Archive for 1月, 2012

「平清盛」を見るな!



          この記事の転載、拡散をお願いいたします。

本郷和人、東京大学史料編纂所准教授、は日本中世史の専門家の一人です。東大の歴史学者は、全員が自虐史観論者。そうでないと教授になれないどころか就職先もないという可哀そうな連中です。本郷和人もその一人。本郷は、大河ドラマ、「平清盛」の時代考証者の一人です。その彼が「謎とき平清盛」(文春新書)とい本を出版しています。この本の中で現在、巷間話題になっている「王家」という言葉を使った理由が書かれています。まず本文37頁にこういう文章が出てきます。
「楽屋話になりますが、製作スタッフの間で、天皇の家を何と表現するか真剣に討議がなされ、天皇家、皇室、あえて呼ばない、などの案も出されましたが、学問的見地から「王家」で統一することになりました(詳しくは62頁以降で)。」
62頁にはこう書いてあります。

「(ドラマ・平清盛)では、天皇や上皇の家を「王家」と称します。ですがいままでの大河ドラマでは、天皇家とか皇室とかの語を用い、王家とはいわなかった。どうして今回は新しい呼び方をとりいれるのか。
先ずおさえておかねばならぬのは、当時の言葉の使い方です。当時の人々が天皇家や皇室と言っているのに、番組が王家と呼んではおかしなことになります。そこで調べてみると天皇家も皇室も王家も使われていない、が正解です。(中略)すると天皇家と呼んでも王家と呼んでも間違いでないことになる。」

天皇家と呼んでも王家と呼んでも間違いないのであれば、いままで大河ドラマで採用続けていた天皇家とか皇室という言葉を使ったらいいではないですか。我々国民もその言葉に長い間すっかり慣れているのですから。とこういう反論が出ると思ってのことでしょう、本郷が取り出したのがある学説です。こう書いてあります。

「ある研究者の整理(「王家をめぐる学説史」歴史評論2011年8月号)によると、王家という語が用いられるようになったのは、第1章(3)でふれた黒田俊雄氏の権門体制論からのようです。黒田氏は公家・武家・寺家に呼応するかたちで、王家と称した。黒田氏に寄れば天皇は日本の国王、と位置づけられていましたから、この用い方は妥当なものといえるでしょう。
その後、西洋史の影響を受けて、日本の歴史学でも「王権」の分析が盛んになりました。戦前のように、日本の天皇は他国に例をみない唯一無二の存在である、というのではなく、天皇を国の頂点に君臨する王と捉える。そうすると自ずと他国との対照・比較の視点が開け、東アジアの中の日本・世界の中の日本を考える際にも有用である。ですので、現在の学会では、王家という呼び方が確実に市民権を得ているのです。そこで時代考証の判断として、学問的な見地から、「王家」の語の採用を提案しました。」

要するに「王家」の語の出所は、故黒田俊雄氏が主張した権門体制論からで、その主張が歴史学会で支持されて市民権を得ているから「王家」の語の採用を提案したと言うのだ。
「権門体制論」とは何か。中世史にうとい私には初めて聞く言葉です。恐らく多くの人にとって初めて聞く言葉でしょう。本郷の説明ではまわりくどくてわかりにくいので、ネットで調べたりして私が簡潔に要約してみました。「権門体制論」とは、故黒田俊雄氏(大阪大学教授)が1963年に主張した学説です。公家権門(権力)、宗教権門(権力)、武家権門(権力)が相互補完的関係で分業に近い形で権力を行使したのが日本の中世国家で、天皇はこの三権門の知行体系の頂点に位する封建国家の国王なのだという学説です。本郷は、この学説は、多くの歴史学者によって支持されたと書いているが、それはそうでしょう。戦後の自虐史観論者にとって世界史においてその特異さが際立つ天皇制が憎らしくてしょうがないのだ。なんとかして諸外国の封建時代の国王並みにその権威を落としたくてうずうずしているのです。そのための一つの手段としたのが、神話の軽視あるいは無視です。歴史学者仲間に「権門体制論」が支持されるのは当たり前でしょう。本郷は、「戦前のように、日本の天皇は他国に例を見ない唯一無二の存在である、というのではなく、天皇を国の頂点に君臨する王と捉える。」と書いているが、私に言わせれば、戦前だけでなく現在でも天皇は他国に例をみない唯一無二の存在なのです。諸外国の王は、みな一様に英語でキング(king)と呼ばれていますが、天皇はキングとは呼ばれていません。エンペラー(emperor)と呼ばれています。現在世界中でエンペラーと呼ばれているのは天皇だけです。すなわち外国人は、天皇と王の違いは詳細にわからなくても日本の天皇は王とは違うのだということだけは認識しているということです。それを自虐史観論者は、いや日本の天皇は諸外国の王と同じですよと主張しているのです。史実を曲解、歪曲、無視、ごまかしをして日本の歴史や天皇を貶める自虐史観論者に鉄槌を下したい。

本日、1月24日の産経新聞で、本郷は「王家」ということばの提案には「皇室をおとしめる意思が露塵もなかったことはまちがいありません。」と語っていますが、皆さん素直に信じられますか、それも東大の歴史学者がですよ。本郷の著作には「天皇はなぜ万世一系なのか」という本もある。私は読んでいないが、ある読者によると、天皇はいくらでも側室を持てる、跡継ぎの男子はいくらでもできる。だから男系を続けられたのも偶然の結果であって、何も最初から男系でなければならないという絶対的目標があったわけではないというのが本郷の主張だそうです。その読者は、「天皇はなぜ万世一系なのか」というタイトルを見て買ったのだが、なんだか裏切られたような気がすると書いているが、当然でしょう。本のタイトルで読者を釣っているのです。

本郷は、「そこで時代考証の判断として、学問的な見地から「王家」の語の採用を提案した。」と書いていますので、問題はその提案を受け入れたNHKです。いまから2,30年ぐらい前のNHKでしたら、「王家」の語など採用されなかったでしょう。ところが現在のNHKは、完全に支那政府の走狗と化しています。その典型的な例が、皆さんご存知の2009年4月に放映されたNHKスペシャルシリーズ「JAPAN デビュー」です。日本が台湾を支配していた時代のドキュメンタリー番組だが、その内容が支那政府がこのように放映してほしいという意向をそのまま放映した。そのため保守系の人たちや台湾人の怒りをかい大勢の人々がNHKデモに参加した。私も何回か参加した。

