Archive for 3月, 2010

「アバター」対「ハート・ロッカー」



月末の日曜日、3月28日が私のブログ記事の更新日ですが、用事ができましたので7日間早めました。

お年寄りの中にはこのタイトルを見て一瞬なんのことだろうと思う人がいるかもしれません。今年、第82回アメリカ映画アカデミー賞、作品賞の本命になった二つの映画作品の題名です。「アバター」は巨額の制作費をつぎ込んだいわゆる3DによるSF超大作。一般公開早々に世界的に大評判を呼び、公開一ヶ月で前作「タイタニック」の世界興行収益記録を更新した。一方の「ハート・ロッカー」はイラク戦争を描いた戦争映画で、アカデミー賞発表時までの興行収益は最低の作品でした。「アバター」の監督は、「タイタニック」を監督したジェームス・キャメロン、「ハート・ロッカー」の監督は、キャスリン・ビグローという女性監督で、この両監督は、元夫婦だったのも興味がわきます。審査結果は、「ハート・ロッカー」が「アバター」に圧勝です。アカデミー作品賞ばかりでなく、監督賞、脚本賞など全部で6部門を受賞。キャスリン・ビグローは、アカデミー賞受賞初の女性監督の栄誉を手にした。これに反し「アバター」は美術賞など3部門だけでした。

両映画の内容をちょっと覗いて見ましょう。「アバター」は白人が、地球からはるか遠くにある惑星に行ってそこの住民と戦って希少鉱物を産する土地を支配しようとするが、抵抗にあって失敗する内容です。中国政府の土地強制収用を思い起こさせるというので中国政府が「アバター」の上映を禁止したりして話題を呼んだ。惑星の住民は、お尻に長い尾がついていて、耳が大きい。それがなければアメリカインディアンそっくりです。アメリカインディアンは白人の鉄砲に破れ、土地を強制収用されましたが、この惑星の住民はアメリカインディアンと同じで弓でしか戦えませんが、その惑星に住む怪鳥は最新戦闘機と、怪獣は最新兵器と戦えます。白人内に裏切りが出たりして、結局、白人は侵略をあきらめる形で終わっています。3D映像は、その迫力で観客を圧倒、充分に堪能させたことは事実です。現在3Dテレビの実現が間近らしいですが、現在の大型テレビより売れないでしょう。わざわざ3Dで見なければならない番組がそんなに沢山あるのでしょうか。もっとも3Dテレビの方がはるかに安ければ話は別ですけど。

「ハート・ロッカー」は、イラク戦争を扱っているといっても、イラク戦争のほんの一面だけを徹底的にスポットを当てている。イラク戦争の特徴の一つは、テロリストや敵による自爆爆弾、仕掛け時限爆弾、遠隔操作による爆弾攻撃です。これらの爆弾を見つけ出し処理するチームだけに焦点を絞っています。まさに現代戦争を代表する一面ですね。爆弾を発見しても最終的には、たった一人の兵士が、宇宙服のような防御服を着て(非常に重そうで着ると蒸し暑い)、爆弾に近づき起爆装置を外す。これだけの作業ですが、その時々の状況で実にどきどきするスリルと迫力があります。地雷処理などとは、全く比較になりません。テレビニュースなどで自爆テロがあったなどと報じられますが、その影には爆弾処理チームのような兵士の存在がいることを初めて認識しました。防衛大学の学生や陸上自衛隊員必見の映画ではないでしょうか。私はこの50年間に数々の戦争映画を見てきました。また数多くの戦争映画がアカデミー賞を受賞しています。この「ハート・ロッカー」も印象に残る映画です。

