キリスト教弾圧成功が日本の植民地化を防いだ。



日本にキリスト教を布教するために、最初にやってきた宣教師は、カトリック教会のイェズス会に属する、スペイン人の宣教師フランシスコ・デ・ザビエルと彼の二人の修道士、コスモデ・トルレスとジョアン・
フェルナンデスの三人でした。 彼らは1549年の夏、鹿児島に入港した。当時日本では、キリスト教の教えや信者のことを、ポルトガル語のクリスタンからなまってキリシタンと呼ばれていました。 このイェズス会というのは、分かりやすく言えば、プロテスタントの始祖と言われるマルティン・ルッターの宗教改革がカトリック教会外部からの宗教改革なら、イェズス会はカトリック教会内部からの宗教改革と言えるでしょう。
イェズス会は1543年に設立され、創立者はイグナス・ロヨラで、ザビエルは七人の同士の一人でした。ポルトガル国王ジョアン三世によるインド布教の要請に応えて、ザビエルはインドに渡り1542年インドのゴアに到着し布教活動に入った。 布教活動中の1547年にマレー半島のマラッカで、ザビエルは池端弥次郎という一人の日本人に出会った。彼はこの池端弥次郎という 男に好印象を持ったのでしょう、弥次郎をインドのゴアに送り宗教教育を受けさせ、彼に洗礼を受けさせたのです。弥次郎は、日本人最初のキリスト教信者になった。
ザビエルは彼をともなって日本にやってきました。こうしてザビエルは、日本にキリスト教をもたらした最初の外国人宣教師として日本の歴史に記憶されることになったのです。 日本滞在三ヶ月目にザビエルは、最初の報告書をインドのゴアにいるイェズス会の人たちに出しています。その中に日本人についてこう書いています。
「この国民は自分たちがこれまでに接触してきた諸国民の中で最高に傑出した人々である。まだキリスト教化されていない国民で日本人ほど優秀な者はない。彼らは総体的に親しみやすく、善良で悪意がない。 驚くほど名誉心が強く、他の何ものに代えてもまず名誉を重んじる。 日本人は大概貧乏である。だが武士たると平民を問わず、貧乏を恥じだと思っている者は一人もいない」
「他のなにものに代えてもまず名誉を重んじる」などと言われると、現代の日本人に比べると、まるで違う人種のような気がするのは私一人だけではないでしょう。 ザビエルは布教活動しながら京都まで行きましたが、布教活動は順調にゆかず、日本滞在わずか二年三ヶ月にしてインドに帰り、後事を残ったトルレスやフェルナンデスに託したのでした。 残された人たちや新しく日本にやって来た宣教師たちの努力で布教活動も軌道に乗り、少しずつキリスト教信者が増えていきました。
それにはずみをつけたのが、大村純忠(すみただ)が日本最初のキリシタン大名になったことです。彼は熱心なキリスト教保護者になったばかりでなく、 彼の領地にある長崎の土地をイェズス会に寄進した。それまでポルトガル商船は平戸に出入りしていたのですが、こんどは長崎が貿易船の出入りの中心になり、またイェズス会の布教の中心にもなりました。
宣教師の数も1577年になると21人にもなり、修道士は30人になっていました。 キリシタンの数は1571年のイェズス会の報告によると、「日本におけるキリシタンの総数は約三万人、日本全体においてはキリシタンの数はおおいに増加している」と伝えています。 それが1579年の報告によると諸国に居住しているキリシタンは十万人内外であろうといわれるほどの数になっていたのです。この年イェズス会の巡察使アレッサンドロ・バリニャーノが日本の布教状況の視察にやってきた。
1581年にはバリニャーノは、京都に上って織田信長に会い歓待されてもいます。彼は三回巡察使として日本にやってきましたが、日本語が話せず、通訳はもっぱら1570年から布教にきているオルガンティーノ・ソルドに頼ったものと思われますが、そのオルガンティーノは度を越した日本礼賛をしています。ちょっと彼の言葉を聞いてみましょう。
「日本人は全世界でも最も賢明な国民に属しており、彼らは喜んで理性に従うので我ら一同よりはるかに優っている。我らの主が人類になにを伝え給うたかを見たいと思う者は、日本へ来さえすればよい。
彼らは不必要な事を外面の表情に表すことなく、はなはだ忍耐強く、 心の広い国民で、改悛は真摯にして信心深く、儀礼に大いに気を遣い、 交際において鄭重である」、さらにこうも言っているのです。
「ミヤコ(京都)こそはヨーロッパでいうならローマに当たる。この地の科学、見識、文明はローマよりもさらに高尚である。信仰のことはともかくとして、我らは日本人より顕著に劣っている。私は日本語がわかるようになってから、世界にかくも聡明で明敏な人々はいないと考えるに至った」
