Archive for 2月, 2013

男の最高の美徳とは何か?



男の最高の美徳とは、何か?と問われたら若い男子は、答えることができるでしょうか。現在70歳前後以上の男性なら、いくつか答えることができるでしょう。現在50歳以下の男の人では答えられないのではないでしょうか。なぜ私がそう思うか、若い男の人には理解できますか。現在70歳前後以上の男の人たちは、子供の時から、男の子がメソメソいつまで泣いていると、「男のくせに、いつまで泣いているのか」とか、あるいは辛いことに愚痴を言うと、「男のくせに、そのくらいのことが、我慢できないのか」とか親に叱られます。要するに日常生活の中で「男のくせに」という言葉が日常茶飯事聞かされるわけです。男の子の子供心に「男」、「男たるもの」という自己意識が生まれてくるのです。日教組が誕生したのは、1947年です。終戦後2年目のことです。終戦時は、私は小学校一年ですから覚えていますが、終戦後10年間、私が中学校卒業ぐらいまでは、教育はまだ戦前の教育風土が完全に残っていました。特に先生の威厳というものは、生徒と父兄、そして世間一般の間では大変高いものがありました。私が在学していた戦後直後の横須賀の小学校など、ある日突然にタバコ所持、喫煙検査があったくらい教育環境は最悪、それでも学級崩壊することなかったのは、学校の先生皆威厳があって、恐いくらいだったからです。日教組の組織力が強くなるに連れて彼らが意識して、男女の性差をなくしたことです。男女同権、男女平等、当たり前のこととし、これは正しいことなのですが、さらに徹底して性差を感じさせない教育に邁進したことです。現在では、小中学校の新校舎では、トイレに男女の識別などありません。トイレに入るまで男子トイレだか女史トイレだかわからないのです。運動時間では、男女の更衣室は同じ、修学旅行では、旅館の寝室は男女同部屋。各教室には教壇がありません。先生が教壇の上に立って上から生徒を見下ろして教えている感じがよくないというのです。
もうここ50年くらい小中学校では、性差を意識させず、先生の威厳をさげることばかり懸命に追っているのです。

現在ではもう家庭でも小、中学校でも、男のくせにいつまでもメソメソするな、とか男がそんなつまらんことでクヨクヨしてどうするのか、などとことさら「男のくせに」という言葉も使われることもなく、ことさら「男」というものを意識させられることもなく成長していくのだ。だから最近では大人の男が人前で平気で涙を流すのです。私みたいに70歳すぎて年齢による涙もろさならともかく、10代、20代の男の子がスポーツに負けて平気で涙を流すのです。私などテレビでそういう画面を出くわすと男の女々しさに本当に腹がたってくるのです。(私のブログ記事:「男の涙の落ちぶれぶり」2012/8/18)

12,3年前、私の息子が結婚式を挙げた。その時息子の父親としてのスピーチがあった。その時、私は花嫁に向けてこう語った。
「この後、息子が出世して非常に裕福な暮らしができるかどうか不明です。しかし子供もでき家族をかかえてどんな貧乏になっても、家族を捨てて自分だけ自殺するような男では、絶対にないからそれだけは安心してください」と言いました。少し笑いがでましたが、私は本気で言ったのです。私には、息子の他に二人の娘がいますが、三人とも絶対にいじめに負けないように育てました。学力よりいじめにあうかあわないかを優先したような気さえします。現在では家庭で父親が、男たる者はどうあるべきかなどと男の子に教えないと、学校では教えてくれません。男女に性差があるのに、なにもないかのように教えるからです。

ところで現在70歳以上の男の人は、男の最高の美徳とは、なんだとお考えですか。いくつか答えは、違ってくるとは、思いますが、そんなに沢山の答えは出ないのではないでしょうか。これは私の意見ですが,「男の最高の美徳は、男の自己犠牲心」ではないでしょうか。現在70歳以上の男なら、私のこの意見に賛成する人もいるでしょう。50歳以下、それも特に若い20,30代の若い男の人には、男の自己犠牲心などわからないのが多いいのではないでしょうか。男の自己犠牲心を説明しやすい映画の名前を挙げましょう。映画「タイタニック」です。あの豪華客船が北海の海に沈没していきます。その惨劇の真っ最中に恋人を助けようと必死になって奮闘する俳優、ディカプリオは、まさに男の最高の美徳、自己犠牲心の象徴でしょう。あらゆる困難を乗り越えて彼女をやっとボートに乗せ、これで彼女は数人の生存者の仲間になれると知った彼は、ついに力尽きて、それも静かな海の波間にのみこまれて行ってしまうのです。それに引き換え、現在若い日本の若者は、妻子を残して、あるいは両親を残して、若いのにさっさと自殺していくのです。そして自殺者は同情されるが、批判、非難されることもないのです。

