Archive for 12月, 2009

「ある明治人の記録」



今年も自殺者3万人を越え12年連続3万人を越える自殺者数になり、日本が自殺大国の地位を守り続けている事になります。現在の日本は、世界的にみてそんなに暮らしにくい国なのでしょうか。私には全く理解できません。日本人がひ弱な民族になっている証明の一つではないのか。世間で自殺対策と考えられているのは、経済的援助とカウンセラーの充実だけ。精神的に強い人間を育てるにはどうすべきかなどという観点など考えないのだ。
そこで今回、参考になるかどうかわかりませんが、現在自殺を考えている若い人、あるいは現在非常に苦しい生活をしいられている若い人にはぜひ読んで欲しい本を紹介します。それは、石光真人編著「ある明治人の記録」(会津人柴五郎の遺書)です。中公新書なので全部で162頁の薄い本です。読書のきらいな人でも読みやすいでしょう。編者、石光真人の父、石光真清(まきよ)は、満州、シベリアの諜報活動に一生をささげた人物で膨大な手記を残している。息子の真人は、父の記録を整理し「石光真清の手記」を出版、これがNHKでテレビドラマ化されました。
「ある明治人の記録」の主人公、柴五郎は、私のブログ、「男の涙」(9月13日)でちょっと登場させています。彼は、大東亜戦争終結の年の12月に87歳で亡くなっています。死の三年前に彼の遺書が石光真人に手渡され、石光はその後数回柴五郎に会い直接話しを聞いて、彼の遺書に補足したりして読みやすく書いたのがこの本である。柴五郎は、会津生まれ、上級武士の五男であった。五郎の少年時代の体験はすざまじいの一言だ。私は終戦後7歳、小学校一年でした。そのころの体験もすさまじいから自著「ある凡人の自叙伝」に書いたが、考えてみれば年をとってなんのてらいもなく子供の頃の苦労を書けるというのは、たいした苦労ではないのだ、かえって読む人にとっては「俺はこういう苦労をしてきたのだ」と自慢話と受け取られる可能性もある。しかし五郎のようなものすごい悲惨な体験をすると、その悲惨さがあまりにも強烈なため思い出すことさえも拒否するようになるのでしょう。五郎が死ぬ三年前に遺書として子どものころの体験を初めて語ったという心境を多少苦労の苦の字ぐらい体験した私には理解できます。
会津戦争の時、柴五郎は10歳であった。柴家の血筋を絶やさないために母にだまされるようにして大叔母の家にあずけられ辛うじて死に遅れた。会津の鶴ヶ城攻防戦のさなか祖母、母、姉、七歳の妹まで自ら刃に伏した。後年柴五郎は、この時の様子を書き残そうとしているのですが、もう涙、涙で涙があふれて書くことができず、とうとう80歳を過ぎてしまったと書いていますが、わかりますねぇ。戦場で生き残った父と二人の兄と一緒に俘虜になり東京に送られ、解放後しばらく下僕としては働き、会津藩の下北半島移封とともに父、兄夫婦らといっしょにかの地に移った。下北半島の生活は悲惨だった。特に冬は、「餓死、凍死を免るるが精一杯なり」と記している。
早春の日、撃たれた犬の死骸をもらいうけ、柴五郎らは二十日間、これを食し続ける。住む家とてなく、いわんや塩、醤油があるわけではない。味付けなしの犬肉は最後には喉を通らなくなる。その時、父は五郎を叱った。
「武士の子たることを忘れしか。戦場にありて兵糧なければ、犬猫なりともこれを喰らいて戦うものだ。ことに今回は賊軍に追われて辺地にきたれるなり。会津の武士ども餓死して果てたるよと、薩長の下郎どもに笑わるるは、後の世までの恥辱なり」
十歳を超えたばかりの五郎は、歯を食いしばっての呑み下し、飢餓を乗り切った。
柴五郎に幸運がめぐってきた。ある人のつてで15歳の時に陸軍幼年学校に入学できたのだ。「余の生涯における最良の日」と記しています。衣食住の悩みから解放されるからです。五郎在学中の明治10年に西南戦争が起きた。西南戦争と聞いて五郎兄弟たちの喜びようがすごい。まさに敵討ちができる思いがかなうからだ。ところが五郎は在学中のため西南戦争に参加できず、兄たちが参加し無事帰還しています。西郷隆盛、大久保利通の非業の死も五郎は一切同情を感じていません。会津藩士の恨みとして当然でしょう。柴五郎が国際的に名を馳せたのは、明治33年の時に起きた北清事変(義和団の乱)です。この時柴五郎は北京の駐在武官であった。彼は日本軍の指揮をとり欧米列強の称賛を勝ち得たのだ。ところで五郎より一つ上の兄、四郎は、政治小説「佳人之奇遇」を書いた東海散士である。
柴五郎が生き抜くことができた精神的背景、すなわちバックボーンには武士道があることです。非常に辛い目に会った時、そこを生き抜くためには精神的に頼りにするバックボーンが必要ではないのではないでしょうか。前に触れましたが終戦後私は7歳、そのとき父は医者から見はなされていたほどの重病だった。終戦後の混乱した時代、母は夫の面倒見ながら私と妹二人を養うために獅子奮迅の働きをした。私は体が虚弱体質で中学校の時には、持病のある体の弱い者ばかりを集めたクラスにいれられた。それでも母の働きぶりをみて「負けてたまるかぁ!」、この言葉が私の一生のバックボーンになった。なにかつらい時、がんばらねばならない時、自然と「負けてたまるかぁ!」という気持ちがわいてきた。子どもの時に実生活で鍛えられたのだ。
しかし現在は子どもが実生活で鍛えられることがない平和な時代だ、だからこそ学校生活で精神面を鍛えておかなければいけないのではないでしょうか。ところが実際は過保護教育の一点ばりだ。日本には武士道というすばらしいものがある。武士道の精神を教えて男女とも精神的に強い日本人を育てる。これほどの自殺者が多く出ても精神的に鍛えようという考えすら出てこないのだ。
私は現在の若い人たちに言いたい。個人の艱難辛苦に埋没してしまい自殺するのではあまりにも情けない、それを乗り越えて生き抜くことに人生の意義を見いだしてほしい。古い言葉に「若い時の苦労は、金を出しても買え」という言葉があります。まさにこの言葉は名言です。なぜなら人間というものは、若い時期の経験から最も大きな教訓を学ぶと言われているからです。私も苦労して鍛えられた。今思い出しても若い時苦労してよかったとつくづく思う。これは負け惜しみでもなんでもない。心底そう思うのだ。だから若い諸君が苦労で打ちのめされそうになっても、まさに天が自分に与えた試練と堂々と立ち向かってほしい。ましてや妻子を残しての自殺など日本男子のやるべきことではありません。そんな男は最低、同情すべきではありません。この本を読んでもらって少しでも感じることがあったら幸いです。
お知らせ:
このブログを開いて一年目の10月末にも書きましたが、今回をもって毎週日曜日に更新してきたブログを終了とさせて頂きます。週刊誌のコラムを持ったような気分で毎週日曜日に更新してちょうど一年二ヶ月です。私にとっては非常に貴重な体験でした。このブログの毎週更新終了の主な理由は、やはりなんと言っても読書量の激減です。読書は、私にとって知識吸収の供給源です。それだけに読書量の激減は、今後の私にとっても致命傷です。まだまだ勉強しなければならい身です。しかしこのブログを完全に止めるわけではありません。毎週日曜日の更新をやめるだけです。
