Archive for 7月, 2010

「暴力団」をあまり痛めつけないでください



このブログ記事は、日本の警察の方々への御願いの文章です。

日本の警察の皆様へ
皆様、日夜日本国民の安全、治安維持のために懸命に働いていただいていることを感謝申し上げます。さて一昔前、昭和39(1964)年に「暴力団全国一斉取締り」が始まりました。それ以来あなた方は、下部の組員が法を犯すたびに逮捕するだけではヤクザをつぶすことはできないと、組長、幹部などをなんでもいいから容疑を見つけて逮捕し組織を上からつぶす作戦に出たと言われています。この作戦が功を奏し多くの大小、あるいは名のあるヤクザの組織が解散に追い込まれました。したがって組員の数が大幅に減っていきました。私はこれに対して異議をとなえるつもりは毛頭ありません。

最近あなた方は、ヤクザ(暴力団)が行う野球賭博にまで厳しく追求しヤクザ(暴力団)の息の根を止めようとしているような気がしてなりません。野球賭博などは、賭けゴルフや賭けマージャンに毛が生えた程度の賭け事です。野球賭博で財産を失ったとか殺人事件が起きたなどと聞いたことがありません。もともとヤクザは、賭け事を収入源しています。野球賭博まで法の網にかけてヤクザ(暴力団)を壊滅させるつもりなのでしょうか。あなた方がご存知のように、現在日本ではものすごい勢いで支那人の数が増えています。不法滞在支那人の増加、支那人工作員、支那人マフィアなど、不法外国人分子が続々と増加し、外国人犯罪が急増している時代です。日本のヤクザ(暴力団)が警察によって息の根をとめられる寸前になってしまったら、日本のアウトローの世界は、支那人マフィアなど外国人犯罪組織によって完全に支配されてしまうのではないでしょうか。あなた方は、日本人暴力団を効率的に取り扱うことができますが、支那人マフィアなど外国人犯罪組織はそうはいきません。言葉の問題もあれば、文化の違いもありますから、ヤクザを扱うようなわけにはいかないと思います。私たち庶民も日本のアウトローの世界が支那人マフィアなど外国人犯罪組織に支配されるより日本人ヤクザに支配されている方が安全を感じるのが常識です。日本人には、日本人ヤクザの方がはるかに安心だという歴史的実証例を紹介しましょう。敗戦直後の日本社会の治安の話です。

あなた方警察官のほとんどが、敗戦直後の日本社会の治安がどうであったか知らないと思います。私でさえ、敗戦直後は小学1年生の子供ですから社会の治安のことなどなにもわかりません。後年大人になって先輩から当時のことを聞かされたり、本を読んだりして得た知識です。敗戦直後、戦前戦中あれほど強かった警察の権威が吹っ飛んでしまいました。日本軍隊は壊滅、アメリカ進駐軍から警察官の武器使用制限を受け、権威の失墜、戦死、戦傷などによる人手不足、警察官の敗戦ショック、警察官自身の生活がどうなるかわからないのに治安維持の仕事に身が入らないなどで、警察官の治安機能がガタガタになってしまったのです。その時にのさばりだしたのが当時日本に住む朝鮮人、台湾人、支那人や東南アジアの人たちです。彼らは自分たちのことを何と呼んだと思いますか、「戦勝国民」です。戦争で負けた日本民族を蔑み、自分たち自らを戦勝国民と称したのです。ところが日本を占領していたアメリカ進駐軍の最高司令官、マッカーサーは、彼らは戦勝国民でもなければ敗戦国民でもない「第三国人」だと呼んだのです。それ以来当時の日本人は、彼らを第三国人と呼んだのです。しかし現在この第三国人は、差別用語になっていてほとんど使われておりません。彼ら不法分子は、警察の治安能力低下に公然と挑戦してきた。格好の例が闇市です。敗戦後は、極端な食料不足と物資不足、当然のごとく闇市が生まれました。これは世界の常識です。闇市は露天商がのきを並べます。当然日本人露天商が多い。そこえ戦勝国民、すなわち第三国民の不法分子がやってきて法外なしょば代を要求。拒否すると暴力を振るわれたり、露天をこわされる。そこで警察に訴える。ところがその警察が全く役立たない。そこでヤクザに頼む。第三国人もヤクザも敗戦後生きるのに必死です。彼らは縄張りをかけて血で血を洗う熾烈な戦いを演じたのです。敗戦の翌年、昭和21(1946)年の2月に起きたある事件を紹介しましょう。神戸三宮駅東側の市有地を占拠した台湾人に対し、拳銃・日本刀・鳶口・手榴弾で武装した山口組は、神戸市のマーク入りの公用トラック2台で突入、建築中の建物を掛矢でぶち壊して、逆占拠した。まさに神戸市と山口組の共同作戦です。戦争中に無差別空爆を受けた日本の大、中都市は、ハイチ地震で首都が、がれきの山になっている姿がテレビで写りだされたがあれとほとんど同じようなものでした。誰か力のあるものが、瓦礫の山を少しとりのぞいて空き地をつくり、これは俺の土地だといったらそのままのケースになるのが多かった。朝鮮人の土地不法占拠も多かったという。この時警察など何も役にたたなかったのだ。いかに敗戦直後の治安が乱れていたかの典型的な例を二つ挙げましょう。

