Archive for 5月, 2011

なぜ日本人は危機管理に弱いのか



今回の大震災でも日本人の危機管理のまずさを露呈した。皆さんは、その根本原因はどこにあると考えますか。私は日本人の国民性と文化にあると考えています。日本人の国民性とは、自分にとって都合悪いこと、嫌な事、やっかいな事などは現実直視をいやがることであり、文化が原因とは「和」の文化のことです。それではこの二つを説明していきましょう。
1.日本人は現実直視をいやがる。
日本人は、現実直視をいやがるどころか時には自ら目をつぶって現実直視を避けるのです。終戦直後から1991年(平成3)にソ連が崩壊してロシアが誕生するまでのおよそ45年間、日本の知識人は、ソ連びいき一辺倒の親ソ反米反日でした。しかし終戦直前ソ連が日本に何をしたか現実を見て下さい。終戦直前ソ連は、日ソ不可侵条約を破って日本に宣戦布告して日本軍に攻撃をしかけ、降伏した8月15日を過ぎてもソ連軍は攻撃を続け、そのあげく北方四島を略奪し、60万人という日本軍人を捕虜にして極寒地のシベリヤの奥地に強制収容し、粗末な食事で強制重労働させ、少なく見積もって5万人、多く見積もって7万人の日本兵を死においやったのです。終戦になっても現在まで北方四島は略奪されたま、強制収容されて一番遅く日本に帰国できた日本兵は戦後も12年後のことです。このような現実が存在しながら日本の知識人は、ソ連に傾倒しソ連賛辞に明け暮れていたのです。現在の共産主義国家、支那は経済では資本主義を採用していますから経済の面では自由がありますが、当時のソ連は完全な共産主義国家で言論出版の自由、企業を起こす自由など、自由というものが何もないのです。自分は日本でありあまる自由を満喫しながら、全く自由がないソ連にあこがれていたのだ。彼らは進歩的文化人とさえ呼ばれていたのです。彼らは、現実直視をいやがるどころか、ソ連の現実に目をつぶってしまったのです。皆さん、このばかばかしさ信じられますか。日本国民がこのばかばかしさを強く批判すれば、知識人たちも現実の姿に目がさめたのでしょうが、日本国民そのものが現実直視をいやがる方だから、知識人のバカさかげんに平気でいられたのではないでしょうか。

現行憲法の9条にしても、世界の現実、日本の取り巻く現実を直視すれば、憲法を廃棄ないし改正して当然なのに、現実を見ようともしないのです。竹島にしても尖閣諸島にしても、現実直視をさけて何も対策をうたなかったから現在のような状況になってしまったのではないですか。これらのケースは、政治思想がからむ話なので、日本民族が現実直視をいやがるとは言いきれないという人もいるでしょう。そこで日本人全体で現実直視をいやがった話をしましょう。がんの告知ですよ。現在こそがんは早期発見、早期治療で完全に治るようになったから、「私、いま癌の治療中です」と平気で口にする人が沢山増えました。しかしいまから20年以上前は、がんの告知は日本では非常にまれでした。私の母は胃がんをかわきりに二度転移、最終的に大腸がんで死にましたが、父は一切母に告知しませんでした。がんイコール死の病と言われていたからです。私は外資系五社を渡り歩きましたが、最後の五番目の会社で(今から20年前)、医薬品の原料を海外から輸入して日本の医薬品会社に売り込んでいました。その頃ある医学雑誌だかパンフレットだかに日米のがん告知率が書いてあったのを覚えているのですが日本の告知率は記憶が定かではないが確か20-30パーセント台、米国は80パーセント以上でした、とにかくものすごい開きがあったことを覚えています。その記事の中で医者がこれほど告知率が低いとがん治療の水準向上があやぶまれるようなことが書いてあったのも覚えているのです。二年ぐらい前にNHKテレビで、日本のがん治療がアメリカより遅れている現状を、がん患者、厚生省の役人、医者、製薬会社などのゲストを集めて話し合う番組がありました。その番組は日本のがん治療がなぜ遅れたのか、その理由を探る番組ではなくて、日本のがん治療がアメリカより遅れている現状を伝える番組でした。私に言わせれば、日本のがん告知率の低さが、がん治療進歩の阻害になったのです。アメリカは20年前でもがん告知率は80パーセント以上でしたからね。検査で患者が癌と分かると告知し、現在行われている治療方法はこれこれで、治癒は望めないでしょう。余命1年ないし2年でしょうとか、はっきりと直接患者に言うのです。勿論患者の家族から直接言わないでくれと頼まれれば別です。ところが日本ではそれができない。医者は必ず家族と相談します。治る見込みのない患者の家族は、ほとんど告知を拒みます。現実直視をいやがるのです。理由は本人があまりにも可哀そうだからと言って、自分にとって都合が悪いことは直視しようとしないのです。見て見ないふりをしたがると言ってもいいかもしれません。その結果がん治療に関して日本では次の三点で遅れが出た。

