Archive for 3月, 2014

堀江貴文著「ゼロ」を読んで



10年ぐらい前、堀江貴文氏は、通称「ホリエモン」と呼ばれ、その時代の寵児であり、若者のヒーローであり、高齢者の嫌われ者だった。そのホリエモン、堀江貴文氏が2013年に自伝を書いた。何故私は、彼の伝記を読む気になったのか。産経新聞に書評欄がある。去年のある日、アルピニスト、野口健氏が堀江氏の伝記「ゼロ」の書評が載っていた。野口氏は、大東亜戦争の戦場での元日本兵の遺骨の収集をするなど、私のような老人保守の間でも「たのもしい若い世代の保守」として人気が高い。その野口氏が書評で「堀江氏ほど苦労した人間を知らない」と書いていた。苦労なら、どんなに控えめに言っても、私は苦労の「苦の字」ぐらいはかじっています。一体堀江氏は、どんな苦労をしたのだろうと思い、買って読んでみた。読んで驚いたことは、堀江貴文氏(42歳)、野口健氏(41歳)、この二人と私の年代では、あまりにも世代間の相違が甚だしいことです。苦労に対する解釈が全然違うのです。私の世代が苦労と呼ぶのは、本人の責任ではないのに、運命とか宿命のようなもので苦労を背負いながらも、懸命に生き抜くことです。例えば、私の年代であれば、戦争によるものとか、三年前に東北地方に住んでいた人であれば、地震、津波、原発プラントの損傷などによるものとか、あるいは、極貧の家庭に生まれたとか、子供が治癒の望のない難病にかかるなど、本人の責任ではないのに、苦労する生活を強いられ、それにめげずに懸命にいきぬくこと、これこそ苦労と呼ぶべきものなのです。ところが堀江の伝記を読めば、私の世代にいわせれば、堀江は、苦労などなにもしていないのです。それにも関わらず、野口氏が、堀江氏が大変な苦労したと呼ぶのは何かということになります。少し詳しく説明しましょう。

堀江の両親は私の両親と同じで平凡な両親です。貴文、男の子一人と祖母と両親の計四家族の家庭です。「トンビが鷹を産む」という言葉がありますが、堀江の両親は、まさに正真正銘の鷹を産んだのだ。堀江の頭の良さは抜群です。小学校時代、テストや教科書なんか簡単すぎてつまらない、先生さえも間抜けに見えたというのだからすごい。算数のテストなど10分もかからず全問解けてしまい、無論100点です。テストの残り時間、教壇のところで先生にかわって皆の答案を採点していたというのだ。このまま公立の中学校にゆくより久留米にある中高一貫の私立校、久留米大学附設中学校を進められ小学校4年から福岡県久留米市の進学塾に通った。

中学校入学前後に、コンピューターとの運命的な出会いがり、独学でいっぱしプログラマーになっていた。或時塾講師から「うちのスクールに入っている日立のパソコン、今度全部NECの新しいパソコンに入れ替えるけど、教材システムを移植する必要があるらしい。それっておまえできる?」と聞かれて、大きなチャンスと思いできる確信もないのに「できます」と答えていた。その後およそ一月間無我夢中寝食忘れてプログラミングに没頭し、完成させた。中学校二年、14歳の時です。受け取った報酬は約10万円。以来コンピューターにはまり勉強しなくなり成績が落ち、劣等生になっていった。それでも東大受験をめざした。しかしどんなに追い込まれてもがり勉はしなかった。毎日10時間の睡眠をとり、起きている14時間、食事や風呂をふくめて勉強すればいいとしていた。彼が東大を現役で合格した時は、職員室では予想外のこととして大変な話題になったらしい。大学時代にはまったのがインターネットだった。1996年四月、堀江は東大に籍をおいたまま600万円の借金をして「有限会社オン・ザ・エッジ」を立ち上げた。1999年の決算で売上2.6億円、2000年の4月にサマーズに上場し、その時堀江は27歳、売り上げ11.6億円。2001年が29.2億円、2002年(58.9億円)、2003年(108.億円)と倍々ゲームのように売上を伸ばした。2004年には会社をさらに大きくしようと「株式会社ライブドア」に社名変更しそのまま野球の近鉄バッファローズの買収に乗り出し、翌2005年には、日本放送の筆頭株主になり、フジテレビとの関係を巡って世間を大いに騒がせた。その頃の堀江は、時代の寵児であった、また若者のヒーローであった。しかし年寄には嫌われた。私も堀江をきらった。金を大儲けすることが、立派な人間のような社会的風潮が気に入らなかったし、まだ30代前半の男が人間社会を知ったような気でいるのが気に食わなかったのだ。そして絶頂期の2006年1月堀江は、東京地検特捜部から強制捜査を受け、証券取引法違反の容疑で逮捕された。それからの5年間が堀江の法廷闘争の時代です。2011年4月実刑判決が確定。懲役2年6か月。その年の6月に長野刑務所に服役、介護衛星係りとしての仕事に従事。2013年3月27日に仮釈放、11月10日0時をもって刑期を終了、現在にいたる。堀江はこう書いています。「僕は生まれ変わったわけではない。悔い改めたわけでもない。ただゼロに戻り、もう一度スタートを切って働こうとしている。それだけなのだ。」

