Archive for 12月, 2008

文化の使い分け



評論家、竹村健一氏が言ったといわれる「日本の常識は、世界の非常識」、これまさに名言中の名言だと私は思っています。日本では常識とされる文化が、世界では通用せず逆に悪用されたり、理解されないものがいくつかあります。そのうち典型的なものを6つあげてみました。
1.すぐに謝る。
2.自分のミスや過ちは言い訳せずすぐに認める。
3.自己主張を強くしない。
4.すぐに反省する。特に相手の立場に立って反省する。
5.気配りをする。
6.過去のことは水に流す。
この6つは日本文化の特徴で、日本の常識人なら誰も持っていなければならないもの、すなわち常識です。ところがこの常識が世界の常識と全く正反対なのです。世界の常識は、
1.めったなことで謝らない。
2.自分のミスや過ちはすぐに認めず、言い訳したり、他人のせいにする。
3.自己主張を強くする。
4.すぐに反省などしない。
5.気配りをしない。気配りという文化がないから、気配りなど理解できない。
6.過去に徹底してこだわる。
大東亜戦争に対する日本政府の謝罪外交は、日本の常識(文化)で考えるから謝罪につながっていくのです。それでは同じ大東亜戦争を世界の常識で考えてみましょう。
1.めったなことでは謝らない。
文字通り大東亜戦争は謝る必要はありません。戦争をしでかして謝罪した国はありません。植民地を持った国で遺憾の意を表した国はありますが、謝罪した国はありません。
2.自分のミスや過ちはすぐに認めず、言い訳したり、他人のせいにする。
大東亜戦争は、日本だけが悪ですか。言い訳や口実はたくさんあります。それどころか論理的にもアメリカのせいにできます。(拙著、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」)
3.自己主張を強くする。
大東亜戦争は自衛の戦争であることを強く自己主張しましょう。敵軍の最高司令官
だったマッカーサーは、本国の外交軍事委員会で、日本の戦争は、自衛のための戦争だっ
たと証言しています。それを強く主張しましょう。それも日本人のように一回言っておし
まいでなく、外国人のように何度でも執拗に繰り返しましょう。たった一回主張してあと
執拗に繰り返さないのは、日本の常識、世界の非常識。世界の常識は徹底して執拗に繰返
えすこと。韓国人、中国人に負けずに執拗に日本の主張を言い続けましょう。
4.すぐに反省などしない。
日本人は反省好きです。なにかというとすぐに反省、反省です。なにか行事が終わると、
すぐ反省会を開きましょうとなります。大東亜戦争など反省してはいけません。反省する
なら自己中心的な反省です。例えば大東亜戦争では、日本は情報戦で負けていたと言われ
ています。今後情報戦で戦うにはどうしたらよいか、こういう反省です。間違っても日本
人得意の相手の立場に立っての反省などしないこと。
5.まちがっても気配りなどしないこと、うっかりすると相手国に誤解をあたえるだけで
す。「村山談話」も「河野談話」も、また宮沢元首相の「近隣諸国条項」もアジア諸国への気配りでしょう。その結果感謝されましたか。悪用されているだけです。
6.過去に徹底してこだわる。
さあ過去に徹底してこだわりましょう。過去にこだわればこだわるほど、日本の主張 に凄みが出るというものです。1492年コロンブスがアメリカ大陸に到着してからおよそ500年間、欧米人はアフリカ大陸、アメリカ大陸、中南米、アジアで何をしてきたのでしょうか。白人欧米人による有色人種の支配です。武力で徹底的に植民地を搾取して、自分たちの国の繁栄を図ってきたのです。平和な島国日本も江戸時代に欧米人の不当な要求をのまされました。
気がついてみれば隣の中国はヨーロッパ人の草刈場になっていました。有色人種にとって最後の防波堤が日本でした。そういう白人優位の世界を一挙にくつがえすきっかけになったのが日露戦争と大東亜戦争なのです。この両戦争によって人類普遍の理念、「人種平等」が誕生したのです。
どうですか皆さん、世界の常識で考えると大東亜戦争など全く謝る必要のない戦争なのです。先週、私は「大東亜戦争の敵討ち」というタイトルの記事を書きました。読者の中には少しこじつけ過ぎではないかと考えた人がいたら、それは日本の文化で考えているからだと書きました。私たち日本人はもっと執念深くならなければいけません。こじつけだろうとなんだろうと相手を責めまくる姿勢が大事なのです。ただでさえアメリカは、正義面しているわけですからなおさらのことです。
