保守知識人の三くず

保守知識人の三人のくずとは、三島由紀夫氏、江藤淳氏、西部邁氏の三人の事である。三人の共通点は、三人とも生存中は偉そうなことを言ったり、書いたりしていたが、自殺しているのである。三島由紀夫は昭和45年(1970)11月25日、自衛隊のバルコニーから自衛隊員に憲法改正のための決起(クーデター)を呼びかけたが、誰一人応じようとせず、そのため三島は自ら割腹自殺をした。享年45歳。男の人生の花盛りのとき、自殺しているのだ。後年老年になったら自ら自殺をするとは思わなかった江藤淳は、「自衛隊ごっこ」の遊びと三島を批判していた。
江藤淳は、平成11年(1999)7月21日、手首自傷、享年66歳。妻を病気で失い(平成10年12月)、彼自身も軽い脳梗塞を起こしている。遺言に「心身の不自由に進み、病苦に耐えがたし。去る6月10日、脳梗塞の発作に遭い以来の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処刑して形骸を断ずる所似なり、乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。」妻の病死のおよそ半年後の自殺です。江藤には子供はいなかった。
西部邁は、平成30年(2018)1月20日、玉川入水自殺。享年78歳。妻は平成26年(2014)に病死。上記二人との自殺の違いは、西部の二人の信奉者、現役のサラリーマンが自殺幇助罪で警察に捕まり、二人とも懲役2年、執行猶予3年の有罪になったことです。普段自殺するなどと偉そうなことを言いながら、また偉そうなこと書きながら、結局は彼の信奉者に自殺の手伝いをさせていることだ。世間ではこの三人の自殺者に非難の目が向けられないが、もっと非難の目を向けるべきではないのか。現在世間では子供がいじめにあって自殺すると、親はそのいじめを批判し、いじめ生む社会を批判するが、親がもっと強い子に育てるべきだったと自省する親はほとんどいない。現在は子供が少ないから不埒な子供でも勘当すらできない。私は三人の子供がいて、三人とも女房に預けて離婚したが、離婚したあとも子供たちには、「人生は戦いだ」を小学生の時から言い続けてきた。離婚後子供たちと顔を合わせることができないが、その代わり息子と姉妹に毎月一回2通の手紙を20歳になるまで書き続けた。そのせいか、今では三人とも堂々たる社会人です。
左翼の知識人には、自殺などする人は少ない。自分が苦労すると、資本主義が悪いとか社会が悪いとかなどと全部他人のせいにするから自殺などしない。三島由紀夫の自殺などは、根が有名な小説家で脚本家だけに、自分の自殺を自作自演の脚本通りに演じてみせたものだ。
人間社会の中で何が一番不幸でつらい事ですかと問えば、皆さん何と答えますか?一番不幸でつらいことは、長年の貧乏を続け、長年の大病を患うことです。私の両親は長年の貧乏と長年の大病のうちに死んでいった。しかしその間早く死にたいとは一言も言わなかった。
私の両親の生き抜こうとする生命力と上記三人の保守知識人の生命力とは段違いの差があるのだ。まず父親の話から始めよう。

父親は大学卒業後日本鋼管に入社した。入社後数年で肺結核になった。そのため軍隊にとられずにすんだ。戦争中は満足な治療は受けられず、病状は悪化するばかりだった。敗戦後に強制的に入院させられ、片肺を切除され、およそ5年かかって、本社に社会復帰した。それから5年ほどして今度は腎臓結核にかかり、一つの腎臓の手術削除を進められた。父親のショックは大きかった。現代医学を一切拒否するメシヤ教に入信して、飲み薬から一切の医学的治療を拒否。病状は悪化するが、悪化は快方の一歩手前と解釈されていた。母は父を騙して病院に連れてゆき、腐った一つの腎臓を削除した。残り一つ腎臓は、腎臓機能100%完全でなく、その7割から8割の機能を薬を飲み続けて長生きさせる方法をとった。これで会社に復帰するのにこれも5年ほどかかった。入院中に日本鋼管から下請けの会社に転勤させられていた。出張には出張カバンに尿瓶を入れていた。55歳で定年の時、役付きなしの平サラリーマンだった。定年後父は、コネも仕事の紹介もなく東京海上の保険を売り始めていた。個人販売です。年寄の男で金のない男はつらい、さびしいものだ。ある正月の三日、父親がなかなか起きてこない、おかしいと思って私が起こしに行くと、「トイレに行きたい」というので抱きかかえてトイレに入ると、がっくりと父は首を前に落としていた。何度ゆさぶってもだめだった。脳梗塞で死んでいた。享年78歳だった。
葬儀の時、東京海上の人が、「お父さんは、新しいタイプの保険証券売り出しの時の勉強ぶりは大したものだった。」とほめた。父が死の直前までぼけなかったのはそのためもあったのでしょう。定年後歳をとり、稼ぎも雀の涙ほど、それでも音を挙げず最後まで頑張ろうとする父には頭の下がる思いです。
母は52,3歳まで元気で父の長年の病弱状態をカバーしてきたが、50代半ばに入って体にガタが来た。まず胃がんになり胃の三分の一を切除した。回復したが直ぐ咽頭がんになった。誰でも声帯が二つあるのだが、治療のため声帯を一つ取り除いた。そのため母の地声が半分になり小さな声になってしまった。咽頭がんが回復したら、今度は大腸がんになった。
手術で肛門を切除したので人口肛門を横腹の下に取り付けた。当時日本製の人工肛門が無く、値段が高かった。春になって外が暖かくなると、貧乏性の母は、外庭の水道水で人工肛門を洗い、乾かして使っていた。人工肛門をつけて一人で外出できるようになると、今度は小腸がんになった。当時一人で三つも四つも癌になるのを多重癌と呼んでいた。母は多重癌を患ったのだ。すでに三つの大手術を経験し、癌特有の痛みも加わり、小腸癌の時には体力を消耗してしまっていた。小腸癌の手術を受けずに死んでしまった。享年71歳の若さだった。

