Archive for 11月, 2008

キリスト教の悪事



日本の多神教と欧米の一神教、すなわちキリスト教の歴史を比較すると、きわだって目立つのがカトリック教会という組織が行った悪事です。その悪事とはなにか。残酷極まりない裁きです。
カトリック教会という組織が起こした悪事は、当時カトリック教会というものが絶対的権威を持っていたから正当化されましたが、現在の感覚でいえば全く残虐きわまりない大犯罪です。
カトリック教会が犯した犯罪を知ると、もう十年以上前になりますか、オーム心理教が起こした犯罪が全く小さく見えてしまいます。それほどカトリック教会の悪事はひどかった。日本では、ある特定の宗派が組織をあげてカトリック教会が行ったような悪事をしたという歴史は全くありません。カトリック教会が行った悪事の中でも、極めて陰惨で残酷な悪事は、異端審問と魔女狩りの裁判です。
異端審問とは、宗教裁判で「お前は正統派のキリスト教徒でなく異端者」だという判決を受けたら火刑に処せられてしまうのです。中世ヨーロッパ最大の教皇と知られる、インノケンティウス三世(在位1198-1216)は、「神をかってに解釈し、教会の教義に矛盾する思想を抱いた者は、容赦なく火刑に処すべし」と宣言しました。
彼は異端者撲滅のために、本来なら聖地エルサレムからイスラム教徒を追い払うはずの十字軍さえも利用し、イスラム教徒に悪逆非道のかぎりを加えました。1231年教皇グレゴリウス九世は、独立機関として異端審問制度をもうけました。教皇直属の異端審問官の設置、裁判の非公開、密告の奨励、拷問による自白の強要が規定されたのです。異端審問でなによりも残酷だったのは自白を引き出す方法でした。例をあげましょう。
「審問官は、まるで死神のように、頭巾のついた黒いマントにすっぽりと身を包み、ほとんどすべての被告人から自白を引き出した。手足を少しずつ切断したり、体の関節をはずしたりして苦痛をあたえるさまざま刑具が考案された。
こうした刑具には「栄光は神だけのもの」という銘文がたいてい彫りこまれていた。一番使われたのが、拷問台(台の上に寝た者の手足を引っ張って関節をはずす)、宙吊り(後ろ手にしばった両腕にロープをかけて吊るし、両肩がはずれるまでぐいと引く)、水責め(のどの奥に差し込んだじょうごに水を流し込んで腹を膨らませる)だった。
またラードやグリースを身体に塗りたくり、じわじわと火であぶるものもあった。二十世紀にドイツのナチスは、人を焼くかまど使って悪名をとどろかせたが、この刑具を最初に使ったのは十二世紀の東欧の宗教裁判所です。
蛇がうじゃうじゃいる穴に被告人を突き落とし、生き埋めにするというのもありました。
特に酸鼻を極めるのはネズミを使った拷問でした。被告人のむきだしの腹の上でネズミを山盛りした大皿をひっくり返し、皿に火をつける。すると、ネズミはパニック状態となり、被告人の腹の中に逃げ込もうと穴をほるのである。それでもこの苦痛に耐え、自白しなかった者は、生きたまま火あぶりにされた。集団で火刑の処せられることも多く、それを(アウトダフェ、auto-da-fe) と読んだ。
これでは人々がいかに異端審問を恐れていたかがわかります。いったん異端者の嫌疑をかけられたら逃れることはできないのです。その結果異端審問官は私服を肥やすことができた。賄賂のよって裁判を逃れようとするからです。
異端審問の標的は異端者だけでなく、異教徒も犠牲になることが多かった。15世紀のスペインの宗教裁判は、特に有名です。標的になったのがユダヤ人でした。スペイン国王は、ユダヤ人がいるとキリスト教社会が汚されると恐れたらからだ。ユダヤ人が標的になったスペインの宗教裁判は、あらゆる政争、私怨に利用され、犠牲者総数34万人、そのうち3万2千人が焼き殺された。その大部分がキリスト教に改宗したユダヤ人でした。
異端審問制度も異端者が小人数の場合は、確かに宗教裁判制度そのものは機能しました。しかし異端者が多数の場合は、機能しなくなってしまうのです。宗教改革でプロテスタントの諸派が生まれます。カトリック教会にとって異端者です。裁判をかけるには、人数が多すぎます。プロテスタント派もカトリック教会こそ異端者と考えますから、当然戦争になってしまうのです。したがって宗教改革は、宗教戦争の時代に入っていくのです。
同じ白人で同じキリスト教徒でいながら、宗派が違うと、徹底して憎しみ会い、殺すか殺されるかという戦争にまで発展するのです。現在のイラク戦争では、同じイラン人で、同じイスラム教徒がシーア派とスンニ派に分かれて殺し合いをしています。
一神教の人たちは、日本人の想像力では、はかりきれない精神構造を持っているのではないでしょうか。
日本には仏教の宗派が沢山あります。その宗派どうしがお互い異端者よばわりし、憎しみ会い、裁判で拷問にかけて殺してしまう事件など一件もありません。宗派どうしが争って戦争にまで発展したのもありません。
キリスト教を布教しに最初日本にきた外国人宣教師、フラシスコ・ザビェルは、日本では仏教諸派がお互いに協調的なのに驚いているのです。
次は魔女狩りの話です。魔女狩りの裁判というのは、キリスト教の世界では、悪霊と交わる魔女の存在が信じられていたのです。若い女性より年寄りの女性の方が魔女呼ばわりされるのが多かったと言われています。これは私の個人的見解ですが、欧米人の女性は目鼻立ちが大きいから、年寄りの女性はなんとなく怖く見えます。漫画や御伽噺に出てくる魔女は、ほとんどがしわくちゃで鼻がつんと高く、目が大きいです。欧米型の女性です。日本型の年寄り女性、鼻ぺちゃで目の細い魔女は、漫画や御伽噺には出てきません。
老婆の他に魔女の疑いをかけられやすいのは、世間の注目を引く女性、例えば、美人、精神障害者、身体障害者などでした。おばあさんの代から教えてもらっている野草を薬にかえる方法など知っていると、魔女の嫌疑をかけられるので、医療の分野から女性を追い出してしまい、西洋の伝統的薬草治療を壊滅同然に追い込み、西洋の漢方薬がまったく発達しなかったといわれています。
とにかく魔女は存在するものと信じられ、魔女の存在を信じないものは異端者とみなされたのです。ではなぜ魔女の存在が信じられたかというと、キリスト教はもともと女性蔑視の宗教だったからだと言われています。
2世紀、アレクサンドリアの聖クレメンスは、「どの女も、自分が女であることを大いに恥じるべきだ」、6世紀、キリスト教徒の哲学者ボエティウスは、「女は下水溝の上に建てられた聖堂だ」、10世紀、クリュニー修道会のオドは、「女を抱くことは肥やし袋を抱くようなものだ」、13世紀、聖トマス・アクイナスは、「女は神がおつくりになった失敗作である。万物の創造においては、いかなる欠陥物も作られるべきではなかった。したがって、女は万物創造のさい生み出されるべきではなかったのだ」
アメリカでは1692年にマサチュウセッツ植民地のセーラムで魔女狩りが起き、150余名が投獄され、19名が絞首刑されています。アメリカの魔女裁判の大きなものはこれくらいでヨーロッパに比べればはるかに少ないのです。ヨーロッパの魔女裁判は、15世紀から18世紀の3百年にわたって行われ、16,17世紀が最盛期でした。魔女裁判でたまに、男性が魔女扱いされる時がありますが、ほとんどが女性です。
魔女として密告された女性は牢屋に入れられます。密告された女性が魔女であるかどうか審判が行われます。審判では、まず全身の毛がそられます。恥部に魔女のしるしがあると信じられていたからです。次に魔女は痛みを感じない部分があるという言い伝えから、全身を針のようなもので突き刺します。しかし何度も刺されると、あまりの痛さに感覚が麻痺して痛みを感じなくなるのです。するとそれをもって魔女の証拠とされてしまうのです。
台の上に縛り付けられて舌を抜かれる拷問や、両足に重りを縛り付けて「魔女の椅子」とよばれる三角形の台に何時間も跨がせるといった、女性にとって大変きびしい拷問も行われました。こうしたきびしい拷問に耐えかねてとうとう魔女であると白状すると、処刑が待っているのです。そのほとんどが火あぶりの刑です。
