現在の日本国民が絶対必読すべき本



その本のタイトルは、「自衛戦力と交戦権を肯定せよ」、小山常美著、自由社。小山常美氏は「つくる会」理事であり公民教科書の執筆者の一人。自由社は「つくる会」の発行する教科書の出版社。今年は現行日本憲法の改正について本格的に論議されるでしょう。私が国民の皆さんに、なぜこの本を必読の本と薦めるのか、その理由は以下の通りです。
1.本の頁数は104頁、本の値段700円+税。内容充実、値段が安い。国民必読の書にはもってこいの本です。憲法改正の最大の注目は、軍事関係です。この本は現行憲法の軍事上の法的欠陥を示し、どう法的に対処すべきか詳細に書かれています。

2.憲法改正問題で一番重要なのは、軍事条項です。すなわち外国に関わる問題です。憲法改正問題が純然たる国内問題だけであるなら、いつでも簡単に修正、改正できます。しかし軍事条項は外国との関係、外交関係です。それだけに軍事条項の法律は、徹底して法的に、論理的に討論し、外国に曲解、歪曲されない条文を規定しなければいけません。私の推薦するこの本は、すべて軍事条項に関することだけを徹底して詳述しています。

3.憲法問題は堅苦しい問題になりがちです。そのため日本国民の多くの方々は、知識人はどのような考えを持っているのかに敏感になっていて、知識人たちの考え方を参考にしようとます。しかし私は、皆さんに自分たちで考えて、自分たちで結論を出して決めてくださいとお願いしています。私と同年代のオランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレンという人がいます。彼の書いた「日本・権力構造の謎」は世界的なベストセラーになった。その後彼が書いた本、「日本の知識人へ」の一頁目の論文のタイトルは「なぜ日本の知識人はひたすら権力に追随するのか」。その論文の書き出しの文章には、こう書いてあります。
「日本では知識人が一番必要とされるときに、知識人らしく振る舞う知識人がまことに少ないようである。これはいたましいし、危険なことである。さらに、日本の国民一般にとって悲しむべき事柄である。なぜなら、知識人の機能の一つは、彼ら庶民の利益を守ることにあるからだ。」
私はこのウォルフレンの言葉に全く賛成です。日本の知識人は「ひたすら権力に追随するのです。」時流や権力に媚びることなく独立した冷静な話をしてくれる知識人が極端に少ないのだ。憲法学者、歴史学者、政治家たちは、終戦後当時の権力者、GHQに競うように追随したのだ。現在の憲法改正では安倍総理への保守知識人の追随者であふれるばかりです。

4.平成29年5月3日、安倍総理は憲法改正への新提案を提出した。その提案は憲法九条一項と二項を温存したまま三項を追加し、自衛隊が憲法違反だと言われない根拠規定とするという案でした。これに対して驚くなかれ、多くの保守知識人はこぞって賛成した。安倍総理の太鼓持ち知識人や太鼓持ち知識人になりたがる保守知識人がごまんといるのだ。
彼らは安倍総理の改正提案に全く賛成でもないのだが、安倍総理が改正しようと言うのならこの際憲法改正しよう。改正できるのは安倍総理しかいない、他に安倍総理の代わりに任せられる政治家はいないのだの一点ばりです。

5.この安倍総理の改正に反対なのがこの本の特徴なのです。現行憲法は、終戦直後アメリカ占領軍によって強制的に作成、施行されたのです。現行憲法を改正してしまったらアメリカ占領軍が作った憲法を現在の日本国民が認めたことになります。其の点を全く考慮しようともしないのです。また自虐史観をそのまま認めたことにもなります。帝国憲法が悪い憲法だったと日本国民は教えられてきた。それが不自然に容認されてきたのです。日本の憲法学者や歴史学者は、国民に嘘を教え込んできたのだ。この現行憲法を改正せず破棄し帝国憲法を復活させ、その帝国憲法を即改正すればいいのです。これこそが私が必読と勧めるこの本の主張です。私は現在の日本の保守知識人の主張など、「はい、そうですか。」と簡単に認めるわけにはいきません。皆さん、ぜひ小山常美著、「自衛戦力と交戦権を肯定せよ」をお読みください。

若い選挙権のある皆様へ。
皆さん、私が先ほど申し上げたように、この現行憲法は、日本敗戦後すぐにアメリカ占領軍(GHQ)によって強制的に施行されたものです。政治家、憲法学者、歴史学者などその強制施行という印象を極度に薄めようと細心の努力をはらってきた。国民にうそもついてきたのです。その結果日本独立回復後70年以上も何一つ変えることもなく保ってきたのです。現行憲法を改正すると、GHQが作った憲法は、日本憲法、すなわち日本人が作った憲法になってしまいます。そこで私の勧めるこの本は、現行憲法を法的に、論理的にどのように改正し、改正後の憲法をどのように処するかが書かれています。104頁という薄さだからぜひ熟読をお願いします。現在の日本人は現行憲法や大東亜戦争など自分自身で学ばないと本当のことを理解できないのです。私自身このことを知ったのは、40代に入ってからです。皆さんの努力を期待しております。

定年生活をしている皆様へ。
日本人の人口構成で私たち定年生活者の層が一番多いのです。すなわち私たちの動きで日本を動かすことができるのです。私たちが一致して安倍氏の改革に反対すれば、私たちの考え方を採用しようとする政治家も現れます。しかし残念ながらサラリーマン生活、40年もやっていると、いつも上からの命令で動くことに慣れているから、自分で決断して行動することに慣れていない。しかしこの憲法改正問題は、日本の明日を決める最重要問題です。どうか自分自身で勉強し、自分の判断で決めてください。その判断材料の一つとしてこの「自衛戦力と交戦権を肯定せよ」を読んで参考にしてください。

安倍総理への私の見解。
保守陣営の多くの方々は、安倍総理だけが頼りだ、安倍総理の代わりになる方がいないから、しかたがないのだの一点ばりです。私も最初は強力な安倍支持者であった。しかし彼には完全に失望した。一国会議員の時代から安倍氏は「つくる会」運動を積極的に支持してくれた。しかし総理になり育鵬社が設立されると反「つくる会」の伊藤哲夫氏、八木秀次氏などの支持に変節した。今ではこの二人は、安倍氏の太鼓持ちであることがわかった。この変節に加えて平成27年の安倍談話。平成29年の安倍氏の憲法改正内容等で完全に失望、絶望した。安倍氏にはアメリカの属国から完全に日本独立国家にし、対等の日米同盟を築こうとする勇気も根性もないのだ。所詮二世議員の一人、いざとなると度胸、根性もないのだ。保守支持者の連中は、安倍さんの代わりがいないと主張します。日本民族の資質が劣化してしまったと考える支持者が極端に少なっているのだ。これも日本民族資質の劣化の証明でしょう。
昔流の差別用語を使えば、戦争に負けた日本は毛唐が作った憲法を、日本国憲法にしろと言ったらその憲法も何一つ帰ることもなく日本独立後70年以上使い続けているのだ。私たちのすぐ上の先輩たちは、大東亜戦争で勇戦奮闘し、祖国日本の為に若い命を投げだしてくれたのだ。例え敗戦でも毛唐が作った憲法を独立後70年以上も無効にすることさえもできないのだ。私たちは、日本人の魂、「大和魂」を完全に失い、死語にしてしまったのだ。

私事を書きましょう。私は平成21年に自民党党員になった。党員番号0914-00996-8。その年は鳩山由紀夫内閣が誕生した年です。当時自民党員の登録数が激減したころです。自民党を潰してはいけないと入党したのです。以来今日まで自民党員を続けています。もし安倍総理が主張した通りに憲法改正が国民投票で支持されたら、私は自民党員をやめます。祖国日本の復活の夢が絶えたからです。こんな私を時代遅れの男と笑わば、笑え。俺は死ぬまで戦い続けるぞ。アメリカが作った憲法を日本製の憲法と認めるなら、その後の日本は、どうなるかはこの本に書いてあります。私の意見に賛成、反対にかかわらず、この本「自衛戦力と交戦権を肯定せよ」を読んでください。こういう考えもあることを知っていただきたい。お願いいたします。
最後にこの本の著者、小山氏の考え方は、「つくる会」の統一した考え方ではありません。「つくる会」にも色々な考え方がいます。それだけに皆さんも、自分自身で勉強し、自分自身で考えてください。その参考用としてこの本をぜひ読んでみてください。


