ペリーの白旗事件



アヘン戦争後の1844年(ぺりー来航の9年前)、オランダ政府は、国王ウィリアム二世から江戸の将軍あての親書をたずさえた海軍大佐を特使として日本に派遣してきた。国王の親書は、これまでオランダが日本との貿易を独占してきた背景もあって善意の手紙であった。その手紙はいまなぜ開国しなければならいか理由をあげ、そして開国を進める内容でした。国王の手紙に対する幕府の回答は、鎖国政策の変更なしというものでした。
1846年7月浦賀沖に二艘の軍艦が現れた。アメリカのビッドル提督の率いる軍艦です。来航の目的は、日本がアメリカと通商を開始する意志があるかどうかの打診でした。幕府の返答は、新たに外国と通商を行うのは国禁であること、外交のことは長崎で取り扱う、この二点でした。このためビッドルは、なにもせずそのまま退去しました。この外交交渉でビッドルは、三つの失態を演じたとアメリカでは言われています。一つは軽率にも気さくに日本人に接したこと。二つは、大統領の親書を身分の低い浦賀の役人に手渡したこと。三つ目は、ビッドル提督自ら幕府の返書を日本船までとりにいったこと。要するに威厳の欠如を言うのでしょう。
このことの反省のせいか、ペリーが日本にやって来たとき、他人から見ればなに様と思わせるくらい威厳に満ちた態度を最後までくずしませんでした。ビッドルの行動が軟弱だったなどの批判が出ましたが、ビッドルばかり責めることはできません。その時のアメリカ政府には、開港に応じなければ、武力を使ってもという強い意志はありませんでしたし、それにビッドルが率いた二艘は、軍艦といっても帆船だったので威圧感がなかった。
1850年になるとアメリカ政府には、どうしても日本に開国を迫らなければならないはめに直面したのです。その理由の一つが太平洋上での捕鯨産業です。当時ニューイングランド地方の捕鯨産業が最盛期でした。南北戦争のころまでのアメリカの家庭における照明と機械用潤滑油は、捕鯨会社が運ぶ鯨油が主力でした。1846年だけで出漁船736艘、総トン数233,000トンにものぼっています。そのため捕鯨船の補給基地として日本の港が必要になったのです。
二つ目の理由は、アメリカはカリフォルニアと支那を結ぶ太平洋航路の開設を望んでいた。当時の蒸気船ではあまりにも距離がありすぎたのだ。当時の蒸気船の石炭消費量は、現代の想像以上に大きく、太平洋横断には航路途上での石炭の補給なしでは困難な時代でした。そのため太平洋横断のための石炭補給基地としての日本の港が必要になった。
1851年、アメリカ政府は、日本開国のための遠征隊を派遣しました。その時の司令官はペリーでなくて、東インド艦隊司令長官に任命されたオーリック海軍中佐でした。オーリックは、メキシコ戦争の時、ペリーの部下でした。オーリックの艦隊が日本に向けて出発しようとした時、時のアメリカ国務長官ダニエル・ウェブスターがスピーチの中で聞き捨てにならないことを言っているので紹介しましょう。
「日本列島の地下深く埋蔵する石炭は、万物の創造である神のみ心より全人類のためにさずけられたもの」と語っているのです。
当時のアメリカ人は、自分の行為を正当化する口実がないと彼らのゴッドを持ち出して正当化したのです。そのもっとも典型的な言葉が「マニフェスト オブ デスティニー」(Manifest of Destiny),日本語では「明白なる天命」と訳されています。日本の読者にはあまり知られていない言葉なのでぜひ覚えてもらいたいです。この「明白なる天命」という言葉は、ニューヨークのジャーナリストが1845年7月に雑誌に発表した論文の中で使用したものです。
ジャーナリストは、「年々増加していく幾百万のわが国民の自由の発展のために、神によって与えられたこの大陸に我々が拡大するというマニフェスト オブ デスティニーの偉大さ・・・」と記したのです。
白人がインディアンまたバッファローなどの野生動物をけちらしながら、西部へ、西部へと土地を求めて移住する行為に白人は正当化する口実がほしかったのでしょう。タイミングよく「明白なる天命」という言葉が出たものですから、その考えがアメリカ国民に浸透して、アメリカ膨張主義の思想になっていったのです。
アメリカ人(白人)がこの大陸で発展するのは彼らのゴッドが与えた明白な天命だというのですから、一神教というのは随分都合のいい宗教といわざるを得ません。先にあげたダニエル国務長官の発言にしても、自分の国の石炭は自分のものだが、日本列島に埋蔵している石炭は、自分たちのゴッドが全人類のために授けられた物と言っているのと全く同じことです。ダニエル国務長官も「明白なる天命」の思想に染まっているのです。
