Archive for 3月, 2011

緊急提案、今すぐ福島原発を破棄せよ。



私は原子力発電に関する知識は、なにも持ち合わせていません。しかしなんら知識がなくとも現在の福島原発を廃棄すべきだという論理を組み立てることができます。即刻廃棄すべき理由は:
1.東京電力は、現在の福島原発の事故に対して完全に制御不能に陥っているとしか考ええられません。
事故以来3週間、なにも改善されていません。放射能漏れを止めるどころか広がりさえ見せています。さらに原子炉そのものが損傷を受けている恐れが多分に出てきました。20キロ、30キロの避難民にたいして、政府は昨日自主避難を呼びかけています。いずれ放射能のさらなる広がりを恐れているのです。もうこれ以上汚染が広がらないように廃棄宣言をするべきです。

2.現場作業員は肉体的にも精神的にも疲労困憊のはずです。そんな時にえてしてミスを犯しやすいのだ。
事故から3週間経つので作業員は、交代で作業していると思います。しかし事故の特徴や、作業の流れから判断して現場作業員の数は限られます。作業員の妻によるネット報道によると食事はカロリーメイト、寝るのは椅子の上です。苛酷な労働条件の下、自分の身を放射能のさらしながら復旧作業は急がなければなりません。精神的プレッシャーも大変なものです。その上現在の若者は、学校でも家庭でも精神的に鍛えられるということがないので我々の年代より上の者と違って精神的にもろいのだ。技術者ならば、「こういう時には」、「こういう作業をする」という当然の流れあるはずです。正常時なら本能のごとく当然の作業をするのだが、肉体的にも精神的にも疲労困憊したような状態の時、えてしてとんでもないミスをするケースが多々あるのです。現場の作業員は、もうこれが限界で、これ以上の酷使には精神的にも肉体的にも耐えられないのではと危惧しています。

昨日作業員3人が被爆した。三人は作業中深さ30センチあまりの水たまりの中を歩いている途中、水が靴の中に入り被爆したという。NHKの水野解説員は、ブーツを履いていてブーツとズボンのすそをテープではりつけて水がはいらないようにしておけばよかったと言っていた。私はとっさに長靴を履いていれば問題にならなかったろうとテレビに向かって怒鳴っていた。3号基など沢山放水を浴びているのだから作業の時、長靴を履くのは常識でしょう。後で分かったことだが、二人はブーツ、一人は長靴で、二人は直接皮膚に放射能を浴びてしまったのだ。皆さん、こういう現場で働く時は、長靴を履くのが常識でしょう。それとも作業用ブーツを履くのが常識なのでしょうか。小さなミスでも自分に跳ね返ってくるなら問題になりませんが、そうでない場合大変な被害を及ぼす結果になりかねません。

3.東電、政府の発言が信用できません。日本の文化の一つに「隠しごと」があります。犯罪になる隠し事は、たいしたことではありません。捕まえればそれですむことです。日本の文化の「隠しごと」で問題なのは、善意による隠し事です。だから厄介なのです。例えば、こんな事を発表したら国民がパニックを起こしてしまうと恐れて、「言わない」あるいは「言っても」表現をぼかす、日本にはこういう隠し事が多いのだ。東電の清水社長は、これだけに事故を起こしてもメディアに顔をみせません。なぜだ?皆さん理解できますか。東電のような公益事業の大会社の社長など、私にいわせれば役人と同じで、社長と言っても飾り物にすぎません。こういう大ピンチのとき陣頭に立って指揮を取れる能力など一切ないのだ。あれば当然もうマスコミの前にたっているはずです。それでも社長は社長です。国民にはっきり知らせるためにも、東電の社長をメディアの前に引っ張り出し、東電のどういうところに手抜かりがあったのか、そして補償問題の話をさせるべきです。補償の問題を国も応分の負担をするつもりようだが、私は国民の税金など使うのは大反対で。何十年かかっても東電本社、東電の経営陣と社員に負担させるのは当たり前の話です。東電は大会社だからつぶされないですんでいるのだ。あぐらをかくでない。

それにもう一人メディアの前に出させなきゃいけない人間がいる。原子力安全委員会の人たちです。政府はこの安全委員会の意見を伝えているにすぎないのです。原子力安全委員会の目的の一つは、「皆様との対話の促進を進める」とあります。この際原子力安全委員会は、福島原発の現状と、これから取るべき手段、万策尽きたらどうするのかなど国民に報告するべきなのだ。

原発を廃棄すると言ってもその方法は私にはわかりません。しかし最悪の廃棄方法は知っています。昭和61(1986)年にメルトダウン(炉心溶融―核燃料が溶ける現象)を起こしたチェルノブイリ原発です。その時原発そのものはコンクリートと鉄板で覆って「廃炉」にした。廃棄方法として他に良い方法がなければこの方法しかないでしょう。日本政府は、早急に廃棄への準備にかかるべきです。福島原発事故発生時、アメリカはスリーマイル原発事故で「廃炉」にした経験があるので、技術者派遣を日本に提案したら東電と菅政権は断ったのだ。東電は事故見通しを誤ったのだ。

