林千勝著「日米開戦陸軍の勝算」(祥伝社)

林氏は、1961年生まれだからまだ50代です。このように若い人が大東亜戦争を研究してくれるということは、私のような年寄にとって非常にうれしいことです。世間では保守知識人の中にも、「いつまでも大東亜戦争の話でもないだろう、もう70年も前の話だ。もういいかげんにしろ」などという人もいる。私に言わせれば、そんなことをいう人を軽蔑してしまいます。私たちは、日本人のほとんど全員が大東亜戦争は、日本が正義で悪いのがアメリカだといのが常識になるまで、戦い続けなければならないのだ。その意味でこの「日米開戦 陸軍の勝算」は日本人の自虐史観を払拭するのに役にたつ一書である。
大日本帝国陸軍は、昭和14年秋、わが国の最高頭脳を集めた本格的なシンクタンク「陸軍省戦争経済研究班」をスタートさせた。わが国に経済国力がないことを前提として、対英米の総力戦に向けての打開策を研究するためです。開戦のおよそ二年前のことであった。この「陸軍省戦争経済研究班」を率いたのが秋丸次郎中佐なので「秋丸機関」と呼ばれ、その研究リーダーは有沢広巳経済学者だった。本書はこの秋丸機関の詳細な計画が語られています。この計画で対米戦に勝てると確信した時点でその勝利計画をぶちこわしたのが真珠湾攻撃を行った山本連合艦隊司令長官だというのだ。いまから20年前ぐらい前、私が定年に近づいたころ、そのころはまだ山本長官は、非常な有名人であまり彼を悪く言う人は少なかったと思う。しかし大東亜戦争の研究が進むにつれて彼を悪くいう人が多くなったと思う。しかし元海軍軍人は山本を悪く言う人は少なかったと思うし、元陸軍軍人は東条を悪く言う人も少なかったと思う。元軍人が極端に少なくなった現在、山本も東条も公平に人物評価ができるでしょう。私の山本評価も実に低い。

戦後になると、帝国陸軍が科学的、合理的であり高度で正確な認識をもっていたことは、米占領軍にとって不都合な真実であった。彼らは、日本陸軍が無謀な戦争へと暴走したものにしたかったのだ。そのため「陸軍省戦争経済研究所」の真実の物語がGHQによって抹殺された。有沢広巳のような学者たち、秋丸次郎のような軍人たちにとって「陸軍省戦争経済研究班」で大東亜戦争の戦略立案に貢献したという事実は、不都合な真実であった。有沢も秋丸も二人とも回顧録をだしているが、「秋丸機関が陸軍に戦争することを思いとどまらせることに努めたにもかかわらず、陸軍がそれを顧みずに開戦へと暴走した」とうそを書いてGHQに貢献しているのだ。有沢は親中派の代表的人物になり、「中国侵略の贖罪」として蔵書二万冊を中国社会学院日本研究所へ寄贈し「有沢弘巳文庫」を設立した。「日本は中国に謝り続け、アメリカに感謝し続けなければならない」のが彼の持論です。東京大学名誉教授、法政大学総長日本学士院長を務め叙勲一等綬瑞宝章、授旭日大綬章などいわば戦後レジームの立役者になり、私の著書「逆境に生きた日本人」に入れたい人物になっていたのだ。祥伝社新書版だから250頁の小冊子です、しかし頁数にしては内容が深い。えんだんじが一読を勧める本である。

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