Archive for 4月, 2011

日本人のすごさ



日本人の情けなさ、特に政治家やエリートの情けなさばかりが目につく今日この頃、ここらで気分転換に日本人のすごさについて語ってみました。日本人のすごさとは何かと言えば、その一つはなんと言っても物作りの面でしょう。日清、日露戦争の時には、日本軍は、イギリス製の軍艦に乗って戦いました。それが大東亜戦争では、戦艦「大和」という巨艦を作り上げ、戦後は造船王国になりました。カメラと言えば昔はドイツ製が有名だったが日本はもうとっくにドイツを抜いてしまいました。45年ぐらい前私は一時工作機械の輸出をしていましたが、その時アメリカやドイツ製の工作機械が群を抜いていました。それがいつのまにか日本製工作機械が圧倒的シェアを占めるようになりました。家電も世界一になったし、自動車も質、量ともに現在世界一になっています。こういう例はいくらでもあります。最も状勢の変化で世界一の座を失った製品もありますけど、しかし日本がある製品を作り出すとたちまちその製品の世界一のメーカーなってしまうことも事実です。

こういう点があるからこそ、アメリカ政府は、日本が航空機産業に手を出さないように日本政府に圧力をかけてきたのです。アメリカは日本が航空機産業で世界一になってしまうことを恐れていたからです。日本人の物づくりのすごさはどこから来ているのでしょうか。それは日本人職人のすごさです。日本人職人のすごさとはなにかと言えば、物づくりに精根傾けてつくることが、直接金儲けにつながることでなくても平然として作り続けることができる一面があるからです。なぜ作り続けることができるのか、それは良い製品を作り上げることに自分の人生の意義をみつけるからです。金儲けは二の次になってしまうのです。

一つその好例を紹介しましょう。日本刀の製作です。鎖国が解禁になった頃から日本刀と浮世絵が欧米諸国に持ち運ばれました。浮世絵の技法はまねされたが、日本刀はまねることができなかった。欧米人は日本刀を作れなかったのです。だから日本刀は、現在の製鉄法でできた鉄では作りだせません。日本刀の材料になる鉄は、現在ではどのような方法で作られているのか。平成9年に公開されたアニメ映画、「もののけ姫」は、当時20世紀の日本映画誌上、歴代興行収入第一位になって有名にもなりましたが、その「もののけ姫」で紹介された「たたら製鉄法」です。「たたら製鉄法」は、およそ1,500年の歴史を持つといわれ、その間改良に、改良を重ねて江戸中期に完成されたと言われる製鉄法です。その江戸中期に完成したといわれる「たたら製鉄法」で現在でも日本刀用の原材料を生産しているのです。どこか? 島根県奥出雲町です。毎年一月から二月の間に年三回から四回の操業が行われています。一回の操業では三昼夜不眠不休です。砂鉄10トンと木炭12トンが投入され四日目の早朝約2.5トンの鋼(はがね)が作り出されます。この2.5トンの中から約900キロの玉鋼(たまはがね)が取り出されます。この玉鋼(たまはがね)が日本刀の材料として使用されるのです。この900キロの玉鋼は、刀匠名人から刀匠修業中の人たち約300人のもとえ送られてゆきます。
玉鋼の最終使用者わずか300人ばかりのためにわざわざ過疎地の山奥で江戸時代から続く「たたら製鉄法」で、一端操業に入ると三昼夜不眠不休で、玉鋼(たまはがね)を作っているのです。どうみても金銭的に割が合いません。

