Archive for 9月, 2011

ペリー提督の上陸用舟艇



日本の歴史家、特に近現代史家にはバカやアホが多すぎる。私に言わせれば、数学を教える先生に人間性を問われないでしょう、あるいは問う必要もないでしょう。しかし歴史を教える先生は、人間性を問われます。なぜなら歴史の先生は、生徒にうそを教えるからです。数学に門外漢の私に言わせれば。1+1=2。 これは数学上の真理でもあり、また世の中で誰もが否定できない事実です。だから1+1=3と教える数学者は絶対にいないでしょう。それだけに私のような数学について無学な人間は、数学者は、教室でうそをつくことはないのではないかと考えて、数学者は人間性を問われることはないと解釈しているわけです。
ところが歴史学者は違います。歴史学者に一つの史実資料を与えたとしましょう。ある学者は、史料を読むが「偽物」だといってその史料を無視する人、あるいは史料を読むがその内容を曲解する人、あるいはその史料を正しく理解する人、どうして同じ史料を与えたにもかかわらず歴史学者によって解釈の仕方が違うのか、すなわち歴史観が違ってくるのでしょうか?皆さん、なぜだと思いますか。それは歴史が、時勢、時流、権力者の影響を非常に受けやすい学問だからだと思うのです。拙著、「逆境に生きた日本人」を読んでいただければわかっていただけると思いますが、日本人は、この時勢、時流や権力者の意向に極端に弱い。付和雷同は日本民族最大の特徴です。日本民族の付和雷同性を皮肉る外国製ジョークは、いくつもあります。時勢、時流や権力者の意向に従うためには、いままでの考え方とは180度も違う転向を平気でやってのけるのだ。

戦前と戦後の歴史家の違いは何かと言えば、答えは簡単です。戦前の歴史家は、日本の大絶賛、日本批判の一言も言ってはダメ、戦後の歴史家は、日本の大批判、日本絶賛の一言も言ってもダメ。祖国の歴史がこんなに両極端になって、日本の歴史家に果たして祖国の歴史を教える資格があるのかと言いたい。度を越した自虐史観が現在日本の歴史学界全体の歴史観になっていて、大学で歴史を学び、中学校や高校の歴史の先生になった人たちは、ほとんど自虐史観そのものです。大学内での自虐史観への挑戦などは、絶対許されないのです。もし挑戦したら、学者としての出世は、望みうす、学校の歴史の先生としての就職も望めないでしょう。

保守言論界の巨人、西尾幹二氏、現在76歳。専攻は東大ドイツ文学。その西尾幹二氏が29歳の時、雑誌「自由」に『私の「戦後」観』というタイトルの論文を発表し「自由新人賞」の入賞論文になった。私は二、三年前にこの論文を読んだが、内容は徹底した自虐史観批判で、当時の著名知識人をボロクソに批判しています。西尾氏は、講演の時この論文を指し、「私は、この論文で東大文学部教授への道を棒に振った」と語った。その時からおよそ50年後の現在、東大文学部教授の肩書きを背に岡本陽子氏がさっそうと登場、自虐史観の本を書きまくり、度々NHKに登場する人物となっています。彼女は、大学時代から自虐史観を忠実に学び、一歩もはずれることなく忠勤に励んだ結果、東大文学部教授の肩書きを得たのです。このように大学では自虐史観が主流派ですから大学の現役学者が自虐史観に挑戦する本など書くことはめったにない。自虐史観への挑戦者は、ほとんど西尾幹二氏や渡部昇一氏のように歴史が専門でない学者ばかりです。それに在野ともいうべき私のような一介の定年サラリーマンのような人たちが加わります。その在野の挑戦者でもちょっと稀有な存在の女性を紹介しましょう。