そのほか股裂きの刑、釜湯での刑など現在では考えられないような残酷な方法で処刑が行われました。
魔女の牢獄で働いていた医者は、半狂乱になった女についてこう語った。
「彼女たちはしばしば拷問にかけられ・・・暗く不潔な牢獄に果てしなく閉じこめられ・・・
絶えず引きずりだされては残忍極まる仕打ちを受け、ついには、このむごたらしい現実から逃れられるならすぐにでも死にたいと思うようになり、恐ろしい牢獄に突き戻され繰り返し拷問を受けるくらいなら、言われるがままに罪を告白しようという気になるのだ」
イギリス国王ジェームス一世は著書「悪魔学」の中で「彼らは拷問を受けなければ白状したがらない」と書いています。
取調べ最中に性欲を起こした審問官は、自分でなく女が悪いのだと考え、女の乳房や性器をくぎ抜き、やっとこ、真っ赤に焼けた鉄の棒などで傷つけた。
魔女狩りの戦慄はとどまるところを知らなかった。教会は魔女の子供たちに同情を寄せるどころか、残忍極まる仕打ちをした。九歳半以上の女子と10歳半以上の男子は告発されて拷問を受けた。もっと幼い子供たちも、親に不利な証言を引き出すために拷問された。二歳の子供の証言でさえ有効とみなされた。
それでは魔女狩りで殺された人たちはどのくらいの数に上るのか。
たとえばドイツのビュルツブルクでは、1616年から翌年までのわずか1年間で300人が火あぶりにあっています。
あるいはドイツのマインツでは、1611年から1629年の間に1000人を超える人が処刑されています。ストラスブルグでは1615年から1635年の間に5000人の魔女が殺されたといわれています。イギリスのスコットランドでは、1590年から1680年の間に5万人以上が処刑されました。現在は美しい観光地となっているイタリアのコモの町にいたっては、1523年の一年間だけで1000人を超える魔女が火あぶりにされたと言われています。
こうした魔女の処刑に関する記録はほとんど失われており、その実態は正確にはわかりません。しかし、現在推定される数だけでも、16世紀から17世紀の間に900万人もの人々が魔女として処刑されていると言うのです。
カトリックもプロテスタントも異端審問と魔女狩りの宗教裁判を行っています。両者とも同罪です。トマス・ジェファソンと言えば、アメリカ独立宣言の起草者であり、また第三代のアメリカ大統領で、アメリカ歴史上の超有名人の一人です。その彼は1785年にこう書いているのです。
「キリスト教の教えが広まってからというもの、何百万という無実の男女や子供が火あぶりにされ、拷問され、罰金を課され、投獄されてきた。けれども、私たちは一インチたりとも統一に向かって進んでいない。ではいったい圧政は何をもたらしたのか?世界の半分の人々が愚者に、残りの半分が偽善者に変ってしまった。そして世界中の人々が過ちや悪行を支持するようになったのである。」ここで言うジェファソンの世界とはキリスト教世界のことです。
異端審問、魔女狩りは、主にヨーロッパでの教会の悪事です。ヨーロッパ諸国が、アジア、アフリカ、中南米に武力進出し、植民地政策を進めた時、カトリック教会は、ヨーロッパ各国の影になって植民地化政策に協力してきたことはよく知られています。
さらにカトリック教会の悪事は、つい最近まで続いていたのです。第二次大戦中にナチスのユダヤ人虐殺計画に抗議することを拒んだばかりでなく、当時のローマ法王ピオ十二世はヒトラーと条約を結び、カトリック教会はユダヤ人迫害には目をつぶるから、そのかわりにナチス政権はカトリック教会を迫害しないという約束をとりつけていたのです。
カトリック教会が、ユダヤ人迫害を容認したのは、4世紀以来キリスト教が、ユダヤ教を叩き続けていたことと無縁ではありません。
これらカトリック教会の数々の悪事に対して2000年3月、法王ヨハネパウロ二世が教会史上初めて、教会の侵した過失を認めたことが全世界に報道されました。その過失とは、カトリック教会が11世紀から12世紀にかけてイスラム圏に十字軍を送って改宗をせまり、殺戮を繰り返した事、ヨーロッパの異端者や魔女狩りに宗教裁判と称する拷問と殺戮を繰り返したこと、そしてユダヤ人を迫害してきたことであり、法王はこれら歴史上の過失を指摘して神に許しを乞うたのです。
こと外交問題に関しては、私の年来の主張は、日本人は「うぶでバカでお人好し」です。従って多くの読者は、この法王の記事になんの疑問を感ぜずに読み終わってしまうのではないでしょうか。「許しを乞う相手が神である」ということが重要なのだということがお気づきなりましたでしょうか。もし名指しでユダヤ人やイスラム人に許しを乞うたら、賠償問題に発展しかねません。自分の信じる神に許しを乞うて、法的債務をつきつけられるのを防いでいるのです。
ローマ法王ですらこのように用意周到な答弁をするということです。日本の首相は、自分の国を侵略国と呼ぶなど、いまだかってどの国の元首もしたことがないことを平気でするのです。
いかにうぶでバカでお人好しの民族かの証明です。
アメリカは現在、唯一つ超大国です。どの国も一国だけで経済的にも軍事的にもアメリカにたちうちできません。超大国としてのしあがるためにどれほどの数の人間を殺してきたか誰も数えることはできません。キリスト教も世界的な大宗教団体にのしあがるためにどれほどの数の人間を殺してきたか誰も数えることはできません。
うぶでバカでお人好しの日本人は、この現実をまず認識することが必要です。
この日記を書くにあたって、私は参考文献として主に「キリスト教封印の世界史」(原題:THE
DARK SIDE OF CHRISTIAN HISTORY)、ヘレン・エラーブ著、杉谷浩子訳、井沢元彦監修)を利用しました。井沢元彦氏は、本書で「未だにキリスト教の信仰が、極めて強い西洋世界の中で、このような本を書くことは、まさに命がけの行為である」と書いています。
私も全く同感です。それだけに著者、ヘレンの勇気には感心します。例え殺されなくても、彼女への圧力、非難は相当なものでしょう。十数年前にもなりますが、イギリスの作家、確かラシュディー氏とか言う人が、彼の小説の中でイスラム教をからかったり、非難したりしたら、イスラム教会は、イスラム人の誰かが彼を殺すように暗殺命令を出したのです。危険を感じたラシュディー氏は身を隠しました。最近になってやっと顔をメディアの前に出しました。
イスラム教徒でない人間が、それも小説の中でイスラム教を批判しただけで、死刑宣告されたり、暗殺命令をだされたりしてたまったものではりません。とにかくこの世で一神教が幅をきかしているかぎり世界の平和は、絶対にありません。
現在の環境破壊は、一神教のなれのはてだという私の意見にヘレンは同意しています。ヘレンの最後の文章の一部を引用しましょう。
「キリスト教はたしかに暗黒の裏面史がある。だが、それを知ったからといって、キリスト教のすべてを否定する必要はない。遠い昔から現在に至るまで、正統派の暴虐な考えや振る舞いに昂然と立ち向かってきたキリスト教徒だっている。恐れや罰よりも愛と慈悲を重んじ、服従ややみくもな信仰より個人の権限や調和をめざしてきた教徒は星の数ほどいるのだ」
私も一言つけ加えましょう。
キリスト教がここに書いてきた悪事だけでしたら、世界的な宗教になっていなかったでしょう。
しかし同時に人々を恐怖にさらさなかったら、ここまでキリスト教が発展しなかったといえることは確かです。中南米を見て下さい。彼らはほとんどカソリック教徒です。彼らの先祖はキリスト教信者の兵士や神父によってもう数えきれないほど殺され、彼らの文化は完全に破壊された。
生き残った彼らは、強制的にキリスト教信者にさせられたのだ。現在の中南米人は、自分たちの先祖を悲惨な目にあわせたキリスト教を一生懸命信仰しているのです。まさに恐怖がキリスト教を発展させた例です。
