Archive for 5月, 2009

キリスト教弾圧成功が日本の植民地化を防いだ。



日本にキリスト教を布教するために、最初にやってきた宣教師は、カトリック教会のイェズス会に属する、スペイン人の宣教師フランシスコ・デ・ザビエルと彼の二人の修道士、コスモデ・トルレスとジョアン・
フェルナンデスの三人でした。 彼らは1549年の夏、鹿児島に入港した。当時日本では、キリスト教の教えや信者のことを、ポルトガル語のクリスタンからなまってキリシタンと呼ばれていました。 このイェズス会というのは、分かりやすく言えば、プロテスタントの始祖と言われるマルティン・ルッターの宗教改革がカトリック教会外部からの宗教改革なら、イェズス会はカトリック教会内部からの宗教改革と言えるでしょう。
イェズス会は1543年に設立され、創立者はイグナス・ロヨラで、ザビエルは七人の同士の一人でした。ポルトガル国王ジョアン三世によるインド布教の要請に応えて、ザビエルはインドに渡り1542年インドのゴアに到着し布教活動に入った。 布教活動中の1547年にマレー半島のマラッカで、ザビエルは池端弥次郎という一人の日本人に出会った。彼はこの池端弥次郎という 男に好印象を持ったのでしょう、弥次郎をインドのゴアに送り宗教教育を受けさせ、彼に洗礼を受けさせたのです。弥次郎は、日本人最初のキリスト教信者になった。
ザビエルは彼をともなって日本にやってきました。こうしてザビエルは、日本にキリスト教をもたらした最初の外国人宣教師として日本の歴史に記憶されることになったのです。 日本滞在三ヶ月目にザビエルは、最初の報告書をインドのゴアにいるイェズス会の人たちに出しています。その中に日本人についてこう書いています。
「この国民は自分たちがこれまでに接触してきた諸国民の中で最高に傑出した人々である。まだキリスト教化されていない国民で日本人ほど優秀な者はない。彼らは総体的に親しみやすく、善良で悪意がない。 驚くほど名誉心が強く、他の何ものに代えてもまず名誉を重んじる。 日本人は大概貧乏である。だが武士たると平民を問わず、貧乏を恥じだと思っている者は一人もいない」
「他のなにものに代えてもまず名誉を重んじる」などと言われると、現代の日本人に比べると、まるで違う人種のような気がするのは私一人だけではないでしょう。 ザビエルは布教活動しながら京都まで行きましたが、布教活動は順調にゆかず、日本滞在わずか二年三ヶ月にしてインドに帰り、後事を残ったトルレスやフェルナンデスに託したのでした。 残された人たちや新しく日本にやって来た宣教師たちの努力で布教活動も軌道に乗り、少しずつキリスト教信者が増えていきました。
それにはずみをつけたのが、大村純忠(すみただ)が日本最初のキリシタン大名になったことです。彼は熱心なキリスト教保護者になったばかりでなく、 彼の領地にある長崎の土地をイェズス会に寄進した。それまでポルトガル商船は平戸に出入りしていたのですが、こんどは長崎が貿易船の出入りの中心になり、またイェズス会の布教の中心にもなりました。
宣教師の数も1577年になると21人にもなり、修道士は30人になっていました。 キリシタンの数は1571年のイェズス会の報告によると、「日本におけるキリシタンの総数は約三万人、日本全体においてはキリシタンの数はおおいに増加している」と伝えています。 それが1579年の報告によると諸国に居住しているキリシタンは十万人内外であろうといわれるほどの数になっていたのです。この年イェズス会の巡察使アレッサンドロ・バリニャーノが日本の布教状況の視察にやってきた。
1581年にはバリニャーノは、京都に上って織田信長に会い歓待されてもいます。彼は三回巡察使として日本にやってきましたが、日本語が話せず、通訳はもっぱら1570年から布教にきているオルガンティーノ・ソルドに頼ったものと思われますが、そのオルガンティーノは度を越した日本礼賛をしています。ちょっと彼の言葉を聞いてみましょう。
「日本人は全世界でも最も賢明な国民に属しており、彼らは喜んで理性に従うので我ら一同よりはるかに優っている。我らの主が人類になにを伝え給うたかを見たいと思う者は、日本へ来さえすればよい。
彼らは不必要な事を外面の表情に表すことなく、はなはだ忍耐強く、 心の広い国民で、改悛は真摯にして信心深く、儀礼に大いに気を遣い、 交際において鄭重である」、さらにこうも言っているのです。
「ミヤコ(京都)こそはヨーロッパでいうならローマに当たる。この地の科学、見識、文明はローマよりもさらに高尚である。信仰のことはともかくとして、我らは日本人より顕著に劣っている。私は日本語がわかるようになってから、世界にかくも聡明で明敏な人々はいないと考えるに至った」
これはまたものすごい誉めようではありませんか。オルガンティーノが日本にすっかりほれこんでいるのがよくわかります。彼は38歳の時に日本に来たのですが、77歳で長崎で亡くなるまで39年間日本の地を離れなかったのも、わかるような気がします。彼にとって日本は天国のような国だったのでしょう。
1581年のイェズス会の報告には、 「本年日本にいるキリシタンの数は15万人内外、そのなかには豊後、有馬及び土佐のキリシタン王のほかにも、高貴な人で親戚および家来とともにキリシタンとなったものが多数いる。キリシタンの大部分は、下(しも)の地方有馬、大村、平戸、天草などにいて五島および壱岐の地にもキリシタンがあって、その数11万5千人にのぼる。豊後国には一万人、ミヤコの地方にも二万五千人いる。ただし五機内と称する国々および山口その他の地方に散在するものも、このなかに加算してある。 キリシタンのいる国々に大小あわせて二百の聖堂がある」
なぜキリスト教がこのように発展していったのか、いろいろな要員があげられるでしょうが、要約すれば三つの要因があげられるでしょう。
一つは信長が、キリスト教の布教を容認したこと。
二つ目は、ポルトガル船による貿易の利益を得ることができたこと。 多くの大名が布教を容認してポルトガル商船の入港を歓迎したのです。
三番目は、キリスト教の布教には必ずと言っていいほど医療救済が伴い、庶民が積極的に医療救済を求めたのです。
無論無料で行われたのでしょう。いくら無料でも医療技術が日本より水準が低ければ繁盛しないでしょう。宣教師たちの医療水準は高かったのではないかと思います。そして各地に大小の病院が建設されました。
1582年には、キリシタン大名の大友、大村、有馬の三氏は、十四、五歳の少年四人をローマ法王への使者としてローマに派遣するほどになったのです。 渡欧途中少年たちは、秀吉がキリシタン禁止令を出した一つの理由である多数の若い日本人男女が奴隷として売られ、みじめな仕事をさせられているのを見た。巡察使のバリヤーノがインドのゴアまで少年たちのお供をしたのですが、彼はヨーロッパ人種以外の人種について少年たちに次のように語っています。
「黒人は自然が作った畜生のようなもので、奴隷となるために生まれてきた」、「中南米には色のどす黒いきわめて下等な人種が多数いる」、 「インド人は身体の色が黒味を帯びているように精神も愚鈍」、
「畜類のような生活をしている全アジアの無限ともいうべき多くの種族、そしてこれら憐れむべき種族は、少数のヨーロッパ人の権力を仰ぎ、彼らを当然の支配者と考えている」
このようにヨーロッパ人の有色人種に対する差別の歴史は古いのです。少年たちがローマに向けて出発した同じ年に信長が亡くなりました。 その後を継いだのが秀吉です。信長急死後の後始末で秀吉は忙しかったせいもあるのでしょう、秀吉も信長と同じようにキリシタンの布教を容認していました。 ところが突然、1587年秀吉は、キリシタンの布教禁止、宣教師の国外追放を発表しました。発表の内容は次のようなものでした。
1.日本は神国であるからキリシタン国から邪教を伝えたのは、はなはだけしからぬ。
2.宣教師たちが諸国の人民をキリシタン化し、神社、仏閣を破壊するのは、みのがすわけにいかぬ。
