「君が代」に二番、三番あり。



一.君が代は 千代に八千代に
   さざれ石の 巌となりて こけの むすまで
二.君が代は 千尋の底の
   さざれ石の 鵜のいる磯と あらはるるまで
三.君が代は 限りもあらじ
  長浜の  真砂の数は  よみつくすとも
「エッ!」とお思いの方が多いでしょうが、本当にあるのです。それが上記です。今回編集部はこの衝撃的事実を発見、また、次の史実も合わせて読者の皆様にご報告いたします。
明治維新の新政府は、各国礼式にのっとり、国旗、国家の制定に着手し、英国軍楽隊長を講師に招き、古来より伝わっている祝詞に作曲した「君が代」を完成、明治三年東京の越中島における観兵式で明治天皇に発表したが、今の「君が代」とはメロディーの異なる異国風のものであったという。
時は移り明治13年、宮内庁雅楽部、林廣守が雅楽風のメロディーに切り替え、現在の「君が代」誕生したのである。また、縁とは奇なものである、その林廣守の先祖は秦河勝(はたのかわかつ)といい、推古天皇・聖徳太子に仕えた人物であった。近年の研究で「君が代」の本詩はその推古天皇・聖徳太子の詩をあつめた「詠歌本紀」に納められていた祝詞であることが判明した。
紀貫之の「古今和歌集」が「君が代」の本詩と記憶の方も多いいでしょうが、さらに二百年も古い1500年前の推古朝の詩であったのだ。この歴史のゆりかごに育まれた国歌「君が代」、いわば日本国民の魂の遺産と言えよう、大切に子々孫々まで伝えたいものである。
以上は、自衛隊、中央音楽隊、小林正雄一曹の文章をそのまま拝借したものです。
「詠歌本紀」によると「君が代」の一番の原文は、以下の通りです。
「君之代者千代干八千代干
     微小砂石之磐巌興成而苔之結迄時人」
(旧漢字は、変換できないので新漢字になっています)
「君が代」のこの話、去年知人から聞かされていました。最近彼から、記事のコピーをいただきましたので公表してみました。もうすでにご存知の方にはご容赦ください。
日本の国歌の詩の古さ、すごいではないですか。こんなに古い詩を国歌にしている国なんか他にないでしょう。世界には現在、独立国が全部で何カ国あるか、私は正確な数は知りません。しかし、間違いなく100カ国以上あるでしょう。それらの独立国のうち、1500年も前に存在していた独立国となると、ほんの数えるほどになるでしょう。
1500年前に祝詞を述べられた君主が、現在でもその子孫が君主として存在しているのは、世界広しといえど日本だけです。「君が代」と皇室を世界遺産にしたいくらいです。「君が代」を戦争に結び付けて反対している連中は、この事実をなんと思うのでしょうか。
本来ならNHKが、「詠歌本紀」の実物をカメラに映し出し、ニュースとして全国に流して当然です。ところが現在のマスコミ、特に朝日やNHKなどは、「君が代」や「靖国神社」に偏見を持っているのだ。
私が住む神奈川県では、公立学校の教師が百人を超す集団で、入学式、卒業式での「君が代」斉唱と国旗掲揚を義務付けた神奈川県教育委員会を提訴しています。もう三年がかりの法廷闘争です。私が会員になっている「日本世論の会」(神奈川支部)の人たち、数人が必ず法廷を傍聴しています。私も二回傍聴しました。
そうしないと、50席にも満たない傍聴席が、彼らの支援者で独占されてしまうからです。
入学式、卒業式に国旗を掲揚し、ピアノ伴奏つきで、全員起立のもとに「君が代」を斉唱することの是非を大の大人が雁首そろえ論じてあってもう三年越しの裁判です。大変な時間と税金の無駄遣いもはなはだしい。あまりにも馬鹿バカしく法廷に向かって怒鳴りつけたい衝動を抑えるのが大変です。反対する連中を一人一人張り倒したいくらいです。

5 comments »

  1. wantanbee3 より:

    今朝はお電話有難うございました。 早速読ませていただきました。
    私も「おもしろ英語にゅーす」として、毎日Upしています。 よろしかったら、ご訪問ください。

  2. 秀真 太郎 より:

    …[詠歌本紀]…説を言うとすれば、『先代旧事本紀大成経』(72巻本)の正当性(偽書説有り)も、言う必要があります。私は、其の[72巻本](先代旧事本紀大成経)の正当性を支持しています。 

  3. えんだんじ より:

    秀真太郎さん

    ブログへのコメントありがとうございます。
    「先代旧事本紀大成経」72巻本、私は読んだことありません。
    教えていただけませんでしょうか。

  4. 秀真 太郎 より:

     …『先代舊本紀大成經』(72巻・武田本)は、八尾市立図書館から取り寄せてもらい、1回しか読んでいませんが、其の部分、乃ち、「先代舊本紀大成經」(四…巻第六十二・詠歌本紀下)…「君之代者千代于八代于微小砂石之磐與成而苔之終迄」(傍訓…キミカヨハチヨニヤチヨニササレイシノイハホトナリテコケノムスマテ)の部分はコピーしました。記事の内容膨大、一口ては言い切れません。然し、一番重要な事は、先ず最初の序文で有ると私は思います。枚岡宮(現在・東大阪市)に隠し置かれた文書([ホツマツタヱ])と、伊雑宮(いざわのみや)から提出させた文書を合わせて作成された等の事が記されています。「アワミヤ(枚岡宮)の件」は、平田篤胤の文書の中で[ホツマ文字・神代文字]の存在を記しています。

  5. えんだんじ より:

    秀真太郎さん

    わざわざ知らせてくれてありがとうございました。

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