害(外)務省



誰が最初に外務省の(外)に(害)という字をあてたか知りませんが、実態を表したすばらしい当て字だと感心してしまいます。私が成人してから過去50年間、特にこの30年間一体外務省は日本の国のために役立つことをしてきたのだろうか。外務省とは、わかりやすく言えば、国際社会の中で日本の国益を追求すること、すなわち国の役にたつことが仕事のはずです。私に言わせれば、この30年間外務省は、日本の国のために役立たず、国益を損なってきただけです。特に私のように、今ではあまわり使われなくなってしまった貿易マンとして日本の外貨かせぎの最前線で働き、まさに企業戦士として働いてきた人たちは、皆、日本経済発展に貢献してきたと自負していると思います。それに対して外務省は、日本のために一体なにを貢献してきたのかと言いたい。現役の外務官僚や、定年になって退官した元外務官僚、特にマスコミでえらそうな発言したり、書いたりしている外務官僚に、一体あなたがたは、この30年間日本国家のためになにを貢献してきたかと聞きたい。退官になってからまともな事を言っても遅すぎるのです。ODAなどというお金を外国に貸したり、あげたりすることは、外務官僚じゃなくても誰にでもできますよ。

一。目立つ、歴史の無知と気概のなさ
先月、私は「妥協と譲歩外交のなれの果て」というタイトルのブログ記事を二回にわたって書きましたが、「妥協と譲歩外交の成れの果て」の姿は、あなたがたの責任も非常に大きい。私に言わせれば半分以上があなたがたの責任です。確かに外交政策を実行するのは政治家です。しかしその政治家は、ほとんど外交の素人、あなたがたが政治家を指導したり、補佐したりするわけです。そこであなたがたに聞きたい。この「妥協と譲歩外交の成れの果て」の姿の原因は何だと思いますか。あなたがたこういう「妥協と譲歩外交の成れの果て」の姿を想像していましたか。それともあなたがたは、この「成れの果て」の姿こそが成れの果てどころか最良の国家の姿と思っているのですか、冗談ではない。「成れの果て」の姿の原因は何だと思いますか。無能だからという人もいるでしょう。確かにそれも一つの原因かもしれません。いろいろ原因があるでしょうが、私に言わせれば、最大の原因は、外務省に巣くっている「自虐史観」です。

大東亜戦争は、人類史上最大の戦争でした。日本は負けたために大変な被害を受けた。それでも日本の文化には、過去のことを水に流すという文化がある。そのため敵国に対するうらみも長続きしません。日本が悪いというのなら謝りましょう。そのかわり過去のことは忘れてお互い仲良くやっていきましょうということになる。ところが外国、日本以外のすべての国と言っていいでしょう、彼らは過去のことは、戦争に勝とうが負けようが絶対に忘れません。また勝とうが負けようが、自分たちが正しかったという戦争史観を永遠に主張し続けます。
従って大東亜戦争の勝敗はつきましたが、その後は戦争史観の戦いが始まるのです。これが世界の常識です。そこえ日本が謝罪すればどうなるか、徹底してつけこまれるだけです。謝罪すれば一時的には効力があるかもしれません。それはほんの一時的なもの、その結果何回も謝ることになる。自虐史観では国益に適わない。こんな単純なことが、外務官僚がわからないのだ。外務省に「自虐史観」が巣くうきっかけになったのは、昭和60(1985)年11月3日の小和田恒氏(現国際司法裁判所所長)の国会での発言です。この日の小和田発言まで東京裁判に対する日本政府の公式見解は、東京裁判の訴因を受諾したものでなく、その裁判の判決だけを受諾したというものだった。ところがこの日の国会での土井たか子(当時社会党委員長)の質問に対して小和田外務相条約局長(当時)は、裁判全体、先の大戦が、国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈の変更をしたのだ。すなわち東京裁判全面肯定です。これが反日派を喜ばせ自虐史観を募らせた。さらに小和田氏を有名にしたのが「ハンディキャップ国家論」です。平成4年4月、小和田氏は「1992年の世界情勢と日本外交」というタイトルで講演をした。その中で彼はこう述べています。
「(略)日本と東アジアの関係で考える時に念頭に置かなければならない重要なことについて述べておきたいと思います。一つは日本外交を推し進めていく上で日本が背負っている大きなハンディキャップとしての過去の負の遺産の問題であります。過去に行った行動との関連と関係にたいする懸念や疑念、あるいは不安感をどういうように和解させながら今日の外交を推し進めていくかということは決して容易な問題ではありません。(略)」

小和田氏は自分が海外で活躍するには、自虐史観を押し通した方が自分自身の出世の早道だと考えたことはまちがいない。自虐史観とは欧米諸国の歴史観でもあり韓国、支那の歴史観でもあるからです。読者の皆さん、もし小和田氏が、拙著「大東亜戦争は、アメリカが悪い」というような歴史観を主張していたら国際司法裁判所所長の椅子を手にいれることができたと思いますか。小和田氏は、自分の出世のために自虐史観を利用して祖国日本を足げにしたのだ。戦後は小和田氏のように、自分の出世のために、あるいは自分の金儲けのために自虐史観を利用して祖国、日本を足げにする連中が雨後竹の子のように出現し、小和田氏はその成功者の一人です。