最後に私は、福島原発事故で避難している人たちに御願いしたい。あなたがたは、政府に怒りを感じないのですか、私に言わせれば、まるでおとなしい羊の群れ同然ですよ。可能であれば福島原発を廃棄したくないのですか。政府は、「ただちに」(この「ただちに」をオーム返しのように使っている)健康への害はないと言っていますが、10年後、20年後、30年後は大丈夫なんですか。自分が生きている間、あるいは子供が生きている間に放射線を浴びたせいで癌などの難病に掛かったら、即座に補償してもらうこと、政府に病気と放射線の因果関係を調べなきゃなどと言わせないためにいまから政府の補償をとりつけておかなくていいんですか。これから先、被害を受けるとしたらあなた方が最大の被害者になるのですよ。福島県知事を動かして政府と戦わなくてどうするのですか。ぜひ怒りをあげてください。
最後に私は、この国難にさいして日本という国のエリート社会を構成する人たちの無為無策無能ぶりには本当に腹が立ちます。これは日本国民がおとなすぎるからなのです。我々国民が声をあげて心底怒らなければ彼らの成長はみこめません。いまこそはげしい怒りを示そうではありませんか。


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若者よ、就職難時代をどう生きる?



実は、東北関東大震災が起きる前にこのブログ記事は、ほとんどできあがっていました。しかし大震災が起きた後なので記事の話題を変えようと思いましたが、前回のブログ記事でこのタイトルの記事を書くと予告していましたし、また大震災が起きても、若者への私の人生訓、「人生とは戦いである」をますますます強く意識することになったので予告通りできあがった記事をそのまま載せることにしました。以下が大震災起きるまえにできあがっていた文章です。

若い人たちに、人生とは何かと問われれば、私は躊躇なく「人生とは戦いである」と答えます。人生とは一にも二にも戦いなのである。この言葉を若い人には、頭にたたきこんでいただいて以下の文章を読んでもらいたいと思います。現在の若者が直面している日本経済の現状と私が若い時に経験した日本の高度成長時代との一番大きな差はなにか。経済評論家は、このことをあまり語っていないのではないか。そんな気がしてなりません。政治家も経済評論家も、歴史の知識が必要なのにもかかわらず、歴史の無知が多すぎます。私の若い時代には非正規労働者など存在していなかったと思っている経済評論家がけっこういるのだ。戦争直後から日本の高度成長邁進中の世界経済は、資本主義経済と共産主義経済とに分かれていたのだ。ご存知のように日本は、終戦直後から欧米の資本主義経済諸国に仲間入りをしていた。日本の外貨獲得のための輸出国は、ほとんど欧米諸国や東南アジア向け、特にアメリカ向けが圧倒的だった。従って競争相手は主に資本主義経済諸国だった。終戦直後から昭和46年(1971)まで日本は何を武器にして競争していたかと言えば、1ドル360円の為替レートであり、人件費の安さであり、白人どもからはワークホリック(仕事中毒)とさげすまれ、国内では会社人間と揶揄された我々の猛烈な働きぶりです。昭和43年(1968)には経済大国第二位になり、その後数度の円高試練を乗り越えて経済大国第二位を保ってきた。

ところが現在は、昔は資本主義経済と共産主義経済と分かれていたものが、世界中が資本主義経済になってしまった。そのきっかけは平成3年(1991)のソ連解体です。共産主義経済では経済の停滞はあっても成長がないことがはっきりした。そこでロシア、支那、ヴェトナムなどが共産主義経済を放棄して資本主義経済に移行した。その結果世界中が資本主義経済になった。資本主義経済とはわかりやすく言えば競争主義経済です。ソ連が崩壊した平成3年の頃の日本経済は、平成元年12月29日に東京証券取引所の平均株価が38、915円の史上最高値をつけた。そして平成2年にバルブ崩壊し日本経済はガタガタになった。バルブ崩壊から20年たっているが日本経済は沈んだままほとんど復活せず、その間資本主義経済に移行した支那経済の発展、資本主義経済国家でありながら遅れていたインド、ブラジル、韓国のなどの猛追、まさにグローバルな大競争時代に突入し、現在はその真っ盛りの時代です。日本企業が厳しい国際競争にさらされるばかりでなく、毎年卒業シーズンに繰り返される就職までも外国人との競争にさらされているのだ。私の若い時代、日本企業は、ほとんどが日本の大学の新卒者を採用するのが常識で、新卒就職の段階から外人を採用することはなかったと言っていい。ところが現在は激変と言っていい。大会社あるいは一流会社であればあるほど外人採用人数が多いのだ。例えば2011年のパナソニックの外国人採用1100人、この数字は新卒採用の8割をしめています。2009年のローソンが採用した人数の3割が支那人を中心に外国人。昨年ユニクロは1050人の外人を採用したが、その数は新卒採用の8割にあたります。さらに私の若い頃と比べて日本企業の海外工場進出にすさまじいものがある。その結果として日本人新卒者の採用が減らされるのは当然の成り行きです。

