Archive for 6月, 2015

「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の思い出(2)




前回のブログで紹介しましたが、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の本を平成16年7月に自費出版した。初版千部印刷しましたが、一年後の平成17年の7月には三刷目の三千部を出版したのです。一介の定年サラリーマンが作者だと考えると全く予想外の売り上げでした。そして三千部出版後半年で出版社、碧天舎が倒産してしまった。売れていただけに私には大変ショックでした。平成16年7月に出版してその年の12月までに、すなわち5か月間の間にこれまで私とは一面識のない人たちからの投稿が続き、計9通も私に送られてきたのです。その全文を紹介しましょう。手紙は、時候の挨拶などは抜きにして本分だけを紹介します。
1.京都、NAさん
大東亜戦争は、アメリカが悪い」を拝読しました。気分爽快です。イデオロギーに左右されず正しい事実をお書きなさっている。当たり前のことですが、著者は日本人であるから御国の歴史・文化に誇りを持ち、民族を愛しておられる。そうして左傾の流行に迎合されることなど微塵も無く、文章が低学歴卒の者にも良く理解されやすい、有難いことです。
私は大正10年生まれ大阪の逓信講習所を経て郵便局に勤め大東亜戦争の開戦二か月後海軍に入り主計兵として昭和17年暮れソロモン海戦に参加、戦病のため18年4月ラバウル発最後の病院船で帰国、回復後特攻隊司令部の下級下士官として大分で終戦を迎えました。第一次、第二次ソロモン海戦には私は同期生とともに参加、小生の部隊、350人位がガ島の北隣のムンダ基地の防空中隊として配備されましたが、小生が18年4月上旬横須賀港に着いた翌日、米軍が上陸、部隊は全滅と聞き、大きなショックを受け、その余韻が未だに残っています。
中村震太郎事件は、小生がまだ小学生の頃で映画を見、歌も聞きました。柳条橋爆破などの小細工をせず、前述の理由で宣戦布告すべきだったとかねがね思っていましたところ、御本に同じ趣旨の記述があったので大いに意を強めることができました。結局幣原軟弱平和外交は、国家の誇りを傷つけることになった。今日の宮沢元首相と性格(政治的識見)がよく似ているみたい。
数え年84歳、モーロクと申しましょうか、ボケがひどく根気がありません。しかし御本を拝読しますと、元気が湧いてくるようです。精神的保養になります。御本が学校教育に活用されたら若い日本人の良い教育になるのにと日夜考えております。

2.弘前市、SHさん
8月7日、紀伊国屋書店でたまたま貴著「大東亜戦争はアメリカが悪い」を購入しました。買った理由は、1500円で720頁と言う膨大な著書に一驚しました。目次を見れば明治維新から現代まで。私は元教員で社会科を教えていましたが、40年ほど前から余りにも近現代史が偏向、反日、自虐の教科書なので数年前から西尾幹二先生の「新しい歴史教科書をつくる会」に参加、その運動にがんばっている者です。
あなたは海外企業で長い間勤務され、全くのアマチュアなようですが、読んでみると専門の学者顔負けのすばらしい内容に、しかも日本人として実に正しい視点で近現代史を書かれていることに一驚した次第です。
戦後の日本、特に歴史学会はマルクス主義の影響が強く、全く連合国の立場いわゆる「東京裁判史観」一辺倒で書かれています。私は戦争中、師範学校在校中、石原莞爾の東亜連盟運動に参加、どちらかというと東条政府に反対の立場でしたが、戦後は全く180度転換し日本の学界、マスコミは左翼系に独占されてしまいました。
一寸脱線してしまいましたが、あなたの第一次大戦以後の幣原外交の誤り、ワシントン会議がいかに日本外交を間違った方向に導いたか、米国の謀略をものの見事に描いている文章には全く感嘆するばかりでした。
別冊「満州国再興」にもあなたと同じ基本線で書きましたが、あなたの資料豊富な研究には頭がさがるばかりです。
まだ半分より見ておりませんが、今後これを機会に文通、できれば上京の節ぜひおあいしたいと思っております。住所と電話をご教示くだされば幸いです。
益々のご活躍を祈ってやみません。御無礼の段平にご容赦下さい。

