Archive for 10月, 2017

もう日本男子の文化は、完全になくなった。(2)



前週の土曜日、10月14日、えんだんじのブログ、「もう日本男子の文化は、完全になくなった。」を発表した。そのブログでは、私が今から9年前の2008年9月13日にえんだんじのブログに出した「男の涙」の再引用でした。最後にその時もらった二人の読者のコメントとえんだんじの返事も出すつもりでしたが、ブログが長くなってしまうので省略しました。今回はその二人のコメントとえんだんじの返事の引用です。
引用開始
猪さんのコメント
「私も祖父の「命令」が~「男の子は人生で3回だけ涙を流してもよい、苦しい時ほど笑え」~が人生訓。
泣けない事はホントにつらいと思った事も有りました。祖父の「葬儀」の時には「吐くほど」納屋の裏で泣きました。棺桶に入れる花を納屋の裏に挿して祖父が帰って来てくれるのを待った程です。
中学生が「死」の意味を理解しないわけでは無いのですが、泣けたのですね。三回のうち一回、思い切り泣いて仕舞ったと言う事実が、素晴らしい映画で泣きたい想いが有っても、同期の友人の死を目にしても、残り二回で人生が終わる感じがする為に泣けないのです。
人が聞けば馬鹿な話で悲しければ泣けば良い。現在の若い人には笑われるでしょうが、子供たちも「冷たい」お父さんと考えていた感じは有りましたが、今は祖父の言葉を未だに心に持っている人間である事を家内も含めて理解し「頑固おやじ」と嘲笑?される事も無く成りました。
困った事は子供たちには、「人を裏切るな!」と教えてから彼等・彼女の友人の情報が殆ど入らなくなり、友人の判断は自分で先入観なく見る。加えて子供たちの態度から情報を得る事に成って仕舞い彼らの学生時代には困ったものです。
現在は映画を見ても涙が出そうに成るのは年のせいでしょうか?約束が有るので「頭」が痛くなるほど我慢する事がたびたび有ります。家内には「お父さんの神話」も何年もつだろうと?子供達に言ったらしいと、「秘密」を明かしてくれましたが悪口では無いので許しています。矢張り年が言わすのでしょうね。
後二回の涙?何時出るのでしょう?年をとるにつき重荷にも感じているのですが、長年の約束事「自分」が死ぬ時は涙は出せませんので一回で終わって欲しいと最近は考えています。「うつ」は闘争心が無く成ると起こるでしょう。
酷い教科書が手に入りました。えんだんじさんが「書いたら」の一言がものすごいプレッシャ―高校時代の追試験を受ける感じです。」

えんだんじから猪さんへ
「年をとると涙もろくなるのは、涙腺のしまりが年をとるとゆるくなると言うか、しまりがなくなるせいだと医学的に証明されていると私は聞いています。だから私は、いまは無理しません。映画など見て泣きたい場面があれば、平気で涙を流します。私の一言が随分プレッシャーを与えたようで失礼しました。」
引用終了

引用開始
たつやさんのコメント
「野菊の墓」で政夫が民子の死去を知らされたのは,寄宿舎住まいだった旧制中学の時だったと思います。
なんでも「毛唐のまね」をすればよいという価値観のしからしむる流れでしょうか。
「男泣きになく」も死語になったようです。「兼続」は「女子供」受けを狙った訳ですが,
今や「国民総『女子供』化」ですね。
えんだんじからたつやさんへ
「たつや様
そうでしたか。旧制中学生でしたか。失礼しました。
確かに「男泣きになく」など死後になってしまいましたねぇ。
一億総女子供化には同意です。
引用終了
上記の猪さんは、元軍人でこの時期、自宅で療養中で、外出しても2,3時間が限度で自宅に戻らなければならない状態だった。しかしえんだんじさんの出版記念パーティーの時は、必ず俺を招待してくれ、俺は車イス使ってでも行くからと言っていたのだ。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」のお蔭で、沢山の元軍人ファンがいた。多くの彼らが私に投書してくれた。彼らのほとんどがこの本を絶賛してくれた。「よくぞ、この本を書いてくれた。」と言ってくれたのだ。しかしほとんどが、私が書いた「えんだんじ・戦後昭和に一匹狼」も「戦後昭和の女性たち」もどれもさしあげるまでもなく亡くなっていた。残念、無念、なんのお礼もできず、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を読んでくださって本当にありがとうございました。皆様方の上記本に関する投書は全部大事にとってありますので、いずれ時期を見て公表したいと思っています。