日本人外交官や政治家が外国と交渉する時には、文化の使い分けをしなければならないことがおわかりいただけたでしょう。人類が平和で争いのない生活するには、どっちの文化が適当だと思いますか、日本の常識ですか世界の常識ですか。誰が考えても日本の常識です。日本の文化こそ争いを避けるに最適な常識なのです。だから我々日本人は、このことを非常に誇りにしていいし、また誇りにすべきなのです。しかし外交交渉の時は、日本の文化を絶対放棄する必要があります。
一般的な概念から言うと外国人はタフで、日本人は従順です。外国人は自己主張が強いから、極端な言い方をすれば、彼らは、年中no,no,no,と言いながら暮らし、日本人は、ことを荒立てないために年中yes,yes,yes,と言いながら暮らしているようなものです。どちらの民族が交渉相手としてタフか容易に想像つきます。
だから私たち日本人は、外国人と交渉する時は、文化の使い分け、すなわち日本の文化をかなぐりすてて交渉しなければだめなのです。もっと極端にわかりやすくいえば、日本人の間で評判を落とすことは、自分の人格にかかわることですから避けるべきですが、外国人と交渉するときは日本人の間で評判を落とすようなことを平然とすればよいのです。
私のビジネス経験は、外資系五社渡り歩いて41年。少なくとも後半の20年間ぐらいは、私は文化の使い分けをし、彼らと対等あるいは対等以上に渡り合ってきたことを自負しています。これは英語ができる、できないの問題ではないのです。気概と強い日本人意識があるかどうかの問題なのです。
来週は引き続き「文化の使い分け」(その2)を載せますのでぜひ御覧になってください。
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大東亜戦争の敵討ち

現在の世界経済は暗い話ばかりです。しかしその暗いニュースでも別の味方をすれば実にすばらしいニュースになる話もあります。それは何か。アメリカの自動車メーカー、ビッグスリー、GM,フォード、クライスラーが倒産寸前だからです。(昨日アメリカ政府はGM、クライスラーへの一時つなぎ援助決定) なぜ彼らの倒産寸前が素晴らしいニュースかというと、日本の自動車メーカーが彼らを倒産寸前に追い込んだのも同然だからです。私は自動車に興味などなにもない男です。現在でさえ自動車免許を持っていません。それでも私は、ビッグスリー破産寸前のニュースはうれしいのです。
ましてや大手自動車メーカーで働いて定年を迎えた人たちは、愛国心ある人たちなら、ビッグスリー倒産寸前のニュースには、ほくそ笑んでいるにちがいないと思っています。そこで一時は日米自動車戦争とまで言われたその歴史でも、私の記憶とネット調べを基にして簡単に話してみましょう。
1950年、終戦5年後です。この時の日本の自動車生産台数たった3万台です。一方アメリカは500万台です。それがどうですか半世紀後、正確に言えば58年後、トヨタは世界一の自動車メーカーになりビッグスリーは倒産寸前。今から50年ほど前、私が20歳の頃です。その頃アメリカ製自動車は垂涎の的。日本製自動車でさえ持っていれば、ガールフレンドに「俺の車でドライブしないか」と誘ったら、現在、「俺の豪華ヨットでクルージングに出かけないか」と同じくらいの威力がありました。
日本の自動車メーカーは1960年代の半ば頃からアメリカ向けに輸出しはじめました。1970年代、特に73年のオイルショック以後、日本製自動車が大挙してアメリカに押し寄せました。その頃です、自動車の町デトロイトでは、アメリカの労働者が、彼らにとって癪の種であるトヨタの車をハンマーでぶっ叩いている写真が出ました。
1980年代日米貿易摩擦、あるいは日米貿易戦争と言われた時代、日本はコメの輸入自由化を求められました。農協などの支援の下日本政府は、コメ輸入反対を必死に主張していました。ある政治家だか官僚だか忘れましたが、おコメは日本の文化だといって輸入反対にしました。
その話を知った私のアメリカ人上司は、おコメが日本の文化なら、自動車はアメリカの文化だと声をあらげて言っていたのを覚えています。私はアメリカなどに文化はないと思っていましたが、言われてみれば、アメリカに文化があるとすればそれは確かに自動車だなと妙に感心したのも覚えています。自動車はアメリカ産業の花ですし、アメリカの象徴的な産業でした。
日本製自動車の輸出攻勢に悩まされたアメリカ政府は、ローカルコンテンツ法(Local
