Archive for 8月, 2011

武士道は、なぜ日本民族に絶対必要なのか。

私は日本民族の長所短所は、ほとんど「和の文化」に起因すると思っています。
1.阪神淡路大地震の時も千年に一度という東北地方の大地震と大津波の時も、日本人が秩序正しく、冷静に行動したというので世界から絶賛を浴びた。なぜ日本人は、大混乱した天変地変の時にあのように秩序正しく行動できるのか不思議がられたが、日本のマスコミは、明快な答えを表明していません。私にいわせれば、日本のマスコミは、バカかと言いたい。あの秩序正しい姿こそ、日本民族のDNAと染みこんでいる「和の文化」の究極の美点、長所なのだ。何故、世界に向かって「和の文化」こそ世界を平和へ導く文化なのだと堂々と誇らないのかと言いたい。日本のマスコミは、外国向けに祖国を批判しても祖国を自慢することはなにもできないのだ。また国内向けにはえらそうなことを主張しているが、世界に向かって何一つ主張できないのだ。皆さん、あんな天変地変の時に冷静に秩序正しく行動とれるのは、「和の文化」なくして考えられますか。

大地震、大津波、原発事故などで多くの外国人が日本を脱出した。そんな時にわざわざ日本に帰化し日本人になる決心をした外国人がいた。ご存知アメリカ人の日本文学研究者、ドナルド・キーン氏です。そのキーン氏が、NHKテレビの「クローズアップ・現代」に出演した。その時、私の大嫌いな国谷キャスターが、キーン氏に「日本人になる決心をした原因はなんですか」と質問した。その時キーン氏は、非常に難しい質問ですと答えることに躊躇していましたが、彼はこう言った。キーン氏は、一時期日本文学者が戦後直後に書いた日記を読み漁っていたそうだ。その中で高見順日記を読んでいた時、こういう文面に出合った。高見順が戦後直後混乱していた時に駅にいた。駅は大変な人出でごったがえしして大混雑だった。そんな戦後直後の混乱した時代でも、沢山の人が列を作って切符を買うために並んでいた。これを見た高見は、「私はあの人たちと一緒に死んでゆきたい」と書いてあった。この文面にキーン氏は、非常に感銘を受けたのだ。もう一つキーン氏に印象的だったのは、以前奈良だったか京都だったか旅行していた時、雨に降られた、その時あるおばあさんがキーン氏に傘を貸してくれた。その時キーン氏は、「今この傘かりても、あなたに返せないと思う」と言ったら,そのおばあさんは「どうぞお持ち帰り下さい」と言った。この二つの印象的なことがらが、私の帰化の理由かもしれませんと言っていました。キーン氏は「和の文化」の長所に惚れて日本人になったのではないでしょうか。

2.朝鮮人や支那人に言わせると、日本人は一対一の時は、おとなしくて弱いが二人、三人になると急に強くなると言う。彼らは、赤の他人など信用しません、信用するのは身内の肉親、その次が同郷の人です。ところが日本人には和の文化があるからすぐ赤の他人を信用する。お互い協力して頑張りましょうという言葉は、日本人にはすごく受け入れやすい言葉なのだ。そのため支那人、朝鮮人は組織を作るのに時間がかかるが、日本人には時間などかかりません、「お互い協力してがんばりましょう」と言って組織がすぐ出来上がります。だから日本人は組織作りがうまいのだ。団体のチームスポーツになると日本は組織で戦うのが上手です。なでしこジャパンも組織戦で戦って優勝した。ところがその組織が肥大し、硬直化して改革が必要になってくる。組織の硬直化とは、組織内にある種の秩序ができあがって、その秩序に合わない人や計画などはじきとばされてしまうのだ。こうなると日本人は、組織を改革することなど苦手になってしまうのだ。何故か。改革には人との軋轢を生むからです。「和の文化」を拠り所にしている日本人は、人との軋轢を好まず、避けようとします。また改革者は、人から嫌われます。これもまた「和の文化」を拠り所していますから、多くの人々から嫌われるのも非常に辛い。それでも企業は、利益を上げなければ倒産してしまいますから、組織の大改革を断行できる可能性があります。しかし役所の改革は、絶対と言っていいほど改革はできません。改革の必要性がわかっていながら。できないのです。「和の文化」が邪魔するからです。役所の組織が改革できないとどうなるか、その組織の自滅です。例を二つ挙げましょう。古くは国鉄改革があります。赤字がうなぎのぼりに増え、何十年間の間に幾度も改革が叫ばれ、改革が実行されたが、成功せず赤字は天文学的数字に達し、とうとう国鉄の民営化によって国鉄は解体された。最近では社会保険庁です。あの年金関係の書類管理の杜撰さ、でたらめすぎてあきれるばかりだ。結局解体され日本年金機構に組織替えされた。

