Archive for 10月, 2008

「君が代」に二番、三番あり。



一.君が代は 千代に八千代に
   さざれ石の 巌となりて こけの むすまで
二.君が代は 千尋の底の
   さざれ石の 鵜のいる磯と あらはるるまで
三.君が代は 限りもあらじ
  長浜の  真砂の数は  よみつくすとも
「エッ!」とお思いの方が多いでしょうが、本当にあるのです。それが上記です。今回編集部はこの衝撃的事実を発見、また、次の史実も合わせて読者の皆様にご報告いたします。
明治維新の新政府は、各国礼式にのっとり、国旗、国家の制定に着手し、英国軍楽隊長を講師に招き、古来より伝わっている祝詞に作曲した「君が代」を完成、明治三年東京の越中島における観兵式で明治天皇に発表したが、今の「君が代」とはメロディーの異なる異国風のものであったという。
時は移り明治13年、宮内庁雅楽部、林廣守が雅楽風のメロディーに切り替え、現在の「君が代」誕生したのである。また、縁とは奇なものである、その林廣守の先祖は秦河勝(はたのかわかつ)といい、推古天皇・聖徳太子に仕えた人物であった。近年の研究で「君が代」の本詩はその推古天皇・聖徳太子の詩をあつめた「詠歌本紀」に納められていた祝詞であることが判明した。
紀貫之の「古今和歌集」が「君が代」の本詩と記憶の方も多いいでしょうが、さらに二百年も古い1500年前の推古朝の詩であったのだ。この歴史のゆりかごに育まれた国歌「君が代」、いわば日本国民の魂の遺産と言えよう、大切に子々孫々まで伝えたいものである。
以上は、自衛隊、中央音楽隊、小林正雄一曹の文章をそのまま拝借したものです。
「詠歌本紀」によると「君が代」の一番の原文は、以下の通りです。
「君之代者千代干八千代干
     微小砂石之磐巌興成而苔之結迄時人」
(旧漢字は、変換できないので新漢字になっています)
「君が代」のこの話、去年知人から聞かされていました。最近彼から、記事のコピーをいただきましたので公表してみました。もうすでにご存知の方にはご容赦ください。
日本の国歌の詩の古さ、すごいではないですか。こんなに古い詩を国歌にしている国なんか他にないでしょう。世界には現在、独立国が全部で何カ国あるか、私は正確な数は知りません。しかし、間違いなく100カ国以上あるでしょう。それらの独立国のうち、1500年も前に存在していた独立国となると、ほんの数えるほどになるでしょう。
1500年前に祝詞を述べられた君主が、現在でもその子孫が君主として存在しているのは、世界広しといえど日本だけです。「君が代」と皇室を世界遺産にしたいくらいです。「君が代」を戦争に結び付けて反対している連中は、この事実をなんと思うのでしょうか。
本来ならNHKが、「詠歌本紀」の実物をカメラに映し出し、ニュースとして全国に流して当然です。ところが現在のマスコミ、特に朝日やNHKなどは、「君が代」や「靖国神社」に偏見を持っているのだ。
私が住む神奈川県では、公立学校の教師が百人を超す集団で、入学式、卒業式での「君が代」斉唱と国旗掲揚を義務付けた神奈川県教育委員会を提訴しています。もう三年がかりの法廷闘争です。私が会員になっている「日本世論の会」(神奈川支部)の人たち、数人が必ず法廷を傍聴しています。私も二回傍聴しました。
そうしないと、50席にも満たない傍聴席が、彼らの支援者で独占されてしまうからです。
入学式、卒業式に国旗を掲揚し、ピアノ伴奏つきで、全員起立のもとに「君が代」を斉唱することの是非を大の大人が雁首そろえ論じてあってもう三年越しの裁判です。大変な時間と税金の無駄遣いもはなはだしい。あまりにも馬鹿バカしく法廷に向かって怒鳴りつけたい衝動を抑えるのが大変です。反対する連中を一人一人張り倒したいくらいです。

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「逆境に生きた日本人」

私の新著、「逆境に生きた日本人」(展転社)が今年3月に出版されて以来ちょうど半年経ちました。保守の人たちの読後感は、二つに分かれます。絶賛派とため息派、あるいは無視派と言ってもいいかもしれません。ため息派あるいは無視派とはどういう意味なのか説明する前に、まだ読んでいない方のためにこの本の要約をします。
