Archive for 5月, 2013

「つくる会」本、六月中頃発売



出版社は総和社にきめました。原稿ができあがってもタイトルをどうするかまだ決めていませんでした。色々考えたすえ、『安倍総理への報告書』を主題とし、副題として「新しい歴史教科書をつくる会」奮闘紀として総和社に提出した。二、三のタイトルが出されたがしっくりいかず、『安倍総理の報告書』で決まりかなと考えていました。ところが最終ゲラが出来上がりの頃、新しいタイトルが提案された。
主題が『保守知識人を断罪す。』、副題が「つくる会」苦闘の歴史』。編集室の佐藤氏によると、私の原稿を読むと「保守知識人を断罪す。」がそのものずばりのような気がするし、それに「新しい歴史教科書をつくる会」奮闘記では長すぎる。「奮闘記」には,組織や家族のドタバタ劇も奮闘記に入るのでイメイジがよくない。そこで「つくる会」死闘の歴史にした方が良いのではという提案があった。

「保守知識人を断罪す。」と「死闘の歴史」は、良いとしても「つくる会」だけでは、教科書関係の人は理解できても、一般の人には分からない場合が多いいので「新しい歴史教科書をつくる会」と書かなくてはだめではないかと主張した。すると佐藤氏は、それでは、本に著者名を書くところは、いきなり私の名前を書くのではなくて、その前に「新しい歴史教科書をつくる会」会員を入れた後に私の名前を入れればと言うのでなるほどと思い、副題の『「つくる会」死闘の歴史』は、これで決定した。

問題は、主題の「安倍総理への報告書」がなくなったことです。私は、政治家で「つくる会」に早くから誠実に支持してきてくれたのは、安倍総理が一介の政治家の時からであり、本書にはその安倍氏との対談もある。この本は教科書関係の人だけしか読まないかもしれません。教科書関係以外の人でも読んでもらうようにするには、安倍氏の名前を出し、「安倍総理への報告書」というタイトルは重要なのです。本のタイトルを見た人は、一瞬、「おやっと」思うのではないでしょうか。すると佐藤氏は、それでは本の帯に載せましょう、本の帯に「安倍総理への報告書!」のように載せるのです。私は本の帯に何を書くか考えていなかったので、本の帯に載せるのも宣伝になっていいかもしれないと考え了承した。こうして本の正式のタイトルが決まった。
『保守知識人を断罪す。― 「つくる会」死闘の歴史』 価格1,575円

本屋の店頭で売られるのが6月半ば頃です。私としては、本書の中で「つくる会」に一つの改革案を提案していますので、総会出席者が、総会日の6月30日までに読めるよう
少なくとも10日から2週間まえに販売されるよう要求しています。総会日には、その改革案で討論できたらと考えております。総会出席者の方々には、その点を留意していただけたらと思っております。
「つくる会」各支部長さん、この本屋さんに置いてくれたら「つくる会」の会員何人かが買ってくれるのではないかと、本屋さんの名前を教えていただけたらと言っています。編集部、佐藤氏(03-3235-9381)に連絡していただけませんでしょうか。
または、私あてのメールでもかまいません。仮に送っても一冊の注文にもならなかったとしてもかまいませんとのことでした。
「つくる会」本部の事務局にお願いがあります。総会日の当日、佐藤氏が会場で本を売りにきますので許可のほどお願いいたします。

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きゃりーぱみゅぱみゅ



私のブログ記事を読む世代の人たちで一体何ぐらいの人が、きゃりーぱみゅぱみゅという日本人女性を知っているのでしょうか。私が知ったのも今週です。仰天したので二週間ごとのブログ記事を急遽先週に引き続いて書いたわけです。彼女は歌手でファッションモデルです。私は見ていませんが、去年NHKの紅白に初出場し二曲歌っています。外国のインターネット調査会社によると、2012年度に大ブレークした人物部門で彼女は一位を獲得しているのです。有色人種国家ばかりでなく欧米国家、すなわち白人にも大もてなのです。去年7月のパリのライブでは二日間で約一万三千人を集めたそうです。去年一月に発売した曲、「つけまつける」は日本芸能史上最多の73カ国に配信されたというのです。