要するに国際競争の厳しさ、新卒の就職状況の厳しさは、私の若い時より厳しいものがあると私は考えています。世間では、景気回復や財政健全化の政策ばかり問題にしていますが、私が問題にしたいのは、こういう経済上の厳しい状況を迎え撃つあなたがた若い人たちの精神的ひ弱さです。この精神的ひ弱さが日本経済復活の足を引っ張る一原因にもなっているのではないか。私たちの世代は、いわゆるハングリーで育っているから精神的にたくましい。ハングリーとは文字通りお腹が空いていることです。私は子供の頃、一日三度の食事で腹いっぱい食べたことがなかったのではないかと思っています。一日三度の食事どころか時には一日二度の食事の時さえあった。その時は決まって食べないのは夕飯です。すぐ寝る時間だからお腹がすかないだろうという判断です。私は長男で下に妹二人います。母は私に少しでも多く食べさせたいと思ったのでしょう。母は自分の食べ物をわざと半分残して、「お母さん、もうお腹いっぱいだから、お前たべてもいいよ」と言うのです。バカな私は、それを真に受けて母の分までむさぼり食っていたのだ。現在年をとってこのことを思い出す度に目に涙がでてきます。私は中学校の時に初めてバナナを食べた。世の中にこんな旨い物があるのかと強烈な印象を受けたことを覚えています。こういう乏しい食事をしながら、電気冷蔵庫なし、電気洗濯機なし、電気製品であるのはラジオだけ、ガスなし、水道なし、水道がないから家から50メーターぐらい先に共同井戸がある。共同井戸だけどポンプなし、バケツにロープを結んでの水汲み、冬の寒い日は、ロープは凍って堅くなり水汲みも大変だ。こんな生活をしてきたから、社会に出て大変な目にあってもくじけることなど絶対にない。

ところが現在の若者は、家庭で、学校で、社会で過保護に育てられているからひ弱さばかりが目につく。最近では就職難による20代の若者の自殺が増えるという情けなさだ。社会の過保護とはなにかというと国の福祉ですよ。健康で働ける体を持った30歳そこそこの若者が、生活保護を受けて暮らしてさえいるのだ。こんな馬鹿げた福祉は、あなたがたを精神的に弱くするだけです。現在の国の福祉政策を見ると、私は死んだ母親が可哀そうでなりません。国が貧乏だったからあれほどの極貧状態でも生活保護など一銭も出なかったのだ。私が高校時代の時、私は経済的に奨学金をもらえる資格はあった。しかし当時はよほど学業成績が優秀じゃないと国の奨学金は出ないのだ。それが現在は高校無償化だという。こんな福祉政策など子供のためによくありません。現在の経済状況の厳しさから自殺まではしないが、ひ弱な若者はなにをするかと言えば、逃げるんですよ。どこえ逃げるかといえば家の中に逃げるのです。いわゆる引きこもり現象です。

先月、2月の初めにNHKテレビのクローズアップ現代で「70万人の引きこもり」という番組を放送していました。内閣府の実態調査によると70万人の引きこもりのうち20歳過ぎが63パーセントも占めているのだ。引きこもりと言えば、いままで登校拒否による引きこもりが圧倒的だったのに、現在では就職口が見つからない、就職してもうまくいかないと言って親の家に引きこもり親と一緒に暮らしているのです。親も親で自分たちが死んだらこの子たちはどうなるのかと心配しているのだ。昔の親は、不埒な子供を勘当したが、現在の親は子供を勘当するどころか叱ることもできないのではないか。「引きこもり70万人」のテレビ番組では、引きこもり予備軍を入れると、引きこもりは100万人になると言うのだ。そのくせテレビの司会者も評論家も引きこもりする若者への非難、批判の言葉は一切ない。ただ同情と援助の話ばかりしているのだ。

幸か不幸かあなた方は、子供のときほとんど苦労せずに育ってきた。現在は幸い仕事にもつき無事に過ごしていても苦労や試練が襲ってきた時、精神的にもろい面をさらけだすかもしれません。そいう場面を乗り切るためにも先輩が語っていた忠告や教訓が生きてくる場合もあるでしょう。そこで私は一介の定年サラリーマンですが、サラリーマンとして生きていくための指針を私の体験談を語りながら箇条書きにしてみました。

1.人生とは、戦いである。
この言葉は、一番最初に掲げた言葉です。人生とは、一にも二にも戦いである。幸せは人が与えてくれるものではありません。自分で戦いとるものなのです。毎年日本では自殺者3万人を超えています。特に最近は就職難時代を反映して若者の自殺が急増しています。自殺者に対する同情と援助ばかり叫んでいるのだ。健康で働ける体を持った若者の自殺は、本人が悪いのと親の教育が悪かったのだ。こんな自殺者や親への批判など一切なし。若者よ、最近は「いくめん」が流行っているが、父親の役目は、子供を精神的に鍛えるのが役目なのだ。子供との仲良しごっこを楽しむのが父親の役目ではない。

2.石の上にも三年
私の年代であれば誰もが知っている諺です。今の若い人は誰もが知っているのでしょうか。なぜこんな疑問が出るかというと、若い人は就職が決まってもさっさと辞めてしまうのが多すぎるからです。石のうえにも3年ということは、「冷たい石の上でも三年も居れば暖かくなる」という意から辛抱すればやがて成功するものだと忍耐力の大切さ強調した諺です。最初に「人生とは、戦いである」と言いましたが、人生の戦いの6割から7割が忍耐する事の戦いのです。それで「人生とは耐えること」とも言えますが、耐えるだけでは自滅することもあります。過労死がそうでしょう。だから私は、「人生とは戦いである」と主張しているのです。

