Archive for 6月, 2011

若い人に告ぐ「公民教科書」の恐ろしさ



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ここで言う「若い人」というのは、私は今年73歳なので現在60歳前後以下の人全員ということ、すなわちほとんどの国民ということになります。私はこれまで自虐史観に満ちた歴史教科書にしか関心を持っていなかった。だから私は「新しい歴史教科書をつくる会」(以降「つくる会」と称します)に入会した。かねてから公民教科書の内容がひどすぎるということは耳にしていましたが、実際に自ら公民教科書の内容を知ろうとする努力をしてこなかった。今年、「つくる会」が初めて公民教科書作成に乗りだし文部省の検定に合格した。「つくる会」の公民教科書作成の一員として参加した小山常実氏が「公民教育が抱える大問題」(自由社)というタイトルの本を昨年暮れに出版しました。この本を読んで、私はその内容に驚愕、動転、言葉を失った。しかしなるほどと理解できた面がありました。なにを理解できたか。簡単に判りやすく説明しましょう。私のように70代も過ぎた人間にとって「日本列島は日本人だけの所有物ではない」と言った鳩山、君が代や日の丸の法制化に反対した菅や枝野などと言った政治家に、私は彼らの人間性が良いか悪いか、あるいは政治家としての良し悪しを問う以前に生理的に拒絶反応を感じてしまうのです。ところが多くの国民は、私のような強烈な拒絶反応を示さないのです。だから首相や官房長官になれたのでしょう。その拒絶反応を示さない理由を私は理解できたというのです。皆さんが学んだ歴史教科書と公民教科書のせいだとわかったのです。現在60歳前後までの人たちは、大なり小なりこの二つの教科書の影響を無意識に受けているのです。私の年代の人間は、日本人意識もない国家意識もない政治家など拒絶反応が強くて到底受け入れることはできませんが、60歳前後以下の人たちは、大体において私の年代の人たちほど拒絶反応は強くないのだ。上海万博のとき日本館だけ日章旗がしばらくかかげられなかったのも、最近ではサッカーの名古屋グランパスが韓国での試合にグランパスのサポーターに日章旗を持たせなかったのも、またサポーターもその指示を公然と受け入れたのも公民教科書の影響なのだ。意識する、しないにかかわらず、こういう行為、すなわち日本人意識や国家意識のなさが無意識のうちに出るようなってしまっているのです。

「公民教育の抱える問題」を読んで、私は「歴史教科書」より「公民教科書」の方が生徒に与える心理的影響は非常に大きいのではと考えています。なぜなら歴史は、簡単に言えば過去の知識を学ぶことです、しかし公民は現実の生活について学ぶことが非常に多いからです。常識的に言えば、勉強できる人は、一流大学に行ける人が多い。従って歴史教科書も公民教科書もよく勉強します。一流大学出た人は、一流会社に就職できる率も多い。すなわち日本社会の上層部に属する人間ほど歴史許教科書や公民教科書の影響を強く受けているということです。すなわち自虐史観や左翼思想に染まっているということになる。それでは公民教科書の恐ろしさを箇条書きにして幾つかの例をあげてみました。

1.朝鮮人強制連行のうそ。
朝鮮人の強制連行を証明すると言われている古典的存在の本、「朝鮮人強制連行の記録」を書いたのが朝鮮人、朴慶植で1965年(昭和40)に出版されています。この本は日本人の徴用を朝鮮人の強制連行(当時朝鮮人も台湾人も日本人なのです)に変えた歴史偽造の本です。戦時中は数え切れない日本人が徴用令の下、軍事工場などで働かされたことは事実です。ところが歴史の先生もマスコミもこの本の内容を一切検証することなく中学校の歴史教科書に採用したのだ。そのうちにいつのまにか朝鮮人強制連行70万人説が浮上し、1978年(昭和53)以降70万人説を代表格とする朝鮮人強制連行説がほとんどの中学生用歴史教科書に述べられるようになった。その結果ほとんどの中学生が在日朝鮮人や在日韓国人に対して贖罪を負わされる結果になってしまった。この歴史教科書の歴史偽造に輪に輪をかけたのが公民教科書です。すなわち1997年(平成9)度以降になると多数の中学校公民教科書が、現在の在日韓国・朝鮮人は強制連行されてきた人たちの子孫であると主張しだしたのだ。そのため在日韓国・朝鮮人、すなわちいわゆる在日外国人に地方参政権を与えないのは差別であると位置づけるようになっていったのです。ふざけるのもいいかげんにしてもらいたい。今度の大震災で在日外国人の多くが日本を捨てて本国に逃げ帰った。それも留学生より一般永住者の方が圧倒的に多いのだ。(雑誌「WILL』7月号」)落ち着いたら少ずつ日本にもどってきた。自分の都合のいい時だけ日本にいてなにが選挙権だ。