「ハート・ロッカー」が圧勝でアカデミー賞を獲得したことについて、テレビで名前を忘れたが二人の映画評論家が、こんなこと語っていました。一人は、「アバター」が選ばれなかったのは、物語性が薄かったからではないか、もう一人は「アバター」を見た人は、裏切られた気持ちが強いのでは。産経新聞では、「娯楽作品は軽視傾向」という大きな見出しをつけていました。現在の日本人は、愛国心が薄く、国への思いが弱い、なぜ「ハート・ロッカー」が選ばれたのか、審査員の心理が想像できないのだ。私は戦争経験があるほどの年寄りではないが、日本という国への思いと愛国心は強烈だ。だから私がこの両映画を見た時、「ハート・ロッカー」がアカデミー賞に選ばれたのは当然だと思った。

映画の画面では、イラク戦争の是非など論じられていまません。ただひたすらに爆弾処理チームの行動を写し出しています。それだけに説得力があるのです。どういう説得力か。すなわち非常にストレスのかかる危険な仕事にもかかわらず、ただひたすらに与えられた任務をまじめに、忠実に、そして国家への忠誠をつくす兵士の姿です。これが映画のクライマックスが敵味方大連隊を総動員しての攻防戦なら個人の奮闘ぶりは埋没してしまいがちになりますが、徹底して数人の爆弾処理チームに焦点を当てていますから、余計に兵士一人一人が国家への忠誠をことさら強調する結果になります。このためアカデミー賞審査員が例えイラク戦争反対でも、現実にいまアメリカ国家のために戦っている兵士の姿を見て感動するのです。だから「ハート・ロッカー」が受賞できたのだ。日本映画界は左翼の巣みたいな所です。日本人の映画評論家など愛国心がないから私のような考えは思い浮かばないのだ。

映画史上最大の興行収入を得たということは、世界中の多くの人々を堪能させたということです。それにもかかわらず「アバター」を選ばず、興行的に振るわなかった「ハート・ロッカー」を選んだということは、アカデミー賞受賞発表の日というこの平和な祭典の日でも、今現在イラクではアメリカ兵が戦っているのだということを審査員に十分認識させてしまうほどのすばらしい映画だったということです。アカデミー授賞式が、テレビ放映されました。女性監督のキャスリン・ビグローは受賞スピーチで、「この栄誉を現在イラクで戦っている全アメリカ軍兵士と分かち合いたい」というようなことを言って拍手喝采をあびていました。アメリカは徹底した資本主義国家だ。そのため映画史上最大の収益をあげた「アバター」にアカデミー賞に指名するような国民だったら、現在の大国アメリカの存在はなかったでしょう。「ハート・ロッカー」は、アカデミー賞審査員にアメリカという国への思いを改めて思い出させる役割を果たしたのだ。金銭的大成功よりアメリカという国家への思いを優先させたのだ。

ところで「アバター」を見た時、私は洋画を見て半世紀以上になりますが、今回初めて体験したことを書きます。私は「アバター」を横浜の複合映画館ビルで見ました。そこでは「アバター」の「字幕」版と「吹き替え」版が同日、同じ施設内の別々の映画館で上映されていたのです。私はとうとうここまで来たかと愕然としました。DVDの世界では、最近「字幕」と「吹き替え」両方が組み込まれているのが多くなっているのは知っていました。しかし「封切り映画」はすべてと言っていいくらい「字幕」でした。それがとうとう「封切り映画」まで「吹き替え」版が登場したのです。なぜ「吹き替え」版が多くなってきたかというと、その原因は現在の若者、とくに10代20代の若者のせいなのです。またこの世代は映画をよく見る世代です。

「字幕」の場合、映画画面の中央真下に「字幕」が出ますが、その字幕のセリフの字数は多くても13字までと決められていました。映画一場面で、映画を楽しみながら人が苦痛を感ぜずに読める字数は、実験、経験により13字が最適だとわかっているからです。この13文字数は、もう半世紀以上字幕による字数の最多は13字と法律みたになっていました。ところが現代の若者、とくにゆとり教育で育った10代、20代の若者が、映画を楽しみながら13文字を次の場面が展開するまでに読むことが苦痛になってきたのです。その結果どうなったか。字幕字数の最多を13字から10字に減らしたのです。10字に減らしたのは最近なので字幕翻訳者にとって努力目標みたいで10字に収まっていない例外も多々あると言われています。まさにこれは学力低下の証明以外のなにものでもありません。

