Archive for 4月, 2012

若い女性たちに告ぐ(その3)



保育園育ち
現在日本政府や大都市の地方自治体は、保育園に入園するための待機児童が一人もいなくなるように保育園数を増やすために懸命です。女性の社会的進出の欲望、貧困化、それに応える形での保育園の増加、少子化傾向が続いているいため、いずれ日本中どこでも待機児童もなくいつでも保育園に入園できるのも時間の問題でしょう。私に言わせれば、これはまさに国家的規模で行われている日本民族劣化推進政策以外のなにものでもありません。しかしだからと言って保育園が我々の日常生活に密接に結びついているため、保育園を拒否して生活は営めません。だからこそ保育園教育のどういうところに欠陥があるのか指摘し、その対策を講じなければいけないのではないでしょうか。幼児教育は、大人なってから学ぶ能力開発とか資格を獲得するための教育などとは比較にならないほどの重要です。幼児教育は人によっては生涯にわたって深い影響を及ぼし、大人になってから容易に変更などできません。幼児教育に失敗したら、ほとんど取り返しがつかないし、その子供にとっても親にとっても不幸としかいいようがありません。「幼児教育と脳」という本を書かれた澤口俊之氏は、0歳から8歳までは母親は家にいるべしなどと発言しています。

どうしても保育園が必要な家庭の事情もある人もいるでしょう。しかし多くの人は、保育園にあずけるのが当たり前の感覚になっているのではないでしょうか。幼児教育などという堅苦しい言葉を使いましたが。もっとくだけた話をしましょう。今から50年前までの主婦は、ほとんど専業主婦、だから自分の子供には一年中毎日24時間たっぷり母親の愛情をそそげることができました。ところが現在の主婦は一年中毎日どころか一週間のうち休日の24時間しか母親の愛情をそそげることしかできないのです。どちらが子供にとって良いか悪いかは誰でもわかるでしょう。だからと言って私は、女性の社会的進出に猛反対しているわけではありません。保育園には欠陥があります。その意識すらもなくただやみくもに保育園に入れてしまえばそれでいいという安易な気持ちが恐いしまたそれを非難しているのです。保育園の欠陥を意識すれば、親の心構えも違ってくるでしょうから、まずその欠陥を列挙しましょう。

1.子供は親が育てるもの。
現在は子供が生まれれば保育園に預けるのが、ごく当たり前のようなってしまったため、どうかすると今の若い両親は、子供は保育園が育ててくれるものと思い込んでいると言っても過言ではないような気がします。保母さんは、母親にはなれません。子供は親が育てなければいけないのだが、経済的事情とか、女性の社会的進出の願望の強さとが合い重なって止むを得ず保育園にあずけるのだという意識を持ってもらいたい。このやむを得ず子供の保育園にあずけるのだの意識が薄いため、子供に申し訳ないという気持ちもわかず、その結果として無意識のうちに自分の子供の子育て責任が薄くなり、さらにひどくなると子育て責任を感じなくなってしまうのです 恐ろしいことです。保育園というものは、大人にとっては便利なもので利用価値はありますが、子供にとっては残酷なものなのです。幼児がもし言葉がしゃべれたら、「ママのそばがいい、保育園はいやだ。」と言うに違いありません。皆さん、そう思いませんか。こういうことを心底意識して保育園に入れるのと、こんなことも意識せず、ただ自動的に子供を保育園に入れるのとでは、幼児教育に大変な差が出るのです。

2.母性愛の減少。
胎児はおよそ10ヶ月と10日間母親の体内にいます。10ヶ月と10日が母性愛の育まれる直接の原因にもなるわけです。この期間で父性愛は、母性愛に決定的な差をつけられのですが、しかし母性愛は、この10ヶ月と10間だけでは不十分なのです。赤ちゃん誕生後、昔の母親は、一年365日何年間も手塩にかけて育てていくからこそ母性愛がさらに、さらに強くなっていくのです。昔から世話のやける子は、可愛いといいますが、それだけ母親が面倒みなければなりません。それがまた愛情を産みさらに母性愛が深まるからです。現在の母親は、保育園入園後、休日だけしか手塩にかけないのですから当然母性愛が薄くなるのは皆さんも理解できると思います。昔の人は母性愛が強いから進んで子供の犠牲になろうとします。しかし現在の母親は、子供の犠牲になるのを好みません。子供を手塩にかけて育てる時間が少なすぎて母性愛が強まらないからです。保育園の存在が母性愛の減少を生むのですが、その傾向にさらに拍車をかけるものがあります。戦前の日本人には弱く、戦後の日本人に強くなったもの、すなわち個人の権利の主張です。個人の権利の主張もけっこうだが度がすぎると我がままになります。ただでさえ母性愛の減少に、個人の権利の主張が加わりますから、現在の親は、子供の犠牲になるのを好まないどころか、親が平然と自分の子供を親の犠牲にしてしまうのです。このことが幼児や児童を平気で虐待する原因の一つにもなっているのです。親の児童虐待について皆さんに話したいことは、私が子育てしていた頃には、親の幼児、児童虐待などはほとんどありませんでした。あったとしてもそれは大ニュースになったのです。ところが現在は親の児童虐待は日常茶飯事。なぜかその傾向を探ってみると、保育園育ちの男女が大人になって子供を生むようになってから急激に増えた現象なのです。これは私の年代だからこそ言える事柄なのです。