今から50年前、松下電器、バッテリー工場の臨時工(非正規労働者)だった私は、21,2歳の時外資系の会社に入った。見習い社員のようなものだった。私の仕事は、9時に会社がオープンするから8時半までに出社し、オフィスの床や机の上の掃除です。9時に郵便局に行き、会社の私書箱を開けて受領郵便物を運び、会社の各部に配る。午前10時と午後2時、一日2回、ファックスのない時代だったので、急ぎのメイルや書類を都電に乗って取引先に配達したり、取引先から書類を貰いに行ったりする。夕方は、各部から出されるメイルに切手をはって郵便局に持って行く。こういう仕事をする人を当時の外資系会社は、メイルボーイと呼んでいた。面接時に、「会社は業績がいいから、すぐにどこかの部で新しいスタッフが必要になる。メイルボーイの仕事を真面目にやっていれば、すぐに正社員になれる」という話だった。

確かに新スタッフが必要になっていたし、新しい部まで設立された。しかし採用されるのは即戦力になる人間ばかり採用され、私のような若い未経験の男など興味がないのだ。私は自分の仕事がいやになってきた。人より30分早く事務所にきて働くのは気にならないが、私と同じような年齢の女性タイピストの机の上をかたずけたり、彼女たちが座っている床を掃除するのが実にいやでならなかった。私は、自分が彼女たちに見下げられているような気分になっていた。いつまでこんな仕事をさせられるのだろうと思うと辞めたくてしょうがなかった。辞めたくても、私はなにも技術もないから我慢するしかないかなどと悶々としていた。
そんなある日、私には一生忘れることができない屈辱的な事件を経験した。例によってその日に手渡しする書類をカバンにいれて出かけようとするとき、タイピストが「この書類、岩井産業に御願いします。部長の許可とってありますから」と一通の書類を渡された。
当時私はいろんな会社に書類を配達したり、あるいは書類をもらいに行ったりしたが、どんな会社に行ったか会社の名前など全く覚えていません。屈辱的なことがあったのでこの岩井産業という会社の名前だけ覚えています。書類を手渡していくと段々手持ちの書類が少なくなっていきます。タイピストから手渡された書類をよく触って見ると、書類の入っている手触りと明らかに違うのです。なんだろうと封をあけて中身を見ると男物の海水パンツではないですか。タイピストは自分のボーイフレンドの海水パンツをこの私に届けさせたのだ。私は逆上した。「俺をなめやがって。ボーイフレンドを大勢の前で罵倒し、恥をかかせてやる」と意気込んだ。しかし私の意気込みも急速に萎んで、逆に意気消沈しだしていた。自分の身が急に情けなくなってきたので。自分の心の中では赤の他人が、「お前に力がないからこういう目に会う。くやしかったら力をつけたらどうだ」と言われ返す言葉もなかった。結局私は、タイピストにもボーイフレンドにもなにも文句は言わなかった。外資系で働くには絶対に英語が必要とそれまで独学で勉強していたが、この事件後猛烈に勉強しだした。私が今にも会社を辞めそうになった時、日本人のK部長が、私の働きぶりをじっと観察していて新しいフタッフが必要な時に即戦力を求めず、私を呼び入れて育てる方針を採用してくれたのだ。K部長は私を男にしてくれたのだ。一人前のサラリーマンにしてくれたのです。K部長は今でも健在で年賀状のやりとりをしています。

3.ポジティブ思考、姿勢を忘れるな。
どんな辛い目に会おうとも、どんな難局に出会ってもいつも積極的思考、姿勢を忘れてはいけません。消極的思考、姿勢では、人生で得することは何もありません。積極的思考の好例をあげましょう。靴のセールスマンの話です。この話し聞いたことありますか。A社の靴のセールスマンが南洋の島に靴のセールスに出かけた。島の到着してみると島民は、靴をはく習慣がないので皆はだしで歩いていた。そこで彼は、本社に電報を打った。「島民は靴をはく習慣がなく、皆はだしで歩いている。靴の需要の見込み全くなし。私はすぐに本社にもどります」。B社の靴のセールスマンが同じ南洋の島に靴のセールスに出かけた。彼は本社に電報を打った。「島民は靴をはく習慣がなく、皆はだしで歩いている。靴の需要は膨大です。私はこの島に滞在して営業活動を始めます」
どうですかこの発想の違い。B社のセールスマンは、もう頭の中で島民に靴をはく習慣をつけさせようと考えている証拠です。いつも積極的思考をしていると、いい意味での攻撃性が(すなわち靴をはく習慣をつけてやろう)わいてくる証明です。

今、営業の話がでましたので、ちょっと脱線しますが、昔私が面接を受けた時、咄嗟にでた私のセリフですが、後で考えてなかなかうまいこと言ったもんだ自分で感心した言葉があります。面接官が「どうですか、売れる自信はありますか」と聞くから、面接しているテーブルの上に鉛筆がありましたので、その鉛筆を指しながら私は、こう言ったのです。
「私がこの鉛筆を持ってセールスに行ったとしましょう。私は5本の鉛筆を売りました。
しかし他の営業マンは10本売りました。こういうケースは充分にあるでしょう。しかし私セールスに出かけて1本も売れなかった鉛筆を他の人が5本売ったというケースは絶対にありません。私が売れなかった製品は、誰がセールスに行っても絶対に売ることはできません」どうですか、皆さん、営業職の面接では試験官の質問状況によっては使えるセリフではありませんか?私は若い時、ハングリー精神の燃えていて闘志満々だった。だからとっさにこういうセリフが出てきて面接官に気のきいたハッタリをかますことができたのだ。要するに日頃の積極的姿勢が重要なのです。

