Archive for 1月, 2017

ガキ大統領トランプを徹底利用せよ。



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私は外資系会社五社働いて実働40年。振り出しは、メイルボーイと言われて、「この書類はA社へ持っていけ、この書類はB社へ、C社から書類を貰ってこいなどと命令を受けて使い走りの下っ端の仕事をしなから這い上がってきた実働40年です。年齢は今年79歳になります。従って私はこれまでに随分沢山のアメリカ大統領を見てきた。私の経験から言って今度のトランプ大統領ほど生意気で傲慢な人間は、初めて経験です。ニクソン元大統領の時、ウォーターゲイト事件で弾劾され、その時ニクソンは現職大統領の地位を失った。これを見た私は、さすがにアメリカは民主主義先進国だと感銘を受け礼賛した。ところがクリントン元大統領の時何が起きたか。現職大統領のクリントンは、ホワイトハウスの室内で懇ろになった若い女性(ホワイトハウス研修生)に自分のペニスをなめさせ歓喜の声を上げていたことがあったのだ。クリントン弾劾の声があがったが弾劾にはならなかった。一番大きな原因は、その時アメリカ経済が好調だったからだ。彼は日本を経済的にいじめ、シナにすりよったのだ。クリントンは大統領を辞職もせず、妻のヒラリー・クリントンは離婚しようともしなかった。この時私は、ブログを書いていれば、ヒラリーの離婚しない理由は、自分はいずれ女性大統領として出馬するつもりなのだと書いていたでしょう。事実その通りになってしまった。クリントン夫妻は、お金に関しては疑惑の多い夫妻だった。
そしてオバマ大統領という無能な大統領だ。アメリカの力を世界的に弱めるのが目的みたいだった。そのオバマへの反感などがトランプ大統領の誕生を呼んだ一因でしょう。
そしてトランプ大統領誕生です。彼は人間性が良くない、生意気で傲慢だ。彼はいまだに納税証明書を提出ていません。納税証明書を提出せず大統領になったのはトランプだけです。彼に対する非難が色々あり、皆さんもわめいていますが、私が特に非難したい点は、人種差別宣言です。私にも人種差別された苦い経験があるからです。

今から50年前、私が28,9歳のころです。私は人種差別された。そのころの白人は、人種差別しない人も沢山いたけれどもする人もいた。私が人種差別するというのは、徹底していじめにあうような感じをいいます。それが毎日のように続くのをいいます。
私が入社したオーストラリアの会社で人種差別を受けながら、何故5年間も勤め上げることができたかと言えば、特に人種差別の激しいルースという男が私の直属の上司でなかったこと。二つ目は、私は大学出ておらず、手に職がない。仕事を学んだ経験を得なければ、いまのままではどこでも使い物にならない。もう二度と臨時工の仕事などやりたくなかったからです。このルースという男は体がでかくて、しゃべり方がトランプに似ていたのだ。私がオフィスの中で大ゲンカする相手として選んだのは、私と同じ部で一緒に机を並べて働いている社長の息子、レスリーだ。彼は本国のオーストラリアで高卒後銀行に努め、二、三年後貿易の仕事を学ぶために東京事務所に派遣された。彼はこの時21,2歳、私は、28,9歳。彼は日本語など全然話せない。担当者に電話するのに、交換台の女性とも電話できない。それを私が電話して、担当者に私が彼を紹介するのだ。私に言わせれば、私は彼の小遣いでない、彼は最初のうち私の言うことをきいていたが、そのうち私に命令するようになった。ガキの彼なんかに命令されてたまるかと私のプライドにがまんできなかった。作戦を立てた。できるだけ大勢のスタッフが事務所にいるとき大声を上げて喧嘩する。当時私は英語で喧嘩できるほどの力がなかった。そこで私の言い分を英作文にして、口からすらすら出るように暗記した。彼の発する英語はけっして聞き取ろうとしないこと、彼の怒りの英語をいちいち聞き取ろうとしたら、変に静かな間ができることを心配して、私は一切の彼の発言を聞こうとせず、怒りの大声の英語をどなり続けた。またその文章を一生懸命暗記した。その間にだれかが説得に入らず、私の英作文を発言してしまったら、「なんだと、この野郎!」日本語でどなりつけてやろうと決心していた。
予想通り彼は怒って英語で反撃してきた。そして予想通り二、三人の白人が仲裁に入ってきた。私は東京支社長室に通された。支社長は、ユダヤ人のアラムだった。アラムが何故けんかしたと聞くから、「彼が貿易の仕事などまだ何も知らない。それがどうして彼は、私にこうしろ、ああしろと命令が出すことできるのだ。支社長はずっと私より年上でビジネス経験も豊富だ。そこえまだ年若い私が社長のせがれだと派遣されてきて、私が「ああだ」、「こうだ」と命令しはじめたら、素直に支社長は私の命令きけますか?支社長は私の問に答えられず、答えられなくて当然だ。「自分の席に戻れ」と言われたので戻った。
この時私は首になると決めていたし、新しい就職口を探していた。