ここで皆さんに史実として認識してもらいたいことがあります。昨年3月10日、衆院外務委員会での自民党、高市早苗議員の質問に対して、外務省は、徴用された韓国・朝鮮人たちのうち昭和34年の時点で残留していた韓国・朝鮮人は245人であると回答しています。要するに戦前、戦中に徴用された韓国・朝鮮人は、ほとんど本国に帰国しており、現在の在日韓国・朝鮮人は、戦後自分の意思で日本に残った人たちの子孫であることです。従って在日朝鮮人・在日韓国人に選挙権を与えないのは差別だという口実はないのです。

2.宗教教育の放棄
昭和20年代の公民教科書は、三大世界宗教と神道について基本的なことは詳しく記述していた。昭和37年度版から宗教に関する記述が急減し、44年度から52年度までの時期になると三大宗教と神道について単語が登場するだけで、なんの説明もされなくなる。公民教科書から宗教教育が追放された状態がこの30年間ほど続いているのだ。従って靖国神社など絶対に教えられないのだ。私のように自分の一族が靖国神社に祀られていなければ、靖国神社のことなどなにも知らずに大人になるのだ。だから外国との関係で靖国神社が問題になれば安易に「靖国神社に代わる無宗教の国立戦没者追悼施設」案などが簡単に出てくるようになる。靖国神社に対する国民間共通の素養、常識、振舞い方などが教えられてこなかったのだ。

3.家族、公共の精神、国家の軽視
家族に関する公民教科書の歴史を振り返ると戦後から昭和55年度版までの時代とそれ以降にわけてとらえることができます。55年度までの教科書は、一編又は一章を割いて家族ついて説明してきたが、56年~58年度以降になると家族を節見出しまたは項見出し扱いするようになり、頁数で言えば、平均6~7頁ほどに大幅減少。その後さらに家族に関する記述は減少し、現行教科書では三頁平均になっているのだ。家族の共同体性など全く書かれなくなってしまった。かっては当たり前のように書かれていた家族とは、「社会(国家)の基礎単位」とか「基礎的社会集団」といった記述さえなくなってしまっています。
平成18年教育基本法が改正され、その2条で「教育の目標」がかかげられ、「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」規定しているにもかかわらず、「公共の精神」をテーマとして取り上げた公民教科書は、「つくる会」が今年作成した公民教科書しかありません。

公民教科書の国家軽視もはなはだしい。戦後から一貫して国家を軽視し続け、「国家とは国籍を有する者(国民)から成り立つ団体である」というごく当たり前の国家論さえ教えないのだ。ましてや日本国家の特色、国家はなんのために存在するのか、国家の役割とは何か等々公民教科書で語られることはありません。日本国家が語られるのは国際社会の中で語られるだけです。国家軽視だから当然、国旗、国歌の尊重に冷淡になります。戦後から平成4年(1992)までなんとおよそ50年間公民教科書は、国旗・国歌の尊重について記述してこなかったのだ。記述するようになったその理由は何かというと平成元年(1989)に出された中学校学習指導要領で「国旗及び国歌の意義並びにそれらを相互に尊重することが国際的な儀礼であることを理解させ、それらを尊重する態度を育てるよう配慮すること」と記されたからです。そのため国旗・国歌尊重は、相手国の国旗・国歌も尊重するという相互主義の尊重です。もっと明確に自国の国旗・国歌を尊重するように書いてあるのは、「つくる会」の「新しい公民教科書」だけです。国旗・国歌を尊重する記述が50年間もなかったのだから当然「愛国心の大切さ」など記載されていません。先に触れましたように平成18年に教育基本法が改正され愛国心の教育がさらに強調されましたが、今年出版された公民教科書の中ではっきり「愛国心」の大切さを記述しているのは、これも「つくる会」が出版した「新しい公民教科書」だけです。全部で七社が公民教科書を出版していますが、「つくる会」の公民教科書以外六社全部が「愛国心」と「公共の精神」の大切さを一切記述していません。