コメント

もう日本男子の文化は、完全になくなった。



今年の夏は珍しくテレビで高校野球をみた。負けチームの日本のますらおたちは。ほぼ皆と言っていいほど、恥も外聞もなくどっと涙を流して泣いているのだ。私の年代の男にとってこれほど興ざめするものはない。えんだんじのブログは今から10年前に始っているが、今から8年前の2008年9月13日に「男の涙」のタイトルのもとにブログを書いています。その頃から私のブログを読んでいるひとは珍しいと思うので、今回はそのブログの全文を引用して紹介します。

引用開始
「男の涙」
最近の若い男性を見ていて気づくのは、おそらく最低でも何百年と続いてきた我々日本男子の習性とは明らかに違うものがあるということです。それはなにかと言えば今の若い男は、テレビなど見ていると人前でも平気で涙を流すことです。
私が定年時に自費出版した出版社が倒産した時、私を含めて5,6人が会社の事務所に押しかけた。その一人に20代の男性がいた。会社が倒産して彼の支払った70万がもどってこないと知った彼は、「俺、どうしよう」、「俺、どうしよう」とその場にへたりこんでおいおい泣き出したのです。私はびっくりしてしまった。詳しく話しを聞けば、その70万円は借金ではない、自分がバイトで貯めたお金です。それでも「おいおい」人目で堂々と泣く、私など見ていて実に女々しい感じがして腹が立ってきたのを覚えています。
我の女房は、NHKの大河ドラマのファンでよく見ています。今年の主人公の直江兼続がよく涙を流すので、女房は少し怒り気味に「あの当時の武士が、あんなに涙もろいはずがない」とけなしていました。おそらく脚本家がまだ若い多分女性なのかもしれません。年寄りの男性脚本家だったたら、武士にめったのことで涙なんか流させるはずがありません。

そこで若い男性諸君のために昔の日本男子の泣き方の典型的な例を披露しましょう。明治時代の作家、伊藤左千夫の有名な短編小説「野菊の墓」から例をとりました。主人公は故郷を離れ、上京し大学に通う大学生です。突然故郷から「すぐ帰れ」の電報を受け取り、故郷に帰った。そこで彼は、彼の幼友達であり恋人でもあった彼女の死を知るわけなのですが、その死に方があまりにも不憫で涙をさそうものでしたから、彼は泣き崩れます。その描写を、作者の伊藤左千夫は、このように書いています。

「母の手前兄夫婦の手前、泣くまいとこらえて漸くこらえていた僕は、自分の蚊帳(かや)へ這入り蒲団に倒れると、もうたまらなくて一度にこみあげてくる。口へは手拭を噛(か)んで、涙を絞った」
この短い文章が、男の泣き方を端的に表しています。「母の手前兄夫婦の手前」で他人のいる前では男は泣かないもの、涙を流さないものだということ。「口へは手拭を噛んで」とは、号泣するとどうしても嗚咽がもれる。明治時代の田舎の夜は、静寂そのものだったでしょう。その嗚咽のもれを誰かに聞き取られると自分が泣いているのがわかってしまう。そのために口の中で手拭を噛んで嗚咽をこらえるのです。そして涙だけはとめどもなく流すのだ。それが「涙を絞った」という表現になった。これによって男というものは、どんなに悲しくても人しれずこっそり泣くものだということがわかります。この後の文章は、伊藤左千夫は、こう書いています。
「どれだけ涙が出たか、隣室の母から夜が明けた様だよと声をかけられるまで、少しも止まず涙が出た」
男が人前で涙を流すということは、女々しい男と思われたのは、人前で涙を流すということは男のうろたえた姿を表すことなのだ。男たる者、どんな悲しい目に会おうが、辛い目にあおうが、うろたえてはならないのだ。この武士道にも似た精神が当時の男にどれほどしみついていたかを端的に表す例を示しましょう。

