私の心を捉えた三人の女優

ブログを開いて早くも半年過ぎました。その間毎週硬い話ばかり書いてきましたので、ここらでちょっと気分転換に話題を変えて書いてみました。私の年代の人たちは、みな若い頃映画ファンだったのではないでしょうか。映画産業が全盛期でしたからです。しかし年をとると大体映画を見なくなる傾向にあります。しかし私は違います。現在でも映画をよく見る方です。毎月一本は必ず見ますから、年間15本ぐらいの映画を見ています。
私の若い頃は、洋画が全盛期だったような気がします。あるいは洋画ファンだったからそう思うのかもしれません。日本映画にしろ洋画にしろ、昔は美人じゃないと女優なれません。そのため洋画でも美人女優がキラ星のごとく沢山いました。その中でも私が最も深く魅了されも、ものすごいファンになってしまったのがマリリン・モンローです。
数あるモンロー映画の中で、一番衝撃的で印象深い映画は、「七年目の浮気」です。彼女が29歳の時の作品です。まさに彼女の全盛期の素晴らしい肢体と魅力を思う存分見せ付けてくれました。映画のシーンの中で共演者の男優が、モンローを見た途端一瞬ボーっとする場面がありますが、私は映画の最初から最後までただモンローの動きに釘付けになり、ただボーっとして彼女の姿だけを追いかけていたような気がします。スクリーン上の彼女は、まるで動く大人の人形のように可愛らしく、魅力的で、その人形が人間の言葉をしゃべってくれる、その上その声がまたすばらしいので余計たまらなく魅力的になってくる感じでした。
スクリーン上の名場面は、共演の主役の男優と二人でお互い指一本で戯れながらピアノを弾く場面です。この時の彼女の生き生きとした無邪気で、モンロースマイルと言われる素晴らしい笑顔に、なんとも言えない魅力に圧倒されました。彼女の笑顔を讃えるモンロースマイルと言う言葉は、彼女の死後、心理学用語、すなわち学術用語になりました。モンロースマイルは少女たちの悲しい生い立ちを物がたる意味になったのです。事実、モンローには、悲しい生い立ちがありました。
彼女は生まれた時、母と娘たったふたりきりの母子家庭でした。彼女が7歳の時母親は精神病になり入院します。モンローは孤児院に預けられます。里親になりたい人たちがその孤児院に訪れ自分の気に入った子を養子として受け入れます。当時のアメリカ政府は里親になった夫婦には、ある一定の金銭を援助しました。その援助金目当てにわざわざ里親になる夫婦も多く、里親の中には人間的にあまり良くない人もいました。モンローは何組かの里親たちの間をたらいまわしのように預けられたと言われています。その環境があのモンロースマイルという素晴らしい笑顔を生む原因になったのだ。
すなわち親の愛情に恵まれない子どもほど周囲の大人に気にいられようと魅力的な笑顔を振りまく傾向があるというのです。そのため彼女の死後、モンロースマイルは、心理学用語になりました。彼女が16歳の若さで結婚したのも愛情ほしさのためだでしょう。20歳で離婚。軍需工場で女工として働いていた時、プロのカメラマンの目に留まり、モデルとして新しい人生のスタート。これから花形映画女優になるまでのモンローの私生活は決してきれいごとではすみません。自分の肉体美を有効に利用して花形映画スターへの道をのしあがっていたというしたたかな面を持ち合わせていたのも確かです。
彼女にとって不運だったのは、夫、元有名野球選手のディマジオとの間で二回流産を経験し、子どもが生めない女になってしまったことでしょう。薄幸な少女だった彼女は、幸せな親子関係の夢を描いていたからです。流産が彼女の運の分かれ目だったのではないでしょうか。その後ディマジオとも離婚、その後有名な脚本家と再婚したり、離婚したり私生活はにぎやかでした。モンローの私生活の中でも最も驚いたのは、暗殺されたケネディー大統領と不倫関係だったことが暗殺後暴露されたことでした。
モンローとの不倫関係が暴露された時、私はケネディー大統領への同情はなくなり、死んで当然のような気さえしました。ケネディーの父親は、禁酒法時代に密造酒で大儲けしたりして莫大な財産を一大で築き上げ、そのおかげでケネディーは、お金には何不自由なく育ち、大学卒業して海軍に入るまで、働いてお金を得た経験もないのです。除隊後も働く必要もなく、父親のお金で選挙運動して下院議員に、また父親のお金で大統領選に出馬、アメリカ史上最年少の43歳で大統領に当選。これだけでもケネディーは幸せ者です。それが大統領就任2,3年後には、あの世界の大女優モンローとの不倫関係が始まったのです。
