ガキの小林よしのりを叱る



良い本を書くからといって人間性がすばらしいとはかぎらない。ノーベル文学賞をもらった大江健三郎は日本人のくずだ。私は小林よしのりの漫画本を三冊読んだ。「戦争論」、「パール真論」と「天皇論」です。どれもすばらしい漫画だ。良い漫画を書くからといって人間性がすばらしいとはかぎらない。小林よしのりは、精神的にはまだガキだ。月刊誌「WILL」の2011年1月号(新年特大号)に小林よしのりは漫画を載せている。題して「たそがれ映画館」。60代、70代の老人を徹底して「じじい」呼ばわりし、それこそぼろくそに「じじい」をけなしている。ちょっとガキ、よしのりの吐くセリフを一部紹介するとこうだ。
「映画が終わってロビーで電話していたらじじいが続々トイレにつめかけている」
「最後にトイレに入ったら、便器の周りがビシャビシャ! きったね~~~っ」
「じじいは一条に絞り込んだ小便を勢いよく噴出することができないのだ。
シャワーみたいに周囲に飛び散らしている」
「チンコがだらしなくて、小便が真下にだらだら流れるのか?」
「チャックから出した瞬間に噴出してあらぬ方向に飛んでいくのか?」
「何にしても便器の中の一点に目がけて噴出することができないのがじじいだ!」
「わしの高級な革靴の底が、じじいの小便に汚される。実に不愉快!」   
「考えて見れば、わしが憧れていたのは現在80歳、90歳以上の戦争体験のあるじじいだった」
「今時の70歳代(小国民世代)のじじいは、GHQ占領下で戦後民主主義の影響を受け、価値観を揺さぶられたままになっている」

まぁこういった調子で70代、60代の老人を「じじい」呼ばわりをしてぼろくそにけなしている。男も60、70代にもなると、医学用語で言うところの「排尿障害」に誰もが大なり小なり悩むことになる。これは若い時摂生したとか不摂生したとかの問題ではない。年を取れば白髪が出るように、「排尿障害」も加齢による自然現象なのだ。その病状を大げさに表現して「じじい」をからかい、けなすということは、通常の精神を持った大人なら決してしないことなのだ。小林よしのりの精神は、いまだ未熟でガキのままなのだ。全文「じじい」、「じじい」の「じじい」呼ばわりの連続だ。「言葉使いに気をつけろ、このガキが!」と面と向かって注意したいぐらいです。

ここで読者の皆さんや小林よしのりに言っておきたいのは、我々70代世代は、70代以下の世代と比較して三つの特徴があると思っています。その三つの特徴とは:
(1)戦争孤児の存在。その戦争孤児たちは、今ではほとんどが70歳代なのだ。
(2)他の世代と比べて、最終学歴が中卒の人が圧倒的に多い。
(3)他の世代と比べて、子供の時から苦労している人が圧倒的に多い。
この(1)、(2)、(3)を説明していくと長くなるので、(1)の戦争孤児については少し詳しく説明します。何故なら私の年代でさえ戦争孤児の存在をうっかり忘れ、ましてやほとんどの若い人には、戦争孤児の存在など知られていないからです。戦争孤児とはどういう人たちか。戦争で父親を戦場で失い、母親を空爆(空襲)で失ったり、あるいは空爆で両親を失ったりして孤児になった子供たちのことです。終戦直後、日本中でどのくらいの数の孤児が出現したかわかりません。ただし推測できるケースもあるのです。それは学童疎開です。戦争も末期になった昭和19(1944)年、政府は学童疎開を閣議決定した。都市に住む住民の小学校3年から6年生の学童を安全のため親から離れた田舎(地方)に疎開させた。疎開費用は、政府と親が半々を受けもった。親も都市に住んでいては子供が危ない、自分は死んでも子どもだけは助けたいとの一心でした。この時、学童疎開で地方に暮らすことになった学童数は70万人と言われています。その中には、現在の天皇陛下もおります。陛下も皇居を離れて地方に疎開したのです。

その70万人の小学校の生徒が、学童疎開している間に日本の大、中、小都市約90都市が、アメリカ軍の無差別空爆に襲われた。広島、長崎の原爆もそうだし、東京大空襲もそうです。この70万人の学童のうち空爆で両親を失い、あるいは母を失い、父を戦場で亡くして孤児になってしまったのが7万人と言われています。その他に学童疎開の対象にならなかった幼児から小学校2年生までと中学生は、親と一緒に都市に住んでいたのですから、空爆で親を失い自分だけ生きてしまって孤児になった人も沢山います。また満州から引き上げ、引き上げなどと穏便な言葉を使っていますが、満州からの逃避行と言ったほうが妥当でしょう。その逃避行の途中で親を失い、孤児になって日本に上陸した子供もいます。私はざっとみて終戦時には孤児は10万人以上いたのではないかと想像しています。
ちなみに私は終戦時小学校一年生でしたから学童疎開の対象にならなかった。住んでいたところは川崎市、重工業都市です。父は富山県の出身で実家が富山県にあった。いずれ川崎も空爆に会うと予想した父は、私が5歳の時に私一人を富山に疎開させた。両親と幼時の妹二人は、父の会社の寮がある群馬県の草津に身を寄せた。川崎は空爆を受け自宅は跡形もなく焼失したが一家全員無事だった。そのことはラッキーだったのですが、父は戦前結核を煩って軍隊に入れなかった。戦前戦中の無理がたたって戦後は重症の肺結核で即入院、ここから我が家の極貧生活がスタートしたというわけです。