小和田外務次官の後を引き継いだのが斉藤邦彦氏です。その斉藤氏が駐米大使になる時プレスセンターで会見しそこで「小和田先輩が言われたハンディキャップ国家論は、私は正しいと思います」と語っているのだ。この斉藤駐米大使は、アメリカでアイリス・チャンとテレビ対談した。アイリス・チャンとは、「レイプ・オブ・南京」を書いて平成9年に刊行した中国系アメリカ人女性作家のことです。この本がアメリカで一年たらずの間に50万部を超えるベストセラーになった。ところがこの本は、南京事件を研究されている東中野修道氏、安羅健一氏、秦郁彦氏などの専門家によるとこの「レイプ・オブ・南京」は史実的がまったくでたらめで、証拠として使用されている写真のほとんどが「偽造」、「すりかえ」、「やらせ」のたぐいで全く信用できないと言っています。そのうえ猟奇的記述は満載、例えば「日本兵は女性の腹をさき、胸を切り刻み、生きたまま壁に釘付けにした。舌を鉄のかぎに吊るしたり、埋めてセパードに食い散らかせることも行った」。

なぜこのような本がアメリカでベストセラーになったか。勿論、アメリカ在住の反日支那人の宣伝の力もあったでしょう、しかし根本的には、最初に書きましたように大東亜戦争は、日本人は忘れても、決して彼らは忘れず歴史観の戦いを日本に挑んでいるのです。自分たちは絶対に正義であることを主張するために戦前戦中の日本を攻撃する材料に飛びついてくるからベストセララーになるのです。ちょうど反日日本人が戦前戦中の日本を批判する材料には、検証することもなくすぐ飛びつくのと精神状態と同じです。斉藤駐米大使は、アイリス・チャンとのテレビ対談の話が持ち上がった時、彼は即座に断るべきだったと思います。いくらベストセラーになったと言っても史実的にでたらめだからです。もし彼女とテレビ対談するのであれば、斉藤大使は、彼女の本を読み、その欠陥を見つけ、また南京虐殺事件の日本人研究者の本を読み、アイリス・チャンの目の前で彼女の本の欠陥を徹底して追及すべきなのです。皆さんそう思いませんか。ところがそうではなかったのです。対談内容を知って私は愕然とし即怒りが沸いてきました。

斉藤駐米大使とアイリス・チャンのテレビ対談がアメリカで平成10(1998)年12月1日に放映されました。同じ対談が日本では12月2日の深夜放送でBSー7チャンネルが放映された。対談の内容は、二人の次の発言に凝縮されます。
アイリス・チャンの発言:
「アメリカでは余り知られていませんが、日本の侵略行為により中国では1900万人から3500万人抹殺されたんです。そして日本は韓国やその他のアジアの国々の女性を何十万人と従軍慰安婦として強制連行しているのです。こうした戦争犯罪は、極めて深い心の傷を中国や他のアジアの国々の人の心に残しているんです」

読者の皆さん、彼女のこの発言に対して、皆さんはどう応答されますか、常識的に浮かぶ返答は、反論ないし否定でしょう。ところが驚くなから斉藤大使はこう応答したのだ。
斉藤大使の応答:
「日本としては、日本軍による残虐行為や暴力行為が有ったことを認めております。そしてこの事について大変申し訳なく思っております。傷ついた方々の記憶は、なかなかいえないものではない事も理解しております。私個人としては、これは日本人が長い間背負って行かなくてはならない重荷だと考えております。
南京でなにが起きたかについては、日本は不幸な出来事が有った事を認めています。日本軍による暴力行為がありました。また日本の学校の教科書の事ですが、私が調べた20冊ほどの教科書では、どれも南京の出来事は取り上げています。日本が若い世代に対し、過去を隠そうとしているというのは、これもまた全く誤った認識なんです。実際はむしろその逆で戦争に何が起きたか積極的に若い世代に教えているんです」