これは私の想像ですが、私は間違いないと思っているし、多くの人たちも私の想像に同意すると思っていることは、支那政府は、いずれ日本を支配しよう、すなわち日本を乗っ取る遠大な計画を建てていることです。数年前オーストラリアで捕まった支那人工作員が日本には二千人以上の工作員がいると発言していました。日本はスパイ防止法もないスパイ天国です。支那工作員のやりたい放題。彼ら工作員の最大目標は何だと思いますか。武力を使わずに敵国を支配するには、マスメディアを支配することです。マスメディアを支配することに全力を挙げていてその努力が着実に功を奏してきているのです。NHKへのデモ参加者がNHK関連ビルを人間の手の鎖で囲んでも、あるいはデモ参加者がNHKビルに乱入しても、マスメディアには一切報じません。外国人参政権反対デモもあちこちで何回も行われました。私が参加した横浜デモでは、デモの先頭は、幼児を乗せた乳母車を押す若奥様の集団でした。保守系デモは何をやってもマスメディアに報じられることはないのだ。日本のマスメディアは、完全に支那の配下に入ったと言ってもいいのではないか。現在の日本人は国家意識などないに等しい。自分が篭絡されているなどと思いもしないメディア人が多いのではないでしょうか。

次に韓国です。韓国が日本乗っ取り計画を抱いているかどうか、私にはわかりません。しかし韓国が日本の力を徹底して弱くしようとしていることは確かです。支那と韓国は通常仲の悪い国ですが、日本の力を弱めることには一致しますから、この二カ国が日本のマスメディアをほぼ完全に篭絡していると思って間違いないでしょう。韓流ブームは日本のマスメディアによって作られたものです。フジテレビがあまりにも韓国ドラマ放映し過ぎるし、それに放送態度があまりにも韓国寄りだと保守系の人たちが何回もフジテレビ本社にデモを仕掛けても、日本のマスメディアは一切報道しようともしません。私もフジテレビデモに一回平日に参加しました。平日にもかかわらず千人近くの人々が参加してくるのです。フジテレビ本社前のポールには、おそろしく薄汚いボロ切れ同然の日章旗が掲げられていた。デモ隊の一部がガードマンと小競り合いしながらボロ切れ同然の日章旗を引きずり落とし真新しい日章旗に変え、拍手喝采が起こりました。それでも報道されることはありません。日本のマスメディアは、完全にこの二カ国によって篭絡されたと言っても過言ではないでしょう。

マスメディアばかりでなく日本の政治家の多くがこの二カ国に篭絡されているのだ。いわゆる支那や韓国のハニートラップという甘い蜜に篭絡されていると言っていい。北朝鮮拉致問題の悲劇が最大に盛り上がった時でさえ、スパイ防止法案が議会に提出されることもありませんでした。現在ではスパイ防止法案など話題にもなりません。何故か? 悠仁殿下がお生まれる前に、皇室の男子継承問題が討議された時、旧宮家の復活はありませんでした。現在では女性宮家の新設が討議されています。しかし旧宮家の復活は討議さえされていません。何故か?憲法改正が急がれる様子も全くありません。緊急課題であるにもかかわらずです。何故か? 外国人参政権に公然と賛成する議員は、両手の指では数えきれません。何故か?国家意識のない多くの政治家や官僚が支那や韓国の工作員たちによってわなにはめられていると考えています。私たちはドイツの例を知らなくてはいけません。ソ連という国が存在していた頃、現在のドイツは東西二国に分かれていました。東ドイツには有名な秘密警察、シュタージュが存在していた。私は映画の題名を忘れてしまったが、シュタージの実態を暴いた映画を見たことがあります。ソ連が崩壊し、東ドイツが崩壊した時、秘密警察、シュタージュの全ファイルが西ドイツ政府に渡った。その全フアィルを見た西ドイツ政府は仰天した。あまりにも多数の有名、無名の西ドイツ人がシュタージに協力していたからです。西ドイツ政府は、最初これを公表しようとした。しかしあまりにも影響は大きいので公表したらドイツ社会が混乱するとして公表を取りやめにしたいきさつがあったのです。現在の日本にはスパイ防止法もない、国民は国家意識が薄い、自分の地位が安泰で利益を得られるなら、国益より自分の利益を平気で優先します。また東ドイツが崩壊した当時のドイツにはなかった社会現象が、現在の日本にはあるのです。その社会現象とは何か。自虐史観を主張する左翼連中は、敵国すなわち支那、韓国に積極的に協力して自国をいたぶることを公然とする社会現象です。日本は没落間近の末期的症状そのものです。わずかに我々保守がやっとの思いで日本を支えているようなものです。

敵は日本のマスメディアの支配権を握ったも同然、政治家も官僚もかなり篭絡させた、最後に重要な物が残っている。天皇制の廃止です。いくら日本を没落させても天皇制が存続しているかぎり、日本は復活してくることを彼らは充分知っているのだ。武力を使わずに天皇制を廃止するには、どうすればよいか。それには天皇家の権威を徹底してつぶすことです。その代表的な試みが、女性天皇制への道です。権威の失墜にはあらゆる手段が使われます。NHKアナウンサーは、「雅子様」、「雅子様」と言うけれど、決して「雅子妃殿下」とか「皇太子妃殿下」とは言いません。正しい敬語を使っているのでしょうか。テレビニュースでも、私が若い頃は天皇陛下のニュースは常にトップで放映されていたが、現在ではトップで放映されるとは限らないのだ。時によってはニュース番組の最後の方に天皇陛下の画面が放映されことさえあるのです。そして今年の大河ドラマでの「王家」という言葉の使用です。1963年、いまから50年も前に学者が提唱して学説に「王家」と呼んでいるからと言ってなぜ今頃その「王家」という言葉が使われるのですか。現在ならば「王家」という言葉が受け入れられるのではないかという思惑があるのではないか。まさに権威失墜の試みの一つ。だから私たち保守は、このドラマ「平清盛」を見てはならないのです。見れば視聴率が上がるからです。年間を通して視聴率が高いまま終了すると、「王家」という言葉は、それこそ市民権を得たと主張され、天皇家が表現されるドラマでは、必ず「王家」と呼ばれ、国民はすっかり「王家」という言葉に慣れる。だからこそマスメディアの力が恐いのです。敵がマスメディアを支配しようとする気持ちがわかるでしょう。それこそ4年後の教科書採択戦では、歴史教科書に「王家」という言葉が登場するかもしれないのです。だから私たち保守は、このドラマ「平清盛」を見てはならないのです。見なければ視聴率は必ず下がります。「JAPANデビュー」という番組が我々の執拗なデモ攻勢で次回からの放映をできなくさせたように、二度と「王家」などという言葉を使わせないためには、我々保守は絶対に見てはならないのです。『NHKは日本の敵です。』たかが「王家」という言葉ぐらいと考えていると大変なことになります。ご協力をお願いいたします。