政府はこの7万人とも思われる学童の孤児対策としてなにをしたか。まず孤児たちの親戚探しです。この親戚探しで、孤児が幸せになる場合もありました。しかし多くの孤児たちは我慢を強いられ苦しい生活を続けるはめになった。過去に親戚どうしの深いつきあいがなければ、親戚というだけで孤児を預かっても、日本中皆生活苦で必死の思いで生き延びている時に、食い扶持が一人増えることになるからです。孤児たちは労働力として扱われ、学校に満足の通わせてもらえず、あてがわれる食事の量も差別された。政府はまた孤児たちの養子を公募した。地方の農村から孤児の申し込みが殺到したという。この時も幸せになった孤児もいたはずです。しかしこの時の申し込み殺到は、孤児を助けたいという同情心ではない、あくまでも労働力の確保です。明日をどう生きるか日本中が必死になっている時には、同情心はあってもそれを実行することはむずかしいのだ。戦争で死んでしまった農村の若者にかわる労働力が必要だった。孤児たちは当然のごとく酷使され、差別され、学校にも満足に通わせてもらえず、食事の量も差別された。受け入れ先で不満を感じた孤児たちは、逃げ出す者も多かった。その逃げ出した孤児たちを当時浮浪児と呼んだ。今流行りの言葉で言えば、子供のホームレスです。預けられる親戚もなく、養子にももらわれず戦争孤児のまま浮浪児になった子もいた。終戦直後全国で浮浪児が3万人から4万人いたとい言われています。

私が小学校2、3年の頃だったと思う。横浜は橋の多い町だ。桜木町の橋の下にたむろしていた私と同じぐらい年齢の浮浪児を数人見た。当時の浮浪児は生きるのは非常に大変だったと思う。現在だったらコンビニのそばのゴミ箱のぞけば残飯ぐらいあるでしょう。当時は大変な食糧不足の時代です。最近読んだ本によると、終戦の8月15日から11月18日までの三ヶ月間に東京の上野、四谷、愛宕の三警察署の管内で総計150人ほどの餓死者、また神戸、大阪、名古屋、横浜の五大都市で、合計737人の餓死者が出ているのです。「餓死対策国民大会」などがあった時代。三度のメシを二度にするのは当たり前の時代。ゴミ箱あさっても残飯はない。結局生きるため盗みをする。そのため社会から嫌われ者になる。それでも戦後直後戦争孤児たちは、世間の同情を集めた。それを証明したのが終戦から2年たった昭和22年(1947)から始まったNHKラジオドラマ、「鐘の鳴る丘」だ。ドラマの内容は戦争で復員してきた青年が、戦争孤児たちの痛ましさをみて、自ら信州の山奥に戦争孤児たちをあずかる山小屋を立て、大勢の孤児たちを住ませ、その団体生活を描いたもので大変な人気ラジオドラマになった。このドラマ番組が昭和25年まで三年間続いたのだから人気度がわかります。ドラマ開始の翌年、昭和23年(1948)に映画化された。私は小学校から先生に連れられてこの映画を見た覚えがあります。

昭和30(1955)年には、戦争孤児たちを歌った流行歌が全国的に大ヒットした。宮城まり子が歌った「ガード下のくつみがき」です。三番までの歌詞を披露しますが、若い人にはじっくり読んでいただきたい。
1。赤い夕日が ガードを染めて
  ビルの向こうに 沈んだら
  町にゃネオンの 花がさく
  おいら貧しい靴みがき
  あぁーあ、夜になっても帰れない

2.墨によごれた ポケットをのぞきゃ
  今日も小さな お札だけ
  風の寒さや、ひもじさにゃ
  慣れているから 泣かないが
  あぁーあ、夢のない身がつらいのさ

3.誰も買っては、くれない花を
  抱いてあの娘(こ)が 泣いてゆく
  可哀想だよ お月さん
  なんでこの世の 幸せは 
  あぁーあ、みんなそっぽを向くんだろ

どうですか、戦争孤児の悲哀、哀感が伝わってくるではないですか。この歌がヒットした昭和30年は、戦後10年目の年です。戦後直後の混乱、困窮した時代から10年たち、社会全体がちょっと一息できるような年なった。そこへこの歌が出現したから戦争孤児に対する同情が盛り上がりしヒット曲になる素地を生んだのではないでしょうか。ただでさえ貧しい、混乱した時代、そんな時一番頼りになる両親がいない少年少女が健気に生きていく姿。私は現在すぐに自殺したがる若者には、戦争孤児の話しをしてあげたらいいと思う。戦争孤児たちには、今はやりの心のケアもカウンセリングもない、生活保護もない、生抜くか、野垂れ死にするか二者択一だ。現在の自殺問題などが軽く見えてくる。戦争孤児に対する世間の関心は、この時が最高じゃなかったかと思う。戦争孤児たちも成長して大人になると、生きるために盗みをして捕まれば犯罪者になってしまうし、また日本経済も高度成長に入っていくと、戦争孤児たちは世間からだんだんと忘れられていった。現在では完全に忘れられた存在です。それでも彼らは70歳代で現在生活しているのです。恐らく彼らは裕福な生活をおくっていないのだ。戦争孤児たちは、戦没者遺族年金をもらうことができません。