数年前「ペリー提督の上陸用舟艇」という論文を発表した東京在住の北村陽子氏です。北村氏の何が稀有かというと、自分の書いた論文が日本歴史学会に挑戦しているということが暫くの間気がつかなかったこと。また在野の人が歴史本を書くというのは、たいがい若い時から歴史に興味があったというのがほとんどです。ところが彼女は違った。彼女は美術系の大学を出、現在は主婦です。大学時代を含む若い時は、歴史など一切興味がなかった。だから歴史小説さえ読んだこともなかったのです。その彼女がどうして専門家顔負けの論文を書くまでになったのか。彼女に言わせると、自分が教育ママだからですと言うのだ。教育ママだから子供を博物館などによく連れていきます。ある時上野の科学博物館に子供と一緒に出かけた。天文系の展示で、日本で初めて太陽の黒点観測したのは近江の国友鍛冶、国友藤兵衛という人物だと知った。鉄砲のような殺人道具を作る人が、夜空の星や太陽を観察するというその落差が彼女の胸にグッと感じるものがあった。国友藤兵衛の人物を調べようと思い鉄砲史学会に入会。そこで江戸の鉄砲鍛冶を知り、そこから江川太郎左衛門を知り、太郎左衛門から開国の歴史に踏み込み「ペリー提督の上陸用舟艇」という論文が生まれたというわけです。

この論文の概略: 幕府に開港をせまるにあたってペリーの採用した軍事作戦は、「砲艦の集中使用」と「サーフ・ボードと称する一種の上陸用舟艇」による上陸作戦の実施と「陸戦隊」の起用の三点であった。特に威力を発揮したのがサーフ・ボードと称する一種の上陸用舟艇です。船首にボート・ホーイッスルと呼ぶ曲射砲が設置されていた。その曲射砲も固定式に設置されているのでなく、自由自在に旋回できる砲座の上に設置されているのだ。当時の日本人はこの砲を「船放自在砲」と呼んでいます。この「船放自在砲」が上陸用舟艇で上陸し、砲座から外され二輪掛けの砲車に設置されると野戦砲に変身するのだ。要するにこの「船放自在砲」は、水陸両用に設計されていたのだ。この「船放自在砲」が野戦砲に変身し、その威力は、幕府側に大きな影響を与えた。それまで幕府は、海上では勝てなくても、陸上では勝てるだろうと予想していたのだ。なにしろ江戸湾は、遠浅で黒船艦隊は、極端に陸上接近して停泊できないからだ。ところが上陸用舟艇の「船放自在砲」、それが陸上では野戦砲に変身、陸戦隊が放つライフル銃の威力、陸戦でもとうてい勝てないことを悟ったのだ。このようにペリーは、圧倒的軍事力を実際に見せ付けての軍事圧力で幕府側に開港をせまり成功させた。

アメリカインディアンが白人に接触した時の軍事技術の差は、ほとんど弓矢と銃の差だった。だから戦いもした。しかし江戸末期の武士がペリー艦隊に接触した時、その軍事技術の差は、どうしようにもない開きで一戦を交えることが不可能だったのだ。この論文を発表してから彼女は、しばらく考えこんでしまった。「なぜ私みたいな一介の主婦が調べれば書けることが、歴史の専門家の人たちが書かなかったのだろうか」と?その後いわゆる「ペリーの白旗事件」を知り、私のブログなどを読むようになって、彼女は日本の歴史学界は、自虐史観中心で、日本のことはいくら悪く書いてもいいが、アメリカのことはあまり悪く書けない、書かないのが暗黙の了解になっているのと、同時にペリーの圧倒的軍事力で強引に開国を迫られて開国が実現したことを強調することを好まれていないことを知ったのでした。私がこの論文を読んで、最初に私の頭に浮かんだのは、いわゆる「ペリーの白旗事件」でした。読者の中にはすでにご存知の方も多いと思いますが、「ペリーの白旗事件」の概略は以下のようなものです。

ペリーは帰国後、膨大な遠征航海記を書いています。ところがその膨大な遠征記には書かれていないことが、当時の日本の外交文書に書かれているものがあるのです。それはなにか。彼の遠征記では、ペリーは幕府との外交交渉で3通の書状を提出したと書いてありますが、実際は四通の書状を幕府に提出しているのです。その四つ目の書状には、国書の受け入れを拒むなら、それは天命に背くことである。戦いとなれば必ずアメリカが勝つから、その時にはこの白旗を掲げて和を請えと書かれているのです。そしてその書状と一緒に二本の白旗が幕府に渡されていた。この史実の出所はと言えば、当時の日本の対外関係を知るための第一級の史料と言える「大日本古文書・幕末外交関係文書之一」です。