私は、若い読者にはっきりと言いたい。この堀江の人生のどこに苦労したというのですか。彼は苦労など一つもしていません。このブログの最初にも言いましたが、苦労とは、運命とか宿命みたいな苦労をかってに背負わされるものなのです。堀江の人生でしてきたことは、自分で企業をお越し、その企業を発展させ、違法行為でその企業を挫折させてしまったことです。ここのどこに苦労と呼ぶべきものがあるのですか。2年にわたる刑務所暮らし、大変つらい経験だったでしょう。しかしその原因は、彼が意識していたか、無意識だったか知りませんが、彼が違法行為を行った罰なのです。違法行為をすれば罰せられるのは、社会の常識です。なぜこれを苦労などと呼ぶのでしょうか。現在30代、40代前半の人間は、子供の時に苦労などしたことがないのだ、だから堀江みたいに若い時からの波乱万丈な人生を見ると、大変な苦労してきたと解釈するのでしょう。

それでは堀江が書いた「ゼロ」は、無味乾燥な本かというとそうではありません。赤裸々に書いているので結構おもしろいし、特にこれから起業を起こそうとする人たちには大いに参考になるでしょう。現在は、就職難ですが、反面、情報面での技術革新が急速なため、若くして企業を起こしやすくなっています。その意味で彼の「ゼロ」は、役立つでしょう。偶然のせいか、堀江が主張する企業を起こすに必要とするもののうち、二つは私自身も実行しています。
一・
「男性読者に向けて言っておきたいのだが『結婚しても服は自分で買う』というルールです。結婚すると、着るものに頓着しなくなり、なんでも奥さんが買ってきたもので済ませる男性は多い。自分の身につけるものを他人任せにしてしまうなんて、完全に思考停止のサインである。別に全身ユニクロでもかまわない。H&MやGAPの服でもかまわない。大切なのは自分の手で選ぶ、という行為なのだ。」と書いています。
私は高校入学してからアルバイトで服ばかりでなく下着まで全部自分で買い、以来現在まで続いています。別に面倒に思わずに現在まで続いているのは私のおしゃれのせいもあるでしょう。
二.
「孤独と向き合う強さを持とう」
「孤独だから、寂しいからといって、他者やアルコールに救いを求めていたら、一生誰かに依存し続けることになる」
「友達は大事だ。家族も大事だ。でも、一人で孤独を受け止める強さを持ってこそ、真の自立を果たすことができるのである。」
孤独に耐える強さは、なにも企業を起こすときだけに必要になるのではありません。私みたいに一匹狼で通す時にも必ず必要なものなのです。

堀江は、ずばぬけた頭の良さを持つ男ですが、こういう人間が往々にして持っている弱点があります。人の気持ちを察することができない人間なのです。他人への気配りや、思いやりのある言動がとれない人間なのです。彼は自分が女性に持てない理由を子供のころの育ちをあげていますが、そればかりではありません。彼は女性の気持ちなど察することができないのです。彼の書いた文章を披露しましょう。よく読んでみてください。
「東大の駒場寮時代、わがままな僕を見かねた先輩と喧嘩になったことがあった。なにが原因で喧嘩になったのかはもう忘れたが、そこで交わした言葉だけが強烈に覚えている。
『お前は人の気持ちってもんがわからんのかっ?』
顔を真っ赤にして怒る先輩に、僕は叫んだ。
『人の気持ちなんて、わかるわけがないでしょ?』
『絶句した先輩の顔は、いまでも忘れられない。そう、人の気持ちなんて、究極的にはわからないものなのだ。僕のことをどう思っているのか、信頼してくれちるのかバカにしているのか、ほんとうのところは絶対にわからない。そしてわからないからこそ、僕は信じる。
仲間を信じるからこそ、僕は全力で働くことができる。
人の心がわからないからと周囲を疑って生きるのは、あまりにも寂しい人生だ。』

