Archive for 6月, 2010

短編小説 「女のため息」



私は、拙著「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の英文版が出版され、またその初版の改訂版を書き上げたら本格的に小説を書きたいと思っているのですが、ひょんなことからあるアイデアが浮かび、短編小説を書いてみました。以下がその短編小説ですが、なにしろ生まれて初めて書いたので、できがいいのか悪いのかさっぱりわかりません。読者の皆さんは、どう思われますか。もしこんなもの読むほどの価値がないと思われた人がおりましたらひらにご容赦お願いいたします。

春江、34歳、独身。勤務先は有名なブランド名を持つ高級子供服メーカー。会社のお店はすべて一流デパート内にある。現在、銀座のデパート内にある会社のお店は、社内で最大の売り場面積を持ち、最高の売上高を誇るが、春江は最近その店長になったばかり。職種が職種だけに女子社員が多いいが、春江はその中でも最速の出世頭だ。高卒以来16年間でこの地位を得たことになる。春江の父はアル中、弟、博は軽度の知恵遅れ、生まれつき知能指数が少し低いのだ。家計は貧しく母一人がこまねずみのように働ききまわっていた。春江は一日でも早く本格的に働きたくて高卒を待ちわびるようにしていまの会社に就職した。そのため入社時から働く意欲、向上心、自立心は他の新入社員より並外れていた。要するに沢山お金をかせいで、キャリアウーマンとして成功したかったのだ。そのためにはあらゆる努力をおしまなかった。営業を選んだのも、自分の努力が売り上げの形ですぐに表れるからだ。自分が有能な女であることを他の社員にはっきり示す事もできる。衣料品のようにその場でお客が買うか買わないか決断するような営業は、やはり営業マンの能力や積極的なセールスが物を言います。それには春江は天性の如才なさと社交性があった。あまりにも如才なく八方美人的なので誰もが良い人という感じを受けてしまうのだ。本性はとてつもなく気が強く、春江がアル中の父がしらふの時にけんかする姿など、お客が偶然にも見てしまったら恐らく春江に興ざめしてしまうでしょう。もっとも春江にしてみれば、母を泣かし家族泣かす父を憎しみぬいているから無理もない面もある。如才なさと社交性が天性なら春江にもう二つ天性のものがある。彼女は声美人だ。誰もが認める美人がいるように彼女の声は、誰もが認める声美人なのだ。もう一つは彼女の手の指の美しさだ。白くふっくらした指。少し長めの指、つめの形もすばらしい。お客さんの目の前で子供服の見本みせたり、着せたり、脱がせたり、たたんだりするときに、お客さんは無意識に「きれいな手」と感じてしまうのだ。

春江の素顔は、決して美人ではない。十人並みです。しかし最近ではメーキャップ技術の向上で10人並の顔が、5,6人並になり、きれいと言われるようになっています。そしてその顔には春江の努力で得た魅力的な微笑みがある。春江は自分が美人でないことは充分知っていた。しかしセールスには、微笑みは欠かせない。鏡を前にして自分ができる色々な微笑を作ってみた。歯並びの良さを見せる微笑みがいい。その中で自分が気にいった微笑みを見つけると、その微笑を無意識に出せるように、それこそ何度も何度も鏡の前で練習した。今では必要な時、例えば実際の営業の時、写真を撮られる時など、いつでもその微笑を出せるようになっていた。春江の身長は165センチ、バスト、ウエスト、ヒップから足の線にかけてのスタイルは、まあまあです。とりたてて良いともいえないが、とりたてて悪いともいえない。人生を積極的に生きようとする春江には、はつらつとした印象をあたえるオーラもある。そのため春江の全体像を眺めて見れば、同姓にも異性にも充分魅力的であった。

春江のこれまでの出世街道は、社内では伝説的でさえあった。春江は、会社から数々のお店に派遣されたが、彼女が売り場に立つと、その売り場のこれまでの最高売り上げを必ず上回る成績を残すのだ。春江の上司も彼女のことだからある程度の成績を上げるだろうと予想していたが、その予想を上回る売上高にびっくりし、当然のごとく会社の経営陣に春江の名前が刻まれたのだ。現在では社内随一の売り場面積を持つ店の店長として営業をまかされているばかりでなく、入社シーズンになると営業職の新入女性社員向けに特別講義を受け持ち、また社内の子供服デザイン会議にはアドバイザーとして参加する重要な役をこなすようになっていた。春江は社内ばかりでなく、業界内でも非常なやり手ばかりでなく魅力的な女性としても知られるようになっていた。