Contents Law)なるものを成立させた。ローカルコンテンツ法とは、車一台生産するのに2万という部品から成り立っていると言われています。その全部品のうち、もう忘れてしまいましたが、何パーセントとかはアメリカ製部品を使うことを法律で決められたのです。日本の自動車メーカーにとって脅威だったでしょう。品質を誇る日本製自動車が、アメリカ製部品を使って同品質を保てるか。契約どおり納期を守ってくれるのか。それも苦労のすえに乗り切るとさらにアメリカ製部品の使用率のアップを決められます。
その上さらに日本の自動車メーカーに難問を突きつけられたのは、日米の貿易摩擦を回避するために日本政府による日本製自動車の輸出規制です。自動車輸出規制が試行された1981年には、対米輸出は年間168万台と決められた。
ところがこの輸出規制が日本製自動車の人気度を再確認させることになったのです。アメリカ国内の自動車ディーラーは、競い合うように人気のある日本製自動車を注文、そのために日本製自動車にプレミアムが付くようになったのです。
いくら日本製自動車にプレミアムがついても、自動車輸出規制、アメリカ製部品使用率アップの現状を見ては、日本の自動車メーカーは、もう日本から完成車をアメリカ向けに自由に輸出するのは無理だ、アメリカで自分の車を作って売ろうという話になってきます。その先陣を切ったのがホンダでした。ホンダの決断は立派だったと思う。日本の工場で日本人労働者が車を作っているから品質の良い車を契約の納期に納めることができます。それをアメリカの工場でアメリカ人労働者を使って日本と同じ品質の車を作れるかどうか不安だったと思います。その時ホンダは作れるという自信があったのでしょう。
私に言わせれば日本の労働者は従順だが、アメリカの労働者はタフだし、組合にしたって日本の組合は会社単位の組合だが、アメリカは職能別組合と言って会社単位の組合でなく、旋盤工なら旋盤工同士が横のつながりを持つ組合です。不安のつきまとう工場進出でした。
ついに1982年ホンダのオハイオ工場が生産開始しました。ホンダの後を追いかけるように他の日本の自動車メーカー続々とアメリカに工場進出しました。その後を追うように部品メーカーもアメリカに工場進出が続きました。ちょうどその頃、クライスラーの名物男というより、アメリカ自動車業界の名物男、リー・アイアコッカがいました。アイアコッカは、フォードの社長でしたが、フォード二世との確執でフォードを追い出されるようにしてクライスラーの社長になった。その時クライスラーは、倒産寸前、政府から支援金を得ることに成功。その時彼は、給与1ドルで働くことを明言した。
現在のビッグスリーの経営者が、国の支援を得られれば給与1ドルにすると明言したのはアイアコッカのまねです。ちなみに現在倒産寸前といわれるフォード自動車、ムラーリー社長の2007年度の年収が2170万ドル、1ドル100円だと21億7千万円の年収です。いったいトヨタの社長の年収はいくらか聞いてみたくなります。
国の支援を得たアイアコッカは、見事クライスラーを建て直し復活させた。一躍彼は、アメリカ産業界の人気者になり、民主党の大統領候補にとおよびがかかるくらいでした。彼の伝記はベストセラーになりました。
ホンダがオハイオ工場で生産開始の頃が、アイアコッカの絶頂期でした。私は彼の伝記を読みました。その中で彼は、日本の自動車メーカーがアメリカに工場進出してきたことを意識して、こう書いてあったことを覚えています。「日本製の車などアメリカ大陸から叩き出してやる」。
そのアイアコッカもクラスラー再建後は、独裁者的になりすぎ、クライスラーを追われるようにして退社しています。
アメリカに工場進出した日本の自動車メーカーは、ビッグスリーが作った車より、より顧客の満足度の高い車を作り出しているのです。日本の自動車メーカーのアメリカ進出が大成功しているのです。日本の自動車メーカーの経営努力はたいしたものです。アメリカの工場でアメリカの労働者を使っても、日本で作った車と同じ品質を持つ車を作ることに成功したのです。
自動車生産方法においてアメリカと日本メーカーとの違いは、いくつかあるのですが、その違いの最も象徴的な違いは、自動車部品の内製率です。一台の車は2万以上の部品から
成り立っていると言われています。その2万以上の部品の70パーセントをアメリカのメーカーは、自社内で製作しているのに対し日本のメーカーはわずか30パーセントを自社内で製作しているだけです。残りの70パーセントは外注です。
その結果どうなるかと言うと、アメリカの部品は、内部取引のためにマンネリ化し、価格、品質などの競争原理が働かない。一方日本の部品は、外部取引に成る為に競争原理が働くことになります。どちらに好結果が出るか一目瞭然です。
