体罰は暴力ではありません。



大阪市立桜宮高校2年のバスケットボール部主将が同部の顧問教諭から体罰を受け、その翌日(12月1日)自殺した事件について新聞、テレビなどいわゆるマスコミで大騒ぎでした。まるでマスコミは、今度の選挙で自民の大勝、民主の大敗にがっくりきて、そのうさはらしに体罰いじめが始まったような感じがしないでもない。現職の橋下市長も最初は、「体罰は愛情だ」などと公言していたのが、巨人の元投手、桑田の体罰拒否発言に動かされたふりをしたのでしょう、俄然と体罰自殺に関する体罰を批判しはじめた。市教委は、ただちにバスケとバレー両部の無期限活動停止を決めた。橋下市長は、1月15日には2月13,14日は、入学願書受付の日なのだが、体育科80人とスポーツ健康科学科40人の入試の中止を市教委に要請した。市教委は1月21日に入試を中止するかどうか決定するのですが、橋下市長は、入試が中止されなければ、市長の権限である教育予算の執行停止などの対抗手段をとる考えを示しているのだ。一方下村文部科学大臣は、文科省は、大阪市教委に入試中止の命令を下す権限はないが、来月にも入学願書を受け付ける段階で入学中止とは、おかしいのではないかという判断をしめしています。

そして先月1月21日、大阪市教育委員会は、桜宮高校の体育系学科の募集定員120人(体育科80人、保健科学科40人)の募集を中止し、定員120人分を普通科として募集することに決めた。橋下市長の入試中止の要求を答えると同時に来月にも受験が始まるという直前の受験生のためにも体育系学科中止の分と同じ生徒数を普通科に増やす処置を取ったことになります。要するに市長側にも受験生側にも配慮を示した形で終わったのだ。はたしてこれが一番良い、懸命な解決策なのだろうか。

日本のマスコミがあまりにも偏向しているから、一概に結論を出すのもおかしいのですが、マスコミの報道どおりに解釈していたら、私に言わせたら日本人は、皆バカと言わざるを得なくなります。バスケットボール部の顧問教諭が主将に体罰を加えた。その主将がそのため自殺した。そのため体罰そのものや体罰を加えた顧問教諭だけに非難、批判が集中され、自殺した主将には批判、や非難は何も向けられない。これはちょっと異常な行動ではないでしょうか。バスケの顧問教諭は、昨日今日顧問教諭になったわけではない。15年間も顧問教諭をやっていたのだ。一昨年9月にバスケの体罰が発覚し保護者が校長に手紙を書いたが、改善せず、今度は保護者が市教委に体罰を訴えた。そのため顧問教諭は、停職3ヶ月の処分を受けた。その処分が解けた顧問教諭はバスケ部に復帰、去年11月に体罰を繰り返し、12月1日に主将が自殺した。

要するに主将は、バスケ部に入部する時から体罰があることは充分知っていたのだ。ところが自分が主将になった時から、主将のせいでしょう自分一人が体罰を受ける回数が増えたのだ。これが耐えがたかったのだ。なぜ自分だけ体罰を受けるのか。自殺前に書き残した手紙にはそう書いてあった。ここで私が、強調したいのは、なぜ自殺をしなければならないのかという精神的弱さが世間に強調されねばならないのに、まるで日本全体がその精神的弱さをあえて指摘してはならないような雰囲気になっていることです。

昨年は十数年ぶりに年間自殺者が3万人を切ったらしい。これまで12,3年、毎年自殺者が3万人以上だった。そのためテレビや新聞などマスコミで自殺者数の問題がとりあげられた。特に若者の自殺者の増加が深刻であった。あれこれと自殺対策を考えるのに夢中で、精神的に強い人間を育てあげるにはどうしたら良いかという観点で考えることが全くないと言っていい。それどころか、国は若者にもっと夢や希望を持てる社会をつくらなければだめだと言うのだ。ふざけるなと言いたい。一体世界のどこに多くの若者が夢や希望のもてる国に住んでいるとういうのだ。若者には、どんなきびしい生活状態でも少しでも上をめざして進むのが若者の道でしょう。ところがこの自殺したバスケの主将は、なにごとにつけ体罰を受けるのがいやなら、退部すればいいものを退部しようともしない。要するに若者特有の反抗心すらないのだ。この自殺した若者の精神的弱さに対する批判が一切なくこの事件が処理され、体罰だけが全面的に否定されたら、一体世の中の若者はどうなるのであろうか。

