Archive for 9月, 2018

戦後の貧困、現在の貧困

大東亜戦争終結時、私は小学校一年。私の世代の人たちは、大東亜戦争敗戦後の社会で育った。だから同じ貧乏でも共通点が非常に多かった。戦場で父を亡くし、空襲などで母を亡くし、戦後孤児になって浮浪児と呼ばれ、国支援の民間の施設、あるいは国の施設で育てられた。厚生省昭和23年2月の発表によると、親戚の人にも引き取られずに施設に預けられた浮浪児たちは、1歳から18歳まで全国で123,511人です。この人達の中で現在80歳以上になり元気で会話をかわせる人がおれば、筆者に連絡して頂けませんか。私は自費でその人の所へ伺い、その人の伝記を無料で書きたいと思っています。興味があれば「えんだんじのブログ」にご連絡ください。

浮浪児に次いで苦労していると思われる人達は、私の中学卒業時、即ち昭和29年4月青森発上野行き夜行列車、これが最初の就職列車で大都会に働きに出る地方の中卒の方々です。この大都会向け就職列車は昭和50年の4月まで21年間続いたのです。私が中卒の時から21年間就職列車が続いたということは、現在60歳以上から80歳までの多くの男女の最終学歴が中卒のままでいることを意味しています。すなわちこの年代が最終学歴中卒の人たちが多いいのです。私はその方々より少し条件が良かった。私はもし公立高校に入学できれば、その高校に入学し、入学できなければ就職と決めて受験したら合格したからです。合格しても、学費以外は全部払うつもりがない。修学旅行はどこにも参加せず、運動部などクラブ活動はどこへも入らず、アルバイトで資金かせぎ。以来定年まで孤独な生活が続いた。私の自伝的小説「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」(文芸社、1600円)を読んでいただければ、私の孤軍奮闘ぶりを読むことができます。私は自分の貧乏ぶりを歎いていたが、日本社会への不満は少しも感じなかった。多くの人達が自分以上の貧乏人も多かったからだ。私が鎌倉市の県立高校を卒業した時、鎌倉市は当時から裕福な家庭が多かったから、県立高校卒業時、男はほとんど全員大学進学です。卒業時学校の先生から、「鈴木、就職どうする?」と聞かれたから、「職安(職業安定所)で見つけますよ。」と少し反抗的に答えていた。男子生徒たった一人のための就職の世話など面倒だったのでしょう。工業高校卒とか商業高校卒なら、大体働き先が決められるが普通高校卒では働き先は自分できめるほかはない。私が高校卒業後、高校の同窓会に参加したのが、高卒46年後の64歳の時です。元気で快調に過ごしているところ見せてやれと思ったからです。高卒後5,6年ぐらいのうちに長く勤められる勤め先を決めた。外資系5社渡り歩いた貿易関係の仕事です。貿易関係の仕事が好きだったわけではありません。長く勤めていられそうだと思ったからです。私には自分の仕事にたいする誇り、愛着、愛社精神など何もありません。一番気になったのが給料の高さだけです。自分の仕事に対する、役付き、名誉、体裁など一切関係なし。関係あるのは給料の高さだけ。こうして外資系5社渡りあるいて定年。今になって考えれば、こうした徹底した考え方が良かったのでしょう。また私は自分の主義、主張をはっきり、堂々と主張してきた。どういうわけか日本人は自分の主張をはっきりさせず、ぼかし気に主張するのが多い。そのお蔭かどうか知らぬが定年後働くことなしに、どういう私の人生の風の吹き回しか、執筆活動に専念することができたのだ。贅沢はできないが、働くこともなく執筆活動ができるなんてうれしくてしょうがなかった。そのためこの20年間は幸せだった。私が中学卒業時、地方の片田舎から就職列車で大都会に働きに出ていたら、定年後働くこともなく執筆活動に専念できなかったでしょう。自宅から東京、横浜の大都会に通勤で通えることがどんなに有利だったのかを身を以て体験したのだ。