私は偶然テレビで、彼女のロスアンジェルスやニューヨークの公演を見ましたが、彼女の人気はすばらしい、ロスアンジェルスでは、切符を買うためにまさに長蛇の列、ニューヨークでは会場が満杯になった数千人の観衆は、彼女が舞台に現れるのを待つ間、観衆全員で彼女の歌を歌っているではないか。いよいよ彼女の舞台登場です。彼女は腕を振り上げげながら、「ハーイ、アイム、きゃりーぱみゅぱみゅでーす」などといいながら挨拶すると会場全体がどーっとわきあがり、キャリ-、キャリ-と叫びながら興奮のるつぼと化すのです。彼女は英語などほとんどしゃべれないのです。私はこれを見て「時代が完全に変わった」と思った。私の青春時代は、1ドル360円という白人とのどうしようもない経済格差、白人が日本にくれば、生魚など文化水準の低い国民が食べる物として外人が刺身を食べるのが珍しがられた時代です。日本人の若者を、いつも外国人で夢中にさせたのは、白人の芸能人だった。

それがどうです、いまや二十歳の日本人小娘、きゃりーぱみゅぱみゅは、1993年生まれの20歳、しかも英語を満足にしゃべることもできないのに、白人の二十歳前後、三十歳前後の人たち、特に女性たちだけでなく男性をも夢中にさせてしまうのです。彼女は17歳でモデルとしてデビュー、18歳で歌手としてデビュー、一年足らずで世界的に大ブレークしているのです。なぜ白人たちの人気を捉えるのか、最大の原因は次の四つでしょう。

1.ファッション
彼女は現役のファッションモデルです。テレビのインタビューに答えていましたが、彼女のファッションの基本は、相手を驚かすことだそうだ。いかにして相手を驚かそうか、そればかり考えているのが、自分のファッションの特徴と言っていました。それゆえに奇抜なファッションが生まれてくるのでしょう。それでも一定のわくがあると私は見ています。そのわくとは、キュートさ、すなわち可愛らしさを決して失わないようにしているのでしょう。キュートは英語だが、いまやKAWAII(かわいい)は、国際語です。女性からみれば、ファッションに一ひねりも二ひねりもきかしているのに可愛らしさを失わない彼女には、ファンにとってはたまらないのでしょう。彼女の公演を見にくる女性ファンには、彼女と同じようなファッションしてくる人が実に多いい。
2.音楽
欧米の専門家に言わせると彼女の音楽のサウンドが非常にいいと言います。私は音楽が専門家でないのでサウンドとは、何か具体的に説明できません。素人なりにわかりやすく説明すると、グレンミラー、ビリ-ボーン、パーシーフエイス、アルフレッドハウゼ、マントヴァーニ、ポールモーリアなどの往年のビッグバンドは、皆独自のサウンドを作りだして持っています。その自分のサウンドを中心にして曲作りをし、ヒットさせていた。しかしそのサウンド、素人には、わからないものがあるらしい。例えば、由紀さおり。彼女の姉とデュエットで歌う童謡には、二人だけに通じるサウンドがあるらしい。そのせいか、どんなに上手い歌手が童謡を独唱しようとデュエットで歌う二人の歌の方がはるかにうまいし、心に響く。
きゃりーぱみゅぱみゅの歌のサウンドとは、どんなものか。彼女の歌の作詞作曲を全部手がけているのが中田ヤスタカ氏(33歳)。彼はもちろん作曲家で映画音楽やコマーシャルの音楽を作曲しています。彼の手がけるのが古い言葉で言えば、電子音楽、エレクトロミュージック、最近ではテクノポップと呼んでいるらしい。この分野のトップクリエイターで、天才とも言われています。しかし私のようなオジンには、どの曲も同じような曲に聞こえてくる。しかし非常にノリのいいメロディーなので体、手、足など自然に動いて踊りだしたくなる。このノリの良さがサウンドが良いと言っているのではないでしょうか。皆さんもぜひ聞いてみてください。
3.総合力
人気を得るのはファッション性、音楽性、キャラクターなど当然必要でしょう。その他にも必要なものが彼女の背景にあります。彼女はファッションモデルですから、ファッションにも自分の意見を言うでしょう、しかしファッションと舞台衣装とは違います。舞台衣装にも彼女は自分なりの意見を言うでしょう、しかし専門家が必要です。ファッションデザイナーもいれば、衣装デザイナーもいるでしょう。音楽がノリがいいから彼女は、いつも踊りながら唄いますし、またダンサーが、二人、三人がいつもついて踊りまくります。当然本格的なダンサーがいつも必要です。ダンサーが必要となれば振付師も必要になります。要するにこの総合力が彼女の人気をあげ、また保つのに役立っているのではないでしょうか。
4.「かわい子ちゃんは、色白がよくにあう。」
これは、色白の女性を好む私の言葉です。特に欧米人の若者に好かれるのは、この事が重要なことではないでしょうか。彼女は色白で白人となんら変わりません。現在のキャリーぱみゅぱみゅは、歌手としての実力より、好みとして感性が優先しているので欧米のファンは、同じような人種としての感覚が無意識に出てくるのではないでしょうか。