これから一月間の休み後、一月末ぐらいから毎月一回のブログ記事を提供しようかなと考えております。また同時にこれまでFC2のブログを利用してきましたが、今度は私専用のブログを開こうかなとも考えております。いずれにしましても来月末までには、このFC2のブログ上で結論をお知らせいたします。それでは皆様、一年と二ヶ月という長い間ご愛読していただきまして誠に有難うございました。皆様来年も良いお年をお迎えください。今後ともよろしく御願い申しあげます。

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和の文化

西暦604年、日本最初の憲法、憲法17条が制定されました。その第一条の冒頭の文句はあまりにも有名です。その冒頭にはこう記されている。「和をもって貴しとなし」となっています。
このあとにも文章は続くのですが、この冒頭の文句は、日本の「和」の文化を象徴するものとして超有名なので、あとの文章は知らなくても、この文句だけは覚えている人が圧倒的に多いいのではないでしょうか。
それでは第一条全体の文章は、どう書かれているのか、現代文に訳されているものを見てみましょう。
第一条
「お互いの心がやわらいで協力することが尊いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが基本的態度でなければならない。ところが人にはそれぞれ党派心があって、大局を見通しているものは少ない。だから、主君や父に従わず、あるいは近隣の人々と争いを起こすようになる。しかしながら、人々が上も下も和らぎ、睦まじく話し合いができるなら、事柄はおのずから道理にかない、なにごとも成し遂げられないことはない。」
第十七条は、この第一条とも関連しているので全文を見て見ましょう。
「重大な事柄は一人で決定してはならない。必ず多くの人々とともに論議すべきである。小さな事柄はたいしたことはないから、必ずしも多くの人々と相談する必要はない。ただ、重要な事柄を議論するに当たっては、あるいはもしくは過失がありやしないかという疑いがある。だから多くの人々とともに論じ、是非をわきまえていくならば、その言葉が道理にかなうようになるのである。」
現在の日本社会でも7世紀初めに制定された憲法17条の1条と17条の理念、すなわち話し合い至上主義がまだ生きていることがわかります。話し合い至上主義は、民主主義のことだから、この時代に日本は民主主義だったのだと早合点してはいけません。故山本七平氏は面白い例を紹介しています。
宿題を忘れた生徒は教壇の前で裸にならなければいけないというルールを全員一致でつくって、第一回の適用で女の子が裸にされた。これはいいことなのでしょうか、悪いことなのでしょうか。
悪いことに決まっているのですが、どこが悪いのでしょうか、ということで先生がたが話しあったのですが、先生がたはどこが悪いのかということがはっきり言うことができなかった。
話し合い至上主義は、話し合いで決めたことは、すべて正しいことになってしまうから、先生方はどこが悪いのか判らなくなってしまうのです。民主主義は、キリスト教をバックボーンにしてできあがっています。キリスト教によると人間は神様によって作られたことになっています。神様によって作られた人間なんだから基本的な人権はあるはずだと考えます。だからいくら全員一致で決めたことでも、基本的人権は侵してはならないというルールができてくるわけです。話し合い至上主義は、決して民主主義ではないということをわかっていただけるのではないでしょうか。
現在では外国でも、日本は「和」を大事にする国であるという認識は広まっていますが、その「和」を大事にすることが今からほぼ1400年前の日本最初の憲法、その第一条に記載されていることまで知っているのは極端に少ないでしょう。日本人は「和」の大切さを憲法の条文だけで終わらすことなく、数百年かけて日本人は、一人一人が「和」の大切さを無意識に感じ、また「和」を保つための行動が無意識のうちにとれるという世界でも貴重な「和」の文化を完成させたのです。
それでは日本人が和を保つために無意識のうちにとれるようになった行動とは、どんな行動をいうのでしょうか。自己主張を強くしないこと、対立を避けること、気配りをすること、すぐ謝ることなど色々考えられますが、そういうものをひっくるめて一言で言い表すならそれは、「自己犠牲」をはらうという行動だと思います。日本人は、集団の「和」を保つために一人ひとりが無意識のうちに「自己犠牲」を払っているのです。
自己犠牲と言っても武士の切腹のような大きな「自己犠牲」ではなく小さな「自己犠牲」です。日本人は集団の和を保つために一生のうちいくつもの小さな「自己犠牲」を無意識のうちに払っているのです。この無意識のうちにと言うのが文化の良さでもあり恐ろしさでもあるのです。
それではその小さな「自己犠牲」とは、無数にあると思うのですが、具体的に説明するために二つの例を挙げてみました。
一つの例は、日本人はすぐ謝ることです。自分が犯した罪に対して謝るのは当然としても、日常生活用語のようにすぐ「すいません」という言葉が出てきます。これは無意識のうちに相手に対して敵対関係にありませんよと、すこしでも相手の気持ちを楽にしてあげようとするためにはらう小さな「自己犠牲」と言えるのではないでしょうか。
二つ目は私の友人の話です。彼の家の隣に80歳を過ぎたおばあさんが一人住んでいます。彼女は猫が好きですが、自分の家では飼っていません。おばあさんのご主人が数年前に亡くなってしばらくしてから、彼女は自分の家に近づく野良猫にえさをやり始めたのです。それからは彼女の家のまわりに5,6匹の野良猫がたむろするようになったのです。そのため友人の家の庭は、猫の糞の被害を時々受けるようになったのです。
友人は、おばあさんに文句を言って、野良猫にエサをあげるのをやめさせたいのですが、彼女は一人住まいで寂しい思いをしているのだろうと同情を感じるし、また彼女のご主人が生存していたころから隣組同士の関係が良好なので、あえて文句を言ってお互い気まずい関係になるのもいやだしということで我慢しながら猫の糞をかたずけています。この程度の糞ならがまんできると友人は自分で決めているのです。この友人の行為は、対人関係のきまずさを避けるための自己犠牲と言っていいのではないでしょうか。ところが友人は自己犠牲などとおおげさに考えずほとんど無意識に行っているのです。このように日本人は、一人ひとりが色々な時に、色々な場所で対人関係では、気まずい思いをせず「和」を保てるように無意識に自己犠牲を払ってきたのではないでしょうか。