日本の軍隊も大東亜戦争突入頃には、完全に組織が硬直し、抜擢人事はなくなり、それどころか大作戦に失敗した将校が、降格されるどころか、ほとぼりがさめると堂々と重要作戦に復帰してくるのだ。ところがアメリカは違った。大東亜戦争のターニングポイントになったミッドウェー海戦。この時アメリカの太平洋艦隊司令長官、ニミッツは、ハルゼー中将に指揮をとらせようとしたが、ハルゼーが急病のため入院することになった。そのハルゼーが自分の後釜として推薦したのがレイモンド・スプルーアンスだ。ニミッツは、これを聞いて仰天した。この時スプルーアンスは、ほとんど無名の一海軍少将に過ぎなかった。その上スプルーアンスは、空母での実戦どころか、空母に一度たりとも一日として空母に勤務したことがない。また彼はまだ若輩で他の指揮官の大部分よりも後輩なのです。
しかしハルゼーは、彼は空母での戦い方を知っていると強力に推薦、ハルゼーの信頼する参謀数人をつけて日本の機動部隊を迎え撃つアメリカの機動部隊の最高責任者に任命された。まさに数階級特進の大抜擢人事だ。スプルーアンスは、これに答えて見事に日本機動部隊を叩きのめし、ミッドウェー海戦後も日本海軍は、このスプルーアンスに痛い目に会わされた。日本海軍は、このスプルーアンスに敗れたようなものです。

私が驚くのは、ハルゼーは、当然スプルーアンスの能力をよく知っていたからでしょうが、それでも一日たりとも空母に勤務したことが軍人に空母を率いる全機動部隊の指揮を取らせる、それに驚きながらも米太平洋艦隊司令長官、ニミッツがハルゼーの推薦を承認したことです。実績主義がはびこる日本の社会、特に役所の世界では到底考えられないからです。この日本社会の実績を重んじる風習に時々非常に腹が立ちます。柔道の谷亮子。オリンピックに何回か出場しています。谷は、あるオリンピック代表選手選考試合の決勝戦で負けた。しかし実績が重視され谷に勝った選手は代表に選ばれなかった。この実績重視は、下からはいあがってくる人間にはつらいものだ。オリンピック代表選手選考試合など、その試合に優勝した者が代表になるという徹底した原則を設けるべきだと思う。そうすれば下から這い上がってくる選手には、はげみになるし、一方自分の全盛期を向かえ、実績のある選手でも気をひきしめて試合をしなければならないから、両方に相乗効果を発揮しさらに強さが増すことが可能です。アメリカでは、オリンピック代表選手選考会で優勝した者が代表になる。それまでの実績は完全に無視されます。この実績尊重主義は、誰も納得する選び方をする「和の文化」の欠陥の一つでしょう。

