B・C級戦犯(2) 海外裁判




前回のBC級戦犯(1)(国内裁判)に続いて今回は海外裁判について語ります。
二。海外裁判
前回の横浜裁判について、その特徴をいくつか挙げて書いてみましたが、今回は海外裁判についての特徴をいくつか挙げて書いてみました。

1.裁判国の多さと裁判が行われた場所の多さ。
裁判を行った国は七カ国、裁判が行われた場所は横浜を含めて全部で49ヶ所に及んでいます。裁判国名とその裁判場所を見てみましょう。
アメリカ裁判(横浜、上海、マニラ、クェゼリン、グアム)

イギリス裁判(シンガポール、クアラルンプール、タイピン、ラブアン、ラングーン、アロールスター、香港、ジョホールバル、ペナン、ジェッセルトン、メイミョウ)

オーストラリア裁判(ウエフタ、ラブアン、アンポン、モロタイ、ラバウル、ダーウィン、シンガポール、香港、マヌス)

オランダ裁判(バタビア、バリクパパン、マカッサル、モロタイ、ポンティアナク、メナド、アンポン、メタン、クーパン、パンジェルマシン、ホーランディア、タンジュピナン)

支那(北京、上海、南京、広東、徐州、漢口、瀋陽、台北、太源)

フランス(サイゴン)、
フィリピン(マニラ)

2.裁かれた元日本兵総数
この49ヶ所の裁判所で裁かれた元日本兵総数は、およそ5千700名、そのうち死刑判決を受けた者971名、終身刑の判決が479名、有期刑2、953名。私たち多くの日本人は、東京裁判で7名が死刑判決を受けたことを知っていても、横浜軍事法廷で53名の日本兵が処刑されたこともほとんど教えられず、ましてや海外の裁判で900名以上の日本兵が処刑されたことなど教えられることがないのだ。勝者が敗者を裁く「戦争裁判」なるものは、すべて終戦後に定めた「事後法」によるものであり、また「戦争犯罪者」とはいかなる人物かを規定するものは国際的になにもないのだ。しかもこれら処刑された日本兵は、ほとんど無実の罪や、死刑にあたいしない罪での極刑なのだ。

3.天国と地獄の差
横浜軍事法廷の場合、アメリカ占領軍による日本国内での裁判ということもあってアメリカ側も気を使ったことは間違いない。被告がすさまじい虐待や拷問にあうことはなかったと言えるでしょう。従って横浜裁判にかけられた被告たちには、気の毒ではあったが、不幸中の幸いという面があったことも確かです。海外裁判における元日本兵被告の取り扱われ方を知ると無性に腹が立って怒りがわいてきます。虐待、拷問の例をいくつかあげましょう。
(1)アメリカ、上海裁判の一例
獄中で台湾司令官安藤利吉大将の服毒自殺につづいて松尾正三少佐が首吊り自殺した。これに怒った監獄長のクラレンス・パークス大尉は、主な関係者6名を事務室に引っ張り出し、自殺予防と称して全員を真っ裸にさせ、厳重な身体検査の後パンツ一枚だけの裸にしたまま6名を監獄の最上階にある独房の中にぶち込む。当時の上海の気温は日本内地の真冬と思えばまちがいない。全裸でまさに歯の根も合わず、じっとしていることができない。うずくまろうにも、床はコンクリート、三方の壁もコンクリート、正面は鉄格子、室内に取り付けられた寝台、机、椅子、洋式便器があるのみで、木製のものは一切なかった。それぞれ両腕で自分の裸を抱くようにしてとにかく動いた。しかし疲れてくると床の上に、寝台の端にうずくまるしかなく、しばらく静止していると寒さのために気が遠くなる。睡眠など思いもよらぬことだった。(略)

(2)アメリカ、グアム・グェゼリン裁判の一例
こちらは上海裁判とは対照的に太陽がギラギラ輝く炎天下。朝は暗いうちからたたき起こされ、まず壁に向かって両腕を目の高さに上げたまま不動の姿勢をとらされる。監視兵が腕の上げ方が悪いと言って棍棒で殴る。そのまま数時間。朝食は割り当ての缶詰野菜をスプーンに一杯、ゆで卵半分、ベーコンの小指大一切れ、レモン水をコップに一杯で、主食なし。昼食はパン半切れかビスケット二、三枚。終われば再び両腕をあげた姿勢。午後二時頃から運動という名目で外に出されるが、熱い砂利の上で腕立て伏せをえんえんと続けさせ、その背中を踏みつけたり殴ったり、かと思うと、少しの静止も許されずぴょんぴょんととびはねる動作を繰り返させ、飛び方悪いとののしってつきとばしたりなぐったり。運動というより拷問であった。