3.それゆえに宣教師を日本に滞在させるわけにはゆかぬ。 今日から二十日の間に帰国せよ。 この期  間に宣教師に危害を加える者がいれば処罰する。
4.日本人奴隷の売買禁止。
5.大名や侍が領内の農民をキリシタンにすることを禁止。
7.牛馬を屠殺して食用に供することを禁ず。
8.商売のためにやってくる外国船は、今後とも長く続けてよい。
この秀吉の禁令に接し、当然その対策を考えたと思われる宣教師のルイス・フロイスは、 「秀吉殿はミヤコの大名たちと語るさい、宣教師を追放したのは、神仏に反対の説教をしたためであるとし、また多数の大名たちをその宗旨に引き入れ、日本において反乱をおこすおそれあることは、これまで何人も気づかなかったが、彼だけがこれを洞察したといって誇っている」と伝えています。
秀吉は大名たちをキリシタンに引き入れたあげく、反乱をおこさせ、国をうばおうとする魂胆があるのではないかと疑いの目でキリシタン布教を見ていたのでしょう。この秀吉の疑いの目を確信させる事件が起きたのです。1596年七百トンもあるスペイン船、サン・フェリペ号が、メキシコに向かう途中暴風雨にあい高知県の浦戸沖に漂着した。秀吉はすぐに部下を現地に派遣して取調べさせました。その時サン・フェリペ号の水先案内人、フランシスコ・デ・サンダがおもわぬ失言をしてしまったのです。 イェズス会の宣教師ルイス・デ・セルケラが伝えたところによると、
この水先案内人は、秀吉の部下に世界地図を見せて、スペインの領土の広大なことを自慢した。そしてどうしてそんなに領土を拡大したかと尋ねられると、わが国ではまず宣教師を派遣してその国の人にキリスト教を伝えておき、信者が相応の数になったとき軍隊をさしむけ、信者の内応をえて、たやすく目指す国土を征服すると答えたというのです。 これが秀吉に伝えられたのです。1587年に秀吉は、キリシタン禁止令や宣教師の国外追放を発令していました。しかしこの発令が厳しく施行されなかったので、イェズス会の宣教師は地下にもぐって伝道していました。
イェズス会ばかりでなく、スペイン政府を後ろ盾にしたフランシシスコ 会の宣教師がフィリピンからやってきて伝道するようになっていました。そこで秀吉は、サン・フェリペ号漂着の同じ年の暮れにフランシスコ会の6人の宣教師と日本人信者20人を長崎ではりつけの刑の処し、 やりでつき殺したのです。 これが日本最初の大殉教で、この26人の殉教者は、1862年、ときのローマ教皇によって聖人の位を受け、殉教の日は全世界カトリック教徒の祝祭日に定められました。 この大殉教の日からおよそ一年半後の1598年に秀吉は亡くなり、このキリシタンの問題は、徳川家康の江戸幕府に引き継がれます。
この大殉教は、ローマのカトリック教会本部や海外のカトリック教会に衝撃を与えましたが、逆に宣教師たちに禁教下にある日本に殉教覚悟の伝道に熱意をもえたぎらせる結果になったのです。 秀吉のあとを引き継いだ家康は、貿易のため多少のキリシタン布教はしょうがないという態度をとったのでキリシタンの数がさらに増えたのです。1605年には、全国で6、70万といわれるほどになったのです。
1612年のイェズス会の報告によると宣教師、修道士あわせて250人も全国に配置されているほどです。キリシタンが確実に日本社会に深く浸透していったことが分かります。 これに脅威を感じた家康には、オランダのオレンジ公マウリチウスが1610年家康あてに書いた手紙の中で、ポルトガル、スペインは宗教上の神聖をよそおって、実は日本国民をキリシタンにしたて、貴国を徐々に分裂させ、派閥を生ませ、内乱に導こうとしているというような情報も手に入っていました。
日本との貿易で遅れをとったオランダやイギリスは、布教とは無関係に貿易しようとあらゆる機会を通じてポルトガル、スペインの追い落としをはかり、キリシタンの影にひそむ両国の領土的野心を家康に忠告したのです。
家康はまた大阪城にいる秀吉の息子、秀頼とキリシタンの結びつきをも警戒しなければならず、1613年家康は、キリシタン禁止令を発布してキリシタン弾圧を始めました。 家康死後、秀忠の代になると弾圧は厳しさを増し、1622年には、外国人宣教師をはじめ、日本人信者、その家族ら老若男女あわせて55人のキリシタンを長崎で処刑、翌年には江戸でキリシタン50人を火あぶりの刑にしょしたというようにこれまでにない徹底した弾圧を加えたのです。
そして日本のキリシタン布教の息の根をとめたのが1637年の島原の乱です。もともとこの島原の乱は、領主の重税に対する農民の抗議でしたが、領地の天草、島原はもともとキリシタンの多いい地域で、農民にもキリシタンが沢山いたのです。
このため幕府は島原の乱をキリシタンの暴動とみなし、乱平定後もキリシタン弾圧は全国的に続けられ1636年には長崎のポルトガル人278人をマカオに追放、1639年にはポルトガル船の来航を禁止しました。 このためキリシタン布教は完全に下火になり、二度と弾圧前の隆盛に戻ることはなかったのです。江戸幕府は、弾圧に成功したのです。ヨーロッパでは、この時期の日本のキリシタン弾圧はよく知られています。 ヨーロッパ内では、新聞で日本特集を編集する時か、なにかの講演で日本が語られる時など色々な機会を利用して宣教師の迫害が語られ、日本人の残虐性の表れと非難するケースが多いいのです。
私はヨーロッパ人のこのような行為には別に驚きもしませんが、私が驚くのは、かなりの日本人がこのキリシタン弾圧を批判していることです。歴史書においてもたとえ弾圧を批判しなくとも、ことさら弾圧を強調したりするのです。ましてや私のようにキリシタン弾圧を正当化する歴史教科書は皆無と言っていいでしょう。
ではなぜ日本はキリシタン弾圧に成功したのでしょうか。それは信長、秀吉、家康の時代は、日本は軍事大国だったからです。当時の超大国と言えばスペインです。秀吉などは、そのスペインのフィリップ王に脅しの手紙を書いているくらいです。 江戸幕府が、外国人宣教師の入国をいくら厳しく禁止しても、死を覚悟の宣教師が、現在用語で言えば、密入国し、不法滞在して布教していたのです。密入国の宣教師たちを送り出す前線基地が、スペインの植民地であるフィりピンのマニラでした。このため江戸幕府はマニラへの遠征計画をたてたほどです。ところが島原の乱が起きてそれどこではなくなってしまったのです。
日本がキリスト教国にならずにすみ、またヨーロッパの植民地にならずにすむためには、弾圧のタイミングがちょうど良かったといえるのです。1560年、ポルトガル人によってインドのゴアに設けられた「死の収容所」には、ヒンズー教、イスラム教、仏教徒など「邪教」を信じる者が収容され、教会による拷問は苛酷を極めたと言われています。 16世紀から17世紀のはじめにかけて、宗教裁判によって殺されたゴアの住民は3800人にも上っていたのです。日本に来た宣教師は、こういう残酷なことをしなかったことは確かです。 それはザビエルをはじめ日本にきた宣教師たちが良い人だったからと考える人がいたら、それはあまりにも人が良すぎます。日本の政治体制がしっかりしていて、外国人宣教師たちが好き勝手なことができなかったからです。
キリシタン弾圧のタイミングを逸して、もし幕末にでも弾圧をしたらどうなったでしょうか。それこそキリシタンの信者はさらに増えていて、 弾圧するとすればヨーロッパ諸国が介入してくるでしょう。 その時日本は、ヨーロッパ諸国との軍事力の格差が広がりすぎていて、たちうちできなかったはずです。
だからキリシタンを弾圧するなら、日本がヨーロッパ諸国と互角にあるいは互角以上に戦える16世紀と17世紀の半ばぐらいの時期しかなかったのです。 中南米に住む人たちは、キリスト教を弾圧できないどころか、民族自身が弾圧されてしまったのです。そして現在の中南米では、自分たちの祖先弾圧に手を貸したカトリック教をまるで国教のように信仰しているのです。私から見れば実に哀れというほかはありません。