1.「朝鮮進駐軍」
敗戦直後の日本社会の治安を乱した最悪の第三国人は、在日朝鮮人です。アメリカ進駐軍の名を借りて自らを「朝鮮進駐軍」と称し、朝鮮人3万人の集団であった。彼らは武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、武器使用制限を受けていた警察官や警察署を襲い、敗戦に打ちひしがれた日本人を襲い、略奪、強姦、暴行、殺人等をほしいままにした。GHQ(アメリカ進駐軍本部)の記録によると4千人以上の日本人が殺されているのだ。彼らの起こした最大の事件が、敗戦の翌年の12月20日の首相官邸襲撃事件です。1万人以上の朝鮮人が参加、日本の警察では全く手に負えず、アメリカ進駐軍が出動し鎮圧した。彼らの不法行為は許せないと義憤を感じたのは日本の一般庶民だけではなかった。ヤクザも同じだった。この「朝鮮進駐軍」が朝鮮戦争をさかいにして現在の朝鮮総連と民団になっていったのです。

2.山口組
敗戦後働き盛りであった山口組、組長田岡一雄は、「山口組三代目、田岡一雄自伝」全三巻を書いているが、その中で「警察の無力」というタイトルの下に書いた文章を少し長くなるが当時の実態を知るために全文を紹介しましよう。
引用開始
「昭和21年2月、神戸市生田署の岡正雄巡査部長が戦勝国民に拉致されて暴行殺害され、同年4月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり彼らの手によって射殺された。そればかりでない。警察の威信を根底から覆す不祥事さえもちあがった。すなわち彼ら3百余人が一団となって兵庫警察署を襲撃し、署長を初め幹部署員たちを人質として電話指令交換室を占拠した。さらに彼らは水上警察署を急襲して拘留されていた同胞全員を釈放し、水上署の全監房は彼らの手によって開放されるという不祥事件にまで発展した。自分たちは戦勝国民だ、ということ盾に、彼らはやりたい放題のことをやり、その非道、無法は目にあまるものがあった。彼らの不遜な行動は市民のはげしい憎しみを集めた。それを嘲笑うように、彼らは神戸市の全警察署を襲撃する計画まですすめるに至ったのである。警察当局は顔色を失った。治安維持より警察そのものを守ることが急務であった。警察は、わたしに助っ人の依頼を申しいれてきたのである。
すなわち当時、湊川温泉内に設置されていた兵庫警察署の署長は本署襲撃に備えて、署員だけでこれを迎撃する力なしと判断し、国警本部長、警察幹部一同、神戸市長と鳩首、緊急会議を開いた結果、同署長は私に兵庫署警護の応援を求めてきたのである。
『どうやろ、田岡はん。力になってもらえんやろうか』
署長は額に脂汗をにじませていた。
私は敗戦国の警察の無力に憤りと嘆きを感じながら、その申し出を受けてたった。神戸の治安維持、市民の安全のため、みんな一丸となって彼らの暴力を排除せねばならなかったのだ。現在の佐々木組組長・佐々木道雄は当時の状況を『山口組時報』の連載手記『かくされた真実』の中で、およそこう回想している。