18歳で歌手としてデビュウーし、いくらネットで配信していたとはいえ、一年で世界的に大ブレークした日本人歌手のパリでのライブをユーチューブで御覧ください。年寄りの皆さんには考えさせられるものがありますよ。我々の青春時代には、外国へ行くとなると例えビジネスでもある種の気負いというものがあった。しかし今の若者には、そんなものはありません。きゃりーぱみゅぱみゅは、初めての外国公演でもフランス語も英語も何一つしゃべれなくても、日本国内で公演する感覚でなんのてらいもなく堂々としているのです。海外公演などそれほど精神的な負担になっていないのでしょう。彼女の動画で7千800万回以上のアクセスがあるものがあるといいますが、フェイスブックにあるのでしょうか。見つけたら教えてください。超人気現象が一時的なのか、長く続くのか、これからの彼女の成長の度合いが楽しみです。
 


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翻訳余話(2)



南京事件
大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」では、534頁から547頁にかけていわゆる「南京虐殺事件」が語られています。この本が出版されたのが平成16(2004)年の7月です。平成16(2004)年までに明らかにになっている南京虐殺事件の疑問点を全部網羅しているつもりです。ところがその後南京虐殺事件がなかったことを証明する史実が二つ発見されました。私はこの大作の翻訳につては、全文を英訳し、英訳から削除したり、英訳文を付け加えることはしない方針でしたが、南京事件は非常に重要な歴史的事件なので、最新の史実二つを翻訳することに決め、原文に追加することにしました。追加の日本文は、次のようになります。
引用開始
「この作品の出版後に、南京虐殺があり得なかったことを証明する決定的な資料が二つ発見されました。一つは、平成15(2003)年、台北の国民党党史館で「極機密」の印が押された『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』が発見されたことです。これは南京戦が起こる前月、1937年11月に国共合作下の国民党が、中央宣伝部の中に国際宣伝処をつくり、一年足らずの間に三百回もの国際記者会見を行った記録です。この中に南京虐殺の話は一度も出ていません。どんな些細なことでも日本軍の非道ぶりを国際発信していたこの時期に、まったく南京虐殺に触れなかったというのは、そういう事実がなかったことを示しています。

もう一つは、逃亡した南京行政府に代わって日本軍に拘束されることのないアメリカ人宣教師や外国人が、国際委員会を結成して南京市内の一地域に安全地帯を作った時の記録です。この委員会の活動記録が「Documents of the Nanking Safety Zone」と題して、国民党政府の国際問題委員会が監修し、1939年に上海のKelly & Walsh社から刊行されています。
この本に南京市民の人口が連日記録されていますが、南京陥落の12月は20万人で推移しており、一月になるとむしろ25万人と増えているのです。市民の食料の面倒をみていた国際委員会の記録であり、極めて正確な数字と言わざるを得ません。これのどこにも虐殺の記載がありません。
しかも、南京市民が国際委員会に持ち込んだクレームを真偽を問わず全てタイプしたものが、Documents の中の「不法行為の事例」ですが、殺人に関するものはわずか26件です。そのうち目撃されたものはたった一件で、あとはすべて伝聞です。目撃の一件は誰何されたシナ兵が逃亡しようとして射殺されたものです。
当時のシナ政府が監修して出版させた本の中ですらこの数字です。大虐殺の片鱗も無いことをシナ政府自身の文章で証明しているというのが真実です。
日本には「あることは証明できても、無いことは証明できない」と言う人がいますが、それは言葉上の遊びにすぎません。この二つの文章ほど客観的な物的証拠はないでしょう。なにしろ日本と戦っていた国共合作下の政府から出ている紛れもない文章がそう示しているのですから。