3.親の責任感の欠如
およそ50年前まで続いた専業主婦時代には、保育園などという発想そのものがありませんでした。そのため親が子育てをしなかったら、誰がやるのかと親の責任感が生まれてくるし、責任感も強くなります。しかし現在のように誰も自動的に保育園にあずけるとなるとどうしても親の責任感が薄れてくるものです。最近大阪市で2児の虐待死事件が起きた。24歳の母親は、長女(3歳)と長男(1歳)が衰弱しているのを知っていながらごみと糞尿が散乱する部屋に置き去りにし外出し帰宅しなかった。このまま必要な食事を与えなければ死亡するとわかりながら、帰宅せず餓死させて殺害してしまったのだ。今流行りのと言わなければならいほど繰り返される「育児放棄」です。あまりにも残酷と懲役30年の判決が下された。「育児放棄」は親の責任放棄と言っても過言ではありません。動物にも劣る人間の父親、母親の続出です。人間社会も落ちぶれたものになってしまいました。

4.過保護
保育園は動物園と同じです。動物園に飼われる動物は、お客さんに見せる商品です。従って動物たちをケガさせたり、病気にかからせるわけにいきません。大事に大切に飼われます。動物どうしでけんかすれば檻を変えて引き離されます。保育園の園児も全く同じように飼われるようなものと言っても言いすぎではないでしょう。病気している園児を預かることはしませんから、保育園にとって一番怖いのは、園児にケガさせることでしょう。園児に度々ケガさせると保育園の悪評になりかねません。幼児どうしのけんかがあってもすぐ引き離されてしまう。動物園の檻の中のけんかと同じです。幼児にも持って生まれた幼児なりの闘争心の芽が摘み取られてしまうのだ。私は男だから、園児の男の子をみると可哀そうでなりません。男の子は、女の子と比べて遊び方が荒っぽいのが当たり前なのです。私が子供の頃は、外に出れば私と同じような年齢の子、少し年上の子、少し年下の子、いわゆる不特定多数の男の子があつまり、女の子が決してしない荒っぽい遊びを親の監視ぬきで遊ぶ子供の世界があった。現在の子は男も女も、子供の世界を体験することなく大人になってしまうのです。そのため園児は無意識のうちに過保護に育てられてきたことを大人になってもわからないのです。

幼児教育は、専業主婦にはかないません。そして保育園には上記のような欠陥を伴うのです。そのことを社会全体で無視していると言っても過言ではありません。私は学校でセックスを教えるなら、教室で自分たちが保育園で育てられた過程にはこういう欠点がありますと、それこそ公民教科書で教えるべきではないかと考えております。保育園で育てられてきたからこそ、早い段階で母親、父親への自覚を教育することが大切だと思うのです。

ところで話はがらりと変わりますが、最近話題の本を紹介しましょう。「女性宰相待望論」(自由社)です。今世紀は女性の世紀。もうそろそろ日本にも女性の首相が誕生してもおかしくありません。日本で女性首相が誕生するなら、この9人の女性代議士の中から間違いなく出るだろう。選ばれた9人の女性代議士のインタビュー本です。何故私は、この9人の中に選ばれなかったのかとカリカリしている女性代議士もいるらしいです。選ばれたこの9人、けっこう皆さん日本のために仕事していますね。時間があればちょっと読んでみるのもおもしろいですよ。


次回は二週間後の5月5日に(その4)を掲載します。話題は「貧乏若夫婦、5年でまとまったお金をつくるには」です。引き続き読んでいただければと思っています。


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若い女性たちに告ぐ(その2)