春江が20歳のころ彼女は恋に落ちた。相手は当時26歳の不動産会社の営業マン、武だった。武は、彼女の好みである体のがっしりしたスポーツマンタイプで男らしさの雰囲気を多分に持った男だった。同じ営業職同士話が合い深いつきあいになり、春江は初めて男を知った。一年後ぐらいに武は春江にプロポーズした。春江はうれしかったが、彼女の心には、まだ結婚と言う準備が全くできていなかった。プロポーズされて春江は、初めて知恵おくれの弟、博の存在と武の実家との経済格差に不安を覚えた。彼女はこの知恵遅れの博を可愛がり、愛していた。二人でしょっちゅう色々な話をしている。時には母との会話より、博との会話の方がリラックスできる時もあった。当時、フォレスト・ガンプというアメリカ映画が上映されていた。フォレストとは人の名、ガンプとは、うすのろとかうすらバカとかいう意味だ。軽度の知恵遅れの主人公が努力と幸運に恵まれ成功する物語の映画だった。その年のアカデミィー賞をとっていた。春江は博を連れてこの映画を見た。映画終了後、春江は弟がどの程度映画を理解できたのかわからなかったが、こんな事を言った。
「お前も、映画の主人公のように、自分の人生を積極的に生きてほしい。例え失敗してもいいから積極的に生きてほしい。姉さんは、どんな時でも博の味方だよ。覚えていてね」
博は、はっきりと頷いた。春江は、博にとって絶大な信頼を寄せる存在だった。子供の頃ある日、博は三人の男の子にいじめにあった。それを偶然見とめた春江は、猛然と三人の男の子に戦いをいどんだ、気が狂ったように叫びながら戦った、これを見た博は、いじめというといつも逃げ回っていたのが本能に目覚めたのだろう怒りに狂って猛然と向かっていった。博は知恵遅れとはいえ体は大きいのだ。けんかしたら体格ではまけないのだ。姉と弟の気の狂ったような二人組みに圧倒され、三人は逃げるようにして消えていった。この時のけんかを博は、一生忘れないだろうと思っている。その日以来博からおどおどした態度が消えていった。その博を春江は、武に紹介した。武は、弟さんは二人の結婚になんら障害にならないと宣言した。春江は涙が出るほどうれしかったが、プロポーズの話はもう少しつきあってからと春江は返事を先のばしにした。それから一年ぐらいつきあっただろうか、武は春江のもとを去っていった。春江は泣いた、しかし立ち直るのも早かった。今では春江は、武のプロポーズは二人の付き合いの一時的燃え上がりの結果であり、武も冷静に考えれば、自分の女房に知恵遅れの子供ができるかもしれない恐ろしさに怖気づいたのだと考えていた。

武と別れた後は、これまで以上に仕事に精を出した。その結果が会社の中で売り場面積最大のお店の店長だった。仕事をいまところ順調にこなしているが、春江は、現在ひょっとして自分の人生の岐路にたっているのではないかと考えているのだ。なぜなら彼女は生まれて初めて自分は「女」であること、「女の性」を意識したのだ。現在はなにごとも男女平等、この男女平等が当たり前すぎて、「男女異質」がはっきり現存するのに、世間では無理に「男女異質」を無視しているような気がしてならないのだ。特に職業婦人として成功している女性たちほど男女異質をあまり口にしないような気がするのだ。

現在、春江には、男女異質をはっきり意識するものが二つある。一つはセックスであり、もう一つは仕事だ。春江には、今セックスフレンドがいる。今から10年ほど前、春江にプロポーズした武が彼女から去っていてしばらくした頃、アメリカのテレビドラマ,「セックス・アンド・ザ・シティー」(sex and the city)が大変人気だった。ニューヨークの仲のよい四人の独身キャリアウーマン、一人一人の仕事と恋とセックスと結婚と家庭でおりなす人生模様を描いたものだ。最近映画にもなって日本でも公開された。この人気ドラマは、アメリカの若い働く女性の生き方や価値観に大変な影響を与えたという。私もテレビドラマの一部と映画を見ましたが、私に言わせれば、女性に対する伝統的な役割や概念に対する挑戦、自由奔放なセックス、ファッションでなりたっているだけでそれほど面白いドラマでもなければ映画でもない。しかしこれは定年男の意見であって若い女性は別なのでしょう。向上心と自立精神旺盛な春江は、このテレビドラマが大好きでよくDVDを借りて見ていた。このドラマに刺激されたのか自分にもセックスフレンドがいてもいいと思ったのだ。男女平等の世界、ドラマに出てくるキャリアウーマンのように、男が自分好みの女の子と一夜を共に過ごすように、女が自分好みの男性と一夜を共に過ごす。そのため女は、その時のためにいつでもバッグにコンドームをしのばせておくのだ。春江は、コンドームこそバッグにしのばせなかったが、いずれその気になる男性が現れればセックスフレンドの関係も悪くないと考えたのだ。