日露戦争の勝利が日本が植民地にならずにすんだと誰もが承知しています。しかし同時に16,7世紀にキリシタン弾圧に成功したことも、日本が植民地にならずすんだ原因の一つにあげてもおかしくありません。 それがどうして日本の歴史教科書に書かれることがないのか不思議でなりません。
日本でキリシタンの布教が活発に行われていたころ、見逃してはならないことは、神社、仏閣の破壊です。ローマ帝国でもキリスト教が国教になるとそれ以前の数百年にわたる多神教時代の多神教に関する建造物は、ことごとく破壊されています。 日本でもキリシタンによる神社、仏閣の破壊がありました。だから秀吉はキリシタン禁止令の理由の一つに「神社、仏閣の破壊は見逃すわけにはいかぬ」とあげているのです。不思議なことに日本の歴史書、特に歴史教科書にいたっては、日本のキリシタン弾圧は強調しますが、神社、仏閣の破壊行為についてはあまり振れようとはしません。
日本に初めてキリスト教が伝えられた当時の宣教師、ルイス・フロイスは、長年日本に滞在して「日本史」を書いたほどの日本通ですが、彼はその中で仏像を焼却するか首に縄をかけて町中に引き回し、教会で炊事の薪にしたと書いています。 いったん破壊されて数十年も経つと、記録にでも残されていないかぎり、そこになにが建っていたか忘れられてしまいます。例えば、 私は現地に行って実際には見ていませんが、雲仙の温泉地獄で幕府により改宗を迫られ、断固拒否して殺された30数名の神父とキリシタンについては石に刻んで記録に残し、大きな十字架を建てて観光客に訴えています。
そこから数百メートルの地点に温泉神社と真言宗の満明寺が存在しますが、双方とも当時神父やキリシタンにより破壊されてしまったことは現在どこにも記されていません。皮肉にも、唯一の史料はルイス・フロイス著「日本史」です。
第二部五十三章に「温泉神社や僧院、神仏像はキリシタン大名有馬晴信の改宗後、ことごとく破壊された」とあります。この例など記録に破壊されたことが記されているから、破壊後再建されたことがわかるのです。だから破壊されたまま、再建されることもなく消えてしまった神社、仏閣などがどれほどあったか想像つきません。
いずれにしてもキリシタン弾圧に成功したから、日本はキリスト教国になってヨーロッパの植民地になることを免れ、現在では世界遺産に指摘されるような神社、仏閣、そして世界遺産に指摘されなくても古い伝統ある神社、仏閣などを眺めることができるのです。
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私の心を捉えた三人の女優

ブログを開いて早くも半年過ぎました。その間毎週硬い話ばかり書いてきましたので、ここらでちょっと気分転換に話題を変えて書いてみました。私の年代の人たちは、みな若い頃映画ファンだったのではないでしょうか。映画産業が全盛期でしたからです。しかし年をとると大体映画を見なくなる傾向にあります。しかし私は違います。現在でも映画をよく見る方です。毎月一本は必ず見ますから、年間15本ぐらいの映画を見ています。
私の若い頃は、洋画が全盛期だったような気がします。あるいは洋画ファンだったからそう思うのかもしれません。日本映画にしろ洋画にしろ、昔は美人じゃないと女優なれません。そのため洋画でも美人女優がキラ星のごとく沢山いました。その中でも私が最も深く魅了されも、ものすごいファンになってしまったのがマリリン・モンローです。
数あるモンロー映画の中で、一番衝撃的で印象深い映画は、「七年目の浮気」です。彼女が29歳の時の作品です。まさに彼女の全盛期の素晴らしい肢体と魅力を思う存分見せ付けてくれました。映画のシーンの中で共演者の男優が、モンローを見た途端一瞬ボーっとする場面がありますが、私は映画の最初から最後までただモンローの動きに釘付けになり、ただボーっとして彼女の姿だけを追いかけていたような気がします。スクリーン上の彼女は、まるで動く大人の人形のように可愛らしく、魅力的で、その人形が人間の言葉をしゃべってくれる、その上その声がまたすばらしいので余計たまらなく魅力的になってくる感じでした。
スクリーン上の名場面は、共演の主役の男優と二人でお互い指一本で戯れながらピアノを弾く場面です。この時の彼女の生き生きとした無邪気で、モンロースマイルと言われる素晴らしい笑顔に、なんとも言えない魅力に圧倒されました。彼女の笑顔を讃えるモンロースマイルと言う言葉は、彼女の死後、心理学用語、すなわち学術用語になりました。モンロースマイルは少女たちの悲しい生い立ちを物がたる意味になったのです。事実、モンローには、悲しい生い立ちがありました。
彼女は生まれた時、母と娘たったふたりきりの母子家庭でした。彼女が7歳の時母親は精神病になり入院します。モンローは孤児院に預けられます。里親になりたい人たちがその孤児院に訪れ自分の気に入った子を養子として受け入れます。当時のアメリカ政府は里親になった夫婦には、ある一定の金銭を援助しました。その援助金目当てにわざわざ里親になる夫婦も多く、里親の中には人間的にあまり良くない人もいました。モンローは何組かの里親たちの間をたらいまわしのように預けられたと言われています。その環境があのモンロースマイルという素晴らしい笑顔を生む原因になったのだ。
すなわち親の愛情に恵まれない子どもほど周囲の大人に気にいられようと魅力的な笑顔を振りまく傾向があるというのです。そのため彼女の死後、モンロースマイルは、心理学用語になりました。彼女が16歳の若さで結婚したのも愛情ほしさのためだでしょう。20歳で離婚。軍需工場で女工として働いていた時、プロのカメラマンの目に留まり、モデルとして新しい人生のスタート。これから花形映画女優になるまでのモンローの私生活は決してきれいごとではすみません。自分の肉体美を有効に利用して花形映画スターへの道をのしあがっていたというしたたかな面を持ち合わせていたのも確かです。
彼女にとって不運だったのは、夫、元有名野球選手のディマジオとの間で二回流産を経験し、子どもが生めない女になってしまったことでしょう。薄幸な少女だった彼女は、幸せな親子関係の夢を描いていたからです。流産が彼女の運の分かれ目だったのではないでしょうか。その後ディマジオとも離婚、その後有名な脚本家と再婚したり、離婚したり私生活はにぎやかでした。モンローの私生活の中でも最も驚いたのは、暗殺されたケネディー大統領と不倫関係だったことが暗殺後暴露されたことでした。
モンローとの不倫関係が暴露された時、私はケネディー大統領への同情はなくなり、死んで当然のような気さえしました。ケネディーの父親は、禁酒法時代に密造酒で大儲けしたりして莫大な財産を一大で築き上げ、そのおかげでケネディーは、お金には何不自由なく育ち、大学卒業して海軍に入るまで、働いてお金を得た経験もないのです。除隊後も働く必要もなく、父親のお金で選挙運動して下院議員に、また父親のお金で大統領選に出馬、アメリカ史上最年少の43歳で大統領に当選。これだけでもケネディーは幸せ者です。それが大統領就任2,3年後には、あの世界の大女優モンローとの不倫関係が始まったのです。
これでは、私のような極貧育ちで貧乏サラリーマンにとって、ケネディーはあまりにも恵まれすぎです。これでケネディーが天寿を全うして死んだとなったら、あまりにも人生不公平です。人生よくしたものであまりにも恵まれすぎは、どこかで痛い目にあうものなのだ。ケネディーには暗殺されるという形で表れたのだ。モンローは、モンローで自分の肉体を有効に使ってのしあがってきた過去があります。大統領と関係を持つことほど強力な武器はないと彼女が考えたとしても無理はない。大統領暗殺後モンローは、弟のロバート・ケネディー司法長官と関係を持つたとも言われています。