この本は日本人の資質を探った本です。なぜ日本人の資質を探ったかというと、私は、大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を著した。最初からこの本のタイトルが決まっていたわけではありません。私が猛勉強して得た結果が、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」でした。その結果をそのまま本のタイトルにしただけです。イデオロギーにとらわれず、偏見なく勉強すれば、自虐史観など生まれるわけがないし、また戦後50年以上自虐史観が跋扈するはずがないのです。
それがどうしていまだに自虐史観が主流を占めているのか、私にはまったく考えられない現象なのです。そこでなにか日本の民族性に問題があるのではないかと考え、日本民族の資質をさぐろうとしたのです。どういうふうに日本人の資質をさぐったかというと主に下記の三つの歴史的事件に対して日本人がどういう行動をとったかを調べたのです。
1. 戦後マッカーサーによる6年8ヶ月にわたる日本統治
2. 戦争中の日系米人の強制収容
3. ソ連による日本兵及び民間人60万人以上を強制労働収容所への強制収容
人間は危機に陥った時、その人間の本性が現れると言われます。この三つの歴史的事件は、外国人が日本人の生殺与奪の権を完全に握ってしまった。日本人は外国人のまな板の鯉になり、殺されようが、なにをされようが、外国人のなすがままの状態になってしまいました。その時日本人が取った行動は、まさに変節、裏切り、卑屈なまでの迎合等など、みるも無残な日本人の醜態でした。日本人の資質を探って得た結論は、「自虐史観とは日本民族の資質が生んだ歴史観である」
私は、この本のタイトルを「変節と裏切りの遺伝子・日本人」にしようとしましたが、出版社が大反対したのです。理由は、あまりネガティブな日本人を表すタイトルの本は売れない、本の内容がネガティブなのに、タイトルまでネガティブでは絶対売れない。しかし私は反対でした。「逆境に生きた日本人」ではありきたりのタイトルで売れない、私は無名だ、だから、ちょっとどきっとするタイトルの方が読者の目を引くと主張しました。
結局私は無名、出版社の言うことを聞かざるを得ませんでした。しかし保守論壇の第一人者である西尾幹二氏に出版前に読んでいただく機会を得、その上絶賛する推薦文をいただくことができたのは、非常に幸運でした。
この本の絶賛者には私のような年配者に多いい、ある元大学教授からは「保守のタブーへの挑戦本」と指摘してくれました。しかし日本人であることに非常に誇り持っている、特に若い読者(50代以下)、また日本人はすべておいて素晴らしい民族であると誇る国粋主義者、あるいは国粋主義者に近い人たちは、この本を読んで恐らく「うーん」と唸ってしまったのではないかと想像しています。これが最初に言った「ため息派」。そのうちに見たくない日本人の醜態の数々を見てしまった。否定したいけれど史実ですから著者には文句は言えない。なんとなく暗い気分になって無視したい気になってしまう。すなわち「ため息派」から「無視派」の成り行き的な移動です。
私は、日本人の醜態を無視したい保守派の読者に言いたいのです。現状の日本を見て下さい。現在私たち日本人は、外国人に生殺与奪の権を握られていません。言論、出版の自由はある、行動の自由もある。豊かな生活も享受しています。国民は自由に好き勝手な事ができるのです。そして一時失ってしまった日本人としての誇りを取り戻すには必要な時間も充分ありました。ところが現在は自虐史観が昂じて、うそを史実としてでっちあげ、めったやたらと祖国日本を足げにするのが大流行です。「従軍慰安婦」事件も沖縄の集団自決など好例でしょう。最近では、これは歴史上の問題ではありませんが、ネット上で悪評を呼んだ、毎日新聞英文版の変態セックス記事、例をあげた方がわかりやすいでしょう。
○日本人の母親は息子が勉強に集中できるようにフェラチオをする。
○女子高生は皆ノーパンノーブラ
○六本木の某レストランでは料理する前にその材料となる動物と獣姦する。
○日本で強姦犯罪発生率が低いのは、日本人女性がよろこんで強姦をうけいれるから。
まるで日本人は変態セックスが常識で毎日のように行われているような記事をオーストラリア人に5何年間も書き続けさせていたのです。わざわざ日本を貶める記事をこれでもか、これでもか書きまくっていたのです。さすがにあまりにも非常識と非難の声があがりました。毎日新聞はその記事は廃止しましたが、その担当部署の責任者は昇進させました。