オーリック司令長官の遠征艦隊は、香港まで到着しながら、日本に来ることが出来なかった。オーリック司令官自身の悪評のため解任されてしまったからです。そこでペリー提督の登場となってくるのです。ペリーは、日本からの帰国後膨大な日本遠征記を発表するのですが、その中で先ほど述べたマニフェスト オブ デスティニー(Manifest of Destiny)「明白なる天命」という言葉を使っています。
「米国の今後の発展に照らし合わせてみても、わが国は他国より先んじて前向きな姿勢を示していく宿命にある。(万能の神)が(米国の明白なる天命)を極東にむけるとするなら、われわれはそれを真剣にとらえて(正義と誇りに満ちた)行動をとっていく必要があろう」
アメリカ人が西武へ西部へと発展していくのは、神から与えられた「明白なる天命」なら、西部開拓が終わった後は、極東へ極東へと向かうのもアメリカの「明白なる天命」だと主張しているのです。アメリカ人の心に無意識に存在する「明白なる天命」が大東亜戦争を生む一員になっていることはまちがいありません。アメリカ人のこの勝手な思い上がりともいうべき「明白なる天命」という言葉はぜひ記憶しておいてください。日本はアメリカとの戦争で負けましたが、アメリカ人のこの思い上がった「明白なる天命」という考え方を二度と公言させなくしたことは確かです。
入念に準備した後、ペリー提督の率いるアメリカ艦隊は、1852年3月8日にアメリカを出航した。ペリー艦隊の日本遠征は、現地の新聞ではほとんど話題になりませんでしたが、そんな中で5月4日付けの「ニューヨーク・ヘラルド」紙は以下の記事を載せています。
「遠征軍は日本政府に好意をいだかせて、交渉への下工作をするために、日本の皇帝への献上品としてたくさんの品物を積み込んだ。鉄道というものを教えるために機関車と線路を、そして文明をしらせるために電信機や写真機も積み込んだ。
日本とアメリカとの間で商品の交換をしようと言う気をおこさせるために、実に多くの工業品を持っていった。この遠征のために、議会は12万5千ドルをつぎ込むことを決定した。天文学、化学、植物学、博物学の研究者も参加した」
さらにペリー艦隊の日本遠征の目的は、いかなることがあっても長崎ではなくて江戸に上陸することをめざすとともに、いろいろな地方に遠征すること、そして長期間閉ざされた人々と通商関係を結ぶことでした。遠征は18ヶ月を要するだろうと推測されていた。
1853年7月8日ペリーは、四艘のアメリカ軍艦を引き連れて江戸湾入り口に姿を現した。そして1854年2月8日には、今度は七艘のアメリカ軍艦を引きつれ、強引に江戸市街を遠く眺められる羽田沖まで侵入してきました。あわてた幕府は、横浜で交渉を行うことに譲歩したのです。数回の交渉の結果、1854年3月31日、日米和親条約、12か条が調印された。その主な内容は、下田、函館の二港を開港し、薪、水、食料など供給すること、アメリカ船の必要品購入許可、外交官の下田駐在許可、最恵国約款の承認などでした。
ペリーの外交交渉は、日本の国法をむりやり破って、アメリカの主張を通させたということで「砲艦外交」と呼ばれています。帰国後のペリーは、鎖国政策をとる日本を、武力を使うことなく、一発の銃砲をうつこともなく平和裏に開国に同意させた理由もあったのでしょう、アメリカ国民から大歓迎をうけ、大統領候補に祭り上げられる始末でした。
帰国後のペリーは、膨大な遠征記を書き残しています。それが米国海軍省の委託により編纂された
「The Narrative of The Expedition of an American Squadron to the China and Japan
Performed in the years 1852, 1853, and 1854」です。
ペリーはもう1冊個人的な記録「日本遠征記」を書き残しています。実はこの2冊の本には書かれなかった事実あがるのです。ペリーがわざと隠したと思われてもしかたがない事実が、日本側の史料にあるのです。その事実とは、三輪公忠(みわきみただ)著「隠されたペリーの(白旗)」によると、幕府との交渉でペリーは3通の書状を提出したと彼の二つの遠征記に書いてありますが、実際は四つの書状を幕府に提出しているのです。その四つ目の書状には、国書の受け入れを拒むなら、それは天命にそむくことである。戦いとなれば必ずアメリカが勝つから、その時にはこの白旗を掲げて和を請えと書かれているのです。そしてその書状と一緒に二本の白旗が、幕府に渡されていた。
この史実の出所はと言えば、当時の日本の対外関係を知るための第一級の史料といえる「大日本古文書・幕末外国関係文書之一」です。
ところでこの事実がアメリカ側の著作によって初めて公にされたのは、ピーター・ワイリー著の
「神々の国ヤンキーたち――ペリー提督と日本の開国」で、出版がなんと1990年です。著者のピーター・ワイリーは、なにを参考にしてペリーの隠された事実をさぐりあてたかと言えば、