4.天皇と皇室の軽視
ほとんどの公民教科書は、天皇についての記述が5行から8行ぐらいの説明です。例えば、天皇は「儀礼や儀式など憲法が定める国事行為のみを行うようになった」など。日本の天皇とはこれほど簡単に書いてすませられるものなのでしょうか。天皇について書かないと公民教科書として文部省の検定に合格しないから検定向けのアリバイとして書いているのも同然です。日本における万世一系の天皇家の存在は、世界の中でも突出しためずらしい存在です。それだけに誇りに思って詳しく記述して当然です。それが数行ですましているのだ。最近、枝野官房長官が議会で自民党議員に現在の天皇は何代目かと尋ねられて、「知らない」と答えた。皆さんは、何代目がご存知ですか。要するに国民の大部分が皇室に対する常識さえなくなってしまっているのだ。

5.「日本国憲法」は日本国民が作ったものと歴史を偽造する。
現行の「日本国憲法」は、日本国民の手で作られたものでなく、戦後GHQ(アメリカ占領軍総司令部)が強制的に作成したものです。ところが最初の中学校公民教科書である「あたらしい憲法の話」で次のように書かれていたのだ。
「今度のあたらしい憲法は、日本国民が自分でつくったもので、日本国民全体の意見で自由につくられたものであります。この国民の全体の意見を知るために昭和21年4月10日の総選挙が行われ、新しい国民の代表が選ばれて、その人々がこの憲法を作ったのです。それで、あたらしい憲法は、国民全体で作ったということになるのです」。ここまでうそで固めた話が書けたのもGHQ(アメリカ占領軍総司令部)が「日本国憲法」の成立にGHQが関与したことの記述を禁止し、出版物を徹底的に検閲したからです。それでもアメリカ占領軍が去り、日本が独立すると「日本国憲法」の成立過程も徐々に史実に基づいた公民教科書が登場し、昭和59年度以降の公民教科書の半数以上が、史実に基づいた日本国憲法成立過程を書いていた。いずれ全公民教科書が「日本国憲法」成立過程が史実に基づいた同じものになっていくと思われていたが、平成五年度以降の公民教科書は、憲法成立過程の史実をぼかしはじめるようになったのだ。

例えば日本書籍新社出版の公民教科書は、GHQが草案を作ったことを認めながらも、次のようにGHQの不当性を薄めようとしているのだ。すなわち「日本が再び侵略戦争をしないようにする」ためにGHQは「各政党や市民たちの手でつくられていたさまざまな憲法改正草案を参考にして、新しい憲法草案を作り、政府に示した。これをもとにして、新しい議会の審議をへて1947年5月3日に施行されたのが、いま国民が手にしている日本国憲法である」。よくもしらじらしくこれだけのうそを書くか。学校の先生たちが書くだけに、朝鮮人の強制連行といい、歴史の偽造には心底腹がたつ。