しかし映画のように簡単にみつかるとも思っていなかった。一夜を共にするといっても誰でもいいはずはなく、相手にそれなりの信用もなければ恐くてセックスなどできるわけがない。春江自身そんな簡単に実現するはずがないと思っていた。ところがひょんな関係で簡単にセックスフレンドができてしまったのだ。彼の名前は大作。大作の容姿は当然春江好みの男だ。大作は春江が大分前働いていたお店があるデパートの外商部のスタッフだった。春江は当時大作には自分好みの男だから好意を持っていた。二人はある日偶然バッタリと赤坂で出くわした。喫茶店でよもやま話をし、別れ際に大作は春江を夕食に誘った。春江は0Kした。大作とは初のデイトだった。デイトを重ねるうちに自然な形でセックスフレンドになっていった。大作はけっこう遊び人であることがわかった。春江はセックスフレンドだからそれの方があとくされなくて良いと考えたのだ。最初のうちはほとんど誘うのは大作のほうで春江から誘うことはなかった。そんな関係が始まっていまでは三年目になるが、春江は自分の体の変化に驚いていた。

春江は大作が好きになったわけではなかった。ただのセックスフレンドだけの対等な関係であったはずだ。ところが今ではたまに自分から大作を誘うし、ある日など大作と食事している最中に彼の目を見つめた瞬間彼女の体に突然電気が走ったようにセックスらしきものに酔い息遣いが少し荒くなってくるのがわかった。春江は突然トイレに行ってくると席をはずし、トイレで息を整えていた。春江は惚れてもいない大作に自分の体がだんだん大作のものになっていくような恐ろしさを感じ始めていたのだ。変わったのは体だけではなかった。心理状態も変わった。最初からセックスフレンドとわりきっていたから、大作のプライベートのことなだまるっきり関心がなかった。彼には現在彼女がいるのか、それとも結婚しているのか、子供までいるのではないかとか気になりだしたのだ。だからといって春江は、大作と結婚したいなどと露ほども思わなかった。大作はプロポーズしてくれた武とは違った物の見方、考え方即ち価値観で春江とはまったく合わなかった。大作は運命論者でいくら努力しても人の一生は決まっているというのだ。だから大作には向上心などいっさいない。楽しく過ごせればそれでよい。要するに大作は、外見が春江の好みだけで、中身はきらいなタイプなのだ。しかしセックスフレンドなどと気安く言っているがセックスを重ねるうちに相手に情が移ってしまうのではないか。これは自分だけの変化なのか、他の女性もそうなるのかわからなかった。一方大作の方はこの三年ぐらいの間なにも変わらなかった。ベッドの中でも外でもまったく同じであった。春江は、対等なセックスフレンドとは言え、女性にとっては短い期間の方がベターだ、長くなると女性は情が移ってしまい決断力がにぶりそうだ。男女の体の構造が違うので、フリーセックスも男女異質を考えなければいけないのではないかと疑問を持つようなったのだ。

春江がもう一つ男女異質をはっきり認識したのは彼女の仕事だった。それだけに彼女にとって深刻だった。春江はこれまで仕事に熱中してきた。セックスフレンドがいたからと言って仕事の手抜きなど絶対しなかった。営業は百の講釈より売り上げがすべてだ。売り上げが高けりゃ、社内の発言権も強く、経営陣の覚えもいい。春江は売り上げを上げるために考えられるあらゆる努力した。自己主張をはっきりさせる春江は、自分の売り上げの高さを背景に思いきった意見を吐くこともある。それだけに他のスタッフからの妬みもかいやすい。そんなことを一々気にする春江ではなかった。春江は仕事に対しては絶対の自信があった。ところがここにきて彼女は、仕事に対する意欲が少し衰えたのだ。以前のような仕事に対するがむしゃらせいがなくなっていたのだ。原因は子供だった。女性には、適齢期が二つある。結婚適齢期と出産適齢期。結婚適齢期を失しても女性が結婚できるチャンスは大いにあります。しかし出産適齢期を失しるとその女性は、一生自分の子供を持つ機会なくなる恐れが多分にあるのだ。

