していた。

「今回の結婚話で私を決心に導いたのは、健さんの奥さんよ」、「なんで俺の女房なんだ?」「健さんの奥さんとあたしとは、ほとんど同じ年よ、それなのに奥さんは、健さんというすばらしい夫を手に入れ、三人の子供さんがいて、それでいてとても素的で魅力的でしょ。あたし、これまでサラリーマンの奥さんとほとんど会ったことないのよ」、「ほんとかよ?」
「ほんとよ、だってあたし青森の高校の同窓会に一度も出たことないのよ。みんな子持ちのおばさんになっていると思うけど。私が同窓会に出たら場違いのような気がして落ち着かないと思ったの。だからずっと出席していないわ。別に変な仕事しているわけではないのに、なにかコンプレックスみたいなものを感じているのかしら?だからその裏返しみたいに、サラリーマンの奥さんなどなんとなく軽蔑していたのよ。ところが健さんの奥さんと会って、同じ年のあたしには、夫もいない、子供もいない、従って家庭がないのよ。この年になってあたしには何もないということを改めて悟らされたのよ」
「『人気絶頂』、『一世を風靡』などとおだてられてダンサーの仕事続けてきたけど、日劇ミュージックホールは閉鎖され、ダンサーたちは定職を失い、アルバイトで食べている感じでしょう、若い子たちは可哀そう。私など全盛期を味わったから幸せだと言われるけど、ダンサーの寿命は短いわ。歌手も役者も年とってもやれるけど、ダンサーは肉体労働のわりには、実に割に合わない仕事ね」
「でもママはね、幸せだよ、ダンサーとして全盛期を体験し、引退後は即結婚じゃないか。これから家庭を築けるじゃないか、幸せを感謝しなきゃ」
「そうね、本当にそうだわ。私にプロポーズしてくれた青木さには、感謝しなくちゃね。あたしね、どうしても子供が欲しいのよ。だからプロポーズされた時、結婚して落ち着いたら、施設にあずけられている不幸な子供をぜひ養子にしてくれと頼んだら、彼気持ちよくオーケーしてくれたわ。彼、前の奥さんとの間に子供がいないのよ。50歳から私の第二の全く新しい人生のスタートなの。健さん、乾杯してくれる」
「そうだな、それでは大いに乾杯しよう」と俺は、ビールの入ったコップを手にすると、アルコールの飲めないさおりが、なにやら入ったグラスを上げるから、「その飲み物何」と聞くと、「モスコミュールよ、健さんと因縁の飲み物よ。今じゃ私の大好物の飲み物、但し一杯だけだけどね。これを飲む度に健さんを思い出すというわけよ」
「そう。いいこと言ってくれるね、それでは島さおりの第二の人生を祝して、乾杯!」。
二人は大きな声をあげて「乾杯」の合唱をした。
「ああ、今日は最高。あたし結婚を決意したら、いの一番に健さんに報告したくてしょうがなかったの。それで会社に三度も電話しちゃったのよ、ごめんなさい」
「ところで式はいつ挙げるの」、「そうね、式はそんなにこだわっていないの、二人はもう年だしね、それに青木さんは、二度目だしね。私は、籍をいれるだけでもかまわないと思っているの。そのかわり披露宴のパーティーは、沢山招いて華やかにしようと思っているの。その時は、奥さんも招待するから健さん来てくれる?」
「もちろんだ、喜んで女房をつれて参加するよ、パーティーはいつ頃」
「多分、3月か4月頃」、「決まったら早く教えろよ、その日は出張のないように空けておくからよ」、「勿論よ、すぐに連絡します」
「ところで健さん、あたしの話ばかり夢中になって話してしまったが、健さん、会社変わったんでしょ。仕事順調なの?」、「まぁ、まぁ、と言ったところだね。ただちょっと海外出張が多くてね。体がきついよ。明日も海外主張なんだ」、「今度はどこ?」、「またヨーロッパよ」
「遠いから大変ね、体には気をつけてよ、これだけは御願い。健さん、わざわざ海外出張の前日ここへ来てくれたの」、「そうよ、しばらくご無沙汰していたからね。ママが元気かどうかちょっと来てみたのよ。そしたら結婚だなんてすばらしい話を聞かされて、来たかいがあったというもんだ」
「あらぁ、うれしいこと言ってくれるわねぇ、健さんありがとう」、「というわけで明日出張だから、俺これで失礼するわ」
「そうね、早く帰った方がいいかもね、それではあたしちょっと送っていくわ」

二人は店を出て渋谷駅の方向にむかって歩きだした。歩きながら俺は、さおりの耳元で「幸せになれよ」と囁いてから、彼女の頬に軽い口づけをした。彼女は俺の顔を見ながらにっこり笑って「ありがとう」と実に心のこもった優しさいっぱいの一言が返ってきた。そこで別れて俺は渋谷駅に向かって歩きだした。しばらく歩いてふと後ろを振り返るとさおりがまだこっちを見ていたので大きく手を振ると、さおりも手を振りかえした。これが俺とさおりの最後の別れになっていたのだ。

それから3、4ヶ月ぐらい経っていたろうか、俺はさおりの店に行った。ドアは鍵が閉まっていて、「スナック 246」の看板ははずされていた。常連の客に電話で問い合わせると、さおりが精密検査を受けた時、すでに末期の肺がんでどうにもできなかったという。婚約者の青木さんは、さおりには病状を話さず、抱きかかえるようにして12月にオーストラリアへ連れて行った。帰国して数週間たつがもう臨終の頃ではないかと思うという話だった。俺とさおりとの最後の別れになった日、俺が店を出る時、さおりは「送っていく」と言って俺と一緒に店を出て渋谷駅の方向に歩き出した。俺は、さおりの店に何十回と行ったが、俺が帰る時店の外まで送りに出たことなど一度もなかったのだ。俺だけでなくどの客も店のドアの外まで送りにでたことを俺は見たことはなかった。だがあの日だけは、俺を店の外まで送りに出て一緒に渋谷駅の方向へ歩きだしていたのだ。虫の知らせというものかどうかわからない。さおりが俺に向かって大きく手を振っている姿がいまだに俺の脳裏に焼き付いている。さおりが死んだ時、俺は知らなかったが、スポーツ新聞の記事に載ったという。新聞によると結婚式2ヶ月前の死だったという。享年51歳だった。

あとがき:
「日劇ミュージックホール」を知らない世代の人は、ぜひ検索してみてください。


      この短編小説の転載、転送は、堅くお断り申し上げます。




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短編小説(2) 「二人の芸者」



あの頃、芸者お春は、確か62,3歳だったと思う。北関東の榊原温泉では一番年上の芸者だ。それでもお春にはお座敷がかかった。勿論夕食時にお客に酌をする若い芸者に混じることは絶対にない。お春が必要になるのは、夕食後の宴会の席であった。その頃カラオケがまだ流行っていなかった。宴会の席には鳴り物が必要です。お春は三味線が弾けた。その三味線が重宝がられたのだ。なにしろお春は、14歳の時、まだ中学を卒業しないうちに秋田から出てきて深川の置屋で芸者の修業し、以来50年芸者生活一筋の人生だった。いまの若い人に、置屋(おきや)と言ってもわからないかもしれない。置屋とはいまで言えば、芸者専門のプロダクションといえばわかりやすいでしょう。お春は、日本舞踊はできるし、三味線もプロ並です。今の若い芸者は、特に温泉芸者ではまれに舞踊できる芸者がいるが、三味線弾ける芸者などほとんどいません。カラオケのない時代は、お春の三味線が重宝して、62、3の婆さん芸者でもお座敷はかかったのだ。