一神教の国どうしが世界平和について話し合ったところで平和になるわけがない。日本のように多神教国にならなければ世界平和など実現するわけがありません。
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バラク・オバマは、任期を全うできるのか。

オバマ大統領誕生後のアメリカや世界については専門家たちが色々語ってくれていますので、そこでちょっと違った面からオバマを観察してみました。人間には、自分ではどうしようもない運、不運というものがあるということはどなたでも思うことでしょう。
そういう観点からオバマ47歳のこれまでの人生を眺めると、本人とって一番つらい経験は、彼が10歳の時に両親が離婚したことでしょう。この離婚とて二組の夫婦のうち一組は離婚するアメリカにおいては日常茶飯事でめずらしくもなくさして苦労にもならない話です。
従ってオバマの人生は大体においてすべて順調だったことです。子供の頃黒人特有の極貧状態を経験しているわけでもありません。それどころか非常に裕福に暮らしています。83年にコロンビア大学卒業後社会活動に参加、90年にハーバード大学法科大学院に入学。卒業後は人権派弁護士として活躍、2004年に連邦上院議員に当選。一期四年だけです。決して苦学力行型の人間ではありません。ニクソン元大統領の苦学力行は有名です。
オバマは、民主党大統領候補の本命と目されたヒラリーを破り、今度はマケインを破った。大統領選挙中にオバマ陣営を一挙に有利に導いたのが、9月半ばから津波のように襲った米国の金融危機です。戦争はすべての人に災難をもたらすものでもありません。戦争がある人には幸運をあたえることもあります。この度の金融危機で多くの人が損失を出し、ウォール街では十万単位の人々が職を失った。それがオバマに幸運をもたらしたことは否定できません。
さらに幸運をもたらしたのが、ほとんどのメディアがオバマ贔屓一色だったことです。新聞、テレビ、ラジオなどの論調の90パーセントはオバマ支持だったといわれています。オバマの資質にはすばらしいものがあるのでしょうが、しかし彼の強運さはすごいといわざるをえません。
ブッシュの政策がアメリカ国内で批判を浴びていたことは確かです。そのためブッシュの支持率も非常に低迷いしていました。それでもなぜメディアがあれほどまでにオバマを推したか。私はひょっとしてオバマが黒人だったから優位にたったのではないかと疑っています。アメリカの歴史は、アメリカインディアンから土地を奪い、黒人を奴隷にしてこき使いながら発展してきた事実があります。
そのため黒人への贖罪意識もあってアメリカのメディアは、オバマを徹底的に非難できなかったのではないでしょうか。もし徹底的に非難したら人種差別主義者とオバマ支持者からあるいは世界から非難が出たでしょう。そのためオバマを支持した方が、かえって自分たちは人種差別主義者でないことを証明したようでメディアには好都合だったのではないでしょうか。私には、アメリカのメディアから人種差別主義が一掃されたなどとは思っていません。
黒人の有権者は、オバマでなくても黒人の大統領候補なら誰でも熱狂的に支持したでしょう。こんな事いえるのも巷の白人たちの間だけで、メディアでは堂々と言えなかったのではないでしょうか。オバマは黒人の有権者の全票を獲得した事でしょう。
オバマの経歴にはいくつかの暗部があります。例えば、彼は上院議員一期四年しかやっていないのにすでに汚職政治家のレッテルをはられていた。また上院選挙時に愛人問題もあった。しかしメディアは、彼の暗部何一つ追及していません。オバマは稀に見る強運のめぐりあわせのもとに大統領になったのです。
若い時にそれえほど苦労することもなくそれでいて大強運にみまわれると、その強運が長続きしないことが多いいのではないでしょうか。また強運の反動にも怖いものがあります。
その例をケネディー元大統領にあげて見ると、彼は生まれた時は、大資産家の次男。なにも苦労することもなく大学を出た。彼が働い
たたった一つの経験が、大東亜戦争時に海軍に入隊したことでした。
若いアメリカ人男子ほぼ全員ほぼ入隊ですから彼の試練でもなんでもありません。除隊後どこにも勤めることもなく議院の当選。そして親父のお金で大統領選に出馬。当選。ケネディーの人気もすごかったが、ジャクリーン夫人も若いし、きれいだし人気がすごかった。大統領在職中、ケネディーとマリリン・モンローとの関係が暴露された。
その時私は自分の人生とケネディーの人生とを重ねあわせた。理由はその時私は猛烈なマリリン・モンローファンだったからです。モンローの出演映画はすべて見ていたし、現在でもモンロー出演映画のビデオをほとんど持っています。そのくらい私は大変なモンローファンでした。そこでその時私はこう考えたのです。
「俺は子供の時には食うや食わずの極貧状態、やっとの思いで高校を卒後、就職してから苦労の連続、一方ケネディは資産家の息子何一つ苦労する事もなく、一流大学を出、議員になり親父の金で大統領になり、美しい妻もいる。そのうえ世界の大女優、俺の大好きなモンローとベッドを共にしているのだ。俺の人生と比べてあまりにも不公平じゃないか」と、その時の俺は、ケネディーに嫉妬を感じたし、うらやましいと思ったり、癪に障る男でもあった。
そのケディーが大統領任期を全うしないうちにあっさりと暗殺されてしまった。私は現在自分がまがりなりにも幸せだなと思っているせいもあるのか、人生というのは、例外もあるけどけっこうつりあいが取れているのではないかと考えています。若い時があまりにも恵まれすぎているとそれが晩年まで長つづきしないのではないか、強運の反動もありえるのではないかと、それにひきかえ若い時苦労しても地道に努力していればある程度は晩年に報われるのではないかと。
話は余談になりますが、ケネディー死後、ケネディーの女たらしがある程度公表されています。近年公開されたFBIのファイルによるとケネディーは、短い大統領任期中32人の女性と関係を持ったというのです。
その中に有名な二人の女性がいます。一人はマリリン・モンロー、もう一人は女優の卵のジュディス・キャンベルです。なぜ彼女が有名かというとキャンベルは、シカゴマフィアのボス、サム・ジアンカーナのガールフレンドだったからです。サム・ジアンカーナは、自分のガールフレンドがケネディー大統領と関係を持っていることを知っていました。ケネディーは危険な情事にはまっていたのです。
資産家の息子として生まれ、軍隊に入隊した以外働いたことのない男が大統領になり、当選後はお気に入りの女にはすぐ手をだす。大統領選挙戦の相手は、苦学力行型のニクソンです。これでは人生あまりにも不公平とニクソンは思ったにちがいない。私もそう思いました。そのケネディーは、大統領任期中に暗殺されてしまいました。ケネディー暗殺後、弟のロバート・ケネデイー司法長官も、マリリン・モンローと関係を持ちました。その弟も暗殺されてしまいました。この二人の兄弟の暗殺には、いくつかの背景が語られています。しかし二人に共通の暗殺原因があります。
それは「親の因果が子に報い」だと私は思っています。ケネディー大統領の父は、禁酒法時代、密造酒の販売で財をなしたことで有名です。無論マフィアとの関連もありました。
「親の因果」など日本の警句を持ち出しているが、それと同じ意味の英語があるのか、という質問が出るのではと思い、調べておきました。全く同じ意味の英語表現があるのです。英語では、「The sins of the father are visited upon the sons.」
旧約聖書からきた言葉と言われています。ケネディー兄弟の暗殺は、この警句を地で行っています。「親の因果が子に報い」などと爺くさいことをと、言う人がいるかもしれません。しかし東西両極端には離れた民族、また極端に異なる文化を持つ民族になにか宗教がかった同じ警句があるということは大変興味深いものがあります。