どうですか?堀江は、彼の先輩が言った「お前は人の気持ちってもんがわからんか?」と言う言葉が理解できていませんね。コンピューターなら彼は自由自在に使いこなせます。なぜならコンピューターはすべて論理的に動くからです。この論理的に動く物に対しては図抜けた頭の良さもつ男だが、論理的に動かない人間の心、とくに女性の気持ち、「女心と秋の空」などとても理解できなでしょう。彼は現在42歳、常識的には企業を起こす年齢です、もうすでにスマホで企業活動しているらしいが、将来は経済的破滅に向かうより経済的に恵まれる可能性がはるかに強い。でも問題があります。彼は離婚経験あるが現在独身です。彼は一人っ子です、両親は現在離婚しています。年をとっていくら経済的に恵まれても、家族がいなければさびしいものです。彼の問題は、いずれは、すばらしい彼女にでくわし、良い家庭が築けるかどうかでしょう。





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心強い保守知識人



数ある保守知識人の中で自分の学んだ外国語を駆使して欧米人に媚びることもなく、おもねることもなく、正々堂々と自分の信念を語ってくれるほど心強いものはありません。こういうことのできる保守知識人は、非常に少ない、稀と言っていい。その稀である両知識人、西尾幹二氏と松原久子氏は、「近代日本とは何か」について何をしたのか、個別に紹介しましょう。
A. 西尾幹二氏
1980年代は、日本経済の全盛期、日本経済はアメリカ経済を追い越すのではと、世界中の国々から日本が注目を浴びた時代です。西尾氏は、国際交流基金の依頼により、在独日本大使館の協賛を得て、1982年9月29日から10月11日までにキール、リューネブルク、ハンブルク、ケルン、ボン、デュッセルフドルフ、ミュンヘン、シュトットガルトの8都市で「近代日本とは何か」をドイツ語で講演した。キールでの最初の西尾氏の講演の一部を抜粋しましょう。
(略)「日本は西欧世界と接触する19世紀後半より以前に、『近代社会』への第一歩を踏み出していました。よしんば西欧からの刺激や衝撃を受けなくても、日本が近代的な精神運動を展開し始めるのは時間の問題でした。皆さんはただ西欧世界の基準に当てはまらないも
のは近代的でないと簡単に考えがちではないでしょうか。キリスト教の色彩を帯びていない、儒教や仏教の影響下に置かれた『近代性』というものもあるのだということを認めることから、皆さんの論議を出発させていただかなくてはなりません。」
(略)「いずれにしても、皆さんがもし次のようにかんがえているとしたらーーードイツの新聞・雑誌に次ぎのような考えがしばしば現れますので私は憂慮して言うのですがーーー大変嘆かわしい誤謬に陥っていると言えましょう。すなわち、日本という東のはてのよく働く黄色人種の住む神秘の国が経済的に成功したのは、元をただせば白色人種の欧米人が科学や技術を教えてやったからであって、日本人はわれわれ欧米人と接触するまでは、科学も技術もまったく知らない迷信に満ちた未開の人種であった。彼らの今日の発展はすべて我々欧米人の指導と訓育によるものであって、彼らは零から出発して今日の繁栄を築き上げたのである、と、この考えは哀れな傲慢だけでなく、歴史に対する驚くべき無知から発するものと申す他ありません。」

(略)「つまり日本の近代文明が西欧の刺激と衝撃によって促進されたことは疑いもありませんが、しかしそれは徳川幕府の鎖国時代に、少しずつ準備され、蓄積されて来ていたものが誘発されたという以上の意味は持ってはいないのです。日本の『近代文明』がもしも欧米人の指導と影響にのみ負うているのだとしたら、日本以外の地球上のあらゆる国々は、今日、日本と同じように速やかに前進を遂げてもなんら不思議はないと申せましょう。現代の開発途上国の方が、当時の日本よりも、はるかに恵まれた条件下に置かれているからです。19世紀後半の日本は、僅かの宣教師から受けた教育面の無料奉仕を除くならば、いかなる無償援助にも預かりませんでした。しかも外国からの債務を危険視した当時の日本政府は、どんなに苦しくても、巨額の借款を受けようとはしなかったのです。ところが今日の世界では、政治的になんら危険のない開発途上国援助が、ほぼ無償で提供されているのです。つまり、近代日本の出現は、日本の過去の歴史に内在していた自発的な自己展開能力に大部分負うているのであって、欧米の刺激と影響はきわめて甚大なものではありましたが、中心的要素ではありませんでした。」