翌日、朝会社に着いた時、私は直ぐ支社長室に呼ばれた。「お前は今日で首だ。何故首になったかわかるだろう。」というから。「わかります」といったら「机のなかの自分のもの整理してもう帰れ。」といった。
私は首になることは覚悟していたが、少なくとも一か月間くらいは首にならに猶予期間があると思っていた。突然けんかして翌日首とは予想していなかった。帰りの電車の中で私は激しい後悔の念に襲われた。社長室で「今日でお前は首だ。なぜ首か分かるだろう。」と言われた時、「私は分かります。」と答えただけだった。なぜあの時「私はこれで今日から幸せになりますね。」と皮肉の一つもいえなかったのかしきりに歯ぎしりした。「今日から幸せになれる」ぐらいの英語なら自分でも簡単にいえるものをと思って地団太を踏んだ。
新就職口探しが始まった。これまで私が勤めた外資系会社は二つであった。最初はアメリカ人が日本で起こした会社。二つ目がオーストラリアに本社を持つ東京支社だった。二つとも外資系としては小さな会社だった。しかし今度の三つ目の外資系は、アメリカの会社でニューヨーク株式市場に上場している一流の会社だった。面接のため東京支店のオフィスに入った時には、びっくりしてしまった。広い、しかも綺麗な事務所、受付の床はジュウタンが敷き積まれていた。一般社員の机も全部スティール性で両側に引き出しがある大きな机、その机と隣の人の机の間は、二人並んで歩けるほどのスペース、先ず私はオフィスの余裕のあるスペースにビックリ仰天した。給料もよかった、一ドル360円の固定相場。全盛期のアメリカは、さすがに経済力が違った。給料が良い上に、当時の日本企業は土曜日ほとんど働いていたのにこの会社は、完全な週五日制。必ず取らなければならない年間休暇もある。その頃私は、面接試験を英語で受ける程度の英語を話せていた。面接が終わった時点で、それでは最後に、前の会社でのあなたの働き具合いの評判を聞いてから面接結果を連絡します。その瞬間私は頭の中で「しまったぁ!喧嘩なんかするんじゃなかった。せっかくのすばらしい就職口を逃ししてしまったと。」悔いてもくやみきれなかった。なにもプライドに燃えて喧嘩せず、だまって退職すればよかったのだ。数日後、面接通知の結果を知らせてきた。こわごわ開けて見ると「合格」と出ているではないか。感激に震えた。翌日会社へ行って面接者に面会したら、「前の会社に、君の仕事ぶりを聞いてみたら大変褒めていたよ。」とっさに「佐藤さんですか」と私の日本人上司の名前を上げた、佐藤氏なら私のことを間違いなく褒めてくれてくれるだろうと自信があったのだ。
「違うよ、外人のボームと言う人だよ。」というので私はびっくりした。ボームは経理や人事の責任者だった。私は別にボームと特に親しくしてたわけでない。自分の仕事とは直接関係ないから社内で会えば挨拶ぐらいだけだった。そのボームが私のことを褒めてくれたと言うことは、社内の人種差別の雰囲気に義憤を感じていたのでしょう。私は外人社長に首を切られ、同じ社の外人スタッフに救われたのです。
これ以後も私と白人との戦いは続くのですが、興味があれば私の自伝的小説、「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」(文芸社)を読んで見てください。