3.仙台市、SIさん
僅か二日間拝読させていただきましたが本当に詳細に分かりやすく記されてある稀にみる名著かと心から感激いたし驚いています。
支那事変最中からずっと米国軍隊は中立を冒し、支那軍に味方し我が日本軍に戦闘攻撃を続けてきたこと等、到底許されざる卑怯な行動をとってきた。そして米国は不正極まる間違いだらけの支那人を全面的に助け、日本軍を根本から悉くくいつぶしてしまったということが理解できました。戦後59年経過した現在、本書を僅か拝読しただけでアメリカ民族は世界中で最も悪い残虐極まる国民だということが分かったのであります。
残念なことは59年たった敗戦日本人には大部分今でも何一つ分からずアメリカは何より正しい善い国だと甚だしく誤解しております。世界中でこんな愚かな骨抜きで無能な敗戦日本人は存在しない様に考えられます。敗戦後の日本人は全く骨抜きの空人間でしかありません。明治維新から日清日露戦争、満州事変、支那事変、アメリカの中国感、支那事変の泥沼化とアメリカの反応、そして最後に大切な大東亜戦争勃発に至るまで克明に書かれてあり、深く感銘を受けました。本書は稀の見るすばらしく立派な高著かと存じます。こんなにまで詳しく真剣なお気持ち一杯でまとめられた鈴木敏明様に対し、特別感謝の念をもちました。ここに有難く御礼申し上げます。

4.さいたま市、YNさん
世界史的俯瞰をまとめられ、特にアメリカを分析し、大変に良い力作を発表していただきました。初めて知り得た知識も含まれていました。ご労苦に感謝申し上げます。私ども歴史教科書を墨で消し、知識のリセットを体験している者にとって、未だに日本現代史の本当の姿を探し続けています。良い本でした。なお老婆心ながら「日本はなぜ敗れるのか」(山本七平、平成16年角川書店)は目を通していただきたいと思います。また「東京裁判・原典英文版 パール判決書」(ラダビノット・パール 平成11年 国書刊行会)は参考文献に含めてほしいと思います。思いつくままに。

5.春日部市、TKさん
私が常日頃から考えていたことを、そのまま書いて下さったと思います。これだけ本を読み、物を書きながら鈴木さんは、なぜ親米で日米安保条約に賛成なのですか。アメリカが悪いのは大東亜戦争だけではありません。ベトナム以後イラクに至るまで武力を欲しいままにして、横暴な振る舞いを続けています。アメリカの経済・軍事・思想に呪縛されて安保条約に頼り、アメリカ軍の駐留に莫大な費用を支出する「思いやり予算」アメリカは日本を守るために駐留しているのではありません。アメリカ本土を守るため、日本が軍事大国にならないよう監視するために駐留を続けているのです。私たちが昔フィリピンを攻めた時、マッカーサーは味方の兵士を見殺しにして逃げました。体制を立て直してレイテ島に上陸したときから終戦までフィリピン人を利用してゲリラとして戦い、マニラ市民を巻き添えにして多数を殺害しました。今日本にそんなことが起きたらとしたら、アメリカはどこまで日本を守れるか、恐らく逃げ出して、体制を立て直して日本に上陸してくるでしょうけれど、そこで巻き込まれて市民が多数死ぬでしょう。
アメリカは自分の戦争のために一般市民が死ぬのは仕方がないとの信念でやっているのです。日本の国を守るのは日本自身しかないのです。国際的に孤立するのは最悪ですが、アメリカの呪縛から抜け出して精神的独立が必要です。