現在の貧困原因は何か。主に家庭崩壊でしょう。最初から結婚もせずに子供を産む人、結婚して子供二、三人持って離婚した母子家庭、あるいは父子家庭、これで収入不足で貧困に陥る。さらに親が病気になると片親だけに悲惨な家庭状況におちいる。一例をあげると、離婚した父が二人の子供(小学生)を引き取ったのはいいが病気になり、6畳一間に住み、食卓に使う御膳がそのまま勉強机になり、子供が栄養失調になりそうだ。こういう貧乏所帯でも、私の子供時代と比べて決定的に違う点が四つあります。
1.政府から生活保護費が出る。この生活保護費は、全国一律同じでなく、地方自治体によって多少違う、また同じ地方自治体でも住む場所によっても違うところもあるが、生活保護費は必ず出る。
2.最近、主に貧困者の子供たちに食事を提供する「子供食堂」がある。2016年で少なくとも全国で139ヵ所、およそ2年後には全国で2286ヵ所、利用者がのべ100万人を超えた。
3.学童保育
昼間保護者が家庭にいない小学児童。学童保育所の統一的な名前はない。全国各地で適当に呼ばれています。2013年5月1日現在、全国の設置施設数21、482ヵ所、登録児童数889,205名(全国の小学生総数6、676,920名)。
4.冷蔵庫、洗濯機等いわゆる家庭電化製品の大発展で私の子供の時の家事手伝いとは天国と地獄の差。
私は小学校1年から中学校卒業するまで9年間横須賀の山奥に住んでいた。飲み水は水道でなく、井戸水。6,70メートルぐらい歩いて、つるべ落としで飲み水をくみ、運ぶのが私の仕事だった。電気製品はラジオだけ、アイロンは、アイロンの中に火鉢の中の炭(スミ)を入れていた。自宅のトイレの汲み取りも私の仕事だった。要するに家事の仕事が極端に楽になったのだ。

極端な言い方をすれば、上記(1)から(4)のおかげで戦後の貧困より現在の貧困のほうが、はるかに楽で暮らしやすくなったのだ。この事実を誰も否定することはできません。ところが私の子供時代にも、現役で働いている時でも、全然なかった驚くべき不思議な現象が起こり出したのだ。過労死です。労働者に長時間労働を休みなしの勤務をさせ、病気になったり、或は自殺に追い込まれて死んでしまうことです。この過労死は先進国の中では日本だけが特出して多く、日本社会の特異な現象になっています。2017年だけで労災が過労死(自殺を含む)と認定した死者190人です。やっと横ばいになったと言われているくらいです。産経新聞(平成30・9・6)「平成30年史」、過労死の年代順を拾ってみると、
1.昭和63年4月
全国で大阪府に初めて「過労死110番」という名称で電話相談の受付を始めた。
2.平成3年11月―「全国過労死を考える家族の会」が結成。
3.平成14年―「過労死(karoshi)」が英語の辞書に記載。
4.平成25年5月―国連が過労死・過労自殺の防止を日本政府に勧告。
5.平成26年6月―「過労死防止対策推進法」が成立。
6.平成28円10月―初の「過労死白書」を公表。
これによると、全国の過労死は、全体で年間200人前後で極端な上がり下がりはないが、過労死が出始めのころは、過労死は病気による死が上回っていたが、平成26年頃から過労死は病気で死ぬより過労自殺で死ぬ方が多くなった。