ところがなぜかこの白旗事件が、戦前もそして戦後も長く日本国民に知らされることがなかったのか。戦前の理由の一つに新渡戸稲造があげられています。新渡戸は、アメリカのジョン・ホプキンス大学で博士論文を得るために「日米関係史」(The Intercourse Between The United States and Japan)という論文を書いています。新渡戸が史料として白旗事件のことが詳しく書かれている水戸藩主、徳川斉昭の著「海防愚存十条五事」を使用し、長々と紹介しているのですが、白旗事件のことは一切触れていません。何故か?新渡戸は、自分の評判を上げるためにアメリカ政府に媚をうったとも言われています。私もその考えに同意します。新渡戸は「武士道」を書いて有名ですので、すばらしい人物のように思われていますが、私は人間的には彼はきらいです。ここでは詳細を省きます。

それでは戦後の理由は何でしょうか。幕末外交史を研究する歴史家にとって、先にあげた「大日本古文書」は必読の本です。それがどうして長い間「ペリーの白旗」事件が日本国民に知られることがなかったのか。それは先に触れた自虐史観の影響です。それではいつ日本国民に知れわたるようになったのか。1990年にアメリカ人のピーター・ワイリーの著書、「神々の国ヤンキーたち――ペリー提督と日本の開国」が出版されたからです。それでは著者ピーター・ワイリーは何を参考にしてペリーの隠された白旗書簡のことを知ったのかというと「大日本古文書」が1970年に英文に翻訳されていたからです。要するに「白旗事件」は江戸時代の日本人が書いたのにアメリカ人によって知らされたということです。

北村氏は、ペリーの黒舟艦隊の軍事力の実態を詳細に調べあげてその圧倒的軍事力の差を書き、それが大変な圧力なって開港を導いた主張しています。だからこそペリーは、戦になればアメリカが勝つから、その時はこの白旗を掲げよと二本の白旗を日本に渡したということは当然考えられる筋書きです。それではなぜペリーは、この事実を隠したのか、先に触れたアメリカ人作家、ピーター・ワイリーは、「遠征が日本国民に対する威嚇であったような印象を与えないために、自分の報告書にはこの書簡を書かないことに決めたのだとしか推量のしようもない」と書いているが、私はその推量はまともだと思います。ところが、この白旗書簡は、日本人が作成した偽物だと主張する人が現れたのだ。誰か?自虐史観の親分的存在の歴史学者で東京大学教授、宮地正人氏です。日米両国が正式に交わした外交文書に書かれているわけでなく、アメリカ側にはなくて日本側だけにある文書など史料とは言えず、偽文書だと決め付けているのだ。宮地氏の場合、徹底した自虐史観論者だから、日本を悪い国にしなければなりません。そのため江戸末期の開国は、ペリーの武力威圧で強引に結ばれたということを強調したくないのだ。そのため無意識のうちにアメリカ擁護になり、アメリカの御用学者になってしまうのだ。従って日本の歴史学者にとってペリーの黒舟艦隊の軍事力の実態を調べた北村氏の論文は、歓迎できない論文なのです。

「大日本古文書」が英文翻訳されていますから、ペリーの白旗書簡は、少なくとも歴史の専門家に知られていたのです。ところが自虐史観が支配的なため誰も世間に公開しようともしなかった、あるいは公開できなかったためにアメリカ人の作家によって公開された。一方ペリーの黒船艦隊の軍事力の実態は、日本の歴史家によって調べられなかった。実態を暴くと、圧倒的軍事力の差で強引に外交をせまられたことがばれてしまうからです。もし北村氏の論文が発表されなかったら、黒船艦隊の軍事力の実態は、自虐史観が歴史学会の絶対的主流派であるかぎり日の目を見ることはなかったでしょう。それだけに北村氏の論文は、貴重であり読む価値があります。北村氏の論文、「ペリー提督の上陸用舟艇」は、横須賀市開国史研究会編集・刊行の「開国史研究 第五号」に掲載されています。販売は横須賀市役所、市政情報コーナー、電話046-822-9478。本代800円、郵送代290円、合計1090円払い込むと郵送してくれます。多分部数に限りがあると思いますので早い者勝ちだと思います。

「開国史研究 第五号」には北村氏の論文をふくめて四つの論文が掲載されていますが、その一つに岩下哲典氏が書いている「ぺりーの白旗書簡論争への一つの回答」も白旗書簡に関心のある方には興味があるのではないかと思います。北村氏は、この論文を本にして出版する予定にしています。さらに彼女は現在三本の歴史論文を書いているそうです。若い時歴史など全く興味なかった彼女が、子育てもそろそろ終わろうかという時に、次々と歴史論文を手がけるという離れ業をやってのける、隠れていた逸材に花が咲く時がきたようで今後の北村氏の活躍が楽しみです。







