Archive for 10月, 2012

朝日と植村隆記者よ、反論したらどうですか。



        このブログ記事の転載、拡散をお願いいたします。
平成24年10月13日(土)、産経新聞の一面の小さなコラム、「産経抄」の一部にこういう記事がありました。
引用開始
(前半略)そのうえで朝日新聞にもぜひ、調査してもらいたいことがある。元NHK職員の池田信夫氏が書いたブログだ。彼は「慰安婦問題は朝日新聞が捏造したもの」として、約20年前の記事と記者の実名をあげて断定、話題になっている。しかも元慰安婦が日本政府を相手取って起こした訴訟の原告団長が記者の義母だという。朝日などが熱心に慰安婦問題を報じたおかげで、韓国世論は沸騰、いま日韓関係は最悪だ。その大本が捏造ならば由々しき事態だ。そうでないなら池田氏を名誉毀損で訴えるべきだが、朝日の広報部は「個々のブログの内容についてお答えすることは差し控えます」と答えるだけ。15日からは新聞週間だ。同じ新聞人として売られたケンカはぜひ買ってほしい。
引用終了

さらに先月末の月刊誌「Will」、11月号の220頁に時事評論家、本郷美則氏が『「従軍慰安婦」を捏造した朝日植村隆記者への公開質問状』という論文が載っていました。朝日の植村隆記者の記事に関心を持つのは、実は私は6年前の平成18年10月に「従軍慰安婦」事件関係の本を出版しているからです。本のタイトルは、「原爆正当化のアメリカと『従軍慰安婦』謝罪の日本」(展転社)です。

日本人による従軍慰安婦「謝罪」事件とアメリカ人による原爆正当化の「居直り」正当化は、時代も違えば、背景も違います。一見両者には共通点がないように見えます。しかし史実無視という意味では両者は共通しています。「従軍慰安婦」事件は史実無視の謝罪であり、原爆投下正当化論は、史実無視の居直りです。さらに国の名誉とか誇りについて考えてみる時、両者は非常に関係があるのです。
「従軍慰安婦」事件では、「史実になかったこと」を対外的には「史実にあったことにして」日本政府自ら、祖国の名誉と誇りを平然と傷つけた。それに対して日本国民から厳しく非難されることもなかった。ところが、原爆投下正当化論は、祖国の名誉と誇りを守るためにあらゆる史実を無視して原爆投下を正当化しています。アメリカ政府の徹底した史実無視に対してアメリカ国民から厳しく非難されることもないのです。

アメリカ政府は自国の面目を保つために、原爆を日本に投下したおかげで、百万人のアメリカ兵の命を救ったと、でたらめなうその公式見解を戦後50年間発表し続けた。その50年間にこのアメリカの公式見解に堂々と挑戦するアメリカ人はいなかった。ところが原爆投下50年を目前にして一人のアメリカ人がこの公式見解に挑戦した。アメリカ国内に数ある博物館で随一の人気を誇るアメリカ国立航空博物館の新任館長が挑戦したのです。

彼は、1995年(平成7)が原爆投下後50年になるので、それを記念して「原爆展」を開く計画をたてた。日本からも多くの原爆資料が貸与された。ところがこの新史料に基づく原爆展にはアメリカ国内で反対の声が強くなってきた。真っ先に批判の対象の対象になったのが、「原爆展」の分厚いパンフレットの冒頭の文章でした。文章はこう書いてありました。
「この戦争(太平洋戦争)は、ほとんどのアメリカ人にとってドイツ、イタリアの戦争と基本的に違っていた。それは真珠湾攻撃に対する復讐の戦争であった。ほとんどの日本人にとって、それは西欧帝国主義から自らのユニークな文化を守るための戦いであった」
私に言わせれば、この冒頭の文章には全く同感です。ところが、アメリカ国民は、日本が悪で自分達が正義という信念にこりかたまっているので、この文章があまりにも日本よりだと博物館に強い批判を浴びせた。最終的にはこの文章は削除されたのですが、削除後もアメリカのメディアは執拗にこの文章を利用して博物館を批判し続けた。

