Archive for 2月, 2012

「J・エドガー」



「J・エドガー」とは先月末に公開された映画のタイトルです。クリント・イーストウッド、若い頃マカロニウエスタンのガンマン役で名を馳せたが、今では映画監督としても名をあげています、その彼の作品です。私は、この映画のタイトルを見たとき、誰のことかピントこなかった。映画に出て来る架空の人物かと思った。しばらくして「J・エドガー」とは、ジョン・エドガー・フーバーのことだとわかった。エドガー・フーバーと言っても大方の日本人は、誰のことかわからないでしょう。私はよく知っています。偶然の結果です。先月初め、すなわち今年初めてのブログ記事に『「マフィア」の話』という長文のエッセイを書きました。私はこれまでに沢山のマフィア映画を見てきたし、マフィア関係の本を読みあさったことがある。マフィアを取り締まるのがFBIです。ジョン・エドガー・フーバーとは、そのFBIの長官です。映画「J・エドガー」がエドガー・フーバーの伝記映画とわかったら、ぜひ見なくてはとなって公開早々見てきました。私にはフーバーについての予備知識があった。フーバーは、第一次大戦時のウッドロー・ウィルソン大統領からリチャード・ニクソンまで10人の大統領に仕えたFBI捜査官であり、彼が1924年にFBI長官になってからでも8人の大統領に仕えているのだ。なぜこんなに長くしかも死ぬまでFBIの最高権力者でいられたのか。それは政治家個人の身上調書と言っていいフーバーの秘密ファイルに原因があります。勿論FBIには公式の記録ファイルがあるが、それ以外にフーバーが国内捜査機関を完全に掌握している特権を持っているからこそできる彼の特別秘密ファイルを所持しているからです。彼は上院、下院の全議員、閣僚、大統領、あるいは超有名人の身上書を作り上げ、いざとなればそれを相手につきつけ、脅す事にためらいはなかった。ある議員の言葉を借りれば、彼の秘密ファイルは、「世界最大の汚物の保管庫」というわけだ。大統領でさえ弱点を握られ彼を首にすることができなかったのだ。

映画を見ての感想は、はっきり言って凡作です。私はクリント・イーストウッドの全作品を見ているわけではないが、ほとんどの作品は見ています。彼の作品の中でも出来の悪い作品ではないか。エドガー・フーバーの伝記映画だが、フーバーの人間性が描かれていないのだ。フーバーの人間性が描かれていないのをイーストウッド監督だけのせいにしては可哀そうなのかもしれません。フーバーという人間その者が面白みのないつまらぬ人間なのだ。私生活が単純そのもの。フーバーを手厳しくはげましもするが息子を溺愛する母親、その母親との二人暮らし。フーバーに忠実に仕える秘書。まさに仕事だけに忠実に仕えるが私生活では赤の他人。フーバーの片腕となるクライド・トルソンとは40年来のつきあいだが、同性愛者どうしでお互い愛情を感じあっている。だけどベッドを共にするわけではなく、お互い一生独身。これでは私生活に面白いことが起こるわけがない。仕事だけが生きがいの単調な私生活なのだ。そのかわりFBI長官として50年だから歴史的事件が多く多彩です。それら事件、事件にフーバーがどう対処したか描かれているのだが、それも相棒のクライド・トルソンに語らせると、人の手柄をフーバーの手柄にしてしまうのだ。憎しみを感じる男ではないが、どうにも親しみがわかない男だから余計映画に面白みに欠けるのでしょう。

「J・エドガー」という映画のタイトルと言い、私に言わせるとこの映画は、一般のアメリカ人には分かりやすいかもしれませんが、外国人が見るには、エドガー・フーバーの予備知識がある程度必要のような気がします。例えば、ケネディー大統領とロバート司法長官兄弟とフーバーFBI長官との確執です。この両社の確執は、『「マフィア」の話』のブログで書きたかったのですが、書くとあまりにも長くなってしまうので割愛しました。この機会を利用して要約して簡単に書かせてもらいます。