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「マフィア」の話



一。ゴッドファーザー
アメリカのマフィア映画「ゴッドファーザー」(フランシス・コッポラ監督、マーロン・ブランド主演)が公開されたのが1972年、「ゴッドファーザー PartⅡ」の公開が1974年、「ゴッドファーザーPart Ⅲ」の公開が(Part Ⅱ)の公開から15年後の1989年です。この映画はもともと三部作シリーズで計画されたものではありません。最初の映画撮影中にマリオ・プゾーが書いた小説「ゴッドファーザー」がベストセラーになり、その映画まで空前の大ヒットしそのため、三部作まで作られたというわけです。映画会社、パラマウント社創立以来の大ヒットとなり、公開された1972年のアカデミー8部門にノミネートされ、作品賞、脚色賞、主演男優賞(マーロン・ブランド)の三部門を受賞した。映画の主題曲「ゴッドファーザー愛のテーマ」も大ヒット、世界中で演奏されまた歌われた。日本では尾崎紀世彦が歌ってヒットしました。この空前のヒットに味を占めたパラマウント社は、2年後の1974年に「ゴッドファーザー PartⅡ」(フランシス・コッポラ監督。アル・パチーノ主演を公開した。これも大ヒットし、その年のアカデミー賞の9部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、助演男優賞、脚色賞、作曲賞、美術賞の6部門を受賞した。アカデミー賞を受賞した作品の続編が再び作品賞を受賞したのは映画史上現在にいたるまで「ゴッドファーザー」だけです。アメリカで大ヒットした映画は、大体世界中で見られます。そのため「マフィア」という言葉は、それまで特定の人が書いたり、使ったりする固有名詞同然だった。それが完全に普通名詞になり、いまではすっかり組織犯罪を表す世界共用語になってしまいました。日本なら、ジャパニーズマフィア、中国ならチャイニーズマフイァ、メキシコならメキシカンマフィア、これで世界中の人々が何を言っているかを理解するようになったのだから映画「ゴッドファーザー」の影響力はすごい。

その「ゴッドファーザー」のPart Ⅲ(フランシス・コッポラ監督、アル・パチーノ主演)が1989年に公開された。Part Ⅱ公開後15年もたっていますから映画ファンは驚いた。ファンはPart Ⅱで完結と思っていたからです。内実はこの頃パラマウント社は、倒産の危機に陥り、経営陣は、急遽往年のヒット作に頼った。PartⅢの作品内容は可もなし不可もなしの平凡だった。しかし私もそうだが、「ゴッドファーザーⅠ、Ⅱ」に引きずられてⅢを見た人も多かったのではないかと思う。1998年、アメリカン・フィルム・インスティテューション(AFI)が映画史上初めて「偉大なアメリカ映画ベスト100」を発表した。選出したのは監督や脚本家、批評家など約1500人の業界関係者。その時の一位は、「市民ケーン」(1941年)、二位、「カサブランカ」(1942年)、三位「ゴッドファーザー」(1972年)、それからおよそ10年後2007年に彼らは再び選出の投票を求められた。トップは前回と変わらず「市民ケーン」、二位は「ゴッドファーザー」、三位は「カサブランカ」、二位、三位が前回と順位が入れ替わっただけです。Part Ⅱは両年とも32位で変わらず、PartⅢは、100位圏外であった。映画「ゴッドファーザー」の特色は何かと言えば、一言で言えば家族の絆でしょう、しかもそれが暗黒街で生活する一家の家族の物語であり、それがアメリカマフィアの歴史を描き、またアメリカの暗部の歴史をも暴くという重層に描かれた、まさに見ごたえある映画でした。アメリカのマフィアを知りたければこの三本の映画は必見です。

二。マフィアの歴史
マフィア発祥の地は、ご存知イタリアのシチリア島。シチリア島は、日本の四国の1.4倍、地中海最大の島です。紀元前8世紀にギリシャの植民地によって始まったとされるシチリア島の歴史は、日本よりはるかに古い。島はギリシャ人やサラセン人、ノルマン人によって、またスペイン人、ドイツ人、イギリス人などによって、また十字軍の時代からファシストにいたるまでさまざまの国のさまざまの人種によって16回も征服され続けてきた。すなわちシチリアは2千年以上にわたって外国の支配を受けてきたのだ。人間という者は、故国から遠く離れると悪行をしやすいのでしょう。彼らはシチリア島にやってくると悪行を重ね島民を苦しめた。シチリアの歴史は他民族による陵辱と蹂躙の連続であった。日本列島の歴史とあまりにも違いすぎます。日本民族はお人好しだが、シチリア人が、お人好し民族になるわけがない。シチリア人はよそ者を警戒し、シチリア人以外信用しない、信頼できるのは家族だけ。それだけに家族の絆は非常に強いし、家族を大事にする。映画「ゴッドファーザー」でそのことが如実に描かれています。シチリア人は、法律に困惑した。法は社会の秩序をもたらすものだが、シチリア島は、あまりにも多くの征服者の法律であふれていた。島はギリシャの法律、ローマ法、アラブの法律、ゴート人やノルマン人、フランスのアンジュー王家、スペインのアラゴン王朝などの法律によって統治されてきた。どの征服者の法律であろうと、法律は常に貧者よりも金持ちを助け、弱者より権力者にくみするように思われた。法律は村人たちのあいだの復讐を禁止したが、政府の番人や国王の軍隊による組織的な残虐行為や殺戮を許し、戦争は許され、内輪もめは禁じられたのだ。そして、真っ先に国王の軍隊にかりあつめられたのが農民であった。これでは違法行為者が英雄になるのも無理はない。何世紀もの間、貧しい島民たちは、圧政者に虐げられてきた。その間に圧政者に対し反乱を起こし成功したという劇的な一例があった。その時の圧政者は、フランス人だった。1282年(蒙古来襲の頃)の復活祭の翌日、一フランス兵が結婚式をあげようとしていたパレルモの花嫁を強姦したことが反乱の原因だった。突如、一団のシチリア人が報復のためにフランス軍を虐殺し、この報せが他の町のシチリア人に伝わると、さらに多くの兵隊が殺戮され、猛烈な外国人排斥運動がたちまち島に広がり、島民の集団がフランス兵を見つけしだい、激しく襲い掛かって殺した。数日間で何千人ものフランス人が殺された。一部の地方史家の主張したところによれば、殺された娘の母親が町をあてもなく走りながらマ・フィア、マ・フィア(わが娘よ、わが娘よ)と叫んだ、その悲痛な声からマフィアの名が誕生したのである。しかしその後この「マフィア」という言葉が「隠れ家」を意味するようになり、それがやがて島民を圧迫する支配者(征服者)対抗する秘密組織あるいは秘密結社を指す言葉として使われるようになった。