―――山口組組員は勇躍団結し兵庫署の整備と署員の人命を保護するため、兵庫警察署に昼夜をわかたずたてこもるとともに、同署の受け持ち区域の神戸新開地に山口組自警団を結成、「花月劇場」をその事務所にした。兵庫署内部の警備について、彼ら戦勝国民に襲撃された場合、全署員は重要書類を持ってただちに裏口より避難し、あとは山口組員がこの迎撃にあたり同署の屋上から数本のドラム缶に重油いっぱい詰め、これを落下させるとともにさらに手榴弾三箱、約40個を投下、かれらを大量に殺傷させ、相手がひるむすきに山口組抜刀隊による決死隊が日本刀や拳銃を持って殴りこむという、戦闘作戦計画が警察幹部との間でなされたのである。
いま思えば心寒い国際問題であるが、所詮、みずからの手では治安維持は不可能であり、毒をもって毒を制するという市及び警察当局の考えであったろう。そこで警察幹部署員は組員各位に清酒を振舞ったうえで、相手を殺傷した場合は、その罪を問わず、裁判所の裏口より釈放することを確約。捕虜にだけはならないよう注意し、殺傷したときは奨励金、ならびに見舞金を与えることを申しのべ、大いに山口組組員の士気を鼓舞したのだった。
こうして一同、部署についたが、結局、兵庫署に対する襲撃は行われなかった。これは山口組の気力にくっしたのか、はたまた彼らのうち一部知識人の警告によるものであろうか。兵庫署襲撃事件は未然に防がれ、治安当局のメンツはかろうじて保たれたにである――と。

現在では到底考えられぬことであるが、当時それほど警察は戦勝国民に対して無力だったのだ。その例は昭和21年7月に東京・新橋で起こった松田組との抗争、渋谷署襲撃事件、浜松事件がある。そして、熱海事件と全国に広がり、神戸もまたその例に漏れなかった。われわれが率先して治安を守らねばならぬ時代だったのだ」引用終了

警察の皆さん、これが敗戦直後の治安状態なのです。現在80歳以上の元警察官がいたら、当時の治安状態を聴いて見るのも参考になるでしょう。ヤクザが敗戦直後の日本の治安を警察と一緒になって守ったことは事実なのです。昭和34(1959)年、山口組組長、田岡は神戸水上署の一日署長を勤めてさえいるのだ。このことは山口組がどれだけ治安維持に貢献してきたかの証明でしょう。それが7年後の昭和41(1966)年、まだ田岡が生存し健在でいるというのに警察は、「山口組壊滅作戦」を発動した。兵庫県警の文書「山口組壊滅史」の中にはつぎのような文章が載っていると言います。
「第三国人の集団に対する日本人暴力団の闘争が『大和魂の発露』『男の中の男』として一部市民から英雄視され、心からの拍手をあびた」
「この一部暴力団に対する一部市民の歓呼が、戦後20数年を経た今日にあっても、『戦後のわしらの命がけの働きを忘れたのか、市民のためにつくしたわしらの苦労を忘れるな』と彼らに叫ばせる」
兵庫県の警察の方にはぜひこの本を読んでみてください。このように敗戦直後、ヤクザは日本の治安活動に大変貢献したのです。

