Archive for 4月, 2018

高倉健のなぞ(2)



前にもこのブログで伝えていますが、このえんだんじのブログは、昨年10月には10年目を迎え、今年の10月には10年目の終りを迎えます。えんだんじのブログを開始した最初の一年間は毎週土曜日に書いていたが、翌年から現在まで二週間おきの土曜日、即ち一月に2回書いてきています。今現在全部で292通のブログ記事が公開されています。来年には10年間のブログを厳選して本を書く計画でいます。そこで10年間の全ブログを見てみようと現在時間を見ては古いブログをもう一度読み直しています。ブログ書き始めた時、自分の読者を増やそうと思い、当時日本で最大のSNSミクシー(Mixi)入会した。当時ミクシーの全盛期でその会員数は、10代後半から20代の若者、30代、40代の若者が非常に多かった。いつも書くものが時事評論や歴史ものではつまらないし、また読者も増えないと思い、女性もの、映画評論、人生相談的な物等が結構色々な題材を書いていたことを再読しながら改めて思いだしています。そんなブログ記事の中に2014年(平成26)12月6日に「高倉健のなぞ」という記事を書いています。まず読者にはこの4年前の2014年(平成26)12月6日づけの「高倉健のなぞ」を読んで見てください。

このブログでは江利チエミと高倉健の結婚生活は12年間続いたこと。チエミは妊娠したが流産した。二人の離婚の理由は、チエミの異父姉の虚言と横領でチエミが億という借金を抱え、高倉に迷惑をかけたからです。チエミからの離婚要求であった。離婚した高倉は、その時40歳。彼が死んだ時は83歳。俺はその時、女房に「高倉健のような男が40歳で離婚して女性との浮名も流さずに83歳で死ぬなんてとても理解できない」というと、女房は、「それだけ健さんは、江利チエミに惚れこんでいたのよ」といった。
一方俺のブログに最近まで毎回のようにコメントをくれていた私より三歳先輩の男性は、「彼は本当に純情一途だったと思います」。またこうも書いていた。「彼の女性遍歴は業界内では、自然にタブーなるほどの位置づけが出来上がっていたのでしょう。」
俺はこのブログの最後の文章を以下のように終わらせています。
「定年後の男性の皆さん、彼が40歳から40年間再婚しなかった理由づけ、なにか推測できますか?あったら教えてください。」

去年、平成29年11月5日づけの産経新聞の書評の見出しで、(隠された私生活浮き彫りに)の下に森功著、「高倉健(七つの顔を隠し続けた男)」講談社、についての書評記事が書かれていた。やっぱり俺が想像したとおり、高倉健には、何も特筆すべきものがなにもなかったわけではなかったのだとすぐにその本を買った。その本の出版日を見ると、平成29年8月29日、俺の二冊目の小説、「戦後昭和の女性たち」の出版日が平成29年9月15日。なんとほぼ同時期に出版されたのです。それだけに親近感が湧いた。以下の文章は、「高倉健(七つの顔を隠し続けた男)」の高倉死後の話の要約です。