読者の身内に若い女性がいれば、ぜひこのブログを見せてほしいと思います。このブログの転載、拡散を歓迎します。

選択的夫婦別姓
現在、民主党政権は、選択的夫婦別姓制度を柱とする民放改正案を成立させようと計画しています。現行民法は、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」(750条)とあります。すなわち姓の選択の自由は女性にも認められ、法律上での平等がきちんと実現しているのです。それでも夫婦別姓を主張する人たちがいるのは、三つの理由があるからだと思います。
1.法的には男女平等になっていても、現実には男性優位になっていると、左翼の女性やキャリアウーマンとして成功している女性の中には、そのことを極端に嫌う人たちがいます。例えば前法相の千葉景子は「法律には『どちらの姓でもいい』となっていながら何で98%も女性が変えざるを得ないのか。それも本当は問題だと語り、社民党党首福島瑞穂は、「私は男の人と女の人が半分ずつぐらい変えていたらこれほど違和感を感じなかった」(明日への選択、平成22年4月号)と言っています。実際には女性の社会的進出増につれて夫が改姓する割合が増えている現実を無視しているのです。それに法的に女性の姓を名乗れるようになっているのですから、たまたま男性の姓の方が多いいと文句を言ってみたところではたがとやかく言えるすじあいのもではないはずです。この二人は強力な夫婦別姓推進者です。

2.結婚後改姓によって職業上不便が生じる。
これは充分あり得る話ですし、理解できます。昨年結婚した私の姪は、仕事では旧姓を使い続けると言っています。自民党議員、高市早苗氏も旧姓で議員を続けている女性です。旧姓使用の現実生活について、彼女はこう語っています。「パスポートについては、併記が可能で、私のパスポートには、『ヤマモト(タカイチ)サナエ』と記載されていますが、運転免許証、健康保険証、印鑑証明は『山本早苗』と戸籍名のみで発行されています。」(明日への選択、4月号)彼女は、結婚前の旧姓をどうしても通称使用したいかたは、現在の戸籍に「旧姓通称使用の届出」の一行を加えるだけでの法改正で済むことと主張していますが、私も全く同感、賛成です。

3.家族軽視。
夫婦別姓支持者は、「家族軽視」などとは絶対に言いません。東北大震災で、家族の絆の強さが改めて強く認識されているからです。そんな時に家族崩壊をもくろむなど絶対に言えません。そこで表向きには(1)や(2)の理由をあげながら選択的夫婦別姓を主張しているのです。なぜ夫婦別姓が家族の崩壊につながる原因になるか説明しましょう。夫婦別姓も夫婦二人だけならあまり問題はないでしょう。しかし子供が産まれたら妻の姓にするのか、夫の姓にするのか決めなければなりません。子供の姓選びで夫婦げんかしないよう第一子を妻の姓、第二子を夫の姓としましょう。夫婦で姓も違い子供(兄弟姉妹)同士でも姓が違うのです。三番目が生まれたら、その子の姓はどちらを選ぶのでしょうか。これでは家族の絆は弱まることがあっても強まることはありません。妻の姓をAとしましょう、夫の姓をBとしましょう。夫(B)が先に死にました。妻(A)は、自分が死んだら当然夫のお墓に入ろうと思っていました。ところが夫の親族が反対しました。夫婦別姓を選んだのだからB家の先祖のお墓に姓の違う人は入れられませんと断られました。妻は自分のA家のお墓に入ることに決めました。子供たちは、お墓参りのとき、二箇所のお墓に行かなければなりません。両親のお墓がお互い近ければ問題ありませんが、遠ければ一日では無理です。結局母の姓を名乗った子供は、母親の墓参り、父親の姓を名乗った子供は父親の墓参り、これでは家族の絆は弱まるばかりです。そう思いませんか。少なくとも夫婦同姓には、家族の姓を決め、家族の絆を強める目的があります。夫婦別姓の目的はなんですか。何もありません。ただ自分の姓を主張したいだけの話でしょう。彼らの主張はナンセンスです。夫婦別姓を主張する人たちが、あまり表沙汰にしないで隠していることが二つあります。
(1)「選択的」夫婦別姓という呼び名
この「選択的」という言葉が曲者なのです。「選択的」と言うといかにも「同姓が否定されているわけではない」とか「夫婦別姓は選択肢の拡大に過ぎない」とか言って同姓派が反対する理由がないと吹聴していますが、これは恐るべき詭弁です。いいですか、夫婦は同姓ということは生まれてくる子供のことを考えて家族全員が同姓を使用すること、すなわち家族の姓、家族全体の姓なのです。夫婦同姓は、即ち家族を考えての性なのです。それに対して夫婦別姓は、家族のことを考えていません、あくまでも個人の姓で家族の姓ではないのです。従って親子で姓がちがうのは当然です。従って私のような夫婦同姓派は、家族としての姓に意味合いがなくなってしまうから、いくら選択的と言っても夫婦別姓など賛成できないのです。