ちょっと話がそれますが、私の息子の友達の両親は、両方とも戦争孤児です。二人は、この広い世間に頼る人誰もおらず大変苦労しただろうと思う。息子の友達の話によると両親は、まともに中学校を卒業していないのでどうしても社会の底辺の仕事につくほかなかった。特に母親は、中学校を満足に卒業していないというのが大変なコンプレックスになり、外では自分の意見を絶対に言わない。こんなこというとバカにされるのではないかとか、恥ずかしい思いをするのではないのかと心配が先になって黙っていることがほとんどだそうです。母親に「母さんは、自動車免許の試験に合格し、どうどうと車の運転しているではないか、そんなにコンプレックスを感じるのはおかしいよ」と言ってもまったくダメだといいます。友達の父親は、60代になってやっと念願の自前の小さなラーメン店を持つことができた。ところがその時すでにガンが進行していて店をオープンしてから間もなく死んでしまった。人生とは残酷なものです。両親の苦労を知っている友達は、高卒後サラリーマンになると、会社終わってから夜の仕事、例えばガソリンスタンドなどで働いたりして、一年365日、何年も日曜祭日休まず、遊ばず、猛烈に働きまくり、とうとう30代で自分の家を建ててしまった。まさに「家貧しくして孝子現る」の格言のごとし。子供手当てで育った現代の子供には、もうこういう孝行息子も孝行娘も現れることはないだろう。

小林よしのりの作品に「天皇論」という漫画がある。その中で自分の苦労(?)を自慢げに語り、我々の年代の苦労をこけにしたようなセリフを吐いているところがある。61頁にこう書いています。
「わしは漫画家になってから円形脱毛症をつくり、三日三晩徹夜で描いても何度も連載打ち切りになり、不調な時は編集者になめられ侮辱され、脅迫にも暗殺尾行にも裁判にも言論封殺にも耐えて、ヘルニアを自力で抑えながら、緑内障も白内障も体験して、今でも一日16時間、机にかじりついて働いているから、若者を甘やかす気にはなれない」

よしのりに言わせれば、自分が漫画家として成功するまでには、こういう苦労をしてきたのだぞと誇りたいのであろう。しかし70代の人間にとっては、こんなものは苦労でもなんでもない。よしのりの苦労は、漫画を書くという好きなことで生活がなりたつための努力ではないか。漫画描くことで生活がなりたつほど収入がない時でも、三度の食事ができるから漫画を描き続けられたのだろう。そんなものは苦労とは呼ばないのだ。何と呼ぶのか。努力です。苦労と努力とは違うのだ。例えば野球選手のイチローは、大リーグで大活躍していますが、彼の日頃の努力は大変なものです。「苦労」とはいいません。ジャッキー・ロビンソンという有名な初代の黒人大リーグ選手がいました。アメリカの人種差別の激しい時代の選手です。そのためジャッキー・ロビンソンは大変苦労した。「努力した」とは言いません。「苦労」とは何か定義することはむずかしいが、自分にはやりたいことがある、しかし食べる事の方が先決で、自分のしたいことができない、やむを得ずしたくない仕事をする。これは苦労と呼んでいいでしょう。よしのりにはこういう苦労はなかったのだ。私とよしのりとでは、15歳の年の差がある。彼は1953年生まれ。1955年から1973年の18年間が日本の高度成長の時代、1973年から1991年の18年間が日本経済最強の時代。その間36年間。1991年後は、日本経済は突然貧困になったわけではありません。要するによしのりは、日本の高度成長直前に生まれ、高度成長期に育ち、成人した頃は日本経済絶頂期と苦労なし時代の申し子だ。現在の20歳前後の若者よりめぐまれていたのだ。

よしのりよ、よしのりの時代は、自分の好きなことに熱中できる幸せな時代だ、その好きなことで飯を食えるようによしのりは大変な努力をしたのだ。苦労したのではない。よしのりの自分の「苦労?」を誇るセリフの後に、次のセリフが続きます。
「だが敗戦後の占領期に流行った『東京の花売り娘』や『東京キッド』を聞いてみろ。
なんて希望を感じる歌なんだ!
戦中派が『リンゴの唄』や『青い山脈』を高らかに歌いながら、これから高度成長を迎える日本の未来を、単純に信じられた時代とは全く違うんだと釘を刺しておきたい」

このセリフも70代の人間を怒らせる。よしのりはなにもわかってはいない。自分の努力を苦労と勘違いし、私の年代の苦労と比較しているちぐはぐさが理解できないのだ。だから私は、よしのりは精神的にまだガキだというのです。「東京の花売り娘」の実情は、先ほど紹介した「ガード下のくつみがき」の三番の歌詞を読めというのだ。「東京キッド」にしても主人公の少年のねぐらがどこか歌詞に書いてある。ねぐらはマンホールだ。こういう暗い時代だからこそ、明るくとらえて歌い上げて生活していこうとする人間の知恵なのだ。苦しい労働から民謡が生まれるのも同じ感覚でしょう。「東京の花売り娘」や「東京キッド」を聞いて、「なんて希望を感じる歌なんだ」と、バカも休み休み言えというのだ。暗い歌もある。歌の題名より、歌の中の歌詞一句が有名になったセリフがある。「こんな女に誰がした」だ。歌の題名は「星の流れに」。よしのりよ、この歌詞を読んでみるがいい。自分が育ち、成人して社会に巣立っていった時代がどんなに幸せな時代であったかを改めて知るがいい。

