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育鵬社の歴史教科書盗作事件



今回のブログのタイトルは、タイトルそのものは、前々回のブログのタイトル『「南京大虐殺」ユネスコ記憶遺産登録は、日本政府の失態』とは違いますが、両方とも関連がありますのでその点を留意してお読みださい。
「つくる会」に続いて日本で二社目になる保守系の歴史教科書と公民教科書を公立中学校向けに販売する育鵬社が設立されたのは平成19年8月です。その育鵬社が最初に検定合格した歴史教科書は『新しい日本の歴史』と呼ばれ平成24年度から平成27年度まで使用された。その育鵬社が最初に検定合格した『新しい日本の歴史』は、「つくる会」が作り上げた『新しい歴史教科書』(扶桑社、平成18年度から22年度使用)と多くの部分で酷似した内容と酷似した文章からなるものであった。その一例を見てみましょう。
●『新しい歴史教科書』(平成17年版、「つくる会」)
すでに日本列島には、縄文時代に大陸からイネがもたらされ、畑や自然のみずたまりを用いて小規模な栽培が行われていたが、紀元前4世紀ごろまでには、灌漑用の水路をともなう水田を用いた稲作の技術が九州北部に伝わった。稲作は西日本一帯にもゆっくりと広がり、海づたいに東北地方にまで達した。(24頁)

●『新しい日本の歴史』(平成23年版、育鵬社)
わが国には、すでに縄文時代末期に大陸からイネがもたらされ、畑や自然の湿地で栽培がおこなわれていました。その後、紀元前4世紀ごろまでに、灌漑用の水路をともなう水田での稲作が、大陸や朝鮮半島から九州北部にもたらされると、稲作はしだいに広がり、東北地方にまで達しました。(24頁)

これは酷似のレベルが、デッドコピーと言えるほど酷似しています。この「つくる会」の歴史教科書『新しい歴史教科書』の著作権を有する代表執筆者藤岡信勝氏らが調べてみると上記を含む47ヵ所で氏の著作権を侵害しているのだ。育鵬社は、教科書の中心部分について47ヵ所にもわたって、藤岡氏や西尾氏などの原稿から盗作し、藤岡氏らの著作権を故意に侵害した。この著作権侵害は、10年以下の懲役もしくは千万円以下の罰金かそれらの併科の罪に相当する犯罪行為である(著作権法第119条)。
このような犯罪行為により作成された育鵬社の教科書は平成23年度の採択戦において採択を伸ばし、不当な利益を得ることになった。その結果、「つくる会」の『新しい歴史教科書』は採択を激減させ、自由社の教科書事業は大幅な赤字を計上することになった。しかし、「つくる会」が訴えたいのはこのような経理上の損害だけではありません。次の五つの大きな問題が生じたのです。
一。歴史的な大規模盗作事件
この盗作に関与している人間の数は、少なく見積もっても十人は優に超える。これほど大規模かつ大がかりな盗作は歴史上あまり例がないのではないか。こんなことが許されるならば、どんな盗作もほとんど許されることになろう。
二。国民の教科書への信頼感を破壊した。
日本の教科書に対する歴史的に培われた国民の信頼を傷付け、さらに教科書制度全体を破壊する、重大な犯罪行為であるといっても過言ではない。
三。日本の文化の発展を阻害し法秩序とモラルを破壊する。
他人が真面目につくった教科書から中心部分を丸ごと盗んだ人たちが、何の社会的制裁も受けないならば、今後はどんな盗作行為も許されることになるだろう。それは日本の文化の発展を阻害することにつながる。
四。中韓による知的財産権の侵害を批判できなくなる。
今日、知的財産権をめぐるルールをシナや韓国に守らせるように持って行くことは、日本国にとって死活問題である。
五。保守言論界に泥を塗った。
「日本教育再生機構」に集まり「教科書改善の会」に協力している保守系の知識人は、事情を知らないまま善意で協力したに過ぎないだろう。こんな大規模な盗作事件が、代表的な保守知識人を糾合したと自称する団体によってなされたことの深刻さは、計り知れない。
フジサンケイグループという保守言論界出版物の雄と言うべき企業が発行する教科書というだけで盲目的に支持しているだけなのだ。それによって責任の所在と責任の取り方をあいまいにしているのだ。

これらの大事な事情にもかかわらず、「つくる会」はすぐに裁判に訴えることもなく育鵬社や八木氏らの言論人に対して、一年余りも粘り強く盗作に関する謝罪を求め続けてきた。裁判による解決ではなく、育鵬社らによる自発的な謝罪によって問題を解決したかったからです。謝罪要求は無視され続け、ようやく平成25年になって、「つくる会」側と育鵬社との間で話し合いがもたれたが、交渉は不調に終わった。同年4月、裁判の場に問題の解決が移された。
ここまで書いて来たのは、「つくる会」の理事で公民教科書執筆者、小山常実著、「歴史教科書と著作権(育鵬社歴史教科書事件判決を批判する)三恵社、3,400円+税、平成28」のごく前半の部分を要約したものです。この本では裁判の様子が詳細に書かれています。いずれにしても裁判の結果は、「つくる会」側が負けたのです。判決の理由は、簡単に分かり易く説明すれば歴史教科書などは、著作権は必要ないというのだ。こんな馬鹿げた判決理由がどこにあるかというのです。私は著者の小山常実氏は、この判決に怒りを感じているのだと思います。だから裁判の様子を非常に詳細に書いています。本の頁数も340頁、値段も3,400円+税です。読むのも買うのもなかなか大変です。ですから皆さん、自分の住所付近の公立図書館にこの本を常備させていただけませんでしょうか。
著者の小山常実氏は、この本のあとがきの最後にこう結んでいます。引用開始
「特に二審判決が歴史教科書の著作権を原理的に否定したことである。今後は、少なくとも単元本文については、他社教科書をコピー&ペーストして作った教科書も完全に合法となる。歴史教科書の世界は盗作教科書で溢れかえることになるかもしれない。生徒に模範を示すべき教科書が盗作で溢れるようになるかもしれないということは、何ともブラックな状態であり、見たくない事態である。そんな状態にしないためにも、育鵬社歴史教科書事件判決に対する批判を社会に広める必要があると考えるものである。」引用終了

実は私も、歴史教科書には著作権などないという判決には怒りを感じた。いずれは自分のブログにも書かなければと思っていた。しかし私は、毎月二回ブログを書いたり、本を書いたり、読書などで結構忙しい。たまたま小説書きに夢中になっていて、この著作権の問題を忘れてしまっていた。しかし今回、ピョンチャンオリンピックのことでこの著作権の問題を思い出したのだ。北海道北見市の女子カーリングチームが試合の休憩中(もぐもぐタイム)に韓国製のイチゴを食べていた。このイチゴは、もともと日本製なのだ。いつのまにか韓国が製作方法を盗み出し勝手に作っていたのだ。マスカットという果物もがありますが、これもシナのある地方で日本メーカーからの制作許可をとらずに自分たちで勝手に作り出していてシナ人自慢の作品にしているのだ。農協とかJTなどが農家に著作権を取るよう指導するのが仕事でしょう。歴史教科書の著作権と農産物の著作権とは質が違いますが著作権の意図は同じです。歴史教科書など著作権などないという判決自体がおかしいのだ。こういう判決は、法律論より時流時勢に左右されやすいのだ。思えば20年前「つくる会」が設立されたとき、朝日新聞を筆頭とするマスコミ関係、日教組を主体とする教育界、野党連合ばかりでなく自民党政府の一部、極左翼団体、韓国、シナまでが「つくる会」に猛反発した。その頃は外国人たちが大東亜戦争関係で日本政府や日本企業を訴えれば裁判に勝って金になる、すなわち「司法が日本を亡ぼす」とまで言われていた。
そこえ「つくる会」が誕生した。誕生以来20年間、「つくる会」の教科書は全国の公立中学校で採用される率は極端に少ない。しかし「つくる会」効果はあがった。それが証拠に歴史上の嘘をついて日本を貶める教科書はなくなってきた。ところが最近、またぞろ古い歴史教科書が復活した。平成28年度から使用されている窓社の歴史教科書だ。日本共産党系の歴史教育者協議会のメンバーである元教員や現職者の教師が作った歴史教科書。この教科書が有名国立中学校5校、有名私立中学校30校以上が採用しているのだ。「つくる会」の誕生以来無くなった「従軍慰安婦事件」を復活させ、「南京虐殺事件」を詳細に語り、旧日本軍の蛮行行為を強調しているのだ。その上裁判では相変わらず、「歴史教科書の著作権は、必要ない」などの「司法が日本を亡ぼす」のような判決が出ているのだ。

私は「つくる会」の会員です。「つくる会」は、日本の大会社からの献金は一銭もありません。全部国民から自発的献金だけに支えられているのです。日本企業が「つくる会」に献金すると、韓国やシナに輸出できなくなると言われているのだ。このままだと「つくる会」の先行きも心配です。トランプはアメリカファーストです。ヨーロッパも各国独自のファーストです。ロシアもシナも自国ファーストです。どうして日本政府も「日本ファースト」と主張して軍事力強化、現憲法破棄、新憲法成立を叫ばないのであろうか。安倍総理は議員時代には「つくる会」を大っぴらに支援してくれたが総理になったらこわくなったのでしょう。結局は育鵬社支持にまわった。二世議員のなれのはてだ。日本ファーストと叫ぶ政治家が誕生しないのだ。現在の日本民族は、ここまで劣化してしまったのだ。もう二と度日本は立ち上がれない国になったのかもしれない。一度経済発展したら、「お花畑」の様な事を言って世界の現実、日本の現実を見ようともしないのだ。どうしても日米同盟を堅持し、「日本フアースト」と力強く主張する政治家を誕生させよう。さもないと「つくる会」のジリ貧が続くだけです。
参考文献:小山常実著「歴史教科書と著作権」(育鵬社歴史教科書事件判決を批判する)
     三恵社 3,400円+税 平成28年

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「南京大虐殺」ユネスコ記憶遺産登録は、日本政府の失態



シナ政府は、「南京大虐殺」に関する文書をユネスコの記憶遺産に登録するよう申請していたが、平成27年10月10日にその登録が正式に認められた。これは安倍政権の外交的失態と同時に安倍政権支持派の保守知識人の失態でもあります。その失態の実状を説明しましょう。
一。文科省の検定
文科省は過去数十年間、公立の中学校で使う全教科書の内容を検定し、その検定合格をもって教科書の販売許可にしてきました。歴史教科書については、南京大虐殺を否定すると検定を合格させなかった。平成9年に「新しい歴史教科書をつくる会」が設立された。設立されたきっかけは、あの嘘八百の「従軍慰安婦」事件が当時販売されていた歴史教科書七社、その全社が「従軍慰安婦」事件を掲載したからです。公立中学校の全教科書は4年ごとに改定され、発売されますが「つくる会」は南京大虐殺を否定しています。歴史的理由は長くなるので省略。南京事件否定では文科省は検定の合格はくれません。結局「つくる会」は折れて南京事件を肯定して検定合格を取ってきました。四年ごとの改定の度に歴史上の嘘を書き続けるわけにいかないと前回の改定のときには「つくる会」は南京事件を否定もせず、肯定もせず、また全く何も書かずに、また歴史教科書では初めて「通州事件」を書いて検定合格を取っています。文科省が南京虐殺を否定すると絶対に検定合格を与えない最大の理由は、「日本歴史学会」と「歴史学研究会」が民間の南京事件研究で有名な東中野修道氏を初め、田中正明、鈴木明、冨澤繁信、阿羅健一、北村稔の諸氏の研究論文など歯牙にもかけず一切を無視しているからです。今でも自虐史観に固まっている「日本歴史学会」、「歴史学研究会」、憲法学者学の集まりの会などが大手を振っているのだ。それを許して眺めているのが文科省なのだ。

二。育鵬社の登場
フジサンケイグループのドン・日枝会長が三億円を支出し、「つくる会」系と同じ保守系歴史教科書を出版する育鵬社を設立(平成19年8月)。育鵬社登場については二つの注目点があります。
1.八木秀次氏は、育鵬社の歴史教科書の監修者の一人ですが、それ以前は「つくる会」の会長であった。八木氏は「つくる会」の会長在任中、「つくる会」執行部には極秘で、「つくる会」の事務局長でもあり日本会議の会員でもある宮崎事務局長をつれてシナの「中国社会科学院研究所」を訪問した。実状は、八木氏自らの訪問ではなくて「中国社会科学院研究所」からの招待であった。シナ極秘旅行がばれたせいもあって平成18年4月30日八木氏と八木派は「つくる会」を退任し、育鵬社に参加しますが、五月に八木氏に招待されて「中国社会科学院」の蒋立峰・日本研究所所長等研究者グループが来日、5月17日に日中討論会が扶桑社で行われた。同時に同じ平成18年7月3日の「AERA」では八木氏は「朝日新聞に批判されるようなものにならないはずですよ」と語っていた。上記の扶桑社の日中討論会で一説にはスパイの李春光が参加していたという。それを証明する写真もあるというのである(月刊「WILL」平成24年10月号)。何を語られたか詳細はわからない。

2.平成23年7月20日河村たかし名古屋市長の肝いりのもと名古屋で中学校歴史、公民教科書討論会が開催された。育鵬社と「つくる会」の自由社だけが出席し、ほかの教科書会社は出席しなかった。その席で育鵬社の歴史教科書監修者の一人である石井昌浩氏(元拓殖大学客員教授)は、「南京事件は確かにあった。これは事実です。犠牲者の数などの実態についてはまだ論争が続いている」と発言しているのです。要するに育鵬社は、否定しても検定がとれないから最初から文科省と議論せず南京事件を肯定しているのです。一方保守の間では、史実的に「南京事件はなかったことが常識になっています」だから「つくる会」は南京事件虐殺に抵抗しているのです。この当時は、私にははっきりわからなかったが、安倍総理が「つくる会」より育鵬社支持をはっきり示していたのでしょう。その証拠に石井昌浩氏の「南京事件」の肯定発言に反発した保守知識人はほとんどゼロでした。保守知識人の雄、また南京虐殺否定派の雄ともいうべき渡部昇一氏は、石井昌浩氏の肯定発言に反発するどころか育鵬社の歴史教科書の監修者の一人になっています。櫻井よし子氏は、自著『日本よ、「歴史力」を磨け』では「南京大虐殺の嘘」がありますが、石井発言に反発するどころか育鵬社の歴史教科書には支援者の写真の一人になっています。日本会議も育鵬社支援の記事を度々月刊誌「明日への選択」に載せています。八木秀次氏、日本会議の伊藤哲夫氏は安倍総理の太鼓持ちだ。八木氏は日本教育再生機構の理事長、その再生機構の複数の顧問が日本会議の幹部でもあり、組織面、運動面で関係が深い。教科書改善の会は、フジサンケイグループの教科書発行を支援グループ。代表世話人屋山太郎氏。ここには学者ばかりでなく多方面の保守知識人が多いい。育鵬社はフジサンケイグループ。フジサンケイは保守系出版グループの雄だ。保守知識人にとって利用価値がある。従って保守知識人は、「つくる会」の歴史教科書より育鵬社の歴史教科書利用の方に価値があった。そのためでしょう、保守知識人でありなが、無意識のうちに民間の南京事件研究者たちの論文を無視してしまったのです。南京虐殺事件に関する限り、日本会議の一般会員は、ただの馬鹿の集まり、自分で民間保守の南京虐殺研究者たちの論文を否定していることが判らないのだ。

三。日中歴史共同研究
一党独裁のシナ政府と民主政治の日本政府と日中の歴史問題を話しあったところで両政府が了解することは有り得ないはずです。日本側の座長を務めた北岡伸一氏はこう書いています。「日中間で歴史共同研究の開始が合意されたのには平成18年10月の安倍晋三首相と胡錦濤主席との首脳会談によってであった。」
安倍総理と胡錦濤の話し合いで「日中歴史共同研究」が始められ、最終的な結論の一つとして南京虐殺事件を日本政府が認めたのだから、「南京大逆説事件」のユネスコ登録は、安倍政権の失態ではないですか。シナ側の代表団、団長歩兵氏は、インタビューでこう語っています。
「中日双方の学者に等しく、自己の論文中に、南京大虐殺は大規模な集団虐殺行為であり、日本軍の南京占領期間に、中国人被害者に対しておこなった残虐な虐殺であったことを明確に認めて記述した。(略)双方の認識は、一致したところもあれば、異なった視点からの考察も存在した。しかし南京大虐殺の歴史事実を否定するものではなかった。」

それでは、日中両国代表団の団長ともいうべき、北岡伸一と歩兵、両氏に質問いたします。平成20年に胡錦濤氏が日本を訪れた時、「南京事件の真実を検証する委員会一同」が平成20年5月に公開質問状を胡錦濤氏に提出しています。全部で五つの質問状です。どれも胡錦濤氏から返事をもらっていません。全部紹介すると長くなりますのでここでは、質問の一だけを紹介します。
「一。故毛沢東主席は生涯にただの一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後の延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?」(参照:えんだんじのブログ「戦争を知らない国民のための日中歴史認識」(平成28年9月24日)
なぜ胡錦濤氏は、これらの質問に答えられないのか、教えてもらいませんか。

皆さんは上記三つの記事、一。文科省の検定 二。育鵬社の登場 三。日中歴史共同研究、を読めば、シナ側は、ひょっとして南京虐殺事件のユネスコ記憶遺産に登録してくるかもしれない等と予想できます。予想通りユネスコ記憶遺産に登録を申請し、平成27年10月10日にその登録の承認が発表された。早速日本では平成27年11月28日東京で「南京大虐殺の歴史捏造を正す国民会議」の集会が開かれ、議長に渡部昇一氏が選ばれています。
私がここで言いたいのは、なぜか渡部昇一氏が平然と議長に選ばれていることです。いいですか皆さん、渡部氏は、育鵬社の歴史教科書の監修者の一人です。その同じ育鵬社の歴史教科書監修者である石井昌浩氏は、すでに書きましたように平成23年7月23日に名古屋の歴史、公民教科書討論会で「南京虐殺事件は、あった」と公言しているのです。皆さん、平成23年7月23日以後、10日間ぐらいの間に、誰か有名な保守知識人で、石井発言に反発した人がいましたか。私の知る限り誰もいません。すでに書きましたように櫻井よし子氏も反対していません。日本会議の連中も反対していません。それにもかかわらず、日本会議の幹部は、「南京大虐殺の歴史捏造を正す国民会議」の参加者名簿には記入しています。東中野氏など民間の保守知識人の南京虐殺事件の研究論文など完全に無視しているくせに平気で加入しているのだ。
平成29年9月15日のえんだんじのブログ、「日本人の政治的幼稚さが国を亡ぼす。」で、私はこう書いています。
「戦前戦後を通じて、日本の保守知識人の特徴は権力から独立した知識人は、極端に少ないこと。むしろ権力によって認められてこそ知識人というか、そのことを望み喜ぶ知識人が昔からの主流なのです。これが日本の悲劇になっている。」
平成27年10月10日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は正式に「南京大虐殺」関連文書を記憶遺産(重要歴史文書を保存)とした。なぜ日本にとってこのような悲劇的結末を迎えたかは、無論日本政府の責任だが同時に圧倒的多数の日本の保守知識人が日本政府に媚びて加担したからだ。すなわち文科省の南京事件を否定すると検定がもらえないことを支持したからです。渡部昇一氏、櫻井よしこ氏、日本会議、日本教育再生機構、教科書改善の会などそのことで文科省や安倍総理を批判したことありますか?