4.仕事の守備範囲を広げよ。
私たちの時代では、日本企業の終身雇用や年功序列は当たり前であった。しかし現在は違う。終身雇用や年功序列などほとんどありません。グローバル競争、すなわち世界中資本主義の時代がそうさせているのです。世間ではよく昔の経営者は偉かったなどと松下幸之助など持ち出しますが、もう時代が完全に違うのです。松下幸之助でも現在では終身雇用で会社経営などできません。グローバル競争があるかぎり非正規社員は絶対になくなりません。就職難時代は今後続きそうです。せっかく正社員で入社しても、会社の経営がおかしくなり退社の可能性もあります。その時正社員を求めてもなかなかむずかしいのではないか。そういう時にそなえて自分の仕事の守備範囲を広げるのだ。例えば、自分の英語力を生かして仕事している場合、正社員の地位を失ったら、また正社員の地位を獲得するのはむずかしい。現在は昔と違って英語の得意なのは、くさるほどいます。だから英語以外の外国語を自分の英語並の実力にするべく勉強しておくことです。営業職であるなら将来有利になりそうな資格試験に合格しておくとか、とにかく自分の仕事の守備範囲をひろげておくこと。

5.自分の存在感を高めよ。
ピアノ弾き、画家、プロ野球選手などが自分の存在感を高めるには何をしたらいいか皆さんは、百も承知です。サラリーマンが自分の存在感を高めるためには、自分の与えられた仕事を一生懸命することです。一生懸命仕事するのは、会社のためでなく自分自身の存在感を高めるために必要なのです。私の時代には終身雇用制があったから会社のために働く意識を持った人も多かったでしょう。しかし終身雇用がなくなった現在、特に大会社の場合、会社のために働くなどという意識は捨てた方がいい。あくまでも一生懸命働くのは、自分自身のためです。一生懸命働かずして、同僚や、上司、あるいは経営者に文句いっても馬の耳に念仏、誰がとりあげてくれるものか。自分の好きな仕事だったら誰でも一生懸命働きます。問題は自分がいやで、いやでたまらない仕事をさせられた時です。転職を決意しなければならない時もあるでしょう。しかしどんなにいやな仕事でも、その仕事で雇われ給料をもらっている以上一生懸命働き、絶対にやる気のない態度丸見えで仕事をしてはいけません。私もメイルボーイの仕事がいやで堪らなかったが、決して態度には表せず、一生懸命に働いた。結局自分のためです。転職するとき、大体が新会社の面接者は、前の会社での働きぶりをチェックするからです。

6.三十代半ば頃までに自分の人生の生き方の方針を立てよ。
大卒後入社して10年たてば自分の仕事の将来性、自分の会社の将来性も大体予想もついてきます。その時あなたは、どういう生き方をするのか?すなわち出世を目的にするのか、あるいは家族第一主義でいくのか、自分の趣味、例えば絵を描くのを専門とし、会社の仕事は生活していくための手段にするのか、お金を貯めることに集中するのか、自分の人生の方針を立てることです。私の場合は、お金をためることに集中したと言っていい。貧乏人だったせいもあるし、外資系で働いていていつでも給料の高い会社に変わる気でいたせいもある。だから私には愛社精神などない、仕事は家族を養うための道具にすぎず、自分の仕事に誇りを持ったことなどない。肩書きも名誉もいりません。ただ給与が多ければそれでよし。有給休暇は、残さず全部使う。残業代の出ない残業はしない。将来を考えて個人的に上司と親しくつきあうこともない。ゴーイングマイウエイというか、一匹狼的な生き方です。貯めたお金を株式投資してさらに増やす。私の30代後半だったと思う。或る時「総会屋一代記」という本を読んで感激し、その本を書いた総会屋の弟子にしてもらおうと総会屋が住んでいる市ヶ谷の屋敷に行った。門の前をうろうろしながら入ろうか入るまいか考えていたが、意を決して門をくぐって屋敷に入った。総会屋が居なくて奥さんが出てきて、主人は出張中で一週間留守だと言う。これが私には幸いした。もし総会屋がいたら私は彼の弟子になっていたかもしれない。彼が総会屋と活躍していた時代は、まだヤクザが株主総会に首を突っ込む時代ではなかった。だから総会屋も頭と度胸とハッタリと多少なりとも男気のある仕事だったかもしれない。しかし私が総会屋になろうとした時代から総会屋家業もかわりつつあったのだ。だからあの時総会屋が留守でよかったと心底思っている。

このブログの前半でも書いたが、平成元年に東京株式市場では日本史上最高値をつけていた。平成2年にバルブ経済がはじけ株が大暴落した。平成2年といえば、いまから21年前、私が51歳の時だ。その頃の私は、自ら自分の定年は55歳、定年後は単身アメリカに行き2、3年語学学校で自分の英語に磨きをかける予定にしていた。株の大暴落で私の老後の人生設計に狂いが生じた。私は外資系五社を渡り歩いた。そのため退職金などないも同然。株の暴落で老後どうしようと顔が真っ青になったのではないか。あの頃多くのサラリーマンの人生設計に狂いが生じた。私は55歳で定年どころか61歳の定年まで働いた。それでも定年後は、どうしても働かねばならないはめにはならず、ぜいたくしなければ働かずとも食える状態であったのは不幸中幸いだった。