私は過労死に怯える労働者の気持ちが全く理解できません。労働者は仕事がきつ過ぎて、病気になったり、自殺するくらいなら、その仕事を辞めればいいではないですか。就職難どころか今は人手不足の時代でしょ。昔に比べて生活水準があがったくらいで、こうも人間の闘争心が衰えるものなのでしょうか。自己主張能力が下がるものなのでしょうか。現在日本民族の民度の劣化がよくいわれますが、この過労死の続出、相変わらず続く幼児の虐待、子供の自殺の多さ、平気で日本を貶める日本人の多さなどとは、全く同じで民度の劣化の典型的な例と私はみなしています。こういう情けない日本人が何故多く出てくるのでしょうか?その原因は日本の教育制度の欠陥です。戦後、GHQは戦前の日本の教育制度をほとんどすべて悪とし、下記の四つの項目に関する指令を日本政府に提出。
1.日本教育制度に対する管理政策に関する指令。
2.教育及び教育関係者の調査、除外、認可に関する指令
3.国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに広布の廃止。
4.修身、日本歴史及び地理の停止。
さらにGHQは本国アメリカから教育使節団を日本に派遣、報告書を作成。
日本政府は上記四つの指令書とアメリカ教育使節団の報告書に基づいて日本の戦後の教育方針をきめた。すなわちGHQは、日本の教育方針を決めたのです。日本は歴史の古い国だ。教育方針にも古い歴史がある。なにも独立して間もない歴史が極端に浅いアメリカに学ぶ必要ないと突っ張れば良いものを、敗戦のためGHQに積極的に迎合していったのだ。

日本が独立を回復した時、日本の教育界では、日本の戦前の教育の長所、短所、戦後アメリカ教育の長所、短所などが話あわれたことなど何もありません。日本が独立を回復したとき、現行憲法を無効にして新憲法を作るべきだったし、同時に日本の教育制度を徹底的に改めるべきところ、ほとんど何もしなかったのだ。「新しい歴史教科書をつくる会」を設立したが、日本の教育制度を改める、例えば日教組を潰さない限り、「つくる会」の教科書が全国的に採用されることもなく、日本の復活もあり得ません。新憲法作成、日本の教育制度の大改革、どれも強力な政治力が必要です。現在の日本の政治家は戦後七十年以上経つが政治家はファミリービジネス、家系政治産業界出身者ばかりが多くなってしまった。一人一人数えたわけではないが、いつの間に150人ぐらいになっているらしい。現在の政治家には、魅力的な政治家はほとんど皆無になってしまった。保守層の間では安倍総理は人気だが、私も安陪さんを強力な支持者だった。安倍氏が無冠の帝王のような状態のとき、彼は公言するほど「つくる会」の強力な支持者だったからだ。その頃私はミクシーの友達と一緒に安倍氏と面会し、私は安倍氏と「つくる会」の話もした。一緒にいた親友の元プロカメラマンが私と安倍氏の二人だけの写真をA4の大きさで撮ってくれた。私は今でも記念に持っています。ところが安倍氏は首相になると「つくる会」を平然と裏切り八木秀次(育鵬社)を支持した。今では安倍氏に対して「自分が惚れた女性に裏切られた感情」と同じような感情を持っています。安倍総理は、やはり二世議員、「機を見る敏はある」が「信念に欠ける」のだ。日本には現在、有望な政治家はいません。自民党総裁候補も安倍氏と石破氏です。石破と言えば私には思い出すことがあります。私は平成18に「原爆正当化のアメリアカと従軍慰安婦謝罪の日本」(展転社)を出版した。日本テレビのあるディレクターがこの本に注目しテレビ出演の依頼を受けた。テレビ番組のタイトルは確か「太田総理に秘書田中」だったと思います。本の宣伝になると思って出演することにした。その出演者のなかに石破がいた。石破は元防衛庁長官で出演していた。テレビ番組の収録のとき、私は初めて石破の歴史観を聴いた。これが元防衛長官の歴史観かと唖然とし怒りがわいた。私は石破を罵倒した。テレビ番組の収録だから皆言いたい意見を言う。翌日私はミクシーの日記にこの番組のケチと石破のケチを書いた。早速日本テレビのディレクターから、「鈴木さん、この番組の公開後の意見だったら、何を書いてもかまわないが、公開前だから鈴木さん日記を削除してくれとの依頼を受けそれに従いました。その石破が安倍氏の競争相手というのだから、日本にはもう政治的活力は生まれてこないのでしょう。私はもう日本の行く末には希望は持っていません。安倍氏に関しては、皆さんには、もう一度拙著「保守知識人を断罪す。(つくる会)苦闘の歴史」総和社、1500円)を読んで見てほしいです。