シチリア島や南イタリーからの移民が大挙してアメリカ大陸に渡ってくるようになったのは1880年代から1900年代の初めにかけてです。彼らは貧しく、ほとんど着の身着のままで正式の書類を持たず(Without Papers)故国を出てきた者が多かった。入国管理の役人たちは仕方なく彼らのカードにWOPというスタンプを押していたが、それがそのまま彼らの嘲り呼称となってしまった。WOP(ウオップ)という嘲りはWithout Papersの略から来ているのだ。シチリア人やイタリア人が大挙してアメリカのやってくる数十年前、アイルランドで馬鈴薯の伝染病がおこり大飢饉が起きた。そのためアイルランド人が大挙してアメリカにやってきた。アイルランド人もイタリア人はカソリック教徒です。アメリカ新大陸を支配しているワスプ(White,Anglo-Saxon,Protestant)たちに徹底して差別され、敵視されていた。シシリアマフィアがアメリカ大陸で最初に地盤を築き、それを発展させていったのはニューヨークでなくルイジアナ州のニューオリンズ市だった。ニューヨークではマフィアが足場を築く前の暗黒外はアイルランド系とワスプ系が熾烈な戦いをしていた。それを映画化したのが「ギャング オブ ニューヨーク」です(2001年公開、マーティン・スコセッシ監督、レオサルド・ディカプリオ主演)。まさに暗黒外でプロテスタントとカソリックの宗教戦争をしていたようなものです。

イタリア系移民がニューオリンズで足場を築いていたころ、彼らがいかにニューオリンズ市民からで嫌われていたかを示す事件を紹介しましょう。1890年10月、ニューオリンズの警察署長が暗殺され、11名のイタリア系移民が容疑者として逮捕された。ところが証拠不十分で無罪。この判決に怒った市民は、抗議集会を開き、その勢いで暴徒化し、拘置所を襲撃。拘置所の外で出くわした二人を手始めに、計14人のイタリア人を撃ち殺し、吊るし首にした。その中に事件とは一切関係ない者も5人いたのだ。このリンチ事件には市当局も市民も大喝采。ニューヨーク・タイムズ紙は、「大胆不敵に殺人を商売とする輩を縮みあがらせる絶好の機会」と称賛した。リンチを先導したのは弁護士だったが、彼は英雄視され、祝電が山のように届き。愛国心についての遊説で引っ張りだこだった。この時のシェイクスピア市長の演説など人種的偏見というより人種的憎悪のかたまりと言っていい発言をしていた。
「彼らはこのうえなく怠惰で、たちが悪く、役立たずで・・・。勇気や、名誉、真実、自尊心、信仰など、よき市民となるべき資質にまったく欠けている」
「私は極悪非道な伊太公どもの騒ぎを終結させるつもりである。いや、実際は、この地球上から彼らひとり残らず抹殺せねばならないのだ」
このニュースがイタリア本国に届くとイタリア政府は怒った。当時、世界で4番目の規模を誇るイタリア海軍はニューオリンズに向けて出港する哨戒態勢をとり、両国の大使は召還された。結局ハリソン大統領は、イタリア政府に2万5千ドルの賠償金を支払うことでこの一件は解決した。当時のアメリカの力はまだ弱かったのだ。ニューオリンズをかわきりにマフィアは、アメリカ全土の大都市に根をはっていった。そして1960年代にアメリカマフィアの最盛期を迎えたと言っていい。

1965年当時、アメリカ政府はマフィアを初めとする組織犯罪が最大の利益をあげていると発表した。それによると年間利益は推定で100億ドルから400億ドルである。この数字は当時のUSスチール、AT&T,GM、IBM,GE,などの基幹産業を全てたしたより大きい収益だというのだ。これでは政府のマフィア取締りがはげしくなるのは当然です。政権の中でもケネディー大統領の弟、ロバート司法長官時代(1961-1964年)のマフィア攻撃は有名です。アメリカ政府の厳しい取り締まりはマフィアにとって脅威であったが、マフィア内部のオメルタ(沈黙の掟)破りも大きな痛手であった。オメルタ(沈黙の掟)とはなにか。次章、(三)の(4)ジョセフ・バラキを参照ください。

三。マフィア映画に登場する人物像
マフィア映画には実在人物が多数登場します。その中でも名前が売れている人物を紹介しましょう。なぜ名前が売れているのか、それにはそれぞれ理由があるからです。

(1)アルフォンソ・カポネ
アメリカでは、週刊誌、タイムの表紙を飾ったくらい有名なギャングのボスです。日本でカポネを有名にしたのは、1960年代の人気テレビドラマ「アンタッチャブル」です。アメリカの禁酒法時代(1919年ー1933年)に自ら密造酒を作り、販売するシカゴギャングを率いるカポネとそれを追跡する正義のFBI捜査官、エリオット・ネスのテレビドラマは大変な人気番組だった。私も毎週テレビに釘付けになり見ていた。現在45歳以上の人はほとんど覚えているのではないでしょうか。カポネはイタリア、ナポリの移民の子のためマフィアになれなかった。1900年前後の時代は、シシリア系でないとマフィアに絶対になれず、マフィア本流に加われなかったのだ。1890年にイギリスの社会改革家として有名なウィリアム・ステッドは、「シカゴは地球上で最悪な都市」と言っているくらいだから無法都市と言っていい。カポネはシカゴ市長同然だった。カポネが起こした事件で有名なのが1929年2月14日の「聖バレンタインデーの虐殺」です。五人のヒットマン(殺し屋)が警察官に扮してパトカーに乗って敵対する密造酒業者を襲い、通行人一人、計7人を射殺した。「警察官に扮してパトカーにのって」の殺人ということで当時のマスコミの話題になった。カポネ本人は犯行当日フロリダにいて逮捕されることもなかった。カポネは残酷な殺人事件に絡むこともあるが、同時に1929年に世界経済恐慌時代に入ると大金を使ってシカゴ市民の慈善事業に励み市民から慕われる面もあった。結局FBIに逮捕されるのですが、逮捕理由は殺人ではなく脱税容疑だった。1932年5月にアトランタ刑務所にいれられ、5月になると新設なったあの悪名高い、極悪人ばかりを収容するアルカトラズ連邦刑務所に入れられてしまった。このアルカトラズ刑務所は、「ザ・ロック」と呼ばれ数々の映画「「終身犯」、「アルカトラズからの脱出」、「ザ・ロック」などの舞台になった所です。アトランタ刑務所でカポネは梅毒を患っていることがわかっていたが、アルカトラズ刑務所で悪化、4年半後に出所したが梅毒菌が脳にまわり廃人同様で自宅で家族に見取られながら死ねたのはせめてもの慰めでしょう。享年48歳。生前カポネは、有名な実業家コーネリアス・ヴァンダービルトのインタビューでこう語っています。
「他人が汗水たらして稼いだ金を価値のない株に変える悪徳銀行家は、家族を養うために盗みを働く気の毒な奴よりよっぽど刑務所行きの資格がある。この稼業に入るまでは、悪徳政治家など世の中で高価な服を着てえらそうな話をする悪党がこんなに多いとは知らなかった」。まさに現代でも通用する話です。
カポネを主題にした映画には「スカーフェイス」(1983年、アル・パチーノ主演)と「アンタッチャブル」(1987年、ケビン・コスナー主演)両映画とも監督は、ブライアン・デ・パルマ。