(2)婚外子に相続権を認める
最初に触れましたように民主党政権は、選択的夫婦別姓を柱とする民法改正案を国会に提出しようとしていますが、あくまでも夫婦別姓は民法改正の中の一つなのです。その民放改正の中で選択的夫婦別姓と同じように女性にとって非常に関心がある事が改正案の中に入っていることです。現在の法律では、夫が妻以外の女性との間で生んだ子供(婚外子)には、夫の死後の財産相続権はありません。それを改正して婚外子にも実子と同等の相続権を与えようというのです。皆さんは、この改正に賛成しますか。夫婦二人で一生懸命働いて、それなりの財産を築き、夫の死後、夫に隠し子がいたことがわかりました。その隠し子が実子と同じ相続権を持つのですよ。「生まれた子供には罪はないから」しょうがいなわ、と言って同意できますか。こんなことが許されたら金持ちの夫は、若い女性にもてるようになります。子供を生んだらこっちのものだと。
選択的夫婦別姓を主張している人たちは、この民放改正にも賛成しているのです。ここでも彼らは、ある意味家族の崩壊を狙っているとも言えます。千葉景子は法務大臣の時、こう言っています。「結婚届けを出していようが、いまいが、女性がいて男性がいて、そこに子供がいれば、子供は本来同じ権利を保障されるべきです。それが婚外子差別の問題につながるわけです」(明日への選択 3月号)千葉景子は、結婚届など完全に無視し、彼女の頭の中には家族という認識が一切ないのです。夫婦別姓推進者は家族という共同体を一切認識しようとしないのだ。だから婚外子も家族の一員にしろと主張しているようなものです。そのうちに婚外子も同じ家に住む権利があると言い出すでしょう。

夫婦別姓の問題は、最近話題になったのではありません。数年前からありました。数年前のある日、私は、女房に「お前は、夫婦別姓についてどう思う」と問いかけました。その時彼女は、「私はあなたの姓が名乗れるのがうれしかったけど」となんのてらいもなく答えたものです。私の女房はもう年で昔の可愛げのある容姿は衰えましたが、年に似合わずこういう可愛げのあるセリフがよく出たものだと感動したのを思い出します。千葉景子や福島瑞穂に聞かせたい言葉じゃないですか。そこで皆さんに質問があります。こういう言葉を吐く女性を、皆さんはどう思われますか。こんな古臭いセリフを吐く女性がまだいるのかと軽蔑しますか、軽蔑とまでいかなくてもちょっと古すぎると考えますか、あなたがたが結婚する時、彼氏の名前を名乗れるのがうれしいと、そこまで考えることはないと思いますか。実は現代の若い女性も、私の女房のような考えもつことを知って、私はまだ日本の将来はすてたものではないと少し安心しています。実は、厚労省が平成18年度に婚姻に関する統計を発表しています。その世論調査によると姓が変わったことで「新たな人生が始まるような喜びを感じると思う」が(47.1%)最も高く、次に「相手と一体となったような喜びを感じると思う」が30.2%と続いています。「いままでの自分が失われてしまったような感じを持つと思う」がわずか9.9%に過ぎません。私に言わせれば皆さん方は、姓についてはまだまだ健全な考えかたをしていると安心しています。結婚し姓を決める時は、単に夫婦がどちらの姓に統一するのかを決めるのではなく家族の姓を決めるのだということを強く認識してもらいたいと思います。家族皆同じ屋根の下に住みながら、夫婦で姓が違い、親子で姓が違い、子供どうしで姓が違っては家族の絆が強まるどころかバラバラになる傾向になっていくことはさけられないでしょう。民主党政権は、擬似共産党政権です。彼らは、堂々と公表することなく隠れてあるいは表現をぼかして、日本の歴史、伝統を破壊しようとする革命政権と言っていい。本当に要注意の危険な政権です。

現在は家族の絆の強調されている時期なので、選択的夫婦別姓制度を含む民法改正法案が、国会に提出される可能性が低くなりました。しかし夫婦別姓制度、外国人参政権、人権擁護法案は、法務省がなんとしても成し遂げたい三大法案ですので、いずれまた、家族の絆の熱が冷めたころ夫婦別姓制度がまた頭をもたげてくる可能性がでてきます。要注意事項です。

次回の「若い女性たちに告ぐ」(その3)は、2週間後の4月21日(土)に発表します。話題は、「保育園育ち」です。是非次回も読んでいただけたらと思っています。










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