大人の子供化

最近にぎわしているモンスターペアレンツ、児童虐待、秋葉原殺人事件、突然キレテ残酷な行動に出る等等、最近の若い人を見ると大人がどんどん子供化、あるいは子供が大人になりきれず子供のまま大人になってしまっているような気がしてなりません。学者や知識人が色々な原因を主張していますが、ほとんど主張されることがないのが、私の主張する「脳の未発達」原因説ではないでしょうか。
もしこれまでにどこかで脳学者が私と同じようなことを主張していたらぜひ教えてください。私は脳の研究者ではありません。これから私の主張することはあくまでも素人の見解です。
私のマイミクさんは、ほとんど若い方なので「ぼけ」の心配はしないでしょう。アルツハイマー病と言ったり、痴呆症と言ったり、最近では認知症という言葉が一般的になってきました。ここではわかりやすい「ぼけ」を使います。私の年代になると「ぼけ」が心配になります。レーガン元大統領もサッチャー元首相も二人とも現在「ぼけ」になっています。「ぼけ」で問題になるのは脳の活性化です。脳の活性化がおこなわれているかぎり「ぼけ」にはならないらしいのです。
数年前テレビで脳の活性化の番組がありました。脳が活性化すると脳がどういう状態になるかをテレビ見せてくれました。聴視者に分かりやすいように脳が活性化すると脳全体が赤く反応するように工夫してありました。ある人が長時間テレビを見ています、脳の活性化などほとんど起こりません。脳のはじのほうに少し赤みがかる程度です。
ところがその人が一度立ち上がって台所で包丁を使ってジャガイモの皮をむきはじめると脳が活性化して赤くなってくるのです。編み物しても脳は赤くなる、すなわち脳が活性化するのです。
手紙を書いているときなど脳がいかに活性化するかを見事に映像で見せてくれました。
要するに体を動かし脳の使うことが脳の活性化につながるということを証明してくれました。
このことを子供にあてはめますと、子供は毎日テレビを見ます、テレビゲームはします、携帯もします。しかしこれらは子供の脳の活性化にまったく役立ちません。脳の活性化になんの役にもたたない事に多くの時間を費やす。最近の子供はただでさえ遊び時間が少ないからこれは見逃すことができない重要な問題だと思います。
脳学者から聞いた話ですけど、子供の脳の発達には遊びというものは不可欠だというのです。特に思考力や判断力をつける前頭葉(おでこの真ん中のちょっと上の部分)の発達には遊びは絶対に欠かせないないと言っています。子供の時に思う存分遊ばせることがどれほど大事かを強調していました。
私の年代の子供の時の遊び時間、とくに5、6歳から小学校卒業までの遊び時間は、いまの子供たちの何倍も遊んでいるのです。私の子供時代はテレビもなければ、ゲーム機器もない、携帯もない、パソコンもない子供の生活イコール遊びでできているいようなものです。兎に角今の若い人には、私たちが子供の時についやした遊び時間の多さは到底想像つかないでしょう。
その他に遊びに質の問題があります。現在はすぐに保育園にいれられ、また幼稚園にもいれられます。私にいわせれば、子供たちは、動物園の飼育係と言っても過言でない保母さんや保父さん看視つきで遊ばされているも同然です。
私の子供頃は、よく集団で遊んだものです。多いいときには10人以上、少ない時には三、四人、まず一人で遊ぶなど考えられませんでした。集団で遊ぶ時は、上級生がリーダーになって遊ぶのです。自分もその年齢になれば、自然に自分がリーダーになって集団で遊ぶ。子供の遊びにも基本的ルールが自然にできあがっていた、すなわち子供自身の自主性を発揮して集団で遊んでいたわけです。だから対人恐怖症の子や、自閉症の子などほとんど出るわけがないのです。
ところがいまや、子供の遊びにはほとんど監視役がついているようなものです。まして子供が集団で遊ぶ時には、必ずと言っていいほど監視役がつきます。遊びの中から子供の自主性が鍛えられることも全く無くなってしまったのです。
私の意見では、子供が大人になる時には、肉体が発達しておとなの体つきになるように、脳もおとなの脳に発達している必要があるのです。私たちの子供の時は圧倒的に多いい遊び時間、子供どうしで集団で遊ぶ習慣などで子供の脳が充分大人になれるまでに発達していたと考えられます。
ところが現在では子供の脳、特に思考力と判断力をつける前頭葉が大人にならないうちに大人になってしまうのだ。最近若い母親が、乳飲み子がなかなか泣きやまず、うるさいので足で踏んづけて殺してしまいました。殺すつもりは全然なかったと言っています。この事件など、脳が大人の段階まで発達していないから怒るとしか考えるほかありません。無意識に瞬間的に子供のような行動をとってしまうのではないでしょうか。
犬を毎日散歩に連れて歩かないと、犬の精神状態や肉体に異常をきたすと言われています。人間の子供も子供時代に充分に沢山遊ばせないと、脳の前頭葉の発達が未発達のままで心にフラストレイション、すなわち欲求不満がたまり、すぐきれたりするのではないでしょうか。