(1)がん新薬開発の遅れ
新薬が世に出るまでには、必ず臨床試験(人体実験)をやります。がん新薬を開発するにはがん患者に説明して実験台になってもらうわけです。がん患者は、病状が少しでもよくなればとわらをもつかむ気持ちで積極的に実験に参加します。一方日本では患者にがんと告知されていないら実験の呼びかけができません。どちらががん新薬を開発しやすい環境にあるか誰でもわかります。

(2)腫瘍内科医の数
腫瘍内科医とは、専門用語で言うと「がん薬物療法専門医」、簡単に言えば、抗がん剤を使いこなせる医者のことです。抗がん剤は副作用が強いので使いこなすのがむずかしい。がんの種類も多いし、患者の年齢、体重、病状、男か女か、状況によって使い分けがやっかいなのだ。一つの抗がん剤だけならまだいいが、他の抗がん剤を混ぜて使うとなると熟練が必要です。アメリカの内科医は、がん告知率が高いからがん患者にすぐ抗がん剤を使用できます。従って抗がん剤使用経験を早くから沢山積むことができます。一方日本の内科医は、自分の患者にがん患者がいても告知できないから抗がん剤を使うことができません。なぜなら抗がん剤は副作用強い、例えば髪の毛がぬけるから患者は自分でがんではないかと気付いてしまうからです。従ってアメリカの腫瘍内科医の数が日本より断然多くなるのは当然でしょう。2005年現在、アメリカの腫瘍内科医9700人に対して日本臨床腫瘍学会承認の腫瘍内科医わずか47人。学会ではいずれ4000人にまで増やしたいと言うのだ。アメリカでは、がんが死の病と言われていた40年前から腫瘍内科医は登場していたのだ。(最新医療情報、共同通信社、2005年より)

(3)がん患者専門の看護士の数。
告知率高ければがん患者は増えるし、がん患者だけの入院病棟もすぐできます。告知できないからといって他の病気の入院患者と一緒にする必要もないでしょう。がんには末期ガンといったつらくて長い治療期間もあるし、がん患者は最後の息をひきとるまで意識があると言われています。がん患者専門の看護士が登場してもふしぎではありません。アメリカにはがん患者専門の看護士の数が日本にくらべて圧倒的に多いのだ。日本でも最近、看護学校でがん患者専門の看護士コースを設けている看護学校もかなり出てきています。

要するにアメリカは、がんが死の病と言われた時代からがん告知し、患者、家族、医者が必死でがんと戦ってきた。一方日本では患者にがんは告知されず、可哀そうだという感情のもとに家族は見て見ぬふりをし、患者を置き去りにし、医者はがんと戦う機会にめぐまれなかった。その結果はどうなるかは充分に予想できます。アメリカではこれまで末期がんの場合は、患者の延命が目的であった。それが身体的苦痛や精神的苦痛を和らげて生活の質(Quality of life)の向上をめざすターミナルケアの発想を生み、ターミナルケアを専門に行うホスピスの誕生に発展してきたのです。日本はアメリカのがん治療の後追いをしているのが現状です。