「これから高度成長を迎える日本の未来を、単純に信じられた時代とは全く違うんだと釘をさしておきたい」
このセリフも全く笑わせる。いいですか、よしのり、よく聞け。人間は未来を予測することは出来ないのだ。だから生きていけるのだ。我々70代や先輩の方々は、やがて高度成長がくるからと日本の未来を信じて働いてきたのでない。誰が当時の日本の未来を予測できたというのだ。当時の全国民がなんとか貧乏から這い上がろうと、自分の家庭の生活水準を少しでも上げようと国から命令されずとも一致団結してただただがむしゃらに夢中になって働いた結果が高度成長に繋がっていったのだ。それを「単純に日本の未来が信じられた」などとバカをほざくのもいいかげんしろと言いたい。最後によしのりはなぜ猛烈に毒づいて老人批判をするのか、そのくせ若い人には辛らつに毒づく事もないのか説明しましょう。

それは老人が、漫画を読む層ではない、だからよしのりの漫画などほとんど読みはしない。そのため老人をいくらけなしても彼の生活には影響はない。それに老人は、パソコンをあまり使わないからネットで猛反撃されることもない。ところが若者は違う。若者は彼の漫画の読者層だ。だから毒舌のよしのりが若者に毒づいたら、若者の読者離れが生じて彼の漫画が読まれなくなります。すなわち彼の食い扶持に悪影響が出る。従ってよしのりは若者にはあまり毒づかないのだ。若者の意見に同調して老人批判に徹した方が若者に受けがいいから、毒づかないどころか若者に媚びることさえする。月刊誌「WILL」の一月号(新年特大号)でよしのりはこういうセリフを吐いている。
「60歳すぎのじじいは本を読まない。老眼になるし、読書もつらくなるのだろう」
「最も本を読むのは30代で、次に読むのが20代、そして40代という順なのだ!まさに『ゴーマニズム宣言』の読者層と、どんびしゃ! 一致している!」
確かに老人は、年を重ねると読書しづらくなることも事実でしょう。しかし我々70代の人間は、もともと読書という言葉には、漫画を読むことなど入っていないのだ。女房、子供もいる30代、40代の男が、漫画に夢中になっているとその男がなんとなく頼りなく見えるのが70代の人間だ。30代、40代の人たちに言っておくが、漫画ばかりみて他の本などほとんど見ない人は、その人の今後の経済的発展もなければ精神的発展もありません。よしのりは、この意見に賛成のはずだ。若者にそのことをはっきり言ってやっていますか。よしのりは、自分の読者層の若者に媚びるだけではない。若者に反老人を煽ることさえするのだ。同じ新年特大号で、若者にこう呼びかけてさえいるのだ。
「若者は戦後育ちのじじいを糾弾すべきなのだ!
「戦争で死んだ若者のおかげで平和な日本の繁栄を享受し、バブル以後の若者の負担で長生きするようなじじいでいいのだろうか?
『無縁社会』も戦後育ちが作った社会だと自覚してるか?」

どうですか、このよしのりのふざけた主張。この主張に反論するのもばかばかしい。自分の読者層ではない老人を徹底してけなし、読者層の若者の意見には同調して若者を喜ばせ、反老人を煽る。とにかくよしのりはまだ精神的にガキなのだ。よしのりよ、年寄りの持病の症状を大げさに表現しながら年寄りをけなし、からかうのはやめて、もっと精神的に大人になり、老人に癪に障るけど痛いところを突いてくるわと思わせるような毒舌を吐いてもらいたね。

このブログ記事の転載、転送は自由です。ぜひ利用してください。

お知らせ:
これをもって今年最後のブログ記事とさせていただきます。ブログ記事を書いてちょうど2年2ヶ月。昨年は毎週ブログ記事を書きましたが、今年は月に二回のペースで記事を書いてきました。今回の記事でちょうど区切りのよい100回目の記事になりました。ここまでブログを書き続けられたのも読者の皆さんのお陰と感謝しております。来年も月二回のペースでブログ記事を書き続けるつもりですのでよろしくご愛読のほどお願いいたします。皆さん、どうもありがとうございました。来年も良いお年をお迎えください。






28 comments »

  1. 高田豊 より:

    えんだんじさん

    mixiでお世話になってます。「sengokuタカダ38」こと、高田豊です。
    今年一年、大変にお世話になりました。

    2月2日に日比谷でお会いして以来、一段とこの国の行く末が心配な今日この頃ですね。

    私自身に、何ができるのか?ささやかながら日本に貢献できるようこれからもがんばりたいと思います。

    地元静岡以外の公募にも参加をして、国会議員になる道を改めて模索していますので、何か動きがありましたら、mixiの日記にて報告させていただきます。

    来年も、引き続きよろしくお願いいたします。

    穏やかな新年をお迎えくださいませ。

    高田豊 拝

  2. 怒太 より:

    これは酷いですね。
    本当に最低です!!

    私も戦争論は読みましたが、こんな奴だったとは・・。


    今年も勉強させていただきました、ありがとうございました。
    そして東京ではお世話になりました。
    また、お会いして話せる機会を楽しみにしております。

    良いお年をお迎え下さい。


    追伸
    そういえば、知り合いの民族派の代表の方がいい本を見つけたと私に貸してくれました。
    それはえんだんじ先生の「大東亜戦争はアメリカが悪い」でした。
    なんか、嬉しい気持ちになりました!!
    そして、とても大絶賛でした。

    私も子供に読ませたい本です。

  3. 八目山人 より:

    エリザベスサンダースホームや海老名香葉子さんの事は、それなりに聞いた事があります。
    戦争孤児が上野の地下道で生活していたと聞き、詳しい事が知りたいと気になっていました。今回の記事でよく分かり有り難うございました。
    戦争とは関係ありませんが、私の曾祖母の時代の事です。親戚が八王子の大火で焼け出され、我が家に転がり込んできた時、曾祖母がえらい剣幕で不満をぶつけたそうです。しかし、彼らが相当のお金を持っていると分かったらニコニコ顔になったと、祖母から聞いた事があります。

