Archive for 7月, 2018

男女同権、男女平等、但し男女別動物

最近では男女同権、男女平等の思想が行き過ぎて、男女の区別を明確化すると非常に強い反発を招きます。何が何でも男女は同じ動物で男女の区別の認識化を嫌がる傾向があります。私に言わせれば、男女は全く別の動物であり、それがために男女はお互いに100パーセント理解し合えることができない。だから夫婦という男女間の密接な関係は、お互いの深い愛情がないと成立いたしそません。お互いの深い愛情こそが、精神的にも肉体的にも全く違う男女という生き物を結びつける一大要因なのだという認識できなくなっているのだ。なにが何でも男女の区別をやめて男女同じ動物にしようとするから、今後どんどん日本の離婚率は増えること間違いありません。もうアメリカは何年も前に最初に結婚した相手と死ぬまで結婚を続ける人たちが50パーセントをきっています。いずれ日本の離婚率もアメリカ並みになるでしょう。それを避けるためには、「男女同権、男女平等、但し男女別動物」という認識を強く持つことです。
そして日本女性のあるべき姿をどこに置くべきか、私の主張を述べてみます。私は読書好きですが、私が個人的の好きな小説家は二人しかおりません。私はこの二人の作家だけは全集などすべて読んでいます。二人の作家とは司馬遼太郎と山本周五郎です。司馬遼太郎は大東亜戦争史に関して歴史的には危険人物です。ここで私が推薦するのは山本周五郎です。周五郎は明治36年生まれ、時代小説しか書かない時代小説の専門家です。作風は登場する主人公が個性的な意固地な生き方を選ぶ、そのために苦労するが、その生き方をやめようともしない主人公を描き、その生き方に手を貸してくれる女性が現れると言うような筋書が多いい。私もどちらかと言うと意固地な生き方をするほうなので登場する主人公に親近感を持って読み続けた。一番印象に残る作品は、「日本婦道記」です。昭和18年には直木賞に選ばれましたが山本は辞退しています。直木賞受賞決定後に辞退した雄一の人物です。辞退の理由は山本が個性的で文壇との付き合いがほとんどなかったからと言われています。その後も賞とよばれるものはすべて辞退です。それでも新潮社が主体になって昭和63年に山本周五郎賞を設けられ現在まで続いています。
この「日本婦道記」、舞台は江戸時代でそれぞれ出自の違う武家の娘11人の生き様を描いた短編小説です。完成された封建制度と武家社会の基に、武家の娘たちは決して現在社会の女性ように自由奔放に生きられないものの、決して信念を曲げずに自分の愛する夫、子供、家族、家名を守るために一途に捧げる彼女たちの愛情の深さには感銘を受けるばかりです。権力や権威、あるいは力づくで愛情深さを出せと命じられても、愛情深さを出すことはできません。出版された当時でも読者の中に女性だけに不当な犠牲を払わされているという批判も浴びたこともありました。山本周五郎は、このように解答しています。
「あれは教訓で、女だけが不当な犠牲を払っていると言われるのですが、私はそれが非常に心外なので、もう一度よく読み直して頂きたいと、よく申し上げます。あれはむしろ世の男性や父親たちに読んでもらおうと思って書いた物で、小説自体の中で女性だけが特別な不当な犠牲を払っているようなものは一篇もないと思います。(中略)もし不当な犠牲を強いられたら、日本女性だって、そんな不当な犠牲に甘んじている筈はありません。私はそうではなく夫も苦しむ、その夫が苦しむと同時に妻も夫と一緒になって、一つの苦難を乗り切って行く、という意味で、あれだけの一連の小説を書いたのであります。」と回答しております。
現在の若い女性たちは、自分自身できめた人生を自由奔放に突き進むことができますが、現在日本の老若男女は、江戸時代の上流社会の武家の娘たちの生き方を一度読んでみるのも参考になっていいのではないかと私は思っています。なぜあれほどの深い愛情をささげることができたのか、やはり江戸時代の前から何百年にわたる家庭生活からうまれた日本文化の質の高さによるのではないでしょうか。その意味において敗戦後GHQから与えられた現行憲法は、日本の文化あるいは日本人を堕落させた根本犯人です。一にも二も現行憲法破棄、新憲法制定でアメリカの保護国からの脱却、真に独立独歩の日本、日本文化及び日本人の復活を希望します。特に現在の若い男女たちにお願いがあります。「男女同権、男女平等、但し男女別動物」の考えをよろしく、そして山本周五郎の「日本婦道記」の一読をお願いいたします。先ごろ若夫婦が生み、育てた幼児に満足な食事を与えず殺してしまう、若夫婦の話は、戦後の日本文化と日本人の堕落以外のなにものでもありません。

