Archive for 11月, 2011

渡部昇一先生への苦言



私は渡部先生の本、特に日本の近現代史関係の本では随分勉強させてもらいました。定年後私が、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」という大作を出版できたのも先生を初め多くの方々の本のお陰でもあります。これまで私とは縁もゆかりもない読者で一高東大出の定年サラリーマンの方が、この本は絶対に英文化しなければいけないと言って、本人のライフワークのように英文翻訳に励んでくれました。彼のお陰で来年中には間違いなく英文出版ができるようになりました。しかし時間もかかりましたが、お金がかかりましたし、出版するにはまたお金がかかります。現在日本に194カ国が大使館、公使館を置いています。英文出版できたら、アメリカのルース大使を筆頭に全大使、公使に郵送するつもりです。読んでもらえず、ゴミ箱行き覚悟で送りつけるつもりです。資金的余裕があれば先進国の有名図書館にも送りつけるつもりでいます。このようなことを計画している私には、先生の行動に理解できない点があるのです。先生は、イギリスのオックスフォード大学に留学した英語学者、上智大学名誉教授、またドイツのミュンスター大学にも留学して1958年には同大学哲学博士、1994年には同大学名誉哲学博士になっています。要するに英語だけでなくドイツ語も強いのです。先生には日本近現代史ばかりでなく歴史その他の著書も非常に沢山出版していますし、また翻訳本の数も多い。その中には「英語論文の書き方ハンドブック」などという翻訳本もあります。ところが私の知る限りでは先生には、日本の主張を得意の英語やあるいはドイツ語を駆使して海外向け文筆活動など一切ないのです。

松原久子氏(1935年生)は、長くドイツに滞在していた学者、評論家だが1989年にドイツ語の原題を日本語に訳すと「宇宙船日本」というタイトルの本をドイツ語で書き、ドイツのミュンヘンで出版した。大航海時代の到来以後、全世界を発見、征服した「偉業」に対する欧米人の誇りを根底から覆す本でした。この本が日本語に翻訳され「驕れる白人と闘うための日本近代史」というタイトルで2005年に文芸春秋社より出版された。私はその日本語訳を読んだのですが、実に小気味良い本だ。わずか230数頁の本だが、松永久子氏という日本女性の心意気がすごいではないですか。渡部先生、先生も日本の主張を沢山本に書いているではないですか。一冊ぐらい英語の本を書いてくださいよ。松原氏には、一つの逸話がある。彼女がドイツの全国テレビで毎週五カ国の代表が出演して行われる討論番組にレギュラーとして出演していた時です。その時のテーマは、「過去の克服―日本とドイツ」で相変わらずドイツ代表は、日本軍がアジア諸国で犯した蛮行をホロコーストと同一視し、英国代表は、捕虜虐待を、米国代表は、生体実験や南京事件を持ち出すなどして日本を攻撃非難した。彼女は応戦し、ドイツ代表には、ホロコーストは民族絶滅を目的としたドイツの政策であって、戦争とは全く無関係の殺戮であること、そういう発想そのものが日本人の思惟方法の中に存在しないと反論し、英国代表には、彼らによる日本人捕虜虐待、米国代表には百以上の日本の都市無差別爆撃を指摘した。番組終了後彼女がテレビ局からケルン駅に出てハンブルグ行きの電車を待っていると人ごみの中から中年の女性が近づいてその女性は彼女の前に立ち「我々のテレビで我々の悪口言う者はこれだ。日本へ帰れ」というなり彼女の顔にぴしゃりと平手打ちをくらわし、さっさと消えていった」と言う。彼女は現在アメリカに住んでいます。日本ではあまり有名ではないが、実に頼もしい女性ではないですか。