バカ、バカ、バカ、斉藤大使は、バカか。もしこの時私が対談現場に居合わせたら、私は彼を殴りつけたい衝動を抑えるのに大変だっただろう。反論何一つせず、こんな応答したということは、1900万人から3500万人の中国人が抹殺されたという彼女の主張を認めたことにもなるし、彼女の本の内容まで認めたことになってしまうのだということがわからないのか。対談そのもの彼女のペースになってしまっていることすらも斉藤にはわからないのだろう。外務官僚の人たちに聞きたい。駐米大使になるということは外交官としては最高の出世でしょう。その駐米大使にこんな不甲斐ないバカでもなれるのですか。
斉藤大使の歴史的無知と徹底して反論する気概のなさがめだちます。外交官の歴史的無知と徹底して反論する気概のなさは、他にもいくつもの例がある。例えば、平成17(2005)年10月31日、国連で拉致事件に関して日本と北朝鮮との間で応酬があった。北朝鮮のキム・チャング国連次席大使は、「イギリスのように植民地支配など多くの市民を殺した国がわれわれを非難するのはばかげている。EUは日本人の拉致問題を解決せよと言うが、日本は朝鮮人840万人を拉致、連行した事実に触れようともしない」と発言した。皆さん、この時日本の大島国連大使は何と言ったと思いますか。彼が言ったのは、「日本は朝鮮半島での過去の過ちを謝罪しているし、北朝鮮の発言する数字は誇張されている」。冗談じゃないですよ、この時こそ大島は、国連の前で歴史的事実と全く反するでたらめさを具体的に説明、反論すべきだったと思いませんか。歴史的無知なのだ。もし大島国連大使に、北朝鮮の主張に徹底して反論してやるという気概があれば、会議始まる前に歴史の勉強していたはずです。要するに歴史的無知と気概のなさ、斉藤駐米大使と同類なのだ。

栗山尚一元駐米大使の発言にもひどいものがある。外務省の事実上の広報誌ともいうべき「外交フォーラム」という月刊誌がある。2006年(1,2月)で「日本は永遠に謝罪し続けなければならない」と言う趣旨の大論文を発表。また彼は「和解―日本外交の課題」と題する論文の中で「首相ら政府の責任ある立場にある者が靖国神社に参拝するのは、『大東亜戦争』肯定の歴史観を共有しているとの印象を与えかねないので、参拝を控えるべきだ」と主張しているのだ。その栗山氏が現在、宮内庁参与、すなわち天皇陛下の相談役を勤めているのだ。ぞっとする人事です。私は現在72歳です。なぜ私の年を言うかというと、小和田氏にしても栗山氏にしても斉藤氏にしても三人とも私より先輩です。ということは戦後の自虐史観教育に完全に染まって育ってはいないことです。それがどうして自虐史観に陥るのか、それは日本の文化で外交をしようとする面もあるからだとも思っています。このことについてはあとで「外国人との喧嘩の仕方」のところで述べます。

私がテレビニュースを見ていて愕然としたことがあります。それは平成12(2002)年5月8日の日本の瀋陽領事館駆け込み事件です。北朝鮮の亡命希望者5人が日本の瀋陽領事館に亡命のため駆け込んだ。その時門前で警戒していた支那の警官数名によって敷地内で3人が拘束連行された。残りの男性2人は領事館の建物内に入っていたのも関わらず連れ戻された。騒ぎを聞いて3人の日本領事館員が出てきたが、門の所で取り押さえられて泣き叫ぶ亡命者たちを助けるでもなく支那側に抗議するでもなくただ傍観しているだけで結局5人が支那警察に連行された。大使館や領事館の建物やその敷地は、国際的に治外法権が認められています。従って瀋陽の日本領事館の敷地は、日本領土で支那の警察権が及びません。亡命者5人は、亡命に成功しているにも関わらず3人の日本領事館員は、ボケーットして何もせずただ騒ぎを眺めていただけ、そのため5人の亡命者は、支那警官に連行されたしまった。3人の日本領事館員は、亡命者は我々の敷地内に入っているから、私たちが対処するからと言って警官を領事館内の外へ出そうとさえしなかったのだ。ふがいない日本領事館員。これが上からの命令で亡命者が大使館、領事館内に侵入しても支那警察官にまかせて何もするなという通達が出ていたとしたら何をかいわん、日本の威信を自らどぶに捨てるようなものだ。

拉致問題に対する外務官僚の非常識な言動も頭にきます。拉致問題の究明に反対した現シンガポール大使の槙田邦彦氏は、「(拉致された)たった10人のことで日朝国交正常化が止まっていいのか」、高島外務報道官は外務省の広報誌「外交フォーラム」で拉致のみに偏重する日本メディアの北朝鮮報道を批判する論文を掲載。外務省アジア太平洋州局長だった田中均は、拉致問題が未解決のまま日朝国交正常化交渉に突き進もうとした。この田中は帰国した拉致家族5人を北朝鮮に送り返そうとさえ主張したのだ。日本が北朝鮮と国交回復したところで一体日本に何の意義があるのかと問いたい。いままで簡単にこれまでの外務官僚の情けなさを書いてきましたが、要するに簡単に言えば、彼ら外務官僚は、日本の国家のなんら役にたっていないということです。ここで外務省すなわち外務官僚の質の向上を図らなければどうしようもありません。そこでどう質の向上をはかるかが問題なのですが、ここに一人の人物を紹介しましょう。ジャーナリストの落合信彦氏です。落合氏は、1942年生まれというから私より4歳下だが、ほぼ私と同時代の人間です。彼は石油ビジネスの最前線で働き、後ジャーナリストに転向いろいろ本を書いています。私が何故彼を登場させたかというと、彼は典型的な自虐史観の持ち主、大東亜戦争に関する歴史知識がほとんどない、それでも外務省や外務官僚に対する考え方は、私と全く同じだからです。彼の著書「日本の常識を捨てろ」でこう書いています。