明白な史実もなければ根拠もないのに、祖国を足げにするのは、マスコミだけではありません。政治家個人も日本政府も同じことをしているのです。「従軍慰安婦」あれは嘘です。(詳細は拙著『原爆正当化のアメリカと従軍慰安婦謝罪の日本』参照)それにもかかわらず政府は、外国人が「私が慰安婦でした」と名乗りあげれば、検証することもなく一人二百万単位のお金だしているのです。
沖縄の軍命令による集団自決、これもうそです。しかし日本政府は、その嘘を認めているのです。どこの国の政府もそうですが、政府の重要な仕事には、国民の安全、国民の生活の向上、教育水準の向上などいろいろなものがありますが、しかし同時に国の名誉や誇りを守るのも政府の重要な仕事ではないでしょうか。
アメリカを見よ。アメリカ政府は、原爆投下正当化発言の繰り返しです。アメリカの正当化、あれはうそです。(詳細は拙著『原爆正当化のアメリカと従軍慰安婦謝罪の日本』参照)
アメリカ政府、議会、マスコミ、退役軍人会、国民こぞって、アメリカ国内にある正当化発言を否定するどんな史料をも認めようとせず、無視するのです。元大統領、アイゼハワーの発言さえ無視してしまいます。祖国アメリカの名誉や誇りを守るためにうそをついているのです。もしアメリカ政府が正当化しなかったら、アメリカは、ユダヤ人虐殺をしたドイツ人と同じことをしたことになり、大東亜戦争の勝利国面ができなくなるからです。
ドイツを見よ。ドイツ政府は、ユダヤ人虐殺は、ヒトラーを初めとするナチスがやったことでドイツ国民とは関係がない。しかし同じドイツ国民がやったことなので、ドイツ政府は被害者全員に補償金を払っています。しかしこれはまさに詭弁です。ヒトラーはクーデターや革命を起こして政権を握ったのではありません。選挙で選ばれて政権を握ったのです。だからドイツ国民全体に責任があるのです。しかしドイツの名誉と誇りをまもるためにあくまでも責任をヒトラーとナチスの責任で押し通しているのです。そのかわり被害者全員への個人補償ですから膨大な費用がかかっても払い続けています。
ひるがえって日本を見よ。自民党政府は、国の名誉と誇りを守ったことあったでしょうか。なにを持って侵略戦争というのか、国際的定義がありません。いまだかって日本以外の国で侵略戦争を行ったなど公言し、謝罪した国などないのです。それにもかかわらず、日本政府は、大東亜戦争は侵略戦争だった公言し、謝罪をした。一体これまでに何度謝罪したのでしょうか。卑屈なまで謝罪を繰り返しています。先にふれた「従軍慰安婦」事件、沖縄の軍命令による強制集団自決などすべてうそ。その嘘をマスコミが煽り、日本政府が追随する。また野党も日本を貶すことはあっても、日本の名誉や誇りを守ることに関して全く無頓着。そして多くの国民も一緒になって日本をこれでもか、これでもかと足げにすることに夢中になっているのです。
「逆境に生きた日本人」でみせた日本人の醜態は、決して過去だけの話でなく、現在でも日本人は醜態をさらけだしているのです。「逆境に生きた日本人」が見せた醜態は、まだ情状酌量の余地があります。なぜなら彼らは、外国人に生殺与奪の権を外国人に握られているため、生き抜くためにしかたなかったと考えられる面があるからです。ある元小学校校長先生が私に言ってくれました。「日本人は負け方を知らなかった。対外戦争初の大敗北ゆえ日本人は醜態をさらけだしてしまった」
私もその意見に賛成です。
しかし現在の日本人はちがいます。前にも触れましたように、言論、出版の自由を堪能し、国民は豊かでなんでも自由にできる行動ができるのです。それにも関わらず、自己主張を貫けず、史実的に不名誉なことなにもしていないのに祖国を足げにすることに夢中になっているのです。「逆境に生きた日本人」の醜態と現代日本人が見せ付けている醜態とどちらがたちが悪いか容易に理解できようというものです。
戦争中は愛する祖国を救うために死を覚悟して特攻隊に志願し、帰りの燃料を持たずに敵艦隊に突っ込んで敵に畏怖の念を与えた日本人が、現在では理由にならない理由で祖国を貶め、足げにしているのです。愛国心も他国民がまねのできない猛烈な愛国心を示したかと思うと、事情が変ればその愛国心が一夜にしてふっとび、他国民が信じられないほど祖国をも平然と足げにするのが日本人。状況次第でどうにでも変れるつかまえどころがないのが日本人なのではないでしょうか。それが長所にもなるのです。明治維新成功の要因の一つは、日本人の一夜にしてどうにでも変われる変わり身の早さです。