このようにがん治療で遅れがでたのは、日本人が自分にとって都合の悪いことは、現実直視せず、なにか理由つけて隠したり、見て見ぬふりをする国民性に原因があると思うのです。このように現実直視をしたがらない国民性が情報隠しの横行を許し、あげくのはてが「臭い物にふたをする」ことになるのです。この格言は日本人の国民性から生まれた格言でしょう。英語には、「臭い物にふたをする」にぴったりはまる格言はありません。臭いものがあればふたをするどころか、徹底して解明してしまうのがアメリカのような気がします。私はニクソン大統領の「ウォーターゲート事件」(1972-1974年)の顛末を知ったときそんな気がした。「臭い物にふたをする」をさらに悪くしたのが日光の猿です。「見まい」、「聞くまい」、「言うまい」の三匹の猿ですよ。戦後の知識人人は、「見まい」、「聞くまい」に徹し、えらそうなことだけを言っていたのだ。要するに自分の見たくないものは、見ないようにして現実直視をさける民族が、最悪の中の最悪に備えるということは苦手なのは充分理解できるのではないでしょうか。

今度の原発事故を見ても、東電は、数十年前から事故や隠蔽を繰り返してきた歴史があります。隠蔽事件だけでも拾って見ると:
(1) 1976年(昭和51)福島第一原発 2号機
構内で火災が発生したが外部に公表されなかった。しかし評論家、田原総一郎にあてた内部告発で明らかになった。
(2) 1978年(昭和53)福島第一原発 3号機
日本最初の臨界事故を起こしています。それが公表されたのは、29年後の2007年の3月でした。
(3)2002年(平成14)福島第一原発 1号機、2号機
故障やひび割れが沢山みつかったのに、点検記録に書き込まず、なかったことにしていたことが発覚。当時の社長と経営陣5人が辞職。このため2003年に点検のため同社の原発すべて一時停止する事態になった。
(4)2007年(平成19)柏崎刈羽原発、新潟県中越沖地震で被災。
この時、沖合に活断層があることを承知していたくせに公表していなかったことがばれた。また地震で放射性物質を含む水が海に漏れ出していたことの公表が遅れて非難をあびた。この時の社長が勝股だ。責任を問われ辞職、現会長になっています。

東電原発事故後直後の3月20日、原子力安全保安院の中村幸一郎審議官が、「1号機はメルトダウンしているとみてよい」と記者会見で発言したら、「国民に不安を与えた」と問題視し、菅首相は彼を更迭した。最近になってメルトダウンしていることが判明した。このように自分にとって都合の悪い事が起きると、「臭い物にふた」式に隠そうとする、東電以外にこういうことが何回もあって、「隠す」ことが日本の文化のようになってしまっているのだ。

2.「和」の文化は、危機管理に向かない
福島原発問題でしょっちゅう出る名前は、東電、原子力安全委員会、原子力安全保安院です。原子力安全委員会は内閣府、原子力安全保安院は経済産業省の管轄です。内閣府も経済産業省も原発推進派です。その原発推進派の組織の中に原発の安全を看視する部門を設けるということは、なれあいが生じる恐れがあると誰でも予測できます。ところが私たちは、原発推進派と原発安全看視派とが対立的関係で互いに監視しあって仕事を進めていくようなことを極端にきらうのです。どうしてもお互い仲良く話あいながら進めていきましょうという「和」の文化、すなわち無意識の内になれあいの組織になってしまうのだ。今回原発事故でわかったことだが、東電にしても、原子力安全委員会にしても、原子力安全保安院にしても、原発メーカーにしても東大工学部原子力工学科の出身者が非常に多い。すなわち学閥が存在しています。さらに東電は、いろいろな研究機関に寄付していますが、東大への寄付金が突出しています。なれあいが自ずと強固になるようになっているのだ。そこえさらに東電を監督する立場の官庁の高級官僚が東電の顧問などに天下りなどで完全に閉鎖的な「原発村」ができ、他からの意見など絶対に聞き入れない強固な組織ができあがっていたのだ。