西尾氏の講演の内容の一部はこれくらいにして、次に講演来場者の質問と西尾氏の回答を見てみましょう。
中年の男A「日本の西欧の影響とは独立して、江戸時代に独自の近代社会を準備していたとうお話であったが、しかし日本は当時長崎でオランダに門戸を開いて、世界の情報を必死に集めていた。日本人は情報を集めて利用する才能ばかりが発達した国民で、日本が独創の国だというのは嘘っぱちである。今でもアメリカからパテントを買って、技術大国を自称している」
西尾氏の回答「17-19世紀に西欧の情報を入手していたのは日本だけではなく、アジアのあらゆる国々において条件は同じであった。むしろ鎖国していた日本の条件は不利でさえあった。その中で日本だけ近代化に成功した事実を貴方はどのように説明できるのか。すべて西洋の猿真似だというのか。
中年の男A「日本はアメリカやヨーロッパ諸国が時間をかけ、多大の投資をして発見した原理を盗用して、巧に大量生産システムを作り上げ、金儲けのみに夢中になっている。これは不公平であり、許しがたい。日本が自ら開発した原理なにもない」(この質問は他の会場でも何度もでた。)
西尾氏の回答「講演の中ででも強調したように、19世紀から20世紀へかけて、イギリスからドイツへの産業の力が交替した。とりわけ製鉄業の長足の進歩が目立つ。それを基礎づけた発明の大半は、イギリス人、ベルギー人によってなされたが、その発明を制度化し、一大技術革命を成し遂げたのは、ほかでもあいドイツ人であった。自動車を発明したのは、アメリカ人ではないが、自動車を大量生産システムにのせ、現代人の生活に一大変化をもたらしたものはアメリカ人であった。どこの国が原理を最初に発明したかが重要なのではない。ただ、新しい生産システムの制度化に成功したアジアの国であるがゆえに、これまでとは別扱いし、白眼視するのは人種的偏見である。私が本講演で日本を特別扱いしないように強調した意味が貴方には本当に分かっていないように思える(ここまできて私に自分の言葉に刺激され、激昂して叫んだ)。技術革新に対する情熱を失い、労働モラルを今や喪失したドイツが、日本を非難する資格はない!」
この後も次々と質問者に、西尾氏はていねい答え、最後に次ぎのようなかなり長い追加演説で講演を閉じた。
「私は日本の優越を宣伝しているのではありません。ドイツ、もしくは西欧世界がむしろ久しく優越感情にひたって、外の世界を見ようとしないできた閉鎖性に私は警告を発しているにすぎないのです。例えばドイツも教育の大衆化の時代を迎えつつあるのですから、ドイツの教育学者はこの点で先を歩んでいる日本の教育事情に強い関心を持つのが当然で、それは自分のためにも役立つはずです。しかし彼らはイギリスやスウェーデンを研究しても、日本の教育に関する唯一人のドイツ人専門学者は、日本語を読めないのです。そんな程度で専門家が勤まっている。アメリカの日本研究の水準は高く、こういうことはとても考えられません。ヨーロッパは非常に閉ざされた世界です。皆さんは外のことはなにも知らない。
私の本日の講演は皆さんにはご不満かもしれません。私のもたらした情報は皆さんに耳新しく、ドイツのマスメディアで聞かされていたことと違うので、にわかに受け入れがたいかもしれない。けれども皆さんの唯我独尊を揺さぶり、目を覚ましてもらうのが私の講演の目的の一つでもあります。ドイツでは知識人と一般労働者の間の教養の差が大きすぎる、というようなことは、日本人の誰の目にもあきらかなのですが、皆さんは夢にも考えたみたことがないでしょう。『フランクフルター・アルゲマイネ』とほぼ同水準の日刊新聞が日本では二千五百万部も発行されているのです。日本には種類豊富な雑誌ジャーナリズムが存在し、その規模は全ヨーロッパを合わせたそれよりもさらに大きいでしょう。これは宣伝ではありません。事実を述べているだけなのです。ただ皆さんにはそういうことを想像したこともない。ヨーロッパの中だけ見て満足している。私がイギリス、フランス、ドイツの悪口を言って、最後に日本を正当化したというような反論が先ほどありましたが、物事を理解するには歴史的に理解することが必要で、私がしたのはそれだけのことにすぎません。考えてみればヨーロッパが他の地域に優越していたのは、たかだか三百―四百年の事にすぎません。ひょっとしたらその時代が終わろうとしているのかもしれないのですよ。自己満足を捨て、どうか皆さん、目を覚まして下さい。・・・・・」
この後の文章で西尾氏は、次のように書いています。
最後はまた再び、ドイツ人を叱るような高飛車な口調になった。目を覚ましてください、と言う言葉は、私が八回の講演を通じて何度も用いた言葉であった。ところが不思議なことに、この言葉と同時に、キールの会場に激しい拍手が沸き起こったのである。