ドイツ文学者の西尾幹二氏は、1982年外務省主催で西ドイツの8都市をドイツ語で講演活動をしたことがあります。講演では、ドイツ人やヨーロッパ人を批判し、講演内容は西尾幹二氏特有の歯に衣を着せず挑発的ですらあった。外務省の役人はびっくりしたのではないだろうか。「西尾幹二の思想と行動(2)日本人の自画像」(扶桑社)。渡部先生には松原氏は西尾氏のような気概はない。第一ドイツ人を批判していたら、すなわち長くドイツに滞在しても松原氏のように日本の主張のためにドイツを激しく批判していたら、先生は、はたしてミュンスター大学で名誉哲学博士の称号などさずけられたであろうか。

2007年6月14日、日本の政治家や有識者数十人が「慰安婦強制連行の証拠がない」という長文の意見広告をワシントンポストに掲載した。有識者の中には、西尾幹二氏、櫻井よしこ氏、屋山太郎氏の名前が載っているが、渡部先生の名前はどういうわけか掲載されていません。私には、先生は一銭も得にならないことは絶対にしないという処世術をもちあわせているような気がしてなりません。

私たち一般庶民は、語学に達者な人は、日本のために役立ってくれるのではないかとつい考えがちなりますが、私の経験から言ってもそんな単純なものではありません。語学に達者な人は往々にして外国人、特に白人に媚びるのです。白人の何に媚びるかというと彼らの戦争史観(太平洋戦争史観)に媚びていわゆる自虐史観を主張するのです。この地球上に欧米人や日本人が存在しているかぎり戦争史観の争いは永遠に続きます。日本人が忘れても彼らは太平洋戦争史観を続けてくるのです。現在青森県の六ヶ所村では、日本がこっそり核兵器を開発するのではないかと欧米人が見張りをしているのです。太平洋戦争史観が続いている証拠の一つです。だから私たちは、絶対に大東亜戦争史観を主張し続けなければなりません。ところが語学達者な日本人は、往々にして欧米人に媚びるのだ。その方が海外では評判いいからです。それで大成功した代表的人物が、雅子妃殿下の父親、元外務官僚の小和田恒氏です。彼の自虐史観、「日本ハンディキャップ論」は有名です。皇太子妃殿下の父親の自虐史観論は、欧米人にとって非常に利用価値があります。そのお陰で現在彼は、国際司法裁判所所長です。

一方渡部先生は、日本の保守言論界の重鎮の一人としての名声を博していますから、海外で自虐史観を主張するなど絶対にないが、だからといって自分の大東亜戦争史観を海外に披露することも絶対にしない。私の知っているかぎり先生はそんなことはしない。その点に非常に物足りなさを感じるのは私だけではないでしょう。そんなことをしても先生の一銭の得にもならないと考えているのかもしれません。「従軍慰安婦」の意見広告にも参加しなかったのもそのためでしょう。

その渡部先生が、育鵬社の歴史教科書の監修者の一人になっています。一般庶民がバックの「つくる会」よりフジ産経グループがバックの育鵬社についた方が得するからです。私は渡部先生が育鵬社の歴史教科書の監修者の一人になったからといって人それぞれの選択だから非難するつもりは毛頭ありませでした。しかし教科書採択戦が終わってみれば、育鵬社の歴史教科書の内容が、「つくる会」が2005年に扶桑社を使って中学生用の歴史教科書を作成し、文科省の検定に合格した「新しい歴史教科書」と酷似しているところが沢山あることがわかった。酷似とは、国語辞書を引けば「区別がつかないくらいよく似ていること」とあります。学校で使われる教科書が、他の会社の教科書と酷似しているなんてとうことがあっていいのでしょうか。そのことを最初に気付いたのは、「つくる会」で公民教科書作成に参加した小山常美先生です。ぜひ小山先生おブログを参照してみてください。