平成25年10月26日、高倉健への文化勲章授与が決定した。文化の日の11月3日、皇居で親授式が執り行われた。これまで授与された俳優は3人いたが、現役の映画俳優としては、初めての快挙であった。それから一年後の平成26年11月10日、何の前触れもなく、映画界の誰にも知られずに高倉健は悪性リンパ種で亡くなった(83歳)。生きた伝説と呼ばれた映画スターの死を看取った近親者は一人しかいない。養女の小田貴(オダタカ)である。死後、突然あらわれた「最後の女性」だ。彼女は、高倉がその死から一年半ほど前、一人娘として養子縁組をしたとされる。以来、高倉の戸籍上の姓である小田を名乗るようになる。
おかげで小田貴は莫大な遺産を相続した。生涯収入が100億円と伝えられる高倉健の遺産は、江利チエミとの結婚時に購入した土地を含め8億円相当の不動産をはじめ、30億円の金融資産などと合わせると、しめて40億円を超えるとも言われる。それをすべて相続したのが彼女である。高倉の死の二日後、平成26年11月12日に渋谷区の代々幡斎場で密葬が行われた。招待したのはたった五人。東宝社長の島谷能成、東映会長の岡田祐介、元警察庁長官の田中節夫、読売新聞最高顧問の老川祥一、映画監督の降籏康夫、それ以外だれも呼ぼうともしなかった。この五人を小田貴、高倉の秘書、高倉プロモーションの日高康専務の三人が迎えた。高倉健は福岡県中間市の出身で両親兄弟の肉親と一族の親戚とは日頃密接に連絡しあう懇意な間柄でもあったのに誰一人として高倉の死を連絡しなかった。ところが日頃高倉からの近況報告のない高倉の親戚が心配して高倉の秘書に電話してきた。そこで初めて高倉健が二日前に死んだと知らされ、あわてて九州の本家に伝えられた。密葬に参加しようにも時間的余裕がなかった。最初から小田貴は、実家に連絡する予定がなかったのだ。無事密葬は、かれらだけで執り行われた。高倉の死が実家にばれたのは、高倉プロの日高専務のせいと、小田貴は、日高専務との縁を切ってしまった。一体、この小田貴という女性はどういう女性なのか、高倉健はもう亡くなっていて、生前公に彼女を語ったことを聞いたものはいません。あくまでも高倉の死の直前あるいは死後、彼女から公に知らされた情報に限られています。それでもそのいくつかを箇条書きにしてみましょう。

1.彼女はサラリーマンだった父親と美容師の母との間に生まれた。両親は離婚し、彼女は母親についていっしょに暮して来た。本人も一度日仏ハーフの男性と結婚した経験がある。高倉と知り合ったのが1990年代の後半だった。
2.彼女は旧姓を河野といったが貴倉(タカクラ)良子という芸名で、女優やテレビ・レポーターとして活躍していた時期もある、いわゆる大部屋女優だった。
3.高倉サイドの関係者で、唯一古くから彼女の存在を知っていたのが、高倉プロの日高専務だ。平成25年5月、日高と小田貴の実母が保証人となり、小田貴は養女として正式に小田家(高倉健)に入籍した。そこから高倉が亡くなる平成26年11月までわずか一年半しかない。高倉健の養女としての入籍は、高倉家の実家や親族には一切知らされてはいない。
4.小田貴の話によれば、高倉と共に暮らしたのは18年ということだ。二人の年の差は
30歳。

高倉の死後、彼女は東京の瀬田にある高倉の豪邸を完全に解体し、自分自身用の豪邸、美術館を思わせるようなドーム型の瀟洒な屋根が印象的な豪邸を建築した。彼女はすぐに高倉プロの代表取締役に就任し、赤坂の事務所を閉鎖し、古参の日高専務や事務員をクビ、オフイスを顧問弁護士事務所に移した。高倉健が生前購入していた鎌倉霊園の墓、そばにあった江利チエミとの水子の眠る墓まで、ことごとく解体してしまった。高倉は車好きで、特に外車の高級車好きでポルシェやベンツなど多いい時は10台以上所有していた。彼女はその車を全部売ってしまった。高倉自慢のクルーザーも転売するどころか完全に解体してしまった。まるで国民的スター高倉の名前をすべて消し去ろうとするかのような行為であった。名声と富を極めた高倉健は、その骨すら家族の手元に残らなかった。
ウイキペディアを見てみると、私が読んだ参考文献には書かれていない文章があった。
「平成29年3月18日鎌倉光明寺の境内に墓碑が県立された。その墓碑の高さ180cmと高倉の身長と同じで、墓碑にある段状の意匠には高倉の映画人生の節目となる年、映画作品数などを表している。」
私の参考文献の著者の出版日は、平成29年8月29日、高倉健の新しい墓の件は知らなかったのでしょう。私はこれまで書いてきたことは高倉の死後の話です。高倉自身何も知らないのです。私の想像では、遺産相続した小田貴は、高倉の豪邸やお墓などを解体してしまったことに多少でも後悔の念が残っていたのでしょう。そこで同じ鎌倉市にあるお寺の墓に大金をかけて新しい高倉健のお墓を建てたのでしょう。この事は九州の高倉家の実家や一族に知らされていないと私は判断しています。知らされていれば、必ず高倉健の妹や一族から著者の森功氏に連絡がいくと思うからです。彼らは森功氏が本を書くためのインタビューを受けていたからです。