昔からある言葉に、「健全な精神は、健全な肉体にやどる」という言葉があります。これはもう差別用語です。障害を持つ人でも健全な精神の持ち主は沢山います。正しくは「健全な精神は、健全な脳にやどる」ではないでしょうか。恐らく脳学者は私の意見に同意すると思います。子供を育てた経験のある人は、「子供は脳の発達に応じて精神が発達する」ということを理解できるはずです。
要するに繰り返すことになりますが、子供の遊び時間が少なくなっているうえに、テレビ、パソコン、テレビゲーム、携帯などで遊び時間がさらに極端に少なくなりました。また子供同士で集団で遊ぶこともなく、たえず保護者の監視付で遊ぶために、脳の発達がおろそかになったまま大人になる。大人になればパソコンなしでは暮らせなくなりました。大人になれば勉強する必要がなくなるため、脳を使う機会や脳を鍛える機会がさらに少なくなったのです。
現在では、人が計算する時は、自分の財布のお金を勘定する時とか、つり銭を勘定する時だけ自分の頭で計算するだけ、その他は一切計算機で計算です。ポータブルの卓上計算機や手のひらにのる計算機が出現したのは、いまから多分30年ぐらい前でしょう。それまでは全て自分の脳を使って計算していたのです。計算機というたった一つの文明の利器の出現でいかに人間は自分の脳を使わなくなったかの証明です。
これから述べる社会的現象は、色々原因が考えられるでしょうが、主に脳の未発達から生まれてきたものではないかと推測しています。
一.アニメとマンガの隆盛。
アニメとマンガは表裏一体、まんがを映画化したものがアニメでしょう。アニメといえば昔はディズニー映画、それを子供や孫と一緒に見て楽しむものでした。最近人気の日本製アニメは、昔のディズニーアニメと違って大人の鑑賞に堪える映画になったようなことが言われています。そこで私は数年前、評判の「もののけ姫」をみました。その他二、三アニメを見ました。最近では「となりのととろ」を見ました。
やはりアニメはアニメ、大人が子供と、あるいは孫と一緒に見る映画という印象は変わりませんでした。恐らく私の年代の人は、アニメをみても面白いと思わないでしょう。しかしこのアニメ、最近では若い男女にけっこう人気があるのです。アニメを見て面白く感じるのでしょう。私にいわせれば、まだ脳の状態が未発達で大人になりきっていないから面白いのではないかと考えてしまいます。
マンガでも同じことが言えます。私は子供の時、マンガに夢中になりました。テレビもなければテレビゲームもない、だからいくらでもマンガをよみあさることができました。したがってマンガを読むことなど子供のうち卒業してしまい、大人になってマンガなどに興味がわきません。
しかし今の子供は、テレビもありゲーム機器もあり、マンガを読む以外にもいろいろやることがあって子供のうちにマンガを卒業できないでいるのだ。電車の中で30代、40代のサラリーマンがマンガを読みふけっている姿。家にかえれば妻もいれば子供もいるいっぱしの大人だ、そんな連中でもいまだにマンガが卒業できないでいるのだ。
私には子供が三人います。私の体験から子供には、大人になってもマンガを読まないように、意識して沢山のマンガを読ませ、子供のうちにマンガを卒業させようとしました。私の思惑は当たりました。二人は完全にマンガを卒業、読書家になっています。残りの一人は、マンガを読みませんが、他の本も読みません。もっぱら週刊誌などです。それでも大人になってマンガ読むよりましだと考えています。
現在では、マンガも難しいジャンルに進出しています。歴史、経済、時事問題などマンガ化されるようになりました。要するに字の羅列ばかりだと苦痛になって本を読むことができないのです。マンガを入れて文章を柔らかくすることによって本が読めるのです。まさに大人の子供化です。小林よしのりの「戦争論」が沢山の若者に読まれたのもマンガ化したからが最大の要因でしょう。
2.字幕映画から吹き替え映画へ
最近の産経新聞によると戦前の洋画の字幕は、縦最大13字2行形式でした。戦後、字幕はスクリーン中央下に最大13字2行形式で現在にいたっています。ところがここ数年13字の字幕が読みきれないという若者が増加。そのため字幕作りの現場では10字前後にくぎって行数をふやしたり、漢字を省いたりして苦労しているのだ。そのため字幕を必要としない吹き替え版にシフトする傾向が強くなっているのです。
確かにビデオ屋さんにいけば、吹き替え版が増えたことが実感できます。
ある工業大学卒業の新入社員が、工場勤務になりました。ところがその新入社員のためにあわや大事故が起こるところでした。彼がどんな失態をしたのかというと、工場で使っている機械のマニュアルをよく理解できていなかったからです。会社側に言わせると新入社員がマニュアルをよく読めないなどこれまで例がなかった。