6.横浜市、IUさん
先ず、第一に貴方の並々ならぬ膨大な過去の資料を基礎に、この著作を書かれたそのご努力に対し、尊敬と賛辞を送りたいと思います。大東亜戦争に負けて、廃墟の中から立ち上がり、一時は世界第二位の経済大国になったと物資至上主義に踊り、バブルを経験し、その挙句最近のデフレ不況からなかなか抜け出せず、21世紀の日本の在るべき姿も描けずに居る今日この頃ですが、私の見るところ日本が拡大成長期に青春を謳歌出来たのは、ある意味では日本が戦争に負けて、ゼロから再スタートした、日本民族の優秀性、戦後の開発銀行による重厚長大産業への積極投資、世界の原油のバレル2ドル時代が続いた事、中国を含め東南アジア諸国の産業基盤が出来ていなかった事などのプラス要因が長期間に亘り続いた事等の幸運に恵まれた事があったと思いますが、若し日本が大東亜戦争に負けず、日本の軍閥政治が続いていたとしたら如何なる国になっていたか?は想像しえず、私は負けた事を良いとは言いたくないが、軍閥が未だに存続しているとしたら、恐らく今日のような良い時代はこなかっただろうと日本はソ連に占領されずにアメリカにまけて良かったと思うものです。
しかし、極東軍事裁判は戦勝国の論理で進められた訳で、勝てば官軍のロジックでの裁判だから、例えば現在のイラクの場合フセインが如何に裁かれるか?注目はしています。
貴方がご自分の 労作を英訳されて世界の図書館に寄贈されると言うお考えは非常に良いと思います。世界の人に、物事には裏表が有るということを知らしめる意義があります。
貴方は外資系の会社に長年働かれたと言う事は外人の物の考え方は、違うと言う事を日常の生活から体得されたものと思いますが、一方日本の政府関係者が外国人の要人と会うと、矢鱈にニコポン外交をして不等に日本の過去を悔いる発言をすると憤慨されますが、その場合、例えば中国、韓国に行った場合、如何なる発言すべきか?代案はおありでしょうか?上記に対してお返事をいただければ非常に参考になります。何よりも貴方の労作に対して私の賛辞を送りたく一文をお送り申し上げます。

7.神戸市、YSさん
「大東亜戦争はアメリカが悪い」の読後感です。ご参考になれば幸甚です。小生は64歳です。おもにP361から最後まで読みました。
●P361 1932年の西暦優先より、元号優先が良い。
●P395 内田康哉伯爵 ― 内田康哉 彼だけ敬称は不公平。
●P409 蒋介石将軍 ― 蒋介石、歴史的用語だから不公平。
●p414 あの悪逆非道の2.26事件 ― 彼らの心情まで誹謗するのは行き過ぎ。
○p466 国民一人一人が、日本人の意識が低いから ― 同感
○p489 国民の意思が政府をしてこの方針を決せしめた ― 同感
○p502 私たちは、国の根源にかかわる憲法でさえあいまいにして平然としていられる民族 ― 同感
○p512 近衛文麿は無能な総理大臣 ― 同感
○p512 細川護熙は、大罪を犯した。日本を侵略国と決めつけたから ― 同感
○p542 日本人は、それが時流であれば、嬉々として大勢に順応する ― 同感
○p544 南京事件は、日本が悪いという烙印を押すため ― 松井岩根司令官を絞首刑にする必要から捏造した。最近は日本から大金をむしり取るためにうそとしりつつ捏造している。
○p547 アイリス・チャンに付け上がらせたのは、日本国民 ― 同感
●p601 昭和天皇の最悪の決断は、ソ連を撃たなかったこと ― 日ソ中立条約を破るような信義に反する行為は、国家百年の千年の名誉にはならない。やせ我慢であっても信義は守るべきだ。
○p644 9.11のテロでアメリカの若者は軍に志願した。現在の日本人は、日本史上最低の意気地のない民族になりはてた ― 同感
○p667 日本民族の欠陥は、権力、権威、時勢に弱い ― 同感
●p672 マッカーサー元帥 ― マッカーサーにすべし。貴兄は判らないだろうが、しらずしらずのうちにマッカーサーと言えば元帥を使用し、ペリーと言えば提督を使う。刷り込みでしょうか。被征服者の悲しいまでの卑屈さのでしょう。元帥は何百人とおり、提督は何十万とおりましょうに。
○p687 日本人は、うぶでバカでお人よし ― 同感
○p696 日本人のように、祖国をいやしめ、辱め、足蹴りにした民族は、世界のどこにもいないでしょう。 ― 同感
○p698 なぜ大東亜戦争と呼ばずに太平洋戦争と呼ぶのか ― 大賛成
貴兄は日本をけなしているのではありません。歯痒い思いをしておられるのです。私も同感です。立派な本を出版され、貴兄はさぞ満足でしょう。多くの国民が読んでくれるならいいのですが、三千冊も無理じゃないかな。今後もご健闘をお祈りしております。