上記でも話したが、トランプ大統領の失態は、彼の人種差別政策です。それにプラス女性蔑視発言です。アメリカの歴史上、人種差別政策が国是であったことは確かです。大東亜戦争後にアメリカは民主主義国家を完全に成立させ白人以外の異民族も平等に権利を与えられ人種差別国家ではなくなった事情があります。アメリカは現在、人口の三分の一は、異民族です。これほど多くの異民族を抱えているのだからアメリカの国家元首は、人種差別的発言は慎むべきだったのです。人種差別的発言は異民族の強烈な反発心や敵愾心を生むのだ。トランプ大統領の就任式後に続くデモは。すべて異民族の敵愾心と女性蔑視発言による女性たちからの敵意です。私がメキシコへの同情心を引き起こすのは、アメリカとメキシコの国境に壁を立て、その費用はメキシコが負担しろというトランプ大統領の政策です。米国・メキシコ戦争は、1848年二月グアダルベ・イルダゴ条約が成立した。これによってアメリカは、カリフォルニアとニューメキシコ(現在のネバダ州、ユタ州、アリゾナ州を含む)を獲得し、リオグランデ川をテキサスの南境界線とすることを承認させた。それが今度は違法メキシコ人がアメリカに押し寄せるから自分の費用で国境に壁を建設しろとは、メキシコ人が内心怒り狂っている姿を想像できるでしょう。

それに比べると日本の総理も天皇陛下も韓国、シナに遠慮して靖国神社に参拝しないのだ。一体何に遠慮しているのでしょうか?まったく理解できまあせん。日本は国家的決断をつきつけようとはしません。トランプ大統領は安保条約にケチをつけている。ケチをつけられないように自国で核兵器を持ち、シナに対してシナからの攻撃を受けて充分対処できるほどの軍事力を持つことです。そうしないと日米同盟は真に対等の同盟関係になりません。最近になってトランプ大統領を日本の自動車メーカーを非難した。1980年代の復活を狙っているのか。当時アメリカのビッグスリーと言われたクライスら―のリー・アイアコッカは、日本の自動車メーカーをバカにしていた。アイアコッカの狙った車が次々とうれ、クライスラーは超繁忙になった。アイアコッカは「アメリカ産業界の英雄」とされレーガン大統領から大統領候補になってくれと言われほどだ。そのアイアコッカは、1992年社員や株主から反発をくいクラスラ―社を退社。今では其のクライスラー、イギリスの自動車メーカーFCA USLLIの子会社です。
昨年12月日本フォード車は、日本での車の生産を中止した。日本フォードが戦前の1925年に日本に進出していた古いアメリカの自動車メーカーだ。それがもう日本では車を作らないというのだ。その理由は、外車でもドイツ系は売れるがフォードではからきし日本国内では売れないのだ。こういうとトランプ大統領は、日本の不公平さを主張するでしょう。ひょっとするとフォ-ドもクライスラーの二の舞を踏むのではないか。

トランプ大統領よ、私たち日本人は、貿易で食べていくために、中学生から全員英語を学ばされてされているのだ。あなたは今70歳だ。現在70歳以上のアメリカ人白人は、戦前からの影響で人種差別をしがちだ。あなたは「しがち」どころではない。堂々人種差別しているのだ。また70歳以上のアメリカ白人は、日本のことについてほとんど何も知らない。日本の江戸時代だけでアメリカの建国の歴史より古いのを知らないのだ。トランプ大統領よ、日本語を勉強してください。もっとインタナショナルになってください。

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日米の歴史と文化を語る(4)