ケネディー大統領は、フーバー長官をきらっていた。フーバーが大統領自身に関する事と禁酒法時代に酒の密売業者をしていた父の時代に遡って自分の一家の名誉を傷つける秘密ファイルを所持している事を知っていたからです。ある時、フーバーに官邸に呼びつけると、ケネディーが驚くことまで知っていた。それは第二次大戦中、大統領の海軍勤務時代にインガ・アルヴァドという女性との関係についての記録とテープが含まれていた。この女性は既婚者で、親ナチ派の噂がたっていた元ミス・デンマークだった。ケネディーがワシントンの海軍情報部から高速魚雷艇訓練学校、そしてついに南太平洋での戦闘任務に配属させられる原因になった多くの「危険な関係」の最初の事例を発見したのは、他でもないフーバーだったのだ。フーバーが官邸を引き下がった直後、ケネディーは「あの野労!」とフーバーに激怒したという。ケネディーが知られたくないことをフーバーが知っていたからです。フーバーが保管するフアィルの中身について非常に憂慮した大統領は、明らかに未熟な弟を司法長官に任命し、弟にフアィルの保管者を監視させようとし、それが身内を司法長官に指名した主な理由と言われているのだ。映画では、ミスデンマークの話は、ロバート司法長官に話しをしていました。

一方弟のロバート司法長官は、兄ケネディー大統領とは違った角度でフーバーを嫌悪していた。ロバートは司法長官時代、『「マフィア」の話し』でも触れたようにマフィアを壊滅に追い込もうと全力をあげていた。ところがフーバーは、積極的に協力しようとしないのだ。なにしろフーバーは、「アメリカにはマフィアという組織犯罪は存在しないと」公言してはばからなかったのだ。私の推測で話をすると、フーバーがロバート司法長官のようにマフィアを追い詰めるほど全力で取り締まっていたら、彼はとっくの間にマフイァに殺されていたでしょう。フーバーもそれを知っていたからこそ取り締まりに手を抜いていたのではないか。フーバーの非協力的態度に業を煮やしたロバートは、前任のどの司法長官も手をつけなかった処遇をフーバーに命じた。フーバーの直属の上司は、司法長官です。フーバーは司法長官の報告する義務がある。ところがフーバーは、歴代の司法長官には報告せず、すべて大統領に直接報告していた。歴代の大統領は、フーバーにその行為を許していたのです。ワシントンで執務するどんな高級官僚も大統領にじかに接触できなかったが、フーバーだけはそれができたのだ。そのフーバーに向かって「今後大統領に直接報告することはダメダ、今後はすべて俺に報告せよ」と命令したのだから、フーバーが激怒するのも無理はない。

映画ではロバート司法長官が二度スクリーンに登場します。一度目は、ロバートとフーバー二人だけの険悪な様相での会話。フーバーは、ケネディーの女たらしの実例の話をしている場面です。二度目は、フーバーからケネディー暗殺の電話がかかりローバートは仰天しますが、「ケネディー暗殺された」というそれだけの電話ですぐ切られてしまってローバーとが激怒する場面です。この両場面などケネディー兄弟とフーバーとの確執関係を知っていればより理解できることは確かです。

ところでフーバーがケネディー暗殺を知る場面の演出にはこっています。フーバーが部下に命じて盗聴させていたテープが届き、一人部屋に閉じこもってその盗聴テープを聞く。盗聴テープの声だけが画面に流れます。ベッドシーンの盗聴です。誰のベッドシーンが盗聴されているのか映画では語っていません。しかし私は即座に誰のベッドシーンかわかった。マリリン・モンローとケネディー大統領のベッドシーンです。何故わかったか?男はケネディーのような声をしていたが、女は間違いなくマリリン・モンローの声です。よがり声だけだったらわからなかったでしょう。その前に短い会話があった。それでモンローの声だとわかったのです。モンローは超有名人だから彼女の映画を見たことない人でも名前ぐらいは知っているでしょう。その人たちに言っておきますが、彼女はすばらしい声美人でもあるのです。顔よし、声よし、また話しぶりがいい、その上抜群のスタイルよしのまさに完璧な美人です。だから私は彼女のとりこになった。モンローの出演作は全部見たし、自宅には全作品のビデオもあります。だから彼女の声は、私の脳裏にやきついています。その私がモンローの声と判断したのだから間違いない。モンローとケネディーに似た声を持った男女を採用して演じさせたのでしょう。そのモンローのよがり声を聞いている時にフーバーの部屋の電話がなり、ケネディー暗殺を知らされ彼は仰天した。彼はロバート司法長官にその知らせを電話するのだが、ただ一言「大統領が殺された」と語り、それ以上なにも報告せず、電話を切ってしまいます。すぐに電話を切られたロバートは、怒り狂うのは当然、二人の険悪な関係がよく表れています。