私の最終学歴は高卒。私はもうすぐ72歳。私の年代では高卒や中卒が沢山いるのです。ところが現在、高卒は当たり前、男女とも大卒が沢山います。要するに現在の若者の方が我々の年代より高学歴なのだ。それでいて字幕を全部読みきれないうちに次の場面がきてしまう。そこで10字に減らしても字幕映画を見るのが苦痛になっているのだ。完全な読解力不足です。そして「アバター」のように封切りから「吹き替え」版の登場です。最もこれが最初のケースかどうか確かではありません。

日本民族が劣化しているとよく言われますが、その証拠の典型的な一例でしょう。この民族劣化のため現在の日本はあらゆる面で落ち目になっているのだ。日本の将来は、現在の若者に期待しなければなりません。その若者の読解力が、がた落ちなのです。教育の基本は、読解力です。その読解力が不足だから、大卒の新入社員が、先輩から教えてもらわないとビジネスレポートが書けないのも無理はない。工場勤務なら、新入社員が自分の工場で使用している機械のマニュアルが読めない、即ち読めても正常に解釈できない。会社側は、大事故になってはいけないと新入社員にマニュアルの読み方を特別に教えこまなければいけなくいなっているのだ。私の年代では考えられなかった事が今起きているのです。要するに我々の年代と比べると、分かり易く言えば、バカが多くなっているのだ。そのバカが多くなっているのに選挙年齢を18歳に下げようと主張しているのだ。バカも休み休み言えというのだ。私に言わせれば、選挙年齢引き下げどころか25歳か30歳に引き上げです。

外国では「吹き替え」が常識だと主張する人がいます。みなさん、「字幕」は世界で誇れるものであることをご存知ですか。「字幕」が成り立つためには、国民の識字率がほぼ100パーセントであること、そして多くの国民がある一定の読解力(我々の年代ならば、義務教育中卒の読解力)を持っているという前提がないと「字幕」ということが成り立たないのです。確かに現在は世界の識字率があがっているから、「字幕」は日本だけの現象ではありません。人口の少ない小国は、映画を見る人口そのものが少ないから「吹き替え」は高くつきます。そのため「字幕」は当たり前になっています。しかし日本は、人口が多くても、その「字幕」を半世紀以上前から行ってきたのです。さらに大昔をたどれば、これは映画とは全然関係ありませんが、江戸時代の時代劇をみれば、高札に一般庶民が群がって読んでいる場面が出てきますが、あの当時世界でお役所が高札で一般庶民に通達を出せるのは日本だけです。このように昔から教育水準の高かった日本が、その教育の面ですでに落ち目がずっと続いているのだ。私は大学で教えている現役の先生を何人も知っているが、皆さん一様に言うのは、日本の大学生は勉強しない、一生懸命勉強するのは、中国や韓国などからの留学生ばかりだと。

若者よ、最多文字数10字に絞り込んだ「字幕」映画を見ても苦痛を感じて映画を楽しめないなら、あなたの読解力は最低です。読解力が最低ということは思考力が最低ということです。なにをやっても成功しないでしょう。収入格差に悩むだけです。ぜひ読解力を上げる努力をしてほしいと思います。このような日本民族の教育劣化の原因は、半分は本人のせいですが、あとの半分は日教組のせいです。日教組をつぶさないかぎり日本の教育は改善しないでしょう。それと先生の質の向上です。学校の先生というのは、社会的に重要な職業なのに、これほど仕事ぶりについて責任を問われない職業はありません。





