くたばれ最高裁裁判官

司法が日本を滅ぼすと言われてもう数十年たちます。特に戦前戦中の外国の戦場で起きた事件では、そのほとんどに日本側が負けているのです。例えば南京虐殺事件、シナ人女性夏淑琴が日本で裁判をお越し南京大虐殺の有名な研究者、東中野修道氏と出版社、展転社を名誉棄損で訴えた。最高裁は東中野修道氏の本など「学問研究の成果というに値しない」と公言し東中野氏と展転社に400万円の賠償を命じているのです。

ついでにもう一つ。例の百人切り裁判。被告はこの記事を書いた毎日新聞と、朝日新聞の本多勝一記者。毎日新聞は、法廷で何を言ったかというと、「新聞は真実を報道する法的な義務はない」。この発言は驚きであり、どうりで朝日の植村記者がうその記事をかいても平然としていられるわけだ。本田勝一は、「私は中国側のいうのをそのまま代弁しただけ」と言って事実の検証を怠っていることを「へ」とも思っていないのだ。最高裁は最高裁で、遺族側の多くの証人は採用せず、本田勝一の当事者尋問もせず、百人斬りがなかったと言う立証責任を遺族側だけに負わせたのだ。その結果遺族側が負けました。

この二つの記事は、海外の戦場で起こった事件ですが、最近国内で起こった事件にたいして最高裁は、無茶苦茶な判決をくだしているのだ。平成22年大阪府寝屋川市で、当時一歳の三女に暴行を加えて死亡させたとして傷害致死罪に問われ、いずれも検察側求刑(懲役10年)の1,5倍にあたる懲役15年とされた父親の岸本憲(あきら31)と母親の美杏(32)両被告の上告審判決で最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は平成26年7月24日、「裁判員裁判で過去の量刑傾向に従う必要はないが、他の裁判の結果との公平性が保持された適正なものでなければならない」として量刑傾向も考慮するよう求める初判断を示した。その上で裁判員裁判による一審大阪地裁判決と、これを支持した二審大阪高裁判決を破棄、憲被告に検察の求刑通り懲役10年、美杏被告に同8年を言い渡した。5裁判官全員一致の結論。
裁判員裁判の量刑が最高裁で見直されたのは初めてです。一般的にいって幼児を虐待などして殺してしまう、しかもその幼児の親が殺してしまうのに最高刑10年というのは軽すぎるというのが一般的な常識です。だから裁判員裁判で検察官の求刑より重い判決を下しているのは今年五月末までに49被告(児童虐待死も含んで)にだされているのが実情です。白木裁判長を含む五人の裁判官たちよ、よく聞いてもらいたい。裁判員制度が採用されたのは、裁判に一般の人々の常識をもっと反映させた方がいいのではと採用されたのでしょう。裁判員裁判で判決された15年は重いから10年にひきもどせとはとんでもない話です。親が自分の子供、特に幼児1歳8か月を虐待して殺してしまうのは、殺人罪でも重い罪で罰すべきだというのが世間一般の人々の考え方なのです。本来なら死刑を求刑したいくらいです。しかし最重刑が10年なのでそれでは軽すぎると裁判員裁判官が考えたから15年の判決を決めたのでしょう。

少年法は本来、罪を犯した少年の処罰より保護と立ち直りに主眼をおいてきたから、どうしても少年犯罪にたいする罪が軽かった。しかし凶悪な少年事件が起きつづけ平成9年に神戸市でおきた連続児童殺傷事件をきっかけに少年法の厳罰化の舵がきられたと言っていいでしょう。平成13年に施行された改正少年法では刑事罰の対象を16歳以上から14歳以上に。また平成19年には、少年院送致の下限も14歳から12歳に引き下げられた。今年の4月には有期刑の上限を15年から20年に引き上げる改正少年法が成立した。少年法も社会情勢によって厳しくなっていく傾向にあるのです。