(2)ラッキー・ルチアーノ
マフィアのボスの中のボス、大ボス。イタリア系アメリカ人で彼の名前を知らない人はいないのではないか。ルチアーノは、他のマフィアボスとの比較で二つの特徴を持っている。一つはマフィアの今で言うところのグローバリゼーションと、もう一つはアメリカ政府への戦争協力です。マフィアのグローバリゼーションには二つあります。組織と人材の面です。組織の面では、わかりやすく言えば、日本のやくざみたいに何々組みがあって、組の中の縄張りだけの維持専心していたのを相互に協力しあういわゆるシンジケート組織にしたてたこと。ルチアーノは、人の縄張りを侵すことはしないが積極的に新市場の開拓に励んだ。次章で話すバグジーのラスベガス開発に資金協力しているし、一貫して彼の右腕となって活躍するマイヤー・ランスキーは、キューバの賭博事業に乗り出したりしている。最終的にマイヤー・ランスキーはバチスタ政権と協力し、キューバの賭博事業を独占した。ところがカストロ政権誕生でキューバを強制的に追い出されてしまった。ケネディー大統領のカストロ暗殺計画にマフィアが積極的協力するのは当然の話なのです。

人材面でのグローバリゼーションとは、マフイァの幹部は、絶対にシシリア人でなければならぬという掟みたいなものがあった。映画「ゴッドファーザーⅠ」で主演のマーロン・ブランドのそばに絶えずいて仕事の相談にのるトムと呼ばれる弁護士がいます。彼のように絶えずボスと一緒に行動し、仕事の相談したり、指示を受けたりする重要な役をコンシリエーレ(consigiere)と言って絶対にシシリア系でなければいけないのです。ところがトムはアイルランド系だった。コンシリエーレは、日本語で相談役とか顧問と訳されています。映画では、このコンシリエーレの役職にアイルランド系の人がついていると問題にされていなかったが、原作ではシシリア人でなくアイルランド系を採用したと言ってマフィアの間では大変な物議を醸していたのです。ラッキー・ルチアーノ自身は、シシリー島生まれで9歳の時、両親、兄弟とともにアメリカにやってきた。それでもシチリア系にこだわらず、人材登用には出自にこだわらなかった。第一彼の右腕と言われたマイヤー・ランスキーはユダヤ系です。彼の戦争協力には二つあります。第二次世界大戦が始まると、アメリカの東海岸、特にニューヨークの港は、ドイツによるUボートの攻撃や各種の破壊活動を受けていた。アメリカ海軍は諜報活動にはマフィア組織の協力が必要だと刑務所にいるルチアーノを出所させている。もう一つはアメリカ軍のシチリア上陸作戦に協力。軍はルチアーノをシシリア島に送り込み、シチリアのマフィアの協力を得ることに成功しシチリア島上陸作戦に成功。その後ルチアーノは投獄もされず、殺されもせず、心筋梗塞、59歳で急逝。ルチアーノを主人公にした映画には、「コーザ・ノストラ」(1973年、フランチェスコ・ロージ監督、ジャン・ヴォロンテ主演)と「モブスター/青春の群像」(マイケル・カーベルニコフ監督、クリスチャン・スレイター主演)の二本があるようです。実は私はこの二本の映画見てないのです。特に映画「コーザ・ノストラ」の特徴が、ルチアーノを同郷の面汚しとして憎み、長い間彼を追い続けた実在の麻薬捜査官チャールス・シラグーサを彼自身の役で出演させているというのでぜひ見たいのですが、なかなかビデオ屋でみつからないのです。

(3)ベンジャミン・バグジー・シーゲル
バグジーは愛称。彼の半生を描いた映画のタイトルも「バグジー」(1991年、バリー・レヴィンソン監督、ウォーレン・ビーティー主演)です。バグジーは、ユダヤ系マフイア。バグジーの名前が有名で語りつがれるのは、彼が現在のギャンブル都市、ラスベガスの生みの親だからです。1931年にギャンブルが合法化された。そのためでしょうラスベガスで小さなカジノホテルがそこそこ流行っていた。偶然バグジー一行がそのホテルに泊まった。彼は一人で砂漠を歩いている時、夕日が砂漠一帯に広がるのをみた瞬間、閃いたのだ。この砂漠に豪華絢爛、御殿のようなカジノホテルを建設しようと考えたのだ。彼は神の啓示を受けたと言っているのだ。実に不思議です。考えてみれば、私のように都会生まれの都会育ちでも、たまに地方に行って子供の時から見慣れていないのに、日本の原風景を見たようななつかしさを覚える時があります。それと同じで砂漠の民のDNAを持つユダヤ系のバグジーは、砂漠を見ても違和感を感じるどころか妙な親近感さえ無意識に感じたのではないか。モーゼが砂漠の民を導いたように、自分が大宮殿のようなカジノホテルを建設し成功すれば後続がやってくると信じたのではないか。彼はカジノホテル建設に邁進した。驚いたことには、このホテル建設は、大東亜戦争開始後に始まっているのです。直属のボスであるマイヤー・ランスキーや大ボスのラッキー・ルチアーノからの資金協力を得たので最初の資金集めは容易だったのではないか。予算は100万ドルであった。ところがあまりにも贅を尽したホテルなのでたちまち資金不足で200万ドル追加。それでも資金が不足した。理由はバグジーが自分流に徹底してこだわるからです。設計どおりに建設しても気にくわなければ壊して作り直し、戦争中なので良い資材がなければ外国からでも手配させる、大宮殿のようなカジノホテル建設から一歩たりとも引き下がろうとしないのだ。資金提供者のマフイアから強力な文句が出る。それを一生懸命なだめるのがマイヤー・ランスキーだ。バグジーは彼の直属の部下だし、出自は同じユダヤ系だ。バグジーの気持ちが理解していたのでしょう。資金はとうとうなんと600万ドルに達してしまった。マイヤー・ランスキーは、もうこれ以上手助けできないと言い出した。バグジーは、自分の持ち物で金目のものは全部売りはらい、自分の持っているまだ建設中のホテルの株まで売りに出した。この時期にとんでもない事件が起きた。