日本刀作りに関わる人たち、ほとんど全員が経済的にはあまりめぐまれていないとも言われています。そういえば日本刀作りで大金持ちになった話など聞いたことがありません。この刀匠たちの姿は、金儲け万能主義の現在では神様のようにすら見えます。サラリーマンも30代に入れば一人前に扱われるが同じ30代の刀匠たちは、まだまだ修業時代です。将来金銭的な見返りを期待できない仕事でしかも青春をほとんど犠牲にして打ち込む姿勢、この資本主義時代全盛期にあえてさからうような生き方を平然と続けるこの姿勢。まさに私のような人間には神さまのようにすら感じてしまいます。このように金銭的に見返りの期待できない伝統的な仕事をひきついでいる人たちは、刀匠たち以外にもまだまだ沢山います。例えば、京都のひな祭り人形制作者です。私は一人の職人がひな祭り人形を作りあげると思っていましたが、頭を作って顔を専門に描く頭(かしら)師、頭に髪の毛をつけるのを専門にする髪付け師、手足を専門に作る手足師、最後に着物だけを作り、着付けする着付け師、これら四人の職人は、それぞれ別の所に住み、それぞれ別の門構えの工房を持っているのです。

このように一つの人形は四人の職人たちによって作られるのです。従って一セットの人形が売れても、その売り上げは多分四等分でしょうから経済的に見入りがいいとは考えられません。それでも江戸時代からの制作方法を受け継いでいるのです。先にあげた刀匠たちそしてひな人形を作る職人たち、彼らは自分の仕事を愛し、誇りを持ち、そして少しでも技術的にすぐれた製品を作り出すことに人生の意義を見いだしているのです。金儲けは二の次になっているのです。資本主義万能の時代にあえて逆らうような生き方をする。こういう生き方をする人たちが非常に多いのは現在の世界では日本だけではないでしょうか。こういう伝統が、現在のハイテック中小企業にも見られるというのがまた日本のすごさです。

日本の製造業の優秀さは今や世界的に知られています。その日本の製造業の優秀さを陰で支えているというのが、中小企業の技術の優秀さです。関東地方で中小企業のメッカと言えば、東京の大田区です。ここでの中小企業の技術水準の高さを見学するための多くの外国人が大田区詣でをしていると言われています。米国視察団が大田区にやってきていくつかの中小企業を見学しました。彼らの質問の中に、経営者はなぜ会社を売ろうとしないのかというのがありました。アメリカ人はまず初めに自分で小さな事業を起こし、それを育て上げたらできるだけ高く売り飛ばし、新しい会社を買い、利益をあげればその会社を売り飛ばし、さらにまた他の会社を買うとかして大金持ちにのしあがっていくのが多いと言われています。

ところが日本の中小企業の経営者、特に技術を持つ製造業では、必ずしも金もうけだけが目的でない場合が多いい。勿論経営者は一生懸命金儲けしなければなりません。さもないと倒産してしまいます。しかし経営者には金儲けと同時にその仕事に自分の人生の意義が込められているのです。仕事と人生が表裏一体になっているのです。だから良い技術を持って、利益をあげているから高く売ろうと思えば、売れるけど売らないのです。中小企業の経営者は、社員とは家族の一員のような密接な関係になります。その従業員を見捨てて、会社を売って自分だけ大金持ちになることは日本の社会ではあまり歓迎されません。同じ中小企業の経営でもアメリカと日本では労働観が違うので金儲け一点ばりでは通用しません。

欧米人と日本人との労働観の差には大きなへだたりがあります。欧米人のゴッドが人間を作り出した時、人間は働かなくても暮らしていけたのです。ところがアダムとイブがゴッドの禁じた「禁断の実」を食べたので、ゴッドがアダムとイブに罰として与えたのが労働、すなわち働くことなのです。それ以来人間は働かなくては生きてはゆけなくなったのです。
ですから働くことに懲罰の意味が込められています。従って汗水流して働くことはもともと卑しいことであまり誉められたことではないのです。奴隷制度が発達したのも欧米人の労働観が原因の一つではないかと思われます。できるだけ奴隷にはたらかせて自分が楽をするのが幸せと考えるのです。こういう発想ですから欧米人は仕事をするということは、生活のため、金もうけのための手段であってそれ以外の何物でもない場合が多いいのではないでしょうか。

ところが日本では神様自身が働いているのです。「古事記」に出てくる男神、イザナギノミコトと女神、イザナミノミコトは日本列島を作り、人が住めるように一生懸命働いています。「古事記」にはその他働く神様が沢山出てきます。だから日本人にとって働くことは神聖なことで、日本人はむかしから汗水流して働くことはいとわないのです。そういう労働観があったので、日本では奴隷制度が発達しなかった一因もあるのではないでしょうか。日本人にとって働くことは、生活の糧を得るためとか金もうけのためだけの手段だけではなく、働く人の人生が込められていることが多いいのではないでしょうか。