私は「逆境に生きた日本人」の内容のような本がいままでに出なかったのが不思議に思っていました。元大学教授が言ってくれた「保守のタブーへの挑戦」が的を射ているのかもしれません。私は定年サラリーマン、現在無名な著述家、社会的地位もなければ社会的名誉もありません、それだけに私が調べて得た日本民族の醜態を堂々と本にすることができたのかなと今では思っています。
保守の方でまだこの本を読んでいない方、ぜひ読んで率直な意見を聞かせてほしいと思います。

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カントリーファースト その2

私に言わせれば、現在の日本の若者は、カントリーファーストの精神に実に乏しい。日本人意識が弱いせいか日本の政治や外交にほとんど興味を示しません。いつの時代にも良きにつけ悪しきにつけ大学生のデモがあった。現在、大学生のデモなんかなくなってしまった。
デモを組織する気力もなければ、自分にかかわりないことには関心をもたないしらけムードそのものです。カントリーファーストどころか日本という祖国に対する思いいれがほとんどない。
だから自分で自分の国を守る気概すらないのだ。同じ敗戦国であるドイツが徴兵制を敷いているのと実に対照的です。そこで今回は、特に20代の若い人たち向けに文章を作成してみました。
国際社会とは、個人と個人とのつきあいで成り立っているのではなく国と国とのつきあいで成り立っています。それを証明するのがパスポートです。君たちが外国に行ったら、パスポートがなければ、いくら自分が日本人であると叫んでも誰も信用しません。不法滞在外国人になるだけです。すなわち国際社会では、日本国あっての日本人なのです。まさにカントリーファーストなのです。君たちいるから日本があるわけではありません。
このパスポートもその国の国際的地位をあらわすものなのだ。私は数十年前、飛行機の中で在日北朝鮮のビジネスマンと隣り合わせになった。たまたま同じホテルに泊まることがわかったのでホテルまで一緒に行きましょうと誘った。彼はそれができないと言うのだ。彼が語るところによると、どの飛行場でも入管を無事にすますことができず、必ず部屋に呼ばれ、身包み剥がされて徹底した検査を受けると言うのです。
君たちが外国に行けば日本円を当然のごとく使用していますが、日本円が国際通貨として海外で自由自在に使えるようになったのが、欧米のようにそんなに古くはないのです。
多分30-40年くらいのものでしょう。君たち先輩の努力のたまものです。韓国人がえらそうな事を言っても、ウオンなどのお金、海外で通用しません。要するに一端外国に出ると世界での日本国の国情が反映さ、それが日本人に影響あたえること、すなわち日本国があって日本人なのだ。すなわちカントリーファーストなのです。
ところ君たちは日本人意識が極端に低い。それは君たちの責任ではありません。ほとんど日教組のせいなのです。すなわち教育のせいなのです。
日本人意識の強い人間をつくるには、歴史教育と国語教育の充実が必要です。諸外国の歴史教育のように、自分の国を誇りに思わせるように歴史を教え、日本の古い伝統文化を教える充実した国語教育を行い、学校の入学、卒業式、運動会など節目の行事には、日の丸の旗をあげ、君が代を斉唱、祭日には町中が国旗をかかげている、このような環境で育てられたら日本人意識を強く持った若い人たちが沢山輩出することに間違いないでしょう。君たちもそう思いませんか。
ところが現実はどうでしょうか。自分の国を誇りに持てないような自虐史観を教えこまれ、古事記や日本書紀の神話さえも教え込まれることもなく、高校生になると古文や日本史は選択科目になる。日の丸や君が代は軽蔑され。日の丸を見る機会は少ないし、君が代も満足に歌えない。これでは君たちのように日本人意識の薄い日本人が誕生して当然の結果です。
幕末の尊皇攘夷運動の先駆者ともいうべき水戸藩の藤田東湖は、こう書いています。「土地や人民を異国に奪われるは日本の恥辱。土地の一寸、人間一人たりとて死守すべし」
どうですか、日本人としての心意気。幕末から大東亜戦争敗北までの日本国民はまさにカントリーファーストの精神だったことがわかります。