日本の自動車メーカーは、アメリカに工場進出しても、アメリカの文化を尊重するが、自動車の生産方法は徹底的に日本と同じにしたのが功を奏したのです。私は日本の自動車メーカーの半世紀にわたる努力を素直に評価するものです。自動車の国アメリカに敵前上陸して成功し、あのビッグスリーを破産の憂き目にあわしているのです。
そしてつい最近は、トヨタはGMを追い越して世界一の自動車メーカーになり、ビッグスリーは破産寸前です。それに対してもうアメリカ政府もアメリカの自動車メーカーも、日本の自動車メーカーに苦情などつけられなくなってしまった。しかし来年のアメリカ政府は、オバマ民主党政権だけにビッグスリー救済策のために日本の自動車メーカーに対して差別的政策を打ち出てくるのではないかと私は心配しています。
私のような年寄りには、GMの巨大さ、存在感の大きさは、身にしみています。GMイコールアメリカ政府のような感じでした。かってはGMに良いことはアメリカ国家にとっても良いことだと豪語されていた時代もあったのだ。日本の自動車メーカーをとっくに定年した退職者は、私以上に身にしみて感じているはずです。私のような年寄りには、大東亜戦争の敵討ちしたような気分で、痛快きわまりない。我々が敗戦後から立ち直ったように、ビッグスリーは、どう立ち直ってくるのか、それともアメリカ政府の資金援助もむなしく業界から消えてしまうのかじっくり見させていただこうではありませんか。
ビッグスリーが破産寸前に追いかまれたのを、大東亜戦争の敵討ちしたように喜んでいる老人がいることを誰かアメリカのメディアに伝えてくれませんか。
なぜ私はこのようにアメリカ人の心をさかなでするような記事を書くか。私は、外国人なみに執念深いのです。だから大東亜戦争に非常にこだわります。勝利国であるアメリカは、自分たちは正義で、日本は悪と決め付けているから余計にこだわるのです。外交観、防衛観に関して私は親米主義者です。しかし歴史観に対しては徹底して反米主義者です。この記事を読んで少しこじつけのような気がするという人がいるでしょう。その人は日本の文化で考えているからです。
中国にしても韓国にしてもアメリカにしても、政府みずから平然としてこじつけたことを言ってきます。私たちは、文化の使い分けをしなければいけません。そこで来週は「文化の使いわけ」というタイトルで記事をかきますからぜひ読んでみてください。
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「GHQ焚書図書開封」訂正

西尾先生から私のブログの間違いを指摘されましたので訂正させていただきます。
Sさんが個人的に没収本を集めておられるのは事実ですが、西尾先生の今回の本とSさんとの関りは一切ございません。私の独断的な思いこみでした。
西尾先生はかねて日本文化チャンネル、水島総社長自ら蒐集された焚書約千五百冊を用いて没収本の紹介番組を放映しておりました。平成20年5月末で23回分を放映しています。
この放送内容を基本に出版されたのがこの本です。
再度強調しますが、この本は、Sさんとは一切関係なく、それどころか日本文化チャンネルの放映がなければ本書は生まれなかったでしょう。このことは本書の332,333頁で述べられています。
私の独断的思い込みのために作者の西尾先生、と読者の皆様に大変な迷惑をかけてしまいました。どうぞお許しのほど御願いします。

コメント

「GHQ焚書図書開封」

日本保守界の大御所ともいうべき西尾幹二氏が今年五冊の本を出版した。「年に五冊も出版したのは、生まれて初めて」と本人は言っています。著述業のまねごとみたいなことをしている私にとって、年に五冊の本を出版するなどとても想像もつかないことをやってのけています。西尾氏は、その他毎月のようにどこかの月刊誌に投稿、その他テレビ出演、講演などと73歳とはとてもおもえないほど精力的に活躍しています。
その五冊の本の中で「GHQ焚書図書開封」(徳間書店)は、日本国民必読の本ではないかと思っています。焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)と言う言葉があります。昔の中国、秦の始皇帝が儒教の書物を焼き捨て儒者たちを穴の中に埋めて殺してしまった有名な事件がありました。この事件から「焚書」と言う言葉が生まれました。要するに出版されている書物を廃棄して国民に読ませなくしてしまうことです。