6.領土問題を書かない。
北方領土問題が公民教科書に初めてとりあげられたのは昭和37年(1962)です。それも日本の固有領土だと記さないのだ。日本の固有領土だと公民教科書にて定着するようになったのは、昭和56年度版の公民教科書からです。なんと北方領土が不法占拠されてから36年も経過してからです。竹島の記述はもっとひどい。敗戦後の日本は昭和27年(1952)の4月に独立を回復するのですが、その直前の三ヶ月前の1月、まだ日本がアメリカの占領下にあった時、韓国の李承晩大統領が国際法を無視して軍事境界線、所謂「李承晩ライン」を日本海上に突如として一方的に設定し、日本領土であった竹島をとりかこんで一方的に韓国領土だと宣言したのだ。
その後李承晩ラインを侵犯したとして日本漁民は拿捕され、銃撃で殺される事件も多発した。昭和40年(1965)に日韓漁業協定が成立したが、それまでの間に韓国に抑留された日本人3929人にも及び、拿捕された船舶数は328艘、死傷者44名。日本政府は、日本人抑留者を帰してもらうために韓国政府の要求で常習犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されている在日朝鮮人472人を放免し、日本滞留許可をあたえた。これが日本領竹島を失った顛末です。その竹島が日本の領土だと公民教科書にはっきり記載されたのは平成14年(2002)です。1952年に竹島を略奪されて以来ちょうど50年間、公民教科書は竹島が戦後になって韓国に略奪されたことも、日本の領土であることも中学生に教えられることもなかったのだ。一方韓国では、この50年間小学生の時から竹島は韓国の領土と教えられているのだ。このため日韓両国民の竹島に対する思いいれの意識差は取り返しのつかない大きさになっているのです。竹島の略奪過程が公民教科書に50年前から記述されていたら、日本に韓流ブームなど起こらなかったはずだ。

7.日本は戦争をしでかした悪い国。
「日本は侵略国として、東洋を戦火のうちに巻き込み、多くの生命と財産とを犠牲にし、多くの罪のない人々を不幸のどん底におとしいれた。(日本書籍、昭和28-31年度版)

「日本軍は、アジアの国々の兵士ばかりか、多くの民衆の生命を奪い、国土を荒らし、文化財をこわした。そのために、東亜の各国はいまでも侵略の災害を回復するために、苦しんでいる。軍国日本は、世界の民衆に対して大きな罪を犯した。この罪を償うためには、過去の侵略主義をすて、平和のために、できるだけの手伝いをしなくてはならない。将来ぜったいに再び侵略によって諸国の民衆に災いをおうおぼさないためには、さっぱりと永久にわれわれの手から武器をすてるがよい。これが日本の戦争放棄の理由の一つである」(中教出版、昭和27-31年度版)
こんな公民教科書や自虐史観に満ちた歴史教科書が中学生に与えられ、勉強できる学生ほど覚え込む。まさに末恐ろしい教科書とはこのことです。

これまで七項目あげて説明してきましたが、その他にも自衛隊、米軍基地、人権と国民の権利、部落民やアイヌなどの逆差別問題、ジェンダーフリー、夫婦別姓等々読んでいて不愉快になり怒りがわいてきます。私のこのブログ記事よりさらに詳細を知りたい方は、小山常実著「公民教育が抱える大問題」(自由社)をお読みください。上記の情報はほとんどこの本及び「つくる会」の会報誌「史」6月号増刊から得たものです。

最初に触れましたように私は、今回初めてこれまでの公民教科書の内容を知りました。中学生の時このような公民教科書や自虐史観に満ちた歴史教科書を学び、小中高大学と日章旗とともに君が代を歌うこともなく大人になっていく。これでは特に現在60歳前後以下のほとんどの日本国民が日本人意識に乏しく、それだけにあなた方の多くが日本人としての誇りを強く感じることもなく、したがって国益に無関心なのもうなずけます。「日本列島は、日本人だけの所有物じゃない」失言ではなく確信をもって発言した政治家が首相になる、君が代、日章旗の法制化に反対した政治家が首相にもなれるし官房長官にもなる。在日外国人に地方参政権を与えようとしたり、子供手当てと言えば、日本に働きにきている外国人が、本国に子供を置いてきたその子供にまで手当てを出してみたりする。そのくせ日本人一家が仕事のため外国に住み、外国の学校に通っている日本人の子供には手当てが出ない。