お春は自分でお座敷に出ると同時に置屋を営んでいた。置屋を営むと言ってもお春の配下の芸者はたった一人、花江だけだった。当時榊原温泉には、芸者が全部で4,50人ぐらいいただろうか。その中で花江が一番の売れっ子芸者だった。お春にとって自分の置屋の芸者は花江一人だが、彼女が一番の売れっ子芸者ということで自慢だったのではないかと思う。その花江と俺とは懇ろの関係だった。花江は、自分の息子がまだ乳飲み子の時、息子を彼女の妹夫婦に預け、つてを頼ってお春のところやってきた。その理由を俺は聴かなかったが花江も話そうとはしなかった。彼女は温泉芸者の経験もなければ、水商売の経験もなかった。花江がお春の所へ来たその日からお座敷にあがった。何もかもぶっつけ本番だった。それができたのもお春がそばにいたからだ。お春は芸者歴が長いから着物を沢山持っている。今でも花江は自分の着物を持っていない。全部お春の借り物、それにかつらをつけてお座敷に出る。着物の着方、お座敷での歩きかた、座り方、挨拶のしかた、お酌のしかた、などすべてお春しこみだった。お春の教えも厳しかったが、花江の飲み込みも早かった。勿論息子かかえて一人で生きていかなければならい必死さもあったと思う。花江は三味線が弾けないのでお座敷で踊る踊りを覚えなければいけないと言ってお春は、彼女に踊りも教え込んだ。俺が花江とねんごろの関係になったとき、花江がこの温泉場で芸者になって5,6年たっていた。その時花江の踊りのレパートリーは3曲、これを5曲にしたいと花江は意気込んでいた。

お春の所へはいままでに何人か芸者になろうとやってきた。しかしお春は、年はとっていても自分は本物の芸者という誇りがあるから、温泉芸者を育てるつもりは毛頭なかった。したがって厳しい教えになる。ところが今の若い人には、その厳しさに耐えられない、また本人も本物の芸者になるつもりはないし、着物きてかつらつけて仕事をして見たいとい軽い気持ちが強いし、ということで誰もお春の下では長続きしなかった。ところが花江は違った。お春の厳しい教えについてきたのだ。二人は馬があったのも一因かもしれないが、今ではお春には身寄りがないので花江は自分の娘のような感じだし、花江は花江で自分が芸者になって稼げるようになり息子をあずけてある妹夫婦に仕送りができるようになったのもお春のおかげ、花江はお春のことを「お母さん」、「お母さん」と呼んで実の親子関係のようになっていた。

花江は俺にこんなことを話したことがある。
「あたしねぇ、お母さんのところで芸者修行して本当に良かったと思う。芸者修業と言っても昔の修業とちがうけどね。なにしろお母さんとこへ来たその日からお座敷に上がるぶっつけ本番の修業でしょ。お母さんを見ていて、『本物の芸者はつくづくすごいなぁ』と思う。昔は大体中学卒業するかしないかの14、5歳で芸者に売られていくでしょう。めったに故郷に帰ることもなく置屋の下働きをしながら、躾を学び、三味線や踊りなど本格的に勉強して芸者になるんですからねぇ。
或る時いじわるそうなお客さんがいてね、お母さんの三味線を聴いて、おかあさんに『三味線はうまいけど、小唄など三味線に合わせて歌えるの』などといかにも歌えないだろうという口のききかたをしたのよ。そうしたら、お母さん平然として、『小唄の題名を言っていただけたら多分歌えるとおもいます。人気のある小唄はけっこう歌っていましたからね。小唄の題名をいただけなければ自分の好みの小唄でも歌いますけど』、そしたらそのお客さん、三つの小唄の題名を出し、『どれか一つ歌って見てくれ』と言ったの、お母さん、なんと三つともきれいな声で三味線弾きながら歌ったのよ。私は心の中でお母さんに拍手喝采しちゃったわよ。
お母さんはいつも言ってるわ、売れっ子芸者になるには容姿がすべてではない。もちろん容姿は重要な部分占めるけど、それだけじゃないのよ。お座敷での身の処し方、言葉使い、お客さんとどんなに親しくなっても、出しゃばるな、控えめにしろ、などその時々でいろいろ忠告を受けてきました。私は、時にはうるさいと思いながら従ったわ。私より容姿がいいのは自分がいうのもおかしいけど、数人いるは、だけど指名が一番多いのは私なのよ、私がいま一番売れっ子なの、これすべてお母さんのお陰。私、お母さんの方へ足を向けて寝られないわ」

そのお春に彼氏ができたのだ。彼氏ができたというより彼氏が帰ってきたと言った方がよいかもしれない。花江にはなんとなく面白くなかった。花江には、お母さんとの仲を割かれるような気がしたのかもしれない。花江の話によるとこうなのだ。
「お母さんはね、戦前は香港で芸者してたのよ。その香港で陸軍憲兵大尉の山さんと恋仲になり、山さんが日本に帰るとき、お母さんは芸者をやめて日本で結婚式をあげるつもりだったの。ところが戦争が始まり、山さんはインドネシアに送られることになった。山さんの勧めで、お母さんは先に日本に帰り、山さんの帰りを待つことになった。日本に帰ってからお母さんは、山さんの連絡先に手紙を出し、手紙の交換をしていたが、そのうち連絡がとれなくなってしまったんだって。いずれ東京も空爆を受けるだろうというので、お母さんは、自分を可愛がってくれる先輩芸者の出身地群馬県に疎開してさ。その疎開先から先輩芸者と二人でこの榊原温泉で働きだしたところで終戦を迎えた。終戦翌年の夏、お母さんは、この温泉場で山さんと偶然出会ったのよ。二人ともびっくり仰天、まさに奇跡よねぇ。なにしろ連絡が途絶えて後、お母さんが出したこれまでの手紙に対して山さんから返事もないし、返事もないどころか、生死さえわからなかった。だから榊原温泉にいるとなど一言も書いたことがないのよ。一方山さんは、敗戦後は元陸軍憲兵大尉でしょ。憲兵は戦犯として一番ねらわれた軍人というではないですか。進駐軍や警察から追われ身よ。まさにテレビのドラマじゃないけど逃亡者よ。その逃走中にお母さんのいる榊原温泉にひょっこりやってきたの。まさに因縁、それも深い因縁があると二人が考えても不思議ではないわよね。二人はここで一月間ぐらい暮らしたのよ。お母さんはもっと一緒に暮らしたかったけど、あまり長居するとうわさになるというのでここを去っていった。そのときお母さんは、なけなしの貯金を逃走資金として山さんの手に握らせておくったのよ。

それ以来山さんから連絡一つもなし、捕まったのか、無事に暮らしているのか全くなにひとつ連絡ないのよ。あれから30数余年たって山さんが定年退職したらひょっこりお母さんに会いにこの温泉場に来たのよ。そんなことあっていいのかと私は言いたいのよ。アメリカ進駐軍が日本を去って、あるいは日本が独立回復してもう何十年も経つのよ。うまく逃げのびたら、お母さんの所へ来るなりあるいは手紙でさぁ、『あの時はお前のお陰で助かった』とひとことぐらい挨拶があって当然じゃないの。それが定年になったらひょっこりお母さんに会いにきたりして、私は山さんを許せないわよ。それ以来山さんは、お母さんの所へちょくちょく来るようになったの。その度に私も山さんに会うから彼の品定めをしましたけどね、私は山さんがちょくちょくお母さんに会いにくるのは、お母さんが元気で働いているから、お母さんのお金が目当てやってきているなとわかったんです。私はお母さんによく言ってやるの、『山さんはね、お母さんのお金が目当てで会いにくるのよ。お母さんは、もう年だからいつまでも働けるわけがないのよ、年とったらお金が余計大事にしなければだめよ。山さんにみつぐようなことはしないでね。』
それでもおかあさん、山さんが来ると嬉しがるし、また楽しそうなの。お母さんがいじらしくなるし、また悲しくもなるの。今頃では山さん、ずうずうしくなってちょくちょくやってくるのよ。この間など自分の息子までつれてきたのよ。『昔俺がつきあっていた芸者だ』などといいかっこしたかったんじゃないの。置屋のお母さんの旦那さんや彼氏のことを、芸者は皆『お父さん、お父さん』と呼ぶのね。私も山さんのことを『お父さん、お父さん』と呼んでいるわ。山さんはこれまで『花江さん、花江さん』とさんづけで呼んでいたのが、いまじゃ「『花江、花江』と呼び捨てよ。冗談じゃないわよ。私はお母さんのことを立てて『お父さん』と呼んでやってやるのに、なにが『花江』よ、とにかく山さんはひもよ、ひもも若ければ可愛げがあるでしょうが、年寄りのひもは薄汚いだけ、最低だわ」