ところで安倍総理は、自民党議員時代は「つくる会」をえこひいきするように支援してくれましたが総理になると育鵬社支持にまわった、何故か。簡単な例を出して説明しましょう。「つくる会」は、どうしても南京事件を認めないと検定がとれない。そこで対策を変えて、南京事件については一切述べない、その代り「通州事件」を記載して検定をとった。これはまさにトランプ大統領ばりの「日本ファースト」なのだ。
安倍総理は、「日本ファースト」で日米関係を対等な同盟関係にしようなどとは考えてはいません、あくまでも日本はアメリカの忠実なポチとして行動したいのです。安倍総理の「70年談話」はその証明の一つです。こういう首相に憲法改正をまかせるわけにはいきません。「日本ファースト」を堂々と主張してくれるような総裁や総裁候補の出現まで待とうではありませんか。そんな首相が出現するはずがないと言う保守の人たちが多いからこそ現れないのです。
参考文献:
1.拙著「保守知識人を断罪す」(「つくる会」苦闘の歴史)平成25年 総和社
2.「戦争を知らない国民のための日中歴史認識」笠原十九司 平成22年 勉誠出版


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日本民族の二大欠陥



一。日本人は、日本語が大嫌い
私のような年寄に言わせると、現在はカタカナ語の大氾濫の時代です。一時総理大臣を経験した小泉純一郎氏が厚生大臣の時、福祉や介護関係の役所用語が訳の分からないカタカナ外来語ばかりに驚き、これでは現場の職員もサービスを受ける側も充分理解できないではないかといって、省内に用語適正化委員会を発足させ、なるべく分かり易い日本語に改めるよう指示したことを覚えている人がいるでしょうか。その時やり玉に上がったのがノーマライゼイション、ターミナル・ケア、ウエル・エイジング・ソサイアティーなどです。
これらの言葉が今現在どのような日本語が使われているのか、あるいはそのまま外来語が使われているのか私は知りません。いまから50年前、私が20代の頃よく利用した職安(職業安定所)が10年前あるいはもっとまえ15年前ぐらいからハローワークと言う言葉が使われた。職安、あるいは職業安定所という立派な、落ち度などなにもない立派な日本語が、なぜ「ハローワーク」などというふざけた言葉になったのかいまだに説明もありません。それどころかこのハローワークなる言葉が完全に日常語化され、職安、職業安定所などもうほとんど死語化したも同然になってしまった。ほとんど死語化した日本語がいくらでもある。最近私は幼児の子育てをしている女性に、「あせ知らずを使ったら」と言ったら、「あせ知らずって何?」と聞くではないか。ベビーパウダーなら知っていたのだ。メーカーも英語読みにした方がかっこいいと考えているのだ。カタカナ用語は大氾濫しつづけ、コンシェルジェ、トレイン・アテンダント、サービスプロバイダー、コンプライアンス、等等。なぜここまでカタカナ語が氾濫するのか。それはもう日本国民が完全に「日本語はダサい」、「垢抜けしない」、「野暮ったい感じがする」、「夢がない」ないなど、最近の会社名などカタカナ一本やり、作っている製品もカタカナ名ばやり、日本語では人は集まらない、品物が売れないときているのだ。とにかく日本人のように自国語を嫌う民族は世界中どこにも存在しません。その原因はなにか。西洋の“物まね”がいまだに時流中の時流だからなのだ。
バレンタインデイーのチョコレートの売り上げは、今では完全に全国的に毎シーズン売り上げに貢献し、今ではハローインパーティの仮装行列が全国化しつつある。さらにびっくりするのはLGTBという言葉です。

今ではまだLGTBの言葉の詳細を知らない人がいますので説明します。女性同性愛(Lesbian)、男性同性愛(Gay)、同性愛(Bisexual)、性同一性障害を含む肉体と精神の性別が一致しない(トランスジェンダー)の頭文字の組み合わせをそのまま、エルジーティービーと読んでいます。日本人得意の英語の日本語化を使わずに今では即座に理解するようになってそのままLGTBと使っているのだ。日本人の英語力の進歩の一端でしょうか?日本人には昔から、自国の日本語を自慢するより嫌ってきた伝統があります。皆さんご存知のように明治の初代文部大臣、森有礼は、日本語を廃止して英語を国語に採用しようと提案しています。大東亜戦争で大敗北し、敗戦後の混乱期に文学者志賀直哉は、日本語の非能率のせいで、日本は愚かな戦争をした挙句惨めな状態に陥ったのだから、この際思い切って色々と問題の多い日本語を捨てて、世界一美しいと言われるフランス語を国語にしなければ日本に未来はないと、まじめに提案していたのだ。これなど「たかが小説家が偉そうなことぬかすな」の一言ですますこともできるが、戦前戦後を通して長く衆議院議員を務め、「憲政の神様」とまで言われた尾崎行雄(咢堂)は、戦後文部大臣を務めていながら、
「日本を真の民主主義国家にするためには漢字を廃止するだけではなく、『日本語と言う幽霊』を退治しなければだめだ」と主張続けたことで有名だと言うのです。私は今回初めてそのことを知ったが、何が憲政の神様だと言うのだ。憲政の神様に値する男ではありません。
明治時代に入ってどっと西洋文明が日本に流れ込んできた。漢字にはない沢山の欧米の語彙を明治の先人たちが一生懸命日本の漢字を当てはめて作った新漢字がおよそ300語、清国からの留学生がこれらの新漢字を逆輸入して清国で使われるようになったのです。こうした明治の先人たちの努力のお蔭で日本は、欧米文明、文化を学び、吸収することができた。今では言葉のハンディで日本が欧米の文明文化の吸収に遅れをとっていないことは、日本国民にとって明白な事実です。それにもかかわらず、小淵恵三内閣の時、彼の私的懇談会が「英語第二公用語」論を発表したのだ。そしてとうとう現在では英語が小学生から強制的に学ばそうとし、そのために巨額の税金が投じられることになった。
カタカナ語の大氾濫、日本在住の外国人の大増加などで英語が第二公用語になるのは時間の問題になってきた。日本語嫌いの日本人には大喜びの事でしょう。

最後に、現行日本憲法の原文は英語ですよ。終戦直後GHQ(アメリカ占領軍)が自分たちの作った憲法を日本人に強制的に押し付けたからです。日本独立後70年以上も過ぎた今でもそのまま使い続けているのだ。現代日本人には、もう日本人意識が何もないのだ。愛国心のない日本人に、日本人意識があるはずがない。

二。日本人は、自分の出世のために祖国をこき下ろす
日本人の最初の日本人毛嫌いは、日本人の容姿からでした。幕末明治になって沢山の欧米人が日本国内で見られるようになった。日本人が驚いたのは彼らの体躯容姿が立派であることだった。日本人の中には、自分たちの「醜く貧弱で見劣りする体」を、西洋人のように立派にしなければだめだ、西洋に負けてしまうと真剣に考え人種改良論を主張する人達もうまれた。その一人が明治初期の大物政治家で北海道開発長官、黒田清隆です。彼は何かにつけて日本人の体格が西洋人と比べて見劣りすることを嘆き、これからの若い者は出来るだけ西洋人と結婚して混血を増やし、日本人の体格を西洋人なみに近づけねばと主張していた。
大正元年、パリ留学から帰国した詩人、高村光太郎は「根つけの国」というタイトルでこういう詩を書いているのだ。
「頬骨が出て、唇が厚くて、目が三角で、各人三五郎の彫った根つけの様な顔をして、魂を抜かれたようにぽかんとして、自分を知らない、こせこせした、命のやすい。見栄坊な、小さく固まって、納まり返った、猿の様な、狐のような、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、めだかの様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人」
この詩の正確な意味は、私には分かりませんが、日本人の容姿をけなしていることは確かです。高村光太郎といえば、有名な詩人だ、よくもこんな詩が書けたものだ。
昭和44年、東京オリンピックの5年後、当時アルゼンチン大使の河崎一郎氏が、英語で「Japan Unmasked」という本を出版した。これは直ぐ「素顔の日本」(二見書房)として日本語訳が出た、日本の読者アッと言わせた酷い本だった。河崎大使は、その本に
「世界の人種の中で日本人は、おそらくホッテントットとピグミーを除けば、身体的魅力の点で、もっとも劣っていると思われる人種だ」と書いているのだ。これ以外でも日本人をけなす文章を書いたのが、国会でも問題になり、彼は大使を首になったのだ。
これはまだ日本人が日本人の容姿の醜さを嘆いているのだからまだかわいいほうです。こが日本人がやってもしない大残虐行為をやったという噓を書いた本が続発した。それで有名になったのがいわゆる「従軍慰安婦」事件(吉田清治/朝日新聞)と「南京大虐殺事件」(本多勝一/朝日新聞)です。この二つの事件はあまりにも有名で保守陣営の人たち誰も知っていますので詳細は、省きます。うそを書いて日本及び日本人をこき下ろす本は戦後直後からかなり書かれています。私の調べを列挙して要約します。
(1)吉田満著「戦艦大和ノ最期」創元社、昭和27年。
吉田満は、戦艦「大和」に乗り組み、九死に一生を得た人。吉田は「大和」乗組員の残虐行為を本に書いたが、生き残りの乗組員に否定され、訂正されずに吉田は死んでしまった。

(2)沖縄タイムス記者、太田良博と牧港篤三「沖縄戦記―鉄の暴風」沖縄タイムス、昭和25年。この本で沖縄の集団自決が日本軍の命令であったと記したことが大問題になった。曽野綾子氏は、「それは、軍命令であったことにしておかないと、島民で死んだ人達の遺族に年金がおりなかったのだ。」と主張しています。渡嘉敷島で集団自殺して命を落とされた人々の遺族にとって、赤松元隊長は、命の恩人にも匹敵する人であったが、それが渡嘉敷島島民ばかりでなく、全沖縄島民から極悪人よばわりされるようなった原因は、この「鉄の暴風」の二人の記者が、伝聞で書いたか、或は勝手に嘘を書いて創作してしまったからです。
「米軍上陸前日、軍は忠魂碑前の広場に住民を集め、玉砕を命じた」、「村長初め役場職員、学校教員の一部やその家族は、ほとんど各自の壕で手榴弾を抱いて自決した」とそのまま記載されています。この本の初版は昭和25年です。この時期米占領軍による検閲制度があった時代。著者は米政府や米軍を表立って批判、非難できないのはわかる。だからといって噓までかいて日本を貶めるとは何事かというのだ。

(3)東史郎「わが南京プラトーン」青木書店、昭和62年。
プラトーンというタイトルは、当時ヴェトナム戦争を描いたアメリカの戦争映画「プラトーン」が上映され、その映画のタイトルを借用したもの。東の所属する部隊が南京場内の警備を命じられ移動中に、一人のシナ人が捕まえられ、筆紙に書くにはあまりにも酷い残虐行為を与えた。その命令をだしたのがH伍長と実名をだした。著者の東は、H伍長は死んだと思っていたのでしょう。H氏は、平成5年、東や出版社等を名誉棄損で東京地裁に提訴した。提訴された東は裁判に負け、東は新たに弁護団を結成し、東京高裁に控訴。
平成8年9月から公判が開始された。著者の東は証拠集めと称して南京を訪れ、南京虐殺館が彼に協力、この頃には東の名前はシナ全土に知れ渡り、シナ人の間で一番有名な日本人になっていた。平成11年3月、「わが南京プラトーン」は豪華な装丁でシナ語版出版され、4月には東とその弁護団は訪中し、北京や南京のテレビに出演、日本政府と裁判所批判をくりかえしていた。最高裁の判決は、東と青木書店の敗訴と決定。この裁判で勝訴した高池勝彦弁護士は、シナから「歴史を歪曲する右翼」と名指しされ、批判されたあげく、顔写真は瀋陽の抗日記念館に展示された。高池弁護士は、現在では「新しい歴史教科書をつくる会」の会長でもあります。平成18年1月東は大腸がんのため死去、93歳。この時シナ政府から哀悼の意が示された。

4.丸木位里、俊夫夫妻「南京大虐殺の図」
丸木夫妻は、反戦画家として知られています。夫妻共同で描いた代表作、「原爆の図」は有名で、埼玉県、東松山市の丸木美術館で「原爆の図」は、常時展示されています。常時展示されている夫妻の絵の中に「南京大虐殺の図」があります。」この絵の完成は、昭和50年です。それから22年後の平成6年8月17日の日本経済新聞に小さな見出しつきで次のような記事が載っていた。まず見出しは、
『「南京大虐殺の図」巡り論争、写真では中国兵が処刑(徳島の研究家)、蛮行を訴えるのが目的(反戦画家の丸木さん)』。その記事は次の通りです。
「反戦画家として知られる丸木位里、俊夫夫妻の作品『南京大虐殺の図』をめぐり、徳島県小松市の戦時教育研究家茶園義男さん(70)が自分の持っている絵の構図と良くにた写真では中国軍保安隊員が中国人を処刑しているのに、丸木作品では日本兵が処刑となっている。」と指摘している。
丸木俊さんはこの写真をモチーフにしたことは認めたが「作品の意図は旧日本軍の蛮行を訴えることで戦争を否定することにあり指摘は検討違い」と反論している。
「南京大虐殺事件」は日本、シナ間で論争の的になっています。日本政府は、南京大虐殺はあったが被害者数は、まったく不明の立場です。一方日本の保守陣営は、南京第虐殺は全くなく、単なる捏造に過ぎないとの立場です。それを丸木夫妻は、シナ政府の主張を自ら証明することもなく勝手に彼らの主張を認め、しかもその証明のために中国軍保安隊員が中国人を処刑している写真を日本軍が中国人を処刑している絵に変えているのだ。絵画では少しでも他人の筆がはいると贋作といわれ、相手にされないが、写真はその構図をかってに絵にかえても贋作にならないのだろうか。いずれにしても丸木夫妻は卑怯な手を使っているのだ。しかも驚くなかれ丸木夫妻は、ノーベル平和賞候補にも選ばれているのだ。丸木美術館のある東松山市の市当局に丸木夫妻の「南京大虐殺の図」を美術館から撤去するよう要求します。
このブログの作成にあたって二冊の参考文献を使用しています。一。「日本人は、なぜ日本を愛せないのか」(鈴木孝夫、新潮選書)。二。拙著「逆境に生きた日本人」(展転社)。





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「談合」という日本の文化



今年の1月12日、成田空港の滑走路や東京のコンテナふ頭などの舗装工事の入札をめぐって大手道路舗装会社が談合を繰り返していたとして、公正取引委員会は独占禁止法にもとづいて合わせて8億円の課徴金を命じる方針をかためたと報じていた。産経新聞の1月16日の一面記事にリニア中央新幹線建設工事(総工費9兆円の巨大プロジェクト)をめぐってゼネコン大手4社(大林組、鹿島、大成建設、清水建設)による談合事件で、鹿島建設が社内調査の結果、不正な受注調整に関与していなかったと結論付け、独占禁止法の課徴金減免制度(リーニエンシー)に基づく違反の自主申告を行わない方針を固めたことが15日にわかった。課徴金減免制度(リーニエンシー)についての説明記事は以下のとおりです。
「企業が自ら関与した談合やカルテルについて、違反内容を公正取引委員会に自主的に報告した場合に課徴金が減免される制度。(寛大さ)を表する語源の英語から(リーニエンシー)と呼ばれる。公取委の調査開始前に最初に申告した会社は課徴金の全額免除だけでなく、刑事告発も免れる。先着順で5社までで、一番目は全額、2番目は50%、三番目以降は30%が減額される。」
これはアメとムチが明確で事実上の司法取引ともいわれるゆえんだ。