モンローは結局36歳の若さで死ぬのですが、もうその頃には、精神科医、睡眠薬とアルコールづけの生活が続いて、撮影現場の彼女の遅刻癖は、常習犯になっていました。監督が彼女に役を与えるのが恐くなっているような状態で、彼女は役がもらえなくなっていました。それがまた睡眠薬とアルコールに拍車をかける悪循環に陥ってしまった。彼女の死は、過度のアルコールと過度の睡眠薬による事故死になっていますが、彼女はあの時死んで本当に良かったと思います。他殺死のうわさもあります。私は熱烈なファンですから他殺死関係の本を読みました、しかし他殺死は信じることはできません。
彼女はあのまま生き続けたら、役はもらえなくなりジリ貧に陥り、肉体美の衰え、そして結果的に母親と同じで精神病院に送られるということが充分想像できるからです。彼女には酷な言い方になりますが、彼女の死は惜しまれる死ではなく、彼女のためにも死んでよかったのではないかと思わせる死です。彼女の若すぎる死が、彼女の名声を永遠にしたのです。
日本人女優で最も私の心を捉えたのは、藤純子(ふじじゅんこ)です。若い人には藤純子って誰?ということになるでしょう。現在名前を変えて富司純子(ふじすみこ)の芸名でおばさん、ないし初老の女性役を演じています。それでもわからなければ寺島しのぶの母親といえば分かっていただけるでしょう。
私は30歳前後の頃、株式投資の勉強をしていて株に熱中していました。或る時、東映の株を買いました。そのとき株主優待券が手に入り、それを利用して見た映画が「緋牡丹博徒」(ひぼたんばくと)でした。この映画の女主人公「お竜さん」役を演じていたのが藤純子でした。
演歌や歌謡曲、フォークソングにしても決して名曲でもないのになぜあの時ヒットしたのかまったくわからない曲がときどきあります。映画にもあります。なぜあの作品がアカデミィー受賞なのか理解できない作品も多々あります。「緋牡丹博徒」(ひぼたんばくと)のお竜さんシリーズを全部見ましたが、映画そのものは、名作でもなんでもありません。「緋牡丹博徒」を見て、時には涙ぐむ時もありました。そんな時、「おれは、馬鹿じゃないのか、ヤクザ映画なんか見て涙ぐんだりして」と思ったりしたこともありました。
とにかく後年、もう一度ビデオで見たいと思うような作品ではありません。それでも人気が非常に高かったのは、お竜さん役を演じる藤純子のスクリーン上でのあのさっそうとした魅力でしょう。藤純子は、洋服より和服の方がよく似合うことは確かです。画面ではすべて和服でとおしています。ヤクザ映画ですから当然男性客が多いい。私を含めて男どもは、映画の内容より藤純子を見に映画館にやってくるのです。それでは藤純子の魅力とはなにか、これが説明するのがむずかしいのです。
私の独断と偏見で言わせてもらえば、藤純子の魅力は、映画の主人公、お竜さんこと矢野竜子という人物の魅力からきているのではないかと思うのです。時代設定は、明治から大正にかけてのヤクザの世界です。矢野竜子は、粋できれいな若い女渡世人です。女渡世人であるという孤独な影を背負っています。矢野竜子には恋人がいません。恋人ができかかっても、その恋人はヤクザに殺される筋立てになっています。普段は非常にしとやかで、礼儀正しく、品のある非常にやさしい女性です。とても渡世人には見えません。切った張ったの修羅場になると、映画「極道の妻」に出てくる女ヤクザのように大声をあげたり、下品な言葉は吐きません。時には目に涙を浮かべながらドスをふりまわし、あるいは頭にさしたかんざしを手裏剣がわりに使いながら、男どもバッタ、バッタとやっつけるのです。こういう矢野竜子という女性を藤純子は実に見事に演じているのです。
私には自分かってなきまりがあって、洋服には笑顔、着物には微笑みが似合うと決めています。現在の若い女性が、着物を着慣れていないから歩く姿がさまになっていないのはしかたがないことです。そのことをあえて非難するつもりはありません。しかし着物を着ているのに口を大きくあけてゲタゲタ大声で笑う女性ほど興ざめするものはありません。ついでだから言っておきますが、着物には白いタビがつきものです。真っ白さは清潔さを現します。彼氏が彼女の白いタビを脱がせたてあげた時、「汚ねぇ足首」が現われるほどムードをぶちこわすものはない。最高のムードが一瞬にして冷え込みます。女性は注意した方がよいと思います。
スクリーン上でたまに見せる藤純子の微笑みは、絶品です。当時の私は、これほど気品のある、また色気もあるすばらしい微笑みをもった女優がいるだろうかと思いました。現在、ビデオを見て同じように感じるかどうかわかりませんが、当時はそう思ったのです。とにかく当時、藤純子の人気はすごかった。お竜さんを演じた藤純子の数々のシーンが写真集として売られたくらいです。藤純子主演の女ヤクザ映画の盛りが過ぎた頃、彼女は結婚した。確か、結婚後だと思います。
藤純子(ふじじゅんこ)から富司純子(ふじすみこ)に名前を変えました。その理由は、私は知りません。しかし名前の変更は、私にはファンサービスと自分で解釈しています。なぜなら藤純子と富司純子を別人扱いできるからです。数年前、NHKの大河ドラマの中で年老いた尼さん役を演じていましたが、あれは年取った富司純子であって、藤純子とは別人と思いきることができるからです。かくしてさっそうたるお竜さんの藤純子は、そのイメージが損なわれることなく、これからもわたしの心のなかで生き続けることになるでしょう。
もう一人私の心を捉えた日本人女優がいます。私の心に強烈な印象をあたえながら、最近ではその印象がどんどん薄れてゆく女優。それは松坂慶子です。私が最初に強く惹かれたのは映画ではなく、テレビの歌番組です。彼女が主演していたドラマの主題歌「愛の水中歌」を歌っていました。それから彼女の映画やテレビドラマを見るようになりました。私は普段あまりテレビを見ませんが、彼女が出演するテレビドラマは、ちょくちょく見ていましたが、いまでは全く見なくなりました。
現在の彼女は、あいかわらずきれいですが、年齢と太りで全盛期の魅力がなくなってしまいました。彼女の容姿の全盛期は、1980年代でしょう。スタイル、顔、声、三拍子完全にそろっていました。私は日本のマリリン・モンローだと思っていました。この全盛期にコミカルな演技も上手な彼女で、日本版リメイクした「七年目の浮気」を映画製作したらきっとヒットするにちがいないと考えていましたが、実現しなかったのは残念でなりません。
私のような映画ファンで松坂慶子ファンにすれば、彼女にもう少し映画女優としてのこだわりを示してほしかったと思っています。吉永小百合を見て下さい。彼女は松坂慶子よりずっと年上です。映画女優としてのこだわりをもっています。テレビドラマなどにはめったに登場しないでしょう。
これはあくまでも松坂慶子の一ファンの想像ですが、彼女が映画女優としてのこだわりが持てなかったのは、彼女の夫、ジャズギタリストの稼ぎが少なかったからではないかと考えてしまうのです。気のせいか彼女に最初の娘が生まれてから、急にテレビ出演する機会が増えたような気がします。彼女が50歳の時、彼女のヘアー丸出しのヌード写真集が出版されました。相当なお金が彼女に支払われたのでしょう。
私は彼女の夫、ジャズギタリストに言ってやりたいね。男というものは、自分の女房が例え有名人であろうとなかろうと、自分の女房のヘアー丸出しのヌードなんか、いくら金を積まれても誰にも撮らせないものなのです。その亭主の反対を押し切って、ヌード写真を撮らせる女房なら、それはもう離婚ものです。松坂慶子にしてももう大女優になっているし、50歳にしてやることではありません。品性がなさすぎます。
ジャズギタリストでは、自分一人を養うことはできても、松坂慶子と二人の娘を高い生活水準で養うことはできません。その分彼女が働きまわらねばなりません。私みたいな他人にどう言われようと、夫婦円満であればそれで良いのですが、なまじ稼ぎのすくない男を夫に選んだため、松坂慶子というまれにみる逸材をテレビドラマなどで浪費したような気がしてなりません。彼女はいつの間にかテレビタレント化してしまったのだ。あの写真集事件以来、私の松坂慶子への関心が完全に薄れてしまいました。