こんな話を花江から聞かされて、俺は東京に帰った。それから二、三ヶ月たった秋の紅葉狩りには最良の日に俺は榊原温泉に行った。通常俺は前もって花江に連絡して大概金曜日の仕事終えた後、榊原温泉に向かい金曜の夜と土曜の夜、花江のアパートに泊まり日曜日のお昼頃東京に帰った。しかし今回の榊原温泉行きには、ある計画があった。ある計画とは、花江を驚かす計画だった。今回は花江には一切連絡しなかった。俺は温泉街のあるホテルを自分で予約した。そして夕食時には芸者を一人侍らせる予約した。勿論花江の指名だ。その日なにも知らない花江は、定刻の時間に俺の部屋の唐紙を「今晩わぁ」といいながら開けて入ってきた。唐紙を開けた瞬間、花江と俺の目があった。驚いた花江は満面に笑みを浮かべて、「あらー健さんじゃないの、ちょっと、ちょっと、これどうしなのぉ?」
「どうしたのって、俺が花江を指名しただけださ」
「それはわかっているのよ、わかっているんだけど、まだ驚きから目が覚めないよ、あたし、どうしよぅ、なんだかはずかしいわぁ」
俺は俺で花江の正装した芸者姿をしげしげと見るのは初めてであった。花江はいつも芸者姿に正装するときは、自分のアパートで顔の下ごしらえして、お春の所へ行き、着物を着、かつらをつけてお座敷にむかった。お座敷が終わるとお春の所へ先に帰り、普段着に着替えてアパートに帰ってくるのが習慣だった。だから正装した花江の芸者姿をちらっと見たことは何度もあるが、今回のようにまじまじと見つめたのは初めてであった。「花江の芸者姿をじっくり見るのははじめてだけど、さすが売れっ子ナンバーワン、見事に美しい、魅力的だ。俺は花江に惚れなおしたよ」
「あらぁ、健さんにそんなこと言われてどうしよう、うれしいやらはずかしいやら、どうしていいのかしら、いやぁ、どうしよう」、花江は俺に突然会えたうれしさ、芸者すがたをほめられたうれしさとはずかしさ、そんな感情が入り乱れた複雑な表情としぐさは、まるで私にいわせれば、まさに壁に掛けた一幅の絵、いや一幅の動く絵のような可憐さと美しさがあった。
「早く俺にお酌をしたらどうなんだ」
「あら、そうそう失礼いたしました」と、俺の席のそばにきてお酌をし、その杯を花江にむけて「一杯どう」と杯を向けると、「あたしね、健さん知ってのとおり、いける口でしょう、一杯どうぞなどと言われると喜んでいただいちゃいますけど、今日はねぇ、そうはいかないのよ。健さんとさぁ、二人きりでお座敷でさぁ、さしつ、さされつ杯を重ねるなんて思うと胸がいっぱいで、そう簡単にすぐには飲めないのよ、なんとなくはずかしいのよ。あぁ、そうだ、お母さんを呼ばなくちゃ、ねぇ、お母さん呼んでいい」と云いながもう電話口に向かっていた。
「お母さん、お母さん、あたし、健さんのお座敷にいるのよ、あたしを指名してくれたの、お母さん、そこあいたらいらっしゃいよ、そう、その部屋、じゃあね、待ってるわ」
「お母さんすぐ来るって、お母さんはね、健さんがお気に入りなの、『健さんが来てるよ』というとすごくよろこぶのよ。健さん、もてるわねぇ。」
「バカ言え、金がない俺がもてるわけがないだろう。ただ俺は年寄りの話はよく聞いてやるだけだよ」

事実俺には、金がなかった。ただ花江やお春さんと、温泉街で何か食べたり飲んだりすれば、俺が払う、最低限の支払いをしていただけだった。それだけに今回俺の花江の指名には彼女を仰天させたし、またそれだけうれしがらせもしたのだ。お母さんが「今晩わぁ」と部屋に入ってきた。
「健さん、お久ぶりです。まあ、電話の花江の声、まるでうわづっちゃって、すぐに健さんが来ているなとわかりましたよ」
「へぇ、お母さん、私の声で健さんが来てるのわかるのぉ」
「わかりますよ。あの喜びいさんだ声。その素直さが花江の可愛いところですけどね」
「健さん、お母さん私のこと可愛いって、健さんもそう思う」
「可愛いなんてもんじゃないよ、思わず抱きしめたいくらいだ」
「まぁ、嬉しい、きょうわ楽しい日だわ、それにさ、三人でお座敷パーティーだなんて初めての体験でしょ、さぁ楽しくもりあげなくちゃ、さぁ、健さんとお母さん、一杯どうぞ」
「そうだ、楽しくもりあげの手始めに、花江、俺に花江の踊りを見せてくれよ」
そう言ったら花江が急に真面目な顔をして「ごめんなさい健さん、あたし今日恥ずかしいのよ。他のお客さんから踊れといわれれば、堂々と踊れるのに健さんの目の前で踊れと言われると、もうはずかしいのよ。踊る前にこんな気持ちになったのは初めて。ごめんね、今回は勘弁して」するとお母さんは、「花江、せっかくの健さんのご所望だから踊ってあげなさいよ。健さんね、花江はね踊りの筋がいいのよ。なにしろ覚えが早い。踊りを教えていてやりがいのある子なのよ」
「お母さん、そんなこと言わないでよ、健さん余計に私の踊り見たがるでしょ」そこで俺は、わざと機嫌を悪くして、冷たく言い放った。「花江、他の男の客には踊りを見せることができるくせに、俺には踊りを見せられないと言うのか。俺は花江を喜ばせようと思って花江を指名しに東京からやってきたんだぜ、花江はそんなに冷たい女だったのか、
俺のために踊りたくなかったら踊らなくていいよ」今まで笑顔だった花江の顔がひきしまった。「そういうことを言われてまでも踊らないとなると、花江姉さんの芸者の顔がすたるというものですね。それでは踊りをお見せいたしましょう。そのかわり健さん、私の踊りの魅力に驚いて気絶などしないでくださいよ。気絶してもあたしは介抱してあげませんからね。覚悟してくださいよ。それではお母さん、私の18番、三味線お願いします」。三味線の音色が始まり、お春さんの歌声と同時に花江は踊りだした。踊り出して数十秒ぐらいたっただろうか、突然どさりと畳のうえに崩れてしまった「ダメダー、もうあたしダメ、はずかしいのよ、踊っている最中に私の目と健さんの目があったら、もうダメはずかしさでぼぉーとなっちゃってなにがなんだかわからなくなっちゃって、この年でまだあたしにも恥ずかしいという気持ちを持っているなんて、あたし幸せね」などと言ってちょっと涙声になっているではないか、そして額には大粒の汗が光っていた。そこで俺は、「お春さん、花江はちょっと動揺しているようだから、花江にちょっと時間をあたえて彼女をこの部屋に残し、二人でどこかへ飲みに行こうよ」
「せっかく健さんの前で踊るというのに残念ね。花江、健さんがそう言ってくれるから、二人でどこかに飲みに行っているからね、お前、このあともお座敷があるんでしょう、落ち着きなさいよ」
「ハイ、お母さん、だいじょうぶよ」花江は私のそばににじりより、私の手をとり、「健さん、ごめんね、本当にごめんねぇ、許してぇ。せっかく健さんに指名してもらったのに、お座敷をだいなしにして、あたし、体中あせだらけ、顔の化粧も直したいし、ごめんねぇ。お母さんと二人で飲んでいて、お座敷終わったらあたしもそこえ行くから」とまた少し涙声になっていた。

俺は花江に店の名を教えてお春さんを連れだした。
「健さん、ご迷惑かけてすいません。健さん、御願い花江を許してあげて。花江はねぇ、芸者の正装してお座敷で健さんと一対一で会うのがなんとなくはずかしいのよ。芸者とはいえ、花江にとっては水商売が初めてでしょう。まだうぶなところがあるの。またそこが花江の可愛いとこですけどね。花江は本当に素直でやさしい子。もう親も死んで独り身になった私には、この年でいい子にめぐりあえたと感謝しているくらいなの。花江にとって私は彼女の恩人同然。なにしろ花江は、身一つで私のところへ飛び込んできたも同然。今でもお座敷に着ていく着物はすべて私の物です。だから花江は私を大事にしなくてはいけない存在です。だけどねぇ、健さん、長く一緒にいるとね、花江は私が恩人だから大切にしなくてはいけないと意識しての行動ではなく、本心から私を大事にしようと自然に出てくる行動だということがわかるのよ。花江はねぇ、本当に気立てのいい子ですよ。だからねぇ、健さん、花江をいつまでも大事にしてあげてください。御願いします。花江は心から健さんに惚れていますよ。私わかるのよ」