3.「和の文化」は、平和の中から生まれた文化で闘争の中から生まれた文化ではないことは容易に想像できます。それだけに「和の文化」の特徴は、対外交渉の弱点になってしまうのです。その弱点になってしまう特徴をいくつか挙げてみましょう。
(1)自己主張が弱く討論が苦手。
私たち日本人は、徹底的に討論するのが苦手です。お互いけんかになってしまってその後の付き合いができなくなってしまうからです。
(2)信念を通すと軋轢が生じます。そのため自我が弱くなり妥協と迎合に走りやすい。
戦後の日本外交など謝罪と妥協と迎合以外のなにものでもない。
(3)「和の文化」には、こちらが誠意をつくせば、相手はそれを理解して誠意に応えてくれるはずだという前提がある。これを「和の文化」のない外国に平然と行う。戦前の幣原外相の軟弱外交は、幣原の支那に対する誠意に他ならない。しかしいくら誠意を尽しても全く悪用されるだけだった。戦後も日本は韓国、支那にどれだけ誠意を尽したことか。その誠意に応えるどころか全く理解されず、余計に居丈高になってなんでも要求してくる。「和の文化」は、日本人を対外的にお人好しにしているのだ。
(4)「和の文化」では決して論理的になれない論理的になると喧嘩になったりして、「和」が保てなくなくなる。そのために日本人は、論理的に考えるより情緒的に考える方を好みます。情緒的になるから騙されやすい。外国人や外国政府の好意的な行動や発言にすぐだまされる。その裏を読もうとはしないのだ。

4.このように「和の文化」というものは、ある島国の人の良い民族が持っている特有の文化で、その民族間では有効な文化だが、対外国となると全く役立たない、かえって弊害になる文化なのだ。その「和の文化」がDNAのように付着している日本民族が、幕末明治時代の弱肉強食の国際社会の荒波にもまれて白人国家の植民地になっておかしくなかった。なぜなら「和の文化」は、平和な文化であって争いとか、特に戦争に適さない文化であることは皆さん承知なはずです。それが植民地になるどころか独立を保ち、その上日露戦争では勝ち、アメリカという軍事超大国と戦争さえしたのです。なぜ「和の文化」の日本民族がそんなことができたのでしょうか。皆さん、その要因は、何だと思いますか。そうです。「武士道」ですよ。幕末まで日本では武家政権が700年ほど続きました。その700年間の間に武士道が形成された。その「武士道」が幕末明治時代の日本を救い、大国にしたのです。それではなぜ、「武士道」は日本を救うことができたのでしょうか。その要因はなんだと思いますか。それは「武士道」が「和の文化」の弱点を補完することができたからです。「和の文化」の最大の弱点は、信念の弱さだと思っています。信念が強いと軋轢を生む、信念が弱いから自己主張できない、迎合と妥協に走る。一方「武士道」の最大の長所は、何か。私は信念の強さだと考えています。「武士は食わねどたかようじ」の「誇り」と「名誉」、「武士に二言なし」の「誠」、義を見てせざるは勇なきなりの「義」と「勇」、「武士の情け」の「仁」、苦衷表現の名文句「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」、それでも忠を選ぶ「忠義」、その他「武士道」の徳目には、強烈な信念に裏打ちされたものでなければならないのです。その究極の表現が、「武士道とは死ぬことと見つけたり」です。特攻隊の人たちがこの言葉に全然影響受けなかったといったら、それはうそでしょう。この言葉の影響は隊員によって違うでしょうが、多少なりとも影響受けたればこそ、土壇場で見苦しい姿を見せることなく、静かに親、兄弟姉妹に別れを告げて散っていった。世界が尊敬の念を持って見ています。明治時代の政治家が立派だったのも、彼らのバックボーンに武士道があったからです。現在の政治家にはバックボーンなどなにもありません。国家意識もないどころか民主党の政治家など国を滅ぼすつもりなのだ。