「和」を保つために無意識のうちに小さな「自己犠牲」を行うことが、日本社会独特の「居心地の良さ」を生んでいるのだと思います。国連や世界銀行などに勤める外国人は、定年退職すると多くの外国人はそのまま勤務地ないし勤務地が所在する国に住み続ける人が多いいと言われていますが、日本人の定年退職者の多くが日本に帰国するとも言われています。いくら外国に住み慣れてもやはり日本に帰りたくなるのは、和の文化によるこの「居心地の良さ」が原因だと思います。
日本が「自己犠牲」なら日本以外のほとんどの外国は「自己主張」です。この自己主張に対する日本人の考え方を語っている古い文献があります。それは、万葉集の歌集の中にあります。
「葦原(あしはら)の瑞穂(みずほ)の国は、神ながら 言挙げせぬ国 然れども 言挙げぞ我がする」
葦(あし)とはイネ科の植物で、瑞穂(みずほ)というのはみずみずしいイネの穂のことです。葦原の瑞穂の国と言うのは日本のことです。要するに稲作という言葉が同時に日本という国の意味になっているのです。数十年前、おコメの輸入自由化が日米間の貿易摩擦になりました。日本政府は、おコメの輸入自由化に必死に抵抗しました。その時ある政治家だか役人だかが「おコメは日本の文化だ」と言っていました。
たしかに万葉の時代から日本は「瑞穂の国」と言われていたことを考えれば、おコメは日本の文化と言えます。この歌の作者は、日本は神の国だから言挙げしない国だが自分はするぞと言っているのです。「言挙げ」とは、ことばに出していいたてること、すなわち自己主張のことです。
自分が自己主張するのをわざわざ歌に詠むくらいですから、万葉の時代から日本では自己主張が嫌われていた一つの証拠でしょう。
宗教の自己主張は、その宗教の教義、経典のことです。ところが日本の神道には、教義、経典などなにもありません。だから万葉集に、日本は神の国だから自己主張しない国などと詠まれた一つの理由でしょう。こじつけと言われればそれまでです。
キリスト教の教義、経典は、旧約聖書と新約聖書です。旧約聖書の創世記のところでゴッドはこう命令を下しています。
「子孫を増やし、大地を子孫で満たせ、そして大地を征服せよ。すべての魚、鳥そして大地に這うあらゆる動物を支配せよ」
どうですかゴッドのこの強烈な自己主張。現在はアメリカ・インディアン、アイヌ、アボリジニなど少数民族の権利、主張、文化などに光があてられています。かりに彼らの神だとか仏だとか彼らの信じる対象物が、キリスト教のゴッドのように強烈な自己主張を残していたら彼らは少数民族になりはてていただろうかと考えてしまいます。
万葉の時代から自己主張が嫌われていた日本では、どうしても自己主張したいときはどうしていたのでしょうか。その時は言いたいことを遠まわしにほのめかしたり、におわせたり、暗示したりしてきました。こういう自己主張の仕方を一千年以上経験してきた日本人は、相手の気持ちを「察する能力」がまるで五感の一部のようにたけて以心伝心となっていったのです。以心伝心は一夜の人間関係ではできません。ただ同一民族だから以心伝心ができると思ったら大間違いです。それなりの年数が必要だと思います。
アメリカ人は、非常に自己主張の強い民族です。そのためアメリカ人は、相手の気持ちを「察する能力」が日本人よりも劣るのです。自己主張の強さは我がままに通ずるものがあるからです。
サンフランシスコ州立大のディーン・バーランド教授は、アメリカに訪れていた作家の司馬遼太郎にこう語っています。
「相手の心を察する感覚は、日本人において強く、アメリカ人において弱いです。アメリカ人の場合、自己を表現するということを、母親や学校から徹底的に教えられます。まず第一に、自己を表現しなさい。第二は、自己が正しいと思っていることをやりなさい。そして自己表現はアーティキュレイト(明瞭)に、クリア(明晰)にやりなさい。また、相手に訴えるときはパーフェクト(完璧)にやりなさいということを教えつづけます。そのため、相手の心を察する感覚が弱くなっているのです。」
日本とはまるで逆ですね。日本人の親なら、自分の子供に「相手の気持ちを考えなさい」と小言を言うのは一度や二度でないでしょう。バーランド教授の話を聞いているとアメリカでは、子供に向かって「相手の気持ちを少しは考えろ」などと言うことは全くないみたいです。
相手の気持ちを「察する能力」にたける「和」の文化には大きな弱点があります。それは思い切った改革が必要なとき、なかなか改革ができないことです。改革は敵対関係が生まれ、不安が生じます。しかし敵対関係を避ける「和」の文化は、それが苦手です。
自己主張が強いと対立関係が生じやすいのでアメリカ人は、対立関係になれています。従って対立関係から生じる禍根はそれほど強くのこらないと思います。
日本人は対立関係に慣れていないから、ちょっとした対立でも禍根として強く残るものですから、改革が必要とわかっていても、なかなかできず、外圧に頼って改革するというなさけないはめになってしまいます。
話が横道にそれますが、現在、日本の財政再建が長年何度も何度も叫ばれていますが、いっこうに改善されず、悪くなるばかりです。私は予測しておきますが、財政再建は絶対に成功しません。必ず国家破産、あるいは国家の荒治療、例えば、預金一千万円持っている人からかってに500万にしてしまいます。何時ごろか。わかりません。現在20-30代の方々は、20-30年間は働き盛りです。ひょっとしてその間に日本の財政状態はどうにもならなくなるのではないでしょうか。結果として大増税も考えられます。ここでは経済の話が主役ではないのでこのへんでやめておきます。
戦後60年経た現在、日本社会では、自己主張は容認されたと言っていいでしょう。もっとも我がままを自己主張と勘違いされている部分も多いです。時と場合によっては、自己主張は歓迎されます。その反面相手の気持ちを「察する能力」が落ちてきてきたことは否定できません。そのため気の利かない、気配りのできない若者が増えていることも事実です。喜んでいいのか、悲しんでいいのか、私のような年寄りには複雑な気持ちです。
私が「喜んでいいのか」という意味は、外交交渉では「相手の気持ちを察する能力」とか「気配り」とか「気を利かす」などは、百害あって一利なしだと思うからです。

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日本が自滅する10の要因 (その2)

6、恐るべき日教組教育の成果
国民から日教組教育の弊害を指摘されて久しい。最近では産経新聞から「学校の先生が国を滅ぼす」という本が出版されて話題になっています。なんだかんだと批判されながらも日教組は、加入組合員こそ減っているが組織はびくともせず、数人の政治家を国会に送り込んでいます。今では日教組で育てられた人たちが父母になり、政、官、財、各界の第一線で活躍しています。日教組教育の多くの弊害の中で、皆さんはなにが一番大きな弊害だと思いますか。私は、最大の弊害は、子供たちに国家意識と愛国心の低さを身に付けさせたことだと思います。国家意識と愛国心の強さは、国家存続の基盤です。日本は今その基盤が緩んでいて非常に危険な状態です。