これはまたものすごい誉めようではありませんか。オルガンティーノが日本にすっかりほれこんでいるのがよくわかります。彼は38歳の時に日本に来たのですが、77歳で長崎で亡くなるまで39年間日本の地を離れなかったのも、わかるような気がします。彼にとって日本は天国のような国だったのでしょう。
1581年のイェズス会の報告には、 「本年日本にいるキリシタンの数は15万人内外、そのなかには豊後、有馬及び土佐のキリシタン王のほかにも、高貴な人で親戚および家来とともにキリシタンとなったものが多数いる。キリシタンの大部分は、下(しも)の地方有馬、大村、平戸、天草などにいて五島および壱岐の地にもキリシタンがあって、その数11万5千人にのぼる。豊後国には一万人、ミヤコの地方にも二万五千人いる。ただし五機内と称する国々および山口その他の地方に散在するものも、このなかに加算してある。 キリシタンのいる国々に大小あわせて二百の聖堂がある」
なぜキリスト教がこのように発展していったのか、いろいろな要員があげられるでしょうが、要約すれば三つの要因があげられるでしょう。
一つは信長が、キリスト教の布教を容認したこと。
二つ目は、ポルトガル船による貿易の利益を得ることができたこと。 多くの大名が布教を容認してポルトガル商船の入港を歓迎したのです。
三番目は、キリスト教の布教には必ずと言っていいほど医療救済が伴い、庶民が積極的に医療救済を求めたのです。
無論無料で行われたのでしょう。いくら無料でも医療技術が日本より水準が低ければ繁盛しないでしょう。宣教師たちの医療水準は高かったのではないかと思います。そして各地に大小の病院が建設されました。
1582年には、キリシタン大名の大友、大村、有馬の三氏は、十四、五歳の少年四人をローマ法王への使者としてローマに派遣するほどになったのです。 渡欧途中少年たちは、秀吉がキリシタン禁止令を出した一つの理由である多数の若い日本人男女が奴隷として売られ、みじめな仕事をさせられているのを見た。巡察使のバリヤーノがインドのゴアまで少年たちのお供をしたのですが、彼はヨーロッパ人種以外の人種について少年たちに次のように語っています。
「黒人は自然が作った畜生のようなもので、奴隷となるために生まれてきた」、「中南米には色のどす黒いきわめて下等な人種が多数いる」、 「インド人は身体の色が黒味を帯びているように精神も愚鈍」、
「畜類のような生活をしている全アジアの無限ともいうべき多くの種族、そしてこれら憐れむべき種族は、少数のヨーロッパ人の権力を仰ぎ、彼らを当然の支配者と考えている」
このようにヨーロッパ人の有色人種に対する差別の歴史は古いのです。少年たちがローマに向けて出発した同じ年に信長が亡くなりました。 その後を継いだのが秀吉です。信長急死後の後始末で秀吉は忙しかったせいもあるのでしょう、秀吉も信長と同じようにキリシタンの布教を容認していました。 ところが突然、1587年秀吉は、キリシタンの布教禁止、宣教師の国外追放を発表しました。発表の内容は次のようなものでした。
1.日本は神国であるからキリシタン国から邪教を伝えたのは、はなはだけしからぬ。
2.宣教師たちが諸国の人民をキリシタン化し、神社、仏閣を破壊するのは、みのがすわけにいかぬ。
3.それゆえに宣教師を日本に滞在させるわけにはゆかぬ。 今日から二十日の間に帰国せよ。 この期  間に宣教師に危害を加える者がいれば処罰する。
4.日本人奴隷の売買禁止。
5.大名や侍が領内の農民をキリシタンにすることを禁止。
7.牛馬を屠殺して食用に供することを禁ず。
8.商売のためにやってくる外国船は、今後とも長く続けてよい。
この秀吉の禁令に接し、当然その対策を考えたと思われる宣教師のルイス・フロイスは、 「秀吉殿はミヤコの大名たちと語るさい、宣教師を追放したのは、神仏に反対の説教をしたためであるとし、また多数の大名たちをその宗旨に引き入れ、日本において反乱をおこすおそれあることは、これまで何人も気づかなかったが、彼だけがこれを洞察したといって誇っている」と伝えています。
秀吉は大名たちをキリシタンに引き入れたあげく、反乱をおこさせ、国をうばおうとする魂胆があるのではないかと疑いの目でキリシタン布教を見ていたのでしょう。この秀吉の疑いの目を確信させる事件が起きたのです。1596年七百トンもあるスペイン船、サン・フェリペ号が、メキシコに向かう途中暴風雨にあい高知県の浦戸沖に漂着した。秀吉はすぐに部下を現地に派遣して取調べさせました。その時サン・フェリペ号の水先案内人、フランシスコ・デ・サンダがおもわぬ失言をしてしまったのです。 イェズス会の宣教師ルイス・デ・セルケラが伝えたところによると、