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80歳を迎える年の大気炎年始



皆様、おめでとう御座います。今年もよろしくお願い致します。
私は今年の8月1日で満80歳を迎えます。年寄の言葉に「80-20」という言葉があります。80歳になったらせめて自分の歯は、20本ぐらい持っていたいと言う意味です。ところが私は80歳になっても20本どころか全部健康な自分の歯を持つことはまちがいない。昨年12月には町田で講演をしましたが、一時間半の講演時間、椅子を使わず立ち続けで講演をしました。これなら90歳までは生きられる、それどころか現在は、人生100年時代。場合によっては100歳までもが決して夢でない。私の人生は不運な時代と幸運な時代とに極端に別れます。

一。不運な時代
私は極貧育ち、頭は並よりほんの少し良いくらい、特別な才能は全く何も無し、体力は並の体力、普通高校卒だけで社会に放り出された。結婚し子供三人育てている最中に離婚。家庭では両親が二人とも重病、病弱で老後の母の面倒みてもらうため叔母が同居。母死後、叔母も即入院。私が50代半ばまで家族の誰かがいつも病気だった。自分の健康の大切さを意識させられ、仕事でも遊びでも三日続けて12時過ぎの帰宅はないようにした。こうした私の人生は、絶えず戦うことを強いられた。人が5年かけてできるものは、俺は10年、あるいは15年かけてでもやってやる、そのためには健康で長生きしてやると心に誓っていたのだ。外資系五社を渡り歩き、愛社精神などひとかけらも無し、仕事への愛情も一切なし、ただあるのは強い金銭欲だった。夢もなかった。いや、夢はあった。株価高騰時代だった頃の夢だ。私が55歳頃には、三人の子供は完全に一人前だ。そこで自分で定年を55歳と決め、私費でアメリアカへ一、二年の語学留学し、そこで白人女性の恋人を持とうと決めた。一転株は暴落し、損はしなかったが大儲けしそこなった。消えた夢のかわりに再婚した。そして今年の夏とうとう元気で80歳を迎えることができるのだ。若いころ「長生きしてやる」が現実的なものになってきたのだ。ついに自分の出番がやっていきたのだ。
二。幸運な時代
サラリーマン生活、実働40年。長い、長い戦いであった。定年後一転して幸せな生活になった。再婚していたが、我が家から初めて病人がいなくなった。しかし定年後一、二年の間は時々悪夢にうなされた。辛い仕事の場面が夢の中にあらわれ、どうしたものかと自分自身がうなされ、ハット目がさめ、「夢だったのか、もう定年なので良かった」と安堵することが幾たびかあった。
自分の正義感で書いた長編歴史評論「大東亜戦争は、アメリカが悪い」が評判を呼び、縁もゆかりもない鎌倉在住の読者、渡辺昌明氏の資金と翻訳援助により英文化し、英文化出版に手を差し出してくれた茂木弘道氏により勉誠出版が紹介され、出版社倒産で市販されていなかった「大東亜戦争は、アメリカが悪い」が2015年に再出版されたことです。
読者から私の文章力をほめていただいたことはうれしいのですが、何といっても西尾幹二先生に直接褒められたことが天にも昇るような気持ちでうれしかった。私は子供の頃から学生時代も文章など書いたことは一度もないし、投稿したこともない、自分で文章を書くのは苦手と思っていた。それを西尾先生に言うと、先生は「文章というものはそういうものだ。文章を沢山書いてきたからといって、文章が上手になるとはいえない。いくら書いてもへたなものはたくさんいる。いきなり長文を書いても上手な人はいる」と言うのです。
人生とは不思議なものだ。定年なるまで自分には才能など何もなく、ただがむしゃらに努力を続けてできるのが才能みたいなものだった。私はこれまでに本を八冊出版しています。そのうち最近の二冊は小説です。小説を書いた実感は、他人の書いた本を沢山読んで書く歴史評論よりも小説書くほうが楽しい実感だった。自分にも書く才能があると実感できたのだ。人生とはわからないものだ。私に文才があることがわかって本当にうれしかった。
それでは100歳まで20年間になにをやるか。私が「えんだんじのブログ」を書き出して10年目に入っています。今年の10月で10年目が終わります。最初の一年間は毎週書いていて、その後は2週間おきに書き続け、現在投稿数286件。これを一冊の本にまとめて書きたい。そのあと次はやはり小説を書きたい。女性の一生を小説に書きたいと思っています。人生100年の時代。主人公の女性には老いらくの恋をさせるつもりです。執筆活動を100歳までつづければ、サラリーマン生活実働40年が最近書きあげた「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」だし、100歳でまた新しい自伝的小説を書き上げれば、執筆生活40年間の自伝的小説になり、私はサラリーマン生活40年、執筆生活40年、もじどおり私は二つの人生を歩んだことになる。これを目指して100歳まで邁進あるのみ。
三度目のベストセラーを狙う小説が、二度出版した小説のよう「二度あることは三度ある」と同じように失敗作になるか、「三度目の正直」のように三作目の小説がベストセラーになるか、私の人生最後の賭けになるのだ。幸運にめぐまれた定年後の生活、最後はハッピーエンドで終わらせるつもりです。

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小説「戦後昭和の女性たち」(5)