子供に自殺された親のインタビューをテレビで何回か見たことありますが、母親あるいは父親が、「私の子供教育が間違っていました」とはっきり答える親に出くわしたことがありません。そういう親は、テレビでうつされないのかもしれません。皆ほとんど学校のせい、社会のせい、国のせいなど誰かの責任にしてしまうのです。大阪市桜宮高校のバレーボール部の主将は体罰を理由に自殺した。昔から体罰のやり過ぎが問題になったことは数ほどある。ところが今回の体罰による自殺の取り扱い方は、あまりにも異常です。マスコミ、教育委員会があまりにも過剰に反応しているのではないでしょうか。現在のマスコミ、教育委員会は左翼です。選挙で自民大勝、民主党惨敗で意気消沈していた彼らは、この体罰自殺に飛びついたのです。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言うが、左翼は戦前日本を特に憎んでいるから戦前日本の臭いや煙まで憎いのです。体罰は戦前の臭いがするのです。選挙で大敗してがっくりしていた時に体罰問題が起きたから、即とびついて過大なニュースに仕立て上げたのです。NHKなど体罰を過剰なまでにとりあげ、体罰反対者だけの意見をとりあげるだけです。自殺で死んだ主将は、主将更迭、二軍落ち、推薦進学もダメ、それでも健康で働ける体をもちながら、自殺しなければいけない状態でしょうか。要するに現在の若者は精神的に弱すぎるのです。皆さん、マスコミの過剰報道に気をつけてください。全国の市町村にある教育委員会。この教育委員会は左翼です。私が会員している「新しい歴史教科書をつくる会」の敵です。教育委員会は、ほとんどが日教組の会員や日教組関連の人たちで構成されていて、「つくる会」の歴史教科書や公民教科書が採用されないのは、教育委員会が大反対しているからなのです。簡単に言えば教育委員会は、左翼の集まりなのです。

アメリカ映画、「タイタニック」の数年後にアメリカ人監督、クリント・イーストウッドが硫黄島の映画の監督をした。硫黄島の日本兵は、アメリカ軍が上陸する前からアメリカ軍に勝てない事を知っていたし、日本軍にはどこからも援軍が来ないことを知っていた。負けることは最初からわかっていたのだ。しかし硫黄島がアメリカ軍の手にはいるとアメリカ軍の日本本土に対する空爆が容易になってしまうのだ。そこで日本軍は、徹底抗戦してアメリカ軍との戦いをできるだけ延ばし、それによって日本本土がアメリカ軍の空爆に耐えれるように、あるいは日本国民が空爆から逃れることができるように、最後の一兵まで抵抗つづけようと必死に戦ったのです。これぞ男の最高の美徳、自己犠牲心です。自己犠牲心は、おのれ自ら進んでひどい体罰を受けるようなものです。

2001年9月11日は、ご存知アメリカ同時多発テロ事件の日です。航空機を使った世界最大のテロ事件です。この時アメリカ国内の若者たちが沢山アメリカ軍隊に入隊志願をしているのです。アメリカが危機に陥るなら、自分の命を投げ出してもアメリカを守ろうとする自己犠牲心を発揮しようとする若者が沢山出たということです。アメリカにはいざアメリカが危機に陥れば国を救うために自己犠牲心を発揮して国を、守ろう、救おうとする若いアメリカ人が沢山いる証明です。
現在、尖閣諸島をめぐって日本シナ間で戦争が起こるとも言われています。毎日シナ船が日本の尖閣領海を出たり入ったりしているのです。いつ日シ間で衝突が起きてもおかしくないと言われています。尖閣領海で日本・シナ間で激しい武力衝突が起きた時、日本の多くの若者が自衛隊に志願するでしょうか。日教組に教えられた若者が自衛隊に志願するわけがない。北朝鮮の拉致家族問題など軍隊で救出作戦しなければ絶対解決できないものを拉致家族の話だけ聞いてもどうにもなりません。そして誰も軍隊で救出作戦ができるようにするにはどうしたら良いか提案する人もいません。横田夫妻初め拉致家族の顔を見ると、私は可哀そう過ぎてまともに見ることができません。現在の日本の若い男には、自己犠牲心など出るわけはないのです。国の為に戦おうともしない人間が、国の福祉だけは人並みに要求するのです。