ここからは私の体験談を書きましょう。今から50年まえ、私が29歳の時、ニューヨークの株式市場に上場しているアメリカの一流建設会社F社の東京の調達事務所に入社した。当時世界中で石油化学プラントの建設需要で沸いていた。石油化学プラントだけでなく大規模プラントを建設しようとする顧客は、国際入札にかけてどこの建設会社に建設させるかを決めてゆきます。この時期日本の建設会社とアメリカの建設会社の応札方式が完全に違っていた。日本の建設会社は、このプラント建設に一括して5億ドル掛かると見積もればば、5億ドルと応札していた。この一括応札方式をランプサム(Lumpsum Price)と呼んだ。一方アメリカの建設会社は、実際の建設にかかった費用は全部請求しますが、その他に建設手数料を請求していた。要するに建設費用プラス手数料の二本だて見積書をだしていた。これをコストプラスフィー(Cost Plus Fee)と呼んでいた。
日本の会社の一括払い方式(ランプサム)では、欠点があった。建設期間が長いから当時5年から長くて10年。段々工場規模が大型化して建設が終わるまで期間が長くなっていた。そのため、世界的な原料、資材の値上がり、労賃の値上がりなどで一括方式(ランプサム)で契約すると赤字になる恐れがあった。アメリカの会社のように建設にかかった費用は全部請求し、その他に建設手数料を請求するほうが、損する機会が全然ないからです。プラント建設に必要な資材、機材、機器の買い付けに膨大な費用がかかります、アメリカの建設会社は、一番安い値段で買っていることを証明しなければなりません。それでは私が勤めていたアメリカのF社は、一大プラント建設請負の仕事を契約した時に行う東京調達事務所での大がかりな仕事をできるだけ簡潔に書いてみます。
F社がサウディアラビア向け(顧客アラムコ)の月産30万との石油精錬プラントを受注。すぐにContract No.(契約No.)1212などの必ず4桁の番号が割り当てられます。F社は世界中でプラント建設を行っているから、このいろいろの4桁の番号が必ずあたえられる。このContract No.をみればどのプロジェクトのことがすぐ分かる。本社から日本メーカーに出すべ無数の引合い書が送られてきます。ここで驚くべきことは、その引き合いの種類の多さです。皆さんビックリするかもしれません、石油精錬プラントに使う、ボルト、ナットの単独の引合書までが作られるのです。まるで精錬プラントをまるでノックダウンするように分割されて引き合い書が作られるのです。電線、変圧器、溶接した鉄骨、工作機械等々、こういう種々雑多な引合が来る。私はたまたまこういう雑多の製品の購買担当だったのだ。私が技術的なことには全く素人だったからです。その代わりやることは全く商社マンだった。メーカーの英文見積もり、英文書類の作成を手伝うことも多かった。アメリカ本社は、重要な機器からこういった部品感覚のような雑多の製品まで無数の引合をつくり、それを欧米、日本その他に送って国際入札し、そこから品質的に最高であり、価格的に最低の値段で買い付けていますよということを顧客に証明できます。そのため私の実体験でもF社は理由もないのに値引きなど絶対要求せず、どんな値段でも船済み後30日,全額現金払いです。
入札応募者は、入札書類の基づいて見積作成しますが、その見積りはすべてsealed bid(封印した見積書)で全部アメリカ本社に送られ、見積り提出の締め切りの翌日、一斉に公開されて見積書の評価が始まります。またその日までに日本メーカの見積書のコピーが私あてに送られてきます。見積書についての質問があれば東京事務所にテレックスで送られてきます。これによってF社が如何に公正に安く買っているかを顧客に示すことができた。F社が顧客に請求する費用の公正さは、購買金額だけではなかった。

私たち日本人スタッフもアメリカ人スタッフも全社員、毎週月曜日に先週のワークシート(work sheet)の提出を義務づけられた。月から金曜日まで毎日自分が働いた各プロジェクトの労働時間を書き込むことになっていた。例えば先にあげたアラムコのプロジェクトNo.1212は月曜日4時間、他のプロジェクト NO.では2時間、また他のプロジェクトNo.では2時間、計8時間、最終の金曜日までつけて5日間で40時間。残業があれば、プロジェクトNo.ごとに計5時間。合計45時間に自筆のサインを書いて提出です。各プロジェクトごとに建設が終わるまでの各事務所の労働時間数がわかります。
まだ他にもあります。コピー機が置いてあるコピー室には、現在作業中のプロジェクトNo.
が書いてあるシートがあります。アラムコのプロジェクトNo.1212用のコピー5枚とればコピーをとる日付けと枚数を書きこみます。その他にこういうこともします。お客さん(業者)二人が私に会いに東京事務所にやってきます。会社ではお茶、コーヒー、あるいはコーラを差し上げることになっています。サービスする女性は、プロジェクトNo。と日付けとコーヒー1、お茶1、コーラ1とかのように書き込みます。最終的のこのコストはF社の顧客に請求されます。要するに建設に関わるものはすべて請求し、その他に建設手数料を請求する場合、こういう購買方法をとるのが一番良いという見本のようなものでした。私が入社した当時、日本の建設会社もランプサム プライスでなくコストプラスフィー方式の値段を提出したくてしょうがなかった。それが出来なかったのは、国際入札経験の差と談合方式慣れた企業の差だったのでしょう。
あまり海外取引の経験のない中小メーカーは、このやりかたに全然なれておらず、最初のうちは半信半疑であったが、実際に値引きなしで注文が決まり、船済みされ、支払いが船済み後30日で全額現金で払われると、彼らの目の色が変わった。国際入札でも日本勢のなかで一番札をとれば、日本に発注されるのを実感したからだ。それでさえ中小メーカーの中には、日本の大手の建設会社から直接引合をもらうことがむずかしかったのだ。
こうしてF社の東京調達事務所は、私が入社して以来12,3年間は全盛期であった。検査、運送などの取引先は、出向社員をF社の東京事務所に常勤させるようになった。その時にはわからなかったが、今にして思えば、1㌦360円という固定相場がいくら先進国ならどこでも作っている製品でも日本製品なら中近東のプラント建設現場に運んでも安かったのだ。全盛期、東京事務所だけで毎年調達金額100億円をゆうに超えていた。

しかし東京事務所の繁栄期は終わった。1㌦360円の固定相場制が終わり円高になり変動相場制になったからだ。F社は東京事務所にレイオフを求めた。二度目のレイオフの時、私は退社した、48歳の時であった。私は18年間購買スタッフとして働いたが、F社の買い付けの公正さには驚くばかりであった。私には確信はないが、この時までに日本の建設会社は、国際入札では,建設に関わる費用はすべて請求し、建設手数料はいくらですといわゆるCost Plus Fee 方式の値段が出せるようになっていたはずです。何故なら国際入札で「談合」方式などできないからです。
しかし現在でも国内の大プロジェクトでは、相変わらず「談合」取引きが健在です。私がこのブログ記事で最初に取り上げた課徴金減免制度(リーニエンシー)が施行されたのが平成18年1月からです。談合ビジネスがこの50年間繰り返し行われていたのでしょう。談合は違法行為です。皆さんそのことは十分かっています。しかし建設会社の上層部が「談合」と決めたら、皆しぶしぶながらでも当然のごとく従うのです。定年退職した役人や元建設会社社員は、談合は必要悪と肯定し、徹底して嫌った人に会ったことはありません。なぜ「談合」を受け入れようとするのか。私は日本国民というのは徹底的に論理的に考え、論理的に行動することを嫌う民族ではないかと考えています。

話題からはずれますが、大東亜戦争でも日本は徹底的且つ論理的に考え、論理的な見事な作戦をたてながら実行できず、山本五十六の真珠湾攻撃という愚策を生み、彼は偉人にまでになった。敗戦後GHQの作った憲法を強制的に施行され、独立回復後もそのまま現在まで使い続けるという馬鹿丸出しの行為です。そして現在の憲法改正問題でも非常に多くの日本人が徹底的に論理的に考え、論理的な憲法が作れないのだ。無意識のうちに見たくないこと、意識したくないことを避けようとしているのです。
ところで「談合」と言う言葉は英語で何と言うのでしょうか。これこそ「談合」という意味の英語だという単独の英語の言葉はありません。私の和英辞典では、「談合」とは、conspire(conclude) to fix prices before tendering. と表現しています。
「談合」とは日本文化の一つの弱点ではないでしょうか。必要悪どころか違法行為の罪なのです。日本の大組織がぐるになって堂々と悪事行為を繰りしている犯罪なのです。経営陣も労働組合もなぜやめようと声を出さないのでしょうか。談合事件があれば、国民もまた談合事件があったのだと、平気のつらだ。談合事件に麻痺して論理的に判断した行動ができないのだ。すでに書いてきましたが、現行憲法でも同じようなことが言えます。

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現在の日本国民が絶対必読すべき本



その本のタイトルは、「自衛戦力と交戦権を肯定せよ」、小山常美著、自由社。小山常美氏は「つくる会」理事であり公民教科書の執筆者の一人。自由社は「つくる会」の発行する教科書の出版社。今年は現行日本憲法の改正について本格的に論議されるでしょう。私が国民の皆さんに、なぜこの本を必読の本と薦めるのか、その理由は以下の通りです。
1.本の頁数は104頁、本の値段700円+税。内容充実、値段が安い。国民必読の書にはもってこいの本です。憲法改正の最大の注目は、軍事関係です。この本は現行憲法の軍事上の法的欠陥を示し、どう法的に対処すべきか詳細に書かれています。

2.憲法改正問題で一番重要なのは、軍事条項です。すなわち外国に関わる問題です。憲法改正問題が純然たる国内問題だけであるなら、いつでも簡単に修正、改正できます。しかし軍事条項は外国との関係、外交関係です。それだけに軍事条項の法律は、徹底して法的に、論理的に討論し、外国に曲解、歪曲されない条文を規定しなければいけません。私の推薦するこの本は、すべて軍事条項に関することだけを徹底して詳述しています。

3.憲法問題は堅苦しい問題になりがちです。そのため日本国民の多くの方々は、知識人はどのような考えを持っているのかに敏感になっていて、知識人たちの考え方を参考にしようとます。しかし私は、皆さんに自分たちで考えて、自分たちで結論を出して決めてくださいとお願いしています。私と同年代のオランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレンという人がいます。彼の書いた「日本・権力構造の謎」は世界的なベストセラーになった。その後彼が書いた本、「日本の知識人へ」の一頁目の論文のタイトルは「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追随するのか」。その論文の書き出しの文章には、こう書いてあります。
「日本では知識人が一番必要とされるときに、知識人らしく振る舞う知識人がまことに少ないようである。これはいたましいし、危険なことである。さらに、日本の国民一般にとって悲しむべき事柄である。なぜなら、知識人の機能の一つは、彼ら庶民の利益を守ることにあるからだ。」
私はこのウォルフレンの言葉に全く賛成です。日本の知識人は「ひたすら権力に追随するのです。」時流や権力に媚びることなく独立した冷静な話をしてくれる知識人が極端に少ないのだ。憲法学者、歴史学者、政治家たちは、終戦後当時の権力者、GHQに競うように追随したのだ。現在の憲法改正では安倍総理への保守知識人の追随者であふれるばかりです。

4.平成29年5月3日、安倍総理は憲法改正への新提案を提出した。その提案は憲法九条一項と二項を温存したまま三項を追加し、自衛隊が憲法違反だと言われない根拠規定とするという案でした。これに対して驚くなかれ、多くの保守知識人はこぞって賛成した。安倍総理の太鼓持ち知識人や太鼓持ち知識人になりたがる保守知識人がごまんといるのだ。
彼らは安倍総理の改正提案に全く賛成でもないのだが、安倍総理が改正しようと言うのならこの際憲法改正しよう。改正できるのは安倍総理しかいない、他に安倍総理の代わりに任せられる政治家はいないのだの一点ばりです。

5.この安倍総理の改正に反対なのがこの本の特徴なのです。現行憲法は、終戦直後アメリカ占領軍によって強制的に作成、施行されたのです。現行憲法を改正してしまったらアメリカ占領軍が作った憲法を現在の日本国民が認めたことになります。其の点を全く考慮しようともしないのです。また自虐史観をそのまま認めたことにもなります。帝国憲法が悪い憲法だったと日本国民は教えられてきた。それが不自然に容認されてきたのです。日本の憲法学者や歴史学者は、国民に嘘を教え込んできたのだ。この現行憲法を改正せず破棄し帝国憲法を復活させ、その帝国憲法を即改正すればいいのです。これこそが私が必読と勧めるこの本の主張です。私は現在の日本の保守知識人の主張など、「はい、そうですか。」と簡単に認めるわけにはいきません。皆さん、ぜひ小山常美著、「自衛戦力と交戦権を肯定せよ」をお読みください。

若い選挙権のある皆様へ。
皆さん、私が先ほど申し上げたように、この現行憲法は、日本敗戦後すぐにアメリカ占領軍(GHQ)によって強制的に施行されたものです。政治家、憲法学者、歴史学者などその強制施行という印象を極度に薄めようと細心の努力をはらってきた。国民にうそもついてきたのです。その結果日本独立回復後70年以上も何一つ変えることもなく保ってきたのです。現行憲法を改正すると、GHQが作った憲法は、日本憲法、すなわち日本人が作った憲法になってしまいます。そこで私の勧めるこの本は、現行憲法を法的に、論理的にどのように改正し、改正後の憲法をどのように処するかが書かれています。104頁という薄さだからぜひ熟読をお願いします。現在の日本人は現行憲法や大東亜戦争など自分自身で学ばないと本当のことを理解できないのです。私自身このことを知ったのは、40代に入ってからです。皆さんの努力を期待しております。

定年生活をしている皆様へ。
日本人の人口構成で私たち定年生活者の層が一番多いのです。すなわち私たちの動きで日本を動かすことができるのです。私たちが一致して安倍氏の改革に反対すれば、私たちの考え方を採用しようとする政治家も現れます。しかし残念ながらサラリーマン生活、40年もやっていると、いつも上からの命令で動くことに慣れているから、自分で決断して行動することに慣れていない。しかしこの憲法改正問題は、日本の明日を決める最重要問題です。どうか自分自身で勉強し、自分の判断で決めてください。その判断材料の一つとしてこの「自衛戦力と交戦権を肯定せよ」を読んで参考にしてください。

安倍総理への私の見解。
保守陣営の多くの方々は、安倍総理だけが頼りだ、安倍総理の代わりになる方がいないから、しかたがないのだの一点ばりです。私も最初は強力な安倍支持者であった。しかし彼には完全に失望した。一国会議員の時代から安倍氏は「つくる会」運動を積極的に支持してくれた。しかし総理になり育鵬社が設立されると反「つくる会」の伊藤哲夫氏、八木秀次氏などの支持に変節した。今ではこの二人は、安倍氏の太鼓持ちであることがわかった。この変節に加えて平成27年の安倍談話。平成29年の安倍氏の憲法改正内容等で完全に失望、絶望した。安倍氏にはアメリカの属国から完全に日本独立国家にし、対等の日米同盟を築こうとする勇気も根性もないのだ。所詮二世議員の一人、いざとなると度胸、根性もないのだ。保守支持者の連中は、安倍さんの代わりがいないと主張します。日本民族の資質が劣化してしまったと考える支持者が極端に少なっているのだ。これも日本民族資質の劣化の証明でしょう。
昔流の差別用語を使えば、戦争に負けた日本は毛唐が作った憲法を、日本国憲法にしろと言ったらその憲法も何一つ帰ることもなく日本独立後70年以上使い続けているのだ。私たちのすぐ上の先輩たちは、大東亜戦争で勇戦奮闘し、祖国日本の為に若い命を投げだしてくれたのだ。例え敗戦でも毛唐が作った憲法を独立後70年以上も無効にすることさえもできないのだ。私たちは、日本人の魂、「大和魂」を完全に失い、死語にしてしまったのだ。

私事を書きましょう。私は平成21年に自民党党員になった。党員番号0914-00996-8。その年は鳩山由紀夫内閣が誕生した年です。当時自民党員の登録数が激減したころです。自民党を潰してはいけないと入党したのです。以来今日まで自民党員を続けています。もし安倍総理が主張した通りに憲法改正が国民投票で支持されたら、私は自民党員をやめます。祖国日本の復活の夢が絶えたからです。こんな私を時代遅れの男と笑わば、笑え。俺は死ぬまで戦い続けるぞ。アメリカが作った憲法を日本製の憲法と認めるなら、その後の日本は、どうなるかはこの本に書いてあります。私の意見に賛成、反対にかかわらず、この本「自衛戦力と交戦権を肯定せよ」を読んでください。こういう考えもあることを知っていただきたい。お願いいたします。
最後にこの本の著者、小山氏の考え方は、「つくる会」の統一した考え方ではありません。「つくる会」にも色々な考え方がいます。それだけに皆さんも、自分自身で勉強し、自分自身で考えてください。その参考用としてこの本をぜひ読んでみてください。


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日本人の政治的幼稚さが国を亡ぼす。



現在の日本は、民族の二つの政治的幼稚さで苦境に陥っている。その二つの政治的幼稚さとは、
1.戦後の原水爆実験禁止運動。
私は原水爆禁止運動に条件付きで賛成でした。その条件つきとは日本人各家庭に核シェルターを備えるよう政府に要求することでした。日本が核兵器を持たないのなら、二度と日本人が原水爆の被害を会わないように核シェルターを備えるのが当然だからです。ところが原水爆実験禁止運動に積極的な参加者も一般国民も、各家庭や団体向けの核シェルターにも関心を示さなかった。現在北朝鮮が大陸弾道弾テストや核実験テストをやると、万一日本列島を飛び越える時、事故でもあったらと子供たちは防空ズキンをかぶらせて避難しているのだ。まるで空襲警報の練習だ。現在世界で国民の100パーセントを核シェルターに収容できる国が二つあります。スイスとイスラエルです。両国とも原爆を投下された経験はありません。経験のある日本の核シェルター普及率0,02%に過ぎない。核シェルターなどなにもないのも同然。あまりにも幼稚な民族の姿ではないでしょうか?