5.戦後、日本を統治したアメリカ占領軍は、この武士道を忌み嫌い、ことごとく排斥した。その結果日本民族は、誇りを失い、アメリカ占領軍が作った憲法を独立回復後60年以上も後生大事にかかえ、憲法を廃棄するどころか何一つ改正さえもできず、アメリカの保護国に満足しきっている状態です。戦前のように「武士道」が尊敬されていれば「和の文化」の劣化にもブレーキがかかったでしょう。しかし「武士道」が無くなったため「和の文化」の劣化に拍車がかかった。「和の文化」の劣化とはなにか。「甘え」と「過保護」の充満です。自助努力を説こうものなら攻撃される世の中になってしまったのです。
一方戦後の日本外交を見てみましょう。国際社会は、幕末明治時代のようにすぐ戦争に訴えるような国際情勢でないことは確かです。しかし国際社会は、相変わらず弱肉強食の世界であることは間違いない。武士道をなくした日本は、弱肉強食の世界では不向きな「和の文化」で立ち向かっているのだ。そのため日本外交は、謝罪と妥協と迎合の繰り返し。ロシア、支那、韓国、朝鮮になめられっぱなし。これら4カ国となにか揉め事があると、自分一国で解決することができず、日本は、悲しいかなアメリカのそでにすがりたい一心なのだ。「武士道」を失った日本国家の哀れさが浮かび上がってきます。私は、日本の心ある保守政治家や指導者が何故「武士道」が日本民族にとってどれほど大事かという認識が出てこないのか不思議でなりません。来年から学校では日本武道、すなわち柔道や剣道が必須科目になるという。私は、そのことには賛成だが、特別に「武士道」を教える時間を必須科目にする方がもっと大事だと思います。武士道は本来、男性のために作られた教えです。そのために武士道が説く女性の理想像は著しく家庭的である。だからと言って弱い、なよなよした女性を求められてはいません。薙刀(なぎなた)を学び、成人した女性には「懐剣」と呼ばれる「短刀」をあたえられるのも、いざとなれば家族を守り自分の身を守る覚悟が要求されているからです。現代の女性像とはそぐわない面もあるでしょう。しかしだからと言って神話や古典を現在の時勢にあわせて学ぶことがないように武士道もそのまま男女共に学ぶ必須科目にすべきです。

明治32年に英文で武士道を書いた新渡戸稲造は、武士道に特別な徳目や教訓がサムライの階級だけに限られていたのではなかった。武士道の感化が日本人すべてにゆきわたっていた」と書いています。現在の日本では、アメリカ占領軍(GHQ)によって武士道は忘れられた存在になってしまいました。私たちは「和の文化」では世界では戦えません。戦前のように武士道をバックボーンにして戦うのです。武士道の復活なくして日本の復活はありません。新渡戸稲造は、「武士道は、不滅の教訓である」と書いています。日本復活のため、私たちは、武士道をバックボーンに持たなければなりません。和の文化では、世界で戦ってはいけません。

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岩田温著、「逆説の政治哲学」を読んで



著者、岩田温氏は、若手保守知識人のホープだと言われています。1983年生まれというからまだ弱冠28歳。28歳にして政治哲学などという難しい題名の本を誰にでも読めるようにやさしく書くなど至難の業だと思うのですが、それをいとも簡単にやってのける。読者にあきがこないようにするためでしょう、全編29話の一話一話を頁数にして8頁前後、枚数にして4枚前後でまさに読者が知らず知らずのうち政治哲学の本を読み上げるように工夫し、それがみごとに成功しています。まさに逸材、よい意味で将来恐るべしを感じさせます。全書を通じて一ヶ所だけ、私の認識とは全く違うことを書いている箇所があった。だからと言ってこの本の価値が下がるわけではないのですが、最後まで読むと、佐藤優氏がこの本の「解説」を書いていてその中で、私の認識とは明らかに違う岩田氏の文章をそのままほとんどそっくり書いて礼賛しているではないか、これでは反論しないわけにはいかず、これから私の意見を披露しましょう。著者は、第2章、第3節 「ナショナリズムの光と闇」の「『派遣村』に何を見るか」のタイトルのもとにこう書いています。全文を紹介します。
引用開始
現在、日本には様々な問題が山積みしています。未曾有の大震災からの復興もさることながら、少子高齢化の問題、老人の孤独死の問題、派遣切りなどの若年層の雇用問題など、本当に多くの解決困難な問題を抱え、多くの国民が不安におののいています。
実はこうした問題に援助の手を差し伸べ、解決のために身を粉にすることこそ、現在求められているナショナリズムの形でもあります。必ずしも復古主義的でいさましいことを語るばかりがその発露ではありません。
つまり、同じ日本人が困難に陥っている。この現実を見つめず、結果として弱者の切捨てを進めていくのではなく、日本人の同胞意識を根底に置いた弱者救済を目指すナショナリズムの形があるべきです。
ボランティアといえば、どちらかといえば、政治的左派の占有物というイメージがぬぐえませんが、こうした場合における右・左の壁ほど無意味で有害なものはありません。
当たり前のはなしですが、ボランティアという概念が必ずしもナショナリズムとは対立的に捉えられるべきでなく、むしろ、そうしたナショナリズムに基づくボランティアが存在しないことの方が、不健全です。
例えば、「派遣村」が作られた際、政治的保守派の多くがこれに批判的でした。「偽善的である」、「自助努力させよ」、「社会主義的である」といった彼らの批判は、実に空疎な言葉でした。
これらの政治的保守派たちは、同じ日本人で苦しんでいるという現実から目を背けていたのではなかったでしょうか。彼らは貧困にあえぐ同胞のために何をしたのでしょうか。それとも、貧しき人々は日本人ではないとでも主張するのでしょうか。
同じ日本人が苦しんでいるとき、自分になにができるのだろうか。そう問いかけるのもナショナリズムに形なのです。
引用終了