前回のえんだんじのブログ(12月2日)で小説「戦後昭和の女性たち」4)を公表。その時は村田春樹さんの読後の感想文、全文を公開しました。その後村田さんは、私の初めての小説「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」をすぐに読んでくれ、この度その感想文を送ってくれました。村田さんの了解を得て全文を公開します。
引用開始
拝啓。ますますご清祥のことと、お慶び申しあげます。
過日は「えんだんじ」を上梓され、すぐにご恵贈賜り洵にありがとうございました。
先日「戦後昭和の女性たち」を読了してすぐに、「えんだんじ・戦後昭和の一匹狼」を読み始め、これも一気呵成に読了いたしました。すぐに感想文を書き送りたかったのですが、今月も多忙を極めており遅くなりました。実は御献本いただいた事を忘れてしまい(失礼はおゆるしください)アマゾンで購入。読了したら御献本を本棚で発見した次第です。
いやはや、しかし、「えんだんじ」面白い!実に面白く痛快!痛快!主人公の健さんは羨ましい人生だとつくづく感心します。
私は昭和二十六年東京高円寺の生まれ育ち、健さんと十三歳違うのですが、当時はまだ本当に貧乏というのがあったのですね、
しかし貧乏の中にあっても、逞しく淸く正しく(?)生きてきた健さんの人生に感動します。そしてさぞかし楽しい人生だったのではないかと推察します。修学旅行に行けなくて、代わりに研究しろ、と言われ蠅の糞を見つめるところでは爆笑してしまいました。
「戦後昭和の女たち」のペニスのおならと同じく、つらさに負けないユーモアが底流しているのですね。
私は昭和五十二年から五年間、新婚時代に鎌倉市梶原に住んでおりました。勤務先は藤沢で、辻堂はよく仕事で回りましたのであの辺りは懐かしいです。県立鎌倉高校は名門進学校です。そこに合格された健さんは素晴らしい学力。後に英語で世間を渡ることができたのは、さもありなん、と思います。
さて本書の魅力はやはり、健さんの人生を彩る美女たちです。本当に美女ばかりで感心します。我が人生も四十年、女性に囲まれてきましたが、美女は五指にたりません。なぜだろうか考えたのですが、やはり美女は美男にくっついて来るのですね。
閑話休題
本題に入ります。
千葉県勝浦の恵さんとの最後の一夜はとても素晴らしいはなしです。正に映画のシーン、三島由紀夫氏の「潮騒」もかくや、ですね。しかも嫁入り前。
いやはや羨ましい。恵さんはきっと今でも健在で、元気な漁師の婆さんになっているでしょう。実は私も勝浦近くの某市の女性と、若い頃少し関係がありました。「房州女にマ〇見せるな」という古諺(?)があるそうですが、当時私は十九歳、彼女は十八歳、それでもその古諺を想起する女性でした。ちなみに今でも会おうと思えば会えますが、すっかり婆さんになってしまったので、会いたくありません。どうでもよい話しに脱線してしまいました。
佳代子さんとの結婚離婚のお話しも、じつに興味深かったです。
もし今一人だけ健さんの女性に会えるとしたら、私は躊躇無く佳代子さんを選びます。なぜか。わたしは生命保険の営業所長を長く勤めたので、佳代子さんがもし保険屋になっていたら年収数千万円になったと思うからです。
他の女性と会ったら、羨まし過ぎて我が内臓が破裂してしまうかもしれません。佳代子さんならそういうこともないでしょうし。
国鉄のストで赤坂東急ホテルに泊まったとき、塩原から花江さんがタクシーで飛んできたおはなしは、これも映画のワンシーンなります。すごいです。
でも、私はちょっと引っかかりました。もし私だったら、絶対に一人でホテルで寝ません。必ず誰か準備します、第一希望が都合悪ければ、第二、第三と用意します。ですから、もしわたしがあの場面にいたら、塩原の花江さんがノックしたら、中の二人で大恐慌に陥ったことでしょう。などと空想して、くすくす笑ってしまいました。本当に面白い場面です。
塩原でお客として芸者の彼女を指名したお話しは素晴らしいですね。これも絶対映画のシーンになります。そして混浴も。本当に健さんの人生は羨ましいです。
佳代子さんの母親が朝鮮人、花江さんも朝鮮人だそうですね。ご縁がありますね。私も学生時代にソウルで韓国人女学生に惚れたことを思い出しました。
さおりさんとのチャチャチャ、これは正にこの映画のハイライトです。
格好いいです!本当に格好いいです。白いスーツで踊るというより、日劇一流のダンサーを踊らせる健さん。正に人生の華ですね。健さんの人生は映画化してほしいです。そして主役のジョン・トラボルタに白いスーツでチャチャチャを踊らせてみたいですね。私もキューバン・ルンバだけ踊れますが、こういう格好良い場面は無かったですね。嗚呼ため息が尽きません。
女性関係以外でも、御仕事の面で、英語で啖呵を切って会社を去るとか、カッコ良すぎます。しかしこれも英語の実力あってのこと、さすが県鎌だと思います。この健さんの人生に夢中にならない男性はいないと思います。なぜなら会社人生、女性遍歴・・世の男性の夢を、健さんは次々と現実のものにしていったからです。
私の人生も、そこそこ出世し、語れば驚くようなことも沢山ありました。しかし、この私の武勇伝(?)も、社内でしか通用しません。世の中全般には通用しません。大企業の中を上手く泳いで偉くなっただけなのです。それに比べたら健さんの人生は、誰が見ても、波瀾万丈、血湧き肉躍るのです。
そして、さらにすごいのはこの忙しさの傍ら、大東亜戦争を研究し、厖大な書籍を渉猟し、大著「大東亜戦争はアメリカが悪い」を上梓された事です。
常人の三人分の人生を歩んで来られた健さんに、心底憧れ、敬意を表します。
「大東亜戦争はアメリカが悪い」は、読後感動し、感想文を書き送ったような記憶があります。もし記憶通りであれば感想文は三通目ですね。同書は私に取って歴史観の背骨になっており、今でも我が書斎の一等地に厳然と聳えております。
同書を上梓された直後でしたか、靖国会館で講演をされたのではなかったでしょうか。私はそれを直接拝聴したような記憶もあります。
いずれにせよ、今後も大東亜戦争を世界に広めて行こうとされるそのご姿勢・情熱には感動し感激します。でも女性に対しても今でも情熱を燃やし、モテている健さん、我が人生の理想です。
ますますの御活躍を祈るばかりです。
ところで私は現在二書を執筆中です。一書は、青林堂から「日本乗っ取りはまず地方から 自治基本条例の恐怖」四年前に上梓したこの本が売り切れました。出版社から増補版を出したいとの申し出で、この際全面的に書き換えることになりました。今ねじり鉢巻きで執筆中です。
今一書は展転社から、題名未定ですが、皇室関係の気楽なエッセイです。あちこちの講演会で話したことをまとめて一書にするつもりです。できあがりましたら贈呈いたします。
お健やかに御越年されますよう。お祈り申し上げます。
平成二十九年十二月十一日                    敬具
追伸 「えんだんじ」は炎男児とは思いませんでした。艶男児だと思っておりました。両方OKですね。                    
引用終了

来年の建国記念日、2月11日(祝・日)に第三十四回「紀元節奉祝式典」が開催されます。詳細は以下の通りです。
「日 時」平成30年2月11日(祝・日)
     午後3時3十分開場 16時~18時
「会 場」星稜会館
     〒100-0014
     千代田区永田町2-16-2、電話:03-3581-5650
     (会場への交通機関)
     東京メトロ有楽町線・半蔵門線「永田町駅」徒歩3分 
     東京メトロ千代田線「国会議事堂前駅」徒歩5分
     東京メトロ南北線「溜池山王駅」徒歩5分
     東京メトロ丸の内線「赤坂見附駅」徒歩7分
「紀元節祭」
  神武天皇即位建都の大詔奉読・舞奉納紀元節の歌奉唄他
「記念講演」
  村田春樹先生(今さら聞けない皇室研究会顧問)
  (四大節復活の狼煙を上げろ)
「参加費」
千円(学生無料)
「主 催」
紀元節奉祝式典実行委員会
〒101-0051 千代田区神田神保町2-46-402 展転社内
電話 03-5314-9470
以上。
私も出席しますので、皆さんも時間のある方はぜひ参加してください。よろしくお願いします。

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小説「戦後昭和の女性たち」(4)



保守言論界で活躍されている村田春樹さんより読後コメントをいただきましたので、全文を公開させていただきます。
引用開始
錦秋の候、ますますご清祥の事とお慶び申し上げます。
過日はご著書「戦後昭和の女性たち」をご恵贈くださり、洵にありがとうございました。
落手同時に一気呵成に読了しました。すぐに感想を書き送りたかったのですが超多忙を極めており、遅くなってしまい失礼いたしました。
本書はエンタメ本としてとにかく面白いです。鈴木さまの文章力には感心いたします。週刊新潮の黒い履歴書などより遥かに素晴らしい文章です。しかし何よりも驚いたのは、自らのご経験を小説という形で世に問う、というアイデアです。
男は(女も)自分の恋愛体験を語りたくてしかたがないのですが、何かと支障があり、語れぬままに終わってしまうのが常だと思います。しかし小説というかたちで残す!この手があったか!小膝を叩きました。しかし考えてみれば、古今の小説家は皆そうやって自らの経験を小説にして来たわけであり、珍しくもないわけです。しかし、今回は、謦咳に接し、私淑する鈴木様がこの手を使われたことに驚きました。とても羨ましいです。
鈴木様は、女性を幸せにする本当の遊び人であり、だれにも後ろ指さされず、別れ際がきれいで、まさに尊敬すべき粋なプレイボーイです。いずれにせよ、モテてモテてモテまくった鈴木様の人生。そして何よりも鈴木様が女性を幸せしてこられ、決して泣かせていないところが、素晴らしいと感心いたします。男ならかくあるべし。このご本は友人に勧めています。そのためいつも持って歩いています。
私も鈴木様に遥かに及びませんが、女性経験はいささかあります。しかし鈴木様と私とは決定的な違いがあります。私の場合はすべて相手は素人なのです。私は酒は飲めないし、キャバレーもバーもスナックも行ったことは殆どありません。素人に手をつけたことを小説にしても、陰惨なものになってしまいます 。
第一、素人との関係は別れるときに相手を傷つけます。私のような素人専門は、昔ならば色魔として後ろ指さされたことでしょう。(今でもそうかも)
個別の感想です。
綾子  ペニスのおならには笑ってしまいました。
幸子  比較的最近の話題ですね。ひょっとすると鈴木さまの彼女ではないのかも、想像上の人物としたらよくできている。家族観女性観等考えさせられる。
お松  まさに鈴木様の体験談、川端康成の「雪国」を彷彿とする。
青木は鈴木様の分身、興味深い。
みみたぶを噛む、うらやましいです。
栄子の時代描写が良いですね。
佳代子  良い想い出ですね。ハリウッド映画を観るようです。羨ましい限りです。
天国での女性体験  これは読み直しました。実に奇想天外、この手があったか!
私は二年前に『三島由紀夫が生きた時代』を上梓しましたが、執筆時に当時の自分の日記を克明に読み返しました。そしてその頃の彼女達に再会したいと思いました。しかし既に老婆になっているはず。天国で会うしかありませんね。
というわけで、本書は実に面白く、羨ましく、きれいに遊んだ数々の女性を幸せにしてこられた鈴木様ならではの佳品だと思います。遅くなりましたが、あらためてお礼申し上げます。ますますのご活躍ご健筆をお祈り申し上げます。
引用終了