先生のブログ: 「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書

その他に、「つくる会」広島県の会員である主婦の方が、扶桑社と育鵬社の両教科書の比較だけでなく他の教科書を交えての比較をすると扶桑社と育鵬社の酷似性がさらに目立つと、暇を見つけてはその比較を行っています。ここではその二つの例をあげておきます。
A 聖武天皇について
1.扶桑社(つくる会)
奈良時代の律令国家の聖武天皇と大仏建立
聖武天皇は、国ごとに国分寺と尼寺を置き、日本のすみずみにまで仏教の心を行き渡らせることによって、国家の平安をもたらそうとした。都には全国の国分寺の中心として東大寺を建て、大仏の建立を命じた。(45頁)
2.育鵬社(教育再生機構)
天平文化の、奈良の都に咲く仏教文化
聖武天皇は、国ごとに国分寺と国分尼寺を建て、日本のすみずみに仏教を行きわたらせることで、政治や社会の不安をしずめ、国家に平安をもたらそうとしました。また都には全国の国分寺の中心として東大寺を建立し、金銅の巨大な仏像(大仏)をつくりました。(45頁)
3.帝国書院(17年検定)
中国にならった国づくりの、大仏造営
聖武天皇の時代、全国で伝染病が流行し、ききんが起こりました。世の中の不安が増すと、古くからの神にかわって、仏教を信仰する人々が増えました。聖武天皇とその后は、仏教の力で国を守り、不安を取り除こうと考え、行基らの協力で都に大仏を本尊とする東大寺をたて、地方は国ごとに国分寺と国分尼寺を建てさせました。(37頁)
4.清水書院(23年検定)
平城京の建設と仏教、仏教の役割
奈良時代のなかごろ、仏教を深く信仰していた聖武天皇と光明皇后は、仏の力で国家を守ろうとして、国ごとに国分寺・国分尼寺を建てさせ、都には総国分寺として東大寺を建てた。(37頁)

B 尊皇攘夷運動について
1.扶桑社(つくる会)
単元「46尊王攘夷運動の展開」の、尊王攘夷運動
幕府が通商条約に調印したことに対し、朝廷の意向を無視し外国に屈服したものであるとの批判がわき上がった。それは、朝廷を盛り立てる尊王と、外国を打ち払うべしとする攘夷の要求が結びついた、尊皇攘夷運動に発展していった。(138頁)
2.育鵬社(教育再生機構)
幕府が外国との条約を結んだことに対し、朝廷の意向に逆らって外国に屈服したものであるとの批判がわきおこりました。やがてこうした批判は、天皇を敬い朝廷をもり立てようとする尊王思想と、外国を打ち払おうとする攘夷論が結びついた尊王攘夷運動へと発展していきました。(146頁)
3.帝国書院(平成17年検定)
ペリー来航から開国への、尊皇攘夷の考え
開国と前後して、幕府の弱い外交姿勢に反対する大名や武士、公家の間には、天皇を尊ぶ尊王論と、外国人を追い払うという攘夷論が出てきました。本来別々の考え方が結びついて、尊王攘夷の運動となり、下級武士や有力な農民にも支持された。(143頁)