シャッワーを許したのちは再び両腕をあげて直立不動の姿勢。大小便は一日に一回か二回しか許可を与えられない。しかもその便所というのが収容されたストッケード(収容所)から百メートル離れており、駈足を命じられる。収容所はジャングル内にあるため蚊やブヨが立っている身体に遠慮会釈なくくいつき、その全身の痒みは尋常ではないが、少しでも身体を動かすと棍棒がとんできた。夕食は昼食とほぼ同じ。夜は目の前20センチぐらいのところにある200ワットの電球を注視させ、両腕はあごの前方の重ね合わせで不動の姿勢をとる。監視兵はその間をぶらぶらとまわって気が向くと、天井を仰がせたうえ、みぞおちを棍棒ではげしく突いたり頭や背をたたいたりする。毎夜、失神する者が続出し、恐怖と疲労のため発狂する者も出た。ようやく就寝が許されるのは午後10時ごろであった。

以上のように毎日の中で「白状しろ」といわれなき追求が行われる。それもまた、蹴られたり殴られたりで、ときには実弾がこめられた拳銃を頭に当てられることもあった。夜中に起こされるのはめずらしくない。目隠しされたうえ駈足を命じられ、倒れると手をたたいておもしろがる。日本人同士の殴り合いをやらせる。体験者の報告の中には、
「収容者の義歯金歯を強要し、強奪した」
「収容者に強要して収容者の口の中に陰茎を挿入し、射精した」
「手淫を強制し、拒否すると殴る蹴るで失神させた」

立花芳雄陸軍中将と的場末男少佐は、死刑判決を受けたが、この二人に対する虐待はことさら激しかった。炎天下に素っ裸にして、満水のバケツを頭上にのせさせ、珊瑚礁の破片からなるグランドの上を素足で倒れるまで往復させる。所持品検査の名のもとに二人の所持品を雨後のグランドに放り出し、踏みにじり、時間を限ってそれを二人に拾わせる。二人が絞首刑の宣告を受けた後はさらにひどくなり、独房の中で踏む、蹴る、殴る、壁にたたきつけるなどされて、へたばれば水を全身にあびせかける、といったぐあい。その翌日二人は絞首台にのぼって刑死した。

(3)オランダ、パンジェルマシン裁判の一例
取調べ中サルマタ、フンドシまで脱がされ真っ裸にさせられて籐の棒で臀部を力いっぱい叩かれる。肉は切れ、棒にまきつく。ある者はアリの群がりついている木の枝葉を裸に押し付けられ、全身をアリに食われた。ある時は拷問専用員ともいうべき逞しい現地民兵隊4,5人を連れてきて、それぞれに太い棒を持たせて叩かせる。拷問の結果その場で絶命した者もいる。口に入れるものはろくに支給されず、炊事場の流しの下の溝にたまっている飯粒をひそかにすくいあげ、泥水と一緒に飲み込むときもある。戦犯裁判というのはかたちだけのことで、これは復讐と言っていい。このような惨憺たるわれわれの状況を復員省に伝えてもらいたい。日本は再建してかならずこの仇を討ってもらいたい。

(4)オランダ、メナド・アンポン裁判の一例
銃殺刑の処せられた山田秀雄海軍兵曹長(37歳)の日記の拾い読み。
「昭和20年9月16日モロタイ戦争犯罪収容所に入る。毎日砂袋(40キロ)をかついで作業すること。珊瑚礁を掘る仕事」
「昭和21年3月3日大虐待を受ける。左腕をおられる。今日にいたるもしびれる」
「7月26日メナド警察官より調べを受け拷問を受けた。顔、尻に傷」
「10月30日裁判を受けて死刑を言い渡される。一方的裁判である」
「昭和22年3月3日死刑となる。戦争犯罪者は皆血の出る虐待を受ける」

死刑を宣告された死刑囚たちは、監視兵による虐待が夜と昼となく続いた。犬や猫の真似をさせたり、夜中に起こして二時間もコンクリートの上に座らせて罵詈雑言を浴びせたり腕立て伏せをくりかえさせて蹴りつけたり、お互い日本人同士をなぐらせたり、床の上にまいた飯粒をはいつくばって食べさせたり、その虐待方法はよく思いついたという種類のもので、死刑囚たちは半死半生となった。

(5)イギリス、シンガポール裁判の一例
第17方面軍参謀の杉田一次大佐は戦犯容疑者としてシンガポールに移送された。彼は自刃の前に、日本軍が英軍俘虜にたいして守っていた待遇と英軍が現在行っている日本軍俘虜に対するむごい待遇を比較対照を五十四頁にわたって記し、英軍と日本軍の双方に配布してこれを遺書とされた。
「シンガポールにおける英軍の日本軍俘虜に対する待遇は虐待と同じです。朝食はビスケット三枚、昼食も夕食もお粥で、野菜はほとんど食べさせてくれない。服務させられている仕事は波止場の荷役をはじめ市街地のどぶさらいや女性たちの産後の汚物の洗濯、婦人将校たちの下着類の洗濯などです。みな、ボロ着をまとって一日も早く日本に帰還できる日を待っています」

英軍裁判の場合も、各地で逮捕・収容された日本兵たちにあたえられる毎日の食事、片手に握ることができほどの量であり、みな飢えに苦しみ、身体の衰弱と戦わねばならなかった。作業に追いたてられている昼間も収容所に帰った夜間も絶え間なく監視兵による虐待が続き、思考力もなくなり、隙をみては地面にごろごろとよこたわる状態であった。