話をバラク・オバマにもどしましょう。オバマも大変な強運の持ち主です。若い時それほど苦労せず、行政の実績何一つなく、メディアの全面的な支持を得、選挙戦中には金融危機がおこり、形勢が一挙に有利になり当選してしまいました。オバマは雄弁家だと言われています。自己主張の弱い日本では雄弁家といわれてもそれほど重要視されないでしょう。雄弁家すなわち舌先三寸でちょろまかしのイメイジの方が強いのではないでしょうか。
私も雄弁家はあまりかってはいません。しかしアメリカ人にとっては雄弁家というのは強力な武器で、聴衆者を催眠術にかける威力があるような気さえします。Change, Change, Changeと言うけど何をChangeするのか具体性がないくせに、聴衆はYes, we can.,Yes, we can.とまるで放心状態のように応答するのです。アメリカ人は雄弁家が好きなんですね。ヒトラーも雄弁家で有名でした。
要するに私はオバマの強運さを取り越し苦労のように心配しているのです。もう一つ心配していることがあります。オバマの父親はいまどうしているかです。死んだとは聞いていません。あるいはもう死んでいるのかもしれません。母国のケニアに帰ったとは聞いているが、父親の出身地がテレビに映りだされたとき、父親について語られることもなかった。アメリカの大統領候補にでもなるとメディアが候補の過去を徹底して調べ上げることは有名です。しかし今回メディアは、オバマの父親についてほとんどなにも報じていません。
なにか隠しているのではないかと私は疑っています。何故なら今回の選挙ではアメリカのメディアは、オバマ贔屓だったからです。バラク・オバマのミドルネームはフセインです。フセインという名前はアメリカで嫌われています。マケイン陣営が、フセインの名前を持ち出したとき、メディアはあまりにも偏見に満ちているとして蓋をしてしまい二度とフセインというミドルネームが話題になりませんでした。
このため日本でもバラク・オバマのミドルネームがフセインであることがあまり知られていません。メディアによって何も語られることのない理由は、オバマの父親には選挙戦で不利になる汚点があったのではないかと思っています。汚点があると私は、「親の因果が子に報い」ということを心配しなければならなくなります。
何も「親の因果」を心配しなくても、オバマには暗殺される可能性が非常に大きいと思います。勿論黒人だからです。選挙戦後半からオバマの警護が強化されています。大統領選挙では、州総取り方式ですのでオバマ圧勝の印象をあたえますが、総投票数は一億一千万票あまり、そのうちマケインが獲得したのが46パーセントです。
下馬評のわりにはマケインの善戦です。それだけオバマではいやだという人も多いいのです。アメリカには白人の人種差別主義者は健在です。オバマ大統領の経済政策の効果がなかなか上がらず、不況が続き、オバマへの期待に絶望感を感じるようだと貧乏白人の怒りを買い、暗殺される可能性が高くなるでしょう。
要するに私の話を要約すると、次の三つです。
(1)オバマは強運すぎる、その強運の反動はないのか。       
(2)オバマの父は「親の因果が子に報い」のようなあこぎなことをしなかったか。
(3)オバマへの期待が期待はずれに終わり、不況が長引き人種差別主義者の貧乏白人に暗殺される可能性があるのではないか。
政治評論をメシの種にしている専門の政治評論家は、こんな素人のような主張しないでしょう。しかし私は素人の無名作家、オバマへのかってな取り越し苦労のネタを披露してみました。
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バラク・オバマと日本

今度のアメリカ大統領選挙では、アメリカ国民は間違った選択をしたと私は考えています。
その理由は、アメリカという国家が、徐々に落ち目になっていたところ、最近の金融危機でアメリカの落ち目が加速したことは確かだからです。
アメリカが最大の危機に直面している時、なにもかも全く未知数のオバマを選んだことに不安を感じるからです。事実、オバマ大統領決定日のニューヨーク株式市場は大幅に下げた。日本のメディアが偏向しているのはもう当たり前だが、アメリカのメディアも日本に劣らず偏向していることをこの大統領選でわかりました。徹底してオバマひいきだったのです。
ある雑誌だか新聞かでアメリカのメデイァが偏向しているかどうかアメリカ人にアンケート調査したところ、「偏向している」と答えたのが60パーセントだったというのです。そこで私は、この選挙ではアメリカ国民は多少とも論理的に投票するかと思っていました。アメリカ国民もバカだということがはっきりわかりました。
民主主義というのは所詮衆寓政治なんですね。もっともそれだけアメリカ国民は、経済危機にショックを受けたため、未知数のオバマに自分たちの想像をふくらませたのでしょう。戦前「未知数の魅力」で大人気で首相になった近衛文麿を思いだします。
私は、オバマ大統領の時代には、アメリカの落ち目がさらに加速するような気がしてなりません。ブッシュ大統領の外交が、アメリカ一国主義との批判を内外から浴びているので、オバマは、諸主要国との話し合い、協調を強調しています。落ち目の目立つアメリカの要求を話し合いでアメリカの言うことを聞いてくれるでしょうか。
アメリカの落ち目を理解しているからこそマケインは、民主主義国家同士の連合あるいは同盟を作ろうと考えたのです。今の国連は、独立国とはいえ一人前になっていない独立国や、わけのわからない独裁国家など、私にいわせれば有象無象の国が多すぎて、国連の機能が阻害されています。そのくせ先進国と同じように一票を持っているのです。国連改革や日本の常任理事国入りなども彼らのご機嫌をうかがわなければならないような状態です。
私はこの経済危機を乗り切るには、民主主義国家同士が同盟を組んで立ち向かった方が賢明だと考えています。合意もとりつけやすいからです。オバマがアメリカの経済危機をのりきるには、この民主主義国家の協力がかかせません。このことは必然日本重視になります。
日本はこのオバマ政権とどう対応していくのか。日本にとって、ご存知だと思いますが、アメリカと言う国は二つのアメリカがあります。一つは共和党政権のアメリカともう一つは民主党政権のアメリカです。共和党政権のアメリカと民主党政権のアメリカの違いは、共和党政権は、親日、日本重視に対して民主党政権は、反日、日本軽視です。
昔をたどれば、大東亜戦争勃発時のルーズベルト大統領は民主党、最近では1990年代のクリントン大統領です。クリントン時代は、私はまだ現役でしたから、クリントンの日本企業いじめには腹が立ったものです。クリントン一家が中国訪問の時、同盟国の日本に立ち寄らなかったといってJapan Passing(ジャパン パッシング)という言葉さえ生まれました。
この両党の対日政策には伝統的に違う面があるので日本政府は、はたしてオバマ政権は日本にたいしてどう対応してくるのか、日本重視より中国重視を鮮明にしてくるのではないかと疑心暗鬼になっているような状態です。私は、民主党政権では、さらに中国重視に姿勢が強まると見ています。そこでここは一度これまでの日米同盟を大幅な見直す必要があります。
日米同盟を廃棄せよとは言っていません、親米主義で結構です。しかしこれまでの日米同盟は、アルコール依存症のように対米依存症という慢性病も同然です。特に軍事、外交は完全に日本はアメリカの保護国です。なにもかもアメリカに追随。例えば、「従軍慰安婦決議」、あるいは北朝鮮のテロリスト国家の指定排除など、日本政府は何故強くアメリカに抗議しなかったのでしょうか。
いつの間に日米同盟が、対等同盟どころか対米依存症になりアメリカの保護国化していったのか。その主な理由は二つあると思っています。
(1) 政治家、外交官に国の名誉を守るため、あるいは国の威信を保つために戦う、要