前週のブログへの御注意:
前週は「すばらしい専業主婦、佐藤亮子さん」を書きましたが、私が賞賛するのは、自分の四人の子供に高等教育を授けるために専業主婦を選んで邁進する佐藤亮子さんを褒めあげていることで、何も東大という大学を称賛しているわけではありません

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素晴らしい専業主婦、佐藤亮子さん



私の住むマンションでは毎月一回、月刊マンション生活情報誌、月刊ウェンディ「Wendy」
が無料配布されます。毎月発行される度に第一面が「Ms Wendy in this month」で一人の女性が上半身の写真と共にその女性の紹介記事が載せられます。今回の記事も大きな見出しで、こう書いてあります。
「こども四人全員を東大理三に合格させた。テレビはリビングから撤去
 専業主婦 佐藤亮子さん」
私は今年79歳の爺さんです。だから昔の良妻賢母の話にはあまり驚くことはありません。佐藤さんの写真を見れば、決して美人ではないが、素敵で魅力的な笑顔で、まだ若い。東大理三をネットで調べてみると、東大の試験には東大理一、東大理二、東大理三あってどれも難しいが理三がとびきり難しい。2016年の理三の合格最低点は、388点、理一の合格者平均点358点、理二は341点。理一の合格者の上位半分でも、理三には太刀打ちできません。理三は定員が100名ですから、日本の理系のトップ100人が入学できるというプレミアムシートと言ってよいでしょう。いわずと知れた日本最高峰の試験の現場の一つと言える。その理三に自分の子供、四人全員(三人の男の子と一人娘)を入学させたというのだから、この佐藤亮子さんという母親はたいしたものだと思います。彼女は津田塾大卒業後、英語教師として2年間教壇に立ち、弁護士の御主人と結婚、退職し専業主婦。
彼女の発言を拾ってみると、
1.彼女の両親はすごく本が好きな人で、新聞は三紙、雑誌は文芸春秋や週刊朝日などがずらっと並んでいた。父はこどもにはテレビを見せない方針で、小さいころはよく絵本を読み聞かせてくれました。

2.両親のサポートがなければ、とても四人の子育てと受験を乗り切ることはできなかったと本当に感謝しています。彼女と両親とは同居していません。それだけに両親は大変だったと思います。

3.子供に指示を出すときには具体的に数字で言うのが鉄則。勉強でも「ちゃんとやりなさい」では曖昧で、言われた方がこまります。子どもは一方的に怒られたと思うだけ。でも「●ページから●ページまでを●時までにやりなさい」と具体的に言えば分かります。

4.反抗期の話は本当によく聞きますし大変だと思います。でも私は、種さえまかなければ、反抗期はなくて済むのではないかと思っています。

5.子育てに関しては「私が100で主人がゼロ」を貫きました。

6.私は比較しない。「兄弟を比較しない、他人と比べない。」と決め、腹をくくっていましたから、子どもたちが通知表を持って帰ってきても「ハイお疲れさま」で終わりにして、成績については一切コメントしないことにしていました。

7.子どもが12歳になるまでは「子供が家にいる間はスマホを使わない」と決めて家の中からスマホの存在を消します。
等々その他にも有効な彼女の意見が書かれ、また冷蔵庫のドアにいくつものストップウォッチがはりつけた写真があった。勉強時間やご飯の食べる時間もはかっていたのだ。
彼女は自分の四人の子育てをいずれは自費出版しようと日記を書いていた。子育てが終わったころ、たまたまひょんなことからこの子育て記録が出版され、評判も良くテレビに出演したり講演することにもなった。このブログの読者の中にも佐藤亮子さんを知っておられる方もいるでしょう。私の女房も彼女の名前は知らなかったが、一専業主婦が自分の子供四人全員東大に入学させていたことは知っていました。

現在の若者は、若い女性の専業主婦を嫌っているようで、また多少小馬鹿にしたようなところがあります。若い結婚女性を無理やり働かせるように奨励しているみたいです。しかし子供の教育という点で専業主婦は非常に重要な存在です。現在安倍内閣は、子供への教育にこれまで以上に大量の税金を使おうとしているが、両親が自分の孫の面倒を見てくれる人にある程度の資金を提供することも一つの良い政策ではないでしょうか。親が元気なうちは、孫の面倒みてやる。するといくらかの現金が入る。それによって現在、家族関係の絆が弱くなっている絆を強めることができます。両親が元気なうちに孫の面倒をみてもらおうと結婚年齢が若返る、それによって若夫婦の子だからが増える傾向になり、人口減少化に歯止めにも役立つでしょう。自分の孫の面倒をみてくれる親に政府がお金を払う政策も良いのではないでしょうか?専業主婦も子供の中卒、あるいは高卒をもって子育てが終わり、自分も仕事に復帰できるのです。人生100年の時代、いまは人生が長いのです。佐藤亮子さんも、今後どう活躍していくのか楽しみです。



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私の講演案内



下記の通り私の講演が行われます。
「講演会のご案内」
日時:11月26日(日)午後2時~4時半(開場1時半)
場所:町田市民ホール1F 第3会議室
演題:「人種差別と日本への移民問題」
講師:鈴木敏明氏
   昭和13年神奈川県生まれ、神奈川県立鎌倉高校卒業。外資系5社を渡り歩き定年。
   定年後、著作・講演などの活動を行っている。また、「えんだんじのブログ」は、歴史、時事評論、人生相談など多義にわたるテーマを面白く記述し、人気ブログとして10年目を迎えている。
著書:「大東亜戦争は、アメリカが悪い。」
  :「原爆正当化のアメリカと従軍慰安婦謝罪の日本」
  :「逆境に生きた日本人」
  :「保守知識人を断罪すー(つくる会)苦闘の歴史」
  :「The USA is responsible for the Pacific War」
  :「えんだんじー戦後昭和の一匹狼」
  :「戦後昭和の女性たち」
懇親会のお知らせ:
お気軽に参加して交友を広めてください。
時間: 1700-18:30
会費: 2,500円
場所: 町田市民ホール1Fレストラン

主宰:日本の明日を考える会・町田
講演参加会費:千円
お問い合わせ:080-6810-7685(倉橋)
以上。

皆様、お時間がございましたら、ぜひご参加ください。

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小説「戦後昭和の女性たち」(3)