それがどうですか、現在北朝鮮に拉致された家族が数百人以上、拉致家族の人たちは、日本だけではどうにも頼りなくてアメリカ大統領に直訴しているのです。それを日本人の多くが屈辱ともなんとも感じていないのです。
アメリカだったら特殊部隊を派遣して奪還してきますよ。人生で20代と言えば、人生の中で一番血気盛んな頃です。大学生などデモ隊を組織して朝鮮総連事務所にデモをしかけて当然なのだ。それが全くの音なしの構え。
いかに日本人意識に欠け、自分に直接関わらないことには無関心かの証明です。オリンピックの時には、一生懸命日本を応援しているから日本人意識は高いと考えていたら大間違いです。
君たちのような日本人意識の弱い人たちが、日本社会の中堅や指導的立場に立った時、世界の中の日本は今以上のみじめ状態になるでしょう。現在の日本の外交を見てください。特にロシア、北朝鮮、韓国、中国は、いつも日本に対して挑戦的な外交姿勢をとります。
日本はいつも受身、そしてなにか問題があると譲歩し妥協点をみつける、あるいはお金で解決しようとする。この不甲斐ない日本外交の根本的な理由は、政治家も外交官も強烈な日本人意識をもたずカントリーファースト精神が微弱だからです。
強烈な日本人意識が必要なのは私自身が身を以って体験してきました。私は22歳の時(1960年)外資系の会社に入社しました。1960年という時代は、1ドル360円の時代。白人たちは日本で豪勢な生活ができました。都内の一流ホテルは、ほとんど白人ばかり、日本人客などほとんどいません。
当時の日本は経済的にも技術的にも白人に大差をつけられていました。白人は日本人に対して優越感を感じて満足だったでしょう。当時彼らは、生魚なんか食べるのは文明人でなく野蛮人が食べるものだと解釈して、すしやさしみなど食べる人がほとんどいなかったくらいです。
そういう時代に外資系に入社して以来、40年間、外資系五社を渡り歩き、海外駐在の経験はないが海外出張は何度もして定年を迎えた。その間、私は日本人の自己主張が弱いのも、白人に弱いのも、そして徹底したイエスマンになるのを見てきました。
そんな中にも白人と対等に、あるいは対等以上にわたりあう日本人がいました。私もその一人です。
私は外資系で成功した人間ではありません。ただ対等あるいは対等以上に彼らとわたりあってきたことを私は自負しています。そのために外資系五社も渡り歩くはめになった一因でもあったことは事実でしょう。白人たちと対等ないし対等以上にわたりあう日本人に共通しているものがありました。
それは皆、強烈な日本人意識をもち、自虐史観などに染まっている人など誰もいません。
日本人はもともと自己主張が弱い、そのうえ日本人意識が弱い、自虐史観に染まっている、そのうえカントリーファーストの精神も低い。そんな日本人が国際舞台で、堂々と自己主張したり、自国の国益を堂々と主張して外国人と対等にわたりあえるのでしょうか。
国際社会は仲良しクラブではありません。武器を使用しない戦場です。日本代表がテイブルごしに相手国代表とにこやかに握手を交わしていますが、あれはすべてテレビニュース用でテイブルの下は足のけりあいです。
君たちが社会の中堅になり、あるいは指導的立場に立った時には、多くのひとが国際社会では使い者にならない恐れが充分あります。
ところで君たちに聞きたいことがあります。なぜ日本人は自己主張が弱いのでしょうか。
考えてみてください。その理由がわかると多少なりとも自己主張の弱さが改善するでしょう。なぜ自己主張が弱いか。
日本人は自分の確固とした信念、あるいは考えがないからです。自分に確固とした信念や考えなくてどうして自己主張できるのでしょうか。日本の文化の和の精神のため、相手にあわせるためには、自分の確固とした信念や考えを持つと相手に合わせられなくなるからです。そのため日本人は、自然と自分の確固とした信念や考えを持たなくなってしまう傾向が出てしまいます。
反面、自分の確固とした信念がないため、時代の流れにどうにでも合わせられる融通性が出ることも確かです。
結論を言うと君たちにもっと祖国、日本に関心を持ってもらいたいということです。日本国あっての君たちであることを認識してほしいと思います。