それをあなたたがは、1960年代頃からヤクザと呼ばずに「暴力団」と呼んでまるでごきぶりあつかいにした。日本のアウトローの世界には、町奴、博徒、ヤクザなど呼ばれてきたが、その呼び名の中には、侠客道とか任侠道という臭いがあるのです。「暴力団」という呼び名には、社会のくずという意味しかない。「山口組三代目田岡一雄自伝」の最後に田岡の妻、フミ子が短い手記を書いていますが、その中でフミ子は「侠客道を歩む者も、無頼の徒も同一視され、暴力団というありがたくない汚名をきせられている」と嘆いているが、私は彼女に同情します。私は元ヤクザの出でもなければ、身内にもヤクザはいません。それでも「暴力団」という言葉使いはやめてヤクザにもどしてもらいたいと思います。あなたがたは勝手にヤクザを「暴力団」など言っていますが、敗戦直後あなたがたは、なんと呼ばれていたのか、知っているのですか。私は子供心にもあなたが何と呼ばれていたか覚えています。あなたがたは、「ポリ公」と呼ばれていたのです。ポリは(police)のポリです。公は猿公(えてこう)の公、忠犬ハチ公の公です。「ポリ公」、すなわちあなたがたは、動物呼ばわり同然だったのです。私は、この言葉が全国的に使われていたかどうか知りません。しかし敗戦直後私が住んでいた米軍海軍基地の町、横須賀では使われていたのです。

なぜあなたがたは、「ポリ公」などと軽蔑されたのか。それは敗戦直後の治安維持にあまり役立たなかったからではないですか。戦前戦中、あなたがたは、大変権威がありました。大変権威があったということは、ある意味ではあなたがたは必要以上にえばっていたということです。ところが敗戦なったとたん、あなたがたは、頼るところが無くなってしまったのです。それまでは警察の手に負えない事件は、軍隊に頼めばよかった。ところがあの強い日本軍隊が壊滅してしまった。どんな事件でもあなたがたの手で解決しなければならなくなりました。結局あなたがたはうろたえて、あれほどえばっていた警察官が醜態を国民にさらけ出してしまったということです。ところがヤクザは、もともと後ろ盾などありません、極端に言えば悪いことしながら自力で生きていかなければなりません。敗戦という大ショック時には、ヤクザの方が精神的にタフだったのです。しかしこれはもう60年以上の前の話、この辺で打ち切り最初に戻ります。

現在、外国人犯罪が急増しています。都会ばかりでなく地方にも外国人犯罪が広がっています。自衛隊と同じようにあなたがたも大変な人手不足。こんな時にヤクザ(暴力団)の野球賭博などに目くじらを立ててどうするのですか。相撲の名古屋場所に暴力団が見学しないように数人の警官さえ配置しています。違法なことしていないヤクザが相撲を見に来て悪いのですか、野球場に野球見学に来て悪いのですか。私が主張したいのは、凶悪な、あるいは悪質な犯罪であれば、ヤクザを取り締まるのは当然です。しかし野球賭博を追うなら外国人犯罪の方に力を入れてください。野球賭博まで追い詰めてヤクザを窮地に追い込まない方が、現在の日本を見つめ、将来の日本のことを考えると、得策だと主張したいのです。最初にも触れましたが日本のアウトローの世界が支那人マフィアなど外国人犯罪組織に支配されるより、ヤクザに支配されていた方が、我々国民も安心に思えるし、あなたがたにとっても仕事がやりやすいはずだからです。ヤクザを肥やす必要はないが、壊滅寸前に追い込んではまずいのです。これからの日本を考えると、状勢によっては警察がヤクザを利用することもありえます。これは決して恥じではありません。アメリカのFBIもアメリカ軍もマフィアを利用しているケースはいくつもあります。それにしても暴力団という名前はよくありません。暴力団員では、任侠、侠客の臭いすら完全に無くなっていることでしょう。ヤクザという言葉を使ってやってください。昔のヤクザにはいいところがあったと彼らに悟らせるのも一つの方法ではないでしょうか。あなたがたの敵は、もうヤクザではありません。恐ろしい敵は支那人マフィアなど外国人犯罪組織です。外国人犯罪組織がはびこらないように徹底して戦うことです。時にはヤクザを利用してでもです。そのことが我々庶民の安全にもつながるのです。