これでは、私のような極貧育ちで貧乏サラリーマンにとって、ケネディーはあまりにも恵まれすぎです。これでケネディーが天寿を全うして死んだとなったら、あまりにも人生不公平です。人生よくしたものであまりにも恵まれすぎは、どこかで痛い目にあうものなのだ。ケネディーには暗殺されるという形で表れたのだ。モンローは、モンローで自分の肉体を有効に使ってのしあがってきた過去があります。大統領と関係を持つことほど強力な武器はないと彼女が考えたとしても無理はない。大統領暗殺後モンローは、弟のロバート・ケネディー司法長官と関係を持つたとも言われています。
モンローは結局36歳の若さで死ぬのですが、もうその頃には、精神科医、睡眠薬とアルコールづけの生活が続いて、撮影現場の彼女の遅刻癖は、常習犯になっていました。監督が彼女に役を与えるのが恐くなっているような状態で、彼女は役がもらえなくなっていました。それがまた睡眠薬とアルコールに拍車をかける悪循環に陥ってしまった。彼女の死は、過度のアルコールと過度の睡眠薬による事故死になっていますが、彼女はあの時死んで本当に良かったと思います。他殺死のうわさもあります。私は熱烈なファンですから他殺死関係の本を読みました、しかし他殺死は信じることはできません。
彼女はあのまま生き続けたら、役はもらえなくなりジリ貧に陥り、肉体美の衰え、そして結果的に母親と同じで精神病院に送られるということが充分想像できるからです。彼女には酷な言い方になりますが、彼女の死は惜しまれる死ではなく、彼女のためにも死んでよかったのではないかと思わせる死です。彼女の若すぎる死が、彼女の名声を永遠にしたのです。
日本人女優で最も私の心を捉えたのは、藤純子(ふじじゅんこ)です。若い人には藤純子って誰?ということになるでしょう。現在名前を変えて富司純子(ふじすみこ)の芸名でおばさん、ないし初老の女性役を演じています。それでもわからなければ寺島しのぶの母親といえば分かっていただけるでしょう。
私は30歳前後の頃、株式投資の勉強をしていて株に熱中していました。或る時、東映の株を買いました。そのとき株主優待券が手に入り、それを利用して見た映画が「緋牡丹博徒」(ひぼたんばくと)でした。この映画の女主人公「お竜さん」役を演じていたのが藤純子でした。
演歌や歌謡曲、フォークソングにしても決して名曲でもないのになぜあの時ヒットしたのかまったくわからない曲がときどきあります。映画にもあります。なぜあの作品がアカデミィー受賞なのか理解できない作品も多々あります。「緋牡丹博徒」(ひぼたんばくと)のお竜さんシリーズを全部見ましたが、映画そのものは、名作でもなんでもありません。「緋牡丹博徒」を見て、時には涙ぐむ時もありました。そんな時、「おれは、馬鹿じゃないのか、ヤクザ映画なんか見て涙ぐんだりして」と思ったりしたこともありました。
とにかく後年、もう一度ビデオで見たいと思うような作品ではありません。それでも人気が非常に高かったのは、お竜さん役を演じる藤純子のスクリーン上でのあのさっそうとした魅力でしょう。藤純子は、洋服より和服の方がよく似合うことは確かです。画面ではすべて和服でとおしています。ヤクザ映画ですから当然男性客が多いい。私を含めて男どもは、映画の内容より藤純子を見に映画館にやってくるのです。それでは藤純子の魅力とはなにか、これが説明するのがむずかしいのです。
私の独断と偏見で言わせてもらえば、藤純子の魅力は、映画の主人公、お竜さんこと矢野竜子という人物の魅力からきているのではないかと思うのです。時代設定は、明治から大正にかけてのヤクザの世界です。矢野竜子は、粋できれいな若い女渡世人です。女渡世人であるという孤独な影を背負っています。矢野竜子には恋人がいません。恋人ができかかっても、その恋人はヤクザに殺される筋立てになっています。普段は非常にしとやかで、礼儀正しく、品のある非常にやさしい女性です。とても渡世人には見えません。切った張ったの修羅場になると、映画「極道の妻」に出てくる女ヤクザのように大声をあげたり、下品な言葉は吐きません。時には目に涙を浮かべながらドスをふりまわし、あるいは頭にさしたかんざしを手裏剣がわりに使いながら、男どもバッタ、バッタとやっつけるのです。こういう矢野竜子という女性を藤純子は実に見事に演じているのです。
私には自分かってなきまりがあって、洋服には笑顔、着物には微笑みが似合うと決めています。現在の若い女性が、着物を着慣れていないから歩く姿がさまになっていないのはしかたがないことです。そのことをあえて非難するつもりはありません。しかし着物を着ているのに口を大きくあけてゲタゲタ大声で笑う女性ほど興ざめするものはありません。ついでだから言っておきますが、着物には白いタビがつきものです。真っ白さは清潔さを現します。彼氏が彼女の白いタビを脱がせたてあげた時、「汚ねぇ足首」が現われるほどムードをぶちこわすものはない。最高のムードが一瞬にして冷え込みます。女性は注意した方がよいと思います。