日清戦争終了から5年後の明治33(1900)年、清国で義和団事件が起きた。義和団の騒乱にかこつけて清国政府は、中国に公使館を持つ国々に宣戦布告してきた。この時、清国に公使館を持っていたのが日本を含む欧米諸国11カ国、そのうちオランダ、ベルギー、スペインは守備兵力を持たず、合計は八カ国の守備兵力は、公使館員、学生、民間人いれて5百余名。イギリス公使館が一番広いのでここに各国の老人、子女、病人を集め、各国自国の公使館の籠城し、各国連携しながら戦うことになった。籠城戦は、約二ヶ月半続いた。この時大活躍して欧米軍の間で大評判を勝ち取ったのが会津藩出身の柴五郎中佐率いる日本の守備隊です。
籠城戦は結局成功に終わるのですが、日本軍の名声を高めたことが二つあります。戦後各国は、それぞれの担当地域で軍政を敷くのですが、各国軍は略奪をほしいままにするのですが、柴中佐率いる日本守備隊には一切の略奪がなかったこと、二つ目は日本兵の我慢強さです。戦場では負傷兵が出ます。当時は麻酔などありませんから外科手術など荒っぽいし激痛が伴います。片脚切断、片腕切断など麻酔なしでやります。この時欧米兵はでかい図体で大きな声で泣き叫びます。しかし日本兵は違った。人前で涙など流してうろたえる姿をさらすなが習慣になっているから、どんな大手術でも日本兵は、軍帽を口の中に入れそれを噛み締めて、低い声で「うーうー」といううめき声を出すことすら恥とばかり懸命になって平静さを装うとするのです。これが当時の日本男子の強さの原因の一つでもあったのだ。

私の年代以上の人たちの父親は、ほとんど全員明治生まれです。従って私たち男の子が、いつまでもめそめそ泣いていると、父親から「男のくせにいつまでもめそめそ泣くな」と一喝されるのが当たり前でした。母親でさえそういうことを言っていた時代です。それでもくやしくて泣きたい場合は、トイレに入って声を立てずに悔し涙を流し、落ち着いてから涙をふき取りなんでもないような顔をしてトイレから出るのです。夜だったら布団の中で悔し涙を流し枕を濡らすのだ。私は小学校時代にいじめにあい、多勢に無勢こてんぱんにやられ逃げるように家に帰り、母に悟られないよう、すぐトイレに駆け込み悔し涙をどっと流した思い出がある。このように私の年代以上の男は、小学生の頃から涙など人前で流さないのが男の強さの象徴みたいだった。

だから大人の男が人前で流す涙には価値があった。どういう風に価値があったか具体的に説明するのはむずかしいので例をあげましょう。私の20代の頃の話です。私の知人が私を含む数人の前で自慢げに話しをしてくれました。彼には愛を誓った恋人がいた。結婚するつもりだったらしい。ところが新しい恋人ができてしまった。前の恋人より新しい恋人の方が気に入ってしまったのだ。彼はどう別れ話を切り出すか悩んだ。前の恋人は、特に気が強いし、別れ話でひと悶着は避けられそうもなかった。そこで彼が考え付いたのが、別れ話の時に彼はわざと涙をながすことだった。彼は、私たちの前でその成功話をしたのだ。
どうやってわざと涙を流したのか聞くと、彼は、いかにも涙をこらえているように両手で顔を覆い人差し指と親指で目頭をできるだけ強く押して涙を出したというのだ。同年代の女性は、大人の男が涙を流しているのを見たことがありません。彼女は彼の涙を見てかえって感激したようだというのだ。どういうふうに別れ話を切り出したのか知らないが、彼女は涙を流しながら、彼の涙を見て、「あなたもつらいのね」と言ってくれたそうだ。「うそをつけ」と言いたい。おおげさな自慢話なのだろう。しかし別れ話は成功したのだ。