追記: この記事の転載を歓迎します。警察関係者とヤクザ関係者には特に読んでもらいたいです。




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浜教組の違法暴挙



読者の皆さん、すでにご存知の方もおりますが、私は、「新しい歴史教科書をつくる会」、通称「つくる会」の神奈川県支部の一会員です。この通称「つくる会」は非常に重要な会であり、日教組の人たちは全員この会の名前を知っていますが、しかしそのほとんどがこの「つくる会」の実態を知らず、無理矢理に曲解しているような状態です。また一般市民の方々も、この「つくる会」をあまりよくご存知でないようで特に若い人たちにはあまり知られていません。そこで今回「新しい歴史教科書をつくる会」成立の事情を簡単に振り返り、また教科書はどのようにして学校で採用されていくのか簡単の説明したあと、私が住む神奈川県横浜市で、浜教祖(横浜市教職員組合)は、私に言わせれば、あきらかに「つくる会」を潰す気で違法な行為をしているのだ。私は横浜市民として怒りをこめて浜教祖の違法な暴挙を糾弾し、彼らは一体なにをしでかしているかの実態を報告します。

一.「つくる会」はいつ、なぜ生まれたのか。
「新しい歴史教科書をつくる会」の設立総会のおける趣意書を読んでいただくと設立された背景がわかりますので、趣意書の中ごろから最後までの文章を引用します。
「ところが戦後の歴史教育は日本人が受け継ぐべき文化と伝統を忘れ、日本人の誇りを失わせるものでした。特に近代史において、日本人は子々孫々まで謝罪をつづけることを運命づけられた罪人の如く扱われています。冷戦終結後は、この自虐的傾向がさらに強まり、現行の歴史教科書は旧敵国のプロパガンダをそのまま事実として記述するまでになっています。世界にこのような歴史教育を行っている国はありません。わたしたちのつくる教科書は、世界史的視野の中で日本国と日本人の自画像を品格とバランスをもって活写します。私達の祖先の活躍に心躍らせ、失敗の歴史にも目を向け、その苦楽を追体験できる日本人の物語です。教室で使われるだけでなく、親子で読んで歴史を語りあえる教科書です。子供たちが日本人として自信と責任を持ち、世界の平和と繁栄に献身できるような教科書です。私たちはこのような教科書をつくり、言及するために必要な一切の活動を力強く推進します。私たちに事業に皆様のご理解とご参加を心からお願い申し上げます。
平成9(1997)年1月30日  設立総会」

初代会長の西尾幹二氏や現在会長の藤岡信勝氏らを中心に多くの識者が参加、また歴史教科書の現状に不安を抱いている日本中の一般国民、それこそ北は北海道、南は九州まで私のように名もない一般市民が自発的に「つくる会」に参加してきました。ここで特に強調しておきたいことは、この「つくる会」の運営はすべて会員の会費によるものです。ある特定の団体の寄付によるものではありません。年一回の総会には、会員たちは、北海道や九州から自費で東京までやってきます。自分たちの利益のためにだけ働いてくれる議員を大金を使って国会に送りこむことができる日教組とちがって「つくる会」は資金的にいつも苦しい思いをしております。しかし会員一人一人、教科書を執筆する学者一人一人が国への熱い思いをいだいて活動している会なのです。「つくる会」設立以来今日まで左翼、すなわち日教組、マスコミ、日本の歴史学界、韓国、支那、革丸派などあらゆる左翼から猛烈な圧力を受けております。「つくる会」自身も内部分裂もありました。歴史教科書の内容による路線の違い、人事抗争などであわや「つくる会」消滅の危機さえありました。それでも現在こうして健全に歴史教科書を出版しつづけることができているのも、結局は祖国日本への熱い思いが消滅を防いだのです。もし「つくる会」が消滅したら日本の歴史教科書は、日教組の意にかなった歴史教科書しか出版しない出版社だけになって元にもどってしまうからです。