8.鹿児島市 TKさん
「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を読ませていただき感動いたしました。アヘン戦争・ペリー来航から大戦終了までの歴史だけでなく、大東亜戦争の意義まで分析されており、実に分かり易く、日本人としての正しい歴史観育成に適した素晴らしい良書だと思います。現在私は知覧特攻平和会館で語り部をしていますが、最近漸増しつつある外国人に共通して言えることは、それぞれ自国を誇りに思い、親に感謝の念を持っていることです。
私の拙い英語での説明にも日本人以上の感動があり、「カミカゼ」への尊敬の気持ちが伝わってきます。
修学旅行生に話をする時、私は鎖国、ペリー来航、列強の植民地、東南アジアへの進攻、物量VS精神力の戦い、特攻誕生等、一連の経緯に重きを置いていますが、話が終わって生徒でなく先生から「やっとわかりました」等と言われますと、うれしさ半分、情けなさ半分、複雑な気持ちになります。明治以降の近現代史について、日本人として公正な歴史観を養うことは、これから日本を背負ってたつ若い方々の大きな課題でもあり、本書はその期待に応え得る素晴らしい構成と内容であると思います。折にふれまた再読してみます。
鈴木先生、時節柄、ご自愛の上益々のご健勝とご多幸を記念いたします。有難うございました。平成16年9月10日。

9.鎌倉市 渡辺昌明さん
この渡辺氏は、私のブログに何度も登場しましたが、彼が「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の英文翻訳を手伝い、資金援助もしてくれた人です。その渡辺氏が私にくれた最初の手紙が以下の通りです。
貴著「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を拝読し、内容が充実しているのに一驚しました。百五十もの著作を詳細に調べ、千もの記述を選び出し、適切に引用して、大東亜戦争にかんする歴史を公平、正確に叙述した労作で、かってない内容の豊富な著作と思います。その不撓不屈の熱意と努力に敬意を表します。
東京裁判の「パル判決書」(講談社学術文庫)をかって読んでパル判事が国際法的立場で裁判の不当を鋭く批判したのに感動しましたが、今回の著作は遥かに広い範囲の歴史的事実を集めて、従来のアメリカ史観を徹底的に覆している点で「パル判決書」と共に公平な歴史を世に知らしむる強力且つ貴重な史料であると考えます。
本書は日本語で書かれているのが唯一の問題点と思います。お考えの様に、英文にして世界中の人に広く読んで貰い、徹底的に議論する事が絶対に必要と思います。是非英訳に着手し、なるたけ早く完成させてください。英訳しなければ、せっかくの宝が持ち腐れになる恐れが大きいと思います。
出来れば、一度お目に掛かって英訳ほか今後のご活動について色々お話を伺いたいと念願いたします。宜しければご連絡頂きたいと思います。
平成16年秋彼岸の中日。

この手紙をきっかけにして私と渡辺氏とはその後何十回と面談し2013年の秋、英文翻訳を出版。去年の暮れ彼は死んだ。84歳だった。病床で彼は、成人した孫たちに自慢できて本当に良かったと言ってくれたのが忘れられない。この「大東亜戦争の思い出」(3)を次回も続けます。

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「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の思い出(1)