2.独立回復後70年以上続くアメリカへの徹底した依存度。
独立回復後、GHQ憲法を廃棄し、新憲法制定して独立回復国として日米同盟堅持しながら正真正銘の独立国としての道を歩めばいいものを、GHQ憲法をそのまま維持し続け、なにもかもアメリカに依存し続け、戦後ほぼ70年アメリカが助けてくれるだろうの意識ばかりが日本の政治家も国民にも浸透し、危機意識などなにもないも同然。日本民族は独立国家としての気概もなければ、国防を充実して備えようともしない、ただ8月15日になるとやたらと「戦争はしてはいけない」と繰り返すだけ、国の備えなどもっと強力にしなければならないなどと考えもしないのだ。世界の独立国はどこでも、自分の国土が一部でも失うものなら、又自分の国の国民が強制拉致され強制労働させられたら、物凄く敏感に反応するのが普通です。ところが日本では戦後70年間アメリカに守られていたせいか、全く鈍感で愛国心もないのだ。日本の愛国心とは国際スポーツで本国日本を応援するのが愛国心だと思っているのがほとんどです。日本が戦争になったら国のために戦う若者の率は、外国に比べて極端に低い。それどころか日本をどうしようもない悪い国にしたり、外国に占領された方が日本は良い国なると思っている気の狂った日本人が多すぎます。領土という外交問題についていかに日本が何も具体策をとってこなかったかを列挙します。

(1).竹島問題
1952年韓国は李承晩ラインを設定し、その内側にある竹島を韓国固有の領土とし、1954年から韓国の警備隊が常駐し、いまだに実行支配している。日本政府は自国の領土と主張しているが何もしない。島根県は「竹島の日」を設けて行事化しているだけ。安倍総理は「竹島の日」は政府の主催にすると言ったがなにもしていない。国際司法裁判所で戦おうともしないのだ。もう63年間も韓国に実効支配されたまま、日本は竹島を失ったも同然。国民はただ茫然とし眺めているだけ。韓国旅行には平然と大挙して出かけるのだ。
2、北朝鮮の拉致問題
1970年頃から1980年頃にかけて日本人拉致が多発。現在日本政府公認の拉致被害者は17名。2002年9月北朝鮮は日本人の強制拉致を認めた。その後何も進展なし。
3.北朝鮮の核実験と長距離弾道弾ミサイルの連続発射の強行。
日米軍事同盟は、アメリカが主、日本が従の主従同盟だから、日本は何もできない、またその軍事力もない。いま日本が一番しなければならないことは、日米軍事同盟を対等同盟にすることと日本の軍事力強化です。これによって初めて拉致被害者の救出作戦。核実験基地、弾道弾発射基地を空爆できるのです。日本は独立国だがもう怖がって、またアメリカにも気を使って、本格的な軍事力増強(核兵器も含む)ができないのではないか。上記救出作戦、実験基地空爆はいつまで手付かずのまま続くのだろうか。
4.北方四島
日本は北方四島の返還をロシアと交渉したことがない。プーチンは北方四島を返すとも一度も言ったことはありません。それどころ北方四島の軍事基地化を進めています。それに今度は対北朝鮮への国際的制裁に積極的に協力しようともしないなだ。それなのに何故日ロ経済協力協定をことさら進めようとするのかわかりません。安倍総理は、お坊ちゃま育ちだからプーチンと何十回も合って自分の誠心誠意を示せば、プーチンは分かってくれると思っているのだ。政治がからむと日本人の誠心誠意など外国人には通じないのもわからないのだ。安倍総理はプーチンと会談したのが19回目、それなのにロシア強行姿勢が目立つばかり。日ロ経済協力協定の突然の日本側キャンセルは、外交的波紋をよぶから、のらりくらり交渉を続け立ち消えにしてしまうのが一番良い。
5.尖閣諸島
日本の領土なのに1970年代からシナと台湾が領有権主張。それまで尖閣諸島は、日本人個人の所有領土だったが、5年前意に日本政府が買い上げて国有化した。以後シナ船の領海侵犯が絶えず続いている。なぜ日本政府は、尖閣諸島に自衛隊の基地を設けないのか。軍事力強化は、お金の問題だが、尖閣諸島に自衛隊の基地をつくるは、「やる」か「やらないか」の意志の問題でしょう。安倍総理はシナとの衝突をこわがっているのだ。いま何もしなければ、尖閣諸島は竹島の二の舞になります。
6.北海道、佐渡島、新潟市、対馬、五島列島等の危機。
現在私は、日本国民が絶対に読まなければない必読の書は、今年7月10日kadokawaから出版された宮本雅史著「爆買いされる日本の領土」。特に北海道はシナの32番目の省になるといわれるほどの危機感なのだ。なぜ日本の領土は爆買いされるのか。理由は簡単。諸外国では当たり前のごとくある外国人の土地買い規制が日本にはないのだ。日本人はシナの土地を買えないが、シナ人は自由に買えて犯罪にもならない。メディアは、加計や籠池には膨大な時間をかけて報道するが、日本領土の爆買いには一切関心をしめさない。
7.いつになったら日本にスパイ防止法が施行されるのか?
この重要な問題であるスパイ防止法がいつ制定されるのかもわからない。政治もメディアもこれをわざと触れないようにしていると私は判断しています。何か得体の知れないものが国会内とメディア界に浸透しているのでしょう。

上記の難しい外交問題を解決するには、日米軍事同盟を堅守だが日米を対等な関係にすること、日本の軍事力を強化することです。私は安倍さんならこれができると思った。なにしろ当時の安倍さんはかっこよかった。一自民党議員時代は、「つくる会」が四面楚歌のような状態の時、安倍さんは積極的に「つくる会」を支持してくれたのだ。総理になった時もかっこいいことを言ってくれた。「戦後レジームからの脱却」、「河野、村山談話を見直す」、「竹島の日は国が主催する」、「憲法改正」、等々、立派なことを言ってくれたのだ。私が安陪さんから目をさまされたのは「70年談話」です。もう安倍さんではダメだと思った。しかし安倍さんの後に継ぐ人がいないから、安倍さんを信じてついていくほかはないのではないかと一時的に思ったこともあった。しかし現在では私は反安倍派です。8月18日付けの産経新聞の西尾幹二氏の記事、週刊ポストの9月8日号の西尾氏との談話記事、私はこの両記事の内容には同意同感です。
私はなぜ西尾幹二氏の意見を尊重するか。皆さん、戦前戦後を通じて、日本の保守知識人の特徴は何だと思いますか。それは日本では権力から独立した知識人は、極端に少ないことです。これは日本の悲劇です。むしろ、権力によって認められてこそ知識人というか、そのことを望み喜ぶ知識人が昔からの主流なのです。それだけに権力から独立した知識人は、自分のことより国家にとって大事かどうかを優先します。それだけに権力から独立した保守知識人、西尾幹二氏の意見は貴重なのです。

そこで両記事(産経新聞、週刊ポスト)では西尾氏が書いてもいなければ、話してもいないことをここに書きます。安倍さんの後釜がいないそうだが、ではどうすればよいか?
アメリカ大統領選挙のとき、私のブログでアメリカ国民にトランプを大統領に当選させるな、クリントンを当選させろと書いた。クリントンが素晴らしい政治家だからではない。クリントンなら今後4年間の政治姿勢が大体予想できるし、少なくとも4年間は可もなし、不可もなしの業績で次期大統領に引き継ぎができる。しかしトランプ大統領では何をするか、突拍子もないことしでかすか世界でもアメリカ国内でも不安だ。クリントン大統領の4年の間に共和党に素晴らしい候補を誕生させたらどうかというようなおこがましいブログを書いたことがある。
安倍さんの後釜いなくても、自民党の議員だったら可も無し不可もなしの者を首相を選び、その間に保守言論界がそれこそ西尾幹二氏が産経新聞に書いてあるように「民族の生存賭けた政治論議を」して、それこそアメリカのポチと言われるようなアメリカに盲従する日本から脱却して真の独立国として行動できるような政治家を育てようではないですか。
ここで注意しなければならないのは、私たちは集団主義社会だからすぐ「仲良しクラブ」を作ってしまうことです。すなわち同じ意見同志の者が集まり違う意見を排除してしまうことです。育鵬社設立された頃、私は反育鵬社のブログを幾つか書いて、いつも当然の如く転送していた「南木クラブ」や「百人の会」から「えんだんじのブログ」は送ってくれるなの指示がきた。私は自分のブログを頭さげて読んでくださいなどの気はもうとうないので、それ以来「えんだんじのブログ」は転送していません。こういう「仲良しクラブ」に陥っちゃだめです。私が「つくる会」がいいと思うのは、「つくる会」には色々な思想信条の人がいます。いっけん左翼じゃないかと思う人もいます。それでも「つくる会」の教科書を国内に浸透させようと皆一致しているのです。
安倍さんの後釜いないと言うことは、私がこのブログのタイトルに書いた日本民族の幼稚化が極度に達したせいと考えています。日米軍事同盟は大事です。しかしアメリカのポチとして盲従70年はもうやめましょう。奴隷的独立国家ではなく、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」とはっきり言えるような対等な独立国家を求める政治家を保守言論界一致して育て上げようではありませんか。難しいかもしれません。しかしそうでもしないと日本の明日はありません。


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ガキ大統領トランプ(その2)



トランプ大統領は、またガキ大統領と呼ばれるにふさわしい事をやった。平成29年7月4日付けの産経新聞にこう書いてある。
引用開始
「トランプ大統領は2日、過去にプロレス大会に出場した際の映像を編集し、自身が殴りつけている敵役の頭部に米CNNテレビのロゴを重ねる加工を施した上でツイッターに投稿した。映像はトランプ氏が暴力による言論弾圧を奨励しているようにも受け取れるため、米メディアや野党から『とても大統領のやることとは思えない』と批判の声が噴出している。
28秒間にわたる問題の動画は、世界最大のレスリング団体WWEによる2007年の興行『レッスルマニア23』の映像を使用、リングサイドにトランプ氏が、CNNのロゴで顔が見えないスーツ姿の男性を押し倒して何度も拳で殴り、立ち去る様子が数回にわたり繰り返される。
映像の最後にはCNNならぬ(FNN(詐欺ニュース・ネットワーク)の文字が映し出され、日頃トランプ氏に批判的な報道を展開しているCNNへの意趣返しなのは明らかだ。
CNNは同日、声明を発表し、『本日は、合衆国大統領が記者に対する暴力をけしかけるという悲しむべき日となった』と述べた上で、ロシアのプーチン大統領との初会談や北朝鮮情勢などの懸案をよそに、トランプ氏は『極めて低次元で幼稚な行為に没頭している』と非難した。トランプ氏は6月29日のツイッターでも、MSNBCテレビの朝の報道番組「モーニングーショー」の女性記者(ミカ・ブレジンスキー、筆者挿入)について『知能指数が低く頭がおかしい』『(前に会ったときに)顔のしわ取りの整形手術でひどくて出血していた』。などと罵倒する発言を書きこみ、波紋を広げていた。
トランプ氏は一日に何時間もテレビの視聴に費やし、自身に関する報道を詳しくチェックしているとされ、一連のツイッターでの発言は、メディアの政権批判に対する同氏の苛立ちが異様な形で暴発した結果と言えそうだ。」
引用終了。

私はトランプ大統領がプロレス姿でCNNをこてんぱんに殴りつけるテレビ映像を夕方7時のNHKテレビニュースを見た。翌日この産経新聞を読んだ。このときふと思った、今時アメリカの子供たちにとって、アメリカ大統領は、将来なってみたい人気職業なのだろうか?実は私は外資系5社渡り歩いて40年。そのうちアメリカ系外資で働いたのが28年。だから米国本土からやってくるアメリカ人社員と雑談する機会は非常に多い。その中で今でも記憶に残るのは、あるアメリカ人が「私は、子供のときアメリカの大統領になりたいと思った」と言ったことだ。以来その事が気になって何人かのアメリカ人に雑談の機会にアメリカの子供たちにとってアメリカ大統領は将来なってみたい職業なのか聞いてみた。なにしろ私の世代の子供時代は、日本の総理になるとか、なってみたいと思うのはほとんど皆無だからです。私が驚いたのはアメリカでは、子供たちが大きくなったら大統領なるとか、大統領になりたいと思うひとが多いのだなと言うことでした。それだけ当時はアメリカの子供たちは大統領に対する尊敬の念が強かったのだなとの思いです。これは私が4,50代の頃の話です。
現在のアメリカでは、子供達は、アメリカの大統領になるとか、なりたいと思う子は多いのだろうかとふと疑問に思ったのです。少なくともトランプ大統領では、大統領としてアメリカの子供たちに尊敬の念をアピールさせるものは何もないということ、それどころか子供心にも幻滅を感じさせる点が多いと思います。

ニューズウイーク誌(2017/07/11)では女性報道記者ミカ・ブレジンスキーへの批判は、あまりにもひどい女性差別的発言だとメディアがこの話題で一色になり、その結果トランプにとって不利なほかのニュースがかき消された。その例;
1.オバマケア(オバマ前大統領の医療保険制度改革)代替法案の下院採決が先送りになったと言うニュース。
2.トランプがロシアのプーチン大統領と初会談するニュース。
3.ロシア疑惑関連で辞任したフリン前大統領補佐官(国家安全保障担当)めぐる疑惑。
ニューズウイーク誌は、トランプは、過去の自分の暴言ニュースが自分にとって不都合な報道を書き消しに成功したことを知っている。彼のこれからも暴言戦略が続くだろうとみています。
上記の産経新聞の10日後の7月14日、同じ産経新聞ではトランプ大統領の長男、ドナルド・トランプ・ジュニアがアメリカ映画「トップガン」の一場面を基にしてトランプ大統領が操縦する戦闘機から発射されたミサイルがCNNのロゴが付いた戦闘機に命中し爆発するよう加工された動画を共有アプリの「インスタグラム」に投稿したと報じています。
「この親にしてこの子あり」とはよくいったものだ。これでは、大統領就任6カ月の支持率が36パーセントと戦後70年間の歴代大統領の中で最低なのも当然でしょう。
今後の世界のためにも、日本のためにも、私のブログ「ガキ大統領トランプ」が長いシリーズにならないことを願うばかりです。

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保守の皆さん、憲法改正はいけません。(2)