反対勢力と決定的な対立状態が生まれたのは、原爆投下が100万人のアメリカ兵の命を救ったというアメリカ政府公式見解の博物館側の否定でした。新任館長には、弱みがあった。航空博物館が国立ゆえに予算は、政府の手ににぎられているのだ。結局、これまで強力に「原爆展」に反対してきたアメリカ退役軍人協会と航空博物館側との共同作業で「原爆展」の準備がすすめられることになった。共同準備作業はアメリカ退役軍人協会の主導のもとで行われたようなものです。展示物の説明文などで博物館学芸員と退役軍人との間にニュアンスの違いが出てくるのだ。学芸員の中には不満が出て、博物館を去っていく者もいたし、自発的に準備を助けてくれていた歴史家も去っていったりしていった。

新任館長はじくじくたる思いがあったと思います。「原爆展」の準備もほとんど終わり開始直前、一寸の虫にも五分の魂とばかりに彼は辞職覚悟で反撃に出た。その反撃も原爆投下を肯定する人たちにとって一番痛いところをついてきた。新任館長は、退役軍人教会に「博物館としては、日本本土上陸作戦が敢行された場合。見込まれる死傷者の数は、6万三千名以下であると訂正するつもりである」という声明を発表した。この数字の出所は、1945年6月18日のウィリアム・リーヒー米大統領幕僚長の日記の中で「午後3時半から5時にかけ、大統領は統合参謀本部、陸軍長官、海軍長官、マックロイ陸軍次官とともに日本上陸の必要性について協議した」と書いており、「ジョウージ・マーシャル陸軍参謀長の見積もりによれば、作戦に必要と見積もられる戦闘部隊19万人のうち死傷者は6万3千名、そのうち死者は1万2千名から1万6千名」と書いてあるのです。

新任館長のこの発言には、関係者に激震がはしった。「原爆投下が百万人以上のアメリカ兵の命を救った」と信じて疑わない退役軍人にとって、死傷者6万3千名、死者にいたっては1万2千名から1万6千名という数字は絶対に受け入れられない数字でした。新任館長には、色々な方面から圧力がかけられた。しかし彼は、頑としてこの発言をとりさげようとはしなかった。結局アメリカ政府は、「原爆展」の開催を中止し、新任館長は退任していった。アメリカ政界、メデイァ、退役軍人協会、また国民も、即ちアメリカ全体がアメリカという国家の名誉を保つために、すなわち国家としても面目を保つために歴史の新史実をあえて見ないことにしたのです。私はアメリカ政府のやりかたはきたないと思います。しかしアメリカとして国家の面目を保つためには、新事実を見ないふりをするのもやむをえなかったのかも知れないという気にもなります。

新任館長の男の生き様もすばらしい。彼は国立博物館館長だから国家公務員です。国家公務員なら政府の圧力に弱いはずです。日本国内で国家公務員が政府の意向に反するようなこと貫き通すことができるでしょうか。新任館長は、いったんは政府や在郷軍人協会と妥協したかに見えた、しかし最後は新史実が無視されるくらいならと原爆展中止に追い込み、辞任していった。まさに彼のプライドが許さなかったのでしょう。

ひるがえってこの「従軍慰安婦」事件の結末は、まさに日本外交史上最悪のおそまつさです。なぜこういうことが起こり得るのか。戦後の国民全体が国家意識のつめの垢ほどもないからです。だから日本軍が女性を強制連行し従軍慰安婦にしたてたなどうそを書いた人が現れ、朝日新聞は、何ひとつ検証することなくその人物の主張を鵜呑みにし、まるで彼を英雄のように扱った。最終的には日本政府は、強制連行を示す証拠などなにもないのに、従軍慰安婦と称するだけでお見舞いの手紙と見舞金を払うというナンセンスこのうえない解決の仕方をしたのです。政治家に国の誇りとか国の面目などというものが一切ないのです。そしてこの「従軍慰安婦」事件の主役は朝日新聞なのです。