「外務省も大改革が必要な時にきている。まずできることから始めることだ。例えば外交官の採用方法。外交官試験を受かった人だけというのはやめて、商社マンとか外国をよく知っている民間人をどんどん登用すべきである。大学を出て、外交官試験に受かって外務省に入った者に本当の外国はわからない。修羅場をくぐり抜けていないから、喧嘩もできない。外交とは一種の喧嘩なのだ」

現在、外交官になるには外交官試験に合格するか、或いは公務員試験に合格する方法もあります。要するに国家試験に合格すればよいのだ。一流大学を出て、国家試験を受けて外交官になった人たちは、エリート意識が強いからえらそうな事は言えるが、社会的修羅場を経験していないから外国人とまともに喧嘩などできないのだ。現在の外務官僚は、国家試験を合格しているのでバカの集まりとは言えないが、不甲斐ない日本人のくずのたまり場になっている。この現状を打破するには、国家試験合格者などという基準を設けず、外国のことをよく知っていて修羅場を経験した商社マンなどを中途採用することです。その意味で中国大使に元商社マンを起用したことは、現在の中国大使が適任者であるかどうかは別として商社マンを選んだ事自体画期的で良いことだと思っています。大使だけでなく一般外務官僚にもどんどん中途採用を増やすべきです。

二。外国人との喧嘩の仕方
落合氏は、「外交とは一種の喧嘩なのだ」と主張していますが、私も全く同感です。私は白人経営の外資系五社を渡りあるいて40年、その間一匹狼的サラリーマンを貫いて定年を迎えた者です。その体験から外国人との喧嘩の仕方を伝授しましょう。その方法は一言で言えば、「文化の使い分けをしろ」ということにつきます。以下詳しく説明していきます。

私たち日本人は外国人と喧嘩する場合、当然無意識のうちに日本の文化で喧嘩しているのですが、日本の文化は、外国人との喧嘩には全く役立たない、害があるくらいです。外国人と喧嘩して全く役立たない日本の文化を列挙します。
(1)すぐ謝る。
(2)自分のミスや過ちは言い訳せずすぐに認める。
(3)自己主張を強くしない。
(4)すぐに反省する。特に相手の立場にたって反省する。
(5)気配りをする。
(6)過去のことは水に流す。
皆さん、外務省の自虐史観外交は、日本の文化に基づいていると思いませんか。こういう日本の文化をかなぐり捨てて、いま上げた六項目のすべての逆、すなわち外国の文化で喧嘩するのです。
(1)めったなことでは謝らない。とにかく国家とは、謝らないものなのだ。どうしても謝りたい時は、「遺憾に思う」程度にしておく。
(2)自分のミスや過ちはすぐに認めず、言い訳したり、他人や他のせいにする。相手にそのことが詭弁と思われても押し通す。
(3)自己主張を強くする。
 相手が辟易するくらい自己主張をする。
(4)反省など絶対にしない。
支那人や韓国人を見てください。彼らは反省などしたことありますか。日本人は反省好きだ。なにか行事が終わると、すぐ反省会をしましょうと言って酒を飲む。
(5)気配りをしない。
気配りという文化がないから、気配りなど理解できない。気配りは往々にして卑屈になり相手になめられるもとになる。上海万博の時、日本館には日本の国旗を建てなかった。国内の批判で途中から建てた。支那でのアジア大会の時、入場行進で各国代表団は、手に自国の国旗を持って登場、日本選手団は「日の丸」を持たずに行進。これも気配りだろうが卑屈以外のなにものでもない。効果など全くないのだ。
(6)過去の事は水に流さず、徹底して過去にこだわる。
大東亜戦争対する日本の歴史観を、日本民族が存在するかぎり徹底して主張し続ける。