(一)ライバル
皆さん、ヒュー・ヘフナーと言えばどんな人だか知っていますか。最近ヘフナー氏は91歳で死んだが、彼はあの超有名なアメリカの「プレイボーイ」誌の創刊者です。ヒュー・ヘフナーは、1953年(彼が27歳の時)「プレイボーイ」を創刊した。その創刊号にあのマリリリン・モンローのヌード写真(本人の承諾なしに)掲載し世間をアット言わせたのだ。以後数十年にわたり豊満な女性のヌードグラビアと読み応えのある記事が世界的に高い評価を受け、世界各地に現地版の「プレイボーイ」を発刊させた。ヘフナーとモンローは奇しくも同じ年で、私より12歳年上です。「プレイ^ボーイ」に載せられたヌード写真は、モンローが同じ27歳の時ですから、ヌード写真の年齢は少なくとも同じ27歳か、それとも27歳以下の年齢です。すなわち彼女の全盛期のヌードだから世界中の男性ファンをアット言わせたことは間違いない。ヘフナーは女性の裸の写真で大金持ちになったのだ。老後はプレイボーイ社の経営を娘のクリスティーに任せ、彼自身はプレイボーイ・マンションに住んでいた。そこは男たちの究極の隠れ家、そこでは全てがセックスのためにあり、全ての女性たちはやるためにいると男たちは勝手に空想した。ヒュー・ヘフナー氏はその館で死んだ。ヘフナーは生前に購入していた場所に埋葬された。マリリン・モンローの墓の隣だった。ヘフナーもマリリンも同じ年だからお互いの顔を知っていたでしょう。しかしモンローの男性遍歴にはヘフナーはいないし、ヘフナーの女性遍歴にはモンローの名前はない。モンローは彼女の承諾なしに「プレイボーイ」の創刊号に載せたことが許せなかったのだろう。ヘフナーはモンローファンの一人だったのだろう。だから生前、彼はモンローの墓の隣の地所を大金で買ったのでしょう。このヘフナーの記事は、今年に11月19日のニューズウイーク誌に出ていた。早速私が自分の「えんだんじのブログ」に取り上げたのには理由があった。

今年の9月1日私は、文芸社から文庫本で「戦後昭和の女性たち」(700円)を出版した。全部で八編からなる短編小説で全部で10人の女性を登場させた女性短編小説集です。一から七までは現実の女性を扱って書いていますが、八はタイトルが「天国での女性体験」で、天国での空想体験の話で、想像上の話が主体です。通常人間は死ぬ直前には死後天国に行ったら、あれこれしようとか、地獄に行ったらあれこれしようなど考えずに黙って死んでゆきます。しかし私は違う、「俺は間違いなく天国に行く、天国に行ったらマリリン・モンローを口説いて、ベッドを共にしよう。生前彼女が欲しがっていた子供を絶対に作ってやって、幸せにしてやると考えていたのだ。予想通りに天国に行けたので、計画通りモンローを口説き始め、成功し、ベッドを共にし、赤ちゃんも作ることが出来た。モンローに子供が出来て記者会見の時に、どこかの国のボーイフレンドと恋仲になって子供ができたと公表すればよかったのに、ところが日本人の定年サラリーマンのミスター鈴木と恋仲になってなどと本当のことをしゃべってしまい、そのため鈴木は日本のマスコミの寵児になってしまい、鈴木の物静かな定年人生がてんやわんやになり大騒動を巻き起こす物語なってしまったのだ。
ヘフナー氏と私はモンローファン、お互いライバルです。世界中にモンローファンのライバルが沢山いるでしょう。しかし私みたいに天国にいるモンローを口説いてベッドを共にし、子供を産ませて彼女を幸せにしてやった小説を書いたのは世界広しといえども恐らく私一人でしょう。それだけに小説「戦後昭和の女性たち」を一読する価値があると思っています。

二。男性読者からのコメント
さきほど一気に読み終えました。のちほどあらためて感想を・・・。
登場人物の生きた世界は私のそれとは全く違いますが、小説としても正直、面白いな~と思いました。なんでそう感じるのかな?と思ったのですが、
私の視点は、この時代が、ヒロインの両親はみな戦前の歴史を引きづって
いること。結果、いわく言い難い、両親もしくは片親との悲しい別れ、あるいは知恵遅れの兄弟を面倒みていたこと・・・など。
悲しいまた貧乏生活のなかで優秀な弟(のち東大医学部へ)の学費を送金・・姉はクラブで労働・・。姉の死を前に弟が著者に託した姉への恋文作成の依頼、それを読んで安堵した姉の、さわやかな死に顔・・・・。さわやかに天国へ逝くというのはこういうことだろう。
さらにいえば、登場する昭和の女たちは、みな現代とは違った経済生活の「苦労」と「緊張」を抱えており、それしか生きる道がなかった・・という宿命の
なかで実にいじましく人生を送っていたのである。
現代の、その気になればいくらでも仕事がある・・という経済安全圏とはまるで環境が違っていた。
そういう時代環境のなかで花咲いた、悲しくもそれなりに男との出会いによって一抹の幸せも得た・・という物語である。
考えさせられたことは、昭和という時代は、戦前と戦後が深く交錯する時代であったこと。
平成の弛緩した時代環境とは大きな差がある。その意味で、昭和という時代は、「文学」が成立し得る基本条件を備えていたこと。これが解る年代はたぶん団塊の世代以上ではないか。
・対して、平成の時代はなかなか「文学」が成立し難い、いや成立するとしてもQualityがまるで異なる。
いま政官財界、その他で活躍する人たちは、段階の世代
以前の人たちが多い。鈴木さんの時代感覚とは違った世代の人たちである。良くも悪くも時代の変遷とはそういうものだ。
以上即席感想でした。しかし文章の実に巧みなこと・・・
それ以上に、鈴木さんの真剣な生き様と鼓動が伝わってきました。
もっともどこまで実話で実話でないのか、知りかねますが・・。まずは御礼まで*フェイスブックでもご紹介します。
三。女性読者からのコメント
こんばんは。感想遅くなりまして、申し訳ありません。
大分前に読み終わってはいたのですが、なかなかえんだんじさんのように上手に文章に出来なくてすみません。一番印象的なのは、えんだんじさんは、本当に素敵でモテモテでいらしたんだなぁということです。それと、この頃の女性は、可愛くて女らしくて素敵ですね。
男性と女性が、その役割をきちんと果たしていたように感じます。私はそんな感じの方が好きですよ。どうして男女というものがあるのか、ちゃんと訳があってのことでしょうに、何でもかんでも平等にしたいというのは、何かの策略に翻弄されているような気がしてしかたありません。ただ、昭和初期の女性は、ずいぶんご苦労なことも多かったのではないでしょうか?だから、男性に頼らなくてはならない世の中だったという気もします。
えんだんじさんが日頃日本の名誉のために頑張っていらっしゃるのは本当に素晴らしいことだと思っています。一方、こうした小説もとても面白いですね。面白いというのは、失礼ですね、だってこれはほとんど実話なんですよね?
でもこんなに沢山の想い出をお持ちというのは、お幸せだと思います。
読ませて頂いて、私もその当時にタイムスリップ出来たような気がします。
ここに登場された女の方たちは、辛いことも沢山あっけれど、皆さん前向きで人生を一生懸命生きていらっしゃいますよね、私も少し見習いたいなぁと思いました。そして、今の20代、30代、40代の人が読むと、やる気が増すのではないですか?
私もあっという間に読んでしまいました。えんだんじさんが、これからも益々お元気でご活躍されますよう、お祈りしています。また色々なことを教えて下さいね。
四。読者の皆様へのお願い。
この小説は、私の前作『えんだんじ・戦後昭和の一匹狼』に次いで二作目です。何故私が小説を書いたか?ベストセラーにして印税をかせぎ、私の人生の最終目的、私の大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の英文版「The USA is responsible for the Pacific War」 を世界中、いや少なくともアメリカ中にばらまきたいからです。アマゾンでお買い上げの方がおられましたら、率直なコメントを書いてくださいませんか。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」のように沢山のコメントを書いてくれるとありがたいのです。よろしくお願いいたします。
なおこの「えんだんじのブログ」は先月10月で9年目が終わりました。今月から10年目にはいりました。
10年目が終わる来年の10月には、一冊の本(タイトルは未定)をだすつもりです。これからもご愛読のほどよろしくお願いいたします。