親の児童虐待による死亡事件など、私の年代の若い頃などほとんどなかった事件です。それだけにもし児童虐待死事件があれば大ニュースなったでしょう。ところが最近、親が自分の子供を虐待して殺してしまう事件が多発しています。死にいたらない虐待なら数えきれないでしょう(児童虐待昨年度は過去最多の7万件超す)。親が幼児を虐待して死なせるほど残酷な事件はありません。幼児は親なしには生きてゆけないのです。親がすべてなのです。その親に虐待され殺されるのだ、私に言わせればこれほど残酷な事件はありません。即死刑にすべきだと思います。だからと言って死刑にできないから10年より重い刑をかそうとしているのが裁判員裁判官の実態だと思います。今度の最高裁の白木勇裁判長の15年の刑は重すぎるから10年に戻せという判決は、児童虐待死の刑を重くしようとする裁判員裁判官の心情に対する不届きな挑戦と言っていい。くたばれ白木裁判長。

こういうとんでもない裁判官出現を防ぐためにも少年による犯罪の罰則強化が法制化されたように、親による子供の虐待死の罰則強化の法制化が一刻も早く進められるべきでしょう。

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11 comments »

terag3 より:
2014年9月13日 11:30 AM
えんだんじさん

我が家でも家内とテレビニュースを一緒に見ていて、親が幼児を虐待死させる事件を見聞する
たびに処罰の軽さに憤懣遣るかたなき思いをぶつけあっています。
「何で我が子を、虐待暴行して殺しておいて、3~4年の軽い懲役刑で出て来れるの?」・・・・

一昨年の7月に横浜で、32歳の母親が、山口あいりちゃん(6歳)が足を踏んだという理由で
顔を平手で数回、叩いたうえ、風呂場でシャワーを顔に浴びせ、その母親の同棲相手の男が
あいりちゃんを蹴り殺してしまった。「何で、そのような惨いことが出来るの?」・・・・

そしてその遺体を雑木林に遺棄して昨年4月に、あいりちゃんの白骨死体が発見されたという。
判決の結果は、蹴り殺した同棲男に懲役8年、母親には懲役2年の判決が言い渡された。

また2005年、11月に広島では小学1年生の、木下あいりちゃん(7歳)がペルー人の男に
捉まり、性的暴行を受けて殺害された事件。
その男は、無期懲役になったが、「何で、無期懲役なの、何で死刑に出来ないの?」・・・・
というように、いずれも、いたいけな抵抗も出来ない弱い女の子に対して、人間にあるまじき
悪逆非道な殺人事件を犯しながら、あまりにも刑罰が軽すぎるので、怒りが収まりません。

またもうひとつ付け加えれば、加害者が精神的異常者で有った場合、被害者は泣き寝入りの
現状をどう思いますか?残虐非道な殺され方をしても、その加害者が精神異常者ならば諦め
ろと言うのですか???
あまりにも人権、人権という風潮が強まり、加害者の人権が主体となって、被害者の人権は
無視されているような感じを受けるのです。このような現行法制度は早急に見直して頂きたい。
善良な何の罪もない人々の人権を、第一にした法制度にして頂きたいと強く思ってます。

えんだんじ より:
2014年9月14日 8:39 AM
terag3

殺人事件で「精神異常で判断力がなかった」を理由にとりあげては、絶対にいけないと思っています。人の命を奪うのに理由があってはなりません。あるとしたら自己防衛だけです。

terag3 より:
2014年9月14日 11:58 AM
えんだんじさん

序に、もう一言追加させて頂きます。
ヤフーで「あいりちゃん事件」を検索すると、横浜のあいりちゃん、広島のあいりちゃん事件が
出てきますが、特に広島の事件はマスコミも、公に報道できなかったぐらいの酷い犯罪です。
検察は犯人に死刑を求刑しましたが、初犯ということで無期懲役の判決でした。

初犯なら、たとえどのような残虐、非道な犯罪でも死刑を免れるのか!・・・・
小学校1年生、7歳のあいりちゃんは、どんなに怖くて、痛くて、苦しくて殺されたのかと思うと
とても他人事とは思えず、私の脳みそは沸騰するぐらいの激しい怒りを感じるのです。