そして今度は日本女子柔道部15人に体罰を振るう監督への抗議の手紙です。大事件になり監督は辞任した。若い日本国民に知ってもらいたいのは、体罰のやりすぎは、暴力になってしまいがちになりますが、体罰は、原則として暴力ではないことです。私は子供三人を育てました。勿論、体罰を加えました。特に息子には、鍛える意味もあってたまに激しい体罰を加えたこともあります。しかし体罰をする人間にとって体罰が常習化しないことが肝心なのです。スポーツ指導者にとって体罰の常習化は、逆効果を生むだけなのです。体罰のどこまで許されるかの判断は、非常にむずかしいのが常識です。現在の若者が、私のような昔の人間より体罰に弱いことは確かです。だから体罰が昔より手加減がむずかしいことも確かです。

大阪市の外部監察チームが桜宮高校の全生徒約840人人にアンケート調査をした。その結果8パーセントにあたる約70人が体罰を受けたことがあると云っています。大半が運動部体育系二科(360人)の9パーセントで、普通科(480人)は約7パーセントが体罰を受けたと回答しています。体罰が日常化していることがわかりますが、体罰は暴力でないことがわかります。一つ、一つの体罰がすべて暴力であったら、体罰は長続きしません。暴力と思わないから多くの生徒がだまって受け入れるのです。従って体罰は、悪だからすべて中止すべきなどと主張すべきではありません。それより体罰を課す人たちに体罰の仕方を教えてあげるのが最良の策ではないでしょうか。

私は、自分のブログで何回か主張してきましたが、ここでも繰り返します。人生とは何かと問われれば、「人生とは戦いである」と答えます。人生とは戦いそのものなのです。健康な体を持った、若い青年が自殺するなど最低の人間のすることです。私の若い頃自分の息子が小学一、二年のころ、私が自分のマンションの窓から偶然見ていたのですが、年上の男の子となぐりあったり、くんずほぐれつとけんかしていた。最後は押さえつけられた息子が泣いた。そこで男の子はけんかをやめた。私はすぐに部屋を飛び出し、息子の所へゆき、息子の頬をおもいっきり殴った。「けんかに負けて泣くやつがどこにいるか!」「負けても泣くな!」とものすごい剣幕の大声でわめいた。私に言わせれば子供が自殺をするのは、親の教育が悪いのだ。現在の親は、どうしようもない不埒な子供がそのまま大人になっても勘当することもできないのだ。腑抜けな親には、腑抜けの子供が育つ。現在は頭の良い子より、精神的にタフな子供の方が将来性が高い。
今度の桜宮高校の体罰問題、体罰を下した学校の教諭が、七、八割悪く、自殺した生徒は二、三割悪いのだ。自殺者が何も批判、非難されないのは異常というほかはありません。

13 comments »

  1. terag3 より:

    えんだんじさん

    体罰問題についてえんだんじさんに、全く同感です。
    体罰がどうしても耐えられなければ、退部すれば良かったのです。
    自殺するなどと言うのは最低の選択です。嫌なら退部して暴力的な体罰を
    告発する方へその勇気を回せば良かったのです。

    第一、その子の親は何をやっていたのか、子供のそういう普段の兆候に
    何も気付いていなかったのか。

    私の3人の子供たちにも体罰はやりました。長男が我が家の門限23:00
    を守らずに帰宅した時には、玄関で待ち構えていてガツンと一発喰らわせ
    ました。勿論、長女や次女にも門限破りは許しませんでした。
    ただし家内が「女の子だから、顔はやめてね!」と叫ぶので、髪の毛を掴み
    引き倒して尻をぶん殴って少し手加減をしましたがね・・・・