ところで話題をがらりと変えて話したいことがあります。君たちは学校で大東亜戦争の話など充分に教えられてこなかったでしょう。ましてや敗戦直後の日本社会の混乱状況など教えられていないと思います。おもしろい話を紹介しましょう。敗戦直後、日本の警察が充分機能しなくなってしまった。その理由には、戦争にスタッフが取られて人材不足の面もあったでしょう、またパトロールカーのような機材不足や武器不足あったでしょう、さらに深刻だったのは警察官の士気の低下と権威の低下です。
戦前、戦中、日本の警察には権威があった。敗戦直後、警察官は、戦前戦中のように振舞えなくなってしまったのです。この警察力の衰えを見てのさばりだした連中が出てきました。のさばり出した連中とは誰か。
「第三国人」です。現在ではこの「第三国人」という言葉は、ほとんど使われません。数年前、石原都知事が使って差別用語だと非難され、彼は謝罪しています。「第三国人」とは在日朝鮮人、在日中国人、在日台湾人、その他の東南アジア人です。
その「第三国人」が、日本に在住しているくせに「戦勝国民」づらして日本の警察をなめきってしまった。警察もそれに対して強力に対応できなかった。日本の、特に大都会の治安に乱れが出てきたのです。その時立ち上がった日本人がいました。誰だと思いますか?日本のヤクザですよ。ヤクザが立ち上がったのです。
中でも活躍が目立ったのは、現在でも存在する山口組です。関西地方に「第三国人」が多いいのも無関係ではありません。
敗戦わずか半年後、神戸三宮駅東側の市有地を占拠した在日台湾人に対して、山口組は拳銃、日本刀、鳶口、手榴弾で武装し、神戸市のマーク入りの公用トラック二台で突入、建物、建設中の建物を完全に破壊し逆占拠した事件が起きています。
その他「第三国人」の武装集団が警察署襲撃を計画しているとの情報が山口組に入った。その時山口組が警察署に出した迎撃作戦がすごい。
「全署員はただちに裏口より避難し、あとは山口組組員が迎撃にあたり、同署の屋上から数本のドラム缶に重油一杯に詰め、これを落下させるとともに、さらに手榴弾三箱、約四十個投下し、彼らを大量に殺傷させ、相手がひるむすきに、山口組抜刀隊による決死隊が日本刀や拳銃を持って殴りこむ・・・」
アメリカマフィア映画顔負けのすごさです。
警察が機能しなくなった時、ヤクザがほんの一時期でも町の保安官みたいになった感じでした。それが闇市において顕著に見られたのです。当時は食糧不足と物資不足で大都会には必ず闇市がありました。庶民にとっても闇市は必要悪です。
闇市には日本人経営の露天商が当然多いい、そこえ「戦勝国民」づらした「第三国人」が傍若無人の振る舞い、そこで警察に訴えるがらちがあかない、当然ヤクザの登場です。闇市の支配権をかけてヤクザと「第三国人」の熾烈な戦いが演じられ、闇市の治安が保たれたわけです。
闇市の仕事に関わった日本人にとってヤクザは保安官同然であったわけです。だから昭和34年山口組組長の田岡一雄が神戸水上署の一日署長を勤めたのも不思議ではない。
なぜ私が最後にこんな話をしたかというと、ヤクザという半端者でさえカントリーファーストの精神があったからこそ、命をかけて戦ったということです。もしヤクザが「どうせ日本は戦争で負けたんだ。命をかけるのは馬鹿馬鹿しい、「第三国人」の手下になって生きた方が得だ」と考えてもおかしくない。
しかしヤクザは戦いを選んだのです。勿論、闇市の支配権を獲得するかどうか彼らの生活がかかっていたから戦ったことは確かです。それでも敗戦国民だからといっても「第三国人」の軍門にやすやす下るということが、彼らの日本人としての誇りが許さなかったから戦った面もあれば、日本人露天商を守る面もあったからこそ戦ったのです。
私は若い君たちに聞きたい。このヤクザの生き方をどう思いますか。君たちが、当時のヤクザだったらどうしますか、「どうせ俺はヤクザだ、命をかけての戦いなどまっぴら、「第三国人」の軍門にくだって、彼らにバカにされながらでも生きていた方が得だ」と言ってその方を選びますか。
大学生諸君、君たちは日本人としての強い誇りがありますか。中国、北朝鮮、韓国、ロシアの言動に怒りを感じないのですか。誇りあるなら政府にハッパをかけるデモをするとか、それぞれの大使館にデモをかけるとか、なにか行動をおこしたらどうでしょうか。
カントリーファースト(国家優先)の精神は、国民の誇りがないとなりたたないのです。

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カントリーファースト