(6)支那、北京裁判の一例
「われわれは死刑囚と同居し、その一人一人が刑場に引かれていくのを見、犬猫もそむける食物に肉体は骸骨のように痩せ衰え、病人、発狂者が続出する中で酷寒と酷熱の春夏秋冬、前後を入れて約一年半の獄中生活を送った。異国籍人と同居のため、憎悪、悪罵、ひがみ、ねたみ、その中にはもちろん友情もあったが、虫けら以下の生活に、体の弱い私はほとんどまいってしまった。点滴、輸血も数回に及んだ」

支那の裁判や犯罪者に対する慣習は、他の西欧諸国とくらべると異色なところがあります。例えばBC級戦犯者全員に「足鎖」がつけられた。全重量7キロもある。行動の自由は奪われ、足もしびれる。刑の執行法も他国と違っていた。市中引き回しのうえ、所定の空き地に連れてゆき、大衆が見物する中で銃殺する。初期の段階では二時間も三時間も市内を引き回されるうちに投げつけられる石で半死半生となり処刑場に着いた時には、意識を失い、死んだも同然だったという例もある。さらに銃殺の際に心臓や胸を狙わず、最初にわざと急所をはずして撃つので“戦犯者”の苦しみようはひとかどならず、親日的感情を抱く見物人から非難があった、という目撃談もある。

4.無念さこもる遺書の例
(1)台湾歩兵第二連隊長、田中透少将の妻子あて遺書
戦争中、チモールの東に在るスルマタ島にて、土民が反乱を起こし、我が兵を殺害せり。依って、父は討伐隊を送りて、全犯人一千名中より、主たる者約百名を捕らえ、死刑とせり。当時我が軍律会議は、アンポンに在りて、チモールより一千キロ以上隔て、その間敵飛行機、潜水艦の危険甚大にして、犯人を送る方法なく、父は司令官として、緊急自衛権の発動のより、此の処置を為せり。之は国際公法に違反せざるところなり。然るにオランダ軍は見解の相違により、自衛権を認めず。昭和23年1月24日、父は死刑を宣告さる。事情の如き故、此の運命に遭遇せり。従って、全く名誉の戦死と同様なり。御身等二人は、絶対に父の正義を信じ、他人に対して臆するところなかれ。父は御身等二人さえ信じ呉るれば、此の世に何等思い残す所なし。昭和24年4月7日に処刑された。
辞世の句: 日の本の民は逞し百難を乗り超えて立つ時ぞ待たるる。
      阿佐ヶ谷の日の暖かき我庵を瞼に画き文子思いぬ。

(2)中屋義春憲兵中尉の妻への遺書
隊長(膳英雄憲兵大佐)も全然身に覚えなき事件なり。故に軍事法廷に於ける公判廷に於いて堂々と弁論なしたるにもかかわらず我らの条理にかなった弁論も虚偽なりとて採用してくれず、支那側に有利にきめこんで我ら二人を無実の罪に陥れたのである。この様な暗黒裁判、非人道なる裁判による悲憤やる方なき者が幾多あることか、全くの無実の濡れ衣を着せて平然たる支那側の態度は人道の敵として世界の世論を喚起すべきだ。○子よ(註:
妻の名)、日本人に檄を飛ばし、憤死せる余の仇を討って呉れ。孫子の末まで言い残し余の死を空しくするなかれ。

(3)前田利貴陸軍大尉の弟と妹への遺書
終戦後とかく部下から種々非難され、又此の種戦犯者の取調べに際しても、上官と部下が互いに責任をなすり合い、果ては外国人に対して我が身可愛さから部下又は上官を売り、無事帰国した人々の多い中で、兄は常に部下たる石田、石渡両君及び他の人々から愛され、召喚を受けてからひたすら「部下及び上官を無事に内地に帰す」という初心を最後迄守り通せた事、加えるに原住民特にサウ島警備隊長時代(兄の責任のもとに行われた一切の仕事)の至誠が天に通じているものと、之亦現在如何なる罪の汚名を受くるとも兄は幸福である一つの理由だ。原住民は皆「前田は曲がった事がきらいな真直ぐな人間だ、善人であるからなんとか助けて下さい」と嘆願してくれたのだ。如何に兄を極悪人なりと軍法会議で決定しても一般の声は善人なりという。之だけでも充分ではないか。

(4)山口県出身、兼石績海軍大尉
私は無実の罪で死刑になるのは誠に残念である。然し敗戦日本が無条件降伏後に於いて日本の国体と国土を護り日本民族の滅亡を止めるために血の代償は是非必要であると肝に銘じ、国家の犠牲となる私の心中を親も兄弟も妻子も知って戴きたい。