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反日賠償産業



日本の「外務省」を「害務省」、「法務省」を「法無省」と誰が最初に名付けたか知らないが、まさに名言だが、「反日賠償産業」という言葉も誰が作成したか知りませんが、まさにこれも名言です。戦前戦中に発行された国語辞典なら「従軍慰安婦」という言葉は、絶対に記載されていません。当時は「従軍慰安婦」という言葉がなかったからです。誰が最初にこの造語を作り使用したかというと1973年(平成48)千田夏光という作家が『従軍慰安婦』という本を著したのが最初です。この「従軍慰安婦」という言葉を流行らせるのに功績があったのが朝日新聞です。私はこの不愉快な「従軍慰安婦」という言葉のしっぺ返しの言葉としてこの「反日賠償産業」という言葉を流行らすべきだと思う。「反日賠償産業」という言葉の意味は、外国人を炊きつけて反日賠償裁判を起こさせ国や企業から賠償金又は補償金を巻き上げその上前をはねるという正真正銘の国賊行為です。それが「産業」とよばれるほど繁盛したのです。今はちょっと下火になっていますが、また繁盛しだすかもしれません。この国賊行為で金銭を稼いだり、外国の評判をかち取ろうとする日本人弁護士が沢山います。彼らに共通しているのは、彼らの国賊行為にうしろめたさがなく堂々とやることです。

国賊行為で金銭を稼ぎ外国での評判をかち取った日本人弁護士の代表選手と言えば、高木健一弁護士でしょう。1944年生まれ、東大法学部卒、だいたい東大法学部卒の有名人には碌な人間がいないのではないか。高木を一言で言えば、法律さえ違反しなければ国賊行為やその他なんでもやってのける悪知恵の働く弁護士だ。話しはちょっとそれますが、この高木と30年来のつきあいというのが民主党の仙石由人だ。この仙石は、非常に危険きわまりない人物で、その危険度は民主党の中でも群を抜いている。その高木が1989年(平成元年)韓国から韓国国民勲章牡丹賞という勲章をもらっています。サハリン残留韓国人支援金を日本政府から出させた功績でしょう。韓国側から見れば功績だが、実態は金をださせるために暗躍したのだ。彼は「従軍慰安婦」事件でも元慰安婦と称する韓国人女性原告らの弁護士を引き受けています。このケースでも彼は成功を収めています。私がここで述べたいのは彼の失敗のケースです。彼の成功のケースは、日本政府のバカさかげんが目立つが、失敗のケースは彼のあくどさを際立たせるからです。失敗のケースとは、インドネシアの「従軍慰安婦」事件です。その顛末を追って見ましょう。

1996年(平成8)11月3日、産経新聞に「プリズム検証」のタイトルのもとに「インドネシア元慰安婦ルポ番組」と称する報道を二日間行いました。最初の日のリード記事にはこう書いてありました。

「9月30日未明、日本テレビ系で全国放送された中京テレビ製作のドキュメンタリー番組「IANFU・インドネシアの場合には」(約30分番組)が字幕の信憑性などをめぐって、論議を呼んでいる。インドネシアで強制連行されたとされる『従軍慰安婦』の”実態“をルポした衝撃的な番組だが、元慰安婦とされるインドネシアの女性の会話を日本語訳する際、言っていない言葉が挿入されたり不自然な省略が行われるなど誤解を招きかねない部分が、専門家によって、いくつも指摘されたからだ。実際にインドネシアの現地に行き、番組が制作された実情を取材した」

この中京テレビ放映の前日9月29日付けの日本共産党機関誌「赤旗」は、この中京テレビの製作したインドネシアの慰安婦についてのドキュメンタリー番組の詳細な予告記事を出していた。記事は、「このテレビ番組について『強制ではない』、『金を受け取っていたはずだ』などの日本の一部にある議論を念頭におき、事実と証言で回答を与えています」とし「女性たちが強制的に連行され、性行為の相手を強要され、報酬もあたえられなかったことは明白です」と書いていたのだ。