一介の定年サラリーマンが皆さんに訓示を垂れるように長々と書いてきましたが、日本の将来はあなたがたの生き様に掛かっているのです。どんな難局に出会おうと自殺したり、とじこもりするいようなけちな人生をおくってもらいたくありません。日本で目が出そうもなければ、思い切って海外に出る手もある。現在アメリカに住んでいる私のネットフレンドは、20代の時トランク一つ持ってアメリカに渡り、一時はポーカーで生活費を稼ぐ生活をしていたが、一発奮起して会社を立ち上げたが倒産、再度会社を立ち上げ日本人の奥さんと一緒に現在奮闘中です。最近私のブログに対するコメントがすっかりこなくなってしまったが、どうやら仕事が軌道に乗り出し忙しくてコメントを書くどころではなくなったらしい。こんな時代でも日本には、まだ大和魂を持った男がいるのだ。
皆さん、あなたの人生劇場の主役はあなた自身です。あなたの人生劇場は、山あり谷ありでまだまだ長い、すばらしい主役を演じてあなたの人生劇場をハッピーエンドなものにしてください。人生とは戦いである。幸せは戦いとるものなのだ。

この記事を書き終えていた段階で大震災が起きた。私は若い人に大震災について一言書いておきたい。人類が誕生して何十万年、あるいは何百万年もたつでしょう。大昔にもどれば戻るほど、人類は自然の大災害に弱かったはずです。茫然自失に陥るほどの大自然災害を経験し、悲劇を呼ぶ戦争も数知れず体験してきました。それにも関わらず人類がここまで発展してきたのも、大災害や大悲劇にも関わらず戦ってきたからでしょう。日本列島に暮らす日本民族も太古のむかしから、台風、地震、津波、火山などの自然災害をどれだけ受けてきたか数しれないはずです。産経新聞によれば、有史以来地球上で起きた大地震の二割が日本列島をおそったという。それでも戦いぬいてきたからこそ日本民族の発展があったのです。このことは人間として生まれた以上生きるために戦い抜くというのが人類に課せられた宿命なのではないでしょうか。今度の大津波で閉じこもりの若者も一生懸命働いていた若者も波に呑み込まれて死んだかもしれません。理不尽な死に方を見ようとも、生き抜いていかなければいけないのが人間の宿命なのです。そうでなかったら人類の発展はなかったはずです。まさに「人生とは戦い」なのである。

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若者に薦める「GHQ焚書図書開封」



私は日本のSNS(Social Networking Service)で最大の会員数をほこるMixi(ミクシー)に入会して5年たちもう6年目に入っている。10~30代の若いネットフレンド(ミクシーではマイミクと呼んでいます)がずいぶんと増えました。私の一番若いネットフレンドは、現在大学受験中です。入学したら会うことになっています。彼とは鹿児島県の高校時代からネットでやりとりし、政治家志望です。日本の政治を変えてみせるから元気で長生きしてくれとうれしいことを言ってくれる青年です。女子高時代に私に歴史の質問をしてきた女性は、現在大学で就活中です。大学生時代にネットフレンドになりこの4月には中学校の国語の教師になる人もいます。大学在学中にレポートの話をもちこんできた大学生は、現在サラリーマンになってもう2,3年たつ。30代でネットフレンドになった人の中にはそろそろ40代に突入かという人もいます。私のブログを管理しているネットフレンドはもう40前後になっているのではないか。この他にも私には沢山の若いネットフレンドがいます。ネットを通じて実際に会ったネットフレンドは20人を超えているでしょう。そしてほとんど皆私のブログ愛読者です。実にありがたいことだと思っています。私はこれまでこの若い人たちに向かってこの本だけは読んでほしいと力説した本はありませんでした。

しかし今回は若い人には、どうしても読んでもらいたいと思う本があるのです。西尾幹二氏著「GHQ焚書図書開封」(徳間書店)です。現在この本は4巻まで発売されていますが、もうじき五、六巻が発売される予定です。この本は私のような年輩の保守層にはよく読まれていると思います。しかし私のような年配者はあと10年、すくなくともあと20年すれば此の世に存在しないのだ。もしこの本が若い人にあまり読まれないまま終わったら、この本のことは世間から忘れられ、日本の近現代史の一部が完全に隠されてしまいます。それほど重要な本なのです。