日本人どうしが喧嘩する場合、必然的に日本の文化で喧嘩するが、外国人と喧嘩する場合には、日本の文化をかなぐり捨てて外国の文化で喧嘩する。これが私の主張するところの「文化の使い分けをしろ」の説明です。そして喧嘩する時には、徹底して論理的に行え、主張が例え詭弁であっても論理的な面を遺脱してはいけません。「苦しい私の立場を察してくれ」とか「苦しい私の胸の内をさっしてくれ」などという曖昧さを絶対してはいけません。「文化の使い分け」をして外国人と喧嘩する場合、体験から言って絶対必要なものがあります。なんだと思いますか。現在の外務官僚など真剣に外国人などと喧嘩したことなどないからわからないでしょう。絶対に必要なものは、「気概」ですよ、一にも二にも「気概」です。外国の文化で喧嘩するのです、すなわち相手の土俵で喧嘩するのです。「気概」が絶対に必要になってくるのは当然なのです。私の場合、外人との論戦予想される場合、あるいは予期せぬ時に論戦になった場合、絶対に口に出して公言はしませんが、内心は「なんだと、この野郎、俺は日本人だ、文句があるのか」の思いを胸の中にたぎらし、全身全霊に攻撃心をいだかせるのだ。私の場合、英語力が弱い。私の英語は高卒の英語にほとんど独学で力をつけたもの。従ってヒヤリングが弱い。論戦になると相手も興奮して話し言葉も早くなるので余計に聞き取りにくくなる。私は相手が早口で怒鳴り上げてきた時には、その主張には、あまり耳を傾けず、先手、先手と自分の方から意見を先にだすようにした。けんかの時に先に手をだすようなものです。はげしい論戦になった場合、英語力よりも、「気概」、「気迫」を前面に押し出し、日本人意識丸出しにして戦えるかどうかが問題なのだ。侮辱までされて、怒って当然の時、日本人は往々にして顔に笑みを浮かべ笑ってごまかそうとする。怒って当然の時は、猛烈に怒りかえせ。さもないと相手になめられるだけです。外国の文化で喧嘩するのは、慣れてないから骨の折れるものです。だから外務官僚は、普段から外国の文化で喧嘩するディベートの時間を沢山設けて練習しておくべきなのです。


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15 comments »

  1. terag3 より:

    いやぁ~、痛快、痛快、久々に溜飲が下がりました。それにしても小和田恒外務省条約局長が土井孝子の質問に「東京裁判全体、先の大戦が国際法、条約、協定等に違反した戦争であり、裁判の訴因をも受諾したものである」と答弁したとは今まで知りませんでした。
    とんでもない認識ですね。それに「ハンディキャップ国家論」ですか!そして小和田氏の後を引き継いだ後輩の斉藤邦彦氏までが「小和田先輩のハンディキャップ国家論は正しいと思います」と語ったそうですが、それらはみんな、えんだんじさんが仰る「海外で活躍するには自虐史観で押し通した方が出世の早道で、世界に受け入れられ易い」と言うことになるのでしょう。
    語るに落ちるとはまさにこのことですよ!
    そして1942年生まれのジャーナリスト、落合信彦氏の「外交とは一種の喧嘩だ」はまさに「正論」です。そして、えんだんじさんの主張する外国人との喧嘩の仕方、これこそ現代の日本人たちすべての人間が覚えておかねばならない「世界で生き残る道」です。
    日本人同士のときは、日本の文化で、外国人との喧嘩は外国の文化で喧嘩すること。これに尽きると主ます。
    私ごとながら、満州で生まれて11年間暮らしていた時に、満州人の子供とは毎日のように石を投げ合ったり、棒切れを振り回して遊びのような喧嘩をやっていました。
    そのほかに少数のスイス人、ロシア人などの子供とも遊びのような喧嘩を良くやっていました。
    朝鮮人の家には一度しか行きませんでしたから、彼らとの喧嘩は経験していませんが、その時出てきた同い年位の子供から敵愾心むき出しの態度で出迎えられ朝鮮人の母親はそれに対して子供に何の注意も与えず、これが朝鮮人という人間なのだと子供心に感じたものです。
     
    話が脱線しましたが、このたびの、えんだんじさんの話は広く一般はもとより特に官僚たちに読んでもらいたいものだと思いました。
    だいたい現代人たちは暴力反対、反戦平和主義のために「正しい喧嘩のやり方」を知らないのが大きな致命傷になっていると感じています。

  2. より:

    「害務省」正に大東亜戦争開戦時からそうでしたね。パールハーバを卑怯な「開戦の理由」に仕立て上げたのも、外務省の事務の遅れでした。
    戦後は外務省出の首相が長期の政権を維持、その為には進駐軍の政策と同じ「軍悪説」、外務省出の人達には環境が良きところ、ひいては外圧が無い中で進駐軍の方だけを見て居れば喧嘩などしなくて済む一番安易でトラブルが起こらない安住地が、外務省と成って仕舞いました。

    戦前の外務省の悪は全部隠されました。A級戦犯の件でも軍人は全部処刑されたにも関わらず、外務省関係の人は後には外務大臣にまで昇進、国連で演説までされています。本来外務省が主導してしかるべきユダヤ人亡命の件も、関東軍時代の東条~樋口中将ラインの軍人主導で外務省・杉原氏は動いた事も隠され、これが明るみになるのも平成に入ってからでした。

    現在の外交官にしても本当の歴史を教えられて居ない。教科書だけで勉強、高文?の試験に通れば高級官僚として27,8歳で課長・署長・所長として宴会で酒を飲み、老人と話をするだけが仕事の様な事に成り、喧嘩などを覚える?暇など有りませんし、喧嘩を売る人もいない、トラブルがトラブルとも判断出来ないのですから仕方が無いのでしょう。

    戦中組の政治家が作り出したもので「近隣諸国条項」が有る限り中国・韓国は日本の教科書を点検する権利が有る。日本には中国・韓国の教科書に幾ら「嘘」が書いてあっても訂正は求められない。一方的な内政干渉が出来る、この条項を誰ひとり最悪の「条項」で有り破棄するのが独立国の勤めとも思わない事自体が異常なのです。