    要するに体罰は暴力に見えて暴力に有らず、ルール違反や悪事をした
    場合にそれはいけないことだと強く、戒め反省を促す行為なのです。
    軍隊でもそうですが、気合いを入れるために該当者を並ばせて足を開け
    歯を食いしばれと号令をかけて、ビンタを喰らわせるので、口内を傷つけ
    る事も無かったのです。

    鼻血を出したり、鼓膜を破ったり、怪我をさせたりするのは体罰では無く
    それは暴力になります。
    現代の教師や指導者は、体罰のやり方を全然理解していない、そこに
    大きな問題が有ると感じています。

    体罰としてグラウンド10周させられたり、腕立て伏せを2~30回もやら
    されたり痛い思いでは無く、辛い思いをさせるのも体罰であり、その後は
    指導者からのフォローが有ったので、受けた方も納得するのです。

    <人生とは戦いだ>という、えんだんじさんに同感です。そのくらいで
    へこたれるような弱い人間になってはいけません。
    指導者も体罰は、どのようにすれば良いか学ぶことが絶対に必要です。

  2. terag3 より:

    えんだんじさん

    先ほどのコメントの中で、我が家の子供たちが高校生時代の門限について
    23:00と、書きましたが22:00の間違いでしたので訂正します。

    夜に帰宅するときは遅くとも22:00までに帰って来いと子供たちに言い渡し
    てありその時間までに帰ってこないと、玄関に待ち構えていて門限過ぎれば
    叱りつけるのですが、たまたま次女が30分ぐらい遅れて帰宅した時に家内が
    対応して叱ったところ、ふてくされて出て行こうとしたので今度は私が追いかけ
    捕まえて引きずり倒したと言うのが真相です。

    今では3人とも素直に育ち幸せな家庭を築き、近くに住んでいるので、週末に
    なると一家揃って孫たちと共に我が家に集まり、ホームパーティで楽しく酒を
    酌み交わしています。以上、蛇足ながら付け加えさせて頂きました。

  3. えんだんじ より:

    terag3さん

    teragさんは、いい夫婦、いいご両親です。だから家族仲がいいのです。
    子供が自殺する両親は一体なにを教育していたのか全く理解できませんね。
    教育を学校まかせにしてきたのではないでしょうか。

  4. 虎八 より:

    私は罰則はある程度は必要だと思っております
    唯桜宮高校や女子柔道の問題は違う様です
    運動部等の組織では挨拶代わりに殴る事が常識とされ、それを受け入れない者を認めないと云う風潮がある所があります
    私より随分年上の方ですが、
    戦時中に小学生 終戦後に中学生位だった方が「私は以上でも以下でもない関係で行きたい 他で失礼な事をしてまで、特定の人間に絶対服従は出来ない」と云う所がありました
    貧しいとか男尊女卑とかでは無く、「理屈の正しさ」で判断する者が敬遠されている風潮です
    偏見で申し訳ありませんが、普通の教師が当たり前の事を注意する事が腹が立ち反抗し、怖い教師や先輩の存在に於いて枠組みに入り、その理不尽さ(私が理不尽と思うが彼らは思わない)も受け入れ、(唯理不尽なだけでなくそこには愛情や優しさもある又ある競技に於いても向上する)
    普通の教師やクラスメートに反抗を行うが、怖い教師の存在があるので抑止力になっている だから怖い教師や先輩には感謝していると云うことでした
    前者は藤子不二夫A氏や藤子氏の漫画
    少年時代の原作者柏原兵三氏はこう言っておられました
    後者は赤井英和氏等
    やはり後者の考え方が主流で
    後者のタイプなら桜宮高校の問題も起こらなかったのですね
    私はどちらかと云うと藤子氏 柏原氏に近い感覚ですが
    その時点で覇気がない人間なんですね
    この当たりが運動部の矛盾を生み出していると思います
    私等は後者の気質に改革しなければならないのでしょうか?
    ご回答宜しくお願い致します

  5. えんだんじ より:

    虎八さん

    虎八さん、おひさしぶりですねぇ。虎八さんの今回の文章少し分かりにくいです。そこで私のブログ記事をもう一度読みなおしました。内容はしごく明快です。なんて答えてよいのかわからないのですが、「運動部などでは、挨拶代わりになぐられるのが常識みたいになっている云々」、私だったらそんな運動部には、入りません。

    「理屈の正しさ」で判断する者が敬遠されるてる。それでも私は、「理屈の正しさ」を主張します。例え村八分にあっても。要するに私が主張したいのは、何事にも信念を持てということです。信念を持っていたからとしても成功するとはかぎりません。それでも自分の信念をつらぬく気構えが必要じゃないでしょうか。答えになっているでしょうか。

  6. むの より:

    ではここに書かれていることを遺族の前で主張されたらいかがですか?
    出来ればの話ですけど。
    顧問は葬式の場で自分の非を認めて謝罪したんですよ。遺族の前でね。
    遺族に非があればはじめからそんなことはしませんよね?
    処分もされませんよね?

  7. えんだんじ より:

    ものさん
    ブログへのコメントありがとうございます。ものさんの考え方はよく理解できます。私は自殺した人に言いたいのです。なぜ、それほどつらいのならやめなかったのですか。自殺するよりよっぽどいいではないですか。
    会社の仕事で自殺する人もそうです。どうしてもいやだったら辞めればいいではないですか。時には死者にむちうつことも必要ではないでしょうか。
    あまりにも精神的に弱すぎるのではないでしょうか。

  8. サウザー より:

    日本は、今後数十年間は、体罰を容認する事は無いと思われます。
    それが正しのであれば、えんだんじさんは、時代を読めていない。
    えんだんじさんは、今日の時点から見て、書かれた論評をどのように評価されますか?

    加えて、えんだんじさんは、「体罰は暴力ではない」と書かれていますが、詳しく論じておられません。
    体罰と暴力に関して、それぞれどの様に定義されますか?

  9. えんだんじ より:

    サウザーさん

    ブログへのコメントありがとうございます。
    サウザーさんは、体罰と暴力とはどう違うのか教えていただけませんか。

  10. サウザー より:

    >体罰のやりすぎは、暴力になってしまいがちになりますが、体罰は、原則として暴力ではないことです。

    法学・社会学・政治学とその基盤となる哲学に措ける「暴力」の意味と、えんだんじさんが抱いておられる「暴力」の意味は、明らかに違っています。
    体罰は、用いられた規模によって暴力と区別される訳ではありません。
    仮に、体罰が用いられた事によって、子供に幸福と発展のみをもたらしても、或いは体罰が少量しか用いられなくても、体罰は暴力の一種です。
    あなたは、暴力の意味を理解していないから、体罰と暴力の関係性も理解していないし、用法を間違えています。
    そして、言葉は認識に影響を与えますから、言葉の誤用は認識のズレを引き起こします。
    おそらく、あなたの体罰の使用論にも悪影響が出ている筈です。

    体罰、暴力をそれぞれ論じてください。
    是非、伺いたいです。

    ちなみに、私は、体罰否定派にして、暴力肯定派です。

  11. えんだんじ より:

    サウザーさん

    あなたは、まだ若いし、子供すらいない人ではないかと想像しています。
    法学、社会学、政治学など人間の持つ「情」にはほとんど何もやくだたないでしょう。なぜなら、体罰には必ず「情」が伴うからです。だから家庭では、子供の躾のために体罰が利用されるのです。ところが最近では、子供の人権などと言って家庭内での体罰さえ歓迎されないことが多いのです。そのため子供たちは、精神的にひ弱になり、いじめられては自殺し、社会に出ても自殺したり、うつ病になる。
    私には子供三人ます、一人は大学出で、二人は高卒です。独立独歩で社会で活躍し、今では私は孫三人います。体罰と暴力の違いを分かりやすく
    言えば、情が伴うかどうかです。

    サウザーさんのように、体罰否定派にして暴力肯定派に育てられた
    子供は、どんな人間になるかゾットします。

  12. サウザー より:

    三島由紀夫や西尾幹二の言う「暴力」と私の言う「暴力」の意味は、一致しています。
    当然、社会学・法学・政治学と、その基盤となる哲学・文学とも、一致しています。
    そうでないのは、今時の知的水準の低い論壇の悪影響を受けた庶民が信じる「暴力」の意味であり、どうやら、鈴木敏明さんもその庶民に含まれるようです。
    三島由紀夫の「暴力観」をhttp://www.youtube.com/watch?v=5wLaND09VF8から抜粋
    1分15秒~「私は、生まれてから一度も暴力に反対したことが無い」
    西尾幹二の「暴力観」をhttp://www.nishiokanji.jp/blog/?p=609から抜粋
    「いじめは私の子供時代からありましたが、いじめで自殺する子供はいませんでした。昔の子供は心が強かったからでしょうか。そうではなく、社会の基本には暴力があり、暴力を抑えるには暴力しかなく、暴力を道徳で抑えることは不可能だ、という当たり前の常識が普及していたからです。」

    つまり、知の巨人である三島由紀夫や西尾幹二が使用している様に、元来の「暴力」と言う言葉の意味は、決して「悪」の意味が満ちている訳ではなくて、「清濁併せ持った状態」であり、犯罪としての暴行は勿論の事、正当防衛・武術・戦争・体罰も暴力に含まれるのです。
    しかし、先日、私が指摘したとおりに、基礎学力の足りない鈴木敏明さんは、「暴力」と言う言葉の意味を正確には理解しておらず誤用しています。
    加えて、私は「そして、言葉は認識に影響を与えますから、言葉の誤用は認識のズレを引き起こします。」とも書いています。
    この「認識のズレ」が鈴木敏明さんの身に起こっている可能性がある事に、ゾットして下さい。

    さて、ここのコメント欄では限界がありますので、私が体罰を否定する理由を相手に説明する手順を以下に簡単に書きましたので、それに変えて、是非理解してください。
    ①~④は、体罰に関してではなくて、その前段階に理解してもらわなければならない基礎の部分です。
    ⑤~⑦は、人間そのものと、人間が作る社会の複雑さに関しての部分です。
       ⑧は、体罰が許されるか否かを、現在と未来の価値観を論じて説明する部分です。
       ⑨は、①~⑧を総動員して、体罰を批判する部分です。

    ①、西尾幹二が述べている様に、「自殺」と「心の弱さ」には因果関係がない事を、心理学的に「大和民族の強さと自殺に見るその精神構造」の一部として論証する。
    ②、いまさら人権を否定しては行政が正当性を失って立ち行かなくなる事を考慮せずに、まるで外野から石を投げて非難する当事者意識が欠如した昨今の保守論壇に現れたバーチャル思考を批評する事で、「政治とは何か?  政治家とは何者か?」に関する哲学上の深みを説明し、行政に対する庶民に求められる適切な妥協範囲を一般論で論じて政治学を昇華する。
    ※鈴木敏明さんにも、その様な特徴が強く出ていますので、気をつけてください。
    ③、情報化社会が人々に与える悪影響に関して、実態は「暴力とは、清濁併せ持った状態」と受け止めるべき所を「善なる体罰」と「悪なる暴力」とに分けて考える鈴木敏明さんを含む現代人の思考の歪みの原因を論証し、警告を発する。
    ※情報化社会では、人々は、情報量の多さに負けてしまい、任意の情報に関して主要な観念のみを残して簡略化して解釈するしか仕方がなく、その結果、分析をおろそかにして事の「善、悪」の評価を急ぎ過ぎ、その後に思考のすり合わせを行う傾向が強い。
    私は、これを「評価先行型思考」、或いは、そのような傾向の強い社会を「評価先行型社会」と呼んでいます。
    深い思考よりも評価が先行すると、短絡的に下された「正義」を止めることが難しくなり、正義の負の面による被害が拡大する。
    因みに、保守派と呼ばれる人たちが体罰や戦争行為を「有形力の行使」、軍隊を「実行部隊」「実力部隊」と言い換えようとしています。
    私は、独立国家には軍事力の保有が不可欠と考えますが、戦争行為や軍隊を「綺麗な言葉」に置き換える事は大変危険であり、大反対です。
    最近の社会学者の中には、国家権力に阿って、政治家が国民を説得し易い罪悪感の少ない言葉や考え方を提供する、曲学阿世の徒が蠢いているのです。http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51501855.html
    同様に、「善なる体罰」と「悪なる暴力」とに分ける行為は、実態に則さず大変危険であり、憎むべき御用学者による洗脳の影響と思われます。