今年は大東亜戦争敗戦70周年ということでマメディアでは色々な事柄が語られたり、書かれたりしています。私は、大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」(A5版、736頁)を、碧天舎から今から11年前に自費出版した。完成するのに6年ほど費やしましたので今から17年前ぐらいには書きだしていた。今から17年ぐらい前というと、現在のfacebookもなく、第一現在大流行のSNSなどほとんどなかったような気がします。だから私が定年後の大きな初仕事として大東亜戦争について本を書くことなど公表することさえできなかった。そこで今回は、なぜ定年後の大仕事として大東亜戦争について書くことになったか、お話しましょう。
私は若い時から政治とか歴史に興味があった。私の若い時の非常に大きな政治的、社会的騒動は、1960年前後の日米安保条約改定の締結だった。1960年代は私の20代、まさに若さあふれる青春時代だ。この時期私は、日本の左翼知識人に猛烈に反発していた。私の最終学歴は高卒です。高卒の私でさえ日米安保条約は、日本にとって最重要な外交政策だと賛成しているのに、日本の左翼知識人は、ソ連など共産主義国を入れた全面的な条約を作れと非現実的な提案をし、大反対したのだ。大学生も苦労もせず親父のすねかじりで大学に入っただけでえらそうな口を聞いて大反対していたのだ。国会前では20万、30万の大デモ活動が行われたのだ。高卒の私でもわかるのになぜ知識人、野党政治家、労働組合、マスコミ、大学生などがわからないのかと私は彼らを罵倒していたのだ。私が正しかっただけじゃない、多くの国民も正しい解釈をしていたのだ。安保騒動のため岸内閣は退陣し総選挙に打ってでた。大国民運動として連日大デモをくりかえしたのに、自民党内閣は、選挙に大敗するどころか、大勝してしまったのだ。当時の政治学者、蝋山正道は、日本国民は日米安保などの外交問題を良く理解できないからだと主張していた、外交問題がわからないのは左翼の知識人なのだ。以来私は、日本の左翼知識人を徹底して軽蔑していった。

これが私の大東亜戦争史観につながっていった。大東亜戦争は、日米間の大、大、大戦争だ。そのような大戦争をしてきたのに、日本だけが悪い侵略国なのか。戦後敗戦国として大東亜戦争における日本側の歴史検証があって当然です。ところが検証など何ひとつせず、日本がなにもかも悪く、アメリカは何時も正義なのだ。こんな大戦争がありえますか。少なくとも日本にも言い分があるだろうと考えるのが常識でしょう。太平洋戦争という呼び名も非常に気にくわなかった。当時、本屋の歴史本コーナーでは、ほとんどが太平洋戦争という名前のつく本ばかりだった。
なぜ我々日本人は、大東亜戦争と呼ばずに、太平洋戦争と平然と呼ぶのか。東大名誉教授の平川祐弘氏に「米国大統領への手紙」という好著がある。彼は戦争の呼び名についてこう書いている。「しかし敗れた戦である。私たちはグアム島をもはや大宮島とは呼ばない。シンガポールを昭南とは呼ばない。日本以外の土地でthe Greater East Asian Warと言う語が通用しない以上、そう言い張ってみたところで所詮、井の中の蛙ではあるまいか。この前の戦争について太平洋戦争というより大東亜戦争という呼び名の方がよく似合う点もありはしたが、私はその部分を拡大して全体を覆うようなことしたくない。」などと延々と続くので後は略します。外国の地名など戦争に負けりゃ元にもどるのは当たり前の話です。
アヘン戦争(The Opium War)は、世界語でしょう。しかしイギリスでは、第一次英清戦争です。「セポイの反乱」はインドでは第一次インド独立戦争。日清戦争は、シナは日本に負けても日清戦争などと呼んでいません。シナの甲午(こうご)の年に起きた戦争だから甲午中日戦争、「ベトナム戦争」恐らく世界中の人がこう呼んでいるでしょう。しかしベトナムでは「アメリカ戦争」と呼んでいます。私が主張したいのは、日本人としてのこだわりはないのかと日本国民に問いたい。なぜ多くの国民が太平洋戦争と呼んで平然としていられるのかというのだ。日本国民は、私にいわせれば優秀な民族であることに間違いないが、国民性は自己主張型より迎合型です。しかも欧米の主張には嬉々として迎合し、従う傾向がある。私は外資系五社を渡り歩いて定年を迎えた。多くの日本人労働者が白人に媚びる姿を見てきた、しかし私は日本人としてのこだわりが人一倍強い人間です。ヴェトナム人は世界中でヴェトナム戦争と言ってもアメリカ戦争といっている。私は、世界中が太平洋戦争といっても、私は死ぬまで大東亜戦争と呼びます。