私がこのブログ記事を書くにあたって利用した資料は、特に海外裁判については、ほとんど岩川隆氏の著書、「孤島の土となるとも」(BC級戦犯裁判)(講談社)からのものです。この本は1995年に出版されています。岩川氏は1933年生まれ、私より五歳先輩です。岩川氏が、文献として参考にしている本は、「世紀の遺書」(巣鴨遺書編纂会)です。この本「世紀の遺書」はBC級戦犯として処刑された人たちの七百一篇の遺書・遺稿を集めたものです。岩川氏は、この本ばかりでなく未発表の資料を駆使し、体験者や遺族のかたがたに面会し、25年の歳月を要して書き上げた原稿が1600枚、大作であり労作です。ちなみに拙著「大東亜戦争は、アメリカが悪い」は1100枚です。読者は私が紹介した資料は、岩川氏の大作のほんの一部であると理解していただけるでしょう。岩川氏は、BC級戦犯裁判についてこれほど徹底した本を書きあげても、彼は最後にこう書いています。
「日本国内では戦後いち早く、元陸海軍将校を主体とした調査班が厚生省引き上げ援護局内に置かれ、20年近くにわたって国内に住むBC級裁判体験者たちに面接し、資料を集めた。途中この調査班は法務省の管理下に置かれたが、その間に収集された膨大な記録や資料は今もって公開されていない。『まだ生きている人たちのプライバシーに関わる』『国際間の外交問題にも微妙な影響を与える』『賠償問題に直接関わってくる』というようなことが、非公開の主たる理由のようだ」

私はいまこそ公開して日本国民に知らせるだけでなく外国にも知らせるべきだと思う。そのために国家の予算を使ってでも翻訳すべきなのです。最後に私は著者、岩川氏に苦言を呈したい。岩川氏は、最後にこう書いているのだ「(略)戦争犯罪の事実はこれからもたゆみなく追求されるべきであり、真の責任者も明るみに出さなければいけないと思う。日本再建を信じて逝った刑死者たちの冥福を祈るとともに、日本軍の戦争犯罪によっていわれなき悲惨な死を遂げたアジアの一般の人たちの霊に心から詫びたい」

この「心から詫びたい」という文章、これは一体なんですか。こういう立派な本を書く人でさえ、「詫びる」すなわち「謝罪」と言う言葉を使いたがるのです。日本民族は、過去のこと水に流す民族です。そのために過去の嫌な事は、早く忘れようとします。過去のことを水に流したり、早く忘れようとするために、日本民族自身が悪くなくても謝罪ですませようとする癖があるのです。一方日本民族以外の民族は、過去のことは絶対に水に流しません。例え謝罪しても絶対に水に流しません。今年の8月12日の産経新聞で桜井よしこ氏はこう書いています。
「歴史に関して日本国政府がどれほど謝罪を重ねてきたかを調べてみると、その夥しさに愕然とする、ざっと見て、日中国交正常化当時の田中角栄以来、菅直人首相の談話まで、実に36回に上る」

いくら謝罪しても水に流してくれない証明でしょう。岩川氏よ、日本が戦争に勝てば、日本はトルーマン大統領やスターリン首相は、絞首刑にします。ドイツが勝てばヒトラーは英雄でしょう。これが戦争の現実です。なぜ日本が詫びなければならないのでしょうか。道徳論で戦争が起こることはないのです。道徳論で戦争をとらえるのをやめてもらいたい。
敗戦で終わったからと言って、また謝罪したからと言って戦争が終わるのではありません。戦争史観の戦いが続くのです。だから誤っても彼らは水に流さないのだ。

私は読者の皆さんに御聞きしたい。日本民族は、無実の罪を着せられた日本兵が死刑判決を受け、拷問虐待を受けながら処刑されていった日本兵が沢山いるのに、教科書で教ようともしないどころか、日本兵がやってもしない「従軍慰安婦事件」や「南京虐殺事件」を堂々と教科書に載せて日本兵を非難するのでしょうか。






22 comments »

  1. terag3 より:

    海外で行われたBC級戦犯裁判の実態がこれほど酷かったとは思っていませんでした。戦時中の戦地では敵にやられたら逆上したり理性を失い、やられたように仕返しをするというような行為も発生するでしょうが終戦後、戦勝国による敗戦国の将兵に対する取り扱いはいくらそれがナチスのヒットラーという極悪非道なる犯罪人であっても人間の尊厳を守り人倫の道に外れるような行為を行ってはならないのです。
    そういう武士道精神も何もない野蛮な外国で裁かれた、しかも無実の人も大勢いたのにろくに調べませず一方的に汚名を着せられ処刑された方々はさぞ無念だったことと思います。
    それにしてもこの著者の岩川氏の「日本軍の戦争犯罪によって悲惨な死を遂げたアジアの一般人の霊に心から詫びたい」と言う言葉は論外です。
    日本再建を信じて逝った刑死者の冥福を祈るという言葉だけで良いのです。戦争は国と国との戦い日本には「喧嘩両成敗」という言葉が有るように、ナチスのアウシュビッツならいざ知らず、通常は戦争が終わればお互いに「ごめんね」などとは言わず賠償等の約束を取り付けて後は元通りに関係修復に努め友好関係を維持すべきです。
    戦後何時までもお前が悪かった謝れと言われてそのたびに謝っていては何時まで経っても関係修復は不可能です。日本人の考え方はこうだ、お前たちの考え方とは違う。それが嫌ならもう一度戦うぞと言ってやればよいのです。何事もサムライのような毅然たる態度が必要です。

