Archive for 10月, 2018

えんだんじのブログ、10年目が終わります。

10年ひと昔といいますが、最近は時代の流れが速いので、10年と言ってもアット言う間の感じですが、それでもこの10年間のブログをじっくり思いだすと、10年と言う年限はそれなりに重みがあるものだと思います。私がブログを書き出すきっかけになったのは、私の著書「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の出版社、碧天舎の倒産です。本の売り出しは予想に反して好調で2004年7月に売り出してから11月には、私に生まれて初めての講演依頼(90分の講演と30分の質疑)があり翌年に1月には靖国神社で講演し、その縁で靖国神社の本屋さんでも販売してくれました。販売開始一年後、2005年7月には二刷り目の1000部が販売されました。ひょっとするとベストセラーになるかもの夢を抱きました。しかし2刷り目発売後半年ぐらいで碧天舎が倒産してしまいました。ちょうどそのころ私の二冊目の著書「原爆正当化のアメリカと従軍慰安婦謝罪の日本」がもうすぐ碧天舎から出版の予定でした。私は碧天舎の債権者の一人になってしまった。私も債権者の集会にも参加しました。ある時相模原市在住の女性から手紙が来て、当時日本では最大SNS、ミクシー(mixi)に「碧天舎の会」を立ち上げたので参加してくれとの依頼があった。私はミクシーという名前は知っているが何をどうすればよいのかさっぱりわかりませんと答えた。当時ミクシーに入会するには、ミクシーの会員の紹介が必要なのでその相模原の女性が紹介してくれ、彼女が日記の書き方、返答に仕方などをメイルのやりとりで教えてくれました。それ以来私は、ミクシーに色々なことを書き始めました。半年か一年ぐらい書き続けると、それを読んでくれていた仙台のGさんが「鈴木さんの日記は、内容が良いからミクシーの日記ぐらいではもったいない、自分でブログを書いたらどうですかとの提案があった。私は自分のブログの書き方など何も知りませんと伝えたところ、仙台のGさんがそれでは「私が作ってあげましょう」といって無料でブログが書けるFC2のブログの書き方を教えてくれました。以来二、三か月、或は半年ぐらいFC2のブログを書き続けていましたが、西尾先生のブログを見た時、自分でも私自身のブログを持ちたいと思い、仙台のGさんにお金を払うから自分自身のブログを持ちたいと言ったところ「私が作ってあげましょう」と言って、最初に書いた、えんだんじのブログのタイトルが「カントリーファースト」2008年10月13日です。以来Gさんは、私のブログ管理人になってくれ今でも私のブログの管理人になってくれています。ブログを書き始めた一年間は毎週の土曜日にブログを書き、次の年からは毎月二週間おきの土曜日、すなわち月二回のペースでブログを書き続け今回で毎週土曜書き続けた1年間と合わせて合計10年間書き続けました。書いたブログの記事数は、アーカイブとしてブログ上に残っております。書いた全記事数は306通です。この中から良い記事だと思うものは取り上げて一冊の本にしようと思っています。

えんだんじのブログは、私がミクシーの会員になり、ミクシー上に書く日記として登場したものですから、えんだんじのブログとして独立して公開されてもミクシーにも公開していましたからミクシーの会員から数多く読者が読んでくれました。またその頃ミクシーの全盛期で、20歳前後から30代、40代、或は50代前後若い会員が圧倒的に多かった。また私の毒舌的な文章も反感を買ったり、また逆に受けが良かったり、色々なコメントが来るのでその反応を読むのが楽しかった。その傾向が一転したのがアメリカのフェイスブックの登場です。猫も杓子もフェイスブックの会員が増えました。ミクシーの会員たち軒並みフエイスブックの会員になっていきました。ミクシーの会員たちは正式にミクシーを退会しなくてもフエイスブックの会員になれますので、私の知っている古い会員たちは、えんだんじのブログを公開する度に読んではくれませんが、思い出したように私のブログは読んでくれていることはミクシー上で知ることが出来ますので、私の慰めの一つになっています。あれほど日本の若者の人気絶頂にあったミクシーがフエイスブックの人気に圧倒されるとはあまり気持ちのいいものではありません。また私はこの夏80歳になりますので、高齢者の私のブログファンが更に年を取り、あるいは亡くなられたりして、私のブログへのコメントが突然途絶えたりすると、病気の重症化、あるいは死を予想したりして気持ちのいいものではありません。全体としてえんだんじのブログの読者数は少なくなって当然なのですが、私のブログの管理者によると、私のブログ読者数は、減ってはいず、この二、三年ほぼ変わらないそうです。
来月11月からは、えんだんじのブログは11年目に入りますが、11年目から毎月、月一回のペースにするつもりです。ブログを月二回にすると読書数が極端に少なくなるのです。また年のせいか本を読むと眠くなる時も結構あるのです。読書不足解消のため、ブログを書く回数も最低でも月に一回にするつもりです。
読者の皆様10年間の長い間読んでいただきましてありがとうございました。また来月から11年目のブログを書き続けていきますのでご愛読のほどよろしくお願いいたします。