しかし、いずれにしても被害に遭うのは、家族の絆が弱い家庭の子供たちです。
出来ちゃった婚、簡単にくっつき子供が出来ながら簡単に離婚する現代の嘆かわしい風潮
戦後の家族制度の崩壊が、子供たちに不幸な結果を齎しているのです。
なんとかなりませんかねぇ~

森 武蔵の守 より:
2014年9月18日 6:46 PM
 以下は、若狭和朋著「日本人に知られては困る歴史・昭和の大戦と東京裁判の時代」の序章・日本衰亡へのシナリオ、から論旨を借りています。
 
 ある中国人教授が、「日本の裁判所は『南京大虐殺』を認めているのに、なぜ先生は否定するのか」との問いを、若狭氏に投げかけています。
 中国人教授の論拠は、1999年(平成11)9月22日の判決で東京地裁は「南京大虐殺」を認めていると言い張り、食らいつく訳です。
 これは「南京大虐殺」事件の被害者を名乗る十余名の中国人が、総額10億円余の損害賠償を求めて日本政府を被告として請求していた事件ですが、東京地裁は「国際法上、個人が直接に外国に対して戦争被害の損害賠償を請求することはできない」として、ごく常識的な判決を出しています。つまり、中国人側の敗訴です。
 ところが、裁判官は「傍論」として以下の意見を述べています。
 「『南京大虐殺』と言うべき事象があったこと自体はほぼ間違いないと言うべきであり、原告中国人は、その際に日本兵による刺傷を受けたものである…」←(何じゃこりゃあ!)
 つまり、判決は原告中国側の請求は斥けたけれど、「南京大虐殺」は事実として認めた訳です。
 この手は、日本の民事訴訟の判決にいたるシステムを巧妙に利用した、奸謀と言われる所以であり、そのものズバリ、中国に味方する日本人が権力の中枢にもいて網を敷いているということです。
 日本では、損害賠償などの民事訴訟の原則は「当事者主義」と言い、一方の当事者が相手側に反論しなければ敗けになる。たとえ原告が正しくなくても被告は敗けてしまう。
 争いの相手の言い分が出鱈目であっても、反論しなければ真実はどうあれ、相手の主張が事実と認定されてしまいます。
 ここが刑事裁判の事実認定との大きな違いなのですが、一般国民は裁判所の判決と言えば、精密な証拠調べに立って事実判断がなされていると考えていますが、それは民事裁判への無知であり、誤解だそうです。
 ならば、なぜ日本政府は反論しないのか?被告である日本政府が反論しなければ、一方的な主張がそのまま事実として仮定されてしまうのですよ!
 理由は2つ考えられます。
1、法理的理由・民事裁判で國が一方の当事者であるときは、國は、政府が対外的に宣明した立 場や方針に拘束されるという法理です。例えば、政府が歴史的な出来事についてある「見解」 を発表しているとしよう。たとえ訴えが事実でなくても、裁判では國の代理人(弁護士など)
 は政府の見解と異なる見解を主張することはできない。主張を裏付ける証拠があっても、それ を提出して反論することもできない。國の代理人とはそうした者である。
(この法理を利用して日本を陥れている反日日本人の行動が目にあまる訳です。裁判官が「傍  論」を利用した「暴論の判決」が横行するゆえんであり、実に穢れた法匪どもです。)

2、先出の「南京大虐殺」の裁判の判決文でも、被告(日本政府)は事実関係についてはまった く争った形跡がありません。訴訟提起が「損害賠償」ですから、事実判断は義務的ではなく 「賠償請求」を斥けた原告敗訴が見えているので、国は反論しなかった。
(つまり、一応勝訴すれば政府担当の官僚としては十分であり、こうした事実認識の公的主張を 回避して反論しない姿勢の弱さが、GHQの東京裁判史観に遠慮した歴代日本政府の悪い性癖 であり曖昧さであるのです。)
 