こうしてキールをかわきりに八都市を講演したのですが、西尾氏の講演内容を歓迎して受け入れようとするドイツ人、多くはそれに反発する人、その中間派も存在したりして、要するにドイツ国内で物議をかもしたのです。そのため西尾氏の日本帰国後も彼の講演のドイツ語原文を送ってくれとの依頼、さらに英訳、仏訳、韓国語訳にまでなった。ところがドイツ語原文は、いつまでたっても日本のドイツ大使館は、印刷しようとしなかったので西尾氏は、要求される度に自分でドイツ語原稿をコピーせざるを得なかったのである。なぜ日本の大使館は、西尾氏のドイツ語原稿を印刷しなかったのか、彼が西欧側の既成の味方――日本を特殊な国として神秘化したがる――に挑戦しない穏和しい日本人の講演者ではないため、ひたすら現地の反発を恐れる役人根性の表れであることにまちがいない。
帰国後、西尾氏のドイツ人友人の日本人奥さんから手紙きました。西尾氏の文章にはこう書いてあります。
「夫人の友人である上智大学教授木村直司氏――ゲーテ研究科で、私も識っている人だが――たまたま滞在中で、私の講演を論破する日独協会の例会にまぬかれて、質疑応答の席に着き、自ら次のような発言したと伝えている。
日本人は決して外国人の助けなしで近代化の精神的素質をも備えていたわけではない。その点で西尾氏の諸説はひどい。日本の近代化は16世紀に来たキリスト教の宣教師たちによってその精神的基礎を作ってもらったために可能になったのである。参加したドイツ人たちは、『ああ、西尾氏はその大切な一言を隠していたのだ』と一斉に安心して拍手が湧き起り、『さすが木村先生はドイツで学位をお取りになっただけのことはある大学者だ』みな一様に晴れ晴れとした表情になり、大喜びしたという話である。
木村氏が私の知らぬ処で私に闇討ちをしかけていた事実は不問に付すとしても、いくらキリスト教系の大学に勤めているのでキリスト教に義理があるとはいえ、またドイツの方が日本より何でも秀れているとした方が氏の利益に一致するとはいえ、ここまで事実を捻じ曲げて物を言うのは、氏が“西ドイツロビー“であることを割り引いてもいささかお粗末すぎはしないだろうか。
日本は16世紀にキリスト教化される危険を事実上拒絶することに成功した国である。明治以降の急速な発展がキリスト教に原因付けられると考えるより、その反対であると考えた方が、はるかに歴史事実に合至しているであろう。これはほぼ国民的常識である。問題は木村氏、というより依然としてかなり多くの知識人が西欧側の提出する思考の枠内でしか考えることができず、またその種の日本人が西欧側に歓迎されるだけに発言権を持つという不幸な事態――日本と西欧の双方にとって不幸な――が今なお解消されないことである。

これまで西尾氏のドイツのキールの講演の一部を掲載してきましたが、ドイツ国内八都市の講演の詳細とドイツ人の反応の詳細を知りたい方は、『西尾幹二の思想と行動」②日本人の自画像』の(三章 近代日本とは何か)扶桑社 2000年10月31日出版をご参照ください。

