翻訳余話(2)



南京事件
大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」では、534頁から547頁にかけていわゆる「南京虐殺事件」が語られています。この本が出版されたのが平成16(2004)年の7月です。平成16(2004)年までに明らかにになっている南京虐殺事件の疑問点を全部網羅しているつもりです。ところがその後南京虐殺事件がなかったことを証明する史実が二つ発見されました。私はこの大作の翻訳につては、全文を英訳し、英訳から削除したり、英訳文を付け加えることはしない方針でしたが、南京事件は非常に重要な歴史的事件なので、最新の史実二つを翻訳することに決め、原文に追加することにしました。追加の日本文は、次のようになります。
引用開始
「この作品の出版後に、南京虐殺があり得なかったことを証明する決定的な資料が二つ発見されました。一つは、平成15(2003)年、台北の国民党党史館で「極機密」の印が押された『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』が発見されたことです。これは南京戦が起こる前月、1937年11月に国共合作下の国民党が、中央宣伝部の中に国際宣伝処をつくり、一年足らずの間に三百回もの国際記者会見を行った記録です。この中に南京虐殺の話は一度も出ていません。どんな些細なことでも日本軍の非道ぶりを国際発信していたこの時期に、まったく南京虐殺に触れなかったというのは、そういう事実がなかったことを示しています。

もう一つは、逃亡した南京行政府に代わって日本軍に拘束されることのないアメリカ人宣教師や外国人が、国際委員会を結成して南京市内の一地域に安全地帯を作った時の記録です。この委員会の活動記録が「Documents of the Nanking Safety Zone」と題して、国民党政府の国際問題委員会が監修し、1939年に上海のKelly & Walsh社から刊行されています。
この本に南京市民の人口が連日記録されていますが、南京陥落の12月は20万人で推移しており、一月になるとむしろ25万人と増えているのです。市民の食料の面倒をみていた国際委員会の記録であり、極めて正確な数字と言わざるを得ません。これのどこにも虐殺の記載がありません。
しかも、南京市民が国際委員会に持ち込んだクレームを真偽を問わず全てタイプしたものが、Documents の中の「不法行為の事例」ですが、殺人に関するものはわずか26件です。そのうち目撃されたものはたった一件で、あとはすべて伝聞です。目撃の一件は誰何されたシナ兵が逃亡しようとして射殺されたものです。
当時のシナ政府が監修して出版させた本の中ですらこの数字です。大虐殺の片鱗も無いことをシナ政府自身の文章で証明しているというのが真実です。
日本には「あることは証明できても、無いことは証明できない」と言う人がいますが、それは言葉上の遊びにすぎません。この二つの文章ほど客観的な物的証拠はないでしょう。なにしろ日本と戦っていた国共合作下の政府から出ている紛れもない文章がそう示しているのですから。

ついでにこの翻訳文も掲げておきましょう。
引用開始
「Finally, the following two historical facts were discovered after the Japanese version of this book was published in 2005.

1.
In 2003, a document titled “Central Propaganda Department: International Propaganda Agency Outline”, which was sealed and labeled “ Top Secret”, was discovered at the Kuomintang History Library in Taipei.
This document is a record of about three hundred international press conferences held in one year by the Kuomintang International Propaganda Agency. (The International Propaganda Agency was organized as under the Kuomintang Central Propaganda Department in November, 1937; one month prior to the battle of Nanking.)
This document makes no mention of any “Nanking Massacre” at all.
Considering that the Kuomintang Party dispatched even the trivial misconduct of Japanese army to the world at their press conference during this period.
This absence may be regarded as evidence indicating that no such “Nanking Massacre”has taken place.

2.
There is another record. As a substitute for the Nanking government which had deserted the city, the American pastors and foreigners, (who had no danger to be arrested by the Japanese Army), formed “International Committee”, and set up a “Safety Zone” in the area of Nanking city. This record of activities of the committee was published as a book, titled “Documents of the Nanking Safety Zone” in 1939 from Kelly
& Walsh Company in Shanghai. The book publication was supervised by the International Committee of Kuomintang government.