日本の敗戦後、GHQ(アメリカの日本占領軍)は、日本人学者を殺してはいませんが、この焚書を行っています。GHQが徹底した検閲を行ったことはよく知られています。拙著「逆境に生きた日本人」(展転社)の中でその検閲の実態の概略を述べています。ところが焚書についてはあまりよく知られていません。
検閲と焚書を実行するということは、民主主義政治では絶対に行ってはならない政策です。独裁者や共産主義政治制度で初めて行える政策です。そのうえGHQは、占領中には占領国の憲法を作ってはいけないという国際条約に違反して憲法まで作っているのです。GHQは、日本に民主主義制度を根付かせたなどと主張していますが、実際にはGHQは、やりたいほうだい政策を実行したのです。
焚書には膨大な作業が必要です。焚書のことをGHQは、英語でConfiscation、没収という言葉を使用しています。没収本の対象期間は、昭和3年1月1日から昭和20年9月2日までです。その間に出版された全刊行物は、221,723冊もあります。
この中からGHQは、日本国民に読ませたくない本を選び廃棄したのです。その選別作業は膨大です。どこがやったか。東大文学部が行っていたのです。西尾氏は、自分が学んだ東大文学部の大先輩の教授たち行っていたことを知って愕然としています。
この20万冊以上の本の中から9、288点の書物が選ばれました。さらに厳選され最終的に7、769点が没収指定対象本になりました。初めのうちは日本の警察が本の没収を行っていましたが、昭和23年6月を境に文部省にこの件の業務が受けつがれた。文部省次官通達が知事に対し警察と協力して行うことを指導し、知事は教育に関係のある市町村の有識者を選んで「没収官」に任命。ただしその際、現場の教師を任命からはずし、学校の図書からの没収を慎むよう細かい指示を出しています。
GHQのこの焚書行為について西尾氏は、本書の中でこう書いています。
「それにしても不思議なのは、個人の家庭や図書館からは没収してはいけない、学校の現場教師には知らせてはいけない、担当の関係者はあったことを第三者にいっさい口にしてはいけない、と書面で規定していますが、ただそれだけで、この秘密厳守に関して格別の罰則はありません。人の口に戸は立てられないはずです。それなのに日本社会は麻酔薬でしびれたように動かなくなり、60年間、自分の過去を封じる「焚書行為」の存在すらすっかり忘れてしまったのです。
人間性の不思議のせいでしょうか。日本の敗北感情が特殊であるせいでしょうか。アメリカ占領軍の心理的な罠のかけかたが巧みであったせいでしょうか。集団殺戮のようなことではなくたかが焚書行為だからでしょうか。軍国主義の本は悪魔の本だという逆宣伝に乗せられ、日本人自らが自分で自分を過剰にしばる自己規制に走ったからでしょうか。それが心の中に「禁忌」(タブー)をつくって、知らぬ間に、自分の歴史は自分の頭で屈託なく伸び伸び考えるという自由を失ってしまったのでしょうか」といろいろとその理由を詮索しています。
私は拙著「逆境に生きた日本人」で語っていますように、日本人は権力に極端に弱い。戦後の日本人は、この「焚書」だけでなくGHQのあらゆる政策に積極的に、卑屈なまでに従順に協力しています。
それでは没収された7、769点の本はどうなったかというと、そのほとんどパルプにされて日本の学童用の教科書に再生され、残りの一部がワシントン文書センター(Washington Document Center)に送られたと言われています。
実はこの本が出版される2、3ヶ月前に西尾氏が「GHQ焚書図書について」の講演を行いました。そこで私は大変興味ある話を聞かされました。
7、769点の本が処分されたわけですが、この中に一体どういう本があったのか、日本人として気になるところです。文部省に気骨ある日本人がいたのでしょう。文部省は、7、769点の明細、すなわち本のタイトル、作者名、出版社名を網羅しただけの本を発行しました。勿論GHQには、秘密だったと思います。もしGHQがこの本の出版を知っていたら間違いなく中止させたでしょう。彼らは日本国民に気づかれずに本を処分するのが目的だったからです。
西尾氏は、講演の途中で鎌倉市に住む一市井の人、Sさんを演台に呼び私たちに紹介しました。Sさんは、この7、769点のリストを網羅した本を手にいれました。それ以来Sさんは、10年以上という年月かけて私費でこれらの本を探しまわりました。神田の古本屋はむろんどこかへ出かける度にその近辺の古本屋や本屋を訪ねまわり没収された本を探しまわりました。