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トヨタ問題の根底にあるもの




現在アメリカでは、トヨタ車のリコール問題が、我々から見れば異常なまでにそしてヒステリックに扱われています。一体このトヨタ問題の根底にはなにがあるのかを探るのがこのブログ記事の意図です。その前に日本製自動車のアメリカ向け輸出の歴史を私の記憶とネット調べで簡単に振り返ってみましょう。
1950年と言えば、終戦5年後の話です。この時の日本の自動車生産台数たった3万台です。一方アメリカは500万台です。それがどうですか半世紀後、正確に言えば58年後、トヨタは世界一の自動車メーカーになり、現在ではビッグスリーのうちクライスラーとGMは破産、国家管理されています。今から50年ほど前、私が20歳ぐらいの頃、その頃アメリカ製自動車は垂涎の的。日本製自動車でさえ持っていれば、ガールフレンドに「俺の車でドライブしないか」と誘ったら、現在、「俺の豪華ヨットでクルージングに出かけないか」と同じくらいの威力があったのだ。

日本の自動車メーカーは1960年代の半ば頃からアメリカ向けに輸出しはじめた。1970年代、特に1973年のオイルショック以後、日本製自動車が大挙してアメリカに押し寄せました。その頃です、自動車の町デトロイトでは、アメリカの労働者が、彼らにとって癪の種であるトヨタの車をハンマーでぶっ叩いている写真が出ました。もしフランス製の車が輸出攻勢でアメリカ市場にあふれたら、アメリカの労働者はフランス製の車を腹いせにハンマーでぶっ叩くというえげつない行為をしたでしょうか、あるいはその行為を写真に撮らせるでしょうか。
1980年代は日米貿易摩擦、あるいは日米貿易戦争と言われた時代、日本はコメの輸入自由化を求められた。農協などの支援の下日本政府は、コメ輸入絶対反対を必死に主張していました。ある政治家だか官僚だか忘れましたが、おコメは日本の文化だといって輸入に反対しました。その話を知った私のアメリカ人上司は、おコメが日本の文化なら、自動車はアメリカの文化だと声をあらげて言っていたのを覚えています。私はアメリカなどに文化はないと思っていましたが、言われてみれば、アメリカに文化があるとすればそれは確かに自動車だなと妙に感心したのも覚えています。自動車はアメリカ産業の花ですし、アメリカの象徴的な産業でした。

日本製自動車の輸出攻勢に悩まされたアメリカ政府は、ローカルコンテンツ法(Local Contents Law)なるものを成立させた。ローカルコンテンツ法とは、車一台生産するのに2万という部品から成り立っていると言われています。その全部品のうち、もう忘れてしまいましたが、何パーセントとかはアメリカ製部品を使うことを法律で決められたのです。日本の自動車メーカーにとって脅威だったでしょう。品質を誇る日本製自動車が、アメリカ製部品を使って同品質を保てるか。契約どおり納期を守ってくれるのか。それも苦労のすえに乗り切るとさらにアメリカ製部品の使用率のアップを求められた。

その上さらに日本の自動車メーカーに難問を突きつけられたのは、日米の貿易摩擦を回避するために日本政府による日本製自動車の輸出規制です。自動車輸出規制が試行された1981年には、対米輸出は年間168万台と決められた。ところがこの輸出規制が日本製自動車の人気度を再確認させることになったのです。アメリカ国内の自動車ディーラーは、競い合うように人気のある日本製自動車を注文、そのために日本製自動車にプレミアムが付くようになったのです。

いくら日本製自動車にプレミアムがついても、自動車輸出規制、アメリカ製部品使用率アップの現状を見ては、日本の自動車メーカーは、もう日本から完成車をアメリカ向けに自由に輸出するのは無理だ、アメリカで自分の車を作って売ろうという話になってきます。その先陣を切ったのがホンダでした。ホンダの決断は立派だったと思う。日本の工場で日本人労働者が車を作っているから品質の良い車を契約の納期に納めることができます。それをアメリカの工場でアメリカ人労働者を使って日本と同じ品質の車を作れるかどうか不安だったと思います。その時ホンダは作れるという自信があったのでしょう。1982年ホンダのオハイオ工場が生産を開始しました。ホンダの後を追いかけるように他の日本の自動車メーカー続々とアメリカに工場進出しました。その後を追うように部品メーカーもアメリカへの工場進出が続きました。ちょうどこの1980年代と言うのは日本経済絶好調、一方アメリカ経済は絶不調、日本は突出した経済大国になったのだ。白人国家を代表するアメリカという国は、日本のような有色人種国家が軍事的にも経済的にもアメリカを凌駕することを絶対に許さないということを公言することはないが暗黙の意思というものがあるのだ。