それを言われると俺はつらかった。花江は自分の息子を妹夫婦に預け、仕送りをしていた。彼氏を持つなら金のある男を選べばいいのだ。売れっ子芸者だし、そんな男を彼氏に持つのは簡単なはずだ、俺みたいなまだ若いサラリーマンなど彼氏にして、金銭的に得することはなにもなかった。また俺にしても花江に対して金銭的になにもしてやれないのがつらかった。そんなことお春にはとても話せなかった。

いつも榊原温泉に来る時は、花江に会うのが目的だった。お春に会っても会わなくてもどっちでもよかった。二人はいつも一緒だから花江に会いにくるとしぜんとお春に会うはめになるだけであった。しかし今回は、お春に会ってどうしても話をしたい目的があった。それはこの前花江が話しをしたお春の彼氏、山さんのことだ。俺は戦争について色々本は読んでいたが、捕まると戦犯になり有罪になる可能性が高いから日本国内を逃げ回ってうまく逃げのびた軍人の話は、本で読んだこともなければ聞いたこともなかった。そこでお春から、ぜひ山さんの話が聞きたかったのだ。居酒屋につくと俺は話題をその方向に向けた。
「ところでお春さん、お春さんの長い芸者生活の中でいつ頃が一番楽しかった。」
「それはもちろん、香港で芸者していた時ね」
「なにしろ山さんと恋仲になり、日本に帰ったら一緒になろうとしていた時だから香港時代が最高最良なのは当たり前だよね」
「あたしね、海軍さんの白の制服が好きでね。あの白の制服を着た海軍の軍人さんを見ると、ほれぼれしてね、男らしく、かっこいいのよ。だけど惚れたのは陸軍の軍人だったけどね」
「花江から聞いたんだけど、お春さん、山さんと連絡とれず、お春さんが榊原温泉にいるなんて知らせることができなかったのに、山さん、逃走中にこの温泉場に来たんだってね、まさに奇跡というか、二人にはなにかの深い因縁というか宿命というか、なんかそんな物があるんだね、きっと」
「あたしもきっとそうだと思う。でも山さんと出会った時は、本当にびっくりしたわ。どうしてあたしがここにいるのがわかったのと聴いたら、俺は今逃げているんだ。憲兵狩りにあっていると言うじゃない」
「そうなんだよな、戦後は戦争犯罪者、いわゆる戦犯者の烙印を最も多く押された軍人は憲兵だったというからね。戦前は権力があったから憎まれる原因にもなったんだけど。それにしてもよく逃げのびたよね」
「山さんの無二の親友が群馬県の旧家の出で、家屋敷が大きいから夜中に彼の所へこい、そこで暫く滞在して、その後の対策を考えようと言ってくれたらしいの。その後のことは私全然知らないの。山さん定年になって私の所に来るようになってまだ間がないでしょう。それに彼、昔のこと聞かれるのをいやがるのよ」
「聞かれるのを嫌がるのはよくわかるよ、なにしろアメリカ進駐軍や警察の追われ身だったしな、しかし進駐軍が去り、日本が独立回復した時点で完全に逃亡生活は成功しているわけで、それ以後30数年もうたつんだよ、その間にお春さんのところへ『あの時は世話になった、有難う』ぐらいの連絡があってもいいよね、また連絡するのが常識だよ」
「山さんが、私のもとを発つとき、私の住所を書いた紙切れを渡したの、そしたらこれをもらうわけにはいかない、自分の手帳にも書かない、もし俺がお前の住所を書いたものを持って捕まってみろ、お前はおれの逃亡を助けたにちがいないとお前にも捜査が及ぶぞ、
お前の住所は俺の頭の中にたたきこんだから絶対忘れないからと言って出ていったのよ。だけど逃走中にいろいろあったでしょう。覚えたつもりが忘れてしまったのよ。きっと。連絡とれなかったのもしかたがないのよ」
「なるほどねぇ、それは筋が通るわ。しかしさぁ、山さんとお春さんは香港時代に日本で結婚しようと約束したんでしょう、逃亡中にお春さんと出会って以来、山さんがお春さんに会いにこなければ、それでかまわないんだけど、定年後ひょっこりお春さんに会いにくるのなら、なぜもっと早くお春さんの所へきてさぁ、『あの時は有難う』とお礼の一つぐらい言いに来てもいい気がするんだけど。山さんが、ここを発つと時には、あの時は命よりお金の方が大事だったくらいの時期だよ。そんな時にお春さんは、逃走資金に役立ててくださいと渡してさ、以来山さんが逃げ延びるようにと毎日祈っていたんでしょう。横浜軍事法廷では沢山の戦犯が裁かれていたから、捕まって山さんがその被告の中にいるのではないか、もしかして獄中で山さんは、お春さんが訪ねてきてくれるのを待っているのではないかと気になって横浜へ行きたかったけどお金がなかったんでしょ。俺、花江から聴いてるよ。日本で一緒に結婚するって約束しておきながら、他の女性と結婚してしまって悪かったとお春さんに謝ったことあるの」
俺は瞬間言い過ぎたと思った。山さんの逃走経路を聞くつもりがこんなことを口走っていたのだ。お春は、それまで笑顔で話していたが、瞬間真顔になった。俺の方をじっと見ながら両目から涙を出してきた。
「お春さん、ごめん、ごめん、おれの言いすぎだ。俺、お春さんを泣かすつもりは全くないのだ。俺の悪いくせで、すぐずけずけと思ったことつい口にだしてしまうのだ。本当にすまなかった」といい終わらないうちに、涙を拭き終わったお春は、
「大丈夫よ、健さん、健さんの気持ちわかっているから」と悲しげな微笑をみせた。
「私はね、健さん、覚悟を決めているんです。覚悟ってこれからの私の生き方なんだけどね、花江はね、山さんは私のお金が目当てだと何度も注意をしてくれてます。その注意はしつっこいくらいだから、この前花江に『しつっこいわね、うるさいわよ』と怒鳴ってしまったんだけどね、健さん、私はね、花江に言われるまでもなく、山さんは、私のお金が目当てなの知っているのよ。でもね、健さん、私はもう独り身でしょ、誰も私を訪ねてこないのよ、だから山さんが私を訪ねに来てくれるのがうれしいのよ。だから私はね、これからも元気でできるだけ長く働いてかせごうと決めているの。そうすれば山さんが私を訪ねてきてくれるでしょ」
俺はもうなにも言えなくなってしまった。お春をいとおしく感じ、まだ会ったこともない山さんを嫌った。定年になって女の「ひも」かよ。その「ひも」と知りながら、「ひも」に会うことによって幸せを感じると言うよりも感じようと努めるお春が可哀相で、身がつまされた。
「分かった。お春さんの気持ちは良くわかった。話題を変えましょう」と、ちょうどそこえ、もうすでに普段着に着替えた花江が加わったので話題が自然に変わった。
「花江、もうお座敷おわったの、指名なんでしょ。早いんじゃない?」
「あたし、お座敷ねぇ、つばめ姉さんに代わってもらったのよ」、「健さんが来るのはいつも前もってわかるから、あたしがお座敷のとき、健さんがあたしのアパートでどう過ごそうか気にならないけど、今日は突然表れたでしょう、しかも健さんの指名でしょう、動転しちゃってお座敷を台無しにしちゃったし、健さんのことが気になって気もそぞろなのよ。それで事情話してお座敷を変わってもらったの。あたしもつばめ姉さんに代わってあげることあるのよ。ねぇ、お母さん、今回あたしのわがまま許して」
「お春さん、俺からも御願いします」、「健さんにそう言われると私も弱いしね、花江、今回だけよ」、「ハーイ、わかりましたぁ。あぁよかった、健さんには悪いけど、健さんのお酌でお母さん、いっしょに飲みましょぅ」