定年になったら何をしようかなどと考えていた頃、私が59歳(1997年)の時、歴史教科書裁判で名前を売った当時の東京教育大学教授、家永三郎に対する最高裁の判決が新聞に大きく取り上げられた。その時なんとなく家永三郎がずっと以前に書いた「太平洋戦争」を読んでみようと思ったのだ。ずっと以前に彼が書いていたことは知っていましたが、彼と私とは歴史観の違いがわかっていたので読む気がしなかったのだ。ところがなぜかその時読んでみようと思ったのだ。読んで本当に驚いた。それと同時に彼にたして激しい怒りや軽蔑を感じたのです。これがれっきとした日本史の学者が書く大東亜戦争か。戦争というものは一国でできるものではりません。必ず相手国が必要です。また戦争はある日突然起こるものではありません。起こるまでに必ず国際情勢がからんできます。家永は最初から最後まで徹頭徹尾、徹底的に日本を非難し続けるのです。この時私は、定年後最初にする仕事を決めたのです。「よーし。俺が大東亜戦争の本を書いてやる」。自虐史観論に激しい怒りが燃え上がったのです。
大東亜戦争の本を書いてやると決心したのはいいが、はたして自分に本が書けるのかという疑問があった。私は定年前に本など書いたこともなければ投稿したこともない。それどころか文章を書くのは苦手思いこんでいたのだ。それが自分の怒りだけで歴史評論などの文章が書けるのかどうか非常に不安になっていた。以前新聞か雑誌で「本を書く」というようなタイトルの記事があった。誰が書いていたか覚えていません。彼はうまい文章を書こうとは、絶対の思わないこと。原稿用紙に自分の正直な気持ちをこめ、素直に一心不乱に書け、そうすれば例え貧しい文章でも読者は作者の覇気にのまれて読み続けてしまうとそのようなことが書かれていた。よし私も徹底して自分の気持ちをこめ、素直に書くぞと決めた。それでも自分に本など書ける才能があるかどうか不安だったので試してみた。私は「ある凡人の自叙伝」を書いてみたのだ。自叙伝なら自分の思い出を時代順に書けばよいのだから、書けるのではないか、もし書けないようならいくら怒りに燃えても書ききれるものではない、あきらめるほかわないと考えたのだ。私の誕生日は、8月1日です。8月1日で61歳を迎え、その月末8月31日が定年退職日だった。「ある凡人の自叙伝」は、その年の11月に出版した。これで私は「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の文章は書けるだろうと判断した。私が定年後の初仕事として歴史本を書くと決心した1997年から4年後の2001年に私の執筆活動を強烈に刺激する事件が起きた。
2001年1月19日の日本経済新聞に、「ノーベル平和賞、家永氏が候補に、欧州議員が推薦」という小さな見出しの記事がでた。全文を掲載します。
「英国選出のグレアム・ワトソン欧州議会議員(英自由民主党所属、同議会司法委員会委員長)は18日、日本の家永三郎元東京教育大学教授を2001年のノーベル平和賞候補に推薦したと発表した。同議員は、家永氏は第二次大戦中にアジアに起きた事実をはっきりさせるため生涯をささげてきたと推薦の理由を述べた。同賞への推薦は、スウェーデンのノーベル委員会が依頼した世界各国の研究者や議員らが行う。締切は2月1日で推薦された人物を中心に10月の発表に向けて選考が行われる」
家永のどこが世界平和に貢献したというのだ。彼は欧米人に気に入られる歴史書を書いたにすぎない。ノーベル賞に歴史学賞があれば、家永は間違いなくノーベル歴史学賞を受賞したでしょう。大江健三郎も長年海外で戦前、戦中の日本を徹底して非難してきた。それが報われてノーベル文学賞をもらった。このように欧米は、自国に媚びてくる学者を利用して、いまだに大東亜戦争において自分たちが正義だと主張し続けているのです。それに引きかえ日本はどうですか。戦後50年以上も祖国日本を足蹴にして外国に媚び続けているのが現状です。その現状に私の怒りは爆発したのです。私は執筆活動に苦戦していた。多くの人たちに向かって私は大東亜戦争について本を書くと約束したわけでない、書き上げることが私の力では無理とわかったら、さっさと止めるつもりでいた。しかしこの日経の記事をみたら、なにがなんでも絶対に書き上げてやるとさらに決心を強くしたのだ。