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昔の貧困、現在の貧困

来月、8月1日で誕生日を迎え80歳になる。大東亜戦争終結時、私は小学校一年。私の世代の人たちは、大東亜戦争敗戦後の社会で育った。だから同じ貧乏でも共通点が非常に多かった。戦場で父を亡くし、空襲で母を亡くし、戦後孤児になって浮浪児と呼ばれ、国支援の民間の施設、あるいは国の施設で育てられた。厚生省昭和23年2月の発表によると、親戚の人にも引き取られずに施設に預けられた浮浪児たちは、1歳から18歳まで全国で123,511人です。この人達の中で現在80歳以上になり元気で会話をかわせる人がおれば、筆者に連絡して頂けませんか。私は自費でその人の所へ伺い、その人の伝記を無料で書きたいと思っています。興味があれば「えんだんじのブログ」にご連絡ください。

浮浪児に次いで苦労していると思われる人達は、私の中学卒業時、即ち昭和29年4月青森発上野行き夜行列車、これが最初の就職列車で大都会に働きに出てきた地方の中卒の方々です。この就職列車は50年の4月まで21年間続いたのです。私が中卒の時から21年間就職列車が続いたということは、現在60歳以上から80歳までの多くの男女の最終学歴が中卒のままでいることを意味しています。私はその方々より少し条件が良かった。私はもし公立高校に入学できれば、その高校に入学し、入学できなければ就職と決めて受験したら合格したからです。合格しても、学費以外は全部払うつもりがない。修学旅行はどこにも参加せず、運動部などクラブ活動はどこへも入らず、アルバイトで資金かせぎ。以来定年まで孤独な生活が続いた。私の自伝的小説「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」(文芸社、1600円)を読んでいただければ、私の孤軍奮闘ぶりを読むことができます。私は自分の貧乏ぶりを歎いていたが、日本社会への不満は少しも感じなかった。多くの人達が自分以上の貧乏人が多かったからだ。私が鎌倉市の県立高校を卒業した時、鎌倉市は当時から裕福な家庭が多かったから、県立高校卒業時、男はほとんど全員大学進学です。卒業時学校の先生から、「鈴木、就職どうする?」と聞かれたから、「職安(職業安定所)で見つけますよ。」と少し反抗的に答えていた。男子生徒たった一人のための就職の世話など面倒だったのでしょう。工業高校卒とか商業高校卒なら、大体働き先が決められるが普通高校卒では働き先は自分できめるほかはない。私が高校卒業後、高校の同窓会に参加したのが、高卒36年後の64歳の時です。元気で快調に過ごしているところ見せてやれと思ったからです。高卒後5,6年ぐらいのうちに長く勤められる勤め先を決めた。外資系5社渡り歩いた貿易関係の仕事です。貿易関係の仕事が好きだったわけではありません。長く勤めていられそうだと思ったからです。私には仕事にたいする誇り、愛着、愛社精神など何もありません。一番気になったのが給料の高さだけです。自分の仕事に対する、役付き、名誉、体裁など一切関係なし。関係あるのは給料の高さだけ。こうして外資系5社渡りあるいて定年。今になって考えれば、こうした徹底した考え方が良かったのでしょう。また私は自分の主義、主張をはっきり、堂々と主張してきた。どういうわけか日本人は自分の主張をはっきりさせず、ぼかし気に主張するのが多い。そのお蔭かどうか知らぬが定年後働くことなしに、どういう私の人生の風の吹き回しか、執筆活動に専念することができたのだ。贅沢はできないが、働くこともなく執筆活動ができるなんてうれしくてしょうがなかった。そのためこの20年間は幸せだった。私が中学卒業時、地方の片田舎から就職列車で大都会に働きに出ていたら、定年後働くこともなく執筆活動に専念できなかったでしょう。自宅から東京、横浜の大都会に通勤で通えることがどんなに有利か知っていたのだ。