大東亜戦争前日本の軍事力が突出してアメリカの脅威、白人国家の脅威になった。そのころは外交問題を、戦争で方をつける時代だったから日本を武力で潰した。1980年代には、日本の経済力が突出してアメリカや白人国家の脅威になったのだ。1990年1月13日の朝日新聞によれば、フランスのクレッソン首相は、「日本は規則を守らず世界征服を企んでいる」と語っているし、1991年6月15日の読売新聞ではCIA
のレポートでは「日本は世界経済を支配しようとしている」と報じているのだ。まさに日本経済大発展を快く思わない白人のヒステリックな反応です。読者の皆さんは、大東亜戦争の時欧米諸国は、日本は世界征服を企んでいると主張していたことを忘れてはなりません。

白人は有色人種に対する優越感のせいか競争で有色人種に負け続けることほど癪に障ることはないのだ。スキーのジャンプなど一時は、「日の丸飛行隊」などといって金銀銅を独占したりして日本は黄金時代を築いたことがある。それがスキーの長さが変更され、それ以後日本は振るいません。私が20代の頃だったと思う。水泳の平泳ぎでは、日本は潜水泳法をあみ出した。スタート時点で飛び出した時、すぐに水面から顔をあげず、できるだけ長い間水中の中で平泳ぎをするのだ。水面に顔を出して泳ぐより抵抗が少ないから当然早くなります。外国人選手もそれをまねたが、どういうわけか日本人選手の方が強い。その結果潜水泳法が禁止された。その後の日本平泳ぎ界では、北島選手が出るまで数十年かかってしまった。

1980年代日本経済が大発展しアメリカ経済まで脅かすようになると欧米諸国は、アメリカが中心になって日本経済の発展を押さえ込もうと、世界経済の安定的発展などといっていくつかの経済政策を打ち出してきた。その中で日本経済にとって一番の痛手は、やはり1985年の「プラザ合意」による「ドル安円高誘導」でしょう。現在、円は1ドル90円前後です。それが80円台になってもそれほどの驚きはない。しかし私の年代の人間は、1ドル360円という固定相場で何十年も生活してきたのです。それが固定相場から変動相場になると円の価値がどんどんあがり、1980年代には1ドル80円台に一時的に80円を割り込んだりしたのだ。円に大変な価値が出たのだ。私の年代は子供のころは、明日は何を食べるかを心配しながら暮らし、なかば栄養失調状態で育ったのだ。子どもの頃貧乏や極貧状態だった人間が、40歳代で簡単に海外旅行できるようになってしまったのだ。まさに私の年代では国民一人、一人が大出世したのも同然になったのだ。日本の企業は、ありあまるお金をアメリカの企業買収、アメリカの不動産購入など大変な金額をアメリカ投資にあてた。このことがまたアメリカ国内では、日本はアメリカ全体を買収するのではないかヒステリックに報道されたりもした。しかし当時の日本のアメリカへの投資は急上昇したことは確かですが、日本全体の投資額は、イギリスのアメリカへの投資額の総額より少なかったのです。ヨーロッパ人がアメリカでなにかしでかしてもめだたないが、日本人が同じ事をするとヒステリックに騒ぎだすのだ。

私は21,2歳の頃から白人系外資会社に勤めていたから分かりますが、アメリカ人は、戦勝国でもあるから戦前戦後ずっと日本に優越感を感じていて日本から学ぶなどということは彼らの頭の隅にもなかった。ちょっと話はそれますが、現在白人は、好んですしを食べますが、私が20,30代の頃は、彼らは魚のフライやてんぷらは好んで食べますが、すしなど魚を生で食べるのは文明人の食べ物ではないとほとんどハシをつけなかったものです。こういう人種的優越感を持っていたアメリカ人が、1980年代の日本の経済的大躍進を見て、初めて彼らも日本から学ばねばならない点があると認識したのです。1980年代という時代は、アメリカ人を含む白人国家に日本という国家は軍事面だけでなく経済面でも彼らと対等にわたりあえることを認識させた時代でもあったのです。