スクリーン上でたまに見せる藤純子の微笑みは、絶品です。当時の私は、これほど気品のある、また色気もあるすばらしい微笑みをもった女優がいるだろうかと思いました。現在、ビデオを見て同じように感じるかどうかわかりませんが、当時はそう思ったのです。とにかく当時、藤純子の人気はすごかった。お竜さんを演じた藤純子の数々のシーンが写真集として売られたくらいです。藤純子主演の女ヤクザ映画の盛りが過ぎた頃、彼女は結婚した。確か、結婚後だと思います。
藤純子(ふじじゅんこ)から富司純子(ふじすみこ)に名前を変えました。その理由は、私は知りません。しかし名前の変更は、私にはファンサービスと自分で解釈しています。なぜなら藤純子と富司純子を別人扱いできるからです。数年前、NHKの大河ドラマの中で年老いた尼さん役を演じていましたが、あれは年取った富司純子であって、藤純子とは別人と思いきることができるからです。かくしてさっそうたるお竜さんの藤純子は、そのイメージが損なわれることなく、これからもわたしの心のなかで生き続けることになるでしょう。
もう一人私の心を捉えた日本人女優がいます。私の心に強烈な印象をあたえながら、最近ではその印象がどんどん薄れてゆく女優。それは松坂慶子です。私が最初に強く惹かれたのは映画ではなく、テレビの歌番組です。彼女が主演していたドラマの主題歌「愛の水中歌」を歌っていました。それから彼女の映画やテレビドラマを見るようになりました。私は普段あまりテレビを見ませんが、彼女が出演するテレビドラマは、ちょくちょく見ていましたが、いまでは全く見なくなりました。
現在の彼女は、あいかわらずきれいですが、年齢と太りで全盛期の魅力がなくなってしまいました。彼女の容姿の全盛期は、1980年代でしょう。スタイル、顔、声、三拍子完全にそろっていました。私は日本のマリリン・モンローだと思っていました。この全盛期にコミカルな演技も上手な彼女で、日本版リメイクした「七年目の浮気」を映画製作したらきっとヒットするにちがいないと考えていましたが、実現しなかったのは残念でなりません。
私のような映画ファンで松坂慶子ファンにすれば、彼女にもう少し映画女優としてのこだわりを示してほしかったと思っています。吉永小百合を見て下さい。彼女は松坂慶子よりずっと年上です。映画女優としてのこだわりをもっています。テレビドラマなどにはめったに登場しないでしょう。
これはあくまでも松坂慶子の一ファンの想像ですが、彼女が映画女優としてのこだわりが持てなかったのは、彼女の夫、ジャズギタリストの稼ぎが少なかったからではないかと考えてしまうのです。気のせいか彼女に最初の娘が生まれてから、急にテレビ出演する機会が増えたような気がします。彼女が50歳の時、彼女のヘアー丸出しのヌード写真集が出版されました。相当なお金が彼女に支払われたのでしょう。
私は彼女の夫、ジャズギタリストに言ってやりたいね。男というものは、自分の女房が例え有名人であろうとなかろうと、自分の女房のヘアー丸出しのヌードなんか、いくら金を積まれても誰にも撮らせないものなのです。その亭主の反対を押し切って、ヌード写真を撮らせる女房なら、それはもう離婚ものです。松坂慶子にしてももう大女優になっているし、50歳にしてやることではありません。品性がなさすぎます。
ジャズギタリストでは、自分一人を養うことはできても、松坂慶子と二人の娘を高い生活水準で養うことはできません。その分彼女が働きまわらねばなりません。私みたいな他人にどう言われようと、夫婦円満であればそれで良いのですが、なまじ稼ぎのすくない男を夫に選んだため、松坂慶子というまれにみる逸材をテレビドラマなどで浪費したような気がしてなりません。彼女はいつの間にかテレビタレント化してしまったのだ。あの写真集事件以来、私の松坂慶子への関心が完全に薄れてしまいました。
その松坂慶子は、今年は賞づいています。NHK放送文化賞を受賞。さらに学術、芸能、スポーツに貢献した紫綬褒章まで受章です。中年女性50歳にしてヘアー丸出しヌード写真をとったことなど彼女の経歴の汚点になっていないのです。世の移り変わりほどはげしいものはありません。まさに時代が変わったのだ。私に言わせれば、松坂慶子がまさかポルノ女優に夢をあたえる女優になるなどとは想像すらしていませんでした。
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13 comments »