引用開始
アイヌ民族とアメリカインディアン
アメリカという国は、インディアンから土地を奪い、彼らを 僻地に押し込め、黒人を奴隷にしてできあがった国だけに、多少うしろめたい気持ちがあるのでしょう。アメリカは他国の少数民族や原住民族の人権には敏感なところがあります。
数年前アメリカの週刊誌、タイムにオーストラリアの原住民族アボリジンの記事が出ていて、その中でアメリカ人はアメリカインディアンと条約を結んだが、オーストラリア人はアボリジンと何一つ条約を結ばなかったとオーストラリア人を批判していました。
確かにアメリカ人は、インディアンと条約を結びました。結んだ条約の数は400から600と言われています。ところが条約違反が出るのはいつも白人側からであった。その理由はたいがい次の三つが原因でした。
(1)入植者が増えてもっと土地が必要になった時。
(2)インディアンを押し込めた居留地が思ったほど不毛の土地でなく、農地、鉱山その他の確保に欲しくなってインディアンが邪魔になった時。 特に居留地から金や石油がでたらたちまち条約はほごになってしまった。
(3)決められた居留地に大陸横断鉄道が通過することになった時。
だからタイムの記者がアメリカ人は インディアンと条約を結んだなどと自慢げに語ることはできないのです。 多分学校ではインディアンと結んだ条約がその後どうなったのか教えなかったのでしょう。
これも数年前のタイムの記事ですが、アイヌの人々がいかに日本人に差別されてきたか、そしていまなお差別されているかくわしく取り上げ、その中で日本人の観光客が、アイヌ記念博物館に訪れたとき、博物館内を説明するアイヌ人が靴をはき日本語を話すのを聞いてびっくりしていたと書いてありました。
いまどきの日本人は、日本にいるアイヌの人が靴をはき、日本語を話すのはあたりまえと思っています。それを驚くというのは日本人ではないと断言できるくらいです。タイムのアイヌ差別記事は、言外にアメリカ人がインディアンにしたようなことを日本人もアイヌの人にしているではないかという意味が含まれていました。
日本人とアイヌ人、アメリカ人とインディアンは、決して同列に扱えません。一番大きな理由は、日本人とアイヌ人との接触の古さです。日本民族とアイヌ民族は、いつ、どこで最初に接触したのか古すぎて誰も正確なことはわかりません。
古くは4世紀前半ごろ在位したとみられる景行天皇の息子がアイヌ討伐に遠征したという伝承があります。この頃日本はまだ文字があまり普及していなかったと考えられています。 実在のはっきりした天皇でアイヌ征伐に遠征軍を派遣したのは斉明天皇です。西暦658年の時です。いまからおよそ1350年前のことです。
この頃の日本は文字が充分に普及していました。なぜここで文字のことを振れるかというとアイヌは、アメリカインディアンと同じ文字を持たない民族だからです。
日本民族とアイヌ民族の最大の戦争が8世紀末から9世紀初めにかけて行われました。第一回目の日本軍が788年に現在の岩手県を根城にしているアイヌ民族を征伐するために派遣された。 アイヌ軍の総大将ともいうべきアテルイにゲリラ戦に持ち込まれ大敗を喫してすごすごと京都に引き返しています。
第二回目は794年に十万という大遠征軍が派遣されました。この時有名な坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)は副将軍として参加しています。 今度は負け戦ではなかったもののアイヌ軍を降伏させることができなかった。日本政府はすぐに三回目の派遣準備にとりかかり、797年に坂上田村麻呂を征夷大将軍に抜擢しました。
801年彼は天皇により節刀を授与され派遣されました。節刀とは、古代、天皇が出征する将軍に全権を委任するしるしとした刀のことです。 802年ついにアイヌ軍を降伏させることができたのです。彼はアイヌ軍の総大将アテルイを捕虜にして京都に凱旋した。
日本民族とアイヌ民族は、お互い文字を持たない時代から日本列島で接触していたと考えられているのに、なぜこの時代で両民族の大差ができてしまったのか。 その原因は一言で言えば、文明の発達の差です。日本は先の三回の遠征軍で見せたように10万の大軍を派遣できる経済的余力もあれば、その大軍を動かす政治力も組織力もあった。
これは完成された国家があってはじめてできることです。ところがアイヌは、まだ部族どうしばらばらで国家といえる体制ではなかったと言われています。それではなぜ同じ日本列島に存在する両民族に文明度の発達に差が出たのでしょうか。
日本民族は昔から新しい文明に対する進取の気性に富むのに対し、アイヌ民族は、自分たちの生き方にこだわるあまり文明に背を向けたと考えられます。 日本民族は漢字が中国から輸入されると、その漢字を使いこなし、ひらがな、カタカナを作り出していきました。6,7,8世紀は中国の隋、唐の国家の時代です。その当時両国の文化は、日本より圧倒的に高かった。そのため日本政府は莫大な費用をかけて遣隋使と遣唐使を派遣しました。