この中京テレビ番組の証言者として登場した元第16軍(ジャワ防衛軍)作戦参謀の宮元静雄さん(故人)は、「私の取材に対し約3時間にわたって慰安所の存在目的や婦女暴行を最も禁じていた軍の綱紀のことを説明したのに、放映されたのは一分弱、それも言葉の前後を省いて向こうの論旨に都合のいい部分だけが使われた」と憤っていたのだ。この宮崎さんは、さきの大戦後、進駐してきた英軍の命令を無視して、降伏した日本軍の武器弾薬をインドネシアの独立勢力に渡すのを黙認し、スカルノ大統領のよる独立宣言にも立会った人物で、インドネシアに行くと国賓待遇を受けた「インドネシアの友」だったことを指摘しておきます。

「従軍慰安婦」事件の発端は、強制的に連行されて「従軍慰安婦」にされたという韓国人女性の提訴です。インドネシア側から「従軍慰安婦」問題を提起したことはなかったのです。それがなぜ日本のテレビ取材人がインドネシアまで行くようになったのか。事の起こりは、韓国と同じように日本側から働きかけがあったのです。いやむしろ火付け役をしたと言っても過言ではありません。話は1993年(平成5)、インドネシア、ジャワ中部の都市ジョクジャカルタに高木健一を含む三人の日本人弁護士があらわれたことからはじまります。
三人の弁護士が目をつけたのが、元兵補協会会長のタハリップ・ラハルジョ氏です。「兵補」とは、日本軍政時代に補助兵として採用されたインドネシア人のことです。「兵補」は民間組織、戦時中の兵補の強制貯金の未払い分に対する賠償要求が目的でした。高木ら日本人弁護士は、このラハルジョ氏に接触すると同時に地元紙に「補償のため日本から来た。元慰安婦は名乗り出てほしい」という内容の広告をだした。

1995年(平成7)高木はラハジョル会長に慰安婦の登録事業のノウハウと権限を与えた。そしてラハジョル会長は、日本に対して元兵補に300万円、その妻に250万円、慰安婦に200万円の補償を要求しています。慰安婦登録や補償要求のやりかたについて東京の高木弁護士から指示を受けて始めたこと、そして慰安婦登録者に高木が作成したアンケート調査を行うよう指示を受けたことも、ラハジョル会長は述べています。そのアンケート調査なのですが、全部で質問項目25あってその内容がかなり杜撰なのです。例えば問5の「従軍慰安婦になった理由は何か」という設問に対して、
(1)看護婦になれる、学校に行かしてやる、職を紹介するなどと言われてだまされた。
(2)逆らうと家族を殺すと日本兵に脅迫され、強制された。
(3)おだてられ誘われて自分でその気になって。
(4)帰宅途中、あるいは路上で拉致・誘惑されて。
これらの四通りの答えが用意されていて、どれかに○をつける形式なのですが、「親に売られた」とか「収入がよかったから」などの選択肢がないのです。
これに対して高木は、産経新聞紙上で「ラハジョル会長には、助言はしているが、僕らが仕掛けたわけではない」と語っていますが、「助言」とはうまい言葉を使ったものです。「助言」と「指示」とは境界線があいまいでどちらにもとれます。「僕らが仕掛けたわけではない」との弁解も私には空々しく聞こえるだけです。

各慰安婦は、25問のアンケート調査の範囲でそれぞれの身の上話を作っていったと思われます。こうしてわずか一年間に登録された慰安婦の数がなんと二万二千人です。戦時中インドネシアに駐留した日本兵は、陸軍一万五千、海軍五千あわせて2万人程度です。日本兵一人に慰安婦一人以上がはりついていた勘定になります。なぜこんなに数が膨れ上がってしまったのか。一人200万円の補償金です。200万円というとこの時の一般のインドネシア人の年収の40倍と言われています。つくり話で元慰安婦と言えば、裏づけ調査されることもなく、宝くじにあたったような金額をもらえるのです。えげつない高木は貨幣価値の落差を利用してインドネシア人を釣ったのです。高木も予想以上の慰安婦出現にさぞかし困惑しただろう。

このような状況の中で中京テレビがインドネシアの慰安婦番組を制作したのです。番組の冒頭に出て来る慰安婦集会の場面があります。先にあげた11月3日付けの産経新聞の記事によると、「中京テレビの取材陣と21日間、行動をともにし、番組では取材協力者と紹介された通訳のワヒュー・クスマウイジャヤ氏は『慰安婦集会は今年7月、テレビ局の要請で地区別に集めたもので、交通費もテレビ局が負担した。奥さんたち(元慰安婦とされる女性ら)はこの時、集まるのは三回目になるのに、まだお金がもらえない。もういやだと怒りだしました』と語った」と書いています。私はこのテレビを見ていませんが、まさに「やらせ」番組ではなかったのではないでしょうか。