    貧しい時代はいずこもそのようなものだったのでしょう。

  4. terag3 より:

    えんだんじさん

    よくぞ書いて下さいました。それにしても猪さんからのご指摘で、よしのりの60~70代老人に対する傍若無人なる悪口雑言に対して、よしのりを叱るというブログを書いてやりましょうと言われましたがこのような短期間で仕上げられてしかもこれだけ理詰めに叱られては如何に毒舌の、よしのりといえどもぐうの音も出ないのでは無いかと思われます。
    西尾幹二先生も絶賛された、えんだんじさんの文才には、つくづく感じ入りました。
    私の少年期も10歳で母親と妹二人に祖母との5人家族で満州の最北端地ハイラルからソ連軍の侵攻によってまさに必死の逃避行でした。1年後に九州の田舎に引き揚げて来てから母親一人の働きで育てられ中学卒業とともに口減らしのために洋服仕立屋に住み込みの丁稚奉公、昭和30年に自衛隊に入隊、外出するたびに税金泥棒などと陰口を言われながら、それでも自衛隊に勤務しながら夜間高校に通学してやっと高卒の資格が取れたような時代でした。
    その時に流行っていた歌が「ガード下の靴磨き」や「星の流れに身を占って・・・こんな女に誰がした・・・」などの切ない歌でしたね。本来がノー天気な性分なので、よしのりや、イチローのような努力はあまりしませんでしたが苦労だけは当時から苦労とも思わずにそれこそ「ヘ」とも思わずにやり過ごしてきました。
    それが現在の60代後半から70代前半の人々なのです。努力と苦労の違い、若者たちに媚びて60~70代の人々をコケにして自分の書いた漫画が売れれば良いというような思惑が見える、よしのり氏は、現在のシナに媚びる財界や政治家たちと同一だと思います。
    よしのり氏も祖父や祖母のいない団塊の世代で育ってきたのでしょう。ノーベル文学賞受賞者の大江某のように現地で調べもせずに書いた「沖縄ノート」見たいにならぬようにもっと広く世間に出て行って終戦直後の少年少女たちに直接会ってじっくりと話を聞いて見るようにしなさいと忠告します。家に籠って本を読むだけでは駄目なのですと申し上げたいです。

  5. 川久保勲 より:

     私も学習塾をやっていた頃、中学の卒業生に「戦争論」を贈呈していました。その意味で彼は世の中に大いに役立っていたと思います。
     但し、当ブログを読みますと、品性下劣な人間ですね。
     実は彼は「国民新聞」の10月号に「女系天皇容認論」を書いていたので、小林よしのりもおかしいと思って、12月号で反論を書いた所です。

  6. えんだんじ より:

    高田さん

    ブログへのコメントありがとうございます。
    高田さんの熱い志が実現することを祈っております。いや、祈るばかりでなく実現にむけてなにかお手伝いしたいと思っております。第三者の意見が必要な場合、遠慮なく聞いてください。
    来年もその熱い志を忘れず、日本のためにがんばってください。

  7. Mie より:

    この方は大変貧相な思考能力しかないですね。呆れてしまいました。
    私の祖母は7歳で横須賀より茨城の父の実家のところへ「縁故疎開」していますし、父亡き後は、母の実家の秋田に疎開したのですが、紙幣など価値は無く、横須賀にいたころの母の着物や自分の着物が、芋や少しのお米に変えられて、一家で身を寄せていたのは納屋だったそうです。また、祖母は識字率が良くありません。中学時代に稚内で奉公していたからです。ほとんど学校にも行かず、朝から水汲みやら仕入れやら、そういうことでまともに中学に通えなかったのです。稚内から母の元に帰りたくても、自分が帰ると食い扶持が増えるからお母さんに迷惑をかける、だからいつも、汽車を眺めながら泣いていたそうです。
    祖父も実兄が戦死したために、10歳で家を継ぐこととなりました。こういった苦労話には、本当に頭が下がります。
    祖父も祖母も、がむしゃらに働いて私が生まれる2年前に家を新築しました。

    私のホームレスの友人の峯ちゃんは、「戦災孤児」です。今は体を悪くして、友人たちが(もっともこの方々は私の友人でもありますが)区役所に掛け合ってくれ、生活保護を受けつつ治療に専念しているといいます。
    峯ちゃんからは本当にいろいろなことを教えていただきました。自分は戦災孤児だということ、施設での暮らし、本当に色々なことを。
    その峯ちゃんが最後に会ったときに、「俺たちは腹が減って、農家のトマトとかを盗んだことはあるけど、今の世の中のように、人を殺したり、そういうことはしなかった。俺たちにもルールやモラルはあったんだよ。」とおっしゃっていました。その苦労を峯ちゃんは笑って話していましたが、私はどうしようもなく悲しくてずっとうつむいたまま聞いていました。

    私は祖父母から「物を大事にするように」口を酸っぱくしていわれていました。ボロは着てても心は錦、本当に今、そう思います。
    そして、祖父母から躾けられて今の私があることを、心から感謝しています。
    祖父は生きていれば75歳、祖母は現在74歳です。

    その二人を「じじい」、「ばばあ」呼ばわりは絶対に出来ませんし、そういう言葉自体が私は嫌いです。


    えんだんじさん、本年も本当にお世話になりました。本当に有難うございました。どうかお体に気をつけて、よいお年をお迎えください。

  8. えんだんじ より:

    怒太さん

    すばらしい仕事イコールすばらしい人間でないことがままありますが、彼もその一人でしょう。まことに残念です。
    来夏の武道館での試合日、教えてくださいよ。絶対に応援にいきますから。

  9. えんだんじ より:

    八目山人さん

    エリザベス・サンダース ホームと聞いて突然思いだしました。アメリカ占領軍の軍人と日本人女性の間で、強姦、売春等で生まれ、いずれにしても両親からすてられれた孤児があずけられた施設ですからね。ウィキペディアで調べたら2010年現在で全部で1400人の出身者がいると書いてありました。彼らは戦後生まれですからほとんど60歳代でしょう。昔は「合いの子」と呼ばれ、いまは「ハーフ」ですからねきびしい人生を送ってきたんでしょうね。

  10. えんだんじ より:

    川久保さん

    コメントありがとうございます。
    小林の「戦争論」は、日本の知識人がたばになってもかなわないほど若者に影響与えましたからね。その意味では貢献度抜群です。すばらしい仕事がすばらしい人間性に結びつかないケースが往々ありますからね。彼の女系容認論も、私は「目立つための主張」ではないかと見ています。保守の中で女系容認論は目立ちますからね。
    彼のことだから、「俺は、他の保守らとは違うのだ」とみせつけたいのでは。

  11. より:

    読んでいて涙がこぼれました。同じような境遇を経験し、見てこられた事を素直に書いていただいた。実際に遭遇し、経験しないと判らないのです。
    個人的には戦争論から始まり、お父さんが、お爺ちゃんが漫画を読んでると、小林氏の漫画は子供・孫世代に冷やかされる程、熱心に読みましたが、東大出の元ロッての小林某を出した雑誌と天皇論で一切読むのを止めました。本能でしょうか?冷たいものを感じたのです。

    昭和32年代でも、新宿の東口から西口に出る通路には傷痍軍人・子供の靴磨きが居たのです。私は既に20歳を過ぎて居ましたが、少年は10歳ぐらいでしょうが、今では60歳を越しているでしょう。団塊の世代でも未だ、この様な少年も居た事を忘れてはなりませんね。団塊といえばデモに明け暮れた大学生の裏では、マダマダ苦労をしていた孤児の子供達が多く居たのです。

    「これから高度成長を迎える日本の未来」に至っては、当時の空気を知らない人が単純に考える事で、生きる事が先、日本の将来を見通すなど有ろう筈が有りません。池田首相の所得倍増論も、この後の話。
    兎に角、最近の人は歴史を教わらない、テレビで仕入れ、パフォーマンスで世を渡ろうとする人が多すぎます。

    名古屋市長・大阪知事の「都」構想もそうです。「都」の意味さえ判っては居ない。京都で「遷都千年」、この意味もこの連中には判らないでしょうね、石原知事が「都」が二つも三つも有る事に疑問?と言われましたが、はっきりと「都」とは「天皇陛下のおわします処」と言うべきだと自分ではいらだちを覚えています。

    最後は愚痴に成りましたが、小林よしのりの、「われら世代」に対する暴言に反論有難うございました。

  12. terag3 より:

    えんだんじさん
    昨日の、オフミーティングで有意義なお話を有難うございました。早速、Mieさんのコメントを読ませて頂きました。戦災孤児のホームレスの話は未だに現存しているのですね。
    それにしても昨日、本日と産経新聞の、話の肖像画で「母のため孤児のため」という、イラン人女優サヘル・ローズさんの話には思わず涙がこぼれました。
    これも戦災孤児の話です。しかも当時5歳で孤児となったサヘル・ローズさんを養女として引き取ったのが当時学生だったというお母さんで孤児を引き取ったという理由で両親からは縁を切られ、婚約者を頼って日本にやってきてからも不運の連続で、婚約者とも仲たがいで別れてローズさんとホームレスの生活に。

    ツナの缶詰1個を3日分の昼食にするような極貧の生活の中でもローズさんを我が子同様に育て上げたその養母は現在の日本人でも中々出来ないまさに神様のような人であると感動しました。

    戦争で戦い戦死した軍人は国の英雄として厚くもてなされますが、一方、民間人として犠牲になった両親の残された、いわゆる戦災孤児たちに対する国の救いの手は隅々まで行き届かないのが現状のようです。
    片親でも生き残っておれば何とか残された家族が力を合わせてやっていくことが出来ますが幼い乳児や幼児たちだけでは如何ともしがたく結局はMieさんのお話のように成人してもホームレスになるしかないというのが現実でしょう。
    不幸にして戦災孤児が出たら国民全体で手厚くその子たちの面倒をしっかりと見て上げることが重要だと痛感しました。

  13. えんだんじ より:

    MIEさん
    MIEさんのおばあさんは、大変苦労されましたね。おばあさんの母親の着物やおばあさんの着物が芋やお米に変わっていったという話で、私は母を思いだしました。母は川崎が空爆に会う前に逃げ出すとき、着物が一番持ち運びやすいというので嫁入り前の着物から嫁入り後の着物を沢山持って草津に逃げ込みました。戦後極貧になった時、その着物を少しづつ質屋に運び、結局全部質流れ。私の両親がけんかするときは、必ずお金がからんでいます。父が「出て行け」とどなると、母は、必ず、「質流れになった着物全部返してくれ」とどなりかえしていました。両親がお金のことでしょっちゅう喧嘩しているのを聞くのはいやなものです。
    私が結婚し、子供ができ、子供が少し大きくなったとき、女房には、子供の前でお金の話を絶対するなと言い聞かせました。ひょっとして子供の前でお金のことで喧嘩するのを恐れたからです。