そのあと私は、自分で人差し指と親指で自分の目頭を押さえてみた。涙が出ませんでした。しかし強く押せば押すほど、指を離した瞬間目元がさだまらず目をパチパチするような感じになるので、涙をこらえているように見えるかもしれません。後年私は同じことをやる羽目になった。残念ながら女性との別れ話ではない。通勤定期のキセルで私が駅員に捕まったのだ。当時、現在のJRになる前の国鉄は、よくストライキをやった。24時間ストライキ、48時間ストライキなど、平気でストライキをしたものだ。会社によっては貸布団を借りて社員を事務所に寝泊りさせるところが沢山出た。
私は大組織への抵抗の意味と三番目の子どものミルク代かせぎもかねて通勤定期のキセルを長年していた。捕まった時、数年間キセルをやっていたのですぐに大きな罰金を想像し、私は青くなった。

私はハングリーに育っているので、こういうピンチにはすぐに臨機応変に対応します。目頭を押さえることを思いだし、涙をこらえるような仕草で、人差し指と親指で目頭を必死で痛みを感じながらも強く押しつづけた。手を離して駅員と話す時には、おそらく私は、涙を流した後の顔つき、あるいは最低でも涙をこらえている顔に見えたに違い。国鉄のストに対する庶民の抵抗などと開き直りせず、ひたすら謝りの一点張り。生命保険もかけてもいないくいせに、罰金が払えなければ、生命保険かけていますから、自殺してでも払いますとごく自然に名セリフが出てきます。自殺では保険がおりないのを知ったのはずっとあとだった。キセルの原因を子どものミルク代かせぎにした。いつもなら私はサラリーマンらしからぬはでな背広を着ているのだが、その日は幸いにも取引先の工場にゆくことになっていたから目立たぬドブねずみ色の背広を着ていたのも幸いした。ついに駅員の同情を獲得して難を逃れた経験がある。
女の涙は武器だと言われますが、我々の年代までは男の涙は、めったのことでは見られないだけに武器にもなり、価値もあった。それがどうです現在の若者は、うれし涙も悔し涙もすぐに出す。日本男子が数百年かけて築いてきた男の涙の価値を現在の若者は、完全にぶちこわしてしまったのだ。一体この責任をどうしてくれるというのだ。ある台湾人の男性が、日本に来て日本人男性が平気でテレビの前で涙を流すのを見てびっくりしたと言っています。台湾人の男性も私の世代と同じように人前ではめったに涙を流さないのだ。私には、現在の日本男子の若者のひ弱さは、すぐに人前で涙を流すことと非常に関係があるように思えてなりません。

数週間前、テレビでうつ病と仕事のストレスとの関係を話題にした番組がありましたが、うつ病の多くの原因が仕事のストレスに関係があるというのです。これは私の想像だが、多分当たっているような気がしますが、男が人前で平然と涙を流すようになってから男のうつ病が増えたのではないでしょうか。
最後に、現在の若い日本男子を一喝する文章でこの記事を終わることにしましょう。
「男のくせに人前でメソメソ涙など流すな!!」
引用終了

日本人は何百年かけて作り上げた文化を惜しげもなく捨て去るのだ。サウディアラビアは、宗教上の理由によりサウディ国内では、現在でも映画館が一館もありません。映画はテレビで家庭で見る物なのです。日本の現在の葬式は様変わり変わっています。今年はお経をロボットに読ませる人工ロボットを売っていました。私の葬式の時は、私の天国行きを祝して日劇ミュージックホールなみにトップレスショーの下に葬儀を行って世間をアット言わせるか。いずれにしても日本男子の文化は、もう完全になくなったのだ。いずれ戦争が起きた時、自衛隊員が大東亜戦争時の我が軍隊に比べていかに弱い軍隊になっているかを知ることになるでしょう。
最後に現在仕事のやり過ぎで、病気、過労死、自殺に追い込まれる若者よ、私は現在79歳、幼いときから飢えと金欠に育ってきているからいまだに闘争心旺盛だ。私の爪の垢でも煎じて飲みたければ、送ってあげるよ!

コメント