私は最初この本を書き始めた時、本のタイトルを「アメリカ人に教える大東亜戦争」とした。喧嘩両成敗で日米の言い分は五分五分とみていたのだ。しかし大東亜戦争関連の本を読み漁ると、大東亜戦争は、六四、ないし七三でアメリカが悪いとわかったのだ。それでタイトルを「大東亜戦争は、アメリカが悪い」とした。途中筆が進まない時もあった。特に満州事変前後からシナの混乱した状況をどう筆をすすめるべきか悩んだ時もあった。或時夜中に寝汗をかいた。一回寝間着を着かえただけじゃすまないのだ。二回、三回と着かえるようになってしまった。病院で徹底して検査したが、異常がない。先生が何かストレスに感じることはないかと聞くから、実は長編の歴史評論を書いている。どう書いてよいか筆が進まない時があると言ったらそれがストレスになっているのでしょうと言った。私も同感だった。ストレスが原因とわかったら、すっかり寝汗をかかなくなってしまった。分厚い本を書くのも結構体力を使うものだということがわかった。このようにあくせくしながらやっと出版したのが、2004年7月10日。本の宣伝用に巻く帯の表には次のような文章を載せた。
「この本は、いまだに大東亜戦争日本悪玉論を主張してやまない外国人や日本人に対する、凡人定年サラリーマンの挑戦です。」
自虐史観論を書く日本の知識人は、自分の頭で本を書いていません、まず占領軍(GHQ)の戦争観、左翼国家の戦争観、勝利国の戦争観を書いた方が時流にのれるから有利、などの思想に駆られて書いているから自分の考えで書く部分がなかったり、あるいは極端にすくないのだ。一方私は、「一寸の虫にも五分の魂」とばかりに沢山の本を読み漁り、そのまま自分の頭で考えたこと書いてきたのだ。どちらの本に信用力があるか、読者はおわかりでしょう。
出版後数日して私と出版社との折半費用で産経新聞に一日だけ八つ切りサイズの小さな広告を出した。私は自ら自作の本を持参し、東京、神奈川の大手書店の店長をアポイントなしで訪問し、営業販売した。私のセールスポイントは、「この本はサイズが大きいし、分厚いから5冊も平積みしてもらえれば非常によく目立つ、少なくとも55歳以上の男の人なら必ず目にとまり、買う、買わないは別にして本を必ず取り上げ、パラパラと頁をめくります。この厚さで1500円なら必ず買う人が多くいますから、ぜひこの本をこの書店に置いてくださいの一点ばりで通し、長い立ち話に時間をつぶさずに引き下がった。この結果けっこう売れるではないかとわかりうれしくなった。

出版が7月10日なのにその年が終わる12月末の5か月間にこの本に関する投書が全部九通もあったのだ。それも私には縁もゆかりもない全く未知の九人の方からの投書だった。私は狂喜乱舞した。だってそうでしょう、私は無学無名、これといった人に自慢できるような経歴など何もなし、ただ一介のしがない定年サラリーマンの一人です。その私の書いた本をわざわざ本屋で買い上げ、読書後は、わざわざ手紙やはがき、それもすべてお褒めの言葉を書いた投書を送ってきたのです。私は狂喜し、これらの投書を私の大事な宝物として所有しています。次回のブログでは、この九通の投書の内容を紹介するつもりです。



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