「大日本古文書」が1970年に英文に翻訳されていたからです。それではなぜペリーはこの事実を隠したか、ピーター・ワイリーは、「遠征が日本国民に対する威嚇であったような印象を与えないために、自分の報告書にはこの書簡のことは書かないことにきめたのだと、としか推量のしようもない」と書いています。
「大日本古文書」が1970年に翻訳されているのに、なぜワイリーの1990年の著書にいたるまで、英語圏において、この書状の存在すら気づかなかったのか、その理由は二つ考えられます。
一つはペリーの膨大な遠征記があるので、外国の研究者は、それを読めば充分事足りると考えたのでしょう。まさかペリーが日本政府あてに書いた手紙が、日本側だけに、しかも日本語訳としてだけ存在しているなど想像もしなかったのではないでしょうか。
二つ目の理由は、新渡戸稲造です。新渡戸は戦前では日本の有名な知識人です。略歴を簡単に紹介しましょう。1862年生まれ、キリスト教徒、アメリカとドイツに留学、京大教授、東大教授、東京女子大学初代学長歴任。同志社大学創立者。国際連盟事務局次長を務め国際的に活躍。英文で書かれた「武士道」は有名。新渡戸稲造には、彼の最初の処女作、「日米関係史」とも訳すべき「The Intercourse between The United States and Japan: A historical Sketch」と題する著作があります。この「日米関係史」は、アメリカのジョン・ホプキンス大学での博士論文を得るために書かれた本です。
この本は、ペリー提督を中心に展開しています。新渡戸は、史料として白旗事件のことが詳しく書かれている水戸藩主、徳川斉昭の著「海防愚存十条五事」を使用し、長々と紹介しているのですが、白旗事件のことは一切紹介しなかったのです。なぜか。
新渡戸は、自分の評判を上げるため、アメリカ政府にへつらうため、アメリカが知ったら嫌がるだろうと思われる情報はわざと紹介しなかったのだ。戦後多くの日本の知識人が外国での自分の評判を上げようと、外国政府の都合の悪い史実を無視して外国政府に媚ました。戦前にもそういう日本の知識人がいたのです。私が新渡戸を非難するのは、彼は当時アメリカで一番良く知られた日本人知識人でした。それにもかかわらず、新渡戸は年々厳しさを増す日本人移民への法差別に対してアメリカ政府にほとんど抗議はしていません。記録によると新渡戸は、1911年から1912年にかけて一年たらずの間にアメリカの六大学において166回も講演をして、大活躍していますが、しかし移民問題を正面からとりあげた講演は一回もありません。
「隠されたペリーの(白旗)」の著者、三輪公忠氏によると、1924年、アメリカで「排日移民法」が可決されると、新渡戸は「この日本人を侮辱した人種主義立法が撤回されるまで、二度とアメリカを訪問するつもりはないと宣言した」と言うのです。
もしそうであるなら新渡戸は、この時こそアメリカに渡って、「排日移民法」が通過する前に、その不当性を批判し、日本人移民のためにひとはだぬぐべきだったと思います。
この新渡戸の行為で思い出すのが、ノーベル文学賞作家、大江健三郎の行為です。1995年、フランスは南太平洋のムルロワ環礁で地下核実験を数度強行しました。その時国際間で大変な反対運動が盛り上がった。その前の年にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎は、フランスのある会議に出席するはずだったのですが、核実験に抗議してフランス行きをキャンセルした。
この時大江はフランス行きをキャンセルせず、フランスに行きフランスのマスコミの前で堂々と核実験反対の意見を言うべきだったと思います。
新渡戸も大江も日本に留まって反対意見を発言するという、二人にとって一番楽な方法を選んでいます。
もう二度とアメリカにゆくつもりはないと言っていた新渡戸が渡米したのは満州事変直後で、新渡戸は日本の「満州国」建設について理解を得ようとアメリカ各地をめぐってアピールしました。
戦前、外国に媚びる日本の知識人のつらさはここにあるのです。外国での自分の評判は、気になるが、同時に祖国、日本の評判も気になります。なぜなら戦前の日本は、国家としての権威が非常に強かったからです。外国の評判ばかり気にしたり、媚びたりして日本をないがしろしたら、日本国民から総すかんを食うからです。そのため新渡戸は、アメリカにも、日本にもいい顔をしなければならなかったのです。
その点戦後の日本の知識人は、気が楽です。戦後の日本は経済大国になったとはいえ、日本の国家としての権威は敗戦後落ちたままですから、安心して外国に媚を売り、祖国を平気で足蹴にすることができるのです。誇りを失った多くの日本国民は、ただ黙ってその知識人を眺めているか、それともその知識人と一緒になって祖国日本を非難するかのどちらかだけです。