一方テレビのビデオを見た老舗の英字紙「インドネシア・タイムズ」のジャマル・アリ会長は、「慰安婦登録者は二万人」と紹介されるシーンで、「ばかばかしい。一人の兵隊に一人の慰安婦がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。われわれには、韓国とも中国とも違う歴史とプライドがある。『お金くれ』などとは、360年間我が国を支配したオランダにだって要求していない。日本大使館はここで何をしているのか。日本を理解させようとしていないのでは」と産経の記者に語っています。

インドネシアの「従軍慰安婦」問題について、インドネシア政府は、政府の方針をスエノ社会大臣に記者団の前で説明させました。要約すると:
(1)インドネシア政府は本件につき当初から補償を請求したことはない。
(2)援助資金はインドネシア政府、本件の場合「社会省」を通じて供与し第三者を仲介          したり個人に給付しないこと。
(3)インドネシアにおける元兵補及び「ロームシャ」の補償問題について特記すれば、1958年インドネシア政府と日本政府との協定に基づき日本国政府が戦時損害賠償を支払って処理は完結したものとみなしている。これによってラハルジョ会長の試みは失敗、高木は彼からは、手数料を貰う事はできなかったはずです。
要するにインドネシア政府は、台湾と同じように非常に親日国家なのだ。相手が日本なら、むちゃくちゃな論理を押し付けるのも平気な支那人や朝鮮人とは違うのです。それにしてもなぜ高木のような悪辣な弁護士が出て「反日賠償産業」が繁栄するのか。その理由は高木や以前私のブログでとりあげた戸塚悦朗のような弁護士ばかりを責めるわけにいかないのだ。「反日賠償産業」が流行る理由には、悪辣な弁護士の存在の他に重要な三つの要因があるのです。
(1)国の怠慢
稲田朋美氏によると「戦後補償裁判の国の代理人は法務省の訴訟検事が担当している。法務省に配属になるのはエリート検事、裁判官と相場が決まっているので、優秀な人々であるはずなのに、なぜか被害者の主張する事実について全く争わない。認否(原告が主張する事実について認めるのか争うのかを明らかにすること)すらしない。さらに証人尋問でも当事者尋問でも証言者の証言に対し反対尋問をしない。除斥期間(不法行為に基づく損害賠償制球件の行為の時から20年で消滅する)や国家無答責といった法立論だけで勝負するのだ」と書いています。さらに彼女は、「戦後補償裁判における国の代理人が事実を争わなければ原告が主張した事実が「あったこと」として判決に書き込まれそれが「真実」として一人歩きする。これがいかに国益を害しているか計りしれない」とまで書いています。ちょっと例をあげましょう。

支那人の劉連仁事件。彼は大東亜戦争中、支那で強制連行され北海道の炭鉱で働かされたと主張。敗戦直前に脱走、敗戦を知らずに13年間道内の山野で逃亡生活をしていたというのだ。国に二千万円の損害賠償を訴えた。平成13年東京地裁は、国の責任を認め、全額支払いを命じた。保護を怠った厚労省に責任あるのだが、産経新聞にインタビュー(平成13年7月13日付け)されると厚労省の担当者は、「寝耳に水、いきなり判決に書かれてもわからないとしかいいようがない」「裁判がおこされたことすら知らなかった」というのですからあきれはてて物が言えません。「従軍慰安婦事件」を見てください。「私は日本人に強制連行され、強制的に慰安婦にされました」と訴えるだけで、国からの調査も受けず、尋問もされることもなく一人200万円と総理からお詫びの手紙がもらえたのだ。これが自民党政府のやってきたことなのだ。要するに政府は、外国人の不埒な要求に対して戦うという気概がまったくないのです。