 以上2点の代表例が、平成10年4月の山口地裁下関支部による「従軍慰安婦訴訟」であり、例の悪名高き「河野談話」の基、国側代理人は事実認定に関しては一切反論ができなかった。
 このため山口地裁の法廷は「慰安婦」達の一方的な怒号と「哀号!」と泣きわめく場となるしかなかった。若狭氏はこの裁判を傍聴しながら、日本人による日本滅亡計画の実在を実感したと述べておられます。
 元「慰安婦」なる彼女たちの旅費や滞在費用・弁護士費用などは誰が負担したのだろうか。少ない金額ではない。
 政治家が政治的配慮のつもりで歴史的事実を無視した談話などを発すると、それがいかに日本の国益を損なうかということについて、最低の自覚をしてもらわなければならない。
 日本の政治家にこれが欠けた言動が多いのは、ずばり直言すれば、外国による「工作」の結果である。
 村山富一元首相、土井たか子元衆議院議長、河野洋平元官房長官、近隣条項の宮澤喜一元首相、加藤紘一官房長官(当時)、そして傍論の形で未熟な歴史認識の暴論を判示(判決文などで、裁判所の判断を示すこと)する裁判官諸氏の猛省を求めたいと、若狭氏は主張しておられます。
 
 このような国家観薄弱な政治家達を選出して国会に送り込んだ国民の責任も大きいが、ここまで裁判官達の歴史認識が劣化しては、国家の命運は司法からも崩壊して行く可能性があります。
 日本人による日本滅亡計画に手をかす大きな勢力が、外国から入り込んできている今、アメリカのスーパーマーケットを思い出しました。
 言わずと知れたこと、ライフル銃の自由販売であり、アメリカ憲法の許す市民の銃所持の権利
を堂々と謳っている、建国以来の憲法のことです。
 アメリカはミリシャ(民兵)の国であり、人民は国家を監視する義務があり戦う自由があり、民主主義を担保しているのは暴力であるというアメリカ国家の建国の精神は、国体の大きく違う日本には無縁の事と思っておりましたが、このような日本文化や皇室に敵対するような渡来文化の左翼思想が蔓延するならば、国体護持のために武装決起する日本人も、将来出てまいりましょう。
 内乱が起きたくなくば、司法に従事する百僚有司は大東亜戦争の意義から、日本の祭り事の精神に至るまで、一から学びなおすがよい。
 位人臣を極めた恥ずべき受勲者、元最高裁判所長官・横田喜三郎の眷族どもは、しっかり勉強しておけ!という事です。
 そしてこれが最も大事ですが、志ある政府官僚は沈黙していてはなりません。日本国官僚として、東京裁判史観に対抗する気概があるならば、例えば最高裁判所を利用し「日本国憲法第9条二項後半の文言は国際法、および自然法の条理に反しており無効である」と訴える位のことは、左翼の逆手を取って、ぶち上げてみればよいのです。
 日本の立場を主張し、日本の名誉と国益を守るという意思と使命感があるならば、「パール判決書」、「マッカーサー証言」は当たり前、「ヴェノナ文書」位知っておけというのです。
 それが、『国際社会では、あれは侵略戦争だ、というのが評価です。あの戦争は自衛のための戦争だったと言ったら、日米関係はもたない。そのことを日本人は受け入れないといけない。』などとのたまってくれる外交官など、日本の歴史を貶めて恥じぬ魂を売った売国官僚を、国民の税金で養う必要などないのです。
 1990年代の後半、アメリカでは日本企業を標的にして100兆円に及ぶ請求訴訟が提起されました。被告の日本企業は28社、原告は大戦中の元米国兵捕虜、在米国中国人、韓国人たちでした。日本の年間国家予算は、ほぼ100兆円に迫っていますね。
 米国連邦高裁は「サンフランシスコ講和条約」によって賠償問題は解決済みとして、州地裁判決を破棄しましたが、実に危うい所だったのです。
 日本企業28社の負担した弁護士費用だけで合計40億円を超えたそうです。
 原告たちは連邦最高裁に上告したが、棄却が2006年・7月に確定されました。
 日本を代表する企業群は、実に存亡の危機に立たされた訳です。
 この事例からも判るように、アメリカの原告達の主張の根拠は、「村山談話」であり、「河野談話」であり、あの1999年9月の「東京地裁判決」だったわけです。
 政治家や外務官僚以下の歴史認識が、いかに国家の命運とかかわるか、彼ら原告は敗訴の原因を考察し更に論法を変え、訴訟戦法に訴えてくるでしょう。
 日本を心底震わす戦いは、まだまだ続くのです。「経団連」が、米・支・韓との友好をいくら求めても、原告は金を奪うまで攻撃を止めてはくれませんね。
 