役人、留学生、僧侶たちが両国の文化、文明を学ぶために派遣されていきました。遣唐使など十数回、総勢500人は派遣されたと言われます。当時の造船技術では、いくら近いとはいえ命がけの面がありました。当時の日本人の気概が伝わってきます。
これに反しアイヌ民族は、彼らと同じように文字を使用しなかった日本民族が文字を使い出し、日本の文明がどんどん発達していくのを横目に身ながらほとんど日本からなにも学ばなかったのではないでしょうか。 それでも先の三回の戦いで善戦できたのも、その時まだ文明にそれほど大きな差がなかったからだと想像できます。
しかしそれ以後は、文明の差どんどん大きくなっていったと思われます。明治の時代になって日本政府は、明治2年(1869)蝦夷地を北海道という名前に変え、本格的に北海道開発にのりだしたのですが、この時代になってもアイヌ民族は、文字を使用していません。
5世紀には日本政府は完全に文字を使いこなしていたと考えられていますから、19世紀に蝦夷地が北海道という名前になるまでおよそ1400年間、アイヌ民族は、文明発達の基礎になる文字の使用ということを日本民族から学びとろうとしなかったのです。 これは全く理解できない不思議な現象で、日本列島という小さな島だけにアイヌ民族の怠慢と言っていいのではないでしょうか。
アイヌ民族は、同じ日本列島に住み、彼らより文明水準の高い日本からほとんど何も学ぶことなく、民族全体で文明の発達に背を向けて1400年間も暮らし続けてきたのではないでしょうか。 そのためアイヌ民族は、結果として自ら滅びる道を選び自然淘汰に近い形で民族の末路を迎えてしまったといえます
この狭い日本列島で大昔にらみあった二つの民族は、一方は貪欲なまでに新しい文明を吸収し、片方は文明の発達をほとんど無視してきたということが、現在の日本人とアイヌ人の差になっていると言えます。
明治の初めに日本政府が北海道開発に乗り出した時、政府は生存するアイヌの人たちを日本人にするための同化策をとりました。 同化策の中には開墾するアイヌ人には住居や農具を支給するから、死者が出た時には家を焼き払って転居しないこと、これからうまれる女の子には入れ墨をしないこと、男子は耳輪をしないこと、日本語を学ぶのはむろん文字も学ぶこと、アイヌの人口の多いい所ではアイヌ人専用の小学校が作られたことなど色々あります。
現在は少数民族の人権が強調される時代ですから、時流に乗り遅れるなとばかりに、この同化策そのものを批判する日本人が多いいのです。 確かに同化策の細部には批判されてもしかたのない面もあります。 例えば開墾地を支給する場合日本人に与える土地の方が広いということなどです。
しかし同化策そのものを私は明治政府を批判する気にはなりません。まず考えなければならないのは、その頃の日本経済です。明治時代全体で言えることは日本の貧しさです。特に明治の初めは、近代国家が出来たばかり明治時代のなかでも特に貧しいと言っていいでしょう。
ましてや未開地の北海道のことです。特に内地からやってきた日本人開拓民など極貧状態のようなものです。 そういうところで少数民族をほったらかしにしておくと多数民族の餌食になってしまうのです。これは北海道だけの話でなく世界共通のことです。だからアイヌ人を保護するために政府の力が必要なのです。
アイヌ人を保護するための政策といったら二つしかありません。一つはアメリカインディアンのように居留地を設けそこに押し込めてしまうことです。二つ目が同化策です。同化政策そのものを人権無視と主張する人は、明治の初めごろ北海道の状況を考えてアイヌ民族を保護するにはどんな現実的な政策があったか提言してもらいたいものです。
現在のような人権意識が過剰とも言える現在の価値観で、人権意識がほとんどなかった明治時代を批判し、裁くことは、現在の価値観で大東亜戦争を裁いているのと全く同じ現象です。日本の左翼の知識人にはこういうバカが多すぎます。
現存するアイヌの人たちには酷な言い方であることを充分承知のうえで、私は言いたいのです。アイヌ民族の祖先の人たちは、すぐれた文明を吸収する努力を完全に怠ってきた。これではアイヌ民族みずから自滅の道をたどる原因を作ったと言えるのではないでしょうか。
アイヌ民族が日本民族と同じようにすぐれた文明をどんよくなまでに吸収していたら、それこそ日本列島の支配権をめぐって熾烈な戦いが続いたでしょうし、ひょっとしたら日本列島は南北二つの国にわかれる可能性すらあったのではないでしょうか。
アイヌ民族は自ら身を滅ぼす原因を作ってしまったと考えられるのに対しアメリカインディアンやオーストラリアのアボリジンは、他の大陸からやってきた白人によって強制的に民族絶滅の危機にさらされ、オーストラリアのタスマニア島のタスマニア人は、皆殺しにあい絶滅されてしまっています。
アメリカ人やオーストラリア人に、アイヌ民族について日本を批判する資格など全然ないのです。
引用終了