私に言わせれば、「派遣村」に関してのこの文章は、全くいただけません。ところが佐藤優氏は、この文章を礼賛し、ほとんど全文を「解説」の中で繰り返し、さらにつけくわえてこう書いているのです。
「日本の伝統的考え方に翼賛がある。翼賛を『広辞苑』で引くと、<力をそえて(天子などを)助けること>と説明されている。国家からの強制に基づくのではなく、見返りを求めずに、自発的に失業者を救援する。「年越し派遣村」も翼賛事業の一つなのである。ボランティアを左派と考えること自体が現下保守派の知的貧困を示すことを岩田先生は明らかにしている」

「派遣村」に援助の手をさしのべないのは、保守派の知的貧困だというのです。こうまで佐藤氏に言われては、黙っているわけにはいきません。反論する前にほんの少し私の経歴を話しましょう。私は20歳前後の時、松下電器のバッテリー工場で臨時工として働いた経験があります。臨時工とは、現在でいうならば期間工でしょう。期間工は、契約期間内に首になることはあまりないでしょう。しかし臨時工はいつでも会社の都合で首を切られます。著者の岩田氏は現在28歳ですが、私が28歳の時は、6畳一間の安アパート他に部屋らしい部屋と言えばトイレだけです。共同トイレでなかったのがせめてもの救い。そこに親子四人で住み、そのうえ妻は身重だった。何を言いたいのかというと、私は一時的にせよ社会的弱者に身をおいたことがあるのです。多少なりともその体験をバックにして反論をしていきます。

東北大震災が起き、その悲劇、災害の大きさを知った日本国民は、左翼も保守も中間派もない全国から義援金、ボランテイァ、あるいは物資の援助などを震災地に提供した。これを見ればボランティアがなにも左翼の専売特許でもなんでもないことがわかるでしょう。ボランティアを左翼の専売特許のように書いている岩田氏や佐藤氏の気持ちが全くわかりません。なぜ全国から多くの国民が援助を提供したのでしょうか。それは東北大震災が、誰もが認める大惨事であり大悲劇だからです。一方、「派遣村」は、誰もが認める大悲劇だったのでしょうか。大悲劇どころかこんな悲劇は、世間にはいくらでもあります。派遣社員などという気楽な生き方を選んだ若者にも原因の一端はあるのです。リーマンショックで悲しい目にあったのは派遣社員だけではないのです。だからこそ左翼からの支援しか集まらなかったのではないでしょうか。左翼は、困った者はどんな理由にせよ誰でも国費で助ける、そのためには防衛費などけずってもかまわない連中だからです。「派遣村」騒ぎで考えなければならない点は、三つあると思います。