春江は出産適齢期の上限に達しつつあるのだ。春江は人一倍子供が好きな女だ。だから毎日お店で子供と会えるのは、楽しみでもあり決して苦痛になることはなかった。春江は、ひょっとして弟のような知恵遅れの子供を生む恐れがあるかもしれないとは思うが、それより子供も一人も生めずに年をとり老後を一人で暮らすなどとっても耐えられないのだ。新しいお店の店長になったのはいいが、結婚しても、一生子供を生むこともなく人生を送るのではないかと考えると本当にゆうつになるのだ。今では毎日お店で子供に会うのが苦痛にさえなってきたのだ。また子供連れで買い物にくるお母さんをうらやましいと思うようになっていた。20代の時には、うらやましいなどと思ったこともなかったのに。

春江の仕事に対する意欲が多少落ちたことは間違いない。それがまた春江の心配になった。この時春江は、「男性はいいなぁ」とつくづく思った。男は40歳、50歳でも子供を作れるから、出産適齢期など心配しなくてもいいのだ。同じ職業人として女性がいかに不利か、世間では男女平等が当たり前で、ことさら男女異質など強調しないがとんでもない話だ。職業婦人として成功した女性達は、一様に男女異質など強調しません、春江に言わせれば、彼女達は偽善者なのだ。特に子持ちの職業婦人として成功した女性たち、子供は誰が世話してくれたと思っているのだと春江は言いたい。全部自分の母親でしょう。それなのに母親への感謝の言葉など聞いたことがほとんどない。自分一人で成功したと思っているのだ。有名人になればなるほどこの傾向が強い。

この時春江はセックスフレンドを持ったことに初めて後悔したのだ。男とセックスを楽しんでいる時間があれば、なぜ自分の伴侶を探す婚活をしてこなかったのか。セックスを楽しんでいる間に、自分の夫になるべき男性が天から降ってくるとも思ったのかと自分を責めた。いずれにして春江の仕事意欲の低下は、彼女の部下にも影響し、それがひいては売上高の減少につながる。仕事の意欲が低下しても逆に売上高が上がるなど絶対にあり得ないのだ。そのため春江は、自分自身にむちを当てるようにこのままではダメだとハッパをかけるようにして働いているこのごろだったのだ。そんな時、春江に朗報があった。ヘッドハンティングの声がかかったのだ。世界的有名なヨーロッパのブランドメーカーが東京に出店する。その店のブティック売り場の責任者なってくれないかという話だった。春江は喜んだ。子供服売り場で実績をつけてきた春江は、いつかブティック売り場で働きたいなとは思っていたのだ。春江はブティック売り場でも自分は絶対に成功するという自信があった。なぜなら高級子供服を売るのは、なにも子供に直接売り込むわけではない、その母親に売り込むことなのだ。その母親はほとんどが30代40代の経済的豊かな家庭の主婦だ、すなわち高級ブティックのお客さんにもなるのだ。彼女たちを相手にするのは慣れたものです。それにしてもヘッドハンティング会社がよく自分に声をかけてくれたものだ。確かに春江は、子供服業界では名前がうれていた。いずれ新会社に入社してみればわかるのだが、春江の会社の経営陣が誰か引き抜かれたのではないのか、そのため彼女を強力に推薦したのかもしれないとも考えた。年収も大幅にアップ。ある一定の売り上げを超えるとボーナスというボーナスインセンティブもあった。この大幅収入アップで彼女が思いついたのが最近雑誌で読んだ卵子の凍結です。