「和」の文化の最大の弱点は、何か大きな問題が起きた時、誰が責任者なのかわからなくなってしまう点です。今回のケースでも東電、原子力安全委員会、原子力安全保安院、この三者の関係はどうなっているのかさっぱりわかりません。現場での原発修復作業の最高責任者は誰なのですか。ラジオやテレビのニュースでは名前が出ませんでした。私が名前を知ったのは、週刊誌であり顔を見たのはネットです。吉田昌郎氏(56歳、東電執行役員、所長)が現場の最高責任者で、東電本社でも一目を置く人物だという。この吉田氏と原子力安全委員会と原子力安全保安院との関係がどうなっているのか、この三者の意見が一致しない時は、誰に決定権があるのですか。恐らく政府なんでしょう。しかし政府は技術的には素人だから誰かに相談しなければなりません。私がわからないのは、なぜ現場の総指揮者、吉田氏の記者会見を要求しないのでしょうか。現場指揮で忙しいから一週間に一回ぐらい現場近くで記者会見し、彼の率直な意見を聞きたいと思いませんか。原子力安全保安院の審議官という雑魚ばかりを相手にする記者会見を何度も見せつけられました。吉田所長は、この事件の最高責任者でないかもしれません、しかし原発修復工事の最高責任者であることは間違いありません。時々でもいいから彼の率直な意見を聞きたいと思いませんか。彼と記者会見できないのなら何故かその理由マスコミは伝えるべきでしょう。要するに私が最初に触れたように「和」の文化の最大の弱点は最高責任者がだれなのか明確でないといいました。国民も「和」の文化にどっぷり浸っているから最高責任者は誰かという発想が湧きにくいし、責任の追及度もなまぬるいのだ。

私に言わせれば、今回のケースでは責任の取らせ方もおかしい。東電の経営陣や社員の給与やボーナスが減らされるのは当然です。しかしなぜ原子力安全委員会と原子力安全保安院は責任が問われないのですか。5月20の産経、読売は、原子力安全委員会は、安全設計審査指針で、「長期間にわたる電源喪失を考慮する必要はない」と規定していたのは「明らかに間違いだ」と述べています。彼らは原発の安全管理が仕事なのです。責任があるのは当然でしょう。責任をとらされないという事があっていいのですか。責任の比重は、確かに東電の方が重い。しかし原子力安全委員会や原子力安全保安院は、責任は取らなくていいと誰が一体決めたのですか。彼らが責任を問われない理由はなんですか。なぜマスコミも国民も騒がないのですか。皆さん私の主張はおかしいですか。これも「和」の文化の責任体制のあいまいさの一つです。週間ポスト(4月15日)によると原子力安全委員会の委員長、班目春樹氏は、月給93万6千円プラスボナスで年収約1650万円だという。

危機管理の最大のものが戦争です。戦前は日本に巨大な軍事力があった。だからといって日本は危機管理に強かったわけではありません。大東亜戦争の時、敵国アメリカの最高司令官は、ルーズベルト大統領だった。アメリカも日本と同じ陸海軍仲が悪かった。しかし大統領の命令には従順に従った。しかし日本は、誰が最高司令官かわからないのだ。表向き最高司令官は、昭和天皇だが、実際は誰が最高司令官だかわからずに戦争していたのも同然なのだ。東条首相は、海軍の真珠湾攻撃を知らなかったのだ。もともと対米戦の勝利は難しいと言われていた。アメリカは大統領の指揮のもと戦っているのに、日本の最高司令官が誰かもはっきりもせず戦って勝てるわけがないのだ。なぜこんな事が起きたのか。明治憲法に欠陥があったからです。明治憲法には、首相の権限など何も明記されていません。内閣が軍隊を指揮するという規定もなければ、議会が軍隊を監督するという規定もない。