元NHK職員の池田信夫氏も評論家の本郷美則氏も朝日植村記者の捏造と言っていますが、私は、自分の本では「捏造」という言葉は使っていません。「植村よ嘘を書くな」と書いています。参考のために私の本の108頁全文を披露しましょう。
引用開始
「この記事を書いたのは植村隆記者です。植村よ嘘を書くな。訴状で金学順さんは、女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられたなどと一言も言っていません。家が貧しくて14歳の時母親にキーセンに売られたことをなぜ書かない。植村の記事には、17歳の時、だまされて慰安婦にされたと書いてあります。金さんの訴状を読めば、金さんの養父が、金さんを慰安婦にしようと平壌からわざわざ中国に駐屯している日本軍部隊のところまで「そこへ行けば金儲けできる」と言って連れて行っているのです。金さんは養父にだまされて慰安婦にされてしまったのです。戦前戦中の日本のことなら、平然と嘘を書き、事実を隠し、歪曲し、特ダネ扱いして大報道し、国民にいかに日本が悪い国であったかを徹底して教え込むのが朝日のねらいなのです。植村ばかりをせめるわけにきません。それが朝日の報道姿勢なのです。ついでにこのこともつけくわえておきましょう。植村記者の妻は、「従軍慰安婦」訴訟の原告組織である「太平洋戦争犠牲者遺族会」のリーダー的存在である梁順任常任理事の娘です。
朝日も植村もこの私の意見に反論できるのなら、反論してみろというのです。」
引用終了

産経抄によれば元NHK職員の池田氏の名誉毀損について朝日の広報部は「個々のブログの内容についてお答えすることは差し控えます」と答えるだけと書いています。朝日の広報部よ、ブログだけではありませんよ、評論家の本郷美則氏は、月刊誌「WiLL」11月号に、また私が6年前に出版した本にも朝日の記事のいいかげんさを批判していますよ。反論してみたらどうですか。

最近は前国家公安委員長、松原仁氏など政治家から河野談話の見直しを求める声が出ています。安倍元総理も新生自民党として河野談話に代わる新たな談話を閣議決定すべきだと主張しています。この傾向に朝日は非常に敏感になっています。例えば、9月7日の朝日新聞の社説には、まだ安倍氏が総裁選に勝利する前の段階で早々と安倍氏の河野談話の見直しに批判しているのだ。河野談話の見直しになると、従軍慰安婦事件で主役を演じた朝日新聞の当時の記事はどうだったかと改めて注目されることになります。朝日はそれが恐いのです。拙著を読んでいただければわかりますが、朝日の「従軍慰安婦」事件に関する記事は、実に悪質です。韓国で大騒ぎが起こるようにしようとあからさまな記事を書いてあおぐのです。まさに常軌を逸した記事と言っていい。

安倍氏が自民党総裁に就任して以来、朝日の安倍たたきがはげしいのも、次期首相最先端に位置する安倍氏が政権奪取後、河野談話の見直しをするかもしれない恐れを抱いているからではないでしょうか。最近、橋下氏が「週間朝日」の記事に激しく抗議しているのも、彼の人間としての誇りや尊厳を厳しく傷つけられているからでしょう。「従軍慰安婦」事件も日本という国の誇り、尊厳を激しく傷つけています。国民に国家意識がないからたいした抗議も起こらずにすんできたが、国家観に目覚めたら、とても日本国民は黙っていられません。その時、朝日新聞は、凋落していくでしょう。戦前戦中の日本を徹底的に悪いに国に仕立て上げたのが朝日新聞です。その仕返しをたっぷりしてやろうじゃないですか。


本日のブログ記事をもって「えんだんじのブログ」は、満4年たちました。その間に書いた記事数は、148話。来月から私のブログも5年目に入ります。ここまで続けてこられたのも皆様のお陰です。ありがとうございました。来月からもあいかわらずのご支援のほどお願い申し上げます。







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期待がしぼんでいく、橋下徹氏



私は橋下徹氏に期待し、その動向を見守ってきた。私は、石原慎太郎氏や橋下徹氏のような人物が好きなのです。石原氏や橋下氏には似ている点があることは皆さん同意するでしょう。それでは二人の共通点は何かと聞くと、皆さんは何おあげますか。私は、あの二人には人生の生き方に共通点があると思っています。人生の生き方の共通点とは何か。それは二人とも自分の信念をむき出しにして人生を生きてゆくこと、このような生き方は、他人とのあつれきが生まれやすい、しかしそれは承知のうで自分の信念をむきだしにしてひたむきに生きてゆくタイプです。実は私もこのタイプの人間です。自分の若い時は、私は、「あいつは、くせがる」とか「あいつは、あくが強い」とか「あいつは、個性が強い」とかいろいろ言われたものです。しかし私の場合は、極貧育ちで無学の上に馬の骨。こういう人間には、自分の信念をむき出しにしたタイプがけっこういます。その中でも抜きん出たのが人間ブルドーザーとかコンピューターつきブルドーザーとか言われた田中角栄でしょう。しかし橋下氏や石原氏はエリートです。エリートにはどちらかと言えば、おっとり構えた人が多いのにこの二人は特別です。