 

えんだんじ より:
2014年9月20日 8:42 AM
森 武蔵の守
私も戦後補償問題について国の代理人が原告の主張に反撃しないものだから、原告の主張が事実として扱われるのを知っています。ほとんど政治家,裁判官を含む日本国民全員が国家意識が薄いのです。朝日の従軍慰安婦事件が起きたのも日本全体の国家意識の薄さが起こしたものと言えることができるのです。

terag3 より:
2014年9月20日 3:59 PM
森 武蔵の守さん

南京大虐殺の裁判では>中国人側の敗訴です。ところが、裁判官は「傍論」として以下の意見を述べています。
「『南京大虐殺』と言うべき事象があったこと自体はほぼ間違いないと言うべきであり、原告中国人は、その際に
日本兵による刺傷を受けたものである…」←(何じゃこりゃあ!)・・・・仰る通りです。

それならば、日本の民間人が大虐殺された、あの通州事件を何とするか、まさに通州大虐殺事件ですよ!!
その他にも、日本人民間人たちが、支那兵に残虐非道な殺され方をしていますが、それこそ日本人大虐殺が
あったこと自体間違いのないことです。日本の裁判官たちはそれらを知っているのかと言いたい。

過去のことを言い出したらお互いに、きりがないことです。だから日本人は過去のことは水に流そうと言うのです。
過去に拘れば何時まで経っても、相互間の友好など出来っこないのです。
韓国のように、1000年も恨み続ける国民性においては、日本との友好関係などあり得ないことを知るべきです。
中韓よ、日本国の国民性、日本人の価値観、道徳観などをもっと、良く勉強し直しなさいと声を大に忠告したい。
日本の裁判官たちも同類だ!

森 武蔵の守 より:
2014年9月23日 9:44 AM
 えんだんじ様、terag3様、『日本全体の国家意識の薄さが起こしたもの』まったく同感です。最近ユーチューブで田母神氏と、やくみつる氏の論争が偶然目に付いたので拝聴してみましたが、驚きました。えんだんじ様の仰る通り、これはあまりに酷い!
 こういう認識の男を戦後日本は生んだのですね…正直申して私はやくみつるの発言に堪らぬ不快感以上に、猛烈な反感を抱きました。
 さすがに田母神氏も激怒して声を荒げていましたが、当然でありましよう。
 やくみつるの発言は、まるでおはな畑のお気楽住人そのまま、日本国民としての何の自覚も、歴史的・文化的・政治的教養も感じられません。
 『大いなる精神は、静かに耐える』は自衛隊の教えですが、一体こんな男まで守る必要があるのでしょうか?やく氏はどうぞシナへ移住して、お好きな中華料理を食していて下さい。
 否、その前にやく氏自身が「狡兎死して走狗煮らる」の好事例となるでしょう。
 あの国の文化の中で、あなたのような人が、日本における今以上の安全や平穏や清潔や厚遇を得られる訳もないのです。日本人の幸せは、畢竟日本語文化圏の中にしかなく、そうでないと思う人達はとっくにグローバルに外国人になっています。
 甘ったれるな!と言っておきます。