アメリカという国は、建国以来人種差別を国是にして発展してきた国です。有色人種への軽蔑感と優越感をあからさまにしてきました。大東亜戦争では、日本を完膚無きまでに叩きのめし、アメリカ人の優越感はゆるぎないものになったのだ。そのアメリカが、自慢の自動車産業で日本に負けたのです。アメリカという白人大国は、ヨーロッパの白人国家に有利な立場に立たれても苛立ちを感じませんが、日本のような有色人種に有利な立場に立たれると猛烈ないらだちを感じるのです。現在のトヨタ問題の根底にはこのような優越感の裏返しのような苛立ち、不満、ねたみなどが潜んでいるのです。トヨタを初め日本の自動車メーカーは、敵前上陸とも言えるアメリカで工場を作り、アメリカ人を雇用し、アメリカ製部品を使って車を生産した。もう亡くなってしまったがアメリカ自動車業界の名物男でクライスラーの社長だったリー・アイアコッカは、「日本の自動車メーカーなどアメリカ大陸から叩き出してやる」と豪語していたのだ。ところが日本の自動車メーカーがアメリカ大陸で作り出す車の方がビッグスリーが生産する車よりもアメリカ人顧客をより満足させたのだ。文句がつけようがない公平な堂々たる勝負で日本の自動車メーカーは、ビッグスリーをやっつけたのです。GMはGMイコールアメリカ、アメリカイコールGMといわれたほどの名門中の名門、アメリカを象徴する会社が日本の自動車メーカーに負けたのです。自動車だけではありません。アメリカは、日本との物作り競争で負けたのです。自動車産業はその象徴でもあるのです。

アメリカ国民は、アメリカの領土で堂々と勝った日本の自動車メーカーには文句が言えないものだからGMに八つ当たりするだけで、優越感の裏返しとも言うべきうっ積した苛立ちやねたみや不満を感じていたのだ。それだけにトヨタのリコール問題が起きた時の反応は、もすごく早かったし、反響も非常に大きいのだ。ラフード運輸長官は、「もうトヨタの車には乗るな」などいう過激発言が飛び出した。差別発言だと批判されたら表現をかえましたが、思わず本音が出てしまったのだ。トヨタの工場があるアラバマ、インディアナ、ケンタッキー、ミシシッピーの四州の知事は、自動車のリコール問題は、これまでにかぞえきれないほどあった。それにもかかわらずトヨタのリコールがこれほど大きくとりあげられトヨタを非難するのは不公平だ、公聴会では公正な審理をするようにと米下院委員会に書簡を送っています。

私はこの四州の知事の見方は、公平だし的を射ている見方だと思います。車のリコールなどいまでは日常茶飯事で大きなニュースにもならないのになぜこれほどまでにトヨタ問題で大騒ぎになるのか、日本のマスコミや知識人も色々と詮索しています、例えば、政府間で取り決めた普天間基地移設問題が鳩山政権で中に浮いたままだからアメリカ政府の怒りの表れだとか、あるいはオバマ政権が国有化したGMを支援するために日本たたきを煽っているのだ、あるいはアメリカの議員の地元向けの選挙活動みたいなものなど言われたりしています。私に言わせればそういう面を全面的には否定しませんが、特に二番目の「オバマ政権が国有化したGMを支援するために日本たたきを煽っている」などは大いにあり得る話です。しかしその根底には、自動車はアメリカの文化であり、自動車王国アメリカが、いままでゆるぎない優越感を感じていた日本に完全に負けてしまったという心理的ないらだちがあるからです。ドイツの自動車メーカーに有名なダイムラー社があります。このダイムラー社が、かりにトヨタ社がたどって社歴と同じ社歴をたどったとし、そして現在のトヨタのリコール問題と同じ問題を起こしたと仮定したら、アメリカは、はたしてトヨタに示した同じヒステリックな反応をダイムラー社にぶつけたでしょうか。私は、アメリカはトヨタのリコール問題をトヨタに仕返しをする千載一遇の機会ととらえているような気がしてなりません。