先月初め頃、アメリカ大統領選挙戦に向けて共和党が党大会を開き、そこでマケインは、正式に大統領候補受諾演説をした。その党大会の模様がテレビニュースで紹介された時、カメラが会場の上段の方に大きく書かれた横断幕を捕らえていました。その横断幕に書かれた大きな二字が私の目に飛び込んできました。
「COUNTRY FIRST」 (カントリー ファースト)の二字でした。直訳すれば「国家第一」すなわち「国家優先」という字でした。マケインは、国家に奉仕できることが自分にとって最高の幸せと語っていました。
数日後にはどこかの週刊誌には、アメリカの共和党支持者がマケイン、ペイリンと書かれたプラカードを片手に、カントリーファーストと書かれたプラカードを片手にもっている写真が掲載されていました。ここで私は、アメリカ民主党の選挙スローガン「CHANGE」(変革)対して共和党の選挙スローガンは、「COUNTRY FIRST」(カントリーファースト)(国家第一)であることを確認しました。
今度のアメリカ大統領選挙は、「CHANGE」対「COUNTRY FIRST」の対決です。
余計なことかもしれませんが、COUNTRY FIRSTの正しい英語は、COUNTRY COMES FIRSTです。COMES が略されています。なぜこの言葉が選挙戦のスローガンになったかを探るのが今回の目的ではありません。この「カントリーファースト」という言葉を日本でも借用しようというのが私の考えです。
アメリカ民主党と共和党の対日政策は、簡単に言えば皆さん御存知のように民主党は対日軽視、共和党は対日重視です。従って当然私は共和党びいきです。共和党びいきだから言うのではないですが、共和党のかかげる「カントリーファースト」(国家第一)すなわち「国家優先」は、私に言わせれば、アメリカよりも現在の日本がもっとも必要としている精神なのです。
敗戦後から現在まで日本国民は、このカウントリーファーストの精神が全くなくなってしまいました。
歴史を振り返ってみましょう。明治時代は、日本民族総がかりでカントリーファーストの精神に満ちあふれていました。大変な貧乏国にもかかわらず国民は軍備増強に耐えた。その結果として日露戦争は勝てたのです。ロシアの植民地にならずにすんだのだ。当時の朝鮮、シナは現在の日本人と全く同じでした。自分の利益優先で、国家のことなんか少しも眼中になかった。すなわちカントリーファーストの精神のひとかけらもなかったのです。そのために彼らは日本に、西洋に大変な遅れをとってしまったのです。
日露戦争後も日本人のカントリーファーストの精神は非情に高かった。この国民のカントリーファーストの精神の高いまま大東亜戦争に突入した。カリフォルニア州一州ぐらいの広さしかない小国、日本がアメリカのような超大国と戦争するには、国民のカントリーファーストの精神が最高潮に達しないと戦えるものではありません。
しかし残念ながら日本は大敗した。その結果どうなったか。それまでカントリーファーストの精神の高かった日本人が、敗戦後はこれでもかこれでもかと祖国日本を足げにしだしたのです。その典型的な例が、自虐史観の横行と日の丸、君が代に対する蔑視です。
世界史において日本のような敗戦国が、勝利国の歴史観を鵜呑みにして祖国を徹底して足げにした例はないと断言できるでしょう。ドイツを見よ。第一次大戦で敗北し、勝利国は二度とドイツが立ち上がれないように非情に厳しい処分をくだした。しかしそのドイツは立ち上がり第二次大戦を起こした。そしてまたドイツは大敗北した。
ドイツは東西に分裂されてしまった。しかしドイツは立ち上がり戦後のドイツ経済発展は、日本の経済発展とならび世界の奇跡とも言われてきました。そのドイツは、現在東西ドイツは統一され、徴兵制を敷いています。日本と同様に大敗北を喫したドイツが徴兵制をしいたということは、やはり大多数のドイツ国民が、カントリーファーストの精神が健在であることを証明したものです。
フランスは、対外戦争で何度も敗北しています。主義主張の強い国民性のせいかしょっちゅうデモや暴動があります。しかしいざとなるとまとまります。十数年前、南太平洋のムルロア環礁でのフランスの核実験は、大多数の国々で反対されましたが、しかし多くのフランス国民は賛成しました。カントリーファーストの精神の健在を示している証拠です。