アメリカでは35-44歳の間に妊娠する女性は80年代の2倍近くに増えているのだ。女性が高等教育を受けて高給取りになることを優先させて出産を後回しするからだ。しかし女性には出産適齢期がある。30代過ぎると徐々に生殖能力が低下し始めるのは自然の摂理です。そこでキャリアウーマンに注目されているのが卵子凍結保存です。自分の卵子をいくつか取り出して液体窒素で凍結しておき、結婚する人が現れたら凍結していた卵子を取り出し彼氏の精子と体外受精させるのだ。卵子凍結治療費が15,000ドル、一ドル90円とすれば135万円、退職金でなんとかカバーできそうだ。保存の費用は、最初の一年が無料でその後は年間4、000ドル、36万円、毎月3万円。この程度の費用ならまったく問題ない。今の春江には充分な蓄財があるのだ。春江自身で借金してマンションは買えるし、また借りることもできる。しかし蓄財のため毎日父親の顔を見るのはいやなのだが自宅から通勤しているのだ。幸い春江には中学高校と同じだった幼なじみがニューヨークで日本の企業に勤めているので、もう少し卵子凍結の情報を仕入れて見よう。卵子凍結は、精子凍結よりむずかしいと言われているみたいだ。場合によっては新会社入社の一月前ぐらいに退社し、ニューヨークに行って幼なじみと一緒に卵子凍結サービス会社を訪問してもいいとも考えた。自分の子供を持つためにやるだけのことやっても自分の子供ができなかったら、施設育ちの子を養子にもらおうなどと考えながら、春江はいつもように携帯メイルをチェックしていた。久しぶりにセックスフレンドの大作から誘いがあった。春江は一瞬躊躇したが、「了解」と返答した。携帯を閉じながら春江は思わずため息をついていた。これまで大作から誘いがあった時、「都合が悪い」か「了解」のどちらかの返事であって、返事の後ため息などついたことなどなかった。今回はじめて思わずためいきをついていた。ところが春江にはそのことに気づいていなかった。


追記: このブログ記事の転載は一切厳禁とさせていただきます。













Comments (8)

あまりにも情けない日本の若者



私はネット上の社交クラブ、ミクシー(mixi)に入会してもう5、6年たちますので私には、若い20-30代のマイミク(ネットフレンド)が非常に多い。そこで若い皆さんに現在の若者の情けなさなどを例にあげて説明していきます。皆さんは私の意見にどう思われるのでしょうか。

1.先々月のある金曜日の夜7時半のNHKテレビ、「特報首都圏」を見た。なぜ見たかというと新聞のテレビ番組に「特報首都圏」(トイレで昼食をとる大学生)と書いてあるので何のことだろうと興味を持ったので見てみました。なんと驚くなかれ、現在の大学生は、学生食堂で昼食を一人でとれないとういか、とらないというか、そういう人が沢山とは言わないまでもかなりいるのだ。男女大学生数人になぜ一人で昼食を学生食堂で食べられないのか聞くと、自分には、食事を一緒にする友達すらもいないのかと他の学生の思われるのが絶対にいやなのだとはずかしげもなく言うのだ。どうやら今の学生は、友達がいないというのが恐怖みたいになっているのだ。ではその友達というのは、どういう友達か。男女学生を数人集めて携帯の登録してある友達の数を聞いたらなんと一人300人から500人、一人の女学生など携帯を変えた理由は、前の携帯では700人までしか登録できなかったから、今度は1000人まで登録できる携帯を買ったというのだ。学生たちは、数百人の友達リストの中に果たして顔の知っている友人は何人いるのでしょうか。顔も知らない友人からのメイルの返答に追われて平然としているのだ。

学生食堂で一人で昼食とれない人は、トイレの中でおにぎり食べたり、お茶を飲んだり、或いは歩きなが食べたりしているのです。大学側も一人で食事をとれない学生のために、食堂にカウンセラーの席を設けているのだ。一人で食事する学生がカウンセラーと話ができるように、あるいは友達のいない者どうしがそこに集まって食事をし、そこから友達関係ができるようにと配慮をしているのです。それにしても友達がいないと思われるのがいやだから、学生堂食堂へ一人で入れないなど、精神的ひ弱さがあまりにも目立つというか、異常と思うのは私だけではないでしょう。