二.教科書採択制度
日本の学校の教科書として採用してもらうためには、前提として文部科学省の検定に合格しなければなりません。これまで中学校の歴史教科書として採用されている教科書出版会社は、以下の七社です。日本書籍新社、教育出版、日本文教出版、東京出版、大阪書籍、清水書院、帝国書院。これらの教科書すべて自虐史観一色です。皆さん、自虐史観と言う
から大東亜戦争以前、すなわち戦前戦中のことはすべて日本が悪いことにするだけだろうと解釈しがちですが、とんでもありません。この七社の歴史教科書では、日本の国の歴史の主な流れが分からなくなっているのです。その理由は、これらの教科書は、日本を中国、韓国・朝鮮に隷属させたりして、日本の祖国扱いにするからです。またこれらの教科書には、共産主義思想が根深く浸透しています。階級闘争史観で書かれるから、国家とは「むらの財産を自分のものした横領者がつくったもの」にしたり、あるいは「ロシア革命の成功は、平和と民族独立を求める人々に勇気をあたえた」などと述べ、ロシア革命を賛美したりしているのです。上記七社の教科書のうち、明治維新の頃は、日本が植民地になる可能性があったなどと記述する教科書は、たった二社です。

上記七社の教科書出版会社に「つくる会」は扶桑社をかついで歴史教科書の検定合格し教科書採択選にはじめて登場したのが平成13(2001)年、二回目の参加は、やはり扶桑社をかついで平成17(2005)年、昨年度平成21(2009)年度は自由社をかついで採択選に参加してきました。
採択制度の要領:
(1) 歴史教科書を初め他の教科書でも公立学校ではどこの社の教科書を使うかは、4年ごとに決められます。一旦きめられたら同じ教科書を4年間使用されます。
(2) 教育現場の先生は、教科書を選ぶ権限はありません。教育委員会が教科書を選ぶ権   
限が与えられています。横浜市の市立中学校、すなわち横浜市の公立中学校の歴史教科書は横浜市教育委員会が選ぶことになっています。日本全国どこの市でも同じ制度です。
(3) 市の教育委員会のメンバーは、5人ないし6人から構成されます。教育委員長は、
市役所での教育行政の長年の経験者がなります。
(4) どの歴史教科書を採択するか教育委員会内部で意見が分かれた場合、その決定権は
教育委員長にあります。これまで「つくる会」が採択に失敗してきた理由は、せっかく教育委員会内部で「作る会」の教科書の賛成者を得ながら結局意見が分かれ教育長の決定にゆだねられたケースが多かったせいとも云われています。

三.浜教組(横浜市教職員組合)の違法暴挙
今年の4月の新学期から4年間使われる教科書の採択戦が去年行われました。横浜市の区は全部で18区あります。横浜市教育委員会は、「つくる会」の自由社が出版する「新しい歴史教科書」を私の住む青葉区を含む計8区の公立中学校での使用を決めました。残り10区は、帝国書院の教科書が採択されたと聞いています。
横浜市教育委員会は、全18区の公立中学校の教科書を決める権限があります。従って8区も「つくる会」の歴史教科書使用を決めたのだから全区採用を決めてもおかしくありません。しかし「つくる会」の教科書は、日教組を初め全左翼に嫌われ攻撃の的になっているのに、横浜のような大都市が全区採用になると大変な大きなニュースになるのでそれを回避したのだろうと私は解釈しています。

いずれにしても横浜市8区の採用は、「つくる会」にとっては大変大きな成果でした。8区採用で必要な教科書数は、約1万3千冊、その他に私立校では三校で約250冊、合計約1万3千250冊となり、今年度中学一年生推定119万3千200人の1.1パーセントの採択率となった。8年前「つくる会」が歴史教科書の採択戦に初めて参加した時、採択率はわずか0.039パーセントに過ぎなかった。4年前の採択率もわずか0.48パーセント、今回初めて1パーセントを超えたのです。採択率わずか1パーセント越えをもって大成果としなければならない「つくる会」の厳しい採択戦の現状を表しています。