コメント

「譲位」は憲法違反

保守の人達の間では有名人のように知られている村田春樹氏が今年の4月に展転社から本を出版した。タイトルは「今さら聞けない皇室のこと」1300円+税。この本で特に重要なのは、今上天皇の譲位問題です。この本の頁数は、全部で177頁です。その頁数の半分ぐらいを「第四章 御譲位に思う」を書いています。春田氏は、元「楯の会」会員です。元「楯の会」会員と言えば、一般の日本人以上に皇室を敬っています。その春田氏が今上天皇の譲位は、政府がすでに決めたことで覆すことはできないが、譲位は憲法違反だと主張しています。私は今上天皇の譲位が決定した時、なぜ今上天皇は譲位したいのだろうかと不思議に思っていました。何故なら今上天皇の父上、昭和天皇は、あの敗戦に終わった大東亜戦争終結の時でさえ譲位も退位もしていません。死ぬまで天皇であり続けました。大日本帝国憲法も現行憲法も天皇は議会の協賛を得なければ、立法を行えないのである。平成29年の通常国会で特別措置法として譲位が正式に決定した。その最初のきっかけが7月13日午後7時のNHKの「譲位の御意向」というリーク速報です。たまたまこの時安倍首相外遊出発の前夜。この速報は宮内庁や官邸の頭越し報道させているのだ。その後平成28年8月8日宮内庁からNHKテレビから象徴としてのお勤めについての天皇陛下のお言葉が放映された。皆さんに思い出していただくためにお言葉の全文を披露します。

『戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。私も80歳を超え、体力の面などから様々な制約をおぼえることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や勤めにつき、思いを致すようになりました。本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に80を超え、幸いにも健康であると申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を、感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行ってきたほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうかと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果し得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることには変わりありません。
天皇が健康を損ない、深刻な状況に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重いもがりの行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後葬儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関する諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

始めにも述べましたように、憲法の下、天皇の国政に関する機能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています。』

このお言葉は、今上天皇のお気持ちの表明という形式を取られていますが、実質的には日本政府に対する命令書と解釈されている方が、多いが、私もそのように解釈しています。著者の村田春樹氏は、これは誰か別の人間が書かせたものと解釈し、文章の幾つかを取り上げて説明しています。その例をいくつか挙げると、
1.「私が個人として、これまでに考えてきたことを・・・」。
 陛下がご自分を個人と言うことはあり得ない。陛下は24時間365日天皇であり、8時間勤務の労働者でもなく、いわんや個人や公人でもない。半神の御存在である。

2.「いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日にいたっています。」
いきいきとした社会に内在し、などという言い回しは変である。また、陛下は政治家でもなく、芸能人でもないので、「人々の期待に応える」必要などまったくない。陛下の御存在は、言うまでもなく「国民の総意」にも期待にも関係はない。天孫降臨の際天照大神の三大神勅に立脚しているのである。

3.「これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」。
全身全霊をもって果たしてこられたことは、心ある国民は皆わかっている。それをわざわざビデオでおっしゃる必要はない。最晩年の昭和天皇や桂宮宣仁親王、古くは大正天皇を想起していただければわかることである。

4.「天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場の求められる務めをはたせぬまま、、、、、」。
それでは大正天皇晩年の5年間、摂政を務められた東宮殿下(昭和天皇)の治世を否定することになるのではないか。お言葉から1年経っても「なぜ摂政ではだめだったのだろうか。」という問いに答えられる国民は誰一人いない。

5.「これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な、影響が及ぶことが懸念されます。」
社会はまったく停滞しないし、暮らしになんの影響もない。政治も経済も影響を受けなかったことは昭和63年に証明済みである。この年、日経平均株価は4万円になんなんとしていた。自粛ムードが起きかけたが、自粛を自粛しようとし、皆平成に坦々と日常生活を送りつつ、御平癒を祈っており、そして覚悟したのである。