 朝日の慰安婦問題で、またぞろ有識者なる人達が民放テレビで延々30分以上にわたって熱弁をふるっていましたが、どの人達も偽善者でした。時代を知っていれば「慰安婦」などと言うもおこがましい。当時の彼女らは単なる合法的な売春婦に過ぎません。
 69年も昔の朝鮮や日本の社会環境を、何故現在の人権感覚で裁くのか?討論に参加した大阪の橋下氏も喋るほどにむなしく、共産党の副委員長はおろか、まっとうは、この件に関しては沈黙を保った田母神氏のみでした。氏は政治的に利用されているに過ぎない、時代的に解かりきった事柄を、最早言うもおろかと心得ている様子でした。
 
 terag3様、テレビ出演のコメンテーターを始め、左翼陣営は驚くほど歴史に無知であり、今更ながら、局側からも局の意向に沿った発言依頼を受けているように見えます。
 先日も00新聞の論説主幹とやらが出演していて、突然「満州事変は明らかな日本の侵略でしょ!」などと大声で叫んでいましたが、満州事変に至る、合法的在住の現地邦人にたいする嫌がらせや暴力、殺人・暗殺事件など、今日のシナの反日暴動など比較にならぬ、悪質さと執拗さと残虐性(活字にするもはばかれる)を有しており、これだけで日本軍は、北大営の張学良軍に正々堂々宣戦布告できる状態でしたね。
 治安にあたる現地軍始め邦人達の宣戦要求を無視して穏健和平忍従に走り、いたずらにシナ側の侮蔑と実力行使を招いたのが、日本外務省でしたね。今に変わらぬ構図です。
 日本外務省の無能な判断を、自らの血であがなったのが帝国陸海軍軍人達でした。
 日本の愚かな裁判官達も、日中関係くらい自分で勉強しておけと言うのです。
 誠に口惜しく嘆かわしく、愚劣な対韓・シ裁判の連続判例が続いておりますが、この因果はおろかな日本国民自身が背負うこと自業自得。
 運命は日本国民の性格なりと思う、今日この頃でございます。

terag3 より:
2014年9月24日 9:06 AM
森 武蔵の守さん

やくみつるは、いわゆる進歩的文化人、知識人と称されるサヨク思想の典型的な人物だと思われます。
国家観なんて毛頭無く、日本史など勉強したことも無く、成人しても漫画ばかり読んでいる人たちと同類
だと思いますが違うでしょうか?

またもうひとつ、中韓から歴史認識、靖国神社にA級戦犯が合祀されているから日本の総理大臣が
靖国参拝をしてはならぬといちゃもんを付けられて、ご無理ごもっともとばかり、あのイシバなどは
靖国神社は参拝しないと公言しているが、日本の現代の政治家たちは、サンフランシスコ講和条約
発効後、東京裁判で戦犯とされた人々の名誉回復のために、当時の人口の約半数の4000万人の
署名を集めて、昭和28年に社会党や共産党も含めて、戦犯の赦免に関する国会決議がなされて
赦免され、すでに処刑された戦犯は法務死とされているのです。

従って今や日本国内には、A級もB級もC級も戦犯なる人々は存在しないのですが、現代の政治家
たちは62年前のこの出来事に対して、どのように認識しているのか、「お前たちの父兄姉、大先輩
たちが決定した決議を反故にする気か」と声を大にして叫びたいのです。

パル判事が1952年、日本独立後に来日した際に「日本人は連合国から与えられた《戦犯》の観念を
頭から一掃すべきである」「日本が過去の戦争において国際法上の罪を犯したという錯覚に陥ることは
民族自尊の精神を失うものである」・・・・この言葉を日本人は良く噛みしめるべきだと思っています。