フーバーが最後に仕えた大統領がニクソンです。フーバーは腹心のトルソンにこぼすのだ。「歴代の大統領は、自分の秘密ファイルのことを話すと私に対して臆病になるのだが、ニクソンはびくともしない、堂々たるものだ、だから非常にやりにくい。」ところがフーバーは在職中に突然のように病気で急死します。その知らせを聞いたニクソンは、すぐに部下に自分のファイルをフーバーの事務所で探させるのだが、ファイルキャビネットはもぬけのから。フーバーに、自分に万一のことがあればファイルを処分するよう命令されていた忠実な秘書が、ファイルを裁断機にかけているところで映画が終わっています。イーストウッド監督は、フーバーの仕事ぶりに対して肯定もしなければ、否定もしていない、また観客になにも訴えるものもない。まさに凡作でしょう。

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育鵬社教科書盗作事件



昨年11月19日に私のブログ欄で「渡部昇一先生への苦言」というタイトルの下に記事を書きました。その中で、私は、育鵬社の歴史教科書が「つくる会」が以前扶桑社から出版した「新しい歴史教科書」と酷似していること、「つくる会」の公民教科書の著者、小山常美先生や広島県の「つくる会」の支部長をしておられる主婦の方が、その酷似箇所をていねい調べておられることを書きました。と同時に酷似箇所の例をいくつかとりあげて公表いたしました。その酷似箇所を調べていた広島県「つくる会」の主婦の方が次のようなブログ記事を掲載いたしました。彼女の了承の下に転載させていただきました。

引用開始
去年の11月から年末にかけて、私は以下の文章を保守系の言論人約50名に発送しました。
育鵬社支援者25名には文章の内容が少し違うものを送りました。
小山先生が研究されている育鵬社盗作疑惑について、どうしてもこのままなかったこととして処理されることが許せないと感じたからです。「つくる会」の組織的活動ではありませんが、個人としてこのようなことをしていることを皆さまにご報告します。
この文章のほかに、参考資料として小山先生のブログと私のブログから、盗作が色濃く疑われる個所を印字したものを同封しました。

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平成23年12月 日    
前略、私は広島の長谷川真美と申します。突然お手紙をさし上げるご無礼をお許しください。私は現在「新しい歴史教科書をつくる会」の広島県支部で支部長という役目を引き受けているものです。今日は支部長という立場ではなく、一個人として、教育再生機構並びに「教科書改善の会」が支援し出来上った育鵬社の歴史教科書について、どうしてもお伝えしたいことがあり一筆申し上げます。

私共「つくる会」が主導した自由社の教科書が惨憺たる結果に終わったこと、育鵬社の公民の教科書に「愛国心」等が書かれていないことなどはとても残念なことでしたが、以下にお知らせいたしますように、育鵬社の歴史教科書が扶桑社版(藤岡信勝代表執筆)を明らかに盗作していると認めざるを得ない事実が徐々に判明してきており、この事の方がもっと重大で残念なことだと思っています。

「つくる会」本部も早くにこのことに気がついていたようですが、採択戦の妨害になることから、採択が終るまで調査、発言を控えてきました。現在、小山常実さんがご自身のブログ(「日本国憲法」、公民教科書、歴史教科書http://tamatsunemi.at.webry.info/)で調査を続けておられます。私も事の重大さに気づき、育鵬社盗作疑惑について調べているところです。調べれば調べるほど、鳥肌が立つほどに酷似している箇所が次々と現れてきています。