私の両親は、年をとっても最後の最後まで、早く死にたいとは子供の前では弱音をはかずに死んでいったのだ。だから老人でも自殺する人はきらいだ。まして有名知識人みたいに人にお説教したり、書いたりする人が自殺するのは、人の生き方としては最低の最低と私は決めつけています。日本では、自殺は公のためでしか許されません。公のためとは、例えば、「城を枕にして討ち死に」とか「特攻隊の死」とかそういった人たちたちの死です。

今年ものこり数日、えんだんじのブログのご愛読ありがとうございました。来年からひと月二回のブログを月一回にするつもりです。題材は日本国家についての焦点を絞ったブログにしようと思っています。そうすると年間12回のブログを書く事になります。翌年それをまとめて本にしようと思っています。それでは皆さま、良いお年をお迎えください。
 

2 comments »

  1. 勇馬眞次郎 より:

    私も小学6年から社会人になるまで脳梗塞で倒れた母親の看病と看護をしましたので、お気持ちはある程度察しますが、だからといって自殺する人を嫌うとか、有名知識人が自殺するのを人の生き方として最低と決めつけることは毛頭出来ません。人には自死を選ぶ自由があり、自死という生き方によって肉親や他人に迷惑がかからなければ全く問題はなく非難してはならないと考えます。

    寧ろ江藤淳氏の自決には共感を覚えます。米国から帰国した平成11年に彼の「閉ざされた言語空間」を読んだ直後の事件でしたので報道されたその遺言は賛否両論とともに記憶に強く残っています。

    「脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所似なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。」

    に対して、浅利又七郎の末裔、浅利慶太は、「彼の強さが、単なる自殺ではなく、矜持を保ったままの”自決”を選ばせたが、その本質は、限りない優しさによる、”妻への殉死”だと思う。」と評しました。浅利氏も私も、自殺を美化したり推奨するつもりはありませんが、これが率直な感想であり、素直な反応であったと思います。

    母の亡くなる前に父が入院したときも一人息子の私が付き添いましたが、父の心身の不自由が進み、病苦が堪え難くなり、形骸に過ぎなくなった父に、私は1日でも長く1時間でも余計に生きてほしいと願いながら、生に執着も未練もなく自殺を試みようとする父を監視しながら泊まり込んで看病しました。今となっては最後の数か月の苦しみを早く終わらせるのが父には幸せだったのではないかと思うこともあります。

    「自殺は公のためでしか許されません。」と断言することは決して出来ないと思います。厭世でも病苦でも何でも私的理由で死を選ぶ自由は許されるでしょう。公のためとされた「特攻隊の死」は自殺ではありません。敵への体当たり攻撃の戦闘行為です。Suicide attackは誤訳・誤謬です。

    三島由紀夫の評価を自決の一事をもって「くず」とするのは余りにも行き過ぎです。彼は私ではなく公のために死を選びました。彼が何を意図して自己の生命を犠牲にしたのかをえんだんじ様は十分ご存じのはずです。英訳までされた御著書「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の出版はその志が三島と全く同じだと私には解されます。

    人間にとって死は確実ですが死期は不確実です。人生百に満たず、なお千載の憂いを抱く者同士、人生の元気な晩年をどう過ごし、最期にどう終わるかは切実な問題です。えんだんじ様の来年のご活躍ご健勝をお祈りします。

  2. えんだんじ より:

    勇馬真次郎さん
    ご丁寧で詳細なコメントありがとうございます。自殺した死者に対して露骨な意見はきらわれます。まして三人は有名人であるだけに、それだけきらわれやすい。このブログの発表には時間がかかりました。昭和29年、私が中学卒業の年に地方の中卒生は大都市の会社に就職しやすいよう集団就職列車が手配された年です。その後丸20年間連続して運行されました。そのため現在80歳から60歳の人たちは、他の世代と比べて最終学歴が中卒の人が圧倒的に多いの特徴です。
    この人たちに三島由紀夫の45歳の自殺の仕方を話ししたら、圧倒的に称賛するでしょうか。
    私自身は、公立の高校に入学できなければ、就職すると決めて受けてみたら合格しました。入学後は、学資稼ぎに禁止されていたアルバイトにそ忙しく、修学旅行、クラブ活動などなど、すべて参加せず、大学受験校だったため、自分で職安で仕事先を決めた。以来延々とどん底生活が続いた
    のです。どん底生活から這い上がった私にとって、自殺は人生の敗残者という意味が強いのです。
    この意見は私の孫には押し付けますが、他人には押し付けません。死に関する意見は、人それぞれ
    違いますから。

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