それでどうして日露戦争の時戦えたのか。明治時代は、明治天皇と明治の元勲たちは表裏一体の関係だった。明治天皇の意思は、明治元勲たちの意思、明治元勲たちの意思は明治天皇の意思も同然だった。その明治の元勲たちが首相を選んだ。そのため明治天皇、明治の元勲たち、首相とは三位一体だった。日本人得意の集団指導体制がうまくいったような形になったのだ。そのため軍人たちが明治天皇の意思に背くことはありえなかった。だから日露戦争では、明治天皇という最高司令官の下に戦えたのだ。昭和に入って明治天皇は亡くなっているし、明治元勲たちも亡くなってしまった。首相になにも権限がないのを見透かされて軍部が統帥権干犯主張しだした。だから明治憲法を改正すべきだったのだ。ところが日本人は、現実直視ができない。明治憲法改正など言い出せるような世の中ではなかったと言って、そのままほったらかしにしたまま大東亜戦争に突入した。現行憲法はずっと以前からこのままではダメだと言われていた。今度の大震災では非常事態宣言も出せずに、被害者の人たちに必要以上の苦しみを与え、無残な日本の状態を見るはめになった。現行憲法のままではまずいのは、多くの日本人は分かっている。しかし政治家は、現実を直視して実行に移せないでいるのだ。見て見ぬ振りをして日本が破滅するまでじっとしているつもりなのだろうか。









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反日左翼弁護士よ、えらそうな口をきくでない。



度重なる検察の不祥事に対して民主党政府は、法相の私的諮問機関として「検察の在り方検討会議」を設けその座長に選挙に落選しながらずうずしくも法相を勤めた千葉景子を指名した。この「検討会議」が提唱したのが取り調べの「全面可視化」です。すなわち、検察特捜部取調べの全過程の録音・録画です。これを「全面可視化」と呼んでいます。無論検察庁は不満です。しかし検察内部には、どうしても「全面可視化」が避けられないならば諸外国と条件同じにしてくれという要求が出ています。至極当然のことです。欧米やアジア諸国で「全面可視化」を行っているところが多い。しかし「全面可視化」には、他の条件と一緒になって実行されているのだ。他の条件とは:
1.通信傍受
  例えば住居に盗聴器を仕掛けて会話を傍受する。
2.おとり捜査
  例えば捜査官が麻薬密売人にばけて麻薬を売る。
3.司法取引
  被告が有罪を認めるかわりに、検察側が刑を軽くしたり、他の訴えを取り下       げるなどする。要するに被告と検察が取引すること。

冤罪を防ぐためとはいえ、取り調べの「全面可視化」はどうしても犯罪者に有利になってしまう、それを補うために「全面可視化」を行っている諸外国では上記三件のうちどれか一つ、あるいは二つ必ず許可されているし、アメリカなどは三件とも許可されているのです。どうですか、皆さん、取調べの「全面可視化」するならば検察が主張するように諸外国と同じ条件にしてくれというのはしごく当たり前と思いませんか。ところが先月江田法相は、「検察の在り方検討会議」の提案を踏まえ、速やかに「全面可視化」を実行し一年後その進捗状況を公表するよう検事総長に指示を出しているのだ。犯罪者に有利になる「全面可視化」だけに実行をせまっているのだ。これに対しマスコミの大反対の声なし。要するにマスコミは民主党政権ひいきで、日教組、日弁連や自治労の不祥事にはあまく、検察となると容赦しない批判が出る。

日弁連(日本弁護士連合会)の宇都宮健児会長は、NHKテレビで「全面可視化」のための条件などと言わずまず「全面可視化」をすみやかに行うのが先決だと主張していたが、宇都宮会長よ、検察の不祥事に対してえらそうな口をきけるほどあなたの配下の弁護士たちは立派な仕事をしているのですかと問いたい。日弁連には稲田朋美氏のような保守の政治家がおりますが、全体的には反日左翼の巣で彼らが主流派を占めているのだ。日弁連の会長は弁護士の選挙で選ばれるが、会長に選ばれた宇都宮自身、左翼週刊誌「週間金曜日」の編集委員の一人になっていることを見ても日弁連が反日左翼の巣である証明です。宇都宮が検察庁に向かって「全面可視化」だなどとえらそうな口を聞けないような悪質な弁護士が多数いるのです。その例を二つばかしあげましょう。
1.安田好弘弁護士
彼は学生時代に全学共闘会議という組織の活動隊として活躍していたから左翼弁護士としては筋金入りだ。平成11年山口県の光市で母子殺害事件が起きた。この事件は、世間でも非常に注目を集めた事件です。この事件の概要を説明しておきます。
「18歳の少年が水道設備会社の作業服姿で水質検査を装って本村さん宅に侵入し、妻(23歳)を後ろから羽交い絞めにして倒し、肩を押さえ、大声で抵抗する妻を<殺してからやれば簡単だ>と喉仏に全体重を乗せておさえつけ、窒息死させた。窒息死した死体の下半身は汚物にまみれるのですが、犯人はそれをきれいにふき取って、死後レイプした。
さらに犯人は、傍らで泣き止まない幼子(11ヶ月)を頭から床に叩きつけた。気を失った幼児は、それでも息を吹き返し、ハイハイして必死で母親の方に這っていった。今度は首を絞めて殺そうとした犯人は、首が細すぎてなかなか締まらないため、あらかじめ用意しておいた紐を幼時の首に巻きつけ、そして絞め殺した。犯人は部屋にあった財布をとって逃げた」」