いいですか若い皆さん、国は最大の福祉なのです。民主主義国家で独立国で経済的に強固な国でないと国民に充分な福祉が提供できないのです。他国に占領されて現在のような福祉が得られると思っているのですか、日本の国は自分で守らなきゃならないのです。ところが、日本が滅びてもいいという日本人がいるのです。我が女房が軽蔑しきっている男です。誰か。東大経済学部を出ている経済学者。自称経済アナリストの森永卓郎です。森永はこう言っているのです。
「仮に日本が中国に侵略されて、国がなくなっても、後世の教科書に『昔日本という心の美しい民族が居ました』と書かれればそれでいいじゃないか」と発言しているのです。東大経済学部を出て経済のことは語れても常識を語れない、かたわな人間というほかない、まさにバカ男です。こんな男が世間ではえらそうな講釈をしているのです。

私は、このブログで「男の最高の美徳とは何か」と書くつもりでいたのですが、つい興奮して少し横道にそれてしまいました。日本人男子の情けなさに目をおおうばかりです。40歳前後になっても嫁をもらうことすらできない男がわんさといるのです。経済的に結婚できないからだと言うが、それよりも俗にいう、女性を口説くとか女性をものにするとかという能力に問題があるのではないか疑っています。離婚してもよいから一度結婚してみろと言いたい。どうも現在の若者には、社会を生き抜いていくバイタリティーに欠けるような気がするのは、私だけでしょうか。日本全国から体罰をなくすことが現在の教育の目標ではありません。現在の教育の目的は、いかにして精神的にタフな子を育てるか、男ならいざという時に自己犠牲心を発揮できる子に育てあげることではないでしょうか。






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体罰は暴力ではありません。



大阪市立桜宮高校2年のバスケットボール部主将が同部の顧問教諭から体罰を受け、その翌日(12月1日)自殺した事件について新聞、テレビなどいわゆるマスコミで大騒ぎでした。まるでマスコミは、今度の選挙で自民の大勝、民主の大敗にがっくりきて、そのうさはらしに体罰いじめが始まったような感じがしないでもない。現職の橋下市長も最初は、「体罰は愛情だ」などと公言していたのが、巨人の元投手、桑田の体罰拒否発言に動かされたふりをしたのでしょう、俄然と体罰自殺に関する体罰を批判しはじめた。市教委は、ただちにバスケとバレー両部の無期限活動停止を決めた。橋下市長は、1月15日には2月13,14日は、入学願書受付の日なのだが、体育科80人とスポーツ健康科学科40人の入試の中止を市教委に要請した。市教委は1月21日に入試を中止するかどうか決定するのですが、橋下市長は、入試が中止されなければ、市長の権限である教育予算の執行停止などの対抗手段をとる考えを示しているのだ。一方下村文部科学大臣は、文科省は、大阪市教委に入試中止の命令を下す権限はないが、来月にも入学願書を受け付ける段階で入学中止とは、おかしいのではないかという判断をしめしています。

そして先月1月21日、大阪市教育委員会は、桜宮高校の体育系学科の募集定員120人(体育科80人、保健科学科40人)の募集を中止し、定員120人分を普通科として募集することに決めた。橋下市長の入試中止の要求を答えると同時に来月にも受験が始まるという直前の受験生のためにも体育系学科中止の分と同じ生徒数を普通科に増やす処置を取ったことになります。要するに市長側にも受験生側にも配慮を示した形で終わったのだ。はたしてこれが一番良い、懸命な解決策なのだろうか。

日本のマスコミがあまりにも偏向しているから、一概に結論を出すのもおかしいのですが、マスコミの報道どおりに解釈していたら、私に言わせたら日本人は、皆バカと言わざるを得なくなります。バスケットボール部の顧問教諭が主将に体罰を加えた。その主将がそのため自殺した。そのため体罰そのものや体罰を加えた顧問教諭だけに非難、批判が集中され、自殺した主将には批判、や非難は何も向けられない。これはちょっと異常な行動ではないでしょうか。バスケの顧問教諭は、昨日今日顧問教諭になったわけではない。15年間も顧問教諭をやっていたのだ。一昨年9月にバスケの体罰が発覚し保護者が校長に手紙を書いたが、改善せず、今度は保護者が市教委に体罰を訴えた。そのため顧問教諭は、停職3ヶ月の処分を受けた。その処分が解けた顧問教諭はバスケ部に復帰、去年11月に体罰を繰り返し、12月1日に主将が自殺した。