バグジーには、妻と二人の娘の幸せな家庭があった。ところがマフイァの間でも評判の悪い、ヴァージニア・ヒルというあばずれ女と恋に陥り、離婚し彼女と結婚した。その彼女がホテルの建設資金200万ドルを横領していたのだ。それでもホテルは完成した。1946年、終戦の翌年です。オープンの日、映画ではラスベガスではめずらしい雷と大雨の日だった。客の入りは少なく、翌日からホテル改良のため閉店、改めて開店日を知らせることにした。バグジーは、ロスアンジェルスの自宅の家に帰ったその日に、殺傷力の高いカービン銃で殺されてしまった。恐らくマフィアコミッション(マフィア全米委員会)の指示だったのでしょう。享年41歳。
彼が建てたホテルの名前が「フラミンゴ」。フラミンゴは、彼の恋人の愛称です。このフラミンゴホテルは1970年にヒルトン傘下に入り大改造して28階立ての「フラミンゴ・ヒルトン・ラスベガス」になった。私は女房を連れてラスベガスを訪れた時、このホテルを見学したことがある。その後再買収されて今では「フラミンゴ・ラスベガス」として健在しているということです。バグジーの予言した通り、ラスベガスは発展した。発展段階ではマフイアがカジノホテルの経営管理し、マイヤー・ランスキーがラスベガスの帝王のようになったのは当然の結果でしょう。そのころマフィアがどんな経営の仕方をしていたか克明に描いたのが映画「カジノ」(1995年、マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ、シャーロン・ストーン主演)です。これもマフィアを知るためには必見の映画でしょう。マフィアにとって周りが砂漠であることが好都合であった。人を殺せば砂漠に穴をほって埋めればいい、金を隠すにも穴を掘って埋めればいい、FBIの盗聴をきらうには、車をとばして砂漠に行き、車を降りて話し合いをすればいい。砂漠は悪事をするにはもってこいの場所だった。しかし現在のラスベガスは、マフィアの影もすっかりなくなりデズニィーランドみたいに健全な娯楽地と化しています。ネヴァダ州当局は、バグジーの銅像でも作ってもいいのではないか。

ところで生前のバグジーを崇めまつり尊敬していた芸人がいた。歌手のフランク・シナトラです。シナトラの両親は、シチリアからの移民で、アメリカでシナトラを生んだ。だからシナトラの人生は、マフィアにどっぷりつかっているのだ。「ゴッドファーザー」に出てくるジョン・フォンティーンという歌手がいますが、彼はシナトラのモデルと言われています。
(4)ジョセフ・バラキ
彼のボスは、ニューヨークに縄張りのあるドンの一人、ビトー・ジェノベーゼ。そのバラキがなぜ有名になったか。彼はオメルタ(沈黙の掟)の禁を破った最初のマフィアだからです。これまでマフィアは、警察に捕まっても決して自白をしない、俗に言う「けっして吐かない」のだ。吐いたら殺されるからです。これは被害者にも言えることで、被害者は自分の肉親が誰に殺されたか知っていても何も言わないケースが度々ある。そのため警察は、それまでマフィアの内部のことはほとんど知らなかったのだ。それでは何故バラキは吐く気になったのか。バラキは1959年麻薬取締法違反で35年の刑をくらいアトランタ刑務所に入れられた。同じころジェノベーゼの子分数人がやはり麻薬取締法違反で刑務所入りしていた。すべてがボスのジェノベーゼの勘違いで始まった。彼はバラキが裏切ったからだと思ったのだ。もともと彼とバラキとはそりが合わなかったこともまずかった。これを知ったバラキは殺されると恐怖に陥った。そのため新しくに刑務所に入所してきた人物を、ジェノベーゼ差し回しのヒットマン(殺し屋)と思ってしまい、バラキは刑務所内でその人物を殺してしまうのだ。それが人違いとわかるとさらに自分がいずれころされると恐怖した。そういうバラキの心境を見透かしたFBIは政府の証人保護プログラムを使って証言するようすすめ、バラキはその要求を受けた。1963年、バラキの証言は、ケネディーの弟ロバート司法長官の要請によりテレビ中継された。彼の証言でアメリカ人は、マフィアは自分たちのことを決してマフィアとは呼ばず「コーザ・ノストラ」(われわれのもの)と呼んでいることを初めて知ったのだ。1968年にロバート司法長官はマフィアに暗殺されたとも言われていますが、聴聞会でのバラキの証言は、ロバート暗殺の年にマフィアの息の根を止める組織犯罪取締法、通称RICO(リコ)法となって生きています。

このバラキが映画になった。テレス・ヤング監督、チャールスブロンソン主演、1972年公開。映画の題名は、アメリカでは「バラキペーパーズ」、日本では「バラキ」。私はバラキ役を演じるチャールスブロンソンは適役で好演していると思ったがヒットしなかった。バラキはこの映画が公開される2年前に獄中で病死した。享年66歳。
一旦オメルタ(沈黙の掟)の禁が破られると次々と証人保護プログラムを利用して証言するマフィアが現れます。その一人が13歳の時からギャングになりたくてマフィアの使い走りをしながら一人前のギャングになったヘンリー・ヒルです。彼の証言がそのまま映画化された作品がある。1990年に公開されたマーティン・スコセッシ監督、ロバーデ・ニーロとジョー・ペシ主演の「グッドフェローズ」だ。限りなく100パーセントに近い真実を描いた作品と言われています。マフィアを知るためにはこの映画も必見ですね。

(5)サム・ジアンカーナ
ジアンカーナは、カポネの部下として図角を表し、シカゴを牛耳る大ボスになった。1950年代には全米に賭博場を持つほどのビジネスの才をも見せた。1959年にFBIがジアンカーナの事務所に盗聴器をしかけたことでマフィアコミッション(マフィア全米委員会)の存在がFBIや政府に初めて明らかにされたのだ。彼の名が売れているのはケネディー家とは古くからの深いつきあいがあったことと彼の情婦、ジュディス・キャンベルの存在です。ケネディー大統領の父、ジョセフ・ケネディーは、禁酒法時代マフイァとぐるになって密造酒販売を手がけしこたま儲けたことはよく知られている。ジアンカーナはジョセフをよく知っていてジョセフとマフィアとの中が険悪になった時、間をとりもったこともあったのだ。ケネディーの大統領選挙戦時、ジアンカーナの選挙資金協力は有名です。その資金をケネディーのもとに運ばせたのが彼の情婦、ジュディス・キャンベル(当時26歳、元ハリウッド女優)です。この時ケネディーは彼女に手をつけと思われる。彼女と長く関係を持っていたことが知れたのは、彼の死後12年、1975年のことだった。全く偶然に知られることになったのだ。チャーチ委員会と言えば、日本ではロッキード事件で有名です。そのチャーチ委員会が1975年にCIAの内外における非合法活動を調査した。CIAはカストロ暗殺計画を進める中でマフィアの大物たちの協力を得ていたこと。その一人がジアンカーナであり、しかもジアンカーナの情婦、ジュディス・キャンベルが、驚くなかれ現職大統領の愛人でもあり、ホワイトハウスや大統領の旅行先で数知れぬ密会を重ねていた事実が浮かびあがった。そしてケネディーは希代の女たらしであることがわかったのだ。1980年代後半に公表されたFBIの報告によると2年10ヶ月という短い大統領在任中に、ケネディーがホワイトハウス及び遊説先の各地で「親密な関係」を持った女性は少なく見積もっても32人以上であるとしてフーバーFBI長官に報告している。