ついでにこの翻訳文も掲げておきましょう。
引用開始
「Finally, the following two historical facts were discovered after the Japanese version of this book was published in 2005.

1.
In 2003, a document titled “Central Propaganda Department: International Propaganda Agency Outline”, which was sealed and labeled “ Top Secret”, was discovered at the Kuomintang History Library in Taipei.
This document is a record of about three hundred international press conferences held in one year by the Kuomintang International Propaganda Agency. (The International Propaganda Agency was organized as under the Kuomintang Central Propaganda Department in November, 1937; one month prior to the battle of Nanking.)
This document makes no mention of any “Nanking Massacre” at all.
Considering that the Kuomintang Party dispatched even the trivial misconduct of Japanese army to the world at their press conference during this period.
This absence may be regarded as evidence indicating that no such “Nanking Massacre”has taken place.

2.
There is another record. As a substitute for the Nanking government which had deserted the city, the American pastors and foreigners, (who had no danger to be arrested by the Japanese Army), formed “International Committee”, and set up a “Safety Zone” in the area of Nanking city. This record of activities of the committee was published as a book, titled “Documents of the Nanking Safety Zone” in 1939 from Kelly
& Walsh Company in Shanghai. The book publication was supervised by the International Committee of Kuomintang government.

In the book, the population of Nanking city is recorded. In December,1937, the month the city fell, the city population was around two hundred thousand. And surprisingly, in January, 1938, the population increased to two hundred fifty thousand. These numbers of the city population must be accurate as they were recorded by the foreign International Committee which looked after supply of provisions for the citizens of Nanking. No word of “massacre” is found in this book.
Moreover, in this book, we find a list of “case of illegal conduct by the Japanese soldiers”,
which was a list of actions claimed and reported by the Nanking citizens to the foreign
“International Committee”(The committee listed all the cases reported by the citizens without verifying if the cases were fact or not.)
Only twenty-six cases were stated regarding “murders” in this list.
Among these twenty six cases, only one case had an actual eye witness of murder, while the remaining twenty five cases were only rumors. The single case which had an actual eye witness was simply the occasion of an arrested Chinese soldier who tried to escape being shot by a Japanese soldier.
Thus, the book which was supervised and published by the Kuomintang government revealed no evidence of “mass murder”. From this , we can say this book is equivalent to the Chinese government itself providing denial of the fact of a “Nanking Massacre”.

In Japan, it is said that “we can prove a thing what happened, but no things that did not happen”. This, however, is only a tick of word, I believe.
There is no other stronger objective evidence than these two documents presented above.
Needless to say, the top secret document and the book were indeed the publications of the Kuomintang-Communist joint government, who fought the war with Japan.

この話題からはずれますが、先月、4月24、25日には、「新しい歴史教科書をつくる会」神奈川支部主催の下に「南京の真実」パネル展が神奈川県民センターで開かれました。簡単に言えば、南京虐殺事件がなかった証拠展みたいなものです。私は4月24日、一日中会場にいましたが、その日はなんとなく寒く、風は強く雨も降るあいにくの天気でしたが、合計220数名が来場、持参したパンフレット「南京戦はあったが『南京虐殺』はなかった」が売れきれてしまうほどでした。翌日、25日私は欠席しましたが、天気快晴、二日間で合計500名の来場があり盛況のうちに展示会が終わりました。今後も「つくる会」各支部で催される予定です。

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