私に言わせると日本人には、この信念むき出しタイプの人間が少なすぎるのです。圧倒的に多いのが空気読みタイプです。空気の流れを読み、その流れに自分を合わせるタイプです。だから付和雷同が日本人の特徴なっているのがわかります。日本人の付和雷同は海外でも有名で、日本人をジョークのネタにするとき、この付和雷同性がよく使われます。戦後自虐史観が流行って今でも続いているのもそのせいでしょう。私の体験のよれば、信念むき出しタイプは、ほとんど間違いなく保守派です。不思議です。何故か?
私の考えによれば、信念むき出しタイプは、ある特定の思想、あるいは流行の思想より、あるいは時流などより自分の信念、あるいは自分の考えをまず優先するからです。石原氏も橋下氏も、自ら石原教や橋下教の教組になっているも同然なのだ。それで突っ走るほかありません。日本の左翼には、信念丸出しタイプはいません。ほとんど空気読みタイプです。特定の思想、流行の思想、時流に自分の身を寄せていくだけ、それをあたかも自分の信念のように思い込んでいるだけです。ひどいのになると祖国を足げにして特定の国に擦り寄っていくのだ。信念などないに等しい。

信念むき出しタイプは、外国人との交渉に強い。橋下、石原の両氏を見ていてそう思いませんか。石原氏など尖閣諸島を東京都が買うなどとわざわざアメリカで発表するのだ。日本の政治家がそんなことできるのは石原氏だけでしょう。いくら英語の使い手でも空気読みのタイプは、外国人との論争では使い物になりません。

信念丸出しタイプの欠陥は、誇り高いせいもあるのでしょうが傲慢になることです。二人をみればわかるでしょう。彼ら二人は傲慢です。私も傲慢だった。とくに若い時は、傲慢のためもあってけんか早かった。白人は誇りが高いせいか傲慢な人間が多い。日本人に圧倒的に多い空気読みは、戦前は誇り高いのが時勢であったが、戦後は誇り低いのが時勢になったために誇りが高くない、そのため卑屈さがやたら目に付く。戦争に負けた祖国や軍人をこれでもか、これでもかといたぶるのは卑屈以外のなにものでもありません。傲慢と卑屈、どちらかを選べと言ったら私は傲慢を選びます。卑屈は最低です。

橋下徹氏、現在43歳。それでいて子供が7人いる。子供が7人いるというだけで私は彼をたいした男だと思ってしまいます。私も子供三人育てました。一歳、三歳、五歳とゼロ歳から五歳までの間に三人もいるのだ。年齢差がつまっているので三人目が生まれた時は、一挙に二人増えたような感覚でした。私たち夫婦には母親がいたが、ある事情で夫婦の子育てに手を貸すことができなかった。事実上夫婦二人だけで、三人の子供を育てるのは、時間的にも経済的にも大変です。ところが橋下氏は43歳で7人も子供がいるのだ。いくら母親が手助けしてくれても大変です。それだけでも凄い男だと思っているのです。しかし最大の賛辞は、橋下夫人にささげねばならないでしょう。その橋下氏への私の期待は、最近ではどんどんしぼんでいきます。

竹島は日本の負け、だから韓国と共同管理にしたらどうかとか、靖国神社に参拝すると言っていたのが、最近では、支那、朝鮮に迷惑かけたから参拝には時期を見なければならないとか、「従軍慰安婦」事件はなかったことは確かだが、それでも「従軍慰安婦」だったと主張する慰安婦に直接会うつもりとか、その他外国人参政権の問題では、支那人に参政権を与えるつもりはないが、在日朝鮮人には与えたいと言う等、我々保守の間で物議をかもす発言が続いています。これは橋下氏に確固とした歴史観がないことであり、また彼自身が保守一点ばりでは、日本維新の会が票をとれないのではないかと疑心暗鬼にかられているからでしょう。