生前の高倉健は、国民的な人気だけでなく、業界全体の誰からも好かれ、また彼は自分が気に入った人間には誰彼かまわずと言っていいくらい高価なプレゼントをしているのだ。大物女優たちにもよくもてていた。死んだ大原麗子も高倉にメロメロだった。「緋牡丹博徒」シリーズなどで何作も共演した藤純子(現在、富司純子)は、彼への思い入れがあったのでしょう。彼の死後一周忌にあたる平成27年 11月に唐突に高倉の実家、九州の中間市の実家の菩提寺に供養に訪れ、住職や近所の住人が大騒ぎになっているくらいだ。彼が生きていたら、彼の死後の養女、小田貴の行為は、全く考えられない行為だった。資産家で男やもめの暮らしているご老人よ、「後妻業の女」には注意しましょう。

参考文献:森功著「高倉健(七つの顔を隠し続けた男)」 講談社

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今朝のブログの訂正

今朝、「育鵬社の歴史教科書盗作事件」のブログをながしました。後半部に「ところが最近、
またぞろ古い歴史教科書が復活した。平成28年度から使用されている窓社の歴史教科書だ。」

この「窓社」は間違いで「学び舎」が正しい呼び方で、訂正のほどお願いします。

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育鵬社の歴史教科書盗作事件



今回のブログのタイトルは、タイトルそのものは、前々回のブログのタイトル『「南京大虐殺」ユネスコ記憶遺産登録は、日本政府の失態』とは違いますが、両方とも関連がありますのでその点を留意してお読みださい。
「つくる会」に続いて日本で二社目になる保守系の歴史教科書と公民教科書を公立中学校向けに販売する育鵬社が設立されたのは平成19年8月です。その育鵬社が最初に検定合格した歴史教科書は『新しい日本の歴史』と呼ばれ平成24年度から平成27年度まで使用された。その育鵬社が最初に検定合格した『新しい日本の歴史』は、「つくる会」が作り上げた『新しい歴史教科書』(扶桑社、平成18年度から22年度使用)と多くの部分で酷似した内容と酷似した文章からなるものであった。その一例を見てみましょう。
●『新しい歴史教科書』(平成17年版、「つくる会」)
すでに日本列島には、縄文時代に大陸からイネがもたらされ、畑や自然のみずたまりを用いて小規模な栽培が行われていたが、紀元前4世紀ごろまでには、灌漑用の水路をともなう水田を用いた稲作の技術が九州北部に伝わった。稲作は西日本一帯にもゆっくりと広がり、海づたいに東北地方にまで達した。(24頁)

●『新しい日本の歴史』(平成23年版、育鵬社)
わが国には、すでに縄文時代末期に大陸からイネがもたらされ、畑や自然の湿地で栽培がおこなわれていました。その後、紀元前4世紀ごろまでに、灌漑用の水路をともなう水田での稲作が、大陸や朝鮮半島から九州北部にもたらされると、稲作はしだいに広がり、東北地方にまで達しました。(24頁)