この少年犯人に対して死刑廃止運動を進める安田好弘弁護士を筆頭に21人もの弁護団を形成した。第一審の判決は多くの専門家が予想した通り無期懲役の判決だった。ここから被害者の本村洋氏の日本の裁判制度に対する本格的な戦いが始まった。彼の手記を読むと被害者、本村氏の裁判官や弁護士に対する怒りに全く同感するし、第三者の私でも激しい怒りがこみ上げてくるのだ。この事件はマスコミでもとりあげられ、安田好弘に反感をもった多くの人たちが懲戒請求の手紙を送っています。私はこの事件の裁判の詳細をここで語るつもりはありません。ここでは検察の取り調べの「全面可視化」も大事だが、弁護士が容疑者と接見する時の「全面可視化」も必要だということを語りたいのです。

一審で予定どおり「無期懲役」の判決を受けた後犯人の少年は、アケチという拘置所仲間に次のような手紙を送っていた。
「誰が許し、誰が私を裁くのか・・・そんな人物はこの世にいないのだ。神になりかわりし、法廷の守護者たち・・・裁判官、サツ、弁護士、検事たち、私を裁ける者はこの世におらず・・・二人は帰ってこないのだから、犬がある日かわいい犬とであった。・・・そのまま<やっちゃった>、・・・これは罪でしょうか。
知あるもの、表にですぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うのは悪なのが今の世だ。
5年プラス仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所の現状に興味あるし、早く出たくもない。キタナイ外に出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目の犠牲者が出るかも。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」

この手紙を受け取ったアケチという人は、手紙の内容に頭がきたのだろう。これを検事に渡した。二審で検事はこの手紙を法廷で読んだ。最高裁まで進むのですが、最高裁では、これまで事実関係を大筋で認め、情状酌量を求めていた弁護団は、あの犯人の手紙が暴露されると、まったく奇想天外ともいうべき主張をしたのだ。主張の大筋は:
1.この事件は、母恋しさ、寂しさからくる抱きつき行為が発展した傷害事件であり、凶悪性が低い。
2.死後、セックスをしたのは、精子を注ぎ込めば死者が甦るのではないか、という「復活の儀式」であった。
3.幼時については、泣き止ますために首に蝶々結びをしたら死んでしまったのであり、頭から床にたたきつけたという事実はなく、抱いていたら腕から下に落ちただけ。
4.幼児を押入れにいれたのは(漫画の登場人物である)ドラエモンに助けてもらおうと思ったから。

これまで裁判長は、少年犯罪であることと、少年に「悔悟の念が出ている」、「更正の可能性がある」として残虐な殺人事件でも死刑判決にせず無期懲役の判決にしてきたのだ。ところが犯人のアケチあての手紙をみれば、犯人は裁判官をだましてきたことがわかります。「悔悟の念」や「更正の可能性」などひとかけらもないことわかります。それでは弁護士はどうか。弁護士は裁判官と同じでだまされていたか、あるいは犯人と一緒になって裁判官をだます共犯役を演じていたかのどちらかです。この手紙が検事に渡らなかったら、犯人は計画どおり無期懲役の判決をうけ8年ばかり刑務所暮らしをして出所していたかもしれないのだ。そして犯人の書いた手紙が検事に渡ったと知ったら安田ら弁護士は、まったく常識はずれな奇想天外な主張をしだしたのだ。いったい弁護士は犯人と接見し何を語っていたのかと言うのです。名検事とは、無罪者を有罪者にしたてること、名弁護士とは有罪者を無罪者にしたてることです。検察の取調べに対して「全面可視化」を要求するなら弁護士が接見する容疑者をすべて「全面可視化」せよとは主張しませんが、殺人犯との接見は「全面可視化」をすべきではないでしょうか。皆さんもそう思いませんか。
最高裁では犯人は死刑を宣告された。その時法廷で犯人は、満面憤怒の表情で被害者の本山氏を睨みつけていたと言う。