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三。アメリカ占領軍(GHQ)の日本統治
昭和20年(1945)8月15日、日本は降伏した。8月28日アメリカ占領軍の先遣隊が厚木飛行場に到着、8月30日アメリカ占領軍最高司令官、マッカーサー元帥が厚木に到着した。ところがなんと驚いたことに、日本敗戦から1か月後、マッカーサーが到着してから二週間後の9月15日に小川菊松という出版人が「日米会話手帳」、サブタイトルに英語で「Anglo・・Japanese Conversation Manual」と書かれた本を出版した。この本は32頁の小冊子で、日常の挨拶から始まって、道を聞かれた際の教え方、数の数え方など極めて簡単な会話79例を載せていた。敗戦後わずか1か月でこういう本が売り出されたこと自体が驚きなのに、なんとその年の年末までの3カ月半の間に360万部も売れるという大ベストセラーになったのです。終戦時(昭和20)日本の人口は約7千2百万、まだ海外派遣されていた兵士や民間人全員日本本土に戻っていません。実際の人口は7千万ぐらいでしょう。それに子供、老人は読みませんから、まさに空前のベストセラーでしょう。短期間にこれだけの部数が売れた本が、その後出版されたのでしょうか。終戦直前までは、アメリカ軍の本土上陸に備えて竹やりの訓練さえしていたのです。それが竹槍を投げ捨て本屋さんに殺到したのだ。
この本が売り出される前のわずか半年間の間に三月の東京大空襲、前後して大都市空襲、4月からおよそ一か月にわたる沖縄戦の熾烈な戦い、8月に広島、9月長崎の原爆で、犠牲者を合計すれば少なくとも死者50万人以上を出しているのです。それにもかかわらずこういう本が空前のベストセラーになったということは、マッカーサーの日本到着時点で、すでに日本人のほとんどが今後の生活の心配が先立ちアメリカ軍に対する敵意や憎悪をなくしてしまっている証拠です。
マッカーサーは日本到着後すぐに日本統治を始めますが、最初の五年間にどのくらいの手紙がマッカーサーに寄せられたか記録があります。昭和21年9月から昭和26年5月まで約5年間にアメリカ占領軍(GHQ)翻訳通訳班が44万1千161通の手紙と葉書を読み、処理した公式に記録されています。アメリカのマサチューセッツ工科大学教授、ジョン・ダワーは1999年に「敗北を抱きしめて」(原題、Embracing Defeat, Japan in the wake of World WarⅡ)を著し、ピューリッツアー賞を受賞した。その本の中でマッカーサーに送られた手紙や贈り物の内容について書いています。しばらくその文章を引用します。
引用開始
「これらの手紙は最高司令官に向けられ検閲されていたこともあって、マッカーサーの虚栄心を満たしたことは間違いない。そこには、マッカーサーに対する尊敬の念や、彼の限りない寛大さにたいする惜しみない感謝の言葉が述べられていたからである。手紙を書いた人々は、マッカーサーの「神の如き尊き御慈悲」を讃え、彼を「生きたる救い主の神」と呼んだ。ある青森県の老人は「昔は朝な夕なに天皇陛下の御真影を神様のようにあがめ奉ったものですが、いまはマッカーサー元帥のお姿に向かってそういたしております」と書いている。神戸のある団体は、基督山上垂訓図を日本画風に描かせ、マッカーサーに贈呈し、元帥のご指導は、まさにこの絵に描かれ崇に高さを思わしめるものがありますと賛美の手紙を添えている。マッカーサーは釈迦のような慈悲の持ち主と讃えられ、孔子の「論語」に登場する「遠来の友」にも例えられた。また、日本の悪夢の如き戦争から救ったとして崇められ、外国人による占領という未知の状態におびえていた日本人に、希望と幸福をあたえたと感謝された。市井の男女が、自分たちがかって軍国主義者であったと言う罪をまるで聖職者にたいするようにマッカーサーに告白し、精神科医に対するかのように心の奥底の恐怖や希望を打ち明けたのである。こうした人々にとってマッカーサーは、この時代の偉大な愛の化身であった。彼らは手紙のなかで、まるでお守りのように平和と民主主義という言葉を繰り返し語っていた。マッカーサー最高司令官は、その犯しがたい権力のゆえ天皇のような存在であったが、彼の方が天皇より近づきやすく、より直接的に関係を持つことが出来る存在と思われていたことも明らかであった。民主主義を約束する権威主義な支配という逆説に満ちた試みが、ここに始ったのである。
マッカーサーには沢山の贈り物が届いたが、ほとんどの場合、彼はそれを受け取った。日本では自分より上位の者や恩人に贈り物をすることは伝統的習慣であったが、この外国の大君主への貢ぎ物の数は、過去の日本の軍高官に対する贈り物をはるかに超えていた。(中略)
このうえないほど格式が高く、手のこんだ贈り物は手織りの着物と帯であった。これを織り上げた人物は、1946年11月から京都の下賀茂神社にこもり、丸3年かけて作り上げたのである。彼は毎日お祈りをし、ついには7千万刺しを持って自らの最高傑作を織り上げ、神道の祈祷文とともに「わが国民7千万人の清き心のしるしとして」マッカーサー元帥に献上した。明らかにこの織物の一刺し一刺しが日本人一人一人を意味していたのである。
つつましやかな躍る鮎と豪奢な錦織の間を驚くべき数の贈り物や招待状が最高司令官に向けて滝のように降り注いできた。人形、ランプ、陶器、漆器、竹細工、封建時代の書、書籍、盆栽、盆景、動物の毛皮、鎧、刀、絵画、彫刻にいたるまで、さまざまな物をマッカーサーは受け取った。それらの中にはマッカーサー自身が描いたものもあった。(中略)
引用終了
贈り物に関するページはまだ続きますが、この辺で終わりにして、一般市民からの手紙に関して、さらにこう書いています。

引用開始
「GHQの直接送られた手紙のなかでそれほど多くは占めてはいなかったものの、注目すべきものとしては、特定の個人を戦争犯罪人として逮捕・追放し、裁判にかけるべきだとして、名指しで告発するものもあった。また戦争中に権力を笠にきて威圧的な言動をしていた役人を、地域の住人が告発する手紙もあった。高校生や大学生たちは、軍国主義に加担した教員を指摘した。旧帝国軍人のなかには、戦争中に連合軍の捕虜に虐待をおこなった日本人兵士の名前を告発する者もいた。(中略)
又「反アメリカ的」の感情をもったり、「反民主主義的」な考えをいだいていた人々も告発された。このような情け容赦ない告発文書がマッカーサーやGHQのもとに送られてきたのである。こうした事実だけを見るかぎり、きのうまで愛国主義者だった日本人は、一夜にして占領軍への密告者、或は情報提供者に変貌してしまったようにみえる。その他にも、日本はアメリカの属国になるか、あるいは永久にアメリカの植民地になるべきだと主張するような、驚くべき手紙も存在した。その一方で男女を問わず、占領政策への批判やアドバイスをすることもためらわなかった。」
引用終了

占領軍で手紙の翻訳にかかわった沖縄出身の日系アメリカ人は、このような告発の手紙を読んでいるうちに、自分は日本人を軽蔑するようになってしまったと言っていますが当然でしょう。占領軍や占領軍司令官にたいするまさに度を越した媚態です。長崎では、原爆による放射能の影響調査にやってきたアメリカの科学者チームの責任者に、ガラスケース入りの人形が贈呈されているのです。またその後すぐに住民たちは、駐留する占領軍軍人とともに「ミス原爆美人コンテスト」開催したというのです。敗戦寸前まで激しくたたかった国民が、敗戦直後に見せた豹変ぶりがまったく信じられないくらいで、この豹変ぶりはある種の脅威とか異常とか呼べるような気がします。まさに私が主張する異常なまでの変わり身の早さではありませんか。決してほめられる民族の態度ではないことは確かです。それではマスコミは、マッカーサーに対してどういう態度をとったか見てみましょう。敗戦一年後の昭和21年(1946)8月15日の朝日新聞の社説は、
引用開始
「この一年間にしめされた連合軍最高司令官マッカーサー元帥の偉大な業績については、内外等しく賛嘆をおしまないところである。われわれは心から元帥に対して深厚なる感謝の意を表明するものである。元帥には、日本ならびに日本人を深くいたわる気持ちがある。この気持ちが、日本の人民を信服せしめた。この気持ちがなかったならば、天皇と日本の政治機構をいかに有効に占領目的を達成するために使用したとしても、そのことだけで、今日までの偉大な業績は示し得なかったであろう。」
引用終了

これまでスターリンへの感謝状、日系アメリカ人の強制収容、アメリカ占領軍(GHQ)の日本統治に対する日本人の態度を書いてきましたが、読者の皆さんは、どのような感想をお持ちでしょうか?私の感想は、日本人は外国人に生殺与奪の権を握られると、徹底した「迎合と妥協」に走り、それが行き過ぎて卑屈になるのです。日本人の誇りを見せつけたものはなにもなかった。わずかに指で数えられるほどの日本人だけが己の信念を貫いただけだと思っています。次にGHQはどのような意志と目的をもって日本を統治したのか探っていきます。
1.WGIP
皆さん、この頭文字(ダブリュ・ジー・アイ・ピー)は絶対覚えておいてください。この頭文字の正式な名前は、War Guilt Information Program(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の頭文字をとったものです。日本語の意味は、(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)。このWGIPという言葉は、古くから使われていますが、一番古いのは故江藤淳氏が1989年文芸春秋社から出版した「閉ざされた言語空間―占領軍の検閲と戦後日本」です。歴史に興味のある人は、この本を大抵読んでいるのでこの言葉は知っていますが、WGIPは、一般的に使われた言葉でなかった。この本には欠点があったからです。著者が実際にWGIPの書類のコピーを提出していなかった。このためでしょう、現在の百科事典とも言うべきウィキペディアでは、以前は江藤の主張は載せていたが、疑われていた。ところがつい最近のウイキペディアの内容は一変しました。私と同年代の関野通夫氏がGHQの2万5千点の文書から、幻だったWGIPの証拠文書を発掘し、即その本を平成15年3月に出版したからです。出版社は、自由社の「自由社ブックレット1」として出版した。本のタイトルは「日本人を狂わせた洗脳工作(今なお続く占領軍の心理作戦)」、本のページはわずか82頁、値段はわずか500円プラス税です。この本が如何に重要だったかすぐわかるのは、今ではウィキペディアで関野通夫氏の名前もこの本の名前も記載されているからです。この本に続けて関野氏は、平成16年9月に自由社から「続・日本人を狂わせた洗脳工作」(いまなおはびこるWGIPの嘘)を出版、112頁、値段同じく500円+税です。GHQの占領政策は、WGIPの計画を基にして実行されていったのです。憲法改正を主張する人は、まず関野氏のこの本を絶対読んだうえで主張してもらいたい。
「つくる会」の広島県支部長、長谷川真美氏の寄付によって200部を衆議院議員に贈呈しました。その他「つくる会」の会員が地元の県会議員、市会議員などに贈呈しています。
憲法改正の話が話題になっている現在では、関野氏のこの本は、日本国民必読の本です。皆さんに知ってもらいたいのは、この本は憲法改正反対などにひとことも触れていません。この本に書いてあることは、
「GHQは日本を軍事的に征服したうえで、日本民族から記憶を奪い、精神を破壊して、占領を終了した後も、未来永劫にわたってアメリカの属国としてつくりかえるために、日本に対して全面的に歴史戦を開始した」。これらの史実が少ない頁数で適格に書かれているのです。本来ならこの本に書かれていることは日本史の先生方が書いて当然なのです。関野氏は日本史の先生ではありません。長い海外ビジネスの経験を持っている元ビジネスマンです。それだけ日本の歴史教育が歪んでいたわけです。あくまでも憲法改正を主張する人は、絶対にこの本を読んでもらいたい。お願いいたします。

2.GHQの占領政策にたった一人抵抗した男
GHQの占領政策のほとんどが、日本政府の強い抵抗もなく、また反対のための暴動らしい暴動もほとんどなく、日本国民に受け入られました。しかしここにたった一人、占領政策に公然と抵抗した人物がいました。終戦直後の幣原内閣に次いでできた第一次吉田内閣の大蔵大臣、石橋湛山です。次の二つの問題で石橋とGHQとの対決の場になった。
(1)戦時補償打ち切り問題
戦時補償とは、戦時中日本政府が軍需生産の増強を図るため、国家総動員法、軍需会社法などの法令に基づき、多数の軍需企業や民間企業に対して生産設備の建設あるいは軍需品の生産のための全力を注ぎ、政府の補償をあてにして巨額の借入金を背負い、設備を拡張したり、工場の疎開を行ったりしたが、敗戦の結果、これらの企業ばかりでなく、企業に融資していた銀行も多大な損失を被った。ここで戦時補償を打ち切ったら、日本経済はどうなるか?石橋湛山は必死にGHQに抵抗したし、抵抗しきれないと判断したら、吉田首相に辞意を表明した。吉田は「長い物には巻かれろというから」と言って湛山を説得したという。GHQ当局は、日本の軍需産業などつぶしたくてしょうがないのだ。湛山の必死な抵抗が続いたため、当時の日本の王様、マッカーサーの裁断に仰ぐ結果となり、戦時補償は打ち切られた。湛山の執拗な抵抗がGHQ司令部に「生意気な奴」という印象が残り、公職追放の計画が練られていった。

(2)終戦処理費問題。
終戦処理費とは昭和21年GHQが報道各社にどうしても占領軍維持費に言及しなければならない場合は、「占領軍維持費」を「終戦処理費」と呼ぶよう通達した。占領軍維持費の膨大さを隠そうとしたのだ。占領軍維持費は、毎年度政府予算における歳出総額のほぼ三分の一を占める膨大なものだった。日本の保守の読者層なら誰も知っているヘレン・ミアーズ女子(「アメリカの鏡・日本」の著者)は、終戦時GHQのスタッフと働いていた。彼女はこう書いています。
「アメリカ人は、贅沢なことを考えるから、占領経費を節約しようとしない。将校宿舎や官舎の生け花代、本国への電報電話代、キャンプに維持費、文民専門と秘書の給料、その他生活のお楽しみ代は日本人が負担した。」
しかし最も驚くべき支出項目があった。占領軍関係者が起こした交通事故で被害を受けた日本人に支払われた保証金総額6億2千万である。ゴルフ場の建設、シャンデリア、ジュウタン、装飾用の生け花などもすべて終戦処理費で賄われた。さらに問題になったのは、清浄野菜農場の新設だ。人肥を使用した日本の野菜は不潔で口にできないというのでプールのようなコンクリート槽の中に砂地を作り、水を張って、化学肥料を加える方法の野菜畑を作ったのも終戦処理費です。
さらに東京裁判の費用、即ち法廷建設費や、裁判官や検事の滞在費、人件費、その他で合計72億円も日本政府は払わされているのだ。占領軍は、占領軍維持費を終戦処理費と呼ばせておいて、日本人の税金を湯水のように使っていたわけだ。
終戦直後の日本は、軍需産業の倒産、財閥解体などで失業者があふれ、そのうえ海外からの一般人や軍人のひきあげなどでさらに失業者があふれかえり、国民は食うや食わずの極貧生活を強いられていたのです。そんな時に東京裁判が開かれ、現行憲法の施行を強要されたのです。だから大蔵大臣である石橋湛山が、GHQに占領軍維持費(終戦処理費)を削減してくれと要求するのは当然すぎるほど当然だったのだ。しかし湛山の要求は、特にGHQの地方に駐屯する軍人の不評をかった。占領軍維持費は勝者の特権であり敗者が口をはさむ問題ではないという意識だった。このため湛山の公職追放計画が早められ、公職追放の口実探しが加速された。公職追放通知で湛山は、自分がGHQによって追放されると知った時、吉田首相に追放拒否を主張した。この時の吉田首相の言葉が有名です。「しかし君、狂犬に噛まれたと思ってくれ」
公職追放後の湛山の態度も私は偉いと思います。公職追放された人たちの殆どが、自分の公職追放は納得いかないものであっても、泣き寝入りしていた。ところが湛山は、自分の公職追放は納得いかないと追放の不当性を訴え、GHQに徹底した戦いを挑んだのです。湛山が自分の公職追放策に挑んだ抵抗策は。
(1)片山新内閣に追放取消策を要求。
(2)湛山の友人たちの署名の陳情書をマッカーサーに提出。
(3)中央公職適否審査祈願委員会に英文80頁におよぶ反論書提出。
(4)公職追放になった10月27日午後2時に日本主要新聞の政治部長を、午後4時から外国紙の特派員を招いて反論書を渡し、記者会見をひらいた。

湛山のこれらの努力は何一つ報われることがなかった。追放はまる4年間続きそれまで政界に復帰することができなかった。私が腹が立つのは、当時の政治家、マスコミの人たちは、湛山追放の理由がでたらめであったことを知っていたにも関わらず誰一人として湛山を援護しなかったことです。

ここからは現在非常に話題になっている憲法改正問題について語ります。真っ先に最重要な事を先に書きます。いいですか、皆さんぜひ注目してください。現行憲法は、「日本国憲法」ではなく占領軍が作ったままの憲法、すなわち「占領軍憲法」である。その理由、
1.アメリカ占領軍は、絶対王政の王様の権限を持っていた。昭和天皇の生殺与奪の権をにぎっていた。占領軍が「昭和天皇の地位をどうの、こうのするつもり」という発言で日本政府を震え上がらせることができた。
2.マッカーサーは部下に命じて。わずか四日余りで英文で作成させたものを単純和訳させて、「日本国憲法草案」なるものが作成され、昭和21年2月13日に、当時の日本政府に対して手交された。
3.戦時国際法、ハーグ陸戦法規(第43条)」明治40年(1907年)10月18日ハーグにおいて調印、日本は、明治44年(1911)11月6日批准)には、「戦勝国が敗戦国を統治する場合は、その国の法律にしたがわなければならない」(「国の権力が事実上、占領者の手に移ったときは、占領者は絶対的支障がない限り、『占領地の現法律を尊重して』、なるべく公共の秩序、および生活を回復確保するために施しうる一切の手順を講じなければならない。」ことが決められていた。すなわち「占領軍憲法」は国際法違反のもとでつくられ、「日本国憲法」としたのです。
4.30項目の報道規制(プレスコード)
敗戦から一か月とたたない昭和20年9月10日、「新聞報道取り締まり方針」」と「言論及び新聞の自由に関する覚書」がGHQより発せられ、「削除及び発行禁止対象のカテゴリー」(30項目)が定められた。その30項目の3番目にはこう記載してあります。
「3.GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」
すなわちGHQは、国際法違反で平気で日本国憲法を作っておきながら、その憲法を批判する態度を厳禁にしているのだ。そうなると憲法について書く学校の教科書はどうなったのでしょうか。昭和22年8月2日文部省発行の中学校教科書にはこう書いてあります。

「今度の新しい憲法は、日本国民が自分でつくったもので、日本国民全体の意思で自由に作られたものであります。この国民全体の意思を知るために、昭和21年4月10日に総選挙が行われ、新しい国民の代表が選ばれて、その人々がこの憲法を作ったのです。それで新しい憲法を作ったのです。それで新しい憲法は国民全体で作ったということになるのです」

どうですか、国は平然と国民に大嘘をついて教えていたのです。これがのち、のちまで日本の学校の歴史教科書に嘘が書かれ、嘘が嘘を呼ぶのが現実となってしまった。どうしても戦前戦中の日本を徹底して悪に貶める教科書が誕生しつづけ、一例は全歴史教科書が「従軍慰安婦事件」を掲載。これではなんとかしなければいけないと国民の支持で20年前に立ち上がったのが「新しい歴史教科書をつくる会」なのです。安倍総理も議員時代は、「つくる会」の積極的な支持者で、「つくる会」の季刊誌にも投稿してくれ、激励してくれたこともあった。私も安陪議員に面会しお礼を言ったこともあるのだ。しかし総理になるとアメリカ政府の太平洋戦争史観に従っているだけなのだ。それが安陪総理の「村山談話」と「河野発言」の容認、首相自身の「70年談話」でもわかるし、今度の憲法改正提案でもわかります。