この水先案内人は、秀吉の部下に世界地図を見せて、スペインの領土の広大なことを自慢した。そしてどうしてそんなに領土を拡大したかと尋ねられると、わが国ではまず宣教師を派遣してその国の人にキリスト教を伝えておき、信者が相応の数になったとき軍隊をさしむけ、信者の内応をえて、たやすく目指す国土を征服すると答えたというのです。 これが秀吉に伝えられたのです。1587年に秀吉は、キリシタン禁止令や宣教師の国外追放を発令していました。しかしこの発令が厳しく施行されなかったので、イェズス会の宣教師は地下にもぐって伝道していました。
イェズス会ばかりでなく、スペイン政府を後ろ盾にしたフランシシスコ 会の宣教師がフィリピンからやってきて伝道するようになっていました。そこで秀吉は、サン・フェリペ号漂着の同じ年の暮れにフランシスコ会の6人の宣教師と日本人信者20人を長崎ではりつけの刑の処し、 やりでつき殺したのです。 これが日本最初の大殉教で、この26人の殉教者は、1862年、ときのローマ教皇によって聖人の位を受け、殉教の日は全世界カトリック教徒の祝祭日に定められました。 この大殉教の日からおよそ一年半後の1598年に秀吉は亡くなり、このキリシタンの問題は、徳川家康の江戸幕府に引き継がれます。
この大殉教は、ローマのカトリック教会本部や海外のカトリック教会に衝撃を与えましたが、逆に宣教師たちに禁教下にある日本に殉教覚悟の伝道に熱意をもえたぎらせる結果になったのです。 秀吉のあとを引き継いだ家康は、貿易のため多少のキリシタン布教はしょうがないという態度をとったのでキリシタンの数がさらに増えたのです。1605年には、全国で6、70万といわれるほどになったのです。
1612年のイェズス会の報告によると宣教師、修道士あわせて250人も全国に配置されているほどです。キリシタンが確実に日本社会に深く浸透していったことが分かります。 これに脅威を感じた家康には、オランダのオレンジ公マウリチウスが1610年家康あてに書いた手紙の中で、ポルトガル、スペインは宗教上の神聖をよそおって、実は日本国民をキリシタンにしたて、貴国を徐々に分裂させ、派閥を生ませ、内乱に導こうとしているというような情報も手に入っていました。
日本との貿易で遅れをとったオランダやイギリスは、布教とは無関係に貿易しようとあらゆる機会を通じてポルトガル、スペインの追い落としをはかり、キリシタンの影にひそむ両国の領土的野心を家康に忠告したのです。
家康はまた大阪城にいる秀吉の息子、秀頼とキリシタンの結びつきをも警戒しなければならず、1613年家康は、キリシタン禁止令を発布してキリシタン弾圧を始めました。 家康死後、秀忠の代になると弾圧は厳しさを増し、1622年には、外国人宣教師をはじめ、日本人信者、その家族ら老若男女あわせて55人のキリシタンを長崎で処刑、翌年には江戸でキリシタン50人を火あぶりの刑にしょしたというようにこれまでにない徹底した弾圧を加えたのです。
そして日本のキリシタン布教の息の根をとめたのが1637年の島原の乱です。もともとこの島原の乱は、領主の重税に対する農民の抗議でしたが、領地の天草、島原はもともとキリシタンの多いい地域で、農民にもキリシタンが沢山いたのです。
このため幕府は島原の乱をキリシタンの暴動とみなし、乱平定後もキリシタン弾圧は全国的に続けられ1636年には長崎のポルトガル人278人をマカオに追放、1639年にはポルトガル船の来航を禁止しました。 このためキリシタン布教は完全に下火になり、二度と弾圧前の隆盛に戻ることはなかったのです。江戸幕府は、弾圧に成功したのです。ヨーロッパでは、この時期の日本のキリシタン弾圧はよく知られています。 ヨーロッパ内では、新聞で日本特集を編集する時か、なにかの講演で日本が語られる時など色々な機会を利用して宣教師の迫害が語られ、日本人の残虐性の表れと非難するケースが多いいのです。
私はヨーロッパ人のこのような行為には別に驚きもしませんが、私が驚くのは、かなりの日本人がこのキリシタン弾圧を批判していることです。歴史書においてもたとえ弾圧を批判しなくとも、ことさら弾圧を強調したりするのです。ましてや私のようにキリシタン弾圧を正当化する歴史教科書は皆無と言っていいでしょう。