上記の文章は、今から8年前の2009年3月1日付けの「えんだんじのブログ」に載せた「アイヌ民族とアメリカインディアン」の全文の引用です。えんだんじのブログの左側コラムに年月がずらりと並んでいますが、その中の2009年3月をクリックしてください。そうすると2009年3月1日に「アイヌ民族とアメリカインディアン」が出てきます。ついでにcomments 11をお読みください。ついで2009年3月10日のブログには「アイヌ末裔ふたりのコメント(1)」が出てきます。そのcomments 4 もお読みください。2009年3月18日には「アイヌの末裔二人のコメント(2)」が出てきます。そのcomments 5 もお読みください。

私が「えんだんじのブログ」を書き始めたのはアイヌのブログを書いた前年の2008年10月です。従って当時私のブログの一般読者は非常に少ないはずです。にもかかわらずそれなりのコメントの応答があるのは、私はその時からミクシーの会員だからです。当時ミクシーは、当時日本最大のSNSで、とくに若い会員(20代、30代、40代前半)が非常に多かった。そのためオフ会と称してミクシーの仲間同士が集まる会合がよくありました。私もオフ会をもうけ、私の呼びかけでも4.5人は集まるだろうと予想していました。ところが応募してきたのが14,5人でした。これでは名札が必要だと思い、自分で名札を買って名前を書き込んだのを覚えています。場所は横浜駅西口のルミネのレストラン街にあるレストランに東京、横浜方面から14,5名集合してくれました。会合を開いたのはこの一回だけですが、懐かしい想い出です。集まった14,5名、今ではほとんど全員が、ミクシーを抜けフエイスブックの会員となっています。私は今でもミクシーの会員ですが、フエイスブックに乗っ取られた感じで、今ではミクシーは、過疎地のような感じでさびしい思いをしています。

なぜ私が8年も前のブログをここにもちだしたかというと、「つくる会」の季刊誌、「史」の「つくる会」創立20周年記念号(1月号)の24頁に工芸家、砂澤陣氏が「日本を確実に蝕んでいる、アイヌ政策とアイヌ史」を書いております。また砂澤氏は「北海道が危ない!」という本を育鵬社から出版されています。私の8年も前のブログですが「アイヌ末裔二人のコメント(1)、(2)」と、そのcommentsも参照できますので参考になるかと思い記載させていただきました。

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