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私のライバル、ヒュー・ヘフナー

このブログは、昨年11月4日に出した小説「戦後昭和の女性たち(3)」の全部同一のコピー作品です。何故再提出したか、皆さんに私の小説「戦後昭和の女性たち」を思い出させたいからです。
引用開始
(一)ライバル
皆さん、ヒュー・ヘフナーと言えばどんな人だか知っていますか。最近ヘフナー氏は91歳で死んだが、彼はあの超有名なアメリカの週刊誌「プレイボーイ」誌の創刊者です。ヒュー・ヘフナーは、1953年(彼が27歳の時)「プレイボーイ」を創刊した。その創刊号にあのマリリリン・モンローのヌード写真(本人の承諾なしに)掲載し世間をアット言わせたのだ。以後数十年にわたり豊満な女性のヌードグラビアと読み応えのある記事が世界的に高い評価を受け、世界各地に現地版の「プレイボーイ」を発刊させた。ヘフナーとモンローは奇しくも同じ年で、私より12歳年上です。「プレイ^ボーイ」に載せられたヌード写真は、モンローが同じ27歳の時ですから、ヌード写真の年齢は少なくとも同じ27歳か、それとも27歳以下の年齢です。すなわち彼女の全盛期のヌードだから世界中の男性ファンをアット言わせたことは間違いない。ヘフナーは女性の裸の写真で大金持ちになったのだ。老後はプレイボーイ社の経営を娘のクリスティーに任せ、彼自身はプレイボーイ・マンションに住んでいた。そこは男たちの究極の隠れ家、そこでは全てがセックスのためにあり、全ての女性たちはやるためにいると男たちは勝手に空想した。ヒュー・ヘフナー氏はその館で死んだ。ヘフナーは生前に購入していた場所に埋葬された。マリリン・モンローの墓の隣だった。ヘフナーもマリリンも同じ年だからお互いの顔を知っていたでしょう。しかしモンローの男性遍歴にはヘフナーはいないし、ヘフナーの女性遍歴にはモンローの名前はない。モンローは彼女の承諾なしに「プレイボーイ」の創刊号に載せたことが許せなかったのだろう。ヘフナーはモンローファンの一人だったのだろう。だから生前、彼はモンローの墓の隣の地所を大金で買ったのでしょう。このヘフナーの記事は、今年に11月19日のニューズウイーク誌に出ていた。早速私が自分の「えんだんじのブログ」に取り上げたのには理由があった。

今年の9月1日私は、文芸社から文庫本で「戦後昭和の女性たち」(700円)を出版した。全部で八編からなる短編小説、全部で10人の女性を登場させた女性短編小説集です。一から七までは現実の女性を扱って書いていますが、八はタイトルが「天国での女性体験」で、天国での空想体験の話で、想像上の話が主体です。通常人間は死ぬ直前には死後天国に行ったら、あれこれしようとか、地獄に行ったらあれこれしようなど考えずに黙って死んでゆきます。しかし私は違う、「俺は間違いなく天国に行く、天国に行ったらマリリン・モンローを口説いて、ベッドを共にしよう。生前彼女が欲しがっていた子供を絶対に作ってやって、幸せにしてやると考えていたのだ。予想通りに天国に行けたので、計画通りモンローを口説き始め、成功し、ベッドを共にし、赤ちゃんも作ることが出来た。モンローに子供が出来て記者会見の時に、どこかの国のボーイフレンドと恋仲になって子供ができたと公表すればよかったのに、ところが日本人の定年サラリーマンのミスター鈴木と恋仲になってなどと本当のことをしゃべってしまい、そのため鈴木は日本のマスコミの寵児になってしまい、鈴木の物静かな定年人生がてんやわんやになり大騒動を巻き起こす物語なってしまったのだ。
ヘフナー氏と私はモンローファン、お互いライバルです。世界中にモンローファンのライバルが沢山いるでしょう。しかし私みたいに天国にいるモンローを口説いてベッドを共にし、子供を産ませて彼女を幸せにしてやった小説を書いたのは世界広しといえども恐らく私一人でしょう。それだけに小説「戦後昭和の女性たち」を一読する価値があると思っています。