八木秀次氏が代表である教育再生機構側は「つくる会」から分派脱退した折に、絶対に今までの教科書の真似をしないということを文書で約束していたはずです。また、屋山太郎氏が代表される「教科書改善の会」も、平成21年9月3日、「中学校教科書採択結果を受けて」という声明の中で、「なお、歴史教科書については全く新しい記述となり、著作権の問題が生じる恐れはありません。」と述べておられます。
しかし、目次の章立て、単元の構成、単元の表記、単元の内容は他社数社の教科書と比べてとてもよく似ていますし、現在調べている限りでも、文化史を除く本文の多数の個所の文章の酷似ぶりが明らかになっています。全く新しいはずが、どうしてこれほどそっくりになってくるのでしょう。
平成21年8月25日の裁判により、教科書の著作に関して、「つくる会」側の主張した教科書は、共同著作物ではなく、結合著作物であるとの判決がありました。つまり約八割に「つくる会」側の著作権が認められたことになります。これは単純に「つくる会」側が敗訴した裁判ではありませんでした。

私の推論ではありますが、扶桑社(藤岡信勝代表執筆)の教科書の著作権侵害とも思えるこれらのことは、おそらく育鵬社の社員が主導して勝手に行ったことではないでしょうか。版権(平成24年3月で消滅)が扶桑社にあったということで、それをリライトしても法律に違反しないと思ったのかもしれません(もちろん著作権者に許可を得てリライトするならばいいのですが)。
皆さまは、保守系の教科書がもう一つ出来たのだから、そんなに目くじらを立てなくてもいいじゃないか、或いは、中味が似ていてもそれはそれでいいことじゃないか、喧嘩せずに仲良くやればいいじゃないかとお考えかもしれません。しかしこれが「盗作」まがいのことをした結果であるとしたら、道義、道徳を重んじるはずの保守系教科書で、そのようなことが許されるのでしょうか。こんなことを見過ごせば、保守言論界が大変なことになるのではないでしょうか。私には、身内でこのようなことを見過ごして甘い顔をすることは、左翼に笑われる保守の自滅そのものになると思うのです。自浄作用の無い世界は滅びていきます。

その点ワック出版は立派でした。『歴史通』11月号では、桜井裕子さんが著作権侵害を起こし、ご本人も出版社も著作権者に対し謝罪され、そのことを公表していました。桜井さんの書かれた内容は「尊敬される日本人」の中の「佐久間 勉」でした。内容が良いものだとしても、文章を書くときのルールとして著作権があり、引用、参照、など明確にしない「手ぬき」は許されないものです。
そのうえ、自虐偏向の他社の教科書は問題外ですが、育鵬社は「南京虐殺」は「あり」との立場に立ちました。そしてご存知のように、中国語読み、韓国語読みの「ルビ」を振りました。大東亜戦争を括弧の中に閉じ込めてしまいました。近隣諸国に配慮することで、左に擦り寄っています。フジテレビという「韓国」系列に阿るテレビ会社が後ろについていることも心配の種です。

色々書きましたが、育鵬社の教科書は歴史も公民も、今までの教科書運動の成果に逆行するようなものになっています。このことは市販本を読んでいただければ誰にでも分ることです。私はやっとここまで来た教科書運動が、こんな風になったことが許せません。
子孫が育っていくこれからの日本に、真に立派な教科書を手渡して行きたいと思っています。保守陣営がもっと頑張り、日本を立て直してもらいたいと思っています。手段を間違えれば、いくら表面を取り繕っても、必ずひずみが出ます。

日本人はそういう意味で、汚い手を使わないことを良しとする国民のはずです。ただ、日本人の弱点は長いものに巻かれること、争いを好まないことなどがあり、私のこういった主張に「保守言論界にとって、あまりさわがない方がいいのでは・・・・」との反応があります。先にも言いましたが、このような不実が黙認されるようなことがあれば、保守言論界は自浄作用がないということになり、いずれはジリ貧になっていくでしょう。
私はこの件を育鵬社の支援者25名の方々に告知いたしました。今後はもっと巾を広げて告知していくことをご報告しておきます。自虐史観ではなく、日本の子供たちに、自国への愛を育むための教科書が必要だと考えておられるであろう皆様、どうか、この件を真剣にとらえ、今後どうしたらよいかお考え下さり、対処していただきますようお願い申し上げます。
なお、ご参考までに私のブログでの発表内容の一部、小山先生の文章の一部を同封致します。
最後までお読みくださり、有難うございました。
草々
引用終了