B.松原久子氏
松原久子氏の名前は、あまり多くの人に知られていないでしょう。私も定年後しばらくして知った人物です。ウイキペディアによると、1935年生まれだから西尾幹二氏と同じ年。昭和33年に国際基督教大学卒業後、アメリカペンシルバニア州立大学舞台芸術科にて修士号取得。同時に日本演劇史を講ず。西独ゲッティンゲン大学院でヨーロッパ文化史専攻。昭和45年日欧比較文化史において博士号取得。現在アメリカ在住。海外在住が長いのでその分日本ではあまり知られていないのでしょう。松原氏は、平成13年一月号の『正論』に彼女のドイツでの体験の一端を披露しています。
それは、ドイツの全国テレビで毎週五か国の代表が出演して行われる討論番組に、氏がレギュラーとして出演していた折の逸話である。その時のテーマは、「過去の克服―日本とドイツ」で、相変わらずドイツ代表は、日本軍がアジア諸国で犯した蛮行をホロコーストと同一視し、英国代表は捕虜虐待を、米国代表は生体実験や南京事件を持ち出すなどして日本を攻撃非難した。松原氏は応戦し、ドイツ代表には、ホロコーストは民族絶滅を目的としたドイツの政策であって、戦争とは全く無関係の殺戮であること、そういう発想そのものが日本人の思惟方法の中には存在しないと反論し、英国代表には、彼らによる日本人捕虜虐待、米国代表には、百以上の日本の都市無差別爆撃を指摘した。問題が起きたのはテレビ番組終了後です。彼女がテレビ局からケルン駅を出てハンブルグ行を待っていると人ごみの中から中年の女性が近づいてきて、彼女の前に立ち、「我々のテレビで我々の悪口を言う者はこれだ。日本へ帰れ」と言うなり彼女の顔にぴしゃりと平手うちをくらし、さっさと消えていったと言うのだ。

次のテレビ出演の際に、平手うちされたことを番組のはじめに話、「ドイツに今もって言論の自由がないから身を守るため沈黙すると宣言した」ところ、放送中視聴者から多数の電話がかかり、花束がお見舞いとしてたくさん送られてきたそうである。その中につぎのようなことが書いてあるカードがついていたという。「あなたの言うことは腹立たしい。でも本当だから仕方ない」。外国で「真実を語る」とか「本音を語る」ということは反発があって大変のことなのです。それを日本の知識人が、やりたがらないのは保身が入るからです。本来から言えば、日本人に本音をぶつけるより外国人にぶつける方が楽なはずです。ところが逆なのは「外国でよく思われたい」という保身がはいるからです。松原氏は、いまや少なからぬ日本人が欧米で、講演、講座、討論会を通じ「日本」を語っているが、彼らの中で袋叩き遭いながら反論し、そして平手打ちをくらうほど日本を弁明した人がいるだろうかと書いているが、私も全く同感です。彼女はドイツ語で「宇宙船日本」という本を書き、ミュンヘンで出版した。その本を田中敏氏が翻訳し、タイトルを、「驕れる白人と闘うための日本近代史」にして文芸春秋から出版(平成17年)した。

本の帯にはこう書いてあります。全文を披露します。
「大航海時代の到来以後、全世界を発見、征服した偉業に対する欧米人たちの誇りを根底から覆す書。1999年にドイツ・ミュンヘンで出版され、大きな話題となった。欧米においては、自分たちの歴史こそ世界史であり、自分たちの生き方こそ文明の名に最も相応しく、地球上のあらゆる民族は欧米文明の恩恵に浴することによって後進性から救われてきた。だから彼らの潜在意識の奥深くには、確固たる優越感が入り込んでいる。これに対し著者は、江戸期の鎖国日本は経済的社会的にみごとまでのバランスのとれた「小宇宙」社会を形成しており、人間と自然の共生に心を砕いていたと史実を示す。それは同時代のヨーロッパのすべてを侵略征服せんとする拡張謳歌精神とは正反対だと指摘する。ヨーロッパの世界侵略は、その「小宇宙」を壊したのであり、それを「文明開化」と解釈するのは大間違いだと言う。この、ヨーロッパのほうが野蛮だった、という主張は、ドイツで大きな物議をかもしたが、同時にいまや、世界人口の急増と資源の枯渇を前にして、欧米でも「小宇宙」日本の共生思想に目覚め始めている。欧米人の優越意識を覆すためにドイツ語で刊行された書を、今度は日本人の劣等感を打ち破るために、邦訳出版する。」