二人とも酒はいける口だった。花江の参加で座がにぎやかになった。
「健さんは、えらいはねぇ。自分じゃお酒をたしなむ程度しか飲めないのに、のんべぇ二人と最後までおつきあいしてくれてさぁ」
「だけどねぇ、お母さん、健さんは、相手が気持ちよく飲んで、だんだんいい気持ちになるでしょ、それを冷静な目で眺めてんのよ。だから時々あたし、健さんに無理強いしてさ、へべれけに酔うまで強引に飲ませたい気持ちにかられるのよ」
「それは無理だな、俺はへべれけに酔う前に吐いてしまうから」
「へぇ、そんなことあったの」、「あったよ」、「いつ頃、どこで」
「俺が21,2の頃だ、電車の中でだ」
「あたし、その頃健さんに会いたかったな、二人の出会いはちょっと遅すぎたわねぇ。遅すぎてもさ、出会わなかったよりよっぽどいいけどね、これも運命ねぇ」
「ところで話題はかわるけどさ、健さん、星の名前知っている?」
「花江どうしたの、星の話題なんか急に出して」
「お母さん、今夜の星見た? きれいよぅ。冬は星が沢山見えていいんだけど寒すぎて外で長く見ていられないじゃない。秋は、寒くないから落ち着いてゆっくり見ていられからいいのよ。あたし、星を見るのが好きなの」
「花江がそんなに星をみるのが好きだとは思わなかったわねぇ、最もいつかそんなこと花江が言ってたような気がしないでもないけど」
「健さん、星の名前知っている?」、「いくつか知ってるよ」
「場所もよ、空を指してさ、あそこにあるのが、カシオペヤ座とかさぁ」
「俺の知っている星はありふれていてどこにでもあるのさ」
「星の名前、なんて言うの」
「にぼしに梅ぼしさ」、二人ともどっと笑い出した。俺もつられて笑っていた。特に花江は、やたらと興奮してテーブルを手で叩いていつまでも笑いこけていた。お春も笑いながら 
「花江、どうしたのよ、いつまでも笑いこけて」
「あたし、思い出しちゃったのよ、去年、健さんが言ったこと」
「俺が、何を言ったのよ?」
「健さん、自分で言ったこと覚えていないの。お母さんね、去年の9月末に健さんがあたしのところえ来たのね。健さん、珈琲が好きだからさ、珈琲を入れてあげたの。健さんが飲み始め、あたしはあたしで久しぶりに会う健さんの顔を惚れ惚れとして眺めていたのよ。そこえ虫が鳴き出したのね。あたしはこの山の中に住んでいるから虫の音に鈍感よ。
健さんは東京だから、虫の音に敏感なのね、しかも鳴く時期が都会よりずっと早いからさ、健さんが、「おお!もう虫の音が聞こえるよ」と言うからあたしが耳をすますと、虫の音が聞こえてくるのね、それが美しい音色なの、思わず「素的な音色ねぇ、なんという虫かしら」と聞くとさ、もうここから花江は笑いだしていた。
「お母さん、健さん、なんと言ったと思う」とここまで言うのが精一杯、また笑いだしていた。お春が「健さん、なんと言ったの」、「俺知らないよ」
「あたしがここまで言っても、自分で何を言ったのか覚えていないの?」
「お母さん、健さんはね、『いも虫だろ』だって」、お母さんも笑いだしていた。
「健さん、私たち二人は恋仲なのよ、あたしの家に来てさ、私が心こめて珈琲いれてあげさ、健さんの珈琲飲む顔をほれぼれ眺めてあたし内心いいムードにひたっていたのよ、そこえきれいな虫の音が聞こえてきてさ、『なんという虫かしら』と言ったら、平然となんのてらいもなく『イモ虫だろ』じゃ、ムードだいなしでしょ。お母さん、そう思いません。そこえこんどは、にぼしに梅ぼしでしょ」二人とも一緒に笑いだしていた。俺は、「そうかなぁ、『いも虫だろ』ってそんなに悪いかな」と言うと、花江は「悪いわよ、だいいち健さん、あなたいも虫ってどんな虫だか知っているの」「知らないよ」そこで二人はまた笑いだした。そこで俺は少し大きな声で
「『いも虫だろ』と言ったほうが『水虫だろ』と言うよりよっぽどいいと思いますがねぇ」
「健さん、いやだぁーもう止めて」、そこで俺はさらに輪をかけて「陰金田虫だろ」というよりもっといいぞぉー」花江は、笑いながら
「もう健さん、止めて止めてぇ!」花江は、手でおもいきって俺のももを叩いてきた。三人の笑いがおさまった頃、俺は早く花江と二人きりになりたかった。そこで、お春に「お春さん、そろそろお春さんのおはこの出番ですよ」、お春は心得たものでそろそろ二人だけにしてあげなければと「それでは、私のおはこでお開きとしましょう」。
お春には、お酒が入り、気分よくなると三味線を弾きながら、必ず歌う歌があった。青山和子が歌っている「夢を下さい」だ。現在、青山和子は懐メロ歌手になっているが、彼女には「愛と死をみつめて」という大ヒット曲がある。この歌で日本レコード大賞をとっている。「夢を下さい」は夜の女を主人公にした演歌だ。お春は歌いだした。
「赤いネオンで火傷(やけど)した、うぶな昔がなつかしい
がんじがらめの見えない糸に、今じゃ飛べない夜の蝶
夢を、夢を、夢を下さい 私にも」
二番を歌い終わった後、お春さんと三人でタクシーに乗り、お春さん宅に向かった。その後、俺と花江は散歩しながら花江のアパートに向かった。歩きながら俺は、花江に「花江、お前な、お春さんには、『山さんは、お母さんのお金が目当てなのよ』などともう絶対に言うなよ」
「お母さん、なにか健さんに言ったの」
「お春さんはなぁ、花江に山さんはお母さんのお金が目当てよといわれなくても知っていたって、だけどなぁお春さんはもう身寄りのいない一人者だろう、誰もたずねてこないのがさびしいって、だから山さんが来てくれるのがうれしいんだって。だからね、これからも元気で働き続けるってさ。そうすれば山さんがきてくれるからね」
「そう、そう言ってたの。お母さんが可哀相、お母さん、ひものために働くのと同じでしょう」
「そうだけどね、だけどなぁ、男女の仲は、肉親でも覗けないのだ。俺と花江の仲だって誰ものぞけない二人の世界。山さんとお春さんの仲もたった二人だけの世界、誰ものぞけないんだ。お春さんと山さんは、香港時代、日本に帰ったら一緒になろうと約束した恋仲だ。お春さんは芸者やっていて香港時代が一番良い時代だったと俺に言ったんだ。俺が思うには、お春さんはなぁ、山さんとのいい思い出を大事にして、いやな事は忘れて山さんとの関係を続けようと決心していると思うよ。お前もな、山さん、来たら気持ちよく迎えてやれよ、お母さんのためにもな」
「あたしは、いままでも気持ちよく迎えていますよ、そうしないとお母さん悲しいでしょう。本当はあたし、山さんだいきらいなの」
「花江、お前もえらいよ、お母さんの気持ち察することができるからな」
「健さんこそ、やさしいじゃない」、「俺は、苦労しているからな」
「女で?」
「バカ言え、金がなくてどうして女で苦労できるかっていうんだ」
「俺に、金があったら、お前の息子を引き取って、お前に大豪邸を与えて東京に住ませるぜ、わざわざお前に会いに榊原温泉くだりまでくる必要のないようにな」
この俺のセリフに花江はどういうわけか喜んで、俺の首に飛びついてきた。花江のアパートに着くと、洗面道具を持って温泉場に向かった。この温泉街には、温泉街の住民なら誰でも無料で入れる公衆浴場がいくつかあった。全部男女混浴だ。浴場につくと誰も入っていなかった。二人は湯船に入るとどちらからともなく自然と抱擁していた。しばらくするとガラガラーっと戸が開く音がして女性が入ってきた。ヌードになった若い女性が湯船に近づくと、「あらぁ、花江姉さん、今晩わぁ」、「夢子ちゃんじゃないの、今晩わぁ」、花江は湯船の中で立って、夢子ちゃんは湯上り場でたったまま挨拶していた。夢子ちゃんはすばらしい肢体をしていた。きれいなヌード写真やヌード画は、どこでも見かけることができる。しかし淡いというか薄いというかそんな湯煙の中で自然な振舞いをするすばらしい肢体の女性の姿は、写真や筆で描けないその場でしか見られない女体美の極地だ。彼女が、湯船に入ってきた。「夢子ちゃん、こちらあたしの彼、健さんよ」、二人でお互い「今晩わぁ」の挨拶をした。すぐに夢子ちゃんが話かけてきた。
「あ、やっぱり素的だ」花江が「なにが素的なの」と聞くと、「健さんのひげよ、鼻ひげよ、皆言ってるの、健さんのひげが様になっているって」、「皆って誰」と俺が聞くと夢子ちゃんは、「芸者さんよ」、「だって俺、芸者さんとそんなに沢山会っていないぜ」
「だってこの温泉街の指名ナンバーワンの花江姉さんの彼氏よ、健さんは、だから皆知ってるわよ」
「そうか、皆知ってるのか、俺が道を歩いていても知っているのか」すると花江が
「そうよ、健さん、あなたはここでは有名人なのよ、なにも悪いことできないわよ」
「ここわね、すぐに知れ渡っちゃうからさ、芸者さんに彼氏ができると、一緒に出かけないのよ、そこえいくと花江姉さんは立派よ、知れわたっても平気なんだから。太っ腹なのよ。あたしね、お姉さんが指名ナンバーワンなのわかる気がするの。人間がいいのよ。容姿が良くて人間がよければ、誰でも指名したくなるでしょ。そうじゃない。健さん」
「勿論だ、いくら容姿がよくたっていやな奴なら指名なんかするわけがないからな」
「健さんは、お姉さんの彼氏でしょ。だからきっと健さんもいい人だと思うわ」
「花江、俺はお前のお陰でいい人間になっているぞ」
「夢子ちゃん、健さんがそばにいるからといってそんなにあたしのことを持ち上げることもないのよ」
「持ち上げてんじゃないの、本心よ、お姉さんはね、特に若い芸者さんには人気があるのよ」
湯船の中でこんな会話をかわしながら、俺たち二人は先にお風呂場を出た。二人は黙ってしばらく歩いていた。すると花江が「健さんねぇ、あたし、健さんといると夜明けが来るのがいやなのよ」、俺は花江の気持ちは充分に察していたが、わざととぼけて、「なんで」と聞いた。「なんでって、夜明けがくるとどんどん健さんが帰る時間がせまってくるじゃないの、そのくらいのこと想像つかないの」と少しいらついた声を出していた。俺は黙って歩いていた。すると突然、花江が「健さん、御願いがあるの」、「何だ」、「あたしをおぶってくれない」、「おぶう?」「そう、健さんの背中でおぶってくれる」、「お前、重たいんじゃないの」、「重たかったらわずか数歩でもいいのよ」、「あたし、健さんの背中におぶさってみたいのよ」。
俺は花江をおぶって歩きだした。「ああぁ!気持ちいい」、しばらく歩いているうちに、重さに耐え切れず、もう下ろすぞと言って花江を下ろした。花江の顔をみると、両目から涙が出ていた。「どうした、花江」、「なんでもないの、おぶってもらっているうちに、ちょっとオセンチになっちゃったの」、涙を拭きながら「もう、大丈夫よ」と言って、花江は小さな微笑みを見せた。その夜から一年前後ぐらいで、二人は別れることになった。花江には花江の事情があり、俺には俺の事情があった。分かれた直後、花江から分厚い手紙がきた。手紙の冒頭で花江は、自分が日本に帰化していない在日朝鮮人であることを告白していた。俺は本当にびっくりした。そんなこと考えてもみなかったし、気配すら感じたことはないのだ。手紙ではそれ以外のことはあまり覚えていない。それより覚えているのは、花江は、ボロボロ涙をこぼしながら書いたのだろう、字が涙でにじんでなにが書いてあるのかわからなかったことだ。
それから二、三年後か、あるいは四年ぐらいたっていたかもしれない。ある日俺は、テレビの歌番組を見ていたら、青山和子が「夢を下さい」を歌っていたのだ。青山和子が歌い終わるのを聴いて私はびっくりした。お春が歌っていた最後の歌詞、「夢を夢を、夢を下さい、私にも」という歌詞を青山和子は歌っていないのだ。そこで俺は推測した。通常、歌番組では歌手は、一番と二番の歌詞しか歌わず、三番まで歌うことはめったにない、だから三番の歌詞にあるのではないか。
そこでカラオケに行った時に調べた。やはり三番の歌詞にあった。しかし一番、二番の最後の歌詞は、「夢を、夢を、夢を下さい私にも」では終わっていなかった。お春さんは一番、二番、三番の最後の歌詞を全部「夢をください」で終わらせていたのだ。それだけお春さんは、「夢を夢を、夢を下さい私にも」の歌詞にこだわりを持っていたのだということを初めて知った。お春さんは、酒に酔って気分よくなると、三味線を引きながら、少し目を細め、「夢を夢を、夢を下さい私にも」と歌うと、老芸者が本音を明かしているようで実に哀感があった。歌手にはその哀感は出せないのだ。