急遽新入社員全員を調べてみると新入社員の読解力に不安を感じ、マニュアルを正しく理解させるための特別講習を毎年行うようになったというのです。字幕から吹き替えやマニュアル読むための講習会など、現在若者の読書不足による読解力の欠如の証明です。読書不足はどこからくるかというと、テレビ、テレビゲームやパソコンなど主な原因になっているのでしょう。
ある大学の先生が学生にあるテーマを与えて各自にレポートを提出させました。先生は学生のレポートを見て驚きました。皆同じような内容の同じような文章のレポートだったからです。学生はインターネットで検索し、参考になる資料をそのままコピペし、それを適当につなぎ合わせたから同じような文章になってしまったというのです。それからは先生は、レポート提出をやめてその場で自分の意見を言わせるように切り替えたというのです。
現在では小学校で読まれる本の感想文のひながたがネットで検索され、小学生はそれをコピペするだけでいいと小学生に非常に感謝されている感想文提供者がいるのです。パソコンという文明の利器によって子供たちや学生が、頭で色々考えぬいたすえ文章に書くという機会、すなわち思考力を鍛える機会が極端に少なくなってしまったのです。
従って新入社員が、営業報告や出張報告などと言ったビジネスレポートを書くよう命じられて書き方がわからないと音を上げるのは当然の結果でしょう。
私が横須賀市立中学校を卒業したのが昭和29年(1954年)、その時は一クラス50人のうち半分は卒業後就職組みでした。地方の中卒就職比率はもっと高かったでしょう。地方から集団就職で集団就職専用列車に乗って沢山の中学卒業生が上野駅にやってきました。それから3年後の昭和32年(1957年)が私の高卒です。この時私は就職組み、また女性の多くは就職組みで、大学にいく女性はあまり多くいませんでした。
私がなにを言いたいかというと私の年代、70歳前後から上の年齢の人には、学歴が中卒どまり、高卒どまりの人が非常に多いいということです。これに反して現在の20代には、
中卒がほとんどいなくなり、大学に進学する人が男女ともに非常に多くなったということです。恐らく男子など短大を入れれば90パーセント以上大卒でしょう。すなわち私の年代にくらべて現在の20代は、大卒という高学歴者がわんさといるわけです。
それにもかかわらず、13字の字幕が読みきれない、新入社員が工場の機械のマニュアルが読めないなど20代若者のこの体たらくさ、そのうえ多くの人が自虐史観の持ち主ときているわけです。私のような年寄りの愛国者にとって日本の将来に悲観的にならざるをえません。幸い、私の20代のマイミクさんは、すばらしく優秀な人たちばかりで多少慰められていますが、若者全体を考えると滅入ってしまいます。
三.すぐきれる、児童虐待、家庭内暴力。
この種の行為は、恐らく脳の未発達が主な原因と私は推測しています。幼児を見て下さい。自分の思うようにならないと場所をえらばず泣き叫びます。脳が未発達な故に自制がきかないのです。暴力で自分の意を通そうとする脳未発達の動物的行為です。まさに健全な脳に健全な精神がやどるのです。
脳には文明の利器を発明する機能があると同時に人間社会が円満に運ぶための機能もあるのです。ところが文明の利器の発達の度がすぎて思考力や判断力を養う前頭葉の発達を阻害する要因になってしまったのではないかと考えています。特に児童虐待を受けて育った子供は、自分が大人になって親になると、自分の子供に虐待を繰り返す率が大きいといわれますから深刻です。
四.若年性痴呆症の増加
将来にかけて現在深刻な問題になっているのが、若年性ぼけの増加です。若年性ぼけとは、文字通り50代に、あるいは60代前半の若さでぼけてしまって人間として使い物にならなくなってしまうことです。いままでボケとは高齢者が当たり前でした。だから現在高齢者のボケは、介護サービスや介護施設を利用できるような制度になっています。しかし若年性ボケは、年が若いだけに利用対象者になっていません。
それだけに家族、特に配偶者の苦労は、非常に大変です。高齢者のボケは、いずれ死ぬから我慢して耐えることもできます。しかし若年性ボケは、体は元気だから動き回るし、食欲はある、そして人格崩壊のまま20年、30年生きられます。果たして配偶者はそんなに長い間耐えられるでしょうか。文明の高度化(テレビ、計算機、パソコンなど)によって脳を鍛えたり脳を使用たりする時間が極端に減り、使わない臓器は衰え、萎縮するように、脳も昔以上に早めに萎縮してしまうのではないでしょうか。
20代、30代の皆さん、各自意識して脳を鍛えることお忘れなく、さもないと若年性ボケにおちいる危険性があることを認識してください。
読者の方で脳の専門家を知っている人がいたら、私の意見の正当性を聞いてみてください。私としては私の主張はまんざら根拠のないものではないと思っています。
また皆様にも異論、反論、いろいろな意見があるかとおもいますが、ぜひお聞かせください。