    ④、弁証法の「知識の集積が引き起こす量質転化」を用いた思考回路の段階的な変質を論じることで、子供と大人の違いとは何かを合わせて論証し、更に進めて大人が受け入れている人間の不完全さを哲学的に説明して、その不完全な人間が行う「選択」に影響を与える「観念」のモジュール説明とその非合理的さを肯定的に論じる。
    その結果、「そもそも、反抗期とは、何に対する反抗なのか?」に関する説明が、ようやく可能となる。

    ⑤、前提内思考ではそれが正しいか否かを証明することが出来ない事を哲学的に論証し、更に、人が思い込みに陥り抜け出せなくなる理由と且つ暴力が用いられた事によって当事者(行った者と受けた者)と傍観者に起きる思考回路の変質を心理学的に説明する。
    右を踏まえた上で文学に切り替えて、前提内思考に陥った強者が他者との間に知らずして引き起こす齟齬が新たな齟齬を連鎖的且つ長期的に引き起こした結果、前提内思考が段階的に強化されてしまい、専門家でなければ理解すらできない程の人間関係の複雑化と悪化に至り、それに対処する術を持たない庶民に残された選択肢は逆に実にシンプルな事に「絶交」か「殺人」でしかない事を、小説を読み聞かせて疑似体験させる。
    ⑥、「成功体験に基づく行動は、その人を不幸にする事が多くある」事を、心理学と文学と哲学を用いて説明する。
    ⑦、非平時(特殊な時代)に措ける民衆の選択の範囲を論じ、且つ、個人の価値観に時代背景が与える影響と、故に起きてしまう世代間格差による摩擦を考察する。
    その結果、人間が社会的且つ相対的な生き物である事の説明が可能となる。

    ⑧、私の知る限りの知識を総動員して、科学・心理学・文学・哲学・歴史・政治学・地政学・経済学・戦争学・統計学を用いて、現在と未来を論じます。
    その結果、体罰が許されざる時代に突入する事、即ち、先日、私が、「日本は、今後数十年間は、体罰を容認する事は無いと思われます。それが正しのであれば、えんだんじさんは、時代を読めていない。」と書いた理由が理解できるはずです。

    ⑨、体罰によって共同体が破壊される過程を心理学的に論証し、共同体を失った国家に起きる変質に関して、一神教国家やスターリン主義に陥ったソ連の事例を引用して「共同体を失った国家が向かう巨大化と、その将来に起きる熔解」と題して社会学的に批評し、警告を発する。

    ⑩、余談。
    心理学的に見ても、哲学的に見ても、体罰を受けた者は、父の暴力によって阻まれ歪められる情念・利己・正義・人格・真実・立場など守る必要性を痛感する。大塩平八郎や吉田松陰などを見ても分かるように、テロリズムに走る傾向が強い。残念ながら、この世には暴力でしか突破できない事が存在する事は事実だが、事を急ぎ短絡な行動とる者は愚者と言う外ない。