その松坂慶子は、今年は賞づいています。NHK放送文化賞を受賞。さらに学術、芸能、スポーツに貢献した紫綬褒章まで受章です。中年女性50歳にしてヘアー丸出しヌード写真をとったことなど彼女の経歴の汚点になっていないのです。世の移り変わりほどはげしいものはありません。まさに時代が変わったのだ。私に言わせれば、松坂慶子がまさかポルノ女優に夢をあたえる女優になるなどとは想像すらしていませんでした。
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真正日本人 対 反日日本人

まず初めに緊急御知らせ。昨日NHKの偏向放送に反対するデモが渋谷で行われました。今月初めのNHKスペシャル「JAPANデビュー」のあまりにも激しい偏向放送に対して我々の日頃のNHKへの不満が一挙に爆発した感じでした。デモ参加者1,100人、組織化されていない一般デモとしては大変な数です。私は、これまでにいくつかのデモに参加していますが、昨日のデモは、最高に盛り上がったデモでした。
それでは本題に入ります
戦前までの日本には、ほとんど存在しなかったが、戦後に現れた新種の日本人がいます。その新種の日本人とは誰のことか。それは反日日本人のことです。戦前の日本の国家権力や権威は、現在の日本とは比較にならないほど高いものがありました。そして国民の愛国心も非常に高いものがありました。だから例え外国が日本批判しても、それに便乗して日本人が日本批判しようものなら多くの国民から国賊扱いされ、反日日本人が出現するすきがなかった。
しかし戦争で負けたため、日本国家の権力、権威を地に落ちてしまった。国民の強い愛国心もさめて弱くなりました。その間隙をつくように出現したのが反日日本人です。その反日日本人も終戦直後は、戦勝国の権力、権威にこびるのを主としていた。例えば横田喜三郎、当時東大法学部国際法主任教授は、東京裁判が開かれていて判決がまだ出ていない時に、東京裁判を肯定し、天皇制維持反対を書いた「戦争犯罪論」を出版しています。当時の日本占領軍最高司令官、マッカーサーを喜ばせたことは間違いない。
ところがこの二、三十年の間に反日日本人の質が悪質になった。外国の権力、権威に媚びるだけでなく、戦時中の日本が不名誉な事件を起こしたわけでもないのに、わざわざ不名誉な事件を捏造したり、あるいは史実を歪曲してまでも日本を貶め、外国に日本を批判させるのが流行とさえ言える有様です。「従軍慰安婦」事件はその代表的な事件です。吉田清治という一市民が、自分が朝鮮人女性を強制連行して「従軍慰安婦」にしたといううその本「私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行」を出版。朝日新聞は、この本の内容を何一つ検証することなく大々的に執拗に何度もとりあげ、吉田清治を英雄のように扱った。
日本を貶めることで生計を立てていると言われている人権屋で売国奴的弁護士の高木健一、戸塚悦朗、「従軍慰安婦」の専門家と言われた吉見義明、中央大学教授など反日日本人たちが目白押しにこの「従軍慰安婦」事件で活躍しています。この事件の詳細に興味ある方は、私の拙著「原爆正当化のアメリカと『従軍慰安婦』謝罪の日本」(展転社)を参照してください。
さらに自分の出世のために、日本の外交問題でも外国の主張を鵜呑みにして外国有利に発言したり、本を出版する学者まで続出していることです。2000年初め亡くなった井上清という歴史学者、京都大学名誉教授です。私は歴史に興味あるから言いますが、東大、京大などろくな歴史学者おりません。この井上も戦前は、文部省の仕事をしていたのが、戦後転向、共産主義者になり天皇制廃止を主張したり、元号を廃止して西暦を採用しろと主張したり、極め付きは彼が「尖閣列島――釣魚諸島の史的解明」を著したことです。釣魚諸島とは尖閣列島の中国式呼び名です。この本で井上は、尖閣列島は中国の領土だとはっきり書いたことです。中国は喜んだのは当然です。井上は北京大学に招かれています。
今年の2月23日、「竹島の日」の翌日の産経新聞によると、当日竹島が日本領であることを否定する内藤正中、島根大名誉教授の本「竹島=独島問題入門」の出版記念集会が竹島で開かれました。また知韓派の東京芸術大学教授が「勇気ある大学教授」ともちあげられソウル大学教授への就任が決まった例もあるとも書いています。
これまで述べてきた反日日本人を一言でいうと、実に人間性がいやしい。だってそうでしょう。史実を歪曲したり、史実になかったことをあったことにして自分の祖国を足げにしているのです。外交問題でも日本と外国の主張が違えば、日本人であれば日本政府の言い分を主張するのが、日本人としての常識でしょう。それを外国の主張に相乗りして日本批判して外国から歓迎される。私が怒りを感ずるのは、こういういやしい性格の持ち主の反日日本人が、大手を振って悪びれもせず平気で町を歩いていることです。今まで私たち真正日本人は、これら反日日本人を比較的寛容的な目で眺めていましたが、現在もうそんな余裕はありません。彼らとは決然とした対決姿勢を見せなければならない時期にきています。
保守の中には北朝鮮が日本に一発ミサイルをぶち込めば、日本は一変し即一致団結するという人がいますが、そんなことは決して起こりません。これからも日本を貶めたり、日本外交の足を引っ張る反日日本人の行動は弱まることはありません。なぜか、次のような二つの理由があるからです。
1.国家権力の著しい低下。
敗戦によって大日本帝国は、崩壊し、それと同時に日本の国家としての権力、権威が崩壊してしまいました。戦後のすごい経済発展で日本は国家としての威信は回復しましたが国家権力はほとんど回復していません、依然著しく低いままです。皆さんに質問があります。一体国家権力の根本とは何でしょうか。私は国家権力の根本とは、軍事力を掌握していることだと思います。大国であろうが小国であろうが、その国が自国の軍事力を自由自在に使えることが国家権力なのです。
現在の日本は自衛隊という軍事組織を持ちながら自由自在に使いこなせないのです。北朝鮮の拉致問題、これは北朝鮮に戦争をしかけて拉致された日本人を救うのが国の仕事なのです。それができない。自衛隊がなにかする度に米軍の協力が必要です。ソマリアの海賊防衛の自衛艦派遣すら国会の決議が必要なのです。国家の権力のなさは、自然に権威のなさにつながります。歴史を見て下さい。権力も権威もない国家は、必ず内部分裂します。現在の日本は、完全に分裂しています。
私たちのような真正日本人と反日日本人に分裂しています。真正日本人は、現在の日本国家にもっと権力をあたえて強固な日本にしようとするのに対して、反日日本人は、現在の弱い日本をさらに弱くして日本崩壊に導くか、あるいは自分の出世のために祖国を貶めるのに夢中になっているのです。
私たち真正日本人は、もう反日日本人に対する傍観的態度をとる余裕はありません。徹底的に敵視し対決していかなければなりません。昨日のNHKへのデモの参加者には、NHKに対する激しい敵視、対決がありました。
2.中国諜報機関の浸透
私たちは、現在中国諜報機関、すなわち中国のスパイ活動にあまりにも無警戒ではないでしょうか。北朝鮮にあれだけに数の日本人が拉致されているにもかかわらずいまだにスパイ防止法も国家反逆罪法も制定されていません。まさにうぶでバカでお人好し外交そのものです。
中国はアメリカも認めるスパイ大国です。中国に現在の共産党政権を誕生させるためにソ連のスターリンが莫大な資金と武器と大量の共産党スパイを中国に送り込んで毛沢東の共産党を助けています。毛沢東の共産党が政権とれなかった場合も考えて蒋介石の国民党をも援助しています。毛沢東の共産党は、自分のスパイを蒋介石の国民党にもぐり込ませ、蒋介石の国民党は、毛沢東の共産党に自分のスパイをもぐり込ませ、両方で激しいスパイ合戦、両方でスパイ狩り、そのための壮絶なスパイ拷問が行われました。