  2. より:

    東京裁判の内容だけが取り上げられ、各地の「リンチ」は取り上げられることが有りませんでした。この資料の公開は求めるべきですね。
    中国での裁判なしの銃殺、どれだけの冤罪を日本兵は受けたか?捕虜に成るなと教えられたのも中国人の「捕虜虐待」が原因だと言う事を知らない人が多すぎます。りンドバーグが発言に機会を無くしたのも日本軍捕虜を飛行機から、放りだした連合軍兵士を非難した事で「国賊」扱いを受け沈黙を守らざるを得なかったと聞きました。
    各地で冤罪で殺された人の「名誉回復」を日本政府はやって居りません。ABC戦犯と言われた人は戦争犯罪者ではない。そして靖国神社に祀られただけ、一方「慰安婦売春婦」が朝鮮人だけだと言うだけでヒロイン扱いをする。どこかが狂っているのです。

  3. えんだんじ より:

    terag3さん

    この岩川氏の著書は、「謝罪の言葉」が不満なのと彼の文中に白人にたいする怒りの言葉が全然ない、私など本をよんでいる最中に怒りがこみあげてくる。それを岩川氏は冷静に他の人種の災難のように扱うのだ。こういう不満は私にはあるのだが、25年かけてライフワークとして取り組みBC級戦犯裁判の実態をよくぞ書いてくれたと感謝したい。
    戦前、戦中の日本や日本兵を批判する本は、注目されるが、こういう本は注目されることがない。日本民族とは不思議な民族です。

  4. terag3 より:

    たしかに、岩川氏の25年もかけて、ライフワークとしてBC級戦犯裁判の実態を書き上げて上梓されたご努力には深甚の感謝を捧げるべきですが、一方岩川氏の心中には反戦平和主義者への阿りもあり謝罪の言葉を入れた方が受け入れられやすいと思ったのかも知れません。
    それにしても日本の国内で行われた戦犯裁判は人間の尊厳が守られていて被告人と看守との間に友情みたいなものも芽生えていたようですが処刑された7名の遺骨、遺灰なども遺族に渡さないというので日本人の有志がひそかに手配りして遺骨、遺灰を確保したと聞きましたがその点については戦勝国アメリカに対して怒りを感じます。

  5. えんだんじ より:

    猪さん

    <どこかが狂っているのです。

    この言葉は簡単ですけど、ズシンと心にひびきますね。正常にもどすにはどうしたら良いのか皆目わかりません。日本はもうダメダとの思いがつのるばかりです。
    せめて自分の子供や孫に自分の日本への思いを伝えるのが精一杯です。

  6. より:

    そうですね、身の回りからですが、最近の若い人は意外と真面目に聞きますが、戦後の中間層60そこそこは困りますね。
    戦後教育の一番影響を受けているが、戦後の苦しさを知らないから空想的な理想が先走る、歴史認識も浅い、勉強する暇もない中で高度成長を満喫、贅沢を普通と考えている。従い未知のモノに突きあたると進むのでなく、引いて仕舞う点が弱い気がします。442部隊では有りませんが打算が先で「ゴーフォーブロック」で進めない、ホントに抵抗しなければならない時に打算に負ける。

    日本国土を外国人に買収される?こんなことも平気でいるのです。日清・日露・第一次・大東亜が何だったのか?閉鎖はいけませんが何でも「限度」が有ると思うのですが、「臆病ものに幸運なし」・「学問の有る愚者は愚人の筆頭なり」・「急いでやったものに、良く出来たものはない」・「教育は国家を作り事能わざれども、教育なき国家は滅びる」・「悪人を不問に附す者は善人を害す」・「馬鹿は治療の道なき災害なり」・「恥ずかしがる者は恥をかかぬ」・「怠け者の給与は恥の塊り」・「一つの罪過に屈すれば、又も屈するようになる」教わった諺を当てはめると全部「民主党」に当てはまる。良く出来たものです。

  7. えんだんじ より:

    猪さん

    さすが先輩、色々すばらしい諺を知っていますね。
    確かにすべて民主党にあてはまりすんね。

  8. terag3 より:

    猪さんが仰る「恥」という日本の文化が無くなって「給食費を払える金を持ちながら払わない親」加えて何かと学校にいちゃもんを付けたがる「モンスターピアレント」「電車の中で堂々と化粧する女」大通りの道端で堂々と「う○こ座りをして恥じない若者たち」、みっともないという言葉すら知らないのだから何だか最近の日本人はシナ人と似てきたような気がします。
    これはGHQの日本人弱体戦略で、優秀な教師の公職追放、教科書改竄、書籍類の焚書、教育勅語の廃止、日本武道の廃止、神社参拝の禁止等、日本精神の排除が成功したからだと思います。
    それらはすべて軍国主義につながると決めつけている反日日本人たち、いわゆる進歩的文化人(学者たち)や日教組たちのお陰で現在の日本の姿が成り立っているのです。
    しかし今や多くの真の日本人たちが覚醒し始めています。恥を知れという日本古来の文化、武士道精神を取り戻し、今こそ世界に冠たる日本精神を示すべき秋ではないのか!
    ・・・・ちょっと過激すぎるでしょうか? 精神、精神と言うと日教組は嫌がりますからね!