もちろんこの中にはマリリン・モンローが含まれています。マリリン・モンローという知名度では及びもつかないが、ジュディスとケネディーの交友の深さは群を抜いています。大統領選挙戦から始まり、当選して大統領就任後も2年足らずの間にケネディーのジョージタウンの自宅やホワイトハウスで確認されただけでも約20回彼女と二人だけの時間を過ごし、ジュディスがホワイトハウスにかけた電話の回数が約70回、すべてFBIに確認されておりなかにはジアンカーナの自宅から公然とかけていたのも含まれている。ジュディスの後年の回想によると、大統領とジアンカーナとの共通の愛人と言うユニークな立場にあった彼女は使者として実現させたケネディーとジアンカーナの直接会談は10回にも及び、そのうち一度はホワイトハウス内で行われたと言う。ケネディーはバカか。こういう暴露を知ると、ケネディーは女たらし特有の特徴をさらけ出していると思う。その特徴とは自分の好みの女性に会うと、常識だとか自制心など完全にふぬけになってしまうのだ。大統領がマフィアのボスと共有の愛人を持つことは、アメリカ政府にとってどんな危険なことかわかっていても交際を止められないことをあらしているも同然。クリントン大統領は、ホワイトハウスの女性研修生にホワイトハウス内で関係を持ったが、オーラルセックスは性行為でないと公言して道徳心の強い日本人(?)を驚かしたが、少なくとも国を危険にさらすことはなかったからケネディーより罪は軽い。ケネディーの女たらしが公表されてからケネディーの評判は落ちたと言われるが当然でしょう。ケネディー暗殺後、ジュディスは、一時ジアンカーナと一緒に暮らしていたが、1972年、一回り年下のプロゴルグファー、ダン・エグスナーと結婚。一方ジアンカーナは、1975年6月自宅の地下室で暗殺された。後頭部を銃撃され、さらに口の周りに6発の銃弾が打ち込まれていた。マフィア内部に詳しい者に寄れば典型的な「口封じ」を意味するマフィアスタイルの処刑方だという。享年68歳。犯人はCIAではないかと言われているが、あり得る話です。ケネディーが死に、ジアンカーナも死んだというのである出版社が大金でジュディスに本を書くよう誘ったが、彼女は断ったという。彼女は余計なことを書くと殺されるかもしれないと恐かったのではないかと思う。彼女は1999年9月、65歳で亡くなっている。ジアンカーナを主人公にした映画はないのではないかと思います。いずれケネディー、ジアンカーナ、ジュディスの三人が登場する映画ができるのではないでしょうか。

(6)トウキョウ・ジョー 
トウキョウ・ジョーとは日本人でマフィアになった男、ケン・エトウの愛称です。ケンの父親、衛藤護(エトウ マモル)は、日露戦争時に小倉第十二師団の兵士として出征。同師団も多くの犠牲者が出たが無事帰国。1908年(明治41)関西学院でキリスト教の洗礼を受ける。1917年サンフランシスコに渡り、一生をアメリカで牧師として過ごした。1919年ケンがサンフランシスコから100キロ先のストックトン農場で生まれた。1933年ケンが14歳の時父親とけんかし家を飛び出した。人種差別の激しい時代、14歳では生活するのも大変だったろう。しかし反面自由奔放な生活な面もあったと思う。この間にばくち打ち(ポーカー)の才を身につけた。大東亜戦争が始まると強制収容所に送り込まれた。収容所では博打三昧で日々を過ごしたと言う。終戦後は収容所から出てアイダハオの農家で働き、バクチでつかまりアイダホの刑務所に入る。その後モンタナに移り、「モンタナ・ジョー」と名乗った。1953年、この頃シカゴに移り住んでいたらしい。FBI資料では1953年にシカゴ現れたと記載されている。いつ頃マフイアに加わったのか定かでないが、シカゴで結婚して(4回目)できた娘の話によると「父のカードさばきの腕を見てマフイアの世界に誘ったのは、カジノでディーラーの経験がある母」だと言うのだ。1983年、ケン・エトウは違法賭博開帳容疑で起訴され、捜査を受けていた。この時、マフイァ幹部は、ケンに「控訴、服役、逃亡」の選択を迫った。はっきりした返事をしないケンの態度を見て、裏切るのではないかと恐れた。この時マフィア幹部は、ケン・エトウというよりも“ジャプ”という人種その者を信用していなかったと思う。彼らはケンに警戒されないようケンの顔見知り二人に殺しを依頼した。三人でイタリアンレストランに行く途中、ケンは二人から後頭部に銃弾3発を受けた。この時ケン64歳。ところが奇跡が起こった。ケンは生還したのだ、しかも健康体で。ケン生存のニュースが流れた。ケンはまた殺されるかもしれないと危険を感じたし、裏切りもしないのに殺されかかった復讐心もあったでしょう。彼は連邦証人保護プロフラムの適用を進んで受けた。

ここでいままで度々出てきた証人保護プログラムを簡単に説明しましょう。プログラムに入れば、Tokyo Joeことケン・エトーの生死さえ不明。連邦政府保護プログラム下の証人は、氏名も住所も変え、その存在すら伏せ生活を送る人物、それを誰が知るのか?それを誰かが知ることは保護プログラムの崩壊、つまりFBIは手を引き、本人の安全の保証がなくなることを意味する。プロの探偵も尻込みをする。もちろんFBIや新聞社に何も情報がなく、その手がかりする掴むことができない。
1985年4月22日大統領組織犯罪諮問委員会にケンは、防弾チョッキをつけ、両目のところだけ穴の開いた頭巾を被り、保安官にガードされて登場、労働組合とマフィアとの関係が明らかにした。これによってシカゴマフィアの幹部たち、現職の裁判長、判事、元州知事らそれに小者を含めれば100名以上を刑務所に送りこまれた。ケン・エトーは連邦証人保護プログラムでは史上最長の17年を記録した。その間、シカゴ、ミルウォーキー、カンザス・シティー、ボストン、ワシントンDCで証言台にたった。シカゴマフィアに与えた影響、保護プログラムの長さ、証言台に立った場所の多さを見ると、ケンは日本人が故にマフィアの幹部にはなれなかったものの、重要な地位を占めていたのではないかと思う。1999年、17年間の証人保護プログラムが終わった慰労にFBIから25万ドルの小切手がケンに渡された。2004年アトランタのクリスチャン・ホスピスで死去84歳。娘の話では、25万ドルは、最後まで面倒を見たべトナム人女性に巻上げられた。父の亡骸はカリフォルニアの山中に撒いて終わりにした。このケンを主人公にしたドキュメンタリー映画が公開された。監督は小栗健一。私はこの映画を渋谷の小劇場で見た。小作品だが出来はなかなか良かった。ケンの実弟はこう語っていた。「父の話ならいくらでもするが、兄の話なら何も話したくない。兄はいなければよかったのだ」。家族のことは何も考えず、極道に走り自由奔放な生活を送り四度結婚し、64歳で頭に三発の銃弾を撃ち込まれ、それでも死なず健在に生き、復讐を果たし病院でベトナム人女性の介護を受けながら84歳で死ぬ。死後は自分のドキュメンタリー映画も製作された。人生とはわからないものだ。