60歳前後以下のあなたがたの多くが、好むと好まざるとにかかわらず無意識のうちに日本人意識や国家意識が非常に薄くなっているのだ。自分で歴史を勉強したり、あるいは外国で暮らしたり、あるいは外国で働いている間に日本人意識が芽生えたりした人もいるでしょう。しかしその日本人意識の芽生えさえ、もともと日本人意識を芽生えさせないように教育されているから、その程度の日本人意識では韓国人や支那人に比べて低いことを悟ってほしいと思います。私はあなたがたに伝えたい。明治時代の日本人は、日本人意識や国歌意識が非常に強かった。国家意識が強いということは、日本人としての誇りが高いのだ。国家のために役立つ人間が男の本懐の仕事だったくらいだ。だから国も発展した。ところが当時の朝鮮、支那の国民は、国家意識など全くなかったと言っていいくらいだったのだ。だから国が発展しなかった。しかし現在では逆転してしまった。韓国人や支那人は、国家意識が非常に強いし、民族の誇りも強い。一方日本人など、国家意識がないに等しいし、日本人としての誇りも薄い。国益にも恐ろしく鈍感なのだ。これが日本という国家、国民の劣化につながり、その劣化の度合いが年々進んで目を覆うような惨状を呈しています。これではここ数十年日本から優秀な政治家が出現しないのではないか。この傾向を挽回するためには一日も速く教育を変える、日教組を潰すほかありません。

そこで皆さんに御願いがあります。今年の7、8月に来年の4月から公立の中学生がどの教科書を使うか決定する月です。現在全国の市立図書館で一般市民が全教科書会社の出版している教科書を全部見てどれがいいか調べられるようになっています。自分の気に入った教科書を備えの用紙に書き込むことができるようになっています。また地元の図書館にわざわざ足をはこばなくても、地元の市町村の教育委員会、あるいは県の教育委員会あてに手紙、ハガキ、フアックス、メールなど提出できるようになっています。文章は以下のような内容でもかまいません。
「教育基本法・学習指導要領改正の趣旨である「豊か情操と道徳心をやしなう」、「伝統と文化の尊重」、「わが国と郷土を愛する態度のいくせい」に最もふさわしい自由社の歴史・公民の教科書を採択してください」。これはあくまでも一例です。自由社の『新しい歴史教科書』と「新しい公民教科書」を推薦するコメントであれば何でもかまいません。

私の地元横浜では、前回の教科書採択戦で横浜市全18区のうち8区が「つくる会」の「新しい歴史教科書」が採択し、全国的に反響を呼びました。それだけに浜教組の反抗がすごい。ましてや今回は、横浜市の各区がどの教科書を使うのか決めるのではなく、横浜市の教育委員会が採用を決めた教科書を横浜市の全区が採用することになっています。浜教組の資金力、集会場への動員力、とても「つくる会」神奈川支部では太刀打ちできません。彼らは「つくる会」の教科書を採択しないよう署名集め運動に出るかもしれません。横浜市在住の韓国人も浜教組支援です。横浜弁護士会までも「つくる会」の教科書不採用を訴えています。彼らの大攻勢に対し私たちは無力感で腹わたのにえくりかえる思いです。どうか横浜市の皆さん、そして全国の皆さん、それぞれ地元の教育委員会に自由社の教科書を推薦する手紙、ハガキ、ファックス、メールなど送りつけてください。その際、電話は禁物です。記録に残らないからです。皆様のご協力をせつに、せつに御願いいたします。「一寸の虫にも五分の魂」を信条にする男、えんだんじ土下座し頭をさげて御願い申し上げます。よろしく、よろしく御願いいたします。
        この記事の緊急拡散をよろしく御願いいたします。