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もう日本男子の文化は、完全になくなった。(2)



前週の土曜日、10月14日、えんだんじのブログ、「もう日本男子の文化は、完全になくなった。」を発表した。そのブログでは、私が今から9年前の2008年9月13日にえんだんじのブログに出した「男の涙」の再引用でした。最後にその時もらった二人の読者のコメントとえんだんじの返事も出すつもりでしたが、ブログが長くなってしまうので省略しました。今回はその二人のコメントとえんだんじの返事の引用です。
引用開始
猪さんのコメント
「私も祖父の「命令」が~「男の子は人生で3回だけ涙を流してもよい、苦しい時ほど笑え」~が人生訓。
泣けない事はホントにつらいと思った事も有りました。祖父の「葬儀」の時には「吐くほど」納屋の裏で泣きました。棺桶に入れる花を納屋の裏に挿して祖父が帰って来てくれるのを待った程です。
中学生が「死」の意味を理解しないわけでは無いのですが、泣けたのですね。三回のうち一回、思い切り泣いて仕舞ったと言う事実が、素晴らしい映画で泣きたい想いが有っても、同期の友人の死を目にしても、残り二回で人生が終わる感じがする為に泣けないのです。
人が聞けば馬鹿な話で悲しければ泣けば良い。現在の若い人には笑われるでしょうが、子供たちも「冷たい」お父さんと考えていた感じは有りましたが、今は祖父の言葉を未だに心に持っている人間である事を家内も含めて理解し「頑固おやじ」と嘲笑?される事も無く成りました。
困った事は子供たちには、「人を裏切るな!」と教えてから彼等・彼女の友人の情報が殆ど入らなくなり、友人の判断は自分で先入観なく見る。加えて子供たちの態度から情報を得る事に成って仕舞い彼らの学生時代には困ったものです。
現在は映画を見ても涙が出そうに成るのは年のせいでしょうか?約束が有るので「頭」が痛くなるほど我慢する事がたびたび有ります。家内には「お父さんの神話」も何年もつだろうと?子供達に言ったらしいと、「秘密」を明かしてくれましたが悪口では無いので許しています。矢張り年が言わすのでしょうね。
後二回の涙?何時出るのでしょう?年をとるにつき重荷にも感じているのですが、長年の約束事「自分」が死ぬ時は涙は出せませんので一回で終わって欲しいと最近は考えています。「うつ」は闘争心が無く成ると起こるでしょう。
酷い教科書が手に入りました。えんだんじさんが「書いたら」の一言がものすごいプレッシャ―高校時代の追試験を受ける感じです。」

えんだんじから猪さんへ
「年をとると涙もろくなるのは、涙腺のしまりが年をとるとゆるくなると言うか、しまりがなくなるせいだと医学的に証明されていると私は聞いています。だから私は、いまは無理しません。映画など見て泣きたい場面があれば、平気で涙を流します。私の一言が随分プレッシャーを与えたようで失礼しました。」
引用終了

引用開始
たつやさんのコメント
「野菊の墓」で政夫が民子の死去を知らされたのは,寄宿舎住まいだった旧制中学の時だったと思います。
なんでも「毛唐のまね」をすればよいという価値観のしからしむる流れでしょうか。
「男泣きになく」も死語になったようです。「兼続」は「女子供」受けを狙った訳ですが,
今や「国民総『女子供』化」ですね。
えんだんじからたつやさんへ
「たつや様
そうでしたか。旧制中学生でしたか。失礼しました。
確かに「男泣きになく」など死後になってしまいましたねぇ。
一億総女子供化には同意です。
引用終了
上記の猪さんは、元軍人でこの時期、自宅で療養中で、外出しても2,3時間が限度で自宅に戻らなければならない状態だった。しかしえんだんじさんの出版記念パーティーの時は、必ず俺を招待してくれ、俺は車イス使ってでも行くからと言っていたのだ。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」のお蔭で、沢山の元軍人ファンがいた。多くの彼らが私に投書してくれた。彼らのほとんどがこの本を絶賛してくれた。「よくぞ、この本を書いてくれた。」と言ってくれたのだ。しかしほとんどが、私が書いた「えんだんじ・戦後昭和に一匹狼」も「戦後昭和の女性たち」もどれもさしあげるまでもなく亡くなっていた。残念、無念、なんのお礼もできず、「大東亜戦争は、アメリカが悪い」を読んでくださって本当にありがとうございました。皆様方の上記本に関する投書は全部大事にとってありますので、いずれ時期を見て公表したいと思っています。

コメント

もう日本男子の文化は、完全になくなった。



今年の夏は珍しくテレビで高校野球をみた。負けチームの日本のますらおたちは。ほぼ皆と言っていいほど、恥も外聞もなくどっと涙を流して泣いているのだ。私の年代の男にとってこれほど興ざめするものはない。えんだんじのブログは今から10年前に始っているが、今から8年前の2008年9月13日に「男の涙」のタイトルのもとにブログを書いています。その頃から私のブログを読んでいるひとは珍しいと思うので、今回はそのブログの全文を引用して紹介します。

引用開始
「男の涙」
最近の若い男性を見ていて気づくのは、おそらく最低でも何百年と続いてきた我々日本男子の習性とは明らかに違うものがあるということです。それはなにかと言えば今の若い男は、テレビなど見ていると人前でも平気で涙を流すことです。
私が定年時に自費出版した出版社が倒産した時、私を含めて5,6人が会社の事務所に押しかけた。その一人に20代の男性がいた。会社が倒産して彼の支払った70万がもどってこないと知った彼は、「俺、どうしよう」、「俺、どうしよう」とその場にへたりこんでおいおい泣き出したのです。私はびっくりしてしまった。詳しく話しを聞けば、その70万円は借金ではない、自分がバイトで貯めたお金です。それでも「おいおい」人目で堂々と泣く、私など見ていて実に女々しい感じがして腹が立ってきたのを覚えています。
我の女房は、NHKの大河ドラマのファンでよく見ています。今年の主人公の直江兼続がよく涙を流すので、女房は少し怒り気味に「あの当時の武士が、あんなに涙もろいはずがない」とけなしていました。おそらく脚本家がまだ若い多分女性なのかもしれません。年寄りの男性脚本家だったたら、武士にめったのことで涙なんか流させるはずがありません。

そこで若い男性諸君のために昔の日本男子の泣き方の典型的な例を披露しましょう。明治時代の作家、伊藤左千夫の有名な短編小説「野菊の墓」から例をとりました。主人公は故郷を離れ、上京し大学に通う大学生です。突然故郷から「すぐ帰れ」の電報を受け取り、故郷に帰った。そこで彼は、彼の幼友達であり恋人でもあった彼女の死を知るわけなのですが、その死に方があまりにも不憫で涙をさそうものでしたから、彼は泣き崩れます。その描写を、作者の伊藤左千夫は、このように書いています。