(2)日本のメディアの反日左翼
朝日新聞やNHKという主要なメディアの反日感情。その反日感情も論理的であれば、別に目くじら立てることはない。あまりにもむちゃくちゃすぎるのだ。戦前戦中の日本を訴えるなら外国人でも日本人でも誰でもいいのだ。彼らの主張を報道機関のくせに何一つ検証することもなく全面的に信用して新聞紙上に載せるのだ。典型的な例が朝日新聞が載せた「従軍慰安婦」事件です。この事件の主役は、完全に朝日新聞です。メディア自身が主犯を演じなくとも多くのメディアは、国賊弁護士たちがでっち上げる事件を好んで後押しをしてきているのだ。

(3)裁判官のほとんどが反日左翼主義者
私は年寄りだから戦後の知識人が何にかぶれたかよく知っています。共産主義です。共産主義国家の盟主、ソ連が彼らのユートピアになったのです。そのためソ連帰りがもてはやされました。共産主義国家、ソ連にかぶれた知識人の中に法曹界の人が非常に多い。今でも主流派を占めています。共産主義国家、ソ連には自由が全くない。言論出版の自由もなければ、経営する自由もない、農家がなにを作付けし、どれだけ生産しようかという自由もない、信仰の自由もないのです。民主主義国家日本でありあまる自由を満喫しながら、自由がまったくない国にあこがれるという、現在の若者には全然信じられない行動をしてきているのに、それでも世間では知識人で通っていたのだ。そのソ連が1991年(平成3)に崩壊して今のロシアになった。

メンツを失った大学の学者や、出版会、法曹界の人たちは、すなわちソ連にかぶれた知識人たちは、急に立場が悪くなりそれぞれの業界にいたたまれなくなって去ると思われていたのが、逆に開き直り逆襲に出たのだ。それが目に余る反日行動です。それも戦前戦中の日本を非難してやまない韓国と支那と相乗りする形での反日攻勢です。その一つが戦後補償裁判です。すなわち戦争中の個人被害を日本政府に請求する裁判です。戦争というものは、国家間の究極の紛争解決手段です。戦争中の被害については国と国との平和条約で解決し、それとは別に個人補償は認めないというのが国際法の常識なのだ。そのため当初、戦後補償裁判は、裁判なる前に門前払いだった。ところがいまから20年前頃、即ちソ連崩壊ごろから戦後補償裁判が始まった。通常国際社会では、外国人が他国を訴えて賠償金や補償金を求めて法廷に提訴したところで勝つのは至難と言われているのだ。ところが日本の裁判官は簡単に外国人に勝たせてしまうのだ。こうして高木のような国賊弁護士、国の怠慢、メディアの支持、反日左翼裁判官が加わって反日賠償産業が大繁盛したのだ。そのため日本の名誉が傷つけられ、どれだけ国益を害してきたかはかりしれないものがあります。

裁判官同士が使う特別な言葉があります。「認定で賄(まかな)う」という言葉です。自分の好む判決に持ってゆくための手法です。自分の判断が司法界の大勢に受け入れられない恐れがある場合などは、結論を最初に決め、真実がどこにあるかということを調べようともしない。あらかじめ自分に都合よく、導きたい結論に持っていくため、書証を却下したり、証人を採用しなかったり、訴訟当事者に立証させない。あるいは、さまざま理屈をつけて都合のいい調べだけを行うことです。稲田朋美氏の書いた本に「百人斬り裁判から南京へ」という題の本があります。彼女と彼女の夫は、現職の弁護士です。だから裁判官を猛烈にけなし怒らせたらいずれ自分たちが損するとの思いがあるのでしょう。厳しく批判していません。また厳しく批判できないのです。彼女は「司法の不可解」という言葉を使用しています。決して「認定で賄う」裁判とは主張していません。私に言わせれば、「百人斬り裁判」など最初から判決が決まっていた、所謂「認定で賄う」裁判だったのだ。稲田弁護側が提供した証人は15人、それでもたった一人しか証言させないのだ。被告の本多勝一には、証言もさせず、弁護士に尋問さえさせず、なんと本多は、裁判中一度も法廷に表れたことすらないのだ。野田、向井両家の遺族にとって憤懣やるかたない裁判結果です。私にお金があれば、ヤクザを雇い裁判長に、ヤクザ言葉で言えば、「たっぷり落としまえつけさせてやりたい」くらいです。こういうやり方は、現代ではあまり好まれませんが、しかしあまりにも不埒なエリート知識人が多すぎると思いませんか。法を犯さなければ高木弁護士や百人斬り裁判長ような不埒なエリート知識人を、黙って見ていることしかできないのでしょうか。




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