結局、毛沢東の共産党が勝って戦後、現在の共産党政権が誕生したのですが、その功績はスターリンの莫大な資金、武器、大量のスパイの援助です。莫大な資金と言っても見当つかないでしょうから、一つ数字をあげますと、昭和17(1940)年だけで現在のお金の換算すると450億円から500億円を中国共産党に支出しています。従ってこういう建国時の経歴を持つ現在の中国政府は、大量の資金と大量のスパイを日本に送り込んで、日本の保守層が望む強力な日本が誕生しないようあらゆるスパイ活動していることはまちがいありません。
昭和47(1972)年、当時の田中角栄首相が北京を訪問し、日中国交が正常化しました。田中首相が宿泊先の北京のホテルに一室に案内されました。その時田中と、同行した大平外相の二人がびっくりしたのは、部屋には田中首相の大好物のあんぱんと柿が用意してあったからです。戦後からそれまで日中国交が断絶していたも同然で民間の交流など全くありません。そんな時でも中国のスパイは、田中首相の個人的な嗜好物をさぐりあてていたのです。中国は日本のことはなんでも知っているぞという田中や大平に対する中国側の無言の圧力です。当時大平外相は、「ひょっとして日本に戻れないのでは」と危惧したというのです。
平成8年、自民党の橋本竜太郎が首相になりました。その橋本が首相在任中に中国の女性スパイと懇ろになった。一大スキャンダルになるはずでした。ところが週刊誌で少し騒がれただけで新聞紙上には全くと言っていいほど振れなかったのではないか。私は当時日経新聞を購読していたが、日経はなにも触れませんでした。産経は記事にしたのでしょうか。この時期中国のスパイ網は、すでに日本の主なマスコミ、朝日やNHKなどを掌中におさめていたと言えます。だから日本のマスコミは、事件を追及しようとはしなかったのです。
それにしても中国の女スパイがどうやって橋本首相に近づいていったのか。さすがと思わせるものがあります。首相さえ簡単に彼らの餌食になるくらいですから、多くの大臣や政治家が女スパイや金、俗に言われる中国のハニートラップにひっかかり弱みを握られているか想像はできます。
平成16年、上海の日本領事館の男性館員が女性関係を問題視され中国当局から日本の機密情報の提供を求められたのを苦にして遺書を残して自殺した。この時テレビのニュースでもちょっととりあげられた。当然のごとく中国政府は関与を否定。この男性館員は、完全に中国の女スパイにやられたのだ。しかし彼は、非常に良心的です。日本の機密情報を提供するかわりに遺書をのこして自分の命を絶ったからです。
北朝鮮の拉致事件や橋本首相の中国女性スパイのスキャンダル、上海の日本領事館男性館員の自殺事件などなど、スパイ防止法や国家反逆罪の制定の動きがあって当然なのに全くその気配さえありません。私は多くの保守系議員が、金ないし女のハニートラップにかかって中国に弱みを握られているのではと思っています。外交的には日本人はうぶでバカでお人よしです。中国の罠にはまるのは簡単です。
日本にとって非常に参考になる例があります。ソ連という国が健在のころドイツは、民主主義の西ドイツと共産主義の東ドイツに分かれていた。東ドイツには、ソ連の秘密警察ケージービーに匹敵するシュタージという秘密警察があった。去年ドイツ映画で、このシュタージの内容を描いた「善き人のためのソナタ」が公開されました。ソ連の崩壊とともに東ドイツ政府も崩壊してしまった。その時東ドイツの秘密警察シュタージの極秘ファイルが西ドイツ政府の手に渡りました。
西ドイツ政府は、その極秘ファイルを見て仰天した。あまりにも多くの有名、無名の西ドイツ国民がシュタージに協力していたからです。西ドイツ政府は、最初その極秘ファイルの内容を発表するつもりでした。しかしあまりにも多くの西ドイツ国民の協力ぶりを知って、もし内容を発表したら国内が騒乱状態になりかねないとして発表を中止してしまいました。
現在の日本を見て下さい。スパイ防止法もなければ国家反逆罪もない、政治家も国民も愛国心や国家意識が薄い、企業も自分の製品が最終的に軍事用に転売されようが全く気にしません。国民は外交的にうぶでバカでお人良しです。それこそ有名、無名、数え切れないほどの日本人が、中国の諜報機関に協力していることでしょう。最近我々真正日本人が仰天するNHKテレビ番組がありました。NHKスペシャル「JAPANデビュー」の一回目の放送は、日本と台湾の親密な関係にくさびを打ち込もうとする中国の意向をそのまま放送したものです。反日番組を制作スタッフは、もう完全に中国の意のままに動かされている証明です。
上記(1)(2)のため、反日日本人がなくなることは有り得ません。我々真正日本人の数より増えることはありませんが、ますます強力になりつつあります。反日日本人が日本のマスコミを握り、中国と韓国の支援を受けているからです。もう私たち真正日本人は、反日日本人に対して対決姿勢をとらなければなりません。先週書いた「中国との付き合い方」で振れました中国の「人口侵略」と、中国スパイ網による「情報侵略」、それに反日日本人が加わり、中国は「武力侵略」することなく日本を自国の裏庭のように支配することが可能になりつつあります。一日も早いスパイ防止法や国家反逆罪法の制定が望まれます。
一つ提案があります。真正保守なんという言葉を使うのは止めましょう。そのかわり真正日本人という言葉を広めましょう。反日日本人に心理的圧力を加えるため、反日日本人の対極する言葉として「真正日本人」をもっと広めましょう。
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中国との付き合い方

ならず者国家、北朝鮮と言われて久しい。そのならず者国家の親分にあたるのが中国です。この中国とどうつきあっていくのか、今後の日本のカギであることは間違いない。それでは中国とどう付き合っていくか。人と人のつきあいも、国と国のつきあいも、その付き合い方は、次の三つしかありません
1.できるだけつきあわない。
2.よく知っている知人程度につきあう。
3.親密につきあう。
(1)は、地理的に非常に近いし、国際貿易として日中両国お互いが必要としています。したがって(1)のつきあいか方は、非現実的なので除外の対象です。残るは(2)と(3)のつきあいかたになるのですが、私として推奨は(2)です。(3)は賛成できません。なぜか。理由は簡単です。中国は「うそ」の国であり日本は「誠」の国だからです。中国人のうそつきは天才です。なぜならうそをついたら、そのうそを50年でも100年でも平気でうそを言い続け、その間にうそのうわぬりをし、真実にしてしまうのです。勉強でもしないとそのうそを見抜けなくなってしまいます。
一方日本には、「至誠天に通ず」という言葉があります。日本人にはこちらが誠心誠意をつくせば相手が自分の気持ちを理解してくれるはずだと考えます。それでも最悪の場合こちらの気持ちが全く理解できないかもしれない、とここまでは考えることができます。しかし自分の誠心誠意が悪用されることまで考えが及ばないのです。だから私がいつも主張するうぶで、バカでお人好しの外交を繰り返すことになります。
このように「うそ」の民族と「誠」の民族が親密になると、まさに経済学用語とも言うべき「悪貨は良貨を駆逐する」の言葉通り、「うそ」の民族が得をし「誠」の民族が損することになっているからです。去年は日中平和有効条約が結ばれて30年目のふしめの年でした。日中平和友好条約が結ばれた当初は、中国の影響力が小さく1980年代は、日本経済の最盛期でした。
しかし日中関係が密接になればなるほど、得したのはどちらですか。中国でしょう。またその間日本は天文学的数字の経済援助をしてきました。損するのは日本ばかりでした。中国の経済力は伸び、世界への影響力が非常に高くなりました。一方日本は、日中関係が仲良くなればなるほど、経済力が衰え、世界での日本の影響力は、経済面でも以前より小さくなりつつあります。このように日中関係が親密度を増せば増すほど日本は損することになります。これはなにも経済関係だけにとどまりません。文化面でも日本は損することになるからです。