5.私は憲法学者ではないので「占領軍憲法」の弱点を一々取り上げて論評することはできません。しかし一読してどうもこれは、占領国が敗戦国の日本を差別して作った憲法、どうしても日本国が自分で作った憲法でないと察することができる条文があります。憲法の前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてあります。
いいですか、普通、ある国家が諸国民と言ったら近隣諸国のことです、日本はシナ、朝鮮、ロシアなどと何世紀と付き合いがあるのです。その近隣諸国の公正と信義を信頼して、日本の安全ばかりでなく生存まで彼らに委ねているのです。こんなバカな条文を日本自身で作ると思いますか。結局、アメリカは、戦勝国になったばかりだし日本を舐めきっているから書ける条文です。

ところで、皆さん、私が憲法改正反対のためになぜ、三つの話題、一、スターリンへの感謝状、二、日系アメリカ人の強制収容、三、アメリカ占領軍(GHQ)の日本統治、の話を持ち出したか、わかりますか。日本人は戦場で敵を驚かすほどの強さを持っていた、しかし、一旦負けて捕虜になったり、本土が敵の占領地になったりすると、からっきし弱くなってしまいます。私はこれらの日本人を「世界一変わり身の早さで権力者に迎合、妥協し、時には卑屈さを通り越し卑屈さを前面に押し出す」と酷評しました。読者の方で、これに変わる良い意味での表現があれば教えてください。私はこの弱さの原因は、日本は古来から無慈悲な独裁者から徹底的に搾取され続けた経験がないからだと思っています。
キリスト教の宣教師たちが、日本にやってきたとき、「彼らは皆一様に貧乏だ、だが民度は高く、誇り高い民族だ」と日本人のすばらしさを本国に知らせています、明治時代にやってきた外国人が日本民族を褒めあげるのも何度も本で読んでいます。もともと日本民族は誇り高い民族であったのだ。その誇り高い民族が、大東亜戦争の敗戦ですっかり落ち込んでしまった。戦後70年もたった今は経済が戦後直後より大発展し、国民は食うに困るわけでもない、何でもできるし、なんでも発言できる、そのため日本民族の誇りはもどりましたか?冗談じゃない、誇りがもどるどこらか、さらに悪くなり、日本への誇りなどなくなってしまったのだ。
いいですか、戦前、戦中の日本をどうしようもない悪い国にするために、海外で「起こらなかった事件」を「起こった事件」にして日本政府を批判したり、日本政府にお金を支払わせたり、あるいわ謝罪させることが度々起こし、それを歴史教科書に堂々と載せるのだ。それが度をこして現在では、占領軍が作った「日本憲法」にノーベル平和賞まで与えてくれと叫ぶ日本人グループが存在しているのだ。

ソ連の日本人捕虜収容所で6万人以上の日本人が「スターリンへの感謝状」を書いた。そこにはそこまで書くかというくらい、うそも方便の卑屈なまでのおべんちゃらを書いているのだ。もし彼らが現在まだ生きて、現在の日本の姿を見たら、間違いなくこう言うでしょう。
「私たちはいつ死んでしまうかわからない地獄の極限状態で暮らしていたのだ。だからはからずも、極度に卑屈な言葉を書いてしまった、今となっては申し訳なかったと思っています。ところ現在の日本は、私たちの地獄状態の生活と違って極楽状態の生活をしているようなものです。それなのに何故史実として存在しなかったものを(あったことにして)謝罪したり、お金を払ったり、歴史教科書に書いたりするのですか、占領軍の作った日本憲法にノーベル賞を上げてくれだと、あなたがた日本人は気が狂ったのですか。」と必ず言われるでしょう。

現在の日本人は、国際スポーツの試合で日本を応援すれば、それが愛国心だと思っているのだ。愛国心もなければ、日本人としての誇りもありません。ただやたらと日本をけなし、日本を卑下する人が多すぎます。私たちはこの健全な愛国心や誇りを取り戻さねばなりません。それには、憲法改定とか言って、占領軍の作った「日本国憲法」をいくら継ぎ接ぎして改正しても洗脳された者、あるいわ洗脳されたふりをしている者を正気に戻すことはできません。現憲法が生きている限り、自虐史観は絶対になくなりません。やはり現憲法を無効にし、明治憲法の改正か、あるいは新憲法を制定するしか道はありません。保守の皆さん、最初からその目的ではなかったのではありませんか?しかし70年近くも現憲法を使ってきて、いきなり無効ではと心配するむきもありますが、要は国民と国会が一致すれば問題ありません。憲法違反の自衛隊を半世紀も使ってきたではありませんか。私は強く主張します。占領軍が作った 日本国憲法を無効にして、新憲法制定か、明治憲法の改定です。そして「太平洋戦争」という日本国家のくびきから解放して「大東亜戦争」という自らの生き方を選ぶ新しい日本を作りましょう。私はアメリカとの同盟はとても大事で重要だと思っています。しかし現在の日本は、あまりにも、あまりにもアメリカのポチ的存在が強すぎます。今のままでは日本人は、二流のアメリカ人に成り下がるだけです。現憲法を無効にして真に独立した真正日本を作りましょう。

安倍総理の改正条件が全面的改正ではなく、憲法9条の1項、2項はそのまま残し、3項を新設という案です(5月3日の総理発言)。追加3項の内容は、自衛隊の根拠規定を追加して、自衛隊が憲法違反と言われないようにするためです。非常に簡単な改正条件だから、それだけに現実的でいいという声が聞こえてきます。私が冒頭に書いた終戦直前直後の三つの事件のケースは、それこそ現実的でいいから、徹底した迎合、妥協の結果、卑屈なまでに陥ったのではないですか。今回改正条件が簡単、明解なだけに現実的に良いからと言って、国際法違反の憲法、占領軍の作った憲法にケチをつけるなという検閲された憲法を改正したら現憲法は、正真正銘の日本製憲法になってしまいますよ。私たちは、一度憲法問題で大失敗しているのです。日本が独立を回復した時(昭和27年)、現憲法を廃棄し、新憲法を作るべきだったのです。できなかった理由は、日本人は、原理原則や法律に固執するより、妥協、迎合しがちで現実的に対処してごまかしたがるからです。だから今回はそれでは、ダメですよと国民をいさめるのが知識人の役目でしょう。それができなくて何が知識人だというのですか。知識人自らが安倍総理にこびているのだ。私はいずれ自分のブログでふらちな保守知識人の名前をあげて罵倒するつもりです。その時には知識人とは、どういう人間を言うのか書くつもりでいます。

最後にひと言。上記のスターリンへの感謝状、日系アメリカ人の強制収容、アメリカ占領軍(GHQ)の日本統治は、拙著「逆境に生きた日本人」(展転社、平成20年、2000円)を参考文献に使いました。この本は、上記の三つ以外に他の件も扱っていますので目次を紹介します。第一章 戊辰戦争とアメリカ南北戦争、第二章 アメリカ軍による日本占領時代、第三章 日系アメリカ人強制収容、第四章 シベリア捕虜強制労働収容所、第五章 日本民族の資質、第6章 日本民族の資質が生んだ「自虐史観」。
この本の原稿を書いていたのが平成19年ごろ、ちょうどその頃に西尾幹二先生に「私が主催している坦々塾に入会しませんか?」と声かけられ喜び勇んで入会いたしました。せっかく西尾先生の面識を得たばかりなのに厚かましくも、この本の出版の時、西尾先生の宣伝の言葉を入れたいと思い全原稿を見せました。西尾先生は、「わかった、自分で宣伝したい文章を書いて見せてくれ」と言われて書いた宣伝文章が本の帯に書かれています。次の様な文章です。
「私は著者の名前を評判をよんだ労作『大東亜戦争は、アメリカが悪い』で知った。今度の作品もすばらしい。戦中戦後、強圧権力の下で示した日本民族の行動をするどく分析、我々に猛省をせまる」西尾幹二

この本は348頁、ハハードカバー、価格2000円+税ですが私にはまだ在庫がありますので価格1500円(印税も郵送代もいりません)でお売りいたします。希望者は私あてのメール、あるいはこのブログあてにお申込みください。

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保守の皆さん、憲法改正はいけません。(1)



       このブログの転載、拡散をよろしくお願いいたします。
大東亜戦争敗戦後、1947年(昭和20)9月からアメリカ占領軍(GHQ)が日本統治を始めた。現行憲法は昭和22年5月3日に施行された。GHQの日本占領機関は約7年あまり、その間は日本人の生殺与奪の件はGHQに握られた。日本人がGHQのまな板のこいになってしまったのだ。日本の長い歴史の中で日本人が外国人のまな板のこいになった大きな三つの事件がある。ソ連抑留所の日本人捕虜、アメリカの日系人強制収容所、GHQの日本統治。憲法改正の話の前に、これらの三つのケースがどんな状況であったか、お知らせしましょう。
一。スターリンへの感謝状
終戦の翌日、昭和20年8月16日に大本営は、関東軍に武器を置く命令を出した。一方ソ連軍は、日本降伏を知りながらも15日以降も攻撃を続け、8月末頃には満州全土、北朝鮮、樺太及び千島列島を占領してしまった。対日参戦二週間後の8月23日、スターリンは、極東ソ連軍司令官ワシレフスキー元帥に日本軍捕虜のシベリア移送を命じる極秘指令を発した。
(1)極東シベリアでの労働に肉体的に耐えられる日本軍捕虜を約50万人選別すること。
(2)捕虜をソ連邦に移送する前に千人ずつの建設大隊を組織すること。大隊と中隊の長として、特に日本軍工兵部隊の若い将校、下士官の軍人捕虜を指揮官に命ずること。
この指令の下に、ソ連軍は、ソ連占領地域(満州、北朝鮮、樺太、千島など)の日本軍人、一部の民間人合わせて約60万人(厚生省発表によれば57万4千530人、ソ連側発表によれば60万9千176人)を強制連行し、シベリア(47万2千)を初めとして、外蒙古(1万3千)、中央アジア(6万5千)、ヨーロッパ・ロシア(2万6千)などを捕虜強制労働収容所(ラーゲリ)約1200ヵ所、監獄その他特殊収容所約百カ所に分散収容した。
収容された日本人捕虜は、粗食と厳寒の下に重労働を課せられ、それによって命を落とした者、推定で6万人から7万人と言われています。これは明らかにソ連の国際法違反です。

昭和24年の春に「スターリンに対する感謝状署名運動」を起きた。「シベリア捕虜収容所」上下巻の著者、若槻泰雄氏によると、感謝状署名運動は、ソ連側の意向であると主張しています。その理由は、
(1)ナホトカ港乗船の際、署名に拒否した一部の捕虜に対し、ソ連官憲が「サインをしなければ帰さぬ」と言明している。
(2)従来も色々大会や会議あるいは政治学校の卒業式に際しては、ソ指示によって感謝文が決議されている。
その結果、感謝文を提出することになったが、次のような大げさな感謝状になった。
この感謝状は1万6千語にのぼる長文のもので、数十メートルに達する奉書紙に達筆の者が筆をふるい、それをきれいに表装し、刺繍を施し、20メートル以上の美しい巻物として桐の箱におさめられた。この感謝状の他に、「感謝アルバム」と題した61枚からなる画集があります。一枚一枚は収容所の生活を巧みな筆で描いたものに細かな説明文が書き込まれています。収容所生活がすばらしかったことを絵で説明し、スターリン大元帥への感謝状、6万3千人以上の人からの署名アルバム、そして61枚の絵からなる感謝アルバムをおさめる奉納庫はすばらしく精巧に作られています。これだけでも、彼らを奴隷のように扱った総責任者のスターリンに対して過剰なまでの媚びです。それでは感謝状の内容はどんな文章だったのでしょうか。
昭和63年6月に全国抑留者協議会の斎藤六郎氏が、スターリン感謝状の現物をロシアから借り受け東京で展示したが、展示後その感謝状はソ連に返されてしまった。そのため感謝状にどんな文章が書かれていたのか全然わからなかった。自民党群馬県議会議員、中村紀雄 氏は、かねてからシベリア抑留問題に興味を示していました。平成16年を7月19日、中村氏は二人の抑留体験者と一緒に新潟空港からハバロスクに向かい、ハバロスクの国立古文書館に訪れ、女性館長から幸運にも全文34頁からなる「スターリン大元帥への感謝状」のコピーを手にいれることができた。中村氏は、自分のホームページで、感謝状の一部を原文のまま、残りはその概要を公表していますが、ここに中村氏のコメント付きの公開文章を発表します。
引用開始、
「この感謝状は、昭和24年5月から8月にわたりハバロスク、沿岸両地方の日本人捕虜大集会で審議採択されたもので6万4千434名が署名したと添え書きされている。以下はこの文の主要部を紹介する。
文の表題は、「ソヴィエト諸民族の偉大なる指導者・全世界勤労者の師父にして日本人民の最良の友、スターリン大元帥へ」となっており、書き出しは、「敬愛するイシオフ・ヴィサリオーノヴィッチ」で始まる。スターリンというのは、通称であり、鉄の男を意味する。イシオフ(又はヨシフ)・ヴィッサリオーノヴィッチ・ジュガシヴィリが「大元帥」の正式な名前である。次は冒頭の全文である。
『旧日本軍捕虜である私たちは、人類最大の天才、全世界勤労者の導きの星であるあなたに、そしてあなたと通じソヴィエト政府ならびにソヴィエト人民に、偉大なるソヴィエトの国が私たちに与えられた光と歓びに対し私たちの心からの感謝とあつき感激をこめてこの手紙を送ります。あなたの配慮のもとに、そしてあなたの教え子、あなたの愛児であるソヴィエト市民、ソヴィエト軍将兵のもとに、ソヴィエトの地におくった4か年の生活こそ、私たちにとって偉大なる民主主義の学校となったのでありました。それは私たちにとって終生忘れ得ぬ感銘として残るでありましょう』

以下は引用すると長くなりますので中村氏のコメントは除いて彼が公開してくれた手紙の全文だけを引用します。
引用開始
「私たちのいくシベリアは、荒涼たる氷雪以外何ものもなくおそるべき「酷使」と「死」が待つと言われたが、実際は並々ならぬ寛大さと人道主義によって迎えられ、あらゆるサービスが完備し夢のようだった。厳正な8時間労働、十分なカロリー計算のもと一点の汚れもない調理場で日本料理風の料理がつくられ食前をにぎわす。温かい寝具と被服、立派な宿舎が保証されたあらゆる日用品と嗜好品が販売され、食事、菓子、飲料をもそなえたレストランも開設され、下着もまた毎週、清潔なものと交換され、立派な施設をもった入浴場、洗濯場が設けられている。医療に至っては日本では夢にも見られないもので、幾多の高価な薬品や医療機械が備えられ完治するまでよく見てもらえる。その他文化教養を高めるための施設や配慮が行き届き毎週ソヴィエト映画を楽しむことができる等々」
引用終了

引用開始
「私たち四年前の自分たちを振り返るとき、自らの巨大な変化に打たれる。私たちは、日本では到底学び得なかった巨大なものを学びとり身につけた。だから、社会主義の国で過ごした四か年は幸福であり、誇りである。日本軍兵士の時は奴隷であったが、ソヴィエトで解放され、初めて自由を得た。以下略」
引用終了

引用開始  
「私たち日本人捕虜の帰国も最終段階に入ったが、私たちは断じて祖国なつかしとのみ帰国するのではない。私たちの人生における最大の感銘に満ちた四年間を、我が再生の宝とし、その懐かしい想い出を変えることもなく抱き続け、私たちの聖なる誓いを固く守り、わが人民解放の闘いに必要とあらば、わが生命を掲げようとする確固たる決意に燃えて進撃するために帰国するのだ。私たちは戦争の間に諮りしえない罪悪をソヴィエト市民にかけた。このことについては限りない自己嫌悪の念に耐えない。
私たちは、今こそわが日本に帰国したその時は、日本海の波濤遠く、レーニン、スターリンの国を仰ぎ見つつ、ソヴィエトの国の偉大な模範に無限の勇気をくみ取りつつ日本人民の利益のために、全世界勤労者の自由と幸福のために、果敢に、献身的に闘うでありましょう。社会主義ソヴィエトの国に過ごした4か年の思い出は、終生私たちの心を、大なる喜びと感激をもって充たすでありましょう。そして偉大なる人民、建設者となる人民、真のヒューマニストたる人民についての思い出は、永久に日本勤労者の心のうちに生きるでありましょう。この感謝状は、最後に改めて、大元帥に対して宣誓する。
『敬愛するイシオフ・ヴィッサリオーノヴィッチ
私たちは、全世界勤労者の愛する天才的教師たるあなたの前に、そして偉大なる社会主義者ソヴィエト同盟の人民の前に、いまここに厳粛なる決意にもえて宣誓せんとするものであります。
(1)ソヴィエト人民と日本人民とのゆるぎなき友誼のために献身的に闘う。そして、私たちがこの目で見、かつ学んだソヴィエトの国の真実を日本のすみずみまで、全日本にひびきわたらせる。
(2)アメリカ帝国主義、日本帝国主義のやからどもが、私たちを再び犯罪的奴隷兵士と化することを断じて許さない。そして、解放軍たるソヴィエト軍に対し、たとえ大地がはりさけるとも二度と武器をとらない。もし再び帝国主義どもが、日本を、ソヴィエトに対する
戦争の舞台にしようとするなら、私たちは死をも恐れず決起し帝国主義者と戦う。
(3)私たちは、社会主義の事業と平和の事業に、あくまでも忠誠を守り抜く。
(4)私たちは、この聖なる誓いを、わが瞳のごとく、わが魂のごとく守り抜き断固としてそれを果たし抜く。
全世界勤労者の命であるあなたがますます健康に、限りなき長寿を保たれんことを、
日本共産党万歳!
ソヴィエト同盟に栄光あれ!
ソヴィエト軍に栄光あれ!
万国勤労者の師父、敬愛するイシオフ・ヴィッサリオーノヴィッチ万歳』