その国で生まれ、その国で育てば、自然とその国にたいする愛国心が生まれ、その国に対する意識、すなわち国家意識が生まれます。これは世界中のどこの国に生まれようと同じで、ある種の自然現象です。自然に生まれる愛国心や国家意識をさらに国の教育によってその愛国心や国家意識を強める。これが世界中のほとんど国々が行っている基本教育と言っていいでしょう。なぜ国がそういうことをするか、それは国家の存亡にかかわる基本だからです。
ところが日教組の教育は、日本で生まれ、育って自然に生まれる愛国心や日本人意識を強めるどころか完全に潰そうと教育しているのだ。その教育方法の代表的な例が二つあります。一つは、学校で君が代を歌わせたり、日章旗を掲げることなどまるっきりしてこなかった、だから生徒は君が代が歌えないのだ。二つ目は、歴史教育では日本は戦争を仕掛けて外国に迷惑をかけた悪い国、残虐行為をした悪い国、国家権力を使って暴力で従軍慰安婦にさせた悪い国などなど、日本という祖国に誇りを持たせないように教え込んでいるからです。こういう教育方法で育った人たちの恐ろしさは、すなわち現在、各界の第一線で活躍している人たちは、自分達が外国人に較べて愛国心や国家意識が非常に低いということを意識しないまま大人になってしまっていることです。そのため国家意識や愛国心の低い人間が政治家になってしまっているのだ。
逆の教育方法を考えて見て下さい。学校ではなにか行事があると日章旗が掲げられ、君が代を歌う。歴史教育や国語の時間その他で、日本の国のすばらしい伝統、文化、国の名誉、誇りなどが教え込まれたとしましょう。現在のように国家に対して無関心な国民になるでしょうか。多くの若い国民の無意識の内に潜む国家に対する無関心さが非常に恐い。現在の首相、鳩山は、選挙前に「日本列島は、日本人だけの所有物ではない」と語りました。これは彼の失言ではありません。彼のこれまでの政治活動の中で語られた言葉を観察すれば、彼のあの発言は失言ではなく確信であり信念なのだ。非常に危険な発言なのです。民主党が第一党になれば彼が首相になることは分かっていました。それでも民主党は第一党になり彼は首相になりました。
日本国民の多くが国家意識、日本人意識の高ければ、例え民主党が勝ってもあれほどの大勝になることはなかったでしょう。ここに現在の日本人の情けなさというか恐さというものを感じるのです。まさしく日教組は、日本国民から愛国心や日本人意識や国家意識を失くすことに成功したといっていいでしょう。日教組で育った人たちは、半ば洗脳されてしまっているために、自分の日本人意識や国家意識が低い、愛国心が低いということが気づかないのだ。スポーツの対外試合で日本が勝てば熱狂する、それだけで愛国心があると思っているのだ。それでもそういう人たちが、外国に住んだり、外国人と一緒に働いたり、あるいは自分で勉強して自虐史観から目が覚めたりして、初めて自分には日本人意識、国家意識、愛国心が薄かったかを悟るようになるのだ。それ以外の人たちは死ぬまでわからないのだ。
日教組が愛国心や日本人意識を軽蔑し、そのかわりとして子どもたちに教え込んでいるのが、「国境をあまり意識するな」、そして「地球市民」になれということです。「地球市民」などという新語を作っているがこれほどナンセンスな言葉はありません。国際社会は、市民どうしの付き合いでなりたっているのではない。国と国との付き合いでなりたっているのだ。それを証明するのがパスポートです。日本以外の国に行くにはパスポートは絶対必要です。パスポートがなければ即座に逮捕されます。国際社会が国どうしの付き合いの証明です。地球市民など日教組にしか通用しない言葉を子供たちに教えるなといいたい。この日教組がいまだに国の教育を牛耳っているのだ。日教組は、日本のゴキブリです。百害あって一利なし。すべて踏み潰さなければいけません。
7.主要マスコミの完全左翼化
戦後直後から日本の主要マスコミは、左翼支持者でした。それでも当時はマスコミにも国家意識は多少ありました。しかしここ十数年で主要マスコミは完全左翼化し、国家意識などなにもなくなってしまった。マスコミの代表とも言うべき朝日新聞やNHKは、完全に親中韓反日になってしまいました。それだけ支那や韓国のスパイ活動、暗躍が功を奏してきた証拠です。危機管理に無関心な日本国民は、あれだけの日本人が北朝鮮人によって拉致され、生死のわからない人が沢山でているにもかかわらず、支那がスパイ大国でもあるにもかかわらず、スパイ防止法を制定しようともしないのだ。スパイにとって相手国のマスコミを支配することが最大の目標です。支那は、その目標を達成したようなものでしょう。朝日新聞やNHKは、支那の新聞社と放送会社と変わらなくなってしまった。
今年の4月には、NHKは、スペシャル番組「JAPANデビュー 第一回アジアの一等国」というタイトルで日台関係の歴史を放映しました。史実の捏造歪曲が激しく支那がこのように放映して欲しいという意向にそった放映内容だったので一般庶民が激怒。最初のデモで1300名の参加がありました。NHK関連のビルを人間の手の鎖で囲みましたが、テレビや新聞で一切報道されなかった。その後NHKデモが計六回行われましたが、一切テレビや新聞で報道されていません。ただし、怒りに駆られた一般市民、一万人以上がNHKを放送法違反で裁判に訴えました。放送法の一部を紹介しましょう。
1.公安及び善良な風俗を害しないこと。
2.政治的に公平であること。
3.報道は事実を曲げないこと。
4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
この放送法を読めば分かる通りNHKは放送法違反の常習犯であることがこれでわかります。あまりにも歴史、特に近代史の報道が偏り過ぎているために、今回のスペシャル番組「JAPANデビュー」で我々の我慢が爆発したのだ。この集団訴訟ケースだけは新聞に掲載されました。私もこの訴訟に参加しようと思いましたが、私はNHKに視聴料を払っていないので、訴える権利がないのではと思いやめました。このNHKデモは、完全に無視されましたが、一万人以上集団訴訟が実現したし、またこのスペシャル番組「JAPANデビュー」は三年にわたって放送される予定でしたが、抗議が大きかったので今のところ放送中止になっています。デモは全くテレビなど放送されませんでしたが、少なくとも我々のデモは効果があったのだ。
最近では、先月11月14日(土)東京で外国人地方参政権賦与反対のデモがありました。地下鉄、三越前駅近くの常盤公園に集まり、そこから銀座を通り日比谷公園までデモ行進。私はちょくちょくデモに参加していますが、これまでの最多、2400名がこれまた最多の日章旗を掲げて大行進をしました。デモ後は有楽町マリオン前で街宣車上から著名な知識人、現役及び前政治家などが次々に演説をした。しかし当日の夜のテレビでは、各局一切報道せず、翌日の新聞でも報道せず。完全にマスコミに無視されました。そのくせNHKテレビにいたっては、天皇即位奉祝20年式典を放映しながら、わずかな集まりである天皇制反対のデモを放映していました。そして先月23日には、朝日新聞は社説で、公式に外国人参政権賦与に賛成を発表しました。11月30日号の雑誌「アエラ」有楽町マリオン前の街宣活動を写真入りで報道したという話です。