さらに酷似例を知りたい方は、彼女のブログを参照してください。
ブログ名: セレブな奥様は今日もつらつら考える。

渡部先生は、育鵬社が出版した歴史教科書が、「つくる会」が2005年に扶桑社から出版した「新しい歴史教科書」と酷似しているところがたくさんあることを知っているのでしょうか。かりに知らなかったとしても、「知らなかった」ですまされる問題ではありませんよ。育鵬社が出版した歴史教科書には、監修者は、渡部先生の他に5人おります。伊藤隆(東大名誉教授)、渡辺利夫(拓殖大学学長)、田中英道(東北大名誉教授)、岡崎久彦(元駐在タイ大使)、八木秀次(高崎経済大教授)の諸氏です。保守言論界でも著名な方々ばかりです。その中でもネイムバリュウーといい存在感は、渡部先生が抜群です。「つくる会」が扶桑社から出版した「新しい歴史教科書」の内容の80パーセント以上は、「つくる会」の著作権だと言われているのです。いいですか、渡部先生、「つくる会」から出版される教科書は、日本全国に散らばる愛国心に燃え、憂国心をいだく一般庶民の浄財で出版されているのです。教科書を執筆する先生たちは無給です。そこには私利私欲名誉欲が入り込む隙間すらないのです。本来なら保守論壇全体が一つになって「つくる会」を支援してあたりまえなのです。それがなぜできないか。渡部先生みたいにいい年をしてすでに功成り名遂げた人、あるいは少しばかり著名になった知識人が私利私欲に走るからです。私利私欲にはしっても自分達の力で立派な歴史教科書を作成してくれれば話はべつです。ところがどうですか、育鵬社、歴史教科書の監修者6人(渡部、伊藤、渡辺、岡崎、田中、八木の諸氏)は自分たち自らの手で歴史教科書を作らず、「つくる会」が扶桑社で出版した「新しい歴史教科書」を真似て作成したのだ。渡部先生他5人は、例え著作権侵害にあたらないと法的に判断されたとしても、「つくる会」が作った教科書をまねて作成した教科書というレッテル終始はりつくことになるでしょう。要するにたとえ法的に許されても道徳的に許されないことをしているのです。彼ら6人は、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」を白昼堂々とやっているのだ。著名人だから許されるのでしょうか?バックにフジ産経グループがついているから許されるのでしょうか。「恥を知れ!」と言いたい。私の彼らに対する怒りは尋常ではありません。彼らは、自分たちが作った教科書が「つくる会」の「新しい歴史教科書」にあまりにも似ているので、うしろめたさも多少あったのでしょう。そこで「つくる会」との違いを鮮明にさせようとして漢字にルビをつけることでしたのだ。すなわち韓国の歴史上人物や地名、支那の歴史上人物や地名などに朝鮮語、あるいは支那語のルビをつけたことです。例えば、「蒋介石」という人物がいます。「蒋介石」という漢字の上に「しょうかいせき」というルビをふり、漢字の下に「チャンチェシー」とルビをつけたことです。

最近まで私は、育鵬社から中学生用の歴史教科書が出版されることを歓迎していました。保守系の歴史教科書がもう一つの選択肢として登場することは良いことだと考えたからです。ところがどうですか、その教科書の実態は?渡部先生、あなたがたは自分の手で作った教科書と主張できるのですか。扶桑社の歴史教科書との多くの酷似性は、単なる偶然ですか。私は、今度の教科書採択戦でつくづく分かったことがあります。それは日本全国に散らばる「つくる会」の会員たちは、心から日本の教育の実情を憂い、少しでも日本を良くしたいと思い、自らお金を出し、行動する。そこには私利私欲名誉欲とは完全に無縁です。ところ多くの著名な知識人の行動はどうですか。フジ産経グループという資本力をバックにした会社が、歴史教科書を出版すると言ったら、彼らは私利私欲名誉欲をむき出しにして育鵬社詣でをしているようなものだ。教科書製作に直接関わらない著名知識人でさえ、教科書も読みもしないうちから育鵬社支持者も出る始末です。「つくる会」の自由社より「育鵬社」支持した方が自分自身の得になると考えるからです。私は読者に言いたい。育鵬社の教科書問題では、著名保守知識人の人間性を見極める最良の機会であるということです。

最後に渡部先生にお願いがあります。渡部先生、「つくる会」の教科書の真似事をするよう国内向けの仕事は、ほどほどにして、先生は英語学者なのだから、得意の英語を駆使して、先生の大東亜戦争史観を英語の論文、あるいは英語での投稿、あるいは講演、あるいは英文の本でも出版して世界に向けて日本の主張していただけませんか。私には、先生で思いだすことがあります。まだチャンネル桜が有料放送であった時代、先生はテレビ上で現在の日本人で今一番欠けているのは、「日本人としての気概だ」と言っていました。先生、先生こそ「日本人の気概」を示してください。死ぬ前に一度でいいから先生の大東亜戦争史観を英語で世界に向けて吠えていただけませんでしょうか。