するに国のために戦うなどという気構えが微塵もないのだ。そのために日米間に問題があっても絶えず穏便に済ませることばかり考えるのです。徹底的に論じ合うことを避けるのです。私は歴代の日本の駐米大使は、なにをやっていたのだといいたい。
(2)日本民族特有の「長い物に巻かれろ」、自分の主張がなく強者に、あるいは時勢に迎
合する、自分の主張をつらぬくよりもいつも妥協することを重んじる国民性。同盟を結ぶとどうしてもべったりした関係を持ちたがるのです。同盟とは、義兄弟の契りを結んだ永遠のつきあいとは違うのです。同盟とは、お互いに同盟を結んだ方が得だと考えた有効期限付きつきあいなのです。有効期限中に相手がもう同盟など必要ないと思ったら、有効期限中でも同盟をかってに破棄される恐れもあるのが同盟です。
オバマ政権は、間違いなく中国重視を鮮明にしてくるでしょう。しかし日本はうろたえる必要もなければそれほど心配する必要ありません。現在アメリカは完全に落ち目です。アメリカは日本を必要としています。だからアメリカから日米同盟を自分勝手に破棄することなど絶対にありえません。オバマは経済危機打開のため財政赤字を減らそうとします。
そのため対外援助と軍事費を大幅に減らすでしょう。アメリカ軍の日本基地駐留コストは、ほとんど日本が払っているのです。日本の基地を離れて本国に帰ったらその費用は、当然アメリカが払うことになります。もうアメリカにはそんな余裕ありません。日本はアメリカの兵力維持に貢献しているのです。
このアメリカの落ち目をねらって、日米同盟を堅持しつつ、日本有利に運ぶのです。そしていままでの対米依存症を払拭し、真の対等パートナーとしての地位をアメリカにがっちりと印象付けることです。
皆さん、現在日本は、どのくらいのお金をアメリカに預けっぱなしになっているかご存知ですか。自分のお金なのだけれど、銀行に預けっぱなしでおろしたくてもおろせないお金です。
日銀所有の推定860トンの金、財務省保有の推定8,000億ドルの米国債の証券がいずれもアメリカFRB(連邦準備制度理事会)やアメリカの金融機関が預かって金庫にしまってあるのです。しかも利息は日本に実際に支払われず、利息分は債券に加算されているだけの可能性が高いのです。
橋本龍太郎が首相の時、「米国債を売りたい衝動に駆られる時がある」と言って物議をかもしたことがあります。こんなに日本は米国債抱えていて売るに売れない。いま米国債を売ったらドル売り、円買い、債券暴落となって売れません。せめて860トンの金だけでも日本にもどすべきです。国会はこんな大事なこと論議しようとしないのだ。野党は、インド洋の石油補給活動中止より、この点をついたらどうなのだ。
オバマが大統領になれば、経済危機打開のためにいくらでもお金をほしい。恐らく米国債を発行し、その一部を日本に買うようせまるでしょう。日本は絶対に買ってはなりません。もうこれ以上米国債を増やす必要はまったくありません。日本経済がつぶれてアメリカ経済が生き延びては困ります。アメリカ経済がつぶれて日本経済もつぶれるなら相打ちを覚悟で交渉すべきです。
そのくらいの気概をもって日米同盟関係を保ちながら、アメリカの弱みを巧みについて日本有利に導くことです。
日本国内では、親米派はアメリカにべったり、親中派は中国にべったり、の発想しかないのだ。米中を手玉に取るにはどうしたらいいか、このくらいの発想を持って外交に取り組めといいたい。可能性のない話をしているのではありません。実現性のある話なのです。要はそういう気構えを持てというのです。
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大人の子供化

最近にぎわしているモンスターペアレンツ、児童虐待、秋葉原殺人事件、突然キレテ残酷な行動に出る等等、最近の若い人を見ると大人がどんどん子供化、あるいは子供が大人になりきれず子供のまま大人になってしまっているような気がしてなりません。学者や知識人が色々な原因を主張していますが、ほとんど主張されることがないのが、私の主張する「脳の未発達」原因説ではないでしょうか。
もしこれまでにどこかで脳学者が私と同じようなことを主張していたらぜひ教えてください。私は脳の研究者ではありません。これから私の主張することはあくまでも素人の見解です。
私のマイミクさんは、ほとんど若い方なので「ぼけ」の心配はしないでしょう。アルツハイマー病と言ったり、痴呆症と言ったり、最近では認知症という言葉が一般的になってきました。ここではわかりやすい「ぼけ」を使います。私の年代になると「ぼけ」が心配になります。レーガン元大統領もサッチャー元首相も二人とも現在「ぼけ」になっています。「ぼけ」で問題になるのは脳の活性化です。脳の活性化がおこなわれているかぎり「ぼけ」にはならないらしいのです。
数年前テレビで脳の活性化の番組がありました。脳が活性化すると脳がどういう状態になるかをテレビ見せてくれました。聴視者に分かりやすいように脳が活性化すると脳全体が赤く反応するように工夫してありました。ある人が長時間テレビを見ています、脳の活性化などほとんど起こりません。脳のはじのほうに少し赤みがかる程度です。
ところがその人が一度立ち上がって台所で包丁を使ってジャガイモの皮をむきはじめると脳が活性化して赤くなってくるのです。編み物しても脳は赤くなる、すなわち脳が活性化するのです。
手紙を書いているときなど脳がいかに活性化するかを見事に映像で見せてくれました。
要するに体を動かし脳の使うことが脳の活性化につながるということを証明してくれました。
このことを子供にあてはめますと、子供は毎日テレビを見ます、テレビゲームはします、携帯もします。しかしこれらは子供の脳の活性化にまったく役立ちません。脳の活性化になんの役にもたたない事に多くの時間を費やす。最近の子供はただでさえ遊び時間が少ないからこれは見逃すことができない重要な問題だと思います。
脳学者から聞いた話ですけど、子供の脳の発達には遊びというものは不可欠だというのです。特に思考力や判断力をつける前頭葉(おでこの真ん中のちょっと上の部分)の発達には遊びは絶対に欠かせないないと言っています。子供の時に思う存分遊ばせることがどれほど大事かを強調していました。
私の年代の子供の時の遊び時間、とくに5、6歳から小学校卒業までの遊び時間は、いまの子供たちの何倍も遊んでいるのです。私の子供時代はテレビもなければ、ゲーム機器もない、携帯もない、パソコンもない子供の生活イコール遊びでできているいようなものです。兎に角今の若い人には、私たちが子供の時についやした遊び時間の多さは到底想像つかないでしょう。
その他に遊びに質の問題があります。現在はすぐに保育園にいれられ、また幼稚園にもいれられます。私にいわせれば、子供たちは、動物園の飼育係と言っても過言でない保母さんや保父さん看視つきで遊ばされているも同然です。
私の子供頃は、よく集団で遊んだものです。多いいときには10人以上、少ない時には三、四人、まず一人で遊ぶなど考えられませんでした。集団で遊ぶ時は、上級生がリーダーになって遊ぶのです。自分もその年齢になれば、自然に自分がリーダーになって集団で遊ぶ。子供の遊びにも基本的ルールが自然にできあがっていた、すなわち子供自身の自主性を発揮して集団で遊んでいたわけです。だから対人恐怖症の子や、自閉症の子などほとんど出るわけがないのです。
ところがいまや、子供の遊びにはほとんど監視役がついているようなものです。まして子供が集団で遊ぶ時には、必ずと言っていいほど監視役がつきます。遊びの中から子供の自主性が鍛えられることも全く無くなってしまったのです。
私の意見では、子供が大人になる時には、肉体が発達しておとなの体つきになるように、脳もおとなの脳に発達している必要があるのです。私たちの子供の時は圧倒的に多いい遊び時間、子供どうしで集団で遊ぶ習慣などで子供の脳が充分大人になれるまでに発達していたと考えられます。