これは余談だが、私が最近デモに参加してつくづく思うのは20-30代の若い人の参加が多くなったことだ。この外国人地方参政権付与反対デモ、本当に若い人が多く参加していました。嬉しい限りです。私は偶然、年寄りと一緒にデモ行進していましたが、彼は86歳、恐らくデモ参加者の最高年齢でしょう。彼は、「祖国が段々遠くなる、日本が日本じゃない国になっていくようだ」と嘆いていました。
このNHKデモや外国人地方参政権賦与反対の大デモがテレビや新聞に一切報道されなかったということは、反支那、反韓国に関する騒動は一切報道しないということです。これほどの異常事態はいままでありません。支那のスパイがほぼ完全にNHKや朝日という日本のマスコミの両翼を掴んでしまったのは間違いないでしょう。支那の狙いは日本のマスコミだけではありません、皇室にもスパイの手が及んでいます。11月16日号の週間文春、そのあとの産経新聞によると、11月11日、学習院創立百周年記念会館で、中国人民解放軍総政治部歌舞団による中国オペラ『木蘭・ムーラン』の特別公演が行われた。
そのVIP席には皇太子殿下と歌舞団の団長であり、また胡錦濤の有力後継者でもある習近平国家副主席の夫人とが隣り合わせの席で観劇していたのだ。宮内庁は報道自粛の通達を出していた。私にいわせれば皇太子殿下がなぜ人民解放軍の主催するオペラの観劇したのかまったく理解できません。自衛隊でも音楽祭もあります。皇太子殿下は、自衛隊のあらゆる行事に参加したことはありません。それがどうして人民解放軍の行事に参列したのでしょうか。国粋主義者たちは、殿下のお付の人たちを非難するでしょうが、私は殿下の見識を疑います。皇太子殿下がロボットでは困るのです。もし皇太子殿下が人民解放軍のオペラということを知らなかったとしたら末恐ろしさを感じます。いずれにしても支那側は、皇太子殿下に近づくため、あるいは利用するためにあらゆる手段を使って暗躍したに違いありません。
こうして我々一般市民の反支那、反韓国に対する言論、行動は一切報道されず、多くの国民は、特に地方の人たちは、マスコミの徹底した偏向報道に気づかないでいるのだ。これほど危険なことはありません。
8.保守政治家の人材難
現在の自民党の党首、谷垣を初め石破など首脳陣のほとんどが自虐史観派です。田母神氏のような意見を主張したらすぐにでも更迭しようとするばかりの人たちです。前にも触れましたが自虐史観で国論を統一しても日本の復活は絶対にありません。村山談話や河野談話をはっきりと間違いだと指摘し、マスコミや、左翼の反対、支那や韓国かどんな反対があろうとも自分の信念を押し通し、例え暗殺されようとも国家のために働く。こういう信念を持った信頼できる真正保守の指導者が必要です。残念ながらそういう指導者が見当たりません。多くの保守の政治家は、二世、三世が多く、彼らは留学して英語が達者でスマートかもしれませんが、父親に較べて迫力もなく、とにかく気概で劣ります。ちょっと苦しい目に会うと立ち向かう姿勢がなく、無難に避けようとするばかりだ。結局大勢に順応しようとする結果になります。保守政治家の人材難不足は深刻です。若い政治家は、日教組の影響で「君が代」も満足に歌えないのだ。こんな国は日本だけでしょう。こんど選挙の時には、若い政治家が街頭演説するときには、まず最初に「君が代」を歌ってみろと声をかけてやったらいい。
9.日本国民の政治見識の低さ
私は前からブログでも主張してきましたが、日本国民は先進民主主義国の中で政治見識は最低です。私はもう70歳過ぎていますから沢山の国政選挙に投票してきました。沢山の選挙を経験してきたから国民が選挙に関して利口になったかといえば、全く変化ありません。どいうところに変化がないかといえば、国民の多くは情緒やムードで選挙するのです。民主党がいいとなれば、民主党から立候補すれば,誰彼かまわず当選させてしまう。自民党の小泉がいいとなれば、自民党から立候補すれば、誰彼かまわず当選させてしまう。すこしでも論理的に考えて投票すれば、極端な投票結果があらわれるはずないのだ。
日本国民は政治家の犯罪には実に寛大です。自分の勤める会社の同じ部署で、有罪判決を受けた犯罪者が出たとしましょう。執行意猶予付でも犯罪者は同じ部署では働けないのではないでしょうか。また刑が終わった時点でもその犯罪者は、元の部署にもどって働くことなどできないでしょう。ところが政治家になると犯罪で有罪にでもなれば、その直後は選挙で落ちることが多いが、二、三年たつともう禊が済んだと言って平然と当選させるのです。政治家は犯罪起こしても致命傷にはなりません、庶民は犯罪を起こしたら致命傷です。これが逆になって当然ではないのですか。社民党のバカ女、辻本清美は、有罪判決を受けた犯罪者なのに堂々と当選してくるのだ。
現在マスコミは、完全左翼化の媚中韓派です。多くの国民が、マスコミから大きな影響を受けるでしょう。そうならないためにも、メディア リテラシィーという言葉がありますが、現在の日本は、この言葉の普及がいそがれます。メディア リテラシィーの説明をしていると長くなるので省きますが、要は、マスメディアが伝えることは、正しい報道であるとは断定できません。ましてやマスメディアの主張に合わせてコメントするコメンテイターは、皆まちがいなく大馬鹿だということです。皆テレビに出たいためにテレビ側の主張の歩調合せているのにすぎないのだ。
現在の鳩山政権を見ていて我々の年代が思いだし、不安がるのは美濃部都政の悪夢だ。石原都知事も語っていたが、美濃部都政の国政版になっては困るというのだ。1970年前後にわたって三期勤めた美濃部亮吉というと都知事がいた。彼は東大出のマルクス経済学者、父親も有名な経済学者、社会党所属、見るからに良い家柄出を彷彿させる人物像、美濃部スマイルと言われ女性が夢中になった。都知事初当選時の対立候補が、自民党の秦野章。彼は美濃部とは対照的な経歴だ。夜間の高等学校出で日大夜学部を卒業し、彼は私大出で初めて警視総監にまでなった男だ。私は都民ではなかったが学歴のない人間だから男げのある秦野を応援した。選挙結果は、なんと美濃部の圧勝。美濃部は、日本の選挙史上最多の獲得数、361万票以上も獲得した。大学で教鞭をとっていただけの男です。他になにも経歴なし、美濃部スマイルの人気だけで360万以上の票を獲得させたのだ。都知事三期間に確か石原慎太郎が美濃部に挑戦したが勝てなかった。そのくらい人気のある男だった。ところが美濃部は都知事三期間になにをやったかと言えば、福祉のバラマキ、三期目で都知事を退任する時には、東京都に莫大な借金を残してぼろぼろになって退任だ。