四。マフィアとヤクザの違い。
ここで言う違いとはヤクザがヤクザと呼ばれていた時代のヤクザとの違いで、決して現在の暴力団との違いではありません。「侠客」と言っても最近の若者はあんまりぴんとこないでしょうから、辞書を引いておきました。侠客とは、「任侠を旨として渡世する人々」、任侠とは、「弱い者を助け、強い者をくじき、義のために命を惜しまないという気風」。これで侠客の意味がなんとなく掴めたと思います。日本最後の侠客と言われる山口組三代目、田岡一雄夫妻には一男一女がいる。一人娘の由岐さんは、音楽家の喜太郎氏と結婚し現在離婚。その彼女が「お父さんの石けん箱」と「さようならお父さんの石けん箱」という二冊のエッセイを書いています。両親への深い愛情を示し且つ彼女の人柄の良さを示す好感の持てる本です。その中で或る時彼女は両親と父のボディーガード一人と四人で映画「ゴッドファーザー」を見に行った。映画の印象を父はこのような話をしてくれたと書いています。
「向こうのヤクザは、カネもうけのためになんでもする。日本のヤクザは、カネ触るといやらしいというのがほんまなんや。一番違うとこは、そこや。だから組織の目的が違う」。確かに田岡が「組織の目的が違う」とも言えたのも事実だと思う。田岡が山口組三代目を継いだのは昭和21年、終戦の翌年、田岡34歳の時。この時田岡は、三つの誓いを立てた。
(1)各自に職業を持たせること。
(2)体制の確立。
(3)己を厳しく律すること。
そして「土建業山口組」という筆太な文字で書かれた分厚い看板を事務所の入り口に掲げた。ヤクザとマフィアの大きな違いはここですよ。公然性(公開)と非公然性(秘密)です。日本のヤクザは、その存在については、事務所を市街地に開設し看板をかかげるなどして、一般市民の充分知るところであり、また警察もそのヤクザ組織の機構や序列、活動についても相当部分把握している。一方アメリカのマフィアは、徹底した秘密組織であり、組織の全容は秘密のベールで包まれています。私はこの公然性が侠客を生む素因にもなり、マフィアに比べて殺人が少ない原因にもなっているのではないかと思っています。看板をかかげて親分になる以上、これまでのようにバカなまねはできない、それでは組員がついてこない、近所の堅気から嫌われたり、馬鹿にされたりしたら組員の士気にかかわるし、発展はない。そんなことから堅気には手をださないということにもなるし、要するに親分自身が自分を律する面が強くなる。これがマフイアのように徹底した秘密主義では、侠客など生まれるのはまれになってしまうし、殺人が多くなるのも当然でしょう。

山口組が発展してくると、田岡の目が行き届かなくなる。山口組系を名乗る末端の下部組織の中には麻薬に手を出したり、堅気の衆に迷惑を及ぼす者も出てきた。そこで田岡は、滋賀県永平寺の老師に相談して山口組の綱領を作った。
綱領
山口組は侠客精神に則り、国家社会の興隆に貢献せんことを期す。依って組員は左の各号を体現することを要す。
一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。
一、外に接するに愛念を持し信義を重んず。
一、長幼の序を弁え、礼によって終始す。
一、世に処するに己の節を守りそしりを招かず。
一、先人の経験を聞き、人格の向上をはかる。
昭和38年の仕事始めの時、この綱領は神戸観光ホテルに百人近い組員を集めて発表された。昭和46年6月には田岡は、組員の広報誌、「山口組時報」を創刊している。その創刊号で田岡はこう書いています。
「家庭にあってはよき父、よき夫であってほしい。日ごろ家庭をうとんじている者ほど、何かことあるときには、その嘆きに拍車をかけている。内を固めてから外に当たるよう」と組員にさとしている。同紙には「法律教室」や「告知板」と称する放免祝い、葬儀、服役者消息欄など話題が豊富であったという。この「山口組時報」は昭和50年1月号をもって以後発行されていないと言う。私はマフィアの人達に言いたい。日本にはこういうヤクザがいたのだ。田岡自身は売られたけんかで人を殺し8年に刑をうけた者です。金がすべてではないことが彼の行動でわかるはずです。田岡は自伝を書いているが、最後の10頁あまり妻、文子自身に書かせている。彼女は最後にこう書いています。
「まだ一つ大きな問題が残っております。それは侠客道を歩む者も、無頼の徒も同一視され、暴力団というありがたくない汚名を着せられていることです」私は彼女の気持ちが理解できます。

そして現在、ヤクザという言葉は完全に使われなくなりすべて暴力団呼ばわりされ、徹底して嫌われ、「何々組」という看板も掲げられなくなってしまった。これでは暴力団は地下にもぐり、徹底して秘密主義が貫かれる。すなわち暴力団のマフィア化につながる。危険な不気味な存在になってしまう。それでもいいのですか。前科者でもなく、警察に追われているわけでもない暴力団員とつきあっては何故いけないのですか。鈴木宗男前議員は、刑務所暮らしから現在出所しています。いずれにしても前科者です。その前科者が今度の総選挙で立候補します。前科者の議員とはつきあってもいいが、暴力団員であったら前科経歴がなくてもつきあってはいけないのですか。もしそうなら人権侵害ではないですか。私は読者に訴えたい。私たち庶民は、前科者の庶民には非常に冷たくあしらうが、金持ちや、政治家、あるいは有力者の前科者には甘いのだ。現在のマスコミは、民主党政府にも怒れない、反日日本人組織にも怒れない、隣国にも怒れない、怒れる先は暴力団だけ、それだけに暴力団が目の敵にされるのだ。暴力団と芸人が付き合って何が悪いのだ。テレビで大討論しなければならい大問題か。現在の暴力団組織など少しも恐くない、暴力団で国がつぶれることは絶対にない。現在最も恐いのは反日日本人組織です。日教組など暴力団よりはるかに恐い存在です。私は暴力団をえこひいきするつもりはないが、日教組、自治労、反日市民団体などの不法行為には暴力団と同じように厳しい捜査をしてもらいたいと思う。政府は、最近「環境影響評価書」を沖縄県庁に宅急便で送った。その配送を阻止した反日市民団体の行為は違法行為ではないのか。同じことを暴力団がやったらどうなるのだ。法律は平等に施行されなければならないはずです。





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