  14. えんだんじ より:

    猪さん

    猪さん、いいことを言ってくれました。確かにそうですね、「都」とは、天皇陛下が住むところですね。「都」構想などとんでもないことです。

  15. えんだんじ より:

    terag3さん

    私は戦没者遺族年金がさだめられた時、戦争孤児年金もさだめるべきだった思います。
    しかし社会が激変する時は、いつも弱者が最大の被害をうける。世界中共通しているしまた、資本主義、共産主義も関係ありませんね。現実はきびしいですね。

  16. りんごあめ より:

    今年最後の記事も大変勉強になりました。
    ありがとうございます。


    私の父は、父親(私から見ると祖父)の会社が空爆で壊滅して
    戦後はどん底の生活を味わったようです。
    家を奪われ、日々の食事にも苦労したそうです。
    父が戦後必死で頑張った原動力は家を取り戻したいと言う願いだったそうです。
    それでも両親が健在だっただけ恵まれていたのですね。
    もっともっと辛い境遇の人々が日本中にあふれていたのですね。

    先輩方の苦労話を聞くにつれても私たちは確かに苦労を知らない世代です。
    多くの方々の犠牲のもとで、この幸せと繁栄を享受できているのだと
    改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

    小林よしのり氏の功績は大きいと思いますが
    最近は、なにかおかしくなっているような気がしていました。
    大変残念です。

    都!なるほどそうですね。都構想などなんと恐ろしいこと~~~
    日本に都はただ一つですね。
    国民が父と仰ぐ天皇陛下のいらっしゃるところですよね。



    えんだんじさん、皆様、よいお年をお迎えください。

  17. えんだんじ より:

    りんごあめさん

    戦中、戦後直後、日本民族は日本史上最大の苦難に陥った。その民族の苦労話は、代々語り継がれていくのが世界の常識です。ところが日本は逆、日本が悪い戦争を起こした、戦後の苦労は身から出たさび、なんと情けない民族ではないでしょうか。
    日本民族の苦労話が代々語り継がれていたら、こんなに自殺の多い国になっているでしょうか。

  18. より:

    えんだんじさん。
    近隣諸国条項なる珍妙な「条項」を放棄する方法はないのでしょうか?あれだけ中国・韓国教科書は嘘を教えているのに日本からは一言も言えない。中国・韓国は「日本は本当の事は教えるな、嘘だと良い」?無茶苦茶な事を政府を通じて言える最高におかしい「条項」と思われませんか?

    これが有る限り教科書に「本当」の事を書くと「ちょうにち新聞」「まいにち新聞」辺りが日本が「本当の事を言っています、抗議してください」と御注進する過去の例を見ますと、矢張り「条項」を盾にして居るとしか思えません。65年間「道徳教育」をしてこないのも問題でしたが、この条項はもっと危ないと思うのです。

  19. えんだんじ より:

    猪さん

    <最高におかしい「条項」と思われませんか?

    全くそのとおりだと思います。「新しい歴史教科書をつくる会」でも政府に削除を要求していますけどらちがあきません。まさに「妥協と譲歩外交の成れの果て」の例です。
    なにか外交間で問題があるとその場、その場を妥協と譲歩で切り抜ける、全く情けないし、腹立たしいかぎりです。

  20. より:

    勇気が無いのですね・・・外交は度胸ですからね。

  21. terag3 より:

    猪さん、えんだんじさん

    全く同感です。昭和57年には宮沢喜一官房長官が日本の侵略を進出と書き替えたことに対して支那や韓国が余りにも騒ぐので近隣諸国の意向に配慮すると言う近隣諸国条項を検定のガイドラインに入れたこと。本来歴史認識は各国間で違うのは当然のことなのですから当時の政府は大きな間違いを犯したことになります。
    昭和61年には中曽根総理が同じく支那に配慮して靖国参拝をやめたこと。平成5年には河野洋平官房長官が慰安婦強制連行はあったとして政治決着を図ったこと。
    そして平成8年には終戦後、武装解除されて化学兵器などすべてソ連や支那に取り上げられてその後、捨てたのはソ連や支那であり我が國では無いのにその遺棄処理まで日本に押し付けてくる。それらの要求は突っぱねるべきであったにも拘らず、村山内閣、河野洋平外相は支那の要求を受け入れてしまい我が国の税金を支那に吸い取られてしまう仕掛けを作ってしまったという話が、田母神国軍の「たったこれだけで日本は普通の国になる」という本に書かれています。
    このように我が国は何か問題が起こると政府は「お利口さん」ぶりを発揮して相手の言う通りにしてきたこと。それを日本人の謙譲の美徳ということで大事な国益を失っている。こんなバカげたことが有るかということですね!