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2 comments »

  1. mikan3rd より:

    私が子供に見せたい漫画はもちろん松本零士の作品だと思います。

    といいますのは、この人の作品には男の責任や本来の女の役割といったものが、子供ながらに何となくつかめるからです。
    友愛、平和ボケ、人間フヌケ化、ロリコンなどが満載の今の漫画は子供には論外です。

    (以下参考までに松本先生のご経歴を紹介致します。素晴らしいご経歴です。)

    【松本零士  父に見た本物のサムライ魂】

    福岡県久留米市で、石ノ森章太郎と同じ年月日に生まれる。
    6歳までは兵庫県明石市で過ごし、第二次世界大戦中は母親の実家がある愛媛県喜多郡新谷村(現在の大洲市新谷町)に疎開していた。
     
    このときアメリカ軍機動部隊の戦闘機や松山市へ空襲に向かうB29などの軍用機を多数目撃していた。
    この体験が後の作品に影響を与えたという。父親は陸軍航空隊の少佐でパイロット。
    四式戦闘機(疾風)に乗って、終戦の日まで連合軍と戦っていたという。
     
    戦後、多くの元軍人パイロットが自衛隊入りしたのに対し、松本の父は「敵の戦闘機には乗れない。」と言い、
    野菜の行商をしながら線路脇のバラックに住み、その境遇を自ら進んで赤貧へと落とした。 
     
    しかし、家族で父に反対する者はおらず松本少年も「俺の父親は最高だ、父親と一緒にいられれば俺は満足。」と行商のリヤカーを押したという。
     
    この「本当のサムライとしての父のイメージ」は、後にキャプテン・ハーロックや、宇宙戦艦ヤマトの沖田十三のモデルとして、松本の作品に生かされていった。
     
    また松本自身、進駐軍兵士がばら撒くキャンディーなどを「食べたくて仕方なかったが全部下駄で踏みつけてつぶした。」という。

  2. えんだんじ より:

    mikan3rdさん

    コメントありがとうございます。
    松本零士氏が漫画家と知っていましたが、こういう経歴の持ち主ですばらしい漫画を書いていたのは知りませんでした。貴重な情報ありがとうございました。

    <また松本自身、進駐軍兵士がばら撒くキャンディーなどを「食べたくて仕方 なかったが全部下駄で踏みつけてつぶした。」という。

    終戦直後私は小学1年生で横須賀に住んでいました。米軍兵士がジープに乗って子供たちに向かって10円札をばらまいていました。私は多くの子供たちといっしょに10円札をおいかけました。が一枚もとることができませんでした。これは少年時代の苦い思い出です。

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