  9. より:

    terag3さんのいわれる「恥の文化」、全て大人が卒先して破壊していますね。
    歩きながらモノを食べる?車中で化粧を直す?「恥」の前に人間としての「作法」の段階なのですね。犬には犬のしつけが有り人間に対する「作法」を教えますが、日教組は「犬の調教師さん」より「下」なのです。
    人間としての「作法」「行儀」も教えられない大人、TPOなんて「死語」これが無くなれば「放縦」、自由の最大の敵は「放縦なり」イタリア?あちらの諺に有りましたね。teragさん「過激」じゃありません「常識人」です。

  10. terag3 より:

    猪さん、早速のリコメント有難うございます。確かに現代はTPOは死語になってしまったようですね。これはウィキペディアによれば和製英語だそうですが、時と場所と場合を考えた物や行動、振る舞いをすることと言って新入社員教育で散々厳しくしつけられたものですが最近はこれをどのように教えているのでしょうか?
    私のところの宿泊研修施設では大勢の新入社員たちが来て大きな研修室に集められ、廊下を通ると中なら大きな元気な声でお客様へのあいさつの仕方、対応の仕方、声の出し方などを教えているようですが学校教育ではどのように教えられているのかさっぱり分かりません。
    学校教育ではどのようにこれらの教育がなされているのか何方かお分かりの方は教えて頂きたいものです。

  11. より:

    社員の教育が「挨拶」からですから困ります。年功序列が悪いと言いますが、人間生活の基本は「年功序列」なんですよね。
    仕事に成れば其々の分野で実力の差が出てきます自然な事ですが、学校の先輩が「平」で後輩が「係長」も有ったのですが、仕事を離れれば「先輩」は「先輩」でした。官庁の世界と民間の違いもこんなところに有りました。
    今は一律「出る杭は打たれる」と考える人より、社会が自ら一律を望んで同じ「平和?」に暮らしたい?競争はしたくない様な人が増えた気がします。

    近所の人が幼稚園の時は「行儀」も良く出来たのに「小学校」に入ってから行儀も悪くなり、素直でも無くなって、怒る機会が増えたとこぼしていましたが、近くの幼稚園「日ノ丸」を揚げて朝礼をして園児教育に熱心、ここから公立の学校に行けば「日ノ丸」はない、朝礼は無い、ダラダラとした中での教育「緩み」が出て、本能的な動きに戻るのは簡単な事、だらしない方が人間は楽なのでしょう?公立教育は、もう駄目でしょう限界の様な気がして居ます。私の子供は全部「私立」でした。公立で小・中と役員をやりましたが、公立「小・中」が子供をダメにしてしまう。

  12. Mie より:

    遅ればせながら、コメントを失礼させていただきます。
    いつもお世話になっております、Mieです。
    戦犯のお話は、何度かテレビで見たことがあり、このお話を拝読させていただいたときに、氏木さんのお気持ちがわかったような気がしました。

    私が見たテレビのドキュメンタリーは、うじきつよしさんが自分の父についてドキュメントとして追ってゆくものでした。うじきつよしさんのお父さんは、戦犯として南方の方に収容されていた方で、父子とともにその足跡を辿るというものでしたが、うじきつよしさんがその地にお父さんと行き、お話を聞くというものでしたが、お父さんはその地に行って、たくさん思うところがあったのでしょう、いくらうじきつよしさんが深く聞き出そうとしても、答えないこともしばしばありました。私は、お父さんとしては、話したくないという気持ちと、話してもわかってもらえないという気持ちの半々だったのではないかなあ、と、そのドキュメンタリーを見ていて思ったものでした。そうして、自分が収監されていた収容所の前でお父さんが、「朝のねえ、早くにねえ、収容されている日本人が処刑が始まる時間っていうのがわかっているものだから、そういうときは朝からみんなで「同期の桜」を歌ったんですよここで。」と、仰ったとき、私はなんとも言いがたい気持ちになりました。憤慨するでも、泣くでもなく、自分はこの方の気持ちはわかるというにはおこがましいな、という気持ちでした。
    そうして場面は、暑い南洋の海へ。
    「とにかく拷問だよ。」と言い放って海を見ていたお父さん。その瞳に、何が映っていたのか、何を思っていたのか、私には正直わかりませんが、この方はきっと、もうそっとしておいてほしいのだろうと、私は思いました。そうして、父とて話したくないことがあるのに、いちいちにつっこむうじきさんが鬱陶しく思えてみていましたが、
    帰国したお父さんから一言、確か、「君たちにはわからないよ。」と仰ったのが、とても印象的でした。
    古きよき文化まで手放してしまった日本人。その変わり行く時代の中を生きてきた氏木さん。