現在の鳩山も福祉のバラマキと景気悪化の税収不足で今年度は史上最高額の53兆円を超える国債を発行した。民主党政権が終わる頃には、天文学的な莫大な財政赤字を出して消えていくのではないか。いずれにしても鳩山を選だのは国民だ。国民がそのつけを払うことになる。国民は苦労人より家柄のよさのほうが好きなのだ。だから二世、三世を続々と当選させるのだ。私は日本国民の選挙姿勢を見ていると日本には、民主主義制度はむかないのではないかと思う。国民はまるでおとなしい羊の群れのようだ。右向け右と誰かが叫べば、ぞろぞろと右に向き、左向け左と言うとおとなしく左に向く、すなわちマインドコントロールされやすいのだ。そのため簡単にマスコミにいいように扱われるのだ。他人の動向を気にせず自分の考えを持って行動しろといいたい。政治家の質は、国民の政治見識の表れなのだ。
10.怒りを忘れた日本国民
国家意識の低い現在の日本国民は、完全に怒りを忘れてしまっています。特に外交関係では完全に日本人は牙をぬかれたおとなしい動物になってしまった。まさに怒りを示すことができない羊の群れだ。なぜ日本国民の多くが朝鮮総連の事務所に大デモをしかけないのか。以前は多くの人々が拉致集会に集まった。しかしそれが朝鮮総連への激しい怒りのデモにならなかった。北京オリンピック時の長野での聖火リレーで支那人たちが起こした騒動で多くの日本人が負傷した。長野市民は、大群衆で支那人を叩きのめそうともせず(外国ではそうなる)、傍観した。日本の警察は逮捕もせず傍観した。東京の支那大使館は、多くの日本人デモに押しかけられることもなかった。尖閣諸島での石油盗掘、なぜ大デモをしかけない。外国では抗議の表れは大きなデモで意思表示します。現在の日本国民は、日本のことはどうなろうとほとんど関心ないのだ。自分の生活さえよければそれでよいのだ。拉致事件が長引いて、拉致家族がかわいそうだ。朝鮮総連事務所に何度も、何度も大挙してデモに押しかけて当然なのだ。
もうすぐ日本の捕鯨調査線船が出航します。それに備えて今年もグリーンピースのシーシェパードが日本の調査船を妨害します。その妨害も昨年よりはるかに強力で脅威だ。妨害船を二艘増やし放水砲まで備えているのだ。スペインの闘牛を見ろというのだ。娯楽のために剣でもてあそんで牛を殺すのだ。闘牛にはなにも文句を言わず、調査船にはまるで武力闘争顔負けの暴力をしかけてくる。これはまさに人種差別ならぬ文化差別だ。それでも彼らは使命感を持って抗議してくるのだ。オーストラリア人の支持で資金は豊富です。迎える日本は、おとなしい抗議をしても無駄です。オーストラリア大使館からオーストラリア人が一歩も外に出られないくらい脅しをかけなければだめです。要するに怒って行動しなければダメなのです。私は日本国民に聞きたい、対馬が韓国のものになっても、尖閣諸島が支那のものになっても、外国人地方参政権が合法化されても、口ではぶつぶつ言いながらでも黙って眺めているつもりですか。あなた方は、日本が一体どういう目に遭わされたら怒りを表すのだ。自分のことばかり考えないで、少しは国家のことを考えてみたらどうですか。今の日本は自滅しかかっているのだ。
追記:先週にも書きましたが、このブログをもっと精査し修正して、自分の本の一部に使用するとか、雑誌の論文に投稿するとか、自分の講演に利用するとか考えていますので、この記事の転載は、一切厳禁とさせていただきます。よろしく御願いします。

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日本が自滅する10の要因 (その1)

いまからほぼ65年前、日本は大東亜戦争の敗北によって自滅した。その7年後に独立を回復し、一時は経済的に大発展しましたが現在の日本は間違いなく危機的状態でいずれ滅びることはないでしょうが自滅の道をつきすすんでいることは間違いないでしょう。国が戦争以外で自滅するには、一つの要因で自滅することはありません。かならずいくつかの要因がかさなって自滅する複合要因が見えてきます。それでは日本が自滅に進む複合要因とはなにか。私は10の要因をあげてそれぞれ簡単に説明をしてみました。
1.国の財政赤字過去最大
先月11月11日の産経新聞によると国の借金が今年の9月末で過去最大で864兆5266億円、赤ちゃんも含めた国民一人あたりの借金が678万円です。私の記憶によると確か7,8年前は国民一人あたり借金が400万円代でしたから、この間に国の借金が5割増えている実情です。その他に地方自治体の借金、さらに特殊法人の隠れ借金を加えると1000兆円を越します。その上さらに年金の積み立て不足が500-800兆円を加えると、国民の金融資産、1450兆円を越してしまいます。
選挙前、鳩山は財政赤字悪貨の原因になる国債の発行を非難していましたが、いざ政権を握ると国債を平然と発行するのだ。それも景気対策のため、税収の落ち込みや子どもてあてのお金などのために、過去最大の50兆円の国債を発行する積もりなのです。従って来年3月には国の借金は900兆円の大台突破必然になってきました。このような財政逼迫状態だから政府は、金の使い方に慎重かと言えば、実に腹立たしい使い方をするのだ。インド洋で主要国艦船に油を補給していましたが、その費用年間69億円、鳩山はそれを中止し、なんとアフガニスタンに5年間に4、500億円を援助。何に使うのかと言えば、主に8万人のアフガニスタン警察官の給料用だというのです。腐敗と賄賂付けで有名な国だけに日本の貴重な税金がまともに使用されるかどうかもわかりません。主要国に感謝されているインド洋の油補給を続け、アフガニスタンにはほんのおざなりの援助だけにしておけばいいものを、鳩山のやることは全く理解できません。さらにメコン河流域五カ国に3年間に5000億円援助も加わります
鳩山は彼が口にした「恵まれすぎた家庭に生まれた云々」のためもともと経済音痴だったのではないか。鳩山が国際公約として掲げた温室効果ガスの25%削減。その家計への影響を検討してきた政府の有識者会議が先月24日、試算をまとめたが、政府は非公認扱いにしてしまいました。そして来年2月までの再試算を命じています。おそらく家計負担としてはとんでもない数字が出ているのでしょう。公表できるような数字を政府はむりやりつくろうとしていることは間違いありません。それが一転して今週に家計負担の数値を発表するというのだ。とにかく鳩山内閣では、経済政策が実にいいかげんで信用できないのだ。とにかく現在の日本は史上最高の借金漬けになっているうえに鳩山内閣の経済運営があてにならないから悲劇が上乗せさせられた感じです。
現在の日本の借金の多さを実感してもらうために外国と比較してみましょう。アメリカの財政赤字は有名ですが、アメリカの債務はGDP(国内総生産)の94%、EUは79%、先進国平均1では118.4%、日本はなんと245.6%です(この数値はニューズウイーク誌)。もう日本は財政赤字の改善は見込めません。これからどんどん借金が増えていくでしょう。その理由をいくつか述べてみましょう。