そこで少し長くなりますが、この本が出版されるまでのいきさつを語ります。私のブログ記事を読む人には10代の方々もおりますのでまず言葉の説明から始めます。まず「GHQ」とはGENERAL HEADQUARTERSの略です。大東亜戦争で負けた日本は、アメリカ占領軍の統治を受けました。統治期間は7年間、正確には6年10ヶ月です。その間日本占領当時に実権を握っていたのがアメリカ占領軍総司令部(GHQ)です。その最高司令官がマッカーサー元帥です。「焚書」(ふんしょ)とはなにか。支那の古い言葉に「焚書坑儒」という言葉があります。秦の始皇帝が行った思想弾圧です。始皇帝は、自分に反対する儒学者を生き埋めにして殺し(坑儒)、儒学者の書いた本を焼き捨てたのです(焚書)。この言葉の説明で容易に想像できるようにアメリカ占領軍は、占領期間中に坑儒はしませんでしたが、焚書をしたのです。実際には焼き捨てはしていませんが、没収した本をパルプ原料にし、学童用の教科書に再生利用した。私たちはこれを焚書と呼んでいます。ここで読者の皆さんに区別していただきたいのですが、「検閲」と「焚書」とは違うということです。GHQ(アメリカ占領軍総司令部)は、昭和21(1945)年9月から占領期間中の新聞、雑誌、映画、放送内容などいっさいの刊行物の検閲をした。当時はなんでも出版を企てる者はコピー2部つくってGHQの承認を得なければならなかった。検閲は承認を得られるように訂正すれば出版はできますが、焚書は戦前、戦中すでに出版された本の没収廃棄です。正確に言うと昭和3(1928)年1月1日から昭和20年9月2日までの間に約22万タイトルの刊行物が日本で刊行された。その中から9千288点の単行本を選びだして審査にかけ、うち7千769点にしぼって「没収宣伝用刊行物」に指定して没収廃棄して日本国民に二度と読ませないようにしたのです。簡単に7千769点の本と言いますが、仮に各本が千部没収さてとすると合計7百76万9千冊という膨大な本が没収されたことになります。

現在、GHQによって焚書された7千769点の本の題名や作者名は全部わかっています。これらの本の中に「侵略」という文字が使われた本が30冊近くあります。その全部をリストアップすると、
昭和6年刊 : 「満蒙に於ける列強の侵略戦」 長野朗
昭和8年刊 : 「阿片禍 英国東洋侵略史」 牛窪愛之進
昭和9年刊 : 「露西亜帝国満州侵略史」 ロマノフ
昭和13年: 「ソ連英米仏侵略の跡を顧みて」 小玉興一
昭和14年: 「ロシア侵略300年」 本山桂川
昭和15年: 「英国の世界侵略史」  斉藤栄三郎
       「白人の南洋侵略史」  柴田賢一
       「欄印侵略史」     デ・クラーク
昭和16年: 「亜細亜侵略史」    高橋勇
       「亜細亜侵椋秘史」   桑原三郎
       「英国の印度侵略を歴史的事実に見る」 高原大輔
       「南洋民族侵略戦」   仲小路彰
       「米国東亜侵略史」   黒木勇吉
       「欧米の対支経済侵略史」井村薫雄
昭和17年: 「豪州侵略史」     班目文雄
       「印度侵略秘史」    ボース
       「東亜侵略隊」     H.・モトラム
       「米英の東亜侵略年譜」 大東亜戦争調査会
昭和18年: 「米英東亜侵略史」   大川周明
       「英国の南阿侵略」   キルヒナー
       「二人の印度侵略者」  太田七郎
       「千島樺太侵略史」   中村善太郎
       「太平洋侵略史」(1-6)仲小路彰
昭和19年: 「米国の世界侵略」   堀内謙介
       「西洋文化の支那侵略史」R・ヒューズ
       「ハリス、ペリー侵略外交顛末」 丸山國雄

戦前戦中に出版され「侵略」という文字がついた本がこれだけあったのです。ということは戦前戦中の日本人は世界史の流れをきちんと解釈していたということです。コロンブスが1492年にアメリカに到着して以来およそ450年間は白人国家による有色人国家侵略の時代です。その450年間に有色人種国家の白人国家への挑戦があった。それが日露戦争であり大東亜戦争なのです。従って戦前戦中の日本で侵略国というのは、欧米諸国とロシアによる白人国家であることを明快に示しているわけです。だからこそGHQは、これらの本を没収し、戦前戦中の日本人の歴史観を抹殺し、逆に日本を侵略国として裁いたのです。従って戦後の日本人の多くが、日本を侵略国家と判断している人が非常に多いという情けない状態がずっと続いているのです。このことは非情に大きな深刻な問題を含んでいます。すなわち焚書というのは、書物を焼かれるあるいは処分されるということは日本民族の記憶と歴史が消され、アメリカの意図どおりの作り変えられた歴史を「真実の歴史」と思いこまされるようになってしまっているということです。現在ニューヨークで支那政府主催のウイグル民族展が開催されていますが、ウイグル人は、支那がかってに作り上げたウイグル民族展を開催していると反対しておりますが,焚書の行き着く先は、こういう状態になるという実に恐ろしい実態が起きているのです。

焚書のため処分された本は、上記だけの本ではありません。先に触れましたように全部で7千769点ですから、それらの本には、政治、文化、歴史、経済、科学、軍事、産業などあらゆる分野に及んでいます。 これらの分野において戦前戦中の日本人は、何を学び、何を考え、何を主張したかなどについて完全にGHQに抹殺されてしまったのだ。抹殺の理由は、先にあげた「侵略本」のように勝利国にとって不都合で不利な情報が満載されていたからです。焚書は、言論出版の自由が保証されている民主主義国が行うには最悪の悪政です。そのためGHQも焚書を徹底して行うことができなかった面があるのでしょう。焚書の対象になった書物が焚書されずに残存している書物があるのです。日本人の中には個人的に長年かけて残存している焚書本を蒐集している人がいます。チャンネル桜の水島総社長もその一人です。彼は一人で焚書約千五百冊を所有しています。その水島氏が焚書について長く研究されている西尾幹二氏に焚書本の紹介番組をつくってみてはどうかと誘い、チャンネル桜での放映を開始、以後平成20年5月末までに23回放映した。それを徳間書店が活字にしてくれてできあがった本が「GHQ焚書開封」です。テレビで放映したものをそのまま本にすることはできません、そこのところ西尾幹二氏が話し言葉を読みやすく工夫してあります。