ではなぜ日本はキリシタン弾圧に成功したのでしょうか。それは信長、秀吉、家康の時代は、日本は軍事大国だったからです。当時の超大国と言えばスペインです。秀吉などは、そのスペインのフィリップ王に脅しの手紙を書いているくらいです。 江戸幕府が、外国人宣教師の入国をいくら厳しく禁止しても、死を覚悟の宣教師が、現在用語で言えば、密入国し、不法滞在して布教していたのです。密入国の宣教師たちを送り出す前線基地が、スペインの植民地であるフィりピンのマニラでした。このため江戸幕府はマニラへの遠征計画をたてたほどです。ところが島原の乱が起きてそれどこではなくなってしまったのです。
日本がキリスト教国にならずにすみ、またヨーロッパの植民地にならずにすむためには、弾圧のタイミングがちょうど良かったといえるのです。1560年、ポルトガル人によってインドのゴアに設けられた「死の収容所」には、ヒンズー教、イスラム教、仏教徒など「邪教」を信じる者が収容され、教会による拷問は苛酷を極めたと言われています。 16世紀から17世紀のはじめにかけて、宗教裁判によって殺されたゴアの住民は3800人にも上っていたのです。日本に来た宣教師は、こういう残酷なことをしなかったことは確かです。 それはザビエルをはじめ日本にきた宣教師たちが良い人だったからと考える人がいたら、それはあまりにも人が良すぎます。日本の政治体制がしっかりしていて、外国人宣教師たちが好き勝手なことができなかったからです。
キリシタン弾圧のタイミングを逸して、もし幕末にでも弾圧をしたらどうなったでしょうか。それこそキリシタンの信者はさらに増えていて、 弾圧するとすればヨーロッパ諸国が介入してくるでしょう。 その時日本は、ヨーロッパ諸国との軍事力の格差が広がりすぎていて、たちうちできなかったはずです。
だからキリシタンを弾圧するなら、日本がヨーロッパ諸国と互角にあるいは互角以上に戦える16世紀と17世紀の半ばぐらいの時期しかなかったのです。 中南米に住む人たちは、キリスト教を弾圧できないどころか、民族自身が弾圧されてしまったのです。そして現在の中南米では、自分たちの祖先弾圧に手を貸したカトリック教をまるで国教のように信仰しているのです。私から見れば実に哀れというほかはありません。
日露戦争の勝利が日本が植民地にならずにすんだと誰もが承知しています。しかし同時に16,7世紀にキリシタン弾圧に成功したことも、日本が植民地にならずすんだ原因の一つにあげてもおかしくありません。 それがどうして日本の歴史教科書に書かれることがないのか不思議でなりません。
日本でキリシタンの布教が活発に行われていたころ、見逃してはならないことは、神社、仏閣の破壊です。ローマ帝国でもキリスト教が国教になるとそれ以前の数百年にわたる多神教時代の多神教に関する建造物は、ことごとく破壊されています。 日本でもキリシタンによる神社、仏閣の破壊がありました。だから秀吉はキリシタン禁止令の理由の一つに「神社、仏閣の破壊は見逃すわけにはいかぬ」とあげているのです。不思議なことに日本の歴史書、特に歴史教科書にいたっては、日本のキリシタン弾圧は強調しますが、神社、仏閣の破壊行為についてはあまり振れようとはしません。
日本に初めてキリスト教が伝えられた当時の宣教師、ルイス・フロイスは、長年日本に滞在して「日本史」を書いたほどの日本通ですが、彼はその中で仏像を焼却するか首に縄をかけて町中に引き回し、教会で炊事の薪にしたと書いています。 いったん破壊されて数十年も経つと、記録にでも残されていないかぎり、そこになにが建っていたか忘れられてしまいます。例えば、 私は現地に行って実際には見ていませんが、雲仙の温泉地獄で幕府により改宗を迫られ、断固拒否して殺された30数名の神父とキリシタンについては石に刻んで記録に残し、大きな十字架を建てて観光客に訴えています。
そこから数百メートルの地点に温泉神社と真言宗の満明寺が存在しますが、双方とも当時神父やキリシタンにより破壊されてしまったことは現在どこにも記されていません。皮肉にも、唯一の史料はルイス・フロイス著「日本史」です。
第二部五十三章に「温泉神社や僧院、神仏像はキリシタン大名有馬晴信の改宗後、ことごとく破壊された」とあります。この例など記録に破壊されたことが記されているから、破壊後再建されたことがわかるのです。だから破壊されたまま、再建されることもなく消えてしまった神社、仏閣などがどれほどあったか想像つきません。
いずれにしてもキリシタン弾圧に成功したから、日本はキリスト教国になってヨーロッパの植民地になることを免れ、現在では世界遺産に指摘されるような神社、仏閣、そして世界遺産に指摘されなくても古い伝統ある神社、仏閣などを眺めることができるのです。
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18 comments »