  1. ブログの世界を逍遥する楽しみの一つは、貴エントリのようなレベルの高い内容に接することです。今回も堪能させていた抱きました。これからも、よろしくお願い致します。ミケ

  2. 陽山 より:

    松坂慶子 東京都大田区出身。本名は高内慶子。父親は在日韓国人。母親は日本人。日本に帰化。高校時代にスカウトされ、1970年に大映で本格的に映画デビュー。翌1971年『夜の診察室』で映画初主演。1978年の松竹映画『事件』で初ヌード、翌年の『配達されない三通の手紙』でも大胆なヌードを披露し、一躍トップ女優となる。
      2002年にはヘアヌード写真集『さくら伝説 – 松坂慶子写真集』(なかにし礼原作・監修)を発表。
      松坂主演作品を多く手がけた映画監督の深作欣二との関係を取りざたされたこともあった。
                                  出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』
      1991年ニューヨーク在住のミュージシャン高内春彦氏と結婚。日本とニューヨークを往復する生活を送っていたが、長女の就学を機会に日本に在住。
                                               《はてなキーワード > 松坂慶子》
    と言う記事をパソコンで検索しました。松坂慶子にとって、ヌードなんてえんだんじ氏が考えるほど、重大な問題じゃないのではないかなぁ。また、この問題について、ジャズギタリスト高内春彦氏のご意見を是非聞いてみたいものですね。男の沽券に関して。