それから十数年後ぐらいだったと思う。花江から簡単な手紙が来た。お春さんの死の知らせであった。お春さんは、息を引き取る前、長い眠りに入った。この時花江は、この歌を声にだして歌ってあげた。そのあとお母さんに話しかけていた。「お母さん、この歌を聞いて健さん、思いださない?あたし、健さん、思い出しちゃったのよ」
手紙はここで終わっていた。手紙の封筒の裏には「花江」とあるだけだった。花江は俺より三つ年上だ。彼女が息子の子と戯れる幸せな生活をおくっていることを祈るばかりだ。

あとがき:
私はこの小説の原稿を書いている時、ネットで「夢を下さい」を検索にかけてみた。するとユーチューブでは青山和子がこの歌を歌っているではないですか。今ではどんな歌もほとんどユーチューブで聞けるようになっているとは知らなかった。メロディーを聞いた時、本当になつかしかった。何十年ぶりに聴くメロディーだった。年寄りでもこの歌を知っている人は、ほとんどいないでしょう。しかしけっこういける演歌のメロディーです。皆さんちょっと聞いてみてください。
最初の作品「女のため息」は、完全に私の創作ですが、今度の作品は、私のちょっとした体験と私の創作が加わった作品です。結果はどうでしょうか。ブログ記事としては長すぎですかね。皆さんから何かちょっとしたコメントでもいただけるとありがたいです。

この短編小説の転載は厳禁とさせていただきます。

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短編小説 「女のため息」



私は、拙著「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の英文版が出版され、またその初版の改訂版を書き上げたら本格的に小説を書きたいと思っているのですが、ひょんなことからあるアイデアが浮かび、短編小説を書いてみました。以下がその短編小説ですが、なにしろ生まれて初めて書いたので、できがいいのか悪いのかさっぱりわかりません。読者の皆さんは、どう思われますか。もしこんなもの読むほどの価値がないと思われた人がおりましたらひらにご容赦お願いいたします。

春江、34歳、独身。勤務先は有名なブランド名を持つ高級子供服メーカー。会社のお店はすべて一流デパート内にある。現在、銀座のデパート内にある会社のお店は、社内で最大の売り場面積を持ち、最高の売上高を誇るが、春江は最近その店長になったばかり。職種が職種だけに女子社員が多いいが、春江はその中でも最速の出世頭だ。高卒以来16年間でこの地位を得たことになる。春江の父はアル中、弟、博は軽度の知恵遅れ、生まれつき知能指数が少し低いのだ。家計は貧しく母一人がこまねずみのように働ききまわっていた。春江は一日でも早く本格的に働きたくて高卒を待ちわびるようにしていまの会社に就職した。そのため入社時から働く意欲、向上心、自立心は他の新入社員より並外れていた。要するに沢山お金をかせいで、キャリアウーマンとして成功したかったのだ。そのためにはあらゆる努力をおしまなかった。営業を選んだのも、自分の努力が売り上げの形ですぐに表れるからだ。自分が有能な女であることを他の社員にはっきり示す事もできる。衣料品のようにその場でお客が買うか買わないか決断するような営業は、やはり営業マンの能力や積極的なセールスが物を言います。それには春江は天性の如才なさと社交性があった。あまりにも如才なく八方美人的なので誰もが良い人という感じを受けてしまうのだ。本性はとてつもなく気が強く、春江がアル中の父がしらふの時にけんかする姿など、お客が偶然にも見てしまったら恐らく春江に興ざめしてしまうでしょう。もっとも春江にしてみれば、母を泣かし家族泣かす父を憎しみぬいているから無理もない面もある。如才なさと社交性が天性なら春江にもう二つ天性のものがある。彼女は声美人だ。誰もが認める美人がいるように彼女の声は、誰もが認める声美人なのだ。もう一つは彼女の手の指の美しさだ。白くふっくらした指。少し長めの指、つめの形もすばらしい。お客さんの目の前で子供服の見本みせたり、着せたり、脱がせたり、たたんだりするときに、お客さんは無意識に「きれいな手」と感じてしまうのだ。