2.アメリカの有名なハーバード大学でハーバード大学史上初の女性学長が誕生した。その彼女が日本にやってきて鳩山首相に会った。どんな話を鳩山首相にしたかというと、日本人学生がもっとハーバード大学に入学するよう援助してほしいという依頼でした。ハーバード大学で日本人留学生が激減しているというのだ。現在ハーバード大学外国人留学生の数の多さの御三家は、支那、インド、韓国です。日本人留学生の数が激減しているのは、ハーバード大学だけではありません。アメリカの大学に入学する日本人学生が減っているのだ。現在外国に行きたがらないのは、学生だけではありません。ビジネスの世界でも、日本人の若者は、海外駐在や海外出張をきらうのだ。日本の若者全体が、苦労をきらい、苦労をできるだけ避けようという完全な内向き傾向なのだ。どの大学の先生も日本人の学生は勉強しない、勉強するのは外国人留学生ばかりと言う。学生の学力低下もひどい。およそ半世紀続いた映画の字幕の字数、一場面最多13字が、もう若い人についてゆけずとうとう一場面最多10字になってしまった。結論付ければ現在の若者に言えるのは意欲のなさなのだ。その結果として草食系男性が花盛りになるのは無理もない。もう一つ現在の大学生の異様さを付け加えたい。それは大学の入学式に参加する父兄がやたらと増えていることです。大きな大学だと入学式を二度やるのだ。出席する父兄が多すぎて一度で入学式がすませられないのです。私に言わせれば、親は親で子供ばなれができず、子供は子供で親ばなれができず、親子そろって幼稚なのだ。私に言わせれば、「俺俺詐欺に騙される」予備軍の親がわんさと控えているようなものです。

3.昨年で12年連続自殺者数三万人を超えた。現在深刻化しているのは若年世代の自殺の増加です。昨年の20-30代の自殺率(人口10万人当たりの自殺者数)は過去最高を記録。20代は3470人、30代は4794人。主な自殺原因は、失業や苛酷な労働条件に追い込まれてのケースだと言う。こういう自殺理由は、私にいわせれば自殺理由になりません。それでは世界の貧乏国は、皆自殺率が高いことになります。2009年度の最新のデータによると日本の自殺率は世界6位です。1位ベラルーシー、2位リトアニア、3位ロシア、4位カザフスタン、5位ハンガリー。1位から5位までは元共産主義国家、共産主義国家が崩壊した後の国の回復がいまだしの状態の国ばかり。この上位5カ国を除くと日本は世界一暮らしにくい国なのですか。冗談ではないですよ。私に言わせれば外国に比べれば、日本社会は温室です。それでいてこの自殺率の多さ。日本の人口はアメリカの三分の一ですが、日本人はアメリカ人の2倍も自殺をしているのだ。

もう一つ気になる数字があります。もともと日本人の自殺は、女性より男の方が多かった。それが日本人の男の自殺は女性の3倍になったのだ。なぜ日本人の自殺が外国人と比べてこんなに多いのか。私に言わせれば現在の日本人の精神的なひ弱さです。家庭で学校で過保護に育てられ、卒業後なんの保護もない実社会に放り出され苦難な目に会うとへこたれてしまうのだ。私は何十年も前から言っていますが、現在の教育には、精神的にタフな人間を育てるにはどうしたらよいのかという観点がまるで抜け落ちているのだ。若くて働ける五体満足な体を持っている男が自殺する。私はこういう男には、自殺の理由がなんであれ同情することはありません、それどころか軽蔑したい。そのうえ妻子を残しての自殺など、最低中の最低の男だと遺児にもはっきり伝えるべきだと思います。そんな男には死にたかったらさっさと死ねと言ってやりたい。可哀相、可哀相、やさしく、やさしく、思いやり、思いやりなどと過保護になりすぎ、子供の闘争心をかきたてる育て方のなさすぎがひ弱さを増長しているような気がしてなりません。

4.2010年5月23日の産経新聞の小さな見出しの記事。
  「乳児暴行 頭など骨折
     大阪 容疑の24歳両親逮捕」
長女(1)に暴行し、頭などの骨を折る重傷を負わせたとして、大阪府警捜査一課と城東署は22日、傷害の疑いで、父親の会社員、三浦則之(24)と母親無職、理恵(24)、(いずれも大阪市城東区中央)の両容疑者を逮捕した。府警によると、長女は回復傾向にあるが、体重が同年齢の平均と比べ大幅に少なく、暴行のほかネグレクト(育児放棄)などの虐待を継続的に受けていたとみられる。逮捕容疑は、昨年8月中旬~同12月中旬、自宅のマンション室内で、当時生後約6-10ヶ月だった長女、葵(あおい)ちゃんに暴行を加えるなどし、頭蓋骨多発骨折のほか、腕や足、あばらの骨も折る大けがをさせたとしている。府警によると、昨年12月中旬に葵ちゃんを診察した医師が、「虐待の疑いある」として「大阪市こども相談センター」に通告。センターから連絡を受けて捜査していた。