これは酷似のレベルが、デッドコピーと言えるほど酷似しています。この「つくる会」の歴史教科書『新しい歴史教科書』の著作権を有する代表執筆者藤岡信勝氏らが調べてみると上記を含む47ヵ所で氏の著作権を侵害しているのだ。育鵬社は、教科書の中心部分について47ヵ所にもわたって、藤岡氏や西尾氏などの原稿から盗作し、藤岡氏らの著作権を故意に侵害した。この著作権侵害は、10年以下の懲役もしくは千万円以下の罰金かそれらの併科の罪に相当する犯罪行為である(著作権法第119条)。
このような犯罪行為により作成された育鵬社の教科書は平成23年度の採択戦において採択を伸ばし、不当な利益を得ることになった。その結果、「つくる会」の『新しい歴史教科書』は採択を激減させ、自由社の教科書事業は大幅な赤字を計上することになった。しかし、「つくる会」が訴えたいのはこのような経理上の損害だけではありません。次の五つの大きな問題が生じたのです。
一。歴史的な大規模盗作事件
この盗作に関与している人間の数は、少なく見積もっても十人は優に超える。これほど大規模かつ大がかりな盗作は歴史上あまり例がないのではないか。こんなことが許されるならば、どんな盗作もほとんど許されることになろう。
二。国民の教科書への信頼感を破壊した。
日本の教科書に対する歴史的に培われた国民の信頼を傷付け、さらに教科書制度全体を破壊する、重大な犯罪行為であるといっても過言ではない。
三。日本の文化の発展を阻害し法秩序とモラルを破壊する。
他人が真面目につくった教科書から中心部分を丸ごと盗んだ人たちが、何の社会的制裁も受けないならば、今後はどんな盗作行為も許されることになるだろう。それは日本の文化の発展を阻害することにつながる。
四。中韓による知的財産権の侵害を批判できなくなる。
今日、知的財産権をめぐるルールをシナや韓国に守らせるように持って行くことは、日本国にとって死活問題である。
五。保守言論界に泥を塗った。
「日本教育再生機構」に集まり「教科書改善の会」に協力している保守系の知識人は、事情を知らないまま善意で協力したに過ぎないだろう。こんな大規模な盗作事件が、代表的な保守知識人を糾合したと自称する団体によってなされたことの深刻さは、計り知れない。
フジサンケイグループという保守言論界出版物の雄と言うべき企業が発行する教科書というだけで盲目的に支持しているだけなのだ。それによって責任の所在と責任の取り方をあいまいにしているのだ。

これらの大事な事情にもかかわらず、「つくる会」はすぐに裁判に訴えることもなく育鵬社や八木氏らの言論人に対して、一年余りも粘り強く盗作に関する謝罪を求め続けてきた。裁判による解決ではなく、育鵬社らによる自発的な謝罪によって問題を解決したかったからです。謝罪要求は無視され続け、ようやく平成25年になって、「つくる会」側と育鵬社との間で話し合いがもたれたが、交渉は不調に終わった。同年4月、裁判の場に問題の解決が移された。
ここまで書いて来たのは、「つくる会」の理事で公民教科書執筆者、小山常実著、「歴史教科書と著作権(育鵬社歴史教科書事件判決を批判する)三恵社、3,400円+税、平成28」のごく前半の部分を要約したものです。この本では裁判の様子が詳細に書かれています。いずれにしても裁判の結果は、「つくる会」側が負けたのです。判決の理由は、簡単に分かり易く説明すれば歴史教科書などは、著作権は必要ないというのだ。こんな馬鹿げた判決理由がどこにあるかというのです。私は著者の小山常実氏は、この判決に怒りを感じているのだと思います。だから裁判の様子を非常に詳細に書いています。本の頁数も340頁、値段も3,400円+税です。読むのも買うのもなかなか大変です。ですから皆さん、自分の住所付近の公立図書館にこの本を常備させていただけませんでしょうか。
著者の小山常実氏は、この本のあとがきの最後にこう結んでいます。引用開始
「特に二審判決が歴史教科書の著作権を原理的に否定したことである。今後は、少なくとも単元本文については、他社教科書をコピー&ペーストして作った教科書も完全に合法となる。歴史教科書の世界は盗作教科書で溢れかえることになるかもしれない。生徒に模範を示すべき教科書が盗作で溢れるようになるかもしれないということは、何ともブラックな状態であり、見たくない事態である。そんな状態にしないためにも、育鵬社歴史教科書事件判決に対する批判を社会に広める必要があると考えるものである。」引用終了