12 comments »

  1. より:

    新渡戸稲造と大江健三郎の比較面白いと思いました。
    新渡戸は「武士道」の紹介で一応は日本とアジアの諸国との違いを米・西欧人に知らしめた功績は有る半面、政治問題の移民法などに対する反発はしていない事も知ることが出来ました。
    大江健三郎との比較は新渡戸稲造氏が少し哀れ過ぎではないでしょうか?武士道ではノーベル賞は取れていませんが、大江氏がノーベル賞を得たのは外国で日本の悪口を散々言って名を売り、結果がノーベル文学賞?
    「平和賞」の方が未だ判りやすいのですが、文学賞てのが判らない?読んでも理解できないのは私の能力が無いのでしょうが、途中で読みたく無く成る、これは私の読書力の無さでしょうか?中国では媚びを振りまく奇人と言う印象と、嘘も多い人です。
    ぺリーが使っていた星条旗が停戦時ミズーリ艦上に飾られた居ました。当時からのアメリカの対日政策で有った事を証明するような風景でした。同時にシンガポールの司令官パーシバルが艦上の最前列に居るのにも驚いた記憶が鮮明に思い出されます。
    しかし救われるのはぺリーが日本の将来を見通していたことです。当時の日本人の資質をチャンと見ていた事には尋常な人ではなかったのでしょう。
    アメリカ人から見ても日本人から見ても、評価を公平にしているぺリーの言葉は教科書でも教えるべきですね。
    戦後は「売国奴」と言う言葉を発する事すらなくなりました。極端な事を言えば売国奴がこの国を動かしているのが、日本の現状と言っても過言ではないでしょう。
    「国家」と言う事が何を表すのか判らない、こんな人を日本人は選挙で選んで仕舞う、最近は日本人が判らなくなって居ります。

  2. えんだんじ より:

    猪様
    <大江健三郎との比較は新渡戸稲造氏が少し哀れ過ぎではないでしょうか
    いやぁ、本当にそうですね。大江健三郎は日本にとって百害がって一利なしですからね。本にする場合、時間的余裕もありますからじっくり考えることもできますが、ブログの更新の場合、感覚的に捉えてパット書きだしますから熟慮が足りない面がでますね。
    <読んでも理解できないのは私の能力が無いのでしょうが、途中で読みたく無く成る、これは私の読書力の無さでしょうか?
    私も全く同じです。だから翻訳者は、大江の書いてあるのを完全に理解して翻訳しているのだろうかと疑いたくなります。
    確かに大江にはうそつきなところがあります。

  3. より:

    彼は田舎の出ですから戦時中の都会の状況も知らない、中学で反米と言いながら、親米に変わった同級生を罵倒しています。戦後は親の金と進駐軍保護下の下でノウノウと国立大学で勉強していたのでしょう。
    石原氏とも付き合いが有りますが、完全に進駐軍の罠にはまった正直坊やだった気がします。
    主義主張より心底日本が嫌いなのでしょう。奥さんも映画監督の妹さん、自分の考えより本から得た知識・思い込みが彼の血肉に成っていると考えています。
    単純な知能明晰な人では有るのでしょうが、世間知らず
    、加えて私生活での不幸な事も重なり、ひが見根性が反日に転化したと思っています。
    ソ連・北朝鮮賛美から中共賛美に変更しても恥とも思わない根性には、普通の心の持ち主の我々には及びもつかない。
    爆弾賞は頂いても日本の文化勲章を辞退する?本当は好戦的な人なのでしょう^^^嫌いな人です。

  4. えんだんじ より:

    猪様
    私も大江が大きらいです。たまにテレビで彼の顔を見ると胸糞がわるくなります。ノーベル賞は受賞しても文化勲章は断る。実にいけすかない人間だ。政府もノーベル賞と文化勲章とは別物となぜ解釈しないのか、情けないの一言です。

  5. より:

    NHKは物凄い朝鮮半島との2000年の歴史を、韓国史料からのモノで作成したとネットで拝見しました。
    私は10時には就寝しますので、新聞の番組表で「酷いモノに成るよ」と家内に話していましたが、予想は外れなかった様です。
    家内も「何とか桃子ちゃん」が出るから一寸見ている。と見たようですが20分で「嘘」ばかりと番組を映画チャンネルに変えたそうです。
    ハングル文字学者・博士にはとても朝鮮史は語れない程程度が下落している。マトマな論文を作れば親日派と攻撃される中では真実は語れないのでしょう。
    私も今真面目に教科書との比較に専心しているのですが、無茶苦茶です。とくに中世・近代史に成ると比較のしようが無い、全てが偽作みたいなものです。
    歴史は「資料」と「史料」から歴史的事実を過去の歴史から探求し、その決果を自らの史観で叙述するのもである。韓国教科書の記述者の弁で・・・
    教科書の作成方法を記しているのですが中身は殆どが願望・ねつ造・歪曲の羅列、韓国と北朝鮮でも歴史認識が大きく異なる中で良く作り出したものと感心。
    朝鮮総督府・関東大震災・高麗・李朝・鉄道・森林・土地改良・電力開発・宇垣総督・目賀田種太郎の業績を始め明・清の関わりも含めて悪戦苦闘、ホントに難しいモノと感心しながら・・何時纏まるのか・・・
    話は飛びますが、昼タモリの番組に田母神元空爆長が出られると聞き拝見しました。氏の論文を読んだ人が2名だったのには驚きました。この人たちが将来のお母さん、番組を見に来る人の程度でしょうが本当にガックリでした。

  6. えんだんじ より:

    猪様
    前にもちょっと話しましたが、朝鮮関係の本書いてみませんか。
    田母神さんよくタモリの番組でましたね。名前を知ってもらうにはいいでしょうが、相手がねぇ。
    格差、格差といいますが、今の若い人たちのまともな若者とどうしようもない若者との格差がひどすぎますね。