ところが現在では子供の脳、特に思考力と判断力をつける前頭葉が大人にならないうちに大人になってしまうのだ。最近若い母親が、乳飲み子がなかなか泣きやまず、うるさいので足で踏んづけて殺してしまいました。殺すつもりは全然なかったと言っています。この事件など、脳が大人の段階まで発達していないから怒るとしか考えるほかありません。無意識に瞬間的に子供のような行動をとってしまうのではないでしょうか。
犬を毎日散歩に連れて歩かないと、犬の精神状態や肉体に異常をきたすと言われています。人間の子供も子供時代に充分に沢山遊ばせないと、脳の前頭葉の発達が未発達のままで心にフラストレイション、すなわち欲求不満がたまり、すぐきれたりするのではないでしょうか。
昔からある言葉に、「健全な精神は、健全な肉体にやどる」という言葉があります。これはもう差別用語です。障害を持つ人でも健全な精神の持ち主は沢山います。正しくは「健全な精神は、健全な脳にやどる」ではないでしょうか。恐らく脳学者は私の意見に同意すると思います。子供を育てた経験のある人は、「子供は脳の発達に応じて精神が発達する」ということを理解できるはずです。
要するに繰り返すことになりますが、子供の遊び時間が少なくなっているうえに、テレビ、パソコン、テレビゲーム、携帯などで遊び時間がさらに極端に少なくなりました。また子供同士で集団で遊ぶこともなく、たえず保護者の監視付で遊ぶために、脳の発達がおろそかになったまま大人になる。大人になればパソコンなしでは暮らせなくなりました。大人になれば勉強する必要がなくなるため、脳を使う機会や脳を鍛える機会がさらに少なくなったのです。
現在では、人が計算する時は、自分の財布のお金を勘定する時とか、つり銭を勘定する時だけ自分の頭で計算するだけ、その他は一切計算機で計算です。ポータブルの卓上計算機や手のひらにのる計算機が出現したのは、いまから多分30年ぐらい前でしょう。それまでは全て自分の脳を使って計算していたのです。計算機というたった一つの文明の利器の出現でいかに人間は自分の脳を使わなくなったかの証明です。
これから述べる社会的現象は、色々原因が考えられるでしょうが、主に脳の未発達から生まれてきたものではないかと推測しています。
一.アニメとマンガの隆盛。
アニメとマンガは表裏一体、まんがを映画化したものがアニメでしょう。アニメといえば昔はディズニー映画、それを子供や孫と一緒に見て楽しむものでした。最近人気の日本製アニメは、昔のディズニーアニメと違って大人の鑑賞に堪える映画になったようなことが言われています。そこで私は数年前、評判の「もののけ姫」をみました。その他二、三アニメを見ました。最近では「となりのととろ」を見ました。
やはりアニメはアニメ、大人が子供と、あるいは孫と一緒に見る映画という印象は変わりませんでした。恐らく私の年代の人は、アニメをみても面白いと思わないでしょう。しかしこのアニメ、最近では若い男女にけっこう人気があるのです。アニメを見て面白く感じるのでしょう。私にいわせれば、まだ脳の状態が未発達で大人になりきっていないから面白いのではないかと考えてしまいます。
マンガでも同じことが言えます。私は子供の時、マンガに夢中になりました。テレビもなければテレビゲームもない、だからいくらでもマンガをよみあさることができました。したがってマンガを読むことなど子供のうち卒業してしまい、大人になってマンガなどに興味がわきません。
しかし今の子供は、テレビもありゲーム機器もあり、マンガを読む以外にもいろいろやることがあって子供のうちにマンガを卒業できないでいるのだ。電車の中で30代、40代のサラリーマンがマンガを読みふけっている姿。家にかえれば妻もいれば子供もいるいっぱしの大人だ、そんな連中でもいまだにマンガが卒業できないでいるのだ。
私には子供が三人います。私の体験から子供には、大人になってもマンガを読まないように、意識して沢山のマンガを読ませ、子供のうちにマンガを卒業させようとしました。私の思惑は当たりました。二人は完全にマンガを卒業、読書家になっています。残りの一人は、マンガを読みませんが、他の本も読みません。もっぱら週刊誌などです。それでも大人になってマンガ読むよりましだと考えています。
現在では、マンガも難しいジャンルに進出しています。歴史、経済、時事問題などマンガ化されるようになりました。要するに字の羅列ばかりだと苦痛になって本を読むことができないのです。マンガを入れて文章を柔らかくすることによって本が読めるのです。まさに大人の子供化です。小林よしのりの「戦争論」が沢山の若者に読まれたのもマンガ化したからが最大の要因でしょう。
2.字幕映画から吹き替え映画へ
最近の産経新聞によると戦前の洋画の字幕は、縦最大13字2行形式でした。戦後、字幕はスクリーン中央下に最大13字2行形式で現在にいたっています。ところがここ数年13字の字幕が読みきれないという若者が増加。そのため字幕作りの現場では10字前後にくぎって行数をふやしたり、漢字を省いたりして苦労しているのだ。そのため字幕を必要としない吹き替え版にシフトする傾向が強くなっているのです。
確かにビデオ屋さんにいけば、吹き替え版が増えたことが実感できます。
ある工業大学卒業の新入社員が、工場勤務になりました。ところがその新入社員のためにあわや大事故が起こるところでした。彼がどんな失態をしたのかというと、工場で使っている機械のマニュアルをよく理解できていなかったからです。会社側に言わせると新入社員がマニュアルをよく読めないなどこれまで例がなかった。
急遽新入社員全員を調べてみると新入社員の読解力に不安を感じ、マニュアルを正しく理解させるための特別講習を毎年行うようになったというのです。字幕から吹き替えやマニュアル読むための講習会など、現在若者の読書不足による読解力の欠如の証明です。読書不足はどこからくるかというと、テレビ、テレビゲームやパソコンなど主な原因になっているのでしょう。
ある大学の先生が学生にあるテーマを与えて各自にレポートを提出させました。先生は学生のレポートを見て驚きました。皆同じような内容の同じような文章のレポートだったからです。学生はインターネットで検索し、参考になる資料をそのままコピペし、それを適当につなぎ合わせたから同じような文章になってしまったというのです。それからは先生は、レポート提出をやめてその場で自分の意見を言わせるように切り替えたというのです。
現在では小学校で読まれる本の感想文のひながたがネットで検索され、小学生はそれをコピペするだけでいいと小学生に非常に感謝されている感想文提供者がいるのです。パソコンという文明の利器によって子供たちや学生が、頭で色々考えぬいたすえ文章に書くという機会、すなわち思考力を鍛える機会が極端に少なくなってしまったのです。
従って新入社員が、営業報告や出張報告などと言ったビジネスレポートを書くよう命じられて書き方がわからないと音を上げるのは当然の結果でしょう。
私が横須賀市立中学校を卒業したのが昭和29年(1954年)、その時は一クラス50人のうち半分は卒業後就職組みでした。地方の中卒就職比率はもっと高かったでしょう。地方から集団就職で集団就職専用列車に乗って沢山の中学卒業生が上野駅にやってきました。それから3年後の昭和32年(1957年)が私の高卒です。この時私は就職組み、また女性の多くは就職組みで、大学にいく女性はあまり多くいませんでした。
私がなにを言いたいかというと私の年代、70歳前後から上の年齢の人には、学歴が中卒どまり、高卒どまりの人が非常に多いいということです。これに反して現在の20代には、
中卒がほとんどいなくなり、大学に進学する人が男女ともに非常に多くなったということです。恐らく男子など短大を入れれば90パーセント以上大卒でしょう。すなわち私の年代にくらべて現在の20代は、大卒という高学歴者がわんさといるわけです。