没収本も個人所有や図書館所有のものは没収を免れていますし、没収本ですから販売網に乗っている本は、お金が払われることなく無料で没収されます。本屋によってはただで没収されては叶わないと隠す書店もあったでしょう。従って時間とお金さえかければある程度集められるだろうとSさんは考えていました。
Sさんは、7、769点のうちなんと半分近く3千数百点の本を集め、自宅の書庫で保管しているのです。国会図書館にも数十冊ありますので、現在没収本、7、769点のうちおよそ半分近くの4千点弱の本が日本国内に現存していることになります。このSさんの日本に対する貢献は大変なものがあります。ある日本人学者がSさんと西尾氏との仲をとりもちこの本、「GHQ焚書図書開封」が生まれるきっかけになったのです。
西尾氏は、鎌倉のSさん宅に通いつめることになりました。Sさんが本の貸し出しをしないからです。Sさんに言わせると、全部の本がすべて70年前後前の本ですから完全に古本です。本の保存に気をくばっているSさんにしてみれば、とても貸し出しなどできません。その気持ちをわかってほしいと言っていました。
西尾氏は、これらの没収本に目を通し、その中で興味のあるものを読者に紹介してくれているのがこの本です。これは初巻目で3巻まで出版される予定です。2巻も今週ぐらいに発売予定です。初巻目のこの本は、初回なので全体の三分の一が焚書についての説明で後の三分の二が抜粋本の紹介です。いやぁー実に面白い。なぜGHQがこれらの本を没収したかわかるからです。
初巻の圧巻は、最終章で米国人、ブレーク・クラークという人が書いた「真珠湾」という本の紹介です。真珠湾攻撃が行われたのが昭和16年12月8日です。それが昭和18年4月に海軍大佐、広瀬彦太と言う人に翻訳された本が出版されているのです。翻訳ですから、アメリカ側の出版は当然それより前です。真珠湾攻撃後、わずか一年半ぐらいの期間で原作の出版と翻訳本が出版されたという驚きです。しかも戦争たけなわの時です。それだけ書いた方はすぐ出版したかったし、攻撃した日本側も早く翻訳本が欲しかったのでしょう。このアメリカ人が書いた「真珠湾」という本は、つぎのことを明快に示しています。
1.真珠湾攻撃をアメリカ側は、必ずしも奇襲と考えていなかった。
2.日本軍が海上に浮かぶ軍艦と飛行場を徹底的に叩いただけで民間人を襲撃していない。
3.日本軍隊の技術の高さ、訓練の見事さをほめている。
4.アメリカ人は、日本人を完全になめていた。
10数年前まだ私が現役で働いていた頃、私はアメリカ映画、「パールハーバー」を見た。その時日本機は、逃げ惑う一般市民に機銃操作を浴びせていました。そんなことはなかったと本で読んでいたので癪に障ったことを覚えています。ここにアメリカ側の記述でも一般市民への攻撃がなかったことが実証された。徹底的に無差別空爆を日本本土でくりかえしたアメリカ軍とは違うのです。
もうじき2巻目が出版されます。その予告目次をみますと、
一. 従軍作家の見たフィリピン戦場最前線
二. 「バターン死の行進」直前の状況証言
三. オランダのインドネシア侵略史(1)
四. オランダのインドネシア侵略史(2)
五. 日本軍仏印進駐の実際の情景
六. 日本軍仏印進駐下の狡猾惰弱なフランス人
七. 人権国家フランスの無慈悲なる人権侵害
八. アジア侵略の一全体像(1)
九. アジア侵略の一全体像(2)
十. 「太平洋侵略史」という六冊本シリーズ
十一. 大川周明「米英東亜侵略史」を読む
十二. 「米本土空襲」という本
目次だけでなぜGHQが没収本にしたか想像がつく本ばかりです。拙著「大東亜戦争は、アメリカが悪い」は日本国民必読の本と自負していますが、この西尾幹二氏の「GHQ焚書図書開封」もまさに日本国民必読の本だと思います。
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憲法九条を固持する人たちへ

この文章中に出てくる「あなたがたは」というのはすべて憲法九条に固持する人たちのことを指していることをご承知ください。
私たち日本人は、物事を情緒的に、感情的に捉えるのがくせで、どうも現実を直視して物事を論理的に考えたり、論理的に討論することを苦手にしている民族ではないでしょうか。特にあなたがたは、こと戦争と核兵器に関しては、情緒的に、感情的にとらえるだけで、論理的に話すどころか、論理的に考えることすらできないのです。
戦後、戦争とは悲惨なもの、戦争することは悪いこと、このことばかり強調され過ぎたためもあるのでしょう、若者が祖国のためなら戦うという積極的な態度があまり見えません。それどころか例え他国に支配され、奴隷状態になっても戦う気はありませんなどと平然と応える若者もいるのです。この種の考え方がいかにまちがっているか、わからないのです。戦争することは悪と徹底的に教え込まれているからです。