現在の貧困原因は何か。主に家庭崩壊でしょう。最初から結婚もせずに子供を産む人、結婚して子供二、三人持って離婚した、母子家庭、あるいは父子家庭、これで収入不足で貧困に陥る。さらに親が病気になると片親だけに悲惨な家庭状況におちいる。一例をあげると、離婚した父が二人の子供(小学生)を引き取ったのはいいが病気になり、6畳一間に住み、食卓に使う御膳がそのまま勉強机になり、子供が栄養失調になりそうだ。こういう貧乏所帯でも、私の子供時代と比べて決定的に違う点が三つあります。
1.政府から生活保護費が出る。この生活保護費は、全国一律同じでなく、地方自治体によって違う、また同じ地方自治体でも住む場所によっても違うところもあるが、生活保護費は必ず出る。
2.最近、主に貧困者の子供たちに食事を提供する「子供食堂」がある。2016年で少なくとも全国で139ヵ所、およそ2年後には全国で2286ヵ所、利用者がのべ100万人を超えた。
3.冷蔵庫、洗濯機等家庭電化製品の大発展で私の子供の時の家事手伝いとは天国と地獄の差。私は小学校1年から中学校卒業するまで9年間横須賀の山奥に住んでいた。飲み水は水道でなく、井戸水。6,70メートルぐらい歩いて、つるべ落としで飲み水を運ぶのが私の仕事だった。電気製品はラジオだけ、アイロンは、アイロンの中に火鉢の中の炭(スミ)を入れていた。自宅のトイレの汲み取りも私の仕事だった。要するに家事の仕事が極端に楽になったのだ。

極端な言い方をすれば、上記(1)、(2)、(3)のおかげで昔の貧困より現在の貧困のほうが、はるかに楽で扱いやすくなったのだ。この事実を誰も否定することはできません。ところが私の子供時代にも、現役で働いている時にも、全然なかった驚くべき不思議な事が起こり出したのだ。それは過労死です。労働者に長時間労働や休みなしの勤務をさせ、病気になったり、或は自殺に追い込まれて死んでしまうことです。この過労死は先進国の中では日本だけが特出して多く、日本社会の特異な現象になっています。2017年だけで労災が過労死(自殺を含む)と認定した死者190人です。やっと横ばいになったと言われているくらいです。私は過労死に怯える労働者の気持ちが全く理解できません。労働者は仕事がきつ過ぎて、病気になったり、自殺するくらいなら、その仕事を辞めればいいじゃないですか。就職難どころか人手不足の時代でしょ。昔に比べて生活水準があがったくらいで、こうも人間の闘争心が衰えるものなのでしょうか。現在日本民族の民度の劣化がよくいわれますが、この過労死の続出は民度の劣化の典型的な例と私はみなしています。こういう情けない日本人が多く出てくるから、現在よく言われる憲法改正の内容がはっきりしないままうやむやに終わってしまっているような感じです。なぜ現行憲法破棄、新憲法制定、旧宮家の皇籍復帰、核兵器保持、日米同盟堅持、一人前の独立国家建設など、なぜ国民の前にはっきりと主張できないのか。私は日本民族の劣化が激しく、ますます日本の主体性をはっきりと主張し、実行することができない国になるのでないでしょうか。シナ、韓国、ロシアに浸食されつづけ、いざとなったら拉致事件のようにアメリカにお願いするのですか。そんな日本の姿になんとも思わない日本人が多くなっているのではないでしょうか。こんな情けない、惨めな日本の姿が見えてくるのです。


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