いずれにしても金銭的利益に結びつかない伝統的技術をあくまでも守ろうとし、昔の人が作った物に負けない、あるいはもっと良い製品を作り上げることに自分の人生の価値を見いだそうとする日本人職人の真摯な姿勢。それにひきかえ支那人の物作りの姿勢を見てください。ヒットしているあらゆる製品の偽物を作り、偽物を買う人がいるから作るのだとうそぶく支那人。私は支那人に生まれなくてよかった。 日本人に生まれて本当によかったと思うのは、私一人だけではないでしょう。

この物づくりの真摯な姿勢が会社経営にも生かされるのでしょう、日本には非常に古い老舗といわれるお店や会社が非常に多い。帝国データーバンク等によると千年以上続いている老舗が七社もあるのだ。その中で日本最古、いや世界最古の会社が大阪で寺社建築を生業としてきた「金剛組」という会社です。創業が西暦578年、つまり飛鳥時代に創設されて以来1400年以上続いているのだ。創設以来2005年まで金剛一族で経営され、2005年に業績不振で高松建設の子会社になり「新金剛組」として活動しています。創業以来1400年も続いている会社が存在しているとはすごいではないですか。この「金剛組」のライバルが松井建設(東証一部上場)で創業が1586年(関が原の戦いが1600年)だという。鹿島建設や清水建設は江戸時代の創業です。

日本国内で200年以上の老舗となると三千軒を数え世界一です。第二位のドイツ800軒を断然引き離しています。支那9軒、インド3軒、韓国はゼロです。100年以上の老舗となると日本では2万2千軒を超えていると言われています。そしてその老舗の半数近くが製造業にたずさわっているというのです。日本には、なぜこんなに老舗が多いのか、それには当然歴史と文化の影響なくして考えられません。歴史の影響とは、日本が平和だったことです。歴史上日本には侵略と内戦の繰り返しのような時代がなかったからです。アメリカの歴史を見てください。建国わずか2百数十年でも200年以上つづいている老舗が14軒もあるのです。アメリカは南北戦争という大変な内戦があったが外国からは侵略されていません。内戦と侵略にあけくれた歴史を持つ支那と韓国をみてください。支那はわずか9軒、韓国ゼロです。世界最古の小説も世界最古の企業も平和なくして誕生しないのです。

次に日本の文化の影響を見てみましょう。考えられる文化の影響は:
1.継続を重要視する。
一流大学を優秀な成績で卒業しても、家業が何代も続く蕎麦屋なら、例え蕎麦屋をついでも大きな財をなすことはないとわかっていても平気で後を継ぐ。何代も続いた家業を継ぐのが当たり前のごとく常識のようになっているのです。
2.他人を信用する。
支那には、「有能な他人よりも無能な血族を信ぜよ」という格言があるが、日本には跡継ぎがいても、経営者として不向きなら養子を入れる習慣が老舗を長続きさせているのだ。
3.汗水流した労働を尊いとみなす文化。
この文化がすばらしい製造業を生む源なのだ。汗水流して働く人間を下賎扱いにする韓国には、200年どころか100年を超える老舗もゼロです。
4.金儲けがすべてではない。
最初にも触れましたが金儲けがすべてであったら老舗は絶対に存在しません。伝統を受け継ぐことを金儲けより優先させるこの心意気。

結論を言うと、共産主義経済が破綻し世界中が資本主義経済になり、グローバル競争という熾烈な経済競争の時代に突入していて、家業を継いだところで、また古い技術の後継者として精を出したところで大きな財を成すことはないことを承知の上で自分の全人生を投じていく日本人がまだまだ多くいるということは、すごい民族じゃないですか。また日頃金儲け仕事の没頭している多くの日本国民は、そういう人たちを軽蔑するどころか、尊敬の念を抱いているのだ。日本人とはすごい民族ではないですか。



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若者よ、結婚難時代をどう生きる?