  22. より:

    「宮沢」「河野」両総裁を担いだ過去の上に、現在の「野党」自民党が有るのです。過去の「棘」を自分で取れない、中途半端で大きな支持を得られない大きな原因だと思うのですが、矢張り勇気が無いから「民意」とやらと「マスゴミ」の顔色を窺う事が先に成るのですね。

    武器の件など普通の「軍事常識」が有れば、武装解除後の武器の保管・処分は解除した方の責任、ましてや戦後もシナ大陸で「共産軍」「国府軍」の内戦に日本製の武器を双方が使っていた歴史を知れば、バカな事もしないと思うのです。
    河野も遊郭遊びを知らない。宮沢もあの年代で真面目で遊郭などには行く事も無かったのでしょう。喧嘩一つ出来ない、純真無垢?の政治家にも困ったものです。

    河野も20歳を超えていたでしょうから、真面目に遊郭で遊んで居れば、バカな「河野談話」など出せる筈が無いのですが男子の仕事もやって居なかったのでしょう。真面目も度を超すと罪ですね。

  23. tano より:

    こんにちは。本年も多くの記事を読ませて頂きました。
    今回も圧巻ですね。小林氏の漫画は自分も多数読んでおり今でも人に勧めたりしていますが、氏は結局の所自分が一番大事なのでしょうね。女系天皇容認論以降は特に氏の本性が見え過ぎてしまい完全に見切りを付けてしまいました。
    しかし小林氏の読者は氏も言うように「意識の高い人」ではあると思います。ですので皮肉な事ですが氏の本性を見抜きつつ読んでいる人が殆どで、よく言われるような「信者」は実際殆ど居ないという状態なのではないかと思います。

    それはさておき、終戦後のリアルなお話、本当に当時の空気が伝わって来るようです。多くを考えさせられました。苦労話は話す方も聞く方も辛いでしょうけど、忘れてならないものはならないですし、知らないでは済まされない、自分と関係ないと思ってはならないものがあると思います。国の歴史や国民の体験があってその上に今の自分が居るという意識を常に持っておかなければ、と思う次第です。

    本年は有難うございました。来年も宜しくお願い致します。良いお年をお迎え下さい。

  24. terag3 より:

    猪さん

    全く仰る通りで、これまた同感です。私もどこかのブログのコメントで売春防止法は悪法であると書いたことが有ります。18歳以上の若者が安い値段で遊郭と言えば格好良いですが、いわゆる合法的に女郎屋(慰安所)で日頃から溜まっている「ガス」抜きを簡単に出来るという制度はどこの国でも必要悪なのですが、そういうのは男の一方的な思い込みだというような反論をされたことが有りましたが、まさにそれこそ一方的な空理空論であり事の本質が分かっていない綺麗ごとを言っているに過ぎません。

    しかしながら今更このような世の中になってしまっては売春防止法を廃棄して遊郭を復活させるのは不可能でしょう。
    現在の日本の状況を御覧なさい。売春防止法など単なる飾りものに過ぎません。不倫など当たり前、強姦、覗き、痴漢、そして不法滞在の外国人女性たちによる売春行為、これらは闇の世界で行われていて、ばれなければ良いという意識が横溢、ましてや未成年者の売春、買春なども・・・戦前、戦時中の日本に厳然としてあった「喧嘩はしても破廉恥な行為だけは絶対にするな」というような倫理観も道徳観も何も無くなっていて、あるのは独善的な個人主義の自由ばかりになってしまいました。
    それこそ歌の文句ではありませんが「こんな日本に誰がした」ですね。

  25. えんだんじ より:

    tanoさん

    <よく言われるような「信者」は実際殆ど居ないという状態なのではないかと思います。

    私もまったく同感です。年寄り対する彼の毒舌も自分の漫画を売るための営業制作なら
    女系天皇容認論も保守の中で目立とうとするための主張でしょう。才能は充分にあるのだから、もう少し素直というか謙虚であればと思うと残念です。

    tanoさんには、来年もすばらしい作品を期待しています。腰の方も大事にしてください。良いお年をお迎え下さい

  26. より:

    有難うございまあした。来年もよろしくお願いいたします。良いお年を・・・・

  27. 山本 より:

    60歳代の男性です。たまたま、この記事を目にしました。
    小林よしのり氏の漫画3冊をお読みになりすばらしいとの評価。私は小林氏の書いた物は全く読んだことがないので、それらの本が良い悪いは申し上げられませんが、感じたことをコメントさせていただきます。

    小林氏が特定の層をターゲットに書いていることは、あなたもご指摘されています。
    もしかすると、小林氏はそのターゲットを感動させるような書き方をしているのではないでしょうか。例えば、ご指摘のように若者向けに年寄りを徹底的に貶すように。だから、これは彼の書かれたものすべてに共通する姿勢かもしれません。

    彼は考えたのではないか。本を売るにはどうしたらよいか。
    漫画を良く読むのは若者だから、彼らを捉えて離さないようなもの、且つライバルとなる漫画家の少ない分野。
    そこで目をつけたのが歴史、しかも左右いろんな思想が渦巻いている近現代史。ほとんど歴史を知らない若者に最初に強烈にインパクトのある物を見せ付ければ彼らを絶対に取込めるはず。と思ったかどうかわからないが。

    だからそれまでの常識となった「戦前の体制を否定する考え方」を真っ向からひっくり返す。正義と悪人とを二分割して単純化する。虐げられていたものが立ち上がり互角に戦う。英雄が華々しく散ってゆく。しかし最後には正義が勝つ。というように、未熟な若者が喜びそうなストーリーで書いているのかもしれない。
    だから、漫画に書いてあることが小林氏の思想とは限らないということです。
    そして、それが戦前の体制を肯定する人達にも読まれて共感を得ている。というよりも共感を得るよう研究して書いているということではないでしょうか。

    完璧にターゲットを絞り、完璧に共感を得る、小林氏はガキどころか商売人として並外れた才能を有していることになります。

    以上、トンチンカンかもしれませんが、感想を書かせていただきました。

  28. えんだんじ より:

    山本さん
    ブログへのコメントありがとうございます。

    確かに山本さんが言われる見方もできますね。それにしても山本さんの心理分析も凄いですね。並外れた才能かもしれませんよ。

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