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日本人の忍耐強さは、政治家をさらに無能にする。



今回の大震災で示した日本人の沈着冷静さと忍耐強さは、世界中の人々に称賛された。多くの日本人がその称賛にうれしい思いをしたことでしょう。私も喜んだ、しかしその喜びも一瞬で、どこか冷めた目で人々の称賛の声を聞いていました。何故なら、沈着冷静、忍耐強さもけっこう、しかし怒るべき時に怒らない、あるいは怒れないのが戦後、特に最近の日本人の共通のような気がしてならないからです。16年前の阪神淡路大震災の時も同じでした。この時も日本人の沈着冷静さと忍耐強さが外国人からは称賛された。被災者の悲しみや絶望、失望の声を聞いたが激しい怒りの声を聞かれなかった。被災者からなぜ激しい怒りの声が出なかったったのだろう。ウイキペディアで阪神淡路大震災を調べてみました。1995年(平成7)1月17日午前5時46分地震発生。それから10分後の5時56分には、伊丹市市長が登庁、その後、神戸市近辺の市長が続々と登庁、ところが貝原兵庫県知事が登庁したのが8時20分、地震発生から2時間30分も遅れて登庁しているのだ。遅れた理由は、車が自宅に向かえにくるまで自宅待機していたからだ。
9時30分 神戸市長が兵庫県に自衛隊派遣要請。この派遣要求にしても震災後4時間近くたっているのだ。そのころ各市町は、続々と兵庫県からの自衛隊派遣要請を待たずに直接自衛隊に派遣要請しています。
一方貝原知事は、8時20分登庁後1時間40分も経過した10時に陸上自衛隊派遣要請したのだ。従って自衛隊が現場に到着した時は、地震発生後5時間近くも経っていたのだ。間違いなく死者の数を増やしたのだ。2007年(平成19)4月、石原都知事が、「神戸地震の時なんか、自衛隊の派遣を要請する首長の判断が遅かったから2千人余計に亡くなった」と発言した。これに対し貝原元知事は、「石原さんの誤解で、確かに危機管理面で反省はあるが、要請が遅れから死者が増えたのではない」と反論しています。地震発生後自衛隊が到着したのがおよそ5時間後ですよ。死者が増えたのは間違いない。

一方当時の首相は、社会党議員の村山首相。社会党は自衛隊創設当時、違憲だと猛反対。「自衛隊には嫁にやりません」などと言う標語を作って選挙戦を戦っていたのだ。地震発生時、素早い適切な対策をとらなかった。村山は自衛隊派遣の遅れの理由を、国会で「なにぶんにも初めてのことなので、早朝のことでもございますから、しかし政府の対応は最善だった」と答弁し国民から強い非難を浴びた。後に村山はこの答弁を全面撤回した。地震発生当時、アメリカのクリントン大統領は、横須賀を母校とする空母、インディペンデンスを救護拠点とする救援活動を申し出たが、村山は、神戸市の非核宣言都市を考慮して断り、毛布3万7千枚のみの輸送機を受け入れのだ。阪神淡路大震災は、貝原兵庫県知事と村山首相とのダブルの対応遅れで死者の数を間違いなく増やしたのだ。しかし被災者は、激しい怒りの行動に出なかった。例えば、村山首相が見舞いのため避難所を訪れた時、村山首相が追い返されたとか、トマトや卵をぶつけられ避難者と対話すらできなかったなどということが全くなかった。この村山は首相退任後には最高位の勲章、桐花大綬章を授けられているのだ。

今度の東北大震災に際し、菅首相は、非常事態を宣言し、被災地向けのあらゆる交通をストップさせ、自衛隊陸海空を総動員し、また米軍の援助を頼み、警察消防を総動員して、被災地に必要な食糧、水、毛布、ガソリンなど生活必需品の現地運びを優先させ、少しでも被災者の苦労をやわらげるべきだったのだ。ところが実際は、生活必需品がなかなか満足にそろわず、被災者に多大な長時間の苦労を与えてしまったのだ。人によっては憲法に非常事態の規定がないと言う人もいますが、憲法改正に反対のあの共産党志位委員長が「政府が非常事態の対応ができていないのは、憲法のせいではない」とさえ言っているのだ。地震発生後の二日の間に菅首相の自衛隊派遣人員が2万、5万、10万と変わった。菅総理はバカだ。10万人もの自衛隊が東京にでも駐屯していると思っているのか、全国から呼び寄せなければならないのだ。二日間で2万、5万、10万と人数が変わってしまっては自衛隊本部が右往左往するだけです。総司令官たる菅首相自身の気が動転しているのだ。