  7. 八目山人 より:

    上に猪さんの、NHKが放送した秀吉の朝鮮出兵記事が有りましたが、2000年頃に書かれたユネスコのkyozaiというブログがネタ元と思われます。
    2002年の日韓ワールドカップを、成功させる為に書れたものと思われます。
    既にこんなに前から、左翼は我々の知らないところで、こんな工作を遣っていたようです。
    明石書店と朝鮮人学者が書いています。
    左翼の間ではこの歴史観が常識だったのでしょう。
    もう大丈夫とばかりに、NHKを使って一般人の洗脳に掛かったのでしょう。
    それにしてもユネスコですから、権威主義の左翼らしいです。
    http://www.unesco.jp/teacher/kyozai_f/nikkan/jp/2-6-2.htm

  8. えんだんじ より:

    八目山人様
    貴重な情報ありがとうございました。いずれじっくりとぜひ全文読みたいと思っております。

  9. mugi より:

    はじめまして。
     以前の記事「キリスト教弾圧成功が日本の植民地化を防いだ」「日本の知識人は、バカやアホが多い」などを拝見し、本当に共感しました。そのため、前者の方は拙ブログにも勝手に引用させていただきました。
    http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/2a45934c7d68a2dd4408cd9992cece55
     新渡戸稲造に限らず、日本人クリスチャンの文化人の大半は欧米人には何も言えない卑屈極まる下僕同然だったのではないでしょうか?特に戦後、彼らは占領軍に積極的に協力したはずだし、日本人クリスチャンのブログなどを見ても、侮日傾向を感じられます。そもそも、他の宗教を認めない一神教徒が異教に寛容であるはずがない。彼らは日本全土をキリスト教一色に染め上げるつもりではないか、と私は見ています。
     個人的に私はインド、中東史に関心がありますが、現地のキリスト教徒及び改宗者が、宗主国の走狗になった例は珍しくありませんでした。改宗せずとも、支配層に「外国に媚を売り、祖国を平気で足蹴にする」輩は珍しくなかったのです。

  10. えんだんじ より:

    mugi様
    コメントありがとうございます。
    <新渡戸稲造に限らず、日本人クリスチャンの文化人の大半は欧米人には何も言えない卑屈極まる下僕同然だったのではないでしょうか
    同感です。日本のキリスト教会、特に上層部は、反日侮日のすくつです。
    貴殿のブログ読ませていただきました。アラブ史にくわしいのですね。私はアラブ史には無知同然です。
    イザヤベンダサンの「日本人とユダヤ人」昔よみましたが中身はすっかり忘れています。
    時間があるとき、時々貴殿のブログを拝見してアラブ史の勉強させてもらいます。ありがとうございました。

  11. mugi より:

    えんだんじ様、レスを有難うございました。
     日本人クリスチャンはかつてのキリシタン同様、異国人キリスト教徒と連帯、常に彼らには服従する傾向があるのではないでしょうか?「日本は中国の一つの地方」―心を豊かにする考え方」のような記事を書いたカトリックのブロガーもいました。
    ttp://yamanasi-satoyama.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/06/post_5cad.html
     ちなみに私は中東史に関心があっても、アラブ史には特に詳しい方ではありません。ひと口に中東といえ広いし、興味があるのは専らトルコとイランです。山本が詐術に成功したのも、聖書や中東に疎い日本人が多いからだと思います。
     中東問題を論じた山本七平の書に、何度か「日本人には言う資格がない」の表現がありました。要するに欧米人やユダヤ人には何も言うなという言論封殺が目的だった。このような文化人を未だに保守派の論客と崇めている非クリスチャン日本人のお目出度さ。

  12. えんだんじ より:

    mugi様
    <日本は中国の一つの地方」―心を豊かにする考え方」のような記事を書いたカトリックのブロガーもいました。
    こんな日本人、日本列島から放り出したいですね。
    イザやベンダさんの「日本人とユダヤ人」を読んだのは、もう30年ぐらいまえ。内容はすっかり忘れています。こんどもう一度読み直して見ますね。

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