公聴会での被害者の発言もひどかった。私はテレビニュースで被害者の発言の一部を聞きました。被害者は、ペダルを踏んだら突然160キロのスピードを出したと言うのだ。ペダルを踏んでいきなり160キロのスピードが出るわけがない。かりに160キロのスピードを出したところである程度の時間がかかります。その間にブレーキを踏まなかったのかと聞きたい。このテレビ放送後一、二週間経ってからテレビのニュースで被害者の発言に不自然な点があるので被害者が乗っていた車をどこかの研究所に持っていって調査してもらうと言ってその車が大写しされていました。被害者が公聴会で涙を流したからと言って簡単に信じ込んではいけません。

1990年に湾岸戦争が起きました。この時アメリカ政府が戦争を決断したのは、アメリカ議会で涙を流しながら語った少女の証言でした。その少女はクエート人で、サダム・フセインの圧政から命からがらクエートから脱出してアメリカに逃げてきたのだ。その様子を涙を流しながら証言したのです。アメリカ議会は、彼女の話に同情、共鳴しサダム・フセインとの戦争を決行した。戦争がはじまって数ヶ月経った時、その少女は、クエートの駐米大使の娘だったということが判明しました。まさに証人は、「やらせ」証人だったのだ。しかしばれたところで戦争がひきかえすことができないほど進んでいたのです。

2003年のイラク戦争勃発の原因は、サダム・フセインは核兵器や核兵器工場を隠し持っているというCIAのレポートです。戦争が始まってしばらく経つとそのレポートがうそだったのだ。うそとわかったところで戦争が進んでいて戦争中止にはなっていません。アメリカ人は、いつも自分は正義だと思っているのだ。そのため正義と思わせるために色んな手段を使ってくるのだ。大東亜戦争の時もそうでした。

これからトヨタが一番手を焼くのは、訴訟問題でしょう。最新のニューズウイーク誌では、トヨタの車の事故死は全部で34人、本日(3月4日)の産経新聞では、死者52人、これからもっと増えるでしょう。自分の運転ミスで事故を起こしても乗っていた車がトヨタならトヨタのせいにしてくるからです。間違いなく集団訴訟になるでしょう。トヨタ問題で一番喜んでいるのは、ライバルメーカーよりアメリカの弁護士たちだ。彼らが、したなめずりして喜んでいる姿が想像できます。現在の日本はあらゆる面で国家の勢いが落ち目になっています。それだけに私はトヨタにはがんばってもらいたいと思う。「災い転じて福となす」でこの事件の処理でトヨタの信頼度がますます上がったと言われるようにしてもらいた。それともこの事件をきっかけに豊田が没落の道筋をたどるというような悪夢が待ち構えているのだろうか。

結論として私は、白人の有色人種に対する優越感、その優越感をこっぱみじんにやっつけられた時の苛立ちや妬みはだんだんと弱まってくると見ています。それは中国やインドや韓国などの発展です。大東亜戦争前の日本の軍事力、1980年代の日本の経済力は、有色人種の中で突出していました。それだけに白人国家に対して脅威になりまた邪魔な存在になった。有色人種の中で突出していただけに他の有色人種国家とも協力して白人国家に立ち向かうことができなかった。そのため日本は孤独な戦いを強いられたのだ。現在はもう発展する有色人種国家は日本だけではありません。中国、インド、ブラジルは、いまや新興経済大国だ。その他にも韓国、台湾もある。彼らは協力して白人先進国にたちむかえる水準にある。日本も彼らと協力しあえるのだ。最大の問題は中国が共産主義国家であることなのだ。

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