    現状でも政治主導・政治主導と政治家は騒いでいますが、どちらにしても「歴史」・「文化」をないがしろに生きてきた人達が、政治家・官僚での現状は日本の危機と考えています。喧嘩の仕方?最終的な処理なのですが「内容」のない人には暴力と、ひとくくりにしてしまい「謝罪」が解決に速いと認めてしまうのでしょう。

    日本の歴史を多少でも勉強しておれば中国・韓国の本で勉強した人と論争に成っても、負ける事は有りませんから、外交官には歴史と軍事は必要です。加えて文化大革命で孔子・孟子を捨てても「孫子」を捨てない「中共」対策として「孫子」の兵法位は読んでおいて欲しい。その他は「えんだんじさん」の「大東亜戦争はアメリカが悪い」を薦めます。

  3. えんだんじ より:

    猪さん

    そうですね。戦前にも害務省がありましたね。それにしても政治家も外交官も歴史をもっと勉強してほしい。桜井よしこが、「21世紀は、「歴史力」、「歴史解釈力」が、
    国家の命運を左右する時代だ」と言っていますが、全く同感ですね。

  4. えんだんじ より:

    terag3さん

    これから外交官の上層部になろうかとする働き盛りの外交官などは、子供の時から
    けんかなどしないで育てられていますから、けんかの仕方もわからない。外交官になったら研修期間があるでしょう。無償のボランティアでいいから私が先生やりたいくらいです。

  5. terag3 より:

    猪さんのコメントに反応して、二言、申し上げます。
                    ↓
    <現在の外交官にしても本当の歴史を教えられて居ない。教科書だけで勉強、高文?の試験に通れば高級官僚として・・・>

     先日、元都立戸山高校校長の揚村洋一郎氏が講演会で述べていましたが最近の日本の中学高校生の学力は世界でも最低のレベルに落ちているそうです。マサチューセッツ工科大学大学院の日本人留学生なども余りにも学力が低くて卒業できずにやめて行き、チャイナの留学生たちがその後釜に納まったそうです。
     それにしても日本官僚たちはキャリア組と言われて専門的な教育を受けて初任研修などでは難しいディベートなるもので、ああ言えばこういうという議論の訓練などもしているのにいざ外国との交渉ごとになると弱腰、柳腰?になってしまうのですからチャンチャラ可笑しいですね。
    現在の官僚コースの育成は、あの悪評高かった科挙制度と同じように四書五経の丸暗記と同じことをやっているのでは無いか、本当に役に立つ人材育成には不十分と言うか、ほど遠いことをわき目も振らずにやっているような気がします。

               もうひとつ ↓
    <日本の歴史を多少でも勉強しておれば中国・韓国の本で勉強した人と論争に成っても、負ける事は有りませんから・・・>

     呉 善花(お そんふぁ)の「スカートの風」の中に、韓国へ渡った日本人商社マンの話が有り、その男は韓国人から酒場などで日本の歴史問題について悪口雑言をを吹っかけてくるのだそうですが、それに対して徹底的に歴史の真実を反論すると最初は居丈高になっていた相手の韓国人も次第におとなしくなってきて「お前の言うことももっともだな」と言う感じになってくるのだそうです。
    ですから、えんだんじさんが言うように喧嘩の仕方が大切だというのはここでも証明されているわけです。

     

  6. より:

    terageさん
    個人の経験でした。「延性大学留学生」で帰国した日本人と、韓国人神父さんと講演会で意見が異なり、一年を懸けて議論をしましょうと、韓国の教科書まで頂いて討論(まぁ・言い合い)をやりましたが、全部「ハングル書」で書かれた年代のモノでハングルの由来から説明を始めたものです。

    ハングル庁が出来て数年で閉庁、朝鮮総督府まで公文書がハングルでがない事も御存じないのが「韓国の教育」で判りましたので、井上角五郎・福沢諭吉の漢文・ハングル混文の「漢城旬報」も当然知らない。古代に至っては大陸文書・日本の万葉集でしか判らないのも知りませんでした。現在の歴史学者は漢文が読めないのですね。

    中世も矢張りシナ大陸の亜流でしか有りません、比べると組織が全部そうです。近代は日清後の大韓帝国いついては、日本の内務省公文書で記載されており資料も、当時の予算(日本が6億少し・大韓750万円)統監部が出来なければ、国民は餓死する以外には有りませんが、それを言うと抵抗が有りましたが数字で事実を認めた様です。

    近代に成ると「朝鮮総督府」時代の国勢調査・内務省・外務省・朝鮮軍の資料が有りましたので「御開帳」したところ、さすがに反論が出来ず、神父さんは忙しくなり休講、後二人でやりましたが「無茶苦茶」な韓国近代史には、本人も驚いたようでしたが1年を待たず終了、口論はなく成りました。残念な事に付き合いもなくなる付録つきでした。