1派遣社員は自ら望んで派遣社員になった。
派遣社員が出現する前に全盛になった言葉があった。フリーターです。一つの会社に長く勤めて束縛されるより、自由に働きたい時間に、働きたい場所で働き、生活できるだけのお金をかせいだらあとは自分の趣味や、やりたいことに没頭する生活スタイルが若者に流行った。私の次女もこのフリーターにはまった。あちこちの工場を転々としながらなにをやっていたかと言えば、アクション映画のスタントマンならぬ、女スタントマンになりたいとどこかのプロダクションに入って学んでいた。こんな生活しながら親からの援助がなくても生活できたのも日本経済が全盛期で、仕事はいくらでもあったからでしょう。そのフリーターの後に流行った言葉が派遣社員です。「派遣村」騒ぎのころの読売新聞にこういう投書があった。
「かって勤務した工業高校には、バブルで好景気のころ、フリーターを希望する生徒が多くいました。担任が不景気になるとまず失職することを忠告しますが、なかなか聞いてもらえませんでした。会社に縛られる正規雇用など真っ平というのが、当時の特に若い人の風潮としてありました。今解雇される人の中にはかってフリーターを希望した人もいると思います。・・・・マスコミはそのことに触れていないと感じます。今後の教訓として、身勝手に進路を選択した人の安直さにも触れてもらいたいと思います」
この派遣社員にも二種類います。正社員を目指して就職活動したが、成功せずやむを得ず派遣社員になった。もう一種類は、フリーター気分で派遣社員なった人たちだ。派遣村で話題になったのは、この人たちなのだ。この人達は、「豊かでなくても気ままに暮らしたい」、「仕事より自分の生活を大事にしたい」、「仕事がおもしろくなければ辞めればいい」などと労働意欲がうすのいだ。だから本人の生活設計もいいかげんです。30代も半ば過ぎなのに、派遣先の寮を追い出されたら、アパート借りる金もない、生活するお金も充分でない。一夜にしてテント暮らしになり炊き出しを受ける。一体いままで何をしてきたのかと言いたい。

私は自分が臨時工になるまで、経済的に恵まれない人間は、努力する人間ばかりだと思いこんでいた。ところが臨時工になってみると驚いたことに臨時工を脱出しようと努力する人より、何等努力もせず遊んで暮らしている若者の方が圧倒的に多いのだ。彼らには彼らなりの共通の認識があるのだ。自分がこんな恵まれない環境でめぐまれない仕事をしているのは、社会が悪い、国が悪い、資本家が労働者を搾取するからだなどすべて他人のせいにし、自分たちはその犠牲者だというのだ。だから私が、若いネットフレンドに自分が落ちぶれた生活をしているとき、社会が悪い、国が悪いなどと他人のせいにしたらもうあなたの成長はない。自分の努力が足りないからこんなみじめな生活をしているのだと自分のせいにしろと忠告しています。ルポ・ライターの横田由美子氏は、雑誌「明日への選択」でこう書いています。
「最近、『おれは派遣切りされた』と主張する若者と話していて、腑に落ないことがよくある。彼らの言い分はこうだ。景気が悪いのも、職を得られないのも、定住できないのも、政治の責任だ。カネがないから恋人も結婚もできない。少子化が進むのも当然だ。一連の派遣きりに関する報道に影響されたのか、自分たちは何も悪くないのだから、救ってもらって当然というような論理を展開する」
こういう不埒な発言をする若者に国はせっせと生活保護を提供しているのだ。ナンセンスというほかありません。ほとんど企業が「派遣」契約を結ぶ際に「派遣先の都合によって契約期間内で一方的に打ち切ることがありうる」と記載されているという。それに基づいてある企業が契約期間中にもかかわらず派遣契約を打ち切ったら、世間から強い非難が出た。そのためほとんどが契約期間内の派遣切りはなかった。私は「派遣切り」問題で非難したいのは企業より労働組合です。企業は少なくとも契約どおりのことをしたのだ。

2.労働組合
私は臨時工を経験したので労働組合がきらいです。労働組合は、働く者の仲間と称しているが、実際はいつでも首にできる労働者を配下のおき自分は会社が倒産でもしないかぎり身分の安泰が保証されているのに満足しているのだ。組合幹部にいたっては会社の仕事はしないから利潤を上げることなど考える必要がない、組合員から集めた金勘定と使い道を考えるだけが仕事で、数年たつと組合をバックに政治家に立候補する。まさに労働貴族と言っても言いすぎではない。今回の「派遣切り」の社員のほとんどが自動車関連や電機関連の会社でした。自動車労組や電機労組は、「派遣切り」の社員のために何か援助してあげたのでしょうか。政党や政治家に献金する一部のお金でも「派遣切り」社員に提供してもいいはずです。影響力ある個人や団体には組合員のお金を使えても、派遣社員のような労働者には一銭も使わないのが労組みです。労組み自身が派遣社員を見下しているのです。左翼のボランティア、野党議員、マスコミは、労働組合は彼ら仲間だから労組みを非難しようとはしない。彼らは共同で「派遣切り」を政治問題化したのだ。