春江の素顔は、決して美人ではない。十人並みです。しかし最近ではメーキャップ技術の向上で10人並の顔が、5,6人並になり、きれいと言われるようになっています。そしてその顔には春江の努力で得た魅力的な微笑みがある。春江は自分が美人でないことは充分知っていた。しかしセールスには、微笑みは欠かせない。鏡を前にして自分ができる色々な微笑を作ってみた。歯並びの良さを見せる微笑みがいい。その中で自分が気にいった微笑みを見つけると、その微笑を無意識に出せるように、それこそ何度も何度も鏡の前で練習した。今では必要な時、例えば実際の営業の時、写真を撮られる時など、いつでもその微笑を出せるようになっていた。春江の身長は165センチ、バスト、ウエスト、ヒップから足の線にかけてのスタイルは、まあまあです。とりたてて良いともいえないが、とりたてて悪いともいえない。人生を積極的に生きようとする春江には、はつらつとした印象をあたえるオーラもある。そのため春江の全体像を眺めて見れば、同姓にも異性にも充分魅力的であった。

春江のこれまでの出世街道は、社内では伝説的でさえあった。春江は、会社から数々のお店に派遣されたが、彼女が売り場に立つと、その売り場のこれまでの最高売り上げを必ず上回る成績を残すのだ。春江の上司も彼女のことだからある程度の成績を上げるだろうと予想していたが、その予想を上回る売上高にびっくりし、当然のごとく会社の経営陣に春江の名前が刻まれたのだ。現在では社内随一の売り場面積を持つ店の店長として営業をまかされているばかりでなく、入社シーズンになると営業職の新入女性社員向けに特別講義を受け持ち、また社内の子供服デザイン会議にはアドバイザーとして参加する重要な役をこなすようになっていた。春江は社内ばかりでなく、業界内でも非常なやり手ばかりでなく魅力的な女性としても知られるようになっていた。

春江が20歳のころ彼女は恋に落ちた。相手は当時26歳の不動産会社の営業マン、武だった。武は、彼女の好みである体のがっしりしたスポーツマンタイプで男らしさの雰囲気を多分に持った男だった。同じ営業職同士話が合い深いつきあいになり、春江は初めて男を知った。一年後ぐらいに武は春江にプロポーズした。春江はうれしかったが、彼女の心には、まだ結婚と言う準備が全くできていなかった。プロポーズされて春江は、初めて知恵おくれの弟、博の存在と武の実家との経済格差に不安を覚えた。彼女はこの知恵遅れの博を可愛がり、愛していた。二人でしょっちゅう色々な話をしている。時には母との会話より、博との会話の方がリラックスできる時もあった。当時、フォレスト・ガンプというアメリカ映画が上映されていた。フォレストとは人の名、ガンプとは、うすのろとかうすらバカとかいう意味だ。軽度の知恵遅れの主人公が努力と幸運に恵まれ成功する物語の映画だった。その年のアカデミィー賞をとっていた。春江は博を連れてこの映画を見た。映画終了後、春江は弟がどの程度映画を理解できたのかわからなかったが、こんな事を言った。
「お前も、映画の主人公のように、自分の人生を積極的に生きてほしい。例え失敗してもいいから積極的に生きてほしい。姉さんは、どんな時でも博の味方だよ。覚えていてね」
博は、はっきりと頷いた。春江は、博にとって絶大な信頼を寄せる存在だった。子供の頃ある日、博は三人の男の子にいじめにあった。それを偶然見とめた春江は、猛然と三人の男の子に戦いをいどんだ、気が狂ったように叫びながら戦った、これを見た博は、いじめというといつも逃げ回っていたのが本能に目覚めたのだろう怒りに狂って猛然と向かっていった。博は知恵遅れとはいえ体は大きいのだ。けんかしたら体格ではまけないのだ。姉と弟の気の狂ったような二人組みに圧倒され、三人は逃げるようにして消えていった。この時のけんかを博は、一生忘れないだろうと思っている。その日以来博からおどおどした態度が消えていった。その博を春江は、武に紹介した。武は、弟さんは二人の結婚になんら障害にならないと宣言した。春江は涙が出るほどうれしかったが、プロポーズの話はもう少しつきあってからと春江は返事を先のばしにした。それから一年ぐらいつきあっただろうか、武は春江のもとを去っていった。春江は泣いた、しかし立ち直るのも早かった。今では春江は、武のプロポーズは二人の付き合いの一時的燃え上がりの結果であり、武も冷静に考えれば、自分の女房に知恵遅れの子供ができるかもしれない恐ろしさに怖気づいたのだと考えていた。

武と別れた後は、これまで以上に仕事に精を出した。その結果が会社の中で売り場面積最大のお店の店長だった。仕事をいまところ順調にこなしているが、春江は、現在ひょっとして自分の人生の岐路にたっているのではないかと考えているのだ。なぜなら彼女は生まれて初めて自分は「女」であること、「女の性」を意識したのだ。現在はなにごとも男女平等、この男女平等が当たり前すぎて、「男女異質」がはっきり現存するのに、世間では無理に「男女異質」を無視しているような気がしてならないのだ。特に職業婦人として成功している女性たちほど男女異質をあまり口にしないような気がするのだ。

現在、春江には、男女異質をはっきり意識するものが二つある。一つはセックスであり、もう一つは仕事だ。春江には、今セックスフレンドがいる。今から10年ほど前、春江にプロポーズした武が彼女から去っていてしばらくした頃、アメリカのテレビドラマ,「セックス・アンド・ザ・シティー」(sex and the city)が大変人気だった。ニューヨークの仲のよい四人の独身キャリアウーマン、一人一人の仕事と恋とセックスと結婚と家庭でおりなす人生模様を描いたものだ。最近映画にもなって日本でも公開された。この人気ドラマは、アメリカの若い働く女性の生き方や価値観に大変な影響を与えたという。私もテレビドラマの一部と映画を見ましたが、私に言わせれば、女性に対する伝統的な役割や概念に対する挑戦、自由奔放なセックス、ファッションでなりたっているだけでそれほど面白いドラマでもなければ映画でもない。しかしこれは定年男の意見であって若い女性は別なのでしょう。向上心と自立精神旺盛な春江は、このテレビドラマが大好きでよくDVDを借りて見ていた。このドラマに刺激されたのか自分にもセックスフレンドがいてもいいと思ったのだ。男女平等の世界、ドラマに出てくるキャリアウーマンのように、男が自分好みの女の子と一夜を共に過ごすように、女が自分好みの男性と一夜を共に過ごす。そのため女は、その時のためにいつでもバッグにコンドームをしのばせておくのだ。春江は、コンドームこそバッグにしのばせなかったが、いずれその気になる男性が現れればセックスフレンドの関係も悪くないと考えたのだ。

しかし映画のように簡単にみつかるとも思っていなかった。一夜を共にするといっても誰でもいいはずはなく、相手にそれなりの信用もなければ恐くてセックスなどできるわけがない。春江自身そんな簡単に実現するはずがないと思っていた。ところがひょんな関係で簡単にセックスフレンドができてしまったのだ。彼の名前は大作。大作の容姿は当然春江好みの男だ。大作は春江が大分前働いていたお店があるデパートの外商部のスタッフだった。春江は当時大作には自分好みの男だから好意を持っていた。二人はある日偶然バッタリと赤坂で出くわした。喫茶店でよもやま話をし、別れ際に大作は春江を夕食に誘った。春江は0Kした。大作とは初のデイトだった。デイトを重ねるうちに自然な形でセックスフレンドになっていった。大作はけっこう遊び人であることがわかった。春江はセックスフレンドだからそれの方があとくされなくて良いと考えたのだ。最初のうちはほとんど誘うのは大作のほうで春江から誘うことはなかった。そんな関係が始まっていまでは三年目になるが、春江は自分の体の変化に驚いていた。