翻訳者の上田敏氏が、このドイツ語の本を受け取った時、彼は「この本は薄幸な一級品の作品である。なぜならば、ドイツ語なので日本では読まれないから評価の対象にならない、ドイツ人にとっては、決して快いものでないから、それ故に正当な評価を受けない、どっちにしても報われることの少ない宿命の著作だ、という感想で、私はそのことを氏に率直に伝えた。」
彼女から折り返し返事があって、「この本は、どうしても彼らに言わなければ我慢できないという『激怒』と『使命感』に燃えて書き上げた」という。深いところで東西の対決を試みる日本人だけが自己正当化の渦のなかに巻き込まれ、毅然とした日本人だけが彼らから冷酷な扱いを受けるのである。『出版にこぎつけるまでの闘いで、一度に十歳くらい歳をとったとも書いてあった。そして『この報われることの少ない薄幸な作品をこのまま埋めてしまうことに、ある日突然耐えられなくなった』ので日本語翻訳してもらえないだろうかとの依頼を受けた』と書いています。
私は彼女の気持ちがよく理解できますし、またえらいと思います。彼女がドイツ語の本を書いたのはこれが初めてではありません。ドイツの週刊紙の全国紙、「ディー・ツァイスト」のコラムニストを務め、ドイツ語による評論、小説、戯曲など多数書いているし、ドイツペンクラブの会員でもある。ドイツに何十年と暮らして彼女の社会的地位を築いてきたと思います。それなのになぜこういう本をドイツ語で書かねばならなかったのか。わざわざドイツ人に嫌われる本を書いたのも同然だからです。彼女の生家は、織田信長を主祭神とした京都の建勲神社です。私の想像ですが、彼女の出自にも関係あるのではないでしょうか。彼女には勇気があります。出版は1989年のミュンヘン、1987年にはアメリカのカリフォルニアに移住しています。この本を書いたためにドイツに居づらくなったのではないかと私は想像してしまいます。

要するに、私の著書、「逆境に生きた日本人」で力説したように、日本人は信念の強い人には、冷淡で、変節者には寛大なのです。現在の反日日本人の言動を見ればわかるでしょう。よくも皆さん彼らに寛大でいられると思います。このブログに書かれた西尾幹二氏と松原久子氏には、私は絶大な信頼と支持を惜しまない者です。



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私の小説の構想



昨年11月2日の私のブログ記事、「The USA is responsible for the Pacific War」では、この英文版は資金の関係上300部しか印刷できませんでしたと書きました。この300部のうち私の協力者、渡辺氏と私で50部を二人の私用に使い、日本にある在外大使館、領事館用に郵送するのに185部を使用しました。残り65部を外国の図書館に送るつもりでいます。しかし外国に65部では私の歴史観を外国に伝えるにはあまりにも少なく、焼石に水同然です。そこで私は小説を書いて、それをヒットさせ印税を稼いで海外にばら撒くと、そのブログに書きました。本日のブログでその小説の構想を書かせてもらいます。

私は、平成11年8月31日(61歳)で定年退職した。実は私は定年前から「ある凡人の自叙伝」という本を書いていました。いわゆる自分史を書いていたのだ。そして定年と同時にその年の12月に出版していました。なぜ自分史を書いたか。サラリーマンの父親は、自分の生きざまをあまり子供に知られることはありません。特に私の年代の人間なら、エリートは一流大学を出ると一流企業あるいは官庁に入社しておよそ40年間勤め上げるのが当たり前のような感じです。しかし私は、サラリーマンとしては波乱万丈です。社会の底辺の仕事しながら外資系会社に潜り込み、外資系五社を渡り歩いて定年。私生活も波瀾万丈です。本に書く価値ありと私は判断し、「ある凡人の自叙伝」を100部出版した。

この本には苦い思い出がある。私が66歳の時、昭和32年高卒の高校の同窓会があった。それまで32年高卒の同窓会や組の同窓会は、何度もあったが、私は一回も出席したことがなかった。今回は定年になっていたこともあったし、またたった一人の高校時代に友人からの熱心な誘いもあったので私は初めて出席した。高卒後48年ぶりの同級生との再会であった。私が三年の時の先生も参加していた。そこで私は、先生に、「自分の自叙伝を書いたので、先生にさしあげますから読んでいただけませんか」と言ったら、先生はなんと答えたと思いますか?先生は、「手荷物なるからいらないよ」と言ったのです。先生という職業を何十年もやっていたら、自分の記憶に残らない生徒もいるでしょう、卒業後半世紀ばかり会わない私みたいな生徒は、記憶に残らないでしょう。しかしその日の同窓会で先生は、私が教え子であることを知ったのです。高2の時、私は家庭の事情で大学受験をあきらめた。卒業近くなったとき、先生は私に、「鈴木、就職はどうする?」と聞くから、私は、「卒業したら職安で職をさがすからいいですよ」と答えたのを覚えているのです。その先生が「手荷物なるからいらないよ」と言う返答なのです。もっと他の断り方もあるだろうと文句をいいたいのをこらえたのも、先生が80半ばを越した完全な老人になっていたからです。