森 武蔵の守 より:
2014年9月25日 10:55 AM
 terag3様、仰られる通りにございます!
 誠に、戦犯なる方々に対する当時の日本政府の法的扱いには、さらには講和条約締結に際して、原告11ケ国への紹介と了解まで得て赦免されており、日本国に戦犯などは一人たりとてなく、いまだに当時のいきさつを知る政治家や外務官僚までもが、日本は「極東軍事裁判」を受け入れたなどと、平然たる様子を見るに、彼らは真の売国奴であります。
 
 裁判など受け入れておらず、ただ判決をのみ受け入れざる状況であったことなど、当時のまっとうな政治家や官僚、マスコミの、日本人同士としての国家的暗黙の了解でありました。
 そのような経緯を、まるでなかったのごとく扱う今日の似非日本人どもは、先祖と子孫に対する大犯罪を犯しているのです。
 外務官僚小和田をはじめ、孫崎以下、何ほどまでに東大出身者は日本国を辱めるのか、彼らこそ國税で学んだ、売国行為の税金泥棒であります。
 幣原喜重郎以来、彼らの判断にはまったくあきれるばかり、切歯扼腕するのみでございます。
 
 石破には例の「護衛艦愛宕事件」以来、実に不信あるのみ。裁判も始まらぬ内から平身低頭、こんな男が防衛にかかわっていたかと思うと、現場の戦闘軍人などは腹の底から軽蔑するのみであります。
 「なだしお事件」の東山海上幕僚長こそ、トップは如何にあるかを示した最高の指揮官でありました。報道陣が多数のマイクを突き付け「自衛隊の責任はどうなるのですか!」と激しく詰め寄る中、「そういう質問は裁判が終わってからにして下さい」と、ぴしゃりと返答されました。

 本ブログをご覧になられている日本の若人方々に聞いていただきたいのです。
 自衛隊は英霊と共に戦います。これはオカルトを言っているのではありません。
 敵国は戦いに際して、必ず事前に相手国の戦例を研究してきます。
 この場合、敵国の軍人達にとって最も印象深く彼らの認識にうったえるのは、ペリュリュウ島はじめ、硫黄島、沖縄の戦い、そして航空特攻・海上特攻の記録であります。
 一国の文化は百年や二百年で簡単に変わるものではない、と捉えるのが世界中の軍人達の一般的常識です。
 将来自衛隊が戦う時、日本人はたとえ上からの命令がなくとも、任務上必要ならば自発的に特攻的攻撃を発意する兵士達であると予測しています。
 それは今度の大震災、あるいは阪神淡路大震災、細部となりますがJA123便520人に対する検視報告書の表れや遺品類の保持・変換等、「行けと言えば行き、来いと云えば来る」、指揮官の命令の元、たとえ命にかけても任務を遂行する。
 それが世界一のソルジャーであり、各自が勝手に戦う、単なる戦士(ウオーリァ)との違いです。今は亡き、小野田少尉のルバング島での戦いを見てもわかりますね。
 これが「自衛隊は英霊と共に戦う」という意味です。(英霊=日本武士道と云い換えてもよいでしょう)
 その英霊を御祀りしている靖国神社に、三軍の長たる内閣総理大臣が参拝しないなどと云うことは国家反逆罪であり、石破ごときの発言は、防衛大臣として恥辱の限りなのです。
 靖国神社は国家にとって特別な場所であり、お参りした三軍の長たる内閣総理大臣以下の閣僚は、「英霊方々が立派に戦ったように、我々もこの国を堅固に御守り致します。」と心中誓いに行く場所であり、なんぞ平和を祈念するなど、心ならずも亡くなった犠牲者発言など、お門違いも甚だしいのです。
 戦に関わらぬ若人方々は、ただただ感謝の念を、社頭お伝えすればよろしいと思うのです。
 この精神性を知る米・支・韓どもが、売国マスコミを使い、やいのやいのとうるさく年中行事をやらかしています。だから、総理は毎月でも、どんどん行けば良いだけです。
 