二。男性読者からのコメント
さきほど一気に読み終えました。のちほどあらためて感想を・・・。
登場人物の生きた世界は私のそれとは全く違いますが、小説としても正直、面白いな~と思いました。なんでそう感じるのかな?と思ったのですが、
私の視点は、この時代が、ヒロインの両親はみな戦前の歴史を引きづって
いること。結果、いわく言い難い、両親もしくは片親との悲しい別れ、あるいは知恵遅れの兄弟を面倒みていたこと・・・など。
悲しいまた貧乏生活のなかで優秀な弟(のち東大医学部へ)の学費を送金・・姉はクラブで労働・・。姉の死を前に弟が著者に託した姉への恋文作成の依頼、それを読んで安堵した姉の、さわやかな死に顔・・・・。さわやかに天国へ逝くというのはこういうことだろう。
さらにいえば、登場する昭和の女たちは、みな現代とは違った経済生活の「苦労」と「緊張」を抱えており、それしか生きる道がなかった・・という宿命の
なかで実にいじましく人生を送っていたのである。
現代の、その気になればいくらでも仕事がある・・という経済安全圏とはまるで環境が違っていた。
そういう時代環境のなかで花咲いた、悲しくもそれなりに男との出会いによって一抹の幸せも得た・・という物語である。
考えさせられたことは、昭和という時代は、戦前と戦後が深く交錯する時代であったこと。
平成の弛緩した時代環境とは大きな差がある。その意味で、昭和という時代は、「文学」が成立し得る基本条件を備えていたこと。これが解る年代はたぶん団塊の世代以上ではないか。
・対して、平成の時代はなかなか「文学」が成立し難い、いや成立するとしてもQualityがまるで異なる。
いま政官財界、その他で活躍する人たちは、段階の世代
以前の人たちが多い。鈴木さんの時代感覚とは違った世代の人たちである。良くも悪くも時代の変遷とはそういうものだ。
以上即席感想でした。しかし文章の実に巧みなこと・・・
それ以上に、鈴木さんの真剣な生き様と鼓動が伝わってきました。
もっともどこまで実話で実話でないのか、知りかねますが・・。まずは御礼まで*フェイスブックでもご紹介します。
三。女性読者からのコメント
こんばんは。感想遅くなりまして、申し訳ありません。
大分前に読み終わってはいたのですが、なかなかえんだんじさんのように上手に文章に出来なくてすみません。一番印象的なのは、えんだんじさんは、本当に素敵でモテモテでいらしたんだなぁということです。それと、この頃の女性は、可愛くて女らしくて素敵ですね。
男性と女性が、その役割をきちんと果たしていたように感じます。私はそんな感じの方が好きですよ。どうして男女というものがあるのか、ちゃんと訳があってのことでしょうに、何でもかんでも平等にしたいというのは、何かの策略に翻弄されているような気がしてしかたありません。ただ、昭和初期の女性は、ずいぶんご苦労なことも多かったのではないでしょうか?だから、男性に頼らなくてはならない世の中だったという気もします。
えんだんじさんが日頃日本の名誉のために頑張っていらっしゃるのは本当に素晴らしいことだと思っています。一方、こうした小説もとても面白いですね。面白いというのは、失礼ですね、だってこれはほとんど実話なんですよね?
でもこんなに沢山の想い出をお持ちというのは、お幸せだと思います。
読ませて頂いて、私もその当時にタイムスリップ出来たような気がします。
ここに登場された女の方たちは、辛いことも沢山あっけれど、皆さん前向きで人生を一生懸命生きていらっしゃいますよね、私も少し見習いたいなぁと思いました。そして、今の20代、30代、40代の人が読むと、やる気が増すのではないですか?
私もあっという間に読んでしまいました。えんだんじさんが、これからも益々お元気でご活躍されますよう、お祈りしています。また色々なことを教えて下さいね。
四。読者の皆様へのお願い。
この小説は、私の前作『えんだんじ・戦後昭和の一匹狼』に次いで二作目です。何故私が小説を書いたか?ベストセラーにして印税をかせぎ、私の人生の最終目的、私の大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の英文版「The USA is responsible for the Pacific War」 を世界中、いや少なくともアメリカ中にばらまきたいからです。アマゾンでお買い上げの方がおられましたら、率直なコメントを書いてくださいませんか。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」のように沢山のコメントを書いてくれるとありがたいのです。よろしくお願いいたします。
引用終了

 

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