「母の手前兄夫婦の手前、泣くまいとこらえて漸くこらえていた僕は、自分の蚊帳(かや)へ這入り蒲団に倒れると、もうたまらなくて一度にこみあげてくる。口へは手拭を噛(か)んで、涙を絞った」
この短い文章が、男の泣き方を端的に表しています。「母の手前兄夫婦の手前」で他人のいる前では男は泣かないもの、涙を流さないものだということ。「口へは手拭を噛んで」とは、号泣するとどうしても嗚咽がもれる。明治時代の田舎の夜は、静寂そのものだったでしょう。その嗚咽のもれを誰かに聞き取られると自分が泣いているのがわかってしまう。そのために口の中で手拭を噛んで嗚咽をこらえるのです。そして涙だけはとめどもなく流すのだ。それが「涙を絞った」という表現になった。これによって男というものは、どんなに悲しくても人しれずこっそり泣くものだということがわかります。この後の文章は、伊藤左千夫は、こう書いています。
「どれだけ涙が出たか、隣室の母から夜が明けた様だよと声をかけられるまで、少しも止まず涙が出た」
男が人前で涙を流すということは、女々しい男と思われたのは、人前で涙を流すということは男のうろたえた姿を表すことなのだ。男たる者、どんな悲しい目に会おうが、辛い目にあおうが、うろたえてはならないのだ。この武士道にも似た精神が当時の男にどれほどしみついていたかを端的に表す例を示しましょう。

日清戦争終了から5年後の明治33(1900)年、清国で義和団事件が起きた。義和団の騒乱にかこつけて清国政府は、中国に公使館を持つ国々に宣戦布告してきた。この時、清国に公使館を持っていたのが日本を含む欧米諸国11カ国、そのうちオランダ、ベルギー、スペインは守備兵力を持たず、合計は八カ国の守備兵力は、公使館員、学生、民間人いれて5百余名。イギリス公使館が一番広いのでここに各国の老人、子女、病人を集め、各国自国の公使館の籠城し、各国連携しながら戦うことになった。籠城戦は、約二ヶ月半続いた。この時大活躍して欧米軍の間で大評判を勝ち取ったのが会津藩出身の柴五郎中佐率いる日本の守備隊です。
籠城戦は結局成功に終わるのですが、日本軍の名声を高めたことが二つあります。戦後各国は、それぞれの担当地域で軍政を敷くのですが、各国軍は略奪をほしいままにするのですが、柴中佐率いる日本守備隊には一切の略奪がなかったこと、二つ目は日本兵の我慢強さです。戦場では負傷兵が出ます。当時は麻酔などありませんから外科手術など荒っぽいし激痛が伴います。片脚切断、片腕切断など麻酔なしでやります。この時欧米兵はでかい図体で大きな声で泣き叫びます。しかし日本兵は違った。人前で涙など流してうろたえる姿をさらすなが習慣になっているから、どんな大手術でも日本兵は、軍帽を口の中に入れそれを噛み締めて、低い声で「うーうー」といううめき声を出すことすら恥とばかり懸命になって平静さを装うとするのです。これが当時の日本男子の強さの原因の一つでもあったのだ。

私の年代以上の人たちの父親は、ほとんど全員明治生まれです。従って私たち男の子が、いつまでもめそめそ泣いていると、父親から「男のくせにいつまでもめそめそ泣くな」と一喝されるのが当たり前でした。母親でさえそういうことを言っていた時代です。それでもくやしくて泣きたい場合は、トイレに入って声を立てずに悔し涙を流し、落ち着いてから涙をふき取りなんでもないような顔をしてトイレから出るのです。夜だったら布団の中で悔し涙を流し枕を濡らすのだ。私は小学校時代にいじめにあい、多勢に無勢こてんぱんにやられ逃げるように家に帰り、母に悟られないよう、すぐトイレに駆け込み悔し涙をどっと流した思い出がある。このように私の年代以上の男は、小学生の頃から涙など人前で流さないのが男の強さの象徴みたいだった。

だから大人の男が人前で流す涙には価値があった。どういう風に価値があったか具体的に説明するのはむずかしいので例をあげましょう。私の20代の頃の話です。私の知人が私を含む数人の前で自慢げに話しをしてくれました。彼には愛を誓った恋人がいた。結婚するつもりだったらしい。ところが新しい恋人ができてしまった。前の恋人より新しい恋人の方が気に入ってしまったのだ。彼はどう別れ話を切り出すか悩んだ。前の恋人は、特に気が強いし、別れ話でひと悶着は避けられそうもなかった。そこで彼が考え付いたのが、別れ話の時に彼はわざと涙をながすことだった。彼は、私たちの前でその成功話をしたのだ。
どうやってわざと涙を流したのか聞くと、彼は、いかにも涙をこらえているように両手で顔を覆い人差し指と親指で目頭をできるだけ強く押して涙を出したというのだ。同年代の女性は、大人の男が涙を流しているのを見たことがありません。彼女は彼の涙を見てかえって感激したようだというのだ。どういうふうに別れ話を切り出したのか知らないが、彼女は涙を流しながら、彼の涙を見て、「あなたもつらいのね」と言ってくれたそうだ。「うそをつけ」と言いたい。おおげさな自慢話なのだろう。しかし別れ話は成功したのだ。

そのあと私は、自分で人差し指と親指で自分の目頭を押さえてみた。涙が出ませんでした。しかし強く押せば押すほど、指を離した瞬間目元がさだまらず目をパチパチするような感じになるので、涙をこらえているように見えるかもしれません。後年私は同じことをやる羽目になった。残念ながら女性との別れ話ではない。通勤定期のキセルで私が駅員に捕まったのだ。当時、現在のJRになる前の国鉄は、よくストライキをやった。24時間ストライキ、48時間ストライキなど、平気でストライキをしたものだ。会社によっては貸布団を借りて社員を事務所に寝泊りさせるところが沢山出た。
私は大組織への抵抗の意味と三番目の子どものミルク代かせぎもかねて通勤定期のキセルを長年していた。捕まった時、数年間キセルをやっていたのですぐに大きな罰金を想像し、私は青くなった。

私はハングリーに育っているので、こういうピンチにはすぐに臨機応変に対応します。目頭を押さえることを思いだし、涙をこらえるような仕草で、人差し指と親指で目頭を必死で痛みを感じながらも強く押しつづけた。手を離して駅員と話す時には、おそらく私は、涙を流した後の顔つき、あるいは最低でも涙をこらえている顔に見えたに違い。国鉄のストに対する庶民の抵抗などと開き直りせず、ひたすら謝りの一点張り。生命保険もかけてもいないくいせに、罰金が払えなければ、生命保険かけていますから、自殺してでも払いますとごく自然に名セリフが出てきます。自殺では保険がおりないのを知ったのはずっとあとだった。キセルの原因を子どものミルク代かせぎにした。いつもなら私はサラリーマンらしからぬはでな背広を着ているのだが、その日は幸いにも取引先の工場にゆくことになっていたから目立たぬドブねずみ色の背広を着ていたのも幸いした。ついに駅員の同情を獲得して難を逃れた経験がある。
女の涙は武器だと言われますが、我々の年代までは男の涙は、めったのことでは見られないだけに武器にもなり、価値もあった。それがどうです現在の若者は、うれし涙も悔し涙もすぐに出す。日本男子が数百年かけて築いてきた男の涙の価値を現在の若者は、完全にぶちこわしてしまったのだ。一体この責任をどうしてくれるというのだ。ある台湾人の男性が、日本に来て日本人男性が平気でテレビの前で涙を流すのを見てびっくりしたと言っています。台湾人の男性も私の世代と同じように人前ではめったに涙を流さないのだ。私には、現在の日本男子の若者のひ弱さは、すぐに人前で涙を流すことと非常に関係があるように思えてなりません。

数週間前、テレビでうつ病と仕事のストレスとの関係を話題にした番組がありましたが、うつ病の多くの原因が仕事のストレスに関係があるというのです。これは私の想像だが、多分当たっているような気がしますが、男が人前で平然と涙を流すようになってから男のうつ病が増えたのではないでしょうか。
最後に、現在の若い日本男子を一喝する文章でこの記事を終わることにしましょう。
「男のくせに人前でメソメソ涙など流すな!!」
引用終了

日本人は何百年かけて作り上げた文化を惜しげもなく捨て去るのだ。サウディアラビアは、宗教上の理由によりサウディ国内では、現在でも映画館が一館もありません。映画はテレビで家庭で見る物なのです。日本の現在の葬式は様変わり変わっています。今年はお経をロボットに読ませる人工ロボットを売っていました。私の葬式の時は、私の天国行きを祝して日劇ミュージックホールなみにトップレスショーの下に葬儀を行って世間をアット言わせるか。いずれにしても日本男子の文化は、もう完全になくなったのだ。いずれ戦争が起きた時、自衛隊員が大東亜戦争時の我が軍隊に比べていかに弱い軍隊になっているかを知ることになるでしょう。
最後に現在仕事のやり過ぎで、病気、過労死、自殺に追い込まれる若者よ、私は現在79歳、幼いときから飢えと金欠に育ってきているからいまだに闘争心旺盛だ。私の爪の垢でも煎じて飲みたければ、送ってあげるよ!