 東京裁判の清瀬一郎首席弁護人たちは当時真剣に『仕掛け人は日本ではない!』と、米国の対日戦争決意の暗号電文を入手すべく、そして全世界に、ワシントン会議以来の米国の野望を暴露せんと、旧軍人達にアプローチしたのですが、国家国策的立場にまで思いが及ばなかった軍暗号関係者は暗号作業の秘匿第一に、全資料を焼却した後でした。
 やっと最近になって米国側資料から米国の意思を読み取ることができるようになりましたが、日本の歴史権威筋は、とかく認めようとは致しません。彼らは「敗戦利得者」なのです。
 若人のみなさん、日本の免罪に勉強して下さい。
 鈴木敏明さんの『大東亜戦争はアメリカが悪い』をぜひ読んで下さいね!

森 武蔵の守 より:
2014年9月25日 6:54 PM
 遺品の「返還」の字が間違っていましたね、ごめんなさい。
 今日、日本で酷く破損した御遺体の修復ができるのは、伝統ある訓練を受けた日本赤十字の看護婦さん方々だけなのです。この時も昔にかわらぬ「戦地出動服」と申すのでしょうか、そのいでたちでおいで下さったと聞きます、看護婦の皆様ありがとうございました。

 東山幕僚長は記者達に対してこの時、「私は部下を信頼しております!」と強く云い切っておられます。日本を継ぐ若人の皆さん、貴方がたが将来人の上に立つとき、この態度を忘れないで下さいね。この言葉でどれだけ現場の人間の、トップに対する信頼が揺るがず高まったか。
 管理職者としての責任は自ら取る、決して会議体の責任にしてはならぬ事、覚えていて下さいね。ましてや社長たる者が、決して土下座などしてはなりません。
 さらに武士たる者、敗者に土下座など要求してはなりません。
 つい往時を思い出し要らぬことを、失礼いたしました。

terag3 より:
2014年9月26日 1:36 PM
森 武蔵の守さん

このたびのコメントの中で、>一国の文化は百年や二百年で簡単に変わるものではない、と捉えるのが
世界中の軍人達の一般的常識であり、敵国は戦いに際して、必ず事前に相手国の戦例を研究してきます。
・・・・と仰っていますが至言です。

反戦平和を主張して、二度と英霊を出すな、孫たちに平和な日本を残していくために憲法9条をこれからも
守っていくべきであると一見、誠にご尤もな主張も多々有りますが、平和を守るためには、他国に侮られない
ような武力、実力を兼ね備えておかねばなりません。

戦争を研究し尽くしている自衛隊員は、これを十分理解して日々訓練に明け暮れていますが何も知らない
一般の民間人たちは、この点の認識が全然有りませんのでただ単に平和、平和と叫ぶばかりで戦争から
逃れられるものと思いこんでいるから混乱が生じているのです。

さて、話を裁判官に戻しますが、このたびの神戸市の小学校1年生、生田美玲ちゃん(6歳)の殺人バラバラ
死体遺棄事件で、47歳の明らかに出来そこないの容疑者が確保されましたが、なんだか精神鑑定が必要
であるなどと報じられています。

このような社会でもっとも弱者である、何の罪もない幼児が無残にも大の大人に殺されて、バラバラにされて
遺棄されるとは、人間性の欠片も無いような悪逆非道なる犯罪行為であります。
人を殺すことなど、何とも思わなくなるのが精神異常者なのです。精神が正常ならば、人間として残虐行為
など絶対に出来ないはずです。

そのような犯罪者が、精神異常者だったからと処罰されない現行法制度はそれこそ異常では有りませんか?
ストーカーも反省などしません。何度警察から忠告を受けても繰り返します。これらの精神異常者をこの世に
放置している現状を何と心得ているのか!

少年犯罪法でも、厳罰化になりました。当然です。世の中に害をなす、犯罪者は何としてでも根絶しなければ
なりません。反戦平和ばかり唱えていても、この世の中、不条理が山積しているではありませんか!!
もっと庶民が安心して暮らせる平和な世の中にするために個人主義を排して、世のため人のためになるような
教育と法制度を再構築していくべきだと痛感しています。

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