ついでにこの感謝状に署名した人たちの感激のことばを当時の現地の捕虜収容所の新聞、「日本新聞」に載せていますのでいくつかを紹介します。
「我々の小さな名を記す瞬間、なぜか手が震え五体がしびれ胸が高鳴り涙が耀き」
「輝く眼、美しい顔、清々した姿、湧き上がる決意、それが署名の瞬間だった。」
「手をきよめ、心しずめて握る筆、署名こそ我らの雄々しい姿」
「やむにやまれぬ謝恩の発露、われらのスターリン大元帥万歳を心の中で叫びました」

読者の皆さん、この感謝状の内容といい、署名者の興奮した言葉といい、どう思いますか。どんなに感情を表さない読者でも、少なくとも驚くことは間違いないでしょう。感謝状の内容を紹介してくれた中村紀雄氏は、非常に冷静に淡々と筆を進めていますが、読んでいる私は、これが日本人なのかという落胆と同時にどうしようもない怒りを感じてきます。その理由を箇条書きにします。
(1)シベリア抑留による死者の数は、合計で5万から7万です。この感謝状が書かれたときは、抑留4年後です。その時すでに万を超す何万人もの日本兵捕虜が死んでいるのです。それはすべて日本兵を抑留せよという指令を発したスターリンの責任なのです。そんなことは日本人捕虜は充分に知っていて、これほど徹底して媚びた感謝状を書いているのです。この感謝状は、収容所で死んでいった同胞への裏切りであり、祖国日本への裏切りです。祖国を裏切っておいて、彼らは心底帰国したがっていたのです。
(2)生存しておられる抑留体験者の中には、また読者の中にも、感謝状の内容は、うそも方便の一つに過ぎないと軽く考える人がいるかもしれませんが、それはあまりにも甘い考えです。6万人以上が署名した感謝状は、重要な証拠として扱われます。ソ連政府には、日本政府への反撃材料として使える貴重な史料になるのです。
(3)日本人捕虜のほとんどが軍人です、当時の日本軍人にとって「天皇陛下」は絶対的な存在であったはずです。それがどうですか。地獄のような厳しい捕虜生活を強いられ、同僚の多くが死んでゆき、自分も死ぬか生きるかの分かれ道にさしかかったとき、彼らにとって絶対的存在だった「天皇陛下」からあっさり「スターリン陛下」変わってしまったのです。
そしていままで同じ境遇で生活し、そして共産主義に転向しない同僚の捕虜を反動扱いしにしていじめぬいたのです。これが日本軍人の姿なのです。「民主運動」の狂態、感謝状の内容、どれも軍人精神を問われるだけでなく、個人としての誇りや尊厳も問われています。
さらに驚くことは、帰国したいためのみせかけの共産主義者だけでなく、多くの軍人が本当の共産主義者になってしまい、彼らの帰国時、祖国に上陸するのに、「天皇島に適前上陸」と叫んで迎えきている家族との面会もそこそこに、故郷に帰るよりもまず第一に実行したのが、東京の日本共産党本部への直行し、日本共産党員になることだった。そして帰国後半年もたって少し身が落ち着くと、日本共産党を脱党したり、熱心な活動的な共産党員でなくなってしまったのです。

シベリア抑留を体験した人は、私の批判にたいして、「実際に地獄を体験したことない人間が偉そうなこと言うな」と私を非難するでしょう。スターリンの感謝状に署名せず、自分の息子が帰国できず死ぬことになったらどうするのだ、留守家族にとってどんなことをしてもいいから帰国してほしいのだと私を批判するでしょう。しかし私が日本人捕虜を批判するのは、同じような環境の下で暮らした外国人捕虜と比べると、日本人捕虜(主にほとんど元日本軍人)があまりにも無様な姿を見せつけるからです。「日本新聞」の編集長、イワン・コワレンコ中佐は、「ドイツ人捕虜は日本人よりもっと厳しい条件で労働させられた」と語っていますが、当然だと思います。ドイツは独ソ不可侵条約を破ってソ連領に侵入したからです。ソ連領土内では、沢山のソ連軍人や民間人の死傷者を出しているからです。独ソ戦のスターリングラードの攻防戦はあまりにも有名です。ソ連によるドイツ兵捕虜315万5千人、死亡者は109万4千250人で全捕虜の3分の1が死んでいます。日本の死者10パーセントに対しドイツはその3倍です。ドイツ兵捕虜の悲惨さは、日本兵捕虜以上だったことがわかります。それでもドイツ兵捕虜の間では、「民主運動」のような狂態を演じてドイツ兵捕虜が同胞であるドイツ兵捕虜をいためつけることもなく、ましてはスターリン感謝状など提出していません。彼らにとって、全く想像を絶するような行為でしょう。
「シベリア捕虜収容所」を書いた若槻泰雄氏によれば、その収容所の場所によっては日本兵捕虜とドイツ兵捕虜と一緒になる。日本兵捕虜は、一致してドイツ兵の堂々たる捕虜ぶりを称賛しています。全員ドイツ兵捕虜は卑屈になるどころかソ連兵を徹底して軽蔑していた。

ソ連によって抑留された軍人は、日本軍とドイツ軍だけではありません。ヨーロッパ諸国の軍人が多数抑留されています。イタリアは、ソ連遠征軍総数22万のうち約4万6千名がソ連によって抑留され、3万5千名が死亡、残り1万名のうちソ連側によって死亡が確認されているのが472名です。その他フランス、オーストリア、ルクセンブルグ等、特にハンガリーでは、同国の捕虜35万人が消息を絶っていると言われています。その他の東欧諸国、ブルガリア、チェコ、ポーランドなど多数の捕虜がソ連で抑留されたのです。それでも日本以外、どこの国も「民主運動」という狂態を演じたり、「スターリンへの感謝状」を書いたりしていません。

信念を貫いた人たち
ソ連は日本兵捕虜を粗食の下に厳寒の中、重労働を課すばかりでなく、日本兵を共産党員にするべく勉強させ、あるいはソ連のスパイにすべく教育をした。その中で共産党員にもならず、スパイにもならず最後まで信念を貫いた人たちが何人かいた。史料不足のため、私の独断と偏見で三人を選びました。草地禎吾大佐、近衛文隆、赤羽文子。草地大佐は、軍人間では有名です。ソ連当局の拷問にも耐え、民主運動の嵐にも耐え、信念を貫いた将校は草地以下十数名いたと言われています。近衛文隆は文麿の長男、甥が細川護熙元首相です。文隆が共産党員なれ、スパイになれと要求に断固と拒否続けることができたのは、細川家は天皇家に次ぐ古さの家系の重みからです。帰国できず、ついにモスクワで死去。赤羽文子は最高にすばらしい日本女性だ。彼女は軍隊教育を一切受けていない。ソ連軍に捕まった時、大連市の市長の秘書をしていて彼女が36歳の時だった。ソ連当局は、彼女が市長の秘書の前にソ連領事館でソ連人スタッフに日本語を教えていたのを知っていた。奉天から列車で17日間もかかるシベリアのチタの女囚監獄に入れられた。日本人女性は彼女一人。以来ソ連のスパイになれと説得されたが拒否し続け、シベリア滞在10年、その間故国への通信は一切拒絶された。そのうえリューマチを患い、病院での治療と早い帰国をえさにスパイ勧誘は続いたが、彼女は極北地での死を覚悟をした。そしてついに帰国の機会が訪れたのだ。

二。日系アメリカ人強制収容
昭和16年12月8日、大東亜戦争が勃発した。その日の夕刻、アメリカ国内における日系二世団体「日系市民協会」の指導者たちは会議を開いた。城戸三郎会長は、「我々はアメリカ市民として義務を果たすものである。米日開戦は最も不幸な出来事であるが、いまこそ我々の忠誠心を示すときである。戦場に送られるといえども、我々忠誠心は不変である。我々の父母は、法律の下ではアメリカ市民になることは許されていない。しかし、アメリカ市民である我々の父母として、善良なる住民として、どこまでも我々とともに進むことを信じて疑わないものである」という趣旨の電報をルーズベルト大統領に送った。
戦争開始後二か月後の昭和17年2月19日、ルーズベルト大統領は、大統領行政令9066号に署名、軍が国防上必要である場合に強制的に外国人を隔離することを承認した。大統領行政令はすべての「敵性外国人」に向けたものでしたが、実際に適用されたのは日系人だけでした。日本だけでなくドイツもイタリアもアメリカと戦争状態になっていたが、ドイツ系、イタリア系は適正外国人にはならなかった。こうして、アメリカ国内において日本人の血が16分の1以上混じっている日系アメリカ人は、制限期日の4月2日までに逮捕、拘束され収容所に送られることとなったのである。アメリカ国内に10ヵ所の強制収容所がつくられ合計12万人が強制収容された。その他に中南米13ヶ国の日系人、2264名をアメリカを脅かす「敵性外国人」としてアメリカ国内の抑留所に強制連行した。

ここで一つ読者に注意していただきたいのは、ハワイ在住の日系人は、一部の日系人指導者を除いて殆どの日系人が強制収容されなかったことです。理由は開戦当時のハワイ日系人の人口が15万8千人で、ハワイ全人口の35パーセントを占め現地の経済的影響力が大きかったため、ハワイ州当局が強制収容を拒否した結果です。このためハワイの日系人のほとんどが例外的に財産を失わず済んだ。
日露戦争以来、日系人は法的にも社会的にも徹底して差別され、大変な苦労を味わってきた。
日米開戦とほとんど同時に強制的に財産をほとんど失わされ、強制的に収容所にぶちこまれた。それにもかかわらず、私が驚くのは、日系市民協会の指導者たちは、おとなしく強制収容に応じ、アメリカ政府に対して抗議声明一つださず、それどころか軍隊に志願させるように要求していることです。アメリカ政府は、日米開戦以来、日系二世の徴兵、志願を凍結していたが、日系市民協会の軍隊志願の要求に応じるかたちで、昭和18年1月のその政策を変更し、「アメリカに忠誠を尽くす」と意思表示した日系二世の兵役を認めることにした。
ここで私は読者の皆さんに質問があります。
あなたが「忠誠登録」にイエスと答えたところで、あなたの両親、兄弟姉妹が強制収容所から釈放されるとか、両親が失った財産のほとんど戻ってくるとか、両親に市民権が与えられるとか、あるいはあなたが戦死したらアメリカ政府は、金銭的にあなたの両親の面倒をみてくれるとか、一切の好条件は示されませんでした。それでもあなたは、「忠誠登録」にイエスと答えてアメリカ軍に入隊しますか。
カリフォルニア州北部のツールレイク収容所では忠誠登録を強制されたことに反感をもった二世35人はデモ行進し「徴兵局に登録する意思はまったくない、しかし、日本への送還にはいつでも署名する」という抗議文を手渡した。この35人は、全員銃を突き付けられ他州の抑留所にほうりこまれてしまった。この忠誠登録によって収容所の日本人間に亀裂が深まり対立になって殺人事件にまで発展していった例も出たのも当然でしょう。
「忠誠登録」にイエスと答えて全米10カ所の収容所から志願した日系二世は、全部で1181人(その後数はずっと増えます)です。この数を多いと見るか少ないと見るかは見解の相違になるでしょう。私はとてつもない多い数字だと解釈しています。なぜなら志願者日系二世は、ほとんど全員が両親健在の年代です。私の考えでは、人生で一番見るに忍びない事とは何かと問われれば、血のにじむような努力を何十年と続けながら、その努力がなにも報われることなく一生を終わることではないでしょうか。もし自分が戦死でもすれば、両親の悲劇はますます深まるのだ。
それでも志願者数、1181人という数字は、権力に弱い、権力にすり寄って生きる日本人資質のあらわれのような気がしてなりません。ここでまた読者に問いたいのです。
人間は死を覚悟すれば、なんでもできると言われています。事実その通りでしょう。忠誠登録に「イエス」と答えて入隊した日系二世は、戦場での死を覚悟したに違いありません。死を覚悟したなら、自分たちを不当に扱ったアメリカ政府への抗議の態度ぐらいとれるはずです。それにもかかわらず多くの日系二世が入隊していったのはなぜでしょう。その理由は二つ考えられます。
(1)日本人は、権力に非常に弱い。権力者にすりよっては生きるのが得意なのだ。日系二世の入隊組は、徹底してアメリがカ政府に媚びて言ったとして言い過ぎではないでしょう。
(2)人の好い日本人が陥りやすい最大の欠陥、すなわち自分勝手な善意の思い込みです。この自分勝手な善意の思い込みが、日本の外交がどれほど損なわれているか計り知れません。韓国やシナに謝罪し、多額の経済援助をすれば、両国と友好関係が築けるだろうという善意の思い込み、ロシアに経済援助や技術援助したのも、そうすれば北方四島返還交渉に有利に作用するだろうという善意の思い込みがあったのでしょう。入隊組の日系二世は、アメリカのために入隊して戦場で死んだら、いくらなんでもアメリカ政府は、自分の家族は冷遇しないだろうという自分勝手な善意の思い込みあったのではないでしょうか。
こうしてアメリカ本土の日系二世は、入隊組と入隊拒否組との間に亀裂が入り対立関係になってしまった。
アメリカ本土と事情が違うハワイでは、忠誠登録は行われていません。アメリカ政府は、日系二世だけの部隊編成を考え、ハワイの徴兵目標を1500人としたところ、全部で1万人近く日系人が応募しています。

「称賛すべきは入隊拒否した日系人」
戦後、日系二世部隊のヨーロッパ戦線での大活躍はマスコミなどで知られています。私が一番気になったのは「忠誠登録」に「ノー」と答えて兵役拒否をした日系二世は、そのごどうしているのかでした。かれらの戦後の様子など知らされることがなかったのではないでしょうか。
平成14年5月14日、読売新聞の国際ニュース面で、「日系徴兵拒否者に謝罪」、「日系人団体 大戦後、長年『仲間外れ』」と言う見出しが出ていましたのでその記事の全文を引用します。
引用開始
「第二次大戦中、米国で強制収容に抗議して徴兵拒否した約三百人の日系人に対し、日系人団体が長年にわたる「仲間はずれ」を初めて公式に謝罪する式典が11日、サンフランシスコで開かれた。大戦で従軍して米国への忠誠心をしめした日系二世は賞賛の対象となったが、兵役拒否者は、日本人社会から長年卑怯者呼ばわりされてきた。謝罪までに要した約60年もの歳月からは、戦争によって引き裂かれた日本人社会の悲劇が浮かび上がってくる。真珠湾攻撃後、米政府は約十二万人の日本人を強制収容所の送りこみ、軍隊からも排除した。
だが、一九四三年に日系人の従軍が認められるようになると、約三万三千人の日系二世が従軍し、多数の死傷者を出しながらも勇敢な戦いぶりを見せ、日系人の名誉回復に大きく貢献した。これに対し三百二十五人の日系人が徴兵を頑として拒んだ。
『自分や両親が強制収容され権利を奪われているというのに、どうして民主主義のために戦えると言うのか』こう語るのは徴兵拒否者の一人、ミツ・コシヤマさん(77)だ。「選抜徴兵法」違反で懲役三年の判決を受けたコシヤマさんはじめ、二百五十六人が投獄された。だがもっともつらかったのは、日系人社会で受けた公然の非難だった。
全米最大の日系人団体『日系市民協会』は四十四年三月『徴兵拒否者は煽動罪に問われるべきだ』と声明。徴兵拒否者は『反逆者』『卑怯者』とののしられた。戦後の四十七年、トルーマン大統領はいち早く徴兵拒否者に謝罪し、特赦を与えたが、日系社会のわだかまり消えず、『いまでも新聞などに徴兵拒否者を批判する投書がよせられる』(コシヤマさん)
しかし日系人が二世から三世、四世へと世代交代し、徴兵拒否は正当な憲法上の権利の行使だったという理解が徐々に広がった。「日系市民協会は2000年、ようやく徴兵拒否を『理解する』という決議を採択。日系退役軍人らを説得し、11日、コシヤマなどの懲兵拒否者や家族22人を招く式典の開催にこぎつけた。
式典ではフロイド・モリ(日系市民協会会長)が『苦痛をぬぐいさることはできない』と謝罪した上で、『過去に起こった過ちを水に流そう』と呼びかけた。他にも徴兵拒否の道を選んだ人々の勇気をたたえる発言が相次いだ。式典に参加した徴兵拒否者のケン・ヨシダさん(78)は『本当は謝罪はいらない。ただ私たちは徴兵から逃げたのではなく、政府に抗議したのだということは、これからの世代に知ってほしい』と語った。(森田清司)」