(1)景気の本格的回復があるのか、ないのか、あるとしたらいつ頃になるのか予測がつかない。とにかく過去のような本格的回復がありえないと予測する方が圧倒的に多い。すなわち税収の大幅増加は全く期待できない。
(2)子ども手当てや高校の無償化など膨大な予算をまかなうには国債の発行しかありません。さらに郵政民営化をつぶして国有化したため、郵貯は、再び国有化時代と同様、国債の買い入れ機関となる。そのため政府は赤字国債発行に躊躇しなくなります。
(3)団塊の世代の人たちは、ここ数年毎年80万人が定年退職、それに対して新しい就業人口は、毎年40万人程度、これだけで政府は必ず減収になります。すなわち人口減少などで経済規模が縮小しているのだ。
このような悪い予測や数値はいくらでも出てくるでしょう。このため国債の発行がなくなることはありません。増えるいっぽうです。こうして日本の財政赤字の状態がいずれは大変大きな問題となってくるでしょう。それがいつになるか、2年後か、5年後か、あるいは10年後か、わかりません。一番恐いのは、外国の格格付け会社が、日本国債のレーティング(格付け)を引き下げた時です。いくら日本は外国からの借金はしていないとはいえ、海外の投資家は、日本国債の全体の5パーセントぐらい持っています。それを一斉に売ってくるでしょう。数が少なくても心理的影響は大きいです。日本国債が大暴落するかもしれません。このまま借金を続けて大問題にならなくても20年後の日本経済は、完全に経済先進国から脱落しているでしょう。現在20代―30代の若者は、20年後になっても両親の時代の経済水準以下で暮らすことになるのは間違いないと断定したいくらいです。20年後の時点で過去を振り返った時、現在の日本経済が実に豊かだったと思い出すことになるでしょう。ところが現在まがりなりにも世界的に見れば経済的に豊かに暮らせるのは、借金のお陰だという事実を現在の私たちは、無視しているのです。
2.日本国民が日本国を食い潰す。
終戦時、小学校一年生だった私の子供の時代は、家なし、食べ物なし、着る物なし、水道なし、ガスなしなどないないづくし生活でどんなに貧乏でも生活保護などなし。私が19歳から20歳になるころ松下電器(現在のパナソニック)のバッテリー工場に臨時工として一年半ぐらい働きました。「臨時工」とはいまの「契約社員」ないし「期間工」でしょう。しかし「契約社員」にしても「期間工」にしてもよっぽどのことがない限り契約期間内に首になることはないでしょう。しかし「臨時工」はあくまでも臨時工、会社の都合でいつでも首になる。首になったところで政府や地方自治体が助けてくれるわけではありません。だから困った時には、自分で努力して解決するほかはないということが身についていましたし、そのため雨の日に備えて安い給料の中から貯金する習慣も自然と備わっていました。私のような年代の人間から見ると、現在の日本国民は、あらゆることを政府に要求するのだ。去年の暮れの日比谷公園の「年越し派遣村」の騒ぎは驚くばかりだ。契約を突然解約され会社の寮を追い出されたらもう住む所がないというのだ。それも30歳もとっくに過ぎた男が言うのだ。一体それまでなにをしてきたのだと言いたい。困った時には自分の努力で解決することより、先ず国に頼る、あるいは誰かに頼るという、私の年代から言えば「甘え」が優先するのだ。またメディアもやたらと気の毒があって彼らを冗長させている面も非常にある。
私に言わせれば去年の「年越し派遣村」の騒ぎで彼らが文句を言うべきところは政府ではなく、組合本部、すなわち「連合」に向けて強力な抗議をし、支援を要求すべきなのだ。私は臨時工を経験したから分かるが、労働組合は、「労働者は働く仲間」といいながら、いつでも会社の都合で首にする労働者を存在させておいて、自分たちはぬくぬくと安定した生活をしているのだ。労働組合の幹部は、労働貴族と言っていい。彼らは組合の中を泳ぎまわるのは非常に上手なだけで、それ以外はなにひとつ能力のない連中と断言してよい。私は日教組や自治労をバックにして議員なっている連中が大きらいです。
ここでちっと話しを脱線します。私が「臨時工」をしていた時代、「臨時工」も若い人中心でした。「臨時工」にもなれない人は、なにをしていたかというと日雇い労務者です。当時彼らは「にこよん」と呼ばれていました。「にこよん」とは数字で書くと「240」です。これは一日働いて「240円」をもらえる労働者のことです。その頃私の女房は、看護学校に通っていました。実習になにをやっていたかと言えば、横浜中の貧民街の家庭をまわってコンドームを無償配布していたのだ。その頃貧乏人の子沢山、コンドームは産児制限に有効だからです。話を元にもどしましょう。
私は、特に若い人に言っておきたいのですが、自分が困ったときには、やたらと国に頼るくせに、国家に対しては何もしようとしなし、またしようとする意思もないのではないか。2000年のWorld Values Survey Reportによると「もし戦争が起こったら国のために戦うか?」の質問に対して「はい」と答えた韓国人は74.4%、支那人は89.9%、アメリカ人は63.3%。日本人が「はい」と答えたのは、わずか15.6%。調査参加国36ケ国中の最低だ。若者が国家の援助を受ける時は、「はい」と答えない者には、援助するなと私は言いたい。
政治家や国民に言っておきますが、政府の仕事は、国民の福祉を最優先にすることでは、ありません。そうは言っても重症の身体障害者などは例外でしょう。しかし政府の最優先の仕事は、国民の安全、生命、財産を守り、領土を守ることです。戦後、日本政府は日本漁民の命も財産(漁船)を守ることもできず、竹島を失いました。ソ連軍艦とロシア軍艦による日本漁船や漁民の拿捕も何回もありました。時によっては日本漁民が殺されたりしてきました。拉致家族の犠牲者が沢山出ました。そして拉致された人たちの生命がいまだにわからない人たちが沢山いるのだ。尖閣諸島付近では、支那が自国の領土のように自由に行動し、海中の石油を盗掘しているのだ。対馬が韓国の領土になる恐れが出ています。こういうことを絶対に起こさせないようにするのが政府の最優先にとりくむべき仕事なのです。そのために軍事力の増強が必要です。政府も国民もその努力全く怠ってきたのです。現在の日本国民は、自分のことだけに関心、国家全体に対する関心がほとんどない。こんな国が末永く永劫に独立を保てるわけがありません。
3.政府、国民による恐るべき軍事力軽視。
防衛予算は7年連続して前年度の1%削減でした。8年目の今年は、前年度の1%削減ではなく、確か20億円ぐらいの削減で終わっています。いずれにしても8年連続防衛予算の減額です。かたや支那は、20年連続して軍事予算は10パーセント以上の増額です。平成20年度の防衛白書によると日本の陸上自衛隊15万人、支那陸軍160万人、北朝鮮陸軍100万人、韓国陸軍56万人、台湾陸軍20万人。現在GNPで世界経済第2位の日本は、韓国、北朝鮮、台湾より日本のほうが経済的にはるかに上です。それでいてこの陸上自衛隊の隊員の少なさ。最近話題になった仕分け作業でも、隊員の中途退職による欠員の穴埋めと増員あわせて5300人の増員計画は承認されず却下されています。この国民全体にわたる軍事力軽視は異常です。