私は戦争の悲惨さには、同意しますが、「戦争することは、すなわち悪」には同意できません。世界史には独立戦争という戦争がいくつもありましたが、この戦争は悪なのでしょうか。あなたがたは、戦争すること、即ち悪と考えていますが、それは戦争が敵、味方ともに悲惨な目に会わせるからという戦争の表面的な面でしか捕らえていないからです。
現在私たちは、高度な文明の発達の恩恵を享受しています。あなたがたに質問したい、高度な文明が発達した原因は、何だと思いますか。その原因は数え切れないほどの戦争があったからではないのですか。戦争ほど人類の文明発達に貢献したものはありません。人類は戦争することによって同じ人類、すなわち自分の身内を犠牲にしながら文明を発展させてきたのではないでしょうか。
人類は、過去において無数の悲惨な戦争を体験してきましましたが、文明の発達によって戦争で失ったものより、それ以上の恩恵を手にいれてきたのではないでしょうか。だからこそ地球上の人口が60億にも達しているのではないでしょうか。戦争と言うものが負の遺産ばかりでしたら、人口が増えるわけがないのです。
あなたがたは、私のことを「お前は戦争肯定論者か」と詰問するかもしれませんが、私は、あなたがたが考えようとしない、戦争の現実というものを説明しているだけです。
私の説明であなたがたは、戦争とは悲惨なものと一概にかたずけられないものがあることを理解していただけましたか。まだ理解していただけない方には、それではもう一つ質問しましょう。人類がこの地球上に誕生して以来、一回も戦争の体験をしなかったら現在、人類はどうなっているでしょうか。恐らく誰もこれほど高度の文明に達していなかったと答えるのではないでしょうか。最近ブラジルのアマゾンの奥地にいまだに原始生活をしている民族がいると、空中撮影した写真が新聞に載っていました。
恐らくこの部族は、最初から戦争を体験しなかったか、あるいは他民族との争いから、あるいは争いをさけるためにアマゾンの奥へ奥へと進入していったのでしょう。
それを考えると人類は、一度も戦争を体験しなかったら、現在人間の文明度は、原始時代から多少なりとも進んだ程度の文明になっているか、あるいは人類は滅亡したのではないかと考えてしまいます。
高度に文明が発達した現在でも、人間は天変地変に勝てません。いかに被害を少なくするかが精一杯です。ましてや太古の昔は、人類にとって天候がすべてです。
A民族の住んでいる土地は、天候にめぐまれ草木は育ち、動物は育ち、果樹は育ついいことずくめ、しかしすぐ近くに住むB民族の地方は、大変は干ばつで餓死寸前です。この時B民族は、A民族を襲って飢えを逃れようとするのが人間なのです。
このことは現在でも変わりません。環境悪化が極度の水準までに達し、水のみ場争いになったら、話し合いで解決することはできません。武力争いになり戦争で勝った方が水のみ場確保するのです。
あなたがたは、戦争など一切しなくとも、現在のような高度の文明を持つことができたと考えますか。戦争は人類の文明発展そのための必要悪であったと考えられませんか。その必要悪の戦争のために幾多の民族がこの地球上から消えてゆきました。例え地球上から消えていなくても、もう民族としてのアイデンティティを無くしてしまった民族が現在でもいるのです。満州民族がそうです。チベット民族がその危機にさらされています。
したがって日本が侵略攻撃にさらされた時、戦争することは悪いことだと言って無抵抗で侵略されるという事がいかに危険であるか、いかに間違った考えであるかを理解していただけたと思います。歴史を振り返れば人類の存在するところ必ず戦争がありました。人類は戦争と共存してきたのが人類の歴史です。したがって私たちは「治に居て乱を忘れず」、いつでも戦争に対する備えをしなければならいことはおわかりでしょうか。
私たちの戦争に対する備えが日米安保条約です。日米安保条約が結ばれた時、あなた方の中のお年よりや朝日新聞のような左翼の連中は、日米安保条約は日本を戦争に巻き込むといって大反対しました。日本が戦後60年以上も戦争にまきこまれなかったのは、日米安保条約のお陰なのです。それをあなたがたは、日本の憲法が戦争放棄を規定しているからと主張するのです。そんなことを主張するのは世界であなたがただけです。なぜか人類の歴史を考えたら、あまりにも非現実的ですからです。