    確かに、私たちの世代では、戦争の経験がないですから、私はわからないです。わかったふりをするのは、逆に失礼かとも思います。
    でも、わからない世代だからこそ、これから「真実」を見る眼を養い、しっかり生きていかなければならないと思うのは、私だけでしょうか。

    長文、駄文、失礼いたしました。

  13. えんだんじ より:

    MIEさん

    ブログへのコメントありがとうございます。
    氏木さんのお父さんは、きっと人間としての尊厳を失うような拷問を受けたのでしょう。それで息子さんにも言えなかったのだと思います。日本人は辛い目にあっても黙って耐えて過去を忘れようとします。しかい日本人以外の民族は、ほとんどつらい過去のことは忘れようとせず、実際よりもも大げさに言い立て非難し、それが代々続いていく気がします。日本の文化は、随分損をするようになっているような気がしてなりません。

  14. Mie より:

    私もそんな気がしてなりません。戦犯という理不尽な罪を着せられた方々はきっと、人間の尊厳を失うような酷い拷問を受けたと思います。
    それがどんなに壮絶かは、分からないと思います。おばあちゃんが言っていました。「国のために命を捧げた人ならば、どんな人でも罪なんてないんだから、それが当たり前の時代だったんだから、きちんと供養しなけりゃ、うかばれないでしょう。お父さんだって、その時代の軍人だったから、戦地に行ったんだからきちんと供養してあげなきゃ、だれが供養してあげられるの。」と。
    その悲しそうな横顔は、いまだに忘れられません。

  15. terag3 より:

    私は75歳の人間ですがMieさんはもっとお若い人と拝察します。たしかに仰る通り戦後に生まれた方々には書物を読んでも話を聞いてもその実感がわかず想像の世界でしかないことと思います。
    えんだんじさんが仰るように、戦時中、あるいは戦後の収容所において人間の尊厳を完全に奪われるような拷問や仕打ちを受けた方々は二度と思い出したくもないという思いの方が大勢いらっしゃると思います。
    それが戦後65年を経過しても未だに心を深く傷つけていて話したくもないし、話せばまたその昔を思い出すことになるしそれで「君たちには分からないよ」という言葉を吐くしかなかったのでしょう。
    しかし私はそれでは後に続く今後の日本を背負って立つ若者たちにとっては何の役にも立たないのではないかと思っています。憲法の前文の理想ごとでは世界の実態は分かりません。実際の戦争とはどのようなものであったかどんなに残虐非道な実態がまかり通っていたのかをしっかりと認識することで祖国の防衛がいかに大切なことかを知ることができると思うのでいかに思い出したくもないことであっても戦争の現実とはこういうものなのだということを勇気をもって知らしめる必要があると思うのです。なんでも軍国主義反対で排除していては日本の将来はないと思っています。

  16. より:

    MIEさんの「お婆さん」の言葉。祖父には「男は三回」泣けば良い。「我慢」するのも男の値打ちの一つ、と言われたため遺言を守る事に頑張るのですが、最近は緩みがち「頭が痛くなる」ケースが年と共に増えました。
    お婆さんの御言葉に「頭が重く、痛く」、ズシンと忘れて居た事を思い出させて呉れました。その通りなのですね。若い人が、お婆さんの言葉を通じて語りかけて呉れた、若き日本人がいる楽しみが増えました。

    私も戦争は知りません。唯一二回の爆撃・機銃掃射・戦後の焼け野原・天皇陛下の巡幸・ヘレンケラー送迎に現場に居たのが経験と言えば経験、僅かですが田舎の疎開生活から都会を見、戦前・戦中・戦後を見て、近世・近代まで全てが見られたような、錯覚を起す様な時代に生きられたのではないかなあ??と今振り返る事が多いようです。
    多少のトラブル、痛みが無ければ人間は成長しないことも振り返ると判ります。逃げる事は災難を大きくする。今の日本は心配です。

  17. terag3 より:

    猪さんの、ヘレンケラーが来日した際、送迎の現場にいたというのはすごい経験だと思います。私の方は終戦直後の日本で火葬場に死んだ1~2歳ぐらいの弟を背負って直立不動の姿勢で順番を待つ、いがぐり頭の9歳か10歳ぐらいの少年の写真は有名ですが私も当時10歳で満州からの引き揚げ途中で11歳になって帰国しましたが、忘れもしない昭和20年8月9日北満のハイラルにいた時、憎きソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破ってソ満国境を越えて侵攻してきたため母親と祖母、当時6歳、8歳の妹二人の5人家族で1年間の逃避行でした。

    途中で当時33歳の母親も何度か危ない目に遭いそうになりましたがその都度無事にやり過ごしてきましたが新京(長春)で一時滞在したときに、中共、八路軍との市街戦に巻き込まれ銃弾が部屋に飛び込む、裏庭では手榴弾が爆発して兵隊の悲鳴が聞こえてくるという状態で、市街戦が一時止んで市街へ出てみると至る所に戦死したシナ兵の死骸があちこちに転がって理うという状況でした。父親とは、ハイラルで生き別れたのですが、よくぞ母親の手一つで子供連れの親子が無事で帰国できたものだとその幸運に感謝しています。