6.この「譲位」という比較的短いお言葉のなかに、「象徴」という言葉が「なんと8回」も登場するのです。そこで著者の春田氏は、なぜこの「象徴」と言う言葉を強調せねばならないのか、このお言葉を話す今上天皇陛下とは別人(書き手)の政治的意図が含まれているのではないかと推察しています。私もこの春田氏の考え方に全面的に同調します。この辺の作者の説明を詳しく読むと、来年以降の上皇が一体何をなされるのであろうか、非常に興味がわいてきます。

譲位後の国民の心配:
天皇の活動、特に以下の国事行為には内閣の助言と承認を必要。
1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。2.国会を召集すること。
3.衆議院を解散することなどその他の国事行為やその他の公式行事。
ところが上皇になると、国事行為・公的行為は一切なされず、私的行為だけになる。ということは、内閣は天皇への助言承認という監督権を上皇に対しては有しないことになる。
その結果来年以降の上皇の行動の中で次の三つの不安が私の頭にも浮かびます。
一.韓国への謝罪旅行
春田氏によれば、平成29年12月14日号の週刊新潮の記事、同じ年の12月30日の読売新聞の一面トップ記事、二つとも今上陛下は韓国訪問したいとの意志。さらに陛下がサイパン島訪問時に韓国平和記念塔の拝礼されたこと、桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫であったことに、二回の公式の場で言及されています。続いてこの9月の私的旅行で埼玉県の高麗神社参拝は韓国では「退位前の和解のメッセージである」と報道しています。

二.ひょっとして上皇は、キリスト教に帰依して洗礼を受けるのではないか。
天皇陛下は、中学校一年の時、GHQの命令でクエーカー教徒のヴァイニング夫人を家庭教師につけてもらっています。英語の先生としてではなく、家庭教師として5年間努めています。それだけにヴァイニング夫人の影響を強く受けています。毎年の全国戦没者追悼式には、いつも「反省」、「反省」、「反省」のお言葉です。勇敢に戦ってくれた兵士への感謝の言葉は、一切なし、靖国神社への参拝もなし。昔をたどれば、上皇でも仏門に入って法皇と呼ばれた人もいた、白河法皇、鳥羽法皇、後白河法皇など有名です。万一キリスト教に帰依したら何と呼ばれるのでしょうか。

三.現在の天皇陛下在位中の靖国参拝は完全に夢と消えたのか?
私はひょっとして、万が一にも靖国神社に参拝してくれるのではないかと淡い夢みたいなものを持っていましたが、その夢も完全に消えたのでしょうか?しかし来年4月30日の御譲位の日まで7カ月あります。天皇陛下、日本のために戦って死んでくれた兵士たちのためにも靖国神社に参拝していただけませんでしょうか。私はわらをも掴むような気持で祈っております。

現在日本の保守陣営の方は、私のように天皇家を敬う人々ばかりでしょう。私が天皇家を敬うとは、現職の今上天皇を直接批判することは絶対しないことです。私は10年間ブログ書いてきているが、今回春田氏の本を読んで初めて今上天皇を多少とも批判するブログを書きました。今回紹介した春田氏の本は「今更聞けない皇室のこと」と何となく柔らかいタイトルになっているが、一番大事なのは譲位の問題です。それをタイトルにつけなかったのは今上天皇を批判するタイトルを避けたのは春田氏の皇室に対する深い愛情だと思っています。このように皇室に対する敬愛だけでなく、神様のように、まるで宗教的存在のように思っている方も沢山います。上皇の存在は、現代日本人にとって初めての経験なので、上皇の言動が我々日本人の心に動揺を与えるケースも充分考えられます。例えばより左翼的発言や行動などで左翼や狂(共)産党等を喜ばすこともあるかもしれません。これからの上皇の発言、行動を注意深く見守っていかねばならいでしょう。
このブログの読者の皆さんには、ぜひ村田氏の「今さら聞けない皇室のこと」(展転社)を読んでみてください。この本では「譲位」以外にも皇室について色々なことが書かれています。私は、必ずしも村田氏の意見に全面的に賛成しているわけではありません。しかしこの「譲位」については全面的に春田氏と同意見です。この本は一読の価値のある本です。



Comments (2)