  1. 陽山 より:

     私も中・高で教えていた時、キリシタン断圧の過酷さは話しても、キリシタンの蛮行・野望は触れる程度でした。比重を反対にすべきでした。

  2. 日本が、幕末に植民地化を免れた大きな要因として、キリスト教をそれまでに排除していた故とのご指摘は、ポイントを言い当てていると思います。勉強になりました。ミケ

  3. 70代の青年 より:

    氏の本にも書かれて居る様に、私はキリスト教の宣教師は「侵略の先兵」と見ております。
    教育の普及が遅れている・確たる精神的な支柱がない・人心の混乱に乗じて宗教と言う「麻薬」?は侵入するもので有る。と宗教を信ずる人が聞けば「罰当り」な思考を私自身が持っています。
    幕末には既に信者がいない様な状況の中で開国、新日本国家を作る意欲が先立ち、宗教に構う事もない明治の人達は先人が残した教育のお陰で当時の「新興宗教?」キリスト教の入る余地がなかったのでしょう。
    戦後もマ元帥の皇太子殿下教育にもバイニング夫人と言う人をおきました。キリスト教普及に役立てようとしたのかも判りませんが、日本人はお隣の国の様に大きく流れる事もなく先進国では珍しく独自の優しい宗教観を持っています。
    キリシタン迫害・佛教排斥も有りましたが、長年の日本人の培われた、皇室観を保ち権威としてのみの存在が宗教を上回り、日本人の心の奥深くに存在はして居た事も原因ではないかと推測しているのです。
    息子の時代・孫の時代と教科書を振り返ると中身がなく成りました。「図」「絵」が多く、肝心の本来の「教育」から「お遊び」の様な感じを受けるのですが如何でしょう?いい加減に本当の歴史や日本を教えてほしいと思います。
    四方から物事を検証される「氏」の勉強姿勢を学ばなければと思います。云い訳に成りますがキリスト教徒の方を差別・弾圧?に加わる者では有りません。従兄弟のつれあいもクリスチャンですが仲良くしています。
    別件・今年の9月は「唐招提寺」の再建がなります。母の故郷でも有りますので是非訪れたいと考えて居ます。家の宗教は「浄土宗」、特異な宗教観の持ち主で有るのがチョット恥ずかしいですね。