福島原発事故は、天災プラス人災です。初動作業が問題になっていていまだに明確に説明できないでいるのだ。原発事故は、東電の上層部、原子力安全委員会、原子力安全保安院、政権担当の政治家、いわゆる日本のエリート層によるミスハンドルで起きた大事故なのです。原発地域で退避するはめになっている人たちは、怒り狂って当然なのです。私がテレビを見ていた時、たまたま菅総理が被災者の集まっている避難先を訪問していました。帰ろうとした総理に向かって被災者の一人が「もう帰っちゃうのか」と大声をだしたら菅は、のこのこと声のかけた人の方に戻りました。その時、声の主は大きな声で菅に罵声をあびせていました。罵声をあげていた人は、たった一人か二人でした。私に言わせれば、なぜたった一人か二人なのかです。私に言わせれば大勢の被災者に取り囲まれ、身の危険を感じるとか、あるいは放射能汚染されて廃棄物になったトマトやイチゴをいっせいにぶつけられるとか、投棄を命ぜられた原乳を顔面に浴びせるとか激しい怒りをぶつければいいのにと思うのですが、被災者はそれをしないのだ。

戦争に負けた日本人は、特に最近の日本人はいくじのない、怒りをあらわすことが出来ない、全く情けない民族になれはててしまったと言っていいのではないでしょうか。戦後から現在まで60数年間、日本の一般庶民が怒りを表したことなど一度もありません。韓国人などどうすれば日本人を怒らすことができるのだろうと平然と言っているくらいです。人によっては1960年代の日米安保条約反対運動が日本国民の怒りの表れだと言う人もいるかもしれません。安保騒動は、あくまでも騒動でバカ騒ぎなのだ。確かに議事堂前付近に30万人を超えるデモが集結した。安保騒動の責任をとって岸内閣は退陣して総選挙になった。選挙結果は、自民党政権の圧勝です。安保騒動が国民の真の怒りだったら野党が圧勝しているはずです。前回の私のブログを読んでいただければお分かりですが、要するにバカバカしいほどの大騒ぎなのだ。私より一歳年上で作家の塩野七生氏は、当時を回顧して「自分では何がなんだかさっぱりわからずムードでデモに参加していた」とあの才女が語っているのだ。私は大学に行けず働いていたが、あの騒動には全く眼中になかった。現実直視ができないバカな知識人や野党の政治家、まだガキの大学生や上層部の指示通りに動く羊の労働組合員などによる合作のデモ騒ぎ、完全に日本国民から遊離した騒ぎで決して日本国民の心底から沸きあがった怒りではなかった。

話しが飛ぶが、今からおよそ100年前の1905年(明治38)に日本の一般庶民がものすごい怒りを爆発させた事件があった。1905年は日露戦争が日本の辛勝に終わった年です。この年の8月にアメリカのポーツマスで日露講和条約の交渉に入った。交渉は難航した。ロシアは交渉決裂なら戦争を再開すればいいと思っていたからだ。一方日本は文字通りの辛勝でもうこれ以上戦える余裕など全くなかった。日本政府は、ロシアとの交渉中も交渉前にも日本はやっとこさ勝ったのでもうこれ以上戦う余裕などないのだと日本国民に説明できるわけがない。そのため日本国内では交渉が決裂すればもう一度戦ってけりつければいいだけのことと強行一本槍だった。日本国民は、重税に喘ぎ、息子や夫を戦場にとられ生活苦に喘ぎながら大国、ロシアとよく戦ったと思う。それだけに国民はロシアとの講和条約でロシアから多くの分捕り品を期待していたのだ。ところが交渉の結果、日本が得たのは南樺太の割譲だけ、賠償金は一切なしだった。国民は逆上した。戦勝国が敗戦国から賠償金をとりあげるのが国際社会の常識なのだ。日清戦争の時、明治政府は、当時の明治政府の国家予算の4倍を賠償金として清国からとりあげているのです。当然、国民はロシアからの多額の賠償金をとり、それで景気は少しぐらい必ず良くなるだろうと皮算用していたのだ。ところが賠償金は一銭もとることができなかったので逆上し、政府の弱腰外交に非難の目がむけられた。全国各地で集会が開かれ、「講和条約破棄」と「戦争継続」を決議し、全国が騒然となった。