それにもかかわらず、13字の字幕が読みきれない、新入社員が工場の機械のマニュアルが読めないなど20代若者のこの体たらくさ、そのうえ多くの人が自虐史観の持ち主ときているわけです。私のような年寄りの愛国者にとって日本の将来に悲観的にならざるをえません。幸い、私の20代のマイミクさんは、すばらしく優秀な人たちばかりで多少慰められていますが、若者全体を考えると滅入ってしまいます。
三.すぐきれる、児童虐待、家庭内暴力。
この種の行為は、恐らく脳の未発達が主な原因と私は推測しています。幼児を見て下さい。自分の思うようにならないと場所をえらばず泣き叫びます。脳が未発達な故に自制がきかないのです。暴力で自分の意を通そうとする脳未発達の動物的行為です。まさに健全な脳に健全な精神がやどるのです。
脳には文明の利器を発明する機能があると同時に人間社会が円満に運ぶための機能もあるのです。ところが文明の利器の発達の度がすぎて思考力や判断力を養う前頭葉の発達を阻害する要因になってしまったのではないかと考えています。特に児童虐待を受けて育った子供は、自分が大人になって親になると、自分の子供に虐待を繰り返す率が大きいといわれますから深刻です。
四.若年性痴呆症の増加
将来にかけて現在深刻な問題になっているのが、若年性ぼけの増加です。若年性ぼけとは、文字通り50代に、あるいは60代前半の若さでぼけてしまって人間として使い物にならなくなってしまうことです。いままでボケとは高齢者が当たり前でした。だから現在高齢者のボケは、介護サービスや介護施設を利用できるような制度になっています。しかし若年性ボケは、年が若いだけに利用対象者になっていません。
それだけに家族、特に配偶者の苦労は、非常に大変です。高齢者のボケは、いずれ死ぬから我慢して耐えることもできます。しかし若年性ボケは、体は元気だから動き回るし、食欲はある、そして人格崩壊のまま20年、30年生きられます。果たして配偶者はそんなに長い間耐えられるでしょうか。文明の高度化(テレビ、計算機、パソコンなど)によって脳を鍛えたり脳を使用たりする時間が極端に減り、使わない臓器は衰え、萎縮するように、脳も昔以上に早めに萎縮してしまうのではないでしょうか。
20代、30代の皆さん、各自意識して脳を鍛えることお忘れなく、さもないと若年性ボケにおちいる危険性があることを認識してください。
読者の方で脳の専門家を知っている人がいたら、私の意見の正当性を聞いてみてください。私としては私の主張はまんざら根拠のないものではないと思っています。
また皆様にも異論、反論、いろいろな意見があるかとおもいますが、ぜひお聞かせください。




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半藤一利の著 「昭和史」の欠陥

私は個人的にこの本には因縁があります。半藤の「昭和史」は、昭和の初めから大東亜戦争敗戦で終わっています。従ってこの「昭和史」は大東亜戦争史です。この「昭和史」は、初版が2004年2月に出版されています。私の大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の初版が出版されたのが2004年7月です。
すなわちほぼ同じ時期に出版されたのです。だから多少因縁があるのだ。しかも両書の内容は、半藤の自虐史観と私の大東亜戦争肯定論だからです。
半藤一利は有名な作家、平凡社が出版し、本は全国の書店で売られています。私の初版は完全な自費出版、自分で書いて、自分で1000部の出版費用を出し、自分で都内及び神奈川県の大型書店に売り込みました。しかし私には全く予期せぬことが起こりました。
私の大作の初版1000部が1年以内で売り切れてしまったのです。すぐに2版目の1000部出版。一面識もない人が私に賛辞の投稿、初版三ヶ月目の10月には、生まれて初めての2時間の講演をするまでになったのです。
私の定年後の人生を変えた本になりました。2版目の1000部も売り切れ3版目の1000部を出版しました。私は有頂天になりました。ひょっとして全国的に広がるかもしれないと希望を抱いたのです。ところが2006年の3月出版社が突然破産。
「大東亜戦争は、アメリカが悪い」は絶版になってしまったのです。私の夢と希望が打ち砕かれてしまいました。しかしその後西尾幹二氏の目にとまり絶賛されたのは、不幸中の幸いでした。在庫が400冊あまり、全量私が引き取りました。現在東京八重洲ブックセンターと神奈川県、有隣堂各店で在庫がきれるまでという条件で限定販売されています。
一方、半藤一利著、「昭和史」は売れています。初版から現在では13版になって、毎日文芸賞受賞して歴史書のベストセラーになっています。私としては私の本と出版時期が同じでまた自虐史観本だけにじつに癪に障る本です。そこで今回は、自虐史観本の共通の欠陥をあげてみました。
1.道徳論で戦争になることは絶対にありません。国益が必ずからむから戦争になるのです。そのため戦争になるには必ず相手国がいります。大東亜戦争の相手国は、数カ国にのぼりますが、特に米英中国の三カ国は重要です。この三カ国の動向は、因果関係となって日本の国内政治に反映されます。ところ自虐史観本は外国、特に敵国の動向をあまり語らず、日本国内の政治的、軍事的動向だけを語って日本批判を繰りかえす本がほとんどです。
2.大東亜戦争は、昭和16年に始まり昭和20年で終わっています。大東亜戦争へつきすすむ原因にもなった満州事変は、昭和6年に起きています。従って自虐史観の持ち主は、大東亜戦争を昭和史として語るのをほとんど常としています。その方が自虐史観を主張しやすいからです。
しかし大東亜戦争は、昭和史だけで語れるものではありません。大東亜戦争の終結を持って現在の私たちの生活にいたる現代史の始まりになるからです。大東亜戦争は、私たちの現代史の始まる総決算の戦争です。
そのため大東亜戦争の本質をさぐるには、幕末ペリーの来航によって結ばれた1854年日米和親条約から1941年の大東亜戦争勃発までの87年間の歴史を学ぶ必要があるのです。
自虐史観の持ち主の学者や評論家は、自分が大東亜戦争の本を書く時、87年間の歴史をひもとくことはほとんどしません。
3.半藤一利は、大東亜戦争の日本人死者、軍人民間人あわせて310万人としています。彼らは無駄死にで、これほど馬鹿げたアホな戦争はないと主張しています。そして大東亜戦争の意義など眼中にないのでしょう全く語っていません。
確かに日本軍の無謀な作戦で多くの軍人を無駄死にさせたケースもありました。しかし大東亜戦争そのものに意義がなかったなどと、とても同意することはできません。拙著「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の終章は、「大東亜戦争の意義」について書いています。
4.半藤一利の「昭和史」などのような自虐史観本では、ほとんど絶対と言っていいほど語らないことがあります。それは国際経済情勢です。戦前の国際経済情勢がどうであったか、ここで少し詳しく書いてみましょう。
(1)日本は貿易で生きていかなければならない国です。幕末日本は欧米諸国と不平等条約を結ばされました。不平等条約の一つが関税自主権の喪失です。欧米諸国から色々な物資が日本に輸出されてきますが、輸入する日本は、その輸入税をいくらにするか自分で決めることができないのです。
輸入税は日本の国庫に直結します。ただ同然で輸入しているわけですから、どんなに輸入が増えても日本の国庫が潤うことはありません。日本はなんとか不平等条約を改正しようと涙ぐましい努力しています。後世、非難の的になる鹿鳴館も涙ぐましい努力の一つです。
(2)その不平等条約が撤廃されたのが明治44年です。日露戦争が終わったのが明治38年です。日露戦争勝利の6年後のことです。不平等条約を結ばされてから撤廃までほぼ50年かかっています。日露戦争に勝ったから欧米諸国は、日本を一人前の国と認めてくれたのです。