現在は結婚難時代だと言う。一度も結婚もすることなく定年を迎える人も増えているといいます。そう言えば私の身の回りでも40歳前後の独身男女がけっこう多い。50年も前の私の若い頃は、男女とも40歳前後での独身は、大げさに言えば奇人のような扱いだったような気がします。何故か? 当時は、人間というのは所帯を持って一人前の人間になるという意識が強かったからでしょう。現在は昔と違って結婚観も変わってきているでしょうし、またなにか目的があって結婚せず独身を選択する人も多い。それでも私は、人間は所帯を持って一人前になるという考えには全く賛成です。この考えは死ぬまで変わらないと思います。なにかの目的のために独身を貫いている人には、私は無理に結婚を勧めません。しかしなんの目的もなく普通にくらしていたら知らぬ間に40歳前後で独身になってしまった人たちには、ぜひ結婚を勧めます。このままあなたたがたは、人間として一人前にもならず、年をとり、老いさらばえてさびしい孤独な生活を向かえることになりますよ。それでもいいのですか。積極的な婚活を薦めます。漠然と自宅と勤め先を往復しているだけでは結婚相手は見つかりませんよ。結婚相手が天から降ってくるわけではないのです。結婚相手を探すにも努力は必要なのです。

私は男だから言えますが、男という動物は、大体が自分の部屋一つ綺麗に保つことができないのだ。独り者の男の老人は、汚さ目立つ。容姿も年をとって衰え、それに加えて加齢臭が出る、余計汚さが目立つのだ。女やもめに花が咲き、男やもめにうじがわくという言葉もあるくらいだ。そんな老人になりたくないでしょう。早く結婚相手をみつけることです。40歳前後の女性の場合は、もうほんど出産適齢期が過ぎてもう自分の子供が持てないのです。最近の若い女性は、昔の女性ほど自分の子供が欲しいと思わない傾向が強いような気がします。母性愛の衰えと言えるのではないでしょうか。最近、政治家の野田聖子が50歳で子供を生んで話題になった。野田はアメリカ人女性、女優のジュリア・ロバーツ似だと言われる白人から卵子を貰い、事実婚の日本人男性の精子と体外受精をして得た受精卵を自分の子宮に移植した。高齢(50歳)のため自然分娩できず、帝王切開で出産。野田の赤ちゃんには持病があって、野田のDNAなど何一つ受け継がれていません。それでも野田の子宮を使って生まれたから日本の役所には自分の子供として届けることができる。

一方タレントの向井亜紀とプロレスラーの高田夫妻は、自分たちの卵子と精子を体外受精させ、アメリカ人の代理母の子宮を使って生ませたが、向井夫妻は、自分の子供として日本の役所には届けられないのだ。私はここで日本の法律の不備を訴えているのではない。私が若い女性に訴えたいのは、20代で結婚し20代で子供を生んでおきなさいということです。なぜなら現在は、寿命がさらに長くなっているからです。母親の子育て責任と言えば、子供が高卒になるくらいまででしょう。高卒なら18歳。母親の年齢は40代です。40代からの人生がまだ40年もあるのです。第二の人生を充分に堪能することができるのです。それを現在の女性たちはなにを好んで晩婚にしようとしているのか男の私にはわかりません。20代で結婚し20代で子供を生んでおけば野田や向井のように時間とお金がかかる馬鹿なまねをする必要がないではないですか。

私の次女は、現在43歳、離婚して娘が一人います。結婚する時も離婚する時もいろいろありました。結局、慰謝料も子供の養育費ももらえず、別れた夫の居所さえもまったくわからず、次女の働きだけで娘一人を育て苦労しています。はたから見ればつまらぬ男に惚れたのだ。本当につまらぬ男だった。だから私は最初から反対していた。私があまり反対するものだから彼氏がバツイチで別れた妻に二人の男の子を残していたことを私に隠していたのだ。まさにつまらぬ男とバカな女の組み合わせだ。子供を生んで別れて苦労しているバカな女です。それでも父親の私としては、次女が43歳の独身でいるよりはるかにましだと考えています。自分が子育てすることによって親の有り難味がわかるようになるし、自分の愚かさを知ることにもなるし、自分の父親の男を見る目が正しかったことも知るし、苦労することによって人間的に最低でもいくらかは成長するのだ。男女間の苦労を少しも経験することもなく43歳の独身女性になっているよりはるかにましです。40歳前後の男女諸君、すぐに離婚してもいいから一度は結婚しておくべきだ。一生に一度も結婚することなく老後を迎えるほどわびしいものはないのではないでしょうか。