9月5日、東京日比谷公園で開かれる全国大会に参加すべくぞくぞくと集まった。その数3万、警視庁はこの大会を禁止し、日比谷公園の入り口を丸太で閉鎖し、市民の立ち入りを禁じた。これが参加者を刺激した。群集の先頭が丸太の柵を乗り越えるとあとは暴動一色になった。東京は翌6日にかけて無政府状態になり、政府は6日戒厳令をしいた。その間、内務大臣官邸が焼打ちにあい、焼き払われたのは、警察署(二)、分署(6)、交番(226)、教会(13)、民家(53)、電車(15輌)。その他、死者(13名)、負傷者(558名)、警官負傷者(471名)。まさに大暴動であった。この暴動の主役は、どちらかと言えば下層階級に属する一般庶民であったことだ。それを端的に表したのが電車15両が焼かれたことです。電車が人力車の車夫の生活をおびやかしたからです。映画「無法松の一生」に出て来る「無法松」のように威勢のいい車夫が目の色かえて電車に飛び乗り焼きつくそうとする姿がしのばれるではないか。同情に値する光景だ。現在とは時代も違うし、背景も違う、およそ現在とは比較にできないこの事件を、私はなぜ持ち出したかというと、およそ100年前の明治末の日本人の一般庶民には、労働組合などと組織されなくても、テレビもなければネットもない、新聞とラジオだけで自然的、自発的に大集合し、暴動を起こすほど荒々しさとエネルギーを持っていたことを伝えたいからです。

それに引き換え、現在の日本人はどうですか。戦後から年数が経てば経つほどおとなしくなり、怒りなど表せなくなっているのだ。最近でも国民が逆上して怒りをあげてもいい事件がいくつかあった。例えば「従軍慰安婦」事件や社会保険庁の年金記録喪失五千万件などです。拉致家族の問題など、朝鮮総連の事務所に万を超えるデモが集まってもおかしくありません。私に言わせれば、今の日本人は羊の群れと化しているのだ。現在の政治家の多くが二世、三世の代です。彼らは平和で繁栄した日本の社会でなんの苦労もなく育ったボンボン育ち、あるいはお嬢様育ちの政治家です。阪神淡路大震災、東北大震災や原発事故で見せた日本人の沈着冷静、忍耐強さがどれだけ彼ら政治家を助けているか理解できていないのだ。大天災や大事故が起こる度に、治着冷静、忍耐強さを示すだけでは、無能な政治家をさらに無能にするだけです。私はなにも暴力をもって暴動を起こし怒りを示せと主張しているのではありません。

阪神淡路大震災で自衛隊派遣が遅れに遅れて死者を多くした村山元首相、東北大震災と原発事故では初動態勢に問題があり被災者に悲惨な目を会わせている菅首相、二人が被災者の避難先を訪問した時には、被災者の激しい怒りで訪問することさえできなかったというような怒りを見せつけてくださいというのです。国民の怒りが政治家を鍛えることになるのです。沈着冷静、忍耐強さだけでは,政治家を鍛えることはできません。明治時代の政治家には優秀な政治家が多かったというのも、選挙権がなくとも当時の日本国民に気迫というものがあったのも一因ではないでしょうか。長所短所は紙一重、沈着冷静、忍耐強さだけでは、いずれ日本人は羊の群れと外国人から言われるようになるでしょう。、いや、もうとっくに言われているでしょう。




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