コメント

小説「戦後昭和の女性たち」への読後コメント



読者からメイル、手紙、葉書などで今のところ以下の読後コメントがありました。
送り手の名前は一切あげず順不同で、時候やあいさつ文を省略し、本の内容に関するものだけを抜粋してお知らせいたします。

コメント1。
 「戦後昭和の女性たち」を楽しく拝読させていただきました。 世代が違うので、感心することばかりでしたが、登場する女性には、それぞれ女性としての奥ゆかしさがあり、大和撫子とはこういうことなのかなと思いました。
最後のマリリンモンローのお話は、発想が愉快でした。
そんなにご著書があるとは存じておりませんでしたが、お知り合いの皆様に、ご自身でご購入いただくのも良いのですが、ご自分の地元の図書館で購入のリクエストしていただくのも良いと思います。
仲間内だけではなく、色んな方々と共有したいお話でした。

コメント2。
いつもながら、鈴木さんの体験物語は、泣かせますね。素晴らしい小説と思いますが、これをどうしたら世に出せるのか、考えてしまいます。やっぱり、どこか、小説に強い出版社の敏腕編集者にこれを見せ、もしその男が本当に優秀だったら、これをなんとしてもベストセラーにしよう、という話にするしかないでしょうね。何かそういうつてはないものか、それなりに考えます。
しかし、極楽の話は傑作ですね。やりたくってしょうがなかった、マリリンモンローとやることができる、そんな手があったとは!

コメント3。
硬軟いずれもいい作品ですね。(大東亜戦争云々vs.昭和の女・・)
一気に読んでしまい、そこから浮かび上がってくることは
1.背が高くて、粋で、おしゃれで、髭がある主人公ばかりですが、
  これは、ご本人の客観化ですね。
2.女性の好みは、美人であることは本音だが、10人並みでも
  愛嬌があり、客あしらいがよく、気立てがいい女が多いですが、
  これも作者ご本人の内心の反映でしょう。
3.みんな面白かったですが、「愛人関係契約書」はどこかで昔読んだような錯覚するような印象のデジャブ作品です。
4.私は三島由紀夫研究会員ですが、不熱心でもあり、三島の著作は、正直良さがよくわかりません。(三島関係者お許し下さい)
  「花ざかりの森」等何度読んでも何がいいのかよくわかりません。
  しいて言えば「金閣寺」は、何となく忘れられない印象強い作品です。
  豊饒の海は、死ぬまでにきちんと読まなければと思う次第のレベルです。
  でも、彼が盾の会のための資金集めのために女性週刊詩に書いた
  安部譲二を書いた「複雑な彼」はエンターテインメントして大変面白い作品でした。今回の本は、それを思い出させてくれました。
今、たくさん本を読む事情があり、だから暫く関係ない本は読まないつもりだったのに結局2,3日前に一挙に読んでしまいました。
罪な人ですね。スーちゃん! (なんか、女の恨み節みたいです)

コメント 4
どの話も面白く、ぐいぐいストーリーに引き込まれました。鈴木さんは大変なストーリー・テラーですね。鈴木さんの豊富なご体験を随所に絡ませて、楽しませてもらいました。これはかなり売れるのではないかと予感します。
敢えて難点をいえば、会話の中に不断使わない文語的な言葉が出てくることが気になりました。また、「天国での女性体験」は非現実的であり最後に夢だったと分りますが、他の作品が創作とはいえ現実感があって興味を引かれたのに較べやや違和感がありました。また、天国でも日本や米国などそれぞれに国が分れていることも天国のイメージを損ないました。
ただ、鈴木さんが今でも子供をはらませる元気のあることはよく分りました。

マリリンモンローは私もファンでした。事故死か自殺かの検死をしたのは日系の医師でしたね。その死体の写真が写真週刊誌に流れて、掲載されていました。
私はこれを見てしまい、生前の顔とは相当に違っていたことにショックを受けました。
鈴木さんには、彼女の生前の可愛いままの顔がイメージに残っていて羨ましく思います。いずれにしましても、鈴木さんの文才の豊かさに改めて感服しました。

コメント5
さて、拝読した感想ですが、やっぱり先生個人を存知上げているせいか、どこが実話でどこがフィクションなのか?が気になってしまいますね。八編ともどれも昭和の匂いが漂う作品ですが、どれが一番好きかと聞かれたら「愛人関係契約書」と答えると思います。昭和のメロディーが頭に流れる感じで、よませて頂きましたがどの作品も読んでいて、情景が浮かんでくるんですね、先生の小説は、西尾先生が文章が上手いとおっしゃられた通りと思いました。今は昭和ブームなので、テレビ局がドラマ化してくれないかしらとかふと思ってしまいました。

コメント6
本礼状を認める前に最初の作品「綾子の無念さ」のみ拝読しました。一口で言って感嘆しました。これまで貴殿が上梓された長大重厚な作品群を読み慣れた不肖としては、貴殿のご計画をブログ上で見た時、正直申しまして「なに、短編?それも女性を取り上げて? 大丈夫かな、、、」という懸念を持ちました。しかし冒頭の一篇を読み終えただけで、不肖の懸念は完全に杞憂であったことが判りました。
いな、貴殿の筆の冴えは、むしろ短編においてこそ本領を発揮するのではないか、とさえ思えてきたほどです。
「綾子の無念さ」には、一昔前に必ずいた、そして現在でも或はいるかもしれない、客商売に生きる女たちの哀感と孤独、そして反面の明るさと逞しさがテンポよく描写され、一息で讀み通してしまいます。その中に家族や兄弟の愛憎も程よく挿入され、思わずホロリとさせられます。とりわけ、「俺」に手紙を書いてくれと頼んできた弟の、姉に対する深い思いやりには泣かされました。そして行間にさりげなく滲み出る「俺」の、男としての生き方の恰好よさにも大いに惹きつけられました。急いで読み終わるのはもったいないほどの作品です。これから一遍ずつ、ゆっくりと楽しみに読ませて戴きます。そして全体を読み終わりましたら、機会を見つけてあちこちに書評を書くなどして、微力ですがこの本の普及にも努めたいと存じます。

コメント7。
拝読最中ですございますが、苦労の中にも明るくしなやかに昭和を生きた女性群像、いままでのご著書とは趣が異なり、鈴木様の文体の幅広さに感服しております。つくる会の会報「史」に宣伝記事を載せてもらうことができましたらと存じます。

コメント8
正直申し上げまして、私はこういうジャンルの本はあまり好きではありません。ただ読み始めると、筋書が面白いのであっという間に読み終わりました。皆せつないお話ですね。でもそれぞれ救いがあったように思います。これは鈴木さんの人生に対する前向きな姿勢が反映しているのではないかと感じました。家内も面白かったと言って文章力に感心していました。南京虐殺に続いて従軍慰安婦の嘘が世界に広まり、さらに徴用工まで広めようとしています。これは日本人の恥じとなると同時に、嘘を歴史に残したシナ人、朝鮮人の恥じになり、更に人類の恥じともなります。「大東亜戦争はアメリカが悪い」が世界に広まれば、正しい歴史が人類に残ると思います。

コメント

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