私が何故若い人たちにこの本を読むことを進めるかその理由を説明します。戦後は自虐史観横行のため、戦後の日本を支配したアメリカ占領軍総司令部(G HQ)の悪行があまり語られていません。GHQには、大きな悪行が三つあります。
1.占領中の相手国の憲法を作ってはいけないという国際法に違反して日本国憲法を作ったこと。            
2.新聞、雑誌、映画、放送の検閲と私信を開封したこと。
3.焚書を行ったこと。

(1)、(2)は語られることは多いが、焚書については語られることが非常にすくない。従って多くの日本人は、GHQの焚書を知らないのです。自虐史観作家の半藤一利の作品に「昭和史、戦後篇(1945-1989)」という本があります。大作です。しかし検閲のことは少しだけ触れていますが、焚書のことは一切触れていません。反日日本人たちは、外国の日本に対する悪行には、度を越した寛容さをしめします。一体こんなバカな国民がどこにいるかというのですか。GHQによって焚書にされてしまった本の作者は、私たちの両親や祖父母にあたる人たちですよ。その人たちが何を考え、何を主張していたかがわかる本の一部が西尾幹二氏の「GHQ焚書図書開封」によって解明されたのです。この本の初刊が出版されたのは2008年です。本来ならこの本は、マスコミに注目されてよいはずです。マスコミは、自分たちの自虐史観を擁護するためにわざと無視しているのです。このマスコミの静けさで思いだすのが敗戦50年後に翻訳出版された「アメリカの鏡・日本」です。この本は、敗戦わずか3年後の1948年にアメリカ人のヘレン・ミアーズ女史がアメリカで出版した本です。敗戦後3年といえばまだアメリカ全体が対日戦勝利に酔っている時です。その時ヘレン・ミアーズは、アメリカ国民に冷や水を浴びせるような歴史観、戦争史観を披露した。当時GHQの最高司令官、マッカーサー元帥は、この本を読んで日本での翻訳出版を禁止した。その本が敗戦後50年にしてようやく翻訳出版されたのです。この本は日本で歓迎され話題になって当然の本が日本のマスコミに黙殺してしまった。自分たちの自虐意史観擁護のためです。私はたまたま本屋を覗いた時、この本に出くわして買ったのです。不幸にもこの「アメリカの鏡・日本」は多くの日本人に知られることもなく、出版社のメディアファクトリー社はこの本を絶版にしています。

私は、この「GHQ焚書開封」を「アメリカの鏡・日本」と同じ運命をたどらせては絶対にいけないと思います。再度力説するが私たちの両親や祖父母が何を考え、何を主張したかの本がGHQによって強制的に処分され我々日本人に読めなくしてしまったのです。その本がまさに開封されて読めるようになったのです。それだけに日本人として余計に読んであげなくてはいけないのではないでしょうか。それには私のような老人だけが読んでもしかたないのです。若い人たちに沢山読まれ続けて初めてGHQによる焚書行為が日本人の常識になる可能性が出てくるからです。これから西尾幹二氏が何巻まで出版するかわかりませんが、少なくとも初刊だけは絶対に読んで欲しいと思っています。初刊は第一章から第十章まであります。一章、二章は、焚書の実態の説明です。第三章から第十章までは焚書本のまさに開封です。その中で圧巻は、アメリカ人が書いた「真珠湾」という本です。焚書本には、日本人が書いたものでなくアメリカ人が書いて翻訳されたものも含んでいたことがわかります。私はもう十年以上前にアメリカ映画、「パールハーバー」を見ました。その時逃げまどう群集にむけて日本軍機が機銃掃射を浴びせる画面がでましたが、私は即座にうそだとわかりました。前に日本人の書いた真珠湾を読んでいたからです。このアメリカ人が書いた本でもそのことが書かれており、私にはアメリカ人の証人を得た感じがしました。
話題はそれますが、大東亜戦争のあらゆる戦場で日本軍は、武士道で戦ったなどと主張するつもりは全くないが、多くの戦場で武士道丸出しにして戦っています。対日戦勝利を確定しているにもかかわらず、無差別空爆を繰り返し、2発の原爆まで落として日本人の殺戮の限りをつくしたアメリカ人の一面を私たち日本人は決して忘れてはなりません。

現在日本でいまだに自虐史観が主流を占めていますが、自虐史観がいかに勝利国寄りの歴史観かを一人でも多くの国民に知らせるためにもこの「GHQ焚書開封」のベストセラー化とまで言わなくても、もっと話題になる必要があります。そのために若い人には、ぜひ、ぜひ読んでもらいたい本だと思っています。

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予告: 次回も若い人むけの記事です。タイトルは、「若者よ、就職難時代をどう生きる?」
    

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