これらの問題発言より、私が橋下氏に失望したのは、王道を歩むつもりがないことがはっきりしたことです。橋下氏にとって王道とは、何か。大阪市長を四年間勤め市政を立派に改革して見せ、その後に立候補することです。彼の大阪府政の改革は、すばらしかった。5年前橋下氏が府知事に就任すると、すでにできあがっていた府の予算案をただちに半年の暫定予算に切り替え、その間に天下り法人を28も潰して半減し、職員給与を4~16%カット、退職金も5%カットした。職員組合との折衝は壮絶な闘争だった。一方で離婚率、学力テストなどの分野で大阪府がワースト5に入るのは、教育が悪いからだと談じた。教育基本条例を制定し、3回戒告を受けたものは分限免職になるという棍棒を容易した。(「WiLL」11月号)

これだけの業績をひっさげて大阪市長選に立候補したのだから当選して当たり前です。大阪市政も大阪府政なみに改革することは問題ないでしょう。そうすれば橋下氏の全国的な人気は確かなものになります。大阪市長を無事勤めて政界に打って出るには、五年かかります。今度の総選挙は一年足らずに来ます。新政権が四年続いたとしても五年後の総選挙になります。現在43歳の橋下氏は、48歳で政界進出になります。決して遅くはなく若いくらいです。この五年の間に大阪市の市政を切り盛りし、日本維新の会の党員を増やし、子分の政治家たちの人材開発を進め、彼らを引き連れての堂々と政界に進出です。国民から大歓迎を受けるでしょう。

これが私が彼に進める王道でした。だから私は、橋下徹よ、急ぐな、「急がばまわれ」だぞとブログに書こうとしていたら、今度の総選挙で沢山の候補者を立候補させることにし、「日本維新の会」の党首の橋本氏も幹事長の松井氏も立候補しないというのだ。これではまずい。日本維新の会の当選者がいないとか、当選しても一人と二人ならばそれでよいかもしれない。しかし数十人の当選者が出たらどうするのだ。大阪市長であり党首である橋下氏が当選者を管理することになる。これではまずい。これではヤクザの山口組と同じだ。山口組は関東地方、東京地方を制覇しようと自分の子分や、傘下の組を東京に派遣して、自分は大阪の本拠にいた。やくざ稼業だからこんな芸ができた。国政ではそんなことはできません。国会議員がいくら党首とはいえ大阪市長の采配を受けるというのは、世間が許しません。信念むき出しタイプは、世間がどうのこうのとかまわず突っ走るが、選挙で世間の悪評を突っ走るわけにはいきません。たかだか一市長が、国会議員たちを管理するというのは傲慢です。私が前に言ったように信念むき出しタイプは、傲慢になると書きましたが。この傲慢さは非常にまずい。

そこでとるのは次善の策です。私は最初は王道を歩むべきだったと言った。しかしもうもどることはできません。そして次善の策とは、大阪市政を放棄して立候補することです。立候補しない場合を考えると、日本維新の会の人気にかげりが出る、もう大分支持率が下がっているという。彼が選挙に出ないと、立候補者の士気が下がる。これは避けられません。しかし立候補すれば、日本維新の会が注目を集め人気が燃え上がる可能性もある。また立候補者にも精神的に元気が出て士気が大いにもりあがる。ここはもう彼が立候補しないと「日本維新の会」はジリ貧になるのではないかと私は懸念しています。

現在、橋下氏も大分批判されています。官僚、組合からの反発は生半可なものではありません。いくら橋下氏の期待度がさがっても、私は彼を応援してあげたい。無論彼のかかげる政策にもよりますが、根底では応援してあげたい気持ちが強い。しかし私が世間に主張したいのは、彼の批判もいいけど今の段階で彼の芽をつぶしてしまうのは、もったいない。私に言わせれば、橋下氏のように個性が強く、政治的にも振舞える人間がもっと、もっと沢山出てほしいということです。政界を見れば多くが、二世、三世ばかり。日本社会は金太郎あめのような人間が多すぎます。しかもほとんどが空気読みです。これだから日本人は、自分の国を自らの手で改革しにくくしているのです。日本全体が下り坂を転げ落ちるような状態の時には、橋下氏一人では物足りません。異能,異才をはなち、いい意味での一癖も二癖もありそうな個性の強い人間がぞくぞくとあらわれて停滞している日本社会を引っかきまわしてもらいたいと思っています。




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