いずれにしても今年の4月から横浜市の8区の中学新入生は、「つくる会」の「新しい歴史教科書」に基づいて教えられはずであった。ところが5月15日の産経新聞によると、浜教組は、横浜市教育委員会が採択した「つくる会」の歴史教科書を使わない授業マニュアル、すなわち「中学校歴史資料集」を作成し、4月1日にそれを一万人以上の市内の教師に配布しているのだ。この「中学校歴史資料集」で提唱された授業内容は、いずれも他社の教科書記述や資料集、独自文献の引用で、採択された「つくる会」の教科書を使わずに授業をする構成になっているのです。さらにこの一万部以上の資料は、「学校ポスト」を利用して配布されているのだ。「学校ポスト」とは、横浜市が年間5300万円の費用をかけているポスティングシステムで、教育委員会事務局と学校間の公務用事務連絡ためのものであり、組合活動や教職員の私的利用は厳禁なのです。要するに浜教組は、反採択運動のために市民の税金を盗用したのも同然の行為をしているのだ。

学校教育法では、教科書の使用義務について、小中高校の授業では文部科学省の検定に合格した教科書を使うことと定めています。通常、検定を通過する教科書は科目ごとに複数あり、その中から特定の1冊を選定(採択)する権限が法律で自治体の教育委員会に認められています。さらに横浜市は市規則で「教科書は教育委員会が採択したものでなければならない」と定められているのだ。違法行為などというものは普通隠れてやるものだが、浜教組は白昼堂々と違法行為をし、その違法行為を全うするために横浜市民の税金を許可も得ずにこっそりと盗用していたのだ。最近の日教組は、山梨県や北海道のケースを見てもその傍若無人な振る舞いは目にあまります。この浜教組の振る舞いはなんだというのだ。私は、横浜市の一市民として、採択地域に住む一区民として、浜教組の柳井委員長を張り倒したい怒りを覚えるのです。その後の経過を日付順に書きます。

4月28日
横浜市教育委員会、教育長今田氏は、横浜市教職員組合、柳井執行委員長に警告書を提出した。要点は2つ。
1. 今後、このような文書(中学校歴史資料集)を教員に配布しないこと。
2. 学校ポストについては、今後、職員団体活動に使用しないこと。

(1) についてはなぜ市教委の名と権限においてその「歴史資料集」の回収を命じなかっ
たのか全く理解できません。配布したままにしておいたら教室で使われる可能性がますます強くなるからです。同じ4月28日の日付で市教委は、市内の全中学校校長に「採択教科書を必ず使用しなければならない」と指導を徹底する通知を出した。

5月21日
「つくる会」の藤岡会長は、文部科学大臣、川端氏に「浜教組の違法行為に関する申し入れ」を行っています。要点は4つ。
1.「教科書不使用運動」問題の事実関係の徹底調査
2.違法な歴史資料集を直ちに回収と関係者の厳重な処分
3.日教組な教職員組合による特定教科書の排斥など教育内容行政への「不当介入」を禁止する抜本的処置。
4.教員の教科書使用義務について教員ならび一般社会に広く知らしめること。

6月4日
「つくる会」の藤岡会長は、市教委、今田委員長に「横浜市教職員組合(浜教組)の違法行為に関する請願」と題して3頁にわたる請願書を提出。要点は3つ。
1.市教育委員会の権限と責任において「中学校歴史資料集」を可及的速やかに回収。
2.このような違法行為が繰り返されないために、上記文書の作成と配布に関与した教員(企画立案者並びに実行行為者)を懲戒処分。
3.教員の「教科書使用義務」について、教員・父母・住民に広く知らしめる処置をとる。