NHKテレビ番組、クローズアップ現代によると現在結婚難の最大の理由が、結婚適齢期の男女の収入が少なすぎることだそうだ。女性は結婚相手が正社員であることがなによりも優先するそうです。日本のサラリーマンの三割が非正規社員だそうです。そうすると結婚適齢期の男性の三割は、結婚相手になる資格はないのだ。正社員でも給料が安ければ、女性から歓迎されません。その時私はテレビに出てこう語りたかった。私たちの若い頃、国は貧しく、労働者の賃金は安かった。それでも結婚し、妻は専業主婦で子供を育ててきた。それが現在では夫婦共稼ぎが当然なのに、経済的に苦しいから結婚できないというのだ。私に言わせれば現在の結婚に対する考え方がなにかおかしいのでないかと考えざるを得ません。結婚に関してあまりにもお金にこだわりすぎではないでしょうか。それでは私が薦める20代で結婚し子供を生み、子育て終わった40代で第二の人生を楽しむことができなくなってしまいます。そこで私は若い男女に御聞きしたい。あなたがたは、貧しくとも茶碗一つ、はし一つから自分たちの手で無から家庭を築こうという情熱はないのでしょうか。私は自分自身が貧乏だったから自分たち夫婦の手で無から家庭を築こうという情熱は非常に強かったと思う。およそ45年も前に若い貧乏夫婦がこんな新婚生活をしながらお金を貯めていった私の体験を話しましょう。

子供ができちゃったので結婚することになったのを「できちゃった婚」と言うらしいですが、私の結婚も典型的な「できちゃった婚」だった。長女は私が26歳と10ヶ月の時に生まれた。結婚式場の人の話によると、妊娠4ヶ月までは、妊娠していることがばれることなく花嫁衣裳でごまかすことができるという。即結婚式を挙げた。安く式を挙げられる公立の式場、いまでも存在するのかどうか知りませんが、新宿の生活会館です。今思い出しても、自分で自分を誉めるのも気がひけるが、結婚式や結婚に掛かる費用は全部自分が出したのだ。自分の実家は、金銭的にはいっさい頼りにできないのを充分知っていたから高卒で働きだして以来、私は、自分の下着一枚自分のお金で買っていた。いずれ結婚の時には、結婚費用は自分で工面しなければならないのを知っていたから毎月かならず貯金していたし、そのころ勉強と称して金額的にはわずかだが株式投資をしていた。私の母は、自分の息子が結婚するのに金銭的に何もしてやれない自分がつらかったのではないかと思う。母は昔の女性だから和裁ができる。私と女房のために寝巻きを一枚ずつ、敷布団を一枚ずつ、座布団一枚ずつ縫ってプレゼントしてくれたのだ。新婚生活は6畳一間のアパート、トイレと台所、台所の板の間には冷蔵庫が置ききれない狭さだった。余談になるが阪神淡路大震災の時、被災者の仮設住宅の中をテレビでみたが、私の新婚の6畳一間よりはるかにすばらしい仮設住宅を見て、日本は豊かになったんだなあと実感した。私の新婚時の6畳一間は、いまなら貧民窟扱いになるでしょう。

このアパートを借り、生活必需品の電気洗濯機と冷蔵庫を買ったら私の貯金が底をついてきた。数ヵ月後には生まれる子供の出産費用も残しておかなければいけないし、女房には貯金がほとんどなかった。それには理由があった。女房の家族は、私との結婚に反対であった。そのため彼女は家出をした。ところが住所をつきとめられ、実家に帰されてしまった。今度は用意周到に家出の計画をし、私との付き合いが完全に切れたこと家族に思いこませることに成功。ある日突然のごとく家出した。会社も辞めてしまった。この二度の家出でと退職で彼女の預金は底をついていたのだ。