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西尾幹二全集(全22巻)発刊に思う。



私は成人して以来、50年間日本の知識人の言動を見てきました。戦後日本の知識人の印象と言えば、彼らは本当にバカ、アホ丸出しの救いがたい人たちの一言につきます。その理由はなにか?彼らは共産主義、ソ連に惚れ込みまさに悪女に憑かれたという表現がぴったりです。ソ連という悪女の醜さに自らの目と耳を覆い盲信、盲進したのだ。日ソ不可侵条約の突如の破棄、北方四島略奪、60万日本兵の強制収容と強制労働、そのために日本兵が5万から7万人の死者が出た。これらの現実は、まだ戦後日本人の記憶の中にある生々しい史実なのだ。ところが知識人は、この現実を見ようとしないのだ。そしてあの有名な安保騒動。ぞっとする彼らの徹底した親ソ反米。一方我々一般庶民は、ソ連の実態をすでに認識していて、日本はアメリカ占領軍に支配されたが、ソ連軍に支配されなかったのは不幸中の幸いで、心底ソ連軍に占領されなくて良かったというのが認識だったのだ。だからこそあれほどの安保騒動後に自民党政府は解散し、総選挙しても、自民党政府の圧勝に終わったのです。当時著名な知識人であった蝋山政道は、自著「日本の歴史26巻」(よみがえる日本 文芸春秋社)、の中で総選挙敗北の教訓を次ぎのように書いている。

「第一は、日米安保条約のごとき国際外交問題に対して、日本国民はいまだ平素じゅうぶんな知識や情報をあたえられていない。日常生活に関する地域または職域についての国内問題であるなら、一定の知識・経験によって実感的に判断する能力をもっているが、外交政策になると、その実感は一方的な不満や不安をかきたてる宣伝に動かされやすい」
「第二は、第一のそれとつながっている。日常生活と国際的地位という大きな距離とギャップを持っている政策問題について、一般の国民にそれを統一する理解を期待し、政策形成に寄与することを求めることはできない」
どうですか、蝋山政道のこの傲慢ぶり、完全に日本の一般国民をバカにし、自分たちの主張が正しいのだと言わんばかりですし、総選挙での革新派の大敗を国民の無知のせいにしているのだ。このように安保騒動後の総選挙大敗後も一般国民と知識人とのソ連に対する認識ギャップを意識することなく、自分たちの考えが正しいのだとソ連にのめりこんでいったのだ。そしてベトナム戦争で見せた日本の知識人の勝手な幻想、すなわち北ベトナムは天使、南ベトナムとアメリカは悪魔との幻想が北ベトナムによる共産党一党独裁国家の樹立という目的を見抜くことができなかった。どうして戦後日本の知識人は、こうまで愚かなのか。結局彼らは、現実を直視しようとせず、時勢、時流、権力に迎合することに夢中になるからです。すなわち彼らは、日本人のくせにソ連の権力に迎合したのです。

ここで日本通の一人の外国人が、日本の知識人をどう見ているのかとりあげてみました。その外国人の名は、オランダ人のジャーナリストでカレル・ヴァン・ウォルフレン。ウォルフレン氏は、日本経済絶頂期の1989年に「日本/権力構造の謎」(The Enigma Of Japanese Power)という本を出版した。この本は世界10ヶ国語に翻訳され、1200万部売れたという。私もその頃この本の翻訳本を読みましたが、いまでは何が書いてあったかほとんど忘れてしまっています。私は、このウォルフレン氏がきらいなのです。彼は日本語がペラペラ、その日本語で大東亜戦争日本悪玉論を主張するのです。私は日本語を話せない外国人が外国語で大東亜戦争日本悪玉論を語っているより、日本語堪能の外国人が大東亜戦争日本悪玉論を語っている方が怒りを強く感じるのです。「日本をもっと勉強しろ」といいたくなるのです。第一ウォルフレン氏がオランダ人であることが気にいらない。大東亜戦争の時オランダ軍など当時の日本軍にとってはハエや蚊のような存在だ。オランダはアメリカと同盟を組んでいたからこそ勝利国になれたにすぎない。終戦後は、勝利国面して日本批判を繰り返し、オランダの女王が来日した時、平然と日本を批判した。オランダが植民地、インドネシアに何をしてきたというのだ。オランダに日本を非難する資格など一切ない。こういうことをウォルフレン氏に直接言いたいくらいなのです。それではなぜ、ウォルフレン氏をとりあげたのか。彼が日本の知識人について名言を吐いているからです。