In the book, the population of Nanking city is recorded. In December,1937, the month the city fell, the city population was around two hundred thousand. And surprisingly, in January, 1938, the population increased to two hundred fifty thousand. These numbers of the city population must be accurate as they were recorded by the foreign International Committee which looked after supply of provisions for the citizens of Nanking. No word of “massacre” is found in this book.
Moreover, in this book, we find a list of “case of illegal conduct by the Japanese soldiers”,
which was a list of actions claimed and reported by the Nanking citizens to the foreign
“International Committee”(The committee listed all the cases reported by the citizens without verifying if the cases were fact or not.)
Only twenty-six cases were stated regarding “murders” in this list.
Among these twenty six cases, only one case had an actual eye witness of murder, while the remaining twenty five cases were only rumors. The single case which had an actual eye witness was simply the occasion of an arrested Chinese soldier who tried to escape being shot by a Japanese soldier.
Thus, the book which was supervised and published by the Kuomintang government revealed no evidence of “mass murder”. From this , we can say this book is equivalent to the Chinese government itself providing denial of the fact of a “Nanking Massacre”.

In Japan, it is said that “we can prove a thing what happened, but no things that did not happen”. This, however, is only a tick of word, I believe.
There is no other stronger objective evidence than these two documents presented above.
Needless to say, the top secret document and the book were indeed the publications of the Kuomintang-Communist joint government, who fought the war with Japan.

この話題からはずれますが、先月、4月24、25日には、「新しい歴史教科書をつくる会」神奈川支部主催の下に「南京の真実」パネル展が神奈川県民センターで開かれました。簡単に言えば、南京虐殺事件がなかった証拠展みたいなものです。私は4月24日、一日中会場にいましたが、その日はなんとなく寒く、風は強く雨も降るあいにくの天気でしたが、合計220数名が来場、持参したパンフレット「南京戦はあったが『南京虐殺』はなかった」が売れきれてしまうほどでした。翌日、25日私は欠席しましたが、天気快晴、二日間で合計500名の来場があり盛況のうちに展示会が終わりました。今後も「つくる会」各支部で催される予定です。

4 comments »

  1. terag3 より:

    えんだんじさん

    このたび発見された資料は中国本土から台湾に追放された
    蒋介石、国民党軍の党史館に極秘に保管されていたものだ
    そうですが、中国本土の毛沢東率いる人民解放軍(中共軍)
    には、この文書は確認されていなかったのでしょうか、その
    ため南京大虐殺という捏造が堂々とまかり通ったのか?

    台湾の国民党軍は、そのことを中国共産党に何も知らせて
    いなかった・・・中国本土を追われたとはいえ、同じ、中国人
    だから敢えて言わなかったのか?

    しかしながらいずれにしても、この史実が公になった以上
    南京大虐殺は無かったものと、訂正して謝罪することが
    人間としての道義ですが、中国共産党政権にはメンツの
    手前出来ないでしょうね。

    それにしても1946年3月31日から始まった、蒋介石の
    国民党、八路軍と、毛沢東の人民解放軍、中共軍との
    内戦当時、私たち家族はちょうど、当時の新京(長春)の
    満州中央銀行宿舎に日本への引き揚げ途中で滞在して
    いた時期でした。

    何しろ市街戦ですから手榴弾が裏庭で炸裂したり機関銃
    などを撃ちまくり、銃弾が部屋に飛び込んできて、2階の
    部屋に行くため階段を上っていた祖母の頭がもう少し早く
    床より上に出ていたら流れ弾で死ぬところでした。

    また市街戦が別の場所に移動した後、街に出てみると
    道路のあちこちに、中国兵の死体がごろごろと転がって
    いて、その無残な状態が嫌でも目に入ってきました。
    そのような状態でも私たち家族は幸運でその年の8月に
    は大連の先にある「コロ島」から、引き揚げ船に乗ること
    が出来て祖国日本、博多湾に帰国出来たのです。

    ところでもうひとつ、南京市内の安全地帯にいた外国人
    国際委員会の話も出ましたが、その国際委員会委員の
    話の中で、日本軍の規律が厳正で人道的にも賞賛に
    値する行動であった、などという評価もあったと聞いた
    事がありましたがそういう記録は無かったのでしょうか?

  2. えんだんじ より:

    terag3さん

    内戦中にひきこまれず、よく帰国できましたね。
    質問の二件については、現在時間がないので、いずれ調べさせてください。

  3. より:

    えんだんじさんのブログを読み返していると大きな失敗に気が付きました。
    新しい教科書「作る会」が会員募集していたとは。(会ですから会員もいたのでした!)
    今申し込んだところです。

  4. えんだんじ より:

    偕さん

    「つくる会」入会ありがとうござます。感激です。今後よろしくお願いいたします。来月、「つくる会」の全貌を書いた本を私が出版しますので、ぜひ読んでみてください。

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