  4. えんだんじ より:

    70代の青年様
    コメントありがとうございます。私の家内もカソリックのクリスチャンです。ずっと以前カソリックの総本山、バチカンに連れて行った時、狂喜していました。
    我が家の仏壇へのお供えなど、またお寺の墓参りなど積極的にしています。
    私に言わせれば日本化したキリシタンです。日本にはこういうクリスチャンが多いいのではないでしょうか。
    しかし日本のクリスチャンの総本山、日本キリスト教会はいけません。徹底した自虐史観です。

  5. えんだんじ より:

    屋根の上のミケ様
    コメントありがとうございます。
    キリスト教を武力で弾圧できた重要性を、歴史家は軽視しすぎます。キリスト教を武力で弾圧できなかった国々は、どうなったのでしょうか。

  6. えんだんじ より:

    陽山様
    コメント有難うございます。
    陽山さんのような専門家に肯定されるとうれしいかぎりです。

  7. たつや より:

    >不思議なことに日本の歴史書、特に歴史教科書にいたっては、日本のキリシタン弾圧は強調しますが、神社、仏閣の破壊行為についてはあまり振れようとはしません。
    この視点は,日本史家の盲点ですね。
    日本は文明開化で西欧の学問を取り入れる時に,無意識に「キリスト教の一神教的価値観」をすり込まれたのだと思います。
    「正か,誤か」の二元論で論文を進めた方が,切れ味鋭くわかりやすい訳で,評価も高いのでしょうが,これは一神教の価値観ですね。
    (1)文明開化以来の,一神教的価値観。
    (2)敗戦以来の「東京裁判史観」。
    これらに距離をとるのが,「日本人の視点」かも知れません。

  8. たつや より:

    確かに,
    文明開化も問題があったようです。
    http://soumoukukki.at.webry.info/theme/2e261d47a9.html

  9. たつや より:

    こちらが「文明開化の問題」です。
    http://soumoukukki.at.webry.info/200903/article_8.html

  10. えんだんじ より:

    たつや様
    コメントありがとうございます。私も松原久子の「驕れる白人と闘うための日本近代史」を読みました。彼女は得意のドイツ語で白人の歴史観に挑戦する本を書くなどすばらしい仕事をしてくれました。
    外国語の優秀な使い手が、以外とだらしなく白人の歴史観に迎合しがちです。落合信彦など日本語ではえらそうなことを言ったり書いたりしていますが、歴史観は白人迎合そのものです。
    渡部昇一など英語学者のくせに英語で彼の歴史観を主張したことなどありません。あれだけ著書を沢山書いているのですから一冊ぐらい英語で白人の歴史観の挑戦したらどうかと言いたくなります。

  11. やまとおのこ より:

    目から鱗です。多くの日本人が知るべき論文です。

  12. えんだんじ より:

    やまとおのこ様
    コメントありがとうございます。
    私の主張を歓迎していただきうれしい限りです。
    これからもよろしく御願いします。

  13. 中年z より:

    良くぞ言ってくださった。えんだんじさんならではの切り込みです。坦々塾の講話が楽しみです。

  14. 奥様 より:

    えんだんじさま
    いつも私のブログにコメントくださり有難うございます。
    なるほど・・・・
    実は私の兄はイエズス会経営の学校を卒業しました。私も兄の影響を受け、カトリックに心酔したことがあります。(今は教会の花を生けるだけですが)兄の影響で、26聖人の磔の後など旅行で見に行ったり、「踏み絵」の愚かしさを考えたり、島原の乱を同情的に考えたりしていました。
    現在一定程度日本にはキリスト教の信者がいますが、これ以上増えもせず、減りもせず・・・の状態ですね。それも日本人の国民性でしょう。
    日本のキリスト教の信者はきっと、日本的キリスト教の信者だと思います。知人の葬式にはためらわず、数珠を持ちますし。
    中学高校はプロテスタントの学校でしたから、まさしく左翼的風潮でした。今、いろんなことが冷静に考えられるようになりました。えんだんじさまの論文、とても納得できます。

  15. えんだんじ より:

    奥様さん
    コメントありがとうございます。
    <えんだんじさまの論文、とても納得できます。
    クリスチャンの方にこのように言っていただけてうれしいかぎりです。

  16. えんだんじ より:

    中年z様
    コメントありがとうございます。
    いつも左翼情報活動に感服しております。

  17. より:

    最近、在る教会で迫害されたされたキリシタンの資料館を見ました。
    しかし、そこにはその何十倍・何千倍ものキリスト教により迫害された異教徒への懺悔はみじんも見られませんでした。
    神と云う絶対正義を捏造して、それを信仰するものには自己の所業を反省するということはないようです。

     日本は危うく植民地にされることもなく難を切り抜けましたが、世界を見渡せば、
    ピューリタンによりほぼ絶滅まで追い込まれたアメリカインデアン。1000万人が殺されたというインデオ、
    十字軍、キリスト教会が支持した原爆投下・・・・

    4世紀から絶え間ない迫害と殺戮の対象とされ続けたユダヤ人。
    調べれば、調べるほどキリスト教の悪行は出てきます。

    プロテスタントの始祖と言われるマルティン・ルッターの宗教改革を信じ、神の下の人の平等を訴えたドイツ農民戦争でも
    ルターは諸侯の側につき、「農民たちを刺し殺せ、絞め殺せ」と進言して15万人の農民が虐殺されました(エンゲルス・ドイツ農民戦争)
    ルター著「農民の強盗団について」。その内容は、一刻も早く農民を皆殺しにせよと諸侯たちに訴えたものだったんです。どういう論理構成かというと、農民たちは権威に盾突いている。これは神の意思に反することだ。これ以上放置しておくと彼らの魂が汚れ、復活できなくなる。いま皆殺しにすれば、最後の審判の日にも彼らも永遠の生命を得られるかもしれないと。


    さらに、晩年のルターは「ユダヤ人と彼らの嘘」を書きユダヤ人の撲滅を訴えました。
    ヒトラーはドイツの歴史的先人の中でルターを最も尊敬し、ルターの思想を実行に移しました。
    ヒトラーがユダヤ人を嫌ったわけではありません。
    ドイツ人の支持を獲得するための方便だったのでしょう。
    戦争に負けたドイツ人の憎悪の捌け口がユダヤ人でっした。
    それに正当性を与え助長してきたのがキリスト教の反ユダヤ思想です。
    キリスト教の反ユダヤ主義がありドイツ民衆に蔓延していた。
    そうでなければ、ヒトラーが総統にえらばれることはなかった。
    ーーー

    キリスト教(パウロ)は人間の義人であるか、罪人であるかの基準を洗礼を受けた信者であるか、異教徒であるかで二分してしまいました。

    キリスト教において、異教徒はキリスト教の神の怒りを受けた罪人なのです。

    ●ローマ5:6-11)御子を信じない者、御子を救い主として受け入れない者は怒りの日に裁かれるのです。
    –ガラテア
    人は律法の業によって義とされず イエス・キリストの信 によってのみ[義とされる]ことを知って わたしたちもまたイエス・キリストを信じたのである
    ●パウロが、自分の手であいさつを書きます。主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。。

    パウロの悔い改めは、つまり「イエス・キリストの信 によってのみ[義とされる]」です
    それゆえ、良心の呵責もなく殺戮を繰り返すことができたのでしょう。

  18. えんだんじ より:

    狸さん
    初コメントありがとうございます。宗教が近代化、あるいは現代化されるということはないのでしょうか。

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