彼は自著「日本の知識人へ」(窓社)の冒頭のページでこう書いています。
「日本では、知識人がいちばん必要とされるときに、知識人らしく振舞う知識人がまことに少ないようである。これは痛ましいし、危険なことである。さらに、日本の国民一般にとって悲しむべき事柄である。なぜなら、知識人の機能の一つは、彼ら庶民の利益を守ることにあるからだ」
まさにこれは、名言ですよ。知識人らしい知識人がいないことは、日本国民にとって悲しむべきであり、危険なことであると言っているのは、まさにその通りです。私などそのことを、痛切に感じています。さらに彼は、こう書いています。
「日本では、権力から独立した知識人がいないどころか、むしろ、権力によっても認められてこそ知識人というか、そのことを望み喜ぶ知識人が昔からの主流でした」
全くその通りです。多くの知識人は、権力に認められることを望むのだ。そのために権力に認められようとあからさまな行動にでる。ここまで知識人としてのあるべき姿について私の意見とウォルフレン氏の意見を紹介してきました。この両者の意見を保守言論界の長老とも言われる西尾幹二氏にあてはめてみました。私は主張しました。日本の知識人は、あまりにも時勢、時流、権力に迎合過ぎる。その例外が西尾幹二氏なのです。西尾氏は、時勢、時流、権力に迎合しないどころか、あらゆる団体、業界などからの支援なども一切受けず、学閥、学会などとは無縁です。従って西尾氏の発言には損得勘定がない。要するに私に言わせれば、西尾氏は、崇高なまでに孤高をつらぬいて現在の学者として地位を築いてきたわけです。この崇高なまでの孤高は、知識人にとって非常に重要で、そのことが、ウォルフレン氏の指摘する知識人としての規格にあてはまるのです。西尾氏は、知識人が一番必要とされている時に、知識人らしく振舞える非常に数少ない知識人の一人なのです。知識人が必要な時に知識人らしく振舞えるとは、どういうことかと言うと、非常に難しい問題が生じ、私たち一般庶民が明快な回答に窮するとき、あの人ならどんな考えを持つのだろうかと、その人の意見に期待を寄せることができる人の意味です。西尾氏は、どう考えているのだろうかと私たち庶民が期待をよせることができる数少ない知識人ではないでしょうか。

ウォルフレン氏は「日本では、権力から独立した知識人がいない」という。確かにそのとおりだと思います。しかし例外もあります。西尾幹二氏です。権力から独立した、日本では非常に数の少ない、希少価値のある知識人です。これは何十年間にわたって崇高なまでに孤高をつらぬいてできる知識人の技とも言えるのではないでしょうか。
その西尾幹二氏の全集、全22巻のうち最初の5巻「光と断崖―最晩年のニーチェ」が国書刊行会から先月出版された。今どき全集が出せる文筆家や知識人はいない。西尾氏のすぐれた学問的業績が認められたためでもあり同時に50数年にわたる生き様も認められたのだと思い、素直に西尾先生にお祝いの言葉をささげます。また同時に全集出版は、私のような西尾ファンにとってもとても喜ばしいのです。出版社は慈善事業ではありません。全集を出したところで売れないと判断したら、誰が出版するものですか。全集を出しても売れると判断したからこそ出版するのです。ということは私のような西尾ファンが全国大勢いるということです。そのことは、現在のような情けない状態の日本でも健全保守、健全な愛国者が多いいということを改めて認識させてくれるので非常に嬉しいし、心強い思いをさせてくれるのです。

西尾先生、おめでとうございます。これからも日本国家のため、長く、長く健筆をふるってくださるよう切にお願い申し上げます。







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