話は変わって日米関係を見てみましょう。戦前に較べて日米関係の親密度は、非常に深まりました。そのため文化面でも多分にアメリカないずされました。しかし日本の民族性や文化の根本までアメリカないずされることはありませんし、またその恐れもありません。なぜなら日米は距離的にも非常に遠いいし、民族は違う人種ですし、文化の類似性もなにもありません。従って日米の親密度が深まっても恐れることはありません。ましてやアメリカは民主主義国家です。
しかし日中関係は違います。日中間は距離的にも非常に近いし、民族的にも同じ人種で黙っていれば中国人だか日本人だかもわかりません。中国人が流暢な日本語を話せば、誰も日本人と思ってしまいます。文化の類似性もあります。ましてや中国は、共産主義国家です。日中間の親密度が増せば増すほど中国人がどっと日本に押し寄せてきます。人件費が日本の方が高いからよけいに日本にやってきます。
中国得意の人口侵略です。もうすでに日本への人口侵略が始まっています。満州は、中国人にとって毛外の地、すなわち万里の長城の外でした。日本が満州を開発し、発展したうえ治安が安定していたために、どっと中国人が移り住み、今では中国の領土です。満州人でも満州語を話す人がいなくなってしまいました。
チベットもウイグルも中国人がどっと押し寄せて住み着いて、女性は強制的に中国人と結婚させられてしまいます。中国語が話せないと公務員になれません。現在中国人は、ロシアのシベリア地方にどっと移り始めています。逆にシベリアに住むロシア人の人口が減り続けています。このためこれまで中国の兵器はほとんどロシアからの輸入でした。しかし最近ロシアは、長い中ロ国境をかかえ、特にシベリアでの中国人増加に敏感になっていて新兵器の中国輸出は完全に中止しています。中国の人口侵略への警戒です。
この人口侵略は、日本にとって非常に脅威です。なぜなら日本は、若年人口が急激に減っているからです。今年で15歳以下の子供の数は28年連続して低下しています。非常に危機的な段階です。経済規模が縮小します。現在の経済規模を維持しようとすると、日本の大学はますます外国人留学生を頼るようになり。企業も景気が良くなれば若い外国人労働者が必要になってきます。
私の主張は、例え経済規模が縮小しても、外国人、とくに中国人や韓国人をもうこれ以上日本に住ませるべきではありません。「日中間の有効が深まれば、それが世界平和につながる」などと美辞麗句を言う日本人は、日中間の親密度が深まれば自分がなんらかの形で得をするそのように主張しているだけの話です。
結局、中国との付き合い方は、(2)番目のよく知っている知人ていどの付き合いをする。これが最良です。しかしこれにも条件があります。その条件とはなにか。日本の軍事力を強化することです。現在の日中外交を見て下さい。中国側が完全に主導権を握っています。日本は中国側の意向に右往左往するだけ、いつもなんらかの譲歩で終わっていたり、中国側の行動にいらいらしながら見て見ないふりしているだけです。
なぜこういう事態になるのか、中国と日本では軍事力に差がありすぎるからです。手元にある数字を拾ってみましょう。日本の陸上自衛隊15万人、中国陸軍106万人、韓国陸軍56万人、核弾頭保有数、日本零、中国176発。日本の軍事予算、過去七年間連続して前年度の1パーセント削減。中国の軍事予算、10年連続10パーセント以上の増加。もう日本は中国の軍事力の前では赤子同然です。だから外交で日本には横柄に振舞えるわけです。もともと横柄な民族だから、外交もたちが悪い。それでいて日本は過去30年間に天文学的数字の経済援助をしてきたのです。
まさにうぶでバカでお人良し外交です。日本は日米軍事同盟があるから、日本に軍事力が中国と同等である必要はまったくないが、それにしても開きに差がありすぎます。日本の軍事力増強が日中の共存共栄を中国側に起こさせるのです。中国の崩壊も予想される現在、日本の防衛力強化は急務です。中国が崩壊すれば、難民がどっと押し寄せるでしょう。また日本在住の中国人は、家族を日本に呼び寄せるでしょう。これを押しとどめるには強力な軍事力が絶対に必要です。
現在不況中で、日本では年がら年中福祉、福祉と叫ばれています。福祉は選挙に響きます。政府もそれに答えようと福祉予算がふくらむ一方です。しかし福祉は、外交になにも役立ちません、日本の独立を守ることにも一切役立ません。
要するに結論は、日本は軍事力を増強し、中国とは「よく知っている知人」程度のつきあいをすること、決して親密なつきあいをしないこと。ましてや中国人留学生や労働者を大量に受け入れるのは、日本の消滅の始まりになります。不法滞在中国人は、どしどし本国に強制送還させねばなりません。
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現実を直視せよ

人間一人一人に長所や短所があるように、民族にも長所や短所があります。長所短所は、紙一重というように、長所が短所になる場合もあるし短所が長所になる場合もあります。例えば、日本民族の特徴の一つとも言うべき「空気を読む」は、長所になる場合もあるし短所になる場合もあります。先週の「日本の知識人は、バカやアホが多いい」で知識人の欠陥である「現実を直視しない」は、日本国民の欠陥でもあります。欠陥は欠陥であって、短所のように長所になる場合は決してありません。日本民族は、「現実を直視しない」というよりむしろ「現実を直視できない」と言った方が適切ではないかと私は考えてしまいます。
すぐに例として浮かぶのが、数百人も北朝鮮に拉致されているにもかかわらず、スパイ防止法や国家反逆罪などがいまだに制定されていないことです。これすなわち現実を直視できないことではないでしょうか。
そこで今回は、私たちが無意識のうちに現実を直視せず、そのため遅れをとってしまったケースとこれまで「現実を直視せず」ほったらかしにしているため、今後の日本の致命傷になりかねないケース、この二つのケースを取り上げて説明してみました。
1.がん治療面での遅れ
昨年だか一昨年だったか、NHKテレビで「がん特集」の番組が数日連続して放送されました。その時テレビで、がん治療の面で日本はアメリカより遅れをとっている実態が示されました。がん治療で一番難しいのいは、抗がん剤を使いこなす技術です。患者の年齢、性別、病状、体質などで抗がん剤の使用方法が違ってきます。また複数の抗がん剤を混ぜ合わせて使用する場合はさらに難しくなります。この抗がん剤を使いこなす内科医のことを腫瘍内科医と呼んでいますが、この腫瘍内科医の数をアメリカと比較すると日本の腫瘍内科医の数が少ない。
アメリカの人口は、日本の倍以上ありますから日本の方が少なくて当然なのですが、人口比較を考慮に入れても日本の方がはるかに少ない。さらにがん患者を専門に扱う看護師の数になるとアメリカと比較して、日本の数は極端に少ないのです。NHKテレビではその原因を説明しませんでした。私はこの原因は、数十年前の日米のがん告知率の問題だと考えています。今でこそガンでも早期発見なら治るというのが常識になっていますから、「私はがんです」と平気で言っている人がざらにいます。
しかしいまから30―40年前は、ガンは不治の病、すなわち死の病でした。私の母は、いまから35,6年前、55歳で胃がんの手術をうけました。しかしこの時父の命令で母にはガン告知はしておりません。現在は早期発見だったら手術すれば直りますと医者はいえますが、当時は例え早期発見でも、直りますとは言えなかったのです。だからガン宣告は、すなわち遅かれ早かれ死を意味していました。この時日米で顕著に現れたのはがん告知率の差でした。