6月13日
「第二回歴史教科書問題を考える青葉区の集い」
私の住む隣の駅(あざみの駅)でチラシが配られていた。私の女房がもらったので私に見せたのが上記の会合のチラシです。チラシの見出しは、大きな字で「こんな教科書、子や孫に渡せない」と書いてあります。私はこの時初めて、昨年から浜教組は、教科書採択結果に大反対していたのは知っていましたが、現在では左翼市民団体とぐるになって大々的に反対運動を行っているのを知りました。聞き捨てにならぬと上記の6月13日の会合に参加してきました。主催者側は、現職の教員と思われる人が二人、教員の定年退職者が一人、市民団体は女性ばかり4人合計7人。参加者は私をふくめて17名。私以外16名全員が私と反対の意見の人たちでした。主催者は、すでに反対の署名活動を行い、市民と先生と一緒に学校訪問もしているとはっきり言っていました。会は参加者に「つくる会」の歴史と現状の説明と「つくる会」の教科書の問題点をコピーしたものを全員に渡し、現職の先生が反論の説明する形式でした。最後に参加者全員に一言でもいいから意見をということで、私は「つくる会」の主催者の説明に偽りなどがあったのでそれを訂正しながら詳しく説明しました。市民団体の4人の女性全員が私の「つくる会」の説明に印象を受けたようで、会の終わりには皆さんから、初めて聞く話で感銘を受けましたと喜んでくれたことにはびっくりしました。「また参加してください」などとも言われました。

ここで皆さんに注意していただきたいには、横浜市教育委員会(市教委)は4月28日に浜教組に、資料配布をやめるように勧告し、かつ全中学校の校長には、採択教科書を必ず使用するよう通達したにもかかわらず、6月13日には、採択反対活動を堂々と行っていることです。浜教組は市教委の通告など全く眼中にない。全く市教委をなめきっているとしか言いようがありません。私はこのことに気づいたのはこの会が開かれた当日でなく、次に述べる傍聴日でした。

6月22日
この日の10時から市教委の定例会で「つくる会」会長の藤岡氏から提出された請願書の審査がおこなわれまた。市民20名までがこの審査の傍聴が許可されています。20名以上の場合には抽選になります。傍聴希望者合計33名。そのうち8名が私を含め「つくる会」神奈川支部の人たち、のこり25名は全員浜教組の人たちでしょう。仲間8名のうち4名が抽選に当たり、傍聴してきました。傍聴参加者によると会議はわずか10分たらずで終了。結論は藤岡氏の請願はすべて却下。市教委としては、浜教組や中学校長に通達をすでに出しているのでこれ以上なにもすることはないとの主張でした。

市教委のこの決定に対しては、「つくる会」神奈川支部としては不満なのですが、今後どうするかについては意見が二つに分かれているような状況です。
(1)横浜市8区の教科書が採択されたのは、あくまでも市教委のおかげ、これ以上市教委をおいつめるのはどうか。
(2)法律違反を犯しているのに、浜教組の誰一人懲戒処分もされず、「中学校歴史資料集」も回収されないなら浜教組のやりたい放題になる。他の市の日教組の反対運動に大きな影響力をあたえ、「つくる会」がますます不利になる。
いずれにしてもいずれ市教委から藤岡会長に正式に返書が送付されるでしょう。「つくる会」本部はどう対応するのかが注目されます。

「新しい歴史教科書」が採択された横浜市の8区は、緑区、筑紫区、港北区、旭区、瀬谷区、金沢区、江南区、青葉区です。この区の公立中学校に今年入学した生徒は、歴史の教科書として「つくる会」が指定した出版社、自由社発行の「新しい歴史教科書」が使われているはずだし、使われなければならないのです。読者の皆さんの中にお子さんがこの8区の中学校に今年入学したかたがおられましたら、あるいは親戚の方が入学しておられましたら、実際の授業はどのようにおこなわれているか実態を教えていただければ非常にありがたい貴重な情報になります。よろしく御願いします。

最後に読者の皆さんに御願いがあります。私たち「新しい歴史教科書をつくる会」は、前にも触れましたがどこからも資金援助を受けていません。いつも資金的に苦しい思いをしております。ぜひ多くの方に入会してほしいのです。会費を納めるだけの会員でもかまいません。入会者の数が多ければ多いほどマスコミ、韓国、支那、日本歴史学会、日教組などなどへの大きな圧力になります。一度「新しい歴史教科書をつくる会」のホームペイジを御覧になっていただけませんでしょうか。


追記:この記事の利用、転載を大歓迎いたします。



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