これで戦争に負けていたらいつ不平等条約が撤廃になったか想像がつきません。こうして日本は大正時代から、輸出入という国際経済、欧米諸国主体の国際経済活動の仲間入りができたわけです。
(3)ここで皆さんに前置きとして知ってもらいたいことがあります。大東亜戦争終結8年後の1948年にGATT(ガット)(関税及び貿易に関する一般協定)が国際間で締結されました。それが現在のWTO(世界貿易機関)に繋がっています。1948年にガットができたというのも大東亜戦争の意義の一つです。
なぜなら戦前には、国際間の貿易に関する取り決めなどなにもなかったのです。
例えば時計を輸入しても輸入国は、自分かってにまちまちの輸入関税をかけていたのです。そういうような無秩序とも言える国際経済の中で日本は、欧米先進国の追いつこうとする当時たった一つの発展途上国でした。当時日本は、最近の中国と同じように低賃金を武器に輸出攻勢をかけていました。
(4)当然欧米諸国にとって日本製品は脅威の的です。当然のごとく日本製品差別が始まりました。大東亜戦争は、人種戦争とも言われ、人種差別はよく語られますが、日本製品差別はあまり語られません。どのようにして日本製品差別をしたかというと日本製品だけに高関税をかけるのです。
当時発展途上国が数カ国あれば日本は共同で欧米先進国に対抗できたでしょう。しかしながら戦前の日本はたった一国の発展途上国だった。それだけに日本の孤独な戦いが強いられたわけです。
(5)日本は東南アジア諸国に輸出しようとします。東南アジア諸国はほとんど欧米の植民地です。植民地の宗主国は、安い日本製品には高関税をかけて、高いヨーロッパ製品を植民地国に買わせようとするのです。こういう日本製品差別が極端にあからさまになったのが、1929年の世界恐慌からです。
(6)1929年のニューヨークの株式市場の大暴落をかわきり世界恐慌が始まりました。この時アメリカは、なにをしたか。アメリカは自国の企業や農民を守るために1000品目にもわたる製品に高関税障壁を設けました。ペリー提督が日本に開国を迫った時、自由貿易を提唱しました。
そのアメリカが自由貿易を捨て外国品を締め出すために高関税をかけ、そのくせカナダやラテンアメリカには、高関税を適用しませんでした。これをブロック経済化といいます。現在の日本もアメリカは日本の重要な輸出先ですが、当時もアメリカは日本で一番重要な輸出先でした。アメリカのこの高関税適用で、日本のアメリカ向け輸出が激減しました。
(7)ブロック経済化に連鎖反応が出ました。1932年カナダのオタワでイギリス帝国経済会議が開かれました。参加国はイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦、アイルランド、インド、南ローデシアでした。これ等のイギリス連邦とアジアやアフリカにあるイギリスの植民地は、一つの経済圏を作り、域内同士の商品に対して無税ないし低い関税にし、日本製のような外国商品には高関税をかけることにしたのです。
フランスもアフリカや中近東に植民地を持ち、アジアにもラオス、カンボディア、ベトナムなどの植民地があります。フランスもブロック経済圏を確立したのです。それでなくてさえ日本製品は安いがために差別されていたのに、このように世界がブロック経済化してしまっては、日本は、ほとんど輸出できません、生きていくためには日本どうしたらいいのでしょうか。
現在の日本経済は、強力です。欧米諸国がいくら日本経済の存在がねたましくても、日本経済を潰すことはできません。日本をつぶしたら世界恐慌になるからです。しかし戦前の日本経済は、発展途上国、日本経済を潰してもなんの影響もありません。
日本経済を潰した方が、競争相手がいなくなって白人の繁栄が謳歌されて好都合です。それだけに露骨に日本製品を差別したのです。
(8)世界のブロック経済化で日本の輸出がほとんど不可能になれば、生きていくために日本国民の目が余計に満州に向かうのは当然のことです。大東亜戦争勃発後半年間の快進撃で、東南アジアから白人を追っ払い戦中戦後に独立国が続々と誕生しました。独立国誕生が、戦後の日本経済発展に大変寄与することになったのです。
戦前、植民地国では安い日本製品がやってきても宗主国の命令で高関税をかけ、高いヨーロッパ製品を買わされていました。独立国になったため、宗主国に気兼ねせず自由に安い日本製品を買うことができるのです。戦後、日本製品が東南アジアにどっと輸出できたのも独立国誕生のお陰なのです。
戦争で同じ負けるにしても植民地状態を残したまま負けてしまったら、戦後の日本経済が急速に発展できたでしょうか。輸出しようにもまた高関税をかけられるだけです。開戦半年間で欧米人を東南アジアから追っ払ったことが、どれだけ大東亜戦争を意義あるものにしたかはかりしれないものがあります。
半藤一利の著書は、このような国際経済情勢について一言も語っていません。最後にもう一つ自虐史観本ではとりあげないものを紹介します。
5.日本に有利な史実は絶対といっていいほど取り上げず、無視することです。いくつかの史実無視の中で代表的なものが、マッカーサー発言の無視です。マッカーさー元帥は、日本占領軍最高司令官退任後帰国します。帰国後、アメリカ議会の軍事外交合同委員会で「日本の戦争は、自衛戦争だった」と公式発言をしています。彼は、大東亜戦争当時、敵軍の最高司令官でした。その彼の発言ですから非常に重みがはるはずです。
彼は英語でどう表現したのか、これは重要ですからぜひ憶えてください。
Their purpose, their とは日本人のことです。「Their purpose, therefore, in going toWar was largely dictated by security。」
マッカーサーは大東亜戦争で指揮をとり、戦後は朝鮮戦争で指揮をとりました。その体験から彼は日本の戦争は自衛戦争であったと判断したのだ。半藤一利よ、日本は自衛のために戦ったのだ。馬鹿げた戦争したわけではないし、兵士は無駄死にではないのです。同じ負けるにしても植民地状態を残したまま負けてしまったら、あるいは戦争せずにアメリカの主張を全面的に受け入れたら、その後の世界や日本は戦争前よりよくなったとでも主張するのですか。
歴史に興味ない人、歴史を知らない人が、自虐史観を主張しても私は怒りを感じません。彼らはそのように教え込まれているからです。しかし半藤一利のように歴史を知っている知識人や、歴史家が自虐史観を主張すると私は猛烈な怒りを感じるのです。自虐史観は、日本民族の侮辱以外のなにものでもないからです。
最後に私の大作のこぼれ話を二つ披露しましょう。私の大作は、400字づめ原稿用紙で1100枚です。ちなみに「源氏物語」は、400字づめの原稿用紙で2300枚と言われています。私の著書のちょうど2倍の厚さになります。「源氏物語」が大変な大作であることがわかります。
私の筆記用具は、パソコン、紫式部は筆。暑い夏をふくめて一年中十二単の着物を着て座って原稿を書いたにしても、彼女の足の座りだこは、大変大きなものではなかったかと想像してしまいます。
私の本の定価は、1500円。大作のわりには低く設定してあります。1500円という安いこの本が、アマゾンでは現在29,000円という値がついています。その理由はわかりませんが、私は著者の特権で、かってに本の内容がすばらしいからだと解釈しています。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」は、日本民族必読の本と私は自負しています。
幸いまだ在庫が少しあります。マイミクの皆さんの中でぜひ読んでみたいと思われる方がおりましたら、住所を教えていただければ贈呈させていただきます。但し最後まで読んでいただくということで御願いします。送料も私負担で送ります。もうすでにマイミクさんの何人かに贈呈しています。

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