このまま子供が生まれると私たち夫婦は、ずっと貧乏生活が続く、そこで考え出したのが「我が家の貯蓄五ヵ年計画」です。なぜ五ヵ年か?子供が産まれ五歳になると幼稚園に行く。そのころ保育園はまだ隆盛ではなかった。子供が幼稚園にゆくようになると色々世間との付き合いも出て来るからお金もかかる。従って子供が幼稚園に入るまでの五年間にある程度まとまったお金を作っておかなければならない。そのお金を株式投資して増やす。そうしないと二人は一生貧乏だと思ったのだ。そこで徹底してけちる作戦を実行した。子供が産まれ三人家族は、徹底した孤立化、すなわち社会との一般的な付き合いを止めたのだ。母とのつきあいさえ止めたのだ。母に五ヵ年計画の話を説明した。五年間だけ私の家に来てくれるな、私も母の家には行かない。母の家にお互い行き来すればお金を使うからです。とにかく五年間だけ我慢してくれと言った。母は「お前がそんなに薄情な子とは思わなかった」と言われた。

女房は、私と結婚するために二度家を出していた。そのため結婚後実家とのつきあいなど考えてもいなかった。通常出産の時、娘の母親が手伝うものだが、女房は、自分ひとりの力で生み、育てる覚悟はできていた。私は会社でも同僚との夜の付き合いを絶つことを実行した。私は彼らに自分の貯蓄五ヵ年計画を説明した。忘年会でも断った。とにかくお金を出す付き合いは徹底して断った。そのうちに私を誘わなくなった。昼食時男は大体外で食べるが、私は女房に弁当を作らせ、お弁当を持ってくる数人の女性たちと食事をした。あの頃まだスーパーやコンビにもなく、八百屋、魚屋、肉屋など個人商店が多かった。女房は夕方になると買い物にでかけ時間をかけて全部の店を見て周り同じ物でも一円でも安い物を買った。一円でも安い物を買うために女房は、バス亭の一駅や二駅バスに乗らず歩いて買い物した。私はタバコを絶った。この時の経験から、生活保護を受けている人間がタバコを吸っているのを見ると腹がたってくる。小遣いも一銭もなし。財布の中にはいざという時に恥をかかないように一万円札が一枚入っているだけ。あの頃の私は、会社では完全に変わり者扱いされていたと思う。それでもお金かかる付き合いは一切受け付けなかった。

子供が産まれて予期せぬことが起きた。当たり前のことだったが、子供を持つ前想像できなかったのだ。生まれたての赤ちゃんは、退院すると毎日お風呂に入れなければなりません。アパートに風呂がないから風呂屋に行きます。女房が風呂屋に連れてゆくのですが、生まれたての赤ちゃんは、首がぐらぐらしているから女房は、赤ちゃんを抱いては恐くて風呂屋のお風呂に入れないのだ。結局私が会社から帰ってから、六畳部屋の真ん中に大きいビニールシートを敷いてその上にたらいを載せ、その中にお湯を入れます。私が両手で赤ちゃんの頭とおしりを持ち、お湯のなかに赤ちゃんをひたし、女房が赤ちゃんの体を洗うということを三ヶ月間ほど赤ちゃんの首がしっかりするまで続けた。それから女房は、自分ひとりで赤ちゃんをつれてお風呂に行くようになった。このように他人との付き合いをすべて拒否した生活を三年位続けたころ私に幸運がめぐってきた。私は29歳か30歳のころ勤務先を変えた。その会社はニューヨークの株式市場に上場しているアメリカではトップクラスのエンジニアリング会社だった。その東京支店に採用されたのだ。この時私は、初めてアメリカ人支店長と一対一で英語での面接を受けた。一応自分の英語もある程度進歩していたのだ。この会社に採用されていままでの自分とは全く違う環境の中に入れたような気分になった。月給はいままでよりも五割アップ、事務所全体にじゅうたんが敷き詰められたすばらしい事務所環境、私にあたえられた机も日本の会社だったら相当偉くならないとあたえられないような立派な机だった。そしてなによりうれしかったのは、当時日本の会社は週六日制だったが、アメリカでは常識の週五日制になり土曜日が休みになったことだ。これはみなにうらやましがられた。この会社に入る前にはいまでも覚えているが横河電機の株を買っていてそれがあがりにあがりって儲けた。土曜日が休みになったから何かアルバイトがないか探していたらすぐに見つかった。工作機械メーカーの輸出のお手伝いだ。会社には内緒にしてこのアルバイトを三年間ぐらいやっていたような気がする。要するにこの会社に入って生まれて初めて私の懐が急に豊かになったのだ。それでも貯蓄五ヵ年計画の手を緩めようとはしなかった。相変わらず風呂のない六畳一間の生活を続けた。二番目の娘が生まれた時は、二番目の娘は押入れの中に寝かせた。

とにかく一番上の娘が五歳になって幼稚園に入るまでの五年間、私たち夫婦は、会社の同僚、友人、肉親とのつきあいを絶ち、社会から徹底して孤立化して金をためることに集中し、それを株式投資にまわして資金を増やすことに専心した。結婚五年目の1月28日、この日は夫婦の結婚記念日です。くしくもその日に三番目の子供が産まれた。その前月、12月の初めに晴れて六畳一間の生活からお風呂のある新築の借家に引っ越した。ここまで書いてくると私の自慢話になってしまいますが、ところがその後は、私の人生は順風満風が続くと思っていましたが40代に入るやいなやいままでの苦労が水の泡になる失敗をしでかした。我が人生の波乱万丈は続いたのだ。それでも新婚生活五年間に我が家の経済的基盤を作ったことは確かです。ですからお金のない若いカップルの方々に、またお金がなくて結婚のふんぎりがつかない人に言っておきますが、昔とちがって大概のカップルが二人で働くのでしょう、お金はたまるはずなんです。心のどこかに誰かに頼ろうとする依存心が強いのではないでしょうか。誰かに頼るの中には国の福祉政策もあるでしょう。要するに依存心があって必死度とか情熱とかが足りないのではないでしょうか。

最後に私は若い女性に母性愛について言っておきたい。昔の母親は、現在の若い母親より母性愛が非常に強かったということです。昔の母親と言っても歴史にもなりそうな昔の話ではなく、私の母親の代の女性、すなわちあなたがたにとって曾祖母にあたる年代の母親は、母性愛が非常に強かった。なぜか。女性は妊娠すると自分のお腹に赤ちゃんを通常10ヶ月あまり宿します。その分女性の子供に対する愛情は、男よりも強いと言われています。その通りだと思います。しかしそれは母性愛の基本であって、10ヶ月間お腹に宿しただけでは母性愛は充分育っていません。母親は出産後、自分の子供を手塩にかけて何年間も自分の手で育てるから強い母性愛が育っていくのです。ところが現在の母親はどうでしょうか、どうかすると自分の子供が産まれて数ヶ月もしないうちに保育園に預けてしまいます。これでは強い母性愛が育つわけがないのです。私はなにも今すぐ保育園を廃止せよなどと主張するつもりは毛頭ありません。ただ若い女性には母性愛は本能だけでなく子供を自分で手塩にかけて育てるから自分の母性愛も強くなる、すなわち母性愛も育てられるという面があるということを認識してもらいたいのです。保育園に預けっぱなしが母親の母性愛不足を呼び、それが虐待、子殺しと発展していく一因になっているような気がしてなりません。

子供を保育園にあずけるのは当たり前でなく、親が子供を育てるのが当たり前なのです。しかし事情が許さず、やむを得ず保育園にあずけなければならないのだということを強く意識してもらいたいと思います。

注: 前々回のブログ記事、「若者よ、就職難時代をどう生きる?」(3月19日)を読んでない方は、このブログ記事と一緒に読んでいただけたらと思っています。





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