憲法に戦争放棄をうたえば、戦争に巻き込まれないならば、どこの国の憲法も戦争放棄をうたいますよ。あなたがたは、こと戦争に関しては情緒的、感情的にしか考えることができないのです。
第一次世界大戦が1918年に終わりました。それから23年後に世界第二次大戦が始まりました。そして1945年に第二次大戦が終わりました。第二次大戦が終わって今年で63年目です。もう60年以上世界大戦のような大規模の戦争は起こっておりません。また今にも世界大戦が起こるような気配もありません。局地戦争はあちこちで起こっていますが世界大戦のような大規模な戦争は起こっておりません。なぜでしょうか。
その理由は核兵器が抑止力になっているからです。大東亜戦争の時初めて原爆という核兵器が使われました。この時人類は、特に先進国の人たちは、核兵器の恐ろしさを知ったのです。もう世界大戦のような戦争を起こしたら人類の文明の破滅どころか人類そのものが破滅することを知ったからです。ケネディー大統領の時、あわや米ソ戦が始まるかと思われた時がありました。しかし戦争が回避されました。核兵器が戦争の抑止力になったからでした。
この核兵器に対しても、あなたがたは情緒的にまた感情的に捕らえるだけで、すなわち核兵器反対、核兵器反対と核兵器廃絶を唱えるだけで、現実的に論理的に決して捕らえようとしないのです。あなたがたは、戦後一貫して核兵器反対、核兵器廃絶を訴えてきました。しかし現実はどうでしょう。核保有国が増える一方です。なぜか。核を保有した方が外交上優位にたてるからです。北朝鮮を見て下さい。
現在の北朝鮮は、アフリカの貧乏国と同じで本来なら国際社会で発言権などないに等しい。しかし核兵器を持っているというので、大国アメリカと外交面で堂々とわたりあっています。あなたがたはこの現実をどう見ているのですか。なんにも感じないのですか。インドとパキスタンは、カシミールの領土問題で毎年のように軍事衝突を繰り返していました。両国が核兵器をもったら年中行事のような軍事衝突がなくなってしまいました。
日本を敵視している中国や北朝鮮は、核兵器を持っています。あなたがたは、この両国に対して危険性を感じないのですか。日本人が二度と核兵器の被害を受けないようにあなた方は、核兵器廃絶を訴えてきました。しかし実際には、核兵器廃絶どころか核兵器を所有する国が増えている現状です。それなのにあなたがたは、なぜもっと現実的な対処ができないのですか。現実的対処とは何か。
スイスは永世中立国として有名です。国民皆兵制度で永世中立国としての国策を守っています。そのスイスは、原爆被害者としての体験もないのに将来の核戦争にそなえて各地の山中に核シェルターを備えているのです。核兵器が落とされても、核シェルターの中にいれば最低6ヶ月間ぐらい地上に出なくても生活できるようになっているのです。
核兵器廃絶を訴えても核保有国が増える現状を考えたら、あなたがたは、なぜに日本でも核シェルターを持とうと提案しないのですか。日本民族が二度と原爆の被害を受けないように核廃絶を訴えているのではないのですか。日本の大都市では、地下鉄が縦横に走っています。その地下鉄建設の時には、国の費用で核シェルターを建設することを条件にしていたら今頃何十万も収容できる核シェルターが存在したでしょう。
現在は核兵器が戦争抑止力になって大戦争が起きていません。しかし核兵器を持つ国が増え続け、テロリストまで核兵器を持つようになったらいずれ大戦争が起きるでしょう。
その時、日本が例え戦争当事者でなくても被害はまぬかれません。日本民族全員生き残ることは無理でしょう。その時は、できるだけ沢山の若者を核シェルターに非難させ、私のような年寄りは犠牲なるべきです。スイスという国はそこまで考えて核シェルターを備えているのです。
ところがあなたがたは、どうですか。日本が核兵器を持つべきかどうか論じ合うことも反対、核シェルターを備える考えもない、ただ核兵器反対だけを唱えるだけ。毎年原爆慰霊祭の時、核廃絶を訴えてそれで終わりです。あとはなにもしません。大学生が学校を卒業して社会に飛び立ちます。その時現実の実社会に即応した生活をしていかず、感情論や情緒論だけで生活していたら人生の敗残者になってしまうことぐらいあなたがたは同意するでしょう。国の安全も現実を無視し、感情論や情緒論だけで考えていたら、これほど危険なことはありません。日本の近隣諸国の現実、世界の現実を直視して、戦争や核兵器に対してもっと現実にそくして論理的に考えてもらいたいものです。それともあなたがたは、すでに中国の謀略にはまっているのですか。
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