    多くの資料でもないのです。「朝鮮総督府・内務・外務・軍資料」・「黄文雄」・「施政30年史」・「外国資料朝鮮史」これ位で全て韓国教科書を見破る事が出来ましたが、良い勉強をさせていただいたと、歴史対立が有るのが当たり前で歴史など一致するものでは有りません。しかし「嘘」はもっと悪いと付け加える事は忘れませんでしたが・・・

    上記の南京でも「通州事件」は名簿もあるのですが、「偽南京虐殺」は資料など何もないのですから、当時のアサヒグラフや南京入場式の当時の写真を公開すべきでしょうね、全部ある筈です。完全に外務省の怠慢でしょう。
    日本の場合「悲惨写真・記事」は「不許可」でした。孟子・孔子も綺麗ごとばかりでシナ大陸の権力者の殺しの過去を見るとシナ人のDNA。「通州事件」などはシナ文明?の最たるものです。

  7. terag3 より:

    猪さん
    韓国の神父さんとの議論の話ですが、やっぱり日本人が理を尽くして反論すれば真実が分かってくるものですね!それにしても議論に負けたその神父さんとは口論も無くなったがその後のお付き合いも無くなった付録付きとは笑えました。
    それからもうひとつ、韓国と日本の共通歴史認識をなどと日本の近隣諸国条例を策定した政治家たちは訳のわからないことをいかにも物わかりの良い知識人、文化人面して大真面目に語っていますが土台、歴史認識は各国間で対立するのは当たり前の話です。
    これこそ水と油でそのような議論は全く無駄な話で、それよりも我が国の将来を背負って立つ青少年たちが祖国、日本に誇りを持って勉強出来る、そして世界で一番になれる環境をしっかりと築き上げてやるのが真の政治家であり、我々大人たちの義務と責任であると思うのですが自己中心の人間が目に付くばかりで嫌になります。

  8. 稲垣秀哉 より:

    えんだんじ様、ご無沙汰しております。いつもご記事読ませていただいております。
    今回の記事も興味深く読ませていただきました。

    以前、私のブログで交流のある人と論争になったことがあったのですが、議論するうちに、外務省チャイナスクールの官僚であることが判明し、そこを指摘したら逃げてしまったことがありました。
     これらの議論は、公開討論のような形にして、記事としてアップしました。私のブログの「~に関する問答」と題された記事がそれです。もう一年半ぐらい前のことです。

     なぜ彼がチャイナスクールの官僚と判明したかというと、大東亜戦争や西郷南洲翁のいわゆる征韓論に関する議論をする中で、私がシナに関する非難をしても、一切これに反応せず、また、大東亜戦争開戦時の害務省のミスや、国連の呼称に関する害務省の過ちに対する批判に向きになって反論してきたからです。
     後で調べてみて、えんだんじ先生がお書きになられているように、小和田恒氏の答弁に則ったものであることを知りました。

     彼の口吻から、外務省内にご皇室をめぐっての主導権争いがあることが窺えました。これはつまり、どの外国勢力がご皇室を握るのか、という争いでもあります。愛子内親王の外祖父小和田氏も、一枚噛んでいると思われます。氏は、天安門事件後の天皇ご訪中にも噛んでいましたから。

     先の外務官僚は「ヒロシ」というハンドルネームで、いくつかのブログを開設して、台湾の国民党シンパのような顔をして、中共の意に則った情報を流しています。(http://blogs.yahoo.co.jp/ureeruhiroshi)
     
     まことに度し難いことですが、彼のブログは中共の意を探る一つの有力なツールになると考えて、たまに覗くことにしています。

  9. より:

    喧嘩が無いのは近所付き合いだけで充分だと思います。裏では男が外に出れば7人の敵がいる・・これも「死語」です。
    日本人も政治家も「腹芸」も芸の内と言う「大きさ」がなくなり「チマチマ」と面白味も無くなりました。間違いは間違い、嫌な事は嫌、と腹から言えない空気は嫌ですね。

  10. えんだんじ より:

    猪さん

    同感です。ところで具体的に数えたわけではありませんが、最近「死語」が多くなりましたね。これも年とった証拠ですかね。昔親しんだ言葉が「死語」になるのなんとなくいやですね。

  11. えんだんじ より:

    稲垣秀哉さん

    稲垣さん、お久しぶりですね。本来は外務省は、皇室とはノータッチであるべきです。外国が皇室に影響力を行使するのを防ぐためです。それが小和田のため皇室が危険にさらされているのが現実です。

    「ヒロシ」の情報ありがとうございます。私もたまにのぞいて見ます。

  12. terag3 より:

    えんだんじさん

    只今、稲垣秀哉さんのコメントを読ませて頂きましたが、このような情報は貴重ですね。なるほどと納得しました。ちなみに早速「ヒロシ」のブログを覗いてみましたが、「世の中これでいいのか」といかにも知識人ぶって公平な常識論を述べているかに見えますが、これこそ巧みな日本人を惑わす情報操作、いわゆる中共政権の傀儡コメンテーターそのものだと感じました。
    とにかく今や日本国中に工作員が入り込み情報戦は激戦です。先日、櫻井よし子氏も述べていましたが日本は情報戦略をしっかり構築しなければ内側からボロボロにされてしまいます。稲垣さんの情報コメントはもっと拡散すべきだと痛感しましたがこれも、えんだんじさんの「害(外)務省」ブログのお陰だと思います。

  13. より:

    シナ外交は強かです。完全な独裁政治ですから何とでもコントロール出来るのを、日本は知っているのか?知らないふりをしているのか?全然理解していないのか?
    日本では「歴史」を教えられて居ないからシナに「無警戒」、日本人的感覚でシナ人を見るから、大きな間違いを犯していると思います。個人主義・拝金主義しかし「部族」の絆の強い事は半端では有りません、加えてシナ人・チョウセン人は人種的にも、道徳的にも、先を越した日本人が大嫌いな人達なのです。

    あえて中国の人で日本が好きな人は「ピュァ―な人」「理想を追う人」と中国人のDNAからはみ出した人と言っても過言ではないと個人的には思います。

    外務省のチャイナスクール、奥深いですね、全部とりこまれているんでしょう。東大から創価の出が増えて益々シナ寄りに傾斜していく、政治主導?を本格化させないと大変な事に成るのですが、政治家を見れば、これ又心細い。
    本当は「喧嘩」が終わればヒフティ・ヒフティと言う原則を日本は理解して居ないのが一番の問題、誠意とはそんなものではないのですが、人間を食わない日本人種と、何でも食う大陸人種の違いなのでしょうね。

    喧嘩が終われば五分五分だ・・・この意気が中国に伝われば付き合えるのです。堂々と持論を展開、日本と付き合えば得をする、日本を排除すれば損をする事を見せつける事からです。最初にODAは止める、中国が賛成しないから国連から降りる位の事をやらないと駄目でしょう。丁度韓国の人が事務総長で居る時がチャンスですがね・・・彼らに反省や謝罪を求めるのは無理、口喧嘩・暴力でしか通じません。

  14. 歴史伝習者 より:

     官僚を官僚たらしめているのは我が国民の権威に対する無力です。
     権威は自然とわき出でるものなのに、その多くは「氏姓制度」「冠位十二階の制度」「八色の姓」「官位相当令」に見る通り、誰からかの権威にもたれあうことを実現する、制度的保障で培われた事を歴史は教えてくれます。この御紋が目に入らぬか!
     アメリカの権威を認め、中国の権威を認め、韓国へも同様。その姿勢は政治主導と言っておきながら、実際は官僚に侮蔑されている民主党政権。「所詮あんたら何もできないでしょう。」と公務員試験をクリアした若造に一蹴されている感じです。
     官僚たちは、ただ、試験をパスしただけの、人間なのに、その背景にある、東大を頂点にした学閥。律令時代と同じで、官位(出身大学)に相当する権力(キャリア)の関係が分厚く、隅々にまでいきわたっているので、政治家も国民も官僚たちが自分たちよりも「官位」が上と思うのかもしれません。いつまでも「国益」二の次で、「猟官」にまい進している官僚に何も言えないでいる。確かに彼らの頭の回転はすこぶるよろしい。
     時間内で与えられた問題を解く能力は優れているでしょう。ところが、致命的なのは彼らはとにかく「喧嘩」ができない。言われても、ただ黙っている。「何だとこの野郎!ふざけんなよ。お前ら、おとなしく聞いてりゃいい気になりやがって」と啖呵を切るくらいの骨ある人間がいない、側近もいない。ただ不測に事態には「持ち帰り、柔軟に対応させていただきます。」と物事を留保するだけ。外国から馬鹿にされているのに、その一方で「馬鹿な国民」に対しては、国会議員の隠れ蓑として、自分たちに都合のよい政策立案に従事する。責任の所在をあいまいにしながらね。
     勉強という自分との戦いに勝利したのは認めるが、リーダーとして大切な人心掌握力、行動力、なによりも「喧嘩力」が脆弱です。真剣なスポーツの勝負、ビジネスにおける勝ち抜き競争も未経験な「頭のいい奴ら」がわれわれ日本国を牛耳っていることに違和感を持つべきです。
     山縣有朋が政党系人間を行政に参加させない動機で始まったと聞く「公務員試験」。
     この試験で得られたのは腹の坐っていない能吏という、自己保全型「省あって、国なし」型人間を増長させたようです。
     学歴、職歴を問わず、赤誠のただ国益のため、国民のためというベクトルですすむ外交官のみが今の日本には必要です。
     と言っても、日本人は、本当に権威に弱く、ひれ伏します。
     とにかく、国益を守る喧嘩に強い人間を育てること。教育の在り方が問われますね。

  15. えんだんじ より:

    歴史伝習者さん

    全く同意同感。最後は教育にゆきつくところも同意同感です。

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