要するに主将は、バスケ部に入部する時から体罰があることは充分知っていたのだ。ところが自分が主将になった時から、主将のせいでしょう自分一人が体罰を受ける回数が増えたのだ。これが耐えがたかったのだ。なぜ自分だけ体罰を受けるのか。自殺前に書き残した手紙にはそう書いてあった。ここで私が、強調したいのは、なぜ自殺をしなければならないのかという精神的弱さが世間に強調されねばならないのに、まるで日本全体がその精神的弱さをあえて指摘してはならないような雰囲気になっていることです。

昨年は十数年ぶりに年間自殺者が3万人を切ったらしい。これまで12,3年、毎年自殺者が3万人以上だった。そのためテレビや新聞などマスコミで自殺者数の問題がとりあげられた。特に若者の自殺者の増加が深刻であった。あれこれと自殺対策を考えるのに夢中で、精神的に強い人間を育てあげるにはどうしたら良いかという観点で考えることが全くないと言っていい。それどころか、国は若者にもっと夢や希望を持てる社会をつくらなければだめだと言うのだ。ふざけるなと言いたい。一体世界のどこに多くの若者が夢や希望のもてる国に住んでいるとういうのだ。若者には、どんなきびしい生活状態でも少しでも上をめざして進むのが若者の道でしょう。ところがこの自殺したバスケの主将は、なにごとにつけ体罰を受けるのがいやなら、退部すればいいものを退部しようともしない。要するに若者特有の反抗心すらないのだ。この自殺した若者の精神的弱さに対する批判が一切なくこの事件が処理され、体罰だけが全面的に否定されたら、一体世の中の若者はどうなるのであろうか。

そして今度は日本女子柔道部15人に体罰を振るう監督への抗議の手紙です。大事件になり監督は辞任した。若い日本国民に知ってもらいたいのは、体罰のやりすぎは、暴力になってしまいがちになりますが、体罰は、原則として暴力ではないことです。私は子供三人を育てました。勿論、体罰を加えました。特に息子には、鍛える意味もあってたまに激しい体罰を加えたこともあります。しかし体罰をする人間にとって体罰が常習化しないことが肝心なのです。スポーツ指導者にとって体罰の常習化は、逆効果を生むだけなのです。体罰のどこまで許されるかの判断は、非常にむずかしいのが常識です。現在の若者が、私のような昔の人間より体罰に弱いことは確かです。だから体罰が昔より手加減がむずかしいことも確かです。

大阪市の外部監察チームが桜宮高校の全生徒約840人人にアンケート調査をした。その結果8パーセントにあたる約70人が体罰を受けたことがあると云っています。大半が運動部体育系二科(360人)の9パーセントで、普通科(480人)は約7パーセントが体罰を受けたと回答しています。体罰が日常化していることがわかりますが、体罰は暴力でないことがわかります。一つ、一つの体罰がすべて暴力であったら、体罰は長続きしません。暴力と思わないから多くの生徒がだまって受け入れるのです。従って体罰は、悪だからすべて中止すべきなどと主張すべきではありません。それより体罰を課す人たちに体罰の仕方を教えてあげるのが最良の策ではないでしょうか。

私は、自分のブログで何回か主張してきましたが、ここでも繰り返します。人生とは何かと問われれば、「人生とは戦いである」と答えます。人生とは戦いそのものなのです。健康な体を持った、若い青年が自殺するなど最低の人間のすることです。私の若い頃自分の息子が小学一、二年のころ、私が自分のマンションの窓から偶然見ていたのですが、年上の男の子となぐりあったり、くんずほぐれつとけんかしていた。最後は押さえつけられた息子が泣いた。そこで男の子はけんかをやめた。私はすぐに部屋を飛び出し、息子の所へゆき、息子の頬をおもいっきり殴った。「けんかに負けて泣くやつがどこにいるか!」「負けても泣くな!」とものすごい剣幕の大声でわめいた。私に言わせれば子供が自殺をするのは、親の教育が悪いのだ。現在の親は、どうしようもない不埒な子供がそのまま大人になっても勘当することもできないのだ。腑抜けな親には、腑抜けの子供が育つ。現在は頭の良い子より、精神的にタフな子供の方が将来性が高い。
今度の桜宮高校の体罰問題、体罰を下した学校の教諭が、七、八割悪く、自殺した生徒は二、三割悪いのだ。自殺者が何も批判、非難されないのは異常というほかはありません。

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