最近の若夫婦に目立つのは、自分の乳幼児や子供を私たちには考えられないような非人間的な極めて残酷な虐待を与えることです。私の先輩たちや私達の若い時代にこんな残酷な乳児虐待事件がおきたら、それこそ新聞の一面の載るような大事件になったことは間違いないでしょう。それがどうですか親による乳幼児や子供への虐待事件が珍しくなくなったために新聞には、うっかりすれば見過ごされるような小さな記事扱いになってしまったのだ。

親がいない、あるいは親がいても親と一緒に暮らせない子供は、児童養護施設に預けられるのですが厚生労働省によると、昭和30年代(1955年代)までは、(昭和30年というと私は17歳)戦災孤児や経済的な理由で施設へ来る子供が大半だった。戦災孤児とは戦場で父を失くし、無差別空爆で母が死に、引き取り先が現れない子どものことです。当時浮浪児とも呼ばれていました。それが平成20年の調査では、全体の50.9%が「虐待の経験がある」と答えているのだ。ある程度大きくなった子供への虐待は、ある面ではしつけのための体罰と言えるものがあるかもしれません。しかし乳幼児への虐待は言い訳になりません。あまりにも残酷で非人間的。私は若いあなたがたに聞きたい、どうしてあなたがた若い世代にこのような残虐きわまりない夫婦や親が出現するようになったのでしょうか。独身のあなたがたは、自分は虐待など絶対しないと思っている人がいるかもしれません。しかし自分が子供持つまでそんなこと言えないかもしれませんよ。あまりにも若い虐待夫婦や親が多すぎるのだ。

皆さんに御聞きしたい。なぜ若い人が子供を持つと虐待するようになったのでしょうか。
これは真剣に考えなければいけない問題です。これが原因だというたった一つの理由はあり得ないでしょう。複合要因がかさなっていると思います。しかしその中でもここに一番の原因が潜んでいるのではないかと誰もが考えるのが学校教育であり家庭のしつけの問題でしょう。戦前に生まれ戦前の教育を受けて育った私の両親の若かりし頃は、乳幼児や児童の虐待はほとんどなかった。教育者ならそれでは戦前の学校教育は、戦前の家庭のしつけはどうだったのだろうかと考えてもいいはずだ。ところが現在は自虐史観が学校で全盛。この自虐史観は、戦争だけでなく戦前戦中の日本はすべて悪いことにして戦前の学校教育などを悪ときめつけていることです。自虐史観は日本の国益を損じただけでなく日本社会の風俗習慣、秩序、規律といったいわゆる日本の文化というものをだいなしにしてしまったということです。

5.毎年一月に全国各地で成人式の式典が行われます。毎年どこかの式典会場が不埒な若者の妨害によって荒らされるニュースを耳にします。今年の成人式では、私はたまたま見ていたテレビで確か長崎市主催の成人式の式典が若者に妨害されているニュースを見た。三人の若者が壇上に上がって式典の進行を妨害しているのだ。そこえ市役所の人でしょう、壇上にあがって若者の傍若無人な振る舞いを止めさせようとしているのだが、若者はその手を振り切るようにして壇上に留まろうとしてもみあいになっているのだ。

私が驚いたと言うより怒りを感じたのは、会場には恐らく何十人いや何百人の20歳の男の出席者がいたでしょう。その彼らは黙ってただ壇上でのもつれあいを眺めているだけなのだ。いいですか、壇上の不埒な若者は、ピストルだとかナイフだとか凶器を持っているわけではないのだ。完全に丸腰です。それなのにどうして出席者の20歳の若者たちが自主的に立ち上がって不埒な三人の若者を会場の外にほうり出さないのか。私は、若い人に聞きたい、あなたがたには、男気だとか、義侠心だとか、正義感などというものは、もうつめのあかほどもない男になっているのか。壇上の三人は、くりかえすがピストルも凶器も持っていない、丸腰なのだ、どうして立ち上がって三人を会場の外にほうりださないのですか。それともこんな私の発言は、あなたがたには過激に感じるのですか。

私は現役の頃、仕事で白人国家の人たちとの付き合いが多かったから言いますが、もし同じことが白人国家で起こったら間違いなく壇上の三人は、大勢の人たちよって会場から放りだされています。日本では、あまりにも情けない若者が多いから、電車の中で大勢の乗客が見ている前で女性が痴漢に会い、堂々とトイレまで連れていかれて強姦されるのだ。