  3. えんだんじ より:

    屋根の上のミケ様
    称賛していただき、ありがたいことです。大変励みになります。これからもがんばります。
    有難うございました。

  4. えんだんじ より:

    陽山様
    ファンというのはきままなもので、自分勝手に熱をあげ、ああだこうだと注文つけがちなものです。
    男のこけんですか。
    この言葉が通じるのは、私たちの年代が最後の年代ですかね。さびしし限りです。

  5. より:

    同時に高峰秀子・若尾文子もよろしくお願します。
    アメリカではデボラ・カー、ジーン・シモンズ古いでしょうか?最近の映画ドラマはキンキンして居て頭が痛く成るのはもう年なのでしょう。それと男が良く泣きますので見て居て悲しくも成ります。

  6. えんだんじ より:

    猪様
    コメントありがとうございます。私は英語の勉強のためアメリカ映画が多くなってしまって日本映画にあまりくわしくありません。もちろん高峰秀子や若尾文子はどんな顔をしているかは知っていますが。
    デボラカーは、彼女はいいですね。母性愛の強い女性でしたから20歳前後の時は一時夢中になりました。
    ジーンシモンズは、いいですけどね、私の心にグットくるものはなかったですね。
    確かに最近の男は、すぐ涙を流しますね。私も腹立たしく感じます。

  7. より:

    そうですね、鈴木さんは商社マンでしたね。私も70を越してから再度英語に挑戦・2級までは来たのですが、もういけません答えを解読して居る間に次の質問、テストじゃ駄目ですね。現在は習字と短歌で時代劇とオールドフイルムを鑑賞しています。
    先日もデボラ・カーに再会。良き時代でも有るのですが日本を見ると、ドンドン民度が落ち込んで行く様です。昔も「今の若い奴は」と言われた経験がありますが、現状は今の大人はと言われるのじゃないかと・・そう有って欲しい面も多々ありますね。

  8. えんだんじ より:

    猪様
    私もあと2ヶ月足らずで71歳になります。現状の日本を見ているとそう簡単にくたばるわけにいきません。
    デモのはしごしてもできるように体鍛えています。
    がんばりましょうよ。

  9. より:

    お笑いめさるな~今日は雨・若尾文子の映画を見て居ました。娯楽映画ですが見て居るだけで良いのですから安上がりです。インターネットを覗き、これから「紫禁城の黄昏」を読み返そうとして居ます。

  10. えんだんじ より:

    猪様
    コメントありがとうございます。
    メイルを二度送りましたが届きません。
    メイルアドレスに間違いありませんでしょうか。

  11. より:

    息子も娘もこれで来て居ると思い見直すと、鈴木さんへのアドレスには(waltz)で良いところに(walitz)と成っており(i)が余分でした。失礼しました。

  12. 70代の青年 より:

    戦時中にガキ大将先輩から頂いた「猪」は今日で捨てました。青年に戻り再起します。

  13. terag3 より:

     えんだんじさん、terag3です。

     この過去の古いブログは見ていませんでした。本日、えんだんじさんからの紹介で覗きに来ました。モンローについて書かれていましたね。私も若い時には洋画フアンで機会があるたびに見に行きました。邦画は殆ど見ませんでした。
    モンローに関しては盛んに放映されていたころ見ていましたが当時はそんなに心のときめきは感じていませんでした。ところが60代に入ってVHSやDVDなどで改めて見て見ると急にモンローの魅力の虜になってしまい彼女の作品の収集を始めたので、えんだんじさんから「おくて」だねなどと冷やかされる始末ですが、若いころの映画女優で虜になっていたのは「カサブランカ」「誰がために鐘は鳴る」のイングリッド・バーグマンでした。
     しかし、えんだんじさんも仰っているように、モンローは不幸な女性でしたね。36歳という若すぎる死を惜しまれているようですが私は、彼女のためにはそれで良かったのだと心底思っています。彼女の冥福を祈りましょう。

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