3.政治問題化
政治問題化すると福島瑞穂のような野党の政治家ばかりでなく政権与党の自民党の政治家までが「派遣村」までかけつけ派遣社員の太鼓持ちになった。そうなると自民党政府も黙っているわけにもいかず、とうとう麻生首相が、平成20年12月19日、東京・渋谷のハローワーク渋谷を訪問した。職探しにきていた24歳の若者と短い会話を交わした。麻生総理の「どんな職つきたいのか。なにかありませんか?じゃ探すほうも難しい。どういう仕事をしたいかという目的を持って探さないと」との質問に、若者は「六本木とかオシャレナ場所で働きたいと」答えた。それに対して麻生総理は、「オシャレナ仕事は給料安いからな。だいたい格好悪い仕事の方が給料はいいからな」とアドバイスした。この二人の短い会話、皆さんはどう感じられますか。若者の「六本木とかオシャレナ場所で働きたい」などは失業者として生活苦の実感がわかない言葉と思いませんか。それに答える総理の返事はまともですよ。ところが後に首相になったルーピー鳩山は、記者会見で、「誠に的外れだ」と批判。
「なかなか自分の思い通りの仕事が見つからない状況だからこそハローワークで探そうとしている。しっかりやれよ、と言葉かければ、彼らもやる気が出る」とたしなめているのだ。
後に厚生大臣になった長妻議員などは、「今、まさに職がないと言うときに目的を持てとは的外れもいいところだ。目的意識を持てというのはそのまま麻生首相にお返ししたい」と語っている。平成20年12月20日の朝日新聞の記事、「麻生首相は19日、東京・渋谷の「ハローワーク渋谷」を視察し、休職に訪れた24歳の男性に「何がやりたいか目的意識をはっきりだすようにしないと、就職というのは難しい」と声かけた。男性は派遣社員として働いた自動車工場の契約がうちきられ、職探しに東京にきたという。(後略)
鳩山も長妻も朝日新聞も、職探しの若者が「六本木とかオシャレナ場所で働きたい」という言葉を完全に無視しているのだ。三者は反政権活動の一環として「派遣村」騒ぎを利用しているにすぎないのだ。

確かにリーマンショックの大きさが今度の「派遣村」の悲劇のきっかけでしょう。しかしそれと同時に若者たちの安易な労働意識が悲劇を大きくした面もあったのです。ところが左翼やマスコミはそのことを指摘せず、すべて企業のせいにし、政府に緊急の対策を要求してきたのです。その結果として生活保護を受ける人が急増した。私は、現在の就職難時代でも健康で働ける体を持った20代、30代の若者には生活保護などだす必要は全くないと考えています。それより、若者既婚者の援助を増やす。そうすれば早婚をうながすし、子供の数が増える可能性が高いからです。著者の岩田氏や佐藤優氏は、左翼のボランティアなどと言って賞賛していますが、左翼のボランティアには、いつも不純さがある。政治活動や政治宣伝がボランティアの陰にかくされているからです。「従軍慰安婦」事件の左翼のボランテイア活動をみればわかります。世の中には、いくつもの困難を乗り越えて一生懸命生き抜いている人たちが沢山います。一所懸命生き抜くゆえに人を頼らないから影が薄い。一方、衆を頼んで声だかに叫ぶとマスコミや左翼が飛びついてくれる。ボランティアをすることがすべて良いわけではないのです。甘えを増長させる場合もあるのです。

以上私は「派遣村」についての岩田氏や佐藤氏との認識の違いを述べてきましたが、最初に触れましたようにそれだからと言ってこの本の価値を下げるものではありません。まさに一読に値する本です。今後の岩田氏の活躍を期待しております。

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