ここまで現代若者の情けなさを語ってきましたが、中には猛者(モサ)もいます。私のネットフレンドの一人は、自虐史観のままトランク一つでアメリカに渡り、一時はポーカーで暮らしをたてていたこともあったが、一発奮起して商売を始めたが倒産、しかし再び立ち上がり今は成功しています。彼はアメリカに行くまでは自虐史観に凝り固まっていたが、彼も随分勉強したのでしょう完全な大東亜戦争史観の持ち主になっていて、彼の書物の中に私の本が入っていることは嬉しい限りです。これは私の私見だが、彼が自虐史観のままアメリカに渡り、大東亜戦争史観を知ったからこそ、一度挫折したが立ち直りができたのではないかと思います。自虐史観が骨の髄までしみこんでいるとのと大東亜戦争史観が骨の髄までしみ込んでいるのとでは精神的影響度に違いが出ると私は考えています。頁数に限りがあるので全部書けませんが、この他にも私の若いネットフレンドにはすばらしい人がいるのですが、大勢として現在の若者に目立つのがその極端な精神的ひ弱さ、幼稚さです。

読者の中には、年寄りの若者批判は、太古の昔からある慣例みたいなものでそれほど心配する必要ないのではと批判する人もきっといるでしょう。しかしそういうことが言えたのは、私に言わせれば、私の祖父母の時代までで現在ではそんな事は絶対に言えません。何故か。私の子供の頃と私のおじいさんの子供の頃と共通点があるのです。その共通点とは、子供の頃の遊びの種類、遊び道具、遊び方がほとんど同じです。また社会的慣習にも似ているところもありました。時代をさかのぼれば、さかのぼるほど遊びや社会的慣習だけでなく、衣服だとか、食事だとかいろいろと共通点が多くなります。従って昔は、孫と祖父母の間には、肉親的密接度の他に社会的密接度がありました。だから年寄りの若者批判はいつの時代にもあってそれほど心配する必要はなかったと言えます。

しかし、私は今祖父になっていますが,私の孫との関係は、肉親の密接度だけ、孫の遊びの種類や道具をはじめ、何一つ共通点などなにもありません。例えば遊び方一つにしても、私の時代は、子供どうし集団で遊んだ。その集団の中で上級生のリードの下に遊んだ。この遊び方は、恐らく数百年同じような遊び方の慣例ではなかったのではないでしょうか。しかし現在はこのような遊び方はしません。現在の20―30代の若者が祖父母になった時、孫と自分が子供のころと共通点があるのかどうかわかりません。しかし現在に関するかぎり私と孫とは何一共通点のない、肉親の密接度だけが頼りの完全に断絶した世代の日本人なのです。恐らく現在の二十-三十代の若者とも、私の年代とは何一つ共通点を持たない完全に断絶した世代の日本人なのではないでしょうか。このような状勢のもとでは、年寄りの若者批判は、昔からあったから心配はいらないとは決して言えないというのが私の意見です。

最後に若者への私の忠告です。頁数に限りがあるので経済面にしぼります。私の若い時は、世界は資本主義経済と共産主義経済とに分かれていた。現在では世界中が資本主義経済一色です。そのため大競争時代の突入です。この大競争時代突入以来、日本経済はずっと落ち目になったままです。恐らくこのまま続くと、あなた方が定年を迎える頃は、あなたがたは、あなたがたの祖父母の晩年や両親の時代の生活水準を維持することができないでしょう。私の年代の人間は、一流大学を出て一流会社に就職するとそのまま定年まで勤め上げた人が非常に多い。しかし現在は、そうはいきません。時代の変化はさらに激しく早く、競争も激しく一流会社に就職して定年まで働ける人は、幸運の部類に入るのではないでしょうか。従ってあなたがたは自分の経済的武器をいつも磨いておいて、転職、退職を強いられた時、すぐに再就職できるように備えておかなければならないでしょう。定年時の退職金を計算するな。借金しても希望的観測で定年後まで借金の返済期間にあてるな。

私事を例に出して恐縮だが、私は高卒で21歳の頃外資系に就職していらい外資系五社を渡りあるいてきた。渡りあるいて二、三社の頃、このままでは『俺の退職金がない、出ても少ない』、以来自分の退職金は自分でつくる。そのためにいろいろ工夫し努力もしてきた。
今の時代、そしてこれからの時代は、「自分の退職金は自分でつくる」時代になっているような気がします。最後にあなたがたの頭の中に「人生とは、戦いである」という言葉を入れておいてください。この言葉が頭の中にあるのと、ないのとでは、いざ難局にぶち当たった時の心構えが全然違うからです。







Comments (19)