またその反面良い思い出もあるのです。「ある凡人の自叙伝」出版後8年目、平成19年に出版社、飛鳥新社から私に電話がかかってきた。飛鳥新社は、平成18年から平成21年までのまる三年間ぐらい団塊世代の男性用月刊誌として週刊誌より大きい高級感あふれる月刊誌「dankai パンチ」を出版していた。私は知りませんでしたが、こんな月刊誌があったこと、団塊世代の男性は、ご存知でしたか。その月刊誌の平成19年の12月号に特集記事として「自分史の書き方」を載せる。その特集記事にすでに定年になっている三人の方の自分史の概略と、本人のインタビューと本を手にした写真を載せると言うのです。同意でしたら自分史の本をもって会社まできてくれとのことでした。私は早速飛鳥新社の事務所を訪問した。私の予想どおり、私の「ある凡人の自叙伝」を飛鳥新社の二人の営業マンに紹介したのは自費出版図書館のI館長でした。I館長は、以前「学研」勤めていた人で、脱サラ後、全国で自費出版された本を集め自費出版図書館を設立、今や全部で29,000冊。そのうち2600冊が自分史関係です。その2600冊の自分史のうち最近出版した非常に面白い自分史として私の自叙伝を飛鳥新社の二人の営業マンに推薦し、その二人が読み、これは面白いとして月刊誌、「Dankai パンチ」に載せたのです。

私がなぜI館長が主催する自費出版図書館編集室を製作者として利用したかと言うと、私は自分史を出版する前に本など書いたこともないし、投稿すら書いたこともありません。文章を書くのは苦手だと思っていたのだ。本が書けなくても、自分の思い出を書くのだから書けるだろうとの思いで書いてみた。I館長がもし変な文章があれば訂正し、書き直してくれるとうので出版を依頼したのです。しかし実際は、私の文章は「てにおは」以外手直しするとことがなく出版できたのです。自分史の紹介は、私の「ある凡人の自叙伝」だけではなく、他の二人の自分史も紹介されていました。一人は自分の人生と数多くの映画との関係を写真つきでケース入りの分厚い本で、もう一人の作品は女性の作品で、自分のルーツを調べその膨大な写真を載せています。完全に文章だけなのは私の自叙伝だけでした。私は、この「ある凡人の自叙伝」を軸にして多くのフイクションを織り交ぜて小説を書くつもりなのです。芥川賞や直木賞をとれるような小説を書けるとは、思いませんが、テレビドラマにできるような面白い小説になるのではと思い、ぜひベストセラーにして、印税を稼ぎ、その稼ぎで「The USA is responsible for the Pacific War.」を世界中にばら撒きたいというのが私の本心なのです。

大東亜戦争は、日本の孤独な戦いでした。敗戦後も戦争史観で日本は、孤独な戦いを強いられた。勝利国であるアメリカ、ソ連(ロシア)、イギリス、フランス、オランダ、ベルギー、スペインなど、あるいはカナダ、オーストラリア、あるいは南米諸国など、日本敗戦後の世界の主要国が殆ど勝利国なのです。彼らはドイツの起こした戦争と日本が起こした大東亜戦争とは、全く質が違う戦争なのに「第二次世界大戦」などと呼び、それまで侵略の限りをつくしてきたことなどおくびにもださず、日本を侵略国と非難した。かれら白人国家に加えてシナや韓国まで日本を侵略国家と呼んでさえいます。これでは、戦後、日本が大東亜戦争史観で反論するのが難しいことは、わかります。しかし戦後から現代まで太平洋戦争史観に何一つ反論してこなかったばかりでなく、日本政府や外務官僚は、太平洋戦争史観に迎合さえしているのです。保守知識人も大東亜戦争史観を主張するのは国内向けであって、外国に向かって主張するなどほとんどしたことがないのだ。英語の苦手な保守知識人など、自分の主張を英文翻訳させて海外に訴えるなど、ごくわずかの例外を除いてしたことがないのです。白人伝統の人種差別が頓挫し、人種差別しないことが、なぜ世界の常識になったのか。日本敗戦後なぜ独立国が雨後の筍のように誕生したのか。アメリカ政府は、ドイツとの戦争の資料は、すべて公開しているのに、なぜ日本との戦争の資料はいまだに公開しようとしないのか、日本政府はこのようなことさえも外国に向かって発言したことはありません。日本政府は、太平洋戦争史観に戦後70年間ひれ伏してきたのだ。私は世界中の人々に大東亜戦争史観を知ってもらいたいのです。だから私の書く小説をベストセラーにして「The USA is responsible for the Pacific War」を世界中にばら撒きたいのです。小説のタイトルは、いまのところ「昭和の一匹狼」、出版されるまでには、三、四年かかると思います。その時にはブログでお知らせしますので、ぜひ皆さんにお買い上げいただきたいと思っております。



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