私は、このブログを読み、長谷川支部長はよくやってくれた思いました。本来ならつくる会の会員一人一人が行ってもいいことでした。そこで私は即座に彼女のブログにコメントを入れました。「よくやってくださいました。お礼申し上げます。ありがとうございました。」すると彼女の返答は、
「私はちっぽけな存在で、将棋でいえば「歩」にすぎません。 その身に応じた行動しかできませんし、効果もたいしたことではないかもしれません。 でもこのままなし崩し的に育鵬社が許されることが我慢ならないのです。」

私は、彼女のコメントに全く同意同感、私もこのままなし崩し的に育鵬社が許されることにとても我慢ができません。「つくる会」の会員の中にはそんなにめくじら立てず、育鵬社と協力して仲良くやっていた方が良いという人がいると聞いています。しかし育鵬社は、道徳的にも法的にもやってはいけないことを堂々とやっているのです。それでも目をつぶれと言うのですか。育鵬社自身の教科書にも問題があります。例えば大東亜戦争を太平洋戦争(大東亜戦争)とカッコで閉じ込め、韓国語や支那語の地名や名前は、韓国語読み、支那語読みのルビをふる。どこの国の歴史でも自国語で歴史を教えるのが常識でしょう。公民教科書には、愛国心という言葉がない。この三点は、保守陣営にとっては妥協点のない根本的問題ではないのでしょうか。これでは保守の教科書とは言えませんよ、これでどうして育鵬社と仲良く協力してやっていこうなどと言えるのですか。

育鵬社という出版社の責任もさることながら、教科書監修者6人の責任は非常に重いものがあります。その6人とは、渡部昇一(上智大学名誉教授)、伊藤隆(東大名誉教授)、渡辺利夫(拓殖大学学長)、田中英道(東北大名誉教授)、岡崎久彦(元駐タイ大使)、八木秀次(高崎経済大学教授)。彼らは、「つくる会」の教科書執筆陣よりどちらかと言えば世間的に知名度が高い、だから盗作が許されるのでしょうか。お前の書いた絵は「贋作」だと言われながら、なんら説明しようとせず、空とぼけている画家と同じことをしているようなものです。育鵬社のバックにはフジサンケイグループがある。その影響力の大きさに恐れをなしてか、保守の多くの知識人は、育鵬社も教科書執筆者も批判せず、ダンマリを決め込んでいます。このような不条理があっていいのでしょうか。その意味でも「つくる会」の広島県支部長が著名保守知識人、数十人に手紙と盗作の実態の報告書を郵送したということは、私はよくやってくれたと思うし、大歓迎するものです。

全国に所在する「つくる会」の会員たちは、祖国を思う一心での行為で、そこには私利私欲など入り込む余地がありません。逆に言えば私たち会員は、無名であるがために私利私欲で行動したくてもできない、それがために祖国への想いだけが行動の原動力なのです。ところが上記6人の教科書執筆者は違います。著名な、功成り名遂げた人たちです。それだけに私利私欲で行動できるのです。私利私欲の行動が、すべて悪いとは私は言いません。本来ならこの人たちは、思想的背景からして「つくる会」を影ながら支援するとか、積極的に支援して当然なのです。ところが彼らは、保守系教科書作成の指導権をとりたくてしょうがないのだ。それはそれで結構なことですから堂々と教科書作成にとりかかればいい話です。ところができた教科書が盗作で、しかも保守本流から外れた教科書なのです。彼らは、マスコミや自分の本の中でえらそうな事を発言したり、書いたりしていますが、実際にやっていることは汚すぎるのです。だから軽蔑するのです。この盗作教科書が今年の4月から学校の教室で使用されます。恐ろしいことです。「つくる会」本部は、人手不足、資金不足で思うように行動がとれないのはよく承知していますが、このままなにもせず黙視していいのでしょうか、なんらかの行動に訴えるべきではないでしょうか。



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