    次に、生理学的に見ると、体罰によるストレスは前頭葉を中心に脳を溶かす事が、熊本大学とハーバード大医の共同研究で指摘されています。
    前頭葉とは何か?http://blog.goo.ne.jp/senses1123/e/0512a5c1ce0f48a8de6682e541422f41
    「どものころ長期にわたり強い体罰を受けた人は、受けていない人より脳の前頭葉の一部が最大で約19%縮んでいる。」
    http://saigaijyouhou.com/blog-entry-314.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitterを参照されたい。
    アメリカで行われた調査では、凶悪犯罪による受刑者の多くが、犯罪歴の無い人々と比較して、理性を司る「前頭葉」の血流が10%以上も少ない。(之に関しては、私の記憶ではハーバード大学だったと思うのですが、資料が見つけられませんでした。)
    大阪池田小学校で起こった乱入児童殺傷事件の犯人は、過去の事故によって前頭葉の損傷を負っていた事で、理性が欠如している可能性がある事が指摘されています。
    http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%85%E9%96%93%E5%AE%88-%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E9%91%91%E5%AE%9A%E6%9B%B8%E2%80%95%E2%80%95%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%81%A8%E5%88%91%E4%BA%8B%E5%8F%B8%E6%B3%95%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%96%E3%81%BE%E3%81%A7-%E5%B2%A1%E6%B1%9F-%E6%99%83/dp/4750513105/ref=sr_1_1/378-5108553-1362667?ie=UTF8&qid=1375569354&sr=8-1&keywords=%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

    —————————————————————————-
    以上が、体罰の是非を論じる為の、最低限の作業内容です。
    くどい様ですが、ここのコメント欄では①~⑨の各論文を掲載する事は出来ませんので、作業内容が想像し易い様に各タイトルでかなりの説明をしておりますので、それで理解してください。

    それから、「体罰と暴力の違いを分かりやすく言えば、情が伴うかどうかです。」と書いておられますが、行政に感情を反映をさせる事は、至難の業です。
    法律としの構築が困難である問題を扱う際に、心情を用いて発言する事は、法律としての理論的な構築作業をしていない事の自白であり、当事者意識の欠如と言う外ありません。

    加えて、「子供たちは、精神的にひ弱になり、いじめられては自殺し、社会に出ても自殺したり、うつ病になる。」に対する反論を行います。

    先ず、貴方は、現代っ子の精神のひ弱さをデータを下に論証をするべきです。おそらく不可能でしょうが。
    そもそも、人間が自殺を行う為には、脳の思考回路にそのような選択肢が存在する必要があります。
    つまり、自殺と言う知識を知っていなければならないからには、世界的に見ても自殺率の高い大和民族には、その様な文化的特徴が備わっていると言えます。
    有色人種最強の国家である日本の主要民族である大和民族には、歴史的に見ても自殺は切り離せない文化です。
    それは、弱さを意味するのではなくて、行動形態を意味するのです。
    虐めと自殺の因果関係は、強いて言えば、精神の弱さが原因なのではなくて、選択肢の中に「戦う」が無い事が原因と思われます。
    その理由は、本来グレーである暴力から、許されるモノを白として切り離して暴力を黒一色する事で否定し、白を独占する権力者と何も持たざる庶民となってしまった事だと思います。
    「言葉は認識に影響を与えるからには、言葉の誤用は認識にズレをきたす」と、何度も主張している通りに、実態に即さない言葉は正さなければなりません。
    その結果、グレーゾーンに踏み込む事が許される社会に変わり、子供達に「喧嘩」と言う正当防衛が回復されるのです。

    それから、自殺率の推移を見る限りでは、貴方の考えは、とんちんかんと言えます。http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2774.html
    うつ病に関しても、脳の血管の詰まりや脳内物質の分泌量の低下なども原因であり、医師でも認知症との区別を誤ることがありますので、勝手な判断は、絶対にしないで下さい。
    源氏物語を読めば、うつ病が現代特有の病で無い事も理解できる筈です。

  13. えんだんじ より:

    サウザーさん

    私も暴力には暴力を持って制するとうことは知っております。暴力を広い意味で捉えているのです。しかし体罰は、主に家庭、学校、あるは運動団体などで起こることです。体罰は暴力にとらえてもいけないし、暴力であってもいけないのです。基礎学力の足りない、一般庶民の私と知識偏重のあなとは、意見が永遠に一致しないと思いますのでこのへんで議論はやめましょう。これまでありがとうございました。

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