実は私も、歴史教科書には著作権などないという判決には怒りを感じた。いずれは自分のブログにも書かなければと思っていた。しかし私は、毎月二回ブログを書いたり、本を書いたり、読書などで結構忙しい。たまたま小説書きに夢中になっていて、この著作権の問題を忘れてしまっていた。しかし今回、ピョンチャンオリンピックのことでこの著作権の問題を思い出したのだ。北海道北見市の女子カーリングチームが試合の休憩中(もぐもぐタイム)に韓国製のイチゴを食べていた。このイチゴは、もともと日本製なのだ。いつのまにか韓国が製作方法を盗み出し勝手に作っていたのだ。マスカットという果物もがありますが、これもシナのある地方で日本メーカーからの制作許可をとらずに自分たちで勝手に作り出していてシナ人自慢の作品にしているのだ。農協とかJTなどが農家に著作権を取るよう指導するのが仕事でしょう。歴史教科書の著作権と農産物の著作権とは質が違いますが著作権の意図は同じです。歴史教科書など著作権などないという判決自体がおかしいのだ。こういう判決は、法律論より時流時勢に左右されやすいのだ。思えば20年前「つくる会」が設立されたとき、朝日新聞を筆頭とするマスコミ関係、日教組を主体とする教育界、野党連合ばかりでなく自民党政府の一部、極左翼団体、韓国、シナまでが「つくる会」に猛反発した。その頃は外国人たちが大東亜戦争関係で日本政府や日本企業を訴えれば裁判に勝って金になる、すなわち「司法が日本を亡ぼす」とまで言われていた。
そこえ「つくる会」が誕生した。誕生以来20年間、「つくる会」の教科書は全国の公立中学校で採用される率は極端に少ない。しかし「つくる会」効果はあがった。それが証拠に歴史上の嘘をついて日本を貶める教科書はなくなってきた。ところが最近、またぞろ古い歴史教科書が復活した。平成28年度から使用されている窓社の歴史教科書だ。日本共産党系の歴史教育者協議会のメンバーである元教員や現職者の教師が作った歴史教科書。この教科書が有名国立中学校5校、有名私立中学校30校以上が採用しているのだ。「つくる会」の誕生以来無くなった「従軍慰安婦事件」を復活させ、「南京虐殺事件」を詳細に語り、旧日本軍の蛮行行為を強調しているのだ。その上裁判では相変わらず、「歴史教科書の著作権は、必要ない」などの「司法が日本を亡ぼす」のような判決が出ているのだ。

私は「つくる会」の会員です。「つくる会」は、日本の大会社からの献金は一銭もありません。全部国民から自発的献金だけに支えられているのです。日本企業が「つくる会」に献金すると、韓国やシナに輸出できなくなると言われているのだ。このままだと「つくる会」の先行きも心配です。トランプはアメリカファーストです。ヨーロッパも各国独自のファーストです。ロシアもシナも自国ファーストです。どうして日本政府も「日本ファースト」と主張して軍事力強化、現憲法破棄、新憲法成立を叫ばないのであろうか。安倍総理は議員時代には「つくる会」を大っぴらに支援してくれたが総理になったらこわくなったのでしょう。結局は育鵬社支持にまわった。二世議員のなれのはてだ。日本ファーストと叫ぶ政治家が誕生しないのだ。現在の日本民族は、ここまで劣化してしまったのだ。もう二と度日本は立ち上がれない国になったのかもしれない。一度経済発展したら、「お花畑」の様な事を言って世界の現実、日本の現実を見ようともしないのだ。どうしても日米同盟を堅持し、「日本フアースト」と力強く主張する政治家を誕生させよう。さもないと「つくる会」のジリ貧が続くだけです。
参考文献:小山常実著「歴史教科書と著作権」(育鵬社歴史教科書事件判決を批判する)
     三恵社 3,400円+税 平成28年

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