2.戸塚悦朗弁護士
反日左翼弁護士たちは、戦前戦中の日本を訴える外国人には飛びつくように支援し、あるいはそれが度を越して外国人に日本を訴えるように差し向けさえしてきたのだ。「従軍慰安婦」事件で悪名をとどろかせた高木健一弁護士ほど悪名は売れていないが、この戸塚という男も性質の悪い弁護士だ。平成3年12月に韓国人女性、金学順らが元慰安婦と称して日本政府を提訴した。翌年1月に宮沢首相が韓国に訪問した。その時宮沢首相は、「従軍慰安婦」問題で韓国側の激しいデモに遭遇した。宮沢首相は、謝罪し日本政府がくわしく調査することを約束した。日本政府が調査中にもかかわらず早くも翌月2月27日に国連人権委員会で戸塚は国連NGOの代表として「従軍慰安婦」問題をとりあげ、被害者に対する補償問題について、国連人権委員会や国連特別報告官の関与などを求め、この問題の国際的な解決の必要性を訴えたのです。宮沢首相が調査するといっている翌月に早くも戸塚は韓国人弁護士より先に国連に働きかけたということは、韓国政府や韓国人の主張を全面的に信用して日本政府の調査結果など眼中にないのだ。こういうふうに反日弁護士は外国政府や外国人の戦前戦中の日本に対する批判、非難を全面的に信用してしまうのだ。

戸塚の国連での主張が功を奏したのでしょう。国連で報告官に任命されたラディカ・クマラスワミ(スリランカの女性弁護士、以下ク女史と呼ぶ)女史が国連調査団をひきつれて来日したのが平成7年の7月。ク女史の報告書作成を手伝ったといわれるのが戸塚だ。彼女の報告書は6項目からなり、それを「ク勧告」と呼んでいます。その6項目とは:
1.日本帝国陸軍が作った慰安所制度は国際法に違反する。政府はその法的責任を認めよ。
2.日本の性奴隷にされた被害者個人に補償金を払う。
3.慰安所とそれに関連する活動について、すべての資料の公開を。
4.被害者の女性個人に対して、公開の書面による謝罪を。
5.教育の場でこの問題の理解を深める。
6.慰安婦の募集と慰安所の設置に当たった犯罪者の追及と処罰を可能な限り行う。

この報告書を見た戸塚は喜色満面だったろう。この「ク勧告」が日本政府に提出されたのが平成8年の2月。翌3月にはジュネーブの国連人権委員会に提出された。国連人権委員会は、53カ国で構成され、投票による採決はほとんどなく、事前にすりあわせて全員一致の採決が通例です。評価する表現が四つあります。評価の良い順番からいきますと、一番が「賞賛」(Commend)、二番が「歓迎」(Welcome)、三番が「評価しつつ留意」(Take
note with appreciation)、四番が「留意」(Take note)、です。よほどのことがないかぎり
「否認」(Reject)はありません。

著名、無名を問わず日本人売国奴が大挙してジュネーブの会場にやってきた。彼らは祖国日本が、国連注視の下で、汚名を着せられるのを見て快感を感じるというマゾヒスト集団だけに、勝算我らにありとばかり、ジュネーブで祝杯をあげようとしたのでしょう。戸塚が率いるNGOグループは、ジュネーブの日本大使館にデモをしかけたり、ロビー活動に走り回ったようです。翌4月に国連人権委員会の評価の結果が出ました。結果は国連人権委員会の評価基準で最低の「留意」(Take note)だった。「留意」(Take note )をわかりやすい表現を使えば「聞きおく」程度で実際は評価零の意味あいです。