現在の日本に世界中が反対しても国益をつらぬくほどのカントリーファーストの精神などまったくありません。
フランス、ドイツ両国は対外戦争の勝ち負けに慣れています。しかし日本は対外戦争の勝ち負けに慣れていません、大敗北を喫したのは歴史上初めてでした。それだけに国民の精神的動揺は大きかったことは当然考えられます。
しかし現在は戦後もう60年以上もたっているのです。それにもかかわらず、現在の日本人は、カントリーファーストの精神などほとんどありません。国民は政府に注文つけるばかりで国への関心がほとんどない。自分の利益最優先。自分の国は自分で守る意志さえないから、ドイツのように徴兵制すら敷くこともできません。アメリカが助けてくれるだろうと勝手に思いこんで、自国の防衛に全く無関心。
政治家や企業家は、私利私欲が優先し国益などほとんど考えません。NHKや朝日新聞などのマスコミ、法曹界、日教組、大学などのアカデミックの世界など、カントリーファーストの精神どころか、カントリーラスト(LAST)の反日一点張り。国民のあらゆる階層においてカントリーファーストの精神どころか、私にいわせれば祖国への裏切りが平然と行われたり、提言されたりしているのだ。思いつくままにその例をいくつか挙げましょう。
1.北朝鮮から拉致家族生還は、日本国民の悲願のはずです。それでも日教組は北朝鮮の日本朝鮮学術教育交流協会と日朝友好親善を深めるために毎年交流集会を開いています。今年もすでに開きました。画家の平山郁夫は、拉致交渉と文化交流は別だとのたまっています。
2.韓国は竹島を領有しています。それがいまでは韓国人が対馬に押し寄せ傍若無人の振る舞い、韓国の国会では対馬の領有権を主張するようになりました。それでも日本の民間団体は、日韓友好関係促進の行事を今年で三年続けて行っています。日本各地の地方都市は、韓国との都市と姉妹都市の提携を結んでいます。日本の各地方都市は、姉妹都市提携の破棄が当然でしょう。日韓親善行事など中止です。
3.「従軍慰安婦」事件では、強制連行による従軍慰安婦は存在しなかったにもかかわらず
朝日は記事を捏造、歪曲、曲解。河野洋平は、強制連行を認めるいわゆる「河野談話」を発表、朝日は謝罪なし、河野洋平は衆議院議長に栄転。
4.外国人参政権をあたえるべく根強く主張する政治家がたくさんいます。
5.50年間に移民一千万人受け入れを自民党が提言。
その他、数をあげればいくらでもあるでしょう。いまあげた例など、各人が自分勝手な思いのままに行動し、国家に対する配慮、すなわちカントリーファーストの精神など全くなし。多くの日本国民は、政治より友好と自分の利益を優先しているのです。一方シナ、朝鮮はカントリーファーストの下に一致団結して日本に対抗して、彼らは友好より政治を優先しているのです。
私が将来の日本に絶望感を感じるのはこの点なのです。対外戦争において百戦百勝の国などどこにもありません。戦争に負けたからといってカントリーファーストの精神を無くしてどうするのですか。現在の国際社会は武器を使用しない戦争状態なのです。
現在、外国語、特に英語など日本には立派な日本語があるにもかかわらず、わざわざ英語をそのままで使用するのが流行っています。例えば、パーフォーマンス、コラボレイション、アンチエイジング、レシピ、ハグなどきりがありません。現在比較的新しい言葉にワーキングプアがありますが、そのままワーキングプアとして使われています。
そこで私は保守の人たちに提案があります。カントリーファーストをこのまま受け入れて日本で流行らせようではありませんか。カントリーファーストを日本語訳すれば、「国家第一」、とか「国家優先」になってしまいます。
しかしこれら二つの言葉には、古いイメイジがつきまといます、なんとなく時代錯誤的な印象もうけます。そこでカントリーファーストをそのまま借用です。保守系の出版印刷物には、できるだけこの言葉を挿入しましょう。
ネットでもどんどん使いましょう。カントリーファーストを国民の間で耳慣れた言葉にしようではありませんか。そして国民のカントリーファーストの精神の復活の道具にするのです。私自身は、立派な日本語がありながら外国語をそのまま受け入れるのは好きではありません。しかしこのカントリーファーストは例外扱いです。
皆さん!この私の意見どう思いますか。

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