通常攻撃側は、守備側の兵力の3倍必要と言われています。支那、北朝鮮、韓国はゆうに日本の三倍以上の兵力を保持しているのです。日本経済反映の短さは、軍事力を軽視にも一因があります。数年前までは、しきりと中国の崩壊、中国の崩壊と言って、専門家や評論家が吠えていましたが、それどころか現在では中国崩壊どころか日本が中国の属国になる恐れの方が大きいのだ。それもこれも軍事力の軽視が原因です。とにかくマスコミや左翼は、日本の軍事力は悪、自衛隊は悪というバカげた考えに取り付かれているのだ。政府の仕事は先ほど触れたように国民の生命、安全、財産と領土を守ることです。対馬と尖閣諸島の領土が危ないと言われているのに、政府も国民も全く知らんふりだ。さらに私が憂えるのは、8年も防衛予算を削られては、防衛産業が成り立たず、新兵器の開発がおろそかになってしまうことです。
新兵器の開発どころか、日本の防衛産業が作りだす兵器そのものが非常に高いのだ。なぜか、量産が効かないからです。兵員数が少なければ、当然需要が減ります。武器輸出三原則があるから輸出も出来ず競争力にもさらされない。私は日本の防衛産業が作り出す兵器は性能もよくなく、価格も高い、国際的には使いものにならないのではと考えてしまいます。
それでも画期的なことをしている一例を挙げましょう。米国はいままで主力戦闘機はF15でした。日本も米国に倣ってF15です。しかしアメリカはものすごい戦闘能力を持ったステルス性戦闘機、F22を開発し、いままでのF15からF22に切り替えています。日本もF15からF22に切り替えたい。ところが米国は、この高性能のステルス性戦闘機F22を日本に売るのをいやがっているのだ。なぜか日本に売ったら米国の最先端技術が流出する恐れがあるからだ。アメリカ側が懸念するのはむりない。スパイ防止法もないし、情報管理の生ぬるさに業を煮やしているからです。最近もイージス艦の機密情報が自衛隊員から漏らされていたのだ。
日本はF22の導入をあきらめたと言われています。三菱重工を中心に「甦る零戦」というプロジェクトタイトルの下に純国産ステルス性戦闘機「心神」の開発をめざしているからです。この「心神」の開発が毎年減らされていく防衛予算のために途中で開発中止になってしまうのではないかと危惧しています。
要するに防衛問題で結論を出せば、日本の軍事力では自分の国を守ることもできない。国民も自分の国を守るために戦う気概もない。そんな国が短い期間をあてはめても、たとえば何百年でなく何十年単位でみても独立国として生き抜くことは出来ません。実際問題として現在の日本は、アメリカ軍なしでは独立を保てないのだ。完全にアメリカ依存症にかかっているのだ。それでも政府も国民も平然としているのだ。いずれにしても武器輸出三原則を撤廃して日本の防衛産業も価格と技術の競争にさらさないと日本の安全にとっても危険なことなのだ。
4.現行憲法廃棄ないし改正がいまだにできない。
大東亜戦争敗戦後、日本はアメリカ占領軍の支配を7年間受けた。その間の1947年5月3日に米占領軍が作った憲法を施行した。その憲法が現行憲法です。そのため憲法の原文は英語です。以来62年間現行憲法が廃棄されることもなく、また改正されることもなく、全くそのまま使われているのだ。どこの国が自国を占領した国が作った憲法を独立回復後半世紀以上廃棄されることもなく、改正されることもなく、まったくどこもいじくることもなくそのまま使い続けている国など日本以外にないでしょう。極めて世界史的にまれな現象あり、また不名誉な現象です。
現在の自衛隊などあきらかに憲法違反であり、時代にそぐわなくなっているにもかかわらず改正すらしようとしないのです。明治憲法は明治政府が作ったもの、現行憲法は、アメリカ占領軍が作ったもの、いまだに日本国民自身の手で作った憲法すらないのです。これは民族としての誇りの問題です。もう日本人からは、「日本民族としての誇りがゆるさない」などという気持ちが完全に無くなってしまったのだ。民族としての誇りを失ってしまった民族には明日がありません。
5.政府自ら自虐史観を公認。
自民党政権も鳩山政権も自虐史観に陥ってしまっています。あたかも自虐史観が常識のように思っている日本人があまりにも多いい。戦後から現在まで日本政府が一貫して推し進めてきた外交手段は何だと皆さん考えますか。それは迎合と妥協です。外国特に主要国の主張に迎合して妥協することです。私が特に情けないと思うのは、政府も左翼も戦争史観という主義主張の問題でも自説を主張しきれず、外国の主張に迎合して妥協することです。例えば靖国問題など典型的な例です。
第二次大戦でドイツはユダヤ人6百万人を殺しました。しかしドイツ政府は、それをやったのはナチスだと詭弁を使い、ナチスに全責任を負わせています。アメリカは、全く投下する必要性などないのに2個の原子爆弾を投下した。にもかかわらずアメリカ政府は、戦争終結を早めるために投下したとうそをついています。なぜドイツ政府は詭弁を使い、アメリカ政府はなぜうそをつくのか。両政府とも国の名誉や誇りを守るためです。現在の支那の建国60年間の歴史などほとんどすべてうそで固めた歴史と言っても過言ではありません。それも支那の国の名誉や誇りを守るためです。
ひるがえって日本政府や左翼は、自国の名誉や誇りを守る気など全くありません。平気で自虐史観を主張し、ありもしなかったうその「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」を平然と受け入れ教科書に載せてしまうのだ。いいですか、皆さん私達は、ドイツ政府やアメリカ政府のように詭弁やうそを使わなくても大東亜戦争は、日本の自衛戦争とはっきり、堂々と主張できるのです。それをなぜ主張しようとしないのだ。さらに日露戦争と大東亜戦争、戦争には影や光がありますが、この両戦争のおかげで、あれほど人種差別の激しかった世界に、人種平等という世界中が納得する理念を世界中に普及させたのです。なぜ私たちの先人のしたことに誇りを持たず、外国の主義主張に妥協し、迎合し、戦前戦中の日本及び日本人を足げにするのか。それは私達日本民族の本質は、自我が弱いために卑屈なのだ、あまりにも卑屈になりすぎるのだ。自虐史観でむりやり国論を統一して日本国の復活は絶対にありえません。自虐史観では、愛国心は育たず、日本人としての誇りも生まれず、防衛力増強にブレーキがかかり、日本人意識や国家意識が弱いままだからです。
追記:
今回の(その1)、次週の(その2)はいずれ精査、修正したうえで、自分の本の一部に利用するか、雑誌の論文に投稿するか、あるいは自分の講演に利用するかなどと考えております。したがってこの記事の転載は、一切厳禁とさせていただきます。よろしく御願いいたします。

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