    本来なら日本軍が我々引き揚げ者を安全に内地へ護送してくれるのですが、途中で終戦となったため日本兵は即座に武装解除されしかもそれらの兵隊さんたちはそのままシベリア送りですから民間人たちは誰からの護衛もうけずに逃げのびるだけでした。
    結局、大連の先のコロ島から日本海軍の駆逐艦「宵月」に乗って博多湾に帰国出来たのですが、そのような体験から祖国を守るには強力な軍隊が必要であり、兵力を誇示することが一つの抑止力になり外交上もこれがこれが大きな後ろ盾になって対等な交渉が出来るのだと痛感しているのです。

  18. より:

    Terag3さん
    満州からの引き上げですか・・・大変な経験をなさいました、私など比べたら天国です。満州には私の叔父が奉天ーハルピンーハイラルの満州第6052部隊(第6軍直属、独立自動車部隊国境警備)後満州545部隊に転属製鉄その他の企業警備をやっていて20年10月30日武装解除、11月には解体作業をソ連にやらされ、11月鞍山駅からタシケントに送られた様です。軍歴報告の写しを私に送って呉れたのを大事にして居ます。

    苦労は大変だったようですね。満軍・八路・国府からソ連兵まで程度が低いと書いてありますが、タシケントでは街の人達には一目置かれていたようで、シベリアの事を思えばタシケントの技術部隊は待遇が良いと書いて居ますが、ソ連の政治局員には相当やられたと・・軍歴は中尉でしたが、シャバでの職種が「市役所」の書記(日本では事務員)が履歴に有り「偉い人」と見えたらしく「やられた」と嘆いて居ました。部隊長の中佐より調べがきつかったらしいです。帰国は23年7月、もう戦死と考えていたので驚きました。「ダモイ」が兵隊の口癖、ソ連兵が口にしていたようです。

  19. terag3 より:

    猪さんの叔父上は、軍人になる前は市役所の職員だったのですか、それを「書記」とはね。共産党員の書記と言えばとっても偉い人、つまり権限を持った人物ですから部隊長より、格上の人と見られたのでしょうね、それにしてもとんだ災難でしたね。
    それから「ダモイ」と言うのは確か、帰国と言う意味では無かったでしょうか?それは日本兵に、帰国という言葉(餌)で釣って強制労働における、ノルマを上げさせる作戦だったのでしょう。
     しかし、シベリア抑留は本当に酷いものだったようです。極寒の地で満足な食料も与えられずに寒さと栄養失調で次々に倒れて逝ったそうです。ロシア人と言うのは満州のハイラルにいた時には隣人がロシア人の農家の人で同い年の子供も遊びに来てその両親たちもみんな良い人たちでしたが、ソ連国家となるとそれまでの印象ががらりと変わってしまうのです。
    本当に、煮ても焼いても食えない憎っくきロスケなのです。それはスターリンの恐怖の血の粛清とか中共の天安門事件、文化大革命とかチベット族その他の異民族の抹殺など社会共産主義独裁政権の特徴ですね。そのような国に日本を絶対にしたくありません。話が脱線したのでこの辺で。

  20. りんごあめ より:

    戦犯などと・・・本当に戦勝国のご都合主義には怒りがこみ上げてきます。
    そして、もっと腹立たしいのは、同じ日本人で国防のため戦った同胞をおとしめる人々です。
    悔しいですね。
    戦犯などと濡れ衣を掛けられた人々が真に名誉回復できるように微力ではあってもあきらめず訴えていきたいものです。

  21. えんだんじ より:

    りんごあめさん

    <もっと腹立たしいのは、同じ日本人で国防のため戦った同胞をおとしめる人々です。
     悔しいですね。

    本当にそうですね。しかも少ない日本人ならともかく数が多い。本当に腹立たしい。
    竹島は韓国のもの、尖閣諸島は中国のものという日本人すらずっと前から存在しているのです。もう落ちるところまで落ちたからもうこれ以上落ちないだろうと思っているのですが、さらに日本人は劣化するのでしょうか。

  22. より:

    広島の「ノーベル平和賞」受賞者の皆さんが集まられた、家内が「大江勘三郎さん」文学賞でもこんな時、何で来ないのでしょうね・・・と近所の人との会話の中で出たそうですが未だ「捨てたもんじゃない」と思いましたが、肝心の政府・政治家が無知なのは困ったものです。

    菅・仙石など未だ日本が朝鮮に中国に迷惑をかけたと考えている?日本が無ければ朝鮮も中国も存在しない事が、未だに判らない・・・19世紀を知らずして19世紀の思考なんて現状分析?「完璧な阿呆」、20世紀の出来事が「安保反対」デモで全部隠れてしまうのでしょうかね。中国も韓国も腹の底では「大笑」いでしょう。

Leave a Comment

 

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)