春江は大作が好きになったわけではなかった。ただのセックスフレンドだけの対等な関係であったはずだ。ところが今ではたまに自分から大作を誘うし、ある日など大作と食事している最中に彼の目を見つめた瞬間彼女の体に突然電気が走ったようにセックスらしきものに酔い息遣いが少し荒くなってくるのがわかった。春江は突然トイレに行ってくると席をはずし、トイレで息を整えていた。春江は惚れてもいない大作に自分の体がだんだん大作のものになっていくような恐ろしさを感じ始めていたのだ。変わったのは体だけではなかった。心理状態も変わった。最初からセックスフレンドとわりきっていたから、大作のプライベートのことなだまるっきり関心がなかった。彼には現在彼女がいるのか、それとも結婚しているのか、子供までいるのではないかとか気になりだしたのだ。だからといって春江は、大作と結婚したいなどと露ほども思わなかった。大作はプロポーズしてくれた武とは違った物の見方、考え方即ち価値観で春江とはまったく合わなかった。大作は運命論者でいくら努力しても人の一生は決まっているというのだ。だから大作には向上心などいっさいない。楽しく過ごせればそれでよい。要するに大作は、外見が春江の好みだけで、中身はきらいなタイプなのだ。しかしセックスフレンドなどと気安く言っているがセックスを重ねるうちに相手に情が移ってしまうのではないか。これは自分だけの変化なのか、他の女性もそうなるのかわからなかった。一方大作の方はこの三年ぐらいの間なにも変わらなかった。ベッドの中でも外でもまったく同じであった。春江は、対等なセックスフレンドとは言え、女性にとっては短い期間の方がベターだ、長くなると女性は情が移ってしまい決断力がにぶりそうだ。男女の体の構造が違うので、フリーセックスも男女異質を考えなければいけないのではないかと疑問を持つようなったのだ。

春江がもう一つ男女異質をはっきり認識したのは彼女の仕事だった。それだけに彼女にとって深刻だった。春江はこれまで仕事に熱中してきた。セックスフレンドがいたからと言って仕事の手抜きなど絶対しなかった。営業は百の講釈より売り上げがすべてだ。売り上げが高けりゃ、社内の発言権も強く、経営陣の覚えもいい。春江は売り上げを上げるために考えられるあらゆる努力した。自己主張をはっきりさせる春江は、自分の売り上げの高さを背景に思いきった意見を吐くこともある。それだけに他のスタッフからの妬みもかいやすい。そんなことを一々気にする春江ではなかった。春江は仕事に対しては絶対の自信があった。ところがここにきて彼女は、仕事に対する意欲が少し衰えたのだ。以前のような仕事に対するがむしゃらせいがなくなっていたのだ。原因は子供だった。女性には、適齢期が二つある。結婚適齢期と出産適齢期。結婚適齢期を失しても女性が結婚できるチャンスは大いにあります。しかし出産適齢期を失しるとその女性は、一生自分の子供を持つ機会なくなる恐れが多分にあるのだ。

春江は出産適齢期の上限に達しつつあるのだ。春江は人一倍子供が好きな女だ。だから毎日お店で子供と会えるのは、楽しみでもあり決して苦痛になることはなかった。春江は、ひょっとして弟のような知恵遅れの子供を生む恐れがあるかもしれないとは思うが、それより子供も一人も生めずに年をとり老後を一人で暮らすなどとっても耐えられないのだ。新しいお店の店長になったのはいいが、結婚しても、一生子供を生むこともなく人生を送るのではないかと考えると本当にゆうつになるのだ。今では毎日お店で子供に会うのが苦痛にさえなってきたのだ。また子供連れで買い物にくるお母さんをうらやましいと思うようになっていた。20代の時には、うらやましいなどと思ったこともなかったのに。

春江の仕事に対する意欲が多少落ちたことは間違いない。それがまた春江の心配になった。この時春江は、「男性はいいなぁ」とつくづく思った。男は40歳、50歳でも子供を作れるから、出産適齢期など心配しなくてもいいのだ。同じ職業人として女性がいかに不利か、世間では男女平等が当たり前で、ことさら男女異質など強調しないがとんでもない話だ。職業婦人として成功した女性達は、一様に男女異質など強調しません、春江に言わせれば、彼女達は偽善者なのだ。特に子持ちの職業婦人として成功した女性たち、子供は誰が世話してくれたと思っているのだと春江は言いたい。全部自分の母親でしょう。それなのに母親への感謝の言葉など聞いたことがほとんどない。自分一人で成功したと思っているのだ。有名人になればなるほどこの傾向が強い。

この時春江はセックスフレンドを持ったことに初めて後悔したのだ。男とセックスを楽しんでいる時間があれば、なぜ自分の伴侶を探す婚活をしてこなかったのか。セックスを楽しんでいる間に、自分の夫になるべき男性が天から降ってくるとも思ったのかと自分を責めた。いずれにして春江の仕事意欲の低下は、彼女の部下にも影響し、それがひいては売上高の減少につながる。仕事の意欲が低下しても逆に売上高が上がるなど絶対にあり得ないのだ。そのため春江は、自分自身にむちを当てるようにこのままではダメだとハッパをかけるようにして働いているこのごろだったのだ。そんな時、春江に朗報があった。ヘッドハンティングの声がかかったのだ。世界的有名なヨーロッパのブランドメーカーが東京に出店する。その店のブティック売り場の責任者なってくれないかという話だった。春江は喜んだ。子供服売り場で実績をつけてきた春江は、いつかブティック売り場で働きたいなとは思っていたのだ。春江はブティック売り場でも自分は絶対に成功するという自信があった。なぜなら高級子供服を売るのは、なにも子供に直接売り込むわけではない、その母親に売り込むことなのだ。その母親はほとんどが30代40代の経済的豊かな家庭の主婦だ、すなわち高級ブティックのお客さんにもなるのだ。彼女たちを相手にするのは慣れたものです。それにしてもヘッドハンティング会社がよく自分に声をかけてくれたものだ。確かに春江は、子供服業界では名前がうれていた。いずれ新会社に入社してみればわかるのだが、春江の会社の経営陣が誰か引き抜かれたのではないのか、そのため彼女を強力に推薦したのかもしれないとも考えた。年収も大幅にアップ。ある一定の売り上げを超えるとボーナスというボーナスインセンティブもあった。この大幅収入アップで彼女が思いついたのが最近雑誌で読んだ卵子の凍結です。

アメリカでは35-44歳の間に妊娠する女性は80年代の2倍近くに増えているのだ。女性が高等教育を受けて高給取りになることを優先させて出産を後回しするからだ。しかし女性には出産適齢期がある。30代過ぎると徐々に生殖能力が低下し始めるのは自然の摂理です。そこでキャリアウーマンに注目されているのが卵子凍結保存です。自分の卵子をいくつか取り出して液体窒素で凍結しておき、結婚する人が現れたら凍結していた卵子を取り出し彼氏の精子と体外受精させるのだ。卵子凍結治療費が15,000ドル、一ドル90円とすれば135万円、退職金でなんとかカバーできそうだ。保存の費用は、最初の一年が無料でその後は年間4、000ドル、36万円、毎月3万円。この程度の費用ならまったく問題ない。今の春江には充分な蓄財があるのだ。春江自身で借金してマンションは買えるし、また借りることもできる。しかし蓄財のため毎日父親の顔を見るのはいやなのだが自宅から通勤しているのだ。幸い春江には中学高校と同じだった幼なじみがニューヨークで日本の企業に勤めているので、もう少し卵子凍結の情報を仕入れて見よう。卵子凍結は、精子凍結よりむずかしいと言われているみたいだ。場合によっては新会社入社の一月前ぐらいに退社し、ニューヨークに行って幼なじみと一緒に卵子凍結サービス会社を訪問してもいいとも考えた。自分の子供を持つためにやるだけのことやっても自分の子供ができなかったら、施設育ちの子を養子にもらおうなどと考えながら、春江はいつもように携帯メイルをチェックしていた。久しぶりにセックスフレンドの大作から誘いがあった。春江は一瞬躊躇したが、「了解」と返答した。携帯を閉じながら春江は思わずため息をついていた。これまで大作から誘いがあった時、「都合が悪い」か「了解」のどちらかの返事であって、返事の後ため息などついたことなどなかった。今回はじめて思わずためいきをついていた。ところが春江にはそのことに気づいていなかった。


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