日本民族はやさしいし、情緒的です。自分の妻、両親、などの肉親に「あなたは、肺がんになっています。しかしなおす薬はない、だから余命は早くて半年後、あるいは長くて1年後です」と医者が言っていますなどとて言えません。私の母の場合は、胃に潰瘍ができているとごまかしました。かわいそうだとか不憫だとかという種々の私情がからんで現実を直視できないのです。
ところがアメリカ人は違いました。よっぽど前もって家族からの依頼がなければ、医者は平然と患者に告知し、病状をはっきり説明します。そうしないと後で法的に訴えられる恐れも当然あったでしょう。告知された患者は、動転して自殺した人もいるでしょう。この頃の日米の告知率の差は、もう忘れてしまいましたが、多分50パーセントぐらいの差があったのではないでしょうか。アメリカの告知率80パーセントぐらいだと日本の告知率30パーセントぐらい、アメリカの告知率が70パーセントだったら日本は20パーセントぐらいの感じじゃなかったでしょうか。
これだけの告知率に差があると仮定して、二人の30代前半の若い内科医、一人はアメリカ人医師がもう一人は日本人医師がそれぞれニューヨークの病院と東京の病院に勤務したことを想像してください
アメリカ人医師は、自分の患者にがん患者を発見すると、すぐに告知して抗がん剤を使えますから、抗がん剤を使いこなす技術と経験を積むことができます。いずれ一人前の腫瘍内科医になれるでしょう。すぐに告知できますからガン患者ばかり集めた入院病棟、すなわちガン病棟できます。従ってガン患者専門の看護師が育ちやすい環境ができあがります。
一方東京の病院に勤務している日本人内科医は、自分の患者にがん患者が出ても告知ができません。従って抗がん剤が自由に使えないのです。抗がん剤を使ったら副作用が大きいから患者に自分は、がんではないかと疑われるからです。したがって抗がん剤を自由自在に使えない、従ってなかなか腫瘍内科医になれる経験を積むことができません。がん告知されていませんから、患者はがん患者ばかり集まっている部屋に入院させることはできません。結局一般病棟ということになり、がん患者専門看護師が育つ環境にはめぐまれません。
告知率低さの弊害は、これだけではありません。がん治療を促進するためには、がん新薬がどんどん開発されなければなりません。その新薬開発には、患者の協力がかかせません。製薬会社は、新薬を開発するために臨床試験、すなわち人体実験をしなければなりません。肺がんの新薬だったら、肺がん患者の人体実験でくすりの有効性をたしかめなければなりません。そこで肺がん患者に実験の応募者を募ります。特に末期ガンの患者、治療がはかどらない患者などはわらをも掴む気持ち応募します。こうして実際のがん患者の人体実験をとうして新薬が開発されます。
ところが告知率が低いと実際はガン患者が多いいのですけど、自分がガンと認識していないから人体実験の応募者が少なくなってしまいます。だから昔の抗がん剤は、輸入物がほとんどでした。現在でも輸入ものの抗がん剤の方が多いいのではないでしょうか。
私の母は、その後大腸がん、喉頭がんなど患って死にましたが。最後まで母にはガンを告知しませんでした。母はすでに自分はガンであることを察知していたかもしれません。しかし家族はなにも言わないから自分も知らないふりをするというきわめて日本的なあいまいさで病のかたをつけたような気がしてなりません。つらいけれども現実を直視して、対策をとり、母を含めて家族全員でガンにむきあっていくのが大切のような気がします。
がん患者は、他の病を併発せず、単にがんだけで死ぬ場合は、最後の息を引き取るまで意識があるといいます。告知率の高かったアメリカは、早くから末期ガンの患者を沢山かかえていましたから、末期ガン患者が平穏に安らかな死をむかえられるようホスピスという施設がアメリカから先に実現したことは当然のような気がします。
2.日本国憲法
戦後アメリカ占領軍が作った日本国憲法が施行されていらい62年たちました。また日本が独立を回復してから57年たちました。独立回復以来アメリカ占領軍が作った憲法が、廃棄されるどころか一つも改正されることもなく、100パーセントそのまま今でも使われているのは、世界の珍事の一つでしょう。
現行憲法の原文は英文ですよ、それだけでも誇りの高い私などは不愉快になります。とっくの昔に現行憲法を廃棄すべきだったと考えています。仮に一歩も百歩も譲って現行憲法を使うにしても当然改正すべきだったのです。皆さん、現実を直視してくださいよ。現在の近隣諸国の状況を直視してください。
北朝鮮は、200人以上とも400人以上とも言われる日本人を拉致し、日本列島の上空を核実験場にし、韓国は竹島を日本から略奪し、ミサイルを持っています。中国はミサイルも核兵器も所有、尖閣諸島の領有権を主張、日本の領海から石油を盗掘、ロシアは北方四島を日本から略奪、ミサイルも核兵器も所有、こういう現状の下に日本国憲法は日本に丸腰を要求しているのです。現在の日本は自衛隊がありますから、日本自体丸腰ではありません。しかし憲法で丸腰を明示しているため、自衛隊は「専守防衛」になっているのです。攻撃は最大の防御と言います。「専守防衛」で戦争に勝てますか。現実を直視してくださいよ。
このような近隣状勢であるにもかかわらず、国民が現行憲法「廃棄」あるいは「改正」で大騒ぎにならないのが不思議でならないのです。やはり日本民族は、「現実を直視できない」民族と考えるしかありません。
戦前の憲法は、「大日本帝国憲法」すなわち明治憲法を使っていました。この憲法にも致命的欠陥がありました。明治憲法には、首相の規定がないのです。改正すべきところを「不磨の大典」と呼ばれ改正すらできずに日本は、破局を迎えてしまいました。今度の憲法も致命的な欠陥がありながら、「不磨の大典」にしてしまったらこのまままた日本は破局に向かってしまう恐れがあるのが感じとれないのですか。
民主主義国家では、憲法は数年に最低一度ぐらいは手入れをします。人間のすることに完全はないし、時代が変われば憲法の内容とずれが出るのも当然だからです。アメリカ占領軍は、日本の憲法を作りましたが、ドイツの憲法も作っています。そのドイツは憲法の改正51回、徴兵制度まで導入されました。51回も改正すればドイツ人が作った憲法も同然。日本は改正まったくなし。日本人は憲法と実社会とではとっくにずれが出てきているのに改正もせず、平然としていられるのは、法事国家の国民と言えるのでしょうか。
明治憲法は明治政府が作りました。日本最初の首相になった伊藤博文が、プロイセンの憲法を下地にしてつくったも同然です。現行憲法はアメリカ占領軍がつくりました。いまだかって日本国民は、自分たちが作った憲法はないのです。この際現行憲法を廃棄して我々国民の手で新憲法を作ろうではありませんか。
憲法廃棄ないし憲法改正に反対する方々、「理想は大事だが、現実はもっと大事なのです」このぐらいのことわからないのですか。わからなければ、バカは死ななきゃ治らないといいますから、早く死んでください。あなたがたほど日本にとって危険な存在はありません。
私が最初に触れましたように日本人は「現実を直視しない」ではなくて「現実を直視できない」民族のような気がしてなりません。現実を直視して自分に都合が悪いと、「見て見ぬふり」をするのです。日光、東照宮の三匹の猿の彫刻。目に手をあて、口に手をあて、耳に手をあて、見まい、言うまい、聞くまいの猿の彫刻は、現実直視を嫌う日本民族を象徴するような彫刻ではないでしょうか。
どなたか私の主張を論破してください、いや、日本民族は現実を直視できますよ、これこれこういう事例がありますよと説明してくれればこれほどうれしいことはありません。いずれにしても、憲法が時代に合わなくなってからもう何十年も経っています。そのため日本外交がとれる政策の足かせになっています。
このまま改正もなにもしないでぐずぐずしていると、いずれ日本は混乱状態で改正しなければならなくなります。改正反対派の皆さん、どうぞ現実を直視してください。
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