日系人強制収容についてインターネットで色々調べていたところ2006年2月6日のインターネット上で2005年4月1日付けのニューヨークIPS(Inter Press Service)のニュースが、IPSジャパンの浅霧勝浩氏に翻訳されていた。
「日系人強制収容所の不当性を訴えた闘士86歳で逝去」の見出しのもとに、次のような記事が載せられていました。
「フレッド・コレマツは、第二次大戦期のローザ・パークス(米国公民権運動の母)と称される人物だが、40年間正義を待ち続けたこの日系アメリカ人は、水曜日(3月30日)北カリフォルニアのカークスブルで86年の生涯を閉じた。コレマツの40年に及ぶ(第二次大戦中の日系人強制収容所の不当性を訴えた)闘争は、カリフォルニア州オークランド刑務所の檻の中から始まった。彼の訴えは敗訴を重ねた末に米最高裁で否決され有罪が確定した(1944年)。ところが一転して犯罪歴は抹消され、しかも米国民間人最高の栄誉とされる「大統領自由勲章」が授与された」

コレマツがたどった軌跡は、米国公民権史に名を残す言語道断な事件の中でも最も醜いもの一つである。真珠湾攻撃から間もなくルーズベルト大統領はアメリカ国内に住む日系人、12万人を市民権の有無にかかわらず各地の強制収容所に送り込んだ。フレッド・コレマツの両親も収容所にぶちこまれたが、フレッド・コレマツ自身は収容所入りを拒否したため、逮捕、起訴され、刑務所に収監された。以来コレマツ氏の法廷闘争がつづいた。1944年、日系人収容処置は解除され、コレマツ氏はサンフランシスコに戻ってきた。彼は製図工として働き家族を養ったが、「前科者」が災いして大企業や公的な職につけなかった。それから約40年後1981年彼の有罪判決が偽証のせいと判明。其の後裁判所が特赦を申し出たが、コレマツ氏はこれを拒否、再審を要求した。まもなく連邦裁判所は、コレマツ氏は不確かな証拠に基づいて裁かれたとして彼の当時の有罪判決を無効とし、コレマツ氏の犯罪歴は抹消された。こうしてコレマツ氏は(40年の闘争の末)米国法史の暗黒部分に終止符をうった。
五年後、ジェラルド・フォード元大統領は、日系人強制収容処置を「国家的な過ち」と非難した。五年後、当時のドナルド・レーガン大統領は、日系人強制収容処置「深刻な不法行為」であるとし、コレマツ氏を含む数千人の生存中の元収容者に対し、一人当たり二万ドルの賠償金を支払うことを決定した、そして1999年、当時にビル・クリントン大統領は、コレマツ氏に対して、米民間人最高の栄誉とされる「大統領自由勲章」を授与した。
「我が国の正義を希求する長い歴史の中で、多くの魂のために闘った市民の名が輝いています。・・・・プレッシー、ブラウン、パークス・・・・」。クリントン大統領は有名な公民権関連の事例を挙げながら続けた。『その栄光の人々の列に、今日、フレッド・コレマツという名が新たに刻まれたのです。』(以下略)

このブログを書くために拙著「逆境に生きた日本人」(展転社、平成20年2月出版)を抜粋して書いています。この本の原稿を書いていたのが平成19年ごろです。ここに書いたコレマツの記事は、その当時コレマツ氏についてインターネットで調べられるすべてでした。コレマツ氏の名前の漢字を調べましたが、見つけることができませんでした。ところがこのブログを書くに当たってつい最近ネットで調べたらコレマツ氏についてのウイキペディアでは、詳しい経歴やその他いろいろな情報が手に入りびっくりしました。以下のコレマツ氏の情報は、つい最近のインターネット調べによるものです。
フレッド・コレマツの正式の名前は、フレッド・トヨサブロウ・コレマツ、漢字では是松豊三郎。2005年5年3月30日、86歳で死亡。2010年9月30日カリフォルニア州政府は、コレマツの誕生日1月30日を「フレッド・コレマツの日」と制定、州法に守られた市民の自由の重要性を再認識する日にした。2017年4月25日、NHKテレビで番組「NHK先人たちの低力」でフレッド・コレマツの人生の特集を放映した。私はあのNHKがコレマツ氏について放映をしたことについて非常に驚きました。私がNHKの支払い拒否を続けて13年目です。私はNHKの歴史検証番組など絶対に見ません。偏っているからです。あのNHKがコレマツ氏を取り上げたのには何か理由があるのだろうと想像をした。私の想像は、このことだろうと思う事件があった。2017年1月30日、すなわちカリフォルニア州の「フレッド・コレマツの日」にあわせてGoogleのアメリカ合衆国版のフロント画面にコレマツのイラストを掲載、併せて「間違いだと思うなら、声を上げることを恐れてはならない」(If you have the feeling that something is wrong,don’t be afraid to speak up.)とこうコレマツ氏の言葉を紹介しています。グーグル社は、大統領選ではトランプ氏に大口献金をしています、いわゆるトランプ大統領の人種差別といわれる大統領令には、反対なのでしょう。そのためカリフォルニア州のフレッド・コレマツの日、1月30日 に合わせてコレマツの記事をのせたのではないかといわれています。グーグルがこれだけ派手にコレマツ氏を載せると、NHKは黙視するにはいかなかったのでしょう。クリントン大統領の時、コレマツ氏に大統領自由賞が授けられた。その時日本国内で反響を呼んだのでしょうか。記憶している人おられますか。多くの日本人が偉大なコレマツ氏の存在を知ったのはつい最近ではないでしょうか?

日系人強制収容の時、12万人強制収容されました。日系人はアメリカ政府に抗議デモもするでもなく、講義の手紙を出すでもなく、従順に黙々と強制収容所に入った。入所したら、
アメリカ軍に入隊させてくれと自ら頼み込んでいるのだ。いざ入隊許可になれば、入隊拒否者が500人ばかりしでた。日系人全体で入隊拒否者を村八分にしてしまった。強制収容所そのものに入所することを拒んだたった一人の日系人がコレマツ氏だけだったのだ。日本人は、信念と突き通す人には冷淡なのだ。このブログは長くなりましたのでこの辺で辞めておきます。次回は終戦後の占領軍の統治と最重要問題の憲法改正について書きます。



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パナマ文書(2)、プーチン大統領について



翻訳本「パナマ文書」でプーチンについて書かれている全文を読んで要約したものをお知らせしようと思いましたが、それをすると大変なので、プーチンについて書かれているページ数を書いて、その頁の全文を転載、あるいは適度に要約する等して、お知らせする方式をとりました。
1.12頁
文書の多くは契約書で扱われている金額がとても大きい。ある時は800万ドル、ある時は3000万ドル、2億ドルとか8億5000万ドルというものもある。それらは株取引によるものか貸付だろう。だが、ロルドゥギンという名にこころあたりはない。調べてみる。そして少しビクリとする。
セルゲイ・ロルドゥギンは、「ウラジミール・プーチンの親友だった。ロルドゥギンはロシア大統領の長女であるがマリアの洗礼時の代父なのだ。これだけでも十分に興味深い。代父によるオフショア・ビジネス。だが読み進めるうちに私はすっかり困惑してしまう。セルゲイ・ロルドゥギンは、投資家でもなければオリガルヒ(ロシアの新興財閥)でもない。芸術家なのだ。音楽界では名のしれたチェロ奏者で、サンクトペテルブルグ音楽院の元院長。」
私は、2014年9月のニューヨーク・タイムズ紙に掲載された、彼のインタビュー記事を見つけた。その中でロルドゥギンは、自分はビジネスマンではないし、「何百万ドルも所有してはいない」とはっきり語っている。(略)
2.30頁
想像を絶する大金だ。(略)株ビジネスの関する契約を読むと、これらが特にロシアの重要な大企業の株に関わるものだということがわかる。プーチンに批判的なロシア専門家は殆ど皆、プーチンが大統領を辞める時には億万長者になっているだろうと考えている。だがしかし、ならば彼の財産はどこにあるのだ?専門家の中には、プーチンが株式の配当を受けていると主張するものもいる。だが、プーチンが本当にロシアの大企業の株を保有しているのなら、そのことを知られるのを良しとするだろうか?そんなことは絶対にあり得ない。信頼のおける人物を利用するだろう。セルゲイ・ロルドゥギンのような人物を?
ロルドゥギンとプーチンが知り合ったのは1970年代だ。ロルドゥギンはサンクトペテルブルク(当時はレニングラード)時代のプーチンが肩入れしていた友人のひとりであ、後年、プーチンが大金持ちにしてやった友人の一人でもある。だからもたらされた文書中の中に登場するロルドゥギンが、このロルドゥギンであること想像に難くない。プーチンの友人は、ロルドゥギンだけでない。プーチンが主導で国内有数の大手主要銀行になったその大株主もロルドゥギンだけでなくプーチンの友人たちだ。これらプーチンが信頼する友人のほとんどは、プーチンによるクリミア併合後はアメリアカが発動した制裁、その制裁対象者リストに載っている。(略)

3.167頁
セルゲイ・ロルドゥギン、ウラジミール・プーチンのお友達の、あのチェリストだが、彼の名が載っているカンパニーが三つになった。調査の最初で行き当たったインターナショナル・メディア・オーバーシーズに、ソネッテ・オーバーシーズとイター・リミテッドというカンパニーが加わる。この三社とも、2014年のインタビューで、自分はビジネスマンでないし、何百万ドルなんか持っていないと語った男の名義になっているのだ。では本当の持ち主は誰だと言うのだろう。我々の好奇心がかき立てられる。この三社の株主のほとんどの出身地はサントペテルブルクだ。プーチンが権力への足掛かりをつかんだ、あの町だ。(略)

4.168頁
専門家の多く、特に西側の専門家は、ロシア国家元首――2014年の収入が765万ルーブル(1万9000ドル)とされている—―はダミー社長を操り、いくつもの大企業の株式を保有していると考えている。ロシア人アナリスト、スタニスラフ・ベルコフスキーはプーチンの資産を2007年時点で400億以上と推測している。だが確証はとれていない。プーチンの資産について同様の推測がいろいろなされている。違っているのは、結局プーチンの資産が100億か、400億か、あるいは2000億かという点だけだ。USドルでだ。
(略)

5.211頁
まず何といってもセルゲイ・ロルドゥギンだ。チェリストでプーチンの娘の代父。この男の金融ネットワークには5億ドルが隠れていることが分かっている。それからプーチンの柔道仲間で(今は制裁リストに載っている)ポリス・ローテンベルクとアルカディ・ローテンベルク、プーチンの従兄弟イゴール、そしてロシア有数の大富豪アリシェル・ウスマノフ。リストはまだまだ続く。ここに登場する名前が興味深い理由がもうひとつある。彼らは皆、プーチンに近い人物なのだ。そしてそのプーチンはといえば、オフショア・ビジネスを非愛国的だと非難している。だとすると、プーチン勢力下の人間がこんなにも大勢、よりにもよってその非愛国的オフショア・ワールドにお出かけ中というのは、あまり聞こえの良いものでない。(略)

6.353頁
プーチンが家族と写っている写真は多くない。大統領の私生活はロシアではタブーなのだ。プーチンは二人の娘を世間の目から厳重に遠ざけている。それだけに、調査の途中にネット上にいくらか解像度の低い一枚の白黒画像を見つけたときは、びっくりした。そこには鋭い目つきをした若き日のプーチンが写っている。この写真が撮られたのは1985年のレニングラード、現在のサンクトペテルベルク。1985年といえば、ミハイル・ゴルバチョフが書記長に就任したばかりで、プーチンは小柄な一介のKGB士官に過ぎなかった。写真のプーチンは娘のマリアを腕に抱き、彼の横には当時の妻リュドミラが立っている。
リュドミラの隣でふさふさの髪をした若い男がこちらを見据えている。セルゲイ・ロルドゥギンだ。プーチンの娘マリアが洗礼を受けた時、代父を務めた、謎に包まれたチェリストだ。
調査を通じて我々は、彼をオフショア・カンパニーからなる一つのネットワークの中心人物として捉えた。(略)
7.358頁
2009年から2011年までの間だけでも総額10億ドルがロルドゥギン・ネットワークに流れ込んでいることが我々のデーターから読み取れる。この資金の大半がキプロスの商業銀行から出ている。(略)

8.361頁
ロシア国家から金を巻き上げるというのは、基本的にいい考えではない。いい後ろ盾があって、それが許されている立場にある場合を除いて――。
プーチンに支配されるロシアのことを話しする時、泥棒政治を話題にするのはもはや西側の専門家だけでない。実際、プーチンが政治家としてのキャリアの段階を登り始めた当初から、政界内部では汚職の噂が囁かれていた。だがそのほとんどは忘れ去られている。
しかし、我々は、オフショアの置かれた金の壺が、さまざまに交錯した道を経てやってくる何億もの金で満たされる様子を見ている。しかも、それに大きく関わっているのがプーチンの古くからの友人なのだ。(略)

9.366頁
つい最近ロイター通信が、プーチンの下の娘カテリーナが2013年二月にキリル・シャマロフという30代半ばの男と密かに結婚していたことを暴露したのだ。キリル・シャマロフは伝説に包まれたオゼロ・コオペラティブのメンバー、ニコライ・シャマロフの息子だ。このオゼロ・コオペラティブというのは、プーチンが友人たち共に設立した共同組合のようなもので、設立場所となったのは、その友人たちがサンクトペテルブルクからほど近いコムソモルスコイ湖畔に買っておいた、ダーチャ(別荘)付き土地だった。もとは単なるダーチャ所有者たちの集まりとして出発したオゼロ・コオペラティブだが、ほどなくして経済における排他的ネットワークを意味するようになった。例えば、オゼロのメンバー、ユーリー・コ
ヴァルチュクは現在、ロシア銀行の頭取兼最大株主だ。息子をプーチンの娘と結婚させたニコライ・シャマロフもこの銀行の株主の一人だ。
プーチンの義理の息子は結婚後数か月もしないうちにさらに裕福な男になった。保有するロシアの石油化学最大手シプールの株が数%から21%に増えているのだ。我々にとって
さらに興味深いのは、プーチンの娘とシャマロフの息子の結婚式が行われた場所だ。スキーリゾート、イゴーラなのだ。(ロマノフ王朝の結婚式と呼ばれてもいい超豪華結婚式、中略)。
ここでパナマに始りイゴーラリゾートに終わる、何カ月にもわたる我々の調査の旅が終了した。行き着いた先はプーチンの家族だった。あまりにも、恐ろしい。

パナマの法律事務所、モサック・フォンセカから故意にか、あるいはある目的をもってかは、いまだに不明だが、この「パナマ文書」を公表したことで、多くの国々で何百人もが捜査対象となった。同時に苦境に立たされた現職の政府首脳も多い。アイスランド、イギリス、アルゼンチン、マルタ、パキスタンです。「パナマ文書」は世界中の人々について書いているが、個人の中でウラジミール・プーチンほど詳しく書かれている人物はいません。シナについては、本文293頁から第二十一章 「赤い貴族」として習近平を含む数人のシナ人が本文304頁まで書かれています。

なぜ私は「パナマ文書」に書かれているプーチンを詳細にとりあげたか。私は安倍首相対プーチンの領土交渉に反対だからです。私の反対主張は、まず私のブログ、「安倍総理、プーチンにのめりこまないでください。」(2016・11・5)と「鈴木宗男よ、前科者のくせに偉そうな口をきくな。」(2016・12・3)を再度お読みください。「パナマ文書」で記されているのはプーチンに関するお金の動きだけです、プーチンの暗殺指令などほとんど書かれていません。結論づければプーチンはロシア国内の政敵を暗殺指令などで間接的か直接的かで殺しているのです。私のブログ、「安倍総理、プーチンにのめりこまないでください。」のitem2「プーチン政権時の国内政敵落としのいくつかを紹介」を参照ください。また最近のニューズウイーク誌(2017・3・7)には「止まらないプーチンの暗殺令」という記事が二頁わたって書かれています。38頁にはこう書いてある。
「つい最近、元情報機関職員協会(AFIO)の季刊誌インテリジェンサーで、まさにそれが発表された。AFIOはCIA,FBI,軍の諜報関係機関に在籍した4500人の会員を擁する協会。リストには、ロシア政府の命令で殺害されたに違いない30人以上の犠牲者の名が並ぶ。作成者は米国国防省情報局(DIA)の元補佐官ピーター・オールソンだ。リストの完成後も、不審な死は続いている。」

プーチンは少年の頃からKGBの秘密警察の権力に取りつかれ、希望どおりにKGBに入り、いまやロシアの最高の権力者になった。彼は我が世の春を謳歌しているに違いない。プーチンには二人の娘がいます。姉か妹かどちらだか知らぬが、彼女は完全の別の女性になりすまし、時々日本に旅行しています。NHKのロシア駐在に記者、確か石川さんと言う人が、全く他人になりすましているプーチンの娘に日本で会っていると語っていました。プーチンの娘と知られると、殺される危険があるからです。私はロシア史の歴史的観点から、またプーチンの人間的観点からもプーチンとの領土交渉には絶対反対です。プーチンは安倍総理ともうそろそろ20回近く会談していますが、まだ一度でも北方領土を返すとは公言していません、それどころか北方領土の軍事要塞化を進めているのだ。どんなに交渉を進めても北方領土は帰ってきません。ただ何回もプーチンに会うということは、シナへの牽制になることは確かだ。日ソ交渉は長く時間をかけ結果としてなにも生まれない方がよいのだ。奪われた領土は、例え千年かかっても奪い返す。そのためには軍事力の強化は緊急に必要。核兵器が絶対に必要なのです。もう何回も私は、同じことを主張しています。核所有国に対して核攻撃力を持たない外交交渉は無に等しい。いつまでも奴隷的に従属した日米同盟関係とは、おさらばして、早く核兵器を持ち、自主憲法を持ち、正真正銘の独立国日本と対等の日米同盟関係を結んでもらいたい。

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