最低の評価には、「従軍慰安婦」事件で主犯役を演じた朝日新聞や知識人たちは、最低評価をくだされたなどとは決して発表せず、この(Take note)の曲解を始めた。朝日新聞は、最低の評価などとは書かず、「玉虫色の文言」という表現使った。4月26日に牛込区民ホールで本岡昭次参議院議員、戸塚弁護士ら、ジュネーブから戻ってきたNGOの帰国報告会が開かれた。その席上、戸塚はこう語ったのだ。
「4月19日の決議は「拒否」も「留保」も消えたので、実質は「ク勧告に従え」となったものと解す。よって私は百パーセント満足している」

戸塚よ、大嘘をつくな。なにが「留保」が消えただ。「留意」(Take note)という最低の評価がくだされたのに、実質は「ク勧告に従え」だと、聴衆が何も知らないからと言ってでたらめを言うな。(Take note)は(Means Nothing)なのだ。がっかりしているくせに「
百パーセント満足している」だとふざけたセリフを吐くのもいいかげんしろ。
なおこの戸塚は「従軍慰安婦」事件での働きを韓国で認められたのでしょう。平成8年から平成10年まで戸塚は、ソウル大学法学研究所特別客員研究員として招かれています。

これまで安田と戸塚の反日左翼弁護士について書いてきましたが、この反日左翼弁護士がこれまでにどれだけ日本の国益を害してきたかはかりしれないものがある。そのくせ弁護士は、国の規制で過度の競争から守られている業界なのだ。アメリカ英語にアムビュランス チェイサー(Ambulance Chaser)という言葉があります。アムビュランスとは救急車、チェイサーとは追いかける人、すなわち「救急車を追いかける人」の意です。なにを意味するかと言えば、交通事故があってけが人など出れば救急車が現場に行きます。その救急車の後を追いかけて、現場についたら早速事故の犠牲者に裁判に訴えるよう説得し、裁判に訴える時は、自分の法律事務所を使ってくれと名刺をおいていく弁護士のことです。なぜ救急車を追い回すような弁護士がいるかと言えば、アメリカは弁護士間の競争が激しく、弁護士間の収入格差も非常にはげしい。なぜアメリカは弁護士間の競争がはげしいか。アメリカの司法試験制度からきているのです。

アメリカの司法試験の合格点が決まっていて合格した人は、全員弁護士になれるからです。ところが日本では合格点など決まっていないも同然です。毎年司法試験のとき、合格者人数を決めてしまうのです。例えば、2010年度法務省は合格者3000人の目標をかかげていたが、実際の合格者2074人。どうですか、読者の皆さん、アメリカみたいに合格点を取得した者は全員合格にする方が公平と思いませんか。ところが日本の弁護士は、この制度には反対なのだ。弁護士が増えすぎると弁護士の質が下がるというのだ。実際は弁護士どうしの競争が増すから反対なのだ。それにあまり弁護士が増えると自分たちのエリート意識が薄れるのがいやなのだ。皆さんご存知だと思いますが、時々いっせいに弁護士の無料相談などやりますでしょう。日弁連が慈善事業を行っているみたいですが、あんな事は、弁護士が増えて競争が増せば、顧客ほしさに無料でやってくれる弁護士は沢山出てくるでしょう。そうすると当然弁護士間の競争が激しくなります。要するに日本の弁護士たちは、政府の規制によって過度の競争に陥らないように守られているのだ。したがって弁護士であればある一定の収入は稼げるようになっているのです。国の規制で守られているくせに、反日左翼弁護士どもは、自分の祖国を足げにしてきたのだ。いままでにどれだけ日本の名誉を貶め、国益を害してきたかはかりしれないものがある。反日左翼弁護士よ、日本国民の前でえらそうな口をきくでない。彼らは、検察の取調べの「全面可視化」を要求